はてなキーワード: 演出家とは
付け加えるとMIKIKO先生は、Perfumeのライブのように、万人単位で満遍なく老若男女が集まるイベントを手掛けた実績があります。Perfumeのライブに行くと、街の人間をそのまま会場に入れたのかと思うぐらい「色々な人々」がいます。単独客、グループ客、カップル客、家族客、お年寄り、マニア、初心者、セクシャルマイノリティ、外国人、本当に色々です。したがって五輪のような「国民的イベント」にはMIKIKO先生のような経験を持つ演出家は、うってつけだったと思います。
ラーメンズ小林やFPM田中にそういう実績(幅広くて偏りの無い観客が多数集まるイベントでの経験)が、MIKIKO先生と同じぐらい有るかと言われると、有るとは思えませんね。
ここ数ヶ月ぐらいずっとそうだ。
年寄りが若者のせいだと言い、若者は年寄りのせいだといい、おじさんはおばさんのせいだといい、おばさんはおじさんのせいだと言い、
政治家は国民のせいだと言い、国民は政治家のせいだと言い、いつどこをみても誰かが誰かを口汚く罵っている。
誰かが医者のせいだと言い、誰かは専門家のせいだと言い、誰かはアスリートのせいだと言い、
コメンテーターが悪い、学校が悪い、子供が悪い、親が悪い、ミュージシャンが悪い、演出家が悪い、ワクチンが悪い、スポンサーが悪い、自治体が悪い、市役所が悪い、区役所が悪い、市民が悪い、電車が悪い、乗客が悪い、日本人が悪い、外人が悪い、飲食店が悪い、客が悪い、そんなんばっか。
みんな次に来る悪い奴を待ち構えている。次はなんと言って叩きのめしてやろう。
ニュースを見るのが一番辛い。悪い情報、悪い言葉で溢れかえっていて気が滅入る。
なんの言葉もない、どこかの何もない通りをずっと流してくれていれば気が休まるのに。
あれが何であってもそういう過去があれば不特定多数の直接的に支持者でないものまで支持に回らねばならない公の場にでると批判は出るのは当然
アイコンとして人物をだすためには必要な脚色と不必要な過去の隠蔽があるべきであれは人選がもともと間違ってる
ただ便利なのが人選の間違いを人事の間違いといわれずアイコンの責任になすりつけることができるところ
顔がみえない運営よりも顔の見えてる代弁者を殴るのはクレーマーの当然の成り行き
店舗の運営について現金で殴りつけるのが不満の解消としては実質実体効果があるにもかかわらずバイトの店員に土下座をさせる
見えている不満点についてみえていない原因を偏差射撃できるような人間はいない みえている的を一生懸命叩き続ける
本当に失敗したと思ったのならあれを一旦引き下げて代替品の押しも押されぬ謎バンドを出すべきだろう
なぜそうしないのか まともにオリパラの話をすると肯定できない人間が多すぎる
オリパラでもなんでも程度になにも情勢を理解しておらず失うものもとくにない音楽関係者にオファーを出すにしても
この要素を理解している企画者がいれば乗り気な人間はまともな思考をしてないのでおかしなことをする
というかもとよりオリパラに名乗りをあげるアーティストのアートとかまともな気がしないはず
ではそいつをごり押しにねじ込んでやってのけるか となると時間で押すしかない もう替えが効かないのでと言い訳をする
これは下の下で小学生でも思いつく方法だ とはいえ実際にそうなっているので如何ともしがたい
もうすこしまともな神経があれば小山田圭吾を使うにしても あとから自分の担当だったと自慢してもらってかまわないが
いまは覆面プロデューサーとして新規の使いつぶせる未完成で開拓中のアイドルをつかってグループをプロデュースしてもらう
そういう方法もあったはず
今後の活躍はその裏のネタがばれて崩壊する危険性をはらみつつ運用はできないのでワンオフでも出たいなにかになりたいという
すこし考えれば素人でも考え付くそんな方法を選択せずにアイコン総叩きでねじこんでおわらせたら形だけはなんとかなるだろうという
企画にGOを出したのは相当に小山田圭吾を恨んでいる人間か もしくは人間そのものを消しゴムかなにかとしかおもってない人間だろう
小山田圭吾自身がおこなった非道な行いは到底許されるものではない それは犯罪全般にもいえるだろう
それらの人間にはチャンスはないのか といわれるともちろんある ただそこではないだけだ
男子禁制女人禁制 関係者以外立ち入り禁止 免許がなければできない行為 それらは差別なのか もちろん差別ではない
性別や身体的特徴は選んで生まれてきたわけではない それを区別するのは差別だ そういいたい気持ちもわかる
だが性別の特徴をどちらかにもっている人間は どちらかから回避不能な攻撃を受けることがある それを守るためには敵を遠ざける必要がある
おまえがでていけということではない 敵をとおざけるという意味で区別をするのだ
クスリをやって逮捕されたアーティストや交通事故で人をひき殺したことがある演出家や舞台セットや美術やプロモーションやその他もろもろ
それらはそれらを受け入れてもらえる環境を選ぶべきだ 自身が攻撃され被害をうけないために
今回はそれが足りなった 小山田圭吾は日光に弱いのに日の下にさらされたのと同じ だれがそこに引っ張り出したのかという事だ
小山田圭吾自体は日の光によわいとして それが日の光を克服するにはどうしたらいいか なんてことをどれだけ議論しても解決するわけがない
ただの人体実験をしているだけだ 本人と医学の進歩のためにみたいなことを言いながら不死身の吸血鬼を拷問にかけて研究と称しているようなものだ
おわりはない
実際にこの問題を解決するために必要なのはこの企画とともに死んでもいい音楽生命が危機に陥る可能性があるこの大会に
名乗りを上げてくれる実務関係者だろう
そんなアーティストがいない やるからにはやらせてもらうという音楽バカみたいな人間がいない
手札で一番名前がうれていたのが小山田圭吾だったのかもしれないし 普段から恨んでいて日の下で死ねと思われていたのかもしれない
むしろそっちのほうがこの引き際の悪さを納得させる
最近のひろゆきの話もそうだが場違いな晴れ舞台デビューをしてなにもかも足りていないことを晒され恥をかいて退場というのは
企画力の低下かセルフプロデュースの一般化 蔓延の象徴のように感じる
とりあえず小山田圭吾の5文字が出ている全てについて 許容層以外のすべては攻撃的になることは確実なので
それを下げるのが一番のはず
なぜそれをしないのか できないのか
どの層からも攻撃を受けても防げるアイコンを大衆の目の前にかざして本体へのダメージを軽減させる
そんな企画が必要なことくらいだれでもわかるはず それができない状況という組織体の内部は一体どうなっているのか
とりあえず小山田圭吾には自分の居場所に帰っていい感じにやっててもらったらと思う
オリパラに期待したりそういう場の質や気品を気にする連中がこない地下のそういう奴らのドレスコードがあるクラブにいれば
もしお上品な連中が現場に降りてきたら逆におなじしぐさを返してやればいいだけの話
小山田圭吾がどこまで といわれたらもう出てきませんと言うまでだろう
だれが彼をそこにずっと立たせているのか それが問題だ
各所絶賛ばかりなので、日和って増田にて感想を書かせていただきます。
2.5の経験がほとんどないので、今まで見たことのある普通のお芝居と比べちゃうんですけど、どれもこんなもんなんですか?
とにかく見せたいシーン・必要なシーンの切り取りが続いていくだけなので、感情移入がしにくいです。
黒と黄色を基調としたスタイリッシュな世界観を貫いているのはよくわかったのですが、いくらなんでも無味乾燥としすぎてるやろ...。
感染症対策で公演時間を圧縮しなければならない都合もわかってます。
にしても、あまりにもシーンとシーンの間に間がなさすぎて、感情を落とし込む時間がないです。
皆さんよくご存知ですよね?脳内で補完してね?っていう。客の事前知識に頼りすぎじゃないか?っていう。
それは演劇としてはどうなんでしょうかね。
照明で工夫するか、持ち道具かセリフでわかりやすくすることできるはず。
まーでも説明的なセリフ入れたくないんですよね?わかりますけども。スタイリッシュにしたいですもんね。
スキップがアッシュにとって大事な存在であるという表現が全くないので、悲しくならないしどうしてそこまで怒るのかも伝わってこない。
ショーターも同じく...。
終始そんな感じが続きますので、そんなつもりで観に行ってください...
自分から前のめりに乗っかっていく感じで観てください。原作から感情を補完しながら観てください。そしたらいけると思う。
ていうか、役作り、アニメに寄せすぎじゃないですか?
みなさん頑張ってるのがよくよく伝わってくると同時に、技術が拙いかたの拙さがこれまたよーく伝わってきちゃって辛い。
早乙女友貴さん、新感線の舞台でお見かけするときはアクションもできて演技も良くて...なのですごく期待してたんです。
今作は滑舌もよくないですし、ちょっと一本調子でよくないです。演出家が違うとこうも差が出るのかと。
劇団☆新感線とチケット代同じですもん。(新感線のが安い場合ある)これじゃあいけないですよ。
2.5って顔なんでしょ?イケメンにお布施しにいくんでしょ?って言われちゃいますよ。
いや、本当に私、ものすっごく楽しみにしてたんですよ。
深みのある芝居を、生と死の手触りを感じる芝居を2.5に期待した自分がおかしかったんですかね。
イケメンを見てきゃーっていう、推しメンが3次元に降臨したことだけを喜ぶもんなんすかね。
弾着(銃で撃たれたほうの人の火薬が爆発する表現のこと)もなかったし、流血もなかったし、なんかずっとみんな綺麗なまま終わった。
最後の対決でアッシュのTシャツが徐々に赤く染まってくくらいの表現ないと死にそうなの全然伝わってこなかったです。
アッシュのTシャツ、マジでずっと真っ白だったよね???最後まで白すぎてびっくりした。
こういうの作ってる側の人の目に入ると落ち込むのわかってますけど、こちらもお金を払わせていただいたので絶賛する自由も批判する自由もあるよねということで書かせていただきました。
しかも出演者がレミゼラブルなどに出演するミュージカルの中では一流と呼ばれる俳優が揃った。
信者は嬉しい!絶対見に行く!、よくわかってない人は推しが出るんだから見に行こう、大多数のミュージカルファンは何故寄りにもよって西野と手を組むのか?
更にはこの出演者の配偶者にミュージカル界を代表する俳優がいる。私はその俳優も好きだ。もちろん配偶者の仕事を全て管理するわけではないが間接的に関わってしまっているという事実、作品を見に行くのではないか宣伝を自分の番組でするのではないかとこちらも悲鳴の嵐だった。千鳥の大悟に捕まってないだけの詐欺師と呼ばれた男がミュージカル界を入ってくる。
実はミュージカルではない台詞劇のプペルを映画公開以前行っている。その際は主催がきちんとした舞台製作会社であった。演出家もプロの人であった。だがしかし、今回の主催は西野の会社、脚本演出は西野、公演の責任者であるプロデューサーは西野を愛してやまない23歳の若者だ。全てが西野の思うままの舞台なのである。
早速、演出助手が西野に悩みを相談する飲み会を「見るだけ」の権利が3万円で販売されていた。
今回の作品にクレジットされている人を調べてみるとミュージカル界において有名ではない人のほとんどが信者で構成されている。問題はそれ以外の人たちだ。
あるファンが映画公開の際に炎上した台本を大量に買わせる事件を例に挙げて本人に問題提議をしたところ「そんなことがあったんですか?」との返事があった。詳細を知らないという事態であった。ヒットした映画のミュージカル化、それをブロードウェイに持っていきたいという夢に共鳴でもしたのだろうか。(日本で行っているミュージカルは海外産のものが多く、国産を作らなければという思いが業界に数多くある)そのヒットしたカラクリも知らずに。もういっそのことなら信者ですって言ってくれたほうがいい。いいや最初から信者で構成してほしい。
ファンがごたごた言うな。離れればいいという意見もわかっているが、これできっぱり離れることができたらどんなに楽だろうか。それができたら本望でもある。
情報解禁時は悲鳴だらけだったネット上も今ではすっかり「やると決まってしまったものはしょうがない」という声が蔓延している。自分の推しは関係してないという人はもう触れないようにしている。触れるだけで損な案件なのである。
反対意見を曲げずに怒りを持ち続けることはとても体力が必要だ。まるでレミゼラブルに登場するバリケードを築く学生たちが「(加勢すると信じていた)市民は来ない 僕らは見捨てられたのだ」と諦めたとの同様に。
https://twitter.com/overmount/status/1399351701102940170?s=20
この人毎回アイマスについて書いてんだけど、斜に構えたオタクそのものでしかもさも自分が経営陣だったらこんなことしないみたいな書き方していて本当にきつい。
せめて経営企画をやってる人間だったら、緊急事態宣言で公演中止の可能性がある中で下手につなぎのあるツアー公演やったら間が抜けてアウトになる可能性があったとかも考えんもんかね?考えねえか。そりゃあこの書き方になるもんな
別に公演自体のセトリがあかんのはしょうがない。もうちょいはばもたせたってええやろっていうのは個人の意見だ。
また上記の理由が本当であってもあくまで公演する側の事情であって見る側には一切利益にならねえし、俺はつまらないと思った。は正しい主張だ。
だけど本当に書き方だけが毎回気に食わない。したり顔で自分は一家言あるみたいな書き方でヘイトとアイマスやべえぞみたいなことしか書かねえなら、それは客側だと一切利益にならないし逆に害悪なんで見てて嫌になるというのはある。勘違いしていたら申し訳ないんだけど君会社から出たら一個人だからね?団体側にちゃんと関わってから言ったらいいんじゃない?企画経営やってるんでしょ?企画立てろよ
そうでないならアンケートに粛々と書いて出せ。客がやれるのはそこまでだ。少なくともアイマスに関してはアンケートちゃんと見てると思うぜ?今までのイベントとかもろもろの動き方見てると。
https://twitter.com/shall_p/status/1399593863048617984?s=20
https://twitter.com/Fran_WilloW/status/1399603903604264960?s=20
そして何より嫌いなのは上の記事に対してこういうことをしゃしゃりでて引用コメントに言い出す人がいること
JUNGOだってどんだけ叩かれてると思ってるねん。セトリに関しては演出家権限そんなねえよ。
別に分かれとか知ろうとしろなんてことはいわんけど、ちょっと考えてもいいんじゃねえか
こういう脳死コメントが割と本当に嫌いで、そのくせ大抵自分のほうがアイマスを愛している、これに一言言わないやつはカスみたいな事言いだすから始末に悪い
頼むからもうちょい出し方考えてくれって思うわ
【1】
まず、私の投稿に対して「こういう規則の押し付けが創作の芽を摘む」というような声が有ったので、以下ではその声に答えたい。
日本では割りと「創作においては『論理』に頼らない『直感』こそが正義である」という信仰が強い。しかし、現実は逆である。きちんとした創作を生み出すためにこそ、創作家には規則や論理が必要なのである。
例を挙げよう。映画業界の話である。欧米をはじめとする諸外国とは異なり、日本には映画に関する専門的な教育・訓練を行うまともな機関が無い。そのため、映画の仕事を志望する人間は、専門的な教育や訓練を受けたくても受けられない。業界全体が、昭和の時代と何も変わらない『徒弟制度』に頼りきりである。業界志望者は、論理的・合理的なノウハウも身に着けられないまま、無駄に年月を重ねる。結果として、まともな監督も脚本家もスタッフも育たない。つまり「まともな作品」を撮れなくなり、現在の日本の実写映画は「まともなビジネス」として成立しなくなった。
映画に役者を供給する演劇業界も、実写映画業界と似たり寄ったりである。大半の劇団は良い演劇をすることよりも、地方自治体を唆して税金に寄生することや、稽古や親睦を名目にして性的関係を結ぶことの方に熱心で、肝心の本業である演技や演出は学芸会レベルのままである。
日本の実写映画業界や演劇業界は、指導の名目でスタッフや役者に灰皿を投げつけたり暴力を振るう類いの人間たちが「名監督」や「名演出家」扱いされている始末である。片や出演する演技者の方も、演技の専門的な訓練を受けていないミュージシャンとかが大役をゲットする。こういう紛い物たちが日本の映画業界や演劇業界に蔓延っているのは「論理的・合理的なノウハウの訓練を行うシステム」が無いからである。論理的な指導ができない人間は、監督や演出家を辞めるべきだし、演技の訓練をしていない人間は、演技の仕事を去るべきである。
それはともかく、漫画や小説の作家を目指す人間は、実写映画業界や演劇業界が手遅れに近い状態になってしまっているのを「他山の石」として、まずは「論理的・合理的なノウハウ」を身に着けるように努めてもらいたい。
そうすれば、日本の実写映画やドラマで頻繁に見かける「よく考えもせずに『何となくそれっぽいから』という理由だけで、悪人たちが悪企みの会議をしている場面で部屋を暗くしてみた」とか「とりあえず竹中直人や佐藤二朗やムロツヨシに滑稽な表情と動きをさせておけば、それでコメディっぽくなるだろう」といった馬鹿な描写を貴方の物語作品の中でしなくて済むだろう。
【2】
次に「セオリーから外れているけどヒットした作品も有る」というような声も寄せられた。これに対しても以下で答えたい。
野村克也がインタビューで言ったことで有名になった「勝ちに『不思議の勝ち』有り。負けに『不思議の負け』無し」という喩えが有る。論理に依らない成功の例は確かに有り得るが、それは謂わば「宝クジが当たる」ようなものである。もしも「宝クジに当たる人間も世の中にはいるのだから、自分はあくせく働くのは止める」と言い出す人間がいたとしたら、その正気を疑うだろう。
物語を書くこと、創作活動をすることは、宝クジを買うように運任せの行為なのか?それは違う。人間の頭脳を使う営みなのである。ならば、創作活動において頭脳を使って論理や規則を活用することの、いったい何が悪いというのか?そんなに頭を使って書くのに抵抗を覚えるならば、いっそコックリさんに頼って自動書記でもしてはどうか?それは冗談だが、仮に偶然に頼るにしても頼り方が有る。
蜘蛛という生き物がいる。その中でもコガネグモやジョロウグモなど、網を張って獲物を捕らえる種類がいる。網に獲物が掛かるか否かは偶然である。しかし、網を張らねば偶然を捕らえることはできない。創作活動において論理や規則を活用することは、謂わばクモが網を貼るようなものなのだと理解してもらいたい。
【3】
「とりあえず最後まで書くのが重要」という声には強く同意する。物語作家の志望者は、まずは作品を一本書き上げてもらいたい。しかし、そのためにこそ、論理や規則は有効なのである。登場人物に生命の息吹を与えて、物語を完走させる上で、論理や規則を活用することは、手助けにこそなれど決して枷にはならない。むしろ始めにきちんと考えないままで何となく執筆に着手してしまい、結果として執筆の途中でガス欠になって未完成で投げ出す人の方が、物語作家の志望者には圧倒的に多いのである。それを避けて最後まで書き切るためにこそ、論理や規則を活用して欲しい。
【4】
「文章力や画力があれば、何も起きない平凡な日常生活の描写でも読者を惹きつけられる」というのは、嘘ではないが、しかし本当でもない。それだけの力を持つような文章力や画力というのは「何を書く・描くべきか」を把握していなければ、物語作家志望者も身につけようが無い。そして、何を書く・描くべきかを把握するには、やはり論理と規則に則った思考が必要なのである。また、何も起きない平凡な日常生活は、無手勝流で簡単に書ける・描けるものではない。観察力もまた出発点は論理と規則である。
彼らが映画やドラマの中で滑稽な表情や動きをしていても、私は全く笑えない。悲しいことに、私の中では最近ムロツヨシが同じ感じの存在になりつつある。彼ら役者もおそらく、演出家などにやれと言われたことを仕事としてやっているだけなのだろうとは思うのだが、それを差し引いても彼らのコメディ演技では笑えない。ちゃんとした脚本や演出があれば、また違うのだろうか?もしも、そうだとすれば彼らも気の毒な話である。特定の役者を責めても仕方が無いのだろう。
これまでテレビ等で「面白い」と宣伝されていた三谷作品や福田作品などのコメディらしき作品を見ても、私は笑えないことが多かった。数少ない例外は杏と長谷川博己が出ていた恋愛コメディドラマ『デート』で、あれは面白かった。
何かオススメの国産コメディがあれば教えて下さい。外国映画だと『大災難P.T.A』『大逆転』『ラブ・アゲイン』『トロピック・サンダー』とかが好みです。
個人的には倍速視聴の趣味はないが、批判する奴はそろいもそろって初歩的な理屈立てもできていない馬鹿ばかりなのだ。
それで映画好きを騙っているのだ。
辟易とする。最悪だと思う。
曰く、「作者の意図を棄損している」「演出や音楽の計算が狂う」だそうだ。
この理屈は単体で見れば、言わんとすることはわかる。
だが、倍速を否定してみせる奴に限って、同時に「地上波で〇〇を放送しろ」「○○放送記念!」「金曜ロードショーがふるさと」などと言っているケースが多い。あまりにも多い。
少なくとも、同じ勢いで地上波放送を否定する人間は見たことがない。
頭が悪すぎないだろうか?
本来、映画は劇場の大スクリーンや音響を想定して演出しているものだ。作者の意図を無視しているのは明白である。
日本語吹き替えは、オリジナルの音声を削除して別の音声に置き換えている。
CMの挿入に至っては、映像作品を自分たちの都合で切り刻んで編集し、別の映像を追加しているのだ。
オリジナルの棄損だリズムが崩れるだとほざいてるアホどもは、なぜ地上波のこれらの要素は無視するのだろうか。
そしてさらに、地上波放送はそれを一人の個人的な視聴ではなく、公共の電波を使って「何百万・何千万の人間に」見せているのだ。
少し頭を使えばわかる。
倍速視聴で「作者の意図が~」「演出が~」と知ったかぶる前に、真面目に考えればすぐわかる話だ。
ニワカ映画通が言うように「映画を倍速で見る個人」がそんなに「悪」なら、地上波放送なんてテレビ局が焼き討ちにあうレベルの「巨悪」のはずである。
なぜなら、奴らは「そもそも映画が別に好きではない」からだ。映画について考えたことがないのである。
奴らにとっては、映画についてあれこれ考えるよりも「安易に叩けるだれか」を攻撃する方が楽だし、好きなのである。
奴らにとって「映画」というのは、誰かを叩くツールでしかないのだ。
映画に対する知識も情熱もないけど「他人へのマウントだけは絶対に取りたいカス」だから、こんな浅はかなことを言えるのだ。
「最悪」以外の何物でもない。
これを読んだ心ある映画好きの方は、安易に倍速視聴を叩くことをやめてほしい。
もちろん、倍速視聴への是非はあると思う。
しかし、あなたが映画にはまるきっかけになったであろう「地上波放送」の方が、「よほどオリジナルを棄損した歪な映画体験」であるということは念頭に置いてほしい。
倍速視聴を否定することは、地上波放送をすべて否定することなのだ。
その作品は女性ファンが大半を占め、気を使ってか原作や舞台は女性を起用してこなかった。
ハイトーンボイスのキャラクターも子供も男性が演じていた(一部アニメ除く)
しかし昨年、元某劇団の女性役者さんが舞台にキャスティングされたのである。
某劇団は女性ファンが多く、実力もあるため納得の起用だと言える。
私は某劇団を観劇したことはないが、嫌いではない。むしろ好きな部類に入ると思う。
公開されたビジュアルもとても美しく、見栄えのする2 5次元俳優と並んでも遜色ないどころか一番華があったかもしれない(個人の見解です)
また、他メディアミクスの脚本家の方も「なるほど」とインタビューで語っていた。
皆、思い思いに期待していたのがわかる。
残念ながらチケットは取れなかったため、配信で視聴することになった当日。
私は胸を躍らせながらパソコンの前に座っていた。
=====
モニタの中では、大好きなキャラクターたちが喋り、動き、戦っていた。
一時は中止を危ぶまれた舞台だが、どうにか違う形で上演してくださったスタッフ、キャストの皆さまには感謝しかない。
元某劇団の女性役者さんも力のある演技で、たちまち引き込まれてしまった。
美しい。とにかく美しい。
敵側のキャラクターたちの容貌が変わり、激しい戦いが始まった。
和装が洋装に変わり、私はそこで違和感を覚えた。※この物語は歴史物のため登場人物は和装が多い
艶のある女性の声が一変して、身体の芯まで震わせるハスキーな声になったのだ。
凛々しい佇まい
(これはなんなんだ?)
違和感を残したまま終演となった
首を傾げながらネットを彷徨っていたら、ある情報が目に付いた。
なるほど。
そういうことかと理解した。
ラストの衣裳は、まるで某劇団の男性役ようだったのだ。そしてハスキーな声。
演出家の方にそう指導されたのかもしれない。これがいいのだと皆が思ったのかもしれない。
けれど私は、和装のまま、芯の強い女性でいてほしかった。※原作では和装で登場する
一年近くずっとモヤモヤとしていたが、次の舞台でまた元某劇団の方からキャスティングされたと聞いて自分の中で整理しようとこれを書いている。
今度の方も実力があり、今もファンが多いというのはネットの情報だが把握している。
きっと素晴らしい舞台にしてくれるだろう。
「いい歳してアニメとか特撮なんてみっともないですし、日曜の朝を子供と楽しむだけで十分です。もう映画監督は趣味でいいかなと」
更に大人になったQアンノ監督、トマ・ピケティの「21世紀の資本」を読み、演出家や映画監督を続ける気力がなくなったという。
「エバーでは陰謀論のフリーメイソンとか死海文書をあくまでネタとして、物語に深みがあるように見せかけるための道具として使いました。本当は物語の中身なんて最初からないんです。アドリブでいきあたりばったり付け足していっただけなんです。敢えてそうすることでこの世界に謎と真実があるように演出する。でも、不動産運用から始めて、映画監督が趣味になるぐらい富から富を再帰的に生み出せることを実感するようになると、もしかしたら陰謀論は本当で、この世界の裏側には見えない支配層が存在し、それがディープ・ステートとして表の合衆国を操っていてもおかしくないのではないか、そう思うようになりました。そしてトランプ大統領はそのディープ・ステートと戦っていた、つまり碇ゲンドウのような存在ではないか」
必見。野島伸司という大御所脚本家が原案・脚本を手掛け、それを新人監督がアニメ化するオリジナル作品。スタッフの布陣が面白すぎる。
監督の若林信は22/7のキャラPV「あの日の彼女たち」で才能を見せつけた気鋭の演出家だし、コアアニメーターに「エロマンガ先生」の『紗霧アニメーター』小林恵祐 、音楽はDÉ DÉ MOUSE・ミトとか、知ってる人にはたまらん並び。
イクニ作品くらいいろいろ考察が捗る系のやつなので、とりあえず1話だけでも
「堀さんと宮村くん」を作画・構成を新たに再コミック化したものをアニメ化するというややこしいメディアミックスだが、とりあえず見やすいラブコメなのでそんな説明は別に重要じゃない
OP・EDでめっちゃオシャレな演出をすることで有名な石浜真史が監督なので、とりあえずOP映像だけでも必見。
加えて本編もキャラクターの心情がめちゃくちゃオシャレに演出されてるので質の良いアニメを満喫したい人には無条件におすすめ
とにかく曲だけでもチェック。田中秀和・オーイシマサヨシ・kz・Q-MHz・沖井礼二・北川勝利・清竜人とかいろいろよく集めたなという布陣。これを神田沙也加・スフィア・TrySail・ミュージックレインの新人が歌う。
富野と言うのは空を飛べなかった人なんですよ。富野は両親を嫌っていますが、その両親がいなければ今の富野が生まれ得なかったというのは本人の弁です。監督という仕事をやるようになってからも、富野と言うのは雇われの演出家ですから、作品について全く自由にやりたいことをやるというわけにはいかなかった人です。理想や思想では新座市に買った家のローンは払えませんから、地に足を付けるしかなかったんですよ。
私としては、「理想的な在り方では無いにしても、今という時に地に足を付けて考えてみれば、子孫を残す為に男と女がセックスをして女性が子を宿し、家族を形成してその子供を育てなければならない」というのが富野の思想である様に思いますし、その上で「どうすればこの状況をより良い物に変えられるのか考えるのがお前たちの責任だ」というのが富野のメッセージなのではないでしょうか。