はてなキーワード: 教会とは
そういえば彼氏は宗教を毛嫌いしてるけどご実家はカトリックだったのを思い出しました…。
宗教系の話題は失礼がどこにあるかわからないので、なるべく避けていきます、ありがとうございます。
「火山館」で「牢街教会」の中にある見落としてた昇降機から先に行ってみた。
いったん場所が分かってしまえば何で見逃してたのか自分の認知能力を疑いたくなるほど分かりやすい場所にあった。
一見するとただの柱に見えるのが昇降機だったのだけど、横にあるレバーにまったく気づかなかった。
さらに先で行方不明だった「ラーヤ」にも会って、少し迷ってから「忘却の秘薬」を渡すことにした。
渡さない場合は「手紙」が貰えるそうだけど、深刻な絶望の淵にあって「もう殺してください」とか言ってる相手に「それでも現実に向き合うんだ」とか、なかなか言えるもんじゃない。
週初めの月曜ということもあって「人生、知らないで済むなら、そのままの方がいいこともあるよな…」とか、なんだか鬱になるイベントだった。
「火山館」の「石剣の鍵」使う場所とか残りエリアを踏破するのにわりと時間かかってしまい、あとはルーン稼ぎと武器強化をすることに。
やる気がないのも影響してか、ルーン稼ぎなのはずが度々雑魚敵にボコられて無一文になり、だんだん心が虚無になってくる(夜11時頃)。
いくつか武器を強化するも、どの武器を伸ばして、どうゆうビルドにするかとか画面を前に悩みつつ、圧倒的に低レベルの雑魚相手に試し切りとかしてたら、虚無が深まって、いつの間にか深夜3時になってしまった。
今現在、寝不足で頭はっきりしないし、なんだかテンションも低いし、もちろん仕事なんてやる気でない。
エルデンリング、ボスを撃破するくらいのまとまった(何度でもYOU DIEDする)時間が取れない日には手を出しちゃいかんのかもしれん。
とか言いつつ、やっちゃんだろうけどな。
これ書きながら「火山館」についてさらに調べてると、まだ解放してない祝福「地の底の責問所」があることが判明(まだあるのかよ!)。
そういや、パッチが「鉄製の乙女人形」がどうとか言ってたけど、「学び舎の一室」に近い水車で降った先の話だったのか…。
もし「魔術学院」途中で「火山館」とか転送されたら絶望しかないし、無視で正解だったような気もするが、どうなんだ。
「乙女人形」すごい苦手なんで気が進まないけど、後で行ってみるか…。
以下、今週の残目標
「王都ローデイル」で中ボス?らしい「忌み王モーゴット」撃破、マップに出てきた仄かに赤い目標を目指して「王都ローデイル」を何回もYOU DIEDしつつ放浪。
ようやく「巨人たちの山嶺」へと続く「ロルドの大昇降機」にたどり着いた。
いつの間にか「ロルドの割符」揃ってたけど、いつ揃えたんだろう?まったく記憶にない。
さっそく「ザミェルの廃墟」に行って待望の「鍛石掘りの鈴玉3」をゲット。
「ザミェルの廃墟」は雑魚敵が強くて配置も酷いけど、廃墟の高所がうまい具合に避難場所(安地)になる。
弓でチクチク攻撃して全滅、無事に鈴玉ゲット。
さらに進んで「火山館」からの最後の依頼である「血潮の騎士ユーノ・ホスロー」を撃破(ムチ攻撃がけっこう強い)、勢いで「冒涜の君主ライカード」も撃破。
ライカードは元部下の人が「大蛇狩り」でしか倒せないって言ってたので、素直に信じてある程度強化して臨んでみた。
こうゆう超巨大な敵ってターゲット固定すると、なんだか戦いづらい。
その後「火山館」から人は居なくなったけど、結局、不憫な「ラーヤ」がその後どうなったかも分からずじまい。
気になったので攻略サイトで調べたら、なんと「牢街教会のボス部屋」に隠しエレベーターがあるって(別に隠してない)、マジか?いやいや、全然気づかなかった…。
攻略サイト見なかったら、たぶんクリアまで気づかず終いだったと思う。
「赤い手紙」はいつの間にか持ってたので「ラーヤ」のその後をスルーしてもシナリオ進行するようになってるんだな。
この辺、順序が滅茶苦茶でも進行するようになってるの、よく設計したなと感心する。
いろいろ行ける場所と出来ることも増えたし、なんとなくメインシナリオの今後も見えてきたような気もする。
「巨人たちの山嶺」の敵が強くて放浪するのも大変なので、今週の平日はルーン稼ぎと鈴玉3で色んな武器を強化して試そうと思う。
以下、今週の目標。
「魔術街サリア」を先に進んで「ミリセント」のイベントを進める。
片手を病気で失っても?使命を思い出して旅に出ると言う。なんだか大変そうな人だ。
「腐れ病の教会」のメッセージ見るに、わりと人気のキャラなんだろか。
「腐れ病の教会」近くに地下墓へのヒントを示す像あったので探してみるも、なぜか辿り着いたのが「英霊たちの地下墓」で、騎士の集団戦に巻き込まれてボコボコにされ退却。
どうやら正解の地下墓は「サリアの隠し洞窟」のようだけど、オープンワールドの隠し扉はさすがに見つけづらい。
ここは後回しでいいか…。
今度は「火山館」に行ってイベントが進むか確認するも「ラーヤ」が居なくなっただけで、とくに変化ない模様。
「火山館」出てずんずん進んだ先にある祝福(罪人送りの道?)近くにいる「死ぬと巨人化する燃えてる人(名前不明、即死攻撃うざい)」と「爛れた樹霊」を撃破。
「小黄金樹」の先に進めば、どこか新しいエリアに行けるかと期待したけど、とくに収穫なし。
そろそろ「王都ローデイル」で「最初の王ゴッドフレイ」から進んだ先にあるボス部屋に入らんといかんのだろうか。
なんだか、ここ最近は「火山館」と「王都ローデイル」でループしてるな…。
「祝福の導き」はいっぱいあるけど、てんで方向バラバラで、次にどこに行けばいいか迷ってしまう。
なんとなく、タイトル入れてみた。
その日のエポックメイキング的なの入れていこうと思う。
昨日(4/13)は「王都ローデイル」の放浪から初めて、道に迷いながらも怪し過ぎる「忌み捨ての底」に辿り着いた。
雑魚のはずのトロール的な巨漢が思いのほか硬く(HPが多い?)、通路は暗いし落下死も頻発するわで、心が折れる前に早々に退却。
このゲーム、無理せず倒せるボスは楽に攻略するのが一番だと個人的には思う。
さらに先に進んで何回もYOU DIEDしつつ「神肌の貴種」も撃破。
祝福「エーグレーの聖堂」で「蛇の皮膜」なる怪しいアイテムをゲットした。
聖堂の横に昇降機があるもののレバーが動作せず先に進めないので、「蛇の皮膜」を「ラーヤ」に渡して「火山館」を終了。
なんかヤバそうなアイテムだったけど、「ラーヤ」大丈夫なんだろうか。
けっこう順調に進んだので、今度は「ケイリッド」を再々訪。
あまり放浪してなかった「サリアの関門」から先「魔術街サリア」「エオニアの沼」周辺など回って「宿将オニール」や霊体の「ミリセント」を撃破。
大楯の重量級装備、グレートソードと獅子斬りの組み合わせは、ここでも有効だった。
ゲーム開始して間もない頃「サリアの結晶坑道」にワープさせられた時は「ケイリッド」のヤバい風景と敵にかなりビビったものだけど(なんだか、もう懐かしい)、今はもう「エオニアの沼」周辺はだいぶ余裕がある。
あと、この時にいつの間にかタリスマンの装備枠に空きが1つあることに気づいた。
これで合計4つ、どうやら装備数のMAXみたいだし、ぼちぼちゲーム終盤に挑めるレベルになってきた(しまった)のかもしれない。
以下、今後の目標。
たいして強い敵はいないけど「毒霧」と「人さらいの乙女人形」がけっこう面倒。
何回かYOU DIEDした後、いかにも怪しい昇降機の先に進んだものの、その先にこれまた面倒そうなボスが2匹もいて、たいして戦わずに退却。
エルデンリング、やたらとフィールドボスが続くエリアあるけど、ちょっとボス続きすぎじゃないすかね?と思う時は、きっと心が折れかけてる時なんだろう。
「火山館」のフィールドボスは放置して「王都ローデイル」を探索するものの、マップがかなり複雑で「おれ、今何処にいるんだ?」状態に。
雑魚敵の配置もイヤらしいわ、矢のストックは無くなってくるわで、いろいろ面倒になったので、「細い獣骨」と「風切羽」を収集するため久々に「リムグレイブ」をお馬さんで放浪することにした。
後半になると狂った風景の多いエルデンリングにおいて「リムグレイブ」の風景は、かなりの癒しになる。
これからも、心折れそうになったら、「リムグレイブ」でしばらく放浪しようと思った。
早く週末にならないかな。
俺の田舎にロシアのテーマパークがあって、それの思い出がとてもきらきらしいのに何で今こんなことになっちまってるんだろうという懐古話だ。
ググればWikipediaは出てくるが、写真が既に潰れたあとの廃墟画像でしかない。
でもあそこはとてもきれいな、光り輝くような場所だった。少なくとも俺の脳内では。
新潟なんて、特に冬は、毎日たいていどんより暗い。雪降るし雨降るしみぞれも降る。
関東から嫁いできた俺の母親は俺の幼少期のころからうんざりしていたようで未だに愚痴る。晴れの日が本当に少ない、寒くて暗くて気が滅入ると。
でもロシア村ではそれが反転する。
あそこでは雪が降ってる方がいい。明かりをたくさん灯すので、暗い方が映える。暗い中に白いものが舞っているのが照らされて見えるのも美しいが、施設そのものがとてもきらきらしく作られていたので明かりが灯るとそこらじゅう何もかもが輝き出しているように見えた。
教会のあのタマネギみたいなかたちの屋根、ステンドグラス、当時の俺の身長の何倍くらいあったのか、大人でも見上げるような高さの大きなクリスマスツリーに飾られた玉飾り。
反射された光が雪の地面に落ちて、なお光っている、その光景。
ロシアの伝統衣装で着飾った、完全にスラブ系の顔立ちのスタッフたち。
明るく照らされた館内に敷かれていたカーペット。
土産物のマトリョーシカの、俺の小指の一関節分くらいしかない一番小さいやつに至るまでに手描きで施された繊細な模様。
全部、とても、きらきらして綺麗だった。
ハスキー犬かひょっとしてマラミュートだったのか、でかい犬が何頭か飼われていて犬ぞり体験とかやっていた。乗りたかったが乗れなかった。時間がなくてだったか、それとも犬ぞりやるには雪が足らなかったんだったか。
マトリョーシカと、あとサンタクロースのガラス細工を買ったはずだ。ロシアのサンタは青いのだと紹介されてて、青いサンタのガラスの人形を買ったはず。深い濃い青のサンタ。どこ行っちまったかなあれは。
それと、アライグマの尻尾のついた、毛皮の帽子。子どもに買い与えられたものだから流石にマジモンの毛皮ではなかったはずだが、いかにもそれっぽいかたちの、そして実際ちゃんと暖かい帽子。めちゃめちゃ気に入って何年かかぶっていた。本物の毛皮のマフとかも売っていて、とても手触りが良かった。
あとなんか、キャビアとか食べた気がする。三代珍味だつって親が食わしてくれたのだが、そもそも当時えらい偏食だった俺には何がそんなに評価されている旨さなのかよくわからなかった。あんまりしょっぱくもなくて、なんかこう、変な味だったような、「なんじゃこりゃ」ってなった記憶だけがある。ボルシチも食べたんだろうが、ちょっと変わったビーフシチューみたいな感じだったような。あんまり記憶にない。
記憶にあるのは子ども3人連れでヘトヘトで食堂の長椅子(俺の向かい)に腰掛け、子どもに何か食わせながら父を待っている厚着した母親。
あとはとにかく、きらきらしてきれいな建物と土産物屋とスタッフたちの姿ばかりだ。
寒くても暗くても何も気にならなかった。毛皮は暖かく、建物は照らされ、ステンドグラスは色とりどりで輝くようだった。
電気の明かりも当然あったが雰囲気出すためかガチのロウソクも随所にけっこうあって、その小さな火の灯りがものを照らすさまが美しかった。
Wikipediaの写真は閉園後の廃墟だし、検索キーワードのサジェストは心霊がどうのこうのとかだし、今のロシアとくりゃご覧の有り様だが、
俺にとっては寒くて薄暗い中できらきら輝いている、青いサンタとアライグマの尻尾の帽子の国だったんだ。
どうしてこんなことになっちまったんだろう。
この間家族でカラオケに行ったのだが、そこのカラオケ屋は映画やアニメも視聴できるようになっていた。
「家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ」という世界名作劇場のアニメしかなかった。
相当古いアニメだが、これしかないので仕方なく見せることにした。
だが困ったことに、カラオケ屋の配信には第一話と最終話しか収録されていなかったのだ。
このアニメは家族5名が航海中に遭難し、無人島に漂着して、そこでの暮らしを描くアニメなんだが、
これでは肝心の無人島のシーンが全く描かれない。
第一話では引っ越しが決まったシーンで終わり、船にすら乗っていない。
最終話ではすでに無人島を脱出し、電車に乗っているシーンから始まる。なんだこれ。全く見どころがない。
ただ娘は気に入ったようで、Amazonプライムに全話収録されているので帰宅後こちらを見せることにした。
ただ、もし世界名作劇場を一話と最終話だけ見せるとして、どのタイトルが最適か。
※ネタバレ含むので注意
ハイジは厳密には世界名作劇場ではないそうなのだが、ここでは含むことにする。
第一話はハイジがアルムのおじいさんの家に預けられる話。おじいさんはまだ頑固じじいでほのぼの感は薄い。
ペーターはかろうじて出てきたかもしれないが、クララは全く登場しない。
最終話は、クララがハイジのいる山から自宅の豪邸へ帰るエピソードだ。
クララはすでに立っている、というか歩いている。というかクララって誰だ?となるので、これでは感動できない。
第一話は主人公ネロがおじいさんと仲良く暮らしている。アロアと仲良く遊んでいて、ほのぼのアニメだ。パトラッシュはまだ出てきていない。
最終話は、冬の吹雪の中、ネロがなんとか教会へたどり着き、パトラッシュと共に天国へ召される話。
アロアは必死でネロの名前を呼ぶが、その悲痛な叫びは吹雪の中に消えていく。
おじいさんはすでに死んでいるし、主人公と犬も死ぬし、他の登場人物も泣いてるし、第一話との落差が激しすぎる。最悪のバッドエンドだ。
ただその間に何が起こったか気にさせる展開ではあるかもしれない。
第一話は主人公の少年スターリングが森でラスカルに出会うエピソード。
フランダースの犬とは違い、第一話からラスカルに出会うのは良い展開だ。
最終話は、スターリングが引っ越しのため、仕方なくラスカルを森へ戻す話。
ラスカルとの暮らしがごっそり抜けてしまうが、ちゃんと別れのシーンが最終話にあるのは悪くなく、意外と感動してしまうかもしれない。
母親は出稼ぎのため船で遠くに旅立ってしまう。別れのシーンは結構辛くこれだけで泣けてしまう。
最終話は、すでにマルコが旅先で母親と出会い、母親の病気が回復して帰宅するエピソードとなる。
悪くはないのだが、感動の再会シーンは前の回なので、盛り上がり的には惜しい気もする。
第一話では、父親を亡くしたペリーヌが、1000km以上離れたフランスの街に住む大富豪のおじいさんへ会いに、母親とともに旅に出る。
最終話では、ペリーヌは無事フランスの街に着き、おじいさんと暮らしている。
この最終回に行き着くまでにペリーヌは数々の試練を潜り抜けているのだが、それがないと感動はないだろう。
最終回に母親がいないことに気付いた視聴者なら、途中の話も見ようとしてくれるかもしれない。
富豪である父親も健在で、学校でいじめに合うこともなく、平和なエピソード。
最終話は セーラに財産が舞い込み、院長や生徒とも和解するエピソード。
いやセーラは元々金持ちなのでは?と思ってしまうが、実は、途中で父親がなくなり財産を失って、寄宿舎を追放されマッチ売りさえしていたのだ。
この物語は頂点→どん底→頂点というアップダウンが肝なので一番不向きだと思われる。
第一話 村に住む少年ロミオは家族や友人たちと幸せに暮らしていたが、ある日自分の家が火事に遭う。
物語の始まりとしては悪くないが、まだ序盤過ぎるかもしれない。
いや、煙突掃除夫ってどういうこと?あとロミオの隣にいるこの人は誰?第一話と最終話が同じ村だと、移動した感じが全くなく感動できない。
世界名作劇場を第一話と最終話だけ見るとしたら、ラスカルとの出会いと別れが見られる
あらいぐまラスカルが最適なのではないだろうか。
ラスカルはファミリーレストランCOCO’Sのマスコットキャラクターに採用されている位だから、未だに人気があり、子供受けも良いだろう。
ちなみにAmazonプライムで世界名作劇場が見られる(一部タイトルは配信外だが)という話を書いたが、
実はYouTubeでもいくつか世界名作劇場が配信されている。
フランダースの犬、あらいぐまらアスカル、フローネ、ペリーヌ物語などは無料で全話視聴できるので、よければ見てみてほしい。
https://www.youtube.com/channel/UCsnDtu-g18tDA4miToMOjXQ/playlists
2年前に「ロシア語の表記揺れはなぜ起きるのか」っていう増田を書いた増田だけど、みんな覚えてるかな?
今回は最近話題のウクライナの固有名詞の日本語表記についての話をするよ!
ロシア語やその他の多くの言語で、иは「イ」の音を表す文字だよ! でもウクライナ語では違うんだ!
手元の教科書を見てみると、「ゥイー 母音字。[イ]より奥に舌を引き,唇を横にして出す」(『ニューエクスプレス ウクライナ語』10頁)って書いてあるよ! そうだね、日本語で表記する上ではロシア語のыみたいになるんだね! ローマ字ではyで表記することになってるよ!
問題は、「ウィ」って表記するとややこしいことだね! 人名のМикола (Mykola)を「ムィコラ」と書くか「ミコラ」と書くかってことだね! きちんと数えたわけじゃないけど、ロシア語のыよりもウクライナ語のиの方が使用頻度高そうな気がするよ! 原語に敬意を払って「ウィ」と書くか、日本語の読みやすさを取って「イ」と書くか、究極の選択ってやつだね!
ちなみに「ムィコラ」はロシア語でいう「ニコライ」のことだよ! ロシア語の「ダニイル」はウクライナ語では「ダヌィロ(Данило)」、「ウラジーミル」は「ヴォロディムィル(Володимир)」になるね! 「ダニロ」や「ヴォロディミル」とどっちがいいと思う?
そういえば、ロシア語のыは日本語では「ウイ」って書くことも多いね! 「チェルノブイリ」も、Чернобыль (Chernobyl’)のыを「ウイ」って書いてるね! それに倣うならВолодимирも「ヴォロディムイル」って書くべきかな? うーん、チェルノブイリを「チェルノブィリ」と書くようにした方が早いかな! ちなみにウクライナ語ではЧорнобиль (Chornobyl’)だから「チョルノブィリ」だね!
ьの説明を覚えてるかな? そうだね、同じ文字がウクライナ語にもあるけど、ロシア語と同じで無視されやすいんだね!
ロシア語の苗字でよく見かける語尾に「~スキー(-ский)」っていうのがあるけど(本来は形容詞の形だね! 個人を識別するために「○○の」っていう形容詞をつけてたのが苗字として定着したのかな?)、ウクライナ語だと-ськийになるよ! そうだね、ьがあるから「ス」じゃなくて「シ」になるんだね!
ということは、ウクライナ語的に表記するなら「~シキー」か「~シクィイ」になるべきだね! иをどう表記するかは上に書いたように色々な考えがあるけど、少なくとも「~スキー」にはならないね! 「~スキー」って書いてる時点でロシア語読みだね! Зеленськийは「ゼレンシキー」か「ゼレンシクィイ」だね!
ウクライナ語はロシア語だとьが入らないところにьが入ることがあるよ! 東部の都市の名前も、ロシア語だと「ドネツク(Донецк; Donetsk)」や「ルガンスク(Луганск; Lugansk)」だけどウクライナ語だと「ドネツィク(Донецьк; Donets’k)」に「ルハンシク(Луганськ; Luhans’k)だもんね!(ウクライナ語とベラルーシ語ではгはガ行じゃなくてハ行になるよ!)
ロシア語だとあんまり見ないけどウクライナ語だとよく見かける綴りがцьだね! ツァ行の子音цにьがついてるから「ツィ」って書くべきなんだろうけど、言いづらいよね! 学術論文とかでは「ツィ」と書くべきだと思うけど、新聞とかの一般向け媒体で「チ」って書かれてても仕方ないかな!
語末に置かれたв (v)はロシア語でもウクライナ語でも無声化するよ! ロシア語ではこれを「フ」って書くことになってるけど、ウクライナ語だと「ウ」の音になるから「ウ」って書いた方がいいね!
だからロシア語で「ハリコフ(Харьков; Khar’kov)」と書かれる地名はウクライナ語だと「ハルキウ(Харкiв; Kharkiv)」になるんだね!
語末とかで無声化したvを「ウ」って書くことになってるスラヴ系言語は、他にスロヴェニア語やスロヴァキア語があるよ! ベラルーシ語はそもそも綴りを変えてў (ŭ)って書いちゃうから逆に迷わないね! ベラルーシ語だとハリコフじゃなくて「ハルカウ(Харкаў)」になるね! なんでそうなるのかについては「なぜアザレンカはアザレンカなのか」も読んでね!
ウクライナ語にはїっていう文字があるよ! この文字はйのうしろにіを続けた発音を表すんだ! йは半母音/j/で、іは母音「イ」だね! つまりїは/ji/の音を表すわけだよ!
半母音/j/ってのは、要するに日本語のヤ行の子音にあたる音だね! ということは、їは日本語でいうとヤ行イ段の音ってことになるね!
……それ「イ」じゃね?
ただ、いちおう「йのうしろにіを続けた発音」なわけだから、「イイ」や「イー」と書くという考え方もありうるんだよね! そう書くと元の綴りがわかりやすくなるよね! іを「イ」で、їを「イー」で書くことにすると元の綴りがわかりやすいかも?
実はウクライナの国名はウクライナ語だとУкраїнаなんだよね! їを「イー」で書くなら「ウクライーナ」にすべきなんだけど、「ウクライナ」が定着しちゃってるから「ウクライーナ」と書くのは違和感があるね!
じゃあ、ここでウクライナの首都の名前を見てみようか! ロシア語ではКиевで、これはそのまんま「キエフ」で問題ないね!
ウクライナ語ではКиївって綴るんだ!
ここまで書いた色んな論点が詰まってることがわかってもらえると思うな! иは「イ」か「ウィ」か? їは「イ」か「イー」か? 語末のвは無声音の「ウ」だけど、発音よりも原綴を重視して「ヴ」と書くべきか?
仮に「иは『ウィ』、їは『イー』、語末のвは『ウ』」で書くなら「クィイーウ」になるね! 「иとїはどっちも『イ』、語末のвは『ウ』」とするなら「キーウ」だね!
仮に「チェルノブイリ」のようにиを「ウイ」と書くなら「クイイウ」とか「クイイーウ」もありかもね! ごめん、やっぱなし! さすがに不自然すぎるね!
個人的には、日本語母語話者の発音のしやすさを考えると「キーウ」が一番いいんじゃないかと思うんだけど、表記法には好みってやつがあるからね! どうしても「クィイーウ」じゃないと、という主義の人もいるかもしれないよね! 日本語表記をめぐる議論は最終的には不毛な争いになっちゃうからね!
実は、ウィキペディアでは十数年前にウクライナをめぐる喧々諤々の論争があったんだよね! ウクライナ関係記事の表記をウクライナ語で表記しよう! という動きが出てきたんだけど、иを「ウィ」で書く派の人が主導してたもんだから、日本語母語話者には発音しづらい項目名ばかりになった頃があったんだ!
たとえば、みんなも世界史の授業で「フメリニツキーの乱」について習ったことがあると思うんだけど、乱を起こしたフメリニツキーはウクライナ語ではХмельницький (Khmel’nyts’kyi)って綴るんだ! そう、иを「ウィ」で書くと「フメリヌィツィクィイ」になるんだよね! 読みづらいね! 一時期ウィキペディアのウクライナ関係記事はこんな感じの表記だらけだったんだ!
さすがにこれは、ということで今は「フメリニツキー」表記になってるけど、これもおかしな話だよね! 記事には「ボフダン・フメリニツキー」って書いてあるけど、それ何語なのかな? Богданを「ボフダン」と読むのはウクライナ語だけど、「フメリニツキー」はロシア語だよね! ちゃんぽんになってるね! せめて「ボフダン・フメリニチキー」か「ボフダン・フメリニツィキー」だよね! ちゃんぽんにするくらいならロシア語で「ボグダン・フメリニツキー」って書いた方が幾分かマシなんじゃないかな?
増田が中二病をこじらせてた頃は「は~? ウクライナ語の『и』は『ウィ』ですが~?」みたいな感じで「フメリヌィツィクィイ」みたいなややこしい表記を推してたんだけど、最近「一般人にとっての可読性も大事だよな……」という気持ちになることも増えてきたよ! だから「クィイーウ」に「フメリヌィツィクィイ」じゃなくて「キーウ」や「フメリニツィキー」でもいいと思うよ! でも「クィイーウ」「フメリヌィツィクィイ」派も間違ってるわけじゃないよ! 音楽性の違いってやつだね!
法的には、ウクライナの国家語はウクライナ語だよ! そこには疑問の余地はないね! だからウクライナに属するものはすべてウクライナ語で書くべきだというのはひとつの見識だよね!
一方で、ウクライナの住民の何割かはロシア語を母語にしているんだ! 彼らも代々のウクライナの住民だよ! っていうか、ゼレンシキー大統領も母語はロシア語だよ! ある意味、ロシア語は「少数言語」という立ち位置なんだよね! 島国じゃなくてだだっ広い平原だから、どういうふうに国境を引いても内側に少数派が残っちゃうんだよね!
ロシア語は侵略者の言語であると同時に、ウクライナの少数派の言語でもあるんだ! 「ウクライナに属するものはすべてウクライナ語で書くべき」というのは、ちょっと意地悪な言い方をすればウクライナ・ナショナリズムの主張なんだよね! たとえば、在日コリアンの李さんや金さんが、自分は「い」や「きむ」だと言っているときに、「ここは日本なのだから日本語読みで『り』『きん』と表記すべきだ」と主張する人がいたとしたら、みんなはどう思うかな?
もちろん、何度も言うけどウクライナ語で貫徹するという方針も間違ってないよ! ロシア語での表記はロシア・ナショナリズムやロシア中心主義じゃないの? と言われたら反論できないしね! ただ、「ロシア語読みを使うべきじゃない」みたいな強い言い方を目にしちゃうと、ん? それってどうなの? とは言いたくなるよね! まあ、増田は色々考えた上でだいぶ前から「キーウ」って書くことにしてるけど、今頃になってロシア語読みはけしからんとか言い出した人たちについては眉毛によだれビチョビチョにして見ちゃうよね!
あ、「キーウ」は現代の話ね! たとえば歴史上のキエフ・ルーシとかについては、「キエフ」でいいと思うんだよね! その頃はまだ東スラヴ系民族は「ルーシ」という比較的同質性が高い集団で、それがロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ルシンに分かれていったのは近世~近代以降の話だからね! 本当は教会スラヴ語のКꙑѥвъに準拠した表記にすべきなのかもしれないけど、教会スラヴ語には詳しくないから読み方がわからないや!
ちなみに「ロシア」も「ベラルーシ」も「ルーシ」が語源だよ! 「ルーシ」はこれら諸民族にとって共通の過去なんだよね! 雑な喩えになっちゃうけど、ロシア人にとってのキエフは東日本出身者にとっての奈良みたいなものだと考えるとわかりやすいと思うよ!
ところで、昔はウクライナのことが「小ロシア」と呼ばれてたわけだけど、これはもともとは蔑称じゃないよ! 古典時代のヨーロッパには、近い方を「小」、遠い方を「大」と呼ぶ用法があったんだ! 東アジアの「大小」の感覚で考えてはいけないんだね! アナトリア半島が「小アジア」と呼ばれるのはヨーロッパから見て「近い方のアジア」ってことで、グレートブリテン島の「グレート」はフランスのブルターニュ半島より遠くにあるから、つまり「遠い方のブリタニア」ってことだよ! 現在のポーランドには「マウォポルスカ県」と「ヴェルコポルスカ県」があるけど、それぞれ「小ポーランド」に「大ポーランド」って意味だよ! なのでかつてルーシの中心だったキエフの辺りは「小ロシア」って呼ばれてたんだね! まあ、近代以降は侮蔑的なニュアンスになっちゃってるみたいだから、使わない方がいいけどね!
正直めちゃめちゃ憤ってるよ! 今回のプーチンの行いには欠片の理もないよ! 侵略どころか、ウクライナ人という民族の存在を否定しようとするなんて、ウクライナ人を民族として認めたソ連よりも退行してるよ! 70近くになって怪しい歴史認識に目覚めるとか、実家の親なら笑い話になるかもしれないけど核保有国の独裁者だとちっとも笑えないよ!
ロシアから見てNATOの東方拡大は脅威なんだ、だからロシアのウクライナ侵攻は仕方ない、と言ってる人たちもいるけど、どう考えてもおかしいよね! 仮にそれを是とするなら、日本にとって中国の軍拡は脅威なんだから韓国に親中政権ができたら日本は韓国に攻め込んでもいい、みたいな話になっちゃうよね! 狂ってるよね!
でも、その憤りをロシア人やロシア文化に向けるのは絶対に間違ってるよ! 拉致問題への憤りをコリアンやコリア文化に向けてる人たちと一緒だよ! 普通に人種差別だよ! そういう人たちはプーチンの行いを非難するのもいいけどまず自分の差別意識と闘うべきじゃないかな?
ロシア文化もウクライナ文化も、どっちも尊重されるべき文化だよ。ウクライナ文化の擁護はロシア文化の否定じゃないよ。ウクライナ人やウクライナ文化の存在を否定しようとする侵略者は否定されるべきだけど、それがロシア人やロシア文化への否定に繋がってはいけないよ。
増田はどちらの文化も好きだよ。だから本当にこんな事態になってしまって悲しいし、ロシアの若者を非道な侵略戦争に送り込んだ連中には相応の報いがあることを祈っているよ。
yiみたいな発音、ロシア語についてもЕは正確にはyeなんだけど、日本語的に普通なエとなるЭよりも頻度高いのをいちいち日本語で言いづらいイェと表記するのクッソしんどいみたいな話に帰するよね…
国際的な転写法でも、Еは普通にeで、Эに特別な記号を当ててることが多いもんね! иは頻出するから扱いが難しく、一律で「イ」にしちゃうというのも可読性の面からは合理的なんだよね!
BBC,CNNとか見てるとキエフをキーウって言うようになったのはいいけどウクライナをユークラインって言ってて、これだから英語話者は…、ってなる。
英語話者がウクライナをユークレインって呼ぶのは日本をジャパンと呼ぶようなもんだから、そこは気にならないかな! そんなこと言ったら、日本人も「スペイン」「ポーランド」「クロアチア」「ギリシャ」「オランダ」「アルメニア」「メキシコ」って言えなくなっちゃうしね!
日本人があーだこーだ言ってても始まらん。駐日大使とかに、決めてもらったら良いんじゃないか? 国名とかは基本的に、相手からの申し出があって初めて変更って手続きだし。
これは「日本語母語話者がウクライナ語の音を表記する上で、どういう仮名遣いが適切か」って話だから、ウクライナ人じゃなくて日本人の問題だよ! もちろんウクライナ人には口を出す権利があるけど、基本的には日本人が主体になって決めるべきことだよ!
ちなみに駐日ウクライナ大使館はウクライナ語表記の指針を出してるけど、これまで日本のウクライナ研究者たちが使ってきた慣用とは明らかに異質で、可読性も微妙だから、ぶっちゃけ専門家のあいだでは黙殺されてるよ! 慣用表記はトップダウンで決まるものではなくて色々な議論を経て徐々に決まっていくもので、「明らかな間違い」は排除されるべきだけど「間違いではない表記」は何種類も存在するんだよね!
っていうか、国名の変更は、あくまでも「政府が在外公館の名称として定める国名」を法文上どう書くかという話であって、民間の慣用表記とは無関係だよ! たとえば、日本の外務省は長らく「ヴィエトナム」って表記を使ってきたんだけど、日本の慣用表記は一貫して「ベトナム」だったよね! つまり、外務省の呼称とその社会における慣用表記はまったく別なんだね!
(国名表記の移り変わりについてはいくつもの研究があるけど、たとえば、「ロシア」などの主要な国名表記がどんなふうに成立してきたかを論じた『外国地名受容史の国語学的研究』っていう本が面白かったよ!)
『ベニスの商人』が『ヴェネツィアの商人』になったという話は聞かないから、芸術分野での慣用表記はまた別なんじゃないかな!
あっ詳しい人が居たから教えてエロい人!お菓子屋のMorozoffはどうしてMorozovじゃないの?あとgoncharoffも。
昔は綴りを無視して発音に忠実なfって書いてたってことだと思うよ! 「転写」と「翻字」の違いだね! 詳しくはググってね!
言語に忠実に表記しようとする努力や議論があるだけで偉いよ。英語はめちゃ乱暴やし。ウクライナはユークレイン、ハルキウはカルキヴ、クリミアはクライミア、英語アルファベットで読むだけ。
クリミアはクライミアでもいいんじゃないかな! ロシア語だとクルィム(Крым)、ウクライナ語だとクルィムかクリム(Крим)、クリミア・タタール語だとクルム(Qırım)だから、「クリミア」って時点でもう西欧の呼び方なんだよね!
集団ストーカーとは、盗聴・盗撮に基づく付きまといや仄めかし等が組織的に行われる犯罪です。
この犯罪には、宗教法人・創○学会、宗教法人・統○教会、大手広告代理店・電○、TVを始めとするマスコミ、音楽業界、探偵、893、在日韓国朝鮮人等が関与していると言われています。
インターネット業界の関与も強く疑われます。 また、警察主導の「安全安心町づくり」活動の一環として行われている防犯パトロールの悪用がみられます。
ただ、加害者サイドが、被害者や第三者を装って、この犯罪の信憑性を無くすような言動もしているようなので、惑わされないようにしてください。
在美国中央情报局极其机密的“行事手册”中,关于对付中华人民共和国的部分最初撰写于中美严重对立的1951年,以后随着中美关系的变化不断修改,至今共成十项,内部代号称为《十条诫令》。直到最近才被揭密。我们看完后简直大吃一惊!美国和平演变的阴谋太可怕了!
十条诫令转述如下
一、尽量用物质来引诱和败坏他们的青年,鼓励他们藐视、鄙视、进一步公开反对他们原来所受的思想教育,特别是共产主义教条。替他们制造对色情奔放的兴趣和机会,进而鼓励他们进行性的滥交。让他们不以肤浅、虚荣为羞耻。一定要毁掉他们强调过的刻苦耐劳精神。
二、一定要尽一切可能,做好传播工作,包括电影、书籍、电视、无线电波……和新式的宗教传播。只要他们向往我们的衣、食、住、行、娱乐和教育的方式,就是成功的一半。
三、一定要把他们青年的注意力,从以政府为中心的传统引开来。让他们的头脑集中于:体育表演、色情书籍、享乐、游戏、犯罪性的电影,以及宗教迷信。
四、时常制造一些无事之事,让他们的人民公开讨论。这样就在他们的潜意识中种下了分裂的种子。特别要在他们的少数民族里找好机会,分裂他们地区,分裂他们的民族,分裂他们的感情,在他们之间制造新仇旧恨,这是完全不能忽视的策略。
五、要不断制造消息,丑化他们的领导。我们的记者应该找机会采访他们,然后组织他们自己的言辞来攻击他们自己。
六、在任何情况下都要宣扬民主。一有机会,不管是大型小型,有形无形,都要抓紧发动民主运动。无论在什么场合,什么情况下,我们都要不断对他们(政府)要求民主和人权。只要我们每一个人都不断地说同样的话,他们的人民就一定会相信我们所说的是真理。我们抓住一个人是一个人,我们占住一个地盘是一个地盘。
七、要尽量鼓励他们(政府)花费,鼓励他们向我们借贷。这样我们就有十足的把握来摧毁他们的信用,使他们的货币贬值,通货膨胀。只要他们对物价失去了控制,他们在人民心目中就会完全垮台。
八、要以我们的经济和技术优势,有形无形地打击他们的工业。只要他们的工业在不知不觉中瘫痪下去,我们就可以鼓励社会动乱。不过我们必须表面上非常慈爱地去帮助和援助他们,这样他们(政府)就显得疲软。一个疲软的政府,就会带来更大的动乱。
九、要利用所有的资源,甚至举手投足,一言一笑,都足以破坏他们的传统价值。我们要利用一切来毁灭他们的道德人心。摧毁他们的自尊自信的钥匙,就是尽量打击他们刻苦耐劳的精神。
十、暗地运送各种武器,装备他们的一切敌人,以及可能成为他们敌人的人们。
美国尼克松总统写下这样一本书《不战而胜》,理论来自中国的孙子兵法。
他在书中,这样说:"当有一天,中国的年轻人,已经不再相信,他们老祖宗的教导和他们的传统文化,我们美国人,就不战而胜了……”
美国在预谋,和平演变中国。他们没动一抢一炮,只用了中国老祖宗的智慧,就想把我们打败。冷静想想,他们教会我们性解放,他们却在反对堕胎。他们让中国人,丧失了家庭责任,但是他们强调一夫一妻,伦理道德。堂堂的美国总统克林顿,他只有一个外遇,都要遭到严厉的弹劾,这说明什么?他们让中国孩子,很快进入了电子时代,我们的父母措手不及,立刻变成文盲。独生子女们,不用辛苦赚钱,就能活的潇洒自由。他们穿名牌,吃饭店,睡酒店,除了朋友,谁都不需要。
毛泽东早就预料到了美国会有此意图,在《毛主席语录》中他曾说过:我们取得了胜利,但是我们不能骄傲。因为胜利,资产阶级也有可能出来捧场。事实证明敌人的武力不能征服我们,有些同志不曾被带枪的敌人征服,他们在敌人面前不愧英雄的称号;但是他们经不起人们糖衣炮弹的攻击,他们在糖弹面前会打败仗。
私は1992年生まれなので、「喝采」は生まれる20年前の曲である。
両親が世代なのもあり、日頃から昭和歌謡曲を何曲か耳にしていたが、「喝采」から受けた印象は他の曲とはまったく異なっていた。
激しい喪失感と、とんでもない説得力があり、聞いた後耳の後ろがじんわりと熱くなっていた。
「喝采」がなぜ、平成生まれにこんなにも刺さったのがが気になった。
曲がリリースされた当時を知る人からすれば、「何を今更」と言われるかもしれないが、とにかく私の「喝采」への思いを文章にしてみたいと思う。
まずは、順を追って、ストーリーについて思うところを書いてみたいと思う。
いつものように幕が開き
恋の歌うたうわたしに
届いた報らせは 黒いふちどりがありました
そして、いきなり人が死ぬ。とんでもない急展開。
いきなりすぎて聞き手が一気に臨戦態勢に入る。入らざるをえない。
あれは三年前 止めるアナタ駅に残し
動き始めた汽車に ひとり飛び乗った
しかも、何やら複雑な事情を連想させるような「アナタ」との別れである。
なぜ「アナタ」を駅に残すのか、なぜひとり飛び乗るのか。
その情報の少なさと、リアルな情景描写が、一気に聞き手を曲の世界へと引きずり込む。
ひなびた町の昼下がり
教会のまえにたたずみ
「黒い縁取り」という唐突でショッキングでそして曖昧な表現が、「教会」や「喪服」といったキーワードから、徐々に確かな死であったという確信へと変わる。
それはまるで、主人公が徐々に死を実感していったのを聞き手に追体験させる。
つたがからまる白い壁
細いかげ長く落として
ひとりのわたしは こぼす涙さえ忘れてた
曲が2番に入っても、なおも事態が好転しておらず、悲しみの中にあることがわかる。
このあたりで、「止めるアナタ駅に残し」という、奥歯に引っかかるようなストーリーが、じわじわと悲しみに追い打ちをかける。
暗い待合室 話すひともないわたしの
耳に私のうたが 通りすぎてゆく
「アナタ」とどういう関係だったのかは分からないが、「待合室」の中で話すひともなく孤独なわたし。
そんな「わたし」にトドメの一撃をカマすのは、なんと冒頭に出てきた「わたしの歌」という伏線の回収。
アナタをなくし、悲しみの底にありながら、そこに流れるのは自分の「恋の歌」という大変皮肉の効いた状況となる。悲しい。
いつものように幕が開く
降りそそぐライトのその中
そんなに辛い状況であっても、恋の歌を歌わないといけない。歌手だから。
時系列が飛び飛びになるので、私は正直1回聞いただけでは理解できなかったが、最終的に以下の時系列だと解釈した。
死んだ(ちょっと前)→別れた(3年前)→教会で喪服(ちょっと前)→待合室(ちょっと前)→歌ってる(今)
おそらくだが、順を追って説明されたらここまでの感動と共感は無かっただろう。
とんでもない急展開で、しかもショッキングな内容を、ゆったりとしたテンポで聞き手に伝えてきている。
そのため、「黒い縁取りがありました」や、「暗い待合室 話すひともないわたしの」といった、直接的な描写だけれども、婉曲的な表現の意味をじっくりと考える間が与えられる。
考える時間が与えられるほど、ストーリーや主人公に親近感が湧くし、衝撃的な落ちにも感動を受ける。
しかし、ストーリーに引き込まれ、主人公に同情した状態での、今日も恋の歌を歌わなければならない「わたし」へは、たしかに喝采を贈りたくなるなぁという気持ちになった。
まさか、歌詞の冒頭が「曲の終盤」と「曲の題名」への2つの伏線になっているとは思わなかった。
色々思ったことはあるが、まとめると、以下の4つの要素が盛り込まれているということに気づいた。
そして、それを短い歌詞でやってのけた表現力や構成力。加えて、曲調や歌手の歌唱力などからくる説得力に圧倒され、総合的に私に刺さったのではないかと思った。
コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。
それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。
入院前に会った老人ホームで車椅子に腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。
この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。
私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院の規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。
受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。
しかもそれも一回。
小さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教を信仰している祖母はよくその教会に私を引き連れた。
教会にいくと祖母には祖母の仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。
同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。
私はその宗教を信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。
それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。
属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。
高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。
そんな宗教も祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。
あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。
おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。
おばあちゃんがお墓参りのときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。
おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。
祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。
なんか食べ物の話ばっかりだな。
皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)
今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的に祖母が食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由で筑前煮を作ったことがある。
「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」
これを50回位言われた。
当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。
ごめんね、お嫁には行けないかも。
内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。
妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分で新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。
言い訳はこの辺にしとく
あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。
輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。
火葬ボタンを喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。
思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつで眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。
ちょっとうまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。