はてなキーワード: 抗不安薬とは
毒親になりたくない
毒親というカジュアルな表現をしたものの、増田の母はシンプルに精神的虐待の加害者である
すごく小さい時から10代後半で家を出るまでずっと、ほとんど毎日のようにヒステリーを起こしてはあんたはいらないとか家から出ていけとか帰ってくるなとか妹はこうなのにどうして、みたいなことを言われてはその場にあった荷物ごと外に出されて鍵を閉められるみたいなことが続いていた
明日はお母さんの機嫌がいい日にしてくださいと毎日神様みたいなものに願って寝た
ちなみに父は何をしていたかというと仕事と女に明け暮れ家の問題を直視することはなかった
今思うとあまり良い方法ではなかったが、結局高校に入った段階で男の人を頼って家を出た
お金だけには困らない家だったので生活費や学費は父からもらった
ときどき気まぐれみたいに精神科にかかって抗不安薬などをもらった
まともに生きて生活を続ける気なんてなかったから継続して通院はしなかった
20歳になったころ1回目の結婚して少しだけ生きていける気持ちになった
また学校に通い始めて今度はちゃんと精神科にも継続して通院した
2年も経たないうちに離婚してまた全部がどうでもよくなったけど、学校にだけは通い続けて医療系の国家資格を取った
就職したけど全然仕事はできないし、病院は悲しいことばかりでしんどくて2年でやめた
学校を卒業した段階でもう父から援助を受けるつもりはなかったけど、もう医療職に戻りたいとも思えなくて結局風俗で働いた
この人となら生きていくしかないかもしれないというような人だった
また生活がはじまって、精神科医からもう断薬しても大丈夫と言われるほどまでに回復した
その本当に少し前に夫が借金を作ってしまって精神を病んでいたところで、それでも生きていこうね、頑張ろうねと言っていた矢先のことだった
嬉しかった
それに、新しい家族と生きていけるんだと思った
子供を、ということではなく自分の意思で家族を持って新しい家族を幸せにすることで自分が母親とは違う人間だと証明できる気がしていた。もちろん家族を作らないことでそれを証明することだってできたはずなのだが、さみしい増田には1人で生きていくという選択はどうしてもできなかった。
でも妊娠が進むにつれてどんどん寝られない日が増えた
母の夢をみて起きてそのあともう寝られないみたいなことが多くて、自分も母親のような人間になったらどうしようと毎日思う
もうすぐ妊娠後期に差し掛かろうという時期で、産まれたらいろんな人の助けをかりて母親をやればいい、自分の母親とは違って夫もそばにいるし、優しくて協力的だしリモートだし、義両親も頼れるし、とか色々良いことも思いつくのだが、お前の母親だって同じ気持ちだったんじゃないのか、サンプルはあの人しかいないのにやっていけるのか?という疑問に潰されそうな日もある
どうしたら母の呪いがとけるのだろう
毒親の毒ってこういうことなのだろうか。いつになったら毒や呪いから解放されるのだろうか
私はやっぱり1人で生きていた方がよかったんだろうかとも思うが、お腹の中で一生懸命動く赤ちゃんの胎動を感じるたびに、そうではないと思い直す
もう顔がブスだとさ、どうしようもないじゃん。世間の人が超冷たいじゃん。その脇で可愛い子が得してるところ見てるわけじゃん。なんで普通の女が女アイドル推してるわけ?女アイドルは敵じゃん?美人は得してるのにさらに自分より得しているんだよ?世間の人から冷たくされないよう借金整形しろってこと?1000万はかかるよ?
体ってなに。体。痩せるのはいいけどおっぱい無いとダメなんでしょう。で、また整形なわけ?整形だって何回かメンテナンスしなきゃなんだよ?一回大金払っておしまいじゃないんだよ?
男の人はいいよね。顔じゃなくて中身だもん。
女はずっーーーーーーと顔顔体体
顔と体に一生縛られて生きていくの
死ね!死ね!って叫びながらワニワニパニックしたり抗不安薬酒と一緒に飲んだりしてもストレスが収まらないの
で、ドカ食いしちゃうの
ドカ食いするから痩せないの
私みたいな人から嫌われる呪いがかけられる人はこの世で最も大事なのは金なのに、金が無い
はやく死にたい
ストレスの増加は、社会の複雑化や競争の激化に起因するものであり、特に都市部ではその影響が顕著である。ストレスが慢性化すると、心身に多大な悪影響を及ぼし、結果として病気のリスクが高まる。
一部の研究によれば、心の健康を損なった人々の中で、うつ病や不安障害に罹患する割合は年々増加しており、これは日本の若者にも深刻な影響を与えている。ある調査では、大学生の約30%がストレスによる健康問題を抱えていることが明らかになった。
さらには、ストレスは自律神経系の乱れを引き起こし、免疫機能を低下させる結果、がんや心血管疾患のリスクを高めることも指摘されている。
このような現状に対し、医療機関はストレス管理の重要性を訴えるが、実際のアプローチは表面的なものであり、根本的な解決には至っていない。抗不安薬や抗うつ薬が処方されるが、それらは一時的な緩和に過ぎず、長期的にはさらなる問題を引き起こす恐れがある。
なぜそのようなことが起きるのか?
北欧経済を支配するストックホルム貴族達は、利益優先の政策を推進し、精神的な健康に目を向けることを怠っている。経済成長を重視するあまり、国民の心の健康が置き去りにされているのである。
健康問題の真の原因は、ストレスとそれに伴う社会の仕組みである。これを解決するためには、「生活の質を見直す」「自然とのふれあいを増やす」「心の健康を優先する」ことが不可欠である。
千葉県酒々井町で穏やかな環境で育った私は、大学進学後に東京の喧騒に揉まれ、ストレスの影響を実感した。一橋大学商学部で学びながら、友人たちとともに心の健康について語らった結果、都市生活の見直しを決意した。
社会の中でこの問題に取り組む意義を見出し、ストレスフリーな生活を推奨するための活動を始めた。私たちの未来は、心の健康が支えるものでなければならない。これは、善良な市民が誰もが抱く義務である。
横から失礼
全面的に同意だが、元増田は定時で帰れるような仕事でメンタル壊して、抗不安薬のお世話になっても社会人としてコミット出来なかったような人で、仕事やめて不安障害治ったあたりから察するに多分バイトもしたくないと思う。というか、バイトすら凄まじく辛くなってQOL下がると思う。何故なら元増田は自分の生活をコントロール出来る感覚で幸福を取り戻したと書いているので、バイトが挟まる生活はその幸福を手放す事になるからだ。
本当にただ考えなしに働きたくないなら「貯金を食いつぶしてる」とか「また働くことを考えると不安になる」なんて表現はしないと思う。貯金が潰えたら働かなければならない事をわかった上で働いてないと考えるのが妥当かと。
収入源はFXで窓埋めだけして年20万近く稼いでる以外は一切ない。貯金を食いつぶしてる。
家賃は6万。家賃含め、生活費は毎月13万ぐらい。打つ呑む買うは一切しない。
リュックを背負って歩いて業務スーパーまで行き食材を買い、面倒くさがり屋なので大きめな冷凍庫にミールプレップを作り置きしてる。まとめて3日分作ってる。働いてる時は精神的に余裕がなくて自炊なんて出来なかった。
今は早朝にランニングしたり、懸垂したり、部屋の掃除や包丁を研いだり(友人から貰ったダイヤモンドペーストで鏡面磨きするのがマイブーム)、図書館で借りた本を読んだり、N予備校でWEBプログラミング講座を受講したり、時間だけはあるし高卒なので放送大学で勉強したりしている。
「働くよりニートしてる方が辛い」
みたいな事言ってる奴いるけど、今年でニート三年目になるがマジで何も辛くないし、のんびり過ごせて心の底から生きてて良かったと思える。自分の生活を自分でコントロール出来ている感覚は人間に幸福をもたらす事をじっ感した。本当に、働いてたほうが圧倒的に辛かった。
働いてた時は定時で帰れたが、仕事のためにだるい身体起こして、疲れ切って帰ってきて明日の仕事のために準備して早く寝る、精神的な体力のない俺にとっては、8時間勤務といえども家に帰っても休んだ気がせず平日24時間勤務と遜色なかった。
アフターファイブを楽しめる能力のない俺にとってのアフターファイブは24時間勤務の中の仮眠時間のようなものだった。
働いてる間、ずっと生きた心地がしなくて、とうとう不安障害を発症した。
予約三ヶ月待ちの末、精神科の扉を叩き、ワイパックスを処方されて抗不安薬に依存するようになった。抗不安薬の量だけ増えていき何も改善しなかった。ある日、発狂して有給をまとめて取りそのまま仕事を飛んだ。一般的に拘束時間も少なく、人間関係も穏やかだったので、たぶん職場の人達も困惑したと思う。俺はもう限界だったのだ。横一列でスタートして、すぐに躓いてる、どこにいっても上手くいかない人間は皆誰しも1人ぐらい思い浮かべられるだろう。仕事を全く覚えられないし全くできないからポンコツで、大人しくて、つまらない奴、それが俺だ。仕事が、社会生活が、気が狂う程辛かった。苦しかった。
ニートしてから不安障害も寛解して、精神科のお世話になってない。なんなら病院の世話にもなっていない。年に一度、市の歯科検診で歯医者に行くぐらいだ。
ただ、貯金残高の残りから計算して、ニートをあと2年も出来なそうで、また働かなくちゃ行けないことを考えるだけで具合が悪くなる。社会が怖い。働くの想像するだけで何も手がつかなくなるような不安を感じる。
もう30前半で空白期間三年以上あるため、再就職も絶望的だろう。素直に働きたくないのだ。また働いてた時のあの感覚がトラウマで、一種の学習性無力感を感じる。
たぶん俺は生活保護を受けても貯金出来るので、生活保護を受けながら生活したい。余ったお金は償還しますので。
ま、こんな感じで、働いてない方が幸せを享受できる人間も一定多数いるっていうのが言いたいのと、働かなくても最低限度の生活を享受できるライフハックをお持ちの方がいたら是非とも共有して頂きたい。
どうやら、Bは転職しても職場に居続ける事が出来ず、業種も職場も転々として30を迎えたらしい。6回目の転職先で心が折れかけてるそうだ。
そんなBにAは俺と合わせたがっていた。
AはBに向かっていう、「お前さぁ、転職6回ぐらいで何弱気になってんだよ、お前の目の前にいるのは、30回以上職場をバックレたサラリーマンだぞ。転職のフリーレン」
Aが言う話は本当で、俺はバックラーだ、バイト含めれば30回以上バックれてる。メンタルがと頭が弱すぎて「辞めます」と言えないからだ。過去に正式な手続きを踏んで辞めた時はMPを使い果たして半年寝込んだぐらいだ。
コンビニ、年賀状の配達、焼き肉屋、車工場、製菓工場、倉庫作業、レタス農家、清掃業、医療事務、ビルメン、酪農、受付事務、オフィスビル警備、製紙工場、etc
全部短期で辞めてきてる。
新卒時にあまりにも無能すぎて、悩みぬいて精神科の門を叩き、抗不安薬依存になった挙句仕事を辞めて再復帰に1年以上かかった経験から、精神的にしんどくなったら逃げるをスタンスにしている。
よく「精神科行って相談しろ」という奴がいるが、あれを言える奴は絶対に行ったことない奴だ。精神科なんて予約3か月待ちとかだ。すぐにでも救いが欲しい奴にとって、精神科への初診予約のやり取りつけだけでも心をへし折られる。藁にもすがる思いでとった予約で受診し、「みんなそんなもんですよ」みたいな糞バイスを受けて5000円ぶんどられた日には、心の底から世界がどうでもよくなる。「精神科行って相談しろ」っていうのは、そういう経験がない奴の戯言だ。「闘争逃走反応」という言葉がある、戦うか逃げるか。結局自分を守れるのは自分だけなのだ。
俺はBに「精神を病む前に仕事を辞められた事は正しい選択だった」 「周りは怠けてるように思ってるかもしれないけど、俺はBが死ぬ思いでやってきたのが痛いほどわかる。本当に怠けたい奴は転職なんてしないし、どうにかしようとしてるから転職を繰り返してるんだよな」と肯定した。
Bの自身なさげな表情と、疲れきったような泣き顔を観て、俺と同じく社会にコミットできなかった人間だと察した。
俺には、そういう人間の問題を解決できる銀の弾丸はない。俺たちみたいな社会にコミットできない無能は、周りからゴミ扱いされて死んでいく運命なのだ。宿命なのだ。周りが簡単にこなせることが、社会生活のすべてが、俺たちには辛すぎるのだ。めまいで目がチカチカするほど、いっぱいいっぱいなのだ。
「転職先で頑張るのも自由だし、無理そうだったらさっさと辞めるのも自由だよ。ちなみに俺は30過ぎても転職繰り返してて、まともにキャリア気づけなかったから今派遣社員だよ。俺のようになれとは言わないけど、人間生きるだけならなんとかなるよ。」
そんなことを話してるとBは「話聞いてくれてマジでありがとう、転職エージェントみたいな人に会わされるのかと身構えてたから、話聞いてもらえて本当に良かった。もう少し頑張ってみるわ。増田さんもなんかいい仕事見つかるといいね。てか、フリーレンってよりフリーターだよね」と言った。
俺も「似たような悩み持ってる人いるとちょっと安心するよな、俺も話聞けて安心したわ、いい仕事あったら紹介してね」と返した。
既婚子無し。(今のところ)
両親に孫を見せられないことへの不安
かなりの数のお祈りで自尊心をボコボコにされる未来しか見えない
両親の認知症がはじまっている
いろんなことが積み重なり
毎日涙している
正直押しつぶされそうだ
私が感受性豊かだった小中学生のころの文化がリバイバルされてきてる
学校嫌いだったけど、家できょうだいとマンガ、ゲーム、アニメを楽しんで最高に幸せだった
友達と毎日夕方までマンガ読んだり絵を書いたり、くだらない話をしたり…
いまは何もない
空虚だ
毎日心を殺して満員電車に揺られてハブられている職場で泣きそうになりながら仕事して
ヘトヘトになりながら料理を作り
伴侶が帰ってきたら作った料理を残されて
残飯を捨て
夜の誘いも断られて寝る
そしてまた地獄の1日が始まる
こんな毎日
生きてる楽しさってなんだろうって
あの頃みたいに楽しかった頃に戻りたい
泣くしかない
物覚えも理解力も悪いから集団で仕事をすると必ず俺がボトルネックになる
こんなんだから社会じゃ全く上手くいかなかったし色んな仕事を試したけどどこにいっても俺の存在はゴミ以下だった
年収も200万いくかいかないかぐらいの実家暮らし弱男って奴だ
俺は「弱者男性が女をあてがえって言ってる」みたいな言説を聞くと腸が煮えくり返る
なぁ、女がいれば俺はまともに働けるようになるのか?
なぁ、女がいれば俺は将来不安を感じなくて済むのか?
なぁ、女がいれば俺は朝目覚めずに眠るように死んでいたいって思わなくなるのか?
結論、なるわけねえだろ
なるんだったら彼女欲しいって思うよ
でも、俺みたいな弱男の不安は女なんかじゃ解決しねえんだよ、女が欲しいみたいな段階にすら立ててねえの
あてがえみたいなの冗談でも気分悪いよ
俺の前で二度と弱者男性の話すんな
俺以下のやつ名乗れ
人前で発表するときなど,過緊張(あがり症)で声の震えや,楽器の演奏がうまくできないことがあります。抗不安薬ではパフォーマンスが落ちるので過緊張の原因となる交感神経を抑えるβ遮断薬(プロプラノロールなど)を使うのは効果的でしょうか。
臨床場面では,人前で発表するときなどの過緊張(あがり症)に対してβ遮断薬が使用されていることがあると思われます。
(中略)
残念ながら社交不安症に対するβ遮断薬のエビデンスは乏しいのが現状です。
【回答者】
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=13169
社交不安症であれば、まずはメンタルクリニックでエビデンスに基づいた治療を受けるべきで、オンライン診療でエビデンスに基づかない薬物療法を行うのはお勧めしない。
ブラインドを閉じる
コピー機の電源を切る
モニターの電源を切るのを忘れない
システムの打刻
最終退館の入力
照明を落とす
施錠とセキュリティを起動
廊下の消灯で一度真っ暗になる
エレベーターで1階に降りる
表玄関は閉じているので裏口に向かう
大通りを歩く
高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。
何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分のなかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。
日中は、
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
「朝は起きて支度できるからまだ」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマもデスクワーカーの職業病。もっとひどい生活の人はたくさんいる。いつもの、ちょっと忙しい時の感覚だ。
そんなふうに捉えて、「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつのまに切り替わったかわからないが、これらの「まだ大丈夫」が、どこかのタイミングで「まだ私が故障しないから、ダメになるまで待つしかない」の諦めになった。
大丈夫な私は、まだ働かなくてはならない。みんな何かしらの苦しさを抱えながら生きているのだから、私が勝手に投げ出して良いものではない。この苦境からの脱出方法は、壊れるまで働くしかない。多分本気でそう思っていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫って何なんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ
病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
名のついた診断が出た。
有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端な診断書を持ち帰った。
朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから、二元論で考えることが間違っていたと思う。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分を社会と切り離すことに成功した
今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。
常用量依存っていう言葉があるくらいだし、添付文書どおりで医師が処方可能な量でも多すぎるってのはあるかも。
自分は抗不安薬アルプラゾラムを頓服として使うときは0.4mg錠を半分に割って0.2mgだけ使ってる。
これだけで十分に効くし、これが無かったらQOLが著しく下がるのよね。
すごい勢いで間違ってるゾ。合ってるのは「人の精神に作用する」だけだ。
たとえば、主に統合失調症の治療に使われる抗精神病薬は依存性は基本的になく乱用のおそれも低いが、これも向精神薬だ。
それに副作用のない医薬品はほぼ存在しないので、向精神薬の定義に「副作用がある」が挙げられてるのがおかしい。
あと「非ベンゾジアゼピン系」というのは「Z-drug」のことを指す言葉。
ベンゾも非ベンゾもGABA受容体に作用するので、どちらだろうと大差ない。
それと、ベンゾジアゼピン系の鎮静剤というのはベンゾジアゼピン系の抗不安薬のことを指す言葉だ。
どうも元増田は用語の定義が根本的に理解できてないようなので、医学書院の標準精神医学(https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/108315)を一読することをおすすめする。
向精神薬に該当するのは、以下の条件を満たす薬剤です
・乱用される可能性がある
向精神薬かどうかは、薬剤の作用や依存性、副作用、乱用可能性などを考慮して判断される
ベンゾジアゼピン系の鎮静剤は、これらの条件を満たすので、向精神薬に分類されるが、非ベンゾジアゼピン系や抗不安薬の中には、向精神薬に該当しないものもある
引っかかったとしても、それ単独で診断されることはない。発達障害は検査やテストでは診断できないので。
あと医師や心理療法士のコミュニケーションチェックはオプションじゃなくてセットで文脈理解に極端な問題があったら引っかかるよ
いいえ、鎮静剤は鎮静剤であり、必ずしも向精神薬ではありません
向精神薬に該当するのは、以下の条件を満たす薬剤です
向精神薬かどうかは、薬剤の作用や依存性、副作用、乱用可能性などを考慮して判断される
ベンゾジアゼピン系の鎮静剤は、これらの条件を満たすので向精神薬に分類されるが、非ベンゾジアゼピン系や抗不安薬の中には、向精神薬に該当しないものもある
いずれにせよ、脳に何かすることで困難が解決出来ると思っていないなら、なんで薬飲んでるんですか?
(無限ループ♾️)
ASDの検査でWAISやWISCといった知能検査を行う目的は、知的障害の有無を確認するためやで。なぜならASDの知的障害の併存率は非常に高いからやで。
そうですね。学習や訓練を行なった結果、WAIS-IV・WISC‐Ⅳ に引っかからない可能性は排除出来ないとはいえ、
基本的に検査内容はこれをクリアできないと通常社会生活に支障が出るっていうものが対象になっている
そのレベルで、なにも精神病名が付かない、学習障害やボーダーの指摘を受けないってあり得る?って人の方が遥かに多いので
障がい者認定されない世界線、知的障害もしくはボーダー認定されない世界線を残しておきたいとか言わんで、素直にちゃんと検査受けた方がいい
あと医師や心理療法士のコミュニケーションチェックはオプションじゃなくてセットで文脈理解に極端な問題があったら引っかかるよ
(無限ループ♾️)
そんなに殊勝な帰り方をした訳ではない。辞めるかどうか長期間悩んでいたところ、激しやすく頑固者の父に勘当カードをちらつかされ、抗不安薬を手放せない母から、私の引っ越しで拒食が改善する見込みとのLINEが度々届くようになり腹をくくった次第である。
幸い私は結婚に失敗した独り身で、大した収入のない非正規の仕事(家族談。まあ私自身もそう思うけど)で糊口をしのぐ生活をしていたため、離職にあたり失うものはそれほど、多くは、なかった。
そんなわけで、実家には癌の症状もいよいよたけなわの父と、様々なことを心配するあまり精神の弱った母と、ニートの弟と、無職の私がいる。
さて、ここだけの話、私は母がほんの少し苦手である。ノンデリなのだ。
父には顔を合わす度に「しんどいなあ、しんどいなあ、何とかならんやろか」と深刻な顔で連呼し(都度父が「絶好調!」と返すのがお決まりのパターンである)、弟には「無収入の申告の役場への連絡なら自分でやれんか?電話なら顔合わせんから楽やろ」、私には「お姉ちゃんが戻ってきてくれて何でもやってもらえるわー」「はよ結婚相談所行って近所の相手見つけて子供作らんと」と相手の心を最も的確に抉るパンチラインを繰り出してくる。なお母は天衣無縫の才により攻撃の自覚が皆無で、常に「私何かやっちゃいました?」という顔をしている。
引っ越し以降ヘラヘラ呑気に構えることでこれに対応してきたが、今日は少し食らってしまった。
あのね、私がヘラヘラしてるのは、もう飯の味なんてきっと紙粘土みたいに感じてるお父さんに、できればお母さんにも、せめて楽しく過ごしたって思い出を、そのエッセンスだけでも得てほしいからなんだよ。
増田ちゃんみたいに割り切れればいいのに、じゃない。全然割り切れてなんかいない。でも私はこうするのが一番良いと信じてるんだよ。
あとノンデリムーブやめてください弱点を突かれ過ぎて死んでしまいます。この投げかけへの回答が「弱点って意識できてるってことは改善しないといけないって認識はあるようね」じゃねーんですわ!今だけは私のこの涙目をご覧いただいて!ね!私どもが不甲斐ないせいでお母様におかれましてはさぞご心痛のこととは存じますけどさあ!
みたいな問答を致しましたところ「やっぱり私が何もかも悪かったんだわ……みんなを導けなかった……」モードに母が陥ってしまいましたので今日はこれにて終了です。お母さんの自意識神か何かなの?
やっぱり生理前はヘラヘラ顔を維持できなくてよくない。しかし私は忘れっぽいので時が経つとこういう気持ちもヌルっと忘れて、なんとなくモヤモヤした恨みだけ残しそうなので一応書き留めておく。おやすみ!