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はてなキーワード: 小山とは

2024-11-14

Z李逮捕小山推理ごっこも大ハズレだったのが確定

Z李氏反社風(反社ではない)自作自演を指摘されてしま

https://togetter.com/li/2372173

小山がZ李のバイク奪還をウソ認定してZ李に否定されていたのだが、

ちゃんバイクは奪還してたし不法侵入はしてたし

逮捕もされてちゃんと(?)半グレだったみたいだね。

https://news.ntv.co.jp/category/society/e72ef974163340978b8aed5d88a4cb93

Z李も周囲から反社扱いされて一般人は近寄らなって影響力は減るだろうし

ミソジニーおじさん小山適当推理ガバガバだったのがバレるしいいことだらけだ。

2024-11-10

フェミニズムはもう死んだのに

#MeToo が盛り上がってきたあたりでもう死んでいたのに、まだ真のフェミニズムは生きている、と妄信している


自分は(日本においては)男女平等のための法制度はおおよそ整備済みなので、あとは細かい調整と運用面を考えるフェーズだと考えている。ポストフェミニズムに近いだろうか。

だが、フェミニズム運動を全て否定しているわけではない。 例えば、 #MeToo に関してはコンセプトは良かったと思う。

性犯罪を裁く法制度はあるが、被害告発が出来なければ裁くとどころか存在すら認められない。暗数に含まれ被害を減らすための運動は「細かい調整と運用面を考えるフェーズ」という自分の考えとマッチしている。


しかし、 #MeToo被害が虚偽だった場合被告人泣き寝入りさせる最悪の運用であることが判明した。

例えば、元草津町議の虚偽告訴を信じて草津「町」を批判したフェミニストは、今現在謝罪しない人が多数派である

KuTooを立ち上げた石川優実は 「まだ整理しきれていない」 「虚偽申告で騙された」 と被害者のポジションを取り始めた。

#MeToo の声を上げるフラワーデモ草津を「セカンドレイプの町」と表現したこと謝罪していない。連帯した一般社団法人Spring謝罪をしたが、謝罪前(かつ虚偽発覚後)に東京弁護士会から人権賞を貰っている。

「その被害は虚偽なのではないか」と疑われ、告発しにくくなるのは #MeToo 運動に対して逆効果であると、本当に誰も気づかなかったのだろうか。


もしも、性被害から即座に守るために虚偽の申告を考慮せず連帯する事が #MeToo目的であるならば、賛同はしないが筋は通る。しかし、そうではなかった。

例えばお茶の水女子大学では教員学生へのハラスメント疑惑6月に上がった。しかし、その疑惑調査に動いたのは小山(狂)だけであり、フェミニスト達の動きは見られなかった。

草津フラワーデモ元町議のリコールから1か月以内に発生した。この疑惑はもう4か月以上経っている。何故誰も動かないのか。

疑惑告発に対して警告をする教授まで出ている。 草津の虚偽告訴で恐れていた事態が起きているのに、何故誰も動かないのか。

お茶の水女子大学にはジェンダー研究所があり、 #MeToo政治学 という国際シンポジウムも開いたのに、何故誰も動かないのか。

何故…


答えはわかっている。フェミニズムは死んでいるからだ。死んでいるから動かないのは当然だ。

#MeToo棍棒を扱いきれず、自分の頭を叩き続けて死んでしまった。今フェミニストを名乗る人は死体の皮をかぶった何かである

……だが、それでも、実はどこかで真のフェミニズムは生きており、性被害撲滅を真に願うフェミニストもいると信じている。

いるはずないのに。

2024-11-08

anond:20241108133309

なるほど、小山って人はメンヘラ女の研究家なのか

メンヘラ女とメンヘラ男には異性がヒーリングになるのかな?

それともヒーリングになるのはメンヘラ女だけなんだろうか?

2024-11-06

たんたんたぬき金玉は~の元歌

先程ふと、たんたんたぬき金玉は風も無いのにぶーらぶら♪が、歌詞馬鹿馬鹿しさに対して曲が美しすぎると気が付いた。

アホの坂田の歌のように、立派な元曲が存在している可能性がある。

そこで検索してみるとやはりあった。

1864年ロバートローリー聖歌「まもなくかなたの」だ。

神の御許の美しい川でまた会いましょうと、葬式流れる歌らしい。

結構メジャー聖歌だったらしく、西部劇映画でも多く使用されている。

https://youtu.be/Dt_90xWsVXU?si=aot_-0VY1pZC4-VM

しかし聞いてみたらたぬき金玉と曲が違うところも有り、たぬき金玉程のリズムの良さは無い。

こんな真面目な聖歌を聞いて、いきなりたぬき金玉へと替え歌にしたのも少し不自然に感じる。

そこで調べてみると、たぬき金玉聖歌の間に段階あった。

まず1891(明治24)「あなおもしろ」として「国民唱歌集」(小山作之助編)におさめられた。

ここで歌詞楽譜も書き換えられ跳ねるような曲、少年向けの歌に変化している。

「あなおもしろ春雨

花を散らさぬほどにふれ

あなおもしろの弓矢の道や

文武を忘れぬほどに好け」

1937年昭和12年)には、替え歌の「タバコやの娘」(作詞:園ひさし、作曲鈴木静一)が、岸井明と平井英子の歌で大ヒット。

「向こう横町煙草屋の

可愛い看板娘」

https://youtu.be/eXb6PW4zc2E?si=zKFYIdw-OiQs0tzf

たんたんたぬき金玉はこの頃に歌われ始めているようだ、多分たばこ屋の娘の影響が色濃いのだろうが、曲が微妙に違い、聖歌からの影響も感じられる。

そして、変化が繰り返されリズムが良くなった曲は、鉄火焼せんべいビックカメラカメラのナニワ、アースゴキブリホウ酸団子、コンクゴキンジャム等々多くのCM替え歌が利用されている。

2024-10-26

anond:20241021131553

これは先日話題になった「みえないばけもの」と同じで非モテオタク寄り、と言っても文化系というだけでオタクほど知悉してるわけでもない男性嫌悪女性が書いたイマジナリー弱者男性ですね

全部抽象性の高い話で具体性が全くないしとにかく細かいところが雑、例えば

「小中のいじめ」…小学生レベル中学生レベルではかなり性質が変わってくるのでここをひとまとめにしてるのは極めて雑だし、ここでいきなり恋愛観に作用という発想がもうおかし

いじめ恋愛の相関なんて特に男子では低い、これは思春期女子いじめだと恋愛との相関が上がってくるからそのズレが無意識に出てしまっている

アニメ漫画ゲーム」…この一緒くたにするのもかなり雑だし、多分この増田高齢女性かな?10男子ゲームカーストは高いことを知らないみたいだから

このイマジナリー弱者の「芸術」とか「教養」とかが出てくる思考もかなりズレてるんだよね、それだったら文学を読んでいるだろうし、もっと勉強の話も出ているだろう

真の恋愛云々かんぬんはまあわかり手小山周辺が言ってそうなことを書き写してるだけかな、何も言ってないのと同じ

全般的に「男はこう考えているだろう」という思い込みが前のめりになっているコミュニケーション能力の低いカースト下位女性の作文ですね

あと余談として、俺は強者男性寄りで一通り経験してきたからしみじみ思うけど、ネットのこの種のミサンドリーの人が真のミソジニー男性であるモテてて女性を消費する生活をしている男性に対しては寛容で、ただの非モテの素朴な男性ターゲットにしたがるのは本当に女性本人たちにとっても深刻だと思うよ?

深いところで女性本人も自分非モテ性に対して向き合えていないか自傷的に非モテ男性に対して異性嫌悪を見出そうとしてしまっている

そこで結果として「もっとモテミソジニーになれ」というメッセージを発してしまっているのは何と言うか哀れでしかない

ホストクラブにハマる女性心理もこの延長線上にあるだろう

自分自身の価値も信頼できていない、自己肯定感の低さが根本にあるからモテミソジニーにモノとして扱われることすら望んでしまっているんだよね

2024-10-19

ブルーカラー論争について

正直、ブルーカラーは汚い!!とか騒ぐ女さんより、自分ブルーカラー仕事をやる気も尊敬さらさらないくせに女性を叩く材料としてブルーカラーを持ち上げてるポンデベッキオや小山みたいなのの方が腹が立たないか

アンチフェミニズムだの女叩きだのに俺らを巻き込むな

2024-10-07

海外はどこもそんな感じな気がする

タキシング中にカチャカチャ音はデフォ普通に荷物取り出してるやついるし

あのほぼ全員がシートベルトサインが消えた瞬間に動き出すの日本って感じする

anond:20241007143100

え、逆に聞くけど既婚の男叩きアカセックスレスイライラしてるから男叩きしてたの?やはり小山晃弘は正しかった……

2024-10-01

与次郎用事というのはこうである。――今夜の会自分たちの科の不振の事をしきりに慨嘆するから三四郎もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策を講ずることとなる。なにしろ適当日本人を一人大学に入れるのが急務だと言い出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのはむろんだ。次にだれがよかろうという相談に移る。その時広田先生の名を持ち出す。その時三四郎与次郎に口を添えて極力先生賞賛しろという話である。そうしないと、与次郎広田食客だということを知っている者が疑いを起こさないともかぎらない。自分は現に食客なんだから、どう思われてもかまわないが、万一煩い広田先生に及ぶようではすまんことになる。もっともほかに同志が三、四人はいから大丈夫だが、一人でも味方は多いほうが便利だから三四郎もなるべくしゃべるにしくはないとの意見である。さていよいよ衆議一決の暁は、総代を選んで学長の所へ行く、また総長の所へ行く。もっとも今夜中にそこまでは運ばないかもしれない。また運ぶ必要もない。そのへんは臨機応変である。……  与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。あるところへゆくと冗談をまじめに講義しているかと疑われる。けれども本来性質のいい運動から三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の意を表した。ただその方法が少しく細工に落ちておもしろくないと言った。その時与次郎は往来のまん中へ立ち留まった。二人はちょうど森川町神社鳥居の前にいる。 「細工に落ちるというが、ぼくのやる事は自然の手順が狂わないようにあらかじめ人力で装置するだけだ。自然にそむいた没分暁の事を企てるのとは質が違う。細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」  三四郎はぐうの音も出なかった。なんだか文句があるようだけれども、口へ出てこない。与次郎の言いぐさのうちで、自分がまだ考えていなかった部分だけがはっきり頭へ映っている。三四郎はむしろそのほうに感服した。 「それもそうだ」とすこぶる曖昧な返事をして、また肩を並べて歩きだした。正門をはいると、急に目の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立っている。その屋根がはっきり尽きる所から明らかな空になる。星がおびただしく多い。 「美しい空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながら、一間ばかり歩いた。突然、 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎はまたさっきの話の続きかと思って「なんだ」と答えた。 「君、こういう空を見てどんな感じを起こす」  与次郎に似合わぬことを言った。無限とか永久かいう持ち合わせの答はいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われると思って三四郎は黙っていた。 「つまらんなあ我々は。あしたから、こんな運動をするのはもうやめにしようかしら。偉大なる暗闇を書いてもなんの役にも立ちそうにもない」 「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」 「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」  三四郎は即答ができなかった。 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。 「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。 「知りもしないくせに。知りもしないくせに」  三四郎憮然としていた。 「あすもよい天気だ。運動会はしあわせだ。きれいな女がたくさん来る。ぜひ見にくるがいい」  暗い中を二人は学生集会所の前まで来た。中には電燈が輝いている。  木造廊下を回って、部屋へはいると、そうそう来た者は、もうかたまっている。そのかたまりが大きいのと小さいのと合わせて三つほどある。なかには無言で備え付けの雑誌新聞を見ながら、わざと列を離れているのもある。話は方々に聞こえる。話の数はかたまりの数より多いように思われる。しかしわあいにおちついて静かである煙草の煙のほうが猛烈に立ち上る。  そのうちだんだん寄って来る。黒い影が闇の中から吹きさらしの廊下の上へ、ぽつりと現われると、それが一人一人に明るくなって、部屋の中へはいって来る。時には五、六人続けて、明るくなることもある。が、やがて人数はほぼそろった。  与次郎は、さっきから煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来していた。行く所で何か小声に話している。三四郎は、そろそろ運動を始めたなと思ってながめていた。  しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと言う。食卓はむろん前から用意ができていた。みんな、ごたごたに席へ着いた。順序もなにもない。食事は始まった。  三四郎熊本赤酒ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である熊本学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。たまたま飲食店へ上がれば牛肉である。その牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという嫌疑がある。学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたきつける。落ちれば牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるで呪みたような事をしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生親睦会は珍しい。喜んでナイフフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。 「学生集会所の料理はまずいですね」と三四郎に隣にすわった男が話しかけた。この男は頭を坊主に刈って、金縁の眼鏡をかけたおとなしい学生であった。 「そうですな」と三四郎は生返事をした。相手与次郎なら、ぼくのようないなか者には非常にうまいと正直なところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉に聞こえると悪いと思ってやめにした。するとその男が、 「君はどこの高等学校ですか」と聞きだした。 「熊本です」 「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟もいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」 「野蛮な所です」  二人が話していると、向こうの方で、急に高い声がしだした。見ると与次郎が隣席の二、三人を相手に、しきりに何か弁じている。時々ダーターファブラと言う。なんの事だかわからない。しか与次郎相手は、この言葉を聞くたびに笑いだす。与次郎ますます得意になって、ダーターファブラ我々新時代青年は……とやっている。三四郎の筋向こうにすわっていた色の白い品のいい学生が、しばらくナイフの手を休めて、与次郎の連中をながめていたが、やがて笑いながら Il a le diable au corps(悪魔が乗り移っている)と冗談半分にフランス語を使った。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、この時ビールのコップが四つばかり一度に高く上がった。得意そうに祝盃をあげている。 「あの人はたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎の隣の金縁眼鏡をかけた学生が言った。 「ええ。よくしゃべります」 「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」  学生ハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったもの自分ばかりではないんだなと悟った。  やがてコーヒーが出る。一人が椅子を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。  立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好のよい男である演説いたことを始めた。  我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合ビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通会合であるしかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間普通人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己運命の膨脹を自覚しえた。  政治自由を説いたのは昔の事である言論の自由を説いたのも過去の事である自由とは単にこれらの表面にあらわれやす事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。  我々は古き日本の圧迫に堪ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。  我々は西洋文芸研究する者であるしか研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。  我々はこの自信と決心とを有するの点において普通人間とは異なっている。文芸技術でもない、事務でもない。より多く人生根本義に触れた社会原動力である。我々はこの意味において文芸研究し、この意味において如上の自信と決心とを有し、この意味において今夕の会合一般以上の重大なる影響を想見するのである。  社会は激しく動きつつある。社会産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕のビールコーヒーは、かかる隠れたる目的を、一歩前に進めた点において、普通ビールコーヒーよりも百倍以上の価ある尊きビールコーヒーである。  演説意味ざっとこんなものである演説が済んだ時、席にあった学生はことごとく喝采した。三四郎もっとも熱心なる喝采者の一人であった。すると与次郎が突然立った。 「ダーターファブラ、シェクスピヤの使った字数が何万字だの、イブセンの白髪の数が何千本だのと言ってたってしかたがない。もっともそんなばかげた講義を聞いたってとらわれる気づかいはないか大丈夫だが、大学に気の毒でいけない。どうしても新時代青年を満足させるような人間を引っ張って来なくっちゃ。西洋人じゃだめだ。第一幅がきかない。……」  満堂はまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑った。与次郎の隣にいた者が、 「ダーターファブラのために祝盃をあげよう」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した。あいにくビールがみな空である。よろしいと言って与次郎はすぐ台所の方へかけて行った。給仕が酒を持って出る。祝盃をあげるやいなや、 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」と言った者がある。与次郎の周囲にいた者は声を合して、アハハと笑った。与次郎は頭をかいている。  散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散った時に、三四郎与次郎に聞いた。 「ダーターファブラとはなんの事だ」 「ギリシア語だ」  与次郎はそれよりほかに答えなかった。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しい空をいただいて家に帰った。  あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい三四郎は朝のうち湯に行った。閑人の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越呉服店看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっと三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である与次郎の説によると、あの女は反っ歯の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……  三四郎は湯につかってこんな事を考えていたので、からだのほうはあまりわずに出た。ゆうべから急に新時代青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである休みになるとほかの者よりずっと楽にしている。きょうは昼から大学陸上運動会を見に行く気である。  三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。それより以来三四郎運動会へ近づかなかった。しかしきょうは上京以来はじめての競技会だから、ぜひ行ってみるつもりである与次郎もぜひ行ってみろと勧めた。与次郎の言うところによると競技より女のほうが見にゆ価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶をしてみたい。  昼過ぎになったから出かけた。会場の入口運動場の南のすみにある。大きな日の丸イギリス国旗が交差してある。日の丸は合点がいくが、イギリス国旗はなんのためだかからない。三四郎日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟大学陸上運動会とは、どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。  運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色がだいぶさめている。競技を見る所は西側にある。後に大きな築山をいっぱいに控えて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追い込むしかけになっている。狭いわりに見物人が多いのではなはだ窮屈である。さいわい日和がよいので寒くはない。しか外套を着ている者がだいぶある。その代り傘をさして来た女もある。  三四郎失望したのは婦人席が別になっていて、普通人間には近寄れないことであった。それからフロックコートや何か着た偉そうな男がたくさん集って、自分が存外幅のきかないようにみえたことであった。新時代青年をもってみずからおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人との間から婦人席の方を見渡すことは忘れなかった。横からからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾っている。そのうえ遠距離から顔がみんな美しい。その代りだれが目立って美しいということもない。ただ総体総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら、どこかにいるだろうと思って、よく見渡すと、はたして前列のいちばん柵に近い所に二人並んでいた。  三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである決勝点は美禰子とよし子がすわっている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見つめていた三四郎視線のうちにはぜひともこれらの壮漢がはいってくる。五、六人はやがて一二、三人にふえた。みんな呼吸をはずませているようにみえる。三四郎はこれらの学生の態度と自分の態度とを比べてみて、その相違に驚いた。どうして、ああ無分別にかける気になれたものだろうと思った。しか婦人連はことごとく熱心に見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎自分無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股をはい婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである。計測係りが黒板に二十五秒七四と書いた。書き終って、余りの白墨を向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮さんであった。野々宮さんはいつになくまっ黒なフロックを着て、胸に係り員の徽章をつけて、だいぶ人品がいい。ハンケチを出して、洋服の袖を二、三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切って来た。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前の所へ出た。低い柵の向こう側から首を婦人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向こうとこちらで話を始めたように見える。美禰子は急に振り返った。うれしそうな笑いにみちた顔である三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行く。二人が三人になった。芝生の中では砲丸投げが始まった。

砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。

 それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会めいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。

 三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。

 三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちからまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。

あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐ものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいもの出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。

 美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。

「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。

「今まで見ていたんですが、つまらいからやめて来たのです」

 よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、

「それより、あなたたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。

「もう宅へ帰るんですか」

 女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。

「どこかへ行くんですか」

「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。

高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」

 美禰子は軽く笑ったばかりである三四郎も黙っている。三四郎高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。

「この上には何かおもしろものがあって?」

 この上には石があって、崖があるばかりであるおもしろものがありようはずがない。

「なんにもないです」

「そう」と疑いを残したように言った。

「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。

あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。

「いいからいらっしゃいよ」

 よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、

「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」

 美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。

あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。

「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。

 やがて女二人のあいだに用談が始まった。

あなた、いらしって」と美禰子が言う。

「ええ。あなたは」とよし子が言う。

「どうしましょう」

「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」

「そうね」

 なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院看護婦のところへ、ついでだからちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。

 よし子は、すなおに気の軽い女だからしまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。

 三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。

「あの木を知っていらしって」と言う。

「あれは椎」

 女は笑い出した。

「よく覚えていらっしゃること」

「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」

「ええ」

「よし子さんの看護婦とは違うんですか」

「違います。これは椎――といった看護婦です」

 今度は三四郎が笑い出した。

「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」

 二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。

「熱い日でしたね。病院あんまり暑いものから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」

「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」

「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」

「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。

「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」

「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから

だってだいぶ得意のようじゃありませんか」

「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」

「なぜですか」

だってまさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」

 三四郎はまた話頭を転じた。

「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」

「会場で?」

「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。

あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」

 三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。

あなた原口さんという画工を御存じ?」と聞き直した。

「知りません」

「そう」

「どうかしましたか

「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」

 美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎自分いかにも愚物のような気がした。

「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」

「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの

 三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである

 三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやす下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活永久にやめる時機がこないともかぎらない。

 三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。

 三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、

「お兄いさんは下宿なすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、

「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。

「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。

 学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通学生同様な下宿はいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである

 三四郎赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分田舎から出て大学はいったばかりである学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらいから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生帽子をとって礼をしながら、

「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。

anond:20241001201601

カワチに怪しい車が止まりだしている

この前、あの噂の社長お気に入り岩下の新生姜ミュージアムの斜向かいにあるカワチに行ったら、大宮ナンバーの車が止まっていた。中を見るとガラの悪そうなサングラスかけた男が椅子を倒して寝ていた。これはもしや岩下の新生姜ミュージアム駐車場に止めるのがめんどくさいからカワチに止めているわるい大人なのでは?と疑ったが、心臓は掴めなかった。

とにかく新生ミュージアムに行くのにカワチの

駐車場を利用するのはカワチ利用者迷惑なので

やめていただきたい。

あと、新生ミュージアムの前の道を小山方面に向かうとカワチの本社があるよ。

なんか誰か言ってたけどそこら辺にカワチさんって人が住んでいて、それがカワチのお偉いさんなんだって

2024-09-14

女叩きが溢れた日本のXに絶望しかない

今の日本、Xやyoutubeを中心に女叩きが増えまくっていて絶望しかない

昔は2chまとめサイトニコニコに溢れかえっていた。ツイッターに救いを求めたらそこも女叩き塗れになった

かつては韓国叩きと女叩きが二大勢力だったのに、韓国叩きだけがなくなって女叩きだけが勢力を伸ばしてる

日本の女は嫌われ者クズwというツイートが伸びまくって持て囃されてる

女叩きしてない男なんてもういないんじゃないだろうか

小山晃弘、reiひよこヒスイドグマたちばな、ててなど…女叩きでバズるツイッタラーが数え切れないほど大量にいる

韓国と違って徴兵制もないのに、どうしてこんなにまで女叩きが多くて女というだけで価値のない蔑まれて当然のま〜んだといわれなくてはならないのだろうか

あろうことが、最近のアンフェは性犯罪なんて大したことない、体売ってるくせに、女が大袈裟被害者ぶりたいだけだと言ってる奴が激増してる

性犯罪も軽視されるようになってしまった。

こんな国、女性未来は暗い

絶望しかない

若者ほど女叩きをする

女叩きしてる若者がやがて国を動かしていくのだから

きっとこれから女の人権はどんどんなくなっていく

大嫌い、日本。Xなんて閉鎖されたらいい

2024-08-23

なるほど、川口クルド人叩きって共産党叩きとほぼ同一なのか・・・

はてなブックマークでここまで堂々とヘイトスピーチがズラッと並んでるの久々に見た。

[B! クルド人] 在日クルド人の子ども「差別をやめてほしい」/共産党国会議員に実態訴え/埼玉・川口

右翼メディア産経など)が差別あおりネットデマ拡散され、クルド人が暮らす地域ヘイトデモ隊が練り歩いています。/共産以外はどう見ても批判が弱いので期待せざるを得ない

共産党地域日本人とのバランスを取らず外国人側のスタンスしか持たないのも対立が深まる原因でしょ

小山ちほ、米山隆一室井佑月暴走人権感覚の欠如が明らかになった立憲民主党失地回復のために同様の事を行うべきではないか

共産党クルド生活のすべてを保証すれば解決だね。赤旗の売り上げをクルドにすべてささげるべき。

一部のフェミニストがぁ!って言いながら暴れ回る糖質フェミ達を抱える共産党を見てこの手があったか!と思ったのかな

また共産か。未来永劫差別特権を与えることになるんやで。どうするの?どうしたいの?/この話題はてブとは思えない異世界に来た気がするから興味深い。

共産党しか頼る相手がいない状況はさすがに地獄よな。/その上でやはり子供に罪はないが、その家族と関わり合いになりたいとは思わないというのが素直な気持ちになってしま

共産党しか頼る所が無いのではなくて、定番共産党が「私達が相談にのりましょうか?」と宗教団体みたいに手を差し伸べてきた「乗っ取り案件であり、デモ運動などがダメになることと同じ事してるだけなのよ

赤旗記者勉強してほしい。他の国からきた人達がどうなっているか現行法行政対応の経緯を調べて、当局取材したうえで 現実に困ってる人の声を拾ってほしい。ただの伝言板であるかぎり信用はされない。

共産党とつるみ出したら本格的に日本社会の敵になるので、共存する気があるならソッチに行くのはやめた方が。

共産党国会議員に」訴えてる時点でヤラセ感がすごい。陳情地元議会議員向けにやるのが筋だし、産経記事民族差別ではなく苦情の実態件数だったので差別対立かのように煽ってるのは左翼側といえる。

入管法改正自民提案した譲歩案を蹴ってクルド人の子もの立場を悪くしたのは立民と共産なんですが…。悪いけど、日本で生まれ子ども含めて強制送還だよ。可哀想に。

ウヨ差別を作り、サヨが差別ネタで公金を引っ張り、善良な納税者が納めた税金無駄遣いされる。

共産党=活動家イメージがあるから素直に受け取ることは出来ない。

暇空キッズみたいなコメントが並んでて頭クラクラする

一緒くたにされたくないのであればあなたがたも連帯し、放縦とどまるところを知らぬ悪をともに征討すべきでしょう。一部のキチガイ所業であると知らしめるのです。

「助けたい」って言う人も川口・蕨に縁遠い事実テキサスみたいに、バスクルド人アナタ隣家にお運びしてあげましょうか?

不法滞在している親に文句を言え。観光ビザ違法移民してる奴が多すぎ。EU反差別違法移民を受け入れた結果、大失敗。治安悪化し、大混乱に陥った。イスラム移民移住した国をイスラムで染めるのが流儀

ビザが出ない理由によるな。当然だが不法入国等の犯罪歴が有る者にビザは出せない。入国時に親が犯罪者なら、子だけビザを出すわけにもいかない。

ビザの発給の可否は当該国の権限に基づき判断するものであって外国人普遍的に持っている権利じゃない事は認識してね。さて、母親に発給されない理由はなんだろう?『重大な犯罪歴』など無いならそう言うよね

こいつが何を言ってるのかよくわからないんだが誰か説明して?

自国では比べ物にならないくらいの差別をしている上に、しきたりを押し付けるくせに、コイツら何言ってんの???

クルド人の国って何? もしかしてトルコとかシリアのつもり?

それとも、もしかしてクルド人イスラエル人混同してるバカなの?

それとも、イスラムの国全体を指して、女性差別をしてることが許せないっていうフェミ熱で脳を焼かれた人?

2024-08-16

anond:20240816144425

増田ダメなところを教えてやる。

まず、文脈があまりにも乱雑だ。読者が何を伝えたいのか分からずに混乱してしまう。具体的な問題は、内容が抽象的であり、具体的な例や証拠が欠けていることだ。例えば、「二流本」という言葉を使っているが、具体的にどの本がそのカテゴリに入るのか、一例も示されていない。

あとは、論理が飛躍している点だ。「流行を捕らえている」と一旦認めたのに、その後すぐに「もはや本の内容のキラメキは失われている」と断言してしまう。流行を取り入れることと内容が浅いことが直接結びつく理由を、もっと明確に説明する必要がある。

また、言葉遣いが過剰だ。例えば、「オママゴト」「流感に流されて脳がイってしまっては」など、感情的表現が多すぎるため、論理的な説得力が減少している。批評を書くなら、もっと冷静で客観的トーンを維持するべきだ。

さらに、読者に対する高圧的な態度も問題だ。「読者のプライドは、奈落の底の小さな小山の上でケタケタと笑う程度」などという表現は、読者を蔑むものであり、共感を得ることは難しい。相手を納得させたいなら、もっと敬意を持って接するべきだ。

最後に、結論部分が曖昧だ。「二流本読むべからずという話ではない」と断っているが、その後に「世間は二流本の氾濫に一切不満がないのか」と疑問を投げかけている。結局、増田が何を主張したいのかが明確でない。

どうだ増田。返信は不要。礼も不要だぞ。

本質を欠いた本の主題に対する忌避

「◯◯は最強の武器である

「◯◯の話をしよう」

教養としての◯◯」

これらは流行を捕らえているという点で、三流よりは上手を行っている。

いわゆる二流本である。名が示す通りだ。二回目に流れるから二流。亜流ともいうが。

だがこうした流行を搭載するという時点で、もはや本の内容のキラメキは失われている。内容よりも何よりもまず読者に同化しようとし、読者におもねるのだ。読者への献上品だ。

おいしいところを見せて濃い味付けをし、それでサマザマなモノゴトをわかったかのような気にさせ、読者を得意気にさせるのが二流本の本である。著者は、その対価として金銭を得る。

これではオママゴトである

二流は、いつまでもどこまでも浅いので痛烈な一撃に弱く、個々の反撃に対応できない。

二流本は、大衆迎合するために存在しており、内容が薄い。結局マス向けに売れるように書いている。売れなくともよいというエゴがどこにもない。マスは三流や四流だからだろう。

和訳本についてもそうだ。もともと一流だった本を二流に見せてしまう。売るためだろう。汚染している。

訳すら捻じ曲げる。間違っていてもよいのだ。売れればよいし、どうせ突合されることもない。

近視眼的で自己利益至上の我欲がそうさせる。長期的に見る力がない。余裕もない。胆力もない。視野もない。そうした訓練も受けていない。

ある著者はいう。出版社に逆らうことはできない。その程度の圧に負けるのだから、大した内容の本ではないのだろう。

お前のところから出版させてやらんという潔癖さがない。穢れている。腫れ物扱いに耐えきれない。

読者も読者で三流であることに満足している。自分が二流なり一流なりへと上昇せんとする気概が見当たらない。

読者のプライドは、奈落の底の小さな小山の上でケタケタと笑う程度にしか存在しないのではないか

断っておきたいが、二流本読むべからずという話ではない。

世間は、マーケティング奴隷の中の王であることに満足して、二流本の氾濫に一切不満がないのだろうかと問うているつもりだ。

著者も読者も、主題について洞察せよ。

酷い流感に流されて、脳がイってしまってはお話にならない。

2024-08-08

さら追記

https://anond.hatelabo.jp/20240807091141

引用元を書けと言われたので書く。

/よみびとしらず

古今和歌集 出版社忘れた

/俵万智

風のてのひら 河出書房新社

/寺山修司

寺山修司歌集 講談社学術文庫

/小山光夫

橐駝 現代短歌

/土屋文明

往還集 岩波書店

/野口あや子

くびすじの欠片 短歌研究文庫

/永井

日本の中でたのしく暮らす 短歌研究

/穂村弘

シンジゲート 沖積舍

/林あまり

現代短歌 2018年12月号より 現代短歌

/服部真理子

行け荒野へと 本阿弥書店

/杉崎恒夫

パン屋パンセ 六花書林

//森垣岳

多分現代短歌 2018年3月現代短歌

/俵万智

プーさんの鼻 文藝春秋

「じゅうろくとよんといちと

じゅういちとじゅうに=(にあまり)」

自作) 未発表

○方は二十五 鈍器ブローカー 秘書求む。__

桃色の踵の

しかもなほ雨、ひとらみな十字架うつしずかなる釘音きけり

塚本邦雄 自選集から引用 出版社忘れた

2024-08-07

よいなと思う短歌を書く。

すがるなく秋のはぎわらあさたちてたび行く人をいつかとかまたん/よみびとしらず
花札の絵柄のような春よ来いなんてことない日も悪くない/俵万智
しろ手に堕ちし雲雀をにぎりしめ君のピアノを窓より覗く/寺山修司
足もとに末枯れゆく草おほひゐてザボンひとつを分けあひて食ふ/小山光夫
山川のとどろとどろと暮れゆけば西の狭間の光こほしも/土屋文明
やるせないと思えるうちはまだ光っているのだろうなブラウスふわり/野口あや子
いるんだろうけど家に入って来ないから五月は終わり蚊を見ていない/永井
夕焼けの雲に向かって「アカ」「アオ」と水兵さんの手旗信号/穂村弘
台風が近づく朝にサキちゃんもカイくんも来てお鍋は空っぽ/林あまり
泳ぐには少し早いね真っ白な切手を売って暮らしていたい/服部真理子
やさしくて怖い人ってあるでしょうたとえば無人改札機みたいな/杉崎恒夫
あたたかな桃と思えば産まれ出てまもなく吾子の頭に触れる/森垣岳
ついてってやれるのはその入り口まであとは一人でおやすみ坊や/俵万智

おわり。

後書

「じゅうろくとよんといちと

じゅういちとじゅうに=(にあまり)」

こんな短歌ばかり作り続けてもう10年になる

改めて先人の残した歌に触れてみると自分の実力の無さに嫌気がさすが同時にもっと短歌を作りたい!と思ってしまうのはなぜなんだろう

金があれば一万冊でも歌集を買いたいものだが、世間のいう貧困のもの生活をしており、それは願いにしからない。ここに取り上げた短歌は家にあった歌集をかき集め、抜粋したものである

本当は塚本邦雄の歌も入れたかったのだが、変換に出てこない一文字があって断念した

多分こんな歌だったらしい

○方は二十五 鈍器ブローカー 秘書求む。__

桃色の踵の

この○だけが思い出せなくて断念した

もしこれを読んであなたもいい短歌が思い出したらそれを大切にしてあげてください



追記

手帳を見返してたら塚本邦雄短歌がもう一首

メモしてあった

しかもなほ雨、ひとらみな十字架うつしずかなる釘音きけり」らしい(合ってる?)

隣に書いてあったのは「男やもめにうじがわく」だった。謎

2024-07-18

バリキャリ共働きお小遣いたっぷりその上自分自分で株でガッポリしてる美少女は確かに岐阜にいなさそうだけど、

陰湿農家の家で苦悩しながら暮らす美少女岐阜大勢いるだろ

(小山内さん株で儲けてる説をいつまでも擦り続けて古参アッピルしている)

2024-07-14

誰も小山市長選の話しない…

ていうか小山人間以外も誰も話していない

これでいいのか地方政治

2024-07-07

栃木ラーメンの話でもするか

福田富一…

アメノオト

佐野にある。トマト混ぜそばが美味しいけど、今は無い。醤油とかオシャレなメニューがおおい

おいしい

天夢

栃木にある。駅のそば

めっちゃ煮干し、だけど最近スープ少なめ

あっさりなのもあるよ

竹末

宇都宮にあったり、下野にあったりする

小山卓球台が置いてある謎店舗があったけど

移転した。疲れた時は涙が出るぐらいおいしい

辻田屋

家系ラーメンの店

小山本店で、石橋支店

味的には本店の方がしっかりしてるよ

キャベツラーメンネギ乗せるのがおすすめ

童童

栃木市にある。中華料理屋さん

これでとんとんと読むらしいよ

あっさり系

大童

栃木市にある

坦々麺とおっきな餃子が有名

太七

佐野にある

ネギがたくさん、もつ煮が乗ったラーメンもある

バング軒

色んなとこにある

混ぜそばがおいしい

宇都宮の店はほとんど知らん。百貨店の中に期間限定で入ってた味噌ラーメンの店と濃豚って店がよかった気がする。火山もないし

不買で話題新生ミュージアムにもラーメンがあるらしい。味はわからないけど

近くにある泣き虫なんとかって店はクソまずで

有名なので行かない方がいいよ

2024-07-04

anond:20240703215520

ホシガリマセンカツマデハを拡散したと思われる人々

 ナチスのオイゲン・ゲリヘル(弓道者)

 ナチスのデュルクハイム伯爵

 極右の安谷白雲(石原慎太郎オリジナル

 鈴木大拙(妻米国人

 小山松吉(弓道組織検事総長

戦後 キュードー弓道キュージョー九条 にさくっと置き換えた

2024-07-03

anond:20240703193349

禅宗ドイツに広めたのも、ナチ党員だから

日本大審院長(小山松吉)と弓道者どうし、「兵の命は羽毛より軽い、任務泰山より重い」とかだから

日本の著名な禅宗者は妻が米国人の人が少なくとも2名いる https://apjjf.org/2014/12/3/brian-victoria/4063/article

武士道工作とか禅宗工作とか、アニメ工作とか、ずっとやってんだよ

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