はてなキーワード: 十倍とは
致死率数十倍じゃなかった?
青みピンクだとか赤紫ではなく絵の具の紫色をそのまま唇に塗ったみたいなとびっきりの紫だ。それを知るのは私一人。
さっき買い物をしたスーパーマーケットの店員さんも、バイト先の生徒も、その保護者も、上司も同僚も誰も知らない。だってみんなも私もマスクをしているのだから。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は相変わらず猛威を振るっている。
外出自粛の流れも感染者が減ってはまた増えの繰り返しも当分は続くだろう。
4月のバイト先の塾の休校以来6月に初めて顔を合わせた新入会の小学生の女の子の鼻から下を私はいまだに見たことがないしもしかしたらこの先見ることもなく彼女は中学受験を終えてしまうのかもしれない。
どうせマスクで隠れてしまう部分の化粧をすることに最初は意味合いを感じなかった。暑いし、蒸れるし、誰にも見てもらえないし。リップメイクが好きだったけれど2月からしばらく口紅たちは机の引き出しにしまったままだった。早く塗れる日が来ますように、と願いをかけて、続々と中止になっていく予定にため息を吐く。いつまでこんなことを続けるのだろう、と憂鬱な気分になった。
どうせ使わないのなら捨ててしまおう、と思い立ったのはある雨の日だった。収納場所は有限だし、顔につけるものをそう何ヶ月も保存しておくのは衛生的にも良くない。おきにいりのものだけ残そう、と引き出しを開く。
その中に見覚えのない新品未使用の口紅があるのを見つける。こんなもの買ったっけ……と蓋を開いてみたらなんと驚き。紫色をしていた。
「紫?」
自分でも首を傾げる。紫色なんて自分じゃまず選ばない。人からもらったにしろこんな奇抜な色をチョイスするだろうか。
全く身に覚えのない紫色であったけれど蓋を開けてしまったから人にあげることはできない。かと言って一度も使わずに捨ててしまうのはなんだかかわいそうな気がした。
鏡の前でひとつ深呼吸。唇を突き出してその上に口紅を滑らせる。ハロウインのコスプレでもパーティーでもない。何の予定もないただの日に紫を塗った。控えめにいって紫は私の顔から浮いている。私に似合うのは茶色━━驚くだろうが茶色のリップを私の唇にのせると綺麗な赤に発色するのである!や濃い目の赤、どちらかというと青みが少ない色だというのは自分が一番よく理解しているから紫が似合わないことは想定内だ。私は鏡に映った自分の顔を見てつい吹き出してしまった。驚きとか落ち込むより先に、あんまりに似合ってなさすぎて笑えてしまったのだった。
そして私は思う。「楽しい!!」と。紫の口紅は似合わない。まるで魔女の口みたいだ。それでも人に見せるために義務感でするそれの何十倍も楽しくて、引き出しの中から他の化粧道具も取り出して気づけば本当に久しぶりにフルメイクをしていた。まぶたは緑、まつげはピンク。ほっぺたは赤。その上から妹にもらって以来使い道のないキラキラとしたラメを乗せて紫色の口紅を引く。
魔女とも呼べない怪物の出来上がり!こんな姿絶対に恋人や友人には見せられない。でも楽しい!こんなに楽しいのは数ヶ月ぶりだ、と思った。
私のメイクはちゃんとしないといけない場所で人に見せるためのもの、もしくは好きな人間──それは友人でも恋人でも推しでもなんでもいい、とにかく私が好かれたい人間の前で自信を持った私でいるための武装のようなものだった。コロナ渦で人と会わなくなって武装をする必要がなくなった中で化粧品へのトキメキも薄れていた。
だけど今は違う。これは私のための、私が機嫌よく過ごすためのメイクだ。私から因数分解を教わる子供たちも少しウマが合わない上司もみんな私が紫色の口紅を塗ってることなんか誰も気付いていない。どんなに理不尽なクレームを受けようと「いいのか?私は今、紫色の口紅を塗ってるんだぞ?」と内心でほくそ笑むことができる。
わざと似合わない色を塗るなんて今までの自分では考えたことがなかった。きっとコロナウイルスの流行で生活の変容を求められていなければ私はずっと気づかないままだっただろう。人のためではなく自分のためにする化粧──それは自分が可愛いと思えない姿でもいい!と気づけたことは私にとって大きな収穫だった。
なろう系マンガに関する、取り留めのない雑感。あくまで“なろう系マンガ”の話ね。
馴染みがない人にはピンとこない話なんだけれども、なろう系マンガも一大ジャンルになってて想像の数十倍は出版されてるんだよね。で、まあ玉石混合でいうと「石」の方が多い。石は早々に打ち切られてることが多いし、玉は編集側が猛プッシュするから、そんな印象抱かない人もいるだろうけれども実態としては石の方が圧倒的に多い。
ちなみに、この前提を共有できていない人に向けてイチから説明はしたくない。なろう系マンガとは何ぞやレベルの人に理解できるような話じゃないもん。今まで数えれきれないほど読んできて、その都度ツイッターで感想を書き続けている身だからこそ「石が多い」と言っているのに、2~3玉ほど挙げられても意味がない。挙げられた作品も私は当然知ってるし、その何倍も石を挙げられる。
過去数年のなろう系マンガ全部リスト化して、それらに玉石判定したものを用意すれば説得力は増すだろうけれども、そんな知識マウントしなきゃ分からない人を納得させる必要性がない。傾向の話に知見がないまま参加して、杓子定規な意見しか言えない人間を説得したって何の得もない。ちゃんと知見を蓄えて相応の意見をしてくる人は私に指摘されるまでもないし。
で、本題なんだけれども、ここでいう“石”ってのは「なろう系のフォーマット」を“そういうもの”として割り切った上での評価ね。なので他のマンガジャンルとは“石の基準”が違う。もし同様の評価基準で定めるなら石はもっと多いだろうけれども、そこまで求めてしまうと「そもそもこのジャンルに触れるだけ無意義」って結論になるので。そうならない程度には期待できるジャンルよ。
まず私からいわせれば「なろう系のフォーマット」自体は批判点になりえない。俳句を「短い」なんていって批判したりしないでしょ。でもそれは賞賛にも値しないってことでもある。俳句を「5・7・5がいい感じ」なんて評価しないでしょ。要は「その部分を誉めても貶しても大して意味がない」ってこと。
使い倒された形式は、それ自体が評価対象になりえない。ガムは噛めば噛むほど味がなくなるけれども、それでも噛み続ける人はガムが美味くてそうしているわけじゃないでしょ。つまり「なろう系マンガだから石が多いわけじゃない」ってことは踏まえておきたいわけ。なろう的な要素を踏襲して面白い物が複数ある以上、(ダメな)なろう系マンガの問題点は“そこ”ではない。
では私が主観的に見ても客観的に見ても石が多いと思うのはなぜか。理由は大きく分けて三つあって、ひとつは「原作の問題」、ふたつめは「漫画担当の問題」、みっつめは「出版社や編集側の問題」。この三つの問題点は他の漫画ジャンルにも共通することだけれども、“なろう系マンガならではな”問題点も孕んでいると思うわけ。それらはまた気が向いたら書こうっと。我ながら大したこと書いてないのに雑感長くなりすぎ。
これは先日話題となった「同人女の感情漫画」に出てくる「おけパ中島さん」の話題を見て、おけパ中島さんと綾城さんが混在したような人物に触れたばかりである今の自分の感情とタイムリー過ぎて発狂しかけた、底辺字書きのしょうもない話である。
最初に言っておくが、自分はこのはてなブログを利用するのが初めてなので、色々と大目に見てほしい。
自分は、文字を書き始めてから五年の、たいして人気もない底辺字書きだ。底辺ながらに細々と支部などに投稿して、偶に反応がもらえればラッキーくらいに思う程度のものだった。それがおかしくなったのは、今ハマっている新規ジャンルに手を出し始めたころからである。
そのジャンルではそこそこメジャーなCPにハマり、母数がかなり多いおかげか、そこで投稿した小説はそこそこ見てもらえ、ツイッターにあげれば少しは反応がもらえるような状態だった。今までのジャンルではそんなことはなかったし、嬉しかった。
だからといってツイッターのフォロワーが増えるわけではなかったが、でもまあ字書きなんてそんなもんだろうと思っていた。一部のベテラン神字書き以外は、そんなものだと。
そう思いながらも、なまじ少し反応が貰えただけに、欲が出てきていた。知らない字書きが書いた自分よりブックマークが多い作品は見られなかったし、絵師さん方が「この小説おすすめ!」というように紹介していると、どうしても羨ましいと思ってしまう。
もちろんそれが悪いとかそういう話しでは全く無い。小説には見向きもされないようなジャンルにいたこともあるので、この界隈の風潮はとてもいいものだと思っている。
しかし、どうしても嫉妬を覚えてしまうのだ。なぜ自分は人気が出ないのか、なぜ見てもらえないのか。悶々とするその気持ちを、「そもそもこの界隈には人も多く、その分神字書きが多いからだ。自分と同じくらいの人間のほうが多い」と無理やり納得させていた。
自分が尊敬する神字書きさん(綾城さんのような存在)もこの界隈にはいて、その方はトップを走ってる。だからなんとなく、「しょうがない。勝てるわけがない」と思えていた。
それが崩されたのは、この界隈にある字書きが参入してきた時だった。
ここからは少しフェイクを入れて話すが、その字書きは元々あまり腐向けには興味があった人間ではなく、全く違う畑で創作していたタイプの字書きだった。
とはいえそちらもそれほど作品数があるわけでもない。この界隈に興味を最近持ったらしいが、ツイッターも字書き垢でもなく、このジャンルのためにつくったようなものだった。(恐らく)
それが、いきなり、躍り出てきたのである。
朝起きたら、自分が大好きな神絵師と神字書きがその作品のことをツイートしていた。両者ともにそこまで小説を紹介するようなアカウントではなかったので、すこし驚いて、いつも通り少し仄暗い感情を抱いた。最初は、見るつもりもなかった。嫉妬しながら見たところでその作品にも失礼であるし、自分の精神にも悪いからである。
しかし、その作品は何度もTLに流れてきた。小説がここまでいろんな人に取り上げられているのを見るのは、自分の大好きな神字書きさんの作品以来だった。仕事中だったので、それを見て見ぬふりをして過ごし、家に帰って覚悟を決めて支部を開いた。たった一日でその作品は、自分の十倍以上のブクマを獲得していた。読んだ。もう、読むしかないと思った。
特定を避けるために中身はぼかすが、最初は、語彙力に溢れているわけでもないし、確かにさらっと読めはするが、巧拙な文章ではないなと思いながら読んでいた。いったい何がそこまで、と。これだったら自分の方がとさえ思っていた。
しかし、最後まで読んだときに、気づいたら自分はボロボロと泣いてた。その話の内容と、「勝てない」という思いに打ちのめされて。悔しいが、自分には書けないような話だった。稚拙だと思っていた文章に、いつの間にか引き込まれていた。なぜあそこまで皆が勧めるかが分かった。本当に、面白いと思ったのだ。そのときはまだ嫉妬より素直な感心のほうが強かった。すごい人が入ってきた、と。
けれど、そこで支部の作品欄を見て、この界隈に来るまでそもそも腐向けを書いたことがないことを知った。正直「は?」と思った。見ないほうがいいとわかっていながらも、ツイッターにとんだ。そこで自分が見たのは、自分の大好きな神字書きと「フォローありがとうございます!」とおけパ中島のテンションで話してるその字書きの姿だった。
自分がいくら書いても見向きもされなかったのに、その新人字書きは神字書きにフォローをもらっていたのだ。しかも、(これは大変理不尽な言い草だとわかっているが)名前さえもおけパ中島に近いものを感じ取るようなものだった。
そして、その作品をきっかけに神絵師とも繋がっていた。「死ぬほど泣きました」などと、自分が貰ったことのない称賛を山ほど浴びていた。それを見た瞬間、反射的に、負の感情が沸いた。
分かっている。その字書きは何も悪くない。悪くはないのだが、自分が今まで「しょうがない」と目をそらしていたものを、一気に覆していく気がした。
神字書きや神絵師と話してるのを見て、「本当に作品ちゃんと見たのか!?」という、完全に七瀬の気持ちになっていた。そこで自分がしたのは、最低最悪の行為である「粗探し」だった。字書きというのは、傾向として高尚ツイをしがちであると個人的に思っている。しかし、その字書きのツイは、毒気を抜かれるようなものばかりだった。テンションがおけパ中島。本当に。これいくつだ?と思ってみていたら、おそらく想像していたよりかなり若いと思われるツイートがあった。それを見て、また死んだ。
そんな折に、「自分も字書きですが才能が有って凄いです。羨望します」みたいなマロ(自分ではない)が送られているのに対し「このマロだけでも日本語が綺麗なのが分かります!いつか作品見てみたいです……!」というような回答をその字書きがしているのを見た。TLでは自分のおすすめ小説を紹介するし、どんどん神字書きや神絵師と繋がっていく。人のことも良く褒める。
あ、なんか合わねえなと心から思った。
十割嫉妬だと分かってはいるが。しばらくすると、その字書きの小説の支部リンクのツイは三桁にいっていた。自分は二桁もいったことがないのに。自分は、面白いと思ったはずのそれをリツイートすることはできなかった。
その字書きは私にとって、綾城さんでもあり、おけパ中島でもある存在となった。
だからと言って、自分が七瀬や友川になれるのか?なりたいとは思うが、あれから自分の創作の手は止まってしまった。自分がいくら必死に書いても、ぽんと出てきた人間が、簡単に追い越していくという事実に打ちのめされてしまったのだ。ここまで見てもらった方は分かると思うが、自分は文章が下手なのである。なのに、書きたいものを書けばいい、そう分かっていてもどうしても評価を求めてしまう。
そして、自分はきっとあの字書きには勝てないし、神字書きに認識もしてもらえない。その字書きのことはフォローできていないが、神字書きや神絵師のTLに時々出てくる。そのテンションが腰の低いおけパ中島なのだ。それを見るたびに、嫉妬にかられる。フォローしてないのに、ついつい見に行ってしまう。
自分よりかなり若い子相手に何をしているんだと思うが、どうしようもないのである。定期的に見に行って、その作品名でツイッターを検索し、たくさんの人が紹介しているのを見てまた死ぬ。やらなきゃいいとわかっていても、ついやってしまうのだ。
このどうしようもない感情を持て余しているときに「同人女の感情漫画」で、おけパ中島の存在を知った。それに対するツイッターの流れを見て、現在進行形で身に覚えがありすぎて死にたくなった。そして、その字書きはおけパ中島の話題を明るい感じで出していたのを見て「だろうな」と思い、また落ち込んだ。
が、おけパ中島のような存在にどうしようもない感情を抱いてしまう人が一定数いるのだと知り、少しだけ気持ちが楽になった。
いつか、自分がその字書きのブクマ数を超えるか、その字書きが自分の小説を紹介したりするまで、きっとこの気持ちは晴れないのだろう。あの漫画を見て、七瀬や友川のようになりたいと思った。
そのためには、書くしかないのだ。書いて書いて、書くしかないのだろう。このはてなブログを書いたのは、だれにも言えない今の気持ちを吐き出し、再び書き始めるためである。
一
これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。
むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに人類を守るためのお城があって、中山さまという将軍さまが、おられたそうです。
その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。ごんは、一人ぼっちのゴジラよりも大きな狐で、しだの一ぱいしげったアマゾンのような原生林の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って東京ドーム十個分の芋をほりちらしたり、菜種油の貯めてあるタンクへ火をつけて村を焼き払ったり、百姓家の裏手に建っている発電用風車の羽をむしりとっていったり、いろんなことをしました。
或秋のことでした。二、三年雨がふりつづいたその間、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。
雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、ごんが穴から出たことを知らせる警戒警報が地の果てまできんきん、ひびいていました。
ごんは、村を流れる黄河の十倍ぐらいある川の堤まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少いのですが、三年もの雨で、水が、どっとまし、辺りの村々は全て水没していました。ただのときは水につかることのない、川べりの大きな鉄塔や、世界一長い橋が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下の方へと、すっかり水没した高速道路を歩いていきました。
ふと見ると、川の中にシュワルツネッガーを百倍屈強にしたような人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと原生林の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。
「兵十だな」と、ごんは思いました。兵十はその名の通りグリーンベレーの選りすぐりの兵隊十人を瞬殺したという人類最強の男で、盛り上がった筋肉によってぼろぼろにはち切れた黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、総延長五十キロに及ぶ定置網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、お盆が一まい、大きな黒子みたいにへばりついていました。
しばらくすると、兵十は、定置網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、車や家や橋の残骸などが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、鯨ぐらい太いうなぎの腹や、ジンベエザメぐらい大きなきすの腹でした。兵十は、体育館ぐらいの大きさのびくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。
兵十はそれから、びくをもって川から上りびくを山の峰においといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。
兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと原生林の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、定置網のかかっているところより下手の川の中を目がけて、大谷翔平投手のような豪速球でびゅんびゅんなげこみました。どの魚も、「ドゴォォォン!」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみ、大きな水柱を立てました。
一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュオオオオオオンと超音波のような叫び声を上げてごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、
「うわア石川五右衛門とアルセーヌ・ルパンと怪盗セイント・テールを足して三で割らない大泥棒狐め」と、地球の裏側でも聞こえるような大声でどなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままごんを縊り殺さんと巨大重機のような力で締めあげてはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、超音速旅客機コンコルド並みの速度でにげていきました。
ほら穴の近くの、ごんの挙動を監視するためのセンサーの下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。
ごんは、ほっとして、象ぐらいの大きさのうなぎの頭をかみくだき、なおも圧搾機のような力で締めあげてくる胴体を渾身の力でやっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。
二
十日ほどたって、ごんが、大日本プロレスを代表する悪役レスターである”地獄のカントリーエレベーター”弥助の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木で懸垂をしながら、弥助が、おはぐろをつけていました。総合格闘技界の若きカリスマ、”溶接王”新兵衛の家のうらを通ると、新兵衛がダンベルを上げながら髪をセットしていました。ごんは、
「ふふん、格闘技村に何かあるんだな」と、思いました。
「何だろう、異種格闘技戦かな。異種格闘技戦なら、プレスリリースがありそうなものだ。それに第一、告知ののぼりが立つはずだが」
こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間にか、表に手掘りで地下30キロまで掘り抜いた赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その大きな、兵十が歩くたびに立てる地響きによってこわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。よそいきのコック服を着て、腰に手拭をさげたりした三ツ星シェフたちが、厨房で下ごしらえをしています。大きな鍋の中では、本日のメインディッシュである”比内地鶏胸肉の香草和え~キャビアを添えて~”がぐずぐず煮えていました。
「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう」
お午がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、坐像としては日本一の高さの大仏さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、ごんから人類を守るためのお城の大砲が光っています。墓地には、ラフレシアより大きなひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。と、延暦寺、東大寺、金剛峯寺、増上寺、永平寺など日本中の名だたる寺から一斉に、ゴーン、ゴーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。
やがて、世界各国から集った黒い喪服を着た葬列のものたち七十万人がやって来るのがちらちら見えはじめました。話声も近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、跡形もないほど木っ端微塵にふみおられていました。
ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、3m程の位牌をささげています。いつもは、赤い閻魔大王みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。
その晩、ごんは、穴の中で考えました。
「レスリング女子世界チャンピオンだった兵十のおっ母は、床についていて、巨大うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十が定置網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母に世界三大珍味を始め、ありとあらゆる有名店の美味しいものは食べさせても、巨大うなぎだけは食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、巨大うなぎが食べたい、ゴテゴテに脂が乗って胃もたれがする巨大うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」
三
兵十は今まで、おっ母と二人きりで、ストイックなくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
ごんは道場のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。
ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、裏戸口から、
「いわしを五千匹おくれ。」と言いました。いわしの仲買人は、いわしをつんだトラック三百台を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを満載にした発泡スチロール容器を三百人がかりで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、車列の中から、五、六台のトラックをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の屋敷の裏口から、屋敷の中へトラックを投げこんで、穴へ向ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、落ちたら骨まで砕け散る井戸のところで小指一本で懸垂をしているのが小さく見えました。
ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。
つぎの日には、ごんは栗がなった木々を山ごと削りとって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、鶏のささみ肉十キロの午飯をたべかけて、茶椀をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬ぺたに、かすり傷がついています。ボクシング世界ヘビー級王者と戦った時も傷一つつかなかった兵十の顔にです。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。
「一たいだれが、いわしのトラックなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人と思われて、いわし仲買人のやつに、ひどい目にあわされかけた。まさかトラック三百台が一斉に突っ込んでくるとはな。受け止めるのはなかなか骨だったぞ」と、ぶつぶつ言っています。
ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし仲買人にトラック三百台で突っ込まれて、あんな傷までつけられたのか。
ごんはこうおもいながら、そっと兵十の三十年連続総合格闘技世界王者防衛を記念して建てられた東洋一の大きさを持つ道場の方へまわってその入口に、山をおいてかえりました。
つぎの日も、そのつぎの日もごんは、山を丸ごと削り取っては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗の山ばかりでなく、まつたけの生えた松の山も二、三個もっていきました。
四
月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を間断なく降り注ぐ砲弾を手で払いのけながら通ってすこしいくと、非常時には戦闘機が離着陸するために滑走路並みに広くなっている道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと緊急警報が鳴っています。
ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助というムエタイ世界王者でした。
「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」
「何が?」
「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに大量の土砂を、まいにちまいにちくれるんだよ」
「ふうん、だれが?」
「それがはっきりとはわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」
ごんは、ふたりのあとをつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来いよ。俺の屋敷を埋め尽くす土砂の山を見せてやるよ」
「へえ、へんなこともあるもんだなア」
それなり、二人はだまって歩いていきました。
加助がひょいと、後を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気づいていましたが、そのままさっさとあるきました。吉兵衛という館長の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンとサンドバッグを叩く音がしています。窓の障子にあかりがさしていて、兵十よりさらに大きな坊主頭がうつって動いていました。ごんは、
「連合稽古があるんだな」と思いながら井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三万人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。千人組手の声がきこえて来ました。
五
ごんは、吉兵衛館長主催の一週間で参加者の九割が病院送りになるという連合稽古がすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。中山将軍が最終防衛ライン死守のために投入した戦車部隊をふみふみいきました。
お城の前まで来たとき、振りかかる火の粉を払いながら加助が言い出しました。
「まあそうだろうな」と、兵十は飛んできた流れ弾をかわしながら、うんざりした顔で、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、怪獣だ、怪獣が、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」
「そうかなあ」
「そうだとも。だから、まいにち怪獣にお礼参りをするがいいよ」
「無茶を言うな」
ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、怪獣にお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。
六
そのあくる日もごんは、栗山をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は道場で縄登りのトレーニングを行っていました。それでごんは屋敷の裏口から、こっそり中へはいりました。
そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が屋敷の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
兵十は立ちあがって、中山の城に設置してある、対ごん戦に特化して開発された砲身長30mの520mm榴弾砲をとってきて、火薬をつめました。
そして足音をしのばせてちかよって、今門を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、びくともしませんでした。兵十は五百発ほど打ち込みました。ごんはかすり傷一つ負っていません。兵十は榴弾砲を剣のように構えると、ごんの足に五千連撃を叩き込みました。ようやくごんは足をくじいてばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、家の大部分が栗山で押しつぶされているのが目につきました。
「おやおや」と兵十は、うんざりした顔でごんに目を落しました。
「ごん、やはりお前だったのか。いつも栗山をくれたのは」
ごんは、お礼を言われることを期待したきらきらした目で、うなずきました。
スマホひとつあれば仕事ができるみたいな人や、スマホだけでたいていの作業は十分とか吹聴する人が多いんだが、本当にそう思ってるんだろうか。
いろんな話でそうなんだけど
「できる」とか「十分」みたいな言葉が指す意味を各自が都合よく定義して話するから
スマホひとつあれば仕事ができるみたいな人や、スマホだけでたいていの作業は十分とか吹聴する人が多いんだが、本当にそう思ってるんだろうか。
どう考えてもパソコン一個あれば数十倍は能率が上がるようなことばかりだと思う。
何でもスマホやタブレットだけで済まそうとして、高い端末や無駄なオプションを買って必死に完結させようとするならその金でパソコン買えばいいと思うんだけど。
スマホはスマホでしか出来ないこと(SMSや指紋を用いた認証など)をやるだけで、パソコンでできることはパソコンでやった方が早いし安いんじゃないの。
まあそういう発想もなくパソコンを使ったこともない無知な人たちのおかげで、ちょっとパソコンを操作できるだけで様々な恩恵を受けているのだけれど。
十倍に増えたらヤメられるな
私は、十年くらい前までとあるビルメンテナンス会社の清掃部門で働いていて、そのある全国展開するビジネスホテルチェーンがそのビルメンテナンス会社のある地域で運営する3店舗くらいのビジネスホテルと業務委託契約を元請けを通じて請け負っていて、その担当をしていた。
主に客室清掃と日常清掃、定期清掃の3つになる。
当然のことながら、ホテルの清掃と言えば客室清掃がメインで、請負金額が余りに安すぎて、客室清掃係のハウスキーパーさんには実質的に最低賃金を下回る賃金しか払えず、部屋数の歩合制という悪しき偽装請負形式でやらざるを得なかった。
やらざるを得ない、とは、当然会社の都合でしかないわけで、犯罪行為であるが、実際のところ、それでも赤字だった。
赤字にしていても、元請けから他の仕事で補填するという考え方で会社の方は請け負っていた。
元請けにしても利益は微々たるもので全く儲かっていない。十店舗くらい請け負ってやっと一人分の給料が出るという程度らしかった。
それくらいそのビジネスホテルのオーナー会社はドケチなのである。
どうしてそんなドケチな仕事を引き受けるのか? それについては少しカラクリがあるのだが、その話はややこしいのでしない。
だから担当者の私は、そんな安い給料で働いてくれるパート(パートとは言えないが)を確保するのにめちゃくちゃ大変だった。
そのホテルで働くのが好きな人や、働く仲間が好きな人、時間の都合が合う人、そして他でもあまり雇ってくれそうにない人などが中心になる。
当然どの業界でもそうだが、私自身もしょっちゅう人手不足を補わざるを得なくなる。
ただ、そのホテルは支配人を業務委託契約で雇っていて、その支配人の方がもっと酷くて、住み込みで24時間365日(うるう年なら366日)×数年間、基本的にはほぼホテルにい続けなければならない(完全にい続けなければならないわけではないが実質的にはそうだった)。
数十室から百室を超える場合もあるのだけど、基本、それを夫婦二人で見なければならず、それでは当然賄えないので、自分たちの報酬からアルバイト雇用経費を支払わなければならなくなる。
でも、金銭的にはどうしてもそこを抑えないと、自分たちの取り分が余りに雀の涙になってしまうので、支配人が受け持つ仕事はかなり多くなる。
稼働率によるインセンティブがあったかどうかまでは知らない。でもそんなの入れても、吃驚するくらい安いのは確か。賃金計算したら最賃を遥かに下回るだろう。
ここまで話すと、ひえーひでぇブラックだな、と思われるだろうが、しかし待遇を除けば、実はそうでもない部分がある。
このホテルチェーン、地域や場所にも依るとは思うけど、その支配人にピタッと嵌ると、楽勝らしい。
担当者をやっていた数年間で四人ほどの支配人と会ったが、うち二人はいつも上機嫌で、そのうち一人はほんとに「全然楽勝っす」と言っていた。
要は要領がいいのだろうけど、担当者の私がいつそのホテルに行ってもその支配人、昼間は寝ていたし、起きて出てくる時はステテコ姿が多かった。
さてそんなホテルだけど、どこのホテルチェーンかは私は絶対に言わないが、温泉付きになっているところがある。
温泉と言っても、温泉水をどっかから買ってそれを循環させている形式になっている。
レジオネラ菌が保健所の検査で検出されてしまうと業務停止を喰らう。
だからどこの温浴施設でもいろいろな方法で殺菌処理をしている。
で、私が担当したあるホテルの温泉、ここでは薬中ポンプと言って、温泉水にここから塩素成分を付加してレジオネラ菌を発生させない仕組みになっていた。
ところが。
私は、当時まだ新人で、そんなのあるなんて全く誰にも教わっていなかった。これ自体が酷いのだけど、ある日、そのホテルの支配人から激怒して会社に電話が掛かってきた。
「保健所にレジオネラ菌が検出されたと言われたぞ!どうなってるんだ?」
である。
薬中ポンプだけでは防げない場合がある。循環経路の何処かで異常発生しているかも知れないからだ。だから普通、一定規模以上の温浴施設では必ず毎週一回は、高濃度次亜塩素酸ナトリウム溶液を投入して、温泉水を循環させ殺菌消毒後、湯抜きをする。
そこはそんな規模ではなかったので、条例適用外だったが、薬中ポンプは必須だった。
この薬中ポンプが数年間に渡り、全く動作していなかったのである。俺はそんなの知らんし。
一体何故そんな事になったのか。
支配人も知らない。
薬中ポンプがあるのを知っていたのは、私の会社のもう一つの別の部門であった設備系である。でも、設備には責任はない。定期メンテナンスをしているだけだったから。
で、その私の会社の社長、大慌てで次亜塩素酸ナトリウム溶液のポリタンクを担いでそのホテルに馳せ参じ、会社社長の跡取り息子と二人、循環に依る殺菌消毒に取り掛かったのである。
理屈は知っていてもやり方なんか知らんド素人の社長、必要量の何十倍か知らんけど、大量投入したもんだから、お風呂はシャボン玉発生機と化した。だって、ジェットも回してるんだから。
「おい!水入れろ!水だ水!泡を消せ!」との社長の怒号が飛ぶ。
息子は大慌てで、ホースを繋いでお風呂に水投入……したらしい。息子から聞いたんだよ、この傑作話。
ともかく一旦はそれで落ち着いた。
原因究明すると、過去に誰かが、薬中ポンプの管理が面倒で、お風呂を洗っているアルバイトにやらせようとしたら、うまく機器が扱えなかったらしい。
そこで、その薬中ポンプに投入する専用薬剤を、温泉タンクに定期的に一定量投入するという独自の方法になっていたのだった。
誰やねん、そんなアホなことしたのは。それは分からずじまい。
ともあれ、これでは循環経路の温泉水に対しては何の役にも立たない。
で、まだ後日談がある。
その会社のバカ社長、じゃー取り敢えず、一週間に一回はしなくていいけど、一ヶ月に一回だけ循環消毒しましょかと、激安の仕事にしやがった。確か一回2万円。
それはまだいい。だけど、ド素人なものだから、適正な塩素濃度を知らない。
何処で調べたのか知らないが、今度は激薄を指示して私に教えた。おそらく自分がやった泡発生事件が怖かったのだろう。
で、激薄すぎて、その一年後、またレジオネラ菌を出したのである。で、その仕事はなくなった。
言い訳してたなー、そのバカ社長、「レジオネラ菌は外から持ってくる温泉水に入ってるんだよなぁ、防げない時は防げないよなぁ」なんだって。
で何が言いたいかと言うと、温浴施設では当たり前のレジオネラ菌という重大な問題すらも、支配人が知らないという杜撰なことをやっているというのがそのホテルチェーンの実態だ、ということ。
こっちはその管理責任の契約すらないんだよ。上の時もたまたま慌てて対応に乗り出しただけ。
あそこは見た目は綺麗かもしれないけど実態はそういうホテルなんだよ。少なくとも私の知っている十年くらい前まではね。何処とは言わんけど。
ということを最近とみに感じるようになった。
少なくとも、本当に最初に成人向けコンテンツに触れたあたりでは
まだそこまでこじれた性的指向はなかったと思う。
当時から触手やオークに女の子が襲われるシチュエーションは好きだったけど、
でも基本的にモンスターであまり意思がないので、単純にぬるぬるしてて
割と女の子も(手段はどうあれ)気持ちよさそうになるやつが好きだった。
けど歳を重ねるにつれて、どうやら自分は社会の底辺なんだということに
薄々気が付きはじめた。何をしてもどんくさくて笑われるし疎外される。
みんな愛想笑いしてるが、本心ではこんなゴミと一緒に居たくないと思ってるのだろうなと
そういうことがようやくわかるようになったあたりで、
攻め役が人権を剥奪して罵倒し暴行まがいの行為をする話に興奮するようになった。
あれこれ作中で顔なし主人公が褒めそやされてもまったく感情移入できない。
たんなるフィクションだとはっきりわかる。
ラブラブなイケメンと美女がエッチしてるのはそれはそれでいいなと感じられるし、
ある程度は興奮もする。まあ普通に絵がよければヌける。
でも罵倒されて豚以下の扱いになる話の方が十倍くらい興奮する。
肯定された気分になるのだ。人間捨てて獣みたいに這いつくばって
喋んな動物らしく鳴いてろみたいな話も、
もう一生懸命考えて口に出した言葉でみんなが変な空気になることもないと思えば
嘲笑はされるけど、それは頑張った結果嘲笑されてるわけじゃない。
そのままバカをやってバカだと笑われるだけだ。裏切りはそこにない。
頑張れやればできるなんてまったく思ってもいない言葉を吐かれて
結果できないやつだと笑われるよりよほど単純明快、わかりやすくていい。
周りは何も求めてない。クズがみじめに踊ってれば笑える。それで十分だ。
もちろん、実際にそういう行為をやりたいわけではないし、
当たり前だが痴漢も拉致監禁強姦も違法薬物も全部犯罪だしやる奴が100%悪い。
うんこしか食えなくてもケツからアルコール注がれても死なないしね。
頑張れ前向きに生きろ努力して偉くなれなんて誰も言わない。
増田でコロナはインフルエンザと大体同じだから恐れる必要はない、というデマが流れている。いちいち個別に否定するのに疲れたので、ここに事実をのせる。
ドイツの都市の調査によると、コロナウイルスの死亡率は、ロックダウンがなされたにもかかわらず、インフルエンザの数十倍になっている。同じ死亡率を仮定すると、日本では一月で4万8千人が死ぬことになる。
https://www.cdc.gov/nchs/fastats/flu.htm
日本では年に1万人死んでいるから、人口の0.01%。米国と桁が違うのは、日本では肺炎での死者など、インフルエンザ関連の死者を1万人の中に含めているから。一か月あたりの死亡率は0.0007%になる。
https://blogs.itmedia.co.jp/mohno/2020/03/post_9918.html
ドイツのロックダウンが遅れた街で死亡率の調査がなされている。
The mortality based on the total population in Gangelt currently amounts to 0.06%
調査期間は一か月半程度なので、一か月あたりで比較すると、死亡率はインフルエンザの約50倍になる。
経済のために緊急事態を解除すべきかという議論があるが、コロナの感染を止めずに、経済を通常運航状態に戻すなんていう選択肢はそもそも存在しないと考えている。緊急事態を解除した後の死亡率を最大限ポジティブに想定して、外出禁止が遅れたドイツの都市と同程度だと想定したとしても、数か月にわたって一日1500人程度の人が死ぬことになる。入院を必要とする重症患者は、死亡者数の10倍、一日に1万5000人発生する。全国の感染症指定病床数が1800床なのに、どうやって対応するのか。特効薬がない感染症の患者であふれる医療機関では、医療崩壊は手が付けられない状態になっているだろう。火葬場も混雑しているだろう。
そんな状況を連日ニュースで見てる人々が、満員電車に乗って仕事に行ったり、観光地に行ったり、楽しくショッピングするなんて、ありえない。
もちろん、BCGが効くとか、アジア型はヨーロッパ型より致死率が低いとか、靴を脱ぐから清潔だ、とか、確認が取れてない情報に頼るんだったら話は別だ。私は自分と家族の命をそんな情報にかけたくないが、日本人がそういう選択するのなら仕方ない。
LAではドイツより一けた低い死亡率が報告されている。ただ、カリフォルニアで罰則を伴う外出禁止令が出たのは、死者19人の時。日本よりかなり早い。おまけに厳しい。LAでは失業率が50%になってる。
中国や韓国でわかるとおり、厳しいロックダウンを二か月くらい続ければほぼコロナを駆逐できる。LAの調査も、コロナの危険性が低いことを示した、というより、早めの強力なロックダウンで死亡率を抑えた例としてみるべきだと思う。
https://yashio.hatenablog.com/entry/20200407/1586270571
僕も文才がないなりに言葉を尽くしてみよう.
四月いっぱい,四割程度の日数で在宅勤務を始めることになった.本店ほど割合が高くないのは製造が関わる業務のつらいところだ.
部員は管理職から信用されていない.だから毎日進捗を確認されるし,業務遂行できていないと管理職に判断されたら,在宅勤務が終了する可能性がある.業務を回せると説得してどうにか在宅勤務を承認していただくのだ.まず出勤をやめてから業務を調整するのではない.そして,進捗を守るためなら,従業員の命を守るためのはずの在宅勤務を取りやめると言う.再スケジュールは話題にすらあがらない.僕だけじゃなく,職場全体の士気が下がっているように感じる.
やってられない,というのが正直な思いだ.
しかし,これはあくまでいち社員の身勝手な意見に過ぎない.管理職には僕に見えないものがたくさん見える.何十倍の利害関係者を抱えている.管理職を無能だと罵ってみたところで,それは僕らの無能さを管理職に押し付けて無理難題を言っているだけに過ぎないのかもしれない.管理職の仕事は,業務をどうにかして終わらせることだ.業務が止まるということは許容されない.
これは悪意を持った想像だけど,彼らにとって従業員の命を守るという選択肢から得られる報酬は,大きくないのだろう.たしかに,人命が失われたならば,再発防止のためのペーパーワークに忙殺されることにはなるだろう.だがそれは,自らの判断でプロジェクトが失敗した際に負わなければならない責任ほど重いものだろうか.
なんにせよ,ほどほどに在宅勤務を取り入れつつ,業務を継続するという選択がなされた,この事実は変わらない.チップは「COVID-19の与える被害は大きくならない」・「顧客の計画は変化せず,需要はすぐ回復する」・「従業員がCOVID-19に罹ることはない」にベットされた.
ここで一つ明確にしなければならない.ベットしたのは会社の側だけではない.僕もそうだ.僕が自己保身をはかりたいのと同様に,会社は存続や利益を追及したい.この意味で,僕たちは対等だ.僕と会社とは,労働と給与を交換する対等な契約をしている.僕もまた,契約を破棄すること,退職することで,自分の身を守る選択をすることができる.
でも,僕はそうしなかったよね?
それはつまり,COVID-19に罹るリスクを考慮しても,このまま正規雇用という既得権益の甘い汁を吸い続ける方が,得られるものが大きいと判断した結果に他ならない.実際に,非正規雇用のようにすぐにクビを切られるということにはなっていない.逆にGAFA勤務みたいな人だったら,引く手数多,多くの選択肢があったのだろう.でも僕はそうじゃない.平均未満のしょぼい一般社員だ.これから先の不景気に生きていくためには,今の仕事にしがみつくしかない.
つまり現状は,利益を最大化するべくお互いに合理的な選択肢を取った結果なのだ.
つくづく,救いがない.こうして僕は,もしかしたら会社も,自らの愚かさによって,淘汰されていくのだろう.でもきっと,これは誰かにとっての希望なのだ.既得権益を打破し,虐げられてきた人々がのし上がるチャンスなのだ.
そうとでも思わなければ,心が折れてしまう.
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20200407/k00/00m/040/269000c
98%行動抑制の根拠となる数値解析の手順は以下のページに示されている
(再現性を重視する科学的態度として,大いに評価できると個人的には思う)
https://www.fttsus.jp/covinfo/pref-simulation/
使用されているのは遅れ付確率的SIRモデルで,システムの時間発展は確率微分方程式を使って書かれている.