はてなキーワード: 世襲とは
きれいな政治が景気や生活をよくするわけじゃないし、正しい民主主義って精神論みたいなところある
清貧なんてごめんだよ
今、自公政権は本来なら左翼がやるべきだった政策(働き方改革、子育て、教育改革、人材育成など)も手をつけてるわけで、
結果、野党は清廉潔白であることでしか勝負をしかけられなくなってる
なぜ野党は、この期に及んでも、なぜ政治の透明化、情報公開を政策として打ち出せないのか?
特定機密以外の政治資金の使途、議事録、一円からの寄付の公開、金集めのパーティの禁止、世襲や金のかかる選挙の改善という
自民党には出来ないことで勝負をかけるチャンスなのに、そこには手をつけられない
腐敗していても、メリットがある方を選ぶ人はけっこういるだろうから
希望の党はイメージ重視で無党派層を呼び込めるのかもしれないが、政治スタンスは自民党とたいして変わらない
選挙後に連立だってありえる。小池ちゃんは総理になりたいのだから、それが近道だ
難しい選挙だなあ
俺としては、福祉重視で産業構造を作り変え、金の流れを変えて、新しい景気対策を打ち出すとかやってもいいんじゃないのと思ってるし
安倍首相が、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と憲法記念日のビデオメッセージで発言したことが、改憲論議を活発化させている。
安倍首相が改憲の焦点として挙げているのは第九条だ。また、第九十六条を改正して改正発議要件を緩和すべきという議論もある。しかし、第二条をめぐっては、天皇の退位の問題に関連して言及されることはあっても、改正すべきという議論は聞こえてこない。しかし、第二条ほど改正を必要とする条項は他にないのではないだろうか。
問題は、皇位を世襲のものとしている点だ。世襲制度の採用が合理的か否かはケースバイケースだが、現行の天皇制が世襲制度を維持することに、果たしてどんな利点があるのだろうか。むしろ弊害のほうが大きいのではないか。
本稿は、皇位の世襲制度は廃止すべきであるという立場から、この問題を論ずる。
日本国憲法第二条が定めている皇位の世襲制度には、次の二つの点で瑕疵がある。
以下、詳論する。
ワタミフードサービス、電通、ゼリア新薬、ベネッセコーポレーション、LDHのような、長時間労働の強要、洗脳、退職勧奨、暴力行為といった、社員に対する人権侵害が常態化している企業は、「ブラック企業」と称される。企業の社員とは言えないが、天皇が置かれている境遇もまた、あたかもブラック企業の社員のごとく、人権侵害が甚だしい。
天皇に対する最大の人権侵害は、職務の過酷さだ。天皇の職務が過酷だと思わない者は、所功『天皇の「まつりごと」』を読むとよい。そうすれば、天皇の仕事量がいかに膨大であるか理解できるだろう。
信教の自由を奪われていることも、天皇に対する人権侵害の一つだ。天皇が信仰を許される唯一の宗教は神道だ。明治維新までは仏教の信仰も許されていたが、それ以降、天皇が仏教に帰依することは暗黙のタブーとなっている。
天皇の職務の過酷さも、信教の自由の侵害も、その原因は世襲制度だ。天皇の職務が過酷であるのは、天皇という一人の人間に二人分の職務が課せられているからだ。すなわち、国家の機関としての天皇が果たすべき職務と、祭祀王としての天皇が果たすべき職務は、それぞれが一人分の仕事量に相当する。天皇が信教の自由を侵害されているのも、天皇が祭祀王を兼任しているからだ。
皇位の世襲制度を廃止するということは、国家の機関としての天皇と、祭祀王としての天皇との分離を意味する(後者の呼称は「天皇」以外のものに改称されることが望ましい)。天皇が二名に分離すれば、職務の過酷さの問題も、信教の自由の問題も解決する。新たな制度における国家の機関としての天皇は、宮中祭祀の重責から解放され、信教の自由も獲得するだろう。
余談だが、現行の天皇制において人権を侵害されるのは、皇嗣として生まれてきた者のみに留まらない。その者の配偶者もまた同様だ。
皇嗣の配偶者になることは自身の自由を放棄することだ。誰が喜んでそんなことをするだろう。雅子さまも、本人の意思によって浩宮さまと結婚されたわけではない。Newsweek誌は雅子さまをThe Reluctant Princess(不承不承のプリンセス)と呼んだが、この言葉は彼女の身の上に何が起こったかを的確に表現するものだ。来る悠仁さまのお后選びでは、このような悲劇が繰り返されないことを願いたい。
子供は親のクローンではない。ゆえに、鳶が鷹を生むこともあれば、逆に鷹が鳶を生むこともある。世襲制度を厳格に運用した場合、もしも生まれてきた者が鳶ならば、鳶が何らかの地位を継承することになるが、これは悲劇を生む蓋然性が高い。
次のような事例がある。
https://twitter.com/osakadenshi/status/863981952474300416
ウィキペディアによれば、この学校がこれまでに輩出した卒業生の数は3万人だそうだ。しかし、現状がこれだとすると、4万人に到達する日は永遠に来ないだろう。
この学校が急激に衰退した原因は、世襲制度だ。生まれてきた者が鷹ではなく鳶だった場合は、どこかから鷹を連れて来て禅譲すべきだった。世襲制度に拘泥した結果がこの悲劇だ。
現行の天皇制もまた、鳶が皇位に即く危険性と無縁ではない。皇位の世襲制度に固執し続けるならば、日本はいつか、鳶が天皇に即位する日を迎えるだろう。天皇が庶民の前に姿を見せる必要がなかった時代においては、鳶であろうと雀であろうと問題はなかったかもしれないが、象徴天皇制における天皇が鳶に務まるかどうかは心もとない。
皇位の世襲制度を廃止すべきという主張に対して、おそらく保守派の人々は、「万世一系の血統」乃至「皇室の伝統」というような議論を持ち出すだろう。しかし、国家の制度において血統や伝統を維持することにはいかなる合理的な必要性もない。さらに、皇室の伝統には宮中祭祀という宗教的活動が含まれているが、これは憲法第二十条に規定される政教分離に抵触しているおそれがある。
おそらく日本の国民の大多数は、皇室が保有している血統や伝統にはいかなる価値もないという主張には賛同しないだろう。ゆえに、それを維持すべきであるという主張にも一定の合理性がある。しかし、何らかの組織が血統や伝統を維持するために、それが国家の機関であることを必要とするだろうか。血統や伝統を維持している民間の組織は枚挙に遑がない。
「皇位の世襲制度を廃止するということは、国家の機関としての天皇と、祭祀王としての天皇との分離を意味する」と上で述べたが、それらが分離されたとき、それと同時に皇室は民営化されるべきだ。そうすれば、憲法第二十条に抵触することなく宮中祭祀を維持することができる。
本稿の目的は、皇位の世襲制度は廃止すべきだと主張することであり、それに代わる制度について述べることは本稿の目的ではない。しかし、世襲制度に代わる制度について、付論として筆者の見解を述べておきたい。
世襲制度に代わる制度としては、公選制度が望ましいとする意見が出されることが予想される。しかし筆者は、皇位の公選制度には反対だ。その理由は、天皇の人選には反知性主義的な見解が反映されるべきではないと考えるからだ。天皇は、今上陛下がそうであるごとく、正しい歴史認識を持つ者でなければならないが、公選制度によって選出された天皇がその条件を満たすとは考え難い。
世襲制度に代わる制度を設計する上で参考となるのは、元号の選定の制度だ。なぜなら、元号の選定もまた、反知性主義的な見解を避けなければならない制度の一つだからだ。元号は、漢文学や国文学関連の有識者が候補を考案することになっていて、決して一般公募ではない。しかし、これに対する異論は寡聞にして知らない。大多数の国民はDQN元号やキラキラ元号を望んでいないからだろう。
10年くらい前にSMシリーズをかじった程度の本読みだが、最近Vシリーズの「黒猫の三角」を読み、合わせて解説サイトも覗いてみたら、VシリーズはSMの犀川の母ちゃんが主人公のお話だと知った。
なんだよ、ミステリ小説でも主人公は血統かよ。と、一気にS&Mシリーズの世界観のスケールがオレの中で小さくなった。
こういうキャラクターが、特に主人公が血統とか血筋で箔を押されちゃうと、政治家の世襲の話みたいに他人の入り込む余地がなくて腐すしかなくなっちゃうよね。
「歴代総理は家系図たどるとみんな親戚」みたいな話で、世界を一部の身内だけで回してるように感じられる。
まあ下層民読者でも何かしら親から継いだもの・子に継がせるものがあるにしろ、やっぱり主人公レベルの血統との差は歴然なわけで。
政治家に限らず、そういう人もチーム?政党もありえない。人は漫画のキャラクターじゃないから。影響力のある政治家は世襲であることも多いし、スポーツ、芸能で知名度があるだけの人も結構いるのはご存知の通り。民主主義ではそういう人が選ばれるものなんだよ。インテリでありかつ高貴である層が一番イメージに近いけど、そうなると貴族階級でも作んなきゃいけない。
ただ、実際卓越した政治家として名を馳せてる人ってそういうイメージの人じゃなかったりする。アメリカでは三流俳優のレーガンが一番優秀な政治家だったと評価されてる。逆に、ロシアでは頭が良く人格者で宗教的な立場もありかつ愛妻家と完璧超人を思わせるニコライ2世だったかは、国を滅ぼした為政者だった。
俺の母方の祖父は昭和の初めに、群馬のド田舎から出てきて、まったくの素人なのに工場を立ち上げ100人規模の、町工場としては大規模な会社に育てた立志伝中の人だった
そのことは小さいころ一緒に住んでいたこともあり聞いていて尊敬していたのだが
祖父は観光地の氷屋を営んでいて紫綬褒章をもらったということしか知らず、なぜ氷屋が紫綬褒章をもらえるのかわからなかったのだが
実はもともと江戸時代に庄屋をやっていた家で曽祖父は村の助役まで務めた人だった、当時は世襲にちかい役職だったので地方役人の道を歩む予定だったが、曽祖父の弟が急に亡くなってその人がやっていた氷屋を継がなければならなくなったのだ
この辺が現代の感覚だと全く分かりにくいが昭和初期はそういうものだったらしい
全くやる気がない祖父はそれを人任せにして庭いじりと消防団に熱中した、つまりニートだ
戦後、その任せていた人が転職してしまったのでいやいや自分が氷屋をやることになった
家の隣にあった(他の人がやっている)氷製造所から氷を買って冷蔵庫に入れておく、注文があったらその氷を切り出して配達する
基本これだけなのだ
そしてこの仕事は夏しかないため冬は庭いじりと消防団に熱中できるわけだ
恐ろしいことにこの仕事だけで家族7人を養いそのうち子供三人を大学までいれたのだ
そして消防団に熱中したためその功績で紫綬褒章を受けたというわけだ
今でいえば半ニートが受勲したということだ
この話を父から聞いて、当時は何と楽な社会だったのだろうと思った。祖父は現在生きていれば110歳くらいなので今の老人の世代とも違うが、こういう社会は二度と来ないのだろうな
http://anond.hatelabo.jp/20170425210458
一番エグいと思ったのは、男子の後継者がいないので養子をとって寺の娘と結婚させ、子供が生まれてしばらくしたら離婚して養子を追い出して、住職から孫に継がせるという話。
誰が聞いてもエグすぎると思うんだけど、こんなことは実際に横行しているし、寺だけでなく教団の要職なんかもデカい寺の世襲坊主で寡占している現状もある。
後継者がいない場合は親戚寺院の子弟とかで補充するのでそこらじゅう親戚だらけ。議会議員は会派や政策関係なく、親戚の多い人が当選する。
教団職員は宗門大学のゼミ閥&世襲の寺の子弟で占められるので、息が詰まりそうなほど集団の同質性が強く、パワハラが横行。うつ病で休職する人が後を絶たない。
この外から人を入れる努力を全くしないで、世襲と血縁でギトギトに利権を分配している組織が、「差別をなくそう」とかキラキラした目をして社会運動しているわけです。笑っちゃいますよね。ワタクシには全く理解できません。なんだか頭がクラクラしますよ。
http://www.sankei.com/west/news/170426/wst1704260015-n1.html
うちの宗派の話じゃないけど、まあどこも似たり寄ったりです。
で、じゃあ、世襲が全くダメなのかというと、そうとも言えないような現状もある。
お寺に入りたいみたいな人は確かにいます。でもね、そういう人って結構お寺を選ぶんですよ。田舎の食っていけないようなお寺に入る人なんてめったにいません。というか、紹介しても断られる。まあそりゃ、食べていけない職業に自らつく人なんていませんわな。
一方、世襲の人はお寺を選ぶなんて出来ない。貧乏寺だろうと田舎だろうとそこに生まれた自分の運命を引き受けて、なんとか他に仕事を見つけて兼業で頑張ってる訳です。実際の所日本の仏教ってそういう人たちが支えています。月曜日から金曜日まで働いて、土日で法事をこなして、お寺の行事のときは会社を休んで、会社員住職は自分のボーナスや退職金を寺の普請につぎ込んだりする。頭が下がります。
確かに坊さんらしくはないかもしれないけど、人の中に入って人と同じように働いて教えを残している人たちで、そういう所に「寺生まれじゃないけど、お寺をやりたいんです」とキラキラした人が入ってくるかというと、なかなか入ってこない。
うちの寺もそうなんだけど、日本のお寺の大部分は「食べていけないお寺」なんですよ。そんなの世襲じゃなければ継ぐ人なんておらんよねとは、やっぱり思いますよ。
元記事の増田は、お寺を兼務している人が在家の人に譲らないと言って嘆いていたけど、実際はそうでもないですよ。現状を知ったら尻込みして来ないんですよ。
あ、ちなみに僕は在家出身、つまり寺生まれじゃない僧侶です。だからこの世襲ドロドロの寺社会で相当嫌な思いもしてきたし、今もしてる。まあでもね、経済的には全く得にならん、というか思いっきり自分の人生を縛ってる寺ってものを、それでも代々守ってきたお寺だから、仏教は素晴らしいからって継いで残してきた人は尊敬していますよ。
元増田です。
私は妻帯世襲反対派です。
1:日本の現状として仕方がない
2:日本の戒律は大乗菩薩戒(梵網戒)だから不邪淫戒は不倫をしないということで結婚は大丈夫
3:明治5年の太政官布告「僧侶の妻帯勝手たるべし」に由来する
まず(1)は寺門興隆の為とか何とかいいます(建前)が、それで興隆するのは家門(本音)です。これは「寺=私有財産」と考えられていることに関連している言い訳だと思います。
(2)少し専門的ですが確かに梵網戒(ぼんもうかい)は、不邪淫を説くだけで具体的なことは述べていません(梵網戒は日本仏教の中では最も依拠されているもの)。解釈も時代によって大きく異なっていますが、現代のように「不倫しない」というのは、「なんで僧侶なのに妻帯しているの?」と聞かれる頻度が増した現代的な解釈だと思います。しかし宗団が依拠する経典を読むと「性交渉」そのものを禁止しているので「不倫しない」は現代的に都合のいい解釈かと思います。「経典<解釈」という現状がここで浮かび上がります。
以上のことから、私の意見としては「僧侶として結婚をして子どもを産んで育てて世襲させる根拠はない」です。
余談ですが、必ず引き合いに出されるチベットやタイのお話です。
彼らと接して話をした上で分かった程度の知識です。
それは短い期間でも出家することが親孝行という一面があるからです。
僧侶になったのに還俗するということは、ある意味で棄教とも取れる側面があるので、それはそれで問題かと思います。
厳密に戒律を一生守る僧侶は日本と同様に極めて少ないと言っていいと思います。
また全ての戒を守るわけではなく、多くの戒律の中からの自分の守れそうなものを選択して僧侶になります。
次にチベットですが、戒律復興運動が起きて「根本摂一切有部」という戒律に則っています。
しかし、この戒律復興が問題を引き起こしまして、チベット仏教が誇る「性ヨーガ」が戒律と矛盾する状態に陥りました。
そこで実際の性交渉を避けて「頭の中で性交渉を思い巡らすんだ」という修行法が制定されて、それが現代の主流になっています。
エゴがなければ、宇宙は一体であること、現実世界はひとつであること、つまり一如(真如)の現実が見える
けれども、ヒトは、異常に生存本能が発達することで生き延びてきた異常な動物であるから、殆どの者はエゴが発達しており、現実が見えない。例えば、生き延びるために痛覚などの感覚が心身ともにあり、感覚のあるところを自分の一部だと認識するという、一種のエゴがある。卑近な(身近な)ところほど重視し、敬遠なところは「カンケーない」と思う。そういう卑しく愚かな性質がヒトにはあり、ほぼ全ての者は、この性質を自覚することを得ず、自律して自立することを怠る。よって、この自縄自縛の呪縛から解脱することを得ない
こうしたエゴは、元来は生存に必要であったから得た所謂「進化」であるが、ヒトのエゴは異常であり、すなわち例えば戦争を起こしてでもカネやモノを得ようとし、あまつさえその戦争にわざわざ大義名分まで付けて自己正当化しようとさえする。エゴの権化である
そもそもは為政者、ノブレス、古代ギリシアなどの俗に謂われる「市民」という特権層は、このように己のエゴを相対化し自己客観視をする才能をもつ特別な人々であるはずで、そうでなければならなかった。しかし実際にはそうした本来の姿は忘れ去られ、世襲と腐敗で自らエゴに堕ち、社会構造維持と既得権益保守に汲々とする詰まらない無智愚鈍が支配する人類社会になって久しい
Japanese Person Trading Card Game
第192回・第193回国会パック
このカードがフィールド上に存在する限り、支持率は下がらない。
フィールド魔法 「安倍晋三」が出されている場合のみ発動できる。
政権へのダメージが発生した場合、「問題ない」の一言でダメージを無効化できる。
ナチスの手口を用いる事ができる。
次の選挙までの間、フィールド上に出せる女性国会議員が30議席増える。
高市早苗の還付金
手札が2枚以下の場合のみ発動できる。
装備モンスター所有者は、毎ターンごとに支持率が300ポイント下がる。
この効果は、装備モンスターがゲームから除外されない限り続く。
俺はこの文章を、これからエントリーシートや、OB訪問や、面接に挑む就活生が、一人でも読んでくれればと思って書く。
俺は昨年、とある企業に新卒で入社した。社会人1年目がもうすぐ終わる。
その間に、俺の友人たちは多くが退職し、転職し、また心を病んだ。
それを眺めながら、俺は多くのことを学んだ。それを、少しでも誰かが役立ててくれればいいと思って書く。
君が会社に入社して、働き始める。そこで何か致命的な不都合が起こる。そういうときに君は仕事を辞めるとか、違う仕事を見つけるとか、休職するとか、そういうことになる。
俺の知る、ブラック企業に入社して、転職したやつらは、みんな楽しそうにやっている。それは良いことだ。転職は悪いことではない。
そしてやつらは、「2度目だから、社会人を一瞬でも経験したから、良い仕事に就けた」と言う。それは一理あることだ、というか当然のことだ。
それでも、退職や転職はものすごくパワーと時間を要する。そしてそこに前の職場で過ごした時間をプラス、とんでもなく無駄な時間だ。
(前職を無駄だとは思わない!というような転職の話は今回したい話ではない)
できれば、その会社に1度で入れるにこしたことはない。
これから書くのは、「どんな職場が生きやすいか」ということについて、一年見聞きしてきたことの感想だ。
身も蓋もない話だが、これを知っていたからといって、やばい状況を確実に避けられるというわけではない。
ただ、少しでもリスク回避ができるかもしれないとか、泥沼を泥沼と判断できるのが早くなるかもしれないとかそういう話だ。
家で一人で過ごすのは苦にならないし、あまり喋るのは得意ではない。パリピの対極に存在する。
というわけで、俺は大卒の中でも、どちらかと言えば同類の方のことを考えて話をしようと思う。パリピは頑張って生きて欲しい。君たちは大丈夫だ。
そんな、大勢でわいわい、体育会系のノリにはついていけない、という人間が、就活サイトとにらめっこをしながらどんな条件の場所で働きたいかを考えたとする。
「転職がない」
こういう文句に、君は惹かれるかもしれない。
趣味に時間を使いたい。大企業で大勢の中に溶け込むのはしんどい。体育会系の上下関係は苦手。できれば同じところでずっと働けた方が楽。それはその通りだ。
「この条件さえ揃っていれば、どんな仕事でも暮らしていけるだろう。私の生きがいは趣味にあるから、仕事人間になる気はないし」
そういうふうに考える人もいるだろう。
まず1つめの「土日祝休み、残業なし」。そもそもこれはけっこうな会社が条件に挙げている。しかし、本当にこれが徹底されている企業は多くはないと俺は思う。
「残業めっちゃあります!土日も仕事してもらうぜ!」と看板にかかげる会社は普通ない。(ぼかしてそう書くところはある)
職種によるところはあっても、完璧に条件通り、ということはないと思っていたほうがいい。
1つめの砦は早々に崩れるものだと思おう。そんな時、「それさえあれば、あとはなんとかなる」という発想で仕事を選んだ者は簡単に折れる。
二兎を追えないからと一兎を追おうとしたのに、その一兎すら捕まえられないのだ。
君がそのために生きようとしていた趣味は、もはや君を支えてくれるかどうかも危うい。
これは間違いなく危険だ。気をつけたほうがいい。
君は同じ職場の人とうまく人間関係を築けるだろうか。うまくいけば何の問題もない。
これは別に周囲の全員と、という話ではない。
1人、どうしてもうまくいかない人がいたとしよう。または、君をめちゃくちゃにいじめてくる先輩がいたとしよう。
前述したような場所で、誰かに相談をするのはそう簡単ではない。
上司がひどいことをしてくるなら、別の部署の上司でもいい、とりあえずたくさんいる同期にでもいい、どこかしらに逃げ場がある。
また、序列がはっきりしているなら、先輩がヤバイ人ならもっと偉い人に、もっと偉い人がヤバイなら同じランクの偉い人に、など、相談先の道ができる。
「小規模でアットホーム」な職場と言われて、極端に言えば銀魂の万事屋みたいなのを想像する、これが悲劇の始まりなのだ。
そういう場所がないわけではないと思うが、まず新卒では入れないだろう。
大きい会社の場合、何か問題を抱えた人間がいると、一旦別の部署へ異動させたり、本人や問題の人物を支社へとばしたりする。
そういう選択肢が、選べないということだ。
仕事内容ならなんとか対応できても、人間関係などに病巣があると、やめるか続けるか、0か1か、みたいなことになる。
たぶん、これらのことを忘れがちになるのは、俺たちがその人生のほとんどを学校で過ごしてきているからだと思う。
隣の席の人とうまくいかない、それでも半年もすれば席替えがあるだろう。
クラスでちょっとなじめなかった、1年待てばクラスは変わるだろう。
別に仲良くする必要なんてない。やることだけやってれば文句はないだろう。
本当にそれをあと30年以上続けられると思っているのか?
こんな後ろ向きの話をするのもどうかと思うが、逃げ道というものを考えて、就職活動をしてもらいたい。
とは言っても、なかなかに難しい。入ってみないとわからないことも多いし、別に前述したような企業が悪いわけでもない。
ただ言えるのは
「これさえあればいいから」
今のこの日本では、人生の多くの時間を仕事をして過ごす事になる。
それを、ただ金がもらえさえすれば(しかももらえないかもしれないのがこの時代だ)という気分だけで過ごすのはあまりにもったいない。
考えろ、サボるな、欲張れ。
「金」「やりがい」「得意分野」「人間関係」「休暇」「仕事量」「社会的ステ」
保険をできるかぎり多く持て。万が一どっかが欠けても、とりあえずいきなり心を折らないだけの支えを持て。
俺が言いたいのは理想論かもしれない。
けれど、頭のどこかに置いておいてくれたら嬉しい。
来年の俺が同じことを言えるか、それはまだわからない。けれど、自分自身のための保険として、こう言いたい。
良い結果が出ることを祈っている。
PS.ついでなので、そこそこ元気に社会人してる俺が、どういう点で生き延びられているかを簡単に書いておく。参考になるかはわからない。
・前述したような逃げ場がある会社だということ
実際に別の場所でしんどい目にあって、異動して別の仕事を楽しそうにしている人を見ると、まぁ生きてはいけるかなという気がしてくる。この余裕はでかい。
・上司が強い
社長が世襲じゃない感じの、そこそこのサイズの会社なので、偉い人はそこそこすごい人。当たり前のようだけれど、案外人の話を聞くとそうでもないのだ。
護廷十三隊を想像して欲しい。偉い人はなんとなく偉いのではなく、間違いなく強いのである。それを時々見て、うおお!卍解だ!強ぇえ!ってなるのはテンションがあがる。
ついでにちょっと他の部分で難があっても、まぁでもこの人卍解使えるしな……ってなるのでこころが穏やかになる。
クッソ疲れて帰ってきても部屋が寒いし夕飯もない。それはつらいかもしれない。しかし、自由だ。俺が稼いだ金は俺のものなのだ。俺が捻出した時間は俺のものなのだ。
というか正直、家族関係に仕事で磨り減ったなけなしの精神強度を更に持って行かれている社会人をよく見る。そこそこの年齢の大人が狭いところに集まっていたら問題がおこるのは当然のことだぞ。家を出ろ家を。
以上。幸運を祈る。
安倍以来、激鬱で生活行動すらまともにやれていないので、ましてや書くことも辛くて、思考はいくらでも自動的に出てくるのだが書けないという日々が続いている。だから、論理的にちゃんとしたことを書く気力がないので、跳躍的に短絡に書く。
近年の現象は、既得権益者の逆ギレと、社会の既成構造に馴れ合う人々のパラサイトで生まれている。そうやって、プーチンも安倍もトランプも生み出されている。
自然界の多くは、普段は役に立たない日和見でできている。人体の細胞のかなりの割合は、役に立っていない。人体に棲む細菌の大多数は日和見菌であり、「勝ち馬に乗ろう」とする。生きていくためには多少のことは辛抱するというそこそこ恵まれた人間が、人数としては多い。こいつらは日和見である。
残念ながら、弱くて卑怯な奴は日和見をするし、組織の論理で行動する。自分の命が惜しかったり、部下や親類や友人のしがらみの社会では、日和見で行動する。本当に正しく善い人でいるためには、ときには人間関係を絶たねばならない。だから、友達(笑)である。妻や恋愛や友情なんかでは、保身のエゴイスティックな行動を取るという生存欲求という意味で強くなれるだけであり、そこには正も善もない。あるのは、人間社会の利己主義に基づいた正義だ。そういう意味で「強い」のであって、正しいかどうかは別の問題だ。
既得権益者は、贅沢な地位を民主党政権時代に抑制され、被害妄想に陥った。恵まれた身分を奪われたら、「差別されている」とすら思い違いもする。もはやコントか漫才かのような笑い話だが、困ったことにフィクションではないから困る(笑)。例えば、このオッサン社会なのに、男が差別されるようになったとすら思い込んでいたりする(笑)。所得があって恵まれているのに、俺のカネを無駄遣いするなと言って税金をケチらせようとし、社会保障費は貧困者に負担させようとする。
ちょ、おま(笑 である。面倒くさいからその一言だけでもいいと思う(笑)
けど実害が甚大だから困る。物凄く困る
社会の既成構造、政体があって、そのなかで権力・権利をもっている階級身分っていうのが未だにある。封建。カースト制のようなものだ。そうして、そのカーストに基づいて人生を過ごしている人間には、その身分に基づいて生きたがるのも居る。沢山居る。世襲の政治家のイエというのは贅沢な身分でもあるが、ときには針のむしろであり、人生の牢獄である。けれどもおそらくは多くの人から羨ましがられている。
同様に人生の牢獄だが羨ましがられるとは限らないものに、夫にパラサイトする女という「孟母三遷」的な封建的人生をえらびたがる人々がある。男尊女卑で差別されているのは明白なのにもかかわらず、男にパラサイトして人生を終えたがる人というのは残念ながらかなり多い。そして実際、ひとりのちからではこの社会構造を変えることはおよそ不可能にみえるし、異論の声を上げるだけでも既成社会で生きていくにはデメリットでもあり、そしてついには、既成社会に適応して疑うどころか心底賛同するという社会適格者化すら起こる。
残念ながら、とにかく実際、女に生まれたら、結婚しないで生きていくのは困難な社会であろう。
男が外でカネ稼いで、女がそのサポートをするという、そういう武家社会かなんかの慣習が拡大再生産され相続されて、今に至っていて、未だにある。
「保守」というのは、「古来を守っている」のではない。決して、ない。単に、既成構造を死守しているということ。奴らの言う「古来」は、既成事実と封建制度。この封建制度ってのも、たかだか中近世のもので、古くはない。古来の古代のものではない。ときに儒教封建であったり。カトリック教会封建であったりするかもしれないが、そういうカースト的社会構造。そして、そうした構造の奴隷にわざわざなりたがる人はかなり多いってこと。たとえば、解放をいやがる奴隷だって沢山いたくらいだし。おそらく今でもインドに行けば、客が自らセルフサービスでやったら、俺の仕事奪ってくれるなと言うカーストの下層者が残っているだろうと思う。