2017-04-21

覚り(さとり)

エゴがなければ、宇宙は一体であること、現実世界ひとつであること、つまり一如(真如)の現実が見える

けれども、ヒトは、異常に生存本能が発達することで生き延びてきた異常な動物であるから殆どの者はエゴが発達しており、現実が見えない。例えば、生き延びるために痛覚などの感覚が心身ともにあり、感覚のあるところを自分の一部だと認識するという、一種エゴがある。卑近な(身近な)ところほど重視し、敬遠なところは「カンケーない」と思う。そういう卑しく愚かな性質がヒトにはあり、ほぼ全ての者は、この性質自覚することを得ず、自律して自立することを怠る。よって、この自縄自縛呪縛から解脱することを得ない

こうしたエゴは、元来は生存必要であったから得た所謂進化であるが、ヒトのエゴは異常であり、すなわち例えば戦争を起こしてでもカネやモノを得ようとし、あまつさえその戦争にわざわざ大義名分まで付けて自己正当化しようとさえする。エゴ権化である

そもそもは為政者ノブレス古代ギリシアなどの俗に謂われる「市民」という特権層は、このように己のエゴを相対化し自己客観視をする才能をもつ特別な人々であるはずで、そうでなければならなかった。しかし実際にはそうした本来の姿は忘れ去られ、世襲と腐敗で自らエゴに堕ち、社会構造維持と既得権益保守に汲々とする詰まらない無智愚鈍支配する人類社会になって久しい

現実が見えず自然法則に反する、つまり滅法の世で、もはやこの疾患は治らないのだろうな、と思っている

  • こんなわかりきったことを書いてタイトルが覚りとか頭痛いんだけど。 保存欲求のことを語るなら、生物学的見地、哲学的見地、仏教的見地全部から洗っていただかないと。 デカルトと...

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