エゴがなければ、宇宙は一体であること、現実世界はひとつであること、つまり一如(真如)の現実が見える
けれども、ヒトは、異常に生存本能が発達することで生き延びてきた異常な動物であるから、殆どの者はエゴが発達しており、現実が見えない。例えば、生き延びるために痛覚などの感覚が心身ともにあり、感覚のあるところを自分の一部だと認識するという、一種のエゴがある。卑近な(身近な)ところほど重視し、敬遠なところは「カンケーない」と思う。そういう卑しく愚かな性質がヒトにはあり、ほぼ全ての者は、この性質を自覚することを得ず、自律して自立することを怠る。よって、この自縄自縛の呪縛から解脱することを得ない
こうしたエゴは、元来は生存に必要であったから得た所謂「進化」であるが、ヒトのエゴは異常であり、すなわち例えば戦争を起こしてでもカネやモノを得ようとし、あまつさえその戦争にわざわざ大義名分まで付けて自己正当化しようとさえする。エゴの権化である
そもそもは為政者、ノブレス、古代ギリシアなどの俗に謂われる「市民」という特権層は、このように己のエゴを相対化し自己客観視をする才能をもつ特別な人々であるはずで、そうでなければならなかった。しかし実際にはそうした本来の姿は忘れ去られ、世襲と腐敗で自らエゴに堕ち、社会構造維持と既得権益保守に汲々とする詰まらない無智愚鈍が支配する人類社会になって久しい
こんなわかりきったことを書いてタイトルが覚りとか頭痛いんだけど。 保存欲求のことを語るなら、生物学的見地、哲学的見地、仏教的見地全部から洗っていただかないと。 デカルトと...