はてなキーワード: リカバーとは
これはタイピング練習である。意味の取れないことを書くと思うが、付き合ってくれる方がいれば幸いである。
これはある程度リカバーの仕方を覚えたうえで、光3を使って4割の手順。数字はテンキー表記だ。
まず、4を5に移動。1を4に移動。7を8に移動。
そこで強火で、ここが戻りターン。その次は何も動かさない。
で、その次は2・3を1・2に移動。
そうすると5が大体100ダメぐらいになっているので、5に狙い。入らなかったらもう1度5に狙い。
ここで5に会心が入ったら、次また強火。
そして4のダメージが80くらいになったタイミングで4と5を入れ替え。そうするとまた5が100ダメぐらいになっていると思うので、狙い。入らなかったらまた狙い。
で、ここでまた5に会心が入ってくれたら、8と5を入れ替え。で、また5を狙う。
このタイミングで5を狙えるのはダメ的に1回くらいだと思われる。というか1回狙って入らなかったらあきらめて1・2と4、5を入れ替え。2に完熱。
で、次の5は狙うのがリスク高いので、1ゲージ目ぎりぎりまでダメを入れたら4・5を5・6に移動。
ここで6に半熱を入れてから5を狙う。
これが大体理想的に進んだ状態で、最終的に3会心か4会心入ってることになる。
で、これはお分かりの通り肉を最後に焼く手順なので、肉に手を入れるまでに必殺が来たら肉に使おう。
今の相場だと1パン焼いて200万くらいになるのかな。とりあえず光3の金額は回収できる。
超3と比べて儲かるかは知らない。
某ゲームやめました。
一番はじめに触ったゲームだったので思い入れは深いが、もう遊ぼうとは思わない。
魔法をガンガン使うことは基本的にできないから、何もしないことが基本動作である。
ガード系の技能が弱いこともあり、基本的には火力で押し切るのが正解になる。
キャラクターの能力はランダムが基本になっている。特に初期能力は致命的。
一応補正があるので、致命的な差がつくことはないのだが、それでも差は付く。
前衛やろうと思ったのに重量が足りない。あるいは後衛なのに知性が足りないこともある。
ここら辺は武器の選択や知性が影響しない魔法を使えばいいのだが…
能力にそこまでこだわるなら、やりたいキャラクターあるならお前らポイントバイ使えよ、と思う。
あと、レベルアップの能力成長もランダムだからね。なんか成長固定できるアイテムもあるけど、基本つけないよね。
確かにルールは掲載されているけど、よくわからない部分がたくさんあったよね。
よくわからないまま処理されてた。
どう考えても不遇なジョブがある。
役に立てたかったけど、無理でした。
各プレイヤーが行動を決めるのに本当に時間がかかる。ターン制だから仕方がないよね。
一応、各種リソースを割けばできるけどしないよね。
以上かな。
打ち合わせがあったのを完全に忘れていた。
同行予定だった代理店さんが行ってくれたからまだいいものの…いや全然良くないが
私一人での打ち合わせだったらどうするつもりだったんだ。
もともと複数同時進行になると極端に処理能力が落ちるんだけど、今回もそれでやらかしたな。
でもこんなミスしているようじゃ、どうしようもないよな。
そもそも自分が好きなことを仕事にしているのに、それで情熱がなくなるってどうなの。
常に情熱や興味を持って、情報を集めたり勉強したり、新しいことにトライしたり、そういう事が求められる職種だ。
なんだかそれができなくなってきているのが怖い。
まだ30台前半なのに、この先大丈夫か。
とりあえず誠心誠意謝ったので、あとは二度とこの失敗をしないこと。
税率引き上げを1年半先延ばししたとして、再来年の4月までに賃上げの機会は実質1回、しかも税率引き上げと同時。
株価が上がっても個人消費が伸びないと景気は回復しないんだから、これはちょっと厳しいんじゃなかろうか。
3本の矢、とは行かないまでももう1本、税率の暫定引き下げまで踏み込むぐらいしないと、単に引き延ばしただけになりそうで怖い。
もちろん5%に戻すのは難しいし、そのあとのスケジュールも大変なので、とりあえず1%下げて7%というのはどうよ。んで、そのあと10%へ。いやまぁ10%がそもそもどうなのって話はとりあえず置いといて。
ほんとは引き上げの条件を景気指標、なんてものじゃなくて給与レベルの数値目標にして欲しいところだけど、それができれば8%でスマッシュ食らわされてないわけで。
初手の引き上げ時期を間違ってるんだから、単純に延期だけじゃリカバーできないと思うぞ。
え?そのためにいろいろばらまきますって?(白目
前提として、誰が悪いという問題ではない。事象に良いも悪いもない。善悪を決めるのは立場と概念である。
うつ病は、患者もそうだが、その患者を引き取った家族にも多大なストレスとなる。特に患者が一度独立し、その後うつ病にかかり失職し、実家で引き取る事になった場合などは顕著であると思われる。
家族と患者の間でまず必要になるのは、両者の間で”うつ病についての”コミュニケーションを再構築する事である。家族は強力な共同体だが、それは生活の上での話であり、病気とは別だ。生活はツーカーでいけても病気となれば話は変わってくる。この両者を混同し病気についてのコミュニケーションを疎かにすると、両者の間に溝が生じ、最終的に相互不信の状態に陥る。家族の側から見ると「何を考えているのか分からない」「どう動いているのか分からない」、患者の側から見ると「どうせあいつらは自分の事など分からないし、分かろうとする気もない」となる。著者は実際そうなりかけている(と思っているのは著者だけの可能性もある。この場合は一方的な不信となるが、この状態が良いはずなどない)ので、以下に「あの時こうしていれば」と感じた事を書く。
1.病気についての知識を共有する。
患者は、家族がどこまで自分の病気を理解しているのか不安を持つ可能性がある。患者を含めた家族全体が、病気についてどのように理解しているのかを共有することは重要だと考える。可能であれば、患者の主治医などから、患者を交えて、その病気がどのようなものであるかのレクチャーを受ける。この時点であわてて本やネット上の記事を読んで知識をつけることはお勧めできない。重要なのは共通した認識を持つことなので、情報源は統一することが望ましい。仮に患者にとって最も大きい権威が主治医で、主治医と本の主張に食い違いがあった場合、患者は主治医の意見を信じるかも知れない。家族は本の主張を信じ、患者は主治医の主張を信じる事になると、ここにリスクが発生する。かと言って本を読むなという事ではない。後述。
2.患者の病識について共有する。
患者には自覚症状と、非自覚症状が現れる。著者の場合は、一時期ひどく怒りっぽくなっていたそうだ。そんな自覚はないのだが。一方、自覚症状として死にたいという気持ちが常につきまとっている。数年前に突発的に襲われ、その時は何とかやり過ごせたものの、以後延々とくすぶっている状況である。当然ながら家族には話していない。自殺のための道具一式を買い集めていつでも実行できるようにしている事も家族は知らない。書き出してみるとそこそこ危険な状態かもしらん。このリスクは、患者の病識を家族間で共有することで軽減することができる。(1)をクリアしていると、患者としても自分の状態を話しやすくなる――「家族は病気についてどこまで分かっているのか?」と疑問を抱えている状態よりは。理想は日常会話の中で患者側から「最近はこんな感じ」と言えるようになる事である。ここを誤ると患者はウソをつくようになる。
3.主治医と接点を持つ。
治療を医者と患者だけの中で完結させてしまうと、家族からは現状が見えにくくなる。また、患者と医者のやりとりもルーチンワーク化する可能性がある。毎回である必要はないが、数回に1度は患者に同伴し、どのようなやりとりの中で治療が行われているかを知ることは有益だと思う。患者の前で言いたくない事が出てくるかも知れないので、その場合の相談先(患者の診察日時とずらして主治医に会えばいいのか?あるいは別の相談先が用意されているか?)を確認し、患者にも伝えておく。患者に予告なく主治医に会いに行き、後になって「先生に会ってきたんだけど」という行為は、特に日頃から全く診察の同伴をしていない場合、患者にダメージを与える可能性がある。
うつ病患者に「がんばれ」は禁句とされるが、「がんばれ」の音の組み合わせがNGワードなのではない。文脈の問題である。上記をクリアすることで、患者に接する際のアウトラインくらいは見えることを願う。この希望的観測を前提とすれば、わざわざ項目を設けて書く必要もないんですけどね‥‥。ともあれ、無駄な所に気を遣って家族側が無意味にストレスを溜める状況をある程度は軽減できるかも知れない。できるといいなあ。
この記事もそうだが、結局のところ重視するべきは、著者の名前と肩書きしか見えない本でも、もっともらしく書かれているネットの文章でもなく、直接顔を見て会話をする人間である(その人間に治療を任せられるか否か、という所まで含めて)。ある問題に対して多角的にアプローチすることは有益だと思うので、本などを読んで疑問に思った事はどんどん主治医にぶつけていいと思う。(1)で本に待ったをかけたのは、情報が固着している本などでは状況に合わせた柔軟な対応が不可能だからである。「本を読んでだいたい分かったし、先生に会っても話す事とかないし、病院は患者だけで行ってもらえばいい」と思考が進むと、患者は自分の病気に関心がないと受け止める可能性がある。
以下は実際に著者が経験したトラブルである。ほぼ愚痴に近いかも知れない。
a)快方へ向かったフリをする
患者は「いきなり転がり込んできた厄介者」であることも「今後の人生設計を破壊した」ことも「大きなストレス源」であることも、百も承知している。したがって「早く良くなって欲しい」という家族側の希望も十分に分かっている。病気についてのコミュニケーションが十分でない場合、表面的に良くなってきた様子を見た家族が「最近は調子がいいみたいね?」と言う。上記の事柄を察している患者は「良くなってきている」と言う。言った以上、家族の前では無理をして元気なフリをする。しばらく経って、家族が「そろそろ社会復帰を考えてもいいんじゃない?」と言う。上の方でも触れたが、実際は自殺衝動から次の24時間をどうやり過ごすかの状態で社会復帰と言われても困る。溝は深まる。
b)金銭トラブル
患者は金遣いが荒くなる場合がある。クレジットカードは注意を要する。積み立てていた患者名義の貯金を知らない間に使ってしまっているかも知れない。例えば年金や健康保険料などを一度患者に渡して支払いをさせる場合は使い込みの危険がある。著者の場合は到底支払い能力を超えた大きな買い物ではなく、「このくらいなら何とかやりくりできるかも知れない」の小さな買い物が積み重なり、結局一度預かりで国へ納めるはずの年金を使い込んでいる。訳あって一時的に著者の管理となった生活費なども使い込みが発生している。当然バレる。
原因は判断力の低下である。「何とかやりくりできるかも知れない」の目測を誤る。対策の一例では資金の凍結、上限枠を設定したクレジットカードへの交換、あたりか。
資金の凍結は将来起こるトラブルを未然に防止することが期待できるが、「自分の金を無理矢理取られた」と思われないように、十分な事前準備が必要だろう。何せ相手はうつ病患者である。物事を悪い方へ、悪い方へと考える。著者が実家へ引き取られた時に資金の凍結をさせられた場合をシミュレートしてみたが、なかなか反応が想像できない。
で、著者が直面しているのは(b)の問題で、この背景に(1)から(4)の問題が存在する。ひとつひとつは容易に修正可能なように見える。しかし積み重なると難しい。大事故は小さな原因の連鎖で起こるパターンの縮小版である。判断力の低下と説明しても、家族が病気に対する知識をどれだけ得ているかの共有がされていないので「そんなの理由になるか」と一蹴される可能性がある。金額的な問題は今の家庭の経済状況で十分にリカバー可能な額なのだが、今後の資金ぐりや信用の問題などを考えると全く先が見えない。何をやっているんだか。かくしてここしばらく著者を悩ませていた自死が大きくのしかかってくる。大事故は小さな原因の積み重ねで‥‥
安定剤を飲みつつ現実逃避と気を紛らわせるためにこんな文章を書いている訳だが、これが遺言とならない事を祈るばかりである。明日病院いてきます。って明日祝日じゃん‥‥
→円滑だが人を育てない上司
…略
・怒る内容は理にかなっていて、理解して従えば結果もよくなり円滑。理解できず従えないときはわかるまで方法をかえて怒ってくれる。
→最高の上司
はてブでも同様の話題が盛り上がっていて、怒ることが部下の教育や指導に有用だって前提のコメント多かったね。
「怒るほうもストレスだ。怒らないほうが楽だけど部下や会社のためにならない。怒らないのは責任放棄だ」みたいな。
部下を使うのに感情的になるのって、個人の攻撃性の問題で「お前のために怒ってるんだ!」みたいな言いぐさは言い訳だと思うわ。
一人はできる君、ひとりは残念君と言いました。
そのプロジェクトは優秀なPMとモチベーションの高いメンバーで構成されており、スケジュールやタスクなど大変見通しがよく、整理された進行状態を保っていました。極楽プロジェクトと呼びましょう。
できる君はプロジェクトの全体を把握し、自発的に自分にできそうなタスクを探し、プロジェクトに貢献しはじめました。すぐに重要なタスクを任されるようになりました。
残念君はプロジェクトを見通せておらず、自分に何ができるかも分かりませんでしたが、PJメンバーが彼にちょうど良いタスクを探したり作ったりして、彼に仕事を振っていました。残念君も頑張ってはいますが、重要な仕事はまだできませんし、PJのリソースを奪っている面も否定できません。
ある日残念君に転機が訪れます。ダメなPMが仕切り、モチベーションの低いメンバーが集められた極悪プロジェクトに初期メンバーとしてアサインされてしまったのです。誰も何もやらない極悪プロジェクトでは、一番下っ端の残念君にあらゆる仕事が集まってきました。プロジェクト概要の資料作成からはじまり、社内外の関係者への連絡、ミーティングの召集、スケジュールの調整、タスクの整理と分担、そしてほとんどのタスクのワークまで。
誰もが残念君に仕事を押し付けました。まだ会社や仕事について分かっていない残念君はその状況に疑問を感じながらも、やむなく仕事に手を付けて行きます。社内外の関係者から罵詈雑言を浴び、1歩進んで5歩下がるような状態でプロジェクトをドライブしはじめます。やがてぼろぼろのゾンビのような体ではあるもののプロジェクトはまわり始めました。残念君の心身を削りながら。
さて、できる君です。極楽プロジェクトのPMは、優秀なワーカーとしての地位を築いたできる君に、仕事を形作るところから身に着けて欲しいと考え、あるサイドプロジェクトを任せることにしました。「失敗してもどうにでもリカバーできるPJなので、好きに進めてみなよ。」そういわれましたが、どうしても不安なのか、できる君はPMにこまごまと相談します。「この打ち合わせに**さんは呼んだほうがいいですか?」「このタスクは**さんで大丈夫でしょうか。」「この資料、これで良いでしょうか。」
極楽PMはその状況について「相変わらず見えてるタスクは適切に処理するし、作業も早い。ただ、仕事を形作って行くことについて腰が引けてるというか。。このPJはリスク無いので好きにして良いっていつも言ってるんだけど。相談することは悪いことではないので、文句言う筋合いでもないんだけど。。」
その後の残念君は、あらゆる意味でひどい有様でしたがどうにか極悪PJをまわしており、「あいつ、わりと何でもできるようになっててワロタ。」「**の手配が間に合わない?こないだ残念が似たような状況で強引に押し込んでたよ。聞いてみたら?」「A社のaさんに頼みたい?忙しい人だからなあ。でも、残念がaさんに毎日怒られてるうちに仲良くなってたから相談してみたら?」などの評価を得ていました。
できる君はというと、サイドプロジェクトを無難にこなした後はあまり目だったトピックも無く、相変わらず極楽プロジェクトでタスクをこなしつつ、たまには小さなプロジェクトを担当したりしていました。彼の評価は「限定された範囲で、上の判断を仰ぎながらなら、まあ無難にこなすよ。」といったものでした。
二人がその後どうなったかというと、二人とも会社を辞めました。
できる君 「ここでは、自分はこれ以上成長できないと思ったんです。」
残念君 「体も心も持ちません。これ以上もう無理です。」
「服なんて何着ても一緒、結局顔だろ顔」
高い服着たブサイクと、安い服着たイケメンの画像が2ちゃんねるにあったけど、この手のことを言う人はほぼ間違いなくダサい人だと思います。
そう見えるのは、服を見る目がボヤけてるからです。
ド近眼の人がちょっと離れて人を見ると、白いシャツを着ているなとか、青いジーンズを履いているなとか、服を漠然としか認識できないのとまるっきり一緒で、ダサい人はそれがバンドオブアウトサイダーズの3万円する白のオックスフォードシャツであろうと、2000円のユニクロの同じシャツであろうと、値札を見るまで違いがわかりません。同じ白いシャツと思ってるのです。
だからか、ダサい人はメニューの多い安っぽいファミレスみたいに、いろんな服に手を出しがちです。一杯のおいしいコーヒーを飲むよりも、ドリンクバーで不味いいろんなジュースを飲む方が嬉しいんでしょう。
例えば変な形のシャツだとか、変わった色のジーンズとか、そういうキワモノを選んでから色の合わせ方がわからないとか、コーディネートを考えるのが面倒だとか方向性の間違った悩みを持ちます。
違います。
例えば一番ベーシックな白のオックスフォードのボタンダウンシャツでも、安いとこではユニクロ、無印、5000円~1万前後ではJクルー、バギー、各セレクトショップオリジナル、ポロラルフローレン、1万5000円~ではギャンバート、ニューイングランドシャツ、ギットマン、インディビ、RRL、3万円前後ではメゾンキツネ、バンドオブアウトサイダーズ、ギャルソンシャツと多種多様です。上にあげたものは全て余計なデザインのされていない、ただの白シャツです。ですが、それぞれ生地の質感だったり、襟の形だったり、着たときのサイズバランスだったりが少しずつ違ってきます。
この中から、一番自分に似合うものを探すのが、おしゃれをするということです。決して10色のオックスフォードシャツを集めることではないです。(オックスフォード地でベーシックと言えるのは、白、ライトブルー、あとせいぜい薄いピンクの三色)
もっと言うと、同じインディビの白オックスでもフィットが3種類、生地も3種類あります。でもより自分にピッタリのものが欲しいという人が結構いて、個人向けのカスタムオーダーもやってたりします。
これらの同じ服を何種類も着て、自分に一番しっくりくるものを見つけて、それを長いこと着続け、ダメになったらまた買いなおす、これの繰り返しです。(余裕があれば、買える時に同じものを何着も買っといた方が賢い)
ジーンズやチノパン、革靴、ジャケットなんかの他の服も全て一緒です。よりベーシックでより自分に似合うものを探す。
その後はコーディネートなんて別に考えなくても良いんです。
白Tシャツの上に白シャツ、ジーンズに茶色の革靴だったら、せいぜい袖はまくるかまくらないかとか、ジーンズの裾を折り返す幅、回数とかそんなぐらいです。
服に回すお金がない、興味がないという人だったら上の格好で全身ユニクロでも構いません。おしゃれに興味はないけど、特別ダサくもない人にはなれます。
そんなわけで、しまむらは絶対にやめましょう。
4/15追記(編集できることに気づいたので、返信っぽいのを載せておきます。)
「ダサいんじゃなくてオシャレなんて興味ないだけ。何上から目線で言ってるの? キモー」
オシャレに興味がないことをダサいことの言い訳にする人はやっぱりダサいです。オシャレしてもモテるようにならない、だからオシャレなんて意味がないって言うのなら、あなたは物事を下半身でしか価値判断できないってことじゃないですか。そんな人生絶望するしかないです。そもそもオシャレ=モテることじゃないんです。オシャレ=モテだと思っている人は、ダサいです。オシャレに興味がない人でも、ダサい人とダサくない人がいるんです。
普通の人は誰ひとりとして人生を変えるために服なんて選んでません。服は社会生活を送る上で、毎日必ず着なきゃいけないものだから仕方なく選んでるんです。たとえ興味がなくても「選ばない」という選択肢はとれません。唯一、メタな解釈で「選ばない」という選択肢にあたるのが、ベーシックな服だけを着るということです。
「 ダウト。安いものでもコーディネートしてオシャレに見せるのがオシャレ」
違います。前時代的な服ヲタに多いけど、コーディネートに特別な才能が必要だと思っている人は、間違いなくダサいです。コーディネートは、料理の塩加減みたいなものです。味付けでリカバーしなきゃいけないのは、使ってる素材がおかしいからです。まずマトモな素材を使うことです。その上で素材の味をより引き出す最高の味付けを考えるのは、上級者だけで十分です。普通レベルの人には関係ありません。あなたみたいな服に興味がない人ならなおさらです。あとユニクロと無印は安くてもアリですが、H&MとZARAはなしです。GUに半額で同じことやられてます。
違います。色も選ばなくていいんです。シャツなら白、ジーンズなら青、チノパンならベージュ、カーゴパンツならオリーブドラブ、スウェットなら霜降りグレー、ブレザーなら紺、というようにベーシックな服にはオリジナルな色があります。それだけ着てればいいんです。
「繊細な感覚はどうやって身につけるのかが書かれてない」
書いてます。同じものを何種類も着て経験を積むことだけです。料亭の味噌汁とだしの素の味噌汁、違いがわかるようになるには何度も飲み比べるしかないでしょう。お金がなくて料亭にいけない、もしくは何度飲んでもわからない味覚音痴なら、それはどうにもなりません。黙ってユニクロを着ましょう。
「オシャレは結局顔だ、の画像に対して答えられていない」
あの画像を作った人は性格が悪いです。イケメン白人の横に、ヤバめの服オタと脱ヲタビギン君を並べてどれがいいかってそんなの決まってます。
あの画像の左の2人は、小木“POGGY”基史と八木沢店長にすべきです。まあイケメン白人が一番モテるのは一緒です。
「セレクトショップの店員にコーディネートしてもらうのが一番」
大学を出たかもわからないようなショップ店員にどうしてもアドバイスを請いたいのなら、あたまに「来年も置いてあるものだけで」と付けてください。
。
そんなアタリマエのこと言われても…建設現場で現場作業員が設計をしてるとでも???
うぬ、現場作業員を馬鹿にしてるな?現場の方が、きちんと資格がなきゃそもそも触ってもいけないものがたくさんある。
だれでも試験対策、だけして取る無意味な情報系資格ではない。そもそも資格だけ持ってても、それ全部忘れてたら結局自分たちの命の危険に関わることだからきちんとしてる。
作業員はその作業をきちんと理解してなかったら出来ないのは当たり前だろ。
但し、現場作業員ってのは実際目に見えて動いてなきゃ無能、ってすぐわかるし、間違えて組めば簡単に他人がリカバー出来るもんでもないが、
えんじにあ()だと何もやってなくてもすぐにはばれないし、間違えた所で簡単に他人がカバーしてしまうこともある。
なんでそう、ぷろぐらまとかえんじにあとか、はてなーは異常に持ち上げるかな?20年くらい前は、確かに一部の人しか扱えないものだったし、
マシンスペック的にも如何にきちんとしたコードを書いて更にソフトでハードの限界を超える様な事をやってたわけだが、
基準として理解はある程度できるけど、共感はできない。
「ヤレるかヤレないか」基準を私は持ってない。
http://anond.hatelabo.jp/20131108230344
ようするに童貞。
“「ヤレるかヤレないか」で人間関係を選べない人間”のひとり。
経験があれば私も共感できるのかどうか、それも分からないけども。
元増田だって、いくつもの基準のなかで一つの基準を抽出しているはず。
面白いことをやっているとか、経済的な利害とか、借りがあるとか。
童貞な私は、面白さが人付き合いの大きな基準になってるように思う。
いやー・・・なんか、すみません・・・ほんと。下にもちょろっと書いたけどのりかけた船なんで収束するまでやってみようかなという気持ちです(でもこれで最後かもしれません)。どうせそろそろホッテントリから落ちるだろうし。いただいたコメントにもよるかな。基本的に反論いただいた方に返信という形なんで、それ以外のコメントがスルー状態になってるのはすみません。心のなかですごく頷いたりしています。
id:bit8 「セルフブクマ 元増田さん、よければ意見の参考にどうぞ http://bit8.hatenablog.com/entry/2013/09/02/233544」
→ブログでも取り上げてくれてありがとう。全部読んだよ。何事も経験して当事者の立場にならないとわからないもの、だよね。刃物の取り扱いの話、障害者の立場を体験する話、これらはブログに書いてたその通りだと思う。俺もネットリテラシーの授業で「匿名炎上体験」や「匿名誹謗中傷体験」を擬似的に経験できるなら、良いやり方だと思う。でもさ、今回のって擬似じゃないんだよね。ガチでチャットやらされて誹謗中傷増えてきたところで実名さらされちゃうの。大人は疑似体験させたつもりかもしれないけど、子どもにとってはまったく擬似じゃないよね、これ。
id:Junpecon 「昔から影口言ってたら誰かがチクって修羅場になったことなんかあったし、それで学校生活が台無しになったかっていうとならなかったよ。ローカルのネットだと台無しになっちゃうの?」
→学校生活が台無しにならなかったのはあなたの個人的な経験だと思うけど、それを一般化して「大丈夫」とするのは無理があるよ。悪口が人間関係を壊すきっかけになるのは十分想定できる話で、しかもこれは何度でもいうけど、大人がわざと「匿名だよー」って嘘ついてまでさせる経験なの?って話。子ども同士が日常で喧嘩したり、ときに陰口言い合ったりは勝手にやればいいと思うよ。でもネットかリアルか関係なくそれって大人が仕組んでわざわざ体験させることじゃないよね。
id:arakik10 「授業の実施されたコンテクストや状況がほとんどわからないまま、あの記事を基にしてほぼ匿名の各自(増田も)が脳内補間してコメントが百出すること自体に、あの記事の授業で起きたことと相似的な何かがあるのでは?」
→あの記事だけではわからないことがあるのは事実だよね。俺が今してるのは、今ある情報だけでなんか有意義な議論がしたいということ。情報が全部出揃わないと議論スタートできないんじゃあものごと進まないし、実生活でも限られた情報で自分にできることをしないといけない場面はたくさんある。その中で適当な予断で無責任なこと言っちゃうって俺も含めコメントにもその種のものってあると思うけど、そういうのが一定数出てくるのは、およそ議論と名のつくシーンでは織り込み済みとすべきであって、要は受け取る側がうまく取捨選択して消化すればいいんだよね。
しかもこうやって便所の落書きみたいな匿名の増田でさえ、こんな記事があった、あんなこと紹介されてるって、コメントやトラバで情報もらって、手持ちの情報は増えてきてるんだよ。それに比例して、今後俺自身、同種のトピックに対するアンテナ感度があがると思うしこうやって色んな人の意見見て、コメントしてること自体が、今後考えを深める土台になるの。俺自身は教育者じゃないけど、子どもがいたり孫ができたりするわけだから、この話題って今後何十年、折々に考えていきたいトピックだと思ってるわけ。
それに文字通りコメント百出してるけど、罵詈雑言や誹謗中傷なんてほとんどないよ。コメントしてくれてホントにありがたいと思ってる。これだけなげーと全部読んでくれる人は少ないので、書いたことを何度も説明しなくちゃいけない労力はかかるけど、いいかげんホッテントリからも落ちて収束するだろうし、そのくらいはいいかと思ってる。こんな増田の使い方ってあんま見ないけど、誰に迷惑かけるわけでもないし、コメントもらえる今のうちに楽しんでおこうかなという感じだな。
id:kumonopanya 「この人は減点主義の人、一度失敗したら取り返しがつかない、今の日本社会そのものの考え方を持つ人。こんな考えの人だけが昇進していき社長になるんでは?銀行マンのドラマとかこんな人が昇進していったような。」
→世の中にはトライアンドエラーで失敗しながら改善していく方がよい結果が生まれることって多いし、ときには「えいやー」でやっていいこともあるよね。俺もそういうやり方大好きで、仕事では、別に人の生命や人生に直接的に関わる仕事でもないんで、むしろ失敗は成功の元の精神でやってるよ。この授業ってどうだろう?俺はこのやり方はときに子ども同士の人間関係壊したり大人への不信感を生んでしまうリスクもあると思ってて、トライアンドエラーの引き換えとするにはちょっと収支が吊り合わないなって思うわけ。減点主義って言うけどさ、俺はリスキーな問題には「減点加点主義」でありたいと思ってる。リスク次第では減点部分は甘めにして、加点は逆に盛ってみたり、あるいはリスクがほぼゼロなら完全に「加点主義」でオッケーだよね。繰り返すけど俺個人は減点主義じゃないです。問題の種類によって減点主義と加点主義とそのミックスの間を行ったり来たりしている人間です。
id:hyougoishin7 「この程度の失敗を取り返しがつかないと考える親がいるから、子どももそれを感じてYESマンでビクビクして、目に生気がない子どもに育つ。過保護すぎ。守ってるつもりが逆に脅してる事に気付こうな。」
→俺は上にも書いているように、子どもは喧嘩やトラブルを通して人付き合いを学んでいくものだと思ってる。無菌室で育てたいとは全く思っていないよ。・・・が、大人が用意したバイキン室に、子どもには「ここは安全な部屋だよ」と嘘をついて入れたいとは思わないよ。大人だってそうだよね。会社の上司に「匿名だからここに会社や上司同僚へいいたいことをなんでもいいから書いて」と紙を渡され書いて出したら実名で貼りだされたらどうなの?という話。
id:kmyken1 「(追記)小学校ならば、という条件付きだけど。RT @kmyken1: 小学校ネット教育、匿名→悪口多数→実名公開ボタンポチッとの件。いろいろな議論が出ているが、自分はこのような授業設計には賛同する立場。」
→授業設計という言葉が出たけど、俺はそこに一番恐ろしさを感じるよ。「誹謗中傷が散見されるようになってきたら実名ボタンを押す」みたいな授業プランがはじめから用意されてるわけ。「誹謗中傷が見られるようになったらチャットを中断する」だけじゃないんだよ。この違いって怖いと思わない?
id:tokoroten999 「悪口聞かれたら人間関係が破綻するってのが非常にネット的小町的な狭い価値観だと思うけどね。悪口聞かれたり聞かされたりって全部避けて通るわけにはいかんじゃろ?」
→そうかな。上にも書いたように、俺は悪口が人間関係の悪化に繋がるのは一般論として十分に想定されることだと思う。ネットかリアルか関係なく、大人か子ども関係なくね。全員がそうだという話じゃないし、あなたもきっと悪口言われてもうまくリカバーできる人なのかな。子どもたちも、日常で喧嘩したり悪口言ったりまた仲良くなったり、いろんな経験して人付き合いを学んで欲しいと思う。だからといってさ、大人がチャットで誹謗中傷させて、しかも後出しで名前をさらすというやり方しなくたってよくね???わざと子どもにそういう体験をさせるのが教育上望ましいの?という話なんだよ。これが有効なら、ネット教育云々とは関係なく、これまでも行われてきたはずだよね。
id:dal 「子供に負荷を与えてはいけない論てどういうことなんだろう。負荷なかったら何も覚えないじゃんね。」
→わざと「匿名だよー」ってだまして負荷与えるやり方どうなん。子どもって大人が邪魔しない限りは、自由に喧嘩して仲直りして、人付き合い学ぶものだと思うよ。大人が作為的に負荷あたえるのって、日常の学級生活で班行動したり、休み時間遊んだり、学級会で討論したり、係活動、委員会活動、クラブ活動、修学旅行、林間学校で集団生活を経験したり、そういう形で十分やってると思うよ。ネットリテラシー教育をするにあたっても、もっと他にやり方があるだろうという話をしている。少なくとも匿名だと言っておいてあとで裏切るやり方は学校でも会社でも認められないでしょう。
id:khtno73 「小学校の友達ってそんなに大事かね。社会との接点もよくわかってないときに痛い目を見るのは超大事だと思うけど。自分は今もつながりあるのが高校大学以降の連中なのであまり感じないのかな。」
→どうせこのあと大事じゃなくなる友達だから云々って、それ超怖い考え方だよ。大人がそう言って痛い目みせる実験台のようにして授業する社会ってぜったいイヤだし、「どうせ付き合いなくなるから喧嘩する練習やー」なんて、そんな考え方する子どもにも育ってほしくない。そもそも、そんなこと考えてる子が将来高校大学以降の友人たちとまともな友人関係築ける人間に育つんかな。小学校時代の失敗が結果としてその後の人生の糧になるという話ならともかくさ。あなたの言ってることそうじゃないよね。
id:ktasaka 「2回目ですが、教師が学級経営をハンドリングできていないという前提はどこから出てくるんですか?増田は自分でも簡単に学級経営ハンドリングできると思ってるんですか?」
→どもです。教師が学級経営をハンドリングできていないという前提をおいた覚えはないよ。そう受け取れる部分があれば指摘してください。あとは前回の質問と同じだと思うのでコピペさせてもらうよ。→「教師の学級経営が信頼できるかどうかという属人的かつ大きな主語の話をするつもりはなく、あくまで今回の授業手法の是非の話です。どんな授業手法であっても結局は教師次第じゃないかと言うかもしれませんが、であればなおのこと、わざわざこのようなリスキーな方法をとらなくても、他にいくらでもやり方はあるんじゃないかという話をしています。「自分でも簡単にできると思ってる?」については「ネットリテラシー教育を自分でも簡単にできると思ってる?」という意味かな?「親として子どもにすべきことをしっかりしたい」と考えていますが、それはこの増田の主旨ではないです。」
前回今回と同じところにこだわっているようだけど、こだわりたい背景や思いなんかを書いてくれるともう少し俺も別のことが書けるかもしれない。
仕事だと人間関係の機敏が手に取るようにわかるのに、プライベートだとまったくダメなのはなんでだろう、という話。
自分で言うのも何だけど、仕事上の関係においては、相手の考えていることや自分の置かれている状況がよくわかる (ということに最近気づいた)。人からは、安定感のある交渉力を持っていると評されることが多いし、思いつく限りでは、リカバーできないほどの誤解や無礼をおかしたこともない。
例えば、仕事上のお願いをするとき、メールを送ったり挨拶をしたりして、こんな返事や態度が返ってきたから自分はこんなふうに見られていて、それなら次はこれくらいまで踏み込んでも大丈夫だろう、ひとまず引いて別な方面から、といったことがよくわかる。
あるいは、飲み会やイベント運営など人が集まる場所で数分間観察していれば、誰が退屈していて、どこに人手が必要で、次にどんなことが律速段階になるのか、だいたい見当がつく。自分がそれらを自然にフォローする方法も頭に浮かぶ。
もちろん、問題が私の観測範囲を外れることだってあるし、想像で補完したおせっかいをやいてしまうこともあるのだけれど、そんなときは適宜、自分の行動を修正すれば良いし、これまでずっと、ビジネスライクな関係においては、そうしたことを自然にしてきていた。
その一方で、プライベートな人間関係になると、おもしろいように人の心が読めない。自分に向けられているのが好意か悪意か無関心のいずれか区別もつかないことさえしばしばあって、後になって、あのときこういうことを言われた・されたのはそういうわけだったのか!と膝を打ったり後悔したり。
プライベートな人間関係では、人の気持ちは口に出して言われなければ理解できないし、言われたことはすべて素直に受取って信じてしまう。私の姿が相手の目にどう映っているかもわからないから、自分の行動が、近しい人の心情にどう影響するかもはっきりとは理解できない。
つい最近もそんなことがあって、私のほうは付き合っていたと思っていた相手から、数ヶ月間の「付き合い」の後に、別に好きでもないことを告げられ連絡を絶たれた。忙しいという相手の言葉をその通りに受取っていたのだけれど、思い返してみれば、それは拒否のひとつの形だったのかもしれない。
初めての増田(リカバード職員やってるんだが。)がホッテントリ。。。びっくりしました。
リカバード職員という職種や、依存症が回復するということ、逆に回復出来ない依存症者の末路など、色々なところに興味を持っていただけたようで、嬉しい気持ちです。
もちろん一部誤解を招いた部分もありましたが、これは私の力不足に拠るところであります。
今回は少しでも誤解を解ければと思い、依存症者が陥っている負のループについて書かせていただきます。
私は、生活保護を受けている依存症者がお金を持ち逃げするからといって、彼らがダメ人間であると決めつけることは早計であると考えています。
もちろん、これは犯罪ですので、相応の償いは当然するべきでありますし、依存症であることを理由に免罪されるとは思っていません。
ただ、彼らが半ば犯罪行為に及ぶ思考プロセスは以下のようとなり、決して全員がダメ人間であるからというわけではありません。
病気がそのような行為をさせている部分もあるということを理解していただけると、うれしいです。
お酒を飲まずにいられない・ギャンブルせずにはいられない(そういう病気であるというのが大前提です)
→お酒を飲まずにいられない・ギャンブルせずにいられない(病気の症状としての強迫観念。本人の意思でこれが止められるなら病気ではない)
→お酒を飲まずにいられない・ギャンブルせずにいられない(病気の症状としての強迫観念。本人の意思でこれが止められるなら病気ではない)
ループの間、強迫観念は頭の中から離れることは無く、むしろ積もっていきます。苦しみは増していきます。
そして、この苦しみから解放されるために、軽重に関わらず犯罪的な行為(生活保護費の持ち逃げ・万引き・お金の借り逃げ・・・)に及ぶことがしばしばあります。
ここがポイントです。
「犯罪を犯してはならないことは分かっているのに、犯罪を犯してしまうほどの強烈な強迫観念の苦しさ」であることが依存症の恐ろしさです。
例えて言えば、高度に訓練された兵士も極度の拷問にかけられたら機密を自白するかもしれませんね。
そういうことです。
一瞬、ホッとします(酒を飲んで、プハー!うまい!と思ってホッとしたことありませんか?その感覚です。ギャンブルでも依存症者はその感覚を味わいます)
そして、依存症でない人は、適度なところで、お酒やギャンブルをやめることが出来ます。
しかし、依存症者は1杯目の飲酒や1回目のギャンブルから「渇望現象」を引き起こすこととなります。
アルコールであれば、1杯飲むと、2杯目が欲しくなり、2杯目を飲むとさらに3杯目が欲しくなる。
これは基本的に止まるところを知りません。
(だから依存症者は、絶対に最初の1杯、最初の1回のギャンブルに手を出してはいけないのです)
軽度のアルコール依存症者にはそれほどの傾向はありませんが、重度になると連続飲酒発作といって、自分でお酒を止めたいのに止められなくなる(血を吐きながら飲むような感じ。頭では酒を止めたいけど、身体が勝手に動いて飲んでしまう)状態になります。死ぬことは珍しくありません
アルコールの場合、極度の酩酊、ギャンブルの場合(たいてい)財布が空になるまで(仮にちょっと儲けても、ギャンブルへの渇望現象でさらに儲けようとして結局財布は空になる)やってします。
そして、深い深い後悔に襲われます。
後悔の念を抱えた依存症者は、常に周囲の目におびえ、罪悪感を抱えて生きています。(依存症っぽい人の独特の雰囲気ってこういう理由もあると思います)
・日常的にさらされている飲酒欲求・ギャンブル欲求という、自分の意志ではコントロール出来ない強迫観念(コントロールで来たら依存症ではない)
・1杯飲んだら(1回ギャンブルをやったら)やめられなくなる渇望現象
のループから抜け出せず、常に周囲の目におびえて罪悪感を抱えながら生きています。
話しが少しそれますが、依存症者のこのループは病気であり、依存症者はこのループに対して完全に無力です。
しかし、本人は、アルコールやギャンブルをコントロール出来るものと信じています。
故に、依存症は否認の病気(私はアルコール依存症じゃない!と言い続けて酒を飲む)といわれます。
まー、周りはみんな酒飲んでるし、酒飲むのは楽しいし、アルコール依存症者って人間関係も酒で作ってるようなものですし、酒を取ると何も残らないんですよね。。。実は。
この辺の、依存症者という病気と生き方の関係について語り出すと1記事になっちゃうので、割愛します。
閑話休題。
これを延々と何年にも渡りループし続けて最終的に肉体的に死に至る病がアルコールギャンブル依存症です。
肉体的な死の原因は、病気(肝硬変・膵炎・糖尿病・各種ガン・・・)から自殺・人間関係の崩壊による他殺まで様々です。
肉体的に死ぬ前に、社会的に死ぬことも多いですが、社会的な死を恐れて自殺するパターンもあるでしょう。
例を挙げていけばいとまがないと思います。
ネット依存症には詳しくありませんが推察するに、
・ネットの世界(ゲームなのか、SNSなのか、ネットサーフィン(死語?)なのかわかりませんが)に浸ってないといられない強迫観念
・一度ネットの世界に入ると、ネットを渇望する現象(ネットの接続を切れない→食事や睡眠のリズムが狂い、仕事が出来なくなる)
依存症者がはまり込んでいる負のループについて、ご理解頂けましたでしょうか。
もちろん、だからといって、依存症者の犯罪が許されると思っていません!!!
ただ、
依存症者には、生まれながらにしての依存症者、つまり生まれて初めて飲んだお酒で「渇望現象」を引き起こし、その翌日から「強迫観念」にさらされる人もいます。
ある日突然、飲酒量が増えて、毎日朝まで飲み歩き始める人もいます。
定年退職まで休日しかパチンコしてこなかったのに、定年後、月に100万円ギャンブルに突っ込み始める人もいます。
明日の依存症者はあなたかもしれませんし、隣の「良い人」かもしれないんです。
ダメ人間が依存症者になるというのは、すべてが間違いとは言いませんが(もちろんダメ人間もいます)、ごく一部で、大半は真っ当な人です。
それを知っていただきたくてこの文章を書かせていただきました。
アルコール依存症自体、私の病気でもありますし、病気について言語化することは仕事の役に立つので、また何か書きたいと思います。
俺はアルコール依存症からなんとか立ち直って、今は依存症者の支援をする仕事をやってる。
世間ではあまり知られていないだろうが、依存症から立ち直った俺みたいなやつを雇ってくれる病院や施設なんかがあって、そういう職員をリカバード職員なんて呼んだりするんだわ。
生活保護もらって持ち逃げするやつなんて珍しくない。
保護観察中に保護観察官から連れてこられた奴を面倒見てたら、再飲酒して記憶吹っ飛んで暴力沙汰起こしてまた捕まるとか、日常茶飯事。(実刑確定)
発達障害の依存症のやつなんか、笑顔で心をえぐるようなこと言ってくるし。
こんな奴らのことをくそまじめに考えていたらこっちの精神がおかしくなる。
まあ、こんなやつらはまだいい。
病気なんだから仕方ないし、傷つけられるのも仕事の一部だと思って割り切ってる。
こっちもセルフケアの手法は勉強してるから、なんとかなってる。
問題なのは立ち直ったあとにめちゃくちゃになるやつだ。
アルコール依存症なんだが、こいつは依存症から抜け出したと思ったら、「俺は依存症から立ち直ったから何をやっても良い」と勘違いして職場の上司にたてついて、家から家族を追い出して、職場も家庭も自分からめちゃくちゃにしている。
いや、抜け出したように見えるだけだ。本人が勘違いしているだけだ。酒が止まっているだけで、生き方は何も変わっていない。
ねじ曲がった木のように醜い。
だったら次は、依存症で迷惑をかけた家庭や職場、社会に恩返しする番だろ。
植物に毎日太陽が当たって、適度に水が与えられるように、俺たち職員や社会が適切に接して、少しずつ成長してくように回復していく。
依存症の回復は依存症者本人が成し遂げるものじゃない、周りの協力が欠かせないんだ。
そして、苗が倒れないまっすぐな大木に育った時、依存症から回復する。
だが、上に書いたような、ねじ曲がって育った木はだめだ。
上に書いたようなねじ待った木を、まっすぐに戻す方法はないものか、職員全員で考えたのだが見つからなかった。
結局、この依存症者は、酒は止まったが病院から出て行ってもらうことになった。
きっと、短くて数ヶ月、長くて数年で、再度飲酒するだろう。
社会から孤立して、行き場を失ったアルコール依存症者は、また酒に戻るしかない。
それが現実だ。
俺が持ってる依存症からの回復の方法では、回復までにだいたい半年から1年はかかる。
それも全員に使えるやり方ではない。ある程度の素直さがない奴には効かないし、少しでも知的障害なんかがあると効かないことが多い。
今のところ、俺が担当して「回復の方法をやり遂げた奴は」幸いにしてまっすぐな大木に育っている。(やり遂げるのは10人中1人いるかどうかだ。残りは途中で逃げ出してしまう)
彼らは社会で立派に活躍している。(会社員、職人等の職に就き、きちんと社会的に経済的にも精神的にも自立している)
こいつらが俺の心の救いだ。
アルコール依存症から助けられたものとして、これからも出来るだけ多くの依存症者を助けたい。
内科医へ
肝臓が悪いとか膵炎の患者に「アルコール依存症かどうか」の判定をしてくれ。自分で面倒が見れないなら精神科に回してくれ。アルコール依存症なのに気づかないまま死ぬ奴が多すぎるんだよ!
精神科医へ
依存症の患者を回復させられないなら回復を請け負う施設なり施設を持つ病院に回してくれ。それと依存症の患者に「2度と飲まないなら入院させてやる」とか言うな。そんな約束が出来る奴はいない。そんな約束が出来たら依存症じゃない。そんな台詞で逆に怖くなって飲酒する奴がたくさんいるんだ。依存症者の気持ちがわからないなら下手なこと言わないでくれ。それと安易に処方薬を出すな。処方薬依存は違法薬物依存より厄介なんだ。俺の仕事増やさないでくれ、頼む。。。
つまり、社会的に優位に立ち、「家」を獲得することが大前提だから、同性間での「外見」による序列が発生する。
実際、女子高なんかじゃ女はどんどんだらしなくなるって言うじゃん。異性の目がないから。
そして、社会における女の外見の重要度は、同性間の同調圧力ってレベルじゃない。
前に誰かが書いてたけど、「場の構成要因としてカウントすらされない」。存在が無かったことにされる。
女が居場所を獲得しようとしたとき、「外見がよい」ことが優先事項のトップにくる。
性的アピールってのも第一に、男は視覚優先だからな。他の要素でカバーしようと思ったらかなり厳しい。
痴女スレスレのセックスアピールを出来ればひっくり返るかもしらんが。
社会的に、女の能力は「異性から見た有用度」を加味して判断される(というか、場の構成要員として略)から、
社会で生きてる女にとって、外見を磨くことは死活問題になってくる。
見た目が悪いと居心地が悪い、注意される、みたいなヌルい話では済まない。
生物学的に外見重視なのは女よりも男、という統計を見て、さらっと納得する男は少数でしょ。女からしたらさもありなん、だけど。
ただしイケメンに限るは大嘘。女が異性を選択する基準は自分と(潜在的に、将来生まれる子供の)生存と安全が第一基準だから、
女はパートナーに見た目の美しさをそこまで求めない。だから美女と野獣カップルが成立しうる。
まあ今の社会、男も女も息苦しいし互いをやっかんでる感があるので、どっちがどっちってのでもないと思うけど。
「子供は不細工になる!」
生まれてきた子が結果として不細工だろうが障害児だろうが愛情を注ぐ親は多い。
が、結果以前に、最初から配偶者を欺いて子供を作る奴の嘘や罪は1ミリも擁護されないだろうが。
そうですよ?
「自分とこの相手との間によい子供が生まれそうだ」って判断してやってるんだよ。
それだけ重大な場面で相手を騙すことにアンフェアさの自覚や罪の意識は無いんですかね。
ないならそいつは気持ち悪いわ男でも女でも。
やる前に既に嘘や裏切りがあることとは関係無いだろうが。
アホかお前は。
実際の整形がどうこうっていうより
こういう馬鹿丸出しの出来損ない論理で何かを擁護しようと思う馬鹿が腹立つわ。
こう主張する人は、不細工に生まれるということをリカバー不可能な不幸と捉えているのでしょうか。
「子供を不細工な姿で生み出したくない」と強く思うということは、
不細工に生まれることによるデメリットを非常に大きなものと捉えているといえます。
リカバーできるかどうかは関係無いですよね?
リカバーできるものであろうとも、子供にはなるべく不利や苦痛は除いて良い物を与えたいと思うのが親ですよね?
もっと言えば、「あえて子供にハンデを与えてたくましく育てたい」って親がいるかもしれないしいても良いが、
そういう奇特な親の存在を仮定してもなお、配偶者を欺く奴の正当化にはなりませんよね?
「病気でもないのにメスを入れるのは悪だ!」
これは儒教かね?まあどうでもいいや、興味ない。
整形を受けた人が堂々としていても、それはそれで不愉快なのではないですか?
まず、同性から見たらチートで競争力アップしてるようなもんだからだよ。
「お前も整形すれば良いだろ」とか言っちゃう?
ドーピングに手を出すようなものでどんどん負担が増していく地獄のレースになるよ。
異性から見たらやっぱり紛らわしいミミックとして視界の邪魔にはなるのかも。
女の好みに比べて圧倒的に質素で地味な化粧やファッションが好き。
化粧を全くしないとかおしゃれを全くしないっていうのは社会性欠如のサインとして嫌われる。
確かに、遺伝子的に問題が無い人間ほど美形(平均的な顔)に生まれ、遺伝子的に問題がある人間ほど不細工(平均から逸脱した顔)に生まれる傾向はあると聞きます。
そう考えると、美容整形は「差別を免れるため、持病を隠蔽する行為」に近しいと捉えられます。
これは罪なのでしょうか。「差別を受けないために、うつの病歴を隠して就職すること」も、似たようなことなのではないでしょうか。
アンチ整形の人々の感情的な物言いを見ていると、不細工に生まれるという生まれつきの不運を、お金を貯めてリカバーすることへの強い憎しみを感じます。
これはあるでしょうね。
だって底辺が繰り上がれば自分が一段落ちるので。人間は卑しい動物です。