2013-07-08

人の心が読めない

仕事だと人間関係の機敏が手に取るようにわかるのに、プライベートだとまったくダメなのはなんでだろう、という話。

自分で言うのも何だけど、仕事上の関係おいては、相手の考えていることや自分の置かれている状況がよくわかる (ということに最近気づいた)。人からは、安定感のある交渉力を持っていると評されることが多いし、思いつく限りでは、リカバーできないほどの誤解や無礼おかしたこともない。

例えば、仕事上のお願いをするときメールを送ったり挨拶をしたりして、こんな返事や態度が返ってきたか自分はこんなふうに見られていて、それなら次はこれくらいまで踏み込んでも大丈夫だろう、ひとまず引いて別な方面から、といったことがよくわかる。

あるいは、飲み会イベント運営など人が集まる場所で数分間観察していれば、誰が退屈していて、どこに人手が必要で、次にどんなことが律速段階になるのか、だいたい見当がつく。自分がそれらを自然フォローする方法も頭に浮かぶ。

もちろん、問題が私の観測範囲を外れることだってあるし、想像で補完したおせっかいをやいてしまうこともあるのだけれど、そんなときは適宜、自分の行動を修正すれば良いし、これまでずっと、ビジネスライク関係おいては、そうしたことを自然にしてきていた。

その一方で、プライベート人間関係になると、おもしろいように人の心が読めない。自分に向けられているのが好意か悪意か無関心のいずれか区別もつかないことさえしばしばあって、後になって、あのときこういうことを言われた・されたのはそういうわけだったのか!と膝を打ったり後悔したり。

プライベート人間関係では、人の気持ちは口に出して言われなければ理解できないし、言われたことはすべて素直に受取って信じてしまう。私の姿が相手の目にどう映っているかもわからいから、自分の行動が、近しい人の心情にどう影響するかもはっきりとは理解できない。

つい最近もそんなことがあって、私のほうは付き合っていたと思っていた相手から、数ヶ月間の「付き合い」の後に、別に好きでもないことを告げられ連絡を絶たれた。忙しいという相手の言葉をその通りに受取っていたのだけれど、思い返してみれば、それは拒否のひとつの形だったのかもしれない。

人の心って、他の人からは、わかるものなのだろうか。

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