はてなキーワード: リカバーとは
念のためはじめに言っておきますが、整形経験者ではないですし、整形を考えたこともありません。
しかしアンチ整形の人たちがあまりにも感情的なので、この人たちは変だと感じ(マジョリティが必ずしも全うな考えを持っているとは限りませんよね)、思ったことをまとめてみました。
「子供が不細工になるから、整形による美形と結婚しても無意味」と考えるということは、
子供をより美形にするために美形と結婚したがっていると捉えることができます。
では、子供がもし不細工に生まれてしまったら、愛することができないのでしょうか?
普通同士や美形同士のカップルからも、不細工な子供が生まれた例はありますよ。
「子供を不細工な姿で生み出したくない」と強く願うということは、
不細工に生まれることによるデメリットを非常に大きなものと捉えているからそう願うのだと考えられます。
子供が収入、人望、勤勉さなどの後天的な部分で頑張っても、不細工であれば無駄と考えてしまうからこそ、
「子供を不細工にする可能性がある遺伝子」を徹底的に回避するのだと思われます。
たとえば生まれつき顔に大きな痣がある人が、これを除去しようとしたとします。これは治療行為と捉えられますよね。
しかし眼瞼下垂による視界の狭さ、目つきの悪さなどに悩んでいる人が、まぶたの形を変えようとしたとします。
これは、美容整形だ、病気でもないのにメスを入れたのだ、と叩かれるのです。
お金を使うのは整形する本人です。痛い思いをするのも本人ですし、失敗のリスクを負うのも本人です。
誰が整形しようが、勝手にすればいいのではないですか?実害は無いのですし。
整形する人がいることで、何か損でもするのでしょうか?
韓国の芸能人のように整形の事実を開き直って公表している人・・・嘘つきではありませんが、それでも非難や侮蔑を受けますよね。
整形したことを公表しようが、隠し通そうが、どちらにしろ不愉快なのではないですか?
整形に成功すると、生まれつきの自分の容姿よりも良い状態の自分を人に見せることができます。
化粧も同じ、髪型も同じ、ファッションも同じです。容姿を"盛る"ことができますよね。
"盛る"ことを一切しない人々は、変わり者としてコミュニティからつまはじきにされることもあるほどです。
化粧・髪型・ファッションで"盛る"人がそこそこ容認されて、整形が別枠で叩かれるのは何故なのでしょうか。
確かに、遺伝子的に問題が無い人間ほど美形(平均的な顔)に生まれ、遺伝子的に問題がある人間ほど不細工(平均から逸脱した顔)に生まれる傾向はあると聞きます。
そう考えると、美容整形は「差別を免れるため、持病を隠蔽する行為」に近しいと捉えられます。
これは罪なのでしょうか。「差別を受けないために、うつの病歴を隠して就職すること」も、似たようなことなのではないでしょうか。
アンチ整形の人々の感情的な物言いを見ていると、不細工に生まれるという生まれつきの不運を、お金を貯めてリカバーすることへの強い憎しみを感じます。
「不細工に生まれたら、一生不細工として蔑まれながら生きていろ」ということです。
「こんなのは自分のいる場所じゃない」「自分はここにいてはいけない」等と思う場合も同様。そういう思いで鬱屈してしまった人間に対して安全に効くのが自分の立ち位置を自分で再確認できるまでの状態に持って行って納得させることor納得できないなら納得できないと思う自分がいると認識させること。
別のルートもあって「あなたの立ち位置を用意しました」とドヤ顔で持ってくる連中もいる。典型的な例でいったらマルチ、悪徳新興宗教ビジネス。すこしおとなし目になると、エンタメ業界。ファンタスティックの語源は宗教的熱狂。能動的にやってくるか、受動的に促すか。
外に求めない場合は、内側に孤独が巣食う。そうすると何らかの依存に走る。アルコール、ギャンブル、恋愛、自己啓発。いっぱいあるよ!清潔や仕事、人間関係に憑りつかれるのもメジャーだね!
ちなみに不安によって社会性が脅かされたりする重度の人間は病気と名付けられるけど、人間すべておんなじです。少しでも揺れたら不安。でもリカバーもする。誰かにメールするという小さいのから夢を信じて追うという大きめのものまで。誰かのために生きるっていうのも強力。どの程度の不安をどの方法でリカバーするかの違い。不安を感じないようにすることなんてできない。メンタルなんか補強はできない。どう対処するかだけ。
まず、自分の利益のために、他人に不利益を負わせて、しかもリカバーする気もなく平然としている
そして、それ以上に問題なのが、その不利益の内容がわかってないこと
「悪いは悪いけど、一人で食っても大して損失無いでしょ」
「お前ってそんな寂しがり屋だったっけ」とか平気でいう
これはもう、"人の物を盗んではいけない"に欠けてる人が盗みを咎められて「100円がそんなに大事?」って言うのとおなじ。
相手が自分で100円落とした時と同じ損失があっただけ。と思っていて、「盗る」の重みがわかってない。
「人の財布から金をとるなんて、とてもできない」
のと同じくらい、
「約束をやぶるなんてとてもできな」くならないといけないのだ
http://anond.hatelabo.jp/20100117134203
http://anond.hatelabo.jp/20100117142733
なあ、君は俺の書いた文章を誤読していないか?
女性とのコミュニケーション能力や距離感を測る能力を、若い頃の成長の過程で身につけられない人間が結構いる。それはちょっと顔が悪いとか、性格がおとなしいとかといった程度のことで女性から冷たい扱いを受け続け恋愛コミュニティといったものから疎外されづけた結果であり、自己責任ではないだろう、と書いているんだよ。
だから、恋愛に対してそもそもスタートラインに立てていないんだ。女性から冷遇され続けた結果、恋愛のいろは的なものを全く身につけられなかった奴が大勢いる一方で一部の男性は高度な恋愛ノウハウを身につけて、更に多くのリソースを恋愛に対して投下する。君の言う、努力している“普通”がそれだよ。
恋愛に対して最初からスタートラインに立てていない奴、立つためにかなりの努力が必要な奴とスタートラインに立てて努力を継続できる奴、最初から有利な位置でスタートできる奴を十把一絡げにして論じている「普通にしていれば彼女ができる」分析は絶対に嘘だ、と言っているのだけど。その種の欺瞞に対して「本当にどこか狂っている」と表現して何が悪いのかと。
つまり、恋愛におけるスタート地点での不平等に言及した内容で、その後の努力によるリカバーを否定したつもりは無いよ。努力したい奴が努力するのは僕は一向に構わない。だから、君が言う努力の質や量の普通水準について論ずるつもりも無い。僕は馬鹿馬鹿しいから、その手の努力はパスするけどね。どれだけ努力しても、最底辺の恋愛奴隷男からちょっとましな恋愛奴隷男になるだけだと思うので。
-----------------------
今、なにが一番ストレスになっているかといえば。
やはり、会社の中で、自分がお荷物でしかなく、誰にも彼にも迷惑をかける存在でしかないということ。
この一点なのだ。
(同期入社の人だって、まだ利益を出せる働きが出来てるわけじゃないけど、仕事を思い込みで進めてよく失敗していて、連絡が遅く、しかも病気がちな私の比ではないだろう。)
仕事が遅れて連日夜10時ごろまで残業するハメになったり、通勤に往復3時間近くかかったりすることは、まあ負担になってないとはいわないけど、大して苦ではない。
うちの会社は、ただ言われたことだけをこなす人間と言うのは感心されず、自分で判断する、自分の意見を主張することを常に求められる風土である。
今の自分がお荷物だというのは、変えようのない現実であって、それを脱するためにはどうすればいいかと言うと、こうすれば良いだろう、こうしたい、と何事にも自分でベターな判断を自然に下せるようにしないといけない。
しかし、自分が評価されていないということを意識してしまうと。自分を信じていない状態でいると、自分の判断はどうせ間違っているだろう、行動を起こしても失敗するだろうという恐れから。日和見、他人に任せる、何もしない、これはまずいんじゃないかと思っても黙っている・・・そんな行動を起こす。
行動を起こせない結果、ますます自分を信じられなくなる。自己不信のスパイラル。
結局の所、この事についていくら考えてみたところで。
たとえ自信がなくても、評価されていなくても、思ったことは主張していくしかないという当たり前の結論しか出ない。
そもそも、先輩や上司だって、自分の行動に常に絶対の自信を持って動いてるわけじゃない。
失敗するかもしれないという不安は、誰もが常に持っているはずだし、それでも自分のやるべきことをやっているはずだ。
ただ、上の人間は、失敗した時どう責任を取るか、どうリカバーするかは考えているし、部下や家族とか守るべきものがあるだけ、責任を背負う気概もあるはず。
それだけの話だろう。
おかしいな。この答えには、すでに半年前にたどり着いていたハズだけど。
どうしていまさらこんなことを考えているんだろうか。
-----------------------
これを書いてから、1年9ヶ月が経った。
ああ・・・成長してないな、俺。
自営業をやっていると、いわゆる「信用を築くのは大変だが失うのは一瞬だ」という言葉をしみじみ実感する。
何年も同じ仕事をしていると、どうしても「傷」として残る仕事も出来てしまう。
期限が守れなかったあの仕事、連絡が取りづらくなってしまったあの人。
実際のところ、お客さんはそこまで怒っているわけじゃないだろう、とも思うのだけども、宿題を忘れた子供状態で自ら縮こまって引き籠ってしまう。
自分はそこまで特殊な人間ではない、と思いたいが、自分だけかなそーゆーの。
なまじ後ろめたさがある分「せめて完成度をあげてから」とか考えて、ますます時間ばかりかかって連絡を取るタイミングを逸する。
(逸するというか、それ自体が逃げであって問題の先延ばしなんだけどね、結局)
企業とかでもそういうドツボ状態になる人はいると思うのだけども、そういう時に会社などのシステムは、どういうリカバーの手段を用意しているのだろう。
まあ、自分と同じ仕事ができる人が社内に確保できている分、少なくとも客先に迷惑をかける事態まではなかなかいかないのか。
そういうところだけはうらやましい。会社勤め。
http://tayohei.tumblr.com/post/24491283からメモ。
うそをつかない。
そりゃーあたりまえなことだけど。
「嘘に満たないようなごまかし」に慣れると少し恐い。
85%は、まあ大丈夫、たぶんバレないよ。
でも残りの15%で、
自分の首をしめたり、信用を失なったりするかも。
イヤな事ほど早くすまそう。
「ゴメン!」とか「おこられる報告」とかね。
言いたくないっ!ってのはわかるけど、
・言うのをのばせば、だいたいもっと悪化する。
・言わない限り自分の中のモヤモヤは消えない。
んだ。
やるべきことは、やる。
人生は決まるんだ。と信じてるんだ。
「やらない事に慣れる」のも恐いけど、
「やらない事を許される事に慣れる」の方が恐いんだ。
どうせやるなら、楽しく。
時間ってのは、みな同じにあるけど、
それをつまらないと思ってすごすよりは、楽しくすごしたほうがいいと思うのだ。
おもしろい!と思える事とか、楽しくすごす事とか、
そういうのをどう見つけるかだと思うんだ。
しずんでもいいから、その前に手を打とう。
人間だもの、いくらがんばっても気持が沈む事はそりゃ必ずあるさ。
そういう時は無理にリカバーしようとせずに、しずむときはきちんとしずめばいい。
しずみそうだったら、防ぐ方向よりも「しずんでる間に手をつけられなくなるだろう事」
に対して手を打っておくといいよ。
きちんと失敗しとく。
若いうちから成功ばっかりなんてもったいない。
あるていど許される間に、きちんと失敗しておく。
許されるから「失敗を恐れない」のは大切だけど、
「失敗を許される事に慣れる」のはダメ!
甘えにつながって手をぬくようになるから。
http://anond.hatelabo.jp/20070325232514を書いた人です。
http://anond.hatelabo.jp/20070326001744
模写した場合についての話じゃないの?
いや、「模写する場合」と「切り貼りする場合」の区別はないでしょう。
よく言われるように、メガネは顔……じゃなくて「模写は複製の一部です」。
背景や「――数日後」と書いてあるコマなら、切り貼りは著作権違反だが似たようなものを自分で書いた場合は著作権違反ではない。
って事じゃ?
「――数日後」のようなこまは創作性があると認められなければ切り貼りしても大丈夫と考えますが、もしかしたら創作性があるという話になるかもしれません。
でも、私の著作権の理解が正しいならば、創作物と認められなければ大丈夫なはずです。
あと、これは関係ないかもしれませんが、「似たようなものを自分で書いた場合」ということですが、独立に考え出したものであればキャラクターだろうと何だろうと独立に著作権が発生しますね。
http://anond.hatelabo.jp/20070326002027
それはそうかもしれません。
実際にどのように創作性の有無が判断されるのかはわかりません。
http://anond.hatelabo.jp/20070326002750
それはそう思います。
http://anond.hatelabo.jp/20070326003939
ひとこまだけ、ひとつの台詞だけでは、著作権の要件である「創作性」は認められないと思うからです。
と
私はひとこまのマンガが(創作性が低ければ)著作権の保護の対象にならないのではないか、と言っているのです。
は全然違う主張だと思うんだけど。
たしかに、前者の文は「多くの場合は」という前提で書いたのですが、「ひとこまであれば常に」と読むのが自然ですね。
「読みすぎ」も何も、前者だけで、その後の追記も無い状態で、後者の意味を読み取るとか無理だっつの。その後の主張でリカバーされてるけど、元文だけみたら「読み過ぎなくても」、君が「ひとこまなら、一つの台詞なら、創作性とか(常に)ない」と主張してるように読み取れますよ。あと引用要件について触れたのは、単にそちらが「ひとこまの引用なら」と言ってたから「ひとこまだから引用判断かよ」と読み取ったまで。
他の方にも同様のつっこみを受けたところから見て、誤解を与える書き方だったようです。
申し訳ありません。
最初の段階では、「ほとんどのマンガのひとこまは創作性が低いのではないか」という考えが念頭にあったのも、「ひとこまならばみな創作性が低い」と読める文になってしまった原因かもしれません。
追記をした段階では、http://anond.hatelabo.jp/20070326002750で指摘されているように、「実際は創作性が認められる場合が多いだろう」と思い直していたのですが。
あれは嫌味のつもりで言ったのではなく、自分が読んでためになったので、この増田を読んでいる方一般におすすめしたのです。
また、自分が読んだのがほんの入門書1冊であることを明示し、著作権に関する自分の知識のレベルを示しておこうという考えもありました。
書きぶりからして、あなたはどうやら著作権に関しては詳しいまたはその専門家であるようですので、このような言い方をすれば嫌味にとられてしまうかも、とは思ったのですが……
不快に思われたとすれば、ごめんなさい。
どうも私は文の書き方が拙いようですね。逝ってくる。お騒がせいたしました。
どうでもよくないつっこみをした者だけど、
と
は全然違う主張だと思うんだけど。「読みすぎ」も何も、前者だけで、その後の追記も無い状態で、後者の意味を読み取るとか無理だっつの。その後の主張でリカバーされてるけど、元文だけみたら「読み過ぎなくても」、君が「ひとこまなら、一つの台詞なら、創作性とか(常に)ない」と主張してるように読み取れますよ。あと引用要件について触れたのは、単にそちらが「ひとこまの引用なら」と言ってたから「ひとこまだから引用判断かよ」と読み取ったまで。
繰り返すが「その後の主張でリカバリーはされている」ので別にもう蒸し返さんでええよ。あとわざわざ入門書お勧めしてくれるような低級な嫌味は結構毛だらけ猫まっぷたつ。にゃーはぐつぐつ猫鍋日和。