はてなキーワード: モラルとは
ドロップブックスでかるま龍狼の作品集めたというコメントは、まずいと思ったから消したわけじゃないぞ。かるま龍狼の作品が意外とつまらなかった(抜けなかった)から黒歴史として消しただけだ
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俺の中ではかるま龍狼はISUTOSHIや新貝田鉄也郎(他とろろいも一味)と同じカテゴリ。斜に構えた姿勢がかっこいいと勘違いして真正面から仕事に取り組まなかった人。オタク自意識過敏世代の尻尾。
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http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180118151545
少し古い界隈だ。『この増田のタイトルの元ネタ』が何かを知らない人はちょっと無視してくれ。
昔、著作権を大好きだったはてなー達、あるいは今でも好きでいてくれた奴、少しばかり付き合ってくれ。
いや、もう一人もいないだろうな。
お前らが好きなのは「著作権違反している奴らを囲んで斧で叩く」事であって、著作権を守ることそのものには微塵も興味が無いものな。
たまーにブログがパクられたときだけ必死に批判をするけど、その後は平気な顔して自分のブログに本文と関係ない漫画のキャプを貼り付けて遊んでるような連中しかいねえんだよな。
(追記)
形だけでいいからさ。もうちょっとだけ「僕達には著作権という物を大事にする姿勢があります。なぜならそれは創作者に敬意を払うことだからです」って態度でコメントしてくれよ。形だけでいいから。
こういう、馬鹿な大人は今現在も一定数いて、そうでない人も一定数いて、
割合は変化はあれど0にはならないし、極端に小さくもならないので、
別に何も困らないのだが?
社会が不安定化するとしても、それをしたのも、その親のある意味自己責任でしょ?
社会に対するモラルや、マナーがない大人が、いくら育てても同じような人が育つだけでしょうに。
んで、それを何とかするのは行政や政治の責任なので一個人がどうこうする話じゃないのよ。
おわかり?
そして火を放つ為の種火や燃料なんて攻撃対象に張り付いて調べりゃどんなやつでもどんどん出てくる
過去の失言やモラルの欠如というガソリンをふりかけ、イキった発言という小さな炎が揃えばそれを触れ合わせてファイアー!
そして言ってやるのさ、「火のないところに煙はたたない」ってね(キリッ
店内に入るや否や、3~4歳ぐらいの子どもの金切り声が聞こえた。
一方親は子供をカウンター席に置き去りにしながら別のところにいた。
子供は依然として騒いでいる。
自分は「ここは公共の場だから静かにさせなさいよ」と母親に注意した。
すると母親は「何言ってるんだバーカ」と暴言を吐いた。子供が公共の場で騒ぐのは当然と考えているようだ。
隣で喫食していた男性(母親とは無関係)も母親に同調するような発言をした。
母親に注意してその場の空気を気まずくしたことに対し店員に頭を下げて謝罪した。
店を出た後、自宅に戻る途中母親の姿を目撃した。
自分は親の意識改革を促さなくてはと、もう一度さっきの一件について注意することにした。
母親「うるせーよバーカ」
自分「権利意識だけ膨張して、子供をしつけるという義務感に欠けている」
母親「バーカ」
自分「さっきからバカバカとしか言っていないが語彙数に乏しいのではないか」
母親「バーカ」
何を言っても暖簾に腕押し、ぬかに釘だと悟った自分はその場を後にした。
今朝のキュウレンジャーに出てきて、登場人物から「バカ」呼ばわりされ続けたうじきつよし(※敵キャラ)の気持ちが分かった気がした。
それはさておき、しつけという親としての義務を放棄し、それを咎めたら逆上する彼女の程度の低さにただただ唖然とした。
マナーについて躾けられることもなく、自身の野放図を咎められても「バカ」としか言えない親に育てられた子供が果たしてどのように育つのか。
恐らく母親と同じような、権利意識だけが際限なく膨張し、義務や責任から遁走する自分勝手な人間に育ってしまうのではないかと危惧を抱いた。
こうして自分勝手な人たちの再生産が際限なく続いていくのか…と考えただけで気が重くなる。
そして「寛容性」や「お互い様」などと宣い、そういう親を甘やかすような社会の風潮に怒りを覚える。
大多数の親は子供を躾けるという義務を果たしているだろうし、躾けてもなお子供が迷惑行為をしてしまっている…という親に「寛容になる」というのは正しいだろう。
しかし躾という義務から遁走するような手合いに「寛容性」を持てというのは無理筋である。
「公共の場所で騒がない」という基本的なモラルすら教えてもらえなかったのだ。
基本的なモラルすら教えてもらえなった子供は野放図に育ち、知らず知らずのうちに他人に迷惑をかける存在に成り果てるのだろう。
そういう存在は周りも不幸にしてしまう。そしてこの子自身も行ってきた迷惑行為の報いを受けてやがては不幸になる。
この子の将来を考えただけで胸が張り裂けそうになる。
『[翻訳] ドヌーヴ「女性を口説く権利」 全訳』を掲載された方が、"la liberté d'importuner"を「ウザがられる自由」とお訳しになったのはなかなかの技だと思うのですが、惜しいことに、この全訳はかなりの数の誤訳を含み、その結果、多くの箇所で、原文の文意を正しく伝えていません。
以下、大急ぎで、主だった誤訳箇所を列挙し、元記事(http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html)の正確な読み取りに基づく改訳を提案しておきます。「✖」で誤訳箇所を示します。「⇒」でその部分について、正確であろう訳文の例をを示します。ご検討ください。
⇒また、女性に対する慇懃な振る舞いを女性を傷つける男性優位の態度と見なすのは間違いです。
✖正しく意識されるようになった。
⇒意識されるようになったのは正統なことだ。
✖いわゆる普遍の名の下で、
⇒誰にとっても善いのはこういうことだと勝手に決めて、
✖実際、報道メディアやソーシャルネット上で、#metooが巻き起こしたのは密告と、個人個人に抗弁の余地や弁護の余地を与えることなく、性暴力の加害者と同じ俎上で糾弾することだった。
⇒事実、#metooを通して、報道メディアやソーシャルネット上に密告と公の場での告発のキャンペーンが発生した。犠牲になったのは、性暴力の加害者たちとまったく同じ俎上に乗せられ、抗弁の余地も弁明の余地も与えられない人びとだった。
✖「豚野郎」たちを屠殺場へ送り込むこの熱狂だが、女性が自立することを手助けるには程遠かった。 実際には性の自由の敵、宗教的過激主義、最悪の反動主義者に利益をもたらすことになってしまった。この反動主義者は、実質的にはヴィクトリア朝のモラルのもとで、女性を「別扱いな」存在とみなし、女性を保護することを求めながら大人の顔をした子供とみなすのだ。
⇒「豚野郎」どもを屠殺場へ送り込もうとするこの熱病は、女性が自律的になるのをいささかも助けない。それどころか、実際にこの熱病から利益を得るのは、性の自由の敵たち、宗教的過激主義者たち、最悪の反動家たち、そして、実体論的な善概念とそれにともなうヴィクトリア朝風のモラルの名において女性を一種「別扱いの」存在と、大人の顔をしていながら子供のように庇護されることを求める存在と見なす人びとなのである。
✖ミケランジェロ・アントニオーニの映画『欲望』を「女性差別」で
⇒ミケランジェロ・アントニオーニの映画『欲望』を「女性蔑視」で
✖「やりりたいこととやりたくないことに」
⇒「してもいいと思うことと、するのはいやだと思うことに」
⇒人の気分を害する自由
✖彼女は給与が男性と平等に支払われるように注意しているべきだ。しかし、地下鉄で痴漢にあっても、それが犯罪だからといって、トラウマを植え付けられたと感じる必要はない。
⇒彼女は彼女は給与が男性と平等に支払われるように注意することができる。しかし、地下鉄で痴漢にあっても、痴漢行為が犯罪と見なされるからといって、一生涯続くトラウマを植え付けられたとは感じないでいることもできる。
✖評判だおれだったとさえ考えてもいい。
⇒さらには、大した出来事ではなかったと考えることさえできる。
✖女性としての私たちは、自分たちが、力の乱用を超えて、男性たちとセクシャリティへの憎しみという顔をもったフェミニストになることを認めない。
⇒私たちは女性として、権力の濫用を告発することを超えて男性たちとセクシャリティへの憎しみとして表れるフェミニズムに強い違和感を覚える。
⇒ウザがられる自由が男たちの側にあってこそ意味を持つと私たちは考える。
✖そして私たちは、このウザがられる自由にどう応えていくかを知らなければならない。性的な獲物の役割に閉じこもる以外のやり方でだ。
⇒そして私たちは、このウザがられる自由に対して、獲物の役割に閉じこもる以外のやり方で対応する能力を持っていなくてはいけない。
✖子供を持つことを選んだ人々のために、
✖娘たちが気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなどなく、自分の人生を精一杯生きるために十分教育されて自覚を持つことが適切だと考えている。
⇒自分の娘たちが、〔性について〕気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生をのびのびと生きるのに十分なだけの知識を得て意識的になるように育てることこそ適切だと考えている。
✖たとえそれが辛く、生涯残る傷を残すものだったとしても、身体を傷つけられる事故にあった女性は尊厳を傷つけられないし、傷つけられるべきでもない。
⇒女性の身体に関与するアクシデントは、必ずしもその女性の尊厳を傷つけるわけではなく、ときにきわめて辛いものであっても、そのアクシデントを理由に当該女性を終身犠牲者のように考えるのは必ずしも適切なことではない。
以上。
男はそんな事気にしないから。
男は「エロ創作」と言う建前があれば、そこに描かれてるのが盗撮だろうがセクハラだろうがいちいち罪悪感など持たないのが普通。
それを実際に実行したら犯罪や重大なモラル違反、と言う発想すらしない。
バトル漫画を見て「他人殴ったり傷つけたりしたら犯罪だろ」とかいちいち考えないのと一緒。
たまにそれと現実を混同して、現実の女性相手に盗撮やセクハラをやらかす奴もいる。
でも彼女らは、女だからそれを見たら「これ盗撮だろ」「セクハラだろ」と突っ込んでしまうのだ、と考えてるのでは。
しかしBL(男同士)ならその突っ込みを思い浮かべずに純粋に楽しめる。それは他人事かつ「ファンタジー」だから。
「女だから」考えてしまう事を、BLと言うフィルターを通せば考えなくて済む。それを「女をログアウト」している、と称しているのでは。
んでたまにその「ファンタジー」を現実に持ち出して、現実の男性相手にその人と他の男性とのBL妄想を語るというセクハラやらかす奴もいる、と。
そうでないなら、他人をどうにかしよう、どうにかできると考えるのは傲慢ではない?
時代により比率は変われど、世の中には一定割合のそういう人が常にいるものだ。
それをどうにかしようとするのは複雑すぎる困難な問題だし、一個人の手に負える問題ではない。
だから政治がアプローチしようとしている分野。そこに、個人が「常識」やら「モラル」やら「病気」やらを説いて、
説得、恫喝、暴力などで人を動かそうとしたところで、それは人権を脅かしかねないゾーンに足を突っ込むことになる。
だから個人レベルの戦略としては、他人を変えようとするより、自分が変わる・自分の環境を変えることが良策だろう。
身内だったら、無理にでも叱ったり躾けたりして家族全員の価値観をある程度統一することも許されるかもしれないが、前時代的な考え方だ。
価値観の多様化した現代においては、一緒に暮らす家族といえどまったく異なる価値観や問題を抱えている。成人ともなれば尚更だ。
そもそも科学的には自由意志が存在しないのが濃厚で、自己の責任というものも存在しえない。
科学的には存在しないものを、社会的に秩序立てるために存在する、自覚しろと言っている状況がある。
不幸なことに人類は脳がたいへん発達しており、はっきりした自意識は持っている。
ただし、自意識を持っているからといって、神経系の全権を自意識が有しておりコントロールできる訳ではない。
むしろ、1%たりとも自分で意図的に脳を動かせる人などいない。腸を意識して動かせる人がいないように、それは勝手に動く。
その脳は、感覚器を通した周囲の環境からのインプットを、肉体的に好悪を選好しつつ電気的に保存しておくものでしかない。
それに基づいて、その人の言動のようなアウトプットが成される。
それを私たちは、自分の意思で決めたのだと感じているに過ぎない。
それでどうして、自己の責任などと言って、一個体にその言動の責任を負わせることができるだろうか。
その意味で、この宇宙には自由意思をもつものなど存在しないだろう(宇宙を創った神のようなメタ存在を除いて)。
諸器官が作り出すハーモニーが自由意志の幻覚を見せているだけで。
脳をハッキングすれば、その人の好みも価値観も発言もコントロールできることは想像に難くないだろう。
そしてそれには、高度な神経科学の技術は必要なく、大昔から、脳のインプット源をコントロールする、
いわばソーシャルハックのような形で世に溢れている。
というか、教育からビジネスまで、人類の営みのすべてがそのソーシャルハックに終始していると言えるほどだ。
その人が社会に出ることを忌避する思考の持ち主に育った原因には、遺伝的(先天的)なものもあるかもしれないし、
育ちによる(後天的)なものもあるかもしれない。現代では特に、後者の影響も大きいだろう。
人間の脳は成長の過程で、外部からさまざまな情報を学習して、そこで個人個人で異なった価値観を形成する。
普段似たような価値観をもつ人たちと社会生活を送りがちな人間は、そのバラエティの深さについて思い至りにくいし、それゆえ寛容を欠きがちだ。
率直にいうと、あなたがもしその30になっても働かない人として生まれ、その人生を0歳から現在までトレースしてみたとき、
彼と同じようにならない自信が持てるだろうか?持てる人は存在しないだろう。
彼のような状況、心境、価値観に至るには、他人とは共有できないさまざまな巡り合わせの累積があったに違いないからだ。
働かずとも生きているということは、養ってくれる存在がいて、愛されているということだろう。
愛されるに足るだけの存在でい続けているんだろう。
扶養者が親であれば、当人への理解も深かったり、あるいは親としての責任も感じてかもしれないが、
家事を手伝ったり、面倒事を代行したり教えたり、体を労ったり話相手となったり、あるいは存在だけで癒やしとなったり。
会社社会の価値基準でみるとそれらは釣り合わぬ価値かもしれないが、その価値基準がすべてではない。
あるいは相続した蓄えで生活しているのかもしれないが、それはそれで認められた権利だ。
ここは社会主義国家ではないから、働けるけど働かないことが直ちに罪になるわけではない。
それぞれの境遇にあったそれぞれの生き方を模索することが許される現代国家の、労働が急速に自動化されていく未来において、
労働に心身と時間を費やしてきた人の目線だと、働いてこなかった人を見下しがちで怠惰な人間だと思うかもしれないが、
人間は無限に怠惰ではいられない。労働市場でただちに評価される形ではないかもしれないが、
オンラインゲームをしながら、最適解を導き出すために高度な関数やAPIを駆使して計算・発表する技術を身に着けていたり、
あるいはチートやクラッキングについてのディープな知識をつけているかもしれない。
そこまで高度でなくとも、ゲームを続けていたならゲームについて人並み外れた審美眼が養われており、
テスターだとかブログのような形で何かの機会に活かされる可能性がある。
他にも、Webコミュニティ(wikiやギルドなど)のメンテといった、有志に頼る、大変だけどお金にならない部分をニートが支えている例は多いのではないだろうか。
ニートとはいえ、労働市場に出るのは嫌でも、人の役に立ちたい、褒められたいという欲求は人並みにあるものだ。
なので人知れず、市場経済にではなく人間社会に対して良いインパクトを与えている可能性を考慮してほしい。
きっと2ちゃんで良識的で穏健な発言をして荒れるのを防ぎ、初心者に優しくしているのもニートおじさんなのだ。
彼らは、働いて疲れて擦り切れて攻撃的になっている社会人のみなさんの棘を受け止めてくれているはずだ。
ニート歴数年とかの駆け出しニートは逆に精神不安定で拙い言動で迷惑をかけることが多いのかもしれないが、
基本的にニートは肉体も精神も拘束されることがないので、金はないが心の余裕があるものだ。
その余裕で人を包んであげたいと思うのは自然なことで、ネットでもらう匿名の温かい言葉のニートによる率は高いと思う。
忙しい人は、そもそも無関心になりがちで、応じるにしても一言二言で短絡的に答えがちだから。
そんなわけで、増田のみなさんには、働かざる人に対して一概に人格否定したり、どうにかしようと攻撃したりしない人になってほしい。
働かざる人を許容できるようになっていかないと、わりと深刻に国の未来は暗いと思う。
ミニマルな環境に適応し、モノやココロの断捨離に自ずと卓越していくニートの知恵袋が、
収縮していく社会で穏やかに生きるためにはきっと役に立つはずだから。
時にはフレンドリーに、いろいろ話を聞いてみてほしい。
よく話せば、誰しも決して無知蒙昧な人間のクズではなく、世界の見方が世間とは違うだけの、いい意味で「普通の人間」だと気づくはずだ。
http://shiba710.hateblo.jp/entry/2018/01/09/073000
曰く「ダウンタウンは笑えない」「これからの笑いはレインボー」
よし、じゃあ俺が二度とレインボーで笑えないようにしてやるよ。これ見ろよ。
https://www.youtube.com/watch?v=re9yLZy6ftY
はいアウトー完全にアウトー。「性同一性障害の小学生を笑いものにするネタ」ですね!こんなことやってたらイジメにつながるよね!学校で「おっぱいが大好きですって言え!」ってイジられるよね!あとクリス松村に失礼。
でこのコンビ、「レインボー」っていうコンビ名といい、女装する方のネタ中の仕草があまりに板についてるとこといい、ひょっとしたらLGBT当事者?とか匂わせてる癖にこんなに配慮に足りないネタやるわけ。あー笑えない。もう全然笑えない。
みたいなこと書かれてどうよ?怖くなるだろ?レインボーを褒めたエントリこのままにしといたら不安だろ?「追記」とか書きたくなるだろ?要するにお前は怖いんだよ。ネットの他人からポリコレ棒で殴られるのが怖いんだよ。「弱者をイジる笑いを肯定する奴」ってレッテル貼られて、有象無象のポリコレネット戦士達に事あるごとに突き回されるのが怖いんだよ。だからもう、「ダウンタウンじゃ笑えない」って宣言しなきゃいけない気持ちになってんだよ。
去年の年末以来、ネットで山ほど「弱者を笑い者にするのは許せない!」って連中が湧いてるよね。でもあいつら根本的に勘違いしてんだよ。日本の「お笑い」って文化は、社会規範とか格付けとかモラルとか「正しさ」とか「行儀良さ」とか、そういうものから逸脱した個人や行為を見て、それに対して「笑い」っていうポジティブな反応をすることで、そこにいくばくかのシンパシーやらリスペクトやら、ものすごく広い意味では「愛」を見出すことなんだよ。
ダウンタウン松本が、若手芸人のどうしようもないネタにハマったとき、彼は顔をくしゃくしゃにして「こいつアホや」って言うんだよね。実際に世間にいたら/世間でやったら嘲笑されるか無視されるような「逸脱」に対して、彼は小学生みたいな(多分こどもの頃から変わってない)笑い方で答えるわけ。そんで罰金払ったりケツを叩かれたりする。全然見下していない。あれが「お笑い」の本質なんだよ、多分。
俺らだってこどものころは、貧乏な家の発達障害っぽいバカな友だちがケッタイな真似をすることに腹抱えて笑ってたのよ。でも大人になるにつれ、世界中のあらゆる人間関係を「上か」「下か」に分けて捉えるようになっていく。と同時に、「上」の人間が「下」の人間を笑うことが「嘲笑」にしか見えなくなってしまう。弱者やマイノリティは「下」、そして強者やマジョリティの笑いは全て「自分が上である」ことを前提とした嘲り、見下しにしか感じられなくなってしまう。見下すのはポリコレ的にアウトで、後ろ指を指されるし、これまで他人に散々後ろ指を指してきた自分の立場が脅かされる。だから笑えない。
だから、この世の全てが「上か下か」で、ポリコレ的に「上」である自分の立場を手放せない連中は、女であるベッキーがタイキックされたら大騒ぎするし、ウーマン村本が「権力に噛み付いて」見せたら大絶賛するわけよ。そういう連中はもう、「お笑い」ってものが理解できない体になってしまってる。じゃあいいじゃんもう。見なけりゃいいじゃん、で黙ってりゃいいじゃん。自分のポリコレ的優位性をアピールするためにお笑いをダシにするの止めろよ、見苦しいんだよ。
各集積所を回っては“お目当て”を探し抜いてゆく。
ここ最近、資源ゴミと不燃ゴミの日(指定袋に入って持てるなら大型ゴミで出すものも不燃ゴミになる地域)になると、必ずといっていいほど、同じ地方に属するナンバーをつけた回収業者が来る。
朝6時半とか7時に。市の回収業者が10時以降にしかこないのでそれまでに。
知ってる限り2台はいる。
以前、不燃ゴミの収集日で、仕事の出発前に集積所に出すため、自宅敷地内の玄関先に朝出しておいた金属ゴミが入っている不燃ゴミを置いていた。それを外から見つけたのか、インターホンわざわざならしてくる輩。
強い口調で、いや眠くて不機嫌ながらに、『あなたは市の業者じゃないだろう』というとふごふごいいながら、立ち去った。
周辺のご近所さんところでもインターホン鳴らしては要らない原付などの“お目当て”を回収してた。
不審者は通報するしかないかと思い、通報だけはして自分の不燃ゴミはもちろん集積所にちゃんと出した。
集積所から私の金属ゴミやら、余所様の金属ゴミの入ったもののみ抜き取ってすたこらさっさと消えた。
この前に通報した警察官から、また不審者が居たら通報してくださいと言われ通報。
そのときの会話では、
・もちろん自宅内にあるゴミを勝手に持って行かれたら窃盗になる。
・集積所の中に入ったゴミは回収自治体の持ち物となるため、自治体が被害届を出さないといけない。
という話だった。至極当然な話ではある。
たぶんインターホン押してきたのはもしあとからもめて窃盗にならないよう同意を取ろうとしたのだろう。
集積所の話となると、自治体側に聞かなければならない。
・違法回収がひどい地域にこちらから収集日の朝などにパトロールなどは行くようにしてる。
・集積所に出してるのは住民の方々だが、集積所に出た時点で自治体側になるのはわかってるのでせっかく回収したゴミが適切に回収されず、申し訳ない。
ということだった。
税金納めているから、なんでもやれ、それくらいやるのが普通だろ!という極端クレーマー理論は展開する気はない。
ただ思うのは指定ゴミ袋をきちんと買って、日や時間を守ってだすのに、ルールもモラルもない輩にもってかれ、どう処分されてるかわからない。
むしろ都合のいいとこだけ抜いて知らない場所に投棄されてるかもしれない。
仮にも事件になったとして、ゴミを適切に出す側には何の落ち度もないし、疑われる話すらないが、ただ自分の出したゴミが輩のせいで、事件後に迷惑をかけて他人様にまた回収してもらうゴミになってしまうのが嫌なのだ。考えすぎかもしれないが。
しかも指定ゴミ袋だってわざわざ買うのに焼却処分されずにわからないところへ行ってる。
何のために袋買ってるんだよ。
よくわからない勝手に無料回収の輩を見つけた瞬間に警察に不審者として通報するか、はたまた状況証拠を抑えて自治体に知らせるしかないのか。
個人的に考えたことをつらつらと。誰かに熱く語るのもなんなのでここで。
随分黒人差別でネットが盛り上がってるな〜と思ってツイッターとかで色んな人の意見を見た。差別だ、いや過剰だ、ってのはもうその人の感性とか育ち、環境によって違うものだから分かり合えないと思った。特に日本は移民を受け入れていないし、海外にでようと思わないと出る必要もない。1度も日本を出たことない人にとったら、黒人差別問題を日本に持ってこられても確かにピンとこないよなと思う。
そんな私は少し海外で暮らしたこともあって、アジア人差別もされたことあるし、黒人の差別だって肌で感じることがあった。そこで今回の問題から日本社会に感じたことは、日本が世界から置いてかれるんじゃないかなって。そんなのどうでもいいという意見は置いておいて。日本の中流家庭の多さは本当にすごいと思う。多くの人が衣食住の最低限はあるし今のところ格差と言ってもアメリカ程酷くない。でも、これからは少子化で世界を相手にしていかなくては日本が衰退するのは明らか。違う文化や考えを持つ相手を理解して尊重しなきゃ会社として残っていけない。
私だって色んな差別的な考えを持っているし、世の中男女差別、年齢差別持ってる人が沢山いると思うけど、それをテレビで放送するのとスタバで友達と話すのじゃあ雲泥の差だと思うから。テレビを見なくなったとはいえ、やっぱり影響力があるもので、何だか今回は差別問題というよりもテレビのモラルにがっかりかな。色んな日本の会社がグローバリゼーションって頑張ってる中流れに逆らうよね。
少なくとも私は日本が好きだし日本人だし、豊かな生活を続けたいからこんなことを思う。実際白人黒人色んな人種の中で暮らせば本当に人種で人を判断するのはくだらないと実感するし、そんなの無くなれと思いながら目の当たりにすると解決策が浮かばないんだよね…。
「神話の崩壊」が喧伝され、あらゆる種類の「変わり者」たちが警戒の対象となり、単なる迷惑化はおろか法的な意味での予防検束を可能にするさまざまの改「善」がおこなわれる。欧米では男尊や女卑が主な警戒対象となっているが、もともと同調圧力の強い日本社会では、21世紀以降、ほとんどありとあらゆる「変わり者」たちが狩られ始めた。
「○○ハラスメント」や「○害」といった造語が急速に浸透して“犬も食わぬ”ものであったはずの体罰や子供の大声や騒ぎ声に行政が容易に介入できるようになり、喫煙者や飲酒者や公務員は迫害され、某国の工作員や左翼や右翼の存在がクローズアップされ、裏社会は合法活動の領域からも締め出され、成人犯罪はおろか少年犯罪にも厳罰が要求され、昔であれば迷惑に過ぎなかった行為が軽犯罪扱いされ、中流はすでに貧乏に等しいような貧困予備軍の扱いを受け、もちろん鉄道や学校に対しては「空港や基地にだけ例外的に適用」されているはずだった「迷惑施設対策」だの「誘致地域への経済的優遇」だのといったバッシングや炎上事態が恒例化した。「アニメや漫画の青年趣味を卒業しない」とか「車やバイクを成人後も敬遠する」とかのちょっとした「小さな変わり者」すら断固とした批判の対象となった。監視カメラyや精神科が街じゅうに設置され、「コンプライアンス」「モラル」「マナー」が叫ばれ、小心者に何か用事があるとは思えない中小企業にも「脱ブラック企業」の標語が掲げられるようになった。
それらのすべてが字義どおり「戦乱行為」として展開されているのだが、「反戦」の文脈でそれらに異議を唱えている者はたぶん今なお日本では少数である。「戦争したくなくて震え」たりすることもあるらしいリベラル派は、全体主義やエコロジーや反自由主義運動と親和的で、「その意味での戦乱政策」のいくつかに関しては積極的な推進勢力であったりさえする。むろんリベラル派どものみならず、国民の多くが「戦乱政策」の数々に諸手を挙げて賛成していよう。
好戦的な国民感情に迎合し、戦意高揚を煽り、それに煽られてますます好戦的になる国民感情に迎合する、2001年の9.11以来の新聞やテレビの報道は、私の目には「戦時報道」にしか見えないのである。そういうものに私は感化されたくないし、もちろん感化されない自信もあるけれども、とにかくちょっと接するだけでも不愉快になって、心の健康に悪いので意識的に遠ざけるようになってしまった。
あなたの思い浮かべた言葉はエッチな言葉ではなく体の一部を示す名詞です!
法律に関しては改定がボトルネックになりますから、モラルや空気の方がリアルタイムにアップデートされる民主と言えます
過半数以上の人間がエッチな意味でその言葉を使っているのであればそれはモラル的にエッチな言葉と言えそうです
そこで私は調査を行いました
公平を期す必要がありますから男女5人づつにあなたの思い浮かべた言葉にエロスを感じますか?とアンケート取りました
十分に信頼できるデータです
アンケートの結果を見るまでもなく8割の女性がエッチな言葉と捉えているようです
男性はどうせみんなエロいのですから9.5割の人があなたの思い浮かべた言葉にエロスを感じています
言葉としては一般的な名詞でしたがモラル的にはエッチな言葉ということが私の社会的立場という大きな犠牲を持って証明されました