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2018-01-13

anond:20180111072916

『[翻訳] ドヌーヴ「女性口説く権利」 全訳』を掲載された方が、"la liberté d'importuner"を「ウザがられる自由」とお訳しになったのはなかなかの技だと思うのですが、惜しいことに、この全訳はかなりの数の誤訳を含み、その結果、多くの箇所で、原文の文意を正しく伝えていません。

 以下、大急ぎで、主だった誤訳箇所を列挙し、元記事http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html)の正確な読み取りに基づく改訳を提案しておきます。「✖」で誤訳箇所を示します。「⇒」でその部分について、正確であろう訳文の例をを示します。ご検討ください。

✖そのことがマッチョ侵害行為保証することにはならない。

⇒また、女性に対する慇懃な振る舞いを女性を傷つける男性優位の態度と見なすのは間違いです。

✖正しく意識されるようになった。

意識されるようになったのは正統なことだ。

プロフェッショナルのせかいにおける性暴力だ。

職業生活の中での性暴力だ。

✖いわゆる普遍の名の下で、

⇒誰にとっても善いのはこういうことだと勝手に決めて、

✖実際、報道メディアソーシャルネット上で、#metooが巻き起こしたのは密告と、個人個人に抗弁の余地や弁護の余地を与えることなく、性暴力加害者と同じ俎上糾弾することだった。

事実、#metooを通して、報道メディアソーシャルネット上に密告と公の場での告発キャンペーンが発生した。犠牲になったのは、性暴力加害者たちとまったく同じ俎上に乗せられ、抗弁の余地も弁明の余地も与えられない人びとだった。

✖「豚野郎」たちを屠殺場へ送り込むこの熱狂だが、女性が自立することを手助けるには程遠かった。 実際には性の自由の敵、宗教的過激主義、最悪の反動主義者に利益をもたらすことになってしまった。この反動主義者は、実質的にはヴィクトリア朝モラルのもとで、女性を「別扱いな」存在とみなし、女性保護することを求めながら大人の顔をした子供とみなすのだ。

⇒「豚野郎」どもを屠殺場へ送り込もうとするこの熱病は、女性自律的になるのをいささかも助けない。それどころか、実際にこの熱病から利益を得るのは、性の自由の敵たち、宗教的過激主義者たち、最悪の反動家たち、そして、実体論的な善概念とそれにともなうヴィクトリア朝風のモラルの名において女性一種「別扱いの」存在と、大人の顔をしていながら子供のように庇護されることを求める存在と見なす人びとなのである

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性差別」で

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性蔑視」で

✖「女性として振舞うことのトラウマに苦しんでいる」ことを

⇒「女性登場人物たちが被ったトラウマ」を

✖「スイスで提出されている法案

⇒「スウェーデンで提出されている法案

✖「やりりたいこととやりたくないことに」

⇒「してもいいと思うことと、するのはいやだと思うことに」

中指を立てる自由

⇒人の気分を害する自由

彼女給与男性平等に支払われるように注意しているべきだ。しかし、地下鉄痴漢にあっても、それが犯罪からといって、トラウマを植え付けられたと感じる必要はない。

彼女彼女給与男性平等に支払われるように注意することができる。しかし、地下鉄痴漢にあっても、痴漢行為犯罪と見なされるからといって、一生涯続くトラウマを植え付けられたとは感じないでいることもできる。

✖評判だおれだったとさえ考えてもいい。

さらには、大した出来事ではなかったと考えることさえできる。

女性としての私たちは、自分たちが、力の乱用を超えて、男性たちとセクシャリティへの憎しみという顔をもったフェミニストになることを認めない。

私たち女性として、権力濫用告発することを超えて男性たちとセクシャリティへの憎しみとして表れるフェミニズムに強い違和感を覚える。

✖ウザがられる自由無しでは上手く働かないと私たちは考える。

⇒ウザがられる自由が男たちの側にあってこそ意味を持つと私たちは考える。

✖そして私たちは、このウザがられる自由にどう応えていくかを知らなければならない。性的な獲物の役割に閉じこもる以外のやり方でだ。

⇒そして私たちは、このウザがられる自由に対して、獲物の役割に閉じこもる以外のやり方で対応する能力を持っていなくてはいけない。

子供を持つことを選んだ人々のために、

私たちのうちで子供を持つことを選んだ者について言えば、

✖娘たちが気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなどなく、自分人生を精一杯生きるために十分教育されて自覚を持つことが適切だと考えている。

自分の娘たちが、〔性について〕気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生をのびのびと生きるのに十分なだけの知識を得て意識的になるように育てることこそ適切だと考えている。

✖たとえそれが辛く、生涯残る傷を残すものだったとしても、身体を傷つけられる事故にあった女性尊厳を傷つけられないし、傷つけられるべきでもない。

女性身体に関与するアクシデントは、必ずしもその女性尊厳を傷つけるわけではなく、ときにきわめて辛いものであっても、そのアクシデント理由に当該女性を終身犠牲者のように考えるのは必ずしも適切なことではない。

以上。

2009-02-01

淀川長治の年間ベスト

淀川長治キネマ旬報年間ベスト10で最高点をつけた洋画リスト

1949年 大いなる幻影ジャン・ルノワール

1950年 自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ

1952年 巴里アメリカ人ヴィンセント・ミネリ

1954年 嘆きのテレーズ(マルセル・カルネ)

1958年 白夜(ルキノ・ヴィスコンティ

1959年 恋人たちルイ・マル

1960年 太陽がいっぱいルネ・クレマン

1961年 素晴らしい風船旅行アルベール・ラモリス

1962年 野いちごイングマール・ベルイマン

1963年 アラビアのロレンスデヴィッド・リーン

1964年 突然炎のごとくフランソワ・トリュフォー

1965年 81/2(フェデリコ・フェリーニ

1966年 マドモアゼルトニー・リチャードソン

1967年 欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ

1968年 2001年宇宙の旅スタンリー・キューブリック

1969年 アポロン地獄ピエル・パオロ・パゾリーニ

1970年 サテリコンフェデリコ・フェリーニ

1971年 ベニスに死すルキノ・ヴィスコンティ

1972年 フェリーニのローマフェデリコ・フェリーニ

1973年 スケアクロウジェリー・シャッツバーグ)

1974年 フェリーニのアマルコルドフェデリコ・フェリーニ

1975年 ザッツエンターテインメントジャックヘイリーJr

1976年 トリュフォー思春期フランソワ・トリュフォー

1977年 ロッキー(ジョン・G・アビルドセン)

1978年 家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ

1979年 木靴の樹(エルマンノ・オルミ

1980年 ルードウィヒ/神々の黄昏ルキノ・ヴィスコンティ

1981年 ブリキの太鼓フォルカー・シュレンドルフ

1982年 ゲームの規則ジャン・ルノワール

1983年 ディーバ(ジャン=ジャック・ベネックス)

1984年 カルメンカルロス・サウラ)

1985年 田舎日曜日ベルトラン・タヴェルニエ)

1986年 シテール島への船出(テオ・アンゲロプロス

1987年 グッドモーニングバビロン!(タヴィアーニ兄弟)

1988年 ザ・デッド(ジョン・ヒューストン

1989年 生きるべきか死ぬべきか(エルンスト・ルビッチ

1990年 フィールド・オブ・ドリームスフィル・アルデン・ロビンソン

1991年 シェルタリング・スカイベルナルド・ベルトルッチ

1992年 ヒア・マイ・ソング(ピーター・チェルソム)

1993年 マルメロの陽光(ヴィクトル・エリセ

1994年 オリーブの林をぬけて(アッバス・キアロスタミ

1995年 スモークウェイン・ワン

1996年 ケロッグ博士アラン・パーカー

1997年 世界中アイラブユー(ウディ・アレン

 
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