はてなキーワード: モラルとは
https://blogs.yahoo.co.jp/naginon/65975073.html
1.個人の主義・思想は自由です。個人の意見、記事に賛同する方を
個人のバッシングに拡大し、さらにその地位や社会的立場を悪くするような言動は慎んでいただければ幸いです。
公開する事は慎んでいただければ幸いです。(ここで言う「一般的」とは各種snsの「プロフィールの公開情報」を指します)
これはもちろん何の強制力も持ちません。
この議論を行う事で周りの方への迷惑、被害を最小限にするための
大変お手数をお掛けいたしますが、当方記事へのご反応頂いた方、記事より派生する当方以外へのバッシング
本人が一般的に公開していない内容の情報公開、及び所属団体、地位を危うくする言動
以上の該当箇所の削除をして頂ければ幸いです。
該当箇所:
1.当方以外のtwitterアカウントへの言及
どうか周りの方を巻き込まないで下さい。以上。
記事名及び不適切な表現を修正いたしました。(2018/2/1 12:50)
アンダーグラウンドのつもりだった場所も掘り返され白日の下にさらされるようになった
「現実で言えないことはネットで言うな」ってモラルが形勢されていくから
必然的にそういう話が持ち上がってくる
昔は反対されたけどこれからはそうじゃなくなるだろう
インターネットの世界を現実と区別しない人たちが大多数になったんだからね
追記:
要するにgoogleが悪いんだ
アラフォーが子供のころは子供達が住宅地の道路で大声を出して遊ぶのは当たり前だった
駅や道がタバコの吸い殻まみれなのも電車での喫煙も当たり前だった
犬のふんは草むらにごろごろしてたし
近所に犬を繋がず門を開けて前を通ったら吠えながら外に走り出てきて追いかけて来る犬も居た、今から考えるとあれは何だったんだろう
今なら考えられない
良くなったと考えるのか息苦しくなったと考えるのか難しい所だ
無意識に「いただきます」ってつぶやきながら合掌していたのだけれど、
「合掌」は宗教的な動作として、(特に外国人から見たら)なかなか強烈なヴィジュアルだと思う。
もっとも私は無宗教で、別に特定の神に対して祈りを捧げていたわけではない。
弁当を調理した工場の人や、食材の生産に携わった農家や、食べられるために死んだ生き物に祈ったのだろうか。
幼稚園や小学校では、だいたいそんなニュアンスの動作として教え込まれたような気もする。
「お残し」という戒律破りをすると、
どんな悪党でも、心のどこかで多少は彼らに対する罪悪感にさいなまれるわけで、
現に「いただきます」教は、いまでも食品ロス問題への効用があるはずだ。
しかしこの「いただきます」教には、少なからぬデメリットも存在するように思う。
たとえば、
①「いただきます」教の原理主義的教諭による、なかば拷問的な完食の強要。
②食品生産者への盲目的な礼讃により、消費者が「買わない」「食べない」という意思表示を示すことの困難(昨今のウナギ問題など)。
などなど、色々思い浮かんでくる。
特定個人を指した上で、それが建設的な批判になる状況なんて無いと思います。
せいぜい「言ってすっきりする」とか「気を回さなくてちょっと楽」程度の事が関の山なのでは?
基本的には、特定個人に対する「ブス」は今も昔も名誉毀損のラインに引っかかるものです。
パブリックな空間に対して発信された内容について、名指しされた者が申し立てを行えば
元増田の主張は「隠れて小さな悪事をはたらく余地が無くなるのが嫌だ」という事でしかないのでは?
それを「危機」と言いたいのならば「小さい悪さをする人々にとっての危機」なのでしょう。
そこに賛同する事はできません。
これは、エリートで有るとか無いとか、
そういう一切に関係なく「パブリックに接続し得る全ての空間におけるモラル」の問題です。
一個前のトラバにも書きましたが、どうしてもそれをしたいのであれば、
パブリックとは完全に隔絶した空間を作ってその中で行って欲しい。
或いは、それでも敢えて、
パブリックな空間で特定個人を指したネガティブな発言をするのであれば
その発言から生まれる揉め事を正面から受け止める覚悟を持って行って欲しい。
そうしている人は沢山います「ちょっとだけだから免責してよ」は通りません。
元来パブリックな空間に向けた発信とはそのくらいの責任が伴う物です。
それを「堅苦しい」と嘆くのは単なる甘え以外の何物でもないと思います。
言いたいことを言っていいから他人に対して悪意の言葉を吐いていいの?
ネット黎明期からそうだけどマナーは当たり前のようにあるんだよ。
モラルも何もないような世界じゃないんだから、やってはいけないことくらいわかるでしょ。
わからないで言いたいことも言えないとか言ってるなら、そりゃ抑止力が働くのは大賛成だわ。
元増田みたいのに罰を与えてくれるんだしね。
先日、どこかの掲示板にプロ野球選手の嫁をブスだと書きこんだOLが名誉毀損で訴えられてニュースになった
これはもうインターネットに気軽に書き込むことが許されなくなるってことだろうなと思った
僕はインターネットを弱音とか愚痴とか、たまには悪態をついたりする場所として依存してきた面があって
辛い時にけっこう救われてきたと思う
こんな使い方が出来たのは掲示板が小さなコミュニティだと思っていたからだが、今はそうではないらしい
また、ネットは道徳に縛られない考えを書き込むことで発想に広がりが出る場所だとも思っていた
ディベート的な議論において道徳ってほんと邪魔なんだけど、現実の日本だとそれは難しい
ネットならそれが出来たけど、もう無理だろうな
インターネットが開かれた空間になり、テレビと同じ空間になり、相互監視になり、モラルの押し付けと言葉狩りが強化された
僕らはすべての発言に責任を持たなければいけなくなったし、道徳に目配せして書き込まなければいけない
多くの人にとっては当然のことなんだろうが、インターネットの無法地帯に救われてきた身としては鬱屈とした日々に戻らなきゃいけなくなって非常につらい
ブクマで皮肉芸やってる人たちもそろそろ気をつけたほうがいいよ
「ブス」程度の発言でも気軽に訴えられるようになったのだから、これからいろんな人が訴えを起こすようになる
今のうちに言いたいことを言っておこう
王様の耳はロバの耳!
王様の耳はロバの耳!
王様の耳はロバの耳!
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1: ブスと言わせろと言っているのではなく、ブスで名誉毀損になる時代になったので
その他の発言についても締め付けが厳しくなり、客観性のない発言や、客観的でも誰かを傷つけると判断されれば
2: 怒っている人もアウトのブコメしている人がいます。ふと気が抜けて、感情的になってしまったり、非論理的な憶測をすることありますよね
普段きわどい発言をしている人もいるようですが、自覚がないようです
罵倒させろという意味ではありません。ディベートの態度ではなく、論理の展開に道徳によるブレーキが必要ないという話です
人前でディベートをするとなると、道徳的に疑われるような仮説を引っ込めなければなければなりません
ディベートだからと言っても現実ではある程度のコードがあるわけです
例えば「戦争は勝てるならするべきだ」「いかなる理由があってもするべきではない」というディベートは
(道徳と倫理は区別されていて、道徳というのは時代と場所に制限され共有されたローカルな価値観のことです)
「ネットで悪口を言うべきではない。傷つく人がいるのだから」というのも道徳です
A 「絶対にバレないLINEグループ等なら自由に言っても良い」
B 「それはバレなければ赤信号を渡ってもいいという理屈ではないか」
A 「その通りだ。事故が起きるか起きないかが問題なのだ。来もしない車を待つことに何の意味がある」
B 「ルールというものは、個別に存在するのではない。共同体の価値観に敬意を持てるかどうかが大事なので、小さな例外も認めるべきではない」
A 「ルールがあって共同体があるのではない。我々個人があって共同体があり、共同体があってルールがあるのだ。個人よりルールを崇拝するのは本末転倒だ。本題に戻ろう」
B 「本題に戻るなら、やはり悪口を言うべきではない。LINEグループの誰かが漏らして、本人に伝えるかもしれない。そうすれば本人は傷つく」
A 「それは私が書いた悪口ではなく、本人に伝えた人が傷つけたことになるのではないか」
B 「いや、悪口を書いた先に起きうることを考えなかったあなたが悪い。ネットではなく日記帳にでも書いていればいい」
A 「しかし、紙に書いたとしてもそれがどこかで漏れれば本人が傷つくことになるだろう。紙に書くのも問題ではないか。
B 「いいや、そもそも悪口を書こうと思う精神がよくない。他人だけではなく自分を貶めることになる」
A 「違う、私達はそもそも貶められ苦しんでいるのだ。どこかでもやもやとした感情を発散しなければ生きていけない人もいるだろう」
B 「発散するのは自由だが、それによって他人を傷つけるのは生贄と変わらない。他の方法を考えるべきだ」
A 「だから、バレなければいいんだって。他の方法を簡単に探せると思うな。悪口が一番効率的なのだ」
B 「いや、バレれば訴訟のおそれがあるのだから、余計に苦しくなる。もっと生産的な方法があるはずだ。スポーツとか」
B 「それはその人が悪い。そのような底意地の悪い人の気持ちまで考えてやる必要があるのか?
A 「確かに。ストレスがなく、お互いを承認しあえる美しい社会であれば、私も彼らも他人を中傷せず、誰も傷つかないかもしれない(きれいな目)」
4: 「悪口でもなんでも自由に言わせろ」と書いているのではなく、過剰にビクビクせずに書き込みが出来る「民度の低い村」だったインターネットが終わったんだなあという、そういう話です。
終わって来ていたのは認識していたけど、決定打が来たなという話ですね
普段から休めないので年休がオラオラたまっては毎年度末に自然消滅していく仕事についている。
そんな職場における今年の1月はこうだ。
年始「正月だけど誰か職場に残ってないといざって時対応できないから交代制で出勤してくれ」
インフル「休んでいるやつが多くて職場がヤバイ。ちょっと体調がすぐれない程度の奴は出てきてくれ。ただしインフルになったらすぐに病院にいけよ。今年のインフルは熱が出ないこともあるらしいから見極めは完ぺきにやってくれ」
大雪「電車は普通に動いてるんだから職場に来てくれ。念のためいつもより早く来てくれよな。取引先の中には雪で休んでる所もあるらしいから、そっちがやる仕事を軽くするために、いつもより細かい部分まで仕事をしてもらうぞ」
インフル再流行「寒い中出てきて体調を崩したやつがいるらしい。頼むからインフルにかかったら病院に行ってくれ。ただし、インフルじゃないなら絶対に出てきて欲しい」
なおインフルでもないのに病院に行ってしまった人は、「こんな時にサボるなんて何を考えているんだ」と言われておりました。
この職場はもうだめです。
心が締め付けられたことはたくさんあるのだけれど、あの、小室哲哉が、
などというカミングアウトをしなければならなかったことに、何とも言えない悲しみを覚えている。
全盛期の小室哲哉は、モラルなんて全然ない、有り余る才能と金に物を言わせ、やりたい放題やる男だった。
控えめに言って音楽がなかったらほとんどただのクズ、いや音楽があってもただのクズだった。
そんな彼が、自分には男性機能がもう働かないから不倫なんてない、けれどこれを戒めとして音楽を辞める、と、それを失ったらもう彼が彼でないものを全て捨てていいと言うほどに、何もかもに疲れてしまっていること。
ただただ悲しく、ただただ虚しかった。
こんなもの見たくなかった。
満員のスタジアムでスポットライトに照らされて、照れ臭そうに片手を上げて去っていく彼。
女癖が悪くてモラルのかけらもないけれど音楽の神様だけには愛されてる、そんなクズのままでいいから、そんな彼を見送りたかったよ。
楽観的すぎると思われるかもしれないが、正直この手の個人のコンテンツ制作者がモラルとプライドを捨てることで名を売って稼ぐってやり方が通用するのは法律や被害者が現状に対応できていない現時点においてのみの話で、いずれ成立しなくなると思うよ
あとリンク貼ってるTABILABOってサイト、CINRAとかナタリーみたいな文化系情報サイトと同種のものと思ってるのかもしれないけれど、最近(悪い意味で)話題になってるWELQとかと同じたぐいのキュレーションサイトなので注意してね。運営元も色々と問題ごと起こしてるから参考までに
あとその記事書いてるライターさんもプロフィールとか調べてみた感じ特に記者経験とかあるわけでもないようなので、インタビュー記事書いてはいるけどあなたとそれほど立場や能力に違いがあるもんでもないと思うよ
電車でつり革捕まってたら、隣のオッサンが急に足を踏んできて睨んで来る。
何度も何度も
逆サイドの女性の足もわざと踏んでた
半端やってんじゃねーよ小悪党
悪事をやるならトコトンやれや
俺を殺すぐらいまで悪になれ
俺はネット始めた頃にこれを聞いてその後1年ぐらい現実世界で「韓国人やべぇ……」と言い続けた苦い過去がある。
今でも時折、同じような病にかかりたての人を見ることがある。
温かい目で見守りながら「そうだったんですか!」「へぇ~~」と若干賛同してるけどあまり本気にしすぎては居ない感のある解答をする事にしてやっている。
賛同されすぎても『ネットDE真実を知ったお前らより少し上の俺』という感覚が薄れそうで可愛そうだし、否定されても困るだろうし、下手に質問されてネットで仕入れた知識の外に出てこられても困るだろうと考えて、この当たり障りのない解答をすることにしたのだ。
そんな日々を乗り越えているうちに、最初にネット新自慢に羅患してから結構な年月が経ったわけだ。
そして今あらためて思うのは、日本にいる外国人の立場を考えれば、ヤバい人間の割合が日本人より多くなるのは当然なのではないかということだ。
日本にいる外国人の多くは、普通の枠組みから外れた立場に立たされている。
その足場は不安定であり、いつセーフティーネットの向こう側に転げ落ちていくとも分からない。
そんな人間たちの中から犯罪を犯す人間が現れやすくなるのは当然だ。
犯罪は基本的にコスパが悪いので豊かでありさえすれば犯罪なんかに手を染めない人間が多数派であろう(豊かであっても犯罪をやる人間や、豊かゆえに犯罪のコスパがよくなってしまっている人種もいるが、それは流石に少数派だと信じたい)。
立場の弱い人間に居場所を作るには国全体に余裕がいる(モラルもだが)。
この国にはそこまでの余裕はない(モラルもだ)。
だから居場所をなくした人間たちは、真っ当な方法では手に入らない居場所を手に入れるために非合法の手段を使う。