はてなキーワード: ゲットーとは
ああいうのいっぱい作ろう
・駐車場がいっぱいある
・病院が歩いて行けるところにいっぱいある
・老人が徘徊してても誰も驚かない
・町中段差がない
・人口動態的に女だけの町はここに位置する。おばあちゃんがたくさん散歩してる
【タワーマンション】
・たまに金持ちが高級車で出てくる。高層階で何をしてるかはわからない
[追記]
なんで誤解されてるのかわかった気がする
子育てとかシルバーとか、年代で区切って暮らそうってコンセプトだと思われてるのか
ネーミングが悪かった
俺が言いたいのは「何かが許せない人はある区画に立ち入らなくても生活できるように」ってことで
例えば
・子供が店で騒ぐ
・異性児が公衆浴場に入ってくる
こういった諸条件のうちどれが許せる、許せないってのが人によって違うじゃん?で、ある程度クラスタ作れるじゃん?
そいういのを区画わけしようと思ったのよ
全部許せる人はどこに住んでもいい
そういうのはゲットーでもいいよ
どうせ「誰もお前にセクハラしねーよ」って年になったら
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20180226/1519614972
そもそも「白人という属性から権利を取り上げ完全な独立国家を作る」事で解決したアパルトヘイトや「ドイツ人という属性を占領で否定」し解決したユダヤ人ゲットーを考えれば区別も反差別側たり得ると容易にわかる
南アフリカにおけるアパルトヘイト終結後、白人は権利を取り上げられていませんが。
彼らには選挙権も被選挙権も、それどころか「白人の利益を主張する右翼政党を結成すること」も認められています。アパルトヘイト後初の全人種選挙には、つい先日までアパルトヘイト万歳を唱えていた右翼政党も参加し、完全比例代表制の下で一定の議席を得ています。アパルトヘイト下で与党であり続けた国民党は、連立与党としてマンデラ政権に参加しました。
「区別も反差別たり得る」って、アパルトヘイトが何なのか理解してないでしょ。南アフリカという一国で制度化された「区別」と立ち向かい、黒人も白人も区別のない「虹の国」を作ろうとしたのが反アパルトヘイトですよ(もちろん黒人至上主義のひとたちもいたけど、彼らは主流ではないし、現に白人は政治的権利を剥奪されてないですよね)。
「区別も反差別たり得る」は、ひょっとしたら正しいのかもしれない。
でもその実例としてアパルトヘイト解決を持ち出すなんて、ネルソン・マンデラやデズモンド・ツツや、アパルトヘイト撤廃のために闘ってきたそのほかのひとたちに失礼すぎる。
レシート受け取らずに、差し出したところそのレシートのぞき込んで残高確認するのやめてくれないかな。自分で手に取ってから見てほしい。キモい。あの瞬間が嫌で吐きそう。永遠に感じる。
チャージ残高つまりnanacoのことでセブンってバレるわけだけど(そんなことどうでもいい) 増田には"コンビニ"関連の人達がいろいろ書いてるみたいだしいいよね
最近始まった。こんなことする人見かけるのは最近になって初めて。
名札の顔写真見て、どうこう言われるのも嫌。そら髪型も違うだろ。「こっちのほうがいい」とか知らねーよ。
あーマジで早く辞めたい。同僚もマシな人達だし、オーナーもとてもいい人だけど、客がクソ
ここでバイト始めて、接客が嫌いになった。もう人とも会いたくない、関わりたくない。仕事でもプライベートでも
”接客”だから仮面被って演じては来たけど、辛い。でもまだ精神病むほどではないと思う。
でも何年もやっても合わないと思うんだから性に合わないんだろきっと
世の中いろんな人間がいる。あるコンビニから見える世界が全てじゃないとは思うが、ひどい人間ばかりだ。同じ人間とも思いたくない人種もいる。
なんでこんなゲットーみたいな地域にコンビニだそうと思ったんだオーナーは。つくづく思う。知らないけどやはり儲かるからなんだろう。
なんで辞めようとしないのか。
・時給が高い
・この歳でまたバイト?
生活かかってるし、奨学金の返済もあるし。かと言って毎日バイトだと体壊すし。
新しいバイト先でクソな上司とか同僚に当たる可能性考えたら、クソな客に耐えてたほうがいいのかなーと考えたり。
前にDQNな大学生とイザコザがあって二度と経験したくないと思った。
いろいろ天秤にかけて、それなら自分で稼げるようになるか正規が見つかるまで我慢したほうがいいかなーって感じ。
どこで道間違えたのかなーって過去を振り返る
高校受験でもっと頑張ってたらなーとか高校のときのバイト代全部貯めてたらどうなってただろうとか
あーなんて自分って愚か。もっと勉強して早く就職してえ、分かってるのにね
馬鹿だよねーフリーターの一人暮らしで奨学金返済してるやつなんている?
実家帰りゃいいじゃん。免許ないんだよねー地元車ないと生活できないし。
貧乏人が大学行くために上京したのが一番の間違いだったのかなー。
http://anond.hatelabo.jp/20161204230447
様々な要因の影響を受けながら、ユダヤ人たちは強制連行を受けとめていた。彼らはもう何年もの間ゲットーに閉じ込められ、飢えと渇き、恐怖と苦痛にさらされ続けていた。そうした人びとは既に絶望し諦め切っており、連行命令に従いがちだった。強制連行の中でナチ・ドイツによってもたらされた恐怖はもはや抑えがたいほどに膨れ上がり、彼らは打ちのめされ、感覚を失い、脱出や抵抗への意志を打ち砕かれてしまっていたのだ。その上連行されてゆくユダヤ人たちの圧倒的多数は、自分たちは労働のために移送されてゆくと、実際本気で信じていた。彼らは東方への再定住に希望を繋いでさえいた。そこには仕事もあるのだから、まさか自分たちが後にするゲットーよりもひどい事はないだろうと。彼らに期待できることはもう、それしかなかったのだ。どこか知らない東の地の他には…。
いずれにせよ、ただユダヤ人だというだけで何の罪もない老若男女が連行され殺されるなど、誰にも予測のできようはずもなかった。 予測しようにも特定民族の完全絶滅など、未だかつて誰ひとり、経験したためしがなかった。
連行にはナチ・ドイツ以外の国々の警察隊も加わった。ポーランド「青色警察」、オランダ「緑色警察」、フランス、ルーマニア、ハンガリー警察、ウクライナ、リトアニア、ラトヴィア、エストニア警察その他、それはユダヤ人強制連行が行われたすべての国々に及んでいる。
多くの非ユダヤ系住民が強制連行を目撃している。玄関口から、歩道から、彼らは連行をただ見ていた。悲しみと同情を表わす顔もあれば、大喜びの顔もあった。だが大多数の人びとは、見知った仲の隣人が追放されてゆくこの痛ましい光景に、無関心なようだった。まるで彼らは、何も感じていないかのようだった…。
駅に到着したユダヤ人たちは窓を塞がれた貨物列車に詰め込まれた。しばしば100名から150名、ときにはそれ以上が、その半数ほどしか収容できない1両の貨車に無理やり押し込まれた。貨車には外から錠が下ろされ、列車が収容所入口に着くまでドイツ兵もしくは警官が随伴した。列車は何事もなければ数時間で済む収容所までの道のりを、幾日もかかって走ることが度々あった。東方のソヴィエト戦線に向かう軍用列車が通るたびに退避線に入っては通過を待ち、再出発の許可が下りるまで何時間も停車していたからである。
すし詰めの貨車の中の有様は、言語を絶していた。貨物車なので便所などひとつもなく、詰め込まれた人びとはバケツか、さもなくば床に用を足していた。換気装置も水もなく、車内の温度は夏になると水ぶくれができるほどに上がり、冬には逆に氷点下に下がった。これらの要因は収容所到着を待たずに大勢の人びとが車内で死亡する原因となった。特にポーランド領のゲットーからの便では、収容所到着時に数百名がすでに死亡していたという例もある。
ヨーロッパ西部とバルカン半島諸国での強制連行は、東欧でのやり方とは若干異なっていた。連行が決まった人びとはまず自国内の移送収容所に抑留され、数週間あるいは数ヵ月後にポーランド行きの列車に乗せられた。彼らの場合ポーランド系ユダヤ人の場合よりは待遇が良かったので、移送中の死亡率も低い。西ヨーロッパ系ユダヤ人が貨物列車ではなく客車で移送されて行ったケースもある。もちろんそれは、労働のために移送されて行くという彼らの幻想を引き伸ばすための手段に過ぎなかったが。
列車が絶滅収容所に到着するとユダヤ人たちは貨車から降りるよう命じられた。ベウゼッツ、ソビボル、トレブリンカの各収容所に着いた人びとは、ここは移送収容所であり、ここから各労働収容所へ送られることになる旨を伝えられ、そしてこう言われた−「シャワーを浴びるから衣服を脱ぐように」
脱いだ衣類は消毒に廻された。女性は衛星上の理由と称して髪を切ることを告げられた。男性は女性と子どもたちから引き離された。荒々しい殴打と威嚇の中を、丸裸にされ運命から見放され呆然となった人びとは「シャワー」へと追い立てられて行った。それは確かに「シャワー」ではあった。ただしそれは「ガス」のシャワーだった。
アウシュヴィッツでは、人びとがホームに降り立つと通常は「選別」が行われた。約20パーセント−若く体格の良い人びと−が強制労働のために集められ、「ガス室」送りを一時延期された。しかしそれと同時に、年齢も体調もおかまいなしに、到着するなり全員が何の選別もされずに「ガス室」に追い込まれた場合もある。一方では、稀にではあったが、到着した全員がしばらくの間ガス殺されずにいたこともあった。
ナチの念の入った偽装と隠ぺいのシステムの中で、「ガス室の中で絶命する」という犠牲者たちの運命は常にあいまいにされ、彼らは最期の瞬間までそれを知り得なかった。
ナチス・ドイツが構築した排除の装置は恐るべき効果を挙げた。数百万に上るユダヤ人が等しく殉難の試練を受けた。それは彼らがいまだ家庭にある時より始まり、絶滅収容所のガス室をもって終わった。
http://anond.hatelabo.jp/20161204224426
全ヨーロッパのユダヤ人をドイツ領ポーランドの絶滅収容所へ移送する−これは、途方もない作戦である。遂行にあたっては詳細な計画、広域にわたって組織化された設備施設、そして輸送・補給・宿営のための大がかりな兵站機構が必要だった。連行作戦にはドイツの広範にわたる政府機関と組織が巻き込まれている。ハイドリヒが作戦の指揮を執り、1942年5月の彼の暗殺後はハイドリヒの後継者、帝国中央保安局長エルンスト・カルテンブルンナーがこれにあたった。あらゆるSS機関、支配地域の様々な民間の権威、ドイツ国防軍、そしてナチの衛星各国政府が連行作戦に動員された。特にドイツ鉄道組織は連行されたユダヤ人の集団を絶滅収容所まで輸送する手段を提供し、強制連行に加担した。次のことは特筆に値するであろう。何よりも軍隊が鉄道を必要としていたにもかかわらず優先順位を記したナチのリストによれば、ユダヤ人鉄道輸送の割り当ては、軍隊のそれよりも優先されていたのだ。
全ヨーロッパからユダヤ人を連行するということは当然、5つの絶滅収容所に彼らが到着するということでもある。列車同士のブッキングを防ぐため正確なダイヤグラムが必要となった。ダイヤグラムの組み立てにあたっては、それぞれの収容所の絶滅施設の能力も考慮に入れなければならなかった。ガス室があるといっても全員を短時間でガス殺できない収容所へ列車を付けるわけにはいかなかったからである。
ユダヤ人連行は秘密裏に進められたので、大がかりな隠ぺいと偽装工作が行われることになった。連行される人びとに対しては、東方のどこかへ労働に行くのだという情報が流されていた。このためポーランド在住ユダヤ人はソ連領内のナチ占領地域に連れて行かれるのだろうと考え、他国のユダヤ人たちはナチ領ポーランドへ労働のために送られると信じていた。ナチは、嘘がほころび連行に不審感や不安感を持たれないよう、念の入ったことをした。 連行の途中あるいは収容所到着後何人かに対して、故国に残した家族あてに葉書を書くよう強要したのだ。家族が受け取ることになる葉書にはこうしたためてあった−「自分たちは元気に生きている。ここはただの労働収容所で、快適だ」− 差出人は数時間後にはもう生きてはいなかったのだが。
強制連行の手順と方法は大体決まっていた。連行が迫っているという噂が数週間前から広まることもあったが多くの場合、連行命令は予告なしに突然執行された。連行される人びとに与えられた猶予はきわめて短く、2、3時間かあるいは数分だった。まず、ユダヤ人たちは家を出て指定された場所に集合するよう命じられた。集合場所は大抵駅の近くだった。所持品は手荷物以外許されず、彼らは自分の財産のほとんどを置き去りにするしかなかった。手荷物の重さは一人当り10~15キログラムに制限されることもあった。荷物の中身は主に衣服、炊事用品、寝具などだったが、そこには仕事に使うための道具類も加えられていた。働きに行くだけだと信じていたからである。
重い荷物を背負い、包みを抱え、子どもも年よりも、ユダヤ人たちは駅までの何キロもの道のりを行進させられた。年寄りや病人が荷馬車やトラックで隣村から運ばれてくることもあったが、行進は基本的には徒歩だった。行進から脱落した者はその場で射殺され、歩けない病人や隠れていた者も同様に見つかり次第射殺された。複数の小規模ゲットーで同時に連行が行われた場合、それぞれのゲットーの人びとは一つの集団にまとめられることもあった。こうした集団の隊列は長さ数キロメートルにも及んだ。天候は考慮されなかった。凍てつく冬の雨の中、焼けるような夏の太陽の下、隊列の行進は絶えることがなかった。
ところでさ、話は変わるけど、君はニートや無職って死ねばいいと思う?なんでニートは死なないのだろうと思う?ニートなんか死ぬしか無いだろうと思う?
いやいや、死ぬ必要は無いんだけど、ニート・無職を強制労働させたらどうだろう?
だってニートは社会のクズだよね。そういうダメ人間は強制収容所で「保護」して強制的に労働させながら再教育したらいいよね。
今、政府与党の皆さんが一億総活躍社会を目指し身を粉にして頑張ってくれている。この状況を考えれば、活躍しない(=働かない)国民は政府の方針に反する非国民と言っても過言ではないだろう。
君はニートや無職らは自身の存在に申し訳ない気持ちを持っていると思うかい?もし持っていないならば図々しいよね。君がニートに恥を知れと思ったとしても、誰からも責めないはずだ。だって君の考えは正しいのだから。
我々を含めた多くの国民=勤労者は日本経済を支えて国の税金を負担している。つまりニートは勤労者の方々の苦労や血税にタダ乗りしていることになるんだ。言い換えると「ニートは国家社会資源を搾取している」ことでもあるんだ。恐ろしいことだと思わないかい?まるで寄生虫だよね。
ここで日本国憲法で定められている国民の三大義務を思い出してみよう。「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」だったね。
あれあれ?義務教育は出たとしても、ニートは3つのうち2つも義務を果たしていないよ?これで日本国民と言えるのだろうか?いいや、君の考える通り、やはり言えないよね。これではもう迷惑行為どころか犯罪行為と考えても良いのではないだろうか?つまり無職は犯罪に等しいんだ。
そこでだ、厚生労働省所属機関として、ニートの強制拘束権と拳銃所持権を付与された「ニート保護部隊(ニートGメン)」を組織したら、もっと良い国になると思うよね?
そう「無職人問題の最終的解決」さ。人権屋なんかの戯れ言なんか気にしなくていいんだ。ニートの間は人権を一時凍結させようじゃないか。義務を果たしていないなら権利もない。そんなことは誰でも知っているし人間集団として当然だよね。とにかくそれにはゲットー(強制居住区)、いや言葉のイメージがもし悪印象なのであれば「国立勤労再教育センター」でいいだろう。ニートをそういう施設で保護する法律を成立させるだけで解決するんだ。
やり過ぎ?いやいや安心して欲しい、日本の国家は鬼ではないからね。永久剥奪ではなく再教育センターで真人間に戻ったら、国民としての権利を凍結解除してあげるんだ。
さあ君、想像してごらん、ニートや無職が居ない国って最高に素晴らしいと思わないかい?聡明な君なら、きっとこの誇りある国へのプランに必ずや賛同してくれると思うんだ。ここまで詳細に書いたのも、君のポテンシャルを見込んでのことなんだよ。
「私はブログを愛していました。毎日真剣にコミュニケーションしていたつもりです。周りにはいつもブロガーがいました。トラックバックとソーシャルブックマークで繋がっていたんです。オタクもサブカルも主義者もいたし、道化、変態もいました。ユーチューバ―のおままごとと違って、正真正銘の道化や変態です。
仕事が終わると、いつもラップトップに張り付いてアンテナをチェックしました。寸暇を惜しまずブログを読み、ブログを書きました。私にとってブログとは、自由になるための手段でした。彼らもそう思っていたでしょう。しがらみに揉まれず、率直な意見をぶつけあう空間。誹謗中傷と批判の区別のつかない人間もいましたが、自由のうちにそういうノイズが混じるのは仕方のないことです。それでもノイズを我慢してブログを続けられたのは率直に意見交換ができたからです。
ときには自分自身への囚われからも自由になれました。私は一人ではなかったからです。信頼できるブロガーからの批判になら、私は耳を傾けることができました。他者の批判は、自分自身の防衛機制を照らす小さな灯です。あまり利口ではない私と彼らでも、知恵を出し合い、意見を出し合い、一人ではたどり着けない何かをアウフヘーベンできました。私にとって、web2.0とはそういう経験だったのです。
ときに讃えあい、ときに批判しあい、ときに潰しあい、そうやってブログを楽しんでいました。土日祝日もブログを欠かしませんでした。アカウント生命を賭けた戦も何度もやりましたし、痴情のもつれがブログをクラッシュさせるところも何度も見ました。人間の最も汚い部分から最も尊い部分まで、すべてがそこにあったのです。
あなた達にはご理解いただきにくいところかもしれませんが、ほんらいブログとは自由なのです。ガンジス川のほとりのように。そして私も!彼らも!ブロガー!!だったのです!」
Yes!
Yes!
Yes!
『賛成多数、汝を戦闘ブロガーと認定する。“獰猛危険”の烙印を施した後、はてなシティ引き回しのうえ、“ゲットー”での謹慎蟄居を命ずる。今後は市民に対するいかなるコミュニケーションも許可しない。良いな?id:○○○○』
「なぜですか!私はコミュニケーションがしたいだけなのです!自由なブロガーの!ブロガーの自由をお認めくださいませ!」
『ならぬ。汝ら戦闘ブロガーは、今という時には不要な存在なのだ。命(アカウント)があるだけでもありがたいと思え』
「どうして手斧を投げてはならぬのですか!どうして討論してはならぬのですか!」
『討論など今のブロゴスフィアには要らぬ。
やれ!』
「や、やめ、ギョワーーーー」
焼きゴテが押し当てられ、男の額には“獰猛危険!”という烙印。
倒れ込み、牢に投げ込まれる男。
『市民諸君!また一人の戦闘ブロガーを適正に処分した!シティの平和は守られ、ますます繁栄するであろう!』
※この台本はフィクションです。登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。
http://anond.hatelabo.jp/20150111070135
を書いたものです。
mahomi4 全く的はずれすぎ。
というコメントがありまして、この人の見る当を得た見解ってのはどういうものなんだろうとブックマークをたどったところ、
http://blog.goo.ne.jp/iida-miki/e/0d68f604177d2bdeb387e20a5dc9afb0
という記事にたどり着きました。扱っている事実が同じなのに見解が正反対というのもなかなか面白いのですが、少々以上に気持ち悪いと感じたのも事実です。
その気持ち悪さを説明するのも手間がかかるのですが、やってみますと、
親がどの国出身でどんな宗教を持っていようがフランス国民として
平等に生きていけることになっている。とはいえ本当に違いがないか、
うまくいけば(理念上は)素晴らしいけど、そんなに簡単に
あり、地区ごとに生活環境もかなり違うので、移民の子として生まれ、
(今朝のLe Mondeにはシャルリーの絵に対して今でも怒っている
アンテグラシオンやライシテの実態について、その限界を認識しながらもルソーまでひもといて、全体的にはフランス万歳!とまとめている点です。ベルばらのオスカルでしょうか。
私がすごく気持ち悪いと言うのは、こういうことをフランス人が言うならまだわかるのです。マジョリティの側にはどうしても見えてこないものというものがあります。それは善悪の問題ではなくて立場の問題です。
有働出人みたいな人がそうでしょう。まあ、あの人の活動はそれなりに有意義な部分がありますが、あの人に代表されるような白人マイノリティは、有色人種の国、それも支配階級にはならない日本や韓国に来て、初めてマイノリティ性というものを味わうことになります。そうすると見るものさわるものすべてが刺々しく感じられる。
アメリカにいる時は警察官が黒人を狙い撃ちにしてもあまり気にもしていなかったような人が、職務質問を日本の警察官にされると激怒する。年間何十人と言うレベルで何とかバッシングで死者が出ているオーストラリアから来た人が、じろじろ見られるくらいで韓国はレイシストと騒ぎ立てる。
こういうことは日本では私たちがマジョリティだから言われて初めて気づくという面もあります。言われてもただ反発するだけということもあります。自らがマイノリティとなった時に、マジョリティである時の視線・態度をかえりみるにまでなれればいいのですが、残念ながら、女性に暴力を振るう黒人男性、同性愛者を差別する女性は珍しくありません。
そしてそれを更にマジョリティの側が、見ろ見ろ、連中はこんなに野蛮だぞとはやしたてる。
あるドイツ人と話していた時、我が国は民主的でリベラルで、世界に冠たる我がドイツ、みたいな話になって笑ってしまったのですが、まあそれはその人個人の話なので、ドイツ人って全然変わっていないよねとは言わないでおきましょう。ただその人には人種差別はどこにでもあるけれど、東洋人がしつこくチンチョンチャンとまとわりつかれる国はドイツ以外ではそんなにはない、年間百人以上ヘイトクライムで殺されている国はそんなにはないということは「見えていない」のですね。
リベラルであると言うことが、他者を見下すこと、見ろ見ろ連中はこんなに野蛮だぞってなることが、リベラルがそのためのエクスキュースになることがあるのです。
リンク先の記事の何が気持ち悪いかと言えば、日本人で、パリに住んでいて、未だにシャルリー・エブドに怒っている中学生は新聞の記事でしか見たことがなくて、見えないゲットーに守られていてマジョリティのような顔をしている、それがすごく気持ち悪いのです。
国民戦線のルペンだって、アンテグラシオンは同化政策と言う意味で、ライシテはイスラムを強制的に同化せしめると言う意味で大賛成なのですからね。
歴史をひも解いて言うならば、フランス革命以後、フランスは確かにリベラルな原則を打ち立て、それを徹底してきた歴史があります。公平を期して言うならば、第一次世界大戦後、日本が列強に要求した人種平等の原則に英国とアメリカは反対しましたがフランスは賛成したと言うことも付け加えておきましょう。
しかし同時に、そのリベラルでライシテな共和国下においても、フランスもまた数々の非道をなしてきたことは忘れてはなりません。
フランスでは支配層の横の流動性が高く、文化人、メディア関係者が政界に横滑りすることも珍しくはありません。新聞人であったクレマンソーが第一次大戦期のフランスの首相であったように、エリート層は全体として支配階級を形成しています。ポール・デュシャンは二十世紀半ばのジャーナリストで、第四共和政期にアルジェリア行政官に就任して、監獄を視察しています。その時、アルジェ独立派の囚人たちの身体に、拷問の後があるのを見て首都に報告しています。その拷問の傷跡は、デュシャン自身の身体にもありました。ナチスに捕らわれていた時に拷問された跡です。
パリ解放の日の記録をサルトルが書き残しています。ルクレール将軍に率いられた自由フランス軍の入城をもってしてナチスのパリ占領は終わりを告げて、自由だ!自由だ!というはじけるような喜びを書いています。そうして成立した自由なフランス、ライシテなフランスの下でアルジェリアでは拷問が行われていたのです。
インドシナでのフランスの動きも決してほめられるようなものではありませんでした。フランス当局もいちまいかんで行われた人身売買はナチスから解放された人たちの手によってなされたものですし、フランスはインドシナ独立を抑えるため、アメリカに対して原爆の使用を執拗に求めています。これも、自由なるフランス、言論の自由なフランスの体制下でなされたことです。
私はいちいちフランスの過去の悪行をあげつらって、批判したいのではありません。フランスのリベラルな諸制度も国家制度の補完部分であるにすぎず、国家制度そのものを、相対化して批判するようにはなっていないということを言っているのです。フランスの内部にいるシャルリー・エブドは水の中にいるため水の重さを知りません。自分がネジであるに過ぎないことを理解できていないのです。それは結局、彼の中にマイノリティ性がないからであってマジョリティ側の暴力について無自覚であったからです。能力の問題ではありません。性格の問題です。
批判と言うものは嘲笑や侮辱にならぬよう、あるいはそうなっても構わないのは権力の側に対してのみ、その注意深さが必要です。風刺画というメディアは明らかに全方位になす批判の方法にはむいていません。
http://elielierika.hatenablog.jp/entry/2015/01/06/023000
社会的に罪を償った人間の社会復帰を妨げるようなこのような意見は、犯罪歴という「スティグマ」に対する差別にほかならない。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%C6%A5%A3%A5%B0%A5%DE
社会復帰してはならないというのならば、暴力団などの犯罪組織の中で暮らせということなのだろうか?
不安だからという理由で社会から排除するということならば、ナチスによるゲットーとなんら変わりはないのではないのか?
社会学者のハワード・S. ベッカーはOutsidersという著書において「逸脱者」を生み出す社会構造について論じ、
「逸脱者」とは「逸脱者」の行為によってではなく社会(マジョリティ)からのラベリングによって「逸脱者」になるとしている。
つまり上のブログで行われているようなラベリングが社会からアウトサイダーを生み出し、かつて社会秩序に組み込まれない非差別集団としての穢多非人を生み出した行為である。
昨日はたくさんの共感・肯定・否定・誹謗・中傷のコメントをニヤニヤして読みながら寝た。
共感コメントは単純に嬉しかったし、自分と違う思考の方の意見も大変参考になった。
ただし、1つだけどうしても許せない意見があった。
結婚して「やったー無料の風俗ゲットー!」って……。このひとにとって妻は無料の風俗で女友達は無料のホステスなのか。 / “おっさんが水商売の店に行く理由” http://htn.to/k5m4t6
俺は、悲しい。
君のその了見の狭さ、偏見に満ちた思考、愛の無さが悲しい。
きっと愛されて来なかったんだね、かわいそうに。
でも、大丈夫。
俺は君を見捨てたりしない。
いいかい、よく聞いて。
妻は無料の風俗で女友達は無料のホステスなのか?と言う問いは、本質を見誤っている。
『特定のシチュエーション』において、『風俗嬢が有料の理想の妻』であり、『ホステスが有料の理想の女友達』なのである。
スナックに行ったことがあるのか?
それとも働いていたのか?
風俗嬢・水商売の女性をバカにした口調でバッサリ切れるだけの偉い身分なんでしょうか?
神ですか?
それとも殿様か何かですか?
ちげーだろ、偏見だけで語ってんだろ。
そもそもな、30過ぎた男の性欲について、ちゃんと理解してんのかよ?
30過ぎるとなぁ、もう性欲なんて減退してきてんだよ。
10代、20代の頃は射精したくてしょうがなかったが、今はもうあんまりしたくないんだよ。
昔は早漏気味だったのに、気付けば凄い遅漏になってるし。
体力無くなってきてるし。
頑張っていたしていても、途中でだるくなってきて「では、今日はこの辺で。」なんてことが結構あるんだよ。
出来れば激しく腰なんて振らずに、イチャイチャだけしてたいんだよ。
いっぱいキスしたり抱き合ったり、愛されてるって実感するようなことをお互いし合いたいんだよ。
正直射精について言えば、セックスよりオナニーのほうが楽なんだよ。
30代以上にとって、セックスは射精のためではなく、精神的満足感を得るための場なんだ。
まずはそこをしっかりと抑えて頂きたい。
で、本題だが、30過ぎた男が風俗でなにしてるか知ってるのかよ?
一緒にソープ行って、頑張ってる旦那の腰の動きに合わせて手拍子でもしてたのかよ?
してねーだろ。
何も知らねーくせに、全否定してんじゃねーよ。
いいか、30過ぎの男はな、エロいサービスなんてまともに受けてないんだよ。
ベッドに腰掛けて、手をつなぎながらおしゃべりしたり、おっぱいに頬当てたまま黙って泣いたりしてるんだよ。
最後にちゃちゃっと射精することもあるが、しないで帰ることも多々ある。
ストレスではちきれそうな心を綺麗に洗ってもらいに行ってるんだよ。
ちょっとカビ臭い部屋の、ピンクのバスタオルを敷いた硬いベッドの上で、僕らは静かに泣く。
嫁の実家の隣駅に買った35年ローンのマンションから毎日1時間半かけて通勤して
後輩は言うこと聞かなくて
すり減って
すり減って
やりきれなくて。
同期誘ってさくら水産に飲みに行って
たくさん愚痴って
飲み過ぎちゃって
でも気分が晴れなくて。
そんなボロボロの状態で帰ってきた夫が、
「酔っ払ってチンチンは立たないんだけど、おっぱいに顔を当てて泣きながら眠りたい」って言ったのを、
お前は常に笑顔で受け入れているのか?
酒臭いとか
ウザいとか
こっちは疲れてんだよ早く寝ろとか言わずに、
優しく抱きしめてんのかよ?
風俗のおねーちゃんは、そんな俺を何も言わず優しく抱きしめてくれるんだよ。
女神以外の何者でもねーよ。
別に恋したりしねーんだ。
他愛もない話をしたいだけなんだよ。
何度も俺は言っただろうが、一緒に飲む女友達がいねーからスナックに行くんだって。
男は女友達と会っている時に、恋しちゃってるのとは別の感情で幸せ感じてるんだよ。
フワフワした時間って、そういうことだ。
わっかるっかな~?わっかんね~だろ~な~。
大体な、奥さんは無料じゃねーんだ。
一番高い買い物なんだよ。
奴の生活全てオレが背負ってんだ。
メシ代もマンションと車のローンも電気ガス水道携帯電話代アイツの奨学金の返済まで俺が払ってんだよ。
子供にやらせたいという習い事も全部受け入れて、俺が稼いできた金で水泳・ピアノ・英語教室に通わせてんだよ。
奥さんの友だちとのメシ代洋服代化粧代使われていないダイエット器具の代金・・・全部出してんだよ。
最近は犬を飼いたいと言い出しやがった。
で、残った僕のお小遣いは月4万円です。
犬が来たら3万円になるかもしれません。
でも、それは僕が望んで選んだ人生です。
彼女が大好きで
ずっと一緒にいたくて
その奥さんに、ちょっとだけフワフワした時間求めちゃいけませんか?
月に三回くらい、夜、僕のお話聞いていただけませんか?
一緒に寝ちゃ、いけませんか?
僕は贅沢言ってますか?
せめてその間だけでも、有料の奥さんに頼っちゃいけませんか?
ねえ、いけませんか?
暗い部屋で一人 テレビはつけたまま
僕は震えている なにか始めようと
外は冷たい風 街は矛盾の雨
君は眠りの中 何の夢を見てる?
眠れずに叫ぶように からだは熱くなるばかり
Good Night 数えきれぬ Good Night 夜を超えて
Good Night 僕らは強く Good Night 美しく
儚さに包まれて 切なさに酔いしれて
影も形もない僕は
おっさんが水商売の店に行く理由 http://anond.hatelabo.jp/20130515153030
おっさんが風俗で何をしているか知っていますか http://anond.hatelabo.jp/20130517180521
欧州における犯罪事情に対する予備知識も、犯罪に対する心の持ち方も知らない子供が差別者になって日本に帰ってきたあげく、他人に差別感情を吹きこもうとしているのはほっとけないので、ロマについて書き込んでおこう。
欧州の観光地にはロマと称されるスリがどこにでもいるのは間違いない。これは本当に常識だ。しかし他人に差別感情を垂れ流す前に、スリのことをヨーロッパではロマだからスリなのだいう形で差別を発露させていることをもっと知るべきだ。
芸術的なまでに練り上げられた集団プレーに対策は限られていて、実際のところロマっぽい人に注意していたらスられないかというのはない。観光地の人ごみという環境はスリの現場であり、注意して行き取られないようにし、多少取られても困らないようにリスクを分散し、取られたら運が悪かったのだと警察に行く。我々にできるのこれだけである。むしろ件の増田くんはロマっぽい人に注意をすればいいと思っている分、いい鴨のままだ。典型的なスリの手口である、ロマを追っ払ってくれる親切な奴が実はスリの一味、に一番引っかかるタイプ。某知人の言によれば、スリ型採集民にとってたわわに実った果実である。
さて差別言説としてあの記事の問題点はロマが何か全くわかっていないまま、憎らしいスリのエスニシティがロマなら、ロマに対する欧州人の自己中心的な偏見を大量に引っさげて事実と違うロマ像を練りあげてしまったことだろう。
定住をしており、一般のヨーロッパ人とそう対して変わらないロマもいくらでもおり、通常の労働者として働いている人々もいれば、そうでもない人がいる。キリスト教に改宗している人もいるし、そうでない人もいる。多様性のある個人の集まりなのだ。スリに対してロマと名付けるという行為についての想像力の欠如。もし、レイプ被害者がレイプ魔のことをその加害者のエスニシティでxx人と名付けても差別じゃないと考えるのなら世界は平和だな。
欧州人のロマに対するイメージは一般に悪いが、ロマが悪いからというより、ロマを都合のいい蔑視対象にしているからである。レイプ魔や誘拐犯が友人や親族に多いからと言って、友人を作らず親族を避ける人はいないが、前世紀につくられたゲットーに住むロマや遊動民(というより季節労働者であるが)に悪名をつけるのは簡単な話だ。ヨーロッパ人が誰も犯人を見ていないにも関わらず、ロマの少女(老婆、男...)の犯行である、ロマらしき人を見たと犯行を推測する逸話は、ロマ研究ではありふれている。