はてなキーワード: 騒音とは
ネットは基本的にはリアル以上の自分語りが許される。見る方も見ないで避けて通る(スルー)ができる、チラシの裏として使えるからね。
2.(法律上の扱いの違い)
ネットでスルーされまくってそれを不満に思い「もっとかまってちょ」「まわりはもっと自分に都合よくふるまえ」と直接または間接的に主張する人が多いけど、その罰則は通報垢バン、重くて接続規制くらいまで。
地続きであるリアルでは自己主張はげしすぎること(無許可デモとか乞食とか騒音とか暴行とかバイトテロとか)をやったら犯罪者。実際地続きのはずとおもいこんでよく調べもせずリアルに移行した人が前記のような罪状でおまわりさんに捕まってる。
ネットで自分を出しまくりすぎて今もしつこく攻撃をうけつづけている弁護士カラサワ氏、高知トマト氏などをみていると
ざっと今思いついただけだどね
施設のおじさんから、あの女が死刑になると聞かされた。そして、あの女が私に会いたがっていると。もちろん嫌なら行かなくてもいい、けれども、出来れば会いに行って欲しいと。私はそうすることにした。今までずっと、あの女に会って話を聞きたかった。でもその勇気が出なかった。だけど、これが最後ならば。会いに行かなければならない。
私の母は鬼だった。母に殴られなかった日は記憶にはない。包丁で切られた傷は体のあちこちに残っている。私の右足は少し外を向いていて歩きにくい。母に折られた足だ。
私は母に殴られるたび泣き叫んだ。そうすれば母の気が収まるのが少し早くなることを学んでいたからだ。何度か私の声を聞いた人が通報をしたことがあったらしい。役所の人が来たことがあったが、母は全て追い返した。それだけだった。一時期の母は声を上げると怒ったが、役所の人が何もしないことを知るとそんな事で怒らなくなった。
その日も私は泣き叫んでいた。空腹の時に大声を上げるのは辛かったが、そうしなければ地獄は終わらない。私に馬乗りになった母は包丁を首筋に突きつけてきていた。お願いします、やめてください、何度もそう叫んだ。
不意にガラスが割れる音がした。ベランダの窓だ。母ではない。私でもない。そこにはあの女が立っていた。あの女はすでに怒っていたように見えたが、母と私の姿を見ると形相を変えた。初めて、母以外の女の人を怖いと思った。
あの女は母を蹴り飛ばした。そのまま何度も母を蹴って部屋の隅に追いやった。そうして落ちていた包丁を拾い、母の首を切った。真っ赤な血があたりに飛び散り、母は何度も口をパクパクさせて、動かなくなった。
○○県で昨夜未明、マンションに住む無職***子さん(36)が隣室の主婦によって殺害された。近所の人の話によると、***子さん宅は子供の大声で警察に通報されるなどのトラブルがあり、大声に業を煮やした隣家の主婦がベランダを通って侵入し犯行に及んだ模様。***子さんの長女(13)は無事保護された。
施設に引き取られて迎えた初めての夏。夕涼み会で施設のおじさんは私に話をしてくれた。申し訳なかった、僕に勇気がなかったばかりに、君にもあの人にも申し訳ないことになった。本当に済まない。
あの人はここにも警察署にも何度も通報していた。僕もそれを受けて何度か君の家へ行った。けれども何もできなかった。いや、しなかった。君のお母さんが怖かったんだ。本当に申し訳ない。僕が何もしなかったからあの人は君の家へ行ったんだ。そうしてあんなことになってしまった。ニュースでは誤解を招くようなことしか言っていなかったが、あの人は君を救けるためにああしたんだ。本当に、いくらお詫びをしても足りない。
あれから7年が経つ。あの女の死刑は非常に異例、というより日本初のことらしい。ニュースでは、世論が判例に勝ったとか言っている。ただの騒音トラブルで隣人を殺した非道な女に重い裁きを、ということらしい。どうでもいい。
刑務所であったあの女は、記憶にあるよりもずっと優しそうな顔をしていた。会いに来てくれてありがとう、とまずはそう言った。私も会って話をしてみたかったのだから礼なんて言われる筋合いじゃないけど、うまく言えないから黙ってた。
どうして母を殺したの?
ずっと訊きたかったことは、思ったよりもあっさり言葉になった。それを聞いたあの女は、顔を歪めてこう言った。
あなたには本当に申し訳ないことをした。もっと然るべき手段を取るべきだった。けれども私は怖かった。まっとうな手段を選んでいるうちにあなたが死んでしまうことが。もしもあなたが死んでしまえば、私は一生助けられなかったことを許せずに生きていくことになる。それが怖かったから、あんな手段をとってしまった。本当に申し訳ない。
それを聞いて、何だか自分の心が乾いているような気がした。重ねて尋ねる。
どうして私を呼んだの?
次の質問もあっさり出てきた。女は、真剣な面持ちになって言った。
あなたにどうしても伝えたいことがあった。あなたが荒れていることは施設の方から聞いている。だから、どうしても言わなきゃいけないことがある。わかってほしいことがある。
この先の言葉は、何か恐ろしいもののような気がして、体に力が入った。女は続けた。
あなたから奪われたものの重さに、どうか気づいて欲しい。それに気づいてしまったらきっと今以上に辛い思いをすることになるだろうけど、それでも気づいて欲しい。あなたから奪われたものは人が生きる上でどうしても必要な物だから。あなたの中にはまだその欠片が残ってる。あなたが今も生きていることがその証拠。けれどもそれの大切さに気が付かなかったら、あなたはそれを捨ててしまうかもしれない。それだけは絶対にやめてほしい。それは本当に重たく、大切で、欠片しか残っていなかったとしても、それがある限り生きていけるから。その重さに気付けば、少しずつ取り戻していくことも出来る。どうか、それと向き合ってほしい。
そう、今は意味がわからない。それでいいの。そうした時間も大切だから。でも、いつかは分かってほしい。
それだけで、話は終わったようだった。私は事前に施設のおじさんから聞いた話をした。
ずっと前に赤ちゃんが死んだって聞いた。それと母を殺したことに、なにか関係はある?
女は泣き始めた。しゃくりあげるばかりで、何も言葉が出てこないらしい。この傲慢な女の何かを突き崩したことで、私は満足した。
刑務所からの帰り道、女の話を考えた。私から奪われたもの。無理だ。何をなくしたのかもわからないのになくしものを探すことなんて出来やしない。
何をなくしたのかわからない?そうか、確かに何かをなくしたらしい。そうでなければそんな考え自体が出てこないはずだ。
私から奪われたもの。単純に考えれば、あの女が私から母を奪った。でも、あの女の言葉の文脈からすると母ではないだろう。私の中にまだその欠片が残ってるとも言った。そういう意味でも母ではない。
本当に、あの女は何を言っていたのだろう。
自尊心?ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。一瞬でその考えは苦笑に消えたけど。
越した当初は閑散とした静けさを期待していたが、近くを首都高が走ってるので唸りのような音が絶えない。実は騒音まみれである。
そして最寄り駅は東池袋駅。途中にはなにがあるか?大勝軒とココイチと母子二人が殺傷された交差点。そして大量な花束と人形。警察官。
部下に怒っているらしいんだがただただやたらに怒鳴り散らしている声だ。
怒鳴ってる内容もほとんど滅茶苦茶だ、一回スイッチが入ったら部下が何をやっても気に入らないし怒鳴りつけると決めているような感じだ。
この前は男が部下らしき人物を小突いてるのも見えた。
ここ数日はエスカレートしてきて、ほぼ毎日怒鳴り声が聞こえる。何かを叩くような音もする。
騒音扱いでビルの管理室に苦情を入れようかと思ったのだけど、探しても連絡先が書いてない。
正直、聞いてるだけのこっちですらしんどい。
臭いの発生源に対して抱く悪印象が、臭いに対する感情にも影響を与えるという話だから、「残り香に限れば無害」というのは反論にならない。
同じデシベルの騒音でも、必要な道路工事なら我慢するが、隣家の夫婦喧嘩に伴う怒鳴り声は不愉快、というのと同じ。
だからその違いはなに?
大雑把に言えば人類に対する貢献。
自分たちの生活にどれだけ役に立っているか、あるいは害を与えているか、という総合的な評価。
法律の話であればタバコは現状条例による歩きタバコ規制などはあるものの
匂いについて取り締まる法はないので
だから「Aは法律で規制されているからAと似ているBも規制しろ」みたいな短絡的な発想は捨てろ。
俺が言っているのは
「タバコより遥かに役に立つ車でさえも法律で規制されることがある」
「どこまで利用してどこまで規制するかというバランスの問題なんだ」
ということだ。
おまえの言う「論理」って
みたいな短絡的かつ低次元的な発想のことだろ。
多くの努力は報われない。
一週間前、2019年4月14日に VTuber 最協決定戦というお祭りイベントが開催された。
・四人一組のチームを結成し、 PUBG という FPS ゲームで最後まで生き残ることを目指す。
・順位ポイントの他に、チームメンバーのキル数に応じてポイントを付与する。
・チームの総ダメージ量は 500 以下とする(戦力調整)。
最協決定戦には二十チーム、総勢八十名の VTuber が参加し、当日の運営サポートには PUBG SCRIM JAPAN が付き、更には会場を設営してオフラインイベントを開催するなど、大規模なイベントとなった。
YouTube における配信のコメント欄は盛り上がり、大会の最終盤には Twitter トレンド一位になるなど、イベントは成功裏に終わった。
バックに企業を持たない個人が主体となってここまで大規模なイベントを企画・運営したことひとつとっても注目に値するが、どうせ別の人が書いているだろうから、ここでは書かない。
エピソードの枚挙には暇がなく、全体としてとても良いイベントだった。
一週間かかってもチームごとのアーカイブを消化しきれない……そろそろ諦め始めている。
さて、本記事ではこのイベントへ参加した「鍋」というチームに注目する。
(以降、チーム鍋と表記する。鍋だけでは読みづらいため)
チーム鍋のメンバーは皆守ひいろ、天羽よつは、白雪レイド、ベルモンド・バンデラス。
結果を先に書いておくと、チーム鍋は最協決定戦にて総合二位の好成績を収めた。
では、チーム鍋は PUBG が上手いメンバーを集めたチームだったのか?
そうではなかった。
PUBG というゲームはプロのプレイヤーが数多くいるほど奥深く、一朝一夕ではとても上達できない。
撃ち合いひとつとっても、照準(エイム)の他に銃の反動(リコイル)を抑えるテクニックが必要となるし、発砲から着弾まで時間差があるし、銃弾も重力に従って落ちていく。弾を当てることがそもそも難しい。
さらにマップの記憶、乗り物の操作、有利なポジショニングなど、覚えるべきことや慣れるべきことが多い。
チーム結成時点で、明確に PUBG が「上手い」と言えるメンバーは白雪レイドだけだった。
皆守ひいろ、天羽よつはの両名は「PUBG の知識があってそこそこやれる」程度だった。
ベルモンド・バンデラスに至っては「動かせる+α」程度だった。
PUBG.OP.GG というサイトでは PUBG プレイヤーの戦績を確認できる。 2018 Season 2 Beta における各メンバーの戦績を見る限り、上記の表現はさほど間違っていないだろう。
結成最初期の合同練習を見ても、ぱっとした成績は残せていなかった。連携もあまり取れておらず、特に試合の途中で誰かがダウンを取られた際にカバーに入ることができず、ジリ貧となる展開が多かった。五位くらいまでは浮上するが、その先に一位(ドン勝)が見えるような状況ではなかった。
別のデータもある。
メイン会場配信の 1:26:18 あたりに「レギュレーション基準チーム戦績リスト」として、参加したチームの統計データが示されている。
まず目を惹くのは前回の VTuber 最強決定戦にも参加した「†紅葉杏虎†」だろう。強さの端的な指標となる KD 、 KDA 、ダメージ量において全チームトップを誇っている。また、平均生存時間やトップ10率も他チームに比べてべらぼうに高い。
次点で「シリンソウ」と「アベりに来ました」も優秀な戦績を引っ提げて参加している。
他、事前の成績で優秀な数値を示しているチームとしては「陽キャ」「ちーむ☆ZANPAN」「HybridNotes」が挙げられる。
チーム鍋はというと、上述したチームたちの次点といったところだった。
総評として、結成時点におけるチーム鍋は、優勝を目指せるほど強いチームではなかった。
そもそもチーム全員が集まって練習できるようになったのは4月8日。本戦のわずか六日前だ。皆守ひいろを中心として集まったメンバーだったこともあり、ベルモンド・バンデラスと天羽よつはに至ってはその日が初めての顔(?)合わせだった。
まずプレイ面での成長を挙げる。索敵、撃ち合い、サポート、それぞれの能力を満遍なく伸ばし、様々な状況への対応力を上げていった。4月8日の合同練習ではハッキリ言ってチームメンバーの誰とも連携が取れていなかったが、次第にメンバーの誰かしらと付かず離れず行動するようになり、チームが常に有利な状況を作れるよう立ち回るようになった。チームで移動する際は最後尾、殿を務める場面も目立つようになった。
何より、彼女はチームのリーダーであり、ムードメーカーだった。
リーダーとしてチームの状況を把握することに長けていた。例えば、本戦第三試合において白雪レイドからベルモンド・バンデラスへ出された指示が、撃ち合いの騒音と混乱に紛れて当人へ届かなかった場面があった。瞬時に伝達ミスを把握した皆守ひいろは白雪レイドの指示を復唱することで、ベルモンド・バンデラスへ確実に情報を届けた。
ムードメーカーとしての役割も非常に際立っていた。陽気で、しょっちゅう冗談を言っては雰囲気を和ませていた。一方で、決して諦めず、弱音を吐かなかった。例えば、本戦第二戦でチーム鍋は八位となり、大きくポイントを落とした。試合終了後、彼女はすぐに「次は?」と発言した。言葉だけではなく、彼女のあらゆる行動が良いムードを作っていた。
どのようなチーム戦においても、ムード、すなわち士気はメンバーのパフォーマンスに大きく影響する。彼女のムードメーカーとしての明るさは無根拠な空元気などではなく、自身とチームメンバーの成長に裏打ちされたものだった。
本戦では数字に表れづらく、画面映えしにくい立ち回りだったが、彼女がリーダーでなければチーム鍋はチームとして機能しなかっただろう。
彼はチームで最も難しい決断をした。
彼は PUBG のプレイにあたって必要なスキルについては、おそらくどのメンバーよりも優れていた。索敵、戦闘、サポート、司令塔、等々を高水準でこなす、チームのエースだった。
だが、チーム戦において全ての役割を万全にこなすことは不可能だ。結果として、最初期の練習では白雪レイドの負担が非常に重くなり、特に重要な司令塔の役割に手が回らず、他のメンバーも良い動きができなくなっていた。
典型的な、優秀なエースを擁するチームが陥りがちな機能不全だった。
だが彼はチーム練習を通じて、要所における戦闘と司令塔以外の役割を他のメンバーに託すことにした。もちろん自身も索敵やサポートをこなすが、他のメンバーへ彼が積極的に頼るようになった。
これは実のところ、非常に難しい決断だ。よくできたものだと感心さえ覚える。
優秀な者は、往々にして全ての仕事を自分でやってしまう。悪意があるわけではない。その時々ではうまくいってしまうからだ。ただしチームの戦力は向上しない。
たった六日間のチーム練習を通して、彼はチームメンバーの成長を感じ取り、信頼を寄せ、戦況の把握と司令塔の役割に専念できるようになった。もちろん、本戦において最多キル賞を獲得したように、重要な局面では積極的に戦闘へ参加し、キルを取ることでチームメンバーが撃たれる機会を減らした。
彼はチームメンバーに重要な役割を任せることで、かえってエースとしての能力を最大限に生かせるようになった。
チーム鍋において、プレイ面で最も成長したのは、おそらく彼だろう。
彼は多忙のため PUBG の練習に割ける時間があまりなかった。そもそも、彼はお世辞にもゲームが上手いとは言えない。直近の Dead by Daylight 配信を見ても、上手ではない。Apex 配信を見ても、上手ではない。
だが、彼はチーム鍋に欠かせない存在となった。
自分にできることを追求した結果、ベルモンド・バンデラスという男はチームのサポートへ徹するようになった。
物資漁りの際に有用な武器やアタッチメントを見つけたら、活用できるメンバーへ譲る。
敵の視界を遮るために、スモークグレネードを大量に抱えて的確な位置に投げる。
彼のサポートへの徹底ぶりは、試合開始前に設けられている待機時間中の行動からも見て取れる。彼は待機時間の六十秒間において、ひたすら待機場所に落ちているリンゴや石といったオブジェクトを投げるようになった。
彼からの証言があったわけではないが、これはおそらくスモークグレネードを正確な位置へ投げるための練習だと思われる。多忙であるがゆえに、僅かな時間も無駄にしなかった彼の練習は、本戦において大いに役立つこととなる。
また、彼には PUBG に由来しない強みがあった。
優しさ、豪胆さ、冷静さ。
彼の努力と性格が、本戦の第三戦においてチーム鍋が陥った絶体絶命のピンチを救うことになる。
彼女はそもそも、皆守ひいろに誘われるまでは最協決定戦へ参加するつもりがなかった。「観戦する方が好きだし、自分は PUBG 上手くないから」とは本人の弁。
だが、参加を決意してからは一転、 PUBGの トレーニングモードに籠もって熱心に練習を繰り返すようになり、特にリコイル制御の練習に励んでいた。
チーム練習が始まった時点で練習の成果は出ていたが、彼女はエースである白雪レイドの負担を減らすため、斥候役をも買って出るようになった。チームの進路に先回りして偵察し、安全を確保する役割だ。
敵がいるであろう地点を推測する先読み能力、敵を発見する索敵能力、接敵した場合の判断など、総合的なスキルが求められる。隠れている敵に発見されてしまえば真っ先に撃たれるリスクを伴うが、チームが全滅するという最悪の事態は避けられる。彼女は元々、斥候役に必要なバイクの運転を苦手としていたが、上手く運転できるようにひたすらバイクでフィールドを走る練習もするようになった。
また、チームメンバーが接敵した際、真っ先にチームメンバーが注意を向けていない方角を警戒するようにもなっていた。自チームが他チームとの戦闘を開始した際、最も警戒しなければならないのは第三のチームによる横槍だ。これもよく機能し、チームが危険に晒される場面を未然に防いでいた。
彼女の偵察と警戒意識が、チームの生存率をいっそう高めることになった。
チーム鍋のメンバーは短期間ながら、それぞれがチームの勝利に貢献できる最適解を模索し、合同練習を繰り返した。
チーム鍋の動きやコミュニケーションの質はみるみる洗練されていき、4月8日におけるそれとはまるで別のチームへと成長を遂げていった。
4月12日の合同練習では四人全員が生存しながらドン勝を決めた。止めの射撃を与えたのは天羽よつはだった。斥候としてチームから離れていた彼女の位置取りが、横撃を加える機動力としても機能していた。
4月13日、最協決定戦の前日練習においては、野良(オープンマッチング)でベルモンド・バンデラスが、「シリンソウ」主催のカスタムマッチで皆守ひいろが、それぞれ止めの射撃を加えてドン勝を決めた。ベルモンド・バンデラスのドン勝に至っては他のメンバーが全員キルされてしまった中、生存十三人の状態から粘りに粘って勝利を掠め取った。
PUBG.OP.GG に残されたデータも、4月12日から急激に野良の成績が安定し始めたことを示している(初動落ちは除くとして)。
やはりエースは紛れもなく白雪レイドだが、他メンバーによるキル数やダメージ数も増え、生存時間も伸びた。負けるにしても、先にドン勝が見える負け方になっていた。
チーム鍋はいつしか、道中でエースの白雪レイドを失っても最後まで戦えるチームに変貌していた。もちろん白雪レイドは自身がキルされても常に仲間の視点からオーダーを出していたが、チームメンバーが的確に対応できるようになっていた。
チーム鍋が本戦にてどのように活躍したのか、という点については YouTube のアーカイブを見た方が早いし分かりやすいので、本記事では割愛する。
念のため付記しておくと、渋谷ハルの YouTube チャンネルで放映された本会場のアーカイブ映像では、残念ながらチーム鍋があまり目立っていない。
各メンバーの YouTube チャンネルに残されている当日のアーカイブを見返すのがいいだろう。
現状では白雪レイド、ベルモンド・バンデラス、天羽よつはのチャンネルにアーカイブが残っている。
チーム鍋は急成長した総合力をもって第一戦で二位、第二戦で八位、第三戦で二位と堅実な成績を残し、総合二位に輝いた。
なお、 PUBG では運を味方に付けることも勝敗に関わってくるが、チーム鍋においてはあまり当てはまらなかったと言っていいだろう。
物資や安地の運に恵まれていた第二戦では判断ミスが響いて八位と沈んだ一方、ひたすら物資不足と安地ズレの不運に見舞われた第三戦では秀逸な判断と行動力で二位へ食い込んだからだ。
また、大会ではチーム成績とは別に個人成績の賞も設けられていた。
最長生存賞としては一位を白雪レイド、二位をベルモンド・バンデラス、三位を皆守ひいろがそれぞれ獲得し、四位には天羽よつはがランクインした。チーム鍋によるトップ4の独占だ。
惜しくも総合一位こそ逃したとはいえ、チーム鍋は最協決定戦において輝かしい成績を残した。
チーム鍋は結成当初、強いメンバーが集まったスターチームではなかった。
そのままではとても優勝を目指せるチームではなかった。
それでも全員が優勝を信じて努力し、恐ろしいとまで感じるスピードで最適化を進め、本戦でも優勝できると信じて最善を尽くした末に、素晴らしい結果を掴み取った。
多くの努力は報われない。
明日が投票日だから朝からこの時間(20時前)まで途切れることなく選挙カーが走っている。
市街地で名前を連呼しながら。たぶん、名前を覚えさせて、「なんとなく聞いたことのある名前」を書かせるためにしか機能しないと思うのだけれど、そんな票を集めても実際虚しいだけでは、と思ってしまう(そりゃ勝てばいいんだろうけど)。
きっと、生後まもない赤ちゃんとかは眠れないだろうし、夜勤明けで眠りたい人だっているだろう。休日を家で静かに過ごしたい人たちにとっても害悪でしかない。騒音でしかない。
「キモくて金のないおっさん」と「活気ある街作り」の関係性について考えてみる。
KKOにはくたびれた感がある。
となるだろう。
「家に帰ってもなにもやる気が起きない」
「容姿に優れない」「経済的に優れない」「中年男性」という3条件を満たしていても「KKOらしさ」のない人間もいる。
例えば「見た目のよくない売れない中年芸人」などがそれである。
「見た目のよくない売れない中年芸人」は「キモくて金のないおっさん」という条件を満たしながら「応援」されて成功する場合がある。
逆にKKOの条件を満たしていなくても「くたびれた感」があると忌避される。
金を持っていても「くたびれた感」があれば周囲からは嫌煙される。
(KKOは「おばさん」も含む場合がある。性別も重要ではない)
すなわちKKOを構成する3条件とは、根本的なポイントではない。
3条件を満たしていても「くたびれた感」がなければKKOらしいとは思われない。
くたびれた感の反対を考えてみると「活気」ということになる。
となるだろう。
個人レベルでKKOを脱却したいのなら「くたびれた感」を消して「活気」を出さなければならない。
よく「見た目には清潔感が大切」と言われるが、それは本質的ではない。重要なのは「活気」である。
「KKOは自業自得」という言説も「活気」を出せば解決できるという理屈に基づくのだろう。
世間にとって「活気がない」=「悪」というのはあえて言うまでもない自明の理なのである。
だから、そこはわざわざ語られない。だが、心当たりはあるだろう。
シャキッとしなさい。元気を出しなさい。背筋を伸ばしなさい。笑顔を絶やしてはいけません。
ただしKKOもなにも好き好んでくたびれているわけではないのかもしれない。
強いられている「低賃金長時間労働」が原因と考えることもできる。
KKOと低賃金長時間労働については鶏と卵の関係なのかもしれない(その辺は後述)。
本邦では「活気ある街作り」が試みられている。
いったいなぜ「活気ある街作り」を目指しているのか明確なところはわからない。
しかし大衆に「活気ある街作り」=「善」と認識されていることは確かだろう。
元気のある街。笑顔のある街。24時間営業。バーゲンセール。ケバケバしい看板。
「活気ある街作り」とは、こういう方向性だ。
「活気ある街作り」という大きな流れの中にあるもののひとつが「弱者救済」である。
「子供の声は騒音ではない」という言説が一定の支持を得るほどだ。
「ゲームばかりやってないで外で遊びなさい」という理屈も「活気ある街作り」という文脈に繋がる。
「元気に走り回る子供」の姿は活気を感じさせる。
老人はそれ単体では活気ではない。
しかし老人が出歩くことは「年齢というハンデに負けずアグレッシブに活動」という意味を持つ。
また老人が存在することで「助け合い」という「活気」を演出するイベントが発生する。
例えば「若者が老人に電車で席を譲る」という行為は「活気」のあるシーンである。
創作物の中でも「大きな荷物を持った老人が横断歩道を渡るのを助ける」シーンを幾度となく目にしてきたはずだ。
「ハンデをものともせずアグレッシブに活動する」ことは「活気ある街作り」という方向性である。
また「車椅子に乗った人を手伝う」のは活気を演出する「助け合い」イベントである。
一方で精神障碍者は身体障碍者ほど受け入れられてはいないのが実情だろう。
それは「助け合い」という活気を印象付けるイベントとあまり関係がないからではあるまいか?
女性の存在は「女性が一人で出歩けるほど治安が良い」という意味合いで活気の演出となる。
また「女子高生」などは「活気」のシンボル・アイコンとして用いられがちだ。
権利を求める一部女性の「活動」は良く言えば「アグレッシブ」、悪く言えば「狂犬」だ。
だが、それでも「元気があってよろしい」ということなのだろう。
くたびれた感よりも「攻撃的で噛み付く」くらいの方が好感をもたらす。
ところで、すべての女性が弱者として救済されているかというと、そうでもない。
さて、ここまで読んできたら恐らく気づいただろうが「KKO」=「くたびれた人間」は「活気ある街作り」という方向性には合致しない。
くたびれた人間の周囲では「助け合い」イベントが発生しないのだ。
(なお「仕事に疲れてくたびれた人間」が助けられるシーンは活気とは言えない)
くたびれた人間の中には「仕事で疲れているのだから暇な老人に席を譲る必要はない」と公言するものさえいる。
もしも、くたびれた人間に金を与えたらどうなるか?
「つらい、しんどい、疲れた」と言いたがるタイプが街に出歩くことになる。
よくよく考えてみると、日本の街には「休憩する場所」があまりないように思える。
「休憩」は活気ある街づくりからは遠ざかる方向性であるためだろうか?
疲れやすいタイプの人間を出歩かせないために、どうすればいい?
金を与えてはならない。暇を与えてはならない。
くたびれたタイプには出来るだけ出歩いてもらいたくないからだ。
さて「くたびれた感」は低賃金長時間労働によってもたらされるのか?
世間は恐らく「くたびれた感」を生まれ持った気質と判断しているのだろう。
非KKOは「KKOに金と暇を与えても活気ある街作りには繋がらない」と認識しているはずだ。
現状を踏まえて待遇改善を要求するなら「金と暇があれば活気ある街作りに協力する」という姿勢を示すのが有効だろう。
まずは応援したいと思わせなければ、助けてはもらえない。
近年では工業立国の先行き不安とともに観光立国を目指すべきであるとの声が出つつある。
「美しい国」。国全体がそういう世界観のアミューズメントパークを目指している。
ヒントはいくつかある。アニメで言うなら「クールジャパン」「聖地巡礼」もその一環だろう。
「活気ある街作り」の集積によって美しい国が実現される。
観光立国を目指した都市景観を考えると「くたびれた人間」は存在してはならない。
活気ある街作りとは矛盾が生じるから「くたびれて帰宅する人」の姿を目にしたくない。
くたびれた人間を隠したい気持ちは特に「観光」を意識する人種ほど強いだろう。
観光に携わる人間ほど「景観に害を与える」くたびれた人間を敵視しているはずだ。
さらに政治家や資産家などの決定権を持つ人間も観光を強く意識しているだろう。
そのような人間が決定を下すからKKOはいつまでも救済されない。
根本的には、そろそろ「活気ある街作り」という方向性自体を見直すべき時期であるように思う。
他国の観光立国を見ても必ずしも活気ある街作りを目指す必要はないように思える。
観光には活気どころか「ゆったり感」「のんびり感」の方が求められているのではあるまいか?
さらに少子高齢化の加速する日本において今後も「活気」という方向性で勝負するのは厳しいだろう。
「都市景観を守るためにKKOを隠す」方向性が無理となれば「KKOの存在にあわせた都市景観」を考えなければならない。
「活気ある街作り」という映像のリアリティをなくしてしまえばいい。
という質問をヤフー知恵袋で見つけて回答が足りなかったので補足。
国が訴えられた場合、法令により「法務大臣が指定した職員」が国側の指定代理人として訴訟に参加することになります。
個人や民間企業と違って、弁護士ではなく法曹資格のない事務職員が代理人になることができます。
(もちろん実際には法務大臣が直接指定するのではなく法務省内部の決済により役人レベルでの選定になる)
この指定代理人について、知恵袋では「法務省の職員」「訟務検事」と回答されてましたが、回答が不足しています。
法務省の訟務部門の職員は訴訟事務については専門家ですが、たとえば国道の瑕疵について訴えられたとき、道路の知識はありません。
なので、訴えられた内容を所管する省庁の職員も指定代理人として参加します。
指定区間外国道や二級河川といった国の財産だが法定受託事務として地方自治体が管理しているものは、地方自治体の担当職員が国指定代理人として出廷します。
法務省訟務部門の職員は、国側の主張を取捨選択して整理したり、書面の形式を整えたり、相手側(原告)代理人弁護士と裁判進行についてやりとりする。いろいろ調査して準備書面の中身を作るのは各省庁の職員、というふうに役割分担してます。作曲・編曲家と作詞家みたいな関係です。
その道何十年という専門知識をもった各省庁職員が、給料をもらいながら仕事として原告に対抗するために調査して資料を作って、さらに訴訟の専門知識をもった法務職職員が仕上げをするのだから、手弁当で活動する原告の国民が勝てるわけないですね。ずるいですね。
(同じことは刑事裁判における警察・検察VS被告・弁護士にも言えますね)
私は地方自治体の職員ですが、かつて里道の時効取得について訴えられたとき、国指定代理人として法務局訟務部門の方と一緒に出廷したり証拠資料集め・現地調査したりしてました。(今は里道水路は市町村に譲与されたので国はタッチしない)
個人的には相手に同情したり、その主張するならあそこを探せば証拠があるかもしれないのに弁護士も知らないのかなぁ、と思うことがあっても、仕事なので相手には言えずつらかったです。
法曹である訟務検事は偉いさんなので、個別の裁判には出廷しません。
法務省内部で職員に指示したり書面の決済審査をしてるのでしょう。
私は3年間で3件の国相手の訴訟を担当して法務局職員とは裁判含めて30回以上顔を合わせましたが、訟務検事は一度も顔を見たことがありません。
地方自治体が訴えられた場合も、国と同じように自治体の職員が指定代理人として参加します。
地方自治体には訟務部門はないので、法務省職員がやってた役割は顧問弁護士にお願いすることになります。
(地方自治体の職員は3年ローテで全く畑違いの担当に異動するし、顧問弁護士も行政訴訟の専門家というわけではないので、国相手の訴訟にくらべたら勝ちやすいかもしれない。)
人とは仲良くしたい、嫌われたくない、良く思われたい。怒りや欲にとらわれたりして、苦しみたくない。
どこかでそう感じて、
怒りという苦しみから逃れるには怒らなければよい、そう考えて心を押さえて、無視をして、あるいはすでに麻痺してますね。
苦しみはから逃れよう、心頭滅却?心をしずめて?でもお前精神火ダルマじゃん?
麻痺して、自信も夢も好きなものもわからなくなって、色も味も失せて。
怒りも苦しみも悪もけっしてイコールじゃない、意味を辞書で調べるまでもないよな。
でもなんか=で結んでるものとかあるよな、例えばさ、
我思う故に我有り、私という自我、意識は、その意識をもって意識の側面から物.心の世界を情報として見渡している。
私があり、私以外がある。 私の外があるから、私は内側にある何かか? 違う。私は私としてここにある。
動物であり、生物であり、物体である、その側面としてのホログラムのような私。
物体としての私ではなく、化学的連鎖反応の生物としての私ではなく、電子パルスのネットワークとしての私でもない。
そして、ぐだぐだと考えている私でもない。
意識が認識する根源.原初としての私、その起点は私の内にあるのではない。私自身なのだ。
私の内面という表現として思考、感情、感じる何かとかを意味するのは変だよな、だって私の外側にあるもんな。
話がちょっと変な方向にそれたな。
たとえば、大騒音に一生懸命に熱心に聞き耳をたて、自分を直そう、治そうとしても、あるいは落ち着き払って無視しても、
耳は麻痺し壊れ、体調は崩れ、苦しみは増すばかり。
大騒音があったら、うるさいと思う自由と、耳を傾けない自由も、苦情を言うも言わぬも、歩いて離れる自由も、別の場所で好きな音をきく自由も、歌う自由もあるのと同じように、
自由に選択出来る中から心を苦しめずにいられる方法を“私“は選び取ることが出来る。
火の中にいては目を閉じ耳を塞ぎ、転げ回ろうと火ダルマである。火を避け、遠ざからなくては死んでしまう。逃げる方向を間違えても駄目だ。
あるいは火を消し、救出し、今水をぶっかけてくれる誰かが必要だ。それは自分であり、あるいは他人かもしれない。
手足を使い、火から身を守るすべを持つように、思考を自由に使うことで自由に自分の心を守って良い。
あなたは思考の不自由の縛りをほどき、守るすべを選び、心を自由に守ってよいのだ。
欲深いから、傷つけたくないと思い、傷つけられたくないと思い、人には出来るだけ優しくしたいと思い、穏やかでいたいと無茶をする。
武器を捨て、自身を守る行為もせずに、受け入れるがままつったっている、そりゃ針レベルですら驚異だろ、世界は針山。ウニになるつもりか。
自身を守らずに相手をすべて受け入れようなど自殺行為だ、そこまでお前は達人じゃねーよ、むしろそりゃ超人レベルだ。
刃を向けてくる相手に半歩どころか一歩譲っても百歩譲っても刺されるだけだ。かわすの下手なら、盾を前に構えとけ。
相手を思いやって、傷つけないようするのはいい、自分で自分を傷つけないようにするのもいい、だけどな、おまえもうボロボロでズタズタじゃねーか。
相手の刃から自身を守る術を持たなけりゃ、自業自得、自分に自分で刃を向けてんのと結果変わんねーよ。
おまえが思うほどおまえは全然悪くねーよ、全部自分のせいだととらえる必要なんてねーぞ。