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はてなキーワード: 背徳とは

2015-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20150507135103

体格にも気を使うイケメンはそもそもAV男優なんて後ろ暗い職業を選ばないし、選ばなくとも女に困らないから

あと一応、男側が醜ければ醜い程陵辱感が出て背徳的気分が味わえるというニーズはなくもない。

2015-04-10

さんかれあ感想

 『さんかれあ』という漫画がある。とても面白かった。面白い物を読んだら、その面白さについて語り合いたい。だけど俺にはそんな気の利いた友達は居ないから、いつもはネットで他の人の感想文を読んで満足することにしている。だけど、『さんかれあ』については、ちょっと検索した程度では語っている人が見つからない。だから俺が書くことにした。増田に。この感想文を読んで、一人でも多くの人が、この作品を手に取ってくれたらいいな。

 では早速『さんかれあ』の魅力を語って行きたいのだが、ネタバレなしで語ることはできないので、そういうのが気になる人は先に『さんかれあ』を読み終わってから続きを読んで欲しい。

 などと言うだけで本当に本が売れるなら苦労はないので、まずは立ち読み感覚でこの物語を紹介をしようと思う。

 主人公ゾンビが大好きな男子高校生。死んだ飼い猫を生き返らせようと、廃墟で夜な夜な怪しい書物を元に蘇生薬を調合していた。その夜も薬の調合に精を出していると、同じく人に言えない秘密を抱えたヒロインと出くわす。ヒロインは良家のお嬢様なのだが、父親の偏狭的な愛から来る過度な束縛と、性的虐待ともとれる行為に打ちひしがれ、しかし誰にも相談できずに、ただ古井戸に向かって内心を叫ぶことで心のバランスを保っていた。彼女主人公の作っている蘇生薬に惹かれ、二人は薬を作るため深夜に密会するようになる。それを知ったヒロインの父は二人の仲を引き裂こうとするが、逆に不慮の事故から彼女を死なせてしまう。だがなんと、主人公の作った蘇生薬を飲んでいたおかげで、彼女ゾンビとして生き返ったのだった。これは人の道を外れ、やがて腐り果てる体となりながらも、ゾンビとして刹那人生を楽しもうとするヒロインと、その期望を叶えながらも、彼女を救う道を模索する主人公が織りなす、ボーイ・ミーツ・ガールな、ちょっとラブコメで、だいたい妖艶にエロくて、けどちょっと物悲しい、そんな青春物語──

 さあ、続きが気になるなら即Amazonポチろう! アニメにもなってるからDVDもいいぞ!

 では、以降は『さんかれあ』を読み終わったことを前提にして語っていこうか。この物語難病系の一種であるサナトリウム文学って奴である。俺は『世界の中心で、愛をさけぶ』とか『イリヤの空、UFOの夏』とかも好きだ。我ながら分かりやすい消費傾向であるパターン一緒じゃん。けど好きなのだから仕方がない。

 しかしその二つと違って、『さんかれあ』は読んで号泣してしまうような物語ではなかった。端的な表現をするならば、読めば自然に目に涙が滲んで、でも流れない。そんな物語だった。思うに、これは登場人物感情移入できないことが理由ではないか。だって俺はゾンビっ娘に萌えないし、好きな人を食いたくなって葛藤することもないし、千紘にも礼弥にも感情移入は難しい。だから自分事ではなく他人事として物語を眺めることになるし、きっとどこか遠い世界でこんな美しい物語があったのだろうかと思うと、憧れや寂しさが複雑に混ざり合って、心臓の裏側と背骨の間にシンシンとした冷たい痛みを感じるのである。ああ、たまらない。

 ひとまずは物語の全体の流れを振り返ってみることにする。『さんかれあ』は全11巻の物語で、展開はわりとはっきりしている。序盤はヒロインの家庭関係における悩みが原動力になって物語が進み、一応の決着を得る。中盤はいよいよ難病物の顔が現れてきて、主人公たちの奔走も虚しく終盤に悲劇が訪れる。

 各巻ごとにもうちょっと詳しく展開を追うと、1巻目は起承転結の起で、千紘と礼弥の出会い、礼弥のゾンビ化という物語の中核を担う事件が起こり、暗に陽に物語の今後の方向性が示される。2巻目ではこの作品におけるゾンビの設定を読者に紹介しつつ、ヒロインの父親と対決し、勝利する。3巻目ではダリからゾンビ運命が告知される。4巻目で礼弥に症状が発症し、5巻目で奇跡的な回復から小康状態を楽しみ、呑気にラブコメなんてやって、ずっとこのままでいられるかと思わせておきながら、6巻目ではばーぶを使って、千紘に生な体験としてゾンビ宿命と礼弥の未来の姿を見せつける。7巻目から8巻目でZoMAに出向いて謎の巨大な組織との戦いを経験しつつ、新たな希望提示して、9巻目から10巻目で残っていた謎に説明を着け、その間にも礼弥の病状は深刻化し、ついに日常崩壊し、11巻目でバッド・エンドかと思わせながら、どんでん返しハッピー過ぎないハッピーエンド、となっている。

 俺は何かと戦う姿を書いた物語が好きである。戦うとは、今の自分境遇を少しでも良くしようともがき苦しむことである。結果として自分も人も傷つくかもしれない。だが止めるわけにはいかない。そういう、どうしようもない衝動の事である

 『さんかれあ』には主に二種類の戦いを描いた物語である。一つは自分を取り巻く周囲の人間関係との戦い、そしてもう一つは死別という生命にとって避けられない運命との戦いである。物語の始めから終わりまで、一貫して千紘は死別と戦っている。普通難病物では、死にゆく人を死なせないために戦うのであるが、この物語では既に死んだ人を取り戻すために戦うのが、オリジナリティであり哀愁を誘う仕掛けである。一度死んだ者に仮初の生を与え、やがて失う事の決まっている仮初を、どうにか逃すまいともがくのである。生きる者は全て死ぬ。その絶対的運命を一度回避してしまった代償に、二度目の死別はより悲劇的で凄惨な物として描かれている。

 この戦いの周囲を彩るように登場人物の様々な戦いが描かれる。礼弥は父の強すぎる愛情と戦い、わんこは恋敵と戦い、ダリンは父の気を引くために戦い、じーちゃんはあらゆる死別と戦い、戦い、戦い疲れて引退している。

 面白いのはこの物語に描かれたぞれぞれの戦いは、全部バラバラに並列に起こっている戦いであり、基本的に全員が自分の戦いは自分でケリを着けているところである。千紘は他の登場人物の戦いに巻き込まれはするものの、せいぜい手を貸すといった程度で、最終的な幕引きは必ず本人が行っている。例えば序盤に大きなウェイトを占める礼弥とその父との戦いだが、千紘は父側に拉致されたために巻き込まれる形になったが、本人が積極的散華邸に乗り込むようなことは無かった上に、父の妄執を断ち切ったのは礼弥自身である。千紘が能動的に行動するのは、自分ゾンビにしてしまったばーぶや礼弥に関してのみである。これらの戦いがその時々で出たり引っ込んだりして、作品全体の緊張感を一定に保ちながら物語は進行する。

 分析してみると、俺はこういう、死別と戦う話が好きなんだなぁと改めて思った。

 さて、物語の骨格を分析してみたけれど、ちょっと理屈っぽくて退屈な感じになってしまたから、今度は物語の肉にあたる部分を見ていこう。いくらご大層なテーマがあっても、作品に魅力が無ければ読まれやしない。この物語を読者に読み進めさせる魅力は、やはりヒロイン散華礼弥がとびっきりかわいいからだ。壮絶に色気を醸している。まじやべえ。

 彼女は死のメタファーである。第1話の1ページ目からして腹から腸はみ出させている。まじやべえ。次の登校中の登場シーンではありきたりな、つまらない美少女キャラかな? と思うが、千紘が蘇生薬の調合なんつー怪しい作業をしている雰囲気の中で再び現れ、傘から死んだような顔をのぞかせて、何をするのかと思えば井戸に向かって大声で愚痴叫びだす。この落差にくらくらする。静から動の変化。死から生への変化でもある。しかも、実の父親に裸の写真を撮られているらしい。アブノーマル背徳的で、ひたすらエロいエロいが見た目は清純キャラだ。というか彼女エロくない、ただの被害者だ。同情すべきだ。だがしかし、劣情をかきたてられるのは、いたしかたない。

 そんで、胸チラしながら千紘と一緒に蘇生薬を作りたいとか言い出す。死体ゾンビとして生き返らせる薬なんて、イケナイ物を作る作業を、一緒にやりたいとか言うわけだ。背徳的だ。こんなの絶対に二人だけの秘密だ。美少女誰にも言えない秘密を共有? たまらんがな。優越感と自己肯定感をかきたてられる。羨ましいな!

 そしてこの短いやり取りの中に「死んで別の人間に生まれ変わりたい」「実験台になってくれよ」「私がゾンビになったら」などと不穏なセリフが散りばめられている。第1話の最後のページも、可憐笑顔と不吉なモノローグが対比して、どえらい色気なのである。なぜだろう。スイカに塩をかけると甘くなるのと似た原理かもしれない。うん、やっぱ影のある美少女っていいよね!

 もーこれだけでもノックアウトなのに、第2話もエロかわいい姿を見せてくれる。特に千紘にゾンビとして生き返らせてくれと頼む時の表情はたまらない。何かを思いつめているわけだが、一度死んでゾンビとして生き返る、なんて眉唾であまり気分の良い話じゃないもの真剣に頼む様子に、やはり死のイメージを感じる。紫陽花で作った蘇生薬をばーぶに飲ませるが、生き返らなかった。そこには静かな、ただただ静かな死が表現されている。そして夜出歩いていたのを父に見つかり、自宅での軟禁生活が決まった彼女は、その夜、涙を流しながら紫陽花の毒で自殺を試みるのだ。なんともいじらしい。

 そしてついに事は起こり、彼女は崖から転落死する。そのシーンがまた凄い。彼女は落下の途中に腹部を木の枝に引き裂かれ、血まみれになりながらも立ち上がり「責任取って…下さいね…」と来るのである。言うまでもなくこれはセックスを暗示する。しか処女喪失である。暗示されているのはセックスなのに、しかし実際に描写されているのは腸のはみ出た死体である。ここで脳の認識野が多少の混乱をきたす。この混乱の結果生まれるのが、ゾクゾクするような壮絶な色気である。今まで丁寧に積み上げられてきた描写が、この血まみれの満面の笑みに集約して、散華礼弥というキャラクターを固定する。読者は完全に恋に落ち、もはや彼女から目が離せなくなる。

 こうして『さんかれあ』という作品の最大の魅力が作られたというわけであるゾンビになった彼女はむしろ生き生きとして、短くてもいいからささやか幸せを楽しみたいと言う。いい娘すぎる。いじらしい。かわいい。それでいて、意識の混濁したゾンビとして、欲求に素直な妖艶な姿を見せたりする。たまらない。また、この表現楽しい時間が限られている事を否応なく読者に思い知らせ、切なさを一層かきたてる。この思いは彼女の体に、癒えることのない傷が増えていくに従って強くなる。彼女は必ず失われるのだ。ああ、悲しい。切ない。彼女と一緒にいる、今この時が尊い。

 もちろん魅力的なキャラクター彼女だけではない。千紘の幼なじみにして姉さん女房役のわんこは、生のメタファーであるゾンビとなった礼弥とは対称的な存在である。生きた生身の女なのだから当然である。それだけでなく彼女は千紘や礼弥が落ち込んでいたり、物語分岐点で、彼らを引っ張り上げる役割をする。死の世界から救い出してくれるのである

 ダリンは患者に病状をつきつける医者役割をする。甘い事を一切言わない恨まれ役でもある。だが間違った事も言わない筋の通った人間である

 じーちゃんもまた、いい味を出すキャラクターである最初蘇生丸を調合し、全ての物語の元凶となった人物。一番最初に礼弥を見た時、彼女を貞と呼び、「わしが悪かった」と謝っているが、後になってこのような細かな伏線がきちんと回収されるのが心地よい。普段はボケているのに時折見せる鋭い視線にも魅せられる。いくつもの死別を乗り越え、傷つかなくなっているのではなく、傷を飲み込み共に生きる事を覚えた成熟した男を思わせる。最期に元妻のゾンビと一緒に逝くシーンは思わず涙ぐむ。

 書ききれないが他にも魅力的なキャラクターが満載である。このキャラクター達が魅力的な物語を作っているのである

 さて、長々と語ってかなり満足した。『さんかれあ面白いからみんな読むといいよ! ああきっと、紫陽花を見る度にこの物語思い出すんだろうなぁ。

2015-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20150326094027

本罪の保護法益たる「名誉」について、通説はこれを外部的名誉、すなわち社会存在するその人の評価としての名誉(人が他人間において不利益批判を受けない事実。人の社会上の地位または価値であるとする。

これに対して、同罪の名誉とは、名誉感情自尊感情であるとする説がある。この説によれば、法人、あるいは法人でない社団もしくは財団に対する名誉毀損罪は、論理的には成立し難いこととなる。

背徳または破廉恥行為のある人、徳義または法律違反した行為をなした者であっても、当然に名誉毀損罪被害者となりうる(大判昭和8年9月6日刑集12巻1590頁)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D%E7%BD%AA

http://anond.hatelabo.jp/20150326094027

本罪の保護法益たる「名誉」について、通説はこれを外部的名誉、すなわち社会存在するその人の評価としての名誉(人が他人間において不利益批判を受けない事実。人の社会上の地位または価値であるとする。

これに対して、同罪の名誉とは、名誉感情自尊感情であるとする説がある。この説によれば、法人、あるいは法人でない社団もしくは財団に対する名誉毀損罪は、論理的には成立し難いこととなる。

背徳または破廉恥行為のある人、徳義または法律違反した行為をなした者であっても、当然に名誉毀損罪被害者となりうる(大判昭和8年9月6日刑集12巻1590頁)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D%E7%BD%AA

2015-02-28

クンニ豹変す

まずパイより始めよ

五十にしてTENGAを知る

家政婦、虎より猛なり

チンコの礼

背徳の陣

孟母三戦

愚息

ちくび

2015-01-29

食べ物を投げることに快感を覚える

一番多いのは卵とみかん

卵は古くなって腐ったやつを。

みかんも腐ったやつ。

もう食べられないので、家の裏山に全力でスローするんだけど、妙な快感がある。

きっと、食べ物を(もう食べられないとはいえ)粗末にする事に背徳感を得るんだろう。

僕は背徳感に浸った情事が好きなのだ

未成年者や既婚者に手を出して、興奮するのも根本的には生卵を投げる事と変わりがないのだろう。

卵が割れるように、みかんが潰れるように、相手が傷つくことが更なる満足感につながるんだ。

2015-01-23

エロ漫画における絵の巧さが押しつける異常性癖のおぞましさについて

正義。力。

正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである

力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である

力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるかである

正義のない力は 非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。

そのためには、正しいものが 強いか、強いものが正しくなければならない。

正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である

そのために、人は正義に 力を与えることができなかった。

なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だ と言ったかである

このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである

ブレーズ・パスカル著「パンセ」より、第五章 正義現象理由




まあ、緑のルーペ氏の出した「宇宙人の冬」についてですよ

調べてみて貰えばすぐに分かるが、あれは正義ではない

少なくとも、自分にとっては正義ではなかった

しかし、自分は敗北した

何に?絵の巧さに、自分の性欲に、それを刺激した描写

以前、自分はVictimGirls3という作品に触れる機会があった

朝凪氏の描いたもので、ROキャラクター触手モンスター媚薬を打たれて快楽墜ちをし、同胞を巻き込んでいくと言う話だ

作中、女の子がおぞましい触手恍惚の表情で見つめ、キスをし、舌先から針を打ち込まれしまうシーンがある

この描写自分人格に大きな衝撃をもたらした

そこには尊厳はなく、正義はなく、倫理はなく、道徳信仰もなかった

ただひたすらの快楽と、堕落と、力だけがあった

それを良く覚えている

朝凪氏はそれから、その世界観を崩さずに現在まで活動を続けている

緑のルーペ氏はどうだったのだろうか

商業的に氏が有名になった作品は、初単行本表題作である「イマコさんシリーズ」だろうか

氏の作品にも、人が普段は忌避するような倫理観冒涜が綴られている

作品内での出来事だと分かってはいても、読むことによって何らかの"汚染"が始まってしまうような感覚

それが、氏の作品には匂っていた

ただ、それは今になって思うことなのかもしれない

なにしろ、「イマコシステム」ではその冒涜にも「すべてはイチナの妄想であった」という解放感や救済感があったからだ

まあ、初単行本と言うことで氏本人が自重たか編集に止められたのかもしれないが

また、次の単行本である「ガーデン」でも基本の傾向は変わらなかった

人の持つ倫理観侮辱し、柔かく大切に思うものを徹底的に凌辱し、その背徳感で快楽を貪る

前述の朝凪氏の作品もそうだが、赤卵氏の作品にも通ずるものがある

しかし、この単行本でも氏は最後には救いを作った

そこが氏のバランスのとれた所だと思うし、作品の巧さに繋がっているのだと思う

どこまで意識しているのかまでは個人の人格の話になってしまうが、"それだけではない"というのが分かっているのだと思うし、センスが良い

きれいはきたない、きたないはきれい。闇と汚れの中を飛ぼう。

ウィリアム・シェイクスピア著「マクベス」より魔女セリフ


まさに、この言葉の通りだったのだと思う

今回の「宇宙人の冬」にも、氏のテーマが語られる

何も知らない可愛らしい性欲を掻き立てられるような 女の子

快楽に負け、自分倫理観尊厳未来無慈悲かつ理不尽に奪われ穢される

その背徳感を描き切っている

漫画において読者の感情を引き出す事は力となる

怒りや悲しみ、時として性欲を

冒頭の引用を読み返してほしい

「力は正義駆逐する」

この言葉がこの作品には似合う

人はきっと、綺麗さを信じ込むことはできない

それがどんな理由であれ、信じ込むことなどできない

から人は他人善行ケチをつけるし、美徳には汚点を加えたくなる

しかし逆に、それは人が完全には堕ち切らない事をも意味するのだ

嫌なだけの人間はいない。悪いだけの人間はいない。

どの方向から見ても同じ性格の奴はいないし、どの時点でも同じ性格の奴もいない

西尾維新著「花物語から貝木泥舟セリフ



人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。

人間堕落する。義士聖女堕落する。

それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。

人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。

人間から堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。

だが人間永遠に堕ちぬくことはできないだろう。

なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。

人間可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道あみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。

坂口安吾著「堕落論



今回の作品宇宙人の冬」では、主人公の青沙マコ地球人には救いがないだろう

そのことは、氏の過去作品とは異色な所だ

朝凪氏がVictimGirlsで描くような救いのなさだ

同人誌と言う媒体で描いたのは氏なりの配慮である

おそらく、だからこそ、氏はこの作品を全力で描かざるを得なかっただろうし、今まで描けなかったのだと思われる

「それを 打ち倒さねば 己になれない」

そのために何もかもを引っくり返して叩き売りだ

そうだ 500年前の俺も! 今のお前も! アンデルセンも!! あの少佐も!!

私と闘いたかったんだろう?

でなけりゃ一歩も前に歩めなくなったんだろう?

進む術も知らんのだろう?

無用者になるのが怖いか!! 老いが怖いか!!

忘れ去られるのが怖いか!!

ジョンブル? ふざけるな!! ふざけているのはお前だ!!

平野耕太著「HELLSING」9巻よりアーカードセリフ



この作品は、間違いなく氏にとっての闘争だったのだ、打ち倒すべき何かだったのだと思われる

そして、氏がこれを描くにあたっては、あるいは年月以外の何が介入していたのだろうか

それが気になる所である

追記

1.2015/01/23 21:00

取り消し線の付け方の訂正

引用元の明記

改行の追加

2.2015/01/24 09:00

エントリにて追記

ふと思ったのだが「イマコシステム」におけるイマコが時折"黒以外の装飾"を着けているのは意図的なのだろうか

クロミツイマコ」には「常に真っ黒の服しか着る事が出来ない」というキャラクターペナルティを持つ。

その観点で言えば、商業において「クロイミツイマコ」は登場していない

ぱんつも装飾品に含まれるのだろうか?クロミツイマコの下着絵を確認できないので分からないが、黒ぱんつということなのだろうか、背伸び感が出ていて素晴らしい

下着まででした靴ひもはノーカンかな?

「イマコクロミツイチナと出会わない限り幸福になれない」というキャラクターペナルティを持つが

このシステムと、イマコとイチナのキャラクターを流用したのが"イマコシステム"だったのだと思われる

3.2015/01/24 10:00

「私は私が見える世界を皆に見せる為の機械だ。」

荒巻「さっきから聞いていたが、外部記憶装置無しにはさっぱり付いて行けない会話だな。

ここのエロ本は全て読んだのかね?」

「そこまでは」

2015-01-10

他人に抱かれる夢をよく見る

特に会ったばかりの人、顔の濃い人に多い。

目覚めるとぼんやりラムラしていて、とりあえず抜くと背徳感がやってくる。

誰の感触も忘れることが出来ない。

2015-01-05

会社で1人新年会

誰も居なくなったオフィス

明かりは半分消されて、俺の周りだけが明るい。

仕事はひと段落してあとは少しの雑務

終わらせれば今日は終わり。

どうせ家に帰っても1人なので、

さっき新年会をここで1人で

することを決めた。

30分もしないうちに

先ほど頼んだ寿司屋の出前が来た。

9時を回っても出前してくれる寿司屋

いつもランチしか行ったことの無い店だ。

寿司に合わせようと思い、1階のコンビニ

買ってきたビールは汗をかいている。

プシッ。グビリ。ふぅ。生き返るな。

せっかくの新年会だ。

まずは大トロから

うん。

少し硬いが脂の旨味はしっかりとくる。

悪くない。

次は、白身。これは、カレイか。

プリッとしているが、

ヒラメとは違いさっくりした食感。

なかなか引き締まっていて良い感じだ。

立て続けに寿司を放り込む。

アナゴカンパチウニ

そしてまた、ビールをぐびり。

美味いな。この時間の特上は背徳感が

半端ない

さぁ、食い終わったらまたがんばろう。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.11夜勤病棟~闇の中へ還るものたち』

■本文。

 今回プレイした『夜勤病棟』もそうなのだが、ダーク系の美少女ゲーム場合は、非日常的な体験を核としている以上、表層的には、プレイヤーから遠い存在でなければならない。無論、内面的には、闇の部分を共有させる必要性もあるのだが。

 なので、ダーク系のゲーム場合プレイヤーダイレクト投影できるような、無個性主人公では駄目なのだもっとも、『河原崎家の一族』のように[覗き見る]ということに主題を置いたゲーム例外なのだけども、基本的に、背徳的な行為を行う、プレイヤー代理である主人公は、アクが強く、ウィットに富み、性的超人だ。それは、恋愛系の美少女ゲームに於ける主人公像とは、鏡像的な関係にあると言えるだろうし、それは……フランス書院文庫や、マドンナメイトといった、既存ポルノ小説を支配する概念だったりもする。

 そして、それらに共通する超人願望を、悪しきマッチョイズムと評する人もいるのだが、ポルノメディア本来男性原理が基盤となっているものから、それを責めるのは、ちょっと違うような気もする……ポルノメディアとは、本質的に「そういうものなのだ

 そういう意味では、ゲリラ戦天才であり、エロゲー界のチェ・ゲバラとも言える臭作さんは、まさに完璧超人だったんだけど、『夜勤病棟』の主人公である比良坂竜二]の場合は、調教者としての天才的な手腕よりも、コミュニケーション不能者としての印象が先に立つ。性格狡猾な割には、根が幼稚というか……ほとんど子供です。なので、キャラクターとしては、『好き好き大好き!』のラバーフェチ主人公に近いと思う。特定イコンに対する執着……竜二の場合スカトロジーへの執着が強いというあたりも似ているかもしれない。となると、ゲバラというよりはカストロかなあ(何を言ってやがる)。

 まあ、感情移入するには紙一重の人物設定なのだが、実はこの落差がダーク系では重要だったりもする。個人的には、竜二となら美味い酒が飲めそうな気がするが。同病相憐れむ、といった感じか……。

 ところで、竜二の場合は、歪んだ支配欲(自己顕示欲)の背景となっている、自分コンプレックス言及している箇所が、やたらと目立つ。例えば、恋に対する感情の変化は、ある意味で[お約束]と言えるが、同時に、[お約束]に対する違和感を描いているという面もある。

 例えば、お近付きの印に花を貰っただけで、相手が自分恋愛感情を抱いていると思い込み、その相手に恋人がいることが判明すると一転して、逆恨み的な復讐を誓う……という心の動きは、暗く、自己中心的な欲望ではある。しかし、子供であるが故に、一定共感を持つことはできる。けれども、非日常的な舞台&人物設定は、過剰な思い入れを抑える。結果、ダーク系な美少女ゲームで、最も重要な[紙一重]の感覚を上手く成立させているのだ。

 そして、『夜勤病棟』という作品は、被調教者の心理描写に加え、調教者の心理描写にも踏み込んだことで、『雫』や『好き好き大好き!』といった作品系譜で捉えることもできるだろう。もっとも、前出の作品に比べると、非常に明るめな印象はある。これは、従来のポルノ小説に於ける、エアブラシを用いたリアル系イラストレーションとは正反対な、淡くパステルカラー系なグラフィックを用いていながら、作品的には、ポルノ小説世界観を骨格として援用していることに起因する。結果、一種の異化効果が働き、独特の雰囲気を醸し出している。

 そして、前号の原稿でも書いた、マッチョイズムにもフェミニズムにも共感できなかった人々にとっての信仰……という要素が強い、前出の二作品と同じ文脈で語れるであろう要素を持ちながらも、『夜勤病棟』という作品は、従来の定型……つまりマッチョイズム寄りの作品としても成立しているという、不思議立ち位置ゲームだったりする。

 無論、ポルノメディアとして捉えた場合は、こちらの方が正統であることは言うまでもないし、不思議立ち位置を確保していることが、昨年あたりから手詰まりな状況に対し、ちょっとしたヒントになるんじゃないかな……という気はするんだけど、どうなんだろうか……?

 でもって、また、話がズレるんだけど、ダーク系とは逆に、恋愛ゲーム場合は、主人公意志プレイヤー意志と同一化し……シンクロ率を上げ、それが頂点に達したところで、何らかの感情を獲得し、それが[快楽]に繋がっている。つまり、涙を流すことが、射精代理行為として成立するケースもある、ということだ。まあ、調教によって隷従させるのも、恋愛によって心の繋がりを構築するのも、繋がったことに対する快楽という点では大差ないような気もするのだが……。

 だから、表面的な情念ノイズとして、削ぎ落とし、隠匿した、いわゆる村上春樹的な文体の方が、実は好ましかったりもする。この場合、隠匿された情念を追い求めることが、セックスと同じく、快楽を生み出す行為になるのだろう。もっとも、その文体で、えっちシーンを構築するのは難しいのだけど……。

 何故なら、恋愛情念を削ぎ落としても、ある程度は成立できるが、エロという部分を記号化するには限界がある。早い話、情念を削ぐと、色気も失せてしまうのだ。ただ、ポルノ小説という場所では、別の意味フォーマット確立されていて、記号的な表現技法として体系化されている。しかし、記号化したのは主に、表層の情念なので、両者を組み合わせると、水と油のような状態になってしまう。

 これは、前々回で『夏祭』をレビューした際にも言及したが、恋愛系の美少女ゲームえっちシーンになると、途端に主人公饒舌になり、オヤジ臭くなるのは、親和性限界を完全にクリアしていない証拠でもある。恋愛描写セックス描写の食い違いが、萌えと泣きの二項対立助長しているとも言えるし、逆に、美少女ゲームが、まだ進化余地を残している証拠でもある。

 さて、進化に関連することとして、美少女ゲームが持つ物語媒体としての構造については、一部のユーザーの間では、ファンサイトという形で研究されているが、主に[トラウマ]と[癒し]という現象にのみ、着目しているケースが多く、セックスという行為に介在する身体的な感覚や、その意味性については、やや軽視される傾向があるようだ。

 ただ、これは作り手の側の問題でもある。しかも、意図的言及を避けている作品もあるから、仕方が無い……という面もあるのだ。加えて、マッチョイズムとフェミニズム類型的なイメージ排除しようとすると、同時に、性的な要素を排除しようとする力が、無自覚に働いてしまう……というのもある。

 そして、フェミニズムの影響に囚われがちな、サブカル系ジェンダー運動に比べれば、美少女ゲームを含めた、オタク向けポルノメディアの方が、思考の行動範囲は広いと言えるかも知れない。自由度が高い、とも言えるのかな……その分、目標曖昧なので、途方に暮れたりもするのだけど。しかし、既存ジェンダー区分が持つイメージとは異なるものを構築する可能性、という意味では、共通しているだろう。

 まあ、結局、問題アプローチ手段、だと思うのだが。

畜生にも劣る総括。

 萌え不能症気味の筆者は、センチメンタル感傷や同情ではなかなか泣けなくて、むしろ物語の流れにシンクロして感極まるって感じなんだけど、これって、結局、同じことなのかなあ……分からん。あ、あと、そろそろホームページ更新します……過去原稿もそろそろアップしないと……げふ。

2014-12-26

女装レズは良い

友達女装コスプレしてセックスを不定期で行う話。

増田の人たちはこんな事に縁はないだろうけど、ここで自分経験談を書いておく。

出会うに至った経緯

自分と彼は20代前半で、知り合ったきっかけは某SNS

招待制SNS、といったらもう殆ど絞られるだろうけどあそこである

自分ROM専に近かったけど、年齢近くて趣味(好きなアニメやらゲームとか)が似てたので、今度遊ぼうという話になった。

秋葉原で落ち合った時、彼は女装姿で自分普通の恰好だった。第一印象としては特別可愛いわけでなく「まぁ、男の女装ってこんなもんだよな」って思った。

家に呼んだらあとは流れるがままだった

ゲーセンコスプレショップ巡りをし、適当に飯食ったあと、自分の家に行くことに。

ちなみに、事前に家に泊まるという話をしていたので、コスプレ道具一式を持ってきてもらっていた。

きっとお互いこのやりとりをしている時に「ああ、これはセックスするな」って思ってた。

で、家についたらシャワーを浴びてコスプレ姿に着替えた後、酒を適当に開けつまみを食べながらアニメ観てた。

アニメ観ながら何時からコスプレはじめたのか、何時からあのSNS使い始めたのか、とかっていう会話に。

酒が入るにつれて徐々にピンクな話に持っていった。

やっぱあそこ(SNS)使うってことはそういうことに興味あるの?とか、今までに経験したことは?とか。

そういう雰囲気誘導し、手をつなぐところから太ももに手をかけ、顔の距離を近づけていった。

この時、狙い澄ますように予め買っていたポッキーを咥え、ポッキーゲームを誘う。

相手も咥え、そこでキスをした。

直後、お互いちょっと恥ずかしくて顔を逸らす。

でも、その後はまたゆっくりキスした。

男の娘キスするのはこの時が初めてだった。

唇が柔らかくて、舌で唾液が絡んでやばい

初対面で、ましてや同姓なのにこんなことしてて良いのか自分は、なんてことが脳裏をよぎる。

でも、アルコールが入ってるのもあって目の前に居る男の娘めっちゃカワイイ自分女の子になってる気分になる。

彼を押し倒して上に乗るような姿勢でまたキスをした。

その時は最後まではしなかった

ひとしきりキスした後、ベッドに移動した。

彼の下着を脱がせて、あそこに手をやった。

お互いもう限界なくらい膨れ上がってて、自分ちょっと可笑しくて笑いながら咥えた。

その瞬間、彼が「あっ!」とか不意に漏らした声が最高に可愛かった。

口に咥えたものは暖かくて、彼の半の見るのがなんか楽しくなってペース変えたり舌使いをいろいろ変えたりして遊んでた。

でも、ぶっちゃけ口だけでイカせることは叶わず、半分くらい手でしてから最後は口の中に出してもらった。

自分は酔ってたこともあって深く考えずに出された直後に飲んでしまった。本当はあんまり良くない。

ただ、彼が「え、飲んじゃったの・・・?」って目を丸くしてた表情がまた可愛かった。

その日は後ろは使わないで終わった。

というか、雰囲気的にもいきなり初対面でそこまでは・・・って感じだった。まぁ口でしてんだから普通の人からしたらどっちも大差ないとは思うけど。

後日談

その後も不定期で彼とは遊んでいる。

普通に友達同士として遊ぶこともあるけど、基本的には暗に行為をすること前提に遊ぶ約束をしてる。

今日は何の衣装にしよっか?」「あー動きやすくてあんま汚れないのがいいよねー」とかLINEでやりとりしてる。

初めに会ってから1年以上経って、自分の方から誘って、後ろも使った行為に及んだ。

この時は自分がいわゆる受けだった。

おもちゃとかで遊んだことはあったけど、やっぱり人にやられるのは違かった。

正常位で足開かれて腰振られるのが、どれだけ恥ずかしくてどれだけ興奮するかを知ったのはこの時だった。

恥ずかしすぎて思わず顔を手で覆い隠しながら笑ってしまった。

実は、この時に前戯が足りなかったのかちょっと血が出てしまった。

ローションはたっぷり使うべき。あと、たまに「男だから中で出していいよね?」とか抜かす奴見るけど絶対やめとこう。

自分たち絶対ゴムは使うようにしてる。中に出されること自体より、ピストンの時がやばいと聞いた。

お互い絶対性病を持ってないという保証は無いので、油断なさらぬよう。

満足感と背徳

なんか、やり終えると射精後の快感と満足感、それと同姓とやっちゃったっていう背徳感に近いものがある。

こんなことするべきじゃないよなとわかってはいても、今ではそれがなんだか癖になってしまった。

自分女性とも普通にセックスするけれど、それとはまた違う快感感覚がある。

余談1

ちなみに、コスプレをしないでの行為NGという事がお互い暗黙の了解となっている。

なんというか、「ホモセックスではないんだ。男同士のセックスじゃないんだ」っていう謎の主張を崖っぷちででも守りたいんだと思う。

というか、単純に男姿相手に興奮しない。

ちゃんとムダ毛処理して、衣装来て、メイクして、ウィッグを被って、女性物の下着を履いて初めてスイッチが入る。

あと、外で遊んだりする時は別に手をつないだり恋人チックなことは一切しない。したり顔で歩いてる

余談2

女装娘と出会ってみたい気変わりなあなた

Twitterホモホモセックス言ってる自撮りアイコン女装娘は狙い目。

仲良くなってDMでやりとりしたら間違いなく会える。確証はない。ごめん。

2014-12-17

おはようございます

リリー・フランキーとまぐわう夢を見ました

背徳感があってたいへん良かったです

2014-11-29

直撃世代からの疑問

http://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2014/11/26/182651

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20141127/p1


先日語られていた、90年代に起きていたオタへの迫害というネタ、かくいう自分70年代後半生まれの直撃世代で、実際学生時代からアニメラノベは切っても切り離せないものだった(「電車男」「ハルヒ」が丁度アラサーくらい)。

正直あの頃はアニメイト等のオタショップに入店するのは一種の背徳感を抱くものだったし、同時に「変な奴」なりに一般人への「擬態」は当たり前、その流れで脱オタサイトにもハマり、大いに参考にした。

今となっては全て懐かしい。


それで疑問なんだけど、当時「非オタ」の一般人として生きていた同年代の人たちは、今現在余暇をどのように過ごしているのだろう?

我々の年代はオタ迫害の直撃世代であると同時に「J-POP」「トレンディドラマ」「少年ジャンプ」「カラオケ」「ボウリング」「スノボ」「セレクトショップ」「お笑いバラエティ(おかげです、スーパージョッキー元気が出るテレビ)」等の直撃世代あるいは全盛期にも重なり、当時はみんな多かれ少なかれ、これらのコンテンツのお世話になった(というかある程度こなせないとヤバいという「踏み絵」としての機能もあった)が、今となってはどれもこれも程度の差こそあれ、かなり微妙な傾向にあるし。

「お前の周りのやつに訊けよ」と言われても、彼らとは学生時代から殆ど交流がなかったし、就職氷河期の直撃世代にもなってしまった結果、今接点がある周囲の非オタ年代は数えるほどしかいない。

なので、ブコメにあった

これ、30代半ばの人にアニメ漫画の話を振ってみると実感できると思う。非オタだった人はたいていオタク文化にすごい嫌悪感持ってるから

というのが本当なのか、非常に気になるのだ。

それこそ当時でいうところのオタ向けアニメ(今の深夜アニメ全般とか)や女児向けアニメ(プリキュアとかアイカツとか)を熱心に視聴する様は、依然「全く理解できない=得体の知れない不気味さを感じる」ものなのだろうか。

まあ深夜アニメと平日夕方・土日朝アニメでは、捉え方は違うのかもしれないけど。

これまたブコメにあった

今はオタクリア充普通に仲良くやってるから、随分変わったよね。

というのは実際アキバに来る人らの言動や、ネットオフ会とかでそういうのを割と目撃しているので、多分そうなのだろう。

からこそ、若い頃そのように友人として付き合ったこともないまま、もしこれからも同世代の中である種の断絶が続くのだとしたらとても残念というか、「そういうのもアリだったのか、だけど俺達にはなかったし多分これからもないよなあ・・・」という古傷に近い疼きを覚えてしまう。

やはり、未だ会話を通じて分かり合えるみたいな感覚を抱きにくそう(同年代なのに)という事実は、結構重く感じるものがある。

2014-11-24

昔、エロは限りない興奮だった

それは禁じられた、背徳の、自らを制御できないどうしようもない衝動だった

いまではそれは、ただの射精に成り下がっている

射精快感は、気持ちいいが、しかし、あの頃の無闇な興奮は、

エロ」に関する原始的感性は、いまやすっかり萎び枯れてしまっているのだ

あの頃、あの夏休み、人目を忍んで古本屋アダルトな本を開いた時の胸の鼓動を忘れない

少し開いては人目を気にして閉じて、また開いては閉じたあの

黄金の時代を忘れない

2014-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20141123062159

性のタブー視は、性病蔓延を予防する画期的手段

梅毒の末期とかがごろごろいた昔なら、性への背徳感は自然感情

いまでもコンジローマヘルペス肝炎HIV治療困難な性病はたくさんある。

もし世の中に性病などというものが全く存在しなかったら、セックススポーツの一競技にでもなってたんじゃね?

高校部活セックス部でした、みたいな。

2014-11-09

ライターイラストレーターになりたい

私は自分の考えを口に出せない臆病者だ。

小学生の時にあれこれああいうのがあってーとか、トラウマ結構ある。

だけど、本当はそんなのどーでもよくて、人と話したくない自分正当化するために、トラウマを利用しているだけなんだろう。

人のせいにするのは楽だ。

自分の考えを口に出せなかった私は、創作に手を伸ばす。

創作は素晴らしい。怒りも、嫉妬も、楽しいことも、全部受け止めてくれる。

それが物語の幅を広げてくれる。自分の気持ちや経験反響して、変化していく。

まるで鏡と会話をしているみたいだ。

私は、シナリオライターあるいはイラストレーターになりたいと思った。

勉強もした。というよりしている。

ここ一年でやっと自分本位で物を書いていけないと学んだ。読者を意識しないといけない。

いーや、面白いものを書かなければいけない。そう、書いてやるぞー、という気持ちでいっぱいだ。

でも、なんだろう。それだけじゃ駄目だってこともわかってきた。

自分作品に自信がもてない。

素晴らしいものですよー、面白いものですよー。と言えない。

自分押し売りできない。自分より優れた人々はたくさんいる。そんな中で自分作品を「面白い」といえる勇気がない。

うまいと言われても、お世辞にしか聞こえない。

誰かに必要とされないかぎり、何を書いても自分作品は0円なのに。自分自分作品価値を下げている。

からきっとライターにもレーターにも向いていない。

だけどなりたいと思う自分がいる。矛盾って、背徳感だね。

もしもクリエイターを目指すのを辞めたら、葬儀屋になりたい。

葬儀屋になって、人が泣いている姿をずっと見ていたい。そこでいろんな人生の終末を身届きたい。

自信よ、いつになったらやってくんだ。

2014-10-15

恥や罪の意識からごめんなさいするのは、もうやめよう。

犯罪心理学の書物をみると、「謝ればいいんでしょ」「弁償すればいいんでしょ」みたいな考えの人は再犯率が高いと当たり前のことが書いてある。

しかし、これは結構核心をついた考えと思われる。私は子供の頃から「やたら申し訳なさそうに謝る人」に違和感を感じてきた。

なるほど申し訳なさそうに謝れば許して貰える確率は高い。だからといってやたら申し訳なさそうにするのが礼儀みたいになってて、みんなわざとらしく申し訳なさそうに謝ってる。

罪悪感という言葉があるが、本心から自分行為を悪いと思っていて、罪悪を感じているなら、

・今回のことをどう償うか

・今後どう改めるか

をはっきり言うものだろう。「仲間に謝る時はルールがある。次どうするかそいつ約束する。そしてそれを絶対守ることだ!!」(ジンフリークス

罪悪感ばかり強くて罪悪への理解対策案がないのでは困る。なぜこんなことが起きるかといえば、そう、罪悪感から謝罪する慣習がそうさせているのではあるまいか?

恥や罪の意識あくま内省きっかけに過ぎない。死刑制度など刑罰議論においても、罪の重みを思い知らせるという言い方がされる。

ハンムラビ法典でも目には目を口には口をと言われる。確かにそうやって罪の意識を持たせることは大切だろう。特に罪の意識が皆無な人間には有効である

しかしだな。恥や罪の強さと再犯率は本当に反比例しているのか?そこをよく考えてもらいたい。ここが犯罪心理学の神髄とも言える部分でもある。

再犯を防ぐには、ただ罪の意識があるだけでは駄目。不倫近親相姦露出プレイなどに背徳から興奮する人も少なくないのは分かるだろう?

それと同じで、悪いことだ改めようと思いながらも止められない快楽殺人者がいることを我々はそろそろ理解しないといけない。

どうも人は殺人事件のような話になると感情的になって、犯罪心理を理解しようとしない。また理解をうながしても「理解したくもねえよ何眠たいこと言ってんねやヴォケ」と罵声を浴びてくる。

あのね。目の前の事件感情をぶつけるだけでなくて、冷静に再発を防ぎましょうよ。再発を防ぐには理解必要なことくらい分かりますよね。

そう、犯罪を防ぐには、周囲から憎悪をぶつけられて罪の意識を持つだけでは駄目。現実的対策必要なのだ

でまあ、それは社会の側が用意するとして、犯罪者の側はどうすればいいのか?いや犯罪者なんて言うと「私には関係ないわ」って言われるので、

「悪いことをした人」でどうだろうか?何も人がごめんなさいするのは法令上アウトな場合だけではない。

ちょっとうるさい演奏しちゃって隣の人に 「クォラ!」と怒られたとか、友人にしつこく音楽勧めて嫌がられたとか、そんなことで謝ることもあるはずだ。

そんなとき、再発を防ぐためにはどうすればいいのか?罪悪感を持てばいいのか?違うでしょと。繰り返しになるが、罪悪感は反省きっかけに過ぎない。

罪悪感がいくら強くてもそれは必ずしも自分の悪かったところの反省意味しない。「謝罪を丁寧にして沢山弁償すればいいんでしょ」と思ってるだけかもしれない。

それなのに、色んな人の相談を聞いてると、どうも直したいと本気で思ってるのに、罪悪感を自らに強く植え付ける作業ばかりしている人がじつに多い。

そのことにずっとずっと常日頃から疑問を覚えるんだよな。真面目に反省する気はありそうなのに真面目に反省してない。

それとも表面は真面目に反省してるフリして「真面目に反省してる私正しい」と酔ってるだけなのか。いや、どうなんだろうか?

それは本人にしかからないことであるが、少なくともそんなことして何の得にもならないのは確かだ。

本当に自分哲学的意味で善い生き方をしたいと望むなら、恥や罪の意識に酔うのはもう辞めにして、「自分を直す良い機会だ」とでも思ったらどうなんだろう?

そのほうが潔く「うん、俺は確かに悪かった!」と思えて清々しいのに。そのほうが俺の人生経験から言っても再犯を防げると思うんだが。

本当に直したいと思ってる人は、これからはそういう反省の仕方をし、罪悪感が先行した謝罪の仕方は辞めるようにしてみてはいかが?

・・・ってことを被害者の前で言ったらぶん殴られそうだけど。

でも、罪の意識を植え付けさせることばかり躍起になって「反省させない」「再発を防ごうとしない」風潮にも問題あると思うんだよな。

言い方は悪いけど、やってることはそういうことだよな。もちろん、「悪いことした人」は「社会が悪い!」なんて言っても不毛だし言ってはいけないけど。

2014-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20140926133635

デートしてきたよ。

ギリギリ一線は越えなかったけどラブラブしてきちゃった。

この背徳感がやみつきになったりするのかな。怖い。

2014-09-19

結局若いうちに若い女の子と好きなだけセックスできたやつだけが一番の勝ち組なんだよな

どれだけ学歴があろうとどれだけ資産を持とうと、

若いとき、すなわち未成年の時におたがい初々しい気持ちで背徳感を感じながらセックスできたやつだけが一番の勝ち組なんだよな。

これは男女人種宗教思想の左右の別を問わず世界共通普遍の真理なんだよな。

あー若いうちに若い子とイチャイチャたかった

2014-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20140917075035

浮気はバレなきゃ浮気じゃねえんだよ。むしろ背徳感を調味料にどんどんセックスをすればホルモンバランスもよくなり旦那も喜ぶだろう。

バレたら死ね

2014-09-10

純情な感情

特に親の教育が厳しかった訳ではないんだけど、昔から下ネタが苦手で、

年代の子供がう○こ、とか、ち○ことか言って爆笑しているのが理解出来なかったし、嫌悪感を抱いていた。

成長するにつれて性的な欲求も徐々に出てきたけど、下ネタはやっぱり苦手なままで、

部活友達下ネタを話す時も理想な下校シチュエーションとか恋愛的な話しか自分はしなかった。

それからいろんな人と関わるうちに下ネタの耐性も段々とついたけど、

やっぱり単語を言うのは苦手で、そういうことをする際でも下とか胸とか言って、卑猥単語を避けて話してしまう……。

卑猥言葉を言えた方が背徳的で燃えるからいいんだろうなー、とは思うんだけどどうしても口にできないし、メールとかでも無理……。

読んだり、聞いたりするのは大丈夫なんだけどなー……。

2014-09-05

20超えた男性インポ普通でいい

そういう常識を作れば、実は女性差別の半分くらいは解決するんじゃないかと思う。

なんつーか、女叩きの根底には「俺は自分インポじゃないと証明しなければならない!!」という変な強迫観念があるように見える。

でも精子も腐るという原理どおり、そもそも何歳になっても性的機能があり続けることは、害だと考えた方がいい。

もともと生物としては無理な範囲で性機能を維持しようとして、背徳感だとか支配欲だとかで性欲を無理矢理ブーストしようとするから女性の自由を奪わなければオシマイだ、女性人権と男の人権トレードオフで、女の人権を認めたら、男はみんな惨めな扱いになるんだ!!」的な思考回路になる。

(思い込んでる当人は、自分被害者だと思っているだけで、女性人権侵害している自覚すらないケースも多いが)

子供作るのだって、変なブーストかけずに出来る人だけで十分だし、それでもどうしても作りたい時だけ薬に頼る手もある。

淫乱でなければならないと、男に課すのをやめたほうがいい。

インポは恥ずかしくない!!

2014-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20140902145430

>男って中より口のほうがいいって言わない?

あ、ごめん

俺、男だから他の男性がどうかは知らないけど

俺は飲ませる背徳感が好きかな

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