はてなキーワード: 背徳とは
部屋中二次元グッズや漫画だらけ、アニメ特撮は全て録画して視聴、2chふたば常駐、コミケにも行っていました。
会社の先輩に連れられて行った飲み会で、素敵な人と出会ったのです。
彼は車好きの、とても活発な人でした。
おおよそオタクとはかけ離れた人種であると言うことは、会った瞬間に感じとれました。
元々、仲の良い人にしかアニメが好きだと言うことを言っていなかったので、
例によって彼にもそういう話をすることもなく、日々が流れ、わたし達は恋人になりました。
幸せでした。
でも、不幸せなこともたくさんありました。
部屋に飾っていたアニメグッズを全てベッドの下に仕舞い、800本近くあったアニメの録画は全て消去し、一生懸命集めた漫画やDVDは全てブックオフに売り払い、PCの中身は全て隠しファイルにし、アイフォンに入れていた二次元画像は消去し、エロゲは祖父に…。
今考えただけでも涙が出ます。
わたしは昔から、オタクであると言う事をとても背徳的だと感じていました。
今でこそオタクに市民権がありますが、昔はそうではなかったのです。
「今あるんならいいじゃん」と思う方もいらっしゃるでしょうが、もうこれは染みついてしまった性分で、人に大っぴらに言えることではない、と言う考えが頭から離れません。
そういう気持ちも、わたしがアニメを我慢できるようになっていく助けになっていました。
背徳的だと思う趣味がなくなって、その分の時間を料理や他の趣味に使うようになりましたし、アニメはとても気になるけれど、なんとかやっていけそうだと。
ですが本当は、あの日初めて彼に会ったときからずっと思っていた邪念が、もう頭から離れないのです。
彼は絶対にツンデレドS受けなのです。
彼のそういうシーンが見たくて見たくて会うとそのことばかり考えているのです。
わたしは自分の嗜好を、彼に話すべきなのかどうか…。
ちなみにわたしは彼がケモナーであろうが、百合リョナラーであろうが、車のシリンダーでオナニーしてようが、一向に構いません。
個人的には射精すること並に気持ちいいと思う。
その中でも一番気持ちいいのは、ブボッって豪快な音を立てるやつじゃなくて、プリプリプリって肛門から泡が出るように少量づつ連続で出てくる奴。ブボって一発だと一瞬でおならが出終わっちゃうけど、プリプリプリって連続で出てくるやつだと長いことおならを排出する快楽を味わい続けることが出来る。すかしっ屁はおならが肛門を通過する感覚が弱いのでイマイチだと思う。
そして出した後に自分のおならの臭いを嗅ぐのもたまらない。当然、前日食ったものやその時の体調で臭いは変わるんだけど、できるだけくさい方がいい。濃い臭いのおならが出た時は思いっきり深呼吸してしまう。この前自転車に乗っている時に臭いおならが出た時は、思わず自転車を降りてサドルをクンカクンカしてしまった。
自分の場合、朝の方が気持ちのいいおならを出すことが多い。仕事で、朝パートのおばちゃんたちと並んで作業してる時にプリプリおならを出して(無論小さめの音になるように気を遣っている)快楽を感じるのは、背徳的な気持ちよさも味わえる。その後、ただよってくる自分のおならの臭いをクンカクンカしながら隣のパートのおばちゃんは気づいているんだろうかなどとドキドキしたりもしている。
ここまでおならのいい所ばかりを挙げてみたが、当然欠点もある。
腹の調子の悪い時になどに時折ミが出てくることだ。プリプリおならをしようとして腸液がもれて下着を汚してしまうのは最悪だ。仕事中だったら尚更、後始末の為にトイレに飛び込む羽目になってしまう。腸液の出てくる感覚とプリプリおならが出てくる感覚が似ているのが問題なんだろうな。
以上メリット・デメリットあるけれども、おならの快楽はやめられない。来月結婚することになっているが、これからも一日数度のおならの快楽を楽しみながら生活していきたい。
セクシャルおじさんは憂鬱だった。セクシャルなランジェリーは華やかで、おじさんの心も晴れやかであるように見えたが、実際は憂鬱でメランコリーだった。
セクシャルおじさんには娘がいた。名をテリー美といった。おじさんは男の子が生まれたらテリーと名づけようと思っていたが、生まれた子供は女の子だった。しかしおじさんは諦めきれなかった。そこで苦肉の策として、テリー美と名づけたのである。妻は大反対だったが、おじさんは満足していた。やがて成長したテリー美は案の定、名前のせいでいじめられることになった。テリー美は父を恨んだ。どうしてこんな名前をつけたの。馬鹿じゃないの。死ねばいいのに。それに息もすごく臭い。おじさんは悩んだ。もちろん娘に罵倒されたからではない。思春期を迎えた娘が買ってきた下着をこっそり身につけてしまう自分の性癖について悩んでいたのだ。娘の下着でこんな破廉恥な真似をしていいものだろうか。だが悲しいかな、そんな罪悪感がおじさんをさらなる快楽へと導いていった。
破滅は突然やってきた。娘の部屋で下着を物色しているところをテリー美に見つかってしまったのだ。テリー美は無言だった。そして何も言わずに部屋を出て行った。父娘が、家族が、すべてが終わった瞬間だった。それはセクシャルおじさんが誕生した瞬間でもあった。おじさんはかつてない罪悪感と羞恥心と背徳感に襲われながら、盛大に射精していた。ドックンドックンと勢いよく噴き出す精液を眺めながら、これからはセクシャルおじさんとして生きていこうと決意したのだった。
あれから10年の月日が流れた。おじさんはもう50歳を過ぎていた。そんなおじさんが憂鬱な理由、それは街で娘の姿を見かけたからだった。成長した娘はすでに大人のレディになっていた。傍らには若くたくましい青年がいた。恋人だろうか。フィアンセだろうか。もしかしてもう結婚しているのだろうか。しかしおじさんには声をかけることができなかった。おじさんはランジェリー姿でゴミを漁っていたからだ。近隣住民の通報で駆けつけた警察官に頭を下げながら、おじさんは青年の声を聞いた。なあテルミ。――テルミ?テリー美じゃないのか。おじさんは一瞬にしてすべてを理解した。テリー美はテリー美という名前を捨て、テルミとして生きているのだ。テルミはどういう漢字で書くのだろう。照美だろうか。輝美だろうか。いずれにしても明るい未来が待っているような名前に思えた。
テリー美、いやテルミ。最後のお願いだから、もう一度だけあの頃のように、私のことをお父さんと呼んでくれないか。テルミ、Please tell me......
去年あたり、セックス依存症(買春がやめられない)のことで何度か日記を書いた増田です。
あれからも結局、ネットで性犯罪ニュースやアダルトコンテンツを異常な長時間探したり、見続けたりっていうのは止められなかったです。
アダルトコンテンツも性犯罪(痴漢やレイプ)や調教、輪姦・乱交など背徳的だったり、女性を支配するようなものばかり見てました。
後は素人もの。地味目の女の子がお金のためにAV出ちゃうって(設定の)やつ。
好みの女優が出てることも大事ですが、単に美人女優がセックスを楽しむってだけの内容はそこまで興味なかったです。
(↑俺自身の嗜好は別にしても、AV業界全体的に美人がやるだけでは売れなくなってきてるでしょうね。より美人がよりハードな内容をより安いギャラでやらされる感じになってきてます)
二次元や創作系では寝取られが好みかな。「NTRはヒロインの彼氏に感情移入しちゃって鬱になるから抜けない」って意見をわりかし聞くんですが、自分の場合は好きな彼氏がいるのに、罪悪感を覚えながら、自分を性欲処理用としか思ってない男から離れられないヒロインの姿に興奮します。
セックスに囚われてしまったヒロインを嘲笑うような気持ちで眺めたりするんですが、それって多分、セックスに囚われている自分の姿をなにがしか投影してるのかも知れないですね。
さて、俺にとっては一番の問題である買春(円光)も、貯金が減らない程度には続けてました。
変なもんで長時間のバス移動をしてるとき、車の振動が股間に刺激を与えるのと暇つぶしで出会い系を見てしまうことで、円光につながってしまうことが多いですね。
「未成年じゃなければ円光だって違法じゃないし、男はみんなスケベなもん。合法風俗より素人の方が興奮するし」なんて己を正当化しながら。
でも、やっぱり自分は異常でした。ここ数日は自分でも性的な衝動が抑えきれないくらい高まっています。普段はそこまでにはならないのに、今日は仕事中に何度も強迫的なセックスのイメージに取りつかれ、作業する手が止まってしまいました。
同僚からは「元気がないね」と心配されました。外から見てもわかるほど憔悴してたんでしょう。
かろうじて耐えている堤防が決壊すればGWだけで、数か月分の生活費を使い切ってしまうでしょう。
もう自分だけでは無力だと思ったので、自助グループに参加してみることを決意しました。
ただし、まだミーティングの日程はわかりません。
しかし、自助グループに参加するとなるとセックス断ち(自慰も含む)が待っています。アルコール依存症患者が断酒するのと同じで、それと「上手く付き合っていく」という選択肢はないようです。
そういう事実が待ち受けているとなると、「よーし、これで最後なんだったら、報酬10万(相場は1.5~2万)でやりたい放題させてくれる子を募集して、思い残すことはなくセックス断ち生活に入ろう」なんて思いが脳裏に走ります。
というか、先ほど「10万ならどれくらい女が釣れるのかな?」なんて実験感覚で出会い系に書き込んできたところです。何人かからエントリーが来ましたが、そのうち一人を明日会う約束をしました。顔入りの上半身ヌード写メも送ってもらいました。「これをバラまくって言ったらタダでやらせてくれるかなー」なんて思いながらも、そこまで悪人にはなれない俺です。
ちなみに自分の場合は出会い系で金を介在させないと女性とコミュニケーションができません。なのでセックス依存症とは言っても買春ばかりなのですが、「セックス依存症」で増田を検索すると、セフレが数人いたり、ナンパでいつも違う女を抱いてたり、特定の彼女だけどやってることは変態セックスだったりというのがヒットしますね。
ほんとに依存症なのか、お盛んなだけなのかはわかりませんが、正直嫉妬します。俺は金銭か、さもなくば暴力でないと女性に言うこと聞かせられないのに。稼ぎだってワーキングプアの類なのに。
当事者は果てしなく辛く、傷ついているのかもしれませんが、俺だって女を口説く能力があれば、あんなセックス、こんなセックスしてみたい、と思うのです。
ああ、早く心に平安が訪れてほしい。お休みなさい。
レズビアンは男嫌いというわけじゃないから、勘違いしないでよね
という線引をされているのをよく見かけるが、
小さい頃、男子と蹴り合いの喧嘩をして、力では敵わないと自覚してから
話すのも、視界に入れるのも嫌になった。
怖さはそのうち嫌悪感に変わっていった。
けれども性欲は正直で、有り余っていて困った。
「男嫌いだがセックスをしたい」という矛盾した思いを抱えていた。
男が大嫌いなのに男とセックスしたい自分に嫌悪感を覚えた私は、
当時仲の良かった女友達と「もし彼女とセックスできたら」という妄想で遊ぶようになった。
嫌悪感はない。女友達とふたりきりで、一人えろい妄想にふけるのは背徳的で楽しかった。
やがて自分が、男とセックスするのは嫌だが、女となら抵抗はない人間であることに気づいた。
そして当時、運良く私と恋人関係になってもいいと言う女性がいたので、私はそこで欲求不満状態を解消することができた。
何人目かに付き合った女性はバイだった。どちらかと言うとノンケ寄りだ。
結構本気で、大切にしようと思って交際をすすめたつもりだったが
ここでより男が嫌いになった。
「男は私の大切な人を奪う、忌むべきもの」という考え方に嵌ってしまった。
いい大人なのだから、性別という大雑把な括りで人を判断してはいけない。という理性はあった。
けれども私は「男なんて嫌いだ」という思いを長く抱えすぎたせいか、
「男を嫌いじゃない(愛する)私」を受け入れられなくなっていた。
男を愛する私なんてとても気持ちが悪い、としか思えなくなってしまった。
「男なんてろくでもない生き物だ」と吐き捨てると胸がすっとする。
男を嫌うことが、まるで一種の精神安定剤のような役割を果たしている。
何かを嫌うことで精神の安寧を得る。
そんな自分の精神状態を情けなく思うが、今更どうしようもないことだ。
よく、とりあえずセックスの経験だけは済ませた人が未経験の人に向かって上から目線で
「セックスなんてつまらない、大したものではない」などと知ったかぶりをして語るのを目にしますが、
例外なく悪いセックスしか経験してない人の言うことなので、軽蔑すべきです。
悪いセックスしか経験できていない己を恥じ、いいセックスを目指すべきなのです。
愛情も快感もないつまらないセックスはもちろん悪いセックスですが、大きな性的快感や興奮を得たとしても、
自分勝手なセックスや、背徳感に溺れることで興奮を高めるセックスは悪いセックスです。
例を挙げましょう。
風俗で童貞を卒業したつもりになっている人が素人童貞として蔑まれるのは当然です。
また相手が素人であっても、「とりあえず女を抱ければいい」「とりあえず男に求められると安心する」というような理由で
不特定多数の相手とセックスをすることでは、いいセックスにはなり得ません。
夫婦間であっても、「セックスをしないとパートナーの機嫌が悪くなるから」「子供を作りたいから」
というだけの理由で義務的にするセックスはいいセックスにはなりません。
お互いが大きな性的快感を得ていたとしても、社会的に許されない間柄(不倫、浮気、未成年など)であったり、
あえてモラルに反することをしてそのスリルを楽しむというったような背徳感に溺れることで興奮を得るセックスは悪いセックスです。
背徳感は麻薬のようなもので、こういった関係は長続きしません。
それはパートナーがお互いの愛情を確認しあい、高め合うための持続可能なセックスです。
これにはお互いの努力が必要不可欠です。自らの性的魅力を高め、相手の魅力を発見し、欠点を認めあうこと。
容姿の衰えは回避できない問題ですが、照明を暗くしたり目隠しをする、特別な下着などを身につけ
「飽きた」「面倒くさい」といった自分の感情とも戦う必要があります。
自分が魅力的になるとともに、相手の魅力に気付ける自分にならなければならないのです。
自分と相手に深く向き合い、どこに魅力を感じどこに感じないのか、理解しあう必要があります。
そして、お互いに興奮し快感を得られるパターンを探求すること。いったんそのパターンが合致すると、
飽きることなく何年でもパートナーとセックスを続けることが出来ます。
これを持続可能なセックス、サステイナブルセックスと名づけました。
それでは今夜も良いセックスを。
九龍城みたいな雰囲気を再現したゲーセン「ウェアハウス 川崎店」に行ったんだけど、コンセプトがすばらしいと思った。
http://hamarepo.com/story.php?story_id=1092
まさにアヘンと売春がはびこるアジアのスラム街。トイレなんか開けた瞬間に「うぇ」と思うくらい汚らしいけど、チリひとつないクリーンさ。
ウォシュレット付きだしね。
で、本題なんだけど、風俗業界は女の子をキャラ付けして演出する事についてもう限界に来てると思うのよね。なのでプレイルーム(できたら建物全体)を九龍城的にして背徳感を味わいたい。
ぬかるみがネオンを反射する路地を抜けて、狭くて小汚い部屋で粗末な衣服をまとった女の子を抱く。考えただけでも興奮するんだけどどうだろうか?
どの程度かと言うと、月に一度あるかないか。ここ一年は二ヶ月に一度くらい。
数年間一度もセックスしていない、という人よりは回数多めだと思うが、セックスレスと言ってよいのではなかろうか。
当方は夫。30代前半子無し共働き。妻も同じ年で会社員。結婚二年目の晩婚夫婦だ。
付き合いはじめが最も回数が多く、同棲、結婚と段階を踏むにつれて右肩下がりの様相を呈している。一般的な恋愛感情の曲線と近似していると言えよう。
とにかくチャンスがない、の一言に尽きる。
平日などは、お互い深夜残業の仕事に疲れ、日々の些事に心をすり減らしているため、ご飯を食べたらすぐお布団。
意識を保てるのはわずか一瞬。気がつけば朝チュン。服は着ている。
よろしい、ならば週末だ。
お互い土日休みなので、土曜日の夜が最も時間がとりやすいのだが、大抵どちらかが寝てしまう。
昼間は出かけて、夕食を作って後片付けをしたり、外食してお酒でも飲もうものなら、帰ってすぐに寝てしまう、あるいはゴロゴロしているうちに寝てしまう。
日曜日の日中は比較的狙い目。予定がない日曜日などはダラダラしながらスキンシップ→成功、となるケースは多い。
後ろめたい、というか、もっとも充実すべき時間帯に布団にいるというのも背徳的で、時間がもったいない気がしてしまう。
よって、日曜日の夜がラストチャンスなのだが、翌日からの仕事に備えて夜更かしは厳禁。よって早めに就寝。
私の実感に基づく、セックスレス化の最大の障害は、純粋性交可能時間(=ピュアセックスタイム)の少なさだと感じている。
仕事の疲れを癒すこと、睡眠を我慢しないこと、休日の日中の予定。
これらの優先順位が高く、純粋にのんびりセックスできる時間がない。
そして妻は、睡眠を削ってまでセックスする必要性を認めていない。少なくとも積極的ではない。
我々と同じような条件下にあるご夫婦はどうしているのだろう。
ハウツー本が教えてくれるように、(平日であっても)前戯に少なくとも1時間をかけ、お互い満足して眠り、寝坊せずに朝を迎えるのだろうか。
それとも、アメリカ映画とかで見られるような、一瞬で高まって、前戯30秒→挿入時間1分、みたいなファストセックスを行っているのだろうか。
セックスのための生活と交遊。セックスを前提とした男女間の諸々。
何気ない夫婦の日常も楽しく心安らぐものだが、セックスしたくないわけではないのだ。常にしたいのだ。
妻にそう告げる。
私もそうだよ、と妻は言ってくれる。
「だけど今日は眠りたい」
子供がいるご夫婦は、我々よりもお疲れで、時間などないだろう。
だから比較的、好転しやすい環境だとは自覚している。しかし私は純粋に疑問なのだ。
みんな、いつどうやってそんなにセックスしてるんだ。
これからいかにしてセックスの機会を保つ努力をすればいいのか分からない。
そして、仮にお前のテクがしょぼいだけだ、なんて事実も加わった日には。
セックスしたいと思わない男に堕した、と告げられる日が来るのだとしたら。
私は恐れる。
このあと、滅茶苦茶セックスレス。
元増田です。
基本的にオナニーって罪悪感とか背徳的なやつがあるじゃないですか。あぁ吉沢明歩で抜いてしまった、、、ごめん、まゆちゃん…って感じで。
それに貯めとくといっぱい出るし、イキやすい(むしろ早漏)。三こすり半です。
あと、いっぱい出ると女性も喜ぶじゃん?わー、いっぱい出たーみたいな。
まぁやっぱエッチって大事じゃないですか。だからベストな状態で迎えたいわけですよ。まさに紳士。
とりあえず、まずは天気ですよ!
晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ
晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ
晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ
晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ
>私は、たゞ一個の不安定だ。私はたゞ探してゐる。女でも、真理でも、なんでも、よろしい。御想像にお任せする。私はただ、たしかに探してゐるのだ。
>然し、真理といふものは実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。
>真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間は人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。
幸せの背景は不幸とは、何の事を言っていたのか
CARNIVALにおける幸福、馬の鼻先にぶら下げられた人参の意味とは
マズローやロジャースにおける自己実現には、自己欺瞞は存在しないのか
攻撃性を発揮できず、自分を守ることなく、死ぬ事を自己実現として定め、それを幸福とし、自分の生に後ろめたさや罪悪感を感じ、自分への攻撃性を肯定する
「自分なんか、壊れてしまえ」というメッセージが、死の欲動が、涅槃原則がそこには伝わってきて、読んでる者を誘ってしまう
蠍の炎、よだかの星、グスコーブドリ、雨にも負けずのデクノボー
人は、死を含むものに惹かれて、それを喰らおうとする
まさに人参であり、「探されることによつて実在」するものである
つまり、そこには真理がある、真理が幸福であると考えられている、救いがあるのだと考えられている
死とは何だろう
生きて居る限り、死を体験することはない
死によってもたらされる幸福もまた、ない
死は実在するけれども、生きて居る限り、人間の人生には実在しない
その攻撃性を自分に向けるか、相手に向けるか
ある人はそれを他人に向ける
ある人はそれを自分に向ける
ある人は、両方に向ける
そして、またある人は何にも向けず、その攻撃性を変質させていく
反逆の物語は、ほむほむにとって、最高のハッピーエンドで、それを認められない人の考え方はほむほむと同じ考え方をしている。
メリーバッドエンドとは、話の主人公にとってはハッピーエンドだが周りからみるとバッドエンドな話し、またはその逆で、周りはハッピーエンドなのだが、主人公にとってはバッドエンドな物語を指すようだ。(http://dic.nicovideo.jp/a/メリーバッドエンド)
参考URLが、ニコニコ大辞典しかないあたり、言葉自体が新しいのか、造語の域を抜けないのかもしれない。
反逆の物語は、ほむほむにとっては間違いなく唯一無二のハッピーエンドで、大多数の人にとっては、「ほむほむ幸せになって!」のバッドエンドと見えるので、この分類は間違いないと思う。
ほむほむに幸せになって欲しいと考える人の多くは、悪落ちする前のほむほむが、まどかに連れて行って貰って、円環の理の一部になることがハッピーエンドだと考えていると思う。
実際、劇場版のパンフレットで、虚淵玄(以外、ぶっち)が、まどかに連れ去ってもらってハッピーエンドにしたかったような内容が書いてあった。
製作者側(ぶっち側)は、ほむほむの心情を好きに弄れるので、ぶっちとしては、ソールジェムの中で魔女化したほむほむが、遮断フィールドを破られる(ほむらと一緒に破る)時に、ほむらに会いたい。それだけが叶えたいのぞみなんだと、心情を書き換えれば、誰もが望むハッピーエンドに出来た。
だが、反逆の物語のほむほむは、遮断フィールドを破られる前、既にまどかを自分の世界の中に連れ込むことを決めている。
「私はほむらのためにならどんなものにでもなれる」(記憶なのでセリフうる覚え)と言ってみたり、ほむらと一緒に弓を打つタイミングで、まどかに怖くないか聞かれた時、既に覚悟が決まった口調で「私はもう迷わない」(同上)と言っている。
この時点で、まどかに吸収されて円環の理の一部になるつもりだったらこんな決意はいらなかったはずだ。
ほむほむは、まどかを幸せにしたい。と、願って魔法少女になった。
これは、自分の力で、まどかを幸せにしたいと願った事に他ならない。
自分の力でまどかを幸せにしたい。まどかとずっと一緒にいたいと願ったほむほむは願っているが、まどかは既に概念の存在になっている今、生身のほむほむがその願いを叶えるには、自分の世界を作り出し、その中でまどか(それも、本物全体は無理なので、その一部)を引き込み、幸せにする以外の選択肢はない。
ほむほむは、はじめに魔女化した際、ソウルジェムの中で、それを実現しようとした。
この世界では、中にいる全ての人が幸せな世界とする事が出来たが、ほむほむ本人が、その世界に違和感を感じてしまう。
ソウルジェムの世界の中に居たまどかは、確かに本物のまどかだったが、そのまどかが、概念になったまどかの存在を悲しい存在だと感じていると勘違いしてしまう。
(実態は、概念になったまどかのところには最終的にみんな集まってくるし、まどかが概念になった瞬間に、既にさやかやマミさんが一緒にいた事になるので、その瞬間から「誰にも会えないさみしい存在」にはなっていないと、私は思う。)
その結果、「自分が間違ってた。まどかを概念にしてはいけなかった」と考えたほむほむは、今の状況下でまどかを幸せにするには、まどかを自分の世界でもう一度人間として幸せにするしかないと考えた。
ここは、想定の域を出ないが、ほむほむは、魔法を使えば、まどかが概念になる前の世界にまだ戻れたんだと思う。
ただ、なんどやってもワルプルギスの夜を倒せないほむほむには、まどかを概念化させる事は防げなかった。
結果、ほむほむに出来たのは、まどかを救えないと言う絶望を積み上げる事と、その絶望を積み上げて魔女化した結果まどかに会えると言う希望を極限まで溜め込む事だけだった。
まどかがほむらによって因果が積み重ねられ、概念になったように、ほむほむも概念になるために必要な因果を自分で積み重ね、概念になる事が出来た。
概念になったほむほむが同じく概念になったまどかを幸せにするには、まどかの人格部分を切り取って自分の世界の中に取り込んで、人間として幸せになってもらうしかない。
これを実現したほむほむは、自分の力でまどかを幸せすると言う、ほむほむが望んでいた幸せを手に入れる事が出来た。
ただし、この結果は、決してまどかが望んでいるものではない事を、ほむほむもわかっていた。
だから、あえて自分を悪魔であると名乗り、自分の行動はまどかの望んだものではないが、自分自身の望みを叶えると、自分を悪者にした。
これは、ほむほむにとって、最高に幸せで、最高に背徳的な行為だったに違いない。
まどかの概念化を自分の力で止められない敗北感を感じながら、まどかの意思に反して自分の私利私欲のために、自分の出来る方法で、まどかを幸せしようとする。
それは、私利私欲のためにする背徳的な行為で、背徳的な幸せであるが故に、最高に気持ち良い。絶頂感すら感じるその快感の中にいるほむほむは、その世界の中では常に扇状的な表情をしている。
これはたまらないだろう。
ほむほむは、まどかの意思に反して自分の世界で、幸せになった。
ほむほむは自分の望みを叶え、とても幸せな背徳感を手に入れた。
ほむほむが、「自分がまどかを幸せにしたい」と言う欲望を叶えるうえで、これ以上の方法はない。
そう言う意味で、この物語は、ほむほむにとって、最高のハッピーエンドだし、それを否定する人は、この話の中のほむほむの幸せを否定しているに他ならない。
こんな幸せの形は間違っていると思う人は、まどかの望む形を拒否して、自分の幸せの形を実現したほむほむと同じ考え方をしている事になる。
しかし、ほむほむの幸せを望む人達が求めているのは、そう言う事では無いだろう。求めているのは、ぶっちがほむほむを幸せに出来た形での幸せだろう。
もちろん、それを望む気持ちはわかる。
でも、それは、今回の映画の中のほむほむの人格を否定する事になる。
私としては、ほむほむが、まどかの提供する幸せの形に流されてしまう弱い存在ではなく、自分の願いをねじ曲がった形でも満たしてしまう、今の終わり方が、ほむほむの強さ、弱さをよく表していて、凄く好意を持てた。
遊べる。
携帯特有の処理の重さとか、
持てるけど三時間たったら
低音火傷起こしてるよねレベルまで加熱することを
除けば、全然良いと思う。
画面の大きさ。人って意外とちっちゃい文字が読める。
ボタン操作に不自由しないし、夕張さんと由良さんの違いがわかるなら
それでいいや。
何となくやだったのが両手を使うことだった。
つり革なしに腰が十分でヘタれる身としては
両手が空かないのは辛い。
だが、艦これなら右手ですむ。マウスで操作することが前提だから。
より楽に。マウスによる入力を前提とした一点指示は理に叶ってる。
なぜ増やしたし。
そして横持ちで操作すること。極め付けはこれだ。
あれでこれでそれなのだ。
左手の小指と親指のみを立てて耳元で振ることで会話する、
というジェスチャーを人前でするのと同じくらいに。
LeapMotionを肩にはっつければ、いい感じになるんじゃないのと
今週末に試したいが。
AndroidでPS3のコントロールドライバのアプリを入れて
おもむろにコントロール機を取り出してエミュレータでゼノギアスを遊んでみたが、
コマンドプロンプトを立ち上げた時と同じようにくるものがあった。
あの時斜向かいで、『今どきの学生ってノートPC持ってるんだね』
と話をしていた二人組の男女の方、思い出すたびに死にたくなる
密着してると、なおいいです。
キスしたり手握ったりしてるのもいいですね。
結合部分はあまり見たくないです。AVだったら、女性の太股で隠されているのが好ましいです。横から見るのが基本ですからね。AVだと。
上から見るのも、背徳感があっていいですね。しかし、女性の股が開きすぎるのは、変です。
後ろから見るのは結合部分や肛門が見えるのであまり見たくありませんが、嫌いではありません。こういうものを食べたくなる時だってあります。
変に腰の動きが早いと、ちょっと引きます。もう少し粘度のある絡みがいいです。
女性が上の正常位もありますが、あれもいいですね。騎乗位への移行がスムーズだし、乳房の揺れ加減は男性上位とは別の趣があります。横乳好きにはたまらないでしょうし。
ただ、まあ、一番好きなのは下手に腰振ったりしないでイチャイチャしてるシーンですね。これから始まる期待感というか、焦らされてる感というか。