はてなキーワード: 日差しとは
寝れない夜って暇だよね。かといって音楽とか聞くと寝れないし。起きてPCつけたら即徹夜コース。
最近のやってるのは「動物になったことを想像する」アホらしいけど、案外面白いんだよ。
一番簡単なのはネコ。昼下がり、縁側でのんびり昼寝しているネコになる。春の日差しが暖かい。唯一の仕事は、のんびり寝ること。撫でられる感触で目を覚ますと、隣にロリがいて、頭をなでている。うっとうしいから無視してまた眠る。
あとはアリとか。地を貼っているのを想像する。そして向こうから人が歩いてきて、それに踏みつぶされないように必死で逃げる。だが逃げ切れず、ついに踏まれる。死んだか?と思ったら、靴の溝の間で、なんとか生き延びた。
あるいは木とか。ただじぃーと立っている。そうするとガキがやってきて遊んでる。昔は木によじ登って大変だったけど、最近の奴らは木に登らねぇな〜ってちょっと寂しく思う。あとはばあちゃんが来て、なんだか懐かしそうに見上げている。そういや、このばあちゃん、ガキの頃にここにきて泣いてたな〜とか思い出す。
いまでこそこんなだが、当時は結構マメで、每日コツコツと日記を書き、ノートが終わる度に最後のページに”まとめ”を書いていた。
ノートは10冊以上たまっていた。
最後のノートの最後のページ、”まとめ”は、こんなタイトルだ。「十五年後の俺へ」。
俺自身の半生(四半生?)を振り返るために、それを晒す。特定個人のプライバシーを守るために、多少改編すると思う。
現在の俺のコメントを、アニメのコメンタリーのように、右側に付記する。
「十五年後の俺へ」(はぁ…)
15年後の俺、久しぶり!覚えてるか、俺だ。15年前の小保方だ。(どうも。15年後の小保方です)
俺の夢は世界一の数学者になることなんだが、おまえは今、どうしてる?(ニートだよ。アホウ)
おまえの目の高さから、世界が見えているかい?(いきなり気持ち悪いこと言うなww)
おまえは今、どんなだ?(ニートだっつてんだろ。二束三文のニートだよ)
今の俺は、我が道を行く――孤高の男――を気取っているけど、ひょっとするとお前は、スッカリ丸くなって家庭を築いているかも知れねーな。(家庭どころか、彼女さえ出来た試しがない。お前の言う、孤高の男だ。)
家のリビングで広い庭を眺めている。男の子が一人、女の子が一人。白い犬と一緒に遊んでる。午後の日差しに目を細めた俺は、でっかいソファーに体を沈み込ませてちょっと心地いい気分になる。(そうそう。当時、妄想だけは達者だったんだよ。なあ、その生活、いくら掛かるか考えてみたことあるか…?ちょっとでも現実的に想像していたら、あるいはもう少しマシに育ったかもしれない。)
キッチンからきれいな奥さんが現れて、コーヒーを持ってきてくれるんだ。(フェミニストに殺されるぞ)
悪くないじゃないか。 (悪くないとかwww斜に構えんのやめろwww)
(まさかとは思うが…その奥さんって、クラスで目の前に座ってる、”小保方さん”だったりするか?そうだったらヤベエな。まあ、それは俺の勇気次第だが。)
(その”小保方さん”だが、クラスのヤンキーと付き合ったお陰で、1年後にギャルになります。。。そして俺は、結局何もせずに、この歳までドモリ・コミュ障・ヒキ・ニート。全部お前のせい。殺すぞ)
だがな、ヒトコトだけ言わせてほしい。「狼としてのスピリットを忘れるな」。 (スピリットww)
「常に飢えていろ。エモノをどんよくに求めて、常にギラツいていろ」。 (ヒトコトじゃないじゃんwww)
覚えているか?周りの軽い連中が女連れこんで昼間っからカラオケなんかに言っている頃、俺は何をしていた? (お前は気づいていないが、その軽い連中が、大学で体育会系サークルに入って、大企業で重宝され、社会を回していくんだ。)
そう――街の書店に繰り出して、大学の参考書をあさってただろ。 (『ファインマン物理学』な。結局一度も読まずに、本棚に飾りっぱなし。こないだ捨てといたよ。)
受験勉強なんてどうでもいい。受かるための勉強には、価値なんて無い。(んなこと言ってっから一浪するハメになんだよwww)
「前に進むこと」。俺が求めているのは、それだけだ。(いやそれただの思考停止ですからwww目ぇつぶって崖に向かって突っ込んでるだけですからwww)
もしお前が、不覚にもこのスピリットを忘れているというのなら、今すぐ走りだせ。 (www)
さもなくば、死ね。 (すぐ”死ね”とか言っちゃう軽口wwwさすが高校生www お前が死ねwww)
俺は今まで、鳴かず飛ばずの人生を生きてきた。(奇遇だな。俺もだ)
日記だけは每日欠かさずつけてきたが、それが何の役に立つ?と聞かれたら黙殺するしか無い。 (『黙殺』って何だよww何で上から目線www)
だが、遂に俺はこの歴史にピリオドを打とうと思う。 (歴史www)
立ち上がる時が来た。
俺は前に進む。
そしていつか――未来の俺――つまりお前は、再びペンを取る時が来るかもしれない。 (うん。キーボードだけどね。匿名ダイアリー楽しいよ?)
その時、俺の言葉は平原に還り、俺はより美しい言葉で、人生を語り出すだろう。 (やwwめwwろww いくらハマってるからって、村上春樹のパクリでシメんなwwww)
せっかくいろいろ言ってくれてて申し訳ないんだけど、その程度のことはやっているし、
畑とかまるで興味がない嫁に、車で30分かかる場所に畑借りて、毎週必ずそこに行かなければならなくなることが、
田舎暮らしを楽しむ嫁の幸せだと思っているのなら、俺以上に田舎のことが分かっていないと思う。
貸し農園なんて、手入れを怠れば他の人に迷惑がかかるわけで、借りた以上、興味でないからやっぱ放置、とかはできないわけ。
まさに畑に縛り付けられた生活になるわけ。
それでもそんな生活を無理やり過ごさせて、そこに田舎の喜びを見出させろ、なんてブラック過ぎて笑えもしないよ。
畑に毎週通わせるくらいなら、毎週嫁の実家に通った方がよっぽど幸せだろうと思う。
森林ウォーキングとか、都会から気軽に行けるトレッキングコースとかが豊富にあるなら、いろいろめぐれるけどさ。
実際、くもの巣も日差しも嫌いで、暑いのも寒いのも嫌いな人が、田舎の山林歩いたって楽しめたりはしないわけ。
近所の河原を散歩して、野良猫とたわむれる程度で精一杯なわけ。
それでも、楽しみを見出すまで無理やり森林に連れ出せって?
休みの日に、河原散歩行こうよーって言って、ようやくたまに連れ出せる程度の人だよ。
難しすぎるわ。
実際、城下町に観光にいったり、鶴を見に行ったり、お祭りにいったり、映画見に行ったり、ショッピングセンターいったり、
実家に帰ったり、たくさんたくさん、一緒にいろいろなことしてるわけよ。
それでも、そういうのって、数日限りの気晴らしでしかないわけで、平日のあの子の生活を変えるにはあの子が自分で
何かを変えるしかないわけ。
そのために必要なものを見に行ったり、行ったことのない場所に連れて行ったり、いろいろな提案はしているよ。
しかし、それをしたらすぐにでも変わるなんて思っているのなら甘いし、嫁があまりにも無知すぎるから田舎に
馴染めていないみたいに思っているなら、それこそ嫁の人格を無視しすぎた物言いだわ。
したいことがあるなら喜んで俺も付き合うし、嫁が興味持ちそうと思うものはいろいろ提案しているし、
それを一年続けたうえでの話なんだけどね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E7%B5%B5%E7%94%BB
詳しくはwikipediaでも参照にしてもらいたいのだが、要するに、ごく普通の風景を描いているように見えて、実際にはその風景は現実には存在することの有り得ない、といったそういう絵のことである。
例えば、人々の足元に落ちる影の向きがそれぞれバラバラだったり、あるいは、走っている機関車の煙突から延びる煙が、風に靡くことなく真っ直ぐ立ち上っていたり。
因みに「形而上絵画」において有名な作家と言えば、イタリア人のジョルジュ・デ・キリコがいる。
ググって形而上絵画を探してみようとしたところ、中々見つからなかったので、彼の有名な一枚である『通りの神秘と憂愁』を例として貼っておくことにする。
http://blog-imgs-45-origin.fc2.com/c/a/r/carcosa/chirico.gif
◇
ところで、僕は大手ギャルゲーメーカーの『key』のドンである、麻枝准の曲が好きである。
特にその中でも、彼がごく初期に書いた『恋心』という曲が好きである。
十年近く前に、ipodで繰り返しこの曲を聞いていたことを思い出す。
時には、学校へ向かう途中に口ずさんだりもした。
そして、この曲を聴いている時に、いつも僕が思い浮かべるのは、一本の木が植わった起伏のある平原である。
日差しは、まるで雨の日の朝に部屋へと差し込む時のように、薄い青色をしている。
平原には一本の木を除いては、構造物と言えるようなものは全くなく、一切が見渡せるようになっているのだが、その地平線のいずれの場所を眺めても、例えば太陽とかそういったような光源は見当たらない。それでも、空と平原は一様に、薄ぼんやりとした青色に照らされている。
先日、久々にこの『恋心』を聴いてみていた。
iphoneを購入したのを機に、ipodに代わるデジタルプレイヤーとして、試しに昔好きだった曲を掛けてみていたのだ。
すると、かつて僕が聞いていたのと同じように、例の、あの青褪めた、薄ぼんやりとした風景が浮かんでくることになる。
僕は、その風景に懐かしさを感じながらに、十年前聞いていた当時よりも、ずっと克明に風景を思い出しつつあった。
どんな君を好きでいたか、もう思い出せない。
楡の木陰に隠れて、僕を呼んでいた
僕はその歌詞に耳を澄ませながらに、ふと、何か不自然なことに思い当たったような気がしていた。
自分が思い浮かべている風景に関して、何か、おかしな点があるように思えたのだ。
そして、その不自然な点、というのに、僕はすぐに思い至ることができた。
つまり、360度全てを見渡せる平原において、光源の一つも見当たらないのに、空や地面が一様に同じ程度に明るい、なんていう光景は、実際のところ有り得ないということである。
キッチンに立って、サラダを作るためのお湯を沸かしながらに、暫く、僕は意識の空白に立ち竦んでいた。
その暗闇から回復したのは、そう時間を経てもいない時のことだったと思う。
僕の耳元には、イヤホン越しに、変わらずその透明な歌声が響き続けていた。
彼女は歌い続けていた。
僕は耳を澄ませていた。
僕はその歌詞にぼんやりと耳を澄ませながらに、一つのことに思い至っていた。
そう、僕が十年前に思い浮かべていた景色は、きっと、本当には存在し得ない景色なのだな、ということにだ。
そして、暫くの後に、僕はひとまず気を取り直して、もう完全に煮立っていた鍋の、電磁調理器のスイッチをオフにしていた。
どこまでも続いてゆく、悲しい景色、君と、笑っていた
いつまでも傍にいるよ、夢の中で、君と笑っていた
麻枝准 - 『恋心』
夏休みに地元に帰った時、久々に中学時代によく通っていたゲーセンに行ったんだ
日差し強くも心地よい青空の下、かつての俺達の根城だったゲーセンは今でも不況に負けず営業していたようで安心した。
しかし入店した瞬間、圧倒された。
何かスロットっぽいのから、メダルを落とす系の大型筐体、競馬みたいなもの、etc...
他には、クレーンゲームとプリクラが所狭しと並び、かつて遊び慣れたビデオゲームタイプの筐体は本当に隅に追いやられていた。
おいおい、こんなんじゃ中高生男子は遊びに来ないんじゃないかと思ったのも杞憂で、客層は異常に中高年が多い。
ゲーセン=不良のたまり場…というイメージはさすがに昔過ぎだが、それでもゲーセン=若者の集う所 じゃなかったっけ。
素行の多少悪い者が集まる場所とはいえ、しかし年頃の元気な少年の爽やかな笑顔に溢れていた活気あるゲーセンは終わっていた…。
メイン客層の高齢者は皆淀んだ目でゲームに興じている。そこに、少年のように積極的に、攻めの姿勢でゲームを楽しむ気概は感じられず、ひたすら受身で目の前の光景を眺めているだけのようなプレイに見えた。
なんかなあ…
用もないのに病院に言ってお喋りしてる高齢者の方がまだ元気に感じるよ。
隅の方にあったビデオゲーム筐体も上海とかでこれまた定年にはまだ少し早そうなオッサンが延々とプレイしてる。
ああ、もうゲーセンですら俺達若者の場所じゃなくなりつつあるんだなとひしひしと感じざるを得なかった。
音ゲーコーナーはまだ若い子がいたけど、このまま少子高齢化が加速するにつれて、音ゲーも"かつての少年少女だった"層が遊ぶだけのものになるんだろうか。
うんうん、主観的に見れば何だって利益になりうるし、不利益にもなりうるよね、わかるわかるー。
で、「日差しを避けるための道具」であり、実際に日差しを避けることができる日傘と、
「気分を良くするための道具」なのに、喫煙者の健康に悪影響を与え、吸わないときには不快感さえ与える煙草と、
いったいどういう共通点があんの?
「俺の主観では似たようなものなんだ、その主観は誰にも否定できないんだ」って主張したいわけ?
常識的に考えて無理でしょ?
ちなみに、この次には周囲に与える影響の問題が控えてるけど、そっちの反論はもう用意できているのかな?
今日、通勤ラッシュ時に日傘の先端が目に刺さりそうになりました。
歩き日傘の女の人が目の前のサラリーマンを日傘で叩き早く進むよう促したり、
成人男性の目の高さがちょうど女性の歩き日傘の骨の高さがくるようで危うい場面を幾度となく目撃してます。
歩き日傘をする人は、歩き日傘を危険だという認識はないのでしょうか?
家に帰ってクリームを塗れば済む話じゃないんでしょうか?
人の目の高さに刃物を何本もぶらさげているという行為に何も思うところはないのでしょうか?
日差しが無害なはずは無いので外で絶対に対策をするなとまでは言えませんが
ちょっとでも迷惑を感じている人の事を考えてほしいと思います。
朝は快晴。暑さで起床。日差しが辛い。
・ROUTE 17 Rock 'n' Roll Orchestra
池畑潤二率いるバンドに、ゲストとしてトータス松本・甲本ヒロト・大江慎也(ルースターズのボーカル)がゲストとして登場。
グリーンステージ一発目としてお祭りの始まりを飾るに相応しい、愉快なロックンロールバンド。
甲本ヒロトがYMCAを歌っていた時に物販列に並んでいたのが非常に悔やまれる。
社長はいつも通りガウンを羽織ってらっしゃって非常に暑そうだ。
バンド内で社長の役割は「アジテーター」となっているが、実際はサックスのエフェクターをいじってダブ風にしたりパーカッションをしたりとちゃんと他の仕事もしていた。
クラブ・ジャズバンドであるため、どうしても後に見たJazzanovaと比較してしまうのだが、Jazzanovaの方に軍配が上がるかな。人数で負けてるし。
だからといってカッコ悪いというわけでなく、むしろこの二つはクラブ・ジャズ頂上決戦くらいな感じなので、最高に踊れた。
トランペットの人がソロの後に酸素吸入器使ってて、管楽器って大変だと思ったよ。
・怒髪天
普通のロックンロール。ただでさえ暑いのにめちゃくちゃ暑苦しかった。
別に嫌いとかそういうわけじゃなくて、「ゴミ分別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」列に並んでた時に聞いたので、暑いのが辛かったってだけ。
ちなみに、「ゴミ分別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」に関しては、タオル目的に参加するとフジロックごみ問題について考えざるを得なくなるという良企画だった。
みんな、リサイクル食器は食べかすが残らないよう綺麗に食べよう。
モッシュピットでは若者ではなく、いわゆるエアジャム世代のオッサンたちが大騒ぎ。
今でしょ!と思い人生初ダイブに挑戦するも、うまく支えてもらえずしょっぱい感じで前から退場。
今回二番目に楽しみにしてたバンド。
ついにJacking the Ballを生で聞ける時が来たか!灼熱のオレンジコートに涼しい風が吹き抜ける!と期待が高まるが…
CD音源の方がよかった。てかライブなのに露骨に既成音源使いすぎなんだよ…これ以上何も言うまい。
折角二列目で聞いてたけど途中で後ろに下がってしまった。
Twitter見てたら「オッサン感動して泣いてしまったよ」みたいな人が複数いたが、これで感動はさすがにハードル低すぎorノスタルジー効果でしかない。
2月に来日公演を見逃したマイブラ、ついにお目にかかれました。
Twitterで小野島大さんが指摘していたが、最初は音が小さく迫力不足だった。なんだマイブラこんなものかと。
音量は徐々に上がっていき、最後の曲くらいになるときちんと轟音と呼べるレベルになったので、ノイズの波に包まれる感覚はちゃんと味わえた。
しかし音量は上がったとはいえ、全体的は音の解像度が低く、音のレイヤーが緻密に重ねられているCD音源に比べるとかなりお粗末なサウンド。
ケヴィン・シールズの後ろには10台ほどのアンプが並び、ギターも一曲一曲取り替えていたが、努力虚しくといったところか。
Only Shallowのイントロとかライブだとどうなるのか楽しみだったのにな。
最後の曲で「うおーノイズの雨だ!」とか思ってたら本当に雨が降り始めて、「これはマイブラの演出か!?ハンパねぇ!!」とか感動していたのだが、その後雨は笑えないレベルに。
後ろの方で見るハメになったが、後ろの人達の目的はCharaではなくテントの屋根。
静かな曲の時も、隣の外国人が大声で会話をしており勘弁してくれという感じだった。
しかし「やさしい気持ち」は一応聞けたのでよかった。
Charaの声は生で聴くと尋常じゃなくハスキーであり、s/n比が大変なことになっていた。
もはやノイズボーカルといっていいレベルであり、非常階段のシャウト担当の人を思い出す。
「やさしい気持ち」サビでは絞りだすような歌い方がさらにノイズ成分を増していて、音程とかいう世界をもはや超越していた。。。
これは是非ライブで聴くべき。前で聞けなかったのが悔やまれる。
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=EoUSERsC8VI
先日見た初音ミクオペラTHE ENDと同じ舞台構造で、背景のスクリーンと前面にある半透明スクリーンの間にDJブースがあるという構造。
このVJがすごすぎて、ちゃんとみんな音楽聞いてなかったんじゃないの?と思うレベル。
印象的だったのは、インテリジェントなサウンドと裏腹に、フライング・ロータス本人がかなり頭悪そう(いい意味で)でハイテンションなアジテーターだったことw
無駄に「オキナワー!キョウトー!インザマザファカ!」とか叫んでた。
・Char
迷うことなく1日目のベストアクト。
ライブはなんとノープラン。Charが友人ギタリスト及びフジロックで出会ったギタリストを順番に招いてひたすらジャムセッションしていくというもの(なんと二時間半も!!)。
ギターを少しでもかじったことがある人なら感動せざるを得ないライブだった。
Charはそれぞれのゲストとギターで会話。必要な言葉は「キーはDで!」というセリフのみ。
ギターでの会話にはきちんとシンタックスがあり、方言もあった。
奥田民生のソロの後にCharが「おっ、ギターも広島弁だねぇ」と言ったのが印象的。
フジロック当日に初めて会ったEddie Roberts(The New Masteroundsのギタリスト)はファンクギタリストであり、Charはブルースギタリスト。
ジャンルの違いは方言の違いのようなものであり、お互い歩み寄り会話を成立させていく様には全てのギター小僧が感動したことだろう。
Char本人に関して言えば、立ち居振る舞い、声、ギター、何をとっても最高にかっこいい不良中年だった。
ライブ中にタバコは吸うわ、ビール缶を蹴って客席に飛ばすわ、そんでもって58歳にもなってビールを口から友人に噴きかけるやつなんてCharくらいのものだ。
そして、Charはゲストたちだけではなく観客との掛け合いも忘れない。
「そろそろ声出しとく?」とライブ中何回もコールアンドレスポンスをはさみ、雨でずぶぬれになった観客たちの体を温めてくれた。
最後はWarの「Cisco Kid」の替え歌で、全てのギタリスト総出で「Fuji Rock Kid」を演奏。
我々観客はサビで「Fuji Rock Kid was a friend mine」と大合唱。
裏でやってた(どちらかと言えばCharが裏だが)ナイン・インチ・ネイルズも少し気になったが、Charを選んで本当によかったと思えるライブだった。
佐藤タイジと奥田民生はハードロック、鈴木賢司はエレキシタール、Eddie Robertsはファンク、CHABOとCharはブルースという、もう本当に異種格闘技戦だったわけで。
Char×Eddie Robertsなんてもう二度と見られないだろう。
ピラミッドガーデンという辺境の地でしかも深夜ということもあり、夕方のCharaとは対照的にセレクトされた客層。
どれくらい辺境かというと、メインステージがある方向と反対方面にテントサイトから徒歩20分というレベルなのだが、この場所は勝井さんたっての希望らしい。
まずは勝井祐二×U-zhaanの即興演奏。先ほどのCharとはシンタックスこそ異なれど、これまた達人同士による会話が繰り広げられる。
多分彼らは無限に会話を続けられるだろう。こうした即興演奏を見ると、もはや曲という概念がよくわからなくなってくる。
青葉市子はポンチョにサングラス、箒を振り回しながら登場し、その場にいた全員を困惑させる不思議ちゃんぶり。
青葉市子は弾き語りの音源とライブを聞いたことがあったが(翌日にも見た)、そこにエレキバイオリンとタブラが加わるとさらに素晴らしい曲に仕上がっていた。
最後はその日が命日であったrei harakamiとU-zhaanが共作した「川越ランデブー」を勝井祐二、U-zhaan、青葉市子の三人で演奏。
大げさな言い方だが、即興演奏の達人たちはもはや死者とも会話していた。
といってもシリアスな感じではなく、曲はむしろU-zhaan特有なシニカルなユーモアあふれるものだった。
後からYouTubeで原曲を聞いたが、歌の部分は青葉市子が歌う方が可愛げがあっていいと思う。
しかし、斎藤牛蒡店は自らのやばさに気づいてないあたり、U-zhaanよりもさらにやばい。
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=NICEXdZ2s3o
勝井さんの演奏を見るのはこれで4回目だが、毎度毎度違った印象だ。
稲穂が揺れている
日差しは天頂に達したばかりで、その柔らかな光の元で、君は笑っている。
僕には笑うことができなくても、君は笑っていた。
笑いかけてくれていた。
勿論、それが既に失われてしまったものであることを僕は知っている。
それどころか、僕という存在それ自体、既に失われてしまっているのだ。
僕たちの存在は、言うなればその代替物であり、あるいはその可能性であるところのものに過ぎない。
それだって多分、失われていくのだろう。
僕達が今こうしてお互いの顔を見ていることさえも、いずれは失われていくのだろう。
いや、過去の一時点において失われたわけではない。存在した時にはもう既に、失われていたのだ。
そして恐らく、その不完全な存在すらも、これから失われていくのかもしれない。
君は笑っていた。
どこまでも続く稲穂の海が揺れている。
傾いて色の濃くなった日差しと、意外なほどに涼しい風が入る部屋で、スーパーのレジ袋から豆腐を取り出す。
昔の豆腐はパックの中でもっと水に浮いているような感じだった気がするが、そうでもなかったかも知れない。パックされた豆腐がどうなってるかなんて考えてこともなかった。そもそも昔っていつだろう。小さな頃は豆腐なんて母親が買ってきてぼくが目にするのはもう調理済みの豆腐だけだったんじゃないのか。それにしても最近は豆腐だ納豆だ豆乳だと大豆製品ばかり摂っているな。
豆腐パックのラップはどの製品も揃って剥がしにくいので果物ナイフを立てて差し込み周囲を切り取る、一部が内側に飛び出たように曲がってしまったがいつものことだ。取り出すときに豆腐が引っかかり少し崩れてしまうことが少しだけ悲しい。
豆腐を深めの皿に乗せ水を切る。何か重石になる物を乗せなければならないが水を入れたボールでは後で傾いた時に水がこぼれて危ない。いつものように何枚か皿を重ねた物を乗せようか。水が切れるまでしばらく待つのは面倒だな。
ふと、豆腐に向けて手を伸ばす。手のひらを豆腐に乗せてゆっくりと力をかけていく。少し、水がにじみ出た。しばらくそのまま慎重に手を乗せておく。しかし水はもう出ない。もう少し押し込むとほんのちょっと水が出た。さらにゆっくりと力を強めていくがなかなか水は出てこない。不意に豆腐の各所に亀裂が走る。慌てて手を上げると白く四角く美しかった豆腐は片方の肩を下げたようにゆがみ、傷だらけになっていた。
思えば昔からぼくはこんな失敗ばかりしていたような気がする。豆腐の水を切るのには適切な荷重が必要で、ゆっくりと水が出てくるのを待たなければならない。急いて結果だけを求めてもむしろ望んだ物は得られずにお互いを損なっていくだけだった。
明かりを点けずにいるにはやや薄暗くなった部屋でぼくは豆腐の皿に溜まった水を捨てる。
もう一度豆腐の上に手をかざし、手を閉じる。豆腐は大きく引き裂かれたけれど、思っていたよりは元の形を保っていて、いらついたわけではないけれど少し乱暴に追加で何度か握りつぶした。
車の免許を取って、バイトで稼いだお金で20万円のオンボロ中古車を買った。
彼女を助手席に乗せることができれば、かっこがつくところだが、隣に座ったのは、うだつのあがらない同じ学部の友達だった。
授業をサボってのドライブ。
開放感に満ちていた。
先輩の話だと、この国道の先のはずれにアメリカの議事堂を模したラブホテルが廃墟の状態で取り残されているらしい。
全開にした窓から夏の太陽の光と海の風がドバドバと車内に入り続けていた。
国道を外れると海の青さはより深くなり、浜茶屋の看板もなくなり、補修頻度が減った道路が自然にかえりかけているようだった。
案内の看板も白地に赤い矢印と黒い文字で書かれた今では見ることのないタイプのものが残っていた。
好奇心。ただそれだけだった。
おばけが出るとうわさの廃墟だが、夏の太陽がサンサンと照りそんなそぶりはまったくなかった。
廃墟となった白い建物は、放置された朽ち果て感と不良にいたずらされた無残さが際立っていた。
厳重な柵と立て看板の警告を見たぼくらは、探検する意欲をなくし、ぶよが飛び回る廃墟をあとにした。
道路はこの廃墟の向こうにも続いていた。地図で確認するとなぜか袋小路になっていてどこにもつながっていない。
何もない道の先はどうなっているのか。地図上の空白地帯は一体なにがあるのか。
僕らの探検心はグングンと大きな盛り上がりを見せたのだった。
少し走ったところであっけなく探検は幕切れをむかえた。
道路はなくなり、入り江に囲まれた静かな砂浜がそこにはあった。
誰もいないであろう無人と思しき砂浜をぼくらは探検の成果としてカメラにおさめた。
圧倒的な天然感をグイグイと僕らに強いてくる大自然は、総天然色のポジフィルムに焼き付けるには格好の対象であり、夢中でシャッターを切った。
水着の彼女がその中にいればどんなにすばらしい写真になるとわかっていても、誰もいない自然が被写体だった。
真夏の午後2時の日差しは容赦なく僕らの皮膚に対して紫外線を照射し続けた。
一通り探検を終えて車に戻ったとき、この人気のない海岸の山手に唯一人の気配がある建物がひっそりとあることに気が付いた。
探検の続きとして、好奇心だけでそこへ行ってみると、小さな事務所が建っていた。
事務所前には、車が一台停まっていた。人がいるようだ。
看板には、土地の所有を主張する説明も書いてありほとんどは、電力会社が買収していた。
静かな青い海も白い雲が浮かぶ青い空も緑に染まる山も電力会社のものだ。
急によそよそしい気持ちがフツフツとわいてきた。
うだつのあがらないコンビは、顔を見合わせて、この場所が何なのか急に思い出した。
事務所の近くには、最後の地主が売り渡さなかった土地が柵で囲まれていた。
柵の中には、所有を主張する看板が立っていた。
誰のものなのかは覚えていない。
地元に巨額のお金を落とすプラントは、建設されることはなく、ずっと塩漬けになっていた。
皮肉にも人類の英知を集めた巨大プラントが建設される予定地が、もっとも自然が色濃く残る日本有数の自然遺産となっていたのだ。
あの海も空もあの日のままなのだろうか。
気が向いたら、足向けてみたいと思う。
両親と夕食を囲んでいて、隣のお宅の話題になった。
そのときの話を書こうと思う。
いつの間にか沖縄の梅雨が明けたというけれど、私の住む西日本の県はこのところめちゃめちゃ渇いている。
梅雨だというのに2週間も降らない。
庭の木を見れば、ただでさえ薄い葉の端々が、潤いが足りないと言わんばかりに茶色くなってしまった。近所の山の松なんかも、もともと生育が良くないのに加えてますます立ち枯れてきた。
やっと降ったと思った翌日にはもう、忘れたかのようにカンカン照りだ。
もー、夏ってことでいいですかね?
西日もあんまり強いしで、父に頼んで、「すだれ」を買ってきてもらった。
窓に吊るして日差しを遮るアレだ。父の部屋も二階でめちゃめちゃ暑いので、自分の所にも付けたという。
それで午前中に作業をしていたら、隣家のMさん(主婦)がその様子を見かけ、父に声を掛けてきたそうだ。
「うちにも付けられたらなぁー」
父は「すだれを付ける作業は難しいことじゃないし、忙しいのかいな」くらいに思って、軽く受け流したそうなのだが、話を聞いた母が、食卓のかつおのたたきをつつきながら言った。
「あの家はどうにもならんじゃろうねー」
そういえば今日、父が私の部屋の窓を開けてホイホイと引っ掛けていたのを思い出す。
うちの家は祖父が建てた日本家屋だが、土木屋をやっていた祖父がかなり手を掛けて基礎から作り、家屋はこだわりの材木・土なんかで出来ている。
床が桜の木で出来ていて、塗りの知識がなかった祖父はリビングをペンキ塗りしてしまい、大失敗したのだけど、キッチンの床は色は塗らずにニスみたいなつや仕上げがうまく出来ていて、素足が気持ち良い。
建って35年経つが、水場の壁に几帳面に埋め込まれた四角いタイルは、一枚もひび割れずに整然と壁を飾っている。
風呂などは当初ソーラーパネルで沸かせるように作ったが、作って10年くらいでパネルが壊れてしまい、今は灯油のタンクを入れて、ボイラーで沸かしている。
屋根瓦はときどき割れるが、日本瓦なので、吹きつけなどのメンテナンスをしなくて良い。割れたら、予備と交換するだけだ。
細かいところをいろいろ言えば不便もあるが、なにせ神経質な祖父がすみずみまで目を光らせて作った家なので、やっぱり良くできている気がする。
祖父が死んでから、わたし達家族は祖母の一人住むこの家に移り住んだ。しばらくして、庭の一部を潰して増築した。
増築した別棟はあまりお金をかけずに作ったので、母屋よりは少しグレードの低い感じに仕上がった。
具体的に何で安かったのかは、当時中学生だったのでよくわからない。
母屋に比べて、というだけで、十分にいい建物だと思っていたし、都内のマンションやアパートを数件移り住んで大人になった今も、ひどく安い建物だとは思わない。
ただし、なぜか床下が白アリに食われてメンテが必要になったこともあるし、
帰省した時にいつの間にか一階の内壁に洒落た木材が貼られていたので、北欧気分で内装を変えただけかと思っていたら、カビが生えたのだということだった。
建って4年目の夏のことだ。
このとき初めて、裸の木材が湿度を調節することを知った。靴箱に活性炭を置くのと同じ要領だ。
別棟をお願いした土建屋さんは祖父の古い知り合いなのだが、仕事は毎度きっちりやっていたと思うし、手を抜いたからトラブルが起きた、というわけでもないと思う。
ただ、白アリ対策を施したはずの木材に運悪く入り込むスキがあったのだろうし、締め切った部屋の角にカビが生えるほど、断熱材やサッシの性能が良すぎたのだろうし、風通しの問題でもある、という風に家族はその件を受け止めている。
そういえば、母屋はめちゃくちゃ窓が多い。ほとんど四方にあるか、ない面は、どことなく気が遣われていて意外と通気が良い。
一軒家は窓が多くて戸締りが大変だ、なんて言うけれど、だからといって窓を少なくしないのは、やはり理由があるということかしら。
わたしの部屋はその増築したほうの二階にある。夏は当然暑いのだが、西日の入る窓に軒(のき)があるので、そこに、どうにかしてうまいこと掛けてもらった。
父は梯子も使わずに窓の外に乗り出して、手を伸ばしてフックを掛けたりしていたので、まだ若いもんだと思った。
さて、Mさんのお宅は某有名ハウスメーカーで作られた注文住宅だ。
数年前に越してくると同時に建てられ、2人の可愛らしいおにゃのこが砂場や自転車でよく遊んでいる。
道路に面した一階に大きなリビングがあり、ときどき食器の音や、子どもの無邪気な声が聞こえてきたりする。
庭というか、地面はコンクリートでまっさらに固められており、道路に向かってゆるやかなカーブを描く駐車場になっている。
パーキングブロックも置くつもりはないようで、あまりにいさぎよい面っぷりに、竹を割ったような感じ?と住人の性格を勝手に想像してしまったりしていた。
夏は照り返しが暑そうだな、と思ったこともある。
そのリビングがとても暑いのだそうで、窓を開け放すとリビングが丸見えになってしまうこともあり、毎年毎年、何とかしたいと思いつつ、実際何もできないのだそうだ。
母が言うにはどうも、リビングの窓にはすだれをかける軒がないので、よしず(縦に立てかけるすだれのようなもの)を考えるだろうけど、よしずを立てかけると風が吹いた時などに地面のカーブで倒れる具合になってしまうし、たぶん無理だと。
グリーンカーテンを作るには、やはり上方にネットを留めるところがない。
サッシに付ける金具とかで何とかなればよし、無理なら家の内側に屏風的なものを立てるか、ブラインドを付けるか…。
物干し台みたいなセットを建てるのも、安くあがるかもしれない。
毎年のことだから、きちんとやるなら外のコンクリートに穴を開けて、柱を刺し、棒を渡すしかないのでは、といった意見に落ち着いた。
家の壁に穴をあけると不都合を招きまくるので、壁改造はやはり話題にも上がらない。
もちろん、これはぜんぶ他人の勝手な意見であって、Mさんを交えた会話ではない。
昔、システム屋に勤めていた時、会社の上司が自宅を新築するということで、確かその某ハウスメーカーに発注していて、既製のユニットを組み合わせて半注文住宅に出来るんだ、それがSIerの提案のやりかたと似ていてとても参考になるんだ、と言っていたのを思い出した。
何か出来るように機能を考慮すると、料金も持ち上がる、積み木のようなシステムだと言っていた。
これはこれでコストダウンとのバランスを取った、とても革新的なビジネスアイデアだと思う。
メタボリズムって考え方は好きだし、建築の側から考えると、とてもワクワクするものを持ってるとも思う。
ただし、閉じやすい、完成された(建築家側にだけ開けた)性格を持っているので、居住者(ふぜい)がどうにかできる隙がまったくないケースもあるということだろう。
注文住宅に比べて日本家屋がとても優れている、なんてつまらないことを言いたいわけではないけれど、ハウスメーカーの提案するユニット式は、気を遣って作らなければいけないんだな、みたいなことを思った。
初夏の日差しの中、右手に相模湾の絶景を眺めつつ、国道134号線を鎌倉に向かって歩いていた。
きっかけは知人宅に泊まった後、流れで裏手の高台、伊勢山公園に登ったことだった。湘南高校の奥、江ノ島と光輝く海を見て、近くに寄ればあの海のすべてを手中に一瞬でも収められるかもしれない。ちらっと浮かんだ妄想に惹かれて、背後の旧軍の慰霊碑に後押しされるように、別れた後で足は藤沢本町を通り過ぎ、自然と江ノ島へ向かっていた。
国道467号線を歩き、歩き、歩き通した。携帯で位置を確認する迷いも、渋滞に捕まり別の道を探す煩わしさも必要ない。ただ道なりに歩けば着くのだから。時折、潮風が自転車とともに私を追いこしていく。汗ばんだシャツにしみが出ないよう、時折バッグを担ぎ直して歩みを進めた。
そして藤沢市街地を通り過ぎ、境川を渡り、江の電が市中を走る交差点までやってきていた。ここを右に渡れば江ノ島なんだ。初めて止めた歩みに飛び込んできたのは、市街地ではない、行楽地としての江ノ島だった。
偶数の法則が行楽地には存在する。偶数とは、右手と左手が手を繋ぎ飽和する関係だ。男も女も若いのも年老いたのも手を繋ぎ、関係性を演出するに相応しい数。
例えば、足を止めた線路の反対側に家族がいた。子どもを呼び止めて繋いだ母の左手は情愛に溢れていた。一方で母の右手は父の手と付かず離れずを繰り返す。まるで手と手が性愛してるのかと思うほどの仲睦まじさがそこにあって、気づいた私は立ちくらみを起こしたほどだった。
例えば、狭い歩道を譲り合う老夫婦がいた。顔は全く違うのに、雰囲気があまりにも似ているものだから、同じ時間を長く過ごしたのだろうと何も聞かなくても分かるような、成熟した関係。対面から歩いてきた私に、嫁が最初に気づくと、お父さんと自然に彼の手を握ってすれ違えるようスペースを開けてくれた。ありがとうございます。お礼を言うと頭を下げるタイミングまで一致していた。
そうして、人と人との関係を知ってきた。笑ってる口元じゃない、本人も意識していない手元に現れた形から。
人ごみの中でたくさんの、握られた手と手を見てきた。手の持ち主が辿ったこれまでを想像しながら。
この時期としては若干涼しめの湘南の風は暑過ぎる仲を適度に冷ますために吹いていたに違いない。
江の電が、人が乗り過ぎて窒息死に至りそうな走りを見せていたので、鎌倉までさらに徒歩で帰った。手持ち無沙汰の両手からどうやったら力が抜けるのかわからない。ギクシャクと腕を振りながら、太陽に手のひらを翳してみる。友達なら誰でもいい。今だけは手を握っていたかった。
今家に自分以外誰もいないのをいいことに、居間のPCで懐かしのエロゲを二時間やってはやり捨てていたのだが、
『体育倉庫物語 ~幼性の夏休み~』のBGMが意外と良かったのを再発見したり。
調教シーンの最中にかかる曲が、川べりをゆっくり歩きながら日差しの下で輝く川面を眺めるような穏やかさを想起させるように、
幼女をなだめて気分を持っていくようなしっとりとした曲で、ああ、この曲良いなぁと思って音量を上げて
まだBGMがかかっていることをようやく思い出した。
PCの前に戻ると、幼女には未だに空気入れのホースがささりっぱなしになっているわけで、
ああ、ごめんなさい、今楽にしてあげるからねとEscキーでとりあえずゲームを終了した。
PCから離れていた間、モニターはスリープモードに入ることもなく煌煌と輝き、
アーンなシーンがブラウン管なら焼き付くほどの時間経ってたわけだけど
ゲームが稼働中であることを知らせるBGMが自然すぎて全く気づかなかった。
ヨスガのサントラを掛けながら、コマ送りで黒い斜が入ったシーンを一時停止したまま
席を立って部屋片付けていたら姉に見られたことを思い出した。
まったく同じだ。賢者タイムには入ってないのに、曲がいいとすっぽり抜けるよね。
子供の時分に「はだしのゲン」という絵本を読まされた。強烈な絵だった。その絵は、網膜に焼きついたといっていいだろう。
特に、快晴の日差しを浴びたとき、原爆が光る「ピッカー!」のシーンをついつい思い出してしまう。
あんなグロテスクな絵本をよく書いたものだ。さらにその絵本はもてはやされていやがった。よくもトラウマを負わせてくれたな。子供の記憶力なめんな。
昔の原爆の被害者のために、DV被害のさなかにいるかも知れない子供の精神を壊していいとでもいうのか。
快晴の日になるとたびたび嫌な気分になり、そのために腹が立ってしまう。
それは自分の人生のムダなので、自己保身のために、絵の解釈に新たな仮説を加える。
あの画家は、出版社の担当者にいろいろとダメダシをされていた可能性は少なくない(出版社というのはそういうものだ)。
また、当時は植毛技術が存在しなかった。したがって、担当者はハゲ親父だったという可能性は大きいだろう。そしてクソな性格のハゲジジイはウザイものだ。
したがって、あの「ピッカー!」のシーンは、「ハゲ親父ウゼー」という思いを主人公のイヤソウな顔で表現したものだと考えられる(そうではないことを誰が証明できるだろうか?)
原爆は経験したことがないから、あの絵の真偽は知る由もない。だが、インテリの口八丁ハゲ親父がウゼーのは紛れもない真実だ。
とにかく、原爆のことを考えるよりも、嫌なハゲ親父みたいな奴を落とす方法を考えたり、原爆のことを考えなくてよい国に住む方法を考えるほうが無駄がない。
タージマハルが有名な、インドデリーから列車で2時間ほどでいける街、アーグラ。
インド行くからにはタージマハルとりあえずみなきゃという義務感のため、デリーからやってきた。
しかし、その日は金曜日で、どうやら、タージマハルは金曜定休らしい。それに気づいたのはアーグラについてからだった。
乾季に入り、くらくらするほど日差しが強い中で、アーグラ城をみた。
なんとかタージが見たいと思い、リキシャーマンに聞いたら「そこからタージマハル裏の川の向こう側から見える」ということで、値段交渉しつつも、載せてもらうことに。
そのおっさんは64歳。17歳からリキシャーマンをはじめて、今年で47年目らしい。
オートリキシャーがある中、そのおっさんは人力で暑い中をこぎつづける。
子供は5人いて、男2人女3人。長男は病気で亡くなって、次男はおっさんとおなじ、リキシャーマンをしているらしい。
アーグラ城から川の向こう側、タージが見えるポイントまでは4キロくらい。大人一人をのせて走るのにはやはり相当きついらしく、途中で休憩を何度かはさんだ。
インドにきてから、あまりの物価の安さに、現地の人がどれくらいの収入で暮らしているのか気になっていた。
思い切って聞いてみると
「俺は月2万ルピーで、家賃は2千ルピーだよ。子供も学校いかせなきゃいけないし、大変だよ」という。
日本円にして、3万くらいだろうか。リキシャーマンの収入の相場がわからないけども、多くの子供を養っていけるから、そこそこの収入なんだろうと推測する。
川について、タージをみたけど、あんま喜びがなかった。
帰り道に、おっさんに「いまからおみやげや何件かまわるから、たのむから買わなくてもいいから寄ってくれ。そうしたら1件あたり俺に200ルピーが入るんだ」
といってきた。「金曜日でツーリストがいないから、今日は大変なんだよ」といったので、寄ってあげた
社会人になんかなりたくない。
なんで毎日あんなに働けるの? 家に帰るのが夜っておかしくない? なんでこんなカツカツの仕組みになってんの?
ああ、社会人になりたくないよ。
何時間でも友達と話したいよ。好きな本は徹夜で読み込みたいよ。思索に1日使ってしまいたいよ。料理に何時間もかけて友人と食べたいよ。公園を毎日ふらふら散歩したいよ。日差しが眩しい時間に外を歩きたいよ。討論で盛り上がって朝を迎えたいよ。踊り明かしたいよ。あの夢のような時間にはもうさよならしなきゃいけないなんて、そんなの、嫌だよ。
一日の始まりにその日の予定を立てる。朝から光が眩しかったから外へ行くことに決めてとりあえず電車に乗る。電車の中で文庫本を一冊読み終え、何かの縁だと思ってそこで降りる。少し温んできた空気のなかをぼんやり歩く。お寺があったので入ってみる。古びた木の建物の、かかる緑のかげが奇麗で涙が出る。そんな一日がずっと続くと思っていた。
もうさよならだ。
社会人になんかなりたくない。