傾いて色の濃くなった日差しと、意外なほどに涼しい風が入る部屋で、スーパーのレジ袋から豆腐を取り出す。
昔の豆腐はパックの中でもっと水に浮いているような感じだった気がするが、そうでもなかったかも知れない。パックされた豆腐がどうなってるかなんて考えてこともなかった。そもそも昔っていつだろう。小さな頃は豆腐なんて母親が買ってきてぼくが目にするのはもう調理済みの豆腐だけだったんじゃないのか。それにしても最近は豆腐だ納豆だ豆乳だと大豆製品ばかり摂っているな。
豆腐パックのラップはどの製品も揃って剥がしにくいので果物ナイフを立てて差し込み周囲を切り取る、一部が内側に飛び出たように曲がってしまったがいつものことだ。取り出すときに豆腐が引っかかり少し崩れてしまうことが少しだけ悲しい。
豆腐を深めの皿に乗せ水を切る。何か重石になる物を乗せなければならないが水を入れたボールでは後で傾いた時に水がこぼれて危ない。いつものように何枚か皿を重ねた物を乗せようか。水が切れるまでしばらく待つのは面倒だな。
ふと、豆腐に向けて手を伸ばす。手のひらを豆腐に乗せてゆっくりと力をかけていく。少し、水がにじみ出た。しばらくそのまま慎重に手を乗せておく。しかし水はもう出ない。もう少し押し込むとほんのちょっと水が出た。さらにゆっくりと力を強めていくがなかなか水は出てこない。不意に豆腐の各所に亀裂が走る。慌てて手を上げると白く四角く美しかった豆腐は片方の肩を下げたようにゆがみ、傷だらけになっていた。
思えば昔からぼくはこんな失敗ばかりしていたような気がする。豆腐の水を切るのには適切な荷重が必要で、ゆっくりと水が出てくるのを待たなければならない。急いて結果だけを求めてもむしろ望んだ物は得られずにお互いを損なっていくだけだった。
明かりを点けずにいるにはやや薄暗くなった部屋でぼくは豆腐の皿に溜まった水を捨てる。
もう一度豆腐の上に手をかざし、手を閉じる。豆腐は大きく引き裂かれたけれど、思っていたよりは元の形を保っていて、いらついたわけではないけれど少し乱暴に追加で何度か握りつぶした。
ですわな。
ラノベにありがちな急な過去描写との対比 読みにくさがきつい文章。 なんだけど、豆腐への描写がなかなかゆきとどいていて十分豆腐の悲哀を出せている。 やるじゃん。
今日の村上春樹はこれですか