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はてなキーワード: 戦没者とは

2018-06-12

anond:20180612115248

じゃあさじゃあさ仮にさ

・8/15日に

自衛隊の人が来て

戦没者に対する祈りと謝辞をして

国旗掲揚国歌斉唱があって

航空自衛隊によるフライパスもあるような

プロ野球始球式とかあったらどう思うわけ?

anond:20180612111738

アメリカで一番メジャーレースなんて

・開催日が戦没将兵追悼記念日の前日の日曜日

・当然兵士も出席

戦没者に対する祈りと謝辞

国旗掲揚国歌斉唱

軍用機によるフライパス

なんていう日本でやったら苦情殺到間違いない内容なんだが

2017-06-04

敢えて、天皇陛下にご諫言申し上げたい。

2016年8月8日、「象徴としてのお務め」に関する天皇陛下のお言葉以降、退位へ向けた法整備が進んできました。

私は、陛下のお言葉を拝聴して以来、この事態を大変憂慮しております

私は、我が国国民のために献身的に尽くされている天皇陛下のお姿、例えば、東日本大震災被災者先の大戦戦没者に対する慰霊特にパラオをはじめとする国外の様々な地域へのご訪問など、陛下の務められる幾多のご公務を通じて示されているご意志お気持ち全面的に信頼しております

先のお言葉の中で示されたお気持ちは、単なる「存在」としての「象徴天皇」ではなく、「行為する存在」としての「象徴天皇」のあり方に対する強い決意と自負の表明であり、「十分に行為できなくなった天皇」が「象徴」の地位にとどまり続けることこそが、やがて象徴天皇皇室に対する国民の信頼を失わせ、その結果として皇室の存続を危うくすることにつながるという強い危機感の表明である、と私は理解しました。

しかし、私は、この陛下お気持ちの示され方について、敢えてご諫言申し上げねばなりません。

先の大戦で、私たちの国は、天皇神格として祀り上げ、天皇の名のもとに、悲惨戦争を戦いました。国内外に甚大な死者を出したこの戦争は、国策の誤りでした。

私たち日本国憲法代表される戦後政治体制のもとで、天皇日本国日本国民統合象徴として位置付けることで、政治的権能から切り離しました。

天皇の権能を非政治化し祭祀国事行為限定することは、むしろ日本国日本国民にとって素晴らしい知恵であったと考えます。非政治的存在として祈り慰霊するからこそ、私たちはそのお気持ちを信頼し、共にひとつとなれるのです。もし政治的権能を有する者であったなら、その政治的行為に対する責任が生じ、過ちがあればその責任を追及し責めを負わせなければならなくなります。仮にその政治的行為のために報われない者が生じれば、その者たちは行為者に対して怨嗟感情を抱くこともあるでしょう。政治的権能を有しないからこそ、日本国日本国民統合象徴でありえるのであり、私たちはその心を信じることができ、癒しを得ることができるのです。

今回のお言葉によって、国会は退位を可能とする特例法を制定しようとしていますしかし、これは明らかに、天皇陛下のお言葉立法過程へ影響を与えたことになり、天皇政治的行為可能性をひとつ押し広げてしまったことは間違いありません。

また、2017年5月21日毎日新聞が、天皇退位をめぐる政府有識者会議における専門家発言に対して、不満を漏らされたと報じました。「自分意志が曲げられるとは思っていなかった」と述べたとされています毎日新聞報道を受け、発言をした専門家しかも一人はすでに故人)が陛下生き方全否定しているなどと強く批判されました。

もしこの発言事実であるとすれば由々しきことであるのは言うまでもありません。天皇意志とは異なる形で立法作業が進むことを天皇自身が阻むことになれば、それはもはや政治的行為のものです。天皇が自らの意志を表明して、政治的行為を直接行ったり、また間接的にでも強い影響力を及ぼすことは、象徴としての天皇位置づけを揺るがすものであり、上で述べた天皇行為による癒しを損ない、むしろ皇室に対する信頼を危険晒すことになると考えます

あるいはこの発言事実ではなかったのかもしれません。しかし、天皇が、たとえ自らの地位出処進退に関することであったとしても、意志を表明し影響力を与えることができる可能性を広げることは、天皇意志僭称し、それをもって国民を動かし、一定政治的成果を得ようとする者を産むことにつながるのです。天皇意志に基づいていると見せかけて、特定個人糾弾されることは、戦後私たちが作り上げてきた象徴天皇制の枠組みの中で、極めて異常な事態なのです。

私たちは、今回のように「天皇意志」が示された、あるいはそれが僭称されたことで、容易にその意向に沿おうとしたり、それによって個人糾弾したりしてしまう傾向を今もなお強く持っています。だからこそ、天皇意志が直接にはもちろん間接的にではあっても政治的影響力を持つことがないよう、意思の表明を極めて抑制的に限定し、同時にそのことで、祭祀慰霊という行為を通じて、天皇日本国日本国民統合象徴たらしめ、同時にすべての日本国民が等しく癒しを得ることができる仕組み─「象徴天皇制」─が大切なのです。

陛下は先のお言葉の中で、「十分に行為できなくなった天皇」が「象徴」の地位にとどまり続けることが皇室の存続を危うくすると述べられました。しかし、私たち臣民」は、どうぞそこまでご心配さらないでください、と申し上げなければなりません。たとえ陛下が十分に行為できなくなり、代行者を置かなければならなくなったとしても、私たち陛下のお心を、そしてこれまだ果たしてこられたその行為を決して忘れることはないし、またそのことで皇室を廃そうなどと考えることは決してございません、と。むしろ政治的影響力を与える可能性を広げてしまうことの方が、象徴としての「存在」を穢し、皇室に対する国民的信頼を損なうことになってしまうのです、と。

2017-04-28

官僚 「公文書は焼いた。私が戦犯になるじゃないか。そんなヘマはしない」

https://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1486689314/

千葉県戦争公文書500冊を廃棄していた_戦没者名簿等

http://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1491543559/

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 千葉県作成・保存する公文書収集する県文書館が昨年、戦没者名簿や遺族台帳など第二次世界大戦関係文書約500冊を廃棄していたことが学術団体などの調べで分かった。県は「『不要』と言い切れないものもあった」と落ち度を認めている。1952年度までに作成・取得した公文書を「歴史公文書」として文書館で保管するよう定める県の内規にも違反する運用だったという。

 県文書館は2016年3月までの1年間に所蔵公文書1万177冊を廃棄した。歴史的文書や記録の保存・活…

ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20170407/k00/00m/040/133000c#csidxeb58b4cc8b897639ef0e1c6e0f919be

Copyright 毎日新聞

2016-12-31

たかが参拝一つ認められないで何がリベラル

70年と言う世代を超え、当事者でもなんでもないような人間が、個人自由侵害している。

いつまでも戦犯戦犯と、戦犯からダメだというイメージ保守っぷりは今日保守揶揄される人間でも舌を巻く。

全くばからしい。

先代に敬意を払い、追悼の意を捧ぐのはそんなに邪魔ですか?

文句つけるより各国自由戦没者を参拝出来た方が、フェアで平和な世の中じゃないですか?

過去どんな歴史であろうが、どんな過ちであろうが、それがあって今この国があるし、自分の命がある。

えここが今日本じゃなくて別の国になっていたとしても、今自分存在していることの感謝を、先代への敬意を、禍々しい出来事犠牲者への追悼を、

戦犯だのなんでもなく、ただ等しく捧げるのはそんなに悪いことでしょうか。

2016-08-24

上海からちょっと離れた町で小籠包をおまけしてもらったこと

僕ね、中国上海からちょっと離れた町で小籠包をおまけしてもらったことあるんですよ。中国語一言もしゃべれなかったですよ。あのおっさんの「にーちゃん、もう1コおまけだ。持ってけ!」あの顔良かったな〜。オーストラリア留学中に、ゴールドコーストで溺れて死にかけたんことあるんですよ。もうダメだな、ああ死ぬなと思った時にいきなり腕をぐっと掴まれて助けてくれたのが、徴兵制を終えて留学していたたくましい韓国人でした。インドネシアでもシンガポールでもタイでもマレーシアでも台湾でもポーランドでもスペインでもスウェーデンでも行く先々でそういう人必ずいますよね。

 

僕ね、国というものを枠組みとして常に考えているのですが、国を構成している人、一人一人の顔をずっと見つめていますからね。その上で発言するようにしています。いつの日も。原爆ドーム平和記念公園の地下で、毎年、戦没者約14万人以上の1人1人の顔写真を眺めている時と同じように。長崎資料館で7万5000人以上の1人1人の顔を眺めている時と同じように。アウシュビッツ収容される時に撮られた髪も眉毛もない1人1人、1枚1枚の写真を見る時と同じように。市民国民どころか地球人として世界市民として、すべての問題自分問題と捉えようとする。

 

1人1人の顔を思い浮かべて。

 

人々の笑顔が二度と消えることのないように。

2016-07-20

靖国神社について

うちの父は6人兄弟の5番目だったのだが

年の離れた伯父が二人従軍し、一人はシベリア戦死した。

戦死した伯父はまだ早稲田大学学生だった。

そんな遺体もないような戦死者を遺族はどこで悼めばよいのだろうか。

靖国神社以外の場所があるなら教えて下さい。

確かに従軍した人たちは大正まれで90代くらいで、その子孫たちも太平洋戦争には明るくはないと思う。

だが、安倍がどうこうという問題ではなく確かに戦争に行ってなくなった人たちはいっぱいいるの。

綺麗事かもしれないけど人殺しなんかしちゃいけないし人殺しに行って犬死なんてやっちゃいけないことなの。

そのために戦没者の霊を祀ることは大切なの。

みんなでお盆に思い出すことは大事なの。

我々が今平和に生きられているのは亡くなった先人たちのおかげなんだよ。

一年に1回ぐらい手を合わせたってバチは当たらねーよ。

2016-04-21

靖国英霊には安倍の参拝なんぞよりもっと望んでいることがあるはず

なにしろ九州が未曽有の大災害に襲われている渦中であるから、ひっそりとしか報じられていない印象だが、

安倍晋三が、今日から始まる靖国神社の春の例大祭真榊奉納したというニュースが流れている。

参拝は見送ったとのこと。

例のごとく、なぜ参拝しないのか、特亜配慮なんかするな、戦没者慰霊がなぜいけないのか、などと

一部の人たちがネットで吹き上がっている。

最近はなんだが「マスゴミはなぜいちいちこんなことを報道して騒ぎにするのか?」などという発言も見られるが、

まあ「取り上げれば騒ぎになること」をとりあげるのはマスコミ仕事なのだから、取り上げてあたりまえである


自分は、靖国神社存在について、神道伝統にしたがえばきわめて特殊神社であると思う一方、

その英霊鎮護する機能を必ずしも否定しない立場だが、

なにかと「首相の参拝実現を!」と叫ぶことには反対の立場である

というか、首相などということよりも、もっともっと先に実現すべきことがあると考えている。


それはなにかといえば、天皇陛下の親拝である

英霊たちは、岸信介の孫のパフォーマンスなんぞより、今上陛下の御心を待っているはずだ。



先帝陛下は、先の大戦に敗れて以降も、定期的に靖国に親拝されておられたが、1975年11月最後靖国を訪れることな崩御された。

今上陛下は、即位以来、親拝されたことはない。


先帝陛下は、その大御心を無視して靖国神社A級戦犯合祀したことに対して不快感を持ったれており、

それが親拝されなくなった理由だという説がある

この説の傍証はいわゆる「富田メモである

個人的には、あのメモだけでは、証拠としては弱いと思うが。



今上陛下がなぜ親拝されないのかということについては、現在陛下のお立場から考えて、

少なくとも陛下のご在位の間には決して明らかになることはなかろうが、

とある新聞記者が、宮内庁役人に問うたところ

「もし、今の状況で陛下靖国に親拝されたりしたら、ハチの巣をつついたような騒ぎになる。

そんなところに、陛下がいかれるわけがない」と答えた、という話を読んだ記憶がある。


となれば、現在行政最高責任者である安倍晋三のなすべきは、

自らが「最高権力者でござい」という顔をして陛下差し置いて靖国に赴くことではなく、

陛下安心して親拝できる環境を整えることであろう。


陛下が親拝されるとなれば、やれ軍港主義の復活だのなんのと騒ぐ輩が内外からでてこようが、

それは間違っている。

しかに、先帝陛下昭和20年まで大元帥として軍を統率されていたが、

敗戦によって軍服を脱がれて以降、荒廃する日本の各地に赴き、親しく国民と接せられ、

日本平和繁栄を誰よりも願っておられたはずだ。


そもそも、先帝陛下は、日米開戦を決めた御前会議において

四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世になど波風の 立ちさわぐらむ」という明治大帝の御製を引かれて

その御心を示された方である


軍服威儀を正した大元帥陛下でおられるよりも、スーツソフト帽の姿で民衆に手を振る象徴天皇でおられるほうが、

望みだったのではないかと、畏れ多くも推察する。

しかしたら、庶民的君主であろうとしたが故に、君側の奸に疎まれ挙句は若くして病に倒れた父君

大正帝の御心に、思いをはせられていたかもしれない。



今上陛下が、先帝陛下の遺志を継ぎつつも、

国籍民族を問わず、先の大戦悲劇を語り継ぎ、その犠牲者慰霊することを

自らの責務として精力的に活動されていることは、近年の海外への慰霊の旅の数々をみれば、言うまでもあるまい。



先の大戦に敗れて「象徴天皇」という立場になって以降、日本天皇というのは

おそらく世界でもまれ平和主義君主である

英国王族などは、軍務につき、結婚式では嬉々として軍服に身を包んでいたりするが、

現在我が国天皇はじめ皇族方は、けして軍服などという野蛮な服装に身を包むことなく、

その居城を守るのも「兵隊」ではなく「警察官である



我が国事実上軍隊である自衛隊最高指揮官内閣総理大臣であるから、その地位にあるもの靖国神社を参拝すれば

軍国主義の復活との批判もあり得ようが、

現行憲法下で今上陛下靖国に参拝することが、軍国主義の復活につながるとはとても思えない。



もし、そのことで国内外に誤解があるのならば、その誤解を解くことこそが、首相仕事であろう。

首相自身靖国に行かないことで近隣諸国懸念を防ぎ、陛下の親拝実現に一歩でも近づくのであれば、むしろそうすべきだ。

にもかかわらず、無用近隣諸国との緊張を高め、陛下差し置いて自らが靖国に行きたいなどという首相がいたならば、

それは、本当の意味皇室敬愛しているのでもなかれば、我が国のことを思っているとは、到底思えないのである



憲法下では、政教分離との齟齬を指摘する向きもあろうが、

そもそも現在でも陛下は、伊勢をはじめ、各地の神社天皇陵を親拝されているし、

宮中では、日夜、神道形式にのっとって、我が国の安定の民の幸福を祈っておられる。

もちろん、それは「象徴天皇」の「国事行為」ではなく、天皇家私的行事としてであって、

その区別は厳格にすべきだろうが。



皇室敬愛する愛国者のふりをして、近隣諸国へのヘイトスピーチをばらまきつつ「首相靖国参拝実現」を声高に叫び

結果として陛下靖国親拝への道を遠ざけ、英霊御霊の安らかなるを妨げるものは、

愛国者のフリをした不逞の輩というべきであろう。

靖国神社

私の祖父戦没者です。

遺骨も遺品もありません。

亡くなった、正しい場所も、はっきりと分かっていません。

祖父純粋職業軍人ではありませんでした。

民間から徴用で、記録上は戦闘に参加したことはないそうでした。

そういう人も、珍しくないそうです。

祖母は4人の子供がいたので、生活も楽ではなく、ある年の祭祀にあたって納める祭祀料などを十分に準備できないこともあったそうです。

ですが、それでも、きちんと、毎年、等しく祭祀を行ってくださっていたとのことでした。

それは、今の日本があるのは、祖父のように日本国のためにと犠牲になった方々がいるからであり、その魂をお慰めするのは当然のことですと言われたそうです。

祖父の遺骨もない祖母にとって、靖国神社祖父慰霊してくれる場所として、心の拠り所でありました。

祖父は、日本のために犠牲になったんです。

今の日本は、祖父のように、日本国の為にと犠牲になった多くの人達が礎となってくださっているからでもあると思っています

A級戦犯合祀されていることを問題視している国があること、その為、日本国内でも、靖国神社問題視している人がいることは知っています

戦争に巻き込まれなくて、ここまで生きてくることのできた日本人が、

過去戦争責任者戦勝国認定した人達合祀されているからといって、

祖父のような、国のために働いて、戦没者となった人達の誇りまで貶めるようなことをするのはとても悲しいです。

祖父のお墓には、遺骨はありません。

法事も、お墓参りも、常に遺骨のない状態で行われてきました。

祖母は、いつもそれを寂しがっておりました。

祖父が眠っている場所に行ってお参りしたいと、常に言っておりました。

靖国神社は、祖父のような、遺骨もない、戦没者とその遺族にとっても、心の拠り所でもあるのです。

祖父のように、遺骨がない、日本国のために犠牲となった戦没者も、靖国神社合祀されていること、どうか心に留めておいてください。

2015-08-15

戦没者っていいよな

70年経っても黙祷してもらえるんだから

俺とか49日以降お経をあげてもらえるかわかんねーわ

2015-08-11

教えておじいさん2

境内で半裸ライブ戦没者に失礼」 遺族ら宮司退任要求

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH8742H2H87UJHB00L.html

これの一番の人気コメント

chiike 天照大神 : おや⁉︎

意味寡聞にしてわからないの

2014-09-24

[]霊は宗教的ではない

野田哲君 よろしいです。

 厚生省、八月十五日が迫っているわけですが、毎年武道館で式典が行われている。昨年突如として、あの式典の正面に、どう言うのですか、掲げられているあれですね、いままではずっと長年「戦没者之標」という表示で行われていた。これが昨年突如として「戦没者之霊」というふうに変わった。この理由は何ですか。

○説明員(柴義康君) 八月十五日の全国戦没者追悼式政府主催でございまして、厚生省といたしましては、政府の御指示により実施担当いたしておるわけでございますが、昨年標柱の表示を「全国戦没者追悼之標」から「全国戦没者之霊」に改めるようにと御指示がございまして改めたわけでございますが、私ども伺っているところによりますと、三十八年から過去十二回実施してまいったわけでございますが、会場におきまして戦没者黙祷をささげ、あるいは献花をいたしま場合に「追悼之標」という表示では何かしっくりしないという戦没者の遺族の方々の意見がございまして、「霊」に改めたというふうに聞いております

野田哲君 厚生省あなた方の方へ「標」というのを「霊」に改めるように指示があったのはどこから指示があったのですか。

○説明員(柴義康君) 厚生省実施の方を担当いたしておるわけでございますので、内閣の方から指示があったというふうに伺っております

野田哲君 この式典の出発のときに、どういうあそこに表示をするかということでいろいろ国会の中でも議論が行われた。「霊」という表示の仕方、この「霊」というのは、これはある思想宗教団体が使うものであって、宗教団体によっては「霊」というのは使わない、こういう団体もある。したがって、政府主催場合には宗教色抜きで、憲法のたてまえによって無宗教という立場国民合意を得てやらなければならないということであの表示は「標」という形で行うと、こういうことで出発をした。そういう経過、あなた御存じですか。

○説明員(柴義康君) 追悼式をどのような形で実施するかということは、当初から慎重に検討されまして、宗教色を全く抜きにして実施しなければならないということであのような形で行われ始めたというふうに伺っております

野田哲君 ことしはどういう内容になっておりますか、その点は。

○説明員(柴義康君) 昨年と同様に実施することになっております

野田哲君 昨年ああいう形で実施をした、恐らくことしもああいう形になるんだろうということで、厚生省の方へ宗教団体からいろいろあのことに対する抗議あるいは変更を求められるような要請等が行っていると思うんですが、いかがですか。

○説明員(柴義康君) 宗教団体の方々から、そのような要望があったことは存じております

野田哲君 いままで「標」という表示でやっておられた期間はその問題については特に問題は起こらなかった。それがああいう形に去年変更されたことによって、国民の間にあれでは困るということの声が上がり、変更を求める要請なり抗議が行っているということは、つまり、ああいう形に変更したことによって、これは国民の間にコンセンサスが得られなくなってきておる、宗教的な色彩を持ってきておる、こういうことでいろいろ宗教団体の方からそのことに対する抗議や要請が行っていると思うんです。だから、ことしあえてそれを去年どおりやるということになれば、政府のやり方は特定宗教の色彩を帯びたやり方、こういうことになって、つまり、これは憲法に反するやり方ということになっているんじゃないかと思うんですが、この点は官房長官に後でやりたいと思っておるんですが、厚生省としてはその点はどういうふうに考えておられますか。

○説明員(柴義康君) 日本人の中で、「霊」という言葉はいろいろな意味合いで使われておると思うのでございますが、一般的に霊枢車とか、あるいは霊安所といったように死者にかわる言葉、死者を尊称する言葉として一般的国民の中で用いられているわけでございまして、きわめて素朴な意味で死亡者を「霊」というふうに表現していると思うわけでございます。したがいまして、「霊」という表現のもの宗教的言葉であるというふうにはわれわれは考えていないわけでございます

第077回国会 内閣委員会 第2号

昭和五十一年八月十二日(木曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/077/1020/07708121020002c.html

2014-08-16

今年の天皇陛下戦没者追悼式のおことばもコピペだったよ。

http://www.asahi.com/articles/ASG8G3PM1G8GUTIL00X.html

2014年8月15日

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に69年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

 ここに歴史を顧み、戦争惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

https://web.archive.org/web/20130827125013/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130815/plc13081513490029-n1.htm

2013年8月15日

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み、戦争惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界平和と我が国の一層の発展を祈ります。 」


もちろん、こんなタブーについて報じるマスコミも、ツイッターで指摘する奴らもいないけどね

あんなに正義感に溢れて安倍コピペ批判していた方々も

こういうときは、華麗にスルーって、みんなほんとに空気の読める偽善者だよね(苦笑 

っていうか、ツイッターにおける政治談義の95%って時間無駄だよね、単なる空気の共有というか

まあ僕も右翼に叩かれるの怖いから匿名ダイアリーで書かせてもらいましたわ

天皇戦没者追悼式のおことばもコピペだったよ。

http://www.asahi.com/articles/ASG8G3PM1G8GUTIL00X.html

2014年8月15日

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に69年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

 ここに歴史を顧み、戦争惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130815/plc13081513490029-n1.htm

2013年8月15日

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み、戦争惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界平和と我が国の一層の発展を祈ります。 」


もちろん、こんなタブーについて報じるマスコミも、ツイッターで指摘する奴らもいないけどね

あんなに正義感に溢れて安倍コピペ批判していた方々も

こういうときは、華麗にスルーって、みんなほんとに偽善者だよね(苦笑 

ほんとに政治談義の95%って時間無駄だよね

まあ僕も右翼に叩かれるの怖いから匿名ダイアリーで書かせてもらいましたわ

2014-03-31

戦争賛美の安倍晋三を批判してはならないという風潮について

安倍晋三という政治家を批判、無論良くない意味での批評を論じてしまえば、ネット右翼と称される連中から非国民とか在日朝鮮人に認定されてしまうほど

何故か言論弾圧されてしまうのである

これには裏に言論封殺魔が潜んでいると思われる。

何を隠そう、安倍晋三下野時代にはたびたび2ちゃんねるネット界の情報発信源の一つに降臨して様々な意見交換をしたことで2ちゃんねるの住人およびネット右翼ことネトウヨに広く期待されるようになっているわけだから、今回の一件においても彼らを煽動して都合の悪い情報や批判に蓋をしてしまおうとしているのであろう。

そうでなければ、何故にリベラル派を左翼と断定してしまうのか。あるいは、安倍批判のもの日本人に非ずといった誤解がなされてしまうのか

この異常なほど熱心な安倍神教が戦争賛美をしても若い人には何の得もないことは、第二次大戦時に残った記録や史書、公文書からも明らかであるのに、却って国防のために戦争されるべきだと公言するのである

それがなされれば、その足枷ともいうべき日米安保理は全く必要がないことになるばかりか、アジア威信を取り戻すという名の下に行われた殺戮行為正当化する大日本帝国時代彷彿させるばかりではないか。

今となっては、中国韓国も同情するに値しないが、少なくとも戦争できる国というのは、何も隣国に戦争を仕掛けることを危惧しただけでなく、先日韓国軍武器を流すなど軍需産業を第一とした闇商人たる危うい将来を悲観しての表現である

日本にこれ以上戦争匂いを漂わせないで頂きたい。

少なくとも得をするのはわれわれ庶民ではないし、軍需によって儲けるのはいつの日も政府大企業ブルジョアだけなのだ

損を被りたくないといった考えは、非国民なのだろうか?

安倍批判の大半は、二度と戦争を起こしてはならないという戦没者の遺志でもあるのだ。

2014-02-18

他国の反応を気にして靖国参拝するべきではない?

「なんで他国の反応を気にして靖国神社に参拝するかしないかを決めなくてはならないのだ!」という意見を目にすることが多い。信仰を自由を侵害しているのではないんじゃないのか、と。

信仰に関して他国に云々言われる筋合いはない、という意見もっとである靖国に参拝する多くの人だって国体護持を唱える右翼じゃなく単に戦没者哀悼のためであろう。動機が、政治的な、つまり不純なものである人はむしろ少ないと思う。だって一個人が靖国に参拝したって政治的意味は何もないもん。

だけど、やっぱり政治家──とくに首相クラス──になると、やっぱり話は別でしょう。

サヨクの人びとは、「A級戦犯が祀られているから」とか「あの戦争侵略戦争だったから」首相を非難するだろう。私としてはその意見を支持したいと思っている。

しかし、「A級戦犯」という言葉東京裁判によって押し付けられたものであり、その言葉自体が非常に政治的ものであることをサヨク自覚すべきだ。

さらに、「侵略戦争」であったかどうかは、もう一つ厄介な歴史認識の問題に移行してしまう。

そうすると、靖国参拝の問題は「東京裁判を支持するかどうか」とか「歴史をいかに認識しているか」という別問題にシフトすることになってしまう。

認識の相違によって、議論はつねに並行線を辿ってしまうことになるだろう。

私は靖国参拝問題については、もっとスマートに言えばいいのだと思う。

靖国が「問題」になるのは、つねに「政治」という場においてである

政治においては、人は「行動の動機」によって評価されるものではなく「行動の結果」によって評価されるべきものであろう。善意から悪政を行ってしまったり、自らの野心から徳政となることは歴史上珍しいことではない。

たとえば「生類憐みの令」なんかは前者だよね。

靖国問題はしたがって、それが私たち国民にとって有益であるかどうかという点から見ていったほうがよい。私は首相靖国参拝は、有益ではないと判断する。

──しかし、そうではないと言う人もいる。産経新聞は、2013.12.28の「産経抄」で、首相靖国参拝は「国益」につながると言っている。

▼第一は、首相公約を守ったという事実だ。アベノミクスがうまくいっているのに中韓と波風を立てる必要はない、としたり顔でいう識者は、約束を守らない政治家を見過ぎたのだろう。政治家が自らの発言に責任を持ち、実行に移すのは当たり前の姿であり、「政治力」アップは間違いなく国益資する。▼米国務省が「失望した」と、表明してくれたのも国益に大いに役立った。日米同盟永久不変なものではなく、歴史認識ひとつとっても日本が逐一、主張しなければ、中韓プロパガンダ宣伝)工作にしてやられかねないことを教えてくれた。▼米国はかけがえのない同盟国ではあるが、国のために命をささげた先人への感謝は譲れぬ一線である。心ある日本人が「嫌米」にならぬようケネディ駐日大使はぜひ、靖国神社にお参りいただきたい。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/plc13122803080003-n2.htm

あらゆる行動の結果に収穫と損害があるのは当然だが、首相靖国参拝を支持する産経新聞が「収穫」を上の二点しか挙げられなかったというのはイタい

政治力」についてだが、安倍首相靖国参拝については次のようなデータがある。

NHK11~13日、全国の成人男女1千66人を対象実施した電話世論調査で、安倍首相靖国神社参拝について「非常に評価する(17%)」という回答と「ある程度評価する(27%)」という回答が合わせて44%で、「あまり評価しない(29%)」という回答と「全く評価しない(23%)」という回答は、合わせて過半数の52%であった。「安倍首相が今後も靖国参拝を続けるべきだと思うか」という質問には「継続するべきでない」という回答が38%で、「続けなければならない(27%)」という回答よりも多かった。

賛否両論」という表現が正しいだろう。これが政治力の向上につながるとは思わない。産経抄の指摘する第二点についてはあまり意味不明なので取り上げることができない。ケネディ駐日大使靖国参拝を薦める部分なんかは、筆者は頭がパーンとなってるのでしょう。

──もうね、ひと言で言っていいと思うのだけれど、靖国参拝は、産経をはじめとする保守論壇が喜んだっていう収穫しかなかったんではないの?

そう考えると、やはりますます首相靖国参拝は、いかに崇高な動機から行ったにせよ、私たちの役には何も立たず、海外からイタい視線を浴びただけで終わっただけの行為だと言わざるを得ないのではないかと思うのだ。

2014-01-17

永遠の0に際して

永遠の0の作者なあ……。いっそのこと、思想的には対極の位置にありながら築き上げた業績では足の爪にも及ばない宮﨑駿に対して反旗を翻したのち、著作よろしく華麗に玉砕などして存在感永遠に0になったら超面白いと思いましたが、映画大ヒットの報を拝見するかぎりそれも難しい様相で、なんとも盛り上がりません。

http://biz-journal.jp/2013/09/post_2979.html

この記事によれば「風立ちぬ」をべた褒めしたところパヤオからこれ以上ないカウンターフルボッコ、という状況です。それについてのリアクション寡聞にして知らない。そもそもパヤオに対する反骨の相もあるのかないのか……あるいはガン無視でしょうか。このテの人材がこうもボロクソ言われたら自尊心が刺激されないわけが無いのだが……。

さて、俗にいう“特攻”、自国民の消耗にもとづいた戦法を肯定的にとらえようとしている時点でコイツの視座が現実から乖離して形而上的ステージへと突入しつつあるのは明快であります特攻を美化し、賛美したものを書物にしたため、売り物にしてお金を儲けている。劇中でも「史実を知らない現代若者」に蔑視まなざしを向ける配慮も忘れないと聞きます映画は大ヒットだそうですから、さぞおいしいもの毎日たくさん食べているのでしょう。戦没者300万人をおかずに供して日本人の感動を誘い、その涙とともにこぼれ落ちたお金の力を使って召し上がる食事の味とは、果たしてかばかりのものか……。“第二次大戦中における日本戦没者のおよそ5割は餓死”という話とあわせて考えると大層感慨深いものがあります

そのような彼の勢いはツイッターでもとどまるところを知らず、やたらと威勢のよい佞言を垂れ流してリツイートを稼いではえびす顔、というわけですからいよいよもって香ばしい。俺は当初、これほどの大ヒットを叩きだした小説家なのだから賛否両論あるにせよ洞察に満ちた示唆ツイッターでも与えてくれるのだろうとおもっていたが、彼のツイートからプンプン漂ってくるのはネトウヨフレーバーの小物感でした。なに、これ。ただのクソウヨじゃないか……。彼の著作はゼロ戦モノなのに、申し合わせたように嫌韓嫌中というのも見逃せません。

これが、この人物こそが、本邦で話題沸騰中の小説家その人である

この煉獄めいた事実には絶望諦観を禁じ得ません。水嶋ヒロの話題で盛り上がるほうが5億倍マシだ……。

――敗戦濃厚な状況下にあって、それでも敵に立ち向かわねばならないという時に“お国のために命を捨てる”ということが美しいのか、あるいは愚かしいのか、そんなもの平和と飽食のなかに生まれ育った俺が一言に断じることは出来ません。が、国家という視点で眺めてみると、替えの効かない人間100%使い捨てる「特攻」という手段が戦略的にはあきらかな悪手であり、絶対に死ぬという前提のもとで14,000名もの人的資源を消費してなお局面を打開することかなわず敗戦に至った、その現実を忘れてはなりません。

特攻しても、日本、守れなかったからね?

ところで、戦地に赴く兵員も守られるべき国民の一部です。まともな軍隊無意味な命の消耗を決して行いません。生還が期待できない作戦に従事させるなどありえないと聞きます。なればこそ、最低限の技術すら充分に仕込まず、戦略的確信もロクにないまま、垂れ流すように人間を消費していった大日本帝國という組織が、もはやマトモに判断する頭を持っていなかったのは想像に難くない。というかそんなもん作戦でもなんでもなくて、呪術か狂信の域です。氾濫した川に人柱を捧げるとか、そういう次元の愚行。20世紀の話ですよ? そんなクソ『作戦』に殉じて死んでいった人間を「護国の英霊」だなんだと奉じてただただ祀り上げたり、「日本を護ってくれてありがとう」などと謝意を述べたりするのは、まず現実に即していないという意味において死者の耳に届くものではありません。

繰り返しますが日本敗戦しております

特攻では日本を守ることが叶いませんでした。われわれは、国を挙げた狂乱の最も哀れな犠牲者である彼らについて、ただただ哀悼の意を捧げるしかありません。まったくの非論理性に基づいて死んでいくことを強いられた彼らについて、国に身をささげて護ってくれた偉人だと位置づけるのは、どう取り繕ったところで美化だし、また身勝手にも程があります

もし靖国神社におもむいたなら、特攻で死んでいった霊前に際して感じるべきは、決して感謝の意のたぐいであってはならない。ましてや参拝者自身のナショナリズム(笑)のズリネタとするなどもってのほかです。お前自身の事なんざどうだっていいわ。われわれは彼らに対して『あなたがたのような無意味犠牲を今後二度と生み出すことのないよう、いついかなる時においても冷静な判断力を保持し続けるべく不断努力をする』と誓わねばなりません。彼らの無意味な死に意味を与えたいのなら、彼らの教訓から悪い部分を点検・評価をし、処置改善を施し、よりよいみちすじを計画し、そして実行する。そうやって戦後の我々がつねに賢く在ることで、彼らに報いねばなりません。それができなかったからこそ戦前日本はあれほどの愚を犯したのだから

――とは申せ、この国においては困難に取り組む姿勢努力のものが崇高であって結果は二の次三の次、という精神論が未だに根強いので、自爆攻撃が二度と繰り返すべきではない馬鹿げた愚行だと確信するにいたるのは少々先の話だとは思うのだけれども。とりあえず日本人特攻隊員を美しく思っているうちは、いまなお旺盛なサービス残業はきっと無くならないでしょう、残念ながら。ていうかよくポツダム宣言なんて受諾できたもんだな日本……。

そんなウワサの永遠の0さんですが、述べたようにツイッターの閉じた輪っかの中で自らの考えを発信しては、同好の士(と書いてネトウヨと読む)のさんざ輻輳しきった肯定のレスポンスを受け取ってほっこりしているようでありますRTとfavの数字だけみたらまぁよくも次々と数百RTを連発するなあという感じですが、実際のところ汚泥汚泥と混じりあって発酵していく毒の沼地のような醜悪さです。日夜この国のトラフィックを増大させてプロバイダの業務を1%くらい煩雑にしておりますが、その様子はナメクジ同士の交歓にも似た淫靡さで、読んでて正直恥ずかしい。とあるツイートなどでは『有事の際には9条論者を最前線に立たせ、彼らの物言い戦争を止められるかどうか眺めればいい』などと超ドヤ顔で言いだす香ばしさ。うーん、これは上手いことを言ったつもりなのかな? たいへん粘着味あふれる皮肉センスで小生は惚れ惚れいたします。膨れ上がった自尊心が伺えます。かようなトラフィック上のクソですら、山ほどの(とはいえ3ケタ程度の)RTをされてしまう魔のフィードバックに取り囲まれた裸の王様こと氏は、お勤め時代ならいざしらず、今はもう自分の見たいものだけを見て生きているに相違ありますまい。実に幸せそうです。人間かくあるべきというお手本のような状況です。われわれ日本国民は、かの映画を見ることでこんなおもしろ人材を養っているのだという現実にそろそろ向き合う覚悟必要でしょう。くわばらくわばら。

――以上は多少のオブラートに包んだ物言いでしたが、ただいまの気持ちに偽りなく申し上げるならば、先の大戦からこのようなスイーツ受けする感動話(笑)しか導きだせないこのようなボケナスは、有事の際においてまず靖国ならびに千鳥ヶ淵で1億回陳謝ののち速やかに最前線に赴き、一億火の玉嚆矢と成り果てて欲しいと思った。氏の著書に感銘を受けたフォロアーが80人くらい同行するかもしれませんし。

映画の方ですが、あんな見え見えの地雷をだれが踏むかって感じなので5億円くれたら見たいです。ツイッター感想をつぶやいた人々がおおむねスイーツ(笑)層とジャニオタ人材である点には少しホッとしています。単純に「泣ける感動モノ」という文脈で受け止めているようです。とりあえず、根底うごめくクソウヨ史観に運悪く感染してしまったインフェクテッドがそう多く見受けられないのは不幸中の幸いでしょう。人々はいまだ中庸なり。多分。

2014-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20140112211033

既に指摘されてることだけど、

2013年10月3日ケリー国務長官ヘーゲル国防長官千鳥ケ淵戦没者墓苑に献花してる。

これは、政治家戦没者を悼む施設としては、靖国じゃなくコチラにしておけ、という米国メッセージ

んで、その見方に従うと、安倍米国メッセージ無視して中国挑発したわけで、

失望されるのは当たり前。

2013-12-30

回答ありがとうございました(Re:総理靖国参拝を批判していて靖国問題点を指摘してる人たちに聞きたい)

http://anond.hatelabo.jp/20131230125146

真面目に答えてくれた方はありがとうございました。

私自身の不勉強もありますが、とても参考になりました。

私は不勉強ながら、現在は参拝に対して反対の立場です。もちろん今回の質問を書く前からの話です。

ただし総理陛下慰霊や追悼については賛成であり、むしろ先人のためにすべきことだと思っています

ですがA級戦犯合祀については反対です。

すでに裁かれた、あるいは自決した彼らを追悼すること自体には反対しませんし、私は東条には同情している部分があるのですが、

責任者である彼らと戦没者を同じ場所慰霊の対象にするのは国内おいても微妙だと思う人はいて当然の問題だと思っています

また靖国歴史観もあまりよく思っていません。

ですが餓死や病死も多かったとはい靖国戦没者が死後に行く場所として考えていた場所の一つでもあります

それが国家神道によるものだとしてもです。遺族の気持ちもわかりますし、参拝する人たちの気持ちもわかります

からこそA級戦犯については政府が強く分祀を働きかけたり、

それでも問題になるのであれば別の施設を建ててでも、慰霊をすべきだと思っていました。

ご存知の通り石破氏(や過去には古賀氏)など自民党内にも分祀論者はいます

それまでは千鳥ヶ淵戦没者墓苑慰霊をするのが米国が示した通り現状の正解だと思っています

ですが今回の件で一部で必要以上に靖国自体にある問題を指摘し続けたり、総理思想はこうなんだろうと言う人たちを見て、

・彼らは靖国自体に消えて欲しいと思っているのだろうか

・公人と靖国の問題ではないのか

靖国に参拝する一般人のことはどう思っているのだろうか

・彼らはまさか本当に今もA級戦犯を恨んでいるのだろうか

総理慰霊平和への意思が全くないと本当に思っているのだろうか

という疑問がよぎったわけです。

改めて、その疑問に回答してくださった方はありがとうございました。

一部のブコメや一部のトラックバックには少し目眩しました。

結局総理靖国A級戦犯と国際的反応の話ばかりに終始していて、私の質問への回答になっていません。

自分自身が靖国自体にできればどうなって欲しいと思っているのか、一般人が参拝することをどう思うのか、

国際的な話とは関係なく自身がA級戦犯についてどう思っているか、は答える気がないんですね。

あるいは本音を答えてしまうと問題視されかねないと自覚しているから回答を避けたということでしょうか。

賛成派を臭わせて「そんなことないに決まってるだろう!」という多くの回答を誘ったつもりが、

結局逆効果になったことも自覚していますが、少し残念に思っています

はいえ反応があっただけでも良かったですし、この質問を機会に考えた結果本音は書かなかった人もいるでしょう。

コメントしてくださった皆様はありがとうございました。

トラックバックでの質問id:questiontime さんの質問には回答しておきます

日本政府東京裁判を公式に否定していないよね。で、君は東京裁判を前提としている現在日本という国の在り方を、どう思ってるの? 否定する?

上記を読んでいただければわかる通り私は東京裁判を肯定する立場です。

可能ならその後のためにも日本人自身が国内法でも裁くべきであったとは思います

1)阿倍神道信者だと思うか?

そうは思いません。ですが現状多くの問題を抱えながらも、靖国戦没者慰霊施設の一つという認識です。

2)安倍戦死者の霊を弔う場所がなぜ靖国でなければならないか

戦没者のどれくらいの割合かは根拠を出せませんが、彼らが靖国に行くものとして死んでいったからです。

ただし今のような靖国である必要はないと思っています

3)貴君の質問にどこまで肯定的に答えたら貴君は納得するのか?

本音がどうなのかを聞いてみたかっただけでそれについて肯定も否定もするつもりはありませんでした。

強いて言えば、自分と今靖国叩きをしている人たちの間にある溝を確認してみたくなった、というところでしょうか。

自分ブログがある方は今一度以下について書いてみてはどうでしょうか。

・参拝問題とは関係なく靖国に対して抱いている思い

慰霊や追悼のあるべき姿とは

・単なる犯罪者とは違う戦争犯罪者は裁判や死後どのように扱われるべきと考えるか

全く言及せず誤解されるよりは、自身のバックグラウンドが伝われば周囲の反応も全く違うと思いますよ。

2013-12-27

何で靖国参拝が非難されるか分からない

外交的にこのタイミングは上策ではないのは分かるけどね。

色々論点はあるけど、一番は所謂A級戦犯合祀されてるのが問題なんだよね?

裁判妥当性とか、罪の種別の話は置いといてさ、

刑が執行された人については、罪を償うために刑を受けたのだから

建前上は他の戦没者と同じように慰霊しなきゃダメじゃね?

じゃないと何のために刑を受けたの?

特に絞首刑になった人は死を持って償ってるのに。

被疑者だった人は罪が確定してないし。

法の専門家とか、元受刑者社会復帰支援してる人の意見を聞いてみたいけど

この点の議論をあんまり聞かないんだよな。

戦犯を問題視することは、東京裁判を否定する事に繋がるとおもうけどなー。

靖国参拝は個人の好きにしたらいいじゃん。

総理が参拝しなきゃいけないって義務もない。

靖国神社参拝問題について御霊信仰観点で調べてみた


御霊信仰とは

どの国でもあるいはどの宗教でも、死んだあとどうなるのか? は一大テーマだ。キリスト教神の国に行くし、仏教輪廻転生するし、神道は死んだら神様になる(そしてまた人間に戻ったりする)。

http://www.hachimangu.com/cgi/kouwa/kouwa.cgi?mode=one&namber=199&t...

 神道では、人間死ぬと、すべて神になると考えています。これは、私たちの魂は神から頂いた、神の分け霊、分霊と考えるからです。神の分霊なんだから死んで霊界に帰れば神に戻ると考える訳です。

 私たち死ぬと肉体と魂は別々になります。死んでまもない魂は、霊界での初心者若葉マークの霊であると思います。肉体と魂が離れても実感として分からない時期、まだ死を認められない霊なのです。病気やケガで足を切断した人が、ないはずの足がかゆくなったり、痛くなったりすると聞きますが、そのような、まだ肉体のあった頃の感覚が離れられないでいる時期が若葉マークの霊であろうと思います。肉体の感覚が残っている内は、この世での執着心も残っているのです。

 「自分は死んでしまったのか。それではもうこの世にはいられない。神の世界、仏の世界、御先祖様の世界へ還ろう。そして、魂の修行をして、神となって子孫を守っていこう」と決心したならば、執着心も切れて、迷うことな霊界へ行くことができるのです。

この引用は一例だが、洒落怖あたりをみてもなんとなくこういう意識を持っている日本人は多いように思われる。仏教が入ってくる前の神道だと魂の修行とか言うのはなかったと思うが、その代わり祈祷などで鎮めていたのではないかな。

この執着心が災いをなす場合に、それを怨霊という。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A8%E9%9C%8A#cite_note-Yahoopedia-2

憎しみや怨みをもった人の生霊や、非業の死を遂げた人の霊。これが生きている人に災いを与えるとして恐れられている[2]。

霊魂信仰の考え方では、霊魂が肉体の中に安定しているときその人は生きていられる、と考える[2]。怨みや憎しみなどの感情があまりに激しいと、霊魂が肉体から遊離して生霊となり災いを与える、と考える[2]。


ちなみにこの死者が安楽に辿りつけない場合もあるという考えは日本固有ではないが、一神教系だと地獄にいくことがおおいようだ。アミニズムは現世に災いをもたらすらしい。

有名なのは平将門ですよね。生霊といえば源氏物語の御息所。医療科学が発達していなかった時代に、アミニズムはそれを神様がやったってことで納得していた。一神教場合も神の試練だと、仏教功徳が足りないと思っていたのか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0

政争や戦乱の頻発した古代期を通して、怨霊存在はよりいっそう強力なものに考えられた。怨霊とは、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊である怨霊は、その相手や敵などに災いをもたらす他、社会全体に対する災い(主に疫病の流行)をもたらす。古い例から見ていくと、藤原広嗣井上内親王他戸親王早良親王などは亡霊になったとされる。こうした亡霊を復位させたり、諡号官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰である。また、その鎮魂のための儀式として御霊会(ごりょうえ)が宮中行事として行われた。記録上、最初に確認できる御霊会は、863年(貞観5年)5月20日に行われた神泉苑で行われたもの日本三代実録である

仏教的にはどちらかと言うと荒神信仰に近いものかな。阿修羅とか。

靖国神社もそもそもはこの御霊信仰のもと建てられた神社である

http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html

靖国神社は、明治7年(1874)1月27日明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和国家建設する」という願いが込められています

前進明治2年にできているので、戊辰戦争御霊供養のために建てられた神社であり、その後の日本内の内戦および諸外国との戦争でなくなった人々の供養をしている、ということになっている。

政府のたてまえとしても、靖国神社参拝は御霊供養のため、ということになっており、単純に墓地に行くのとはまた違う意味合いを持っているようだ。そもそもが怨霊を鎮めるためのものなので、死に方(戦死・処刑)に関しては問わない。ところでここって空襲で亡くなった人は入ってるんですかね?それはまた各自か。そもそも神社って系列があるし、霊魂はどこでもいけるしな。

こうしてみると、靖国A級戦犯が眠っているから参拝してはいけないというのは的外れで、むしろそういう人がいるからこそ供養はせにゃならんということになる。祈る内容は「もうしません」でも「つぎはぜったいかます」でもなんでもいいわけだが、とりあえずこの観点から反対するのは無理筋だろう。

んで次に気になるのは、別に首相いかなくてもいいんじゃね?という点である

国のトップ御霊鎮魂に参るのはなぜ?

多分これは崇徳天皇のせい。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ

いろいろとロマンチックなひとだが、気性が激しいともいう。

[要出典]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87

一方『今鏡』「すべらぎの中第二 八重の潮路」では、「憂き世のあまりにや、御病ひも年に添へて重らせ給ひければ」と寂しい生活の中で悲しさの余り、病気も年々重くなっていったとは記されているものの、自らを配流した者への怒りや恨みといった話はない。また配流先で崇徳院が実際に詠んだ「思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを」(『風雅和歌集』)という歌を見ても、悲嘆の感情はうかがえても怨念を抱いていた様子はない。承久の乱隠岐国に配流された後鳥羽上皇が、「われこそは にゐじま守よ 隠岐の海の あらきなみかぜ 心してふけ」(『遠島百首』)と怒りに満ちた歌を残しているのとは対照的である

崇徳院は、配流先の讃岐鼓岡木ノ丸御所国府役人の綾高遠の娘との間に1男1女をもうけている。

しっかり子供作ってエンジョイしてんじゃんとは思うが、日によっては荒ぶっていたのかもしれない。どちらかというと彼に対する罪の意識で、後々伝説が作られたような気がするが、なんせ千年前である。確かめるすべはないな。まぁいいや。とりあえず天上人天皇が荒ぶって怨霊になってしまったので、天皇御霊鎮魂をするようになったもよう。これが国のトップ御霊慰霊を行うようになった理由だろう。

政教分離的にはOKなの?

日本国憲法第二十条では

1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

ちらっと調べた限り3がある以上それをひっくり返すのは無理筋だが、いまのところ行くこと自体は1で押し通している。奉納するとなると3に引っかかるのでそれが争点になるようだ。もし私費で奉納とかしてりゃ1があるので反対するほうが悪いが、そうではないのなら違憲判決が出されるのは妥当な所。

しかしそこまできっちりとやってしまうと、天皇制がそもそも違憲内閣総理大臣天皇から任命されるのも違憲になってしまうので極めてグレーである

ただ天皇戸籍がないので、日本国籍を持ってない。例外として日本国民ということになってはいるが、主権もないしこのへんもグレー。突っ込んではいけない領域である

靖国問題とは
  1. 信教の自由に関する問題
  2. 政教分離に関する問題
  3. 歴史認識植民地支配に関する問題
  4. 戦死者・戦没者慰霊の問題
  5. A級戦犯に対する評価の使い分け

このうち1は明確に信教の自由があるので以降といくまいと自由。

2は前述のとおりグレー。

3は参拝が軍国主義につながるというのが主な反対の理由のようだが、参拝は御霊供養のためであり、反省するのも軍国主義を目指すのも当人次第(しか信教の自由があるのでそれを規定することはできない)ので的外れ一般的キリスト教では参拝は神への信仰仏教は魂は輪廻転生してしまっているので特に意味のない行為(参拝自体功徳を積むため)で、御霊供養の概念はきちんと説明しないと伝わらないと思われる。4,5も同様。

したがって、問題の争点は政教分離観点でOKなの?という部分だけだな。ちなみに諸外国がこれに反対するのは内政不干渉原則に反するが、言うの自体は自由である

ぼくも33歳のゆとりから教えて欲しいんだけど、

結局なにが問題なんでしょうか?

世界各国にも戦没者を埋葬してる場所墓地くらいあるでしょ?

他の国はそれをどうしてるの?無視?追悼とかはしないの?

この問題は靖国神社という施設の問題?

神社から問題?単に墓地だったら良かった?

中に入ってる人がただの民間人だったらよかった?

兵隊さんだから問題?

負けたくせにやるのが問題?

他の国はどうしてるの?そこらへん。

http://anond.hatelabo.jp/20131226225317

自民党を支持している人には保守派と呼ばれる戦前戦中を好意的に捉えている層が多くいるため、

その人たちにとって日中および太平洋戦争が忌諱されること、出兵した人達や当時の指導者がないがしろにされることは快く思えない。

そのため保守派の支持を取り付けて選挙を優位に進めるためにも戦没者や当時の指導者が祭られている靖国に参拝して好意を示しておくことにメリットがある。

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