僕ね、中国の上海からちょっと離れた町で小籠包をおまけしてもらったことあるんですよ。中国語一言もしゃべれなかったですよ。あのおっさんの「にーちゃん、もう1コおまけだ。持ってけ!」あの顔良かったな〜。オーストラリア留学中に、ゴールドコーストで溺れて死にかけたんことあるんですよ。もうダメだな、ああ死ぬなと思った時にいきなり腕をぐっと掴まれて助けてくれたのが、徴兵制を終えて留学していたたくましい韓国人でした。インドネシアでもシンガポールでもタイでもマレーシアでも台湾でもポーランドでもスペインでもスウェーデンでも行く先々でそういう人必ずいますよね。
僕ね、国というものを枠組みとして常に考えているのですが、国を構成している人、一人一人の顔をずっと見つめていますからね。その上で発言するようにしています。いつの日も。原爆ドーム、平和記念公園の地下で、毎年、戦没者約14万人以上の1人1人の顔写真を眺めている時と同じように。長崎の資料館で7万5000人以上の1人1人の顔を眺めている時と同じように。アウシュビッツで収容される時に撮られた髪も眉毛もない1人1人、1枚1枚の写真を見る時と同じように。市民、国民どころか地球人として世界市民として、すべての問題を自分の問題と捉えようとする。
1人1人の顔を思い浮かべて。
人々の笑顔が二度と消えることのないように。