「なんで他国の反応を気にして靖国神社に参拝するかしないかを決めなくてはならないのだ!」という意見を目にすることが多い。信仰を自由を侵害しているのではないんじゃないのか、と。
信仰に関して他国に云々言われる筋合いはない、という意見はもっともである。靖国に参拝する多くの人だって、国体護持を唱える右翼じゃなく単に戦没者哀悼のためであろう。動機が、政治的な、つまり不純なものである人はむしろ少ないと思う。だって一個人が靖国に参拝したって政治的意味は何もないもん。
だけど、やっぱり政治家──とくに首相クラス──になると、やっぱり話は別でしょう。
サヨクの人びとは、「A級戦犯が祀られているから」とか「あの戦争は侵略戦争だったから」首相を非難するだろう。私としてはその意見を支持したいと思っている。
しかし、「A級戦犯」という言葉は東京裁判によって押し付けられたものであり、その言葉自体が非常に政治的なものであることをサヨクは自覚すべきだ。
さらに、「侵略戦争」であったかどうかは、もう一つ厄介な歴史認識の問題に移行してしまう。
そうすると、靖国参拝の問題は「東京裁判を支持するかどうか」とか「歴史をいかに認識しているか」という別問題にシフトすることになってしまう。
認識の相違によって、議論はつねに並行線を辿ってしまうことになるだろう。
私は靖国参拝問題については、もっとスマートに言えばいいのだと思う。
靖国が「問題」になるのは、つねに「政治」という場においてである。
政治においては、人は「行動の動機」によって評価されるものではなく「行動の結果」によって評価されるべきものであろう。善意から悪政を行ってしまったり、自らの野心から徳政となることは歴史上珍しいことではない。
たとえば「生類憐みの令」なんかは前者だよね。
靖国問題はしたがって、それが私たち国民にとって有益であるかどうかという点から見ていったほうがよい。私は首相の靖国参拝は、有益ではないと判断する。
──しかし、そうではないと言う人もいる。産経新聞は、2013.12.28の「産経抄」で、首相の靖国参拝は「国益」につながると言っている。
▼第一は、首相が公約を守ったという事実だ。アベノミクスがうまくいっているのに中韓と波風を立てる必要はない、としたり顔でいう識者は、約束を守らない政治家を見過ぎたのだろう。政治家が自らの発言に責任を持ち、実行に移すのは当たり前の姿であり、「政治力」アップは間違いなく国益に資する。▼米国務省が「失望した」と、表明してくれたのも国益に大いに役立った。日米同盟が永久不変なものではなく、歴史認識ひとつとっても日本が逐一、主張しなければ、中韓のプロパガンダ(宣伝)工作にしてやられかねないことを教えてくれた。▼米国はかけがえのない同盟国ではあるが、国のために命をささげた先人への感謝は譲れぬ一線である。心ある日本人が「嫌米」にならぬようケネディ駐日大使はぜひ、靖国神社にお参りいただきたい。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/plc13122803080003-n2.htm
あらゆる行動の結果に収穫と損害があるのは当然だが、首相の靖国参拝を支持する産経新聞が「収穫」を上の二点しか挙げられなかったというのはイタい。
「政治力」についてだが、安倍首相の靖国参拝については次のようなデータがある。
NHKが11~13日、全国の成人男女1千66人を対象に実施した電話世論調査で、安倍首相の靖国神社参拝について「非常に評価する(17%)」という回答と「ある程度評価する(27%)」という回答が合わせて44%で、「あまり評価しない(29%)」という回答と「全く評価しない(23%)」という回答は、合わせて過半数の52%であった。「安倍首相が今後も靖国参拝を続けるべきだと思うか」という質問には「継続するべきでない」という回答が38%で、「続けなければならない(27%)」という回答よりも多かった。
「賛否両論」という表現が正しいだろう。これが政治力の向上につながるとは思わない。産経抄の指摘する第二点についてはあまりに意味不明なので取り上げることができない。ケネディ駐日大使に靖国参拝を薦める部分なんかは、筆者は頭がパーンとなってるのでしょう。
──もうね、ひと言で言っていいと思うのだけれど、靖国参拝は、産経をはじめとする保守論壇が喜んだっていう収穫しかなかったんではないの?
そう考えると、やはりますます首相の靖国参拝は、いかに崇高な動機から行ったにせよ、私たちの役には何も立たず、海外からのイタい視線を浴びただけで終わっただけの行為だと言わざるを得ないのではないかと思うのだ。