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続き
https://anond.hatelabo.jp/20200911202150
アブラハム・マズローの書いた『完全なる経営』(日本経済新聞出版 大川修二訳)という本を読んだ。
その中では、精神的に健康な人間というものが語られている。平たく言うと、自己実現できる人のことだ。
自己実現とは、本に書いてあった内容によると、こんな感じの人だ。
・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる
・夢中になれる物がある
この対極にあるものとして、精神的に不健康な人間についても述べている。
本文の中で、精神的に健康な人間と不健康な人間が対比されている描写は以下の3つだ。
相当高い発達段階にいる人間は、破壊よりも創造を好むものだ。創造する喜びは破壊する喜びよりも大きい。
ただし、破壊する喜びは確かに存在するし、そのことは看過されるべきではない。とりわけ破壊から強い喜びを得るのは、発達段階の低い人間、つまり神経症患者、未熟な人間、衝動をコントロールできず無意識的に行動を起こす人間、サイコパスなどである。 P.63
彼は予想外の事態に直面しても怖れる気配を見せない(強迫観念にとらわれた硬直した人間は、予想外のできごとを怖れる)。創造的な人間にとって、計画とは先に進む道を探すための足場以上のものではなく、それゆえ、後悔や不安をともなうことなく、やすやすと放棄することができるのである。 P.319
どのレベルの動機づけによって生きているかを判定するには、さまざまな方法がある。たとえば、どのようなユーモアを面白いと感じるかによって判定するというのも、その一つだ。低いレベルで生きている人間は、敵意のこもった残酷なユーモア――老女が犬に噛まれる話や精神遅滞の子どもが他の子たちにいじめられる話など――を面白いと感じる傾向にある。リンカーンが示したようなユーモア――哲学的で教育的なユーモア――は抱腹絶倒するような類のものではなく、むしろ微笑を誘うものであるが、これには敵意や征服といった意味合いがまったく込められていない。このようなレベルの高いユーモアは、低次の欲求レベルにとどまる人間からは、まったく理解されないものである。 P.367
この3つの中で、一番下が気になった。
それって、どんなコンテンツだろうか?自分もこれまでに楽しんだことがあるのだろうか?
気になって考えてみた。
以下は、私の主観で選んだ『精神的に不健康な人間が好きなコンテンツ』だ。
□ 漫画編
この頃のCLAMPはトンガっていた。今の作風からは信じられないほど『精神的に不健康なコンテンツ』だったといえる。個別作品のネタバレはしないので安心してほしい。
人間の手足が千切れる、〇〇の頭部をもぎとって〇〇に見せる、これまで信頼していた人が裏切って主人公をボコボコにして作品完結だったり、自分の部族が皆殺しになるのを割と涼しい顔で眺めている〇〇がいたりと、今に比べれば殺伐とした作風だった。(※もちろん例外はある。「CLAMP学園探偵団」「20面相におねがい!!」「学園特警デュカリオン」など)
このような作品を商業誌で描くということは、当時のCLAMPは精神的に不健康な人間の集まりだったのか?と私は思った。
そのとおりだと思う。
CLAMPに関する情報を集めれば集めるほど確信を深めるようになった。どんな情報を集めたかは言わない。彼女達の名誉を傷つけるおそれがあるからだ。あの〇〇〇〇〇〇を作った奴はどこのどいつだろう。訴えられればいいのに。
CLAMPが今のように精神的に健康なコンテンツを作るようになった境は、『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』の辺りだと思う。
この頃からCLAMPの作風が急に丸くなる。魔法騎士レイアースはシリアスな場面が多いが、これまでの作品に比べれば緩い。ギャグも多いし、家族同士の愛情、恋愛もしっかり描いている。
※もちろん今でも殺伐とした物語を描くことはある。BLOOD-Cが好例だ。
作品内容がジェノサイドな方向に行ってしまうというのは、何もCLAMPに限ったことではない。他の有名漫画家にしてもそうだ。それは雁屋哲だったり、板垣恵介だったり――眉月じゅんのような若い作家でもそうだ。
初期の作品というのは、どうしてもそういう方向になってしまう。それは、自分がこれまでに受けた苦しみや、社会への恨みや、一発当ててやるといった決意がそうさせるのだろう。
漫画家として食っていける人間というのは、若いうちは苦労しがちだ。サラリーマンに適合するタイプの人間ではないので、学校で仲間外れにされたり、いじめられたり、日陰の存在になりがちだ。
そんな環境の中で作品を描く力を磨き上げた人間というのは、自分を虐げてきた社会に対する不満を創作活動を通してブチまけてしまうのかもしれない。
あくまで推論に過ぎない。デビュー作品も、今の作品も殺伐とした雰囲気が少ない作家もいる。大御所だと高橋留美子だ。あの人の作品は、初期の物も今の物も人間愛に溢れている。
一般的には、一山当てて名前が売れたり裕福になったりすると、作品内のグロテスクな傾向は薄まっていく。
名前が売れると承認欲求が満たされるし、印税が入って裕福になれば、食事に旅行にファッションに、いろいろと楽しみ放題だ。
「恒産無き者は恒心無し」という故事があるが、まさにこれを地で行くのが人間の性だと思う。
以上は、ほとんどの創作者に当てはまる傾向だ。若い頃に殺伐で辛辣なジェノサイドを描いていた人が、有名になるにつれて人間同士の繋がりを大切にした作風に変化していく。
ここでは個別具体的な作品を扱う。ネタバレはしないが作品の感じは伝わってしまうだろう。
2010年から月刊誌で連載が始まった作品で、2014年にアニメ化された。原作はタカヒロだ。
①グロテスクなシーンがよくある。身体の欠損や理不尽な死は基本。
②読者に残虐なシーンを読んでもらうことを目的とした話がある。特別編の3人娘など。
③グロ以外にも人権を軽んじる描写多数(特に女性と田舎者に厳しい世界だ)
こちらのタカヒロ氏は、ほかにも勇者であるシリーズ(ex結城友奈は勇者である)を手掛けている。この作品も、真面目でいたいけな少女を痛ぶることで読者や視聴者、プレイヤーを楽しませることを目的のひとつとしている。
人は、一体なにが原因でこのようなコンテンツを考えつくのか?
ストレスにほかならない。生きていることが苦しかったり、面倒くさかったり、人が憎いと思ったり――そんな観念が繰り返し脳裏に浮かぶ度に、その邪悪な何かを外に出そうとする。あるいは、他者を自らの仲間にしようとする。
タカヒロ氏のインタビュー記事を可能な限り読ませてもらった。記事内では、常識的な言葉で作品をPRしているように思える。しかし、毒がある。不満であるとは言明しないものの、コンテンツに関する何かに対して、さりげなく毒を吐いている。
さりげないから目立たないだけで、さりげなくない表現を使うとコンテンツの関係者にケンカを売っていることになる。そんなインタビューがひとつ以上あった。
精神的に不健康なコンテンツを作るのは悪いことではない。それが面白いという人がいる限り、価値あるものだ。
私も昔は、そういうコンテンツが好きだったと思う。でも、大人になるにつれて、社会で果たす責任が大きくなっていくにつれて、精神的に不健康なコンテンツよりも、心を健康してくれる、浄化してくれるコンテンツが好きになっていった。(一例として、のんのんびより。ニコニコ動画の再生数を見てもらえれば、私の言っていることが伝わると思う。ニコ動で一番売れている有料アニメだ。あれから一時的に無料期間があったので今は判然としないが、当時は少なくとも1話あたり3000再生は売れていた)
2010年代の前半辺りが最盛期だったと思う。当時は、ふたばチャンネルやニコニコ大百科、pixivなどにゆ虐のイラストや漫画を上げる絵師がいたり、ゆっくり虐待の小説を専門に投稿する掲示板があった。
このコンテンツにおいて示唆されている行為は何なのか?ゆ虐の作品を何度も覗いたことのある方ならお気づきだろう。
ゆっくりというのは、愚かな人間のメタファーだ。そのメタファーを痛めつけたり殺したり、漫画という形で傍目から眺めることで精神的に不健康な人間の欲求を満たしている。
精神的に不健康な人間はこういったコンテンツを好む。一言でいえば、人権侵害をテーマにした作品や論評や意見を好む。
同じ時代でいうと、mixiのニュース引用型日記だ。ニュースを引用して記事を書くことができ、投稿すると下にある引用記事一覧に載る。
今は廃れた光景だが、障がい者や生活保護受給者やホームレス、タクシー運転手に教師、公務員などを扱った内容がmixiニュースで取り上げられる度に、心無い誹謗中傷を述べた日記を投稿するのを楽しみとする人たちがいた。
障がい者が事件を起こすと「殺処分せよ」、生活保護受給者の不正が問題になると「貧乏人は死ね」、タクシー運転手が客とトラブルになると「タクシー運転手は社会の最底辺」など、差別の例としては完成され尽くした日記を投稿する層が一定数いた(しかも彼らは連帯を組んでいる。反論コメントは徒党を組んで煽ったり馬鹿にすることで潰す)。
一番ひどい例だと、東日本大震災が起こった際に、携帯電話の絵文字で津波に流される人々をアスキーアート風に表現した日記を投稿する人がいた。その人自身も、心に問題を抱えているように思える文調だった。
mixiの運営も、一定数の通報が集まるとそういう日記を削除し、ユーザーアカウントも凍結していたようだが、さほどの効果はなかった。
こうした人権侵害を行う人に共通しているのは、「社会に恨みを持っている」ことだ。
私が観察したところ、上記のmixi日記の数名の投稿者は以下のような環境にあった。
・いい大学を出ていい会社に入ったものの、嫁が公然と浮気をしていて、でも子どもがいるから離婚できないという葛藤を抱えている
とにかく強いストレスに晒されている人たちだった。
□ アニメ編
・該当する作品について
※後日追記 強いていえばBLOOD-Cだが、あれはどちらかというとシュールなギャグアニメなのでは・・・?という印象がある。
なぜかといえば、公衆放送なので当たり前なのだが、人権侵害コンテンツなど流せるはずがないからだ。
上記で挙げたアカメが斬る!についても、だいぶマイルドになっている。
アニメを企画する会社や、アニメ制作スタッフらが自主判断でグロシーンをマイルドにしたり、描写自体をなくしている。
あの3人娘は死なない。むしろ最終回で生存描写がある。この改変には痺れた。原作者が精神的に不健康な人間であっても、スタッフには良心があったのだ。
CLAMPの作品もそうだ。初期の作品である『X』には、地震でビルなどが倒壊し、多くの人が犠牲になるシーンが幾つかある。グロシーンも多数だ。
こういう描写が問題になり、漫画版のXは最終回を迎える前に編集側から強制ストップがかかった(もちろんCLAMPは続けたかったらしい)。
アニメ版はだいぶマイルドな描写になっている。残酷なシーンはあるが、気持ち悪さを感じるほどではない。放送コードの力は偉大だ。
今回はこれくらいで。
増田は唐沢がいなくてもそのうちアカデミアなサブカル論に触れたり唐沢のパクリ元に行き着いたりしたと思う。唐沢は他人の業績を簒奪することで生き延びてきた人、雑学の知識に関しても不正確(IRAに関してはスコットランドとアイルランドの区別すらしていないことが露呈した)。こーいう人を評価してはいけません、害悪にしかならない。パクられ元をきちんと評価すべき。
また唐沢は一番衝撃のあった1冊目『トンデモ本の世界』には実は参加していないし、2冊目にも3本寄稿という実績。http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/019.html
なのにと学会がブームになったのちにトンデモの名をつけた類似本を量産し、結果質を落とした張本人じゃないっすかね。
演劇に対してこれっぽっちも業績などないのに外部の尻馬に乗って大御所を批判することで「演劇界のご意見番」的な地位を確保しようとしたごく最近の事例でもわかる通り、盛り上がっているところにいっちょかみしてさも自分の業績があるかのように見せることが上手なんだよ。「最新のオタクコンテンツ事情にまったく疎」いのはそういうこと。
唐沢の著作を読んでたことを恥じる必要はないけど、唐沢の本が売れることで唐沢の懐に入った印税はもしかしたらもっと正当な受取人がいたかもしれないんだよねぇ。
歴代のジャンプ作家の性犯罪で有名なのは2人。世紀末リーダー伝たけし連載中に島袋光年(通称 しまぶー)が、児童買春。こちらは、5年以下の懲役もしくは禁錮または100万円以下の罰。
るろうに剣心北海道編連載中に和月伸宏(自画像 豚)が、児童ポルノ単純所持。こちらは、1年以下の懲役または100万円以下の罰金。
今回アクタージュ原作のマツキタツヤ が起こしたものが、強制わいせつ。強制わいせつってのは簡単に言うと「棒をどこかの穴に入れたわけじゃないけど、合意なくエッチなことをした」って罪だ。これがなんと、6月以上10年以下の懲役。
上の二つはもしも懲役刑になったとしても一ヶ月で終わる可能性もあるのに対して、懲役喰らえば半年は出られないことが確定している。しかも最長で10年。児童買春の2倍だ。人々の記憶に残る範囲ではジャンプ歴代トップと言えよう。
アクタージュは原作と作画が分かれている。今回捕まったのは原作のマツキタツヤだけだが、天下のジャンプに犯罪者の漫画を載せる訳にはいかないので強制打ち切りとなる。これにて見事、作画担当の宇佐崎しろ先生はもうすぐ無職というわけだ。
専属作家契約だとか既存単行本の印税とか色々どうなるのか外野からは分からんものもあるが、とりあえずもうすぐ無職になる。
アクタージュには鳴乃皐月という8歳の子役が出てくる。主人公が芸能界に入ったことで接点が生まれた新たなメインキャラクターだ。現在連載中の範囲では、子役の急成長を通して主人公が何かを掴む姿が描かれている(そして、その先は描かれない)。
ロリコン犯罪者が描いてた漫画に子供が出てくるのは、正直かなりキツイ物がある。その上それがメインキャラともなればだ。更に厄介なことにこの子の決め台詞が「しごいてあげる」なのだが、ロリコンが書いてきたネームにこのセリフが書かれているのが本当にキツいものがある。
ちなみに、アクタージュが最後に掲載された号には、夏休みおまけ企画として各漫画が1ページで夏の風景を描いていて、その中にもこの「しごいてあげる」は登場する。実質、アクタージュの最後のヒトコマに「しごいてあげる」が書かれている。偶然って恐ろしいね。キッツ!
実はジャンプの巻末コメントではマツキタツヤが「自転車から変な音がする」と言葉を残していた。何も知らずに読めば、つまらん日常の風景でしかない。
事件後に読み返すと、自転車に乗って逃走を企てる性犯罪者が目立つことに対して過敏になっていたという背景が読み取れる。怖……。お前の人生お前の漫画よりも怖いよ……
印刷会社の者ですが
事前人気に頼らざるを得ないというのはわかります。
確かに刷り部数の決定は駆け引きというか…当初は3万部という話が、出版社内の営業と編集で争った結果5000部になりました…。
とかよくありますよね。
編集さんがプレゼンしなきゃいけないのは、買い手である読者に買ってね、書店さんへ良い場所へ置いてねこの本よろしくね、以外にも多く、
営業や社内へ向けて「出版するか」「何部刷るか」のプレゼンが大変そうです。
それには確かに、数字としての実績や人気を示さないといけなくて…「Twitterで話題で人気の原作(作家、漫画など)です!RT数、フォロワー数はこれくらいです」もひとつの指標ですよね。
「売るための下地」がなければ「部数を刷れない」のは、たしかに現実として正しいことです。
これは事務所や代理店の関わる「売ろう」と決められた本なので、あらゆる媒体で宣伝され、広告がうたれ、「売るための下地」をお金をかけて作りました。
初版1刷は2万部です。
公表につき再刷!増刷!重版(厳密にはちがいますが)!○万部突破!
これもまた実売数を売るための下地であり、刷り部数を増やすテクニックです。
元増田さんは文芸でしょうか?なかなか下地の難しい分野ですよね。
部数を多く、という以前に発行に漕ぎつけるまでが。
コミックスであれば、現在は3000できれば5000部というロットで刷れるようになったため、とりあえず出してみよう、が以前より多く感じます。
POD(オンデマンド)本を勧めてらっしゃる方もいますね、弊社も承っておりますよ、書店サイトから注文が入り即日C1000でプリント、手作業でPP貼りし、手作業で製本して手作業で断裁、そして発送。
正直こちらは一般に流通する書籍などと同等とは言えませんし、刷り部数が確保できないほどの小ロットにしか向きません。
印税(率、または単価が高いことによる額)が良くても総合的には部数が稼げる商業印刷には収入としてはかなり劣ります。
宣伝して売るための予算を取る、初版部数を増やす、これらは買い手への宣伝ではなくて社内へのプレゼンです。このためには、事前の評価が必要なのは事実です。
どんなに編集さんが熱心でも、その予算が取れず部数も減らされてがっかりされていることは日常で、私たち印刷会社も以前より部数が絞られる傾向を感じています。
刊行タイトルが増えて、抱える作家さんが多くなったせいか、宣伝できるタイトルが絞られている印象です。
タイトル数が増えて、個々の実売数が減っている…そうすると人件費率も経費率も爆上がりですからね…。
(印刷会社から見て、印税10%は妥当かなと思うのですよ、物価が高くなったとは言え製品原価自体は微々たるものですが、あまりに一冊をつくるのに人手と時間がかかるので…。)
(売れる本だけ大量に刷れるなら別ですが、大半の利益の出ない売れない本の経費や赤を、売れる一部のベストセラー本が補っている現状です。)
作家さんが増えて「経費」も絞られていますよね、校正校閲を省くという荒業から…作家さんへの接待なども。
我々業者は、作家さんの花見の席取りや、作家さんの趣味の観劇チケット取り、打ち合わせで行きたいとリクエストのあった予約制飲食店の予約…などによく駆り出されたものですが、新人の方への接待で呼ばれることは少なくなったように感じます(大御所さんはいまだにありますが)。
どうでもいいマジレスすると
出版業界はバブル時代に広告収入モデルで雑誌の部数も刊行点数も極度に増えた
その後、広告収入モデルが機能しなくなって沈没が続いてるわけだが
***
(書店ではなくコンビニで売ってる紙質の安い雑学本がメインだ)
仕事の本数自体は極端に減っていなくても単価の減少は痛烈に感じる
10年ぐらい前は一冊の本を3人ぐらいで分担して2~4か月ほどで作って
20万円前後にはなり、それを同時並行で3本ぐらい回していれば生活できた
ところが現在は、同レベルの仕事では1本当たりの単価は2~4割は減少してる
そりゃそうだ、今や金を出して紙の本なんか読む奴は年寄りしかいない
(しょせんは無署名記事でも)たまーに一度担当した本に増刷が掛かり
***
歴史雑学本とか統計データ本とかを書くぐらいしかできる仕事はない
(直接インタビュー系は依頼されることがかなり減った)
これでも、勤め人をしていた当時のような人間関係トラブルはないし
文筆専業になる以前よりはマシな方だとは思う
仕事の場を紙の出版からネット媒体に切り替える気はないかって?
自分らの世代まではギリギリ逃げ切れるのではないかと述べている
その背景として、自分らより下の世代は今さら紙の出版を目指す者が
かなり少ないので、下世代に食いぶちを奪われる危険性が低い点が挙げられるが
それもどこまで楽観して良いものか……
自分の同人誌が古本屋(駿●屋やま●だらけ、らし●ばんとか)に売られていて、ついに筆を折った。
もうかれこれ5年程同人活動をしている。
この5年間で1年に3〜4冊ペースでイベントにあわせ同人誌を出して来た。ありがたいことに徐々にたくさんの人に手に取ってもらえるようになり、同人誌を読んでもらったり、本の感想をもらったりするのがとても嬉しかった。
自分自身が地方に住んでいることもあり、先述した古本屋に出会うこともなく、欲しい同人誌は会場か作者指定の通販でのみの購入だった。奥付部分に「転売、転載禁止」と書いてある本がほとんどで、その通りにすることがマナーであると思い(法的拘束力の有無にかかわらず)守ってきた。
自分が同人活動をするようになって、徐々に回数を重ねるごとにフォロワーが増え、頒布物を手に取ってくれる人が増えた。自分自身も奥付に「転売、転載禁止」の文言を入れた。(本当はもっと長い)
●1度目の発見
同人活動を始めて、一年くらい経った時に初めて自分の本が売られていることを知った。某古本屋のサイトに自分の作品のページがあった。ご丁寧に買取価格まで書いてあった。
なんとも言えない嫌な気持ちになった。
初めて描いた本だったのもあって、当初は「自分の本が心の深くまで響かなかったのかな」とか「構成も絵も何もかもが下手だもんな」とか、そう思ってなんとか自分を納得させた。「一生懸命、描いた本だったのにな」と、もう必要のないもののように扱われているような気がして、ぐるぐると私の頭の中を巡った。
●2度目の発見
同人活動を始めて3年目。フォロワーAと通話中にたまたまAが「自分の本が売られている」という話をし始めた。Aにとって初めてのことだったらしく、すごく微妙な空気が流れた。
Aは「まだ在庫もある上に自分の頒布額よりも高く売られている」と言っていた。「どうして売るんだろうね…」としばらく落ち込んだ後、Aはすぐに自分の本のページを削除してもらえないかを古本屋に問い合わせた。
結果はNOだった。譲渡権の消尽というものがあり、購入者は自由に処分する権利があるらしい。(間違ってたらすみません)
Aは「法的拘束力がないのだったら、手に取ってくれた方の良識を信じるしかないのかな」と納得はしていないものの、それ以上の抗議はしなかった。
しかしそれ以来、Aは本を出すことは無くなり絵を描く頻度も極端に減った。
自分たちの努力の塊が、時には赤字を切って作った同人誌が、場合によっては自分達の頒布額よりも高い値段で他人の生活費の足しに、等の理由で売られているのかと思うと急に創作意欲が湧いても本にする気力は起きなくなってしまったらしい。
それ以来Aは、身内だけの鍵垢で絵を描いては投下するようになった。
●3回目の発見、筆を折る
5年間ずっと同じジャンルにハマっていたのもあり、自分でも集大成と言えるような本ができた。
今できる最高の同人誌だと自分でも納得できるし、どこに出しても恥ずかしくないと思えた。
原稿途中は初めて挑むページ数にへこたれそうになったけれど、それでも通話アプリを駆使して仲間と励まし合い創作に励んだ。
当日は調子に乗ってちょっと厚いペーパー本なんか作っちゃって、フォロワー同士の差し入れはほとんど栄養ドリンクやホットアイマスクだった。
過去最高の出来の同人誌は、ありがたいことに本当にたくさんの人の手に取ってもらえた。
まだまだ描きたいものもたくさんあるから次のイベントを参加する意向も伝えたりした。
その後、本が売られた。
なんとも言えない感情だった。
今回の奥付には「処分の際は転売はしないで」とお気持ちだけ添えた。
しかし売られていた。
もう何も湧かなかった。
通話アプリを通してフォロワーに自分の同人誌が売られていたことを伝えた。
その通話アプリは繋がっていれば自由に出入りできる部屋というのがあり、通話アプリで繋がった絵描きや字書きではない人も入ってこれた。
しばらく話していると、1人の方が入室して事の顛末を聞き「●●だったらわたしもよく売りに行きますよ〜」と言った。
理由を聞くと、処分するのには手間がかかるが売れば多少なりともお金になるからと答えた。
ついでに「まあ、値段つかない本もありますけれど(笑)まとめて10円とかもあるんですよ。」とも。
その後通話は終わり、途中入室した方の言葉が気になった。(途中入室した方は字書きでも絵描きでもない)
多分これが素直な反応なんだろうな、とも思った。
同時に創作している人全てを馬鹿にしているようにも感じた。私たちの出している同人誌は印税が入るわけでもないし(当たり前だけれど)、収支がトントンになるように、時には交通費や宿泊費諸々含めて赤字になってしまうけれど、手に取ってもらいやすいようにと価格設定をしているのに。
(値段を上げたら叩かれているひともこれまで見てきた)
創作していない人からすれば同人誌は会場や通販で買い、売ればキャッシュバックされるもの。
そう思った途端に「もういいや」という気持ちになりアカウントを消した。
幸い創作者同士が集まっている鍵垢があったので、たまにそこに絵をあげるくらいになった。
たぶんヤフーで栗原潔センセが詳しくかくけど目次だけ先にいっとくね
・他のだれも出願前に使用実績がない分野(ジャンル)で、一番最初に本気で商売しようとして権利申請した場合、商標が取れる可能性はいつでもある 著作権とちがって先着かどうかがさほど重要でない
・4条1項19号で「他人の邪魔するための取得」はアウト しつこくやってた馬鹿がいるけどね どうしても出願料を国庫に寄付したいというならやぶさかではない、特許庁も金がいらないわけじゃないからな
・結果はこれから出るので大騒ぎしなくていい
・電通おまえは広告会社やろ そこでジャンプしてみぃ ココアと茶を出してみぃ あーん? ほんまにワニといいそういうとこやぞとは言える コンプラな!
・あとついったーの禁止がどうとかの絵ちょっと変な風説まじってるからまるのみにすんな
・栗原さんとおなじ職業のヒト全国にいるからつかまえてきいて 1時間しゃべって取材料5000円+原稿チェックありで掲載されたら印税もだすっていえばたいていのことは教えてくれるんじゃないか、しらんけど
いくつか誤解がまかり通ってるので、話せる範囲で誤解を訂正していくよ。
そもそもこの増田を書こうと思ったのは、この記事のブコメを読んで、
http://animationbusiness.info/archives/9856
「電通の中抜きガー」とかいまだに信じている人が多いことに驚いたから。
ということで、ここから訂正していくよ。
理由:製作委員会では、共同事業契約とか共同製作契約とか言われる契約書を結ぶ。
この契約書は、制作費が合計いくらだから各社の出資額がいくらで、海外にはA社が、円盤はB社が、グッズはC社が(以下略)売る権利がある、みたいなビジネスに関することを全て定める内容なんだけど、
そもそもこの契約で制作費の金額が丸裸になってるのはわかるよね。
制作会社が出資者の一員であったら、なおさらこの作品の制作費はいくらということが一目瞭然だもんね。
で、電通(に限らず広告代理店、に限らず出資者全員)は決められた出資額を負担してるだけなので、中抜きのしようがないってこと。
電通が中抜きできる可能性があるとすれば、電通が制作元請け(出資者からお金を集めて、制作会社に払う立場)で制作会社が出資者に入っていない場合だけど、
最近話題になった任●堂案件で電通が中抜きできたのは、電通が1社でスポンサーからお金をもらって、制作会社に払う立場だから。
スポンサーからもらうお金には、テレビ局に払う提供料も含まれていたとはいえ、
おそらく当時は契約書も交わしていないだろうし、それなら中抜きし放題。いい時代。
むしろ制作費を中抜きしてるとすれば、制作会社の社長とかプロデューサーなんじゃないかな。
振り込まれた制作費をキャバクラで溶かしたとか、別の作品の損失に補填して自転車操業状態とか、そんな話いくらでもある。
アニメーターはこの作品の制作費がいくらかとか知らず、ただ1カット単価いくらで描いてるだけだから、制作費の高い低いで待遇に差はない。
だから、ネフリがいくら多額の制作費を出して、クリエイターファーストでクオリティ高い作品を作っています、と言っても、
増田が製作委員会の中の人になった時は、すでに局印税というものが存在していたので、どこが始めたのかはわかりません。
そもそも製作委員会方式の深夜アニメの成り立ちは、円盤を売りたいビデオメーカーがアニメを作って、円盤を売るために深夜の安い枠を買って放送して、
しかもスポンサーも作品の内容に文句を言わない製作委員会の身内だけにして、円盤を売って制作費を回収していたので、放送は円盤を売るための宣伝なんです。
テレビ局はもちろん提供料をもらっているんだけど、出資する時の自分達だけに有利になるような回収リスクを下げる条件として、
円盤これだけ売れてるんですか、じゃあうちで放送したことでいくらか貢献しましたよね、ならば売れた分のいくらかください、って感じ。
それが最初は円盤の売り上げに対してだけ主張していたのが、本来放送とは関係のない海外販売まで含めた作品全体の売り上げに対して係るようになってきたのは、
局印税は、プロモーション効果に対する印税なので、全てのテレビ局が主張しているわけではなくて、ほぼキー局、たまに準キー局であるくらいで、BSとか地方のU局とかはない。
ちなみに、局印税以外にも、代理店印税とか、単純にプロモーション印税とかいう印税もあるよ。
あと、テレビ局の中の人もお上に目をつけられてるのは知っていて、いろんな方法で対策を取っているし、
そもそも今は円盤が全然売れないので、局印税は数年内になくなると増田は予想している。
そもそも放送前から続編決まってたか、そうでなければ円盤以外で儲かった、ということ。
最近だと、だいたいこういう場合は海外販売ですごい儲かったのが要因。
「なんで、いまさらこれをアニメ化するの?」って思う作品も、だいたい海外で儲かる算段がついているか、海外の出資者がこっそりお金を出しているかのどっちか。