はてなキーワード: 出血とは
先週金曜日、12wにして血液検査により稽留流産の診断がおりた。
先月初旬から、胎嚢が育ってない週もあり、宣告されたときは「ああ、やっぱり」と思った。
1ヶ月以上時間与えられたものだから、少し気持ちの整理が出来たからかもしれない。思ったより冷静に宣告を受けれた。
そして今日12/11、日帰りで子宮内除去手術(そうは手術)を受けてきたのでここに可能な限り情報と経過を記す。
手術を受けるその時まで、ずっとネットで同じ手術を受けた方の体験記を読んでだいぶ助かったところもあったので。
夫、私とともに20代後半。出産・中絶経験なしの今回が初めての妊娠。
10月下旬に妊娠検査薬で陽性が出て、病院でエコー検査により妊娠確定。
最終生理開始日を妊娠0日と換算すると、宣告時は12w。ただし生理周期が不定期なため、実際の排卵日(2wと計算される)は予測不可。
11月初旬から胎嚢の大きさは7~9wの間で変化。卵黄嚢は確認できるも胎児・心音ともに確認できず。子宮内で出血のようなものが見られ、2週間ほど止血剤を飲んだ。
2週間ほど前から繋留流産の疑いあり、基礎体温をつけた。36.3~36.6の間で高温期にはなっていない。つわりは継続中。
確定させるために先週月曜日と金曜日で血液検査を実施し、HCGホルモンの数値(安定期にまでは絶対に下がらないもの)を確認。この間ホルモンの値が下がり、診断。
1周間経過観察をして自然流産を待つものの、出血もなくこれ以上待っても母体へ影響がある場合を考え手術を決断した。
自然流産を推奨する医者もいるので、そこはどちらが自分にとって良いか、よく医者と相談するべきだと思う。納得出来ないときはセカンドオピニオンもおすすめする。
私は、自然流産でもかなり痛みは伴うし、いつ始まるかわからない上完全に排出しきらない場合もあり、そうなると結果手術は避けられないというデメリットが大きいと思ったので手術に踏み切った。
この時間から絶食。水とお茶に限ってはごくごく飲まなければ当日6時くらいまでならおk。
18:30頃に、その日来てくれていた実家の母が取ってくれた特上寿司を夫と2人で食べていたので、お腹は満腹。
ただ自由に飲めないという制約のせいか微妙に喉が乾く。ごまかすために歯を磨いたり口を濯いだりする。
手術したその日は入浴もシャワー浴もできないため、念入りに洗った。
手術への半端な知識のせいで、痛みへの恐怖が拭えずほぼ不眠。時折ウトウトする程度。この時間に布団から起き上がる。
夫が朝食を食べている横で、着替えを済ませ準備物の確認。()は個人的に用意して役に立ったもの。
・手術同意書
・サニタリーショーツ
(・袖がない綿入れ)
水筒がなかったので、ペットボトルを用意した。寝ながら飲むことになりそうと言われたので、ストローつきのキャップを事前に購入して装着。100均などで買える。
着いたと同時に、今日1日過ごす部屋に通される。隣は手術室。
セミダブルサイズのベッドで個室。待合室も兼ねているので、夫がくつろぐスペースもありありがたい。暖房がきいてとても暖かく快適だ。
入院着に着替えて診察室へ。
点滴(ラクテック)装着。血管が細すぎる上、つわりのせいで栄養状態が悪く、利き手じゃない方に4回入れて失敗。手の甲に失敗されるのはやっぱり痛いぞ。
以前入院していたときも同じことがあったので、利き腕の関節にある静脈に挿してもらう。針がずれないように腕を固定しないといけないから嫌がられるけれどしょーがない。
利き手が固定されてスマホいじりづらいなーって思っていたら、主治医の先生に呼ばれ内診へ。
経膣エコーで再度子宮内を確認、前回と胎嚢の大きさ変わらず7w程度しかない。卵黄嚢は見えても胎児や心音はやっぱり確認できず。
そのまま前処置開始。
麻酔なしで子宮口にラミセルをつっこむこの処置、とにかく痛い、激痛と評判で、これだけはしょうがないから頑張れと言われたもの。
ラミセルとは時間が経つと膨らんでいく性質のもので、子宮口を開くときに使うものである。同じ役割を果たすものとして海藻が成分のラミナリアがあり、後者のほうが一般的だ。
ラミセルを使い、普段赤ちゃんが出てくることのないよう固く閉じている子宮口をゆっくり開き、手術中に器具が入りやすい状態へ導く。男性は、体の中にある肛門(大便が漏れないよう固く閉じているイメージ)を器具を使って開くと考えるとわかりやすいのではないか。
先生が「今から入れるよー」と言った瞬間、なんとも言えない不快感。
痛い?ような?でもとにかく気持ち悪い。思わず「先生痛いよ~」って言ってしまう。
「◯◯さん不安そうな顔していたけど、この処置が怖かったでしょ~?色々調べていたみたいだからねえ。大丈夫もうすぐおわるよー」「がんばれがんばれー」と先生や看護師さんが話しかけてくれて気が紛れた。これはものすごくありがたかった。
数分と経たずに前処置終了。何本入れたかは敢えて聞かなかった。緊張が一気にほぐれて饒舌になる私。頑張ったねーとほめてくれる先生、いい方である。
待合室で待っていた夫が「一気に顔色良くなったね」と笑う。
ラミセル挿入後は、評判通り生理痛のようだ。私は生理痛がかなり重い方で、これなら普段より軽いくらいだな~と感じた。ずーんと重いけれど、寝転んでいれば耐えられそうな感じ。
病室へ戻りベッドへ寝かされる。鎮痛剤いる?と聞かれたけれど我慢できそうだったので断った。
今日は外来(個人病院で婦人科の他に内科もやっている)が多いので、そちらが少し落ち着いたら手術を始めますと言われた。なんとなくそうだろうなーと思ったので軽く了承。
うーん、我慢できるとは言え痛いなあと思いつつ、寝転がるより体を起こしている方が楽だと気づきそうしていると、途中点滴の様子を見に来た看護師さんにびっくりされた。
寝てていいんだよ!?って言われたけれど、体起こしている方が楽で…って言うと、背中が楽になるように枕をもう1つ持ってきてくれた。親切だな~。
その後は夫と2人でぽつぽつしゃべりつつスマホいじって時間を過ごす。暇な時間が多いと予測されたので、文庫本を持って行ったが正解だった。病室にテレビがなかったし。
待つ時間が結構長い。いつ呼ばれるかわからないので外出も出来ない。付き添う旦那がお腹空くのではないかと気の毒だったので、パンでも持ってくるんだったなーって思った。
午前中の外来が終わったようで、手術室へ呼ばれる。トイレを済ませ下着まで全部脱いで行く。
やぱり麻酔かけるとはいえ緊張してくる。手術台へ上がると、心電図をつけられ、両足を開いて固定したところで主治医の先生がいらした。
「静脈麻酔をかけるけど、前に言ったとおり血管痛があると思います。でもその後は大丈夫だから安心してね」
「はい」
「じゃ、入れます」
点滴に何やら先生が注入した(術後説明でソセゴンとセルシンと判明)
痛くなるよー、と言われたけれど感じられず。ここ数年注射は慣れっこだから鈍感になったのかな?と思ったところで上半身がカッ!と熱くなった。
以前肩こり解消のために処方された薬を飲んだ時のようだ。筋肉が弛緩しているのを感じる。
まったく眠くならない。むしろ意識がはっきりしている。あれ?いつ意識落ちるの?と思いつつも、そのうち落ちることに期待をしていた。
しかし。
「お腹ちょっと冷たいよ」と先生が言って少し経った後、子宮付近?とにかくお腹の中に激痛。さっきの前処置とは比べ物にならない。
と言うも止まってくれない。そうだよな…と冷静に思う自分はいるけれどとにかく痛い。ギリギリ我慢できないほどの疝痛。
「◯◯さんがんばって、ごめんね、もうすぐ終わる、綺麗に取れるよ」
「◯◯さんもうちょっとだよ~」
先生も看護師さんも励ましてくれている中、お腹の中で何か動いて吸い取っているのがわかった。かき回される感じもする。
ようやく終わった。
麻酔、効いてくれなかった…………
病室へストレッチャーで運ばれる。夫の心配そうな顔が見えたけれど何も言う気力がなく、手術が終わった後もお腹はズキンズキンと痛んで泣きそうになりながらベッドへ移される。子宮が収縮しているようだ。
「ちょっと麻酔がうまく効かなかったみたいで、もう少ししたらお腹の痛みも落ち着くと思いますが、耐えられなくなったらナースコール押してください」と夫か私かに説明する声が聞こえた。
大丈夫?と撫でられるが答えるのも嫌で首をふる。手を握って貰ってひたすら丸まって痛みに耐えた。
なんで麻酔効かなかったんだ、なんのための麻酔なんだよ、と悲しさが頭をぐるぐる回る。
しかし、しばらく目を閉じていたら、少しずつお腹の痛みを癒え、起きることができた。
1時間位して看護師さんが見回りに来た時は、喉が乾いているんで持参したお茶飲んでいいですか?と聞いてたくらいには元気に。
枕もなく寝転ぶのがきつくて、枕を使う許可求めたけれど両方ダメ。ぐぐると麻酔後はどっちも落ち着くまでは喉に何かをつまらせたり気管を圧迫する恐れがあるためダメらしい。
おまけに前日夜から絶食してることもあってお腹も空いてきた。帰ったらカツ丼かラーメンかカレー食べたいなと考える。
途中看護師さんがトイレの介助に来てくれたが、殆ど助けもいらずスタスタ歩けた。ふらつきもなし。
そのご先ほどと同じように元気になってから2時間くらいは、夫としゃべりつつ先生の診察を待つことに。
主治医の先生が病室へいらして、診察と手術後の説明に。膣に入れてたガーゼを抜いてくれるとき、申し訳ないとひたすら謝ってくれた。
「私不運でしたねえ」
「我慢してくれたおかげで、子宮内は綺麗に取ることができたよ」と、手術後のエコー写真(いつ撮ってたのかわからないが手術後すぐに撮ったっぽい)とカルテに記載してくれた図をもって詳しく説明してくれた。
「この後出血が続くけれど、正常だから。薬出しておくので1週間後にまた来てください」とのこと。
術前の説明だと4日後だったけれど延びたらしい。やったぜ。
薬の内容は、止血剤(トラネキサム酸・オダノン)と子宮伸縮薬(メテルギン)と抗生物質(セフジトレンピボキシル)。
「しかし、麻酔後にこんなしっかり受け答えできてふらふらしたり嘔吐したりしないのってすごい」と感心された。術後の具合悪さは覚悟していたのだが、まったくない。
まあ、痛みが取れなかったのと考えればプラマイ0かなあと考えることにした。
前回の診察後に総額2万弱だろうと言われていたが、実際は薬と合わせて1万程度だった。
主治医の先生は、初診の頃から雑談を交えて親しげに話してくれる方だった。
色々勉強してくる妊婦さんは好きだからと、質問をしたり、経過観察のときに症例を挙げて詳しく説明してくれたり、いい先生に巡り会えたと感じる。
ただ、今回の手術を説明する用紙にデカデカと"人工中絶手術"と書いてあって閉口した。今回私が受けた手術とやり方が同じということは事前に知っていたとはいえ。
慌てて看護師さんがその文言を消してくれたが、書式2つ用意しておいたほうが神経質な妊婦さんにはいいのではないかなと思ったり。
手術も蓋を開けてみれば、一番怯えていた前処置より子宮内除去のほうがよほど痛くてびっくりした。
麻酔かからず激痛だった方の体験談は読んでいたけれど、かなり稀なパターンと聞いたのでまさか自分に降りかかると思わなかった。
私自身アルコールはかなり弱いし、アルコール弱い人は麻酔にかかりやすいはずなのになあ。
耐えられたけれど、もう二度と経験したくない。
今これを書いている現在、じわじわと子どもを亡くした悲しみが襲ってきている。正直のところ今日までは手術の痛みの恐怖に怯え、悲しむ余裕がなかった。
初期流産の殆どの原因は染色体異常によるもので、母体がどうだったとしても防げないものだとは説明を受けた。
母も双方の祖母も、叔母も流産経験者で、おまけに義母もそうだった。知らないだけで経験してる方は多いのだなと思う。前もって知っていたので、何で私だけ!というショックは少し和らいだような気がする。
妊娠中、コウノドリという産婦人科医の漫画を読んだこともあって、子どもが無事に生まれてきてくれるというのは奇跡だなと身を持って知った。
初めて流産の疑いがあると言われ、怯えて過ごし次の週検査に訪れた時胎嚢が育っていて大喜びして泣いてしまったことがある。
そのとき先生が「産んだ子どもが成長していく過程で、やれあの子より成長が遅い、あの子より成績が悪いと嘆くことがあるだろうけれど、その時無事に育って生まれてきたときの喜びを思い出してみてね」と言ってくれた。
夜道に隠れた車止めにノーブレーキで突っ込む形になって、地面におもいっきり叩きつけられた
胸に入れた機種変したばかりのiPhone6sが凹んだので、こいつのおかげで命が助かったのかもしれない
しばらくしたら恥骨の辺りがタプタプしてきた、内出血かな、ステムにでも当てたかな
「2個ヨシ、感覚ヨシ」おお良し良し、チンコは大丈夫だ、恥骨がガードしてくれた、偉いぞ恥骨、ちっとも恥ずかしくないぞ
チンコの皮の部分にまで内出血が広がって、いつもの倍くらいの太さだ(皮と別構造なので、亀さん小さくピンクのまま)
そこで電気シェーバーのもみあげカットを使ってきれいに刈り込んだ、ツルツル、これが無毛ってやつか
見事に肌色と黒がくっきりと分かれている
もう少し進んで、女性の例の敏感な所を圧迫刺激するのかなと(正解?違う?)
ここ3年、作ったメガネが6本。中にはデザインが気に入らないというのもあるけど、理由は落ちていく視力
私の目はブルーライトやらにやられる情弱ではないと思っていたが、
原始の時代、遠くの獲物を狩っていた人類にあの狭い四角から文字を読めというのは構造的に無理があるんじゃないのかな
さて落ちるのは視力だけじゃなかった、明暗順応もだ。ピントを合わせるのも筋肉、光彩を絞るのも筋肉。両方衰えるわけだ
で、夜道、車が歩道に入ってこないように置かれた縁石にノーブレーキで自転車で突っ込んだ
しこたまアスファルトに打ち付けられて、立とうにもフラフラしてこのまま死んじゃうのかも
あちらこちらが痛い、下腹部もだ、しかも何だかたぷたぷしている、内出血だ
通りがかりの病院で応急処置をしてもらったけど、チンコが心配だ
「2個ヨシ、感覚ヨシ、尿通ヨシ」おお良し良し
ここで思ったね、恥骨ってチンコガードなのだ!恥骨偉いぞ!人間の体には無駄な部分は無いのだ
街の明かりが ♪ とてもキレイね、ヨコハマ ♪ ブルーライト・ヨコーハマー ♪
明かりがキレイではなくて、暗くなると視力が落ちる、鳥目というヤツですよ
スマホのブルーライトという怪しい光をオーラや血液型性格判断くらい怪しいものとしか考えていなかったが
半年ごとにメガネを作り変えているとこのまま失明するんじゃないかと思って、スマホで増田さ卒業と思っていた矢先
対向車のライトが目に入ったあと、路面に視線を落とすと暗くて凸凹が見えない
明暗順応ってヤツだね
スマホの使用量に比例して目のピントを調整する筋肉も固まるそうだ
視力が落ちると同時に、明るいところから暗いところへの切り替え応答が鈍くなる
誰だ!あんなところに縁石おいた行政は!?フルスピードで前輪から突っ込んで前転しながら投げ出された
よろよろ、何か大変なことになった、あごと肩が痛い、しこたま打ったようだ、恥骨あたりも痛いぞ
しばらくしたら、ふらふらは収まったが腕が上がらない
近くに幸いなことに外科の看板下げている医院があったので応急処置してもらってタクシー呼んでもらって帰る
自宅に戻ってパンツを下げたら恥骨のあたりが腫れている、というか内出血のようにタプタプ
人間の体は良くできている、恥骨がガードとなってチンコを守るのだ
救急隊が入ってこられるように、今日は鍵かけずに寝よう。意外と観察深く冷静な私
で会社休んで整形に行ったら上腕骨の肩側のゲンコツの付け根にヒビが入っているって
恥骨は無事
ちなみにチンコは皮の部分が腫れてドス黒い赤に、でも先っちょの亀さんは変わらずピンクです
すいすい水曜日ー
ろくでもない一日だったんよ。
休日出勤を早めに出て早めに片付けるつもりが、洗濯機が壊れて家を出たのがほとんど夕方でしょ、
帰りの終電で隣に座ったねーちゃんの凄まじい香水の臭いに吐きかけるでしょ(あれは香水じゃなくておかしなハーブだったのかも)、
漬け丼食べたくてマックスバリュで叩き売りの刺身買おうとしたらしょっぱいマグロの切り落としが900円超えでしょ、
仕方ないから塩鯖に切り替えて買い物してようやく家に帰ったら猫がゲロを五カ所でしょ、
片付けてやれやれとベランダで一服してはっと思い出したのはそういや洗濯機、乾燥メニューにしてなかったわって急いで洗濯機開けると脱水までしか終わってない濡れた洗濯物がもわぁって臭ってて仕方がないから匂い付きの柔軟剤多めに入れて洗い直しでしょ、
ああ、ひでぇ一日だ…と思いつつ昨日の風呂の湯を追い炊きして30分浸かってようやく人心地かと思いきや、
昨日の朝徹夜仕事で帰った後寝てる間に引っ掻いてどうも血管の近くだったらしく血がどくどく出てきて枕カバーと寝間着のパーカーを血染めにした傷が、血行良くなったお陰でまた開いて風呂上がりの体に鮮血が滝のように流れて必死で拭きつつティッシュで傷口押さえて止血して、昨日はガーゼがあったからどうにかなったものの今日はそれもないので絆創膏貼ってその上にティッシュの束をテーピングで止めてどうにかこうにか流血をおさめてやれやれでしょ、
そうこうしてるうちにもう丑三つ時の二時で、そもそも鬱で医者にかかってるくらいだからこんな感じだと何で俺生きてこんなことに右往左往してんだろ的方向に精神が偏向してて晩飯もういいかと思ったけどでも買っちゃったからには後で処理が大変だからってさっきの塩鯖焼いたらグリルを予熱しておくの忘れて網に焼き付いて身をぼろぼろ持っていかれるでしょ、
いいよ食うよってボロボロ鯖と期限切れメカブと総菜パウチのひじき豆と昨日の朝の会社帰りに買ってちょっと食べたけどあんまりおいしくなくて大半が残ってたセブンのシナチクをちゃぶ台に広げて、ぐい飲みになみなみ安酒注いで、さあ、って2時半だけどディナータイムって、お供に録画してたガンダム再生ですよ。
おもしろい。めっちゃあつい。この興奮。箸もぐい飲みも停まる。音楽もシナリオもストーリーもSF設定も(体当たりが艦船のメイン打撃力!)ロボットの動かし方も最高。なんかこの、こう、知ってるこの興奮って、スターウォーズのときのあれだ、スターウォーズ級にわくわくする。
このくそろくでもない一日が、この30分でもうなんかもう、良かった、気持ちよく寝られる。明日朝辛いだろうけど、首の傷からまた大量出血かもだけど、いい、いいよもう、気持ちよく寝られる。
もちろん、アラって何度も使える奴がほとんど。使い捨ては金がかかりすぎるからね。
しかし、弊害もある。
①膣で射精できない
手コキじゃないと出せなくなる。
30回くらいセックスしたけど、出せたのは1回だけ。
その1回ってのも、裏風俗のヤバイ、マンコ改造してる女。ほぼオナホールと変わらないよねそこまでいったら。みたいな膣。
あ、当然素人童貞ね。
②性病
信じられないかもしれないが、俺は童貞だったのに性病になった。
病名は、亀頭包皮炎。
強すぎる刺激によって皮膚が傷つき、そこから菌が入ってしまったらしい。
皮がパンパンに腫れて怖かった。
③かゆい
2時間も3時間も突っ込みながら、ネットでネタを漁りながらやってると。
当然かゆくなる。
ローションが乾くとかゆいし、ずーっと皮をしごいてるから皮膚の油がこそげ落ちてしまう。
しばらくかゆくなる。
かきむしってしまった皮膚のように、しばらくはカサカサの皮膚になる。日焼け後みたいな。
④痛い
かゆいを通り越して、皮膚が傷つくことがある。
ずーっとオナホールに突っ込んでおくとふやけるんだろうな。
ふやけた皮をずりずりやるもんだからね。
⑤亀頭がツルツルになる
⑥童貞線が切れる
それ、童貞線っていうんだよ。
これがかなりいたい。
見た目が少し悪くなる
⑧黒く、厚い皮になる
⑨抜きすぎて痛い
強制的に出せるもんだから、2,3回、下手したら5回とかぬいてしまう。
⑩彼女できない
なんつーか。痴漢とかしないためにオナニーしてるみたいなところあるんだけどさ。
ってことで、自分の性欲を抑えるために必ず1日1回は抜いてるんだけどさ。
こりゃ一生彼女できる気配なくなるなw
そして現在までジャンル問わずかなりの数を聴きまくった自分の良い曲だと思った10曲
Apple Musicも始まったことだし
曲ありすぎて何から聞けば良いか分からないやつとか参考にしてもらえれば
● Golden Lady - Stevie Wonder
誰もが知っているスティーヴィーだけどこの曲はシングルでもなくたぶん推し曲でもない
そしておれは特にスティーヴィーのファンでもないMotownの初期のカタログを少し聞いていた程度
2年ほど前彼女にフラれて音楽とかクソ時間のムダだわと絶望してたおれは
”そういやいわゆる名盤には手を出してねーな救われねーかな"と思い
「名盤」で検索して引っかかったスティーヴィーの"3部作"と呼ばれる傑作アルバムがある事を知った。
さっそくその中の「Innervisions」というアルバムを落とした
飽きたくないから何回も聞きたくない...あーでも聞きてえみたいな
そこからたぶん相当数聞いてるが運良くまだ飽きない
聞くたびに「なんて良い曲なんだ」と口に出す
https://www.youtube.com/watch?v=qS2yMn3JbQk
● Mr. Dieingly Sad - The Critters
数年前ジャズミュージシャンの菊地成孔氏が川勝正幸という評論家の人が死んだ時に自身のラジオ番組の追憶放送でBGMとして流した1曲
この人たちをよく知らなかったがたまたま「追憶」というドラマティックな回が上がっていて
聞いてみるかーと思って視聴したら大当たりだった思い出がある
この回でかかった曲は人の死が背景にあった事も影響してるが全てが良かった
https://www.youtube.com/watch?v=u-6khXfUK3M
ラブホテルに行った時に教えてもらった1曲
どういう流れで音楽の話になったか覚えてないがたぶん相手の青春の1曲だったのだろう
状況と背徳感もあってか異常なほど興奮しながらこの美しいメロディに耳を傾けていた事を思い出す
(その女は後にストーカーになった)
https://www.youtube.com/watch?v=qCoxPHTyXuo
● How Soon - ROLAND ALPHONSO
当時ライブハウスでもフェスでもとにかくスカバンドが多くて"ルーディ"という言葉にカッコよさを感じてたおれは
「スカじゃねえよスキャって言えや」と本気で周囲に言ってるバカで
1枚20Kもするレコードを買って毎日牛丼しか食わないようなクソみたいな日々を送っていた
連中のオシャレだと思っていた古着ファッションセンスもただ貧乏なだけだと気付いてから完全に冷めてしまった
そんな事を思うようなおれは大学を中退しユニオンにジャパレゲを売って生活してるクズで
女にも縁が無くただただ悶々とした日々がティッシュに埋もれていった
この曲は二度と戻りたくない時期の唯一の収穫で唯一売らなかったレコード
https://www.youtube.com/watch?v=HGyzq6S4Ssk
● bikinikill - Moscow Club
同級生とバンドを組みブラフマンのAnswer Forで田舎のクソ狭いライブハウスで数えるほどしかいない客にダイブしていた
ビジュアル系のカバーバンドを結成したくさんの女の子にリアルにキャーキャー言われていた
(後に彼をインターネットで発見した時、髪の毛が一本もなくなっておりポルノグラインドを一人でやっていた)
皆その後は音楽はほとんど聞かなくなるが30前後の結婚ラッシュでバンドの再結成を果たし
中性脂肪の塊の腹を引きずりながらギターを奏でる姿がなんともいえず感動を誘った
当時を懐かしがる連中は多く久しぶりに会うとそのような話にもなるが昔話は一日もたなかった
抜け出せない現実に限界がきてギターショップで万引きをして捕まった奴
精神病を患って引きこもった奴
車に轢かれて死んだ奴
ずっと働かずにスロットしてる奴
周りには自分も含めてクズだらけだがこの曲を聞くと10代の彼らの笑顔しか思い出さない
https://www.youtube.com/watch?v=FfsLKefAkyQ
● Song 1 - DJ Krush
10年以上前THA BLUE HERBにひたすらハマっている時期があった
一時期はカトマンズに住もうかと思うくらいだったがブタほどの行動力も無いヘタレのおれは
当時片思いしていた女に無理やりボアダムスを聞かせて感想を言わせたり
その女が好きだった大人計画の演劇に同行して「よかった〜あんなの始めて見たよ!」と言って
内心は「どこがおもしれーんだクソだわでもヤリたい」と腐った思いを握りつぶしていた
そんなモヤモヤしていた時期のおれがラップに入れ込むのは必然みたいなもので
そして5lackが登場するまではHIPHOPに対しても距離を置くことになる
このインストゥルメンタルはその時期に聞いた至高の1曲で宝物だ
https://www.youtube.com/watch?v=bj3y5vFS3Es
● Feel It All Around – Washed Out
ある時期強烈にブラックな仕事に従事していたおれは疲れ果てていた。
上司のパワハラと時間に追われて睡眠薬が無いと寝られなくなった、ブクブクに太って体が重い、
給料はストレスから全てデリヘルに消える、二度と帰りたくないクソみたいな日々、
「日本に生まれるだけで宝くじに当たったようなものだ」と文句を唱えて必死に感情を押し殺していた
背が低くて足が太いクソブスの女上司に「君って感情が無いみたい、ロボットなの?」と言われた時
2010年の夏は太陽が本当に眩しくて暑かった、サマーオブラブは間違いなく2010年に来ていた
● Go Berri Be Happy - Mark Barrott
去年の夏に同僚の人妻を好きになってしまい、頭の中が彼女の事で満たされてしまった俺は、
ある日から体調が異常に悪くなった、検査したら胃から出血していた、
15年ほど吸っていたタバコを辞めざるを得なくなった。
もう抱けるならどうなってもいいと毎日デパス飲んで働いていた(顔を合わすから)
そんなある真夏の日、田舎に現実逃避旅行へ出かけボーっとしながら緑がキレイな山沿いをチャリでブラブラしてた俺は突然
「あなたの事が好きになってしまった、一度食事してくれませんか?」とメールを打ち、
返信を待つ間の胃の痛みに必死に耐えた。一週間後、俺は彼女と一緒に食事をしていた、
夕方の街をブラついた後ネカフェへ行きペッティングした。とても簡単だった。
次の日から好きだった職場に行きにくくなった、背徳感からなのか、すさまじい興奮を覚えて汗が止まらなかった(継続)
この曲はメールを売った驚くほどキレイな自然の中でリピートしていたアルバムからの1曲
https://www.youtube.com/watch?v=2e8Py9ToC7M
● 君はそう決めた - 坂本慎太郎
坂本氏の良さを書こうなどたぶん野暮だし恐れ多い
思い出はまだ無いけど、全作品心を鷲掴みにされる
https://www.youtube.com/watch?v=t08i_cWdcbM
● ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY – imoutoid
モテる要素が皆無だった自分に女が寄ってくる、ただ好きな事に熱中して作品を発表しただけで、
本質は変わってない自分への周りの変化に戸惑い苦しむ、世界へ絶望する第一歩を踏み出す。
もしこのような事だとしたら自分は人間に改めて感動する。なんて脆くて危なっかしいんだろう。
心と体のバランスの取り方は複雑で人それぞれだから何も言えないけど
良い音楽は死ぬまで聞くし俺より何倍も生きてる価値がある(あった)
また書く
大の方をする時に何かぷっくりしたものが覗く感覚と、時々切れて出血することがあったので勇気を出してこの前痔専門の病院に行ってきた。
さっくり述べると全然痛くなかった。
ズボンと下着を下ろして、横向けになって、医者がローションとクスコ?をちょっとぐにぐにっとやって3分ほどで終了。
違和感こそあるものの、すごいどろどろしてそうなローションを塗りたくられてるせいなのか、全然痛くはなかった。
痔があまり酷い状態じゃなかったのもあると思うけど。
痔専門の病院なんだけど、かなりでかくて入院患者とかも受け入れている感じの病院。
ソファにはところどころ痔用と思われるクッションが置いてある。
ここにいる人全員が痔で悩んでる人なんだな…と思うとなぜか笑えてすらくる。
という訳で、痔で悩んでる人は早めに病院に行くことおすすめしておく。
ほんとに全然痛くもないしささっと終わるので恥ずかしくもない。
追記:
自分の結果は軽いイボ痔だった。
1日使いきり型の軟膏と便を柔らかくする・大腸の働きをよくするための薬が2週間分で1000円くらい。
人間の自然な免疫システムはこうです。菌は、目や鼻、口などの粘膜から体内に侵入していきます。傷がついても、出血とともに菌が流れるので血管に入ることはありません。菌が体内に入ると(扁桃腺が腫れる)等、全身に警告が発信されるのです。すると、全身の白血球が戦闘態勢に入ります。まず、唾液から始まり、胃液、小腸、大腸の免疫が次々と働き、発熱や下痢を起こして、菌を殺したり、排出するのです。そして、最終的に戦いに勝って、新たな抗体がプラスされて、パワーアップしていくのです。これが自然の抗体の作られ方なんです。
その自信満々に根底としている胎児の人権っていうのは一体どこに認められている権利なの?
着床後わずか2週間程度でホルモンバランスが変わり始めて不正出血や胸の張りに急な動悸吐き気腰痛頭痛が常に襲いかかる
それから10カ月以上もの間レイプ被害で妊娠した女という好奇の視線を浴びながら痛みと吐き気と食欲不振と急ないらだちと不安すべてをあまねく受け続け
最悪のコンディションで命を落とす危険すらある出産を強制されようやく出産した所で結局好奇の目を逸らす事は出来ない
あまりに考えが足りないだろう。レイプ被害者を誰の目にも触れぬ場所に隔離して産むまで拘束でもしろというの?
理由は罪の無い母体が理由なき行為によって10カ月間もの間苦痛と不安と恐怖にさいなまれ続け、命を落とす危険すらある出産を強制されるのは絶対的な悪であり間違いが無いからだ。
車を運転する大人が少なくとも2人以上。
体の部位を切り取ったり死後の遺体を傷つけるなど猟奇殺人特有の意味不明な儀式的行為が見られない。
遺体に着衣の乱れがなく、衣服の上からテープを巻かれた状態で発見されている。
殺すつもりであれば顔を見られていようが関係ない。
あるいは、被害者の苦しむ顔を見ることができない恐怖心からか。
わざわざ他人から見えないように服で隠せる部分を選んでカッターで切りつけた。
最初から殺すつもりであれば、そのような少女への配慮は全く必要ないはず。
拷問がエスカレートして少女を殺害してしまったようにも見受けられる。
30箇所の切り傷は異常だが、カッターで致命傷になるような場所を狙っていない。
田舎の総合病院に赴任して老人を看ている医者だが、独り身の老後は本当に悲惨だと本当に実感した。
結婚もせず、結婚しても子供も持たずに生きようとしている人が今は多いが、現代ですらこの状況なんだから、今の20〜40代が後期高齢者になる頃にはもっと日本も苦しい国になって、間違いなく悲惨な死に方をする老人が増えるだろう。
病院で亡くなる高齢者というのは本当に哀れだ。肺炎だか尿路感染だか認知症だか分からないような状態で運ばれてくる老人がいくらでもいる。そういう高齢者はたいてい重度の認知症を抱えていて、おむつを着けられ、体調を崩したのもあって口からものを食べられず、病院では譫妄を起こして大声を出し続けている。腕のカチカチに固まった細い血管に無理矢理点滴ラインを確保しようとするものだから内出血ばかりで、看護師さんが苦労して確保したラインを自分で抜くものだから、手は縛られ、体もベッドにくくりつけられている。一日に1リットルか1.5リットルの点滴が命綱。病院食が出るも自分では全く食べられない。鼻からチューブを入れられたり、果ては胃瘻を造られたりして栄養を流し込んでもらうことになる。
今、悲惨だと思ったか?経腸栄養をしてもらえる老人はまだ幸せだぞ。胃瘻を造ってでも生きて欲しいと願ってくれる家族がいるんだから。赤ん坊に戻ったような、自分でメシを食えない老人は大抵そこでストップだ。医者が家族に話をする。「認知症に老衰もあって体力がなくなり、ご飯を食べられなくなりました。経鼻胃管か胃瘻で栄養を入れることもできますが、どうしますか」家族は言う。「食べられなくなったならそれが寿命です。このまま看取りたいです」そうするとどうなるか。命綱の点滴を減らしていく。1リットルが500ミリリットルに。500ミリリットルが100ミリリットルに。もちろん、そんな量で生きていけるはずがない。最初は大声を出して暴れていたような患者も、それが1週間も続けば動けなくなって、ひからびるように死んでいく。血圧が70くらいになったら家族が呼ばれ、死亡確認をしてお終い。
悲惨だろう?ところがどっこい、こうやって看取られるのもまだ幸せな方だ。看取ってくれる家族がいるんだから。死ぬまでお見舞いに来てくれる家族がいるんだから。認知症が進んで医者と家族の区別もつかない老婆に、同じく足腰の立たない旦那が毎日車椅子に乗って会いに来ている。神経疾患で人工呼吸器を着けられ、目でしか会話できないのに、週に1回は孫がやってくるおじいさん。そういう人はゆっくりと衰えていって、静かに家族に囲まれて死んでいく。これは幸せな方なんだ。
本当の不幸な患者とは—どんな背景であれ、見舞いに来てくれる、看取ってくれる家族も友達もいない、死ぬまで独り身の高齢者だ。
今はまだそういった「本当の独り身」の高齢者は少ない。何だかんだ言って息子夫婦がいたり、親戚がいたりして、見舞いと看取りに来てくれる人がいる。特にこんな田舎では、高齢者の友達づきあいも残っているから。だが、まれに見かける本当の独り身は、悲惨としか言いようがない。そういう老人はたいてい、市営アパートか、先祖から受け継いだ古い家に独りで住んでいる。足腰の立たない高齢者にはたいそう暮らしづらい。そのうち転んで骨を折ったり、肺炎にかかったり、今の時期だと熱中症にかかったりして(クーラーがない家も多いのだ!)救急車で病院に運ばれてくることになる。
病院でもこういう患者は困ってしまう。骨が折れた、肺炎だ、入院させて治療するのはいい。だが、家族もいない、介護サービスも利用していない老人は治療が終わっても家に帰せないのだ。最初の内はまだいいが、老人は何度も繰り返し病気になる。そのうち体力がますます落ちてきて、認知機能も衰えて、やがては独り暮らしなど全くできなくなって、やせこけてわけも分からない状態で運ばれてくる。誰が世話をするのか?介護の費用はどこから出るのか?方針を相談しようにも、親族もいないのだから病院だけで考えるしかない。もちろんソーシャルワーカーが仕事をしてくれるが、果たしてこの老人は、自分独りで生きていけない老人は、生きている意味が、楽しみがあるのか?という思いを誰もが抱える。そんな老人が治療不可能な状態になれば、家族に相談するまでもなく(相談する相手がいないのだから)ゆっくりと看取る、ということになる。わけが分からないまま、病院で誰にも見守られず枯れていく老人。
また別の悲惨さもある。子供や配偶者がいるものの、関係が良くないために世話をしてくれないパターン。90歳近くまで元気だった独居男性が、大腿骨頭骨折(老人にはよくある)で病院に入院したところ、あっという間に認知症が進行してわけも分からない状態になった。これもよくあること。隣県に住む息子に連絡を取ってみたところ、オヤジは昔からオフクロにも俺達にも暴力を振るって、家庭を顧みない人間だった。独りで暮らしているのもオヤジの勝手だし、今更世話なんかしたくない。死ぬならそのままでいい。もちろん、キーパーソンの了承のもと看取りコース。これまた悲惨だが、生き様だ。
20〜40代の若い人達に言いたい。独身生活、または結婚しても子供を作らない生活は、健康で人生を楽しめるうちは確かに楽で楽しいかもしれない。だが、あなたたちが老人になり、衰えていく時に、世話をしてくれる家族がいないと本当に惨めで不幸な死に方をすることになる。独り身は老衰スピードも速い。80歳まで元気に生きてある日ぽっくり死ねる自信がないなら、悪いことは言わないから、結婚して子供を作った方がいい。それも1人ではなく、2人3人を大切に育てるんだ。3人も子供がいれば、あなたと配偶者が衰え死んでいく時に、それを見守って支えてくれる人は、結局家族しかいない。
時間が無限にあるなら間違いじゃないけど普通時間は有限だから間違いだろ。
「みんなで考えるのが大事だ論」ってのは何よりも貴重な時間に出血を強いる思想なわけだから。
・一か月後にキャンペーンを行う(決定事項)
この状況の時、二週間会議をして80点の企画Bを作っても実際の準備期間は半分になってる。その半分の期間で80点の企画Bが実施できればいいけど現実はどうなんだろう?
企画Aを立てた人間は120点のCも考えついてるけれど予算や準備期間の関係でしかたなく企画Aを提出してるかもしれない。っていうか普通そうだろ。リソースが無制限ならいちばん良いのを出すよ。
そのAにたいして「それってちょっと違くないすか?」っていわれれば「じゃあ代案どうぞ」ってそりゃ言うわ。