はてなキーワード: 准教授とは
今話題の人のあれ。
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/news/2019112411004
“特定短時間勤務有期雇用教職員(特任准教授)” について。「特定短時間勤務有期雇用教職員」は単に上位カテゴリで、その中に特任教授とか特任准教授とか特任研究員とかがある。
短時間だから非常勤で、特任だから任期つき。寄附講座の所属だから寄附講座の設置期間が任期になっているだろう。給料は勤務形態(たぶん週何回とか月何回とかなのではないか)によるが、まあ知れた額だ。テニュアの准教授だってあれなんだから、非常勤ならもっと低い。
ただし最近ちょくちょく話題になる「非常勤講師」とは全く違うので注意。あちらは東京大学ではやっと最近雇用契約になったという扱いだが、こちらは曲がりなりにももともと雇用契約だった。
「特任教授」「特任准教授」を常勤非常勤の別なく用いているのがあまりよくないのと、「特任」が結構かっこよく見える言葉なのがこういう人にとっては都合がいい、という問題があるかな。
サーバしょぼいぞ、については、ドメイン見てもらえればわかる通りこれ情報学環のサーバなんで。弱小大学院のサーバなんてこんなもんじゃないですかね……。
日本の大学、特に文系の学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系の学者達は自分たちの存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系の研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系の先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。
だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端の研究は専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン。一般・特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系の研究も基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。
本題に入ろう。最近、1つの書評論文が東大の言語学研究室発行の紀要に出た。
田中太一「日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型論原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313
https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2
著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学科 准教授の中野研一郎先生。
普通、書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後にちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評も酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンのフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。
一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である「博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大な論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分のオリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間の知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。
そして博士論文の原稿は、3~5人の審査委員が審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学の教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文を大学に提出していいかを審査する二次審査、最後に論文が完成し、大学に提出された後、博士の学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。
ミサト:おめでとう!
アスカ:おめでとう!
レイ:おめでとう。
研究者人生のフィナーレではないが、1つのピークである。こうやって研究者の能力にお墨付きを与えるのが大学の存在意義の大きな一部分だ。
要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ。日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本の大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校の先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学の准教授になったようだ。周知の通り、大学の終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。
博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学の博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学の博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学に就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生の師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型論原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本を代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生は2014年度に京大を定年退官して、2015年度からは中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文の審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査の主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。
さて、超大物お墨付きの博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからないからパス。3節「日本語に存在しないとされるもの」から見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分からの引用がある。
「日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリが妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである「日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。
(『認知言語類型論原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)
昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋『日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579
主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型論原理』は、ミニマリストの断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞/他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。
これは熊倉千之氏の「音象徴」理論に基づいているそうで、熊倉氏は、
膠着語にかんして、「イメージとイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。
とのこと。
近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性の原理を否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣の名前は、音と意味の関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴は基本的にオノマトペ(擬音語・擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかもあくまで傾向性。言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、
「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。
知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、
「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)
と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴は
「日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)
この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである。同音異義語の存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)
確かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、
「日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味・機能も通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本語 やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)
と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信と関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。
そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生や熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、
1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学、サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年に帰国後、東京家政学院大学教授、1999年金城学院大学教授。2007年退職。
という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学。言語について言語学界とは関係なく自由に思索・著述をしている人のようだ。そういう独自の言語論を唱える文学や思想の研究者はよくいるけど、普通の言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型論原理』もその類の本だったなら、東大で言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大の言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ。
他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。
ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的に文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ、英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!
ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後の激辛書評論文を大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型論原理』は、博士論文の審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!
もう終わりにしよう。書評の批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員の指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版社からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文の審査結果の要旨とほとんど同じ。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf
本論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式・文法カテゴリが創発する根源的理由の説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 79 | 9569 | 121.1 | 32 |
01 | 78 | 7305 | 93.7 | 47.5 |
02 | 6 | 331 | 55.2 | 51.5 |
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1日 | 2581 | 235461 | 91.2 | 37 |
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6776544(3563)
にわか仕立ての濫造本のひとつ。中途半端な知識と中途半端な調査、それで不足する部分は妄想と願望で補って、何とか一冊にしたと評するしかない。
東大とか、最年少とか、AIとか。そういうもので煽っても、中身がこれではどうにもならない。
いや、寄付講座付きの特任准教授だから、何としても成果なるものが欲しかったのでしょう。でも、これじゃあ、逆効果。一般向けの新書だからと言って、手を抜いて良いわけがない。
検索すると、著者の出身研究室である松尾研の業績一覧では影が薄いようで。Wikipediaの著者の研究に関する部分も編集合戦ぽくなっているし(東大学内と思われるIPから必死に大澤氏を擁護するような編集をするとか、普通に考えてご本人か関係者でしょう)。著者自身が自らを大きく見せるために必死なんだろうと思うと、東大教員なら一部の目立ちたがりを除いて断るであろう著者自身の近影を表紙にするなんて恥ずかしい振る舞いも何だか理解出来るというもの。
大澤昇平 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%BE%A4%E6%98%87%E5%B9%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%A4%A7%E6%BE%A4%E6%98%87%E5%B9%B3
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E6%BE%A4%E6%98%87%E5%B9%B3&action=history
130.69.198.191はWikipediaの各種ページで大澤昇平に関する編集を何度かしていて、153.127.203.75が東大松尾研究室の松尾豊氏であると主張している
153.127.203.75は「第三者を装って自分を大きく見せたいという気持ちはわかりますが、真っ当に研究されてはいかがでしょうか」と書いており、130.69.198.191が大澤昇平本人であると主張している
お互いに全く無関係の人間を関係者と誤解をしているだけなのか、それとも本当に関係者同士が編集合戦をしているのか、どっちなんだろう
因みに60.125.48.246によると、松尾氏は松尾研ウェブページのOBから出版に合わせて大澤先生の名前を消してるらしい
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 38 | 7147 | 188.1 | 28.5 |
01 | 35 | 4023 | 114.9 | 63 |
02 | 24 | 2377 | 99.0 | 81.5 |
03 | 41 | 2791 | 68.1 | 24 |
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08 | 67 | 5046 | 75.3 | 38 |
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1日 | 2474 | 238958 | 96.6 | 38 |
特任准教授(7), 篠崎愛(9), ロボット三原則(5), 大判(7), 初公判(6), 資料集(4), トッポ(4), プリッツ(3), ジェットストリームアタック(3), 11月10日(3), SEED(8), 勝間(6), 書店(22), 低能先生(43), ゾーニング(37), 表紙(29), 本屋(24), エロ本(20), BL(48), 腐女子(61), 撤去(12), コーナー(18), 棚(15), 化粧(25), 雑誌(27), 荒らし(20), コンビニ(35), ホモ(14), イラスト(15), エロ(40), 界隈(20)
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研究費出るってことは授業だけじゃないってこと
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%A4%A7%E6%BE%A4%E6%98%87%E5%B9%B3
東大に寄付講座することで特任准教授という肩書を得、Twitter Bioでは准教授とだけ書いて経歴を盛る
「アカデミアの内部的には、特任准教授を准教授というのは完全に経歴詐称です」
Wikipediaでは自身を宣伝する記事を精力的に書く。もしくは身近な人に書かせている
大澤昇平くん・・・
"資金循環 ゆがみ拡大 借金、政府に偏在 日米欧企業カネ余り-チャートは語る"日本経済新聞2019年11月10日
"ピーターソン国際経済研究所のオリビエ・ブランシャール氏は金利が成長率より低い現状では財政赤字の許容度が高まると説いた。"
"上智大学の中里透准教授は「経済低迷を放置すればデフレに陥る。経済政策として財政健全化は選択しにくい」"
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO5185015006112019MM8000?disablepcview
なぜお金があまると、貯蓄が過剰だと財政健全化できないんでしょう?
Ys = Yd, Y = C + I + G + NX という等式からスタートします。
前者は生産、分配(所得)、支出面からみたGDPの三面等価より総供給Ys=総需要Yd、後者はYが所得、Cが消費、Iが投資、Gが政府支出、NXがX-M、経常収支でプラスなら黒字です。これはマクロ経済学の基本なので、分からない人は教科書などで確認しておきましょう。
Y - C - I = G + NX
左辺はY、つまりその期間に生産された財・サービスから消費と投資(いずれも家計がする場合、企業がする場合があります)を除いたものですから民間部門の貯蓄です。つまり民間部門の貯蓄は政府支出と経常収支の黒字の合計に等しいということです。
もちろん消費も投資も政府支出も、異なる経済主体が独自の判断ですることなので、当期に直ちに等しくなるとは限りません。事後的に等しくなる方向で経済が動くという意味です。Ys > Yd 、つまり供給過多で生産された物・サービスから売れ残りが生じても、長期間でみれば価格調整メカニズムが働いて、Ys = Yd となるのかも知れません(この考え方を"セイの法則"といいます。)。しかしながら短期間で観察すると価格調整メカニズムが働くといっても限度があります。売れ残りが生じるとなると、企業は次年度はむしろ生産する数量を減らすでしょう。つまり、少なくとも短期間でみると需要が供給を規定しているのです(この考え方を"有効需要の原理"といいます。これはケインズの発見とされています。)。
では民間貯蓄が過剰な場合に経済を縮小しないで左辺と右辺を均衡させるにはどうしたらいいでしょう?
まずIを大きくする、つまり投資を増やす方法があります。全体としてのIは利子率rの関数とされているので(これを"投資関数"といいます。)、貨幣供給を増やして金利を下げることです。ただし利子率が10%もあればいいのですが、下げて下げてゼロかゼロ近辺に達した場合は、これより下には下げられないか、下げられたとしても(注1)Iを増やす効果は限定的です(この状態を「ゼロ金利制約」「流動性の罠」といいます。)(注2)。そもそも過剰貯蓄とは本来は資金不足で、つまりお金を借りて商売をしていた企業が資金余剰に転じたから生じた現象で(家計はもともと資金余剰です。)、企業が資金余剰というのはお金の借り手がいないということですから、そういう現象が生じた時点で利子率はかなり低いのです。
次にNXを増やす方法があります。ただ、この方法は他国との軋轢の原因になるうえ、貿易黒字は通貨高を招き国際競争力の低下を来たすので、ドイツのように特殊な国際環境でもない限り増やすといっても限度があります(注3)。
残った方法はCを増やす、つまり減税か、Gを増やす、つまり政府支出の拡大です。いずれも財政状況は悪化します。中里准教授が「経済政策として財政健全化は選択しにくい」というのはこのようなメカニズムを指しています。いくらお金があっても誰かが使わないと所得は産まれないのです。
財政健全化というのはマクロ経済的にいうと貧しくなれというのと同義です。もちろん少子高齢化ならやむをえないとか、むしろ経済成長にとらわれない里山資本主義でいくのだ、というのもひとつの生き方、選択だと思いますが、それならそれで正直にそういうべきで、財政健全化したらみんなが安心して豊かになってという説明はどうかと思います。
(注1) 銀行間の借入れ金利に働きかけることにより銀行が家計や企業に貸す出す貸出金利を間接的に下げる「伝統的な金融政策」に対して、ゼロ近辺に達したインターバンクレートからターゲットを変えて、ターム・プレミアムとリスク・プレミアムによってそれより高く設定されている長期金利を下げることを狙うのが、いわゆる「非伝統的な金融政策」です。貸出金利の指標商品である長期国債を大量に購入する、MBSやETFなどのリスク資産を購入してリスク・プレミアムを下げる、インフレ目標と金融政策の先行きを示して期待インフレ率を上げる、などの方法があります。
(注2) 近時、低すぎる利子率は弊害を産む可能性があることが指摘されています。"金融政策はこれからもマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるのか サマーズとクルーグマンのツイートより"、ラリー・サマーズのいくつかのツイートを参照。https://anond.hatelabo.jp/20190824134241
(注3) ドイツの事情についてはマーティン・ウルフ「日本化しないドイツの幸運」フィナンシャル・タイムズ、日本経済新聞2019年11月1日がよくまとまっています。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO51634760R31C19A0TCR000/
"れいわ新選組と立憲民主党 どちらが正しいか (自民党とどちらが正しいかも追記しました) "
https://anond.hatelabo.jp/20190622204530
"金融政策はこれからもマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるのか サマーズとクルーグマンのツイートより"
理解困難
東京女子大学 現代教養学部人文学科歴史文化専攻 柳原 伸洋(伸井太一)准教授はツイッターで
学生の皆さんへ>まとめ主の方の色づけ方や「」の使い方に注意して「まとめ方」を分析してみましょう。(続)>saebou先生の反倫理的な「すごく高い倫理」と献血における倫理/安全性:「宇崎ちゃん」献血ポスター③ - Togetter
(承前)例えば、saebouさんは最初に文末を「思う」で書いていて、そして「決まっている最低レベルの倫理以上のものを要求することに何か問題がありますか?」と語っています。このまとめ主の方のように自分の土俵に留まり、それに引き込みながら人を非難する人がいることも知っておきましょう。
と学生に呼び掛けています。大学受験先を選ぶときに先生の分析力を直接知ることができるのは、素敵ですね。
医療広告分野での倫理的基準がコミックとのコラボだから緩くなるとかいうようなことはありません。
詭弁ですね。血液を集めて輸血を行うのは医療にかかわるプロセスです。
まとめ主
(献血者募集は医療ではない)
医療広告というのは、法的な定義のある用語です。
献血募集の広告について、まとめ主は法的な定義という根拠に基づき、医療広告にあたらないと主張しています。一方、北村紗衣氏は、それを詭弁としている。つまり、医療にかかわるプロセスに関する広告であればすべて医療広告だと主張していますが、根拠が不明で、北村紗衣氏の独自見解です。(北村紗衣氏は「日赤の広告が法的に医療広告でないとして、」と後でツイートしていて、「法的には違うが、XXの点から医療広告と呼ぶことは適切だ」といった主張のフォローをしていないので、無根拠の独自見解という解釈は十分可能)
「根拠の有無」と、「法的根拠(は狭いかもしれないがそれ)より独自見解の方が許容される範囲が狭い」という2点から、自分の土俵に留まり、人を非難する人は、まとめ主ではなく、北村紗衣氏だと解釈できます(相手を引き込めていないので、その部分は北村紗衣氏に該当しません)
東京女子大学 現代教養学部人文学科史学専攻 柳原伸洋(伸井太一)准教授は、どのように分析して、まとめ主の方が北村紗衣氏より自分の土俵に留まり、それに引き込みながら人を非難する人だと結論づけたのでしょうか?あと、北村紗衣氏が相手の主張を詭弁だと非難しておいて、その根拠を示さないのは、東京女子大学 柳原伸洋(伸井太一)准教授の最終学歴であるところの東京大学大学院博士課程では普通なんでしょうか?
理解できる人がいたら、教えてください。
大学院の指導教員のゼミ指導があんまりにもずさんで,ほとほと困っている.
代わりに各指導教員はなんかしら専門知識を身に着けている(ということになっている).
で,うちの教員の場合それが「アンケート設計」と「統計処理」なんだけど,
アンケートの設計も統計処理もその解釈も,まー適当なんだよね.
「地球では1901-2010年の約100年の間に19cm海面が上昇しました.これは地球温暖化が原因です.これを踏まえてあなたは,レジ袋を貰わずにマイバッグで買い物しようと思いますか?」
「タバコの副流煙には、主流煙よりもずっと多くの有害物質が含まれています.これを踏まえて,あなたは分煙に協力しようと思いますか?」
みたいな聞き方を平気でする.
重回帰分析ひとつ取っても標準化係数とその有意確率しか見ない.
決定係数がどんなに低くても気にも留めない.
決定係数が負の分析結果を掲載した論文が査読通っちゃったところなんかも見た.
分散分析なんかも頻繁にやるのにゼミ中"交互作用"って言葉を一度も聞いたことがない.
「ニューラルネットワークは分析の仕組みがブラックボックスだから信用できないんですよね」だって?いやいやあんたt検定の仕組みも説明できないんじゃないんですか?
「アンケートの打ち込み終わったなら,○○分析と××分析と△△分析,全部1日で終わりますね」?そりゃ多重共線性のケアとか決定係数とか気にしないあんたの適当な回帰分析なら1日で終わるでしょうけど?
「良い結果出ましたね!」とか抜かしたりする始末.
その教員とはB4からの付き合いで,最初は指導内容に違和感なかったんだけど
他所の研究室の話とか,真面目にデータマイニングやってる先生の話とか聞いて,
最近になって自分のところの研究をちっとも信用できなくなってしまった.
こんな教員でも「結果」さえ残してしまえば出世できてしまうのが研究職というものらしく,
去年,准教授から教授に昇進している.今まさにノっている教授,というわけである.こちらとしては非常に面白くない.
あの人が学術的にやっていることといえば,ゼミで学生が「作り出した」相関を世に公表していることくらいなのに.
そんなこんなでこの人の下で研究なんてまっぴらごめんなんだけど,
大学院最初からやり直すのも,こんな理由で1年分納めた学費がおじゃんになるのは嫌だし,
かといって思い切って退学してしまうのも将来性がなさすぎる.
今の状態を鬱というには甘えだろうか…
しばらく研究室に行けてない、行きたくなく家に閉じこもってかれこれ2週間経ち、空腹を抑えるだけの無気力な生活が続いている
こうなったのにも原因があるのだが客観的に見た自分の状況を知りたくて今に至るまでを対話形式で書いてみた。
3月
4月
教授「お前は俺の下につけ」
ボク「わかりました!テーマなど貰えるのでしょうか?」
ボク「え、これって液晶じゃないんじゃ…」
この時から教授の押しの強さや先輩方の研究に対する意欲の低さに違和感を覚えていた。
5月
ボク「展望など教えていただけないでしょうか?研究の参考にしたいもので」
教授「お前は先の事ばかり考えすぎた、今言われていることをやれ」
この時から外部も視野に入れ行動、ちょうど同じレベルぐらいの他大学に液晶の研究をしていらっしゃる有名な先生を見つけ訪問、とてもホワイトで自由な研究室であることや研究室の学生の意欲の高さに感動する。
6月
教授「そろそろ大学院推薦願書の締めだが君の分が届いていないようだが?」
ボク「他大学も視野に入れているので一般受験で受けようと考えています」
この研究室がやばかった時の保険&訪問先の研究室への魅力から、受験までの間のこの研究室の様子を見て進路を決めようと決意
推薦進学すると他大学の受験が実質不可能になるので教授にはこの段階でばれる
7月
ボク「あの、この合成が終わったのですが次はどうしましょう?」
教授「好きにやれといったはずだ、テーマから何から1から自分で決めろよ、俺に頼るな忙しいんだ」
この時点でヤバいと思った。研究のテーマを自分で見つけて実行するなんて普通なら優秀なM2(大学院2年生)かD1(M2のさらに上の1年生)からの仕事だと後で准教授から聞いた。この時点で漠然とした気持ちから研究に身が入らなくなり、院試勉強に精を注いだ。
8月
9月前半
教授「お前院試も終わったんだからそろそろテーマ決めろよ、そのために学会の話もってきたからさ笑」
ボク「院試期間研究はしなかったので急に言われても厳しいです…ちなみにエントリー期限は…?」
教授「3日後だ。オレのメンツもかかってんだから絶対に出ろよ。ちなみにエントリーにはテーマ必要だから笑」
結局、3日間で死に物狂いで調べて考えてを繰り返したものの素人が考え付くアイデアなんて殆どその道の専門家にやりつくされているものばかりで、院試前にもしもの為に考えていたかなり無謀なテーマで提出した。
9月後半
教授「この装置使っちゃダメ、うちでは400℃までしか使ってないから」
ボク「念のため説明書を調べたのですが1100℃まで可能なようです。ボクの使う温度は700℃なのでやらせていただけないでしょうか?」
教授「お前リスク考えろよ、こんな意味のない研究の為に装置ぶっ壊すリスク負うつもりかよ?」
議論の中心となるデータを得るための測定がわけのわからない理由でつぶされ、学会に出すためのデータが1つに絞られてしまう。
10月
ボク「あの測定装置が使えない現状で今のテーマに沿った研究は厳しいです…」
教授「じゃあ仕方ないから提出したテーマに沿った別の研究考えて」
提出したテーマは広義の語句(機能改善といった類の語)を多く含むものだったのでまだ切り替えが効いた。
ボク「テーマと計画を考えました。試薬を発注すれば何とか結果がでるかもしれません」
教授「でるかもじゃダメだろ、出さないと試薬発注の意味がないだろ?来年はもういないお前の為に試薬発注なんてしてたら研究室に手つかずの試薬が増えるだけだろ?」
結局、自分が使おうとしている装置は誤差がひどく、±3程度の誤差が出てしまっていました。これでは結局発注してもその誤差が原因で信頼できるデータではなくなってしまうためこの計画も没になりました。
最後の覚悟で教授に研究相談をしに行きましたが、まあわかっていたことですがまともに取り合ってもらえませんでした。何をやっても否定されるこの状況が自分には耐えきれず、研究室に通う事すら難しくなっていき、結局連続で休みを頂いて2週間目になってしまいました。
まさか大学院を外部にするというだけでここまでの仕打ちを受けるとは夢にも思いませんでした。そして家から出る気力も最近はなくなり引きこもっています。これっていわゆるアカハラなんですかね…
「過度に性的」指摘で賛否呼ぶ日赤献血ポスター、臨床心理士「“環境型セクハラ”には当たらない」
https://times.abema.tv/posts/7024879
これを見ても多分オタク方面以外からもフェミ非難が増えているんだろうなと思ったりする。
日本の例の弁護士に限らず、アメリカの元ネタの外人に対しても多数の批判がきて、どっちも元ツイート削除した経緯があるのだしね。