はてなキーワード: 一般社会とは
ここ数日例の文科省官僚のツイートに端を発した議論が続いている。今良く目につくのが池内恵のツイートで、「官僚に理解してもらっていない研究者が悪い」的な意見を批判して回っている。これについては反論も絶えないが、池内は完全に正しい。
池内が論破?したツイートの一つに「うちは官僚に物理の楽しさを知ってもらっている」から予算が十分にある、なんてのがあるが馬鹿じゃねーのかとしか思えない。官僚が面白かったから予算出るのかよ。アホかと。研究者が研究の実用化だとか一般社会への説明責任を果たすのは当然だろうけど、役人の私情に訴えかけるのは違うだろう。
研究者の感覚は時代遅れだと言いたがるやついるけど、そもそもな、有力者の機嫌をとって不透明な過程で予算をつける昭和の自民党的やり方は(現実どこまで無くせてるかはさておき)良くないってのがここ20年くらいの全国民的合意じゃないの?
そういう自制をもたず、有力者に「自分の研究の価値を理解してもらう」ことのうまい研究者として例えばアンジェスで有名な森下竜一教授がいる。彼は一見風采が上がらず、株クラなどから馬鹿にされまくっているが実のところ武蔵高→阪大医→スタンフォード大という難関をクリアしている知的エリートである。彼の如き頭脳であれば高々東大法以下の官僚・政治家に「ご説明」することは造作もないのだろう。その結果アンジェスは75億の補助金をゲットしたが、株クラ医クラが当初から千度言ってたようにワクチン開発は頓挫し、終了した。そういうわけで彼は一部から白眼視されているが、今も大阪万博プロデューサーとして活躍している。まあ彼は法に触れることは(おそらく)何一つやっていないのだから当然であろう。
ここから先はかなり失礼な話になるが、何が彼をそうさせたかというと、一つには容貌があると思う。彼が関西弁でいうところのシュッとした、山中伸弥のような外見ならば、正論を堂々と世に問うことで支持を求めたのではないかと想像する。例えるなら外見と体格に恵まれなかった木下藤吉郎が、人たらしとして世に出る道を選んだ如く、である。(そう考えると森下はある種今太閤みたいなものかもしれない)
一方で堂々と自らマラソンに出てまで世論に訴えかけた山中教授がどうなったかというと、不倫で週刊誌を賑わした官僚の不興をかって、恫喝のあげく資金を打ち切られた、というニュースところは諸兄の記憶に新しいところであろう。さて、森下と山中どちらが学術を進歩させただろうか?どちらが日本のためになることをしただろうか?そう考えるとやはり池内恵は正しいのである。
一般社会の半分ぐらいはこんなもんやぞ
入ってすぐの奴らに銃撃たせるなーゆうのは正解やと思うわ。
まあここに居ても未来ない癖に潰し効かんなーで辞めたくち。
口が悪いっつ―か「こういう喋り方したら相手の神経逆撫でするだけだよな―」って普通は飲み込むような表現平気で使うんな。
特に年食ってる癖に曹長にも准尉にもならんで1曹2曹で楽しよ企んどる奴らがほんま常識ないんよ。
あーまー年食って3曹続けてる奴らは論外なんで。
意図的に出世嫌がってるような奴らだいたい世の中舐め取るかんな。
いい年こいて正社員断り続けてる飲食バイトみたいな精神性の連中や。
あー話逸れたし一回行開けるで。
自衛官なー、アイツラなー「とりあえず罵倒しておけば相手は言う事聞く」みたいなノリやねん。
実際には「指導しなきゃいけないのは頭でわかってるけど、どういう指示出せばいいのかさっと思いつかんから、とりあえず『注意だけは頑張ってしましたよ』っていう言質作りのためにひとまず強い言葉使っとけ」って感じやね。
マジクソー。
本気で指導したいんじゃなくて単に「僕は頑張って指導したんだけどな―」って言い訳作っときたいだけ―。
マジクソー。
マジ舐めとんよな。
そんな「僕は注意したんだけどな―」が通るのなんて一般社会じゃせいぜい高校の委員会までちゃう?
インカレでそんなんやったら「なんやコイツ……こんなこすっからいカスやったんか……」でムラハチされるよな。
地元の高校に会ったやろ中学校で世界止まった奴らを収容してる高校とは名ばかりの中学4~6年生が通ってるガッコ。
あれなーあれの延長で中学40年生やってる奴らがいる世界なー。
本気で問題解決したいんやなくて単に「僕ちゃんセンセーに怒られたくないよぉ」で終わりなんよなアイツら。
マジでアイツら二言目には「怒られるのは私なんですよ」言うかんな。
「書類がちゃんとしてないとあとで問題が起きるので」やないんよ自衛隊の世界は。
「偉い人に怒られたくないから言われたことは守らなきゃ」なんだよ。
マジか?
パパママ先生ガミガミおじさんが神様の世界から卒業しないままアラサーアラフォーアラフィフやっとんか?
マジビビルやろ。
「これやっとくと怒られないらしいな」っていう虫ケラの条件反射、エターナル・パブロフ・ドッグスやからな。
んでまあそんな奴らにありがたーいご指導ご鞭撻を頂く期間が自衛隊にはあってな、その時はマジで理不尽よ。
何が理不尽って「理不尽への耐久力を高める」というお題目の元テッキトーに罵詈雑言飛ばしてるだけの指導と言う名のシゴキという名のごっこのおべんちゃらの茶番のイビリを延々受けることやね。
これで何が学べるって「あー自衛官の言語能力ってカスやなー」っていうことだけよほんま。
言う事コロコロ変わるの当たり前やけど半分ぐらいは伝言ゲーム下手くそすぎるのが原因なのに「どうだ!これが理不尽だ!ガッハッハッ!」だからな。
授業中に先生の書き間違い指摘して「試したんだよ」って返ってくる定番のボケあるやろ?
あれ延々聞かされるんよしかも逆ギレ気味に毎日毎日んでもってずーっと正当化されるんだわ。
ムカツくでアレわ~~~。
まあこれも社会勉強やなーってもう途中から完全に辞めるつもりやったから耐えられたけど、あれ本気で相手してたら脳みそバグるで。
そんな日頃「理不尽の訓練!」って右向け左言い続けてる奴ら相手してたらそりゃまあ真面目くんは本当にムカつくやろね。
いやマジで思い出したら腹たってきたな~。
お前、そんな態度で人に接したらそのうち撃たれるぞ、って奴らめっちゃ多かったな。
まともな人もおるで?
でもクズも沢山おるねん。
いや本当クズの巻き添え食った人はご愁傷様。
いい加減クビのシステム入れたほうがええで。
40歳ぐらいの「もう僕クビとかないから好き放題だな~~~」って調子乗っ取る奴らマジで人間として終わってるからな。
アレの相手させられる他の隊員が可愛そうやわ。
1年するとまあ慣れるんよ。
慣れちゃいかんのでワシは辞めた。
どんだけメンタルガキンチョならあそこに骨埋める気になるんやろな。
それとも学校の先生やりたいけど教員免許取れんかった人や保母さんやりたかった人がやるんかね。
小学校の頃が一番楽しかったーって連中には楽園やと思うわマジで。
自分で考えんでええかんな。
サッカーの強豪校で監督が生徒をビンタ一発で辞任に追い込まれたんだけど、
それに対して「愛情のあるビンタは不問にするくらいの柔軟性がほしい」みたいな意見が普通に出る。
部下だろうがなんだろうが頬を引っ叩くことってそうあるか?
俺も一応部下持ちで、上からは数字をせっつかれてる立場なんよ。
何なら俺だってクソやらかして云百万の仕事飛ばしたこともあるけど
それでも社会に出てから一回も暴力振ったことも振るわれたこともないぞ。
これがさ、学生同士の諍いで相手殴っちゃいましたとかならわかるんだよね。
まだまだガキんちょの精神的に未熟なもの同士が揃ったらそりゃ暴力に出ることもあるかもしんねぇ。
でも、教師はそうじゃないでしょ。
お前らもう十分に大人だし、今回殴った監督も何十年もその仕事やってる。
もちろん、俺だって「クッソ、こいつ殴りてぇ!」って思うことはある。
みんなそうだからこういう時に「よくやった」みたいなことを思ってしまうんだろうというのも理解できる。
でも結局のところみんな「思っても我慢できる、我慢してる」わけじゃん。
なーんでいざ話が学校教育の現場にいったら「言ってわかんねぇなら暴力止む無し」になっちゃうんだろう。
はっきり言って異常だよ。
フェミニストにも様々な考え方があるように、表現の自由戦士の考え方も一つではなく、表現の自由が公共の福祉によって制限されることを認めない原理主義的な表自戦士は表自を代表しているとは言えない。表自を自称はあえてしていないが、考え方は表自に近いので反論しておく。
まず、判決文の原文 (https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/271/051271_hanrei.pdf)を読んだがこの判決については特に異存がない。
事件概要なんかは載せてくれているしわかりやすくまとめっているので割愛する。ここでは増田が書いていない社会通念部分について判例を要約する
つまり、刑法175条における猥褻は社会通念で決まり、裁判所が決める社会通念に基づいて判断した結果が判例として基準となる。
明示とは言えないが、ある程度境界線の場所は見えていて共通認識を持てている。それこそが社会通念と言える。
問題は、その線からはるかに離れた独りよがりの社会通念を振りかざして排除しようとするフェミの姿勢である。
6月23,24日に県営施設であるしらこばと水上公園において「水着撮影会」が行われます。入場料は1万円から3万6千円と高額なもので、過去のイベントの動画をみると水着姿の女性がわいせつなポーズやわいせつなしぐさで映っており、明らかに「性の商品化」を目的とした興業です。
猥褻の基準を刑法175条の過去の判例とすれば該当しないのは明らかである。陰部を露出していないどころか乳首すら出していない。もしこれをもって猥褻とするのであればオヤジ雑誌の袋閉じどころかヤングジャンプの発行責任者ですら逮捕されているだろう。もちろん、刑法175条における判断基準は出版物に対するものなのでイベントに適用されるものではないが、イベントを中止に追い込むのであれば、同様な根拠(我々の観念こそが社会通念であるという証拠)を法令と類似事例の判例で示す責任が中止を求める側に存在する。
とあるが、裁判所がいうように判断の基礎は一般社会において行われている良識または社会通念として存在している。そこから逸脱した社会通念とは違う別の何かを持って中止に追い込もうとする輩に対して基準を示せというのはごくごく当たり前の主張と言えるのである。
追記:
未成年者への性的搾取の禁止やわいせつ行為の禁止は左翼の胸先三寸ではなく一般社会的な常識では?
更に今回はルール違反の事例が過去にあった事を理由にしての中止でしょ?
他の趣向が異なるイベントへの影響があるとは思えないけど
幾らあなた方が大嫌いな共産党を叩きたいからって未成年者を使った児ポまがいのイベントまでアクロバティック擁護するのは普通にありえない
大前提として、未成年者に対する性的搾取、これはもう絶対にNGなわけであります
だと言うのにTwitterじゃ擁護派がデマや陰謀論まで出してきてアクロバティック擁護、もうエコチェン化で一般社会的な視点が欠如していますよ
報道でも分かる通り、今回の件は主催者側のルール違反がそもそもの原因
それで被害者面して中止を決めた方々を叩いている方々はお門違いにも程がある、非常にしつこい
圧力だ圧力だと言いますが、ルール違反をしておいて処罰されると徒党を組んで暴言を吐くあなた方こそ、いわばまさに圧力を行使している側ではないでしょうか
一昨年の記事だけど
入管当局は不法就労などで国内に残留する外国人を摘発し、退去処分後に出国するまで原則、施設に収容している。年約1万人は処分に応じて出国するが、本人が拒否したり、本国が送還に応じなかったりする外国人は昨年末時点で約3100人に上る。うち約2440人は収容施設から「仮放免」され一般社会で生活するが、別の約420人は仮放免後に逃亡し手配されている。
約3100人のうち日本の刑事裁判で有罪判決を受けたのは約1千人。そのうち約730人が仮放免中で別の約100人は仮放免後に逃走した。複数の罪に問われたケースも含め、罪種別で最多は薬物関係法令違反で約630件。次に入管難民法違反約420件、窃盗・詐欺が約290件と続く。強盗約60件や性犯罪約30件、未遂を含む殺人約10件と重大犯罪も含まれる。
この約1千人のうち約470人は難民認定を申請している。現行法では審査中は本国へ送還できない「送還停止効」があり、申請回数に上限がない。認定の見込みがないのに申請を繰り返す悪用も疑われる。
治安に悪影響を及ぼす事例も起きた。警視庁目白署が今月12日に強制性交等容疑でパキスタン人の50代の男を逮捕したと発表。容疑は東京都豊島区で20代女性に声をかけ、近くの公園のトイレで性的暴行を加えたとされる。この男は過去にも性犯罪の前科があり入管当局から退去処分後、仮放免中に犯行に及んだことが判明。難民認定も申請していた。
ちょっとスカートの短い女の子のイラストのポスターにすら批判的なリベラルが、性犯罪者34人を追い払わず日本にとどめるべきだと主張するのが俺には謎
一応断っておくが、本稿は岡田索雲によるwebアクション掲載『アンチマン』( https://comic-action.com/episode/4856001361287348513 )のネタバレ論評である。ネタバレが嫌な人は先のリンクから漫画を読んでからお進みください。
父親を介護しながら食品会社に勤務する溝口。彼は、日常で蓄積した鬱憤を“ある方法”で発散していた……。『ようきなやつら』の岡田索雲が描く、アンチの哀歌。
公式のこの紹介文のなかの“ある方法”がダブルクオーテーションで括ってあるのは、それが妄想である事の示唆となっている。その妄想と現実の境界線をどこに引くか、実はそれは本作においてあまり重要ではない。溝口のポジションが少し変わるだけだからだ。
だが、一応妄想と現実の区別を付けておこう。妄想の範囲を広く取りすぎると発散してしまうので、できる限り狭くとる方向でいく。
1回目ヘルパー、2回目同僚田山への描写が妄想である事に異論はそうないはずだ。実際に手を出すまでのマッサージ依頼や、ジャスティスブレードマグカップの部分を妄想に含めるか否かは本稿ではあまり問題にならない。個人的な感想としては、田山がジャスティスブレード好きと言うのは都合が良すぎるように思えるので、妄想だと思う。
こちらははてブ内では結構割れているようだが、どちらともとれるよう曖昧な描写に留めているようにみえる。それでも、スマホ破壊率100%やウキウキでぶつかり3連発があまり現実的描写には思えない事と、本稿の前提である「溝口に同情的に」という前提のもと、妄想であるという前提で進めていく。その方が溝口の悪質性が弱まるからだ。
この場合も、1回目の妄想対象を見つけて横目で追いかけるコマまでは妄想ではないとする。漫画では描かれていないが、対象を決めて尾行を実際に行いながらぶつかり妄想をしたとしておく。3回目で、ぶつかりターゲットのストーキング中に田山を見つけ、尾行対象を変更しているからだ。
こちらもそこそこ割れているように見えるが、正直どちらでも良い。レスバトルに完全勝利していない事から、紹介文での「鬱憤解消」には当たらない。なので、現実であってもおかしくはない。しかし、特にここが溝口の感情読み解きにかかわる事はないので、好きな方を採用してほしい。2回とも父親のうなり声で中断される所が、目覚ましで中断される強姦妄想と似ているな、とは思う。
同僚、結果的に通り魔から庇った女性、母親の3組が溝口の見舞に来るが、こちらもレスバトルと同様、溝口の感情読み解きにはかかわらないので、好きな方を採用してほしい。
まず、溝口の心に一番重くのしかかっているのが、幼少期に自分を連れずに去って行った母親である事に異論はそうないだろう。
それを埋める代償行動として、溝口は女性嫌悪、ミソジニーに嵌ってしまう。これが如実に表れるのが、2回目のレスバトルでの「女は戦えないから逃げる」(女性ヘルパーも入るかもしれない)、そして直後父親に言い放った「あんたがあの女殴って愛想つかされなかったら」というセリフのなかの「あの女」だ。「母さん」や「母親」じゃなくて「あの女」と呼んだ所にミソジニーの染みつき方が垣間見える。
母親への執着は、父親の葬式後、戸口の方を眺めるコマでも強調される。来るはずのない(恐らく連絡もしていない、そもそも知らないかも)母親を期待する視線だ。
2回目の会議後、「繊細さは女性ならではのものじゃない」という発言にお礼を言われて溝口は浮かれる。ただ、これは田山をフォローしようという意図はなく、直後に描写されるように、自分が父親の介護をしていたり、ジェンダーロールの押し付けをつらいと思っているから出てきた言葉だ。だからお礼を言われても第一声が「へ?」となる。
溝口の目に目にハイライトが2つ入るのは全編で2回あるがその内の1回が本件である。なお、お礼を言われた直後は何のことかわかっていない様子で、その後も本当に分かったのかは不明瞭だが、「溝口に同情的に」ルールで、分かったという事にしておく。
その後スキップのような軽い足取りでぶつかり3連妄想に繋がる。上機嫌なのに何故、鬱憤発散行為であるぶつかりをするのか?という疑問が沸くが、自分はこれは妄想の習慣化と考える。電車事件の前段階だ。
溝口の目にハイライトが2つ入る2か所の2つ目が、ネットで情報を仕入れて実際にスマホで女性ジャスティスブレードを観た瞬間だ。ミソジニーを忘れた、女性主人公への純粋な好意の表れ。しかし、ネットの声ですぐにミソジニーが戻ってくる。
溝口は他人が居るスペースでは基本的にマスクをしている。自宅でもヘルパーを迎える時はマスクONだ。これは、社会的な望ましさに合わせようとする意図の表れで、やったらまずい事・言ったらまずい事を出さない様に自制している事の表れでもある。
社内会議1回目での、女性モデルの胸の強調をマスクON状態で「気にしすぎ」と言ったのも、溝口が考える社会的望ましさのラインを越えていないという事だ。
また、喫煙所ではマスクをあごに寄せて口を出し、眼鏡の同僚にあまり望ましくない「狙ってんの?あの女」などというセリフをはいてしまう。
溝口の考える社会的望ましさのラインは恐らく一般社会が考えるそれよりも低い。
まず、女性ヘルパーをジロジロと眺めて嫌がられ、男性に交代されてしまう。男性ヘルパーへ「急に変わるものなんですか?」と質問しているが、自分の行為によるものだという自覚があるか否かは特に描写されない。同情的ルールに基づいて、本稿では質問の時点で気づいた(それが出来るだけの知恵がある)ものとする。
また、この件の前には、電車内で女性を盗み見するコマがある。「見る」事が加害行為になりうる事は分かっていなかったのだ。
スマホ歩き女性へのストーキングも、毎回ターゲットを変えているから発覚・問題化しないだけで、少なくとも一般社会では褒められた行為ではない。これに溝口が気づいているかは明確ではないが、先ほどの盗み見と同様に、気づかれなければ問題ないと思っていたのだろう。
父親の死後、栄養ドリンクの空き瓶の山が、ハードワーク・オーバーワークの忙しさで気を紛らわせようとする溝口の心情がうかがえる。
父親は、母親を失う原因であり、憎む対象であってもおかしくないのだが、基本的には社会的望ましさに従ってか、無言で介護をする。
2回目のレスバトルで劣勢だった怒りに任せて本音をぶつけはするが、その後もすぐに介護を続ける。
微妙な関係性ではあれど、自分の言葉が父親を自殺に追いやった事は溝口にとってつらい事実だったんだろう。
結果、残業のしすぎで上司に「最近厳しくなってる」と残業を禁止される。そこで1回目の会議で「女性の体の強調」を問題視した田山と眼鏡に目をやり、ハイライトの無い目のコマの後、「そうやって男の仕事も奪っていくんだよなぁ…」「お前たちは…」というセリフ。これは父親死亡前までなら出さなかったセリフだ。上司も大丈夫か?と違和感を示している。
溝口はここではマスクをしている。先ほど示したとおり、本稿ではマスクを溝口の社会的望ましさへあわせる態度の象徴として考えるのだが、ここでのセリフはそれに合致しない。ここに歯車の狂いが見える。自分で自分を制御しきれなくなってきている描写なのだ。
その後、ぶつかり妄想の対象を公園でみつけた溝口は、その対象を尾行中にスマホを見ながらすれ違う田山に気づく。尾行対象を田山に変更するが、これはぶつかり妄想対象としてはないように思える。その後、田山が眼鏡と会い、2人で車に乗り込んで走り去るのを目撃する。
溝口にとってこれは不倫の現場で、喫煙所での眼鏡の「狙ってませんよ、結婚してますし」というセリフが嘘だったという認識になっているのだろう。
電車の中で、溝口はだらしなく寝込んでしまう。この際、マスクが片耳にかかっているだけの状態になり、それを両脇の女性が嫌がっているコマが挟まれる。
これは溝口本人がマスクを外そうとして外したものではないと考える。片耳は残っているので、寝ぼけて意図せず「外れて」しまったと考えることが出来る。
これは直後の事件と関係する。目の前でコケて四つん這いになった女性の尻を見て、襲い掛かってしまった事だ。マスクと同じく、これはきっと溝口は意図せずやってしまったのだ。いつもしている妄想だと思い込んで乗り掛かってしまったのだ。それを補強するためのストレスが父親の死、過労による疲労、同僚の密会だ。
意図せず女性に襲い掛かってしまった瞬間に通り魔に後頭部を刺されてしまう。
最初に確認したとおり、見舞客が妄想か否かは本稿では問題にならない。同僚達や庇った女性たちは、ただ淡々と見舞に来る様子だけが描かれ、溝口の感情が動く様子はみられないからだ。どうでもいいのだ。
だが、死の間際(飛び立つトンボ、落ちる最後の一葉、飛行機雲の3重の示唆がある)に母親が見舞に来て、手を添えられた時に溝口の目からは涙がこぼれる。結局溝口が欲していたのは母親だけだったという事だ。余りに単純すぎる解釈だと思うかもしれないが、であればこそ溝口の哀れさが際立つ。
ここからはIFの話だ。母親を失った悲しさで得たものは偽の名誉であり、それは溝口にとって何の意味も無かったことは言及した。
孤独は闇の感情を加速させる。孤独な以上、「ケア」される機会もない。ネットのレスバトルはネットで完結してしまい、その先に居る個、溝口を慮ることは無い。
割れたスマホとのレスバトルで、溝口は一端の真実を話してもいる。「(ぶつかり)被害者は女だけじゃない」「役割を押し付けられて辛いのは女だけじゃない」。ただ、それは加害の理由にはならないのだ。内心の自由はある?ただの妄想?私見では本作ではそれが現実に結びつく危険性が示唆されている。
一方で、割れたスマホから流れてくる溝口に敵対する意見にも論点ずらしやただの悪口になってるのも多い。
大前提として、レスバトルで人は考えを変えないのだ。カルトや悪徳商法に嵌った人は、ただ事実を突きつけられても意固地になって更に悪化する事がある。そこから抜け出させるためには、親身になって付き合ってあげる人が必要になってくる。近年の反ワクチン問題やカルト問題でもそういう記事をたくさん見た。
作品中には溝口が心を許せる相手は一人も出てこない。友達の影すらない。同僚とすら付き合いは希薄だ。助けが必要な人ほど助けて!と言いづらい構造もある。
朝日新聞の記事に、『「死刑囚の元同僚」ツイッターで実名発信 孤独な人の相談に乗る理由 (https://www.asahi.com/articles/ASR655CM1R65UTIL015.html)』というものがあった。
「最後にアクセルを踏むか迷った時に、頭に浮かぶ人になりたい」そうだ。溝口はアクセルを踏んだのではなく、うっかり道を踏み外したわけだが、彼に必要だったのはこういう人の存在だったんだろう。時には赤の他人の方が悩みを打ち明けやすい場合もある。チャンネルは多い方がよい。ただ、こんな重い事自分に出来る気は全くしない。
孤独による不幸を減らすために出来る事を考えてみよう。
でたらめにもほどがある。
創作物である以上、本当に「必要な戦い」は認めるしかない。この点が憲法9条や非武装主義を掲げる日本のリベラルとは相性が悪い
闘争を否定しないとネトウヨならば(ルフィのやってることは戦争ではない)、「三里塚闘争」「辺野古基地闘争」をしている人たちはネトウヨなのだろうか。
それにワンピースもガンダムも「国家」や「権力」を全く信用のできないものとして描いているんだが、なぜそこに触れないのか。
ガンダムのニュータイプ表現なんて当時の欧米のインテリリベラル層に流行したスピリチュアル思想の改変だろ。
あとワンピースは反権力反政府なのに反感を抱く左派がいるが、彼らはインテリの嫌う「任侠的な空気」に反発しているのであって、
「リベラル」がインテリ好みの世界観でない=右翼的と決めつける癖がある(そうして庶民を振り落とす)証拠でしかない。
エヴァが流行った90年代にもオタク層は反権力やリベラルの方にややシンパシーを感じる者が多かった。
宮崎事件でオタク叩きが激しかったから、一般社会に怨念を持つものが多くいた。権力による表現規制も含めて。
このあたりの流れが00年代以降に反政府ではなく反マスコミに回収されたことのほうが反「リベラル」の風潮には直接的に影響しているのでは。
そもそも「ラピュタ」「トトロ」「魔女の宅急便」のどこに日本ホルホルにつながるものがあるのか。
ガチ左翼の網野史学を取り入れ、リベラル読書層が持ち上げた「もののけ姫」以前には日本称揚につながるような話はほぼない。
トトロの農村コミュニティへの懐古(それもインテリが「腰掛ける」対象としての)くらいではないか。
これだって「火垂るの墓」と併映で、セットでのキャッチコピーも「忘れ物を届けに来ました」で現代日本批判だったことを忘れてはいけないし。
加えて、90年代には「日本軍が米軍をかっこよくやっつける」話も流行したが、アニメオタク層とはズレたところでブームになってる。
「沈黙の艦隊」も「紺碧の艦隊」もオタク層の外側での流行。日本ホルホルの流れは宮崎よりは荒巻の方がずっと直接的で影響が強い。
荒巻が受け入れられたのも、今からは考えられないくらい日本が経済的に強くて全能感に社会全体があふれていて
なのに湾岸戦争で1兆ドル分捕られたとかで「反米」感情が高まっていたことが背景。中国も韓国も問題にもならない雑魚だったから。
90年代の世界的な反米ブームが忘れられているんだな。アメリカメディアが自分たちの嫌われっぷりにショックを受けて特集を何度も組むレベルだったのに。
現状の「反中反韓」をベースにした流れは教科書問題と日韓ワールドカップとどちらもアニメと無関係。
そうした流れが一般メディアの黙殺に反発する形でネットコミュニティ、とりわけ2ちゃんねるに流れ込んで、
同じくネットコミュニティを拠点としたアニオタ層と一部クロスオーバーするようになったって流れではないのか。
それがアニメオタクに受け入れられた(とするなら)その理由はまた別に考える必要はあるし。
やり直し。
「アカデミアの待遇や任期制は子育てのことを考えていない!子育てのことを考えていないようではアカデミアは滅びる!!」
とか主張してる子育て世代のアカデミシャンが多いけど、別にアカデミア内の親子で再生産する必要はねーんじゃねーのとしか思わないんだよな。
アカデミアは普通のサラリーマンや一般社会の家庭から奇特な奴が参入してきて家庭を持ちたくなったら(それまでに成功できてなかったら)去っていくというサイクルでも滅びないんじゃねえの?
実際、どう考えても子供なんか持てない非正規派遣社員の層はいっぱいいるけど、「非正規派遣社員」という業界自体は全然滅びる気配が無いわけじゃん。同じだろ、アカデミアも。
なんでアカデミアだけは特別扱いして子育てとキャリアを両立できるように下駄履かせてやらなきゃならないのか。
「自分たちは選ばれた人間だから再生産しないことは社会的損失である」と思ってるということなんじゃねえか?
しかも「自分たちに下駄を履かせないと滅びるぞ!」と恫喝しているわけだ。滅びねえと思うけど。
内輪でスゲースゲー言い合ってるだけの演劇界隈の有名人がなんか傲慢なこと言って燃えたことがあったけど、平田オリザだっけ?あれと同じに見えるんだよな。
アカデミアの待遇を改善しろというのはまあいいとして、子育てとキャリアを(選別に勝ち残れない奴らの分まで)両立できるまで大幅によくしろというのはただの傲慢としか思えない。