はてなキーワード: ポルトガルとは
1600年の出来事とされている関ヶ原の戦いは、信憑性の高い一次史料による記録は僅かである
ただ、折からの証券取引所設立ブームで、多くの武器商または探検家が活動していたことは間違いないだろう
1531年、ブラバント公国にアントワープ証券取引所が創立 当時最大の国際貿易港となった この国はハブスブルク領
1580年、ポルトガルがスペインに併合されリスボン経由の取引が困難に
1602年、オランダ東インドがアムステルダム証券取引所を設立 株式、有価証券の取引を始める
皆さん騙されてはいけません。
私も西軍が勝った世界線に住んでいますが、元記事は歴史修正主義者が書いた悪質なプロバガンダ増田です。
順を追って訂正していきます。
後述しますが、冒頭から近世日本の歴史観の中で最も悪質なミスリードです。
大名は「定着せず」ではなく「定着させなかった」が正確ですし、「関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎」は極めて恣意的な表現になります。
戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。
この部分はある意味で正しいですが、重要な事実が省かれています。確かに日本列島内での大名間の大きな争いは起きませんでしたが、関ヶ原後の豊臣氏はかつて秀吉が行った朝鮮出兵を再開したのです。
石田三成が中心になって行われたこの出兵、いわゆる「元和の唐入り」は簡単に言ってしまえば外敵を作ることによる諸大名の結束を図るものでしたが、結果として成功を収めてしまいます。
朝鮮半島を支配下に置いた豊臣政権は、万暦の三大征で国力を失っていた明との間に戦わずして講和条約を結びます。その後朝鮮半島は現在に至るまで日本の領地となっており、そのため元和の唐入りは対外戦争ではないという風潮(沖縄や北海道みたいな扱い)が強いのは事実ですが、現代人に都合のいい歴史観ではないかという議論は存在します。
こうしてアジア大陸に進出した日本が当時の国際貿易において強い存在感を発揮し商業により発展していくのも事実ですが、ここでも重要な部分の言及が省かれています。キリシタン大名と南蛮豪商の存在です。
当初は秀吉のバテレン追放令を引き継ぐ動きを見せていた豊臣政権ですが、交易の重要性が増すにつれてキリスト教宣教師の活動を制限することに無理が生じていきます。またこの頃、日本での貿易事業で一旗揚げようとポルトガルやスペインから移住してきた事業家、いわゆる南蛮豪商が急増したこともキリスト教信仰の活発化につながっていきます。
政権はなし崩し的にキリスト教を認めていくことになりますが、そうした流れで力を付けていくのがキリシタン大名です。彼らは表立って政権や4大大名と権力争いをすることはありませんでしたが、着実に海外とのコネクションを強めていき、国内キリスト教勢力の強固な後ろ盾となります。
武士がいなくなっていくにつれて神道や儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない
冒頭の部分にも関係して、ここも悪質なミスリードです。たしかに武士の消滅と神道や儒教の衰退は同時期に発生しましたが、そもそもこの2つ事柄に直接の因果関係はありません。
しかしこれらが同時に発生したのには明確な同一の原因があります。それが前述したキリシタン勢力の台頭なのです。
政権の貿易政策とキリスト教の容認に対して、元よりキリスト教と対立していた朝廷はもちろん、元東軍を中心とする従来の武家社会に重きを置く大名勢力は当然反感を高めていました。これは感情的な部分だけではなく、元西軍派が中心となった貿易事業の利益を享受できなかったという側面もあります。
そんな中、細川家、井伊家を中心として天皇を旗印に政権を打倒しようとする動きが見られるようになり、寛文になる頃には挙兵寸前まで緊張感が高まっていたと言われます。しかし、そのタイミングで寛文近江・若狭地震が発生し、天皇の住む京都も大きく被害を受け、挙兵どころではなくなってしまいます。
それに対してすかさず政権が取った対応は、表向き地震被害からの避難を理由にした江戸への遷都(寛文の遷都)でした。遷都といっても移ったのは天皇の住まいと形式上の朝廷の機能だけで、政権の機能は大阪を中心とした関西圏に残ったまま…つまり政権は目の上の単瘤だった朝廷を体よく遠ざけた形になります。元東軍はこれに乗じて江戸に集結・再度の挙兵を試みますが、キリシタン大名による牽制や南蛮豪商による経済的な妨害もあり叶うことはありませんでした。この頃から旧来の武家勢力や神道信仰は急激に衰退していくことになります。
ではこれで豊臣政権やキリシタン勢力の共同支配は盤石のものになったかといえばそういうわけでもありません。形式上の都である江戸やその近辺の関東では都野伏(みやこのぶせり)、隠れ神道といった形で反南蛮の勢力が生き残りつづけます。そして18世紀入ってしばらくした頃、天皇を不可侵の元首とする「大和帝国」として独立を果たします。その後も色々ありましたが、現代において大和帝国はの国際社会にも認められた独立国家となっています。そういう背景がありますので、現代日本の領土として残っている関東地方には「ほとんど人が住んでいないド田舎」という表現が当てはまりますが、関ヶ原当時の関東地方の大部分は現代においては大和帝国の領土となりますので、そこを隠すのは悪質で不誠実な表現であると言わざるを得ません。
思春期である。普通のプールに行くことを考えるだけでムラムラが収まらないのである。そんなさなかに、教科書や参考書の隅っこにビキニ姿の女性が踊っているのを見て、平常心でいられるはずがあるだろうか。
だいたい、カーニバル衣装のビキニのパンツ部分から下がっているふんどしというか前垂れというか、極限まで深くしたスリットみたいな、あれをみても平静ではいられない。たまにファンタジーものでもそういう名前がわからないけれどもふんどしというか、マーニャの踊り子衣装みたいなのがあるのだが、あれってめくったらどうなっているんだろ。鳥山明に聞いてみたい。
カーニバル、つまり謝肉祭とは、四旬節という物忌みの期間直前のお祭りであり、しばらくは肉料理が出なくなる。要するに遊ぶだけ遊んで翌日からは真面目にやる日、というわけだ。別の説によれば異教の祭りが起源であるのだが、どちらにしても現在ではキリスト教の暦と密接に関係している日である。ちなみに、この四旬節が明けて過ぎ越しが明けた日がイースター、復活祭に当たる。
ウィキペディアによれば、黒人と白人の音楽の混交から生まれた音楽・ダンスを指すそうである。もう少し詳しく述べると次の通り。
音楽としてのサンバはダンス音楽であり、19世紀の終わりごろブラジル北東部の港町、バイーア(現:サルバドール)で生まれた音楽が源流となった。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が集められ、売り買いされた場所であった。その後、白人文化からの影響も受けながら1910年代に確立し、1930年代に普及と隆盛を迎えたそうである。内容も黒人の生活や人種差別から抒情的な内容も含むようになっていった。
ダンスとしてのサンバもまたバイーアに住んでいたアフリカ人奴隷の踊りが元となっていて、足や腰の動きを基本とし、ほとんど即興である。ポルトガルの文化と混交してリズムや踊り方が変化した。伝統的には音楽を演奏しながら周りで手を叩きながら輪を作って踊り、交代で人が中に入って踊るが、これをサンバ・ジ・ホーダ、サンバの輪といい、都会のサンバの進化にも影響を与えた。これは今や、ブラジルの文化的なアイデンティティとなっている。
現在のサンバショーでは現代の欧米のダンスを取り入れた振り付けだが、あくまでもサンバは基本的に即興の踊りが中心で、またその醍醐味であるそうだ。
なお、日本に初めてサンバが紹介されたときには知識が不足していたせいか、キューバのマンボと混同していたり、なぜかメキシカンハットをかぶっていたりと文化考証がめちゃくちゃで、冒頭に引用した語句のように、今でもこの誤解を引きずっている人は少なくない。マツケンサンバだってサンバとはちょっと違う。
Rio de Janeiro's Carnival Costumes Throughout the Years - ABC News(不幸にして画像はリンク切れ)
The History and Tradition of Rio Carnival Costumes - Bucket List Events
カーニバルの仮装はイタリアにその起源を持ち、その伝統はポルトガルにまで広まった。それが植民地のブラジルにもたらされた。誰が誰だかわからない、そういう楽しみであろう。
1930年まではブラジルの社交界の人々は平民たちの視線のなかで、豪奢な衣装や仮面を見せびらかして歩いていた。仮面は動物や悪魔の形をかたどったものや、イタリアに起源をもつ道化の顔もあった。
1930年以降、庶民もカーニバルに参加するようになった。しかし、当然のことながら高価な衣装は身に着けられないし、2月のブラジルは非常に暑い。そこで、明るい色を身にまとうことになった。カーニバルのパレードは1932年に端を発する。
そこから徐々に衣装の軽量化が始まった。1950年にはすでに男性は上半身裸、女性はビキニ姿になっていたことが確認される。水着のビキニが1946年に誕生しているので、非常に適応が早い。海以外でビキニ姿になったことを考えれば、全く持って革命的である。
1970年代になるとサンバ・スクールが組織化され、現代のように洗練され始める。この産業が衣装の豪華さを支えている。実際、テカテカビキニばかり有名だけれども、他のメンバーの極彩色の衣装は露出が少なくても見ていて楽しい。こうしたサンバ・スクール(エスコーラ・ジ・サンバ)は学校を名乗っているが実際は組織化されたダンスグループで、最大で4000人の規模にも達する。舞踏や衣装のスタイルに違いがあり、区別される。なお、ダンサーだけで4000人であり、衣装を準備する人やその他オーガナイザーは含んでいない。
また、同時期にサンボードロモ、つまりサンバを披露するためのエリアが作られる。ウィキペディアによれば、通常は、サンバ・スクールのパレードが展開できるほど長い空間を、観覧席が取り囲むような構造になっているそうだ。阿波踊りの会場みたいなものか。そして、リオデジャネイロのサンボードロモの場合、中央のパレード空間の長さは700メートルに及ぶとのことである。ブロコス、カーニバルのブロックもまた作られた。
現代では、ほとんどあらわになった胸に紐パン姿も散見される。英国のタブロイド紙がこうした乳首の露出やフェイクの乳首について記事を書いている。
今のところ、全裸は許容されていない。とはいえ、ルールを守らない人もおり、そのせいでサンバ・スクールが時折資格を剥奪されることさえある。そういう格好で踊っている人が見たければxvideosかpornhubをご覧いただきたい。野外で全裸になるのは露天風呂でもわかるように最高なので気持ちはわかるが、ルールは守りましょう。
Hyper sexual Carnival atmosphere has a dark side for Rio's women | The Independent | The Independent
ここで記者は、カーニバルのビキニの女性たちは過度に性の対象となっている、モノ化しているのではないか、と指摘している。つまり、パレードで疲れた男性たちを鼓舞するように休みなく踊り続ける半裸の女性、いわゆるボンキュッボンの「理想」的な体型で選ばれるサンバの女王たち。少年たちがサッカー選手に憧れるように、テカテカのビキニの女性に憧れる少女という構図。一見エンパワーメントされているようだが、実際は? しかも、カーニバルでは性暴力の数が圧倒的に増える。その場の雰囲気で強制されたキスだけでなく、強姦も含む。こういう空気を嫌ってか、カーニバルの期間は脱出する人もいるそうだ。
自分は、よその文化だから評価できる立場にはない。ただ、たとえば「理想」的でない体型の女性も選ばれたらもっと素敵になるかもしれない、と思うのだ。昨今、モデルの体型をやせ過ぎにするのはやめよう、という運動が起こっている。それに、いわゆる美人ではないしスリムではない女性が芸能界で活躍することが増えた。自分の好みではないが、とてもいいことだと考えている。貧乳でもいい、毛深くてもいい、ぽっちゃりでもいい。そういうメッセージが社会全体に広がることで、あなたはあなたのままでいいという空気を作ってほしい。あなたをあなたのままで尊重する、そうすることで暴力の少ない社会にしていきたい。
過度に性的な空気は似たようなイベント、ニューオーリンズ・マルディグラでも問題になっている。家族で過ごすイベントである側面もありながら、野外で全裸になる人も後を絶たないのだ。ブラジルから外れるので詳しくは述べる余地がないが、詳しくはウィキペディアを参照してほしい。
Child queen, U.S. stars to light up Brazil Carnival | ロイター
https://www.france24.com/en/20100215-controversy-over-child-performances-mars-rio-carnival]
あるいは、7歳の少女が躍る権利についても議論が巻き起こっている。子どもの権利を保護する団体が、彼女が性的に搾取されることを恐れたのだ。ハイヒールにビキニの大人たちのいる場はどうしても性的だし、40度にも達する気温は子供の身体に有害である恐れがある。同時に、踊りたいという子供の夢をかなえたい思いもある。日本でも、浅草かどこかで踊る小学生のビキニ姿をアップロードする者は後を絶たない。
ちょっと前まで子どもがすっぽんぽんで泳ぐのがかわいいとか言っていた時代だったかもしれないが、誰でも写真や動画が容易に拡散できるようになってしまった時代、そうもいかないだろう。僕たちは否が応でも自分の身体を性的だと意識せざるを得ないし、子どもが自分の身体を守るための性教育の必要性は高まっている。何も幼稚園児からセックスについて事細かに説明する必要はない。ただ、身体の特定の部位を覆い、むやみに他人と触りっこしないように教えて身を守れるようにすれば十分だろう。性教育とはセックスの知識だけではないのだ。
2月の祭りとしてはしないと思う。日本人は概して祭りが好きだし、海外の祭りを積極的に受容してきたが、イースターが定着するかどうかどうかという雰囲気であり、これ以上の祭りを受け入れるキャパシティは少ないのではないか。2月にはすでにバレンタイン商戦があるので、そこにねじ込むのは少々無理があるだろう。50年経てばパリピがホーリー祭りまでやり始めるかもしれないが。あるいは、8月の浅草サンバカーニバルや5月の神戸まつりのように季節をずらすかもしれない。大体ああいう格好をするのは単純に踊っているとめちゃくちゃ暑いってのもあるだろう。
私事だが、イギリス育ちの自分としては、日本に戻ってハロウィンやイースターがないのが当然だと思っていたし、寂しいとも思っていなかった。触れるとすればせいぜい、NHKの「えいごであそぼ」や国際交流の授業で言及されるくらいであった。ハロウィンやイースターを定着させようとする動きはごく最近のものだ。
それに反対するわけではないのだが、ハロウィンが終わって街の雰囲気がすぐにクリスマスになるのは風情がなさすぎる。米国ならクリスマスまでの間に感謝祭があるのでまだ11月を感じることができるのだが、日本ではそうもいかない。二十四節季を楽しんでいた先人のいる国とはとても思えないほどに大味だ。
商業主義との両立を考えるなら、11月にも何かイベントをやればいいのではないか。2月には豆まきとバレンタインがある。毎月2度のイベントをやれば、二十四節季めいていてまだいいのではないか。
今回はテカテカビキニが50年代にまでさかのぼることを示した。今後は、世界各国の祝祭の場における露出の自由、野外全裸、性的規範のゆるみについて調べるとともに、暴力を防ぐための対策についても調べていきたい。
性加害という言葉をきちんと理解することは必要だと思うんだけど、男女含めて殆どはそれを理解できていないのだと思う。性加害は簡単に言えば、意に沿わない性的な接触・行為のことを言うんだけれど、はっきり言えばこの「意に沿う」かどうかは多くの人にとっては判断できないのである。
勿論、明らかな性加害というものは存在する。例えば夜道でぶん殴られて物陰に連れ込まれるなどの性的接触を受けたならばこれは間違いなく性加害だし、それに類する明らかな性加害というものは当然存在する。一つの明確な基準としては、あまり面識のない異性や同性から受ける性的接触は、多くの場合性加害的である、といったところじゃないだろうか。あまり面識のない異性・同性との性的接触に関して抵抗のない女性だって当然いるにはいるのだろうけれど、個人的にはこれは相互的性加害と言って良いと思う。つまり、愛情を伴わない性的接触というのはお互いの為にならんという、まあそういう教条的な立場の表明なのだけれど、ひょっとしたらこういう見解は世の見解からズレているのかもしれんね。僕には分からない。
とにかく、明らかな性加害というものは存在しているし、敢えて申し上げるならば、仮に同意などを取り付けていたとしてもお互いに愛情のない性的接触や行為というものは加害的であると言って差し支えないのではないかとも思う。のであるし、さらには、翻ってこの世界には性加害的であるかどうか判別のつかない性的接触や行為というものが満ち溢れている。
一晩だけ盛り上がっても後になるとうんざりしてしまうようなそういう経験とか、あるいは一時的に愛情を持ったと思っていたのだけれど錯覚で、結局お互いに愛情の伴わない欲望充足を行っていただけだったとか、そういう結果論的な結末についても広い意味で性加害的な営みだと言えるんじゃないかということである。物事が全て終わった後に、「結局のところ心の底から望んでたわけじゃなかったよね」って気付くことだって、世の中にはあるんじゃないか、ということである。もし仮にそういうことが起こったとして、「ま、いいや」って開き直れる人ってそんなに多くないんじゃないかって思いません?「別に望まない性的な接触・行為をそうと知らない内に行っていたとしても、ま、いいや」って。
だって、愛情がない性的接触・行為をして下さい、って仮に人から頼まれたとしたら皆嫌でしょう? もしそんな風に頼まれたとして、「はい! 愛情のない性的接触・行為を喜んで行います!」って答える人ってあんまりいないと思いません? いや勿論いるんですよ実際にはそういう人も、でも、殆どの人にとっては嫌でしょう? それって性加害的と言っても過言ではないでしょう? だから、例え性的な接触・行為の後に随分時間が流れたとしても、最終的に「あれって別に心の底から望んでたわけじゃなかったよな……」ってな結論に至ったとしたら、それは微妙に加害的な側面を備えていると言って良いんじゃないだろうか、とかそういう話を僕はしたいわけです。勿論、そういう見解に事後的に至ったところで、「ま、いいや」とすっきりできる人も中にはいるんだろうけれども、恐らくそういう人っていうのは少数派だと思うし、あるいは仮にそういう人がいたとしても、恐らくそういう人にとっては愛情の伴う行為と伴わない行為はあまり分化していないのだろうなと思うわけです。つまり、結局のところその二つをしっかり区別していないところの人は、愛情の伴わない性的接触・行為に抵抗がない傾向があるんじゃねーかなとかそんな風に思う。
まあともかく、愛情の伴わない行為にはあまり多くの人は同意しないのは真実だと思う。僕だってそうだしね。
でも、実際のところその行為に愛情が伴っているかどうかというのは多くの場合事後的にしか認識できない。だから、振り返ってみるとその行為が加害的であった、ってなオチがついちゃうことはままあるんじゃないかなと思う。そう考えると、色々と我々の認識や行為に疑問符がつきまとうことになるのではなかろうか。我々は本当に望む行為を行っているのだろうか? と。
とは言え僕が言いたいのはそういう一般論的な話じゃなくて、最近の増田のよくある論理に対する反論なのである。「貴方が行っている行為、それは加害的だ」という意見をよく見かけるんだけれど、はっきり言って普通の人間には、普通の性的な接触が加害的かそうじゃないかなんて見分けられないってことなんですよ。いや勿論、繰り返すように明らかに加害的な行為というのはあるんだけれど、加害的かどうかが実のところはっきりしないような行為を、我々が「加害的だ」って言っちゃうのは認識の越権みたいなところがあって、我々は多くの場合その判断基準をきちんとは持っていない。ノリノリでかましちゃった後にそれを後悔するとかそういうことを簡単にやっちゃうんですね、我々は。ノリノリで盛り上がって、結局はそれは望んだものじゃなかったよね、なんて結論を付けちゃうことなんか、メチャクチャたくさんあるんです。自分が望んでいると思って行った行為を、結局事後的に「別に望んでなかったよね……」と振り返ることなんてたくさんあるのです。まあ要するに、我々の認識っていうのは多くは間違っていて、そのことを我々は前提として行動するべきなのである。
「加害的だ」「加害的でない」それらの言葉は我々の不安定な認識の上で往々にして入れ替わってしまう。我々の言葉はいつも海の波間に漂う板切れみたいなもので、海そのものを表現しているわけではないのだから。
最後に、僕の好きなポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの言葉を書いて終わりたいと思います。
「僕たちが
望んだけれどやらなかったこと
それら全てのために
僕が夜海辺を歩く時の
あの気持が作られたのだ」
性加害という言葉をきちんと理解することは必要だと思うんだけど、男女含めて殆どはそれを理解できていないのだと思う。性加害は簡単に言えば、意に沿わない性的な接触・行為のことを言うんだけれど、はっきり言えばこの「意に沿う」かどうかは多くの人にとっては判断できないのである。
勿論、明らかな性加害というものは存在する。例えば夜道でぶん殴られて物陰に連れ込まれるなどの性的接触を受けたならばこれは間違いなく性加害だし、それに類する明らかな性加害というものは当然存在する。一つの明確な基準としては、あまり面識のない異性や同性から受ける性的接触は、多くの場合性加害である、といったところじゃないだろうか。あまり面識のない異性・同性との性的接触に関して抵抗のない女性だって当然いるにはいるのだろうけれど、個人的にはこれは相互的性加害と言って良いと思う。つまり、愛情を伴わない性的接触というのはお互いの為にならんという、まあそういう教条的な立場の表明なのだけれど、ひょっとしたらこういう見解は世の見解からズレているのかもしれんね。僕には分からない。
とにかく、明らかな性加害というものは存在しているし、敢えて申し上げるならば、仮に同意などを取り付けていたとしてもお互いに愛情のない性的接触や行為というものは加害的であると言って差し支えないのではないかとも思う。のであるし、さらには、翻ってこの世界には性加害的であるかどうか判別のつかない性的接触や行為というものが満ち溢れている。
一晩だけ盛り上がっても後になるとうんざりしてしまうようなそういう経験とか、あるいは一時的に愛情を持ったと思っていたのだけれど錯覚で、結局お互いに愛情の伴わない欲望充足を行っていただけだったとか、そういう結果論的な結末についても広い意味で性加害的な営みだと言えるんじゃないかということである。物事が全て終わった後に、「結局のところ心の底から望んでたわけじゃなかったよね」って気付くことだって、世の中にはあるんじゃないか、ということである。もし仮にそういうことが起こったとして、「ま、いいや」って開き直れる人ってそんなに多くないんじゃないかって思いません?「別に望まない性的な接触・行為をそうと知らない内に行っていたとしても、ま、いいや」って。
だって、愛情がない性的接触・行為をして下さい、って仮に人から頼まれたとしたら皆嫌でしょう? もしそんな風に頼まれたとして、「はい! 愛情のない性的接触・行為を喜んで行います!」って答える人ってあんまりいないと思いません? いや勿論いるんですよ実際にはそういう人も、でも、殆どの人にとっては嫌でしょう? それって性加害的と言っても過言ではないでしょう? だから、例え性的な接触・行為の後に随分時間が流れたとしても、最終的に「あれって別に心の底から望んでたわけじゃなかったよな……」ってな結論に至ったとしたら、それは微妙に加害的な側面を備えていると言って良いんじゃないだろうか、とかそういう話を僕はしたいわけです。勿論、そういう見解に事後的に至ったところで、「ま、いいや」とすっきりできる人も中にはいるんだろうけれども、恐らくそういう人っていうのは少数派だと思うし、あるいは仮にそういう人がいたとしても、恐らくそういう人にとっては愛情の伴う行為と伴わない行為はあまり分化していないのだろうなと思うわけです。つまり、結局のところその二つをしっかり区別していないところの人は、愛情の伴わない性的接触・行為に抵抗がない傾向があるんじゃねーかなとかそんな風に思う。
まあともかく、愛情の伴わない行為にはあまり多くの人は同意しないのは真実だと思う。僕だってそうだしね。
でも、実際のところその行為に愛情が伴っているかどうかというのは多くの場合事後的にしか認識できない。だから、振り返ってみるとその行為が加害的であった、ってなオチがついちゃうことはままあるんじゃないかなと思う。そう考えると、色々と我々の認識や行為に疑問符がつきまとうことになるのではなかろうか。我々は本当に望む行為を行っているのだろうか? と。
とは言え僕が言いたいのはそういう一般論的な話じゃなくて、最近の増田のよくある論理に対する反論なのである。「貴方が行っている行為、それは加害的だ」という意見をよく見かけるんだけれど、はっきり言って普通の人間には、普通の性的な接触が加害的かそうじゃないかなんて見分けられないってことなんですよ。いや勿論、繰り返すように明らかに加害的な行為というのはあるんだけれど、加害的かどうかが実のところはっきりしないような行為を、我々が「加害的だ」って言っちゃうのは認識の越権みたいなところがあって、我々は多くの場合その判断基準をきちんとは持っていない。ノリノリでかましちゃった後にそれを後悔するとかそういうことを簡単にやっちゃうんですね、我々は。ノリノリで盛り上がって、結局はそれは望んだものじゃなかったよね、なんて結論を付けちゃうことなんか、メチャクチャたくさんあるんです。自分が望んでいると思って行った行為を、結局事後的に「別に望んでなかったよね……」と振り返ることなんてたくさんあるのです。まあ要するに、我々の認識っていうのは多くは間違っていて、そのことを我々は前提として行動するべきなのである。
「加害的だ」「加害的でない」それらの言葉は我々の不安定な認識の上で往々にして入れ替わってしまう。我々の言葉はいつも海の波間に漂う板切れみたいなもので、海そのものを表現しているわけではないのだから。
最後に、僕の好きなポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの言葉を書いて終わりたいと思います。
「僕たちが
望んだけれどやらなかったこと
それら全てのために
僕が夜海辺を歩く時の
あの気持が作られたのだ」
引き続きブラジル以外の南米におけるショーツ型ブルマーの証拠を探すこと、北欧やポルトガルには本当にブルマーはなかったのかの確認、および、学校におけるショーツ型ブルマー空白地帯である日本以外のアジア、およびアフリカ大陸におけるブルマーの分布について調べたい。現在、アフリカにおける旧イギリス領のブルマーについて調査中だが、状況は芳しくない。ヨーロッパと比べて写真資料が少ないためだ。
おそらくイスラーム、ヒンドゥー教、仏教圏ではショーツ型ブルマーはほとんど見られないだろうと思う。しかし、そうしたアジアの国々が植民地化されていた時代、現地のヨーロッパ人向けの学校の体操服がどのようなものであったのかはわからない。もしかしたら、ひっそりと提灯ブルマーが用いられていたのかもしれない。しかし、写真が残っていることはあまり期待できないだろう。
元々ポルトガルの事情について調べようとして、ブラジルのブルマーについてはわかったが、肝心のポルトガルの状況はまだわからない。また、ブラジルを除いた南米の状況も確認できていない。これは、スペイン語で画像検索すると南米ではなく、スペインのページしかヒットしないためだ。同様のことは、以前オーストリアの事情を探すときに起きた。ドイツのものばかり見つかるのだ。
今後は、国別のドメインで検索をしなければならないかもしれない。
できることなら脚の露出に対する羞恥心の変化についても一考したい。脚が猥褻だとまでされたヴィクトリア朝から、ショーツ同然のブルマーで女子学生が活発に運動するようになった六十年代までの、イギリスという国の感覚の変遷は面白そうだ。かなり時間のかかるテーマになりそうではあるけれども。
それと、ブルマーの調査が一段落したら、チアリーダーの変遷についても知りたい。高校のかわいらしいチアが、例えば大リーグの筋肉質の女性によるビキニ姿同然の派手な、しばしば危険を伴うパフォーマンスへとどう変わっていったのか。あるいは技巧がどのように向上していったのか。事故は起きなかったのか。スカート丈の長さはどう変わったか。スカートの中が見えても構わないと思うようになったのはいつからか。気になることばかりだ。
https://www.youtube.com/watch?v=qrzlTUuMhRg
https://www.youtube.com/watch?v=YrY08FTaMwA
これだけでもだいぶ違うではないか。
どこからどこまでが女性の自発性が含まれているのか。あるいは、男性チアが本格的に知られるようになったのはいつか、そうしたことについても学んでいきたい。
始めの内はこの調査は興味本位であったが、だんだんと時代や地域ごとに、人の体がどのようにプロパガンダに利用されてきたかや、美の基準がどう変わってきたかについて、知りたくなってきた。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=18&v=5hr17Dn-Ikk&feature=emb_title
https://www.youtube.com/watch?time_continue=18&v=5hr17Dn-Ikk&feature=emb_title
女性のフィットネスファッションの変遷。かわいい、きれい、は簡単に変わっていく。
http://avalokiteshvari.blogspot.com/2010/01/blog-post_60.html
この調査も、今回で三回目になった。隙間時間の気晴らしにあまり系統的でない方法で調べているため、ところどころ抜けがあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。
さて、前回は、イギリスからロシアまでの広い範囲にかけて、ブルマーが存在していたことを示した。つまり、学校教育におけるショーツ型ブルマーは日本における特異的なものではなく、一時的とはいえ、そして年代のずれがあるとはいえ、世界的な現象であったことを示した。
今回は、前回の調査から漏れたヨーロッパの一部地域や、今までブルマー空白地帯であったと思われる南アメリカにも、ブルマーが存在していたことを証明する。
http://www.castelbolognese.org/miscellanea/vita-sociale/quando-cera-lavviamento/
イギリスのブルマーほど明確にショーツ型に進化しているわけではないが、その方向に向かいつつあることは確認できる。なお、ソ連ほどではないが、女子生徒の制服がメイド服風である。これは、過去の欧州での女性向けの教育では、家事が重んじられていたことを意味するのだろうか? しかし、考えてみれば、日本の女子制服が海軍由来というのも、海外から見れば不思議に違いない。
https://www.convenevoleprato.edu.it/chi-siamo/la-convenevole-ieri/
小さい画像だが、間違いなくショーツ型のブルマーを着用している。
http://www.televignole.it/la-donna-fascismo-3/
ナチス時代のドイツほど短くはなく、短パンに近いが、ショーツ型ブルマーへと進化する傾向が見受けられる。前回の記事のナチスの少女たちも、よく見れば完全なショーツ型とはいいがたい。すごく短い短パンくらいか。
ポルトガルのブルマーの状況について調べていたが、図らずもブラジルのブルマーがヒットした。方法は同じく、ポルトガル語で「体育 学校 少女」と検索した。時折、1950などの年代を付け加えた。
http://caetanistas78.blogspot.com/2011/10/uniformes-de-educacao-fisica.html
1958年からブルマーになり、1975年は赤ブルマーでバレーボールをしている。
ありがたいことに、このサイトは翻訳文を見る限り、サンパウロにおける体操着の変遷についての資料らしい。
http://www.lugardotrem.com.br/2012/06/estacao-38-80-anos-da-escola-industrial.html
これは提灯ブルマー。
https://www.novomilenio.inf.br/santos/h0250v8.htm
https://educacao.uol.com.br/album/historia_uniforme_album.htm#fotoNav=13
以上より、ブラジルの少女たちも、イギリスやソ連とよく似たブルマーで運動をしていたことが確認された。
https://www.museodelaeducacion.gob.cl/648/w3-article-28884.html?_noredirect=1
・この元増田は日本人彼女にオタク語ふくめて日本語を習ってる海外(ポルトガル圏)生まれ男性があえて女性的に書いている日本語に見える
・なおオタク圏では八重歯八重歯と呼び習わしているがあのとがった歯の絵は発達した犬歯である。歯科でいう八重歯とは正確には乱ぐい歯の仲間である。
・ソフィア氏までは宇崎が男女差別的アイコンとして日本で使われている認識があったのでは?
・日本でも献血者に悪口をいう(ヘイト)のにちょうどいいアイコンとして宇崎が公式採用されている
・つまり宇崎は「免罪符を持っていると勘違いしたヘイター」としての特徴を万全に備えているし、その記号を読み取れるし記述できる人がそう使うようないかにもアホ女のデザインなのだ
・バカボンパパをみたらアホなセリフをいわせたくなるようなものだ
・誰であれ「ヘイターの免罪符にキャラをつかうな」という基本的マナーに立ち戻るのではないか。ツイッターのアニメアイコンのやつはたいていそのキャラに見合わない軽薄なヘイトツイートを「うっかり」しでかすとして嫌われていた時期がある。
・まあ日本では赤十字が献血者にヘイトセリフを吐くつもりであったとはおもえない。相互無理解の生んだヘイトだ。防ぎ様がないという意見もわからないでもない
・一方、作画もアイデアも一人でやってるやつは意思統一が簡単にできるんだから炎上したくなきゃうかつに外国キャラでヘイトツイートしなきゃいんじゃねハナホジ
香港問題がニュースで頻繁に流れ、ホットエントリーにもしばしば登場し、ブックマークコメントもそれに応じて書かれている。
ほとんどのブコメが「香港の言論の自由がなくなる!」「中国酷い!」「民主主義が終わる」みたいなコメントで溢れかえっている。
ていうか、多分ほとんどの人が知らないんだろう。
香港が中国に返還された1997年、それに伴って香港基本法が制定されている。
この基本法の第23条に
香港特別行政区は、 あらゆる国家に対する叛逆、 国家の分裂、 叛乱の煽動、 中央人民政府の顛覆及び国家機密の窃取の禁止、 外国の政治的組織又は団体が香港特別行政区において政治活動を行うことの禁止、 並びに香港特別行政区の政治的組織又は団体が外国の政治的組織又は団体と関係を構築することの禁止について、 自ら立法を行わなければならない
と定められているのである。
これが2003年に一旦定められようとしたのだが、民主派が50万人に及ぶ大規模デモを行い、結果撤回に至ったまま、今日までずっと続いて、中国側が強硬に法制化したという経緯があるのだ。実際に、マカオの方はポルトガルからの返還後、同様の23条があったが、国家安全条例をすんなり制定して問題にならなかった。
どうしてか香港はこんな事になっちゃったかと言うと、これは香港がイギリス統治領だった事が大きい。イギリスはコモン・ローの国であり、ざっくり言えば慣習法の世界なのである。もっと平たく言えば、市民がみんなで色々決め事をしていくという世界なのだ。
で、国家安全条例は基本法にある通り、自ら立法を行う=香港市民が決めるから待っとけ、完全移譲まで50年あるからいいだろと、のらりくらり交わしていたように中国には見えた筈である。しかし中国側としてはこれは約束不履行である。
だったら犯罪人引渡しくらいなんとかしろ、つっても香港はデモばっかやって全然聞かない。挙げ句最近ではほとんど反中と言っていい抗議デモばっか。中国からしたらテメーらふざけんな!である。
まぁ、中国の苛つきのきっかけは、習近平の愛人問題を暴露する本を香港で出版しようとしたからだろうけど、そりゃ怒るわなw
だから、アグネス可愛そうじゃねぇんだよ。さっさと香港市民に都合がいいように23条に定められた条例を作らなかったからなのだ。
・・・と煽ってみるw
ちなみに、香港市民に聞くと周庭(アグネス)は人気はあんまりないらしい、どころか嫌ってる人も多い。理由はよく知らん。
mangakoji だって自治政府認められてないのでは?立法できないでしょ?立法院を作らせなかったイギリスの香港政策の置き土産だと
上に書いたろ? 2003年に一回、香港の立法会で定めようとしたんだよ。そしたら民主派が潰したんだって。ちったぁ調べれや。
当然この23条は天安門事件があったからだ。それ以降に追加した条文だ。延々ずっと中英間で返還交渉はやってたんで、その間に天安門事件が起こったからね。で、香港やべぇと。一国二制度はしゃぁないけど、国家転覆を目論むような動きははっきり潰すことにしておかないとやばいと言うんで入れた条文だ。だけど、決めんのはそっちでやってくださいって、そこまでは譲歩してあるんだよ。
ところが香港民主派が、これを認めやがらんのだ。その挙げ句最近では香港独立まで言い始めるんだから話にならんわけ。
細かい話をすると、香港がイギリス統治を離れた時くらいを境に、香港で民主化運動が藁藁と湧いてきたんだ。中国恐いというわけや。一国二制度とはいうけど50年しか猶予がない。
だからその間に、どうにかして香港に強力な民主主義を作っていきたいという動きが続いていたんだ。で、2047年の期限までに住民投票で独立まで出来るようにしようという考えがあったわけ。そのためには香港基本法23条に定める国家安全法の立法は邪魔だったから、別に期限もないしほっとけ、みたいな風に思ってたんだろうね。
でも香港基本法の解釈権は中共にあるんだ。そして、どういう解釈をすればそうなるのかまではよく知らんけど、法解釈を巧みにやれば中国が立法公布してしまえるようになってたのさ。それが今回の顛末なわけ。
はてなーも、遠藤氏の記事をブクマでホッテントリ入りさせるくらいだから、ある程度は知ってるはずなのにね。
その遠藤氏もどういう経緯があったのか知らんけど、あそこまでよく知っていながら、民主主義派だからだと思うけど、結局「習近平がー」の人なんだよね。
でも、中国が余りに強引な法制化をしたのは、香港が悪いと思うよ。香港民主派がってことだけど。さっさと自分らで上手く制定しておけば、中国だって文句は言えなかったはず。
も一つ付け加えるの忘れてた。
これはあんまり知らない話なので噂レベルの話にしかならないけど、この香港民主運動の裏には、宗教団体が絡んでいるのではと思ってる。デモ連中がどうやってデモ中に食ってたか知ってるか?
食ってたっていうのは文字通り、食事をってことだけど、宗教団体が食わせてたんだよ。
香港が中国政府に完全に乗っ取られてしまうと一番困るのは宗教団体だ。法輪功など、中国政府は宗教を弾圧する。チベットやら何やら例を上げるまでもなかろう。
資金的な後押しがなければ、あんなデモ活動なんて出来るはずがないと思うので、多分民主運動を裏で操ってるのは宗教団体だろうと個人的に思ってるけどね。
コロナウィルスについて
スペイン ・ポルトガル
人口: 4666万 ・ 1029万
感染者: 64,059・4,268
死亡者: 4,858 ・ 76
死亡者/人口: 0.01%・0.0007%
BCGワクチン:接種なし・日本株接種
→人口比の死亡者率は、スペインはポルトガルの14倍。 https://t.co/HXZqIBiBB9— 令和の未来カエル (@chanmabou) March 29, 2020
土足・土禁のランキングを見てくれ。絶対に感染率と関係がある。
1位 アメリカ : 土足
2位 中国 : 土足
3位 イタリア : 土足
4位 スペイン : 土足
5位 ドイツ : 土足
7位 フランス : 土足
8位 スイス : 土足
9位 イギリス : 土足
10位 韓国 : 土禁 (宗教施設で感染爆発+大量検査で感染、でも死者数は141人)
13位 ベルギー : 土足
14位 ポルトガル : 土足
15位 カナダ : 土足
16位 ノルウェー : 土足
17位 トルコ : 土禁 ←特別な要因が無く土禁で一番感染者が多い・死者数はまだ75人
27位 日本 : 土禁
32位 パキスタン : 土禁
36位 フィンランド : 土禁
37位 ロシア : 土禁
39位 ギリシャ : 土禁
40位 アイスランド : 土禁