はてなキーワード: ドリンクとは
「美味い」はあるよ。
「高いな」はあるよ。
でも一番強いのは「悔しい」なの。
庶民が食べる1食1500円ぐらいのちょっと豪華なランチとは味が全然違うの。
作っている側の技術もだけど、食材の鮮度っていうかランクがぜんぜん変わる。
自分たちが普段食べているものが型落ち品なんだと否応なしに突きつけてくる。
特に高級食材なんかが顕著で、たとえばイクラってスーパーの海鮮丼や回転する寿司にだってモリっと乗っかっているけどアレと味が全然違う。
つーかあのイクラ合成だったのかなってぐらい味の濃厚さが違うの。
でも確かに同じ系統の味で、別物ってわけじゃなくてただ単純にレベルが違う。
近所の小学生が日曜日にやってる野球で投げられるボールもプロのボールもどっちもそれなりに速い球だけどレベルが全く違うような。
本当に美味い食べ物って「本物」って感じが強いんだよね。
美味いか不味いかを超えて「正しい」とか「理想的」とかの領域に入り込んでくる。
それが頭の中にあるそれぞれの「牛肉」とか「カキ」とかの領域に突っ込んできて、それまでそこにあった「紛い物」を蹴り飛ばしていくわけ。
毎日食べていた食事が如何に貧相だったか、味覚をハックする技術と空腹という調味料に支えられていただけの「美味い感」で誤魔化していただけの空虚な食事だったかを突きつけてくる。
年収が億単位の人は毎日のように「本物」を食べて、その上で「時間がないから」といった理由で「偽物」を妥協で口に入れることもあるわけ。
でもこっちは逆で、毎日「偽物」を食べ続けて、ハレのときにだけ「本物」をやっと口にするの。
その状態が現実に確かに起きていて、自分たちは奴隷の側だってのを舌と能が流れてくる「本物マジうめぇ~~~」の電流がヒシヒシと証明を繰り返すの。
しんどすぎねえか?
この世界は
そんな年末年始じゃない?
やっぱり隣の会社の部署にお手伝いで掃除とかなんやら年末の今年の汚れは今年の内に!ってそれなんてマイペット?って言いたいぐらいなそんな世の中。
あーあ私も掃除借り出されるのかなー、
って思いつつ、
給湯室のお湯を切らさないように、
というかなぜかガスの式じゃなくて
電気でお湯を沸かすタイプでたくさんの容量が貯められないので、
温くなってきたらシンクの下に置いてある装置のボタンを押す仕事があるのよ。
じゃないと
冷たいままの温くもない水が水道の蛇口の赤いホッツをひねっても出ないのよね。
私もこの電子情報端末の前にいつまでも座っているとは限らないので、
でも会社的には営業日稼働しているよろしく顧客対応もしなくてはいけないという
今日はどうやらちょっとずつ掃除を始めて開始していくらしいわよ。
本当に手が悴んじゃうんだから、
だから今年は今年の汚れは今年の内に!って
なんかそれ鬼は外福は内の節のリズムで言ってない?ってぐらい疑うほど、
少しずつ掃除を初めて行っているので、
私も事務所で座っていて空気を読まない感じの日経新聞の名物コーナーみたいな感じで、
あれは風を読むだったっけ?
みんなの動きに合わせて、
出来てる!感を醸し出していい味付けにしたいわ!
この辺にしておくわ。
うふふ。
アミーガ!
これだいぶ改良していて
おはヨーグルトとかは間違っても言わない朝よ。
水筒に入れてお昼まで飲める分もこしらえて
寒いわー
本当に寒くって寒い感じ
風邪など召されませんようにご自愛しまくりまくりまくりすてぃーよ。
年末年始も楽しく行きましょう~。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
数日後、別でパレスホテル内のレストランを基本料無料で招待いただきました。
素晴らしい思い出の詰まった場所で、ぜひまたゆっくりしたいと思い、レストランへ行ってきました。
基本料無料とはいえ、ドリンクはそれぞれの値段がかかることは当然のことで、
そこで1,000円くらい払う必要があるのは全く違和感がなかったです。
その後、途中で「追加でfromages(チーズ)はいかがですか」という案内がやってきました。
2人で行ったので 2人前だが、腹一杯の状態だったため、1名分2人で分けるという注文をしました。
そして会計の時。
店の偉そうなか方から、「今回はドリンクだけでしたが、1年後にはぜひまた来てくださいね」という話をいただいた。
会計の値段は、7,728円。 ドリンクとサービスチャージの値段でそのくらいになるか?! と思い、レシートを見ると、
2 Alain Milliat
2 Promages 5,090 /
Open Discount ***
...
Promagesだけで5,090円を支払っている。これはそう、あの追加で提案されたチーズのことだった。
まず、1人2,500円以上もかかるということを知らされず、しかも1人分を2人で分けるという注文をしたのにも、2人の追加料金がされていた。
ちなみに、この5,090円が高いということに文句を言いたいのではない。
この値段を一切伝えていないこと。そして会計の時には"ドリンクしか追加料金がない" と嘘までつかれたことに、とてつもない悲しみを覚えた。
森永乳業×岩下の新生姜『岩下の新生姜 ピンクジンジャーアップル』
iwashita.co.jp/wp/wp-content/uploads/2022/07/img-1854-morinaga-e1658274057888.jpg
1度だけ買ってもらってSNSでネタとしてバズればOK、的な商品だと思ってた。飲んだら予想を裏切る美味しさだった。
森永乳業×岩下の新生姜『岩下の新生姜 ピンクジンジャーアップル』を7月26日よりセブン-イレブンで先行発売。8月9日より全国にて期間限定発売。|岩下食品株式会社
チルドカップドリンクになった「岩下の新生姜」が、どうにも垢抜けないけど素晴らしく美味しい / 森永乳業とのコラボ | ロケットニュース24
rocketnews24.com/2022/08/04/1664459/
パッケージデザインの印象で、ミルクに新生姜の汁を混ぜた下手物テイストを想像してた。
でも実際は全然違った。
基本はりんごジュース。飲み終えるとジンジャーの後味と香り。ミルクは入ってない。
『岩下の新生姜』のPRとしてはこのパッケージで良かったのだろうが、もっと味をイメージしやすいデザインのパッケージで再発売を望む。
リンディ栄養学 (Lindy nutrition) とは、「リンディ効果」と呼ばれる法則に端を発した栄養学。リンディダイエットとも呼ばれる。
古くから受け入れられてきた知識や習慣はそう簡単には途切れないということは、誰しもが経験的に知っている。そこには、長く使われれば使われるほど、つまり長生きすればするほど寿命が伸びていくという一種のパラドックスが生じているわけだが、これを科学的に説明したものがリンディ効果である。
リンディという名称はニューヨークにあるリンディーズという飲食店が元になっている。そこでは、毎晩コメディアンたちが集まり公演したステージの反省会を行っていたのだが、その会話の中でリンディ効果の原型とも言える仮説が生み出されたという。その後、大学教授によって現在の形に洗練されたこの法則は、リンディダイエットの提唱者であるPaul Skallas氏の手によって食事、健康、運動などあらゆる分野に応用され、一種のライフスタイルへと昇華された。
リンディダイエットの根幹にあるのは「時間こそが最も優れた判断基準」という思想であり、時間という試練に耐え、古来から生き延びてきた食生活ほど健康上の利点が保証されるとしている。リンディ効果に照らせば、そのような伝統的な食生活は今後も長きに渡って存続することが予想される。これはSkallas氏によれば、人間の消化器官は昔ながらの食生活に適応しているためであり、人間が慣れ親しんでいない加工食品が消費の中心となった西洋社会では、心臓病や糖尿病の罹患率が高まっているという。そのような訳でSkallas氏は、過去500年以内に発明された食べ物や飲み物を口にしないよう勧めている。
Skallas氏によれば、最もリンディな飲み物の一つには「紅茶」があるという。数千年の起源を持つ紅茶は、「ディープ・リンディ」な飲み物なのだ。一方で、コーヒーについては、「比較的新しいが、400年という時間のふるいにかけられたものであり、恐らく身体にも悪くないでしょう」と語っている。
また、20世紀に発明された紙巻きタバコはリンディではないため、リンディな形で喫煙したい人にはパイプタバコが勧められている。運動についても、現代的なエクササイズマシンではなく、ギリシャ神話に描かれたようなシンプルなウェイトリフティングこそがリンディな運動の仕方である。Skallas氏によれば、「ボディビルカルチャーは近代によって生み出されたグロテスクなサブカルチャー」であり、「運動の目的は筋肉増強ではなく、体の中で関わり合っている様々な仕組みの調整にある」のだという。
Skallas氏は、ヨガについても懐疑的な目を向けている。というのも、現代のアメリカ人が行っているヨガは20世紀に発明されたものだからだ。「ヨガは体に良いのか悪いのか、それはわかりません」「リンディは『それをするな』とは言わない。『何が起こるかわからない』と言うのです」
「ビデオゲームは?」
「リンディではないですね」
「大人のおもちゃは?」
「あちこちで犯罪を犯したり虐待する金持ち?とてもリンディです!」
エプスタインの例が示すように、リンディは道徳的な基準を内包しない。それが良いものであれ悪いものであれ、古来から連綿と続いてきたという事実には重要な本質が隠されているということをリンディは教えてくれるのだ。「人間の本質は変わりません」「古代の人々は人間の身体や行動について深く研究していましたが、それらは今でも有用です」
リンディ・ドリンクやリンディ・エクササイズなど様々な造語を作ってきたSkallas氏だが、隔離生活の閉塞感から逃れるために考案した「リンディ・ウォーク」は、中でも最も注目を集めていると言えるかもしれない。
「基本的にはただ散歩するという意味です」とSkallas氏は語る。「でも、多くの古代文化でも散歩は重要な伝統として扱われているでしょう。例えばキリスト教には『安息日の道のり』があります。ギリシャではヴォルタと呼ばれていて、イタリアにも同様の文化がある。これはただ歩くという目的のために歩いているだけなんです」
リンディ・ウォークでは、A地点からB地点へ真っ直ぐ向かうのではなく、目的地を決めず、手当たり次第に曲がることで心を刺激することが推奨されている。「歩いていたら面白いことが起きました。アイデアの波が次々と押し寄せてきたんです。考えようとしたわけでも何かを思いつこうとしたでもないのに、ただ現れてきた。魔法みたいにね」
現在ではSNSを中心にカルトな人気を集めており、大勢の人がリンディ・ウォークの最中に撮った写真をシェアしている。また、Skallas氏のツイッターアカウントも5万人を超えるフォロワーを擁しており、リンディの人気の高さが窺える。
Skallas氏は、リンディが人気を博した一因にはパンデミックの影響があったと推察している。氏によれば、これまで私たちは、人間を「不可侵の存在」だと捉えて楽観視していたところがあったのではないかという。しかし、パンデミックによって歴史上の出来事に過ぎなかった古代の大規模な危機が生じたことで、世界に対する人々の認識が一変。隔離生活の中で「欠乏」について考えるようになり、「人生において本当に必要なものはなにか」と自問するようになったことから、リンディに関心が集まったのではないかとしている。(ちなみに、500年前にも人々はマスクを付けていたことから、パンデミックも「ディープ・リンディ」なんだとか)
子持ち側にとって話はめちゃくちゃシンプルなんですけど、他人のやることに強制力を働かせたいならお気持ちじゃなくて根拠となる法令やらルール、つまりは基準をもってこいって話なんですよね。例えばベビーカーの利用に関しても公共交通機関は大抵ベビーカーの利用をルール化していて、折りたたまずに乗れることになってるんですよね(元増田は乗ること自体は良いといっているが、トラブルにあう例は未だにある)。スタバだって公に子連れ歓迎していて子供用のドリンクも用意されてるのに、なんで子連れでスタバを選ぶんだとかネットで言われている。基本的に世の中の基準は子供、子持ちに対して優しい方向に変わってきているのに、世の中の流れについていけないクレーマーがお気持ちで嫌がらせしてるっていう現状をまずは正しく認識したほうが良いんじゃないの?
その上でクレームを入れる人について「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」とは思わないし子供の声がストレスな人にとっては辛いんだろうけど、子供の声が騒音規制法の対象になってない以上はお気持ちでしかないわけで、クレームを受けた側の対応としても可能な範囲の対応(長野県の例で言えば、入口や遊具の場所を変更、植樹)にしかならないのは当たり前だよね。自動車騒音に関して騒音が一定限度を超えるのであれば規制の対象になり得るが、1車線に面している場合に65dBが基準なのでアイドリング音程度では厳しく、こちらも可能な範囲の対応(利用者へのお願い)にしかなり得ないだろう。
元増田の主張は「元々個人と個人の正義(権利)の戦いであってそこに絶対的な善悪はなかったのに、子供を盾にすることで善悪の関係がうまれてしまった」的なことなんだろうけど、そもそもクレーマー側の主張が世間の基準を超えるお気持ちベースのお願いでしかなく、子持ちや行政側にとってはお願いに対応すればするほど本来定められている基準よりもクレーマー側が有利になっていくっていう前提条件を意図的にか馬鹿だから気づいてないのかはわからないけれども無視してますよね。
もちろん基準はあくまで基準なのでトラブルを避ける目的でも実態に合わせて配慮することはよくある(電車は出来るだけ混雑時を避ける、子供の多そうな店舗を選ぶ、奇声などを上げ始めたら諫める)けど、別にそれって人に強制されてやることではないし、少なくとも現状の社会は一定範囲の騒音については各人の努力で許容することを前提に成り立っているのでそこに対してお気持ちクレーム入れるならもう立法やらの方向で、子供の騒音を法規制しようみたいな運動をされたほうが筋が良いんじゃないですか?賛同を得られるとは思わないですけど。
午後の紅茶 おいしい無糖
これが商品になるわけですよ。それどころかコンビニのホットドリンク棚では「白湯」が売れているという。
新商品・サービスを考えるとき、どうしても足し算で考えてしまう。既存の製品・サービスに足りない機能は何か。アイデアは結合だから、これとこれを足したら良いものになるんじゃないか。その過程が足し算となり、過剰な機能や状態を生み出しやすい。
実践してみよう。アノニマスダイアリーから引き算のサービスを考える。たとえば「トラックバックの無い増田」。返信が成り立たないから変な議論が起こらない。もしくは「記事の作成ができない増田」。言葉が無ければ罵詈雑言もない、清浄の世界。我々はページの虚空を見つめ、深淵へ思考を巡らすことができる。
よく真のフェミニスト扱いされてるエマ・ワトソンは国連スピーチで男の自殺の多さに触れて「男女共に、自由に繊細な感性を持つべきです。男女共に、自由に強くなるべきです」と語っている。そしてこれを見た男が「これこそが真のフェミニストだ」と男から見たフェミニズムを語っている。私はこの光景を見るたびに一体フェミニズムって何なんだろうと思う。
そもそも正しいフェミニズムを男が語ることに違和感があるのだ。フェミニズムは女性のためのものであるべきだ。男女平等主義であることと女性のために声を上げることは対立しないはずだ。例えば生きやすさを数値で表すとする。理想が100点だとすると男は80点、女性は30点くらい。そこでフェミニストが「女性も男と同じ80点ほどにはなるべきだ」と主張する。すると男は「いや、男だって完璧に生きやすい(100点)わけではないんだけど?」「男女平等と言うなら男の足りない20点にも声を上げてくれるんですよね?」と言ってくる。別に男が自分たちで声を上げて足りない20点をどうにかしようと思うのは勝手だ。男女平等を履き違えてフェミニストに男の足りない20点をどうにかしてもらおうとするのはおかしい。フェミニストが"男のため"でなければいけないなんて傲慢だ。
ピルは34年、バイアグラは半年、これが何か分かるだろうか。新薬が海外で発売されてから日本で許可が下りるまでかかった時間だ。経口中絶薬も厚生労働省が配偶者の同意が必要という見解を示した。女性は自身の身体の自由すら保証されていないのだ。自分の身体すら自由ではない気持ちが分かるだろうか。身体構造として男は射精して気持ちよくなるだけのノーリスクで子供を作れて親を名乗れる。女性はというと何か月もつわりやだるさに耐え、好きなものも食べられず好きなところにも行けず、出産は命懸けで想像を絶する痛みを経験しなければならない。「無痛分娩もあるじゃん」? 無痛分娩は無痛ではない。陣痛が始まってからしばらくは待つ必要があるし硬膜外麻酔という背骨の奥にある硬膜外腔に注入するため、神経損傷の危険性もある。そうして親になっても子育ては母親の仕事と共働きだとしても育児や家事を押し付けられる。子供も産まない自由もあるなどと軽々しく言うな。生理によるPMSや痛みに耐えなければいけないのはどの女性も同じだ。生理用品を買うのも自費、生理用品と聞いてナプキンだけを想像する人も多いだろうがそれだけで済む人はむしろ少数派で多くの人は鎮痛剤やピル、お腹を温めるための貼るカイロや鉄ドリンク・サプリを併用している。女性に生まれただけでこれらのことに耐えるのが当たり前とされる。女性に生まれただけで子供を望んでいなくても妊娠のリスクが伴う。レイプされたとしてもアフターピルは薬局で買えない。常に女性は性犯罪のリスクに脅かされている。女湯や女性用トイレさえ自称心が女性の身体的男に侵略されようとしている。何を根拠に心が女性と言っているのだろう。女性差別を受けるのは身体的女性のみだ。どうして社会的ジェンダーを解体しようとならずに身体的男が女性を名乗って女性の安全を奪う方向に物事が進むのだろうか。身体的男を女性と認めなければ差別主義者として社会的に殺すと脅してくる自称フェミニストもいる。フェミニズムが女性のためであることを求めるのがそんなにおかしいことなのか。男の言う真のフェミニストなんて男にとって都合の良い概念でしかない。男社会に迎合した人たちが真のフェミニストと呼ばれ持て囃されている中で、本当の真のフェミニストは存在が差別だと迫害されている。
あまりにも心もとない財布を見て、勢いのままに体入を申し込んだ。いくら見た目が若いとはいえアラサーに足を突っ込んでいる。
それまで接客業に従事はしていたものの、全くの初心者。さらに、性交に夢見てしまっていた未通である。
逆にお客さんに申し訳ない。
こういうのはかわいい女の子が着るからこそいいのでは?と思いつつ、衣装を着て背筋を伸ばしたら私もかわいくみえるのでは?と少し楽しくなっていた。
スカートの丈もさることながら、カウンターにはおおきな鏡が設置されている。
なるほど、パンチラ。
最近ノーパンしゃぶしゃぶの情報を仕入れたところだったから、ホンモノに出会ってハイテンションである。つくりは簡素だけど、よく考えられている……
面接の時点でパンチラはわかっていたので、体入にあたって新しい下着を買った。箪笥の中身はあまりにも……なものしかなかったのだ。
こういうのが好きな人もいるだろうが、仮にこれを見て盛り上がっている人には引く、ので、自分が着て、見て、楽しいものを買った。
きっとほとんど年下だろうけど、かわいくて楽しくて、しっかりしている。尊敬した。
お名前をすぐには覚えられないので、おねえさんと呼んだ。おねえさんと呼べて楽しかった。おねえさんと呼べとは言われていなかったが、教わっていて嫌ではなかった。
お客さんに少しだけついた。残念ながら指名を頂けなかった。
まあなにもかも初めてなので当然である。お話しているときは楽しかった。素直に心から笑った。いや、ゲラなのもあるけども。ドリンクもいただけた。おいしかった。
総じて、楽しかった体験入店であった。しかしそれ以上に精神的に疲労がたまった。
客引きでたちっぱだったのもあるだろう。いままで男性と関わる機会が少なくて、緊張していたのかもしれない。
この頃、仕事して疲れるけど楽しくて疲れた感覚がない、という仕事ばかりしていたから、それはかなりの負荷であった。本入店をすぐにOKできなかった。
今回は体入だったのでなかったが、店舗に出勤する以外に、時間外でブログなどの業務があるらしい。店舗だけで疲れるのにこれ以上?
ただでさえ掛け持ちでバタバタしているのに、そんな余裕はない。
時給外の業務でも、その分時給がいいなら考えたが、今回の体入だけでみた時給は掛け持ち中のバイト時給と変わらない。
即日手渡しでもなし、これ以上増やしたところで利点はないだろう。
ということで今回はご縁がなかったということで。返答を待ってもらっているから、その間に良い文章を作らなくては。
また財布が心持なくなったら、体入に現れると思います。
Aさんに、先日高専五年生にホットドリンクの補充のしかたを教えた時の事を愚痴る。私が黙々とホットドリンクの補充作業をやってる時に高専五年生がやってきて、「それどうやってやるんですか?」と聞いて来たので教えた所、高専五年生が一言、
「それってやらなくていっすよね」
テメェ……!
高専五年生に仕事のやり方を聞かれて教えるといつもこれなんだよぉ! と言うと、Aさんは言った。
「彼は俺相手にはそんなナメた口の聞き方はしないですね」
あぁそうとも。奴は人を選んでナメくさった態度を取っているのさ!
……と、話しながら思ったのだが、結局のところどう頑張っても高専五年生の人間性を変える事など出来ないので、ああいう奴だとわかった以上は今後ヤツに何を聞かれても、
「いいよいいよー。私がやっとくからー。夜勤の人は仕事が多くて大変だもんねー☆」
なんつって、無駄に仕事を教える労力を省くのが我が身のためなのではないか。どうせ教えた所でその仕事は高専五年生にかかれば「やらなくていいこと」になってしまうのであり、どのみち仕事は私に押し付けられるのに違いはないのだから、自分がよりイライラしなくて済む選択肢を取る方がいいのでは。高専五年生には、人生なめプな性格を更に強化していただいた上で社会に出ていただき、五枚も六枚も上手な邪悪な先輩や上司に当たって綺麗に破滅させられて無職になることを願う! ……とか黒い考えが思い浮かぶたびに、昔祖母のいっていた「人を呪わば穴二つ」という言葉が過るのだが、それこそ呪いのような気もする。
高専五年生の糞みたいな言動を目の当たりにし、オーナーやAさんに対する外面の良さを聞いていると、これまでの人生でいやになるくらい見てきた、職位の高いだけのクズの若かりし頃って、こんな感じなんだろうなーと思う。ああいう奴が社会に出たら、パートや派遣社員や技能実習生の外国人などに面倒な事を押し付けまくって心を折りまくり、自分はのうのうと高いお賃金を貰うんだろうなー。しらんけど。
当店からそう遠くない所に大きなTSUTAYAがある。昨日の昼間にそこに新刊の小説を買いに言ったのだが、発売日当日なのに在庫がなかった。仕方なく、店頭に設置されている端末からお取り寄せ注文をした。
そんな事をAさんに話したところ、発売日やレンタル開始日にその品物が店頭になく在庫もない事になっているというのが、そのTSUTAYAあるあるなのだとAさんは言っていた。そのTSUTAYAは、完全自動レジを複数台導入されて以降、店員の人数が大幅に減らされてしまったようだという。おそらく、人手不足のせいで商品が入荷しても検品や品出しが追い付かなくて、在庫0っていう事に(不本意ながらか意図的にかはわからないが)なっているっぽい。
そんな想像を、コンビニとはいえ何でもやらされる小売り店の店員目線でしてしまうのだったが、本当の所はわからないので、いちどアルバイトとしてあのTSUTAYAに潜入して現状を自分の目で見てみたいよねーw と話した。まあ、当店よりも遥かにブラックそうだから、実行に移すのはやだけど。
どうせ欲しい本はその店のバックヤードに死蔵されてるだけだと思うし、取り寄せ予約には明日にでも店から商品があったという連絡が来るんじゃない? と楽観的に話す。
そして帰宅後、スマホを見たら見慣れない名前の会社からメールがあって、TSUTAYAでした予約注文を受け付けたという内容。あーそういえば予約注文した時に、TSUTAYAじゃなくて別の取次会社かなんかとの契約になるっぽい事が確認画面に出てきたなー、と思い出した。
しかし、予約注文の契約は他社と行われていて、品物もその会社からTSUTAYAに送られて来るということは、もしもTSUTAYAのバックヤードに商品が検品もされずに放置されているのだとしたら、売れない商品がたんまりある所に、それと同じものが新たに送られて来るという無駄が生じるのだろうか。
あるいは、TSUTAYAのバックヤードには検品すら出来ないまま放置されている品たちがあるという想像は完全に間違いで、需要がないって訳でもないのに発注とかがされておらず、配本や納品がされることもない商品が多くあるって事なのか。不思議なような、そうでもないような。俄然TSUTAYAでバイトしてみたくなったのだが、バイトの掛け持ちは今は社保の関係で難しく、新しい仕事を始めたければ当店を辞めるしかない。そんなリスキーな真似をしてまではやりたくないかな。
備忘と戒めのために。前提:20代後半の女
①一番最近の事例
出先でノンアルコールドリンクを2杯飲んで腹が冷えたことが原因。
電車内で危機に見舞われるも、なんとか降車駅のトイレに滑り込み、この時は事なきを得た。
これで安心したのが良くなかった。帰宅前に、夫が自宅最寄りのコンビニに寄りたいと言い、それに付き合った後に第2波が来た。
家まで歩いて数分なのに持たなかった。
私が下痢を漏らす時、基本1波では終わらないことを念頭に置いていればこうはならなかった。
②もう一つ前の事例
前日ホテルの夕食で、その島特産の芋類をたくさん食べたのが原因(すごくおいしかった)。
鍾乳洞に潜っていた際、危機に見舞われた。肛門を絞め、「ウゥ〜」の代わりに「ウワ〜」と言うことで鍾乳洞に感動している風を装う。
鍾乳洞を抜けたすぐそこにトイレがあり、この時は事なきを得た。
その後レンタカーで行った海辺で急速に第2波が来て、漏らした。臭かったが海辺だったので事なきを得た。
流石に友人たちに申告しようかと考えたところ、運良く公衆トイレを発見。
漏らしたブツの大半はトイレへ流し、汚した下着はペーパーで丁重に包んで汚物入れに突っ込んだ(本当に申し訳ない)。
ジーンズの下はノーパンで過ごし、フェリーなどを乗り継いで帰宅した。爽快だった。
必ず私の下痢は第1波で終わらないことを念頭に置いて生きていきたい。
書き留めることによって、この決意を新たに出来た。
ドアに書いてあった。確かに「押印」の「押」と「推進」の「推」だと「推」の方がPUSHっぽい。
エスカレーターにて。「走ること勿かれ」と訓読できる漢文と同じ文法だと感動。現代中国語だと「走」は「歩」の意味だという第二外国語で習った知識も合わせて「歩かないでください」であることを認識できて嬉しかった。
行きの飛行機で隣になったおばさんと筆談で話したときの一文。大陸の中国人は日本の新字体を繁体字だと認識してるんだなあという異文化感が良かった。台湾や香港の人は新字体を見たら簡体字だと思うんだろうか。
ヨーグルト。前述の筆談で話したおばさんいわく中国人はヨーグルトが好きらしい。確かにコンビニにも飲むヨーグルトの品揃えが豊富だった。
中国の地下鉄は空港のような手荷物検査が改札口に設置されている。そこの標語らしき文言でどの駅(中国語なら站)にも書かれている。
入学後すぐにできた友人に「ラーメン食べ行こ」と誘われてノコノコついて行ったら、そこは味噌ラーメンの店だった。
私は普通のラーメンを食べるつもりだったが食券機には味噌ラーメンと醤油ラーメンの記載しかなかったため、どれが普通のラーメンなのか友人に尋ねたところ「ここは味噌ラーメンがおすすめだよ。でもあっさりめな醤油も選べるよ」と的外れな答えを受けた。
改めて、味噌でも醤油でもなく普通の豚骨ラーメンはないのかと問うと「ここは味噌と醤油だけだよ」との回答が返ってきた。
ふーん珍しいタイプの店なんだなと思いながら、言われるがまま友人におすすめされた味噌ラーメンを購入した。
席につき、運ばれてきた味噌ラーメンを食べながら、「ラーメンの口だったけど、味噌ラーメンってのもたまには美味しいね。東京には色んな店があるんだね」的なスタンスで友人と会話していたが、妙に話が噛み合わなかった。
その後、色んな人とラーメン屋に行くたびに自分と周囲の「ラーメン」に対する認識の違いをうすうす感じるようになった。
近所にラーメン屋はいくつもあるが、全て豚骨ラーメンの店だった。選べるメニューは【ラーメン・トッピング・サイドメニュー・ドリンク】のみ。
そして、どの店も「うちは豚骨ラーメンの店です」と言っていない。スープが豚骨であることが当たり前すぎて、明記されていないのだ。まあ、明記されていたかもしれないが、それを気にする機会もなかった。
自宅で食べるインスタント麺も、ほとんど毎回うまかっちゃん。たまにカップの焼豚ラーメン。
私は福岡で育った18年間、「ラーメン」とは豚骨スープの麺のことを指すものだと思って生きてきた。
もちろん味噌ラーメンや醤油ラーメンがあることも知ってはいたが、それはラーメン界の亜種のようなポジションのものだと認識していた。
そのため「ラーメン食べ行こ」と言われて味噌ラーメンの店に連れていかれるのは、「今夜はカレーよ」と言われて食卓にスープカレーが出てくるようなちょっとした衝撃と違和感があった。
その後、大学生活を送る中で徐々に答え合わせをしていき自分の固定観念にようやく気づいた頃には時すでに遅し、私は「東京のラーメンを認めない、小うるさい福岡県民」と思われるようになっていた。
そんなつもりなかったのに。
狭い世界での当たり前をこの世の常識だと思い込んだまま長く生きると、自分の世界の外の常識に気づくのはすごく難しいんだということをこの時に学んだ。
今も、私が好きなのはずっと一途に豚骨ラーメン。でも、味噌ラーメンや醤油ラーメン、塩ラーメンに鶏白湯ラーメン、色んな味のラーメンがあること、そして豚骨ラーメンだけがラーメンではないことをきちんと理解して生きている。
(あれば)BHB塩15グラム
ハイウルソ顆粒1包
水500cc
BHB塩は30分後には血中濃度がピークになるくらい即効性があるが、2時間持たない。上記を混ぜよく撹拌したものを、勉強時間の6時間ほどかけてちびちび飲む。ゲボマズなので、これで味の強いプロテインを割るなど工夫する。
さらに、最初にビタミンEとビタミンB2、御岳百草丸を飲む。また、普段のサプリとして、アセチルNカルニチン、カネカ製コエンザイムQ10を飲んでおく。
ケトジェニック中は頭が冴えたような気がするがちょっと勉強に向かうとすぐ実感できるくらいに疲れがくる。体を動かすのであれば皮下脂肪を分解してエネルギーにしてくれるが、どうやら勉強だけではそういったことをしてくれず、すぐに燃料切れになるようだ。そこで燃料をだらだら投入しながら勉強する。飲んだ油が消化され吸収され使われるよう、ハイウルソ、ビタミンB2、カルニチン、コエンザイムQ10の手を借りる。また油を多く摂るのでビタミンEも摂っておく。サンフラワーレシチンはコリンを求めてだけでなく乳化剤として。
また、ちょっとややこしい問題に出くわすとすぐにコルチゾールが脳をだめにして記憶力を低下させるので、気休めだが御岳百草丸を飲んでおく。