はてなキーワード: アフリカとは
「悪いけど」と言ったのは一年半続いたバイトを人間関係に疲れて辞めたばかりであること、膝が痛いと溢すようになった母の元に養われながらゲームばかりしていること、随分前に大学を中退したこと…などなどが絡み合って昼間のスーパーに堂々と行けないくらいの後ろめたさを感じているせいだ。
でも人と比べることがなければ今までの人生で一番ぐらいに幸せな時間だとおもう。
10点満点中4点ぐらいかな、低すぎか。今までがマイナスだったからかな。
母の料理を小学生の頃ぶりに食べられて、話し相手がいて、好きなだけ好きな本を読めているんだから。
10点満点中10点の幸せは怖い。躁状態になってる時の錯覚を見るのが怖い。でも幸せだった。
性欲だけで好きになった男の車に乗せて貰った時も、分不相応に高い服を買った時も。
ハタチになったばかりの頃は周りを見られなくて、だから逃げる事も突っ込む事も出来て(出来るような気がして)とにかく夢中だった。
あの頃は10点の幸せがあったけどもうそういうのは出来ないんだろうなぁ…
2年そこらでこれだけ老けるなんて、ハタチの私が見たらガッカリだと思うけど
「起こるべきことが起こった、同い年になれば分かるよ小娘」ぐらいは言う気がする。
自分に対する諦めと年少者に対するごまかしを身につけた嫌な大人。
4点は幸せだけど満足じゃない。「アフリカの子供よりはマシなんだから」の理屈。
8点欲しい。あと4点どうやって加点できるのかわからない。
とりあえず30万借りて二重弄ってくるわ。
ここはアフリカの広大な草原帯のどこか。よく、サバンナとかサバナとか呼ばれたりするところ。
あっちにはキリンの長い首が何頭か見え、その近くにはシマウマ達が群れをなし、色々な鳥達が木々で羽を休めて、囀りあっており、そして草むらをよく見ると、草食動物を虎視眈々と狙う肉食獣が何匹か身を潜めている、長閑に見えて実際には緊張の走るところ。
そんなに様々な動物達が一望できるのは、そこには大きな水溜り、ちょっとした池のような沼にも見える動物達には欠かせない水分補給の場があったからだ。
そこで最も支配的だったのは象達だった。
象達はとても頭がよく、身体も大きく、意外と俊敏でもあり、肉食獣に狙われることはあったにせよ、肉食獣にとっても沢山の肉が手に入る敵ではあったものの、できれば避けたい相手でもあった。
それ故、象達は仲間の何匹かを見張りにつかせつつ、悠々と水飲み場の一等地を占有していた。
一等地というのは、まず水があまり濁っていないことであった。濁っている水は不味く、病気になることも多いと象だけでなく他の動物達でさえ知っており、濁りの多い場所は閑散としていた。
そして、象達から少し離れた、一等地ではないものの、そこそこ水の綺麗な場所を陣取っていたのは、カバの群れだった。
カバは象ほどは賢くはないし、体は大きいものの、象ほどには身軽ではなく、獰猛さを見せることもできたが、象には敵わなかった。しかも、カバは水飲み場を移動するという行動をほとんど取ることができなかった。
それがカバの生態であるから仕方がなかったが、カバにとって大事な大事な水飲み場、象に一頭地を占有されるのは仕方ないとしても、それでもその水飲み場から離れることはできず、二等地とも呼べるその場所を死守していたのである。
そのカバの群れは30頭ほどと言ったところだったが、そのカバの群れの中でも身分のようなものがあった。
だから、利口なカバほど水の澄んだ場所を選ぶことができ、そうでないカバほど汚れた水の場所しか選ぶことができなかった。
なぜなら、一等地の象達は、そこが一等地であるが故に、水の汚れを気にする必要はほとんどなかったが、カバ達の場所は水の流れなどで汚れた場所が日々変わり、利口なカバほどそのことをよく知っていたので、常に水の状態を意識して生活していたからである。
しかし、利口でないカバはいつも汚い水の場所で水を得なければならなかった。そういうわけで、汚い水を選択せざるを得ない利口でないカバは病気にかかりやすく、死ぬことも多かった。
しかもそれ故にも、汚い水しか飲めないカバは病気持ちのカバと思われることが多く、仲間内からも蔑んだ目で見られており、あまり相手にされることもなかったのである。
そんな利口でないカバの一頭であった彼を取り敢えず、カバ九郎と呼ぶことにしよう。
カバ九郎は最初は確かに利口ではなかったので、いつも汚れた水の場所にしかいなかったが、しかし、実際には他のカバ達に比べそれほど利口ではないということもなかった。
単に、性格が違っただけだった。カバ九郎にはある種のずる賢さがあったと言えよう。
カバ九郎が汚れた水の場所にしかいないのは、最初こそ仲間の利口さに負けたからだが、ずっとそこにしかいないのは実際のところは理由が他のカバが考える理由とは違っていた。
実は、汚れた水の中には魚がいっぱいいたのである。
カバは草食ではあるものの、完全な草食動物ではなかった。草食が主体ではあっても、肉を食っているカバがいることは近年になってよく知られるようになった。
カバ九郎は、汚れた水の中にいる魚達がとても美味しいことを発見し、他のカバにはそのことは決して言わず、自分だけで独占したのである。
所詮は池・沼地に過ぎないので、ちょっとでもこのことを教えたら自分は魚をあまり食べられなくなってしまうから。
そして、その魚を食べ続けたことが影響したのかどうかわからないが、カバ九郎は全く病気にかかることもなく、それどころかどんどん栄養が満たされて太り、肌も艶艶で、どう見ても、汚れた水にいるカバのようには見えなくなっていったのである。
そしてカバ九郎は、他の利口なカバ達が苦心して綺麗な水のところを探す努力を心の中で笑い物にし、本当に利口なのは俺だ!と奢るようにさえなっていったのである。
最初にそのカバ九郎の異変に気がついた仲間の一人をカバ太と呼ぼう。
(どうしてアイツは病気にならず、それどころかどう見ても他のカバより健康そうなんだろう?)
カバ太は、カバ九郎に近づくと他の仲間からカバ九郎と同一視されて蔑まれてしまうリスクも分かっていたが、どうしても気になってある日、カバ九郎に直接聞いたのである。
「なぁなぁ、カバ九郎、どうしてそんなに肌が艶艶なんだ?何か秘訣でもあるのか?」
カバ九郎はよほどのことが無い限り、仲間から話しかけられたことはなかったので、吃驚したものの、嬉しくなった。だから、他のカバ達には絶対に教えたくなかったが、つい秘密をカバ太に教えてしまったのである。
「実はさ、ほんとに誰にも言っちゃいけないぜ、この汚れた水の中には魚が……」
その日から、汚れた水のところにいるカバはカバ九郎とカバ太の二頭になった。
カバも人も同じである。一度知ってしまった秘密はどうしても外部に漏らしたくなるのである。
「絶対誰にも言うなよ……」
と、ついに群れの半数以上のカバが汚れた水の場所で生活するようになってしまったのである。
すると、事態はカバ九郎の予想したとおりになってしまった、食える魚がどんどん減り、酷い日には一匹も食えない状態にまで陥ってしまった。
最初は、カバ九郎もどんどんと自分の仲間が増えて、有頂天になって、汚れた水場にいる仲間からはまるで殿様のような扱いを受けていたから、そのことの方が嬉しくて、リスクは知っていたものの、事態の悪化を見過ごしてしまったのだった。
だが、とうとうカバ九郎も堪忍袋の尾が切れたか、そんな事態に我慢できなくなり、ブチ切れた。
「てめーら良い加減にしろよ! ここは俺の水場だ! てめーら出ていけ!」
第一次カバ戦争勃発である。……そんなことはどうでもいいが、その日以降、汚れた水飲み場のカバ達は毎日のように争い続けるようになり、魚達はカバに踏み潰されることが多くなってしまい、とうとう一匹の魚も寄り付かなくなってしまって、汚れた水飲み場にいたカバ達の群れは、カバ九郎一頭を残して消えてしまったのだった。
そして、魚を食えなくなったカバ九郎の肌の艶もどんどんなくなり、日頃、そんなに草食地で餌を探す苦労もしてなかったものだから、いっつも他のカバ達に食い荒らされた草地に言って残り滓を食べる以外に方法がなくなってしまい、汚れた水場ばかり利用していたのでとうとう病気になって、痩せ衰えたのもあり、あっさり死んでしまったのである。
その群れのカバ太は仲間にぽつりと漏らした。
「なぁ、カバ九郎って利口だったのかな? 利口じゃなかったのかな?」
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 65 | 12542 | 193.0 | 41 |
01 | 73 | 12697 | 173.9 | 64 |
02 | 38 | 6304 | 165.9 | 70 |
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04 | 26 | 5488 | 211.1 | 72.5 |
05 | 15 | 1619 | 107.9 | 63 |
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08 | 51 | 6344 | 124.4 | 55 |
09 | 118 | 14111 | 119.6 | 47.5 |
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11 | 246 | 17756 | 72.2 | 42.5 |
12 | 261 | 26621 | 102.0 | 37 |
13 | 293 | 27781 | 94.8 | 41 |
14 | 256 | 25757 | 100.6 | 43 |
15 | 229 | 22043 | 96.3 | 43 |
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1日 | 3473 | 354532 | 102.1 | 43 |
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地域、コミュニティ、時期、誰が言うか などによっていくらでも変わるぞ
「ニガー」ってアフリカ系黒人がアフリカ系黒人に言うことが許されるからって、お前が言って良いことにはならないのはわかるよな?
そのあたりを見ることで、そうですね、「感情が」湧き上がってきますね?
理屈ではなく感情を引き起こそうとしたことを、まずは褒めておく。それでいい。
でも、だから何って話をずっとしてるよ。
感情だということをもっと自覚すれば、お前のやっていることの無茶さが判ってくるはずなんだ。
お前がやっていのは、俺の心に引き起こそうとしているのは、アフリカの肉食動物が子供のインパラを殺す映像をみて、残酷だなって眉を顰めるのと同じだ。
生命っていうのはそういうもので、人間っていうのはそういうもので、お前は人間性を否定しているのだ。
目を逸らしているのはお前なの。
お前が肉食を止めたことで、むしろ死ぬ生命もあるが、お前は肉食をやめたことで善の己の満足すると言う感情を得られる。それは勝手にすればいいが、俺はしないし、全人類が持つべき感情とはとても思えないな。
べき論の前に、現行指導要領(もうあと2年だが)では、
・世界史A(近現代中心・内容やや薄め・文理合同の場合の必修向き・標準単位2単位:週に2時間)
・世界史B(古代〜近現代通史・内容網羅的・文系向き・標準単位3単位:週に3時間)
進学校でも世界史Bには6単位くらい費やしている所が多いのではないだろうか。
まして底辺校では、世界史Aを週2時間で教科書を終えることなど不可能だ。
建前上は教科書は隅々まで教えることが義務となっているが、それをやろうとすると物凄いスピードで進むか、内容を薄めまくってミクロな話をすっ飛ばした授業にするか、いずれにしても無理が生じる。
どうしても近現代が大切だーの声が大きくなるが、実は世界史の核は16世紀〜19世紀だろうと思う。
つまり、ヨーロッパがいかにアメリカやアジア・アフリカを植民地化したか、だ。
それを抜きに、いきなり日本の開国からやってもな、という気がする。歴史総合のことだ。
その一番大切な土台があってこそ、日本軍がインドネシアでオランダ人女性を慰安婦にした、という事件を、世界史的なスコープで見ることができる。
大東亜共栄圏を肯定する訳ではないが、なぜインドネシアのスマラン島にオランダ人がいたのか、そこを抜きにスマラン事件を語ることはできない。
増田の文章の中では、直結させちゃいけないこと、混ぜちゃいけないことが色々と混ざって、飛躍した結論を導いてるけど、社会的少数派を「(内心で)嫌う自由」と「(偏見に基づいて)嫌いだと口にする自由」は全く別のことだよ。
まず、女性的男性について。「男性なのにクネクネしていたり、男性なのに女性みたいな服装をしたりしているのはどうしても受け入れられない」。非典型的なジェンダー表現・所作を身に付けた男性がゲイだとは限らないし、ゲイがみんなそうしてるとも限らないけど、まあとにかく増田はそれを気持ち悪い、受け入れられないと思っている。で、それが「わたしが彼らを嫌いだということも認められるべきだ」と繋がる。主観として何かを気持ち悪い、受けいられないと「思う」ことと、他人(その中には当然、LGBTの人達もいるかもしれない)に向けて彼らを嫌いだと「言う」ことは全然別だ。
次に、アフリカ系の男性について。「わたしは正直に黒人男性が怖い。体も大きいし、意思の読み取れない表情も怖い。黒人男性を怖がる自由はわたしにのこされているのだろうか」。それが偏見に基づいている感情だとしても、増田が何かを怖いと感じること自体を規制する方法はない。その意味で増田は「黒人男性を怖がる自由」を持っている。でも、「黒人男性は体も大きいし、意思の読み取れない表情も怖いから、彼らが嫌いだ」と公に「言う」ことは、それとは次元の違う話だ。
「思うこと」と「言うこと」は全く違う効果を持つ。特にマジョリティがマイノリティに対しての嫌悪や恐怖を公に「言う」ことが当然のように許されたら、増田の言う「差別のない世界」=「誰もが当たり前に存在して、誰もが当たり前に自分に正直でいられる世界」は成り立たない。社会的多数派が少数派を「クネクネしてて気持ち悪い」とか「表情から意志を読み取れない」から「嫌い」だと公言するのは「私たちはあなたたちがこの社会の中で当たり前に存在することを許さない」という価値観の表明で、それは彼らに対する抑圧に直結する。
増田がそういうことを公言し、それを誰もが咎めず暗黙裏に合意するような社会空間では、たとえば本当は女性的な所作・表現も交えつつ生活したい男性(繰り返すけど、それがゲイとは限らない)は、本来自分がそうしたいと思っている振る舞いを抑制したり、(ゲイやMtFTSGなら)セクシュアリティや性自認を隠さなければならなくなるだろう。これは明らかに「誰もが当たり前に自分に正直でいられる世界」じゃない。
増田は内心で思っていることを「言わない、言えない」という状態が著しい自由の制約だと感じているのかもしれないけど、世の中には「自分が何者なのか隠さない」という自由すら持っていない人達がいっぱいいる。増田は「私の自由は規制されている、私を規制するな」と主張するけど、「偏見にもとづいてマイノリティを嫌いだと公言する自由をよこせ」というのは「彼らを黙らせる自由、彼らを抑圧する自由をよこせ」と言っているのと同じなんだ。で、自由民主主義社会の価値観のなかでどちらが優先されるべき自由かと言えば、〈誰かを公に差別する自由、嫌いと表明する自由〉よりも、〈誰かが(他者の同じ権利を侵害しない限り)自分自身として存在できる自由、本来のかたちで生存する自由〉のほうだ。
だから増田は、社会的少数派を偏見に基づいて「嫌いだ」と口にする自由は制約される(ヘイトスピーチ法/条例に抵触する範囲では法的に制約されるし、そうした見解を批判する立場からの言論によって---増田が「周囲から総攻撃を食らった」ように---社会的に制約されることもある)けど、彼らを内心で嫌う自由はある。マジョリティに100%保障されたその自由を、存分に享受してほしい。それって、すごい特権だと思わないか? だってマイノリティにはさまざまな社会的抑圧や差別によって、内心ですら自分自身を100%受容・肯定することがままならない人達もたくさんいるんだぜ。
あまり男性が女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的に早熟な少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャーの知的で論理的に自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマ「サマー/タイム/トラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。
さておき、これは近親相姦のお話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉を弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。
頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かない。モテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞき込まれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉で現実に適応しようとした姿なのかもしれないのだ。
それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的な活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉で言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。
あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワン・カラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまうタイプのキャラクターが好きだ。
死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌が醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿を馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人がヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通やフェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。
それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気の山脈にて」も愛好している。
架空の神話がショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品は基本的に短く、しょうもないオチの作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空の世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精の魔法も見せてくれる。
「あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画「メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムがテーマの作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。
表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙のお話なのだけれども、そのロボットは自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間のサイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。
学生時代、自分は女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎の作品も同様の理由で好きだ。
自分を馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。
「ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカの植民地で暮らす女性の視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。
個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカを前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地の支配者側からの視点は批判的に読まなければならないが、色眼鏡の比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。
植民地時代のアフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くからの貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人が満州や朝鮮半島、台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ。
はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。
確かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大な小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代の小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。
「李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰の文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。
これは「三造もの」と呼ばれる中島敦の私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明の無意味さに対する形而上学的な恐れや不安が意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後の説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年・文学少女たちは、その言葉を無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。
膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフの作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分の初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。
しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的に搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバートの夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータの内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。
ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手な男性の心理の解剖である。
「ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供の挫折を描いた小説であり、この社会が弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近な話題から告発した話なのだ。自分がした屁の責任をかぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢そのものじゃなかろうか。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html
遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールドの未来を舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学や陰謀論と社会の関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。
仁木稔の作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学や物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台もラテンアメリカで日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品は中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズの最新刊が出ないか、今か今かと待っている。
明治十一年の日本の都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信を批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治の日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。
著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異のイメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識を内包した、強固な偏見に根差したものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。
とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なものを嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦の描写に優れる。
妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。
姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分の人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。
韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。
色々とコメントをいただけたのでいくつか返信してみよう。
まず、私をいわゆるネトウヨだと思い込んでコメントしている人がけっこういるみたいだが、私は自分をネトウヨとは思っていないし元の日記も徒らに日本アゲをするような趣旨は一言も書いていない。最初にも書いたが日本の男女格差が酷い(森元首相の例のコメントのように)のは痛感しているしもっと男女平等が実現されてほしいと思っているくらいには自分をフェミニストと思っている。日本の人種・外国人差別がマシだとも決して思っていないし、ネット上の中国・韓国人への誹謗中傷は断じて容認しない程度には自分をリベラルだと思っている。
人種の坩堝のような国から、単一民族の国まで、男女よりも形態にバラつきがあるから単純なランキングは難しいのかも?大和民族と、在日外国人や、その他の民族とのギャップがフィーチャーされるのは良いと思う。
ありがとう。確かにこの辺を見ても民族・文化的多様性は本当に国ごとにバラバラらしいから(日韓あたりは世界的にみて非常に同質な国家らしい)、定量的な指標を作るのは難しいかもしれない。
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_ranked_by_ethnic_and_cultural_diversity_level
それでも定性的には何らかの評価はできるだろうし、不完全でもまずは何らかの横並びの指標で世界を測ってみるのが大事だと思う。指標は後から批判を受けて改善していけばいいし。
なるほど、ではある。しかし男女というのは理屈上はどの国でもほぼ半々なわけだ。人種とかで区切ると国によって多様すぎる。アメリカは人種別のいろいろな統計は出ていて、ひどい結果になっている。
男女はほぼどの国にもいますが多人種はいる国とあまりいない国があるから難しいでしょう。 あと欧州やアメリカは人種差別の多い国というより人種の多い国だと思うんだけどどうよ
男女はどの国もあるというのは確かにそうだなとは思う。一方で、LGBTのような性の多様性まで考慮したら本当にどの国でも同じと言えるのか。また、人種・民族・文化の多様性は国ごとというが、これだけグローバル化が進んでいてどの国民国家も一国では成り立たない世の中で、安易にこうした試みを諦めるのも勿体ないとも思う。どんな国も(日本でさえ ※上のWikipedia参照)何らかの人種的多様性を抱えてて社会的問題を孕んでいる中で、こうした指標を作る意義はあると思う。男女格差の指標だって、20世紀来女性の地位が見直されて社会進出が進む中で出てきたものだし。
あと欧州・アメリカは、人種の多い国だけど同時に人種差別も多い国だと思う(でなければBLMみたいな運動が注目されるはずがない)。一度でも欧州のどこかに旅行に行ったことがある人は、あの独特の硬直した社会の雰囲気を知ってるんじゃないかな。アジア人としての居心地の悪さ。それはCOVID-19の前から変わっていない(今はさらに酷くなっている)。あと欧州人のアフリカ・アラブ系への見下し方とかは酷いよね。以前、欧州の同僚とイタリアのミラノを観光していたときに私は何気なくアフリカ系の人たちに近寄ってしまったのだが欧州人の距離のとり方は凄かった。カリフォルニアから来たインド系の同僚は、ベルリンでフードを目深に被って顔を隠しながら歩いていた。警戒していたんだと思う。
ちゃんとジェンダー不平等指数は22位、ジェンダー開発指数55位、人間開発指数19位とかそういう公平な報道をして、最上級国民ダボス会議で知られる「日本は遅れている」プロパガンダをやめることが先決だと思うが。
公平な報道を、というのは本当にその通り。一方で、ここのコメントでさんざん吹き上がっているように日本社会にまだまだ改善の余地があるのも事実なので、そこは粛々と改善していきたい。
実際に分類された結果「男女差別よりはずっとマシだがら男女差別を放置する言い訳には使えないが欧米を言い返すのは不可能レベルに充分酷い」って出たら、ウヨミソが発狂しそう。
「人種差別・民族差別指数」なるものがあったとして、永住権をもつ外国人の地方参政権すら認めないジャパンはやっぱり差別大好き国家になることは目に見えてるんだが。
冒頭でも書いたけど、自分はネトウヨではないし日本アゲしたかった訳でもないから、もし客観的な指標で日本が低い結果になったらそれはそれで粛々と受け止めるだけだと思う。あと仮にそんなランキングで日本が上位になったからといって、今のネット上での人種差別的な言動は断じて許容しないし、日本社会の大きな問題であることには変わりがない。上のコメントが私にではなくこれを読んで曲解した「ネトウヨ」読者へ向けての警句だとしたらいいが、元の記事には「日本ガー」みたいなことは書いてないはずなのでネトウヨだろうが誰だろうがもう少し丁寧に読んでほしいなとは思う。
外国人の地方参政権云々については、人種問題というよりは移民政策とかもっと政治的な各国の判断だと思うのだが、その分野は詳しくないのでこれ以上はなんとも言えない。
人種格差は、フランスのように「仏市民自体が一つの民族であり、人種を想定するのは差別の温床」という国や、ミャンマーのように「あれは国民ではなく移民」と言う国もあり難しいのよ。逆に統計とってる代表格は南ア
南アフリカは確かに過去に苛烈な人種差別のあった国だから自浄作用的にそうした統計を取ってるのは理解できる。国々で人種・民族の捉え方が違う、というなら男女の問題だって各国で伝統的に扱い方が違うだろうし、とくにムスリム国家では宗教と結びついたナィーブな問題でもあるだろうから、難しいと言っていたら何もできないのではないか。
人種差別ランキングというか評価付けならあるぞ、日本は最近それで評価下がった 理由は外国人労働者へのブラック労働。さらに下がると貿易に影響するからヤバい状況らしいよ
あるよ。なんでないとおもったのか。
既にあるんだとしたら私が単に不勉強なだけなので、ぜひ教えてほしい。タイトルだけでも教えてくれればあとはググれるので。
こういうのでなくて?ランキング形式ではないけど。https://www.google.com/amp/s/www.cnn.co.jp/amp/article/35122505.html まぁアジア系が最大で開いてるので、増田の願望はかなわない臭いけど。
調べてくれたのはありがたいが、これはランキング以前に米国内での話だよね? あとアジア系の格差が最大というのは米国内でアジア系人種への扱いが二極化していることを示すだけで、アジア系社会内で差別が最も激しい訳ではないでしょう? ここから逆に読み取れたのは、米国ではアフリカ系やヒスパニック系、ネイティブ系は逆に社会で固定的に差別対象とされていて、一方アジア系は貧しい階層に押しやられている人たちもいればヨーロッパ系同様の裕福な階層にも入り込める、ということかな。
国連の人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会による日本政府に対する条約の実施のための改善勧告を見てみよう。ジェンダー関連以外もてんこ盛り。本邦の人権絡みの惨状は男女差別だけじゃないよ、大丈夫だ!
これも元の日記を日本アゲだと勘違いしているコメントだけど、日本に改善勧告してくれるのは大変結構なんだけど、どちらかといえば同じように欧州や米国などにも人種差別の問題をもっと勧告しようね(してるならその報道を見たいね)、という話。それは日本のためじゃなくて世界のためにね。