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はてなキーワード: 設計とは

2016-08-28

[] モダイオラス

口角外側部で口裂周囲の筋群(口輪筋、頬筋、頬骨筋口角下制筋、笑筋など)が収束して交錯する部位。

小臼歯部へ向かう強い圧迫点となるため義歯設計において考慮される部位である

http://www.oralstudio.net/stepup/jisho/sakuin/E383A2/00220_09.php

ありがとうございました

回答ありがとうございました!

ホント自分でもよく分からず、「じゃあ実際お前はどうすべきだと考えてるんだ」と聞かれても、分からないとしかいいようがないようなレベルで疑問だけぶつけているので、とても申し訳ないです。

精神障害から生じるコストをその個人1人に負わせるのはどうなんだ、社会負担するべきなんじゃないか、ってことだよね?

そうです。さらに言えば、肢体不自由に比べてフェアじゃないんじゃないか、という。でも一歩間違えれば心身にハンデのある人に対する予防拘禁でもしろというのか、みたいにも聞こえかねない(もちろんそんなことが言いたいわけではないのです)ので、不十分なものの言い方になってしまっています



今回の事件を見て、事件後に「そう言えばこんなことが」「あんなことも」みたいに言ってる人を見て、ちょっとイラっきたのが一つ。そして、深夜に女性スタッフ一人でホテル仕事回させるという社会にも、どうかしてると思ったのがもう一つ。要するに、「社会もっと、こういう人もいるということを前提にさまざまな制度設計をし、人間関係モデルを構築すべきではないか?(それが精神的な意味でのバリアフリーになるのではないだろうか)」というようなことが言いたかったのかもしれません。



…そこまで書いてて思ったのですが、イスラム教社会みたいな妙に禁欲的な社会というのは、そういうことを実現できる部分もあるかもしれませんね。イスラム社会なら、今回の事件容疑者のような人が社会で広く知られるような仕事をする可能性もないでしょうし、深夜のビジネスホテル女性スタッフ一人で回すなど想像もできないでしょう。もっとも、そういう社会では、彼みたいな人はそれこそ座敷牢にでも放り込まれて一生終えるのかもしれませんが。…難しいですね。



とにかく、ご回答のおかげでいろいろ考えることができました。ありがとうございました。

http://anond.hatelabo.jp/20160828002001

2016-08-27

[]

今回は裏サンデー


栄冠は俺に輝く 1話

酷い環境言動香ばしいヒール役などによる胸クソ展開。

そこに現れる主人公

そして、ハッタリきかしつつも、実力でムカつく奴を倒して、読者の溜飲を下げる。

こ、これは……間違いない。

凡百のスポーツマンガだ。

このご時世に、読み切りでも連載作品でも散々みてきた構成スポーツ漫画を読めるなんて、ある意味ですごい貴重だぞ。

まあ、でも私はこういうの食傷気味なんで。



ねじの人々 第21話

ねじまさかの幼馴染。

しかし、世間一般的価値観から見て可愛くない。

いや、モザイクかかっているから読者の私には分からないが、作中のキャラ評価曰く有り体に言って「ブス」らしい。

そこに編集者が介入、「マンガってのは夢を描くもんなんだよ」、「幼なじみをかわいくしろ!」と作者に言い渡す。

作者もそれに従うが、ねじが「どうして幼なじみかわいいのが「夢」なのか、納得する理由説明して欲しい」と、それらの意味を尋ねてストーリー進行を拒否

また、シビアなとこに突っ込んできたなあ。

こういうのって往々にして、各々が様々な物を背負って語り倒すから、面倒なことにしかならないってのに。

まあ、「あくまマンガキャラクターの設定」という言い訳はあるけれども。

私としては、即物的なもの見方人間評価することがクソというより、その評価基準を悪として目を背ける風潮こそクソだと思うんだけれどもねえ。

だって人間主観本位な生き物な以上、美醜含めてそういう評価基準はなくならない。

その感覚的にどうしようもない部分に対して、社会通念上どう振舞うかってことでしょ、大事なのは

さて、次回、彼らはどう話を決着させるつもりなのだろうね。



DOG END 2話(前編)

えー、高層ビルを身一つで10分ちょいで登れることについては、なんか超人的な能力を持つ奴らが多い世界観という解釈をするなら、まあよしとしよう。

でも、その最中に、窓を見て誰もそれに気づかれなかったってどういうこと?

あのビル設計的に、明らかに窓に映ってるっぽいんだけれども。

登っている最中もそうだけれども、窓割る瞬間まで気づかず会話しているシーンとかアホすぎる。

さすがに無理があると思うので、次回ちゃんと説明して補完されることに期待。

2016-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20160825234146

説明書仕様書設計書があれば、それを理解したうえで

気に入らない点を微調整できる。

2016-08-25

業務ソフトウェア仕様書設計書と呼ぶけど

どっちかっつーと説明書だと思う

プログラム作った後で、どう作ったか説明するもの

客が欲しいものは動くプログラムでありソフトウェアであって

説明書はおまけ

LANケーブルループしたら危険って、あまりにも運用に頼りすぎている。

もう少しフールプルーフ考えた設計にできなかったものか。



電気的な仕様が今のままでも、コネクタの形状を変えるだけでもよさそうなんだけど。

例えば、ハブの口は●にして、端末の口は■で、ケーブルは●---■の形状にすれば、ループは起きない。

冗長化は難しいけど、このくらいで十分な場面もあるはず。

あたし男だけど、ガルパン見ながら三度も「貴様のような女はいない」ってつぶやいちゃったわ。

あと戦記物として勝負できないからって架空女子を使った歴史の追走みたいなことするのは、歴史好きな人からしたら逃げてると思われるのではないかしら。

それともこれって歴史にも戦車にも疎い萌豚を引っ掛けて知ってもらいたい欲求の成せる技なのかしら。

それなら親切設計ちょっと価値が有るわね。

あとロシア人は全員コサック地方出身じゃないわよ!

語尾にピロシキとかつけちゃうからネタだってわかってるけどね!

2016-08-23

続【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞記事批判する

前回のまとめと補足

前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。

その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テスト記述試験大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法採用を後押ししてしまっているという点にある。

いくつかのコメント飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。

しかし、その一方で、私は文科省国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解バイアス資質問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。

これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。

今回批判したいこと

今回私が批判したいのは、8月19日朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である

前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。

はじめに結論をかけば、

氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。

私が特に重要視している記事記述は次の2つの記述に集約されている。

この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。

記述問題形式

氏岡氏の8.19付解説記事最初記述について考えたい。

私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述問題において何を問うかという点に関する検討理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである

特に、「文章理解説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者可能になったと断定している点である

国公立大学二次試験国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章記述の内容把握や根拠説明要求するものになっている。

一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学2016年度だと例えば滋賀県立大静岡大首都大学東京島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。

では、新共通テスト記述問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。

高大接続システム改革会議の最終報告には、

国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報多角的視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)

とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句一見氏岡氏の記述合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分言葉説明することを指していると通常は解釈するように思う。

実際、

大学入学希望学力評価テスト仮称)」の記述問題については、現在国立大学二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力評価と採点等テスト実施に当たっての課題解決の両立を目指す。(p.56)

と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。

まり「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。

仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、

自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。

では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。

解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価観点を踏まえつつ、各大学学部)はアドミッションポリシーに基づき独自の採点基準採用することができ、各大学学部)の主体性が発揮できる。

ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。

というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものからだ。

全国共通試験への記述式・論述問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力評価するための大改革であり、適切にその能力評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧あり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。

これは、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテスト場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。

また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テスト問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいか記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである

また氏岡氏は自身ツイッターで次のように述べている。

入試改革を引っ張ってきた国大協の委員会ででた案。出題の幅がぐんと広がる。注目です。

「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。

しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。

読売新聞8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。

国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテスト1月中旬実施しても、大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。

これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。

「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。

上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?

また国公立二次試験を見ても、単独で200~300字の記述要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である

もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。

今回のまとめ

まり考えられることはいろいろある。

といったことだ。

 しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告から乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。


 実は、国立大学協会論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。

そもそも、記述式・論述問題評価すべき能力いか構造化できるかは、根源的な課題である評価すべき能力構造化があって初めて、各大学学部)はアドミッションポリシーの中に、記述式・論述問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識ノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力構造化に向けた記述式・論述問題設計理論構築、体系化が喫緊課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学個別試験における記述式・論述問題に関する実績を調査分析することなど、この課題積極的に取り組んでいきたい。

これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述問題形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。

2016-08-22

ペアプロボトルネック

設計仕様知識の無さとかツールの使い方知らんとかそういうのはなんとでもなるが、タイピングの速度がある程度以上遅いとすべてが破綻するということに気づいた。

NHK報道した貧困JKに関する件。

一応それ関連の記事などは一通り読んだつもりですが、報道内容や該当JKツイッターなどから「本当にその生活貧困なのか」というような部分に火がついているのだろうと。

まれた家庭の経済面他人比較したことがないですから相対的自分の家が貧困だったかは分かりませんが、うちは非課税世帯だったので裕福ではなかったとは思ってます

そういう家庭で育っているので、うららさんが言っているように将来の進路を選択する時には「金」の問題が常についてきました。入学金の多少、学費の多少、生活費の工面、奨学金などの制度。進路の選択には偏差値などの学力に関する問題と併せて「金」に関しても考えないといけなかった。

しかしこのことについては、よっぽど裕福な家庭に産まれでもしない限り「みんな」同じように考える問題だと思います。こども自信が考えるのか、親だけが考えるのか、考えた結果、選択可能な進路はどれくらいに絞られるのかが違うだけで。そしてこの最終結果となる選択可能性については、特に親の将来設計で大きく変わるのはことは知っています

そして当事者である子ども本人です。うららさんは「みんなが当たり前にできることが自分だけできない」「夢を持っているのに目指せない自分は不幸」と言っています。この考え方なんですが、自分自身が進路で悩んでいる時と同じなので強くは責められないし、責める資格もないと思う。しかしまぁ、同じようなことを考えていた人だけに何か書かずにはいられないもので。

まず「夢を持っているのに目指せない」ではなく「実現しようとしていない」だけだと思います。確かに親が自分の将来の学費をどれだけ貯めているか貧乏か裕福かで「進路選択時」だけ切り取れば一見かわいそうな自分が見えてくると思う。でもそれは、そもそも自分が裕福な家庭に育っておらず、将来やりたいことのためにはどれだけのお金がかかるのかを早くから認知していればいくらだって対処法はある。うららさんの言う「夢」はいから叶えたいものとして彼女の中に湧いたのか、叶えたいものとしてどれくらいの重みがあるのか分からないですけど、本当にやりたいことであれば真剣に考えていれば方法は見えてくるはずだし、見つかるまで考える。

それから、「みんなが当たり前にできること」なんて実はないです。学校なんかで集団生活を送っていると、ほんとうは個人単位で見た時にはそれぞれ出来ない部分があるのに、ある程度おおきな集団の一部になると一部の出来ないものは見えづらくなって「みんな出来る」ものに見えてしまものです。これは今回のような貧困もそうだし、たとえば自転車運転、なわとび、計算の速さ、記憶力の違いなんかもそうです。

ほんとうは個人個人身体的な障害なんかの非常に見えやすい違いを除けば、それぞれが自分の出来なさを克服しながら前に進んでいて、それぞれがそれぞれの苦しさを抱えていると思います

人は産まれ持つ能力を選べません。自分の将来設計をする上で、たとえば夢を語る時に「才能がないから」という理由簡単に諦めるような夢ならば語らない方が良い。人より体格が劣っているかメジャーリーガーの夢を諦めていたなら今のイチロー存在しない。夢を実現させたかったら人との差、足りなさを埋める努力をしなければいけない。

まれ持つ能力を選べないように、産まれる家の財力も選べません。これも言い替えれば「才能」のようなものです。自分に備わってないものは何かしらの手段で埋めるしかありません。

100メートル走で一番になりたいという夢があったとして、その夢はボルトと同じ身体能力を持って生まれ、同じ環境で育つというフィールドが整わないと夢の実現の可能性がないのか。

今回の場合、うららさんがやりたいことはキャラクターデザイン勉強なのか、それとも「お金」がかかるから実現できない(と思っている)専門学校に行くことなのか。

日本は5〜6人に1人(正確じゃなくすみませんの子どもが貧困層らしいです。ひとクラス40人なら7〜8人が貧困層であって、珍しい存在ではありません。ただ実際問題学校生活貧困などが問題として表出するのは義務教育以降です。

貧困層の子どもはたいてい学力が低いので、高校に行かないか、行っても同じような貧困層学校構成します。なので数字上は珍しくもない貧困の子どもが認知されにくいんだと思います

貧困から将来の選択肢が狭まるというのはある意味正しいと思うのです。だから子ども貧困について知らない人に知らせるというのも大切だとも思います

でも、もっと大切なことがあると思います

自分貧困だということに早く気づくこと、現実を受け入れること。子どもに対して伝えたくない事実だとは思うけど、親がきちんと伝えること。そして現状を知ったら解決に向けて何が出来るのかを調べること、考えること。

貧困から叶わない夢って、まぁ金がなきゃ叶わない夢も当然ありますけど、たいていは貧困から「楽には」叶わない夢なんじゃないでしょうか。

2016-08-18

ます再起動しますか?とか聞かれたからいいえ押して、まあしばらくしたらまた聞いてくるだろと思ってたら

動いてるアプリとかあるのにも関わらず問答無用で警告なしにいきなし再起動してきたんだけど

しかもそれで勝手更新しておいてそのバグアップデートで今度は設定の更新セキュリティの項目自体開けなくするとか天才すぎるだろ

これで初心者勝手更新の項目いじれなくして後は思う存分更新させられるってわけだ

設計したやつ頭良すぎだろ

2016-08-16

anond:20160815111754

(たとえばキャラクターについて言えば、感情を押し殺したようにして淡々と語る綾波市川実日子に、外国語を混ぜたご機嫌なアスカ石原さとみに、真意のわからぬまま無理難題を突きつけてくるゲンドウは〈あの国アメリカに、それぞれ入れ替わっただけである。)

あえてエヴァを引くのなら〈あの国〉はゼーレでは。

ゲンドウくんはあれでも現場の総司令という立場なわけで、矢口ミサトさんとみるなら赤坂さん=ゲンドウくらいだろうか。



そこで米国代表としてか弱い女性を置くことで、日本人男性日本人男性の力で国を守ったという体裁が保たれる。

かつ、あの日本語と英語を織り交ぜたヘンテコな日本語は、彼女をか弱い存在だけでなく変な奴として提示する。国際的観点からでなく、あくま日本人の側から見られた変人だ。

自分にはカヨコは強引でマッチョキャラクターに見えたけれども、それでも「か弱い」という見方もあるんだな。

カヨコの優秀さの描写は足りないような気がしたし、終盤の日米の間で板挟みになって悩むのもとってつけたようには感じたけど。



あの映画は、機械オタクの男が設計室に引きこもってひたすら戦闘機流線型フォルムにうっとりしているだけで、その戦闘機がどれだけ戦争悲劇を生んだか、とか、そうした男の機械オタクたちが生んだ戦争技術によって死んでいった女性への視点が欠如しているだとか、政治的またジェンダー的な観点からさまざまに批判を呼んだが、

少し脱線するけれども、増田は「女性はか弱くて守られるべき」という考え方の持ち主なのかな?

戦争技術によって死んだのは男女関係ないと思うのだけれども。

ポケモンGO

http://h-pon.doorblog.jp/archives/48231330.html

自分レベル20アンインストールした。偶然だがね。

レベル上げが大変になったのとか、あとはやっぱり、経験値が同じポッポなのにレベルが上がるほど逃げられることが多くなった点。

おかしいよね、それ。

本来、入る経験値が同じなら、楽に倒せなくちゃいけない。

レベルが上がって強くなった実感が沸くどころか、むしろ弱くなったと感じるゲーム設計

レベル自分の強さではないのだろう。

その辺の感覚が受け入れられなかったのだと思う。自分には。

2016-08-15

インテリの俺が全力でシン・ゴジラ批評するゾ

シン・ゴジラを観た。

エンタメとしては面白い

だが同時に庵野および日本映画限界を示すドキュメンタリーのような映画でもあった。


この映画は、

復興ありき、

再建ありき、

日本にはまだ力がある、

立ち直れる、

そういう答えがもう先にある。

出来レースっぽい。


結論はこれ。もっと詳しく読みたい場合は先に進んで欲しい。


日本万歳の大合唱で負の側面を覆い隠す

これは映画に限らず様々な場面で3.11震災後なんども繰り返されていることだ。

力があるって主張をかたくなに、ほとんど反駁不可能イデオロギーのように保持しているのは、

しろ思考停止の弱体化にしか見えない。

俺は出来る!って盲信しているやつは、強いんじゃなくて自分の弱さを直視できないだけだ。


もっとも、3.11以降繰り返されてるそうした自己欺瞞的な合唱に飲み込まれることは、まぁ仕方ない。

この作品を取り巻く精神的な状況からして、ほとんど不可抗力であるし、それだけで作品のすべてを否定するつもりはない。

しかし、せっかくゴジラほどの大怪物召喚しておいて結果やっぱり俺らスゲーの大合唱かよ、と思わざるをえない。

俺らスゲーの出来レースゴジラ以外の他のテーマでやってくれ、と言いたくなる。

ゴジラというキャラもっともっと掘り下げるべきテーマを蓄えた宝庫なのであって、ゴジラをそんな自己欺瞞物語なかに埋もれさせて浪費してはいけないのだ。


新たな危機に直面すればこそそれに見合った国の体制を改めるよう反省を強いられ、

新たにテーマを掘り下げればこそそれに見合った映画手法発明するよう強いられる。

しかしそうした危機テーマである当のゴジラが、ほとんど空虚存在であるがゆえに(たしかわずかだが神として語られ、放射能の脅威を連想させていても、しかしそれが物語構造のものに関わることはない)、

日本万歳のその国の概念のもの反省を迫る映画にはなっていないし、その手法に関して言えば新たな手法発明どころかエヴァンゲリオンとさして変わらない。

(たとえばキャラクターについて言えば、感情を押し殺したようにして淡々と語る綾波市川実日子に、外国語を混ぜたご機嫌なアスカ石原さとみに、真意のわからぬまま無理難題を突きつけてくるゲンドウは〈あの国アメリカに、それぞれ入れ替わっただけである。)

シン・ゴジラエヴァンゲリオン庵野確立した様々な設定を忠実に引き写している。そこには反省発明も見つけられない。


もちろん何の変化もないわけではないが、

そうした変化が結局は日本の閉鎖的で差別的視野に同一化する点、

自分に力があると信じたいがために他国と異性に対する偏見を利用する屈折した日本男性視点に同一化する点は、

この映画保守的ものにしている部分である


石原さとみによって日本を弱小国として見る可能性が排除される

たとえばエヴァンゲリオンにはなくてシン・ゴジラには見られる新しい部分は、政治の前景化であるとともに、(それがつねに〈日本の〉政治である限りで)他国政府との交渉だろう。

ここに石原さとみが登場するわけだが、彼女キャラクターは、自信を回復したがる日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕している点で、やはりこの映画保守的ものにしている。


石原さとみのチャラけた演技は真剣に事案に対処している他のキャラクターに比べかなり浮いて見えるが、

しかしあれは日本男性の閉鎖的で差別的欲望からすると必然的な役柄になっているといえる。

演技がわざとらしいために良い演技とは言い難い、と思う観客もいるだろうが、しかしそういう演技も含めて必然的キャラのあり方だと思う。


日本米国の間に女性が入るというのは、日本からみて心理的必然性をもっている。

日本米国関係はいわばスネ夫ジャイアンであって、ジャイアンマッチョなところがあまりに出すぎると(たとえばジャイアンの力のみで事件解決したり、その力がスネ夫である日本に向かったりすると)、日本を守る日本人男性たちのプライドや虚栄心が傷ついてしまう。

そこで米国代表としてか弱い女性を置くことで、日本人男性日本人男性の力で国を守ったという体裁が保たれる。

かつ、あの日本語と英語を織り交ぜたヘンテコな日本語は、彼女をか弱い存在だけでなく変な奴として提示する。国際的観点からでなく、あくま日本人の側から見られた変人だ。

ここでは常識人変人の対は、内部(日本人)と外部(外国人)という対と本質的に繋がっている。変人変人であるのは、その者が外部から来た外国人であるからだ。

「〜アルヨー」とか「〜デース」とかい言葉遣いキャラが、日本人の側から見られた変な奴の象徴であるのと同じで、

彼女の奇妙な日本語は、他の日本人男性と観客とに米国でなく日本から観点を持たせ、その外部から来た変人として石原さとみを見させる。

視聴者たちが米国目線から日本を弱小国として見る可能性が排除される。


このようなわけで、この映画日本男性精神性の問題をそのうちに含んでおり、その点ははっきりと批判されるべきであるが、

しかしその限界をはっきりと映画のなかで示しているという点においては、そうした限界の記録として、ドキュメントとして、歴史的価値が大いにあると思われる。

その点では逆にこの映画評価されるべきだろう。

これほどありありと、日本的および日本男性想像力限界を示した作品はなかなか見つからないのではないか


風立ちぬ』にも認められるドキュメンタリー価値

この点ではジブリの『風立ちぬ』も同じだろう。

あの映画は、機械オタクの男が設計室に引きこもってひたすら戦闘機流線型フォルムにうっとりしているだけで、その戦闘機がどれだけ戦争悲劇を生んだか、とか、そうした男の機械オタクたちが生んだ戦争技術によって死んでいった女性への視点が欠如しているだとか、政治的またジェンダー的な観点からさまざまに批判を呼んだが、

しかしそうした戦中日本精神限界性をはっきりと示していたという点においては、ドキュメントとして大いに価値をもっている。

今回のゴジラもまた、同じような価値をもっているといえる。


こうして、批判されるべき部分は評価されるべき部分ともなる。

したがっておそらく、この映画において賭けられているのは、シリアスコミカル関係性ということになろう。これはどういうことか。


正しい反応とは、それを積極的に笑うというもの

さしあたりこれまでの論述で明らかになったことは、この映画限界証言するドキュメントとしては優秀であるが、それはいわば限界にはっきりと居座っているからであって、丁寧になぞっているからであって、限界を越えようとしているからではない、ということであった。

まりエヴァンゲリオン踏襲し、ナショナルものジェンダー領域において日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕するこの保守的映画は、

限界を自ら反復し、演じている、ということであった。

日本男性政治家米国女性シリアスセリフを交わす場面で、自身の力への欲望は満たされるだろう。

しかしまた、あることを反復し演じることは、つまりそれを真似することであり、その虚構性を示すことである

そう考えれば、シリアスものコミカルものに転じる。

そしてそれに応じて、批判されるべき部分は、評価されるべき部分ともなるのである


したがって、このように問うことができるだろう。

限界を反復することは、限界に居座ることであると同時に、限界茶化すことでもあるのではないか。つまり限界批判することでもあるのではないか

たとえばエヴァンゲリオンの設定を踏襲することは、新たな手法発明努力放棄することであると同時に、反復しているその設定を茶化し、批判することでもあるのではないか


そうであれば、シン・ゴジラへの正しい反応とは、それを積極的に笑うというものではないだろうか。

まりシン・ゴジラが何かを反復している限りでシン・ゴジラを笑い、またその反復によってシン・ゴジラが茶化しているものを笑う、と。

誰か、あの映画を見て笑ったものはいるだろうか。

あの映画は、諸手を挙げて受け入れられているように見える。

私はその反応をこそもっと批判したい。

2016-08-14

Android Studioインストールして懲りた話

SDKドライバADBだけにして、Genymotion使うことにしま

便利さの袋小路

僕は今、海外に赴任していて、もうすぐ日本帰国予定。

日本は、ちゃんと指定した日に小包が届くし、コンビニスーパー24時間やってて、細々とした雑貨も快適に設計されている。海外から離れて見ても、これほど便利な国はないと思うのだけれど、僕はどうして、日本に帰ることに、日本生活に今から少しだけうんざりしてしまうのだろう。

蓋し、便利さと生活の質というのは、通じているところはあるけれど、同一ではない。便利な生活はある程度の生活の質を保証してくれるけど、便利さを突き詰めていったところに最高のクオリティ生活保証されているのかというと、どうもそういうことではないようだ。

そしてその便利さを突き詰めていった袋小路に、今の日本に生きる僕たちの生きづらさがあるように思うのです。



あるいは、便利さと言うのは「生活短期的な幸福効果」と言い直すことができるかもしれない。僕たちは時に近視眼的にその手近な効果を追求しがちなのだけれど、長期的な幸福効果というのにはてんで無頓着で。

ネットで注文した商品が即日に届いたり、深夜にお酒が買いにいけたりする便利さは、確かに有り難いものではあるけれど、そのために誰かの生活犠牲にしているのであれば、僕はそれを求めない

ドイツでは未だに日曜日になるとレストラン以外のお店は法律しまってしまって、うんざりしたものだけれど、日曜日ショッピングができなければ、家族散歩をして過ごすようになるものだ。不便さを楽しむことが、長期的な幸福効果の最大化の近道である、と最近は思うのです。

2016-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20160810161313

そりゃ現実世界でもハトネズミ見る以上にクワガタ見るわけじゃないもんな

配信からまだ1か月たってないのに、レアは出ない、って早すぎませんか?と俺は思うのだけど、そこはどうなのよ

季節によって出現確率違うかもしれないわけじゃん

ニョロモ梅雨時期大量発生するとかさ、5月コイキングだらけになるとかさ、真夏ゴースが出やすいとかさ

そういう検証も、気長に付き合う気もなく、数週間やっただけで、レアは出ない、って

じゃあ1日歩き回れば家の周りで全種類集まるようなゲーム設計なら、そっちの方が好きかい




ちなみに俺は、家は川沿い、職場は山の上にあるんだが、家ではコダックコイキングなど水系中心、

職場ではズバットピッピを始めイシツブテロコンガーディなど、山っぽいやつが中心に出る

駅前に出れば幅広く出てる感じもある

ポケモン探して旅に出る必要はないけど、前から気になってたところに、じゃあちょっと行ってみようかとか、

次の出張帰省ちょっと楽しみになるとか、そういう感じにはならないものなのかしら

2016-08-09

golang半年近く使ってみて

後なんかweb系の企業golang採用多いので、ある程度詳しくなっておけば就職困らなそうという予防線

今のところが成功しなかったらeurekaとかmercariとか雇ってくれませんか!

どっちもユーザーです!(ペアーズでは3名ぐらい逢った、メルカリではバイクMacbook Air売ったなー。)

ポケモンGoとかやんねーし、地味に自分がよく使っているアプリサービスから成功パターンを得るのがいいのかなぁ

なんか、人との接点がうまくできているCtoCサービスがうまくいっているような感じが(CtoCなんだから当たり前か、何いってんだ)

人とコンバージョンしたいです。

2016-08-08

日本経営者の働かせ方についての考え方って根が深い問題な気がしている。

本業については人一倍熱心に取り組むし、従業員に対してタスクの消化状態がどうだ、プロジェクトの進捗がどうだという話はするのだけど、労務であったり給与であったり労働環境であったりとかにはとんと無頓着で、最低限働ける環境さえ用意すればいいだろっていう姿勢経営者。いや、最低限のものすら用意できない経営者もいるのかも知れないけど、ここではどちらかという無関心に近い感覚

議事録を書き続けなければいけない会社なんかも、こういうのの延長線上にあるよね。

なんとなく思ったのは、ソフトウェア設計プロセスのなかの「機能要求」にあたる部分を本業だとすると、ここで書いている働かせ方というものの多くってのは「非機能要求」に当たる部分だと思うということ。

なにをやってる会社かという、機能要求的な外向けのビジョンは言える。しかし、どういう風に働いてほしいという、非機能要求に当たるような内向きのビジョン曖昧なままに働かせているような、そんな感覚

彼らにとっては短期的には利益に直結しないし、そりゃあ利益を出すのが仕事なんだから仕方ないのだろう、というのはなんとなくわかってるのだけど。

たとえば、これで問題になってくるものも考えてみる。

ある程度の人数になってくればバックオフィス業務責任者なんかもいるんだろうけど、経営者がそのあたりに無頓着だと、責任所在曖昧になる。あるいは、その責任者の単なる利権の一部になってしまう。

また、等しく「管理職」であったとしても、バックオフィス系とそれ以外では締め付けが全然違うということになれば、特にバックオフィス以外の部署従業員不安になる。少なから疑心暗鬼になるし、精神的な余裕を消費して仕事をしなきゃいけなくなる。ひいては、本業の進捗なんかにも影響は出てくると思うのだよね。

ということをぼーっと考えていたら、特に日本大手製品使いにくいこと多かったよな、というようなことも思い出してしまって、「非機能要求」という概念のもの日本人は考えるのが苦手なんだろうな、というところまで思いが至って書き殴ってみた。

たとえば、音楽は聴けるし管理も出来るが使いやすさという概念を捨て去っていた過去ウォークマンソニックステージ。たとえば、まず最初クリーンインストールから始めたくなる、日本大手メーカー製のパソコンキャリアスマホ。たとえば、とりあえずなんにでもプラズマクラスターをつけていけばいいと思っていたかのような現台湾資本会社

みんなそうだよね。

http://anond.hatelabo.jp/20160808205325

あなたのような合理主義者には一笑に付されるだけだとは思うんだけど

紙の本はモノとしての良さがあるんだよな~

電書の装丁画像一枚だし本文サイズも可変だしで、デザインへったくれもないけど

紙本は装丁家によって内容と合致した設計がされて本文や口絵もそれに合ったデザインがなされていると

それを眺めてるだけでうれしくなる

情報としての本は電子書籍のほうがいいと思うけど、俺は紙の本も好きだわ

金があって容姿が良くて仕事ができる奴は幸せなのか

そりゃ金はないよりあったほうがいいし、容姿はよければそれに越したことはないし、仕事ができればかっこいいだろう

でもそういうのって過剰に持っていてもしょうがなくて、自分キャパ以上のものを持っていても無駄だし下手すると害もあったりする

こういうのはミニマリスト思想にも近いんだけど、維持管理能力スキルを越えるものはたとえ金やモテであっても捨てたほうが楽なんだ

 

例えば金であれば預貯金・株債権不動産含めて億以上の資産を持っていればおおよそ金持ちレベルに入るだろう

ただその資産運用し続ける気力はあるか?運用だけじゃない、賢く消費できるかと言われれば多くの人間には無理

金は単なる選択肢を増やす手段しかなく、効用を得るにはその選択肢を正しく使うスキルがいるのにそっちを軽視する人間が多すぎる

そういったスキルがないのであれば選択肢なんてないほうが幸せ

 

選択肢といえば容姿モテも同じ。どんだけ女にモテても交際とは最終的には一人の妻を選ぶプロセスしかすぎず

モテはその一人の選択肢を増やすのみ。結婚してしまえば後は無駄な交友コストがかかるだけの重荷だ

何もしてないのに勝手に異性から好意を寄せられたり、それが理由で他の異性と人間関係がギクシャクしたり、

なるべく相手ダメージを与えないようにやんわりと好意を拒絶したり、こういう本来不要精神コスト結婚期間が長いほどマイナスの影響を受ける

 

上2つに比べると仕事ができることの弊害はわかりやすいかと思う

組織に適切な制度設計がなされていなければ、できる奴に仕事が大量に降ってくるだけで何も得しない

うまく設計されていれば責任に比例して裁量も与えられるようになるはずなんだけど

そうなると今度は抜擢されることによる嫉妬が発生したり派閥争いに巻き込まれたりして人間関係疲弊する

ぶっちゃけ仕事に集中していられた時代の方がストレス少ない

 

はいえ、こういうことはまず金も容姿仕事能力も持っている人間が言わなきゃ説得力がないわけで

そういうもの

私はなりたい

2016-08-07

google adsenseいつ許可出るんだよー

申し込んでから待たせすぎ!

サブドメインじゃダメとかなんだとか申し込む時点でうるさいこと言っておいて

申し込んだ後どれだけ待たせるんだよー

はー、許可出るまでブログ書く気も起きない



独自ドメインにせよアドセンスにせよ

どうしてこんなに不便で不親切なんだろう

悪意のある利用者排除するため?

そんな利用者は手馴れててこの程度の不便さはノウハウ規模の経済で楽々抜けるよ

善良な利用者にばっかり負担掛ける馬鹿制度設計

ドメイン業者グーグルみたいなとこまでやってるんだなーいまだに

2016-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20160806231427

世の中の大抵のものは右利きを想定して作られてるけど、左利きの奴がいちいち「差別だ」とか言ってくるんですかね?

9割が右利きなんだから、右利きが使いやすいように設計したら9割は正解だろ。

自動改札右側に設置してあるのを「差別」とかいう感じ?

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瀬戸ミュージアムに行ってきましたわ。

訪問は二度目ですけど、サケではありませんわ。サバですわ。

特別展はひどく地味で、古瀬戸の新出土品展示でしたわ。

窯の分布の変遷が土地勘のある人には興味深そうですわ。

三階の常設展焼き物の変化を丁寧に展示していて、

引き出しのコーナーでは大量の出土品を観察できますわ。

設計者の意図はやきものの外見から年代特定のできるアマチュアの育成にある気がしました。

まりにも理想がお高いですわ。



もうひとつ特別展地元陶芸家作品を展示していて、

加藤陽一様の電車へのこだわりが強烈でしたわ。

地元陶芸家による茶碗展示でも電車型の茶碗を展示していましたわ。

何がこの方をここまでさせるのかしら。



特別展は年に10回程度も開いているとのことですわ。

また訪問してもよろしくてよ。

サケではありませんけど!

2016-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20160804205954

マジレスすると安売りのところは専任デザイナーいないし

見た目よりいかに安く作れる設計かを重視する

安い素材で作れるとか既存の金型を使いまわせるとか