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はてなキーワード: 例外とは

2016-12-06

切込隊長凋落は「個人メディア」だったネットの終りを象徴している

ここ最近隊長調子が悪い。都知事選でも能年玲奈に関しても、ポジショントークに終始しているし、今回のほぼ日に関しても切れ味が悪い。勢いがあって笑えた文章も、ただの罵倒しか見えなくなってきた(個人の感想です)。

この変化は、メディア環境の変化と関係があるだろう。元々、隊長の持ち味はどこから集めたのかわからないリー情報ベースにして、それをネット文体で書きたてるものだった。ちょっと前まで、ネットには独自取材をする人がいなかったので、それはとても貴重なものだった。しかし、バズフィード代表されるように、既存メディアから人材移動がいよいよ本格的に始まり取材力を持ったライターが現れ始めたことによって、その価値は薄れてしまったのだ。

既存メディアライターは強い。なぜなら、電話取材ができるから。何か起こったらすぐに取材をしてその日のうちに記事にしてしまう。正規ルートで一気に突破する。隊長は片手間にやっているから、この点で出遅れしまうし、本業ではないか正規ルートが通れず、取材力も弱い。

雑誌凋落人材週刊文春に集中し、彼らがネット展開のやり方も覚えてしまったので、出処が不確かな噂話も価値がなくなってしまった。

この変化はすべての個人書き手に当てはまる。あなたはこの数ヶ月、個人ブロガーが「炎上」以外で注目を集めているのを見たことがあるだろうか? かつて「面白い」と言われていたネットメディアも、ぜんぜん見ていないのではないか? おそらく「YES」と言うだろう。既存メディア教育を受けてきた人がいよいよネット進出してきたので、個人ブロガー存在感はどんどんなくなってきている。素人の与太話や感想を読むくらいなら、きちんと取材されたものを読みたいと思うだろう。

Kindle Unlimited、DマガジンNetflixTVer……書籍雑誌映画テレビも、すべてプロが作ったクオリティ保証されたものが、インターネットで手軽に見られるようになってきている。この変化は、インターネットにいっぱいいる個人書き手を、どんどん駆逐していくだろう。切込隊長例外じゃない。いよいよ「古き良き」インターネットは終わろうとしているのだ。

2016-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20161205093508

いや、煙草ギャンブルはともかく人をバカにする男は大勢いるだろ。

男性的魅力に欠けるキモヲタだってその手のタイプが多い(というか例外の方が少ない)

あんたの中で「人をバカにする」のハードルものすごーーーく高いだけななじゃないの

ちなみにふたば民が読める行数の限界

2行までです

 

3行以上はお客様扱いされます

長文や文字数が150字以上などは途端に解読不能になるのでレスポンチバトルも短文の罵りあいが多いです

ただしモテモテスクリプト形式スレでは例外です

http://anond.hatelabo.jp/20161205175942

これはおそらく「例外を持ち出す人=はてなー」というはてなーへの皮肉だぞ

例外」を言い募る人が日本を停滞させている

何かを提案したときに、やたら細かい部分にこだわって、「それは違うんじゃないか。こういう場合もある」というようなことを言い出したりする。

OK、きみの言い分は正しいよ。そういう場合もあるだろうね。だが、それがどうだって言うんだ? 例外には例外的対処するよ。クソ野郎が。

本当はそう言いたいが、こっちも大人なので、気持ちを抑えて冷静に答える。すると、彼は「これはどうだ」「だからって……」とか何とか、いろいろ食い下がる。いつまでも閉じない口。わんこそばでも食ってろと言いたくなる。

こういう輩が、些細な例外を見つけて問い詰めてくる場面はいっぱいある。くだらない。やってみないとわからないのに、例外を考えていたってしょうがない。「俺は頭がいい」と見せつけたいのだろうね。はいはい、よく発見できましたね。その頭をもっと成果へ繋がることに使えばいいのに。バカが。わんこそばでも食ってろよ。ああ、むしゃくしゃする。

芸能人で誰が好き?

数ヶ月前、別部署の先輩に別部署飲み会に誘われて行った時のこと。その飲み会でその時初めて会った女の先輩に聞かれた質問だ。

特にいないですね」

俺は素直に答えた。実際特に好きな芸能人もいないしそもそもテレビを見ない。見ても名前名前を覚えられない。(ドラマとかの役名で覚えてしまう)

有名人とかでもいいよ」

何が違うんだと思いつつも、多分スポーツの分野とかも含めていいんだなと思いながら、頭を捻っていると隣で聞いていた同僚Aが先輩に逆に質問をした。

「先輩は誰が好きなんすか?」

「C.ロナウド。A君は?」

即答だった。さっきまとめ記事かなんかでこの名前を見かけたから、このことを思い出したんだけど。

「そうですね。ボクは…」

Aはアイドルモデルなど何人か女性名前を挙げた。聞いたことがあるようなないような…佐々木希くらいしか覚えてない。

「なるほどね。で、君は?」

先輩はもう一度俺に振る。俺からは何も出ないよ。と半ば諦めていたが一応唸りながらビールに手を伸ばした。催促するように先輩は続ける。

「えー?いないの?かわいいなとか思う芸能人かいるでしょ」

え。そんな基準でいいのか。てっきりその人のファンで、その人がでるドラマとかバラエティ番組を逐一チェックするようなレベルのことかと思ってた。

「まーそれで言えばさっきAも上げてましたけど佐々木希とかかわいいですよね。あとミュゼ広告の子とか。名前しらないけど。」

「トリンドルのこと?じゃあ君はかわいい系よりキレイ系の方が好きなんだね。元カノさんとかもそういうタイプ?」

思い返してみると確かに(例外がないものとして)女性を二分割したらそっち側に入る人が多かったかも知れない。

「うーん。(二つに分けた場合は)確かにそうかも知れないですね。」

続けて先輩はAにも分析をする。何を言ってたかはあまり覚えてない。確かかわいい系に寄ってるとか言われてた気がする。二人を分析し終えた先輩は一呼吸置いて言った。

「二人とも理想高すぎ。だから彼女できないんだよ。現実をちゃんとみて!」

そこからは何か変なモードに入った先輩がひたすら話してたが割りと適当に相槌を打ちながら聞き流していた。

その時はお酒が入ってた事もあって頭が働いてなかったけど、今思い返すとこの質問ってずるいなと思った。

かわいいと思う”有名人”』を上げさせて「理想が高い」という結論を出す。そうなるに決まっているじゃないか。そもそも好きな芸能人かいないと言ってる時点で俺の方が現実的だろ。というか「芸能人誰が好き?」と聞かれて上げた人が付き合いたい人ってわけじゃないだろ。

でもあの時なぜコレを反論できなかったんだろう。てか先輩もC.ロナウド好きって言ってたじゃないか。それはどうなんだ。

あー俺はいつか騙されて高い壷とか買わされるんだろうな。それからその先輩には時々飲みに誘われる。壷を買わされないように気をつけようと思う。

親しみやすさとカッコよさ。ジャニーズについて思うこと(偏見

嵐以後のジャニーズが何をウリにしてにウケているのかよくわからない。

SMAP世代を超えて聞かれる歌を出してる。ひとりひとりが個性的なカッコよさを持つ

TOKIOバンドとして面白い

V6ダンスがカッコいい

KinKi Kids→顔がカッコよくて歌がわりと聞ける歌。喋りがわりと面白い印象

こういうカッコよさに加えて、

飯島さんが発案したというの親しみやすい笑いの取れるアイドルの要素。




嵐以後→?

嵐は童顔な人を集めた印象。

親しみやすさはあると思う。そして可愛い感じがプラスされてる。

たたし、KAT-TUN例外で洗練されてた印象で、加えて1人1人が個性的だった。

親しみやすさよりも、カッコよさを感じてた。そういう意味解散は残念だった。




まぁジャニーズ積極的に見てるわけではないので、

ジャニーズの本懐である舞台を見たら印象変わるのかなって思し、

ジャニーズもだけどAKBも含め人気があるのを見ると、

カッコよさより親しみやすさを重視してる人がとても多いのかな、とは感じる。

お笑いの国だし。



ちなEXILEはよく観察してないのもあって本当にわからない。謎の集団

多人数ダンスが受けてるのだろうか。

個人的な好みの問題だけど、

歌2人体制に加えて多数のバックダンサーだと、

歌ってないパートがあると歌ってない人が浮く感じがするので、

歌1人に4人ぐらいのバックダンサー体制の方が洗練された印象を受ける。無駄がない感じ。

ただ歌ってないという余白がいい味を出すこともあるとは感じる。



あとEXILEAKBぐらいの多人数が同じ動きをすると、有無を言わさぬ圧力を感じて

見てる自分存在が小さくなって消えてしま感覚に襲われる。

萎縮するというか。

揃った時の美しさとかいものもあるのでしょうが




落語は一対一のコミュニケーションだけど、漫才は3人のコミュニケーション

多人数アイドルはなんだろう?教室でみんなの前で立たされてる感じ。

http://anond.hatelabo.jp/20161205000807

まり日本人無意識に作っているだけで自動的ドメスティックになるのよ。

ちょうどいい感じのゲームだな→海外の人から見ると「なんて日本的ゲームなんだ」ってなる。


それを海外の人に合わせなければ、ってなると途端に狂った感じになる。

その辺の微妙機微理解せずに海外におもねって作る人が多すぎる。

任天堂典型だけど、俺達が面白いと思うゲームであれば受けるってインタビューとかでちょくちょく言ってるけどね。

「俺たち」ってのはつまり日本人なのよ。

日本には日本人しかいないか必然的日本人が多くなってしまう。

あれだけ世界展開してる任天堂ですらそう。


ペルソナは徐々に知名度が上がってきて4では70万本売れた(Vitaであるにも関わらず)

P5はもっと売れるだろうね。

こうやって徐々に徐々にユニーク文化のものを浸透させていく必要がある。


追憶の森は俺の言ってることの悪い例をそのままやったいい例じゃん。

アメリカ人監督日本舞台にした映画作るなんて、忍者物をアメリカ人が作る並に滑稽だよ。

沈黙みたいな、キリスト教信者が作った作品キリスト教徒が作るとかそういうことならともかく。

もちろん例外はどんなものにも存在するけど、成功率はかなり低いよ。

逆にアメリカン忍者文化イメージのもの海外に輸入するという考えなら受けるかもね。

2016-12-04

シンデレラガールズ本田未央嫌われ者である4つの理由

大人ソーシャルゲームスマホ音ゲーであるシンデレラガールズだが、この主要キャラクターの中でも圧倒的にアンチの多い嫌われ者アイドル存在する。

そう、パッションタイプ代表であり、デレマス代表するユニットニュージェネレーションズ」のリーダー本田未央”だ。

このキャラクター、実のところびっくりするぐらい嫌われている。ちゃんと担当Pも存在し、好きなキャラクターに上げる人物も多数いるのだが、

それでもすさまじい勢いでアンチが量産され、今日に至る。アニメ放送時期なんか凄いありさまで叩かれていたほど。登場するだけでニコ動コメントは荒れ、アニメの実況スレ本田死ねの一文で溢れかえった。

ではなぜ、こんなにも嫌われているのか。それには大きく4つの理由存在している。

このキャラクターがなぜここまで嫌われるかに至ったのか、その経緯を研究することで、今後同じようなアニメゲームを作る際に「嫌われないキャラクター作り」に生かせられれば、この記事を作ったかいもあると言ったところである

なお、最初に書き込んでおくが、筆者は決して本田未央アンチではないことを明記しておく。ただ、本田未央が登場した際に荒れるありさまについて、ひたすらにうんざりしている側であり、

その原因もやはりシンデレラガールズ運営のもの存在すると自負しているだけであることを分かっていただきたい。いわば運営が作ってしまった「負の遺産であるということを認めるほかないというスタンスである

では、早速如何に本田未央がなぜ不人気キャラになってしまっているのか、その4つの理由記述することにする。


1.決して可愛い、人気が出るとは言い難いビジュアル

本田未央検索してもらえれば分かるが、とりあえずあんな感じの見た目である

シンデレラガールズには180人を超えるデレマスオリジナルキャラクター存在するが、ぶっちゃけた話、その中でもキャラデザの良さ、可愛さと言う面では、半分以下のキャラクターに劣るといっても過言ではない。

特に注目すべきポイントは「極端すぎる横ハネの髪型である髪型は不人気要素を大きく左右すると言われつづけているキャラクタービジネス界だが、アイマスも当然例外ではない。

先輩アイドルキャラである秋月律子」などが分かりやすいだろう。Xbox版の律子髪型はご存知の通り"三つ編み"であるが、これがまた律子の不人気に拍車をかけていたと言わざるを得ない。

ニコマス界隈では、この三つ編みを取った律子を「覚醒律子」と持て囃し、可愛い、こっちの方が良いなどといったコメントで溢れかえった。

まりキャラの可愛さにおける髪型の注目ポイントは非常に大きいということである緑髪は不人気であるという風潮もネット界では有名か。

そう、未央の髪型は不人気への拍車をかけているのである。筆者はこれが一番のマイナスポイントだと思っている。

横ハネを持つキャラクターアイマスには何名か存在する。大正義主人公である天海春香」もその一人。だが、あまり目立つことがない横ハネであることが見た目で分かるだろう。

そしてシンデレラガールズでは「輿水幸子」が有名か。こちらも大人キャラであり、キュートタイプの筆頭人気キャラとして君臨しているほど。同じ横ハネでありながら未央と人気の差は歴然。

なぜここまで差があるのか、それは横ハネが自己主張をするレベルで目立っているかどうか、である。未央の場合髪型を見たとき、とにかく横ハネが目に付く。

ショートヘア―の下半分すべてが左右に跳ねているのである。これはいけない。可愛い見た目を台無しにしていると言わざるを得ない。

その証拠に、同じ髪型をしている「西島櫂」も不人気キャラの筆頭である。なんと未央以上の横ハネ持ち。これでは人気がでるわけがない。二人とも折角の巨乳キャラなのに実に勿体無い。

これをシンデレラガールズ稼働当初にやってしまい、第3回総選挙まで一回も50位内入りすることが無かったほど人気が無かったのだ。レアリティNのカードイラストも実に可愛くない。特訓後のN+なんて修正を入れなければならないレベル

運営は未央のキャラデザの時点から既に失敗していたのだ。


2.オタク受けしない性格

未央の特徴の1つはやはりパッション溢れる元気娘で誰とでも気軽に友達になれる社交性を持った性格であるだろう。

だがこれがまず人気キャラから遠ざかる要因の一つである

そもそもとして、オタクは元気な子に苦手な印象を持つことがわかっている。特に未央はコミュ力魔神であるため、間違いなくスクールカースト上位勢だろう。

暗い学生時代を過ごしてきた彼らにとって愛着が湧くような性格ではなく、行動そのもの異次元世界の住人みたいなものである。傍から見たら近寄り辛いという印象をうけていることだろう。

そんなキャラクターを好きになれるのだろうか。きっと一部にはいるだろうが、大多数は無理だろう。なぜならオタクが好きなのは大人しく、自分でも守ってあげられるようなか弱く清楚で小動物な子」だからだ。

デレマスの人気上位キャラクターにはやはりというか、そういう子が多い。緒方智絵里鷺沢文香などがそれに当てはまるだろう。

この二人は極端だが、とにかく元気過ぎず、自分テンションもついていけそうな子がこの手のキャラクターではモテている傾向にある。

まさに真逆と言えよう。アイマスを好きになるようなユーザーは、未央みたいな性格キャラクターを好きになることはなかなかないのである。悲しいことに。

同じソシャゲであるガールフレンド(仮)人気投票1位が誰か知っているだろうか。「村上文緒」というキャラクターであるが、このキャラクターの設定と性格は先ほど紹介した鷺沢文香とほぼ同じである。最早語るまい。

アニメ発言した「ほらほら笑顔、忘れてるぞ☆」はあらゆる視聴者イラつかせたことだろう。なお、この発言は後述する問題アニメ6話~7話の次の話である8話で発言されたセリフであるタイミング悪すぎと言わざるを得ない。


3.あまりにもひどいアニメでのあつかい

ここで言う酷いとは、"不遇だった"という意味ではない。全くの逆、"超優遇"だったかである。それとは別に、最早デレアニ界隈では黒歴史とされている6話についても含め、酷い扱いと捉えることとする。

まずアニメシンデレラガールズ6話について語ろう。この6話が、アニメシンデレラガールズの人気の全てを左右してしまったと言っても過言ではない。

6話の内容だが、軽く説明すると「本田未央が新ユニットニュージェネレーションズのリーダーとなり、ユニットとして初ライブに挑むが、あまりにも少ないお客に未央がプロデューサー逆ギレし、アイドル止めると叫び逃げ出す」といったストーリーである

これだけ書くと誰もが思うだろう。なんだこのクソキャラと。実際のところ、この話の背景には様々な思惑やすれ違いが発生しており、一口に語るのは早計であるのだが、この6話を普通に見ていた視聴者達の大半はそう考えなかったのであろう。

放送後、もう荒れに荒れるのである記事冒頭に書いた通り、アニメの本スレゲームの本スレ、実況スレアフィブログTwitter、その他SNS、ありとあらゆるサイトで荒れた。

当然と言えば当然だろう。こんな描写をされ、それでも「未央の気持ち分かる」「これはしょうがない」「これでこそ未央」「子供だし仕方ない」だなんて思った人物果たして何人いるだろうか。いたかもしれないが、決して多くは無いだろう。

この6話以降、アニメ終了まで、いや終了し1年が経過した今でも「本田リーダー」とバカにされ続け、アフィブログ恰好の餌となり、未央アンチ大量生産してしまった結果となったのだ。

アニメスタッフ曰く、「未央は非常に脚本的にも使いやすキャラクター」と雑誌インタビューでも公言しており、シリアスキャラの成長描写を入れたかったがために、落として上げる脚本にしてみたのだが、結果はごらんのとおり。

落としたら人気が0以下になり、頑張って上げたが0に戻ることは無かった。そんな印象をうけたアニメであった。7話で武内P和解するが、それで救われた未央Pがいるのならそれはそれで良しとしよう。

だが、今日の未央の嫌われっぷりを見て、果たして何人の未央Pが心身安定の状態でいるのか実に気になるところ。

このテーマの冒頭でアニメにおいて未央は"超優遇"だったと記述した。上記ではまるで不遇な扱いを受けているように感じるが、問題は8話以降である

2つ上げるとするなら、「セリフ量がアニメで最も多い」「とにかくいろんなキャラに絡み、出番が多く目立つシーンが多い」。

メイン回が6話にあったにも関わらず後半も数えきれない量で出番があり続け、1期の8話のメイン回以降ろくに出番のなかった蘭子に比べると破格の扱いであることがよくわかる。

ただでさえ6話で下がりまくった人気なのにこのアニメでの扱いである。アンチは量産され続け、普通視聴者すら面白い心境ではなかったであろう。火に油を注ぐ結果になったのは言うまでもない。

それもこれも「脚本を書く上で使いやすいため」という結果に収束するからである。なんと皮肉なことか。


4.極端すぎる運営贔屓

テーマタイトルそのままの意味である。未央は基本不人気のまま進んで来たキャラであるが、やはりニュージェネレーションの一人として、パッション代表キャラとして表に出さざるを得ないキャラとなってしまっている。

だが、現状の人気は今まで説明してきた通り。第2回まで圏内入りすることはなく、フリートレードの価値も安い、pixivでもイラストの数は卯月や凛と比べると圧倒的に少ないといった感じ。

だが、第3回総選挙では5位。第4回では18位、第5回では6位を記録している。こう書くと、なんだ普通に人気キャラじゃんと思うかもしれないが、実はここにテーマタイトルの真の意味がある。

シンデレラ総選挙はあるシステムに則って行われている。それは投票権1枚につき1人一票を"何度でも同じキャラ投票できる"という仕組みと、投票券は"ガチャを引くことで手軽に手に入る"という仕組である

まり、その投票期間に行われているガチャキャラクターがもし自分担当だった場合ガチャを回しまくり、手に入れた投票権担当突っ込みまくるといった現象が発生するのだ。

もうお分かりだろう、この未央が5位、6位を獲得した第3回と5回の総選挙、未央がガチャ登場キャラだったのである。当然ガチャに登場させるキャラクター運営が選出している。

こんなことが行われていたら当然納得いかない奴らはこういうだろう、「運営は未央を総選挙上位に押し上げたいかガチャに未央を選出した」。至極ごもっともな意見である。そう思われても仕方がない。

第3回はテーマ上、1stライブに先駆けてニュージェネレーション卯月、凛と共に月末ガチャに登場といったものだったので、ここはまだライブ関連、ユニット繋がりで言い訳が通りそうなものである

だが第5回に至っては特にイベントライブもないにも関わらず直前に未央単体のガチャを投入。あきらかに狙ったものであると言わざるを得ない。第4回の時には未央ガチャが行われなかったため、18位という結果になり、Paのみでも4位という結果に終わった。

これはマズイと思った運営が未央を上位に組み込むため、総選挙タイミングガチャを行ったと思われても不思議ではない。これを贔屓といわず何と形容されるべきか。

上記以外にも、ちょうどいまこの記事を描いているとき問題になっている事柄が1つ存在する。未央の他キャラへのカードイラスト出張である

まりどういうことかというと、スターライトステージガチャで出てくるアイドルSSRイラストに「未央がそのキャラクターと一緒に映っている」というものである

SSRイラストといえば、そのキャラクターをこれでもかというほど可愛く書いたイラストであり、手に入れたユーザーにとっては宝物にも等しい。

なのにそのイラストに、全く別のキャラクター出張ってきてるのである。特訓前のみの登場であるが、これに苦言を示した該当キャラ担当Pが本当に多く存在した。

当然文句を言う人らは「未央アンチである」といった扱いをされ蔑まれているが、当人たちの気持ちとしてはたまったものではないのであろう。分からないことも無い。言葉にはしなくとも、内心そう思っているP達はきっと多いことだろう。


さて、ここまで大長文でお送りしてきたが、いかがだっただろうか。

こんな文章最後まで読んでくれた方がいるのかはわからないが、今自分が考えていたことを文章として残しておきたかったが故の行動である

最後にもう一度書くが、筆者は未央アンチでは決してない。思っていたこと、考察したことを文章にまとめただけである勘違いしないでほしい。

冒頭にも書いたが、これら4つの要素は決してそのキャラクターとそのキャラファン達を幸せにすることは無い。絶対に無い。

溢れかえる今日キャラクタービジネスコンテンツだが、明らかに「運営による無能行為」によって闇を見るキャラクターが多くなっている。


是非とも、これらの要素を今後の反省課題として脳内にとどめて置き、新しいキャラを作る際に、そのキャラクターを育てていく歳の糧としてくれることを切に願う。



以上

日本死ねと言われたので死にます

……といって遺書を残して死にたい気分。

といっても、著名人でもない成人女性自殺などメディアで取り上げる事もないんだろうけれど。

いじめなどで子供自殺したニュースを聞いても、とりたてて悲しいとは思えないんだよね。

寧ろ十代のうちに死ねてよかったんじゃないかと思ってしまう。特に女の子場合には。

この国は子供自殺には大騒ぎするけれど、成人が自殺しても余程の例外以外気にも留めないし

いじめられる子が東大卒電通社員のような美少女だとも思えないし

結婚できない可能性も高そうだし

この国の、少女母親ではない女性に対する冷たさは異常だから

BBAと叩かれて生き続けるよりは惜しまれるうちに死ねて良かったんじゃないかと思ってしまう。

2016-12-03

老害プログラマだが。最近若いもんが書いたコードを読んだ。

例外ってあるじゃろ。tryしてる間にthrowされたのをcatchするアレじゃ。あれは、たしか有用な仕組みじゃ。何かの関数に失敗したとき本来の値のかわりに特定の値を返すのもダサいし、参照型の引数成功たか否かを返すのもダサい場面、というのは確実にある。そもそもプログラマ怠惰で忘れっぽい生き物なので、例外という仕組みがなければ、関数で失敗したことにすら気づかないかもしれない。

だがな。例外魔物じゃぞ。昔は、gotoというものがあってだな。好きなところに処理を飛ばすことができる。あまりに、いろんなところに飛ばせるので、邪悪だと言い出した奴がおって、今ではあまり使われなくなった。なぜgoto邪悪と呼ばれたかgotoというのは、順接、分岐、反復という、プログラムを組む上で最低限必要制御構造から逸脱した、どっかからどっかに飛んでいく、という行為が容易にでき、それを多用したコードはまともな人間には読めなくなるからであった。そして、例外は、まさにその「どっかからどっかに飛んでいく」を容易にするための仕組みなのじゃ。

例外は、順接、分岐、反復による基本的制御構造があった上で、あくま対処を要するアブノーマルな状況に使われるべきものであり、例外というのは、制御機構として使ってはいけない。値を返す目的例外を使ってはいけない。一体どこから来て、どこへ行くのか分からない、そんな、流れ星のような例外の使い方をしてはいけないのじゃ。例外を使うなと言うつもりはまったくない。じゃが、例外制御構造を壊しうるものだと認識し、例外悪用していないか、それによってコードが追えなくなることはないか、と、考えてから、使ってほしいのじゃ。


イベント悪用も見た。イベントは非常に有用な仕組みだし、GUIなんかだと、もはや必須とも言える。なので、イベントを使うことは有用なことだ。けれど、イベントは、いつどこで発生するか予想が付きづらいものが多く、また、スレッドなどを使って非同期でイベントが処理される場合(今時は、多くがそうだろう)は、マルチスレッドと同じく、リソース排他制御を行う必要があるかもしれない。複数の処理が同時に動くというのは、恐ろしいことなのじゃ。いつの間にか、変わってないと思ってた変数が途中で変わるやもしれない。「まー、滅多に起こらないし、ええじゃろ」って判断の上、何も対策しない、という手もあるが、ええじゃろで済むのか済まないのか検討するくらいは必要じゃわな。C# なんかだと、言語レベルイベント実装されておる。じゃからイベント必要ないじゃろと言いたくなるような場面で、イベントが使われていたコードを見た。


便利な仕組みがどんどん出てきて、新しいものがどんどん古くなる今のコンピュータ業界。新しいものを追いかけるのもいいが、基本は基本として、しっかり押さえて欲しいのじゃ。今更、アセンブラゲームを作れるようになる必要なぞ、微塵もないが、自分コードがどのように動くのか、興味をもってほしいのじゃ。わしのような新しいもの不勉強老害は、最近若いもの基本的なことを不勉強からこそ、居場所があるのじゃ。じゃが、わしももう長くない。若いもんは、新しい仕組みの表面だけでなく深い部分に触れて、学んで、わしら老害を追い出せるくらいになってほしい。わしからは以上じゃ。

[]12月2日

○朝食:ヨーグルト

○昼食:刺身定食

○夕食:ケンチキみかん(いっぱい)



調子

はややー。

仕事技術検証というか、MSDN読んで、サンプルコード写経して、いまあるシステムと連動させたりしてた。

なんだかんだで、こういう時間が一番好きかも。



アニポケSM

Netflix配信が始まったので毎週ちゃんと見ようと思う。

とりあえず一話と二話を見たけど、リーエロスで傷ついた心が癒える。

癒えるけど、僕の中でのリーリエはサンムーン主人公イチャイチャしていたリーリエなので、もし万が一にでもサトシとイチャつきだしたらツラいわ。

それと、劇場版配信してたので、好きなシリーズであるゾロアークラティとディアンシー面白かったシーンを探して見返したりしてた。



ポケモンサン

デイリー要素回っただけ。

そろそろアクジキングの厳選やろうかな。

ポケモンARサーチャー

プレイ

バッジとれ〜るセンター

ホウエンドット絵バッジが追加されたので、2プレイ課金

ドット絵バッジは悪ポケであっても躍起に集めないって自分ルールだけど、大好きな悪ポケの中でも一番好きなダーテング例外です。

と言いつつ2プレイ課金なのはテーマ目当て。

これで一応ドット絵の台コンプリーチは維持できている。

(あと一台なんだっけかなあ、普通絵の方はビビヨンその1なんだけど……)

ポケとる

月初恒例の課金

と、ついでにメインステージを262「フラペペ」まで攻略

これさ、今の所メインステージ攻略目的だけど、その後は捕獲にSランク埋めにと、ちょっとぞっとするやりこみが待ってるのか……

別に全てのポケモン捕獲する気はないけど、悪ポケは全部集めたい。

けど、やっかいなのが、400ステージSランククリアサザンドラだなあ。

まあ気長にやっていこう。

ポケモンコマスター

キーのかけらで開けられる金のトレボが確定というイベントが始まったので、少しだけテンションが上がりいざ対人戦。

報酬は……

ヒノアラシ

ナエトル

オニスズメ

はーーーー。

このゲームしんどいわ。

ワナビ例外なくアホ

お前らみたいな何の取り柄もない無能が「俺でもラノベなら書けそう」とか

アホみたいな夢持つから電撃大賞の総応募数5000とかになるんだろ

この応募数で作家デビューとか夢みたいなことできるわけねーだろ

ワナビやってる奴は例外なくアホだよ

2016-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20161202151335

おいこら

今日は金曜だから金曜のテレビ欄見ただけだっつの

今日の夜の話をして

「だから例外だってばぁ~!」ってどこの幼稚園児だよ

2016-12-01

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である


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君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。



さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

**************


さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

**************

 

さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-28

人類がこれ以上効率よくなるには自然言語を改造するしかない

自然言語にある、情報伝達上必要のないクソルール撤廃していくべき。混乱を招く同音異義語もなくすべき。

日本語だと濁る音とか、ひらがな漢字カタカナの使い分けとか。極力なくせ。

英語だと動詞の変化の例外とか、単数・複数形例外とか、可算名詞と不可算名詞とか。ヨーロッパ語だと男性名詞と女性名詞とか?言語上の意味あるのか知らんけど。

意味が同じでもニュアンスが変わると言うならそれは意味が変わっているのだから残せば良い。しかし「そう決まっているから、そう習っただけ」の完全に意味のないルールが多くあるはずだ。それをなくせ。

人生初期の言語学習の段階でそれをやれば難しくないはず。今までの人はもっとめんどくさいルールを覚えて(そして困って)きたのだから。また言語時代と共に変化しているのは誰でも小学校古文を習っているのだからご存じの通り。これからガンガン変えていけば良い。

蛇足だが究極の理想は全人類言語統一。これができたら素晴らしく社会改善されると思うが、どう考えても一度人類を滅ぼすでもしないと無理そうだ。

2016-11-25

[] H22民訴コメント(アンサー)

H22民訴

全体として項目があってすごく読みやすかった。

・設問3

代理要件については、顕名がないという点だけど、加藤解説では、顕名なき訴訟代理の可否という項目立てて論じてた。この論点論理の流れは、顕名趣旨は、当事者本人が誰であるかを相手方に示すもの代理人が本人の名で訴訟行為やっているか趣旨妥当する。また、法定代理場合と異なり、訴訟代理人の氏名は訴状必要記載事項ではない(133条2項1号後段対照)から民事訴訟法は、訴訟委任に基づく訴訟代理要件として訴訟代理人の氏名の表示を要求してない。よって、民事訴訟における顕名なき訴訟代理も認められる。

こんな感じだった。④の書面の話は解説では触れてなかった。

・③の弁護士代理の所は趣旨から論じてて読みやすかった。

当事者の確定を論じるときになぜ、当事者の確定を論じるかを書けるとよかったかもしれない(俺もできてないけど)。具体的には、被告がGとされると、訴状の表示の訂正を要するだけで、Gのし訴訟行為の効力がEに及ぶ。対して、被告がEである場合は、Gがした訴訟行為被告ではないGが被告として行ったものとなるから原則として無効となる。そこで、EGいずれが被告かが問題となる、といった感じか。

設問4

(1)

・この問題長所短所というのは、法律上の主張として裁判所に認められるかどうか、という意味での長所短所らしい(採点実感)。ただ、多くの答案がそのように書いてなかったらしいから、問題が悪いような気がする…

そうすると、法律構成①の長所記述では点が入らないかも。加藤が書いていたのは、信義則という一般条項を用いることなく既判力を遮断できるから法律上の主張として裁判所に認められやすい、ということだった。

法律構成①の短所は、既判力の正当化根拠整合しないことと処分主義に反する、といことらしい。ただちょっと解説聞いても意味がよくわからなかった・・・すまん・・・

この辺の所は、藪口連載で出題されてたような気がする(問題みて困難でねーだろと思って解説は読んでないが)

(2)

・条件付給付判決は将来給付判決なので135条必要さらっと加藤は流してた。

・135条のあてはめでは、Fが第1訴訟の時点から被担債権金額を争っているため、これを先決問題とする抵当権設定登記抹消登記手続請求義務存在も争っているといえるから、Aが同義務の履行を求める時期においてFが即時に同義務を履行することが期待できない、というあてはめをしてた。義務者の対応問題として認めているってことかな?

・246条違反の話だけど、これって原則例外の話なのかがちょっと気になった。あんまり質的一部認容判決の話で原億例外っていう感じで論じているのを見たことがないので。違ってたらごめん!

被告の防御権を侵害するかのところで、加藤は、残債務500万円のところに既判力が生じない、という点を論じていた。ただ解析とかでも訴訟で争えったから不意打ちではないって書いてあったから、ここまでかけた人がどれだけいたのか疑問ではある。

[] H22民訴コメント

第1.

1.

実質的表示説のあてはめ参考になります

2.3.

◇採点実感にあった「顕名なき代理類似のもの」という謎の概念は完全に意味不明。こんな言葉はない。民法100条でも適用すんのか。

第2.

1.

(1)

◇みんなこう書くから別にいいんだけど、本当は246条の要件にきちんと当てはめた方がよい。

まり、「申し立てていない事項」について「判決」しているかどうかをきちんと当てはめる。

今回だと、「申し立てた事項」は「登記を抹消せよ」なのに、「判決」は「500万円を弁済することを条件に登記を抹消せよ」になっている。

これって「申し立てていない事項」について「判決」しているじゃん!246条違反じゃん!ってのをまず認定する。

この原則論を前提に、けど例外として~、と言って趣旨規範定立をしていつもの論パを貼り付けていくと印象がいい。

◇その後のあてはめはばっちりっす。

(2)

◇今回における135条の当てはめは正直よう分からん。教えてください。

http://anond.hatelabo.jp/20161125075355

なんで「先生と生徒」の例えを出したかわかってほしいところだ

いろんな先生もいるし生徒もいる、それは経験でわかるだろ

金のために働く先生だって当然いるに決まってる

「金のため」と口で言ってても単に露悪的なだけのこともある

先生と生徒」という関係に伴う一般的構造は変わらんだろ?

先生と生徒が一般的に言って友達になれるか?なれないだろ。例外はもちろんある。

金のために生徒とむやみに親しくすることもあるかもな。

そういう豊かさが潜むように書いてるので、じっくり読んでいろんなことを引き出してほしいと思うわ

2016-11-24

音ゲークラブイベントに行った

前提

音ゲークラブイベントとは

 クラブライブハウスなどで音楽を聴いて楽しむというもの

 一般的イメージされるクラブイベントとの差分は「掛かる音楽のほぼ全てが音ゲーに収録されている楽曲である」という部分

 (ここで言う音ゲー曲はイベントによって違いがあるものの主としてKONAMI社・BEMANIブランド下のゲームに収録される楽曲群を指す)

 参加者コンセンサスとして音ゲープレーヤーであること、楽曲楽曲名リンクする程度の知識があること、などがある(と思っている)

 東京を中心に日本各地で結構行われている




感想

クラブイベントと言うよりオフ会だった

 多分いきつけのゲーセンなんかで発生したコミュニティの延長線上にイベント自体があるんだと思う

 音ゲーに限らないが、音ゲー界隈はSNSはかなりネイティブだし知らない人はいないような(自分ぐらいだ)雰囲気

 音楽をどうこうというよりはみんなでパーッと盛り上がろうみたいな色が全面に出ていた

DJではない

 お世辞にもDJのプレーはレベルが高いとも言えない 正直これでも言葉を選んでいる方だと思う

 そもそも音ゲー曲はゲームサイズで作られることがほとんどのため、曲の尺が2分程度のものがかなり多い

 曲の尺が短いので曲同士を繋ぐといった作業がやりにくくどうしてもiTunesで作ったプレイリストを流すようなスタイルにならざるを得ないっぽい

 (アニクラやゲークラなんかだと曲をフル尺で流せば結構あるのでDJっぽさが作れると思っているが)

 今回行ったイベント例外ではなく恐らく1本wavのようなスタイルオーディエンスと騒いでいるような感じ

 特にエフェクトの掛け方がひどい ボーカルの上にもバンバン乗せるから声かエフェクトかわからなくなってた

VJという仕事

 音ゲークラブイベントは上述の通り音ゲー曲を流すので、どの機種(ゲーム)のどのシリーズに入っているどの曲を流しているか重要らしい

 ゆえにVJDJのプレーを演出するといったタスクよりも流れている曲の補足をすることが重要視されているらしい

 結局どうなるかというと、パワーポイント曲名と収録作品MSゴシックで踊っている

 まあ有名作家ムービーを丸パクリして出すよりはマシかというレベル

オーディエンス

 うるさい。

 DJ役はのべつ幕無しに音ゲー曲を垂れ流すので曲と曲の切れ目がハッキリしてしまう これはどうしようもないと思うが

 曲Aが流れて、次の曲Bが始まり・・・といったところでオーディエンスの騒ぎ声が飛んでくる

 (イントロクイズができるほどにオーディエンス音ゲー曲に対する造詣が深いため)

■金

 他のイベントと大差ない料金は取られた



---



総評としてはDJを名乗るなというレベルの酷さであったのは間違いない

はい音ゲークラブイベントという枠組みの中で与えられた仕事をこなしているとも思った

知らない曲を聴いてみたいとか、大音量で聴いてみたいとかといったモチベーションではなく

音ゲーというコンテンツを通して騒ぎたいといったマインドが見えてしまっており

ハロウィン渋谷で騒ぐパリピと同じベクトルにあるような感想です

[] H21民訴コメント(アンサー)

全体について

全体として論述とかあてはめとかがあっさりしているような印象を受けました。

民事訴訟は条文にない抽象的な概念を元出すものであるから、何の原理問題となっているか、その概念定義概念趣旨をしっかり論じるべき、らしい(辰巳講師がいっていた)。

ただ、出題趣旨とかによると関係ない概念説明をしても点は入らないといわれているから、どこまで書けばいいかはその場その場で判断していくしかないと思う(受験生がわからいからとにかく自分の知っている概念説明を書きまくったからそのように書かれたのかも?)。

設問1

・内容はあっていると思う。でもあっさりしている印象。ⅱでは、要件として自己不利益事実についての陳述というものを挙げて、あてはめでは相手方証明責任を負うから自己不利益にあたる、としているのが気になった。自己不利益事実は、相手方証明責任を負う事実にあたる、で、本件では、相手方証明責任を負う、だから自己不利益事実にあたる、という風に書かないと、論理が飛んでいるというか説明不足な感じになっていると思う。

・細かいけど、本件の擬制自白は弁論準備手続なので、条文は170条5項→159条1項

擬制自白趣旨から規範立ててて読みやすかった。

設問2(1)

・訴えの利益問題なんだけど、まず、訴えの利益定義は~、という説明をした方がいいと思う。理由最初に書いた通り。

それ以外の部分は原則例外が分かりやすく書いてあって読みやすかった。

設問2(2)

既判力の作用の流れは、既判力は同一先決矛盾作用する→本件では訴訟物は同一なので、第1訴訟の既判力が第2訴訟作用する→作用するとして、それで争えなくなる第1訴訟判断は、既判力が生じている部分→ではXが争おうとしている判断内容は既判力が生じている部分か→既判力が生じているのは訴訟物に対する判断+既判力に準じる事由→これを基準自前の事由で争えなくなるし、それに基づいて第2訴訟判断をする必要がある→本件は基準時前の債務不履行事実で、第1訴訟の既判力に準じる事由の効力が生じてい

建物退去部分を争おうとしていることから既判力に抵触する、なので第2訴訟のXの主張は認められない。

ということらしい。

民訴は答案に思考過程表現することが大事らしい。その観点からすると、1(2)部分は、なぜ、この既判力が本件賃貸借契約解除の主張を遮断しないのか、を具体的かつ論理的自分言葉説明する必要がある、と思う。

執行可能性には既判力に準ずる効力が生じている」について

この記述和田の旧司解説ライブ本601pと解析民訴253pに書いてあったことを答案で表現してみた。あっているか不安になったのでもし持ってたらちょっと見てみてほしいかも。

2016-11-22

[] H21民訴コメント

ぐちゃぐちゃ書いたけどめちゃくちゃよくできてるし、普通に上位答案だと思う。★印以外は難癖だと思ってくだせぇ

第1 設問1

1.

(1)

●第1テーゼ、主張共通原則まで触れててばっちりだと思う。

(2)

建物買取請求権行使の主張が抗弁として機能する理屈はめちゃくちゃ難解(大江要件事実ノート』107頁)なので、これでいいと思う。上位答案の中には結論だけ示すものも多かった(例:6~7位の人「本件において、建物買取請求意思表示事実はYが証明責任を負うから、Xに不利益事実である。」)。

2.

●いいと思う。

3.

●俺は問題提起がここ上手くできなかったので大変良いと思う。

第2 設問2

1.

●訴えの利益一般論としてはこれでいいのだけど、”現在給付の”訴えの利益場合現在給付の訴えであるということだけで訴えの利益が認められるのが原則(ただ理由は実はあんまりはっきりしてない)。なので一応、「①原則として訴えの利益あり、②だが例外として確定全面勝訴判決が既に下されてる場合否定」とした方がいいと思う。ただ上位答案もあんま書けてないからどうでもいいのかも・・・。

2.

(1)

★急に「債務責任」の話が出てきてぎょっとする。たぶん限定承認判例に引っ張られたか。ただ自分でチェック入ってるのでたぶん分かってるんだろう。

★ここは、①既判力では解除の主張が遮断されないことを示した上で、②しかし既判力に準ずる効力によれば遮断できるよ、という流れにした方が書きやすく、かつ、読みやすいと思う。

★あと細かいけど、既判力が生じるのは「訴訟物たる権利法律関係」ではなく、「訴訟物に対する判断」。

(2)

●「執行可能性には既判力に準ずる効力が生じている」はちょっと意味が分からなかった。誰かの説なのかな。

●既判力に準ずる効力が作用する場面が、既判力と同じ(①同一②先決③矛盾)なのかは学説もよく分かっていないので、適当でいいと思う(ただ訴訟物外の判断の効力なんだから同一もクソもないよなぁ)。

(3)

●いいと思う。

3.

(1)

●1.で書いたところを参照。

(2)

●期待可能性で遮断効を調整する説はばっちり。ただ、「おやじが解除してたのを知らなかった」というだけで遮断効を緩和しちゃうのはちとまずいかも。既判力はかなりのキツマンなので、これに加えて「内容証明が届いてたくせに知らん顔して建物買取請求とか言ってんじゃねーよ!」って事情もほしい。ただもちろんこんなこと書いてる再現答案はなかったのでどうでもいいですはい

http://anond.hatelabo.jp/20161122121853

長方形平行四辺形として取り扱っても小学校勉強するにあたって支障は生じないけど、凹四角形を四角形の仲間に入れるといろいろ例外生じて大変そう。

まあ、いずれにしても「いい発想」として認めつつも「厳密には正しいけど、今、勉強を進めるにあたっては便宜上含めません」って言うべきなんだろうなと思う。

スマホと一眼の差に決着をつけてやる

一眼バリバリ使ってる人でも、出来上がった写真スマホと大して変わらんとか言いはじめて頭痛がしてくる。

そういう人は意味もわからず一眼買って、市場活性化に貢献してくれたらいいと思います

所有欲を満たすことも大切なことどうぞどうぞレンズ沼はこちらです。



一番に言われるのは画質の違い。

で、これをわからんと言っている人ははっきり言って一眼レフを使う必要がない人です。

言い換えると、写真を撮るということイコールシャッターを切ることと思っている人。

そういわれてピンとこない人はカメラ向いてない。スマホで撮ってSNSにアップして狭い世界で駄サイクルを楽しんで下さい。



カメラというのは、基本的に全て絵作りがされています。これは例外なく全てのカメラがそう。

かい話は端折るけど、理由は単純。今の技術では現実存在する全ての要素をカメラで写しきれるわけがいから。

わかりやすいのはダイナミックレンジや色空間。それでわからんて人は勉強してこい。

さらに、ただでさえ絵作りされている中でデジカメ画像データ作成する上で現像という避けて通れない過程がある。

それをカメラ内でしている人は、さらカメラメーカー意図による絵作りがされた写真を撮っていること。

よくわからないという人はつまりそれに該当する人です。

もう少し言えば、RAWデータ撮影現像という行為をしたことがない人。

まり、画質の違いがわからんという人はこのあたりにいる人たちと置き換えて支障がない。

カメラ経験でいうと、中級者以下。ほぼ初心者



メーカーは、撮影された写真を少しでも綺麗と感じてほしくてあの手この手で元の写真カメラ内でいじり倒します。

その傾向の違いによってメーカー好き嫌いが別れたりするわけです。

そうして作られた写真を見て、画質の良し悪しを議論しようとしても、それはカメラのものの画質について議論しているのではなく、処理ソフトの性能について議論しているに過ぎません。

まり、君たちはカメラの話をしているようでソフトウェアの話をしていたというわけ。

そんなものは同世代カメラ並べて大差があるわけがないし、スマホがその性能を上回ることがあるのも当然といえば当然。

そうやって作られた写真さらレタッチしておりじなりてぃとか言ってしまうのよね。うぇーい

以上。コレで納得できた人は帰ってよし。

ももし、写真を撮るということイコールシャッターを切ることとから脱したい人は、これから先に目を通しておくことをお勧めする。

頑張ってまとめてもこの長さだから無理強いはしない。早く帰れ。







ここでまず登場するのがRAWデータ撮影といわれるもの

中級機以上のカメラに備わっている機能で、最近ではスマホでも撮影できるようになった。

それこそカメラの素子(フィルムにあたるもの)の性能と、レンズの性能、絞り、シャッタースピードだけで作られた色すら決まってないデータです。

写真にするのに現像という作業必要で、その差によっては出来上がりの違いに大きな差ができてしまもの

カメラの仕組みを理解していないと結局カメラ任せの現像と同じものかそれ以下になってしまうという、まさに初心者お断りながら基礎的な仕組み。フィルムのままでは写真にならないように、これをしないとそもそも写真は出来上がることはない。



でも写真なんて綺麗ならいいんじゃね?って思った?

おめでとう!その通り!それこそが消費者本音クライアントも同じこと言う!言うよねー!

から最初から言ってる通り、そういう人には一眼レフ必要ありません。

ミラーレスすら高級コンパクトカメラすら不要

スマホで撮って、あとでぼかしエフェクト入れるのが一番安いし綺麗で簡単



だけど、表現したい人は違う。

メーカーが作った絵作りに乗って、それが自分作品だなんて口が裂けても言わない。

最後まで人の作ったものの上に乗っかることしかできない世界だけど、少しでも多くの要素を自分コントロールしておきたい。

そんな人のためにあるのが一眼レフであり、RAW撮影という機能のついたカメラ

それで、その基本となるRAWデータの画質は、カメラの性能=価格基本的に比例する。

それが分かる人のために、高いカメラ存在するし、それがわからない人がどれだけいらないと言ってもなくなることはない。

これはレンズにも言えること。

交換レンズもものによって同等のスペックでも価格全然違ったりする。

違いがわかる人、そういう性能を求めている人がいる以上存在するもので、それがわからない人には不要もの。それがわからない人は沼に落ちる。それが分かる人の養分になるために。感謝



まとめると、出来上がった画質はそれほど大差ないということ。

だけど、そこに至るまでに通る道筋目的全然違うのだから、そもそも議論不毛だという結論

それがわからない人間けがとやかく言っている問題で、プロが見分けられなかったからって、それはそれで優れた性能ですねって言うだけの話。

もちろんダイナミックレンジノイズ量、ボケ味などカメラ価格に比例して有利になるものはある。さらにこれは光学的な問題なので物理的に解決することはできない。

ただ、それだからといって写真的に優劣が生まれるかどうかは別。

特に写真には撮影者と被写体関係性が色濃く現れるもので、写真評価はどちらかというとそちらに重点を置かれる場合が多い。

そうなればそもそも画質に対する議論なんて不毛のものしかなくて、つまりは撮りたい写真に応じた機材を選べばよいということになる。



ただし、そうしたコンパクト安価カメラスマホに比べて、基本的に高級なカメラには圧倒的な違いがある。

それが信頼性といわれるものだ。

まりはどれだけの要求に答え続けられるかの懐の深さだ。

決定的瞬間とはまさに瞬間である

その瞬間を逃さないためには、カメラに高い信頼性必要となる。

起動の速さ、ピントの精度と速度、連射速度、バッファ枚数、カメラにおけるシーン判断力、あらゆる要求に答えるシャッター速度、暗所における感度とノイズ量、長時間露光に対するカメラの安定性、カメラ操作性、要求に応じたカスタマイズ性、過酷環境下で耐えられる堅牢性、、、数え上げればまさにキリがないほどの機能カメラには集約されている。

それに価値を見いだせない人間にしてみれば、高級カメラを買うということはまさに無駄遣いでしかない。

しかし、様々な環境下で失敗の許されないプロが機材を選ぶとするならば、どちらを選ぶかは言うまでもないことだ。

様々なプロがいる中で一眼レフを選ばないプロも当然存在する。それはつまり自らのニーズを正確に判断できているからの選択であって、だからといってプロすら一眼レフ必要としないという結論にはなるわけもないのだ。



カメラメーカーもその辺を曖昧にすることで素人に高級機を売ろうとするのもわかるが、そろそろこんなつまらない議論には終止符を打って頂きたい。

結局はこの辺のことを理解できない層が虚栄心やら妬みなんかの薄汚い感情で、目を輝かせる初心者立ちを追い払っているのが現状ではないか

そもそも機材は自由だ。

自分いちばん使いやすもの愛着を持ったものを使うのが一番だ。

それでもし、進んでいく先に不満や問題を抱えたのであれば、具体的な悩みを持って色々なお店や信頼できる経験者に相談してみるといい。

まず間違いなく、その要求を満たす製品存在している。

しかしたらそれはカメラではないかもしれない。でもとにかく探すことが大切だ。

カメラ店以外にも、色々な思いつく限りの売り場を回ってみよう。

そうしてはじめて、自分表現自分コントロールしていると言えるようになる。

それは、どんな高級なカメラを使って表現者を気取ることよりも大切なことだ。

はじめに、写真を撮るということイコールシャッターを切ることではないといったのはそういうことだからだ。

表現とは道具の選び方から始まっているし、被写体との関係の築き方、撮影状況に合わせた機材の選択、そのための下見や事前準備、現場に合わせた状況判断、一瞬を逃さないための機材の習熟度、撮影後の現像による仕上げ、人の目に見せる瞬間の演出、運など、数え切れないほどの目に見えない労力を投じてはじめて完成に近づけるものなのだ

それが分かったらさっさと外に出て写真撮ってこいボケナス

あとの言いたいことは前回とおんなじだ!