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2012-02-23

休眠口座より膨大な埋蔵金、争続埋蔵金直系卑属外相続金

ネット銀行は「便利」だが、隠れた盲点があって、

 「預金者死亡時に、預金存在が気付かれにくい」というデメリットがあるらしい。

 通常の銀行であれば、「通帳」という紙媒体があるので、気付かれやすいのだが、

 通帳が存在しないネット銀だと、それが難しい。

 今はまだ問題が表面化していないが、数十年後には、

 ネット銀行で膨大な量の「休眠口座」が発生するんだろうなあ・・・

家庭裁判所相続相談件数は18万件で、全死亡者の15%にも達するらしい。

 で、家裁にまで「もつれ込む」のは相当にトラブルがこじれた場合なので、

 「些細な相続トラブルまで含めれば、相続トラブルもっと多い」との見方もある。

★例えば、兄が「隠されていた通帳を見つけた!」と喜んで報告すると、

 弟は正直に喜ばず、「実はもう1通通帳があって、それも兄は見つけたが

 その事実隠してるんじゃないか?」と疑心暗鬼になることがママあるらしい。

野村資本市場研究所の推計では、

 「相続の発生額=50兆円」らしい。

 日本の死亡者数が約100万人だから、1人当たり平均5,000万円である

 もし法定相続範囲を直系卑属に限定し、又直系卑属存在相続が全体の

 20%程度あると仮定すると、

 「法定相続範囲の変更で、10兆円を国庫帰属させることが出来る」ことになる。

 これぞ、休眠口座とはケタが違う「埋蔵金である

相続トラブル(争族)の弊害

 争族財産の総額は、18万件×5,000万円=9兆円

 9兆円もの金額が、最終相続者を決定できずに宙ぶらりんになっていることになる。

 仮に「争族の場合、最終相続者決定に、通常相続より1年余分にかかる」

 とした場合、1年分の金利分が「損」になる。

 仮に金利1%と仮定したら、9兆円×1%=900億円だ。

 

 「カネは天下の周りモノ」の観点で言えば、9兆円を死蔵させることで、

 毎年900億円は社会的に損していることになる。

 又、争族に費やすコストもバカにできない。

 家庭裁判所裁判官弁護士、そして当事者が、争族のために人件費やら交通費やらを掛けることになる。

 仮に1件当たり総当事者の総コストが50万円掛かっている、と仮定したら、

 18万件×50万円=900億円/年、ロスしている。

 つまり社会的には、「争続」のために、

 金利900億円+人件費等900億円=1,800億円、損していることになる。

 この「争族」を避ける社会整備を進めれば、社会的メリットは大きい。

 なお、直系卑属存在相続場合、「争続」になり勝ちな傾向がある。

 法定相続範囲を直系卑属に限定することによって、「争続」件数抑制もできそうだ。

2012-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20120222111243

そもそも「金のために殺せ」という発想は下劣だと思わないかね?

横だけど、

ただの懲役囚をカネの為に殺してたらヤバいが

死刑囚は本来すみやかに処刑されるべきものをよくわかんない理由で引き伸ばしてるんだよね?

仕分け観点からはさっさと吊るしたほうがいいんじゃないの。




これを「金のために殺すのか」みたいにいうのは言い掛かりだよね。

死刑は決定してて、適法でも合理的でもない冗費が垂れ流されてるから改善すれば?

っていうのに高貴も下劣もあるもんか。

http://anond.hatelabo.jp/20120222093910

彼の中でその異常性が芽生えていった背景や成長過程も詳しく知っておいて、

そのような環境は極力改善していかなくちゃいけない。

防犯の観点ならば、福田個人のプロフィールをこれ以上掘り下げることにどれほどの意味コスパがあるのか疑う。

 コスパを言い出すと何も出来なくなる虞があるのでそっちはおいておくとして。

 防犯と言う観点だとそうだけど、「予防」や「教育」観点だとどうだろう?

少なからず生育事情があったことは間違いなく(言及もされている)、また犯行直前の異変も、「あとから思えば」レベルでは気づかれていた(NHKニュースでの取材の範囲では))。

 生育事情から来る「ゆがみ」への「気づき」や、それに対する学校行政(児相とか)のフォローの追跡と研究は、似たような環境で育っている子どもが同じ道を歩まないようにする為の強力な参考資料になるだろうし、犯行直前の様相の研究は、(行きすぎてはいけないという前提の上で)警察による声かけ対象の参考にすることが出来る。

 無論、そういった犯罪を完全に滅するというのは不可能だろうけど、何もやらないよりはなんぼもマシだし、「犯罪が起きた時点でみんな敗者」と本村氏が言うように、犯罪は起こらないのが理想で、起こさせないのが重要

 それにはやっぱり、教育行政への、フォローアップが必要なのよ。

http://anond.hatelabo.jp/20120222005020

本村洋さんが会見で語っていたように、

洋さんが被告に望んでいることは「ただ殺されること」ではなく、

彼が自らが犯した罪と向き合う強さを持ち、真摯にその事実を受け入れて刑に望むことだ。

こんなのは13年も途切れなくそ案件に向き合い続けた人が

「境地に」達して精神性が出てきちゃった結果の望みやコメントであって

普通の人は同じ心境に達するのは無理だし

そんなこと望む必要も無いと思うよ。




プロゴルファーバーディやイーグル出してもなお深い内省が続いていくだろうけど

一般人ゴルフバーディ出したら「すごい!やった!」で終わり。

からって一般人ゴルフを否定する必要は無い。



彼がその境地に至るまで、周囲も世間も見守り、その成長を促すように働きかけなくてはいけない。

これは不幸にも、本村さんや遺族の重い作業として続いていくが

それより離れた世間ミッションではない。

だって実際、世間がそれを自分ミッションだとして、福田死刑囚に何をどう働きかけんの?

 別にからかって聞いてるんじゃないから具体的な回答の用意があるなら書いて欲しい。あるの?)




そして、なぜこのような残酷な事件が起こってしまったのか分析する必要も有るわけだ。

そもそもいきなり他人の家に押し入って女性を殺害して犯し、

しかも殺す必然性のない赤ちゃんまでわざわざ絞め殺すという異常な行為を何故しでかしたのか、

これは不幸にも、本村さんやにとっては必要性のある課題になってしまうだろう。

だが「そんな辛いことをこれ以上は耐えられない」と放棄しても彼等を責められる人間はいない。

犯罪心理の専門家学問的興味や必要性を感じれば分析研究するだろう。




彼の中でその異常性が芽生えていった背景や成長過程も詳しく知っておいて、

そのような環境は極力改善していかなくちゃいけない。

防犯の観点ならば、福田個人のプロフィールをこれ以上掘り下げることにどれほどの意味コスパがあるのか疑う。

(もちろん専門家が「これは重大で普遍的ケースだ」と言えば研究予算下りるべきだろう)

2012-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20120214173218

要するに味わうべくは行き場のない憎しみとかその復讐としての子無し選択という骨そのものではなくて、

「なんで母親はわからないんだろう?」っていう白痴ごっこの精度の高さという肉の方ってこと?

はっきり言ってそういう観点では面白くもなんともないと思うよ

スペアリブっていう完成度もない

地面に骨を埋めたら埋め方が浅すぎてすぐ見つかった、それを「何で見つけるの!しらける!」とか言って怒ってる感じ

見つけて欲しくて埋めたんでしょ? みたいな

2012-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20120207215426

俺もソーシャル行くけど、醜いなら醜いでいいと思ってる。

美しい職業を選べるほどの余裕ないんだもん。

自分さえよければ良いというか、自分のことで精一杯。

仕事を美しいという観点で選べる人はうらやましいよ。

2012-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20120131211256

草食系男子語源も語意もあまりよく知らないんだけど

「女一般」よりその好きな相手が自分のような男子を好むかどうかを気にしたほうが良くない?

「女の人ってこういうの好きだよね」という観点で贈られたプレゼントが、貰った女にとっては全く使いどころがない、

といった類のミスマッチは良くあることだと思うけど、贈る側も贈られる側も納得してないし、その品も無駄になるしで哀しいことだと思う。

せっかく自他ともに認められる草食系なら、警戒されにくい点を活かして自分自身が好きな人にとって需要があるかどうかを探るべし!

2012-01-28

最近ネットの話を純粋には楽しめなくなった

大きく分けて理由は二つ

既出ネタ出会う可能性が増えたこと

②話の信憑性を第一に疑うようになったこと



①について。

自分はかれこれ10年以上ネットを使っている。

何年も前に流行ったネタが再度新たなものとして発表されるのを目にする機会が増えた。

スルーすればいいのだろうが、目について煩わしい。



②について。

「完全にネタです」「フィクションです」という話以外に対して、まずそれは本当に起こりうるだろうか?

という観点から見るようになった。

そして「ここがおかしい」「納得できない」と思うと、こいつはアクセス数か注目を浴びたいがために嘘をついているな、と勝手に心の中で敵対心を持つようになってしまった。

また、ネタフィクションに対しても、「整合性が取れてない」「矛盾している」というような粗を探すようになってしまった。



①、②に両方当てはまる例がこれ

http://togetter.com/li/248482

電車のホームで萌えー!萌えー!と叫ぶ中年男性やばい奴だなぁ、だからオタク気持ち悪いって思われるんだよ。と、思っていたら階段からパパー!と言って駆け寄る小さな影。 全く自分の娘に向って萌だなんて、なんたる幼女好き!!自重してほしいものです

その発想は無かった!!! RT @AAA: @BBB @CCC いや、もえちゃんっていうなまえでしょww

これは2chコピペで、「店内で『萌え』と叫ぶおっさんはこの世から消えればいいのにとか思ってたら、その人は娘の名前を呼んでただけでした」というコピペがある。

何度も見たコピペの改変版。←①

で、Twitterでつぶやいたってことは、そう言うシチュエーションに実際にあったということなんだろうけど、それは普通ありえない。

発音が人名の「萌え」は尻下がりで、オタクの「萌え」は尻上がりとあきらかに違うだろうに。←②



と、まあこんな具合にネットをしていてもあまり楽しくない。

自分にとって止めどきなのかもね。

2012-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20120118150950

うそう。

15歳~39歳の間で、求職活動すらしていないクズ無職の数を調査した内閣府データがある。

http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shugyou/index.html

クズの女が31万人なのに対して、男は51万人。

※31万人の中には「家事手伝い」とやらも含まれています

男女平等観点で見ても、男性の方が20万人もクズが多い。

こんな絶望的な三次元男性との妥協恋愛なんて無理だよ。

2012-01-15

増田

思うんですけどね、ぼく、脳にチップを埋め込んで知識を頭に直接ダウンロード的な世界が本気で到達しないかなーと思ってるんですよ。でも一言で知識といっても。全知識のことでは無く、いわゆる理科学系的な知識のこと。

そのような未来感に対して在野の方は「知識を頭に叩き込んでも知識の使い方を覚えられない」という文句がでるんですが、僕はそんなもの詭弁に過ぎないと思うんですよね。

何故ってそもそも人ってあなたみたいな偉そうな人が言うほど馬鹿じゃないよって思うし、論理とやらは数学でも良く出来た人文系の本でも読めば会得できるものだと思うからです。

加えて理系的知識のみ頭に直接叩きこんでも構わないというのは、理系的知識が(複雑系的な言説が代表する最先端の知を除いて)すべてがファクト(らしい)だからです。

例えそれが原理的に「ファクトらしい」ことであるはいえ、少なくとも恣意的では無いんですよね。それでですね、そしてそんなファクトらしいことをファクトとして扱って科学はここまで技術化され人類進歩発展に帰依してきた(ここれ辺が人文知とは異なるところです。人文知はその恣意性が暴力的な力を持っている。そしてその暴力性が人文知の力。すなわち文脈を書きかえること。個人にとって一見関係無かったものを一つの視座を持って関係づけ、切実なものにする。それが人文知の力、だと思ってます。)(一方理化学的な知識にも別種の暴力性が当然あります。そのことに自覚的でない科学者はみんな根本的には自分勝手なクソ野郎なんだと思います。残念ながら。)

うう、かっこの中の話で本筋から遠ざかった…。

ぐだぐだ言ってきましたが、ここまで言ってきたことは一言です。基本的な理系知識というものは大抵が世代を超えて一個の人間がまた改めて一から学ぶほど価値があるわけではないということ。

いわゆる理系学生の中に以下の現実に気づいて憂鬱な気分になっている人は多いと思うんだけれど、若いころの時間を使って結果の分かりきってる学生実験をする価値なんて99%以上無いんですよね。

え、実験道具の使い方?レポートの書き方?全部別プログラムやらせた方がよっぽど効率的です。だってどちらも理系的な知識を使わないじゃないですか。どちらかというと体育と国語ですよ。

そりゃ回数重ねてれば何かの偶然で新しいことが起こるかもしれないけれど、そこに若い学生時間を使うのはいかがなものかと思います。どちらかというならこれから寿命ますます伸びた年配の方がおやりになればよい。しかも年配の方々は数が増えるのは分かりきっていることなのだから。可能性の伸びしろとしてはそちらの方が全然優位なはず。

そしてぼくはそのような年配の方(時間があって、科学とかゆるく好きで、しかも高校の教科書的な所から大学の2~3年程度の知識が頭に一括ダウンロードしてある方)が自由に研究趣味的にできるような場がこれからあると良いなーと思います

知識があったとしても大抵は無駄研究もどきなるとは思いますいが、それでいいんです。無駄文化になります文化物語化されてブランド足り得ます

今までに比べてはるかに安いコストで、気軽に研究できる。しかも初めから自分の興味のある分野を。これってとてもいい社会だと思います。それにそのようなある種のハードルを下げるにはとても良くて、実際的に何がいいのかというと人材流入のハードルが下がれば在野の人の既得権の縛りが解かれる+競争激化+多様性が増しイノベーションが起こりやすくなるんですよね。(その弊害は例えばPixivなんかで散見されますね。すなわち雇用の問題。)

これからデジタル親和性の高い世代が高齢者になったり、ある程度英語等でコミュニケーションで来て人材の移動性が高まる時代に、それを実現できたら、かなりのその地域引いてはその国のブランドになりえるし、いいことだと思うんですよね。

日本というのは自然災害がその立地条件からして根本的に多い国だし、今回の放射能ははそもそも強いと思われていた農作物ブランドの(程度はどうであれ少なくとも方向性として)下落につながった。その後の日本政府の立ち振る舞いも同様に日本全体をパッケージとして観たときブランド価値は下がったと思う。

まり日本というのは根本的に他国に比べブランド価値が強くなければ優秀な人材を引っ張ってこれない国だと思うんですよ。例えばわが身ひとつ立身出世しようと考える優秀な中南米人が「日本は色々災害とか身の危険あるけど○○があるからここで仕事をしよう」と思ってくれないとダメなんですよね。でなければきっとこれから日本という国は戦えなくなる。(経済的に豊かでなくなってくると無駄の確保ができなくなります無駄重要性は上に述べてきたとおり)。


さて、ここまでメリットばかりあげてきましたが批判も数多く考えられます。例えばその筆頭にしてもまっとうなものが「科学の発展が加速したらますます倫理の側が追いつかなくなるじゃないか」というものです。

しかし、僕はこの観点保証できます。なぜなら時間に余裕のできたものは、退屈な事実の再確認や荒唐無稽技術への信仰ばかりするのではなく、確かな今を見据える人文知的ものを学びたくなる欲求が高まるはずで、加えて言えば知識の記憶に費やす時間が短くなれば余暇が創出できるので、そのような歴史思想史哲学史を学べる機会は増えるはずなんですよね。たとえあなた時間があるから大丈夫(=自身の倫理を構築できる)とは限らないなんては思えなくとも、学生実験をやるよりはよっぽど有意義時間が過ごせるとは思いませんか?


そして最後にその実現可能性について思うところを書きます

以上のことがもっとも実現可能性の高い場はラボシェアするという理念の元運営されているいくつかの団体だと思います。なぜなら人材の流動化がこれから激しくなる時代情報系のものを除く理化学研究根本的に抱える問題とは研究ラボというその場でしかできないことで、その土地しかできないならその場にしかいられない。そこをシェアをすることでより開放するサービスが圧倒的に人々に受け入れられるだろうからです。

また実現に向けて初めに脳内に知識ダウンロード、と言いましたが、それより若干コストは高くなるかもしれないけれど海外のよく勉強したにもかかわらず文系就職しそうな元理系学生とか先生に雇って、そのサポート比較リーズナブル提供できれば十分今まで述べてきた未来の足場としては実現可能だとも思います

2012-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20120114210928

女性自身が『若さをウリにする』みたいなスタンスしか取ってこなかったからじゃないの?

男性からも好かれる素敵なおばさん、みたいなロールモデルを作り上げてこなかった。

で、男性観点だと『女性が歳を取ること』の価値を見出す事ができず、女性価値としては若さが残った。



例えば女性料理が上手いとか、安らげるとか、やさしい、明るい、とかって

歳を取ることで磨かれる部分もあると思うんですが、

そういった要素って「ジェンダーロールの押し付け」として排除してきた過去があるでしょ。

結果的に男性観点での女性価値としては若さが残ったってことなんじゃないかな。

若者意識離職率に急激な変化は見られない。企業側の採用行動の変化により、希望通りのコースを歩めないというのが事実である。働く意志がある人間がなぜ働けないのかという観点から企業の側の原因が指摘されてきた。これを、働く意思の存在しない、特異な傾向を持つ集団にフォーカスすることによって若者が甘えているからいけないのだ、と「問題のすり替え」が行われているのがニート問題(あくまで2005年段階の話です)。実際は、たとえニートを働かざるをえない状況に追い込んでも働くことはできない人が多数いることが問題。

しかニートの中でも「刹那を生きる型、つながりを失う型、立ちすくむ型、自信を失う型」の4類型が確認されているが、このうち「刹那を生きる型」のみに焦点が当たっている。ニートについてすら正確に理解されていない。ニートですら甘えが本質問題ではない。

高度に専門化した現在職業状況では、最も多いと言われる文系フリーターちょっと訓練さr他程度では使いものにならない。それゆえ彼らはノースキルでもなんとかなるアルバイト派遣社員を選択せざるを得ず、また企業側もそうした使い捨て人材を欲するという構造悪循環しかもこれを放置していると潰しの聞かない人材を多く抱えたフリーター世代が後世で日本社会の大きな負債となる。

そもそも若年層の就業問題とは、既得権益を有した、特に男性の年長世代が、相対的な弱者としての若者たか構造だったのだ。若者はそうして保護された親の既得権益たかりかえしているのであり、あくまで「たかあい」の関係。この認識ができていないと議論が進まない。

自己責任原則は、一方で国や企業に頼るなといいながら、あらゆる長期計画(安定性)を放棄せよというダブルバインドメッセージを発している。若者たちはこの分裂したメッセージ対処するために、やりたいことを目指しながら、現在の状況をそのまま受け入れるという宿命論を招き入れざるを得ない。結果、不断の躁鬱状態に置かれることになる。

2012-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20120113050622

↓「若さだけじゃない私も見てよ!」ってのは普通

自分の若い肉体にしか興味がないような男とは結婚したくない」となる、と言う想像が何故つかないのか、物凄く不思議だ。

で、若さ以外の魅力ってなに?というアピールって女性観点でも難しいんじゃないの? どんな魅力があるんだろか。



女性が「自身の若さ価値」に気づく→女性側の結婚年齢が下がる→「自身は若いか価値がある」と思っているので、相手への希望年収が上がる

あぁ、女性観点からだと

自分には価値があるから希望年収は上げていいハズだ」と思うのかもしれませんが、

そういう時代ではなくて、婚活市場では女性はあまっている状況なのです。

逆に男性の方が多かった時代なら、あなたの考えは成り立つでしょう。

つの時代もそうですが選ぶ側が価値を決めるのです。

2012-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20120108083459

他人から言われるのと彼女本人のクチからでるのでイメージ変わるわな。

だけどそんなにいちいち声高に言う事か?

ありのままの私をみてー」とか「私の全てを受け入れてー」とか、本人から言われるのはちょっとな。 そういう女性は面倒なんで、

君がまだ若いなら、その女性に関しては経験値稼ぎと割り切って他の女性も探し始めた方がいいと思う。

いろいろ勉強にはなるでしょ。



あと女性観点での男性の評価って「彼女がいる」とか「妻がいる」とかで上がる部分がある。

(ということもあって童貞の評価は低い)

今の女性と別れる前に次のアタリをつけといたほうがいいよ。

2012-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20120107232418

親の年収であれ知性であれ教養であれ「親によって子供人生が決定される」という言説だけが流れるのはまずかろう、と思ったんだけどね。

教育って、貧困層の子観点で見ると、低所得者層の親を持ちつつも社会的成功するチャンスでもある、と私は思っていたかった。

(そういった階層間の移動が起こらない社会ってテロを生みそうだしね)

ただまぁ「事実矮小化している」という指摘は正しいよ。

日本メディア間の隔絶について 続き

元記事

http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html

9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そら社会理想希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果であるといえる。

その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピー日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。

ネット上の無料コピーによる、著作権侵害違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民意識に応じて法を変えれば良い。

そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。

(終わり)

日本メディア間の隔絶について

日本メディア間の隔絶について 日本のおけるネットオールメディアの最適な関係の構築方法模索

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44

2012-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20120106112042

男性向けと女性向けで「肉食系」の定義って違いますよね。

少女漫画だと明確にヤリチン肉食系って分けれてるよね。 そういうファンタジー、大好きですw 西炯子娚の一生」とかね

肉食系」は女性にとって都合のいい積極的な男性を指すんだから、「ヤリチン」とは違って当たり前だろ。「自分だけに股開くエロに積極的な女性」と「ビッチ」が違うのと一緒だ。

女性向けの文化観点だとそう。 まぁファンタジーからなぁ。



あと西炯子娚の一生」は諸兄にもオススメですよ。教授かっこいいっす。老眼紳士好きにはたまらない感じ。

こういうコンテンツが『女性の作者から出てて』かつ『女性に売れてる』って状況は男性諸氏も考慮しておいて良いと思う。

嫁に貸したら1週間くらい繰り返しうっとりしてた。



あと女性と長く付き合おうとすると、女性ファンタジーと付き合う場面がある。なんつーか男性観点だと

「いやそれ、君の中のファンタジーなんじゃないの?」みたいな状況が。

あらかじめ慣れておくと、カチンと来ないので楽ですよ(女兄妹がいるなら別に不要かも)



高校、大学生男子には少し少女漫画オススメです。

あと女性向けエロ漫画も試しに買ってみると良いよ(not BL)

http://anond.hatelabo.jp/20120106130252

その部分には全面的に同意はするけれど、この議論の原点に立ち返ると

虐待などの明らかな親の過失が原因になった障害児に対しての責任は親にあるし

障害児を国が引き取る代わりにパイプカット避妊手術を強制するぐらいのペナルティは受けるべきじゃね


事実それは人道的観点からいって無理なので、無能すぎて子供一人マトモに育てられないバカは産むなという風潮がある

そして今ワーキングプアの大量発生で産む資格のないバカが増えている


「産める環境作ってやるから産め」というのは正しいけれど、産んだあとの責任を取らなくていいというのは違う

産んだあとの責任を果たせるようにしてやるから産めが一番正しいと思うが

http://anond.hatelabo.jp/20120106074327

よこだが。

それは少女漫画観点っすね。 男性観点だと一緒じゃないかな。

少女漫画だと明確にヤリチン肉食系って分けれてるよね。 そういうファンタジー、大好きですw 西炯子娚の一生」とかね

ナニイッテンダ

肉食系」は女性にとって都合のいい積極的な男性を指すんだから、「ヤリチン」とは違って当たり前だろ。

自分だけに股開くエロに積極的な女性」と「ビッチ」が違うのと一緒だ。

女性は、「感じてるふり」とかファンタジーに協力的だと言うのに、男ときたら・・・はぁ・・・

http://anond.hatelabo.jp/20120106072713

次々複数の女を食いまくりーの渡り歩きまくりーのの男を肉食系と言うのはどうなの

それはただのヤリチンでしょ。

それは少女漫画観点っすね。 男性観点だと一緒じゃないかな。

少女漫画だと明確にヤリチン肉食系って分けれてるよね。 そういうファンタジー、大好きですw 西炯子娚の一生」とかね



肉食系だってたったひとりの女を熱烈にアプローチの末ゲットして死ぬまでその女の肉だけを飽きずにずっと食っとくことは可能なはずだ

そういう男性もいるとは思うけど、そうじゃない男性もまぁいる訳で。そういう男性にも有用性ってあるものですよ。と思います



イタリア人男か映画タイタニック並みの熱烈なアプローチをされてバージン同士で結婚した女が水を差しておく。

それはお幸せに。 むしろそういうカップルが増えてほしいw

http://anond.hatelabo.jp/20120106000809

うん、男性セックスしたいと思ってる。自明だわな↓

男なんていつだってセックスできればあわよくばなんて思ってる奴は世にザラにいるだろw

ただ圧倒的大多数はそれを出来ないだけwwww

男性の7割くらい浮気願望がある、だっけ。忘れた。 意外と男も実行できないってのもそう。

風俗とか普通かい増田がいる中で女に貞操概念かいうのはどうなんだろうwww

妊娠した時のコスト女性の方が多い。 君は逃げるでしょ?(別に責任とれとか言わないけどさ) 女性逃げられないわけ。

ので男女で異なる行動様式になる。

だって同じだよ。あと腐れなく、誰にも知られず、イケメンとちゃんとゴムつけてのセックスなら一度位やってみたいだろww

まぁ、女性の中にも浮気願望みたいものはあるんだろう。それは最初から否定してないよ。

ただ上の理由から女性は「私をすぐ捨てるような軽い男は好まない」って気持ちもあって、それを強化するために君みたいな存在は必要なのね。



あと君みたいなワイルド男性がいると

「あー、酷い男もいるよねー。即捨てな奴。いるいる。僕は大丈夫、そんな風に見えるの?」ってのにも使える。

カップル長続きさせるのに「ほかのカップルより我々は幸せだよ?」って思わせるのは割と使えるので。 がんばれ肉食系男子

あと草食系旦那観点でもこんな感じに使えるので、むしろ積極的に利用価値見出していく方が幸せ増えそうな感じ。

2012-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20120105233617

まりにも不特定の多数と性交渉を持つことには賛成しないが、

あぁうん。私も別に不特定多数女性性交渉もったりはしないよ。嫁で十分す。

個人的には別に処女だろうがそうでなかろうが価値は変わらないな

んー。これはどうかな。単純に男の理想って

・若いときはとにかく色々試したい。

結婚する時は貞淑な妻が欲しい(浮気しないやつね)

じゃね? シンプルに実現しようとすると、

若いときは「複数男性カジュアルsexする女性」を共有する状況が必要。

一方で結婚するために身持ちが固い女性一定数必要。



元増田みたいな若くて元気でSexしまくりな男の子がいると

女性の貞操観も落ちたなー」って処女房っぽく女性を叩きやすくなり、

女性観点で見ると貞操さの確認にもなる。 だって速攻で捨てられてるし(w

なので肉食系男子自慢はガンガンやって欲しいと思ってるのよ。

東京電力東北電力の違い

東京電力東北電力の違いを考えてみた。

1.震災対応

東京電力 原発爆発 事故

東北電力 原発緊急停止して避難所に 

2.危機管理

東京電力 甘い

東北電力 過去津波を教訓に厳しい基準

3.自然エネルギーへの対策

東京電力 ゼロ 浮島の太陽光のみ

東北電力 地熱、風力、水力 日本一

 

なんで、同じ電力会社なのに、こんなにも違うのか

東北人って実直で素朴な感じがする

きっと企業文化にも反映されているからではないか

震災きっかけに、企業文化人類学観点から面白そうな研究ができるのでは

誰か修士論文テーマに迷ったら上記のこと研究してみたら面白い

2012-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20120102225742

あなたがもちだす「主婦」対象のアンケートhttp://anond.hatelabo.jp/20111231161437)が、

私の言う「共働き女性の苦労とどう関係すると主張されるつもりなのでしょう?

女性自身が捉えている負担、ですが、

それは、この主婦アンケート結果から見えるように「女性自身認識」に縛られてませんか? という主張です。

『「共働き女性家事育児負担(C)の苦労は違う!』という反論/データの提示はもちろんOKですよ。



男性への期待は過大である」ことを否定していない私に「今の男性が苦しい思いをしているとは思いませんか」と主張するのは無意味ではないですか?

あなたに主張するのは確かに無意味でしたね。



私はあなたと「水掛け論」をしたいわけではないので、あなたが私の質問の主旨を理解されないのであれば、対話は終了です。残念ながら。

これについては構いませんよ。御自由に。 お返事ありがとうございました。



私は、「男性女性の両方の苦しみを癒すこと」について、建設的な話ができることを期待していましたが、

これに関してもすみません。 あなたの期待には答えられそうにありません。

あなたの期待に私が答えられない理由ですが、個人的には

2003年ころ、「結婚したくてもできない男 結婚できてもしない女」みたいな本が出たころ、

まだ女性に勢いがあった時代

対等な状況になった男女が「男性女性の両方の苦しみを癒すこと」みたいな議論ができるようになるのかな?

と思っていたんですが、実際にはそうはならず、

実際には女性の上昇婚志向は止まらないままでした。フェミニズムはフェアを求めるがフェアではない。

(全ての女性がそうだ、とは思っていませんよ。自分給与水準考慮して相手への理想を下げられる女性も、もちろんおります)



ただ女性観点でみると「結婚を利用しての生活レベル上昇」も失いたくないし、当然、仕事も欲しい訳です(私は女性雇用が悪いとは全く思っていませんよ)

全体としてみると、そういった傾向が見られます



権利を手にした人間は手放そうとはしません。

恐らく、フェミニストの方は1970年代、上記の意識を「男性に向けて」思ったのではないでしょうか?

今もそう思っている方も多数いることでしょう。

私は2000年代半ばから女性に向けて思ったりしてました。

女性も手にした権利は手放しなくないのです。当たり前ですが。



私は、男女の関係の「建設的な議論」というものが可能なのであれば、

2000年代前半で結婚観に関して、男女で建設的な議論と落としどころができたんだろーな、と思っていましたが、そうはならなかった訳で、

譲歩や交渉が効かない相手であるならば、キチンと反論すべきだと思うようになりました。

私は対話や譲歩といった方法では、もう「男性の苦しみを癒すこと」の実現不可能だと思っているのです。



あなたの主張は、一貫してあなた脳内の『(あなた想像する)フェミニスト』に向けたプロパガンダであり

そうですね。 これは『私が認識想像するフェミニスト』に対するプロパガンダなのでしょう。

(たとえばフェミニストの想定する男社会弱者男性のように)

もちろん貴方が『違うのだ!フェミニズムとはそうではない、男女が『等しく』幸せを目指す運動なのだ!」というのであれば、

ぜひ続けてください。 そして増田ちょっとURLを書き込んでくださいな。

- 転職ならen
- 派遣ならen
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