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はてなキーワード: 考察とは

2016-09-29

逆に考えてみる必要がある

(前提)

子供であっても、いやむしろ子供であるからこそ、自分が周囲に受け入れられているかどうか、愛されているかどうかは敏感に察知する。

自分の行動が周囲に影響を与えるとわかってくる年頃になると、さらにその傾向は加速するだろう。子供は周囲のいろいろな行動をみて学習する。上手にまねをする。



考察1)

1-1 さて、そこで周囲に受け入れられようと思って、たとえば男の子シナをつくってにこっとしてみたとする。どうなるだろうか。周囲に受け入れられるだろうか。

1-2 あるいは、「女子」的な振る舞いが残念ながらあまり似合わない女の子シナをつくってにこっとしたとする。周囲の反応はどうだろうか。

1-3 あるいは、「どんな子供であろうと、子供が媚びをうるだけで虫ずが走る」という大人に囲まれていたら、その子供はどういう風な振る舞いを身につけるのか。

1-4 幸いにも、「女子」的な振る舞いが似合い、周囲から受け入れられ、結果としてそういう行動を思うままのびのびと行っている子供は、不幸なのか。上記の三人の子供は、結果的に「女子的振る舞い」を身につけることがなくて幸せだというべきなのか?



考察2)

一方、たとえば「長男以外は下男下女」というずいぶん偏った思想教育されて、無事その「振る舞い」を身につけロボットのようになって周囲に受け入れられた「次男次女」は幸せなのか不幸せなのか。

これは架空の話をしているわけではないよ。そういう風習過去実際にあった(http://psychodoc.eek.jp/abare/ojiroku.html)。

今の我々から見ると明らかに不幸でしかない状況だが、もし世界中がこのような風習だったとしたら、これを幸せと感じない人が奇異の目で見られるのではないか

このような社会おかしいと感じるその感性が、その人を「不幸」な人にしてしまうのではないか




結論

考察からは、「むしろ、ほかの子こそが抑圧されそのような振る舞いができない、という観点から見れば、ほかの子が不幸なのであり増田の子幸福」なのかもしれない。

だが考察からは、「コメントした知人には、そのような振る舞いを身につけて生きるような社会犠牲として不幸である、と判断されて当然」だというべきなのかもしれない。

結論は?

少なくとも、その子のそういう振る舞いを「自然」に受け止めてあげるのが、その子にとって一番「幸せ」な状態なのではないだろうか?



個人的には、その子自然としている振る舞いを「社会犠牲で不幸だ」ととらえるのもあまりいい受け止めとは思わないし、同じ理由で「女子感出してる」と見られる状態もまた、あまりいい受け止めとは思わない。「ことさら褒めたことはない」と言うが、「女子感出してる」ととらえている時点で、それはあるメッセージになっているのだ。あくまで「その子」の個人的な振る舞いなのに、「女子」とカテゴライズされれば、その子は結局何かを強いられる(たとえば親のジェンダー観を受け入れる)ことになるのだから

こんなとき、我々は初めて我々自身ジェンダー観に改めて気づかされる。「自然に受け止め、受け入れる」ことの何という難しさ!!

http://anond.hatelabo.jp/20160929065235

2016-09-28

君の名は。」をエロゲみたいという感想について

あいにくの雨模様ですね。おはようございます

さて今朝は君の名はエロゲみたいだと主張する意見について語りたいと思います



まずエロゲ定義として胸部をさわさわするものではなく、この場合ストーリーがあるものだとします。

さて、あなたエロゲをやったことがありますか?



エロゲ会社社長ツイートソースですが、エロゲ売上は5年以上連続で毎年20%前後下がり続けているというデータがあるのだそうです。

理由はいろいろあげられますが、とりあえず「売れなくなった」ことが客観的にある事実なのです。

最近若い子はストーリーのあるエロゲを知らないとは言わないけれど、少なくともブームにはまったく触れてないのでしょう。

大人になってもエロゲをやめられない大きなお友達には、なにかの欠陥があるのかもしれません(それでこそオタクだと言えるでしょう。誇りを持ってください)。

しか大体大人になるとエロゲをやめてしまます

若い子がメインのゲームで、若い子がプレイしない。産業としての終わりを感じますね。



この話から、分かることがあります

それは「エロゲ」を比喩として使う層は、少なくとも10代では無いということです。

5年連続とも言ってますし、U25にはもう馴染みがないのかもしれません。

エロゲを知り尽くしているかのような発言を見てもアラサーがギリでしょうか。



と言ってエロゲをみんながしていた時代なんてありません。09年の感覚によればエロゲの売り上げは1万でヒットレベルです。

君の名は。は動員数700万人を超えました。



エロゲだ、エロゲだ。と騒いでいる人。それを広めたい人が居るようです。

しかしまったくもってその比喩は広く響かないし、自分エロゲマニアおっさんだと認めるようなものなのです。

エロゲプレイヤーとして自信を持っているのなら良いですが、どうも目にするのは「みんなエロゲしてるよね。エロゲみたいだよ。若い子は違和感抱かないのかな」みたいな論調が多く、怖いです。

KOWAI。KIMOI。似てますね。

それと同時にセカイ系連呼している方もいらっしゃいますが、エヴァンゲリオンは今年で21周年を迎えます

若い子は知らない、のではなくそから受け継がれていたものがあり、何度も形を変えたと思う方が自然しょうが、何故「セカイ系」という概念にこだわっているのか。

古い概念で論じている時点で、多分「君の名は。」を語ることはできないと思います

まずRADWIMPSの軌跡みたいなのを掲示板以外で勉強して

BUMPと一緒に語られることもありますが、BUMP世代よりもう少し下の世代配信時代が始まってから出てきたバンドです)

そこから深夜アニメの台頭の歴史みたいなものを考え

(アラサ世代ニコニコMADに触れ、ハレ晴レユカイ文化祭運動会披露した世代です。新海監督の演出ががっつりハマる層だと言えます

ジブリが及ぼした影響などを考察してはどうでしょうか。

テレビで何度もアニメ映画放送されるというのは、子供だけではなく大人まで影響を及ぼしているはずです)



何故エロゲに結び付けるのだ。もっと色んなアニメ映画や本、漫画を読めばいいじゃないか

これが今朝の気持ちです。

2016-09-25

[]

今回は裏サンデー


市場クロガネは稼ぎたい 93時限目(後編)

ふぅむ、まあ前回書いた感想とおおよそ同じ理屈が書かれているかな。

ただ、ここまでのことを実行に移せる存在としてシロガネが適任というのはメタ的に見れば分かるのだけれども、シロガネ自身がそこまでの執念を燃やす理由が、作中の描写だけでは弱いと思うんだよなあ。

ちょっと雑というか、丁寧にやるべき部分を間違っている気がする。

ラストのああいう展開は、まあクロガネたちのこれまでの活躍の結果だとか様々な因果を考えれば、そこまで不自然というわけではないんだけれども、やや予定調和感があるのも否めない。

や、嫌いじゃないけれどもね、ああいうの。



栄冠は俺に輝く 5話

個人的に、もうこういう展開やキャラで話進めようとするのは正直ウンザリしているんだよね。

しかも、それの解決法が発破をかけるだけとかさあ……。

最後の展開も、2軍の選抜でそんな大物感出されても困るし。

あと、2軍の大物感を演出するために、「俺たちが苦戦した石垣を軽々登ってる!」って。

そもそも2軍の選抜組みの方々は何も荷物背負ってないんだから、実質ちょっと急な斜面登ってるだけだろう。



秋月さんは大人になれない 第32話

なんだこりゃ、世界観的にちょっと素っ頓狂すぎやしないか

まあ、なんか夢オチだとか妄想オチあたりにするんだろうけれども、それを前後編仕立てにされても、気持ちの置きようが……。



ねじの人々 第22話

まあ、正解がない以上、物語がどういう主導から作られてきたかで語るのはアプローチとして分かりやすくはあるかな

そういうのを要素を描くと角が立ちやすい、つまり創作世界美男美女(ブスではない)キャラばかりなのはコンプライアンス的なものを逆に意識しすぎた結果ってのは恐らく合っていると思う。

相対的に見て美醜が決定されるなら、最初から全員美男美女にしてしまえってのは、すごく歪ではあるが。

その他もろもろの考察の結果、今の作品作りの傾向は「みんなが語り部の時代」とし、それがカオスすぎてファシズムであるってのは、中々に思い切った解釈だな。

考察自体面白くはあるんだが、最終的な結論がそういう見えない風潮への挑戦ってのは残念。



ケンガンアシュラ 157話

ほぉ、勝ったか

刹那の執念や得体の知れなさ、ポテンシャルもあったが、それをきっちり地力熟練の差で倒したってのがイイね。

メタ的に見れば因縁のある刹那が勝つと思っていたから意外ではあるが、無理筋ではない。

まあ、もちろんこれで刹那物語のものから退場ってわけにはいかないだろうから、どこかで因縁の決着自体はすると思うけれども。

俺は文章を書いていてようやく落ち着け人間なんだと最近知った。

問題は特段文章うまいというわけではないことだ。

文才があれば随筆なり小説なりで己を維持できたかもしれない。

しかし俺の文章支離滅裂だし、

視点はありきたりだし、考察はぬるいし、結論も無いし、

実に読むに耐えない。

するとそれはそれで違うフラストレーションがたまっていく。


ようするに酒が切れたから誰か買ってこいよと言いたいのだけどね。

2016-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20160923165627

考察してしまうんじゃなかったの?

勝手に決めつけた第一印象と違うって感情に引っ張られて

考察すらろくに出来ていないように見えるんですけど……

http://anond.hatelabo.jp/20160923163420

涎を垂れ流して受け入れることを楽しいと思ってないのになんで両立させる必要がある?バカなのかお前は?(考察

http://anond.hatelabo.jp/20160923162313

考察「してしまう」という辺りまだ自制できない二流だな。

演出描写を読み解いて考察するのと、

涎垂らしてただ受け入れるのの両立くらいしろ

http://anond.hatelabo.jp/20160922194354

考察「している」んじゃない、考察「してしまう」んだよ、勝手に。自然に。

お前みたいに万人が口をあけて涎垂らしながらバラエティ番組観てるのと同じノリで映画とか作品消化してると思うなよ。

考えながら消化することを習慣化された人間は1コマ1コマでも1シーンでも考えを挟みながらリアルタイムで消化していく能力があり、

既にそれが板に付いてしまっているか考察するのが普通になっていて、

考察すると辻褄が合わなくなったり、話の流れがおかしくなったり、フィクションからという言い訳をかまずに飲み込まされると、

作品に集中できないんだよ」

作品に集中させてほしいから、無理やり辻褄を合わせたようなとか、非現実最初に釘を刺した部分以外でおかしかったりされると、

こっちとしては困るんだよ。

涎勢がいうシン・ゴジラリアリティってどこまでいっても「リアリティ」じゃなく「リアルっぽィ」んだよ。

あくでポイに過ぎないんだよ。

誇大広告もいいところだし、そんなやつをメインターゲットにしなきゃいけないからガキっぽいと馬鹿にされる完成度しかお出しできない。

しかもそっちの方が頭使わずに娯楽を消化できるからコスパもいい。

こっちは被害者なんだよ。

2016-09-22

フィクションリアル視点から考察してるのが理解できない

聲の形とか。

フィクションなんだからもうどうでもよくね?って感じなんだが。

リアルだったらこんな子いない」

いじめっこはもっと痛い目を見るべき」

ストーリーが都合良すぎる」とか。

なんだろ。これって作品評価というよりはただの妄想って感じがするんだよね。

これはもっとこうなるべき!!!って妄想して喚いてるみたいに見える。

それを評価と直結させてる人が多すぎて気持ち悪い。

しかもこういう奴らに限って声がでかい

アナと雪の女王登場人物同性愛であるべきって暴れてた海外の奴らと何が違うの。

願望と妄想押し付けてるって意味では同じだろ。

2016-09-20

新宿メトロプロムナードデレステジャック最終日の件。

メトロプロムナードデレステジャック 最終日の件

新宿メトロプロムナードにて実施されていたデレステ広告ジャック企画にて、「最終日の最後に流されたMVコールが入ったり、終了後に『アイマス最高!』をやっている人がいた」としてTwitter話題になり、批判ツイートも相当な数になった。

それ自体は当然の流れだと理解できるが、いろいろ見ていると中には「拍手迷惑行為だ」「MVが終わるごとにスタッフ拍手を促しているのを見て冷や冷やしてた」という意見散見された。正直言うと、私にはその「拍手迷惑行為」というのが理解できなかった。もう少し正確に言うと、拍手言及して良識派を気取ってる人々の考え方が理解できなかった。

そこでこうして私見を書き殴っている次第である


スタッフがOKとするなら原則OKでは?

まず言いたいのは「スタッフがOKとしているのであれば、それは許可された行為なのでは?」ということである

先程も述べたが、MVで1曲終わる度に拍手をするのはスタッフから促された行為である。つまりイベント運営側としては拍手は「問題ない行為」と認知されていることになる。その運営側から容認されている行為批判するのは的外れなのでは?というのが、私の意見である

そういうことを言うと「スタッフだって間違うこともある。下手な運営だって有り得る」と言われるのが目に見えているが、今回に限って言えばそれは無いと私は思っている。と言うのも、今回のイベントに関しては運営側スタッフ)は「イベント関係ない一般の方に可能な限り迷惑をかけない」という一点に関しては物凄く気を配っているからだ。

実際に現地に行った人ならばわかると思うが、今回の現地では、展示物の前以外の場所で少しでも立ち止まると、即座にスタッフから移動するように注意されていた。特に両サイドの柱の間、中央の通行スペースは、一瞬でも立ち止まるとすぐにスタッフが飛んできた。また、展示物の周辺でも柱の内側をほんの少しでもはみ出すとすぐに注意された。一般の通行人邪魔になることを極力回避しようとしているのが伺える。

また、展示物と反対側の壁、常設の店舗が並んでいる辺りの間にちょっとしたスペースがあり、初日・2日目ぐらいの頃にはたくさんのイベント参加者がそこで休憩していた。ところが最後の方になると、そのスペースはいつの間にかロープが張られ封鎖されていた。恐らくそのスペースの両側の店舗から苦情が入って対応したのだと思われる。

今挙げたのはほんの一例だが、このように今回の運営は相当気を配っているというのがわかる。話を戻して拍手についてだが、もしそれが最初に一部のスタッフ勘違いして始めたのであれば、そのスタッフは注意されて随時修正されるはずだ。それが為されず最終日の最後までずっと続いたということは、運営拍手問題ないと判断していると思って間違いない。先述の通りここまで神経質になっている運営判断であれば、それに従えば迷惑行為にはならないと私は考えている。


今更すぎない?

MV終わりに拍手をしていたのは、初日からずっと繰り返されてきたことである。それを6日目までは何も言及してなかったのに、最終日になって急に槍玉に上げ始めた人が本当に多い。あたかも「今まで言ってなかったけど、実は自分もそう思っていた」とでも言わんばかりである

ずっと思っていたのなら最初からそう言えばいい。何なら、現場スタッフに直接言えばいい。それをせずに最後だけ周りの空気に便乗して好き勝手言うのは、いささか無責任ではなかろうか。もっと 有り体に言えば、「本当に自分で考えてそう思ってる?周りがそう言うから合わせただけじゃないの?」という印象を受けた。

付け加えるなら、オープンスペースでのイベントで言うなら、デレマス2周年記念イベント新宿アルタ前で行われた時のことを思い出して欲しい。あの時はミニライブがあったとはいえ、ライトも振るしコールも全力という有様だった。当然一般人がすぐ傍を通るし、新宿駅ホームまでコールが聞こえたという報告もある。だが、それをネタにして笑う空気はあったが、真面目に批判する人がどれだけいただろうか?

アレをネタで済ませる人と同一人物が、たかだか拍手程度を批判している。この状況に違和感しか無い。


それでも批判する人は何を根拠にしているのか?

上記のような状況を踏まえてなお、拍手問題視する人たちは、一体何を根拠にしてその判断をしているのか、私にはわからない。これだけ神経質になり、また場所提供しているメトロからの苦情情報等も直接聞ける運営と、そういった批判する人々の素人判断と、どっちが信用に足るかという話である

公共の場で騒いではいけない」というのは一般常識であり、それ自体否定する気は毛頭ない。だが、あの場は果たして拍手を封じた程度でどうにかなるような場なのだろうか?

そもそもあの場は、過去実施された広告企画とは根本的に違う。MV音楽は流すし、ぷちデレラのムービーでもBGMが流れているし、時折ぴにゃこら太も鳴く。アクリルパネル展示のエリア音楽が流れてる。

そんな中で拍手だけを禁止した所で、一般の通行人の印象が変わるだろうか?ハッキリ言ってしまえば、拍手があろうが無かろうが「五月蝿い、邪魔」という印象は変わらないだろう。拍手が無くても音楽ガンガン鳴っているのだから

無論、「音楽があるのだから」と言っても、騒音を倍増するような行為はしてはいけない。コールがそれに該当する。だが、スタンディングオベーション拍手喝采という程の物ではなく、音量としても音楽と大差ない程度のささやか拍手まで禁止して、騒がしさが変わるだろうか?要するに「運営が想定している騒音レベルを超えるか否か」という話であり、あの程度の拍手はそれを超えないというだけのことである

以上を踏まえた上で「公共の場で騒いではいけない」という一点のみを強調して拍手批判する人たちは、今回の特殊な状況を考慮に加えず杓子定規判断しているとしか思えない。敢えて大袈裟な言い方をすれば、一種思考停止である

それでも拍手を批難できる理由があるのであれば、是非教えて欲しい。


私も詳しくないので余談ですが

ミリオン3rdライブの際に一部の広告撤去された件を引き合いに出して「あれを繰り返すのか」という話も見受けられたが、私の知る限りではエスカレーター逆走等が原因だったはずなので、今回と同列で語る話題とは少しズレる気がする。


拍手批判している人たちは、本当に「自分一般人迷惑をかけてない」と断言できるか?

見出しの通りである

2日目の「柱に蹴りを入れた」という件や、最終日の「アイマス最高」の件等、明らかに逸脱した行為批判するのは理解できるが、ここまで述べた通り拍手のような大事でもないことを手放しに批判できるほど、自分に傷が無いと、やましいことが一切無いと断言できるだろうか?

話題コール拍手等の「音声」の問題にばかり傾倒しているが、迷惑行為と呼ぼれる物はそれだけに限らない。先程の蹴りの件はその際たる例だ。

柱の話になったのでそちらで例を挙げると、百歩譲って柱のアイドル写真を撮る行為はまだわからなくもない(それでも一般の通行人から見たら奇異に見えるだろう)が、柱に抱きついたりしてるのが果たして一般人に良い印象を与えていると言えるだろうか?Twitterでは柱に眼鏡をあてがった写真メジャーで高さを測った写真が随分とRTされたようだが、それらの行為一般人理解を得られると胸を張って言えるだろうか?

ここで言いたいのは「そう言う貴方達も叩かれて然るべき事由がある」ということではない。

批判する前に一度よく考えてから発言しよう」ということである

深く考えずに短絡的に叩いていたら、思いもよらない反撃を受けても文句は言えない。そうならない為に、発言内容には常に気を配る必要がある。

よーーーく熟考した上で、それでも批判せずにはいられない時だけ、叩き返されるリスク認識した上で叩くべきである。人を呪わば穴二つ。アニメコードギアス」のルルーシュ言葉を借りるなら「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」ということである

念の為に繰り返す。「叩くな」と言っているのではない、「よく考えろ」と言っているのだ。


おわりに

私が今回こんな長文を書いているのは、今回の件をTwitter上で批判している人たちが、上記のような特殊な状況について考察すること無く、実際の状況についてきちんと情報確認もせず、ただ断片的な話だけを元に脊髄反射の如く闇雲に、盲目的に拍手をした人や拍手を促す運営批判する姿勢があまりにも無責任で、それで良識派を気取っているのがあまりにも目に付いたかである

私は「アイマス最高」はやらなかったが、あの場には確かにいた。だからと言って、あの「アイマス最高」を擁護するつもりは欠片ほども無い。

ただ、それと一緒くたに他のことまで叩かれている状況が我慢ならなかったのである

何も考えていないくせに「自分はちゃんとしている良識派です」みたいな態度なのが我慢ならないのである

最後に。

イベント終了時、閉まりかけたシャッターの向こうでスタッフが「ありがとうございました!」と深々と頭を下げた。

その行為拍手以外で、かつ批判派の言う「迷惑行為」に当たらない範囲で応える方法が、私には思いつかない。

拍手が駄目なら、そのスタッフ謝意に対して、何もせず無視を決め込むのが正解だとでも言うのだろうか?

2016-09-19

自己表現力への考察

自分のことを、自分言葉で話せる人間が好きだ。

これができるためには、自分のことを熟知していなければだめだ。

長所短所、好きなものや嫌いなものはもちろん、

自分対話して、自分感受性に耳を澄ませて、自分のそれが生み出すものを救い上げていかなければいけない。

一朝一夕でできることではない。自分自分が思うほどかっこよくはない。自分が見たくない自分も含めて、観察を続ける努力の上に、

自己表現力は成立する。

立派な言葉知識をふんだんに使い話す人間がいるが、そこにその人個人感受性からまれた何かが入っていなければ、それは借り物の張りぼてのことばで、

その人自身を語ってはいない。

そのような人と話すとき、まるで味気ない文書でも読んでいる気分になって、内心興ざめしてしまう。

そんなものは本を読めば知ることができるからあなた言葉を聞かせてほしい。

私が知りたいのはあなたの心の中身であって、頭の中身ではないのです。

(追記)

読み直すと自分はてな文章投稿している身だし、この文章だけだと上から目線だなと思ったので。

自分自身が上記で挙げたことが完璧にできているわけではない。ただ、言語表現するうえで自分の指針、理想は持っていたいと思う。

また、ただ味気ない人の知識のひけらかしに興ざめするのではない。知識を得られることは私も楽しい

でも、その人との会話において、知識「だけ」の会話になってしまうことが悲しい。

私はその人がどんなものに反応する人で、どんな人生を生きてきたかに興味があってコミュニケーションしたいのに、その人のパフォーマンスを見せられるだけになるのがむなしい。

2016-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20160917091613

もうほんとこういう釣りエントリとか釣り方飽きたよ。

一見本質に切り込むとか深く考察する的な話させて頭よくなった気にさせたいんだろうけどさ。

せめて経済の話をさせたいのか法学なのか宗教なのかくらい書いたら?

増田に対する軽蔑感がどんどん強くなるよ。まとめサイト煽りタイトルとかタブロイドと何が違うの?

2016-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20160916172251

リアタイで毎週見てた人と

からまとめてみた人は根本的に感想違うと思うよ

今でいうまどマギみたいなもの

毎週毎週、みんながネットで公開する考察読んでは次の週を待つのが本当に楽しかった

2016-09-15

君の名は。アラサーが見たけど刺さらなかった

ネタバレを多分に含んでおりますので、ご注意ください。







全体的に錆び付いてしまった私の感性では泣くほど感動できませんでした。

2016-09-14

新海誠川村元気RADWIMPSについての勘違い

および、君の名は。が導くポエム評論というライター楽園



http://shiba710.hateblo.jp/entry/2016/09/14/122251


この底の浅いヒョロヒョロな評論考察を読んでイライラしてしまった。ライター仕事ほしくてケツにローション塗りたくって新海と川村野田にケツ差し出して媚びてるようなヌルヌル文章だよ。こんなの。

まあネット巡回して色んな意見をまとめて自分の考えをたとえ薄っぺらい内容でも分かりやすく主張して言っているという部分ではローションライターとしてはいい線いってるんじゃないか

で、内容は

東浩紀渡邉大輔とかはリア充性に注目しているけど、そうじゃない、エンタメ技術論なんだと。うん。その方法論の実現のためにRADWIMPSという存在があると。うん。で、そういう組み合わせを仕掛けた川村元気天才的なんだと。ううん?

ど、どういうことだろう。一体この人は何を言ってるんだろう。

>こういう風にお互いに共通する世界観作家性を持つクリエイターを結びつけるのが、まさに「プロデューサー仕事」なんだなと思う。そして、「音楽×映画」という観点で見ると、川村元気という人はいろんな実績がある。

中略

高木正勝山口一郎野田洋次郎中田ヤスタカのような作家性の強いアーティストに「映画のための音楽」を作らせる手腕。さら主題歌劇伴を同じアーティストが手掛けることによって、映画音楽が密接に関わりあう作品に仕上げる手腕。そのあたりは、『バクマン』や『君の名は。』や『何者』に共通する、川村元気プロデューサーとしての天才性だと思う。





おうおうおうおう、いぇいいぇいえいぇい。そうね。はいはいはい


なんか知ってるなあ。こういう物語音楽のあり方、なんだっけなあ。昔あったな~、同人誌タイトルで、椎名林檎とかcoccoとかポルノグラフィティとかの曲名同人誌タイトルにしたりさあ。自分の好きなカプのテーマ曲脳内設定したりあったなあ。つか今でも見かけるなあ。

はい。そういうことなんですよ。

結局川村元気においての映画音楽なんてのはこういうことを東宝プロデューサーとしてのスケールでやっているだけで、天才的な手腕でも何でもない。ただの凡庸さゆえにより大きなマーケットに向けての仕事ができるというだけです。村上春樹聞きながらレディオヘッドとか聞いてる学生と似たようなもんなんです。たぶん、人脈つくりや人と仲良くなることが得意なんでしょう。どうでもいいことですが。


本題なんだけど、もうさ、君の名は。の褒め文章、どれもこれも高校生ポエムみたいなのでうんざりする。なにがちょうちょ結びだよ。テーマが結びだ? んな程度のことたいていの物語系のコンテンツ君の名は。以上の水準でやってるよ。挿入歌歌詞考察アニメ映画評論かいな。さらにそんなスッカスカの考察のアホみたいな文章ブコメで称賛するスーパーアホもわんさか。こういうアホどもをあぶりだしたことが君の名は。の最大の達成かもしれんな。あと褒めるべきは、中高生をひたすら甘やかしてうっとりした気持にさせるためだけに日本アニメシーンで最高峰人材が浪費されたのは虚しいこととはいえけっこうな金儲けになったことだけはまあ褒めてもいいだろう。問題はそんな映画についてクソポエムを書いてしまう連中とそれにくっついていくクソオタ。

チャーリーポエムに続けて40のオッサンが「ここはまさに同意」じゃないんだよ。

こういう奴ら明日全員ウンコ踏んでほしい。




君の名は。に前史みたいなものがもしあるとしたら、適当に今考えつくだけでも、書けるだろう。


ニコニコ動画2006年に開始

初音ミク2007年

そして新海誠が作った山崎まさよしPVになってしまったような秒速5センチメートルが公開されたのは2007年ハルヒダンスなんかも当時の中高生にとっては重要なのかな。適当に言ってるだけだけど。

まりアニメ文化PV映像センス親和性消費者リテラシーがこの10年間でとんでもなく浸透し、上昇した。具体的には、自己像を架空世界二次元キャラアニ世界に没入させる技術が今の1020代はそれ以前の世代と比べて圧倒的に優れているわけ。


そしてさらカゲロウプロジェクト告白実行委員会ボカロ小説といった、若者向け物語文化さらにそういうPV的な音楽物語需要さら拍車をかけた。

はっきり言って、やってること同じでしょ? 君の名は。カゲプロとかずっと前から好きでしたとかって。新宿感はストリート感に対応しているし、青春キド胸キュンストーリーだし。

震災をダシにしつつ実際は自分恋愛成就しか興味がないウスラバカのための映画子供背伸びにもピッタリ。






というのはまあクソオタ向けのまとめであって、なんでこんなとてつもないヒットしたかって、結局のところ新海誠のくどい撮影キラキラ画面というのは、大衆にとって衝撃的な画面として映ったってことでしょう。しかも、描かれているものスピリチュアルスケールが大きい。ただ素朴に、「え~。アニメでこんなにキラキラした画面初めて~。すご~い」ですよ。それを映画館の大画面で見るんだからカルチャーショックでしょう。物語の内容がアホみたいな間の抜けた王子様とお姫様のきっしょいラブストーリーだとしてもね。べつに中高生がうっとりするのにはそれでいいんですよ。(本当はよくない) 問題はそんなのでポエムちゃう連中。


田中将賀パンピ向けデザイン安藤雅司ほかのとんでもない水準のリアリズム作画青春キド胸キュンストーリーが、実際の物語としての出来はともかく、予告だけ見てたらとんでもなくヘルシーで健康的な印象でしょ。そういうただひたすらキュンキュンときめきたいっていう大衆の眠っていた願望を呼び覚ますには充分すぎる画面を提示することができたわけ。本当にただそれだけなの。凡庸物語センス新海誠凡庸音楽仕掛け人であるところの川村元気センス大衆向けの子供だましクールジャパンアニメの到達点として結実したというのが妥当見解でしょうよ。

からポエムはもうやめろ、お前ら。きもいだけだから






ブクマとかトラバ読んだよ。

物語コンテンツ需要における文脈や楽しむための作法には積み重なっていく歴史があるんだということさえ理解できないバカが大量宣伝大衆向けの物語でやったか川村がすごいんだと単細胞意見でつっかかってるんだね。ガンダムマクロスをたとえに出して、君の名は。カゲプロが似てると思うのは老いだぞ、とか。このエントリ文意さえ読み取れてないみたいで、これはバカでも分かるように書かなかったこっちが悪いのかな。それともバカなのが悪いのかな。

君の名は。バカにされて頭がフットーしてる人、ケチつけられることがつらい人にオススメなのは川村元気他所の畑で実った果実自分の畑で植え直して大衆に売ることの天才とでも思っとけば川村でも天才扱いできるからいいんじゃない

こっちはライターがフェアな関係であるべき対象天才とか軽々しく言い出したのがイラついただけなんでね。

文脈なんて前提だよって人もいるけど、だったらライターはその文脈歴史として記述しなきゃ。ポエムなんかよりも。

なぜヒットしたのか? 天才プロデューサー仕事からでありますって。ちゃんちゃらおかしいよ。ライタープロデューサー褒めそやしてバカ素人がそれに乗っかって「これが君の名は。の正しい評論だよなあ」って好きなもの同士の特権意識で頷き合ってる気持ち悪い構図になってるんだがら。

このライターの人も君の名は。RADWIMPS音楽で読み解きたいんじゃなくてただ取引先ともっと仲良くなりたいってだけなんじゃないかなあ。業界の仕組みなんて知らないけどさ。

無職で暇な俺が2chネトウヨ罵倒しまくってたときに知ったこと

ネトウヨ罵倒されるたびに(悪い意味で)語彙が増える。

 

ネトウヨは本当に驚くほどの無知が多いので、義務教育レベルの間違いをちょくちょく犯し馬鹿にされた。

すると彼らは他人を「無知」と罵ることを覚えた。

 

知識を増やして理論武装したわけではない。ただ自分の方がものを知ってるインテリであると無根拠に主張するようになっただけだ。

 

こうして自分無謬性を強弁したいあまり、どんどん(無知なだけでなく)矛盾だらけの主張をするようになると、こんどは根本的な知能を疑われた。

彼らは他人を知恵おくれ扱いすることを覚えた。

 

まり恥知らずで強情なために精神を疑われると、他人精神障害者扱いすることを覚えた。

 

アスペ造語症、虚言癖、サイコパス

彼らの『症状』を真面目に考察しようと新たな観点が持ち出されるたびに、彼らはそのような「レッテル」の貼り方だけを覚えた。言葉の本当の定義は何も学ばなかった。

 

ネトウヨ本質とは、ただ「馬鹿って言う方が馬鹿なんですー」を言い返さずにいられない小学生という、ただそれだけのものだったのかも知れない。

しかし結果として、彼らは悪い意味言葉を覚えてしまった。彼らは自分絶対に学ばないために、他人否定するためのありとあらゆるレッテルの貼り方だけを学び続けた。

こうして、世にも恐ろしい『日本自分)は絶対に正しいマン』こと、ネトウヨという脅威の怪物が出来上がってしまったのだった。

 

ごめん、ネトウヨと言うモンスターを生んでしまったのは、無駄に語彙力があって暇を持て余してた俺かも知れん。

2016-09-12

聲の形を読んだ

なんか映画になってたから。

映画観てないけど。



聲の形面白かったけどけど、なんかろくな感想書いてるやついねーなクソと思ったら、

本にまでなってるなぞ解き聲の形ってサイトに全部書いてあった。

でもなー。

そこで長大考察してる因果応報っていうよりは、まさに声の形についてずっと描いた物語に見えたよ。

声って目に見えないし形がないものだけど。

手話になると目で見える形があるものになって。

形があるなら、目で見てはっきりと伝わるものになるかと思えば、そんなこともなく。

普通の人が普通に声でするように、誤解があって。

逆に、耳や言葉不自由のない、健常者だって、ろくに気持ちなんて分かりあってないよねって、あからさまになるという。



植野が硝子と再会してつっかかって、将也と硝子の間に割って入れない関係ができてるって悟って泣き笑いするシーンが、まさにそれだよな。

耳が不自由だと、大勢の健常者とはコミュニケーションをとりずらくなって壁ができるけど。

手話ができる二人と、できない植野の間に、逆に壁ができてしまう。

コミュニケーションの壁なんて、相対的ものしかないのだ。

声の形について、考えさせられるシーンだ。



耳が聞こえないとコミュニケーション不自由して気持ちが伝えられない、ハブられる、迷惑をかける。

そんなの言葉普通に使える人も、大差ないじゃんよって話だよな。

子供ならではの残酷さと間違いを、大人になりかけの高校生がずっと引きずって、本音も言えず、本音を言い合えば皆楽になるのに言えず。

そういう傷を負いながら、生きていくって。

面白かったなぁ。



あと元担任クズが、実は手話覚えてたシーンで最高に泣けた。

硝子と将也が手話で会話するのを見て、

「ほら やっぱり立派になったじゃないか

というシーンで唯一泣いた。

そして、他人事として眺める分には、最高に感動できるセリフでも、物語当事者たちには、わだかまりを払拭するには十分じゃないという展開に最高に泣いた。

声の無力さよ。

しかし我々は声にたよって、無様に、お互いに怯えながらコミュニケーションをとっていくしかないのだった。

ほんと面白れぇな!

2016-09-11

「金を払う」が万能免罪符なのか

http://anond.hatelabo.jp/20160910185500 を読んで。

元増田は「俺が金を払っている以上、俺がどんな食べ方をしようが自由だろ」と書いている。

そこで金を払えば何でも自由なのかを考察しようと思う。

極端な例 飯をそのままゴミ箱シュートした場合

元増田の件では飯はある程度食われたあと残されている。

しかYouTuber企画で、飯を食わずダストシュートした場合想像してみよう。

YouTuberはこう主張する。

「飯は金を払って自分が買ったものであり、どう処理しても自由

店主はこう主張するだろう。

自分が飯を提供したのは食べてくれるだろうという(暗黙の)了解の元だったので、この契約無効じゃね?」

おそらく店主が正しい。

契約が成立するのには、「お互いが必要情報を共有」している必要があるのだ。

この場合飯を買ったら食うというのが「暗黙の了解」だったのでちょっとややこしいが、

店主:この人は買ったら食うだろう

YouTuber:この人は買ったら食うだろうと想像しているだろうが、自分は買ったらゴミ箱に捨てる

というふうに持っている情報に偏りがある。よって正しい契約ではない。

お金を払ったからいい」は万全ではない

少なくとも、「その契約は適切な契約だったか」が問われるであろう。

なお元増田の件が全体としてどうかは自分にはわからん

ただ、「俺が金を払っている以上、俺がどんな食べ方をしようが自由だろ」は違うと思う。

2016-09-10

映画セッション感想承認欲求狂気

映画セッション』を観ました。

2014年映画で、一言でいえば音楽院ドラマーを目指す青年ニーマンとそこの鬼教師フレッチャーとのガチバトル?

愛読しているブログ考察記事があり心惹かれたので、さっそくレンタル

朴訥な青年が鬼教師傍若無人なふるまいを受ける中で狂気じみてくるのがたまらないですね。

血だらけで笑いながらドラム叩くシーンあるんですよ。おっかないけど、狂うほど突き詰める人間の姿そのものってもはや芸術的

個人的には、フェス舞台で恥をかかされたニーマンが、父親から抱擁の後、舞台に舞い戻ってフレッチャー舞台を乗っ取る展開が印象深いです。

ここ、ニーマン父親愛情に浸るより、フレッチャー自分ドラムを見せつけることを選択したシーンだと感じます

肉親の愛を振り切ってフレッチャー承認を求めるニーマン

彼はドラム評価しない父より、たとえ鬼でもドラマーとして自分を見るフレッチャー評価がほしかったのかもしれません。

ブログ考察記事ではニーマン承認欲求とその達成のための手段としての彼のドラムに触れていて、興味深く読ませていただきました。

最初、ニーマン普通ドラマーでした。しかし、フレッチャーとの関わりが進むにつれ、ドラムへのめりこんでいきます

ただ、ここでのドラムへの執着は、ドラムという音楽のものよりフレッチャー評価に向けられたものです。

この点に、彼にとってのドラム承認欲求を満たす手段であると表れているのかと。

ニーマンフレッチャーから承認を乞い続け、最終的にはブチ切れて憎悪が爆発する。そこまで至った彼の演奏が、フレッチャーを感服させるというね。

なんというか、愛憎劇ですね。

ニーマン狂気の源泉は、強烈な承認欲求なのでしょう。

それを集中して向けたフレッチャーの行いによって、さらにそれが育ち、ついに狂気へ変わる。

狂気に走ることで芸術が完成される図式は映画ブラック・スワン』と通じるものがあるように思います

承認欲求って一般的にめんどくさいもの扱いされますが、あそこまで昇華させると薬、というか劇薬ですね。

ニーマンドラマーとして天才だったかわかりませんが、それほどの承認欲求の種を持っていたこ自体天賦の才だったかもしれません。

とりあえず久々にジャズ聴きたくなってきたから、返却ついでにCD借りてこようかな。

1コナンヲタのクソ長い文句

ほんとはどうでもいいことなのかなと思ってたような気もしてたけどやっぱりちょっと複雑な気持ちが大きいので匿名

たぶん読むと不快になること間違いなしなので読まない方がいい



最近、というかここ半年コナン純黒の悪夢効果で以前のように、というかそれ以上にまた勢いを増しているなと思う。特に腐関連のあるCP

わたし母親コミックスの3巻だけなぜか買ってきたのがキッカケで小2という多感な時期からコナンを読み続けていて、悪い言葉もどこで使っていいかよくわからない豆知識(トリカブトetc.)も友達の素敵さとかほんとに言い切れないほどにいろいろなものをこの作品からいっぱい得た。関係ないけどわたしNL好きなのもこの作品の影響が強いと思う。友達に「コナンが新一に戻った巻をあげろ(その当時はたしか10巻と26巻)!」とかいカルトクイズを出して泣かれたのも覚えているし、ついでに先生にも怒られた。とにかくわたし人生たかだか20年ほどだがとにかくコナンが付き纏っている。



コナン好きな方が増えるのはとても嬉しい。やはり好きな作品をいろんな方と共有することができるのはとても楽しいし、考察も増えることがあるため刺激をもらうこともできるからだ。



けど今のコナン好きの増え方は、言い方が悪いけどなんだか気持ち悪い。コナンという作品を好き、というよりも特に赤井安室へのキャラ萌えが先行してる感じが否めない。それなのに知ったかをされるのが非常に不快コナンという作品全体像を知ろうともせずに赤井安室をさも知ったように語るのは何なの

映画でついた自称ファンの中には拾い読みをしたり、yahoo知恵袋で聞いたり、ネットで調べたり…結局のところ「名探偵コナン」という作品が好きな訳ではないんだな、と感じる言動が多くて悲しい。



わたしコナンの中で新一が1番好きで、昔の話だろうがなんだろうがとにかく出てくるとすごく幸せ気持ちになる。きっと無意識にずっとキャラ萌えしてたんだろう。でもそれは土台に「名探偵コナン」という作品があるからこそのものであると思う。コナンの一連の流れを知った上で見る新一とあんまり知らないで見る新一は別人だと思う。例えばロンドン編のビッグベン前でのアレは、長年読んできた新蘭好きは26巻や62巻-63巻の切ない未遂を考えると涙モノだったと思うのだが(個人的見解)、あの巻だけ読んだら良かったね〜くらいにしか思わないのではないだろうか。ついでに62巻-63巻のアニメ化作画は酷くて楽しみにしていた分悲しみが深かったのだが72巻のビッグベン前のシーンの作画気合の入り方も涙モノだった



こうやって目当てのキャラが出てくる巻を書くとそれだけ読んで、はい萌え〜で終わらせたりする人がいるかもしれないけれど本当に勿体無い。ここまで焦らされたから(焦らしすぎかもしれないけど)ここにくる感動が一塩なのだ。拾い読みとかありえない。

今となっては赤井さんが生きてることはもう周知の事実だろうが、異次元の〜のラストシーン映画館友達号泣したあの気持ちも、アニメで言う赤と黒のクラッシュから沖矢とかニセ赤井とかで心を乱され続けてきたからなんだろうと思う。

ただネットで、沖矢は実は〜で赤井は〜して水無は〜して〜が身代わりで、と今までのことを要約されたものを見て満足するなんておかし

それにコナンモットーというか推理犯人を追い詰めて犯人を殺させてはいけないという信念も知っているかいないかで話の見え方が違ってくる。そもそもこんなに伏線の多い作品で拾い読みとか正気の沙汰ではない




この言い方はあまりきじゃないけれどあえて使うと、新規さんが増えることは大歓迎だ。だけど知ったかにわか適当ネットで得た知識キャラペラペラあることないこと踏まえて語るのが腹が立つ。とにかくやっぱり1ファンとして、最初から読んで貰いたい、上辺だけで語ってもらいたくない。

ただ最近公式も煽ってるからなんかほんとに複雑だな。

2016-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20160909231347

だいたい3代目で没落する。

東大東大とき私立になるパターンがある。

東大2代続くと、資産形成が完成して3代目と次くらいは

働かなくても生きていける状態になる。



ここに面白い考察がある。

ある生体で、実験を行った。

とても快適な環境で育ったバッタ

ある程度快適な環境で育ったバッタ

少し悪い環境で育ったバッタ

とても環境の悪いところで育ったバッタ


トランプ大富豪のようなものだが、

一番繁殖力、羽の力があるのは、

から3番目なのだよ。


上記からわかるように、一番上のバッタ

一番下のバッタは、どうも優秀ではないらしい。

一番上は羽が退化してくるし、一番下は栄養が回らない。

環境に耐えきれない。

したがって親が高学歴でも、子供高学歴では必ずしもないという

ケースが生まれる。

成功者は、

常に2番目くらいの環境意識して与えることが重要となる。

一番下は、なんとか3番目くらいに脱することができるようにする。

http://anond.hatelabo.jp/20150910001208

朝ドラってたまに観るだけだからほんとかどうか判断できないけど、納得感ある考察

評論オーケストラプロジェクト2016年9月7日

http://www.orch-proj.net/

http://tokyosymphony.jp/pc/concerts/detail?p_id=6%2BvbOAadueg%3D


どうせ皆FBTwitterはいいことしか書かないだろうから、ここに本音を書く。

はいいつつも自分も招待券を貰った身分な上、表面的には良いことしか言えない。ならば匿名ならなんでも言いたい放題(しか中傷はしない)と思い、ここに書き連ねてみるわけだ・・・・・・

願わくば検索等でこれが当日来ていた聴衆及び、作曲者なんかが目にしてくれると嬉しいなぁ、しかし期待薄だけどもね・・・・・・



南聡 <<昼Ⅴ>>op.53(2006/09)初演

3楽章形式

本人曰く「今の傾向とは違うから~」とは言っていたが、それを免罪符としたかったのだろうか・・・・・・

正直、とても退屈な曲だった。1楽章リズムのセクションもよくわからないまま終わってしまったし、2楽章はもれなく睡眠タイムであった。3楽章の本人曰く「崩壊~」というのも、正直適当にちらばったものを「崩壊」と後付けしているようで、あまり良いとは思わなかった。


山内雅弘 主題の無いパッサカリアオーケストラの為の

意欲作であった。主題にはなにやら面白いものが隠れているようで、それを聴こう聴こうとする聴衆を引き込んでいたと思う。器楽的な技巧にも富んでいたし、総合するとこの曲は成功に限りなく近いと評価する。

彼の過去作でもある、なにやら西村朗っぽいPf+Orchの曲や、冒頭でマラカスで鍵盤打楽器を叩いたり、途中強烈なTuttiが入る管弦楽協奏曲考察すると、残念ながら、この曲に革新的ものは1つもなかった。そういう意味では少し退屈な印象もあったし、この音楽感のまま山内氏は一生を終えるだろうなという先が見えてしまい、少し寂しさも感じたのは事実であった。

まぁ、打楽器のアイタさんは凄く評価してるようだからいいんじゃないの?w


森垣桂一 ヴァイオリン協奏曲2番(2016)

2世代3世代も古いスタイルであることに本人が自覚がなさそう。ドラえもんを呼んで、タイムマシン1970年代とかに戻ったらいいんじゃないのかな?


木下牧子 <<ルクス・エテルナ 永遠の光>> 〜オーケストラのための

面白かった。なおかつ、オーケストラに対する問題意識が凄く高いと感じられた楽曲でもあった。

全ての楽器に機智が富んでいたが特に金管の使い方が上手く、さらにその処理の仕方(繋げ方)も非常に上手く、オーケストラという生き物をよく理解していると思った。

彼女自称オーケストラ作曲家というのがよくわかった気がする)ただ木下氏が今からすると古い世代であることは間違いないとも感じた。それは彼女楽器の纏め方や帳尻合わせの書法は、一昔前以前のものに感じ、もっと言えば、サトシンやノダテルあたりが威張っていた上野のあの学校ではとっても大きく評価されるだろうなという、それであった。もちろん良く響くけれど、どこか凄くお固いこだわる側面があり、それは曲想に対してすこし音符(というよりも縦の響き)を少し書き過ぎなのでは?ということが感じられた。

解説を見る限り、とても現代におけるオーケストラ課題というもの意識しているし、決して悪い印象は持たなかった。しかしこの曲も数多くのオケプロ演奏された曲と同じく、まずよほどのことが無い限り残念ながら作曲者が生きている間は再演されることはまずないだろう・・・・・・・とも感じたのも事実である


まとめ

もっと新しいものを書く人間招致したらいいのではないのだろうか。

もちろんお金問題はあるだろうけれども、それでもオケプロの意義を考えると近年は古い作曲家が多すぎないだろうか。ここでいう”古い”というのは、年齢ではなく、しっかり現代の流れを見れていない人のことで、少なくとも今回の4人の中では山内氏と木下氏しか見れていなかったように思う。

そういう作品オケプロでは聴きたいのであって、古くさい人間の古くさい曲なんて他でやれば良いのだ。

お客がオペラシティに1000人程も入っていたのは正直びっくりであったが、これのどのくらいが招待客なのだろうか・・・・・・・・?

入り口で余った招待券を配っているおじさんを目撃した、それでいいのかそれで・・・・・・・・

あとは同種の他の演奏会に比べて年配客が非常に多かった。毎年の固定客なのだろうか?

オケプロ80年代から続いており、近年出品する世代作曲家はおそらく長い歴史を身をもって知っている世代である。だから、これから次世代に繋ぐには、出品する年代が中心となり、意識改善必要ではないだろうか・・・・・・?、と私は感じた。