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はてなキーワード: モチーフとは

2017-03-24

https://twitter.com/Rima_tk/status/844260705373057024

『パークガイド帽子』を被ったかばんちゃんを見たボス権限付与したの、ボスの『心の中』を想像して物語的に受け取ることもできるし、「なるほど必要オブジェクト認識したことでプログラムキックされたんだな」とSF的に見ることも、好きな方に見れる作り方で好き

・・・・・・いや、SFって物語に分類される奴ですから

ロボットに心が宿るなんて陳腐と呼べるくらいSFで使われてきたモチーフですから

物語」と対比させたいのなら「現実」とかでないと

2017-03-23

3/20開催のFateオンリー同人イベントサークル動向

2chより

3/20に開催された大規模同人イベントHARU COMIC CITY」内のイベント

Fateシリーズオンリー同人イベント『第 7次 ROOT 4 to 5』(参加サークルスペース数 703)内の

メインモチーフキャラカップリング)動向について

有志による手動推計(最新版



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159 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:25:27 ID:KWf


Fate/Grand Order



Fate/Grand Order オールキャラ ,61

クー・フーリン×エミヤ ,21

ルナ×アルジュナ ,20

主人公×ロビンフッド ,18

アルジュナ×カルナ ,14

イスカンダル(アレキサンダーウェイバー(ロード・エルメロイII世) ,14

ガウェイン×男主人公 ,11

マーリン×ロマニ・アーキマン ,8

レオナルド・ダ・ヴィンチ×ロマニ・アーキマン ,7

エミヤ×クー・フーリン ,6

ガウェイン×ランスロット ,6

クー・フーリンオルタ)×クー・フーリンキャスター) ,6

マーリン×女主人公 ,6

ロビンフッド×女主人公 ,6

×女主人公 ,5

エドモン・ダンテス×天草四郎 ,5

クー・フーリン×女主人公 ,5

主人公中心 ,5

主人公×マーリン ,5

天草四郎×エドモン・ダンテス ,5

アルジュナ×女主人公 ,4

ギルガメッシュ×オジマンディアス ,4

クー・フーリンキャスター)×クー・フーリンオルタ) ,4

ロマニ・アーキマン×女主人公 ,4

円卓の騎士中心 ,4

巌窟王エドモン・ダンテス×女主人公 ,4

主人公×マシュ・キリエライト ,4

主人公×マシュ・キリエライト ,4



Fate/stay night



クー・フーリン×エミヤ ,42,

アーチャーエミヤ)×衛宮士郎 ,10

ランサー(クー・フーリン)×衛宮士郎 ,9

衛宮士郎×言峰綺礼 ,8

エミヤ×クー・フーリン ,7

ギルガメッシュ×衛宮士郎 ,6

アーチャー×遠坂凛 ,5

ギルガメッシュ×ランサー(クー・フーリン) ,4

クー・フーリン×言峰綺礼 ,4



Fate/Zero



ディルムッド×ケイネス ,8

言峰綺礼×衛宮切嗣 ,6

ギルガメッシュ×遠坂時臣 ,5

言峰綺礼×間桐雁夜 ,4

Fate/EXTRA CCC

アーチャー×女主人公 ,22

ギルガメッシュ×女主人公 ,4



Fate/Prototype



ヘンリー・ジキル×來野巽 ,4






160 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:26:00 ID:KWf


>>159


これが正確なデータだとしたら、>>150のはstaynight他のが混ざってたってことか?

でもこれ全部足しても総数が足らないような?細かいカプは省略してるのかな?




161 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:26:48 ID:rHk


>>160


4以下は多過ぎて飽きた




162 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:26:53 ID:PQD


>>159


これはすげえもはや何が何やら意味不明www




163 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:28:54 ID:4Ic


()多いし同一人物多いしで意味分かんなくて草




167 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:32:21 ID:PQD


snの槍、弓、英雄王はFGOに出ていて派生もいるしsn主人公の礼装も3種類あるから

sn版とFGO版のカプ本を結構見たな




170 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:37:10 ID:khB


あと2番に多いアーチャー×女主人公作品Zeroってことはアーチャーギルガメッシュ




171 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:38:42 ID:KWf


>>170


隙間いれ忘れてるけどジャンルCCCだよ




172 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:38:50 ID:WdA


>>171


あ、ほんとだ失礼

んじゃ上で言われてる通りエミヤでいいのか




174 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:41:18 ID:2ad


初出に合わせるルールだと、fgo純正カプがスカスカになるんじゃないか




175 :名無しさん@おーぷん :2017/03/23(木)12:42:13 ID:KWf


FGOオールキャラ本が一番多いのな

あんさんぶるスターズ!刀剣乱舞オールが一番多かったっけ




175 名前名無しさん@どーでもいいことだが。[sage] 投稿日:2017/03/23(木) 11:57:28.04 ID:geWcGtJA


キャラ人気考えるとギルガメッシュ関係のカプがもっといかと思ってたけど

一番多くてもギルガメッシュ×衛宮士郎の6なのが意外

2017-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20170322001722

まずね、小説映画だとしたら、詩歌写真なの。

旅行写真でも卒業写真でもなんでもいいけど、自分にとっては大事な一瞬をとらえた写真って、知らない人が見たら「なにこれ?」ってなるでしょ。でも撮った本人はその一枚でもあのときのことを思い出せるから、わぁーいいなあってなる。そんなふうに物語のものではなく物語痕跡から全体像をを想像して味わうのが詩歌の楽しみ方のひとつから、詩は本来、書いた本人にしかからないのが普通なんだよ。

から詩はあなたにも書けるし、けれどもその詩は他の誰かには全く理解してもらえないかもしれない。あなたにとっては切実な場面でも、「なにこれ?」ってなっちゃう。

だったら他人他人詩歌をどう評価できるんだっていうと、みんなまず物語以外の部分をかみしめてるみたい。言葉って意味だけじゃなくて音や文字もあって、たとえば漢字がいっぱい並んでたら理屈抜きで「うわ、めんどくさ!」ってなったりするし、ミラバケッソとかヒノノニトンとか意味関係なく音として気持ちよくて頭に残っちゃうことって結構あると思うの(卑怯CM多いでしょ)。写真でも、単純にきれいなものが写ってたら誰がいつどこで撮ったか以前に「わーきれい!」ってなるでしょ、文字だってうつくしい言葉がきれいに並んでたらそう思えるかもしれない。写真だとモチーフが左右対称に並んで写ってたらそれだけで気持ちいいように、定型句でも575の音数に合ってたらそれだけで気持ちいいとか。この辺が、作品それ自体の内側へと入り込んでいく楽しみ方の例。

逆に作品の外側に目を向けると楽しいこともある。写真なら、たとえば撮った人や撮った場所に注目してみるとか。普通写真でも、自分の知ってる人、好きな人が撮った写真だって聞いたらそれだけで「どんな気持ちで撮ったんだろう」って想像したくなってこない? あとさ、ライオン大口あけてる写真とかだと「この人どうやって撮ったんだよ、撮った直後に殺されたりしてないだろうな」とか想像して怖くなったりもしそうでしょ? 他にも、京都タワーを手で支えてるような構図だったりしたら「ピサの斜塔かよww 京都タワーじゃかっこつかないでしょうがwww」なんて元ネタと比べて楽しむとか、それ自体では補えない情報量が実はそこかしこに見つかったりするものなの。

そうやって自分必要情報量を探していく、補っていくっていう探偵じみたプロセス詩歌の楽しみだと思うし、これって実は小説でも他の芸術分野でもおんなじだよね。さらに言うと、いろんな作品詩歌小説に限らず)を見ていくと、自分を泣かせる笑わせるために必要情報量ってじつはそれほど多くない、このツボさえ抑えてれば自分は大体泣けるっていうポイント抽出できたりする。物語全体じゃなくって特定の要素があれば人間勝手想像できちゃうし、人からもらうより自分で作った方が味付けも変えられておいしいのは料理と一緒。でもそうやってツボを探していくと、面白いことに、その自分だけのツボって実は他の人も泣かせてしまったりする。自分のためだけに作ったものが何故か他の誰かまで撃ち抜いてしまったりする。

究極的に個人的ものは、実は最大限に普遍的でもあるんだ。その普遍性だけを切り取って残そうとする挑戦が、詩歌を作る苦しみであり楽しみなのだと、わたしは思う。


あとは渡邊十絲子の『今を生きるための現代詩』って新書がすげーオススメなので一読されたし。自分詩歌詳しくないけど、わからないなりに楽しくなるよ!

すてきな紹介記事→ http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20130531/1369926781

2017-03-22 20:42 追記(返信など)

でも現代純文学はそういうツボに反感持ってるよね

自分文章読み返したら「ツボ」の例を泣ける笑えるに限定しすぎたのが失敗だった。「泣ける」が分かりやすい例だっただけで“面白い”のツボって千差万別からね。

でも自分なりのツボはすべての書き手が持ってるだろうし、それを分かってくれる人も必ずいるんだよ、なぜか。・・・いや、よき受け手出会えるかどうか、そもそも作り手がそのツボを自分表現で押さえることができるかどうかは別として。

青木淳悟でも木下古栗でも岡田利規小笠原鳥類橘上でも誰でもいいんだけど、たとえ共感を得やすいツボに反感を持ってたとしても、その人には別のツボがあるし、人間表現である限り普遍性を完全に排することもできない・・・とわたしは思う。

だってすべての表現コミュニケーションから。読者としての自分自身とすらコミュニケーションしない表現なんて、ヘンリー・ダーガーでも無理なんじゃない?

今を生きるための現代詩kindleにあったので買ってみました

わーいやったー! ありがとうございます、せっかくなのでその先の本もいちおう置いときますね!

入り口としては『今を~』がすばらしいけれど、もしそれで現代詩自体に興味がわいたら新書館から刊行されてる『現代詩の鑑賞101』がとってもいいです。やさしい解説つきで101篇も読めばだれか一人くらいは推し詩人も見つかりそうでしょう? つまんないのはどんどん飛ばそう。

歴史の流れが知りたければ野村喜和夫の『現代詩マニュアル』がなかなか手っ取り早いけど、ごめんなさい、なんかスノッブくさくて個人的にはちょっと・・・。

もっと深く勉強したい人は現代詩手帖特集版『戦後60年“詩と批評”総展望』などをどうぞ。谷川俊太郎が「やっぱ売れ専をバカにしないで売れる詩をちゃんと作んなきゃダメだろ、ジャック・プレヴェール見習えよおまえら」とか言っててわろた。

ちなみにわたしの推しは入沢康夫渋沢孝輔です。入沢翁、ツイッターはじめててびっくりした。俳句短歌の話は、ごめんなさいぜんぜん分かりません。だれかオススメおしえて。

2017-03-17

オタク映画館SAOを見るよりモアナを見ろ

モアナ伝説の海、とにかく凄かった。

まりに凄すぎたので、とにかくこのホットな感動を伝えたいという衝動に突き動かされて今これを書いている。

もう本当に凄い。

クオリティという意味でもそうだし、面白さという意味でもそうであるし、何かもうこの映画の全てを総合して凄いとしか表現しようがない。

もう色々な人に出来る限り観に行って欲しいくらいに素晴らしい映画なのだが、その中でも特にオタク達に観に行って欲しいのだ、この映画を。

何故ならこの映画普段ディズニーアニメのメインターゲット層であるお子様達よりも、素敵なお姫様王子様とのラブストーリーに憧れる少女達よりも、大人になってもディズニーラブなお姉様方よりも、それらのどの層よりも、何より冒険と戦いと伝説勇者にいまだに憧れる馬鹿野郎共にこそ深々と心にぶっ刺さる熱い熱い熱い映画であるのだから

そう、この映画は大いに感動も出来るし、ハートフル気持ちにもなれるという普段ディズニー看板を全く偽ることなく、果てしなく広がる海を旅する冒険と、心を奮わせる激しい戦いと、熱き血潮と筋肉入れ墨をも同時に詰め込んだスーパーマッチョアクション巨編なのである


しかしこのまま熱く内容についても語り尽くしたいところではあるのだが、まだ公開して一週間も経っていない今そこまでネタバレしてしまうのは気が引けてしまう。

何よりこれを書いている目的はより多くの人にモアナを見て欲しいという気持ちからであるからして、そんな未視聴の人達から初見の感動を奪ってしまうのも忍びない。

なので、大筋のネタバレを避けつつ「モアナ伝説の海」という作品の魅力をいくつかピックアップして紹介していきたい。




1.ストーリーがいい

すでに巷では海のマッドマックスだのワイルドスピードだのと評判であるが、まずモアナは決してそんなインパクト重視な部分だけの映画ではないことを強く主張したい。

確かに途中から明らかにマッドマックスだし、終盤のセーリングバトルはまさしくワイルドスピードである

そういう面がモアナのわかりやすキャッチー面白であることは否定しないが、それらに劣らぬ魅力がそんな荒唐無稽描写を単なるパロディギャグで終わらせない骨太ストーリー展開にある。

序盤の展開を少しネタバレしてしまうことになるが、ここで軽くその一端を語らせて欲しい。



村長である両親や周囲の期待に応え、村を継ぐという自分の将来がすでに決まってしまっている少女モアナ

しかし同時に彼女は小さい頃から抱き続ける、海を越えて旅することへの憧れを捨てきれずにいた――。



ここまではディズニーでよくある抑圧されたプリンセスという構図であるが、モアナはここからが少し、いやかなりいつもと違う。



しかし、村長の娘として過ごす内に、彼女が暮らす島には徐々に異変が現れ始める。

・島の命が涸れていく――。

異変の原因は、今も口伝で伝わる神話の昔に起きたある伝説に原因があった。

伝説は嘘ではない。海へ出ることを夢見るモアナの唯一の味方である祖母は、島に危機が訪れた今こそ彼女真実を語る。

・島の先祖達の真なる歴史、そして島の中のとある場所封印された船達。そして幼少の頃より海に選ばれし者であった自分運命

・島に、いやこの世界全てに危機が迫る今こそ、少女は己の運命先祖から受け継いだ血に突き動かされて、封印された船を駆り、世界を救う旅へと出発する――!



これである。これがモアナの真の姿なのである

そう、もう完全に少年漫画なのだジャンプに連載されていても違和感がないほどに完全に少年漫画なのである

何だったら船をロボットに置き換えても通じる。

飄々とした老人が語る真実。選ばれし血筋運命。島に封印された兵器世界を救う旅に出る少女

まさしくロボットアニメ文法そのまんまである。そんな作品を見てみたいと思わないオタクがいるだろうか。

俺は見たい。そして実際に見た。凄い。この序盤以降も、もう本当に自分が望むままの血湧き肉躍る冒険活劇が繰り広げられるのである

そう、冒険活劇。まさしくモアナとはそれである

この時代ガッチリと、一分の隙も無く見事な、全く伝統的でブレることな王道を真っ直ぐ突き進む冒険活劇が見られるのだ。

それこそが、そんなストーリーこそがモアナ最大の魅力であると、自分はまず自信を持ってオススメしたい。




2.ラブストーリーじゃないバディものである

そして二つ目ポイントもそのストーリーに掛かってくる部分なのであるが、「この映画は全くラブストーリーではない」というところをそれとして挙げたい。

そうは言ってもディズニーで、一応プリンセス主人公なんだぜ? ラブストーリーじゃないなんてことあるの?、と思われるかもしれない。

しかし、安心して欲しい。

自分のようにモテない独身男が一人で観に行っても全く闇を抱えることがない程に、清々しいくらいにラブストーリー要素は一切ないのである。(一応カップリング的なものはあるが、あくまファンの受け取り方次第である)

前年度のディズニー映画ズートピア」も恋愛関係というよりはバディものに近い関係性であったが、モアナはそれよりも更にバディもの、なんだったら師弟もののような関係性となっている。

一応に一応を重ねて今作のプリンス立ち位置であるマウイというキャラクター存在するし、彼と二人でモアナは旅をすることになるのだが、映画全編通して二人の間には一切恋愛を匂わせるような心の交流存在しない。

しかしだからと言って二人の関係が薄いということは全くなく、冒険を通じてモアナという少女とマウイという英雄の間には友情のような、あるいは兄妹のような、あるいは師弟のような、固い固い絆が結ばれることになる。

そしてそこに恋愛というモチーフが一切入ってこないというのが、本当に爽やかで気持ちよく思えるのである

恋愛感情の一切無い男女のコンビというと「シュガーラッシュ」の例も存在するが、デフォルメの効いたキャラクター同士であるあちらよりも一人の人間としての形を色濃くデザインされた男女二人が恋には落ちないモアナはより珍しく映るだろう。

そしてそんな関係の二人だからこそ、シンプル恋愛だけでない複雑な魂の結びつきを感じる余地も生まれキャラクターとしての奥行きを生み出しているようにも感じられるのだ。

独身男の心を傷つけない優しさという点だけではなく、そういう作品的な深みを生んでいる意味としても、ラブストーリーでないということはかなりオススメ出来る点である個人的には考えている。




3.単純な悪役のいる物語ではない

これまたストーリーに掛かっているポイントであるが、個人的にもこのポイント独立したものとして強く推したかったので語らせて欲しい。

さて、ディズニー映画と言えば必ずわかりやすヴィラン(悪役)がいるというのが御約束である

時には極悪非道、時にはコミカルで憎めない、そんな多種多様ヴィランディズニー映画には登場するのだが、彼らはまた必ず物語最後には主人公達に打倒されるものでもある。

単純な小悪党というパターンも多いが、彼らは多かれ少なかれ作品内の歪みを体現した存在でもあり、彼らが単純に倒されるだけでいいのだろうかというモヤモヤを残していったりもする。

それをして作品に奥行きと考察余地を与えたり、現代における社会問題を反映させた構図としてみせたりするのがディズニー映画の一つの魅力ではある。

それは個人的にも長所ではあるとも思うのだが、やはり作品を見終えた後でいくらかの引っ掛かりや疑問を抱えたままになるし、それがあまり気持ちのいい感情ではないことも否定は出来ないだろう。

しかし、今回のモアナにはそれが一切存在しなかった(と、個人的には感じている)。

単純に歪みと闇を抱え、倒されるだけのヴィランというもの存在しないのである

確かにモアナ冒険の途中には、モアナ達を狙う敵達が登場したりはする。

しかし、いずれも己の信念、というよりは生き方に基づいて立ち塞がるのであり、憎み合う敵というよりは障害物に近いものとなっている。

そしてその全てが憎めなくてどこか面白い、魅力のあるキャラクター達となっているのだ。

からと言って、モアナという作品がそんなただ優しいだけの世界を描き、テーマ性の薄いものになっているのかというとそんなことも一切ない。

作品テーマ最後まで一本筋の通ったもの存在しているし、それは様々なことを深く考えさせられるものである

モアナを取り囲む世界も優しさに満ちていることは否定しないが、時にどうしようもない厳しさというのも十分に描かれている。

そして、この世界におけるこれまでのようなヴィラン体現する歪みというものは、モアナとマウイを含む全ての人物が己の心の中に持っているものとされている。

モアナとマウイは冒険を通じて自分の歪みと向き合うことでそれを打倒し、誰にも押しつけることなくそれを昇華する。

からこそ、明確なヴィラン存在しない物語というもの存在し得るのである

そして、そんな物語の迎える結末というものが、もう本当に、涙が出るほど清々しく、爽やかな気分にさせてくれるのだ。

何の引っ掛かりも疑問もなく、ただただ爽快感だけを残してモアナという作品は終わってくれるのである

単純なハッピーエンドではなく、みんながこれからも考え続けていかなければならない。確かにそういう作品大事だし、素晴らしいこともわかる。

しかし、たまにはここまで気持ちよく、優しい世界を描いた作品を讃えるのもいいではないか

さらに加えてこの作品プリンセスの不遇を描くに辺り、誰かしらや何かしらからの悪意が存在したりしないことも個人的には素晴らしいと思っている。

物語の序盤のモアナは抑圧された状況下にあることは確かなのだが、それは全て優しさと正当な理由があってのことなである

からこそ、モアナの旅立ちのシーンが本当に胸を打つものになっている。

そしてそれはプリンセスの生い立ちや状況だけでなく、マウイという存在や行く手を阻む様々な困難の全てに単純な意地悪や悪意だけで構成されているものがない。

そういった部分も、この作品の優しさと爽やかさと気持ちの良さを支えているように思う。

作為的な悪というもの存在しない点。それもまたこの作品における重要オススメポイントとさせていただきたい。




4.ディズニー渾身の映像

これについては今更自分のような者が語ることはないほど周知されていることだとは思うのだが、それでも今一度ここではモアナの魅力としてオススメさせて欲しい。

南洋の島々の楽園のような景色雰囲気

そして透き通るような美しさを持ちつつも精巧絵画のように鮮やかな色をも見せ、生き物のようにうねる、これがアニメーション可能なのかと驚愕しきりの海の表現

愛くるしくも時に凜々しいキャラクター達の活き活きとした表情と動き。

そして何より激しいアクション! グリグリと動きまくる格闘戦! ド迫力な神と英雄のバトル! 躍動する筋肉! 精緻美術設定によって作られた変態改造船舶

もう枚挙に暇がないし言葉も足りない程に美しくて活気に満ち溢れた、そして過激かつマッチョモアナ世界スクリーンの向こうには広がっているのだ。

なのでこれはもう是非ともディスク化を待たずに劇場へ足を運んで、ドデカスクリーンでこの映像美を拝んでいただきたい。

そのマッチョマッハアクションにはとてつもなく興奮することは間違いないし、そのあまりに美しい世界観に感動することもまた間違いがない。

特に予告編でも一部見ることが出来る夜の海を光る船団が行くシーンは本当に、本当に美しすぎて溜息が出るので絶対劇場で見て欲しい。

そして海のマッドマックスと呼ばれる所以たるシーンも併せて是非。いや、マジでスゲーのよ。




5.挿入歌の使い方が最高

これもまあ今更自分が語るようなことではないと思うのだが、それでもあまりに感動したので書かせて貰いたい。

とにかくこのモアナという作品劇中歌が強い。

劇中歌の強さで天下を取ったディズニー作品と言えば「アナと雪の女王」が記憶に新しいが、個人的にはモアナのそれはアナ雪に勝るとも劣らぬ力があると感じた。

その上で、更にアナ雪よりも強いモアナの要素として劇中歌が挿入されるタイミングがとにかく最高ということが個人的には挙げられると思っている。

アナ雪で一番有名かつ作品テーマソングともなっている「Let It Goであるが、実は劇中での使用は一度のみなのである

それもエルサが城から逃げ出して自身能力で氷の城を作り上げるという、映像的には圧巻の美しいシーンではあるのだがタイミングとしてはいまいちカタルシスを感じていいのか微妙な部分で使用される楽曲であった。

対してモアナにおけるメインテーマソングである「How Far I'll Go」は、作中で数回に渡って使用される。

そして、それは主人公であるモアナが悩む時、壁にぶつかった時に、己を慰めるように、あるいは鼓舞するかのように歌い上げるのだ。

この劇中歌の流れるタイミングと、ストーリー的なカタルシスの一致がとにかく素晴らしいのである。素晴らしいシンクロ具合を見せてくれるのだ。

そしてこのテーマソングが一度ならず幾度も使用されるというのもありがたい。

作中のシーンに合わせて幾つもの曲を書き下ろすディズニーにしては珍しいしそこを欠点に感じる人もいるかもしれないが、一つの曲を大事に使ってくれる今回の方が個人的にはより好みであった。

そして何より言うまでも無いこの「How Far I'll Go」という楽曲自体の素晴らしさ。

切なくも力強いこの曲のサビの部分は、何度も使用されてこの歌を覚えていくことで作品の後半に進む程により心を震わされ、感動させられる作りになっているように思える。

更にモアナ役の吹き替え声優である屋比久知奈さんの歌声もこれまた最高で、これがあってこそと思えるものであり、この歌声と曲が合わさる相乗効果は本当に言葉にならない。

そして無論、「How Far I'll Go」以外にもモアナには素晴らしい劇中歌の数々が存在しているし、それらの使い方も言うまでもなく素晴らしい。

特に「We Know The Way」という曲はこれまた複数回使用される曲なのだが、映像と力強いメロディーとを合わせて自分の中の冒険心というものをこれでもかとかき立てられる素晴らしい曲であった。

とまあ、とにかくモアナ劇中歌は「曲自体の素晴らしさ」、「それが使用されるタイミング」、「その曲を覚える程繰り返し使用してくれる演出」と三拍子揃ってとてつもない感動を与えてくれるものとなっているのだ。

そしてそれを劇場の迫力ある音響で堪能出来る至福といったらもう、是非とも映画館に足を運んで味わって貰いたい。それ程大きなオススメポイントである。というかモアナでも極上爆音上映とかないですかね……。




さて、以上が自分モアナという作品で素晴らしいと感じたポイントであり、オタク達にオススメするポイントである

いかがだろうか、正直書いてる内に止まらなくなって自分でもちょっと引くほど長くなってしまったが、それくらい情熱に任せて書いてしまえる程モアナという作品面白かったのだ。

なので、これを読んで少しでも食指を動かされた人には、本当に是非、すぐにでも劇場で観ていただきたい。

というか今すぐ観よう、今日レイトショーで観よう、明日レイトショーでもいい、休日は言うまでもなくモアナで予定を埋めよう。

自分もあと三回くらいは観るつもりである

誰に何を言われたからでも、観覧特典のような配布があるわけでも、ディズニーから金を貰ったからというわけでもない。

ただただあの優しくも熱い冒険世界をまた味わいに行きたいかである

そしてこれを読んでいる皆様にも、是非ともそれを味わっていただきたい。

純粋にそう願いながら、この文章をようやくここで終わらせることにしよう。

いや、やはり最後にもう一度。

オタクよ、モアナを観よう。絶対にハマるから





……


………


…………



……さて。おまけで、かなりネタバレになってしまうがもう一つのオススメポイントを書き残しておきたい。






6.特殊性


それは巨女巨女だ。

ディズニー渾身の映像クオリティで作られた巨女

巨女こそが女神の姿であり、自然であり、豊かな緑であり、巨女が島となり、大地となり、命を生む!

これこそまさしく地母神信仰の姿!!!

この映画は紛れもなく巨女信仰映画であり、子供達に巨女属性を幼い頃より刷り込ませ、更に一般的認知をも拡大せんとする目的で作られた映画であることは間違いがないだろう。

そう、巨女一般性癖!

みんなでモアナを観て巨女の素晴らしさを知ろう!

2017-03-15

おいけものフレンズ考察()

キリンモチーフはお前らだぞ

笑ってないで自分の鏡写しだと思えよ

何なら目の前に自分がいることに泣いてもいいんだぞ

2017-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20170308190738

仰る通り、東でも西でも災害に変わりはないと思います

「東で起こったか大惨事! これは小説に取り上げよう」みたいな自分本位な考え方、

あるいは「絆」みたいな辛気臭くて青臭くて情緒的なモチーフを混ぜ込む方が

しろ人間的な進歩がない

騎士団長殺し

匿名ダイアリー界隈だと、誰も村上春樹の新作、読んでないですか。私は発売日に買って、翌日未明には駆け足で読み終わりました。



書評も、少しずつ出ているけど(当方朝日新聞の読者)、なんだか奥歯にはさまったような、村上ビギナーにはオススメ! みたいなことになっている。

1Q84を読んだときには、これはすごい、今までのテーマがきれいにまとまっている、集大成だ、ノーベル賞狙いにきた、と思ったのだけれど、

今回の作品は、何が新しいところがあったのだろうか。つまらない言い方だけれど、進歩がない。定番モチーフが出て、そのまま終わった印象なのだけれど、

私の読み方が足りないのだろうか。



東日本大震災があったから、当然、作品になんらかの反映があると思ったわけです。ところが、主人公東北にいったことがあったよ、みたいな、

非常に限定的言及に終わっている。オウムや、阪神大震災村上さんの作品に与えたような何かが、『騎士団長殺し』にはないわけです。

阪神大震災東日本大震災も、本質的には変わらないということなのだろうか。関東人間傲慢であったか、、、。



「そもそも」という話になるけれども、出自のよくわからない子供を受け入れて、それが希望象徴といういつもの終わり方が、

実はそこが本当の地獄の始まりではないのか、という思いが、私個人は捨てきれない。人前ではとてもいえないが、

子供を持たなかった作家限界ではないのか、という反応が、自分でも卑しいなぁと思うけれど、どうしても出てしまう。



今日新聞には、作家小野正嗣さんと、キャンベル先生の評が出ていた。キャンベル先生は、これは主人公再生するという物語なのだと。

ちょっと納得した。でも、今の日本人は、『騎士団長殺し』を読んで再生に向かいますか? 私にはちょっと無理だった。

何かが足りない。『騎士団長殺し』にも私自身にも。それが何か、よくわからない。

2017-03-07

戦争が無かった時代としての80年代回帰

本当はイランイラク戦争とか、フォークランド紛争とかあったんだけどね。

というか、まず冷戦が最高潮で全面核戦争可能だった時代だし。

北斗の拳」は核戦争後の世界モチーフにしてるけど、あれがある程度リアルだったんだよ。

でも、70年代ベトナム戦争90年代湾岸戦争00年代イラク戦争アフガン戦争と比べると、

あんまり大きな戦争は無かったと言えるかも知れない。

ファッション始めとしていろんなとこで80年代回帰みたいなのあるけど、

そういうユートピア的なものを、80年代に見てるってのもあるのかな、とふと思った。

2017-02-27

オタクだけど「推しの色」という感覚が分からない

2次元アイドルも嗜むタイプオタクです。

どっちも10年以上好き。


好きなキャラアイドル)のメンバーカラーというもの存在する。

今好きなアニメキャラカラーは紫。アイドルの方は赤。

でも自分自身特にこの色にこだわりがない。


2次元の方は二次創作もしていて、カラーイラストもよく描くけど、

日常生活の中で紫色赤色を見てもなんにも思わない。

キャラアイドルのことに関連付けて記憶が蘇ったりもしない。

さすがにアニメOPとかアイドルの歌ってる音楽とか聞けば蘇るけど。


今日ツイッターで好きなアイドルに会うために、推しメンカラー洋服を買ったという実録漫画が流れてきた。

えっと思った。

そんなこと考えたこともなかった。

自分が好きなアイドル握手したこともあるし、コンサートにも何度も行ってるけど、

メンバーカラー洋服を着るという発想が今まで全くなかった。

びっくりした。



アニメ関連の方だけツイッターをやっているけど、

そういえばみんな小物を買うとき、これ◯◯くんの色〜とか、2色並べて△◯カラー!とかやってる気がする。(後者カップリング

作中には星が登場するからモチーフの小物を買ってる人もよく見る。

ふーんと思って見ている。


その小物が、モチーフが、色が、自分の中では好きなキャラに一切繋がらないのだ。

紫のピアスはただの紫のピアスだし、星のついたポーチはただの星のついたポーチしかない。

それ以上でもそれ以下でもない。


洋服自分の好きな色を着る。小物も自分の好きなものを買う。



日常アニメ日常アイドルを結びつけることが苦手なのかもしれないと今思った。

アニメアイドルといった夢のような非現実世界が、

自分のどうでもいいどこにでもある下らなくて普通日常世界と繋がっていると思いたくない。



でも推しの色を見てはしゃぐ子たちが少し羨ましい。

その感覚を手に入れたいような入れたくないような。


そういえば自分には友達がいない。

友達がいれば、アニメアイドルといった世界は非現実の夢の世界ではなく

楽しく共有できる自分自身の輝かしい日常の一部になるのだろうか?


今の自分には分からない。

2017-02-19

たか自分が始めました、みたいな顔をするひと

とあるモチーフの絵を描くのが好きで、たまに描いては自己満足していた。ツイッターはやってはいるが、学校友達とやりとりをするのに使っているため、作品を載せたりはしない。

最近絵描き仲間の友達ができて、一緒に外に遊びに行くようになった。

「これの絵を描くのが好きなんだ」とわたしが言うと、彼女は「へえ」とだけ言い、別のものスケッチしていた。

その1ヶ月後くらいかな、彼女ツイッターにそのモチーフの絵をあげはじめ、「これを描くのが好き」とコメントしていた。

なんだか、趣味横取りされた気分で、すごく嫌な気持ちになった。

2017-02-18

サーバルちゃんはパークのメインマスコットなのだろうか

サーバルキャットをモチーフにしたバス

・さばんなちほー以外のフレンズにも名前を知られている

・『サーバルキャットの“サーバル”だよ』という自己紹介


まあこれだと「噂通りかわいいスナネコ」とか「アライさん」も引っかかるが、それは各ちほー毎にマスコット存在する的なことでなんとかなるんじゃないか


かばんちゃんが自らの出自を探す中でサーバルちゃんも忘れていた自分の特異性に気づくような展開だったとしても、彼女には変わらず天真爛漫でい続けて欲しい。


最初電脳世界内の虚構のパークなのか?などと訝った観方をしていたが、太陽光発電システムだったり非常口だったり、色々と発見するうちに此処が確かに現実にある施設だという確信を得ることができて安心してきている。


最近仕事中も、けものフレンズのことしか考えてない。

俺も早くインパして、みんなのフレンズになりたい。

2017-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20170217124146

アレは、見下してるとか羨んでいるとかいう単純で原始的な話ではなくて

日本の伝統的なモチーフなら、アジア系モデルの方がふさわしかったのでは」をベースにした

アジア系モデル職業領域闘争の話なので、その例えは割と違う。

差別問題社会問題化するのが上手くない人は、アレは人種差別問題と考えるよりも、

フェアトレードとかが扱ってる問題意識だと考えると理由が分かりやすくなると思うよ。



あと、怒っているのも誤っているのも、日本人に対してではなく、アジア系アメリカ人に対してだと思う。

日系アメリカ人3世の人なんかと話してると、見た目は日本人みたいだけど、

日本で生まれて育ってる日本人とはまるで別の考え方だったりするし、日系アメリカ人

民族国籍アイデンティティに苦しんできた過去もあるんだよ。昔の日系アメリカ人アメリカ差別も受けてきたし

今でも見えない差別はあるしね。



理由理解した上で、「日本人はあれをクールだと思ったよ」と言うのはもちろん自由だけど

その場合は、アメリカ暮らしてる、日本ルーツに持っているアメリカ人がどう感じるか、ということも考えておく方がいいよ。

日本アメリカ人って分からん、と思うのなら、乱暴な言い方になるけど、

アフリカ人アメリカ黒人全然違うって考えると分かりやすいと思う。

2017-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20170216175300

「話の構造中二病小説的」という指摘をされたならその反論であってると思うけど、「センス中二病的」というのは、作者のモチーフ選択中二病的って話なわけで、

神話モチーフに選んだ古今東西作品中二病作品という訳ではないが、モチーフに選ぶ作家には大なり小なり中二病魂があるんだろうと思えるw

ただ、作家中二病魂を持っている事を悪い事とは少しも思わない

2017-02-15

マンガラノベRPG世界観について物申す

よく異世界生モノ小説とかJRPGパロディ風の物語が、いくつか言いたいことがあるので並べて記述する。

仮説「最近は大作JRPGも出てないから馴染みもないし、MMORPGってそこまで普及してるもんじゃいかMMORPG演出が当然のように記号化されているのが納得いかない」

1.評論家は「若者ゲーム演出に馴染みがある」と言う。言うほど若者ゲーム演出に馴染みがあるのか?

2.日本RPG世界観ベースになったと思うドラゴンクエストファイナルファンタジーMMOを除いて近年のナンバリング作品が出た年数を挙げる

3.ドラゴンクエストIXFINAL FANTASY XIIIは共に2009年、8年前の作品2016年FINAL FANTASY XVはとりあえず除く)

4.よく異世界転生のモチーフにされるMMORPGって日本ではそもそも馴染みがあるの?そこまで普及してる印象ないんだけど。

5.調べたらMMORPGドラクエ10Wii版だけで売上100万本超えてた…

6.最近MMORPG基本無料からPSO2(同時接続最大13万人)とかネクソン系のやってる人多いのかな……意外と若者の間でMMORPG普及してんの?マジで

7.そもそも若い人の定義が間違っていた。私は若者10代だと思っていたが…

8.ライトノベルしろマンガしろ主な購買層は20代後半~30代だった。その世代JRPG直撃世代か。なるほど。

9.結局MMORPG演出が多用されるのってなんでなの?テンポ良くなるためのおまじないなの?

10.こんなこと延々と書いておいて言うほどラノベアニメも見てないんだろ?って言われるとその通りとしか言えない。どうせ偏見しか書いてない。

11.私の趣味ゲームだけどRPGほとんど遊ばないので結局私のイメージだけで書いてるだけじゃん

12.収集が付かなくなった。終わり。

RPGパロディ世界観ってそれはそれでもう日本的RPGから独立したマンガ小説ジャンルになってるのかね。

RPGパロディものゲーム化してRPGになるとそのパロディ感はただの三流になっちゃう…なっちゃわない?パロディパロディじゃなくなる瞬間とは。

そもそもJRPGの源流がTRPGファンタジー小説じゃんというツッコミがきそうだ。

<追記>

こんな投げやりな増田でも反応くれるはてな民は本当に尊い

消費者よりも製作者側にとって馴染み深いもの舞台装置になりやすいのは当然といえば当然なのかも。

5年後は世代も切り替わってソシャゲベース世界観とか出てきたら面白そうだよね。

そろそろAIも発達してきたので人間AIの見分けがつかないゲーム舞台にした物語とか読みたい。

将来的には人間よりもAIと遊ぶ方が快適になるとバンナム原田Pも言っていたので。

SAO映画の新作は予告で見たけどARとかMR描写脚本にとても力を入れているみたいなので、ああいうのは良いと思いますSAOの本編見たことないけど。

HoloLens流行流行れ…

2017-02-14

恋人からプレゼントが好みじゃない

貰っておいて、最低な反応をしたことも分かっている。叩かれる覚悟もしている。


付き合って2年、彼が忙しかったせいもあり会うのは一ヶ月ぶりだった。

バレンタインからか、暫く遊べなかったからか、理由はよく分からなかったが何故かプレゼントを貰った。


モチーフチャームに、私の誕生石がはめられたネックレスだった。

正直、好みではない。

でもきっと、一生懸命選んでくれたものなんだろう。

態度が顔に出やすい私は、できるだけ自然な感じを装って、わーありがとういいねーなどそんなようなことを言った。


ここまではまだ良かった。


「本当は、指輪と迷ったんだけど」

あれ、私そこのお店の誕生石指輪が欲しいって前からずっと言ってたよね?なんでネックレス


あんまり普段付けているようなものじゃないけど」

普段つけていない(=好みじゃない)モチーフだと分かっていて贈るのか...ていうかネックレス普段服装的にも合わないからつけてないんだけど。

気持ちはわかる。きちんと蝶モチーフにも意味があることもわかる。でも、好みじゃない。指輪が欲しいと前からずっと言っていた。一緒にお店まで行って何回も見たよね。指輪が欲しかった。


器の狭い私は耐えられなくなって、え、前から指輪欲しいって言ってたよね...と言ってしまった。


最初は、えーっせっかく買ったのにひどくない?もうプレゼントなんか買わない...〇〇はバイトしてるからいいよねお金あってさ、などと言っていた。傷ついた時のいつもの反応だ。


帰ってから家でつけてみたが、顔に合わない。普段なら絶対買わないと思う。正直言ってしまえば、ダサいサン宝石みたいだ。


アルバイトもしていなくて、お金も正直あまり持っていない彼からプレゼント。喜びたい。喜べない自分が悲しい。

一方で、なんでこれなの?このお店のこの指輪が欲しいって前から言ってたよね?そのお金指輪買えたでしょ?と考えてしま傲慢自分もいる。最低だ。

こんなことで、彼のことが嫌になる自分が嫌だ。もうこのネックレスどうすればいいんだよ。捨てたくも売りたくもないが手元に置いておきたくもない。

彼にもう連絡もしたくない。とにかくもう自分にも彼にも嫌。

2017-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20170212083507

処女厨云々より物語構成上の問題では。

・無事ではないと救出のモチベーションの低下

強姦済だと物語に対して波が出ない

レーティング問題

ルパン三世がそもそも大人向けの作品であったことを忘れるべきではない。

また、不二子が性を武器にしていることも重要。そして性的陵辱を(直接的な描写ではないにしろ)作中では結構与えられているが、乗り越えていたりするので、それを前提にしたキャラクターでもある。

変わってきてるのは、青年向け漫画モチーフ少年漫画っぽくなってきてて、そこが中途半端エロ要素につながってきてるじゃないかと思う。

昔はガンガンレイプされてたと思うけど、調べてないので留保

2017-02-09

女児アニメで人気が出るのは

純粋に疑問に思ったのでだらだら書こうと思います

あくま自分主観なのでツッコミどころはあると思いますが許して下さい

推敲もせず思ったまま書いているのでそれも許してください

デザインとか設定についてだけ言っているので詳しい内容とかはべつです あくまで見た目だけの話です


全体的にすっごいカラフルな印象です

あと色に対するキャラの忠実さは異常

「わかりやすい」のが一番いいからですかね

主人公ピンク、黄(金髪

女児に人気のある色トップピンク

それに加えて戦隊物の赤主人公の流れを汲んでピンクなんだと思います

衣装の色がピンクだったりプリキュアにはそもそも髪色がピンクな子が多いです

金髪の子も多いです ぴちぴちピッチアイカツ プリキュアにも金髪ピンクが増えてきました

多分ピンクと合わせやすいし可愛いからじゃないですかね 昔との差別化とか

サポート役は青、黄、オレンジ、緑、

主人公と逆の寒色は1人は必ずいると思います 画面のバランス

あと経験則からなんですけど、ピンクが嫌いな子は大体水色が好きなのでやっぱどの層もいれようってことだと思います

青はクール、黄はポップ、オレンジは元気、緑はインテリor天然

キャラ少ないので自身はないのですがおっとりしてるかメガネかけてるかって印象があります

強い人は紫、黒、赤、白

強い人の例は神崎美月やかなめちゃんです

小学生白書最後URLからみても人気上位ですね

紫はミステリアスっていうイメージがあるので、大人の女性に憧れがちな年頃の子に人気出る傾向があります

白銀リリィちゃんとか

プリキュアの追加キュアも紫か赤

髪型

ツインテorロング

ヘアアレンジができるようにやっぱり長い髪の子が多い

ツインテはぱっと見て可愛い自動的にロングにできるので結構多いです ここたまとかリルリルフェアリルとか

ポニテは正面からわかりづらいから少な目かな?

ショートの子別に特徴があったり(前髪はねてたり)リボンや髪飾りをつけてます

おしゃれ的な問題で髪に装飾多め

主人公ツインテだったら周りはショートおろしてる子で固めたり主人公との差別化は大きいですね

大人向けだったら同じ髪型結構あります

ダブル主人公とか立ててるアニメは二人ともおんなじ髪型がある気がする RLなど

DCD流行先駆けのおしゃれ魔女ラブ&ベリーは二人ともショートでしたね

あれは髪型カードがまた別にあるからシンプルにしたのだと思います


服の装飾

最近リボンが多いですね 縛り方や色によって可愛いクールもいけるし

プリキュアでは前はハートが多かったですが最近ではダサい感じに見える(暴論)

星は定番で柄にしたり髪飾りでつけたり


モチーフ

お姫様童話)、花、トランプが多い

お姫様は安定して人気があると思いますふたご姫リルぷりっGoプリ)

色んなお姫様がいるしね

トランプクラス分けに使われてるイメージ


設定

アイドルもの多いと思ったけどそうでもないですね

アイカツアイスタプリパラの二大アイドルアニメがあるからそう錯覚したのかも

アイドルものは昔からありますね きらレボなど

みんなやっぱり憧れるからでしょか

魔法少女もの戦闘もの女児向けから大人向け男性向けに移行(という言い方は正しくないが)していると思います

多分まどマギから

日常ものは意外と少ないイメージ 違う世界を求めてるってことでしょうか

まとめ

よくわからなくなってきたのでやめにしま

料理ものとか流行りそうな気がするけどなあ


追記

キューティーハニーの時は生きていませんしプリキュアは見てますプリキュアはお料理ものではないしプリパラ結構異端ですよね そこがよい


参考文献

小学生白書Web2015年10月

http://www.gakken.co.jp/kyouikusouken/whitepaper/201510/chapter4/05.html

2017-02-08

ソシャゲにはまれない

定期的にソシャゲやってみようかと思うときがあって、三ヶ月ぶりくらい?にいろんなソシャゲダウンロードしてみた。

FFの新しいやつやってみたんだけど、敵倒してもレベルアップできなくて、全然やる意味が分からない。ストーリーが見られるだけ?

格ゲー好きだからKOFもやってみたけど、結局我慢してストーリー見るためだけにガチャを引いてせっせとキャラを強化するだけなのでは、と思うと楽しめない。対戦できるわけでもないし。

FEはやったことないか全然わかんない。

ちなみに前回ソシャゲやってみたくなったときは、キャラパラメータが多すぎて何がなんだかわからなくなってやめた。オセロモチーフゲーム面白そうだと思って始めてみたけど、キャラ多過ぎでよくわからなかった。

それに全体的にチュートリアルが丁寧すぎて冗長でわかりにくいのをなんとかしてほしい……

あんなにたくさんの人が遊んでいるのだからきっと面白いのだろうと思うのに、全然楽しめない。


いつも遊んでるゲーム機なら、すぐ楽しめるし長く楽しめるのに。なんでかは自分でもわからんけど。プレイ自由度かな。

もう30歳だし、年なのかな。

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。



※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356



夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。



とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね



まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?



舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。



物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)



延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。



舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい



そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20170130022217

どれでもない。

強いて言えば3が近い。

作品象徴モチーフが修復されることで2人の関係性が復活したことのイメージ描写

物理的に辻褄が合わないのに雰囲気優先でこんなことやってしまったのが演出的にミスだったとも言える。

ちなみに死亡説声優ラジオゲストで出たプロデューサーが「原作で生きてるのにアニメで殺すわけがない」と笑いながら否定してた。

死亡を匂わせるような原作レイプをしておいて笑い話にしてる時点でアニメのものガバガバなので考えるだけ時間無駄

原作やれ。

2017-01-28

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.歴史上の人物欲情対象になりえますか。

いい質問だ。

広義的にはYESだし、狭義的には大抵のケースにおいてNOである

例えば歴史上の人物モチーフに、現代価値観に沿ったデザイン表現するとしよう。

これは広義的には歴史上の人物性愛対象と見ていることになるが、モチーフにこそなっていてもほぼ別の存在なのだ

要はラーメンカップラーメンを同列に扱うかどうかという話だ。

これが俗にいわれているフードポルノである



Q.他者暴走を止めるために必要なことはなんですか。

自分の知り合いと、相手の知り合いに同じ名前の人がいることだ。

とある話をしよう。

私の友達他人無理解翻弄され、それを吐き出すかのように暴走した。

しかし、それを死に物狂いで止めようとする私もまた冷静ではなかったのだ。

いずれ、どちらかが身を滅ぼすことは明らかであった。

しかし、今際の際に彼が発した言葉は、私の母親の名だ。

もちろん、同名というだけで別の人物である

それでも、暴走した我々が和解するきっかけはそれで十分だった。

君も暴走している人を見かけたら、試しに自分の知り合いの名前を片っ端から呟いてみるといい。

しかしたら相手は戸惑って、拳を振り下ろすことを躊躇するかもしれない。

2017-01-26

西野さんを批判する人に欠けているたった1つの視点

お笑い芸人絵本作家西野さんについて、「無料公開はクリエイターの首を絞める」「いや、無料公開はいいけど、あの態度が問題だ」とか色々な論争が起きてるじゃないですか。でも、ぶっちゃけ全部ずれてると思います。彼はクリエイターなんだから、彼の作品のみによって批判されるべきだと思うんです。

この論争で誰も触れないですけど、あの絵本面白いですか?絵本として面白いですか?

絵は凄い。でも、絵本面白さってそこですかね。大事ですよ、絵は。でも、もっと大事なのは、そこから広がるセンス・オブ・ワンダーだと思うんですよ。『かいじゅうたちのいるところ』みたいな名作には、それがあるじゃないですか。

絵本の楽しさって、枚数・文字ともに制限された世界から読み手が思い思いに広げる、広がる世界、そこにこそ絵本の豊かさがあると思うんです。要するに、ヤバイ世界をどれだけ見せてくれて、どれだけ僕らの心を刺激してくれるかじゃないですか。

僕の好きな絵本に「ガガガガ」っていうインディアン神話をもとにした絵本があるんですけど、これは凄いですよ。主人公は石と鳥がまぐわって生まれ子供で、物凄く長いへそと尻の穴を持っていて、邪魔な奴は尻の穴を首に巻きつけて、絞め殺しまからね。何を言っているかからないと思うんですけど、そういう話だから仕方ない。

ヤバイ世界をどれだけ見せて、僕らの心をどれだけ刺激してくれるか、絵本の魅力ってそういう所だと思うんです。

えんとつ町のプペル」はその点が極めて、極めて凡庸じゃないですか。何ですか、「風船をたくさんつけて空を飛ぶ」って、その児童作品で7兆回くらい繰り返されてきたモチーフは。何ですか、「ゴミに人の魂が…」って。その何度も繰り返されてきた展開は。登場人物目的が「世界のはての綺麗なものを見に行く」っていうさ…イオン行け、イオン。何でもあるぞ、あそこには。

「絵がすごいなー」ってだけで、一回も「ヤバイものを見た感」が味わえない。「はらぺこあおむし」とか、絵からして強い(確信)ですからね。そういう驚きが一個もない。

さらに、質が悪いのが「あとがき」ですよ。「夢を語れば嗤われる世界(えんとつ町)で、それでも夢を見るからいじめられる」「捨てろといわれる夢を捨てられない象徴が、ゴミ人間」みたいに、一個一個メタファー解説ちゃうわけですわ。これ最悪でしょ。「糞だせー」でしょ。読み手の中には、それぞれの世界が広がってたんですよ。きっと。このあとがきを読むまでは。

でも、このあとがきを読んだ瞬間に、読み手世界の広がりは雲散霧消して、「西野のお説教」に矮小化されてしまう。もう、この「あとがき」の時点で、西野さんはどこまでいっても西野さんだし、西野さんは既に凄い人なんだけど、たぶん、ずっと西野さん以上にはなれないんだろうな、という次第。

西野さんはどこまでも絶え間なく広がっていて、もがけばもがくほど、きっと西野さんは西野さんの五臓六腑に染み込んで、また西野さんが再生産されていくんだろうな。きっと。

2017-01-22

イギリスでの「君の名は」(今更だがネタバレ注意

残念だがそれほど人気がない。

俺は英国在住のおっさん年始ロンドンで見たが、そもそも上映している映画館が少ない。毎日上映している映画館ロンドンで2-3か所。860万人住んでいるのに。

月に数回上映がそのほかに数か所。以上。ザッツオール。公開後1月以上経過しているから減ったのだろう。

客の入りは5割くらいで、そのうち6割がイギリス人、4割は東洋人。中国人韓国人日本人

イギリスメディア君の名はを絶賛した、という記事は俺も見た。口コミサイト評価も見てみたが、非常に良い。

更には上映後のイギリス人の反応を観察してみたが、満足そうに見えた。

ゆえに入口でのハードルなのだろう。ただし内容について「感動」「ラブストーリー」というよりは「展開が早く引き込むストーリー性」「映像の綺麗さ」が評価されているように思う。

若者ラブストーリーである君の名は」がイギリスアジア圏のようなヒットにならない理由は以下のように推察している。

欧米ではおおむね共通ではないかと思う。

アニメ子供オタクのもの

今でも完全にそうです。宮崎アニメのように家族で見に行くならともかく、ラブストーリーアニメで見ようという発想は世間若者に全くないように思うし、他人に知られたら恥ずかしいことと思われる。

なお本作では奥寺先輩が煙草を吸ったり、瀧が酒を飲んだりするので12規制がかかっている。

・瀧と三葉は欧米人から見て魅力的か

作品にのめり込めるか、一番重要なのはこの点だと思う。瀧が三葉が男性として女性として魅力的に描かれているか

多くの日本人には、瀧はイケメン、三葉は高校時代は可愛く大人時代美人、という設定に異論はないと思う。

欧米人から見ると、経験に基づく推測だが、瀧も三葉も体が薄っぺらすぎる。

瀧は本人のときでもかなり「中性的」に寄っている。欧米人からジャニーズ中性的子供に見えるということと同じである

(3人組のうち)高木くらい男くさいほうがいい。イギリス人は瀧に対してこう言いたくなるだろう。「もっと肉を食え、ラグビーで体を鍛えて、女性を守れる男になれ、髪形もベリーショートリーゼントしろ」(適当

三葉は単純に子供に見えていると思われる。もっとグラマラスな魅力が出てこないとラブストーリー主人公という雰囲気が出てこない。シャイ性格マイナスだ。瀧の三葉くらい気が強いほうがウケる作品内でもそうだったが)。

イギリス人ラブストーリーは顔を0.3フィートくらいの距離まで近づけてロマンティックな言葉を囁きあう感じなので、瀧と三葉の恋愛動作は非常に幼く見える。こちらの高校生結構オトナである

山頂で出会うシーンもイギリス人なら、強くハグして、濃厚なキスをして、0.3フィートである(超適当)。名前を書きあっている場合ではない。出会って3秒でハグキス0.3フィートである高校生にそういう描写が許されているのかは知らない。

ラストシーンでいったん声をかけずにすれ違ってしまうシーンには、階段の一番下から大きく手を振って「Hey!!!, I think I met you sometime and somewhere!!!」と大声を出さないのか不思議であろう。奥ゆかしさは理解されてもそこから生じる感動は理解されないと思う。実際に泣いている人は少ししかいなかった。クライマックスの「すきだ」も字幕からね。手によくわからん文字が書いてあって字幕I love youちょっとねえ。


日本人おっさんである俺にとってどうだったかというと「超面白かった」。イギリス日本、機内の計3回も見てしまった。最初に見たのは機内だったが、中年おっさんうるうるしているのを見てCAさんはドン引きしていたことであろう。少し気になるのは日本での作品への「評論である。確かに整合性おかしいところは多い。私は3年のずれに気づかないことよりも、この広い宇宙隕石1200年周期で同じ場所を直撃することのほうが超天文学的確率というか、分母が10の何乗になるのか、そのほうがずっとありえないと思いながら見ていた。変電所の爆破は中部電力に連絡が行ってしまったので町を救ったからお咎めなしになるものではあるまい。ああい会社は融通をきかせるのが難しい。テッシ―の「髭剃れ」の話は収監されていたから?などとも思った。しかしながら、内容の整合性に難があってもそれ以上の魅力で引っ張ってくれれば私はそれでいいと思う。官僚銀行員のような減点主義映画を見てもつまらんでしょう、と個人的には思う。

キネマ旬報ベスト10がどういう選考基準なのかHPを見てもよくわからなかったが、アジアで数千万人を引き付けた映画よりも、日本映画だけでも10個も上位があったら、それって大ニュースなのではないかと思う。売れる映画と良い映画は違うというのは一部分かるが、それよりはもっと簡単説明できる言葉があるのではないかスノビズム大衆は見る目がない、ということだもの

同業の監督評論家の「売れる要素だけ詰め込んだ」とか「モチーフがありきたり」の批判に対しては、おっさんは長く生きているので、30年前の「ノルウェイの森騒動を思い出す。「100%純愛小説」と付けてクリスマスカラーで売り出した同書は「君の名は」と同様に爆発的に売れ、今ほど有名でなかった村上春樹スターダムに押し上げると同時に、評論家から「誰でもかける薄っぺら通俗小説」「ありきたりの三角関係」などの多くの批判が浴びせられ、その騒動村上春樹は心を痛めて日本を離れた。彼の作風にも影響が出てしまった(軽妙さが失われた)と思っている。

俗流日本論にはなってしまうが、やはり日本嫉妬文化根深い、と日本を離れて思う。

海監督が村上春樹級なのかは知らないが、売れれば批判する人たちがいるのは世の常なので、どうか気にせず頑張ってください。

2017-01-17

[]番外 「食漫画はこれからどこへ行くのか(後編)」

前回の続きで、そちらをあらかじめ読んでいること推奨。

もっと主観バリバリ、かつ雑に展開させた方が読んでいる人たちもツッコミやすいし、筆者も書くの飽きてきたので今回はもっとキトーに書いていくことにするよ。



食とどう関わっていくか

食に関することは基本的に作るか、食べるかだけれども、細分化していけば目の付け所はいくらでもある。

要はコンセプトによる差別化だ。

胃弱メシ』は胃が弱い人の、『女くどき飯』はデートでキメるとき

将棋めし』は将棋で勝つためのゲン担ぎといったように、「食とどう関わっていくか」ということも差別化の一つともいえる。

目玉焼きの黄身 いつつぶす?』や、『食の軍師』などといったように食に関する独特な拘りを主体にしたものもある。

他には、食べ物自体は絡むものの、その他の要素に比重を置かれているパターンも。

まり食を舞台装置としてどう機能させるか、ということ。

定番なのが人間ドラマで、『ゆきうさぎのお品書き』や、前回挙げた『甘々と稲妻』などはその傾向が強い。

料理やそれを食べる要素は必ずあるものの、それによって紡がれるドラマ主体なのだ

これはどちらかというと帰結ともいえ、食べ物のものエンターテイメント性の弱さを補完しようとすれば、過剰な演出を除けばストーリーやコンセプトに目を向けることになるのだ。

その点では『ゴールデンカムイ』もその要素を持つといえるが、これをグルメ漫画認識している人は少ない。

バトルやドラマコメディなど、主体となる要素、テーマが他に多くあるからだと思う。

では、食の要素を持ちつつ、食漫画認識されにくいものには他にどのような例があるだろうか。



破壊

完全な持論だが、それは茶化したり、弄ぶことによる“破壊系”だと思う。

代表格は一部の「料理バトル」モノで、過剰な演出エキセントリックプロットを突き詰めていく過程で真面目に食べ物調理を扱わなくなった。

数年前だと『マジカシェフ少女しずる』という漫画が印象的である

最近だと『人魚姫のごめんねごはん』という漫画ホッテントリになっていて記憶に新しい。

ディズニーアニメの『リトル・マーメイド』でコックが魚を料理する歌があるのだが、架空の設定で見方を変えさせることで、印象を鮮烈にするというのは手法としてある。

まあ正直ここまでくると、食が関係していてもグルメ漫画というよりはコメディ漫画寄りだから、今回の話で扱うのは趣旨がズレているかもしれないが……。

主張したいのは個人的にこの“破壊”を許容されることで発生する、ジャンル多様化もあるのではないかということだ。

まり破天荒さ」と「グルメ」を両立しているにも関わらず食漫画としての体裁を保った、そんな奇妙な読み味の漫画たちである



空想

グルメ漫画ほとんどは現実世界モチーフにしていることが多く、料理もまたそれに準拠している。

読者に料理イメージをしやすくさせるためだ。

だが、それに拘る必要がないのではと思い始める作品も出てくる。

例えば『異世界駅舎の喫茶店』、『信長のシェフ』などといったように、舞台を別の世界にしたもの

料理を食べる登場人物人間ではない『クミカミカク』など。

しかし、食べ物まで空想産物にした代表格は『ダンジョン飯』だろう。

RPGに登場しがちな空想の生き物を材料に、大真面目に調理工程が描かれるのである

以降も異世界架空の食物を扱った『幻想グルメ』や、妖怪材料にした『美味しい妖』などの作品が続いていく。

もはや食漫画は、舞台調理工程登場人物食べ物あらゆるもの多様化したのである

だが悪くいえば、ほぼ手垢まみれの状態となりつつある、ともいえる。



マンネリ

さて、そんな食漫画に、現在マンネリ感は漂っているか

結論からいえば「まだ気にする段階ではない」。

私みたいに食傷気味になっている人間ならまだしも、様々なジャンル漫画をそこそこ読んでいる人なら、一つのジャンルの隆盛などあまり意識しないだろうし、漫画自体をほどほどにしか読まない人なら尚更である

「こんなに食漫画があるんですよ」と挙げても、それらを全部読んでいる人なんてまずいないからだ。

そもそも現代漫画供給過多の状態なので、全体を見渡せば食漫画自体はそこまで多くはない。

ただ、私からいわせれば食漫画成熟の段階には入っていて、後は発酵するか腐敗するかじゃないかな。

……そういえば、『もやしもん』っていう醸す漫画もあったっけ。

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