はてなキーワード: 方程式とは
ある種の不定方程式が無限個の解を持つ場合のkを決定せよという問題が存在するが、 x^n+y^n=z^nというきれいなものを考えて、それが無限個の解を持つのは、n=2のときに
限られるというような解釈もできないではない。
この教科書ではフェルマーの定理を検討するために必要な材料となるそれに関係する専門知識や技術について集めることにしたい。
(1) 不定方程式とは何か? この問題は最初に、ある種の不定方程式の解のふるまいというテーマで開始されたことから不定方程式に関して検討する。
(2) 無限降下法は技術か? 4,3のときは既に論文があるが、 3の場合は 補題が6つついた定理を適用するもので、難解で、哲学者の間でも、理想的な構成かどうか
はっきりしていない。しかも、3のときは、u^p+w^p+w^p=0 という式も出てきて非常に理解困難である。
(3) エレガントな技術ぬきにして、性格だけに着目した愚直な証明と言うのは存在するのか? 証明とは何か? 証明論
例
背理法による√2が無理数の証明 背理法とは何か? 公理系や定義といったその界隈の致命的なところに矛盾させるもの
背理法による証明はエレガントであるか? 学会ではまだ意見がない 話にならない
(4)発見された経緯 整数の分野に対して興味を持っていた人が発見
専門知識はほとんどない。 技術は、背理法=無限降下法による。 受験生でも分かる部分的な議論 p^4+q^4 は 整数の2乗にならないことから開始する。
(2p)^4+q^4 は自然数の2乗にならないことを証明していく。非常に真面目な精神作業となり、苦しい。最終的に無限降下法を適用することも、それがどのような技術なのか皆目不明。
(5)関係する先生 誰もおらず何の生産性もない。 早稲田大学の雪江というごみ・・・ やる気がない。
才能がどうとかそんなくだらないこと考えたことないなー。
ていうか食える食えないとか考えることある?
ないんだが。
原稿料だけで貯金できるくらいになれって最初の方編集さんに言われん?
その通りにしてたらなんにも苦労したことないわ。
ていうか漫画なんて好きで描いてるのであって、
エロも描いたことあるけどワニとかコアの人達の言う通りにネーム描いてりゃ大抵なんとかなると思うんだよな。
あれって才能いる?台割空きまくってるから描けば載せてくれるじゃんね、あのへん。基本読み切りだし。
あーでもエロは単行本の表紙、ラフ20校くらいまで行った時はさすがにきつかったけど、そのへんは才能もあんのかなあ。
もう認めようぜ
「雰囲気イケメン」でもいいよ
とにかくイケメンは許されるし、ブサイクは不潔って思われるんだよ
悲しいけど認めようよ
そのうえで、ブサメンでもそれっぽくイケメンに見えるよう頑張るしかないんだよ
それが清潔感への道だよ
不潔そうなイケメンならある程度許されるじゃん?
でも清潔そうなブサメンは許されないんだよ
あ、顔だけじゃないよ?
服とかスタイルとか髪型とか、あと態度とか、総合的に見られるんだよ!
それで陽キャ=イケメンだから、結局最初に言ったように「清潔感がある=イケメン」の方程式が成り立つ
だからさ!
できることは不潔さを減らすことじゃない
なんだよ!!
みんな、俺と一緒に頑張ろうぜ!
平成22年頃の2ちゃんねる大法廷によれば、2ちゃんねらーの意見は次のとおりである。
① 初等幾何の問題は、仮にあったとしても、 ベクトル、複素数、方程式のどれかによって解けるし、未解決問題も存在していない。初等幾何の意義は、小中学生の知能指数の
訓練だけである。未到達の問題に到達するのに際して、 幾何学はする必要がない。
③ 数学の哲学においても、時間に関係しない永遠不変の美は存在していない。 永遠不変の技術美は存在しているが、 結論が時間に寄らず永遠に美しいものがあることは
予見されていない。数学になければ人生にもそういうものはないのではないか?
④ 社会科学系、法律学における美 ・・・ 非常に厳しい。 1分か2分に間に輝くかどうかが見られており、1,2分を過ぎると、社会的には誰も見ていない。
① 2ちゃんねる数学板に対して 2ちゃんねるで最も糞な板・・・
① 解くるわけねえだろ。
① 本件での数学の課題は、結局のところ、x^n+2y^n=4z^n という課題については無限降下法という手段が用意されているが、2,4がない場合の方程式に対しては
用意されていないこと ( なお、n≧3という条件は大量に言い付されているのでここではいちいち付言しない)
②
小学生や中学生は、 x^n+y^n=z^nに該当する自然数が存在しないこと自体は非常に簡単に理解できるし、その理由を知りたいと思うにもかかわらず、自らそれをノートに
書いて探求する時間も与えられていない (こつこつと積み重ねていけばそのうち到達するだろうとは予想されても誰もやろうとする者がいないこと)
③
吉崎佳弥の場合は、 x^3+y^3=z^3の場合について、紙に書いて検討する能力もないこと。(自分でやったことはなく、工場で作られた、岩みたいなしっかりしていてなおかつ頭がいい
④ 旭川市長は性格が洗練で潔白であり、品性のいい者でなければならないが、吉崎は、カンニングが得意な少年であり、政治的な大道香具師、鵺的な存在であり、
数理談話会
会場: ハイブリッド号室(大学院数理科学研究科 大講義室+zoom)
講演者
講演題目
© 2024 東京大学大学院数理科学研究科 ビデオアーカイブ・プロジェクト
講演題目
フェルマーの最終定理は、 x^p+y^p=z^pには解がないという定理として確立したもので、不定方程式と素数という一見無関係なものの間を統一する定理である。
しかし、不定方程式に対する解の不存在性は、無限降下法の他に、まどろっこしい方法しか知られておらず、初等数学界では、どのようにしたらいいのかが知られていない。クンマーのイデアル理論は、z^p-y^pを因数分解して迫る理論である。しかし、それによっても、全部を解くことは出来なかった。1つの考え方として、国際数学オリンピックの問題作成者、解答作成者たちに解答を求めるという方法もあるが、
東京大学を含む学会では、そのアプローチを試みた者は誰もいない。そこでこの講義では、高校生向けに、なぜこの問題が解けないのかの様々な理由を紹介することとしたい。
しかし黒羽刑務所のような制限的生活の中で集中していたとしても、森脇と言う驚愕的な体験があるので、それなりに成長すると思うが黒羽には座学授業がないので、系統的体系的に
何かを教わるわけではない。幾何学の授業はない。 驚愕の森脇に、古典の長谷川、が10工場の中身である。長谷川が古典的な生活を指導して対象事物の中に真理を見出させ、
森脇が驚愕させて発見させたり技術的に完成させる。しかし、森脇が驚愕させたとしても、受刑者が発見するのは指数定理程度である。森脇が驚愕させることでIMOの問題が発見できれば世話
はない。ゲーテは非常にあいまいなことを言っており、真理は深いところに収まっているので、誰でも発見できるものではないという。そういうことになると、幾何学なら、定理や問題も発見できなくなるし
教科書に書いている基本的な方程式すら発見できなくなる。これだと何が天才で何が平凡であるかの区別も分からない。
経時的時間の中で美しいものだけが最終的なものであろうと思う。しかし、数学では、定理は、一般には美それ自体とはされていない。数理哲学者のロタは、定理は、永遠不変に美の輝きを
持つわけではなく、 発表されたときに驚愕される。逆に、証明における驚愕的な証明は、その証明自体が永遠不変の輝きをもつとされる。したがって数学では構成の手段の中に永遠不変の美が
あり、結論における美は、そのうちになくなるということである。そうすると、神は、技術的構成中の美において永遠不変を認めて、結論の美については、いつまでもそれに対して美を与えないという意思
があるように思う。
ゲーテの言っている、 未知の無限の可能性、可能なものの限界は測ることはできないから絶望よりは希望する方がよいと述べているが、仮に到達不可能な領域があるとしてもそれも結局、
GTR持ってると言ってるのにカリーナの営業トーク延々とし続けてくるやつとか。
全然ランク違う車持ってるのに惹かれるわけねーだろってわからないものか。
1元1次方程式レベルの問題を解説されても理解できないやつもあれだが、そういうのと比べても別格でたちの悪い頭の悪さを感じる。
こういうのが労働者階級に潜んでいているというおそろしさ。潜るまえにブロックできるようなシステムを作れないものか。
俺は相対的な優劣で人を馬鹿にするようなことはしないけど、こういうできて当然のことすら理解できず不合理な行動に走るやつに目の前にいられるといらいらしてくるんだよ。
みんながみんな最低限の読解力と情報処理能力持ってる世の中ならあとは人それぞれの個性(そのひとならではの特技)に目がいくからイライラすることなんてないんだよな。んでそれ以下の絶対的な意味での馬鹿がいるのが問題。
書いているが、消防行政の3階にある警防課があるようにみせる装置のボタンを押さないからあるようにみえていないし、斉之平美穂は、
斉次方程式などの言葉が流行っていた時代に、数学が出来る女の子になるように、 斉次方程式とか小平曲面から、その苗字をとったが、見せる機械がないから見えていない。
それから学校の先生はバクサイをやっていないし、 延岡消防署の管轄しているのは、 武智舞子とかの裁判官とか、谷水フーカを派遣するかどうか、俺の部屋に、 副検事と中嶋康弘を
出すかどうかしか考えてなかった
この論文は最初は、「ある種の不定方程式の解に関する研究」として開始されたが
x^p+y^p=z^p に対しては、クンマーという教授が、67%ではOKであるというイデアル理論という珍奇理論によりやったが、全部証明ではないということで、解釈が間違っているから
両辺をzで割って、
楕円関数と有理数点で扱って、 有理数体と、楕円関数の複素関数上のモジュラー性を考えないといけない。
予想(Conjecture)であってまだ定理かどうか分からなかったということです。 1950年代の数学者は、定理には、驚愕性が必要だが、このコンジェクチャーにはそれが備わっていないということで
それはいいとしても、高等学校程度で習う定理だと、 sinの加法定理とかがありますが、 sin(α+β)は書き下せるというものである。 sinとcosには、 sinθ^2+cosθ^2=1
という有名な関係がある。
部屋にあるフェルマーの最終定理と言う本によると、証明の最後のピースは、ロシアの計算機学者のコルイヴァギンが発見したフッラハ法であり、それは美しいものだったので自動的に真でなければ
なければいけなかったのだ、という記述があるだけで、どの程度に美しいのかに関しては評価も何もなかったし、ネットに上がっている論文をみても、フラッハ法を適用?したのかしなかったのかに
大体・・・
x^p+y^p=z^p
は整数解を持たない、 なんでこんな単純なことが証明できないのか? 不定方程式と素数という一見無関係な事柄を関係する問題ともいえる
最近、Youtubeでいろんな分野の技術的な解説を見るのが好きなんですけど、その中にロケット方程式の説明があったんですよ。
ツィオルコフスキーの公式ともいわれているもので、ざっくり言ってロケットの最終的な速度はその燃料にたいして、logでしか増えないっていう方程式です。
logってことは、1:1の直線よりも寝た曲線な訳で、燃料を倍に増やしても速度が倍になるわけではなく、1.何倍かにしか増えないということです。
なんでそうなるかというと、燃料自体にも重さがあるので、燃料を2単位積んだ時には、
最初の燃焼時には燃料2単位を積んだロケットを持ち上げないといけないので、燃料1単位のときよりも、効率が悪くなるということだと理解した。
んで、同じようなことは、EVの航続距離にも言えるんじゃなかろうかという考えが浮かんだ。
つまり、バッテリー20kWhで100km走れるなら、バッテリー100kWhで500km走れるわけではなくて、せいぜい300km400kmくらいにしかならない。
ロケットでは、燃料は使うたびに燃えてロケットの外に放出されるのでどんどん軽くなるから、まだlogの関係、つまり、効率は悪くなっても、
燃料を積めば積むだけ速度は上りはするというのに対して、
EVのバッテリーは、使用しても軽くなる訳ではない、空のバッテリーでも重さは変わらない。
ということは、バッテリー容量を増やしまくっても、航続距離が伸びない、logでさえない、最大値が存在するような関数になるんじゃなかろうかと。
そうなると、乗用車はまだいいとしても、長距離トラックなんかにはちょっと向いてない、水素じゃないととか言われているのを聞いたことがある気がするけど、
たぶんこういうあたりが原因なんじゃないだろうか。
数えることを学ぶときに無限に遭遇し、永遠に数え続けることができることに気づきます。
それほど独創的な観察ではないですが、いつでも1を足してさらに大きな数を得ることができるため、数えることに終わりがないことが、無限の重要な性質です。
無限にはさまざまな種類があるため、それほど単純ではありません。 1、2、3 などの自然数の量は「可算無限」と呼ばれる最も単純な種類の無限にすぎません。
正式には、自然数から他の集合への1対1の写像(注: 勝間さんではありません)がある場合、この集合は自然数と同様に無限であることを意味し、同じ種類の無限です。
実数の場合、その写像が存在しないので、より大きな無限となります。
さて、無限に演算を定義するとどうなるでしょうか。無限大に1を加えても無限大になります。自然数のある数を無限大で割るとゼロになります。
つまり無限大に1を加算すると、結果は同じ種類の無限大になることを意味します。
これらの関係を方程式として記述する場合には問題が起こってしまうことがよく知られます。
無限大を無限大で割ったり、無限大にゼロを乗算したりする場合はさらに意味不明になります。
実際には数学者は無限に対処する方法をよく知っています。ただ注意しなければならないのは、その無限がどこから来たのかを追跡することです。
たとえばxが無限大になると無限大になるx squareのような関数があるとします。
無限大がどこから来るのかがわかっていれば、もう一方から1を引くこともできます。
たとえば、1/イプシロン、1/イプシロン二乗、イプシロンの対数などの用語がある場合があります。
しかし2つの項が同じ無限大であり、イプシロンの同じ関数であることがわかっている場合は、数値と同様に加算または減算できます。
物理学では通常、これを行う目的は計算の最後にそれらがすべて互いに打ち消し合い、すべてが理にかなっていることを示すことです。
したがって数学的には無限は興味深いですが問題はありません。数学に関して言えば、無限をうまく処理する方法を知っています。
数学的な意味で存在します。つまりその特性を分析してそれについて話すことができるという意味です。
科学的には、観察を説明する必要がある場合にのみ、自然理論の要素が「存在する」と言えるからです。
そして無限を測定することができないので、観察するものを記述するために実際には無限を必要としません。
無限大は測定できないという問題は、ゼロの問題と密接に関係しています。
たとえば、点の数学的抽象化を考えてみましょう。物理学者は点粒子を扱うときに常にこれを使用します。点のサイズはゼロです。
しかし、実際にサイズがゼロであることを示すには、無限に正確に測定する必要があります。
したがって、測定精度が許容するものよりも小さいことしか示せません。
宇宙や時空のような一見無害なものであっても。空間の数学を書き留めた瞬間、そこにはギャップがないと想定します。
無限に多くの無限の小さな点で構成された完全に滑らかな連続体であると仮定します。
数学的にはこれは扱いやすいため便利な仮定です。そしてそれはうまく機能しているようです。
それがほとんどの物理学者があまり心配していない理由です。彼らは無限を有用な数学的ツールとして使用しているだけです。
おそらく物理学で無限とゼロを使用すると間違いが生じるのは、これらの仮定が科学的に正当化されていないためです。
そしてこれは、宇宙や量子力学の理解に役割を果たす可能性があります。
ジョージ エリス、ティム パーマー、ニコラス ギシンなどの一部の物理学者が、無限を使用せずに物理学を定式化する必要があると主張したのはこのためです。