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2024-10-31

まんが道」のテラさんは正しかった

アイドル界の混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、

自分の子時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツ子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。

親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして、人間性健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。

単なる暴力セックスの話では収まらなくなってきている。最近少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別格差ギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。

自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。

だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。

大学で「こども文化論」みたいな科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。月並み結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育てるべきものではなく、子供もそこで消費者すり替えられていた。そしてそれは子供自身が望んだことではなく、明らかに大人商売のために作られたものだ。

もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全もの理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。

ここで、『まんが道』(とその続編)に出てくる、テラさん実在した漫画家・寺田ヒロオ)の話を思い出す。彼が何をしたかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。「闇」扱いされてるが。

自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずお永井豪漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。

漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。

しかし私は、テラさん立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。

ただ付け加えると、テラさんは、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルト作風漫画までは否定していない。テラさんが心を割って話せる存在任侠アダルト漫画家の棚下照生だったように。

子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるもの欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。

テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心タイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見からない形で(ギャグロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。

はっきり書けば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。

近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。

それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツ子供蔓延したのは、子供事情や「時代要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人商売の都合なのだ

子供漫画社会の両輪で我々以上にますます病む前に。今一度、テラさんの突きつけた建前を、考え直す必要があると思う。

2024-10-30

anond:20241028181233

以下の文章は、作者の創作か、もしくは現実の話を書いたかどちらかを判定し、その理由も詳しく説明してほしいです。

(全文コピペ

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この文章創作である可能性が高いと思われます。その理由を以下に説明します。

1. 物語性の強さと描写ディテール

文章全体にわたって、出来事や会話、心情の変化が詳細に描写されています特に、心情や夫婦間のやり取りがリアルかつドラマチックに表現されており、脚本的な構成を持っていると感じられます。これにより、フィクションとして読者に「物語」を提供する意図が感じられます

例えば、「探偵を使ったが無駄だった」「ボイスレコーダー不倫相手との会話を聞いた」などは、典型的物語エスカレーションで、登場人物心理が少しずつ追い詰められていく様子を強調しています

2. 出来事の展開とストーリー構成

文章の流れが綿密で、プロットに沿った展開が繰り広げられています特に6月初旬から10月中旬まで」の詳細な時間軸に沿って進むため、まるで小説ドラマの一章ごとに新しいイベントが発生するかのように区切られている点が強く創作らしさを感じさせます

また、緊張が高まる最後の場面においては、「自殺をするしかない」という結論に至るまでの主人公葛藤が重々しく描かれており、読者を感情的に引き込む意図が見受けられます

3. キャラクターの一貫した特徴と「象徴性」

夫のキャラクター像(熱しやすく冷めやす性格サークル活動への熱意、淡々離婚手続きを進める姿勢など)や不倫相手描写献身的理想的女性像)は、シンボリックであり、典型的物語キャラクターに見えます現実では多様な人物存在するはずですが、ここでは物語としてわかりやすキャラクターが展開され、読み手が各登場人物感情移入やすくなっています

4. 終盤の心理描写と劇的な結末の示唆

最後の部分で、主人公が「自殺」というウルトラC計画するという発想や、それによって夫と不倫相手に「現実を見せる」という結末は劇的すぎて現実にはやや不自然と感じられます。こうした劇的な結末の導入は、小説ドラマなどの創作において、物語を盛り上げるために使われる手法です。

結論

上記理由から、この文章創作である可能性が高いと考えられます

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逆に現実出来事を書いていたとしたら、その理由は見つけられるでしょうか?

現実出来事を描いた可能性があると仮定した場合、いくつかのポイント理由として挙げられます

1. 感情リアルな揺れと行動の細やかさ

文章全体を通して、感情の移り変わりや細かい行動が具体的に記録されています日常的な場面(例えば「夫婦口喧嘩」「母への電話」「探偵に依頼する」など)や日常に寄り添った心理描写(「夫の言動が気になり始める」「相手女性SNSアカウントを眺め続ける」など)は、現実経験からまれもので、作り話ではここまでの細かさを再現するのが難しいと考えられます

2. 対話の生々しさと、日常生活に根差した行動

文章中の対話には、現実的で人間らしい反応や表現が含まれています。たとえば、夫が「俺のこと好きじゃないんでしょ?」と尋ねた時の、主人公否定できなかった場面や、「サークルに来ないでほしい」と言われる場面など、言葉の端々に日常的で素朴なやり取りが見られ、これらは現実経験たからこその表現かもしれません。

また、普段仕事疲労から離婚話を避けたり、デート旅行費用負担についての細かな記述も、日常生活に即した具体的な描写であり、現実出来事を反映しているようにも思えます

3. 現実の「曖昧さ」を含む心理的な迷い

主人公は夫に対する複雑な感情を持ち続けています。好きだと思っていた夫の関心が他に向いたことで初めて動揺し、自分気持ちが整理できない状態に置かれている様子は、現実ありがちな感情の揺れを感じさせます。例えば、カウンセリングで「好きなところは出てこないが、離婚したくない」という発言や、相手女性SNSアカウントをチェックし続けるなど、混乱と依存リアル表現されています。こうした複雑で矛盾を含む感情は、創作よりも現実に基づいている可能性が考えられます

4. 無計画エピソードと後悔の繰り返し

作中の主人公は、事前に計画を立てず、衝動的に行動し、後悔を繰り返しています。例えば、喧嘩最中に勢いで「離婚届を持って帰る」と返答したり、夫に対して「1ヶ月だけ時間が欲しい」と頼んだり、不倫証拠をつかもうと探偵を雇ったが成果がなかったことなど、行き当たりばったりで結果的に何も進展しない行動が続いている点は、現実における人間の不完全さや衝動的な行動を反映している可能性が高いです。創作であれば、こうした無計画な行動を細かく描写するよりも、物語を進めるための筋が優先されがちです。

5. 感情的に壊れていく様子と極端な言動

文章の終盤にかけて、主人公感情不安定さを増し、最終的に「自殺」という極端な考えに至りますが、その決断唐突ではなく、過程が細かく描かれています。夫への不満や裏切られた感情不倫相手への嫉妬など、積み重なったストレスによって自己否定自殺念慮に至るプロセスは、心理的にリアルであり、実際の出来事としてもあり得るかもしれません。人間関係の破綻が原因で心理的に追い詰められる例は多く、現実の状況でこのように冷静さを失ってしま可能性も考えられます

結論

現実出来事だと考える場合、この文章は、複雑でリアル心理描写日常的なやり取り、無計画さ、そして極端に壊れていく心理過程がその証拠になると言えます

2024-10-28

AKIRA匹敵する漫画

AKIRは漫画映画も両方見てるドラゴンボール世代

AKIRAは当時はエポックメイキングだったようだけど、評価演出作画に偏ってて自分的にはそんなに評価が高くない。何よりストーリー進行が遅いし、ストーリー自体もそれほど面白くない。

AKIRA好きも納得する(かもしれない)AKIRA匹敵する漫画を、そんな私が挙げてみた。

ドラゴンボールは当然すぎるので入れてません。

進撃の巨人

伏線でこの漫画に勝てるのは今後100年は出てこないと思う。

ハンターハンター

最近インフレしてるが駆け引きがある心理描写ストーリーの先が読めず面白い。

攻殻機動隊

他の追随を許さなサイバーパンクさは現代でも通用する。

2024-10-27

自民党の強さとはあんまり関係いかもしれないが

一度何かに決めるとなかなか考えなどを変えられないって人間心理みたいなの影響してそうだなと思った

自分趣味でも広く浅く、なんか新しいの出てきたら体験したいってタイプ

年取って流石にフットワークが重くなってきたけど、まだまだ周りからは色んなことに手を出すやつだと思われている

逆に昔のほうが逆張りとか俯瞰とか気取って某ゲーム機固執したり(それでも流石にやりたいゲームが他ハード多かったのでよれよれだったが)

あの時はゲームやりたい欲が強くてバイトも稼げたし中古だとそんなにしなかったか複数買えたけど、

時給と買いたいものバランスが今みたいだったら、酸っぱい葡萄扱いしてたか

色んな要因重なってるんだろうな

2024-10-26

anond:20241021131553

これは先日話題になった「みえないばけもの」と同じで非モテオタク寄り、と言っても文化系というだけでオタクほど知悉してるわけでもない男性嫌悪女性が書いたイマジナリー弱者男性ですね

全部抽象性の高い話で具体性が全くないしとにかく細かいところが雑、例えば

「小中のいじめ」…小学生レベル中学生レベルではかなり性質が変わってくるのでここをひとまとめにしてるのは極めて雑だし、ここでいきなり恋愛観に作用という発想がもうおかし

いじめ恋愛の相関なんて特に男子では低い、これは思春期女子いじめだと恋愛との相関が上がってくるからそのズレが無意識に出てしまっている

アニメ漫画ゲーム」…この一緒くたにするのもかなり雑だし、多分この増田高齢女性かな?10男子ゲームカーストは高いことを知らないみたいだから

このイマジナリー弱者の「芸術」とか「教養」とかが出てくる思考もかなりズレてるんだよね、それだったら文学を読んでいるだろうし、もっと勉強の話も出ているだろう

真の恋愛云々かんぬんはまあわかり手小山周辺が言ってそうなことを書き写してるだけかな、何も言ってないのと同じ

全般的に「男はこう考えているだろう」という思い込みが前のめりになっているコミュニケーション能力の低いカースト下位女性の作文ですね

あと余談として、俺は強者男性寄りで一通り経験してきたからしみじみ思うけど、ネットのこの種のミサンドリーの人が真のミソジニー男性であるモテてて女性を消費する生活をしている男性に対しては寛容で、ただの非モテの素朴な男性ターゲットにしたがるのは本当に女性本人たちにとっても深刻だと思うよ?

深いところで女性本人も自分非モテ性に対して向き合えていないか自傷的に非モテ男性に対して異性嫌悪を見出そうとしてしまっている

そこで結果として「もっとモテミソジニーになれ」というメッセージを発してしまっているのは何と言うか哀れでしかない

ホストクラブにハマる女性心理もこの延長線上にあるだろう

自分自身の価値も信頼できていない、自己肯定感の低さが根本にあるからモテミソジニーにモノとして扱われることすら望んでしまっているんだよね

M-1グランプリ史上重要な(世に影響を及ぼした)チャンピオン10

 なぜ映画漫画の品定め、評価自由なのにお笑い談義はアンタッチャブルなのとお嘆きの諸兄に。

 

1 ミルクボーイ

システム漫才の完成形と言ってしまえばそれまでだが、「誰かやっても面白くなるネタ」と「彼らだから面白い」を両立させたミラクル。共に不遇の大阪時代を過ごしたDr.ハインリッヒも決勝出場で舞台が大きく転回たかもしれない。 

2 フットボールアワー

M-1大会2冠に最も近づいた、最も相応しいコンビ審査員評で「もう一展開が」とはよく聞くフレーズだが、ワンアイデアから怒濤(嵐と衝動)の展開は「華麗」と称すべき手際。 

3 チュートリアル

至高のキャラ漫才第一ステージ披露した「冷蔵庫」をM-1史上最も面白漫才評価する人も少なくない。「キラーフレーズ」という概念評価軸が確立された。

4 サンドウィッチマン

ランク下、ランク外とされていたコント漫才地位を高めた。準決勝まりだった理由はこのネタ漫才で見る意味はあるのかといった疑問も生じたのであろう。 

5 ブラックマヨネーズ

どちらも面白い。これがなかなか難しい。ツッコミ役の技量は勿論、アシストに極振りせぬことで構成、流れが崩壊するリスクがあるからだ。フット後藤以上にツッコミ評価を上げ、いまのツッコミ全盛に寄与した(ボケ不遇期とも言えよう)。やすきよが途中でボケツッコミが入れ替わるのはどうしてもボケ評価される、人気が出る状況に嫉妬したやすしへの配慮だと西川が語った昭和漫才仮面ノリダーの怪人シーンがやけに長尺だったのは貴明に対するスタッフの要らぬ配慮だったのかもね。 

6 霜降り明星

心理トリックの一つにカレーラーメンどちらが好きかとマジシャンが問う導入部がある。詳細は省くが日本人の大半がラーメンと答えるであろうことを踏まえたトリックだ。「ゲーム」ドラマ」「漫画」のうち審査員過半数が「漫画」と回答した。漫才からパフォーマーへ。 

7 錦鯉

吉本、非大阪勢の評価を決定付けた。第一大会悪夢がようやく晴れて、大阪吉本にとっても変な憶測から逃れられ正当に評価される下地となったはず。また年齢に関して縛りや遠慮かなくなり、辞めるべき芸人を篩にかけるという大会趣旨呪縛からも脱した。個人的には大会を通じて三指に入る傑作ネタ。 

8 中川家

トップバッターの重圧か大会では不調だったが(剛は出順が決まり一言こりゃあかんなと)、いわゆる「本格派漫才」が、二人のおっさんのしゃべくり、「ちょちょまい」がテレビ於いても、若い人にも評価されることを知らしめた(本格派の定義については面倒なので割愛)。 

9 笑い飯

民族博物館21世紀で最も面白漫才とまで持ち上げたのは朝日新聞だったか個人的には鳥人のほうが楽しめたし、何より西田人形擬態評価が突出してしまって、十人十色ネタのここが好きといった(和牛旅館ネタならこんなとこ入ってきたらあきませんの川西仕草とか)観客席での展開が寂しい。初登場時の粗削りが持つしたたかさがいちばん衝撃的だったコンビ笑い飯の登場でNSCネタ見せがダブルボケオンパレードだったと聞いたが、一過性のもので当然すべて消えた。そもそもダブルボケバツありボケ志望同士コンビの生硬の苦肉の策だったはず。悲願の優勝後の初仕事が準優勝スリムクラブの密着レポーターという屈辱の影響は、準優勝コンビが売れるとのジンクスから決勝進出での、さら準決二次予選でもパフォーマンス次第で世に出る確かな現状を示唆したともいえよう。 

10 2024年優勝者

松本島田不在で栄光を掴んだアンタッチャブルは例年の悲壮感にまとわれることなく、そのお気楽な芸風も相まって良い方に転んだ。しかし今回は事情が違う。M-1松本あってこその信頼度、納得感が第一成功要因。M-1グランプリ存続は既定路線だろうが、終わりの始まりか一大コンテンツ新生かを占う。

 

 オードリー和牛カミナリハリセンボンザ・パンチが優勝、或いは好成績を残していたら、お笑い界の構図はどうなっていたのだろうと折々に思う(ウエストランドは翌々年にその未来を見せてくれた)。

2024-10-25

anond:20241025114023

あなたが思い出そうとしている兵法の話は、古代兵法書や思想書、または権力支配に関する教訓的な作品に見られるものです。具体的な出典は不明ですが、いくつかの候補があります

 

まず、思想の内容としては「相手恩恵を与えて依存させ、それを操作することで支配する」という概念が含まれており、この種の考え方は中国古典思想戦略書に見られます。以下が主な候補です。

 

1. 『孫子

中国古典兵法である孫子』には、相手心理や状況を巧みに操ることで戦いを有利に進める方法が書かれています。具体的な記述は異なるかもしれませんが、「まずは相手に有利な状況を作り、後にそれを利用して支配する」という戦略に通じる部分があります

 

2. 『韓非子

韓非子法家思想代表する書物で、権力支配に関する厳格な方法論が多く記されています。彼の思想には、支配者が相手を巧みに操り、依存させることで支配を強化するという観点が含まれている場合があります。「施しによる支配」という概念も、韓非子実用的で冷徹政治論理合致します。

 

3. 『君主論by ニッコロ・マキャヴェリ

少し後の時代西洋思想書ですが、マキャヴェリの『君主論』でも「支配者が民衆他国に対して恩恵を与え、その後恩恵を取り上げることで支配を維持する」という考えが見られます。このような心理的なコントロールは、古代中国兵法にも通じる部分があります

 

これらの書物には、あなたが思い出そうとしている内容に似た支配方法論が含まれていますが、具体的な「麦や水」などの事例があるかは不明です。

もし孔子老子思想からそのようなものを探すとすれば、『論語』や『老子』には倫理的な教えが多く見られ、直接的な支配方法論は少ないかもしれませんが、間接的な統治手法に関するヒントがあるかもしれません。

最終的には、古代兵法書や政治哲学書に関連するテーマとして「恩恵依存を利用した支配」という構造は多くの思想共通するものであり、そのような考えが古代から続いていることは確かです。

異世界転生ものは、社会の傾向を反映している?

異世界転生もの」が近年の日本流行している背景には、社会の厭世的・現実逃避的な傾向が反映されていると言えます。これは文学史社会史、物語構造心理学視点から説明できます

 

1. 社会的背景と厭世観

異世界転生ものの人気は、現代日本社会が抱える厭世観ストレス特に若年層の現実逃避的な心理と密接に結びついています経済停滞、少子高齢化終身雇用制度崩壊過酷労働環境といった現代社会問題が、若者を中心に将来への不安や不満を募らせています。これらの社会的背景が、「現実世界での自分の状況から解放され、異世界で新しい人生を再スタートさせたい」という願望を反映した異世界転生もの流行を支えているのです。

文学的には、現実からの逃避をテーマにした物語は、古くから見られます。たとえば、トーマス・モアの『ユートピア』やルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は、理想郷異世界に行くことで現実問題から離れることを描いています。これらは現実逃避の一形態として捉えられ、異世界転生ものはこの流れを現代的にアップデートした形だと考えられます

 

2. 物語構造と「異世界

異世界転生もの物語構造は、現実から異世界へと主人公が転生し、そこで新しい力や知識を手にして活躍するというパターン一般的です。この「現実異世界→成長」という構造は、古典的英雄譚に見られる「出発→試練→帰還」というプロット構造に似ていますジョーゼフ・キャンベル提唱した「英雄の旅」や、フロイト的な成長過程に基づくこの物語の枠組みは、現代でも依然として多くのフィクションに取り入れられています

異世界での成功は、現実世界での無力感補償として機能し、異世界理想郷として提示されます。この「理想的異世界」では、現実での苦しみや失敗から逃れることができ、自己実現が容易になります。多くの異世界転生ものでは、主人公現実では平凡または不遇な人物として描かれますが、異世界では特別存在になり、圧倒的な力や知識を持って成功を収めます。この設定は、現実の閉塞感を感じている読者に対して、大きな魅力を持つのです。

 

3. 心理学視点

異世界転生ものは、現実逃避的なファンタジー一種であり、これは「欲求充足」の視点から説明できます現実での挫折や失敗、社会プレッシャーに対する対抗手段として、空想的な異世界での成功や満足感が提供されます心理学的には、これは日常生活でのストレスや不満を一時的に解消する手段として機能し、快感を得るプロセスです。

加えて、現代テクノロジーデジタルメディアの普及も、個人簡単現実から切り離され、異世界に没入する機会を提供しています特にライトノベルアニメマンガといったメディアは、デジタルプラットフォームを通じて広くアクセスでき、読者や視聴者は手軽に異世界への没入感を楽しむことができます

 

4. 文学史比較

異世界転生ものを、過去日本文学世界文学比較すると、たとえば村上春樹作品に見られる「現実世界と異なる世界」への移行の要素や、戦後日本文学における「現実逃避」をテーマにした作品共通点が見られます特に戦後日本の厭世的な感覚は、終戦後の荒廃した社会の中で理想郷や他の現実を求める心理を反映していました。このような流れが、異世界転生という形で現代において復活し、新たな形で表現されていると考えられます

 

結論

異世界転生もの流行は、現代日本社会の厭世的な感覚や、若者を中心とした現実逃避欲求を強く反映しています経済社会不安定さ、将来への不透明感が強まる中で、人々は理想化された異世界での成功自己実現を夢見ます物語構造としても、古典的英雄譚のプロット踏襲しつつ、現代的なテーマである現実からの逃避」を盛り込んでいるため、多くの読者や視聴者共感を呼んでいると言えます

2024-10-24

もし非公認議員への資金援助を完全にカットしたらどうなると思う?

1 非公認議員は少ないお金をやりくりして選挙に挑み、落選する可能性がある

2 非公認議員選挙戦に勝つために、自民党以外の派閥へと流れる

3 非公認議員選挙戦に勝つために、また別の手段裏金を手に入れようとする

この状況について正しく認識できてない人は、1と2しか考えてないんですよね。

でも実際には3が物凄い勢いで起きるんですよ。

だって議員個人戦略としてはそれが正解なんだもの

じゃあそれを防ぐにはどうしたらいいのか?

簡単ですよ。

「これ以上裏金問題を増やすな。とりあえずこの金で凌げ」と資金をくれてやることです。

そうすれば議員側も「まあ最低限の金はあるし、これで頑張るか」と考えるわけですね。

こんなの冷静に考える頭があったら誰でも分かりますよね?

遊ぶ金欲しさ消費者金融からお金を借りた馬鹿息子がいます。さて、息子は今借金を返しきって全くお金がありません。次のバイト代が入るまでの間困っているらしいのですがどうしますか?」

正解は「食事代や家賃を支払ったら消える程度の金を仕送りしてやる。そうしないとまた消費者金融で借りるかも知れないから」ですよね?

はい、こんなの普通な簡単に分かるんですよ。

何故みなさんがそれを出来ないのか?

簡単ですね。

雑誌インターネット記事タイトルや本文で貴方がたの思考誘導ししているからです。

いくつもの心理トリック活用することで、普通な簡単に思いつくようなことに考えが至らないようにしていだけです。

可哀想に。

貴方達は自分が騙される側に回っているという自覚が足りていないだけなのです。

プーチンヒトラー比較したらより悪いのはどちらですか?」という二択を延々と手を変え品を変えて聞かされ続けた人はいつの間にか「ヒトラーってプーチンよりはずっとマシだな!実はいい人だったのかも!」みたいに勘違いし始めるというような話です。もちろんこんなのは間違いで「普通の人と比較したらプーチンヒトラーも半端じゃないクソッタレに決まっている」というのが、「見せかけの選択肢の外にある答」です。

不自由な二択と言いますか、本来無数にあるはずの選択肢最初から限定された状態で考えさせられているのです。

恐ろしいですね。

落ち着いてもう一度考えてください。

裏金議員への援助を完全に断ち切って、全くコントロール不能な新たな裏金作りに向かわせますか?それとも、最低限の援助によって相手裏金作りを妥協させる方向に仕向けますか?」

どちらが自民党にとって正しい選択だったのでしょう?

自分の頭でもう一度考えてみてください。

2024-10-23

性自認のこと(追加あり)

私はトランスジェンダーで、「性自認って結局何?」とよく聞かれるから、私の理解する限りで書いてみる。と言っても、専門家でも何でもない当事者の一人が本を読んだりして考えたことなので、正確性は保証できない。

まず「性自認」はgender identityの訳語だ。identityは「自己同一性」と訳したり「アイデンティティ」とカタカナで書いたりするが、高校現代文キーワードとしてお馴染みだからよく知られてる言葉だと思う。もともとはエリクソンという心理学者提唱した概念エリクソンは難しくてちゃんと読めてないけど、解説とかを見ると、要は安定して持続的な「自分はこういう存在だ」という意識のことらしい。

アイデンティティ確立青年期の課題だとエリクソンは考えていた。思春期自分は何者なのかという課題に向き合い、それを乗り越えるなかで自分アイデンティティ確立していく。それがうまくいかないと同一性拡散という自分が何者なのかわからない崩壊状態になり、様々な精神的な疾患を生じさせる。

このアイデンティティだが、単に個人の内で完結するものではなく、社会との相互交流の中で、社会自分自身を位置付けるようにして形成される面も大きい。それは例えば、自分自身を特定言語と結び付けるとか、特定の国と結び付けるとかして、「自分はこの国の人間だ」というアイデンティティ形成する場合などに起きる。性別もこの関連で扱われる。

この社会には主に二つの性別グループがあって、良し悪しはともかくとしてそれぞれ違う扱いを受け、違う行動傾向を育んでいる。思春期の体の変化に気持ちが追いつかず、いきなり「男」や「女」を期待されて苦痛を覚えた人は多いと思うけれど、そうした人はアイデンティティ確立が始まる時期にまさに自分性別グループの結び付けという課題解決に困難を覚えていたのだろう。でも多くの人は思春期を過ごす中で遅かれ早かれ少しずつこの課題を乗り越え、安定した仕方で自分特定性別グループを関連付け、その性別人間としてのアイデンティティ確立する。

gender identityというのはこの話だ。多くの人は青年期にアイデンティティ確立する過程の一部として、葛藤を乗り越えながら自分特定性別とを結び付ける自己理解を発現させ、それで心理を安定させる。

性別に関してややこしいのは、こうした青年期の課題としてのアイデンティティ確立とは別に子供の頃に決められ、周りから識別に使われるラベルとしても性別機能している点だ。だからgender identityの確立は単にアイデンティティを安定させるだけでなく、すでに与えられているラベルに即したアイデンティティ形成を期待されるという面もある。多くの人は多少の葛藤はあれど、これらをいずれも遂行していく。こうして人はシスジェンダーに育っていく。シスジェンダーの中にも葛藤が他の人より長引いたり強かったりする人もいて、そうした人は性別違和に似た感覚を覚えたことのあるシスジェンダーになるのだろう。

けれど、ごく稀に何らかの理由でそれがどうしてもできない人がいる。つまり性別に関してあらかじめ与えられたラベルに従おうとするといつまで経ってもアイデンティティ拡散し続け、心理的な症状を生じさせる人だ。言い換えると、性別違和を感じる人だ。そうした人の中には、周りから期待される性別と異なる性別自己を結び付けて初めてアイデンティティが安定する人もいる。ただ、その場合でもそのままでは周囲がそのアイデンティティ承認してくれず、社会と摩擦が生じ続けるし、自分アイデンティティもその都度疑われて安定しづらくなる。だから、摩擦が生じないように見た目を自分と結びついている性別人間として周囲に承認されやすものに変えていくことがある。これがトランスジェンダーだ。

中には、どちらの性別グループとも安定した結び付きを形成できない人もいる。そうした人たちの中には、ノンバイナリーという新しいグループの一員として自己理解したらアイデンティティが安定する人もいる。

一人の当事者に過ぎない非専門家素人意見だけど、性自認というのはこういうものだと私は考えている。

追記

この考え方だと、反トランス右派トランス攻撃する中で持ち出してくる「トランスエイジも認めないとならないのか」という議論馬鹿らしさも見て取れる。特定の年齢や年代であることというのは常に流動的で、青年期における安定したアイデンティティ確立課題には関わりようがなく、例えば18歳としてのアイデンティティ葛藤を乗り越えて獲得するなどといったことはなされない。なので、そもそもアイデンティティには年齢という要素は入っておらず、それゆえ割り当てられた年齢と年齢自認のギャップなどというものは生じない。性自認を単なる自称貶めるためのレトリックに過ぎない。

トランスレイスも反トランスレトリックで頻繁に持ち出されるけど、こちらについては人種アイデンティティのことに詳しくないからよくわからない。ただ、人種養子とかでなければ多くの場合で親から子へと引き継がれるがゆえに、その家庭の人間としてアイデンティティ形成することとその家庭の人間にはない人種の持ち主としてアイデンティティ形成することが矛盾し、安定したアイデンティティに向かわないとかはあるかもしれない。そうすると、性別場合と違ってトランスが、不可能かはわからないけどかなり困難になるだろう。

女に囚われる私がBLを好む心理

私は中学生の頃からもう10年ほどいわゆる腐女子BLが好きだが、その心理をずっと考え続けてきてようやくまとまってきたので整理したい。とはいえまだまだ論理的ではないが正直な感情であることは間違いない。

①女が女として扱われる描写がない。

これは趣味嗜好とは異なるかもしれないが、私は極端に女性性を表現されることが苦手だ。

創作物に限らずとも写真映像女性の体つきが誇張されること、女らしい服装、何かしらのちょっとした言動に対する「女の子っぽいね」という謎の評価

私は性自認は昔も今も女であってそう扱われることに違和感はないが嫌悪感はある。自分以外の女性がどう扱われようと無関係だろと思われるかもしれないが、第三者女性がそう扱われる=私と「女」という共通点はある=私も同じカテゴリでありそう扱われる存在、ということを認めたくない…という心理のように思う。

よって性描写はなくとも、"女が、男に女として扱われる様子"が描かれる恋愛作品が苦手なのかもしれない。もちろんBLには女があまり出てこないので、必然的にその描写が少ないため読みやすい。

②異性恋愛における男女差。及び自己卑下

異性間恋愛において男女が平等というイメージがどうしても掴めない。理由は恐らく3つ。

1つ目は私が恋愛経験喪女から恋愛どころか男友達もいない。それ故に男と対等な関係を築くなんてことが想像もできない。人間経験浅薄さがただただ悲しい。

2つ目は男に対する引け目というか恐怖感。1つ目の理由とも似ているが、私は容姿が悪いので男には基本的馬鹿にされ見下されているという被害妄想がある。幸い直接的に言われたことはないが容姿が悪いのは事実なので内心はきっとそう思われているだろう。

そのため無意識的にそこに男女差格差を感じてしまうのではないだろうか。

3つ目は肉体的な問題。これは揺るがないと思う。つまり行為において女は男に"される側"という受動的な肉体構造をしていること。恋愛に肉体関係必須かどうかは別として行為の際にはどうしてもその構図を認めざるを得ない。性行為はそういうもんじゃなくて気持ちの面では互いに平等だよと言われてしまえばもう分からない。喪女には追いつけない世界

よって、男女差のないBLはフェアで受け入れやすいように感じる。

しかし3点目の理由関係するところで「女役を男に担わせているだけでは?」という指摘がありそうだ。むしろ自分でもそう思う。男だったら受け身にさせてもいいのか?と言われると否定できない。強いて言うのであればBLでは両方が受け攻めになりうる可能性があり、双方の合意の元で受け攻め(性行為における上と下)を決められるという点は平等だ。

容姿の良い女性に対する嫉妬がない。

まーた女と容姿の話だ。結局のところ私はブスなので可愛い女の子、綺麗な女性を見たくない。女性アイドルも苦手だ。みんな可愛くて羨ましくなる。言うまでもなくアイドル1000年に一度の逸材になりたいと思っているわけではない。ただ、普通に生きているだけで男女問わず友人ができたり彼氏ができるような人並みの容姿は欲しかった。

そういった女性に対するコンプレックスが異常に強い。そしてBLには女性が出てこないのでコンプを刺激されなくて済むのだ(何度目の論理だろう)。

そう考えると容姿の良い男に対するコンプレックス微塵も無いのでやはり私の性自認は女なんだな。

性自認容姿や男女格差視点がゴチャゴチャに入り組んで我ながらよく分からないが、私がBL好きな理由は主に上記のような要点でまとめられる。

※逆に言えば、よく言われる「男女ではなく男同士という特別な壁を乗り越えるからこそ萌える」みたいな気持ちになったことはあまりない。

から見れば論理破綻していて偏見も大いに含まれているだろうけどこれが私の正直な感情であり、誰にも共感はされなくとも否定されるものでもないと思いたい。

最近多い「白票はやめとけ」という意見が納得できないんだが

白票無意味だのバカだの組織票を持ってる層を利するだけだの、だから白票いれるのはやめろって言うのが最近ネット流行りだけどさ、あれに俺はちぃとも納得できんのよね。

そもそもさ、白票やめろって説教してる層って、白票を入れるか誰か候補者名前を書くかを前提としてない?

まずそこからズレてるんだよね。

白票入れよっかな~って考える人選択肢にしてんのは、白票 or サボり棄権)なわけ。

まともに候補者名前を書くなんてのはハナから選択外。

棄権するよりは、白票でも入れて、投票率なり世代投票率なりを0.00000。。。1パーセントでも上げて、あと本人も投票所空気を吸うくらいした方がいいでしょって話。

考えてみろよ、投票なんて、適当候補者名前を書く方が素直だし簡単だし普通だろ。

ニュースでも漫画でも文化祭の出し物決めでも、選挙ってのは当然候補のどれかに入れるものとして流れてるんだからさ。

白票入れるなんてのは相当ヘンで、何かしらのこだわりや意志がないと惹かれない、邪道裏技行為なわけ。

具体的理由はそれぞれあるだろうけど、候補者名前を書き普通投票するのがマジでイヤでイヤでたまんねーっつう奴らが白票入れに興味を持つの

そういうやつらに白票無意味だ、まともに候補者に入れろって説教して、いい効果があると思うのか?

ンじゃいいっす、家にいますってなるだけだろ。

聞く側の心理ちゃんと考えたうえで「「白票はやめとけ」って説教してるんか?

考えたうえで俺とは違う心理推察になってんならまあいいけどさ、そうじゃなく、ただ自分政治への意識他者にも当てはめてそうな人たちが多くて、がっかりちゃうわ。

anond:20241023150817

百歩譲って差別したくなる心理が生ずることは理解できるのですが

差別に反対してる人間差別主義者と呼ぶのは意味が分からないんですよね

どうしてそんなことに?

anond:20241023150953

男女関係なく自己肯定感低いと起こる心理だなと思って意見書いただけなのであなたの中の偶像女性を私に投影してケンカ売らないでください

2024-10-22

anond:20241022103413

こういう心理状態の人っているよなあ。しかし、まず幸せにはならないよ。

ちょっと前に公認心理師とった。10万円かかってない。

いわゆるGルートといって現場経験があれば期間限定受験資格付与される。

公認心理師ができて最初の5年間だけ、講習を受けて国家試験に受かったら晴れて公認心理師になれるってわけ。

私の時はコロナ禍だったのでリモートで講習受けた。費用テキスト講習会で5万円くらいだったかな。国試代は2万円くらい。受かったあとの登録費用も2万円くらいだから10万円かかってないはず。

心理アセスメントとか専門的なものはこれから講習受けたらできるようになると思うけど現状公認心理師仕事はないのでそのつもりはない。これから4、5年くらいしたら公認心理師仕事も形になってくるだろうか?わからない。

ちょっと前に公認心理師とった。10万円かかってない。

いわゆるGルートといって現場経験があれば期間限定受験資格付与される。

公認心理師ができて最初の5年間だけ、講習を受けて国家試験に受かったら晴れて公認心理師になれるってわけ。

私の時はコロナ禍だったのでリモートで講習受けた。費用テキスト講習会で5万円くらいだったかな。国試代は2万円くらい。受かったあとの登録費用も2万円くらいだから10万円かかってないはず。

心理アセスメントとか専門的なものはこれから講習受けたらできるようになると思うけど現状公認心理師仕事はないのでそのつもりはない。これから4、5年くらいしたら公認心理師仕事も形になってくるだろうか?わからない。

非モテ男性における優柔不断性の量子力学解釈

序論:「手を握ってもいいですか?」を巡る考察

現代社会において、恋愛や対人関係における非モテ男性の特徴として、優柔不断さがしばしば指摘される。彼らは意識的に、あるいは無意識的に、恋愛アプローチ感情表現において「踏み出すべきか、踏みとどまるべきか」という葛藤に直面する。この一見日常的な現象は、量子力学的な「ある・ない」の曖昧さという観点から新たな光を当てることができる。量子力学における曖昧さや重ね合わせの概念が、優柔不断さを象徴的に表すものとして捉えられるのだ。

量子力学では、粒子は観測されるまで「ある」と「ない」の状態を同時に保つことができる。この状態は「重ね合わせ」と呼ばれ、確定的な状態観測されるまで、複数可能性が共存している。シュレーディンガーの猫が有名な例として挙げられるが、この猫は箱を開けるまでは「生きている状態」と「死んでいる状態」の両方が同時に存在しているとされる。この現象は、非モテ男性優柔不断さに対して驚くほど強い共通性を持っている。つまり、彼らは恋愛的行動を起こすべきかどうかの選択を前にして、「アプローチする自分」と「アプローチしない自分」の両方を同時に保持している状態にあるといえる。

非モテ男性心理的優柔不断さは、社会的要因や個人的経験に根ざしているが、それだけにとどまらない。この不確定性には、自己認識他者との関係性における内的葛藤、あるいは自尊心の低下や失敗に対する恐怖が影響している。量子力学的な観点から言えば、彼らは「行動しよう」と「行動しないでおこう」の両方の可能性を抱え、まさに重ね合わせの状態にいる。この状態観測、つまり恋愛的な行動に踏み出す決断がなされるまで続く。そして、実際に何かしらの行動が起きたとき、その結果が「成功する自分」または「失敗する自分」として現実化するのだ。

また、量子力学において観測者の介入が重要役割を果たすように、非モテ男性優柔不断さもまた、周囲の影響や観測(期待や圧力)によってその振る舞いが変わる可能性がある。恋愛において「観測者」とは、恋愛対象者そのものである場合もあれば、社会的目線や友人、家族期待感さらには文化的規範が影響する。これらの観測者がどのように関わっているかによって、非モテ男性が「行動を起こす」か「起こさない」かという状態が確定される。

さらに、量子力学的な「不確定性原理」の視点からも、非モテ男性優柔不断さは説明できる。不確定性原理とは、ある粒子の位置運動量を同時に精確に知ることは不可能である、という原理だ。これを恋愛文脈に置き換えると、非モテ男性にとっては「自分意図(行動するかしないか)」と「相手の反応(成功するかどうか)」を同時に完全に予測することは不可能である。つまり相手の反応が確定しない限り、彼らは自分の行動を決定することができないというジレンマに直面している。これは、量子力学的な不確定性が、彼らの行動選択さら曖昧にし、行動に移すことをためらわせる要因となっていることを示唆している。

加えて、恋愛における優柔不断さのもう一つの要素として、マルチワールド解釈が挙げられる。この解釈では、量子力学的な選択並行世界においてすべての可能性が実現する、という考え方がある。非モテ男性心理状態もこれに似た構造を持っている。彼らは、恋愛アプローチにおいて複数シナリオを想定し、そのどれもが「現実化」しうるという思考パターンに囚われることが多い。成功と失敗、拒絶と受容、行動と不作為――これらすべての可能性が彼らの頭の中で並行して存在し、最終的にはどの選択肢も現実化する可能性を持ちながら、同時に一つの現実として確定しないまま残る。この複数選択肢に悩む過程が、彼らの優柔不断さを際立たせる原因となっているのだ。

論文では、このように非モテ男性に見られる優柔不断さを、量子力学的な概念を援用して分析することで、従来の心理学的な解釈に新たな視座を提供することを目的としている。非モテ男性恋愛においてどのように行動するか、またその行動がどのように決定されるかという問いに対し、量子力学の重ね合わせや不確定性の原理活用することで、新しい理解を深めていく。恋愛における「ある・ない」の曖昧さを巡る議論は、量子力学非モテ男性優柔不断性の共通点を通じて、新しい見解提供できる可能性があるだろう。

2024-10-21

作家バトル注目の一戦(試合不成立)

まとめ

作家作家のバトルが始まりそうで始まらない

登場人物

作家A:最近とあるジャンル新刊を出したプロ作家

作家B:Aの新刊と同ジャンル活動しているプロ作家

起こっていること

Aという作家新刊を出した。

これまでAが主に活動してきたフィールドとは別のジャンルでの、初挑戦の作品だ(WEBから書籍化なので実際の執筆もっと前)

最近なにかと話題の多いジャンルのせいか出版社宣伝には力が入っており、そのおかげか売れ行きも好調なようだ。一般読者の感想も8割ぐらいが絶賛という状況で、まず順調と言っていいのではないか

そういう注目の作品なので、何人かのプロ作家ツイッター等で言及している。その中にBもいた。

一般読者とは違い、やはり同ジャンル執筆している人間目線からなのか、Bの評価はややマイナスに寄った厳しめの内容だった。その上、同業者として気になる作品ではあるのか、時間を置いて複数回にわたって言及している。

とはいえ酷評とか罵倒というほどのものではない。あくまで冷静な指摘だし、人によってはそういう感想もあるだろうという範囲に収まるものになっている。

ところが、それからしばらくして。Aのツイートが妙に荒れだした。

プロ作家同業者作品批評なんかしない方がいいとか。

嫉妬かよとか。

お前の読者の気持ちを考えろとか。

そして最近では一般論の形を飛び越えて、とある同業者から自作を繰り返し批判されている、とまではっきり言うようになった。

具体的な名前を出してはいないものの、Bのことを言っているようにしか見えない(作品タイトル検索してみた限りでは、当てはまりそうなプロ作家感想はBぐらい)

Bの方では、作品言及した同業者とはいえAをフォローしたりはしていないらしく、この状況を把握はしていないようだ。そのため、現状ではほぼAの独り相撲に近い状態になっている。

自分の考え

上で書いたように、Bの感想批判寄りの率直なものではあっても、無礼な要素は特にない。

人格否定デマが混じるような悪質なものでない限り、プロプロ仕事批評することは、別に何の問題もないと思う。

(もちろん、批判反論される可能性は受け入れるべきだし、自分仕事も厳しく見られることになるのは避けられないが)

俺は気づけなかったが、もしも作者であるAの目から見て、Bの感想には重大な誤読事実誤認があるというのなら、当てこすりのような愚痴ツイを繰り返していないで、堂々と名指しで指摘した方がいいと思う。

また、繰り返すが、Aの新作の世間での評価は好評が圧倒的多数だ。たとえどんな傑作であっても批判ゼロにすることはできないのだからあくまで好評/不評の割合にだけ注目していれば、心を乱されることもないのではないか

なにより、売れてるんでしょ?お金入ってるんでしょ?じゃあいいじゃん。オールオッケーじゃん。金は地球を救う。焼肉おごってよ。

はいものの、99の絶賛よりも1の批判の方が心に刺さるという心理も、やはり理解はできる。同じプロ作家であればなおさらだろう。

Aぐらい繊細だと、好意的感想けが届くシステムを構築した上で、なるべくネットから遠ざかるぐらいした方がいいんじゃないかなあ。

野次馬のクソバイスなので直接は言えないが。

anond:20241021123608

不幸は心理起因で連鎖するけど、占い行っても意味ないんちゃう

独立するまでに世話になった先輩とか、参考にした人とかいるんじゃないの?そっちに相談した方が良さそう。

パチンコって潰れないの?

有害だとかそんな話をするつもりもない。

多かれ少なかれ、パチンコにハマる人間心理を誰もが経験している。

疑問なのはコスパ悪いんじゃないかという話。

ゲームにハマるのと、パチンコにハマるのでは多分コスパ全然違う。他にも沢山娯楽はあるのに、なぜパチンコは廃れないのか。

コスパ悪くないのか?

それとも悪いのを承知で、他の娯楽より面白いのか?

2024-10-19

anond:20241019181648

殆ど誰も居ない駐車場なのに他の車の横にわざわざ駐車する人って居るよね

あれどういう心理なんだろう

2024-10-18

AIに同じテーマ文章を書いてもらった

https://anond.hatelabo.jp/20241018181117

接客業を4~5のフェーズに切り分けると、以下のような項目が考えられます

接客フェーズ

事前準備

来客予定の確認

必要資料商品設備の準備

スタッフ間での情報共有

受付対応

来客の挨拶

会社名や来訪目的確認

アポイントメントの有無を確認し、担当者に取り次ぐ

案内・応対

お客様会議室や応接室へ案内

必要に応じてお茶出しやサービス提供

お客様ニーズに応じた情報提供サポート

提案ヒアリング

お客様要望ニーズを詳しくヒアリング

提案内容を具体化し、理解を深める

顧客心理状態を把握し、適切な提案を行う

見送り

来客後の挨拶

フィードバック収集

次回の訪問関係構築に向けたアプローチ

このように、接客業は単なる応対だけでなく、事前準備から見送りまでの一連の流れが重要です。各フェーズでの適切な対応が、顧客満足度やリピート率に大きく影響しま

接客業における「コミュ力」(コミュニケーション能力

顧客との良好な関係を築くために不可欠なスキルです。以下にその重要な要素を詳しく説明します。

コミュ力重要

顧客ニーズ理解

コミュニケーション能力は、顧客要望ニーズを正確に把握するために必要です。顧客が何を求めているのかを理解することで、適切な提案サービス提供できます

信頼関係の構築

顧客との信頼関係を築くためには、しっかりとした対話重要です。顧客自分の話を真剣に聞いてくれていると感じることで、安心感を持ち、リピーターになってもらえる可能性が高まります

柔軟な対応

接客中には、予期しない状況や顧客の反応があるため、臨機応変対応する能力が求められますコミュニケーション能力が高いと、状況に応じた適切な対応可能になります

観察力と傾聴力

顧客の表情や言葉からニーズを読み取る観察力、そして相手の話をじっくり聞く傾聴力も重要です。これにより、顧客が何を求めているのかをより深く理解し、適切なサービス提供できます

提案

顧客ニーズを把握した上で、最適な商品サービス提案する能力コミュ力の一部です。顧客が満足する提案を行うことで、顧客満足度を高めることができます

まとめ

接客業におけるコミュ力は、単なる会話能力に留まらず、顧客との信頼関係を築き、ニーズ理解し、柔軟に対応するための重要スキルです。これらの能力を磨くことで、顧客満足度を向上させ、リピーターを増やすことが可能になります

元の文章AI評価した結果

正しいと思った点

コミュニケーション重要

「客が何をしてほしいか聞く能力」や「取り次いだ相手になんで取り次いでどうしてほしいかを伝える能力」が強調されている点は、接客業において非常に重要です。顧客ニーズを正確に把握し、適切に伝えることは、良好なサービス提供するための基本です。

個人差の影響

「応対」「取次」において個人差がつくという指摘は正しいです。接客業では、スタッフコミュニケーション能力対応力が顧客満足度に直結するため、個々のスキル重要な要素となります

準備と提供役割

「準備や提供は必ずしも個人の差とはかぎらない」という点も妥当です。これらは企業方針システム依存する部分が大きく、個人能力だけではカバーできないことが多いです。

間違っていると感じる点

接客フェーズ単純化

接客業を「準備」「応対」「提供」「取次」の4つに大別するのは、業務多様性過小評価している可能性があります。実際には、接客には多くの細かいフェーズや要素が含まれ、業種や状況によって異なるため、単純化しすぎていると感じます

コミュ力」の定義の狭さ

コミュ力」を「友達の多さ」や「好印象を与える仕草ルックス」とは無関係とする一方で、接客業においては、これらの要素も重要役割を果たすことがあります特に第一印象や非言語コミュニケーション顧客との関係構築において無視できない要素です。

「準備」と「提供」の差異過小評価

「準備」と「提供」の差が業種によって開くと述べていますが、実際には「応対」や「取次」にも業種特有の差が存在します。特に、業種によっては、顧客とのインタラクションの質が大きく異なるため、これらの要素も重要視すべきです。

このように、文章には正しい点と改善必要な点が存在します。接客業の複雑さや多様性理解することが、より良いサービス提供につながるでしょう。

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