はてなキーワード: ランニングとは
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
☆これから話すのは、美人を武器にできない馬鹿な増田個人の不幸話、ということで!
☆わーお、こんなに反響があるとは。心臓がドキドキしています。ビビリなので怖いというか馬鹿だからいちいち傷ついてしまって消したくなりますが一応全部読んでいます。批判も共感も、読んでいるとなんだか高まって涙がポロポロ出てぶるぶる震えてしまう。昨日から寝ずにF5連打状態でフワフワとした気分です。おそらく、人にぜーんぶ洗いざらい話してしまったのがはじめてだからだと思います。男女関係のことは親にも言いにくいから、同じような悩みを持つ姉にしか話したことがなくて…。理解してくれる女友達もたくさんいるけど、内容が内容だからこんなには話せないし。なんかごめんなさい。
☆美人、というのは何か違うようなので、「もてる女」ということにしてください。
☆ブコメやTwitterで同意してくれたり「あるある」してくれるとものすごーく救われた気持ちになります(人生で初めての体験)。ありがとうございます。リアルでは絶対に話せない内容なので。
☆最初は反応しないつもりだったけど、こんなに反応があってビックリして、リアルに顔真っ赤(真っ青)でプルプル震えながら言い訳してしまう…すいません。
自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。わたしは美人だ。小さな頃から、美人だ、かわいい、綺麗だと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も私を見に来ました。高校生のころは地元情報紙のレポーター?のようなこともしました。背も167cmまで伸び、ミルクタンクもでかくなりました。高校卒業と同時に、その小さな街のキャンペーンガールにも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくはないけど、一応きちんとした芸能事務所にスカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、私くらいのレベルの女の子がうじゃうじゃくすぶっているのを知ったので、辞退しました。
大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、あっさりと決まりました。一応"大"のつく企業の事務職。これが顔のおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「女の嫉妬でしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。男なんです、問題は。勝手に惚れる→振られる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。俺の好意を踏みにじりやがって、みたいに逆恨みする男性は本当に多かった。わたしの三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20枚くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、ねちっこい嫌がらせが始まるわけです。想像がつくと思うけれど、それが上司の場合は最悪だ。色目を使う女、のような噂を流すのも男だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、能面のような顔で仕事をするようにしましたが、そうしたらしたで「美人だから高飛車」みたいに言われてしまう。女の上司や同僚は、最初は警戒して近づいてくれないけど、打ち解ければそんな理不尽な仕打ちをする人はいなかった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる女もいるけど、グループ内で嫌われるのはわたしではなくそっちなので問題ない。惚れた惚れない関係なく最初からいやがらせしてくる男も多い。そういう人はなぜか大抵わたしへの当てつけか何かのようにこれ見よがしに、ふつう顔だけど愛想の良い女性社員を猫かわいがりしている。その女性社員から、私のいないときはその男が普通だということ聞いて、なるほど新種のいやがらせか、と気がついた。
そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほどメソメソしていたけれど、地元の結構年上の独身の人たちが群がってくるので早々と都会へ戻りました(お見合い的な話が大量に舞い込む 10/29追記)。
大企業の事務職を2年で辞めた技術も何もない女なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、顔がそこそこ良ければ一応就職先は(受付・秘書・事務職)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの事務に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ストーカー)の妻から斜め上の訴えを起こされかけるという珍事にまで発展し、わたしは街中にあるカッコいいビル内の本社から、埋立地にある工場に付設されたプレハブみたいな事務所に配置転換されました。その事務所には15人しか従業員がおらず、女はわたしと、55歳独身我が道を行くちょっとユニークな上司、バリバリの派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には男はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、女はひとりずつ持参した弁当や菓子パンを黙々と貪る、という稀な現象がおきていました。
その事務所では、腫れ物のような扱いを受けていて、男は誰も近寄ってこないので楽っちゃあ楽でした。その会社では28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の男に惚れられてしまったので丁重にお断りすると、仕事で必要な書類を回してくれなくなって、上司からお前のせいだろオーラが漂い始めたので居づらくなってやめました。
学生生活、サークル、アルバイト、30歳までの社会人生活に登場してきた男たちは、「自分の好意を踏みにじった独女」と「自分の手に入らない独女(最初から手に入りっこない独女)」が死ぬほど嫌いなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みが遅い)、次はそういうことが絶対に起こりえない職場にしようと思いました。更にこの歳になると、美人というだけでなく、結婚しないの?という圧力がかかってきて二重に辛くなりました。そこで、わたしは29歳にして!はじめて!水商売の世界に身を置いてみることにしました。大変なこともいろいろとありましたが、本当に楽しい1年間でした。男の方も「金を払っているんだ」という前提があるので、会社にいた頃のような、わかりにくくめんどくさい好意ではなく、割りと堂々とした好意を受け取ることができました。結婚していなくても良いし、美人ならなお良い、乳がでかいならもっと良い、という世界です。ときどきヘンテコなお客さんもいますが、わかりやすいエロオヤジさんか紳士っぽいおじさんが多いのでとてもやりやすい仕事でした。貯金もかなり増えました。会社にいたころとは違い、完全に武装した、変装した、本名とは違う自分として仕事をするので、なりきれるというか、女優のような気分なので男に媚びることも尻をなでられることも簡単でした。
30歳になって、わたしはかねてからお付き合いしていた彼と結婚しました。
わたしより更に美しい姉が26歳で結婚したあとしきりに「結婚すると楽だよー。誰かの女になるって楽よ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに結婚してからは、再就職しにくかったですが、入社してからが圧倒的に楽です。綺麗な奥さん、というような扱いで、言い寄ってくる男もほとんどいなくなりました。結婚指輪をしているだけでこんなに楽だなんて。ときどきそのことを知らない営業さんなんかに口説かれますが、結婚してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと引いてくれます。
まあ何が言いたいかというと、美人というだけで楽勝全勝、というようなことを言う人が多い(特に男)ですが、そうではありませんよ、と。美人だからこその苦労も多い、と言いたかったんです。それと美人の苦労=女の嫉妬、というステロタイプの解釈もやめてください。わたしの人生においては、男からのいやがらせの方が圧倒的に多かったのですから。こういう話をすると、男からの好意(性的な)は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有しているという点で、女の方から多くの賛同を得られます。男は苦虫を噛み潰したような顔になるので、リアルではあまり話せません。
トラバには一切答えませんです(10/28 答えたいところだけ答えます)。
☆ありとあらゆる断り方を試しました。いかにも誠実な人とという風に、きっぱりと断ってみたり、彼氏がいるので、と言ってみたり、仕事を頑張りたいとか、片思いしている人がいるなどなど、また、それらを混ぜ合わせてみたり。それを聞いてあっさりと受け止めてくれる人もいれば、なんと言おうと粘着してくる人もいるのです。婚約指輪をつけてみる、という手も試しました。ところが、そういう常識が通じない人もいるもので、むしろ軽い付き合いでいいじゃないか、といったノリで更に粘着してきたりするんです。派手派手しく武装しようが、地味にしようが、どっちにしろ寄ってくるんです。お断りしたあとも、神経を逆なでしないように、いつも通りに慎重にしても、いやがらせされるときはされるんです。たしかに美人とは関係ない話かもしれないけれど、ナンパとかでなく正式な告白を年に10回も20回も受けて、その度に断り方を考えて神経を使い、ストーカーにならないだろうか嫌がらせされないだろうか、と不安にかられなければいけないのはツライです。
☆なぜ婚約(指輪、または既婚者のフリ)は意味が無いのに、結婚には意味があるか、ということですが、婚約指輪をしていても独身であることはモロバレなのです。なぜかというと、あたりまえだけど、就職活動する時点で履歴書類や保険、面接で普通にバレるからです。それに、結婚してます、なんて嘘をついても、そんなに簡単にバレる嘘だと更にトラブルを呼ぶのではないでしょうか。
☆何で結婚しなかったのかって、ずっと付き合っていて結婚したい人がいて結婚したくても、それができない理由があったからです(不倫じゃないです)。ってその内容も書こうかと思ったけど、何でそんなことの説明まで、と悲しくなったので書きません。独身だと言えば、きっと理想が高いんだろうと言われ、結婚した、と言うと、きっとすごい男を捕まえたんだろうな、と期待されますが、残念ながらどちらも違います。申し訳ない。
☆あと確かに幸薄そうとはよく言われます。
☆女の同僚や上司は助けようと動いてくれたりもしましたが、女だけスカート制服アリでリアルにお茶汲みをさせられている会社ではあまり派手にも動けずやりようがなく、という感じでした。それに相談もしにくい内容なので、あまり打ち明けることはなかったです。(相手の男性のこともバラすことになるし、まるで自慢のようだし)
☆なんだかんだ言って女磨きしてるんじゃねーの?、とのことですが、水商売始めるまでは夏含め年中腕毛は生えっぱなし(足はさすがに剃りますが)、眉毛も整えたことがないです(薄いので)。化粧も、日焼け止めにリップクリーム、透明の眉マスカラで眉の毛流れを整えるくらいです。髪も黒いショートカットです。なぜかというとズボラだからです。だからお風呂も15分くらい。スキンケアもお風呂上りに900円くらいのジェルをひと塗りするだけです。という感じだったのですが、女友達に「そんな軽武装だから男が寄ってくるんだよ。化粧を濃くしてcancamみたいにキャピキャピするかoggiみたいにカッコつけてみれば」と言われて、なるほど、と本を読んで勉強して職場で常識の範囲内でできるかぎり派手にしてみましたが逆効果、部内強制参加の飲み会の時酔っ払った男性上司陣にいろいろ言われて(思い出したくもないようなこと)やめました。何をやってもダメだし、でもブスには整形できないし、じゃあやっぱり自分の責任でワガママなんじゃないか、という自分への怒りとか悔しさとか嫌がらせのストレスで抜毛症になって、2年はウィッグをつけて過ごしたりもしました。ミルクタンクが巨大なことも、いちいちネタにされてイヤになったので、ランニング用の絞めつけるスポーツブラのようなものをいつもつけています。特定されるのが怖くて書きませんでしたが、わたしは顔のある部分にほくろがあって、それをことあるごとに「いろっぽいねぇ」とニヤニヤされるのがいやで、レーザーでとってしまいした。そんなだから、水商売を始めたときは大変だったわけで、年下の先輩方に手取り足取り教えてもらいました。
☆わたしは無能です。実際。だからお茶くみの仕事に文句はないです。ただそれを普通にやりたかった…、と思ったらだめですね。
☆惚れる男と結婚した男、しかいないわけではありません。もちろん無関心の男性、恋愛関係なく仲の良い男性、助けてくれようとした男性、いろいろいます。
もう30を越えたというのに、未だに中学時代に好きだった人のことを思い出す。
朝、駅のホームにいるともしかしたら電車を待っていないかなとか、近所の図書館に行くといないかなとか、
この前の週末、近所をクルマで走っていて四つ角で一旦停止していると角から急にその彼女が走って曲がってきた。
月日が経って、若干太ったような気がしたけどそんなことはどうでもよくて、まだこの町に住んでいたことを
確認できただけでよかった。
今になってどうにかしたいという根性もないんだけど、だけど秘めている想いを伝えることができればそれで
いいのかもしれない。
今更、何を思っているんだろう。。
第3回。続きになります。
前回はこちらです。
http://anond.hatelabo.jp/20110708114752
YouTube - 『さらば愛しの大統領』世界のナベアツ、柴田監督インタビュー。世界のナベアツが、NOVAうさぎのCMなどで知られる柴田大輔と2人で映画監督に挑戦!・・・
http://topics.excite.co.jp/keywords/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94/
「さらば愛しの大統領」特典満載DVDが発売 4月20日、2枚組DVD「さらば愛しの大統領」 が発売される。世界のナベアツが柴田大輔とともに共同監督を務め、ケンドーコバヤシ、 宮川大輔が主演した映画・・・
http://ameblo.jp/shigetamiwa/entry-10736653133.html
お嬢が息を切らして、何やら叫びながら帰ってきた。あの%#&*@☆△…落ち着け、まず落ち着け!!はい深呼吸~で?学校帰り近くにいる大人に時間を聞いたら凄い人だったと~!!ママ、柴田大輔って知っとうやろ!!・・・
・柴田大輔-ピープルサーチ
今年は、いつくになく越えなければならない夏である。皆さん、体調だけには十分に注意して、この夏を乗り切りましょう。柴田大輔氏の言葉より。・・・
http://v7777777v.blog69.fc2.com/
ロックで柴田大輔V7、2回目のコラムです。戦後、日本企業の成長・急進は目を見張るものがあった。新規事業の台頭で世界に誇る企業が続々と登場した。これは、日本人お勤勉さ、そして何としても日本を復興させるのだという・・・
夏も真っ盛りですが、みなさんはいかがお過ごしですが?
今年は海に行こうと思っているんですが、なかなか「よし、行こう!」とはならず、今年も無理なのかなと、半ば諦め気味です。地域によっても変わってくるでしょうが、九州地方ではいつまで泳げるものなんでしょうか。
太陽をたくさん浴びて、今年こそは日焼けしたいと思っています。海にいけなくても、日焼けを目指して街を歩いたりと、できるだけ日に当たるように心がけるつもりです。柴田監督も海に行ったりするのかな・・・
昨年からこの日記を始めましたが、なかなかどうして更新する時間が取れずにさびしい状態となってしまいました。
あれほど更新頑張ると意気込んでいたのに自分がなさけないやら、つらいやら・・・
今年は!といいたいところですが状況があまり変わってないので約束はできそうにありません。しかし、気持ちとしては前進するつもりでいますのでどうかまだお付き合いいただけると嬉しかったりします。柴田監督は今年も突き進むはずです。私も負けずに少しでも追いつけるよう精進したいと思っています。まだまだ若輩者ですが気持ちだけは負けません!(ほんとか・・・)
健康にも気をつけて精力的に映画のことや舞台のことを考え、大輔さんの魅力を少しでも伝えることができればと思っています。
はてな日記がに慣れてないのでよく分からないのですが、追加して更新していくということでいいのでしょうか・・・
まあ、伝えたいことは架けるので良しとしておきましょう。
しかし、舞台というのは楽しめ、想像して楽しめる数少ないエンターテインメントだとつくづく感じます。
岐路に着くときにもそうだし、帰ってから思い出すことで楽しめることも多い。特に一番印象に残った場面などは何回思い出しても飽きることがありません。
また、インタビュー記事などに目を通すといろいろなことを想像してしまいひとりにやけることも多々あります。
いまは平清盛をみて楽しんでいます。江がいまいちだったのでどうだろうかと思ったのですが、僕的には最高に面白い大河だと思っています。おそらく平安時代当時の状況をできる限り再現しているところに現実感があり、見ている最中にドラマだとはあまり感じないところではないでしょうか。1話目はきちんと見れたのですが、2話目は録画になってしまいました。しかし、面白さは変わらず。早く続きを見たいとさえ思いました。3話目も録画になりそうですが、今からワクワク感が止まりません。
知っている人もいますが、なぜ見れないかというと、実はいまランニングを週に2~3回しているんですね。その1回が日曜日という、なんともタイミングが悪い日に当たってしまった言うわけです。まあ、走ることは悪くないと思うので、気持ちよく走りたいと思います。
それでは、また!
NOVAうさぎなどの記憶に残るコマーシャルメッセージを制作。リゲイン、アジアン・カンフー・ジェネレーションのプライベートビデオも手掛け多数の賞を縦走している異才。近年まれに見る映像クリエイターの一人である。1973年・神戸市に誕生する。
結婚3年目。そろそろ子供が欲しいと夫に言われて、子供が欲しくないことに気付いた。
夫の子供が欲しくないのか、誰の子供であろうと欲しくないのかはわからない。
まず育児中の収入についての不安。半年間休職するとして、その間私の収入は給付金頼りで半分になる。
もし、未熟児や病気を抱えて生まれたりしてお金がかかることになったら…
私の独身時代の貯蓄に頼るしか無くなる。それで足りるかどうか。夫は趣味にお金を使うため、貯蓄は期待できない。
そして育児についての不安。ネグレクトは孤立した母親が起こすと言う。
私は仕事についての不満・愚痴は自己解決できるので夫を頼る必要が無いが、
しかも、乳児は昼夜関係なしに親を起こし授乳やおむつ交換をせがむものだが、
私は本当に残念なことに、毎日十分な睡眠をとらないとすぐ体調を崩すタイプだ。
さらに残念なことに、夫も似たタイプで十分な睡眠を必要とするし、一度寝ると本当に起きない。
もし私と夫が二人とも寝入っている間に、子供が突然死してしまったら…
一人の時間も少しは欲しい。結婚してからはいつも家に夫がいるので、河川敷を一人で走るようになった。
学生時代はバスケのような動きのある運動が好きで、走るだけなんてつまらなく感じていたが、
あの時間が私の精神安定を支えているので、大事にしたいと思っている。
妊娠中も、育児中も、ずっとその時間が作れないのだと思うと、それだけで追い詰められるような気持ちになる。
夫は人の話をあまり聞かない。何か悩み事とか無いの?と向こうから聞いてくるのはいいが、
最後まで聞かずに説教を始めるので、余計にストレスになる。結局、一人で熟考して決めたほうが上手くいく。
最近は色々と面倒になり、解決が簡単な"悩み事"をストックしておいて、
夫に聞かれたときに蔵出しし、二人で即効解決できるようにしている。
私が育児について悩んだら、そんな余裕も無くすぐにパンクすると思う。
夫は頼りにならない。子供を見ていてねと頼んでも、見てくれずに一人でPCか何かで遊んでいる姿しか想像できない。
全て私がやることになって、私がパンクし、何もかもが私のせいになることしか想像できない。
今日夫と一緒に行ったスーパーで、若いお父さんの足にくっついている小さい女の子を見かけた。
夫が「やっぱり子供かわいいよなあ」と言った。そう、もちろん子供は可愛い。
でも可愛いだけでなく大変なことも沢山ある。病気もする。経済的に苦しくもなる。
わが子が人に迷惑をかけることだってあり、その責任は子供が成人するまでは親が負うものだ。
わかった上で、欲しがっているんだろうか。
無邪気な夫を見ていると、捨て猫や犬を拾ってくる子供を思い出すのだ。
可愛いから飼いたい!絶対面倒見るから!そう言ってお母さんを説得し、しかし数週間で飽きて、
結局餌やりや散歩は全部お母さんの仕事になっていく。子供は気が向いたときに遊ぶだけ。
夫の年相応の横顔に宿る雰囲気は、年不相応な少年のそれだった。
やはり私たちに子供は無理だ。
いつ、夫に切り出そう。
ちなみに…
ビシッと物理的な量が示されるベクレルと違って、シーベルトはもともと放射線が人間の健康にどれだけ影響があるかを「だいたいこんなもんじゃね?」とざっくりと示す指標にすぎない。放射線荷重係数って(笑)。単位名から受ける印象に反してテキトー杉ワロタレベル。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88
身長:185cm
体重:110kg
いきなりデブ過ぎ。
いい加減にすべき。
煙草:吸う
運動:していない
かなり終わってると言う危機感を持った方がいいと思う。
このままなら30になる頃には深刻な健康問題がポロポロと表面化する。
食事
・朝は菓子パン。いっその事食べない。どうせ9時起床だし。
何故菓子パンなのか。
脂肪たっぷりのクリームや揚げ物が挟まっていたりするのでカロリーも別に低くなかったりする。
2個も食ったら朝飯としては重いカロリーになる。
かといって断食はもっての他だし、よほどの事情がないならもっと早起きすべき。
何故松屋や吉野家がダメで、定食や弁当はアリなのかがわからない。
ほか弁やコンビニ弁当には1000カロリーを優に越えるものも多い。
一方、吉野家で1000カロリー採るには最大サイズの盛りしかない。
こんな食生活が増田にとっては「改善プラン」であるらしいことがヤバすぎる。
栄養バランスの偏りを自覚してるならもっとマシなおかずを食うべきだし
これは正しい。当たり前。
「改善プラン」に出てくる食事が軒並み栄養価低い糖分と脂肪分ばかり多い食材なので
その知識レベルのままではどれだけ努力してるつもりになっても効果が出ない。
・健保指定のジムが近場にあるので利用。1回利用600円ほど。
そんなあいまいな計画では絶対やらなくなる。
カーディオをどれぐらいやるべきかとか考えてるだろうか。
筋肉を発達させるにはどれぐらいのトレーニングをすべきか知っているのか。
増田レベルのクソデブはウォーキングでも膝や腰や足首を痛める。
100kg超級デブがやるべきはプールでビート板かジムのエアロバイク。
水泳が達者で泳ぎ続けられるなら水泳はいいが、休みまくるならバイクがいい。
マシンジムは我流でやらずジムの係員かジムの客の上級者らしい体つきの人に聞く。
そういう場当たりではなくて
一生の生活習慣を改めるつもりにならないと何も変わらない。
短期間息を止めるような減量をしても必ずすぐにリバウンドする。
そして増田のスペックや生活は「健康診断までに少し落としたい」なんて悠長なレベルではない。
そのままやっていけば三十路に入ったぐらいからガタガタと体中が崩壊する。
とりあえずペットボトル症候群の匂いもするので糖尿の気がないか調べるべき。
やたら喉が渇いてジュースを飲みっぱなしだったりしないだろうか。
僕にとっては積み木を積み上げるようなもので、
積み上げた積み木にのって手を伸ばせば、
大きな実を収穫できるような
もしこれが当てもなく積み重ねているようなら、
おそらく途中で自分の手でなぎ払って崩してしまっていると思う。
30分、寒い中、走って、疲れて、何の得もない行為なんだけど、
大脳辺縁系とか海馬とか運動前野、運動野を刺激して、脳の働きを良くする説があって。
それが下地となって、「とりあえずやってみようか。」というモチベーションができる。
まだその時点では頼りないものだけれども。
実際1週間続けてみて、脳の感じがよくなっていると実感したら、
それまで頼りなかったモチベーションが、それなりに強固なものになる。
そのうちにこのくらいやれば、このくらいの効果が得られるというのが分かってくる。
(そもそも効果を測定・評価するという意識がなければこの気付きは得られないのだけど)
そうすると効果とコストのトレードオフで最も効用が高い?運動量を自分なりに決めることができる。
その時点で、おそらくそれはトイレにいくのと同じくらい生活に密着したものとなっており、苦も無く半自動的にやれるようになる。
人から、「そんな面倒なのがよく続くね。」と言われることが多い。
僕は一見すると面倒なことから得られる果実の味を知っている。だから続く。
それは入念な下調べと、試行による効果の評価からの確信があるから。
ただ面倒なだけのことをする人はいない。
面倒さの裏にある果実の味、形がちゃんと見えているからこそ、続く。
つらいことをやれば、「何かがよくなる」
そんな弱い動機で物事が続くわけがない。
もし動機が外から与えられない場合、自分が自ら産み出す必要がある。
その方法論がなんとなくみえた気がする。
その彼との出会いはある日突然の出来事でした。
当時、わたしはジョギングを日課としており、毎晩仕事が終わってから寝るまでの間に1時間ほど走っていました。来る日も来る日も、例え雨の日でも、大体同じようなコースを飽きることなく走り続けていたのですが、こうも日々走り続けていると体がどんどん走ることに慣れてきてしまい、いつもと同じ距離では疲れないし、走り終えた時の達成感が得られなくなっていました。
そんなある日。
いつものようにジョギングをしていたわたしは、ちょっとだけ冒険をしてみることにしました。それは本当に小さな冒険でした。
ふだんであればその場所でUターンをして帰途につく場所を、その日はもう少しまっすぐ進んでみることにしました。そしてその先にある右に入る小道に入り、大回りをして復路とすることにしました。大回りとは言っても距離にすると2km分いつもよりも多くは知ることになる程度のわずかな距離ではありましたが、それでもいつもと違うコースを走っているということにとても興奮しました。
小道に入り、しばらく進むと視線の先に不思議な光景が目に飛び込んできました。
それは小学校の校庭を掃除するときによく使っていたあの大きな竹ぼうきで歩道を熱心に掃いている男性の姿。それだけでは決して不思議でも何でもないのですが、この時すでに24時20分。真夜中誰もいない歩道、そしてそこは家の前やお店の前などではなく、大きな道と道を結ぶためだけにある細い細い歩道を熱心に掃き掃除し続けている男性の姿はとても異様で、わたしはきょうに限ってこの道を選んでしまったことをひどく後悔しました。
とても怖かったわたしは彼の後ろを急いで通り過ぎようとしたのですが、彼はいくらわたしがそばに寄っていってもわたしという存在にまったく気付かず、それは熱心に掃除を続けていました。それは、まるでわたしがゆうれいか何かになってしまい、彼には本当に見えていないのではないかと不安を感じるほどでした。先ほどの彼を見たときに感じた恐怖心とはまた別の恐怖がわたしの心に芽生えました。
とても細い道なので、彼には少し道を譲ってもらわなければわたしは前に進めません。わたしは思い切って彼に声をかけることにしました。
すいません。お忙しいところ申し訳ないのですが通していただけますか。
それまでほうきを動かし続けた彼の手がはたと止まり、そしてその顔をわたしの方へと向けました。年はわたしよりも少し上かという印象を受けたのですが、それほど離れている感じはしませんでした。一生懸命にそうじをしていたせいか、どこかこわばった表情でしたがその顔はすぐに笑顔へと変わり、そしてこう言いました。
あぁ、ごめんなさい。ぜんぜん気付きませんでした。
そういうとほうきを手に道端へと移動し、わたし一人が通り抜けられるほどのスペースをあけてくれました。わたしはありがとうと礼を述べてまた走りだしました。大きな道路へと抜ける直前にふと後ろを見てみると、彼はわたしとは逆の方向へ歩いていました。それを見て何だかとてもほっとしました。
翌日。
その日のランニングコースはどうしようか悩みました。ちょっと怖い思いをしたけれど、わたしは昨日と同じ道を走りたいと思っていました。前日よりはいく分早い時間だったのでもしかしたらその人はいない可能性だって考えられるし、そもそも毎日いるわけではないかも知れない。それにこのコースは走っていて気持ちがいいし、そして何よりもあのコース自体をわたしはとても気に入ってしまったのです。悩んだ挙句、わたしは前日と同じコースを走ることにしました。
走り始めて30分。またもその場所に差し掛かったとき、わたしは思わず「あっ」と声を出してしまいました。同じ人がまた同じ場所を熱心に掃除をしているのです。前日ここを通ったのは24:20だったのですが、今日は22:00ジャスト。2時間以上も早い時間にも関わらず彼は同じ場所に現れました。
驚きを感じる一方で、わたしは何となくこの事態を理解していました。理解というのは少し違うかも知れませんが、このコースをとおると決めた時点で何時であろうと彼がここにいるのではないかということは薄々感じていたのです。昨日の時点で彼からはこの場所に対する執着のようなつよい熱意を感じていまし、そしてわたしの直観どおりに彼に再び会うことが出来たことで気をよくしたわたしは、今日は思い切って彼にあいさつをしてみることにしました。
こんばんは。
彼は静かにわたしの方へと顔を向け、その真剣な顔を笑顔に変えながらこんばんはと返してくれました。そして彼は静かに道をあけてくれました。わたしは彼にありがとうと言い残してジョギングを続けました。すがすがしい夜でした。
その次の日も、そのまた次の日もわたしは同じ道を走り、そして彼に声をかけて道を譲ってもらいました。日に日に彼に対する警戒心がなくなってきていたわたしは、徐々に彼がなぜその場所を毎日掃除しているのか気になってきました。雨の日も風が強い日もいつもいつも彼は道を掃き続けていましたが、いったいそれがどういった動機で行われているのかわたしにはまったく理解出来ずにいました。
もう少し顔見知りになったらそれとなく話しかけて聞いてみよう。そんなふうに考え出したある日、その事件は起こりました。
その夜もいつもどおりのコースを走り、そしていつも彼が掃除をしている場所を遠目に眺められる場所までたどり着いたときにいつも様子が違うことに気付きました。彼はいつもどおり同じ場所を掃除していたのですが、彼を挟んで向こう側にこちら側へ向かって歩いてくる人が目に入りました。年は10代後半から20代前半の男性でしたが、その人は音楽を聴きながら歩いており、そして掃除している彼の後ろを邪魔そうに通り抜けようとしました。
おい!!
それまで掃除に夢中だった彼が突然大声を上げました。その声はまだ2人の表情が確認できないほど遠くにいたわたしにも十分届くほどの大きな大きな声でした。わたしは驚いて思わずその場に立ち止まりました。
音楽を聴いていた彼はその声に反応するように一瞬立ち止まり、わずかに振り向き、そしてなんと全力でこちらに向かって走ってきました。さらに掃除をしていた彼は持っていた竹ぼうきを投げつけ、彼もまた全力で逃げる獲物を追いかけ始めました。
つまり、2人の男性がわたしに向かってすごいスピードで向かってきたわけですが、わたしはひどく動揺しました。事情はよく分かりませんが、この2人が本気であることはその様子から伺えました。見る見るうちに近づいてくる2人。両者の表情が見えるようになると、今度はその異常とも言えるほど真剣な表情にわたしの体は固まって動けなくなりました。はたしてわたしがいままで生きてきた中で、これほどの形相は見たことがないと断言できるほど2人の表情はそれはそれは恐ろしいものでした。わたしはいまこの場にいることを心底後悔しました。今日は走らなければよかったと泣きたい気持ちでした。
あっという間にわたしの前まで来た2人を前に、わたしは道の端に体を寄せて2人が走り去るのを待つことしか出来ませんでした。もう早く行ってくれと思いながら2人が過ぎていくのを待ちました。そして2人は風のようにわたしの横を走り去っていきました。わずか1分たらずの出来事でした。
2人が横を通り抜ける瞬間。とりわけ、掃除をしていた彼の顔を見たのですが、いつも見せる笑顔とはあまりにかけ離れた形相はいったいどれほどの怒りを抱えたらそれほどの表情になるのか想像も出来ないほど怖い顔でした。もしこの世で一番恐ろしいものは何かと聞かれたらきっと彼の顔が思い浮かんでしまうのではないかと思うほど、それはそれは恐ろしい表情でした。
2人が走り去ったのを見届けて、わたしは彼らが走ってきた方向へと走り出しました。いつものジョギングペースではなく、わたしの持てるすべての力を出し切り、全力で家まで走りかえりました。距離にして約4km。家にたどり着いたときには疲労と恐怖で足がガクガクと震えて立ち上がることすら出来なくなりました。
翌日以降、しばらくは恐怖と筋肉痛で走ることが出来ませんでした。
もう夜にあの場所へ行きたくない。わたしはそれから2週間、走ることをやめました。あの出来事を忘れようと、毎日毎日他の事を考えながら過ごしました。筋肉痛が治り、日が経つにつれて、徐々にわたしはあの日のことを忘れていきました。
心の傷が癒えるに従い、その後のことがどうしても知りたくなり、いつも彼が掃除をしていた場所を訪れました。けれどあの日以降、何時に行っても彼があの場で掃除をしている姿は見かけなくなりました。
いつも穏やかだった彼が、なぜあの日に限ってあれほどの怒りを表明しなければならなかったのか、あの音楽を聴いていた彼を追わなければいけなかったのか、そもそも彼はなぜあの時間、あの場所で掃除をしていたのかまったく分からないことだらけなのですが、彼に会えなくなった以上、もうそれがなぜなのかは知る由もありません。
けれど当時の様子を思い浮かべたときに、わたしの中にひとつのおそろしい仮定が浮かび上がってきたのです。それは音楽を聴いていた彼は掃除をしていた彼の後ろを通り抜けようとしたのですが、もしかしたらそのことが何かトリガーになったのではないかと。もしわたしが、掃除をしている彼に声をかけずに後ろを通り抜けようとしたとしたら、もしかしたらあの追いかけられていたのはわたしかも知れないのです。そう思うと、わたしはとてもいたたまれない気持ちになり、追いかけられていた彼の行く末を案じずにはいられなくなります。
「ありのままのあなたで愛される」「そのままで大丈夫」という理屈はよく分かるよ。でも、私はありのままでいても恋人ができない。それって「ありのままでいても愛されてない」し、「そのままでも大丈夫になってない」。私の今の生き方が「ありのまま」でないのかとも疑ってみたけど、どう考えてもそうじゃない。ああいう本書いてるエセ心理学者をぶん殴りたい。
誘っても誘っても断られる。そうなったら何か原因があると思うのが健全な人間だし、それを直そうとするのが普通じゃない? 「縁がない」「見る目がない」なんて他人のせいにしてないからこそ、自分がよりよくなるためにどうすればいいかを考えたいからハウツー本だって読むし、髪型だっていじるし、ファッションだっていろいろ変えてみるし、サークルだって増やすし、方言も直すし、毎朝ランニングするようにしたし、バイト頑張って整形のためにだってお金を貯めるよ。それだけやるって結構大変なことだよ! アイデンティティを大切にとかありのままとか抽象的な理想論語ってないで、愛されない状況がどれだけ辛いのかを分かってほしい。うまく行かないからこそ悩んでるのに、人がいろいろ考えて取ってる方策を否定するな。
あなたは普通にしてれば愛されるしモテるけど、私は普通にしててもそうならないんだよ!
あなたがいくら可愛いとか愛嬌があるとか(心にもない言葉を)吐いてくれても、男の人たちにそう思ってもらえなきゃ何も意味ないんだよ馬鹿!