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はてなキーワード: 特有とは

2017-04-29

fgoの生存者バイアス

最近fgoを始めた者で、なんとかAP半減期間中に1章終えられないかなーってプレイしている。

で、最近レベリング必要アイテム諸々などで(他の要因もあったらごめんなさい)「レベル上げしやす設計にしてもらえないか」っていう話 vs 時間をかけれない奴はプレイするな!運営はちゃんと前から言ってた!という古参?勢の争いを見かける。Twitterでもはてブでも。

もちろん長くやってた人はすごいけれど……「運営批判するのか!」みたいなのを見てると「見事に生存者バイアスかかってる……」って思う。オタク特有ダブスタだーとか。

小児性愛者と社会

ロリコン(ここではわかりやすネット用語を使う)は"そこにいる1人"を内面で愛せない人だよなぁ。要は愛のかけらもない人。

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人間誰もが1020年経てば自動的子どもではなくなる事実があるわけで、人としてそことどう向き合うんですか?という話。

いくら内面が好きでも対象大人になって好みではなくなった時、結局は外的要因あっての内面、もしくは子供特有の何かに惹かれてたんだなと教えられる。

それは必ずしもそこにいるその人である必要はない。子どもなら誰でもよく、それは愛しているとは到底言えない。

しか子供らしい内面や外見が純粋に好きなのであれば、男女間で差が出るのは不自然だ。(小児性愛かつバイセクシャルの方を除く)

から取り入れる子供らしい体の造形がロリコンにとって心地よいだけだ。

または子供らしい無邪気な関わりが自分にとってのなんらかの穴を埋めているのだろう。

全ては自分のためで、相手幸せになってほしいなどという思いはただの副産物薄っぺらものに過ぎない。

ロリコンが誰かを愛してますなんて言葉根本的な矛盾を抱えているんだなぁ。

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無意識に脳が子供を求めているのだから、その原因は単にロリコンの子時代にあったと考えるのが自然である

人間自分に足りない何かを補おうとする性質がある。

例えば悩み事があれば聞いてくれる存在を欲しがる。

今では一人でもやもやを吐き出すためにネットという存在に手を出す人も多い。

ロリコン自分の子時代になにか言えない、なんと言えばいいのかわからない穴を抱えているのだろう。

子ども時代何か大事ものを落としたあげく、いろんなところでエラーを出しながら他人を愛せない、信用できない人になった人の一部がロリコンなのであろう。

その原因は、その人を育てた親かもしれないし、友達かもしれない。はたまたこの社会かもしれない。

因果関係は非常に複雑で、何百もの要素が絡み合いこの結果が生まれていると思う。

他人感情もわからないほど混乱し自分しか見ていない大人が、何も知らない子供を狩る物騒な時代は、ただ規制するだけでは決して解決しない。

狩る側の心を和らげ生きやす社会へと変えていく意識と、狩られる者たち(親と子)が事実(両者の想いや考えを)をしっかりと認識することが重要

まずはこの国の一人一人が、自分と切り離して単なる偏見避難批判、同情するのではなく、自分、そしてロリコン被害者たちに寄り添うことが必要なのだ

2017-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20170405151934

多数にモテたいってのは男の人特有の願望であって

女は自分が好きな一人に好まれたいのだよ

そら男にもそういう人がいるように女にも多数に好まれたいという人もいるだろうが

からその方がモテるよって結論から引き出すアドバイスは女には大抵的外れなんよ。

2017-04-26

選挙候補者への批判中傷ツイートとき逆効果

選挙カーによる「候補者連呼」と似た効果があり、

ウザがられながらもエコー効果をかもしだしてしまうことがある。

とくにTwitter特有ユーザ層には。

技術でぼったくれるなんて今でも客や金を出す側にバカが多いIT系特有なんじゃないの

こっちはレッドオーシャンダンピングの嵐だわ

2017-04-25

AIがこの先どんどん進化してって、人と同じような考えをし普通に人に混じって遜色ないような会話をしたりできるようになってきたら、至極単純な理由人間に反乱をしたり、愚かしい失敗をしたり、人間特有のなんらかの器官やらスピリチュアルものがあるので人間のほうが優れているとか言ったりの古き良き愚かなAIのような描かれ方している作品とかもPC棒でぶっ叩ける対象になるのだろうか

2017-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20170423115210

予算作品なのにとにかくスケールの大きな話にしようとしてて

そのために観客の想像力に頼った余韻や余白が多い映画なんだよな

オ倦怠感とも緊張感ともとれるオーソン・ウェルズ特有長回し活用したカメラワーク

書割を駆使して表現された無駄にだだっ広い豪邸のシーンが好き

面白くて印象に残る映画にはオペラのシーンがあるよねフィツカラルドとか

発達障害かもしれないか病院行け」の弊害

生きることに悩んでいる人の苦しみがネット上で吐露されると「あなたはもしかすると発達障害可能性があるかもしれません。心療内科受診しましょう。」という趣旨書き込みがなされることが多々ある。

実際に病院に行ったことで、原因不明だった生きづらさが何なのか解明する手がかりを掴む人も確かにいるはずだ。

だが発達障害というものはここ10年ほどの間で、その名前けが世間認知されていった。

その定義も特徴も曖昧難解なこの障害説明することは容易いことではないのだ。

マスメディアを通じこの聞きなれない障害を知った人々は、ネット上で絶えず繰り返される人生の悩みと、それに対し発達障害を疑う返答というやりとりも幾度となくみてきた。

俺が指摘したいのはこれによって発達障害=変人無能という誤った認識インプットしてしまった人が多いのではないかということだ。

学校に馴染めない。虐められる。

仕事がうまくいかない。職場に居場所がない。

ご近所付き合いがうまくいかない。周りから浮いている。

このような悩みに発達障害可能性を指摘する書き込みが寄せられるイメージにより、逆説として発達障害は、集団に溶け込めず一般的事務的労働をこなすことができない人間が抱える障害と捉えられてしまってはないだろうか。

集団に溶け込めず一般的事務的労働をこなすことができないということは個人的体験であり、発達障害の特徴を端的に表した事象とは言い難い。

発達障害者には特有の苦手なことがあり、不幸にもそのために悩みの語り手はトラブルに巻き込まれしまったのである

発達障害者からといって皆が皆総じて友だちがうまく作れず仕事ができず社会から孤立しているわけではない。

定型発達者の中にもうまく社会生活が送れていない人がいるように発達障害者の中にもそういった人がいるというだけではないか

悲惨な状況にいる発達障害者ばかりが可視化されてきたことで、どうも日本では発達障害というものに過度にネガティヴイメージがついてしまったのではないかと思う。

発達障害者を「協調することができず通常の業務遂行することもできない人間」というふうに捉えてしまえば、配慮して共生していこうという寛容を保つことも難しくなってしまう。

最近では変わった人や冴えない人を蔑むためだけに発達障害という言葉が投げかわされているよう見える場面に出くわすこともあるようだ。

せっかく生きづらさを抱える人に発達障害というヒントが提示されても、発達障害者として生きることが世間の好奇と侮蔑眼差しに苦しむことになってしまっては意味がない。

これから時代必要なのは発達障害者社会参画を特に知識経験のない一般人イメージしてもらうために、実際に活躍する障害者ロールモデルとして紹介していくことではないだろうか。

障害者にも感情や慈愛はあるし、彼らは彼らが持つ道理にしたがって行動しているわけで決して思慮の浅い人間というわけではない。

このことをもっと意識するべきなのだろう。

2017-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20170420024846

追記見て「ああ何に突っ込まれてるのか全然わかってないんだな」と思ったけど、情報化社会では味わえない体験になってしまったので理解できないのもむべなるかなとも思う。 検証された攻略情報あるって前提だけで、同じ初見でも地図無しとGPS付きスマホ持ちぐらい当時の子供達とのハンデ差あるんだよね。

はいえ盛ってる部分があるのも事実なので「あれはおっさん特有ノスタルジーが特盛りになってるんだ老害共め」と思って構わない話ではあるけど。

dockerやめてどうしたか

この話の続き

systemd-nspawnに移行した

以下詳細とか雑記

ファイル差分管理がそもそも不要

docker commitもdocker diffも使わないし、要らない

要らないだけならまだしも、aufs、overlayfs周りでトラブル可能性がありむしろ邪魔

イメージ差分管理ファイルシステムの層でやるのが素直でコンテナ管理にくっついてるのに違和感がある

Dockerじゃないと今までのエコシステムが云々言ってるやつ

こういう事言うやつは本質をまるで理解してないやつ

Docker特有機能をフルに使ってる奴ならまだしもコンテナ動かすだけなら何使っても変わらねーよw

Docker Hub からイメージダウンロードしてtar解凍すりゃ良いだけじゃねーか

composeだって容易にコンバート可能だし、composeで何が起きるかわからない状態で本番運用とか口にしないで欲しい

実際systemd-nspawnの今でもベースDocker Hubから拾ってきてるし、Docker使ってる奴との受け渡しも問題ない

所詮ファイルを一つにまとめたものから

やりかたは runc.io のGetting startedでも見れば?

Dockerfile いけてない

あんなんメンテしたくねーよ

Docker hubでよくわかんねーイメージ落とすときに、出所クリアになるってメリットだけだなこんなん

文法覚えるのもメンテするのも労力に見合わない

取り急ぎansibleでセットアップは済ませてる

initの管理とか考えたくねー

コンテナにしたかプロセス管理は違う方法でやりますsupervisorで云々→めんどくさいだろ!

じゃあ1プロセス1コンテナにしてマイクロサービスします→本当に便利それ?管理できる?

ログ管理は?logrotateは誰がやる?データボリュームはどこにする?みたいなアホみたいな検討し始めたときに俺は会議室を出た

「いや今はこれが主流で流行ってるから便利です」みたいな事言ってるバカが居て殴りたくなった

社内への説得

「毎週、毎週swarmが壊れたバージョンアップ再起動だのと余計な仕事増やしやがって、いつまでDocker社のβテストに付き合うつもりだクズども」

とは言えないので

「今の状況は前よりも運用負荷が高い状況みたいなので、systemd-nspawn等のシンプルもの代替できないか検討してほしい」

と言ってなんとか説得

(結局半分以上は俺が対応したが)社内のクリティカルな部分のDockerは全部廃棄した

systemd-nspawnにしたら全部が普通になる

普通に起動して、普通に終了できる。コンテナの中なのにそれを意識しないくら普通に起動する。

aufs,overlayfs等の差分管理しなければそれに付きまとう問題もない(overlayfsとか使うこともできる)

自動起動も設定もコマンドコンテナ内だから〇〇しなきゃダメみたいなやつが無くなって、ものすごく安定してる

Dockerも--privilegedつけてinitからrunすればいいって?糞不安定だし、権限多すぎだろ?capabilitiesを適切に設定しろだって

一生やってろバーカ

まとめ

結局のところ本当にこれ便利になったんだっけ?って聞かれて理由を言える奴じゃないと何をやってもダメってことが分かった

これはDockerに限らず全部そうだと思う

QiitaとかにあるDockerでこんな素晴らしくなったよって記事の大半は本質を見失った馬鹿記事

楽になるどころか厄介事を+1してるだけ

とりあえずこっちはDockerのゴタゴタに振り回されなくなって良かったよって話

2017-04-21

プログラム日本語で書けばいい気がするけど(追記した)

定期的に思うんだけどプログラムで無理な英語にせず日本語にすればいいのにって思う。

実践はしていない)

日本語で書ける言語使うんじゃなくて変数名や関数名がUnicode対応日本語書けるもの

日本語でいいと思う理由は主に2つ

○画面に表示する時

フレームワーク言語にもよるけど表示するとき英語名前から日本語名前に変換して表示って手間があるものがある。

最近見かけた例だと.NETプロパティ属性に表示名書いて表示するときに取り出していた。

最初から日本語だとそのまま表示でいいことが多くて一段手間が省ける

英語がわけわからん

まず自分英語化するとき

いい単語が出てこないとか、しょっちゅう

慣れが必要だし慣れてもなんかコレジャナイ感とかで苦戦する。

次に他の人の英語化したのを見る時。

その人の英語力にもよるけど、動詞名詞が変に混ざっていたり、sがついてたりなかったり、そもそもchildsみたいな謎の語があったり。

そこそこできる人同士でも、「私はニュアンス的にこっちの単語」「僕はこの単語のほうがいいと思う」とかある。

相手の書いたところがわかりづらいのはもちろんだけど、プログラム的に同じ意味なのにクラス関数によって呼び方違うと辛い。

かといって全員に日本語英語対応を先に渡しておいて統一しようというのは大変すぎる。

日本語だと仕様の時点で日本語で書いてるからまぁおかしなことにはそうならないはず)

そういうわけで日本語で書けば色々解決するのにって思う。

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次にデメリット

軽く調べた感じ主にこの2つな感じ。

IME」「英語圏のものへの対応

IME

半角全角を打つのってめんどい

と思うけど、実際チャットやこういう文章書いてて英語が出るときに割りと頻繁に押してる。

ほぼ無意識でやってて意外と苦じゃない。

短いとF10変換で半角にすることもあるけど、キーボードタイプカウンタとか入れてみると半角全角キーはけっこう上位にいた。

それに、なんだかんだコメント日本語で書くことが多くて、他の人と作るのならこまめにコメント書いてる。

そうなると全角半角の切り替えは普段からあるもので、あんまり気にするほどじゃない気がした。

最近じゃIDEエディタの補完が優秀だし、日本語にするにしても「最初はjから始める」とかルール入れておけば「j」って打ってあとはスコープにあるいくつかの候補から選ぶだけで全角にしなくていいかもしれない。

英語圏への対応

githubで公開したりとかライブラリ再利用してもらうとき日本語じゃ使ってもらえない。ってことみたい。

私が日本語にすればいいじゃないって思ってるのは、ビジネスロジックというかそのアプリケーション固有名詞みたいなところ。

「足し算」って関数名は 「add」 でいいと思うし、配列のそれぞれは element とか item とかそういう一般的英単語でいいと思う。

具体例がいいづらいけど、業務システムで表示する金額名前とか、日本語独特なものとか、一般的単語じゃなさそうなの。

こういうのを日本語にしたいってわけなので、ライブラリ的な共通なところは英語で良いかgithubで公開する範囲英語のものでいいと思う。

ただ、最近はやってるマストドンとか、ライブラリ的なものじゃなくアプリケーション自体githubで公開する場合はできない気がする。

でも、海外対象にしてるものだと日本語特有なせいでわかりづらい英語になる苦労とか少なそうだしそういうのだと英語いいんじゃないかな。

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長くなったけど、まとめると、

業務システム固有名詞とか日本語特有ものとか無理に英語化してよくわからないことになってり、見づらくなるくらいなら日本語使えばいいんじゃないかな

ということ。

まあ思ってる割には実践してないので、やってる人がいたら良かった・悪かったとか聞きたいなと思ったのが書いた理由

追記


帰ってきたらすごいブクマついてた。

色々意見あってとりあえず感謝

絶対自分でやってから言えよ」みたいな意見来るだろうと思って今日の空き時間日本語行ける言語調べたり軽く日本語使ってコード書いてみたので、そのあたりと目についたコメに答えてみる。

まず、思いの外日本プログラミング言語上げてる人がいたので、うまく伝わってなかったぽい。

具体例上げずにサッと書いたらからかな。

あと自分もわりとするけどタイトルだけ見て中身見ずにコメントしてた人もいるだろうなー。

日本語で書ける言語使うんじゃなくて変数名や関数名がUnicode対応日本語書けるもの

これが、などしこやひまわりや、BF系のmisaやら北斗のあれやらうにゃーとか色々な「構文など最初から日本語を前提とした言語」ではないってこと言ってた。

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日本語かえる言語

最近の主要な言語ならだいたい Unicode 対応でしょと思って環境があった言語を試した結果はこうだった。

JavaScript/Python/PHP/Scala/Kotlin/C#/Go/Swift

これらは日本語変数作れた。

rust と Lua は無理だった。

rust は確か前に、変数名が ascii 文字だけなことに日本以外のどこかの国からUnicode対応にしてって多くの要望あったみたいな記事があったし将来的に対応するんじゃないかなって思ってる。

実際に今どんな状態かは知らない。

その記事コメントとかでみたけど、日本語以外は割りと自国言葉を使ってたりするっぽいね

(正確なデータはないか信憑性はあるとはいえないけど)

VBA を上げてる人がいたけど、私はそこまでのはみたことない。(幸せ者っぽいな)

稀にエクセルマクロいじるときに使い方ググってて出て来る、解説してるページで関数名が日本語なのをたまに見るくらい。

パット見なんか気持ち悪い感はあるけど、読んだときのわかりやすさはけっこう大きい。

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○使ってみて

大規模案件に使ってみてこその問題もあるだろうけど、簡単スクリプト程度のを日本語にしてみて気づいたこと。

割といける。

全角半角キーPHP の $ より楽。

PHP言語変数は全部$からはじめないといけない欠陥言語

まあ変数のみのgrepのしやすさや予約語キーワード変数名に使えるからメリットもある。

だが、$って打ちづらい。

Shift+4ってすごいつらい。

に比べて全角半角キーってちょい遠いけどそこまで苦痛じゃない。

ふだんから多用してるキーなわけだし。

ただPHP日本語の組み合わせは相性悪い。

$は半角でその後に日本語から手間が多すぎる。

それ以外の言語だと、IMEのおかげでかなり楽。

GoogleIMEだけど、多少のタイプミスは補完で修正してくれるし、予測変換が優秀だし。

IDEいから補完機能のない軽いエディタで書くようなときなら、IMEのおかげで英語変数名で書くより速度は早いと思う。

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少し前に知人から言われた日本語デメリットを思い出したのでそれも触れとく。

仕様変更言葉変わったとき日本語だと全部書き換えないといけないよ。英語だと別にそのままでいいし。」

英語からない人が、英語言葉とみなさずただの記号として考えてるから、っていうような発言

仕様変わって変数名まで変えるのは面倒なのはわかるけど、あとからコード読む人が英語で見て意味不明になる。

英語日本語対応コメントに書いたとしても、全然意味の違う英語があるのは混乱でしかない。

こういう考えの人がいたら本当にやめてほしい。

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あとは気になったコメントについて書いてく。

表記ゆれとか方言とか言い回しなどについては、全部日本語にするとあるだろうけど、私が想定してるのは直感的に英語にならないような固有名詞とか。

DBの項目名日本語っていうのは私の思ってるのと近い。

年金の例も○○年金というのがいろいろあって、全部英語だと嫌になってくるしよくわかる。

こういうのを日本語にしたい。

なので年金額を取得する関数で「年金額を取得する」「年金額を取得」「年金額を取り出す」とかの表記を迷うんじゃなくて「get年金額」でいいと思う。

こういう単語だけだと表記はそれなりに揃うと思う。

特にDBにある項目だと仕様とかで先に言葉が決まってることが多いだろうし。

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見た目について。

見た目が残念とか見づらいというのは同意

ただそれ以上に読んだときのわかりやすさが大きいと思う。

見た目が悪いというのも全部英語っていう前提があるからで1ヶ月も日本語コード見ればなれるんじゃない?って思う。

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へとヘ

これはありそうな問題

ただ、IDEを使う前提なら未使用変数エラーとか、選択したときに色が変わってないとか、割と気づけると思う。

lとIとかアルファベットでもあるけど、IDEや高機能エディタ使うと困ることはほぼなくなった。

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ローマ字

私が日本語にしたいような固有名詞ローマ字化してるプロジェクトにであったことはある。

やすい語は見やすいけど、見づらい語は圧倒的に見づらい。

それにローマ字のほうが「ん」でnは1つか2つかや、ヘボンorローマ?という日本語より表記が揃わない問題ある。

特にローマ字場合自分キーボードで打つ方じゃないと書きづらいのでそろえてもらうのに抵抗がある。

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ラバゴス化・日本が遅れる

海外向けとか海外の人と一緒に作る系なものって最初から英語で困らない単語ばかりだと思う。

そういうのは対象外

今回いいたいのは、元から日本しか対応してないような業務システムなど。

そういったところの固有名詞日本語になったからって、困ることはないはず。

もともとガラバゴスなわけだし。

日本しか使われないもの海外向けにするにしてもフルスクラッチで作り直すことになるようなもの

こういうのは日本語化いいんじゃないかと思う。

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テスト

テストだと日本語が使ってる人多いのかな?ブコメスタートップだし。

とりあえずはテストから使い始めてみようと思う。

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長くなったけど参考になる意見もいろいろあって助かった。

2017-04-19

マスクマナーと社交不安

春、山にはいろんな人が来る。非日常を味わいたくて、現実逃避先として山にでも行ってみようと思う感覚はよくわかるし、それ自体全然悪いことじゃないんだけども。

現実が嫌になって、どこにも居場所が無くて、自分が嫌いになって、人と関わるのが嫌になって、山へ行く。ところが、それなりに身近な山というか、整った登山道があるところなら、意外に人と遭遇するし、山特有の対人距離の近さ、密度ってもんがある。

街中じゃすれ違う人となんて挨拶しないもんだけど、山道は違う。田舎に近い感覚とでも言おうか、とりあえず挨拶するのがマナーってことになってるわけで。

そんで、このまえ歩いてて感じたんだけども、マスクしてる人で挨拶をしない人がやたら多いことに気が付いた。最初花粉症で体調が悪い、つらいのかな?って思ってたんだけど、どうもそういうわけではないような。花粉症の人がわざわざ屋外の山に来て、体調が悪いって考えづらいし。体調が悪い、鼻水が止まらない、目が充血してる、声が出せないとしても、すれ違う時に目を合わせない、強引に無視する、会釈すらもしないって理由としては弱いでしょ。あー、人を避けてるんだ!って思ったらすごい納得できた。それが若い人、1020代の多感でデリケートそうな時期の人では全然なくて、それなりにお年を召してる方に特に多かったので驚いた。もちろん個人の感想で、サンプル数も少ないし、偏見は混じってる。あー、これがマスク依存症ってやつか、って思った。そういう人と対峙した時の、こっちの不安感、居心地の悪さ、後味の悪さがハンパなかったわ。

山は無職ニートオタクコミュ障でも誰でも受け入れてくれる場所だ。挨拶ってそういう場所で、お互いを認め合うっていう最低限のマナーでしょ。見知らぬ人と形式的挨拶すらできないってそれなりに重症だな、と心配になった。別に挨拶返してくれなかった、って怒ってるわけじゃないんだけど。

まー、そういう知らない場所で、知らない人と挨拶交わしてるだけでも和らぐ対人不安ってあると思うので、みんなが挨拶できるようになるといいねってことで。山じゃなくてもいいけど。

山は好きだけど、「山はいいぞ」と気軽に他人に勧めてまわらない人もいるんです。責任とれないからね。行きたい人が勝手に行ったらいいと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170418223633

この

分かるは

っての、みんな素で間違っているのかネット特有のわざとやっているのか気になる

2017-04-18

20170406_ミュシャ

ちょうど仕事の谷間も時期だったので、衝動的に有休を取って平日の昼間に六本木国立新美術館まで行ってミュシャ展を観に行った。

連休にぶつかると混雑は必至なのはわかっていたので、そうなる前に観に行きたいと思って行ったのだが行って正解だった。

はいえ、平日にも関わらずそれなりに人が多かった(ちょうど草間彌生展も同時開催してたので、そちらの客入りの影響もあったのかもしれないけど)。

少し前のNHK特番を見て予習したのだが、やはり生で観るのとでは迫力が全然違った。

まず、ミュシャの画風がスラヴ叙事詩とそれ以前(パリポスターとか広告絵を書いてた頃)で全くの別人のようで大変驚いた。

スラヴ叙事詩はそこに描かれた苦難の時代を生きるスラヴ人眼力の凄まじさに、まさに射竦められる心地がした。

「残りの人生スラヴ民族のために捧げる」というミュシャのの真摯姿勢が感じられた。

一般的ミュシャイメージといえば、パリ時代サラ・ベルナール舞台ポスター代表される作品群だが、これはこれでもちろんよかった。

花と女性四部作に描かれる女性官能的だけど、決して下品ではないエロティズムが魅力的だった。

「花と女性」だけでなく、宇宙的なモチーフ(太陽・月・六芒星星座)も取り入れられてるのも特徴的だった。

故郷チェコ(当時はチェコスロヴァキアか…)に戻ってからパリ時代ポスター画みたいな作品をいくつか描いているが、

そこに描かれる女性は少し趣が異なる、スラヴ系特有の丸顔が特徴的だった。

朝の10時半頃から昼過ぎの14時までゆっくり鑑賞することができて満足した。

帰りは遅めの昼食を東京ミッドタウンの中の店で採った、新宿にもあるだし茶漬けえんで冷汁を食べた。これは美味しかった。

後はついでに近くにあった日本酒ショップで取り扱ってる日本酒三種の試し飲みセットを注文したがこれは正直微妙だった。

保存のせいなのか…どれも苦味が気になってしまい味に違いがあまり感じられなかった。

http://anond.hatelabo.jp/20170418200124

ざっと眺めてみたけど、ここはよくある本流の「互助会」とは違った空気を感じる。

カルチャースクールとかPTAとか女性サークル特有のお付き合い流儀の延長では?

http://b.hatena.ne.jp/entry/yutoma233.hatenablog.com/entry/2017/04/18/073000

himako13 田舎年収300万レベル生活だと、都内だと600万は必要かと。高望みしているわけでなく、都内に限って言えば600ないと必要最低限の生活はできません、普通にユニクロだしブランド物など手が出ませんよ。

こう言う人よくいるけど、何の差なんだ??

家賃電車賃については田舎では必須の車で相殺されるし

物価と言ったってスーパーの品の値段っそれほど変わらんでしょ

600万でブランド一つも買えないって都会特有の浪費せざるを得ない何かがあるのかな?

都会に住んでるけどわからん

2017-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20170417221924

いかにも春から環境が変わった若者特有

なんとなく上の人を否定してかっけーwwなタダのイタイ文章じゃん。

逆にこれでなんの目的で何を釣ろうと解釈できるんだ。

中二病小説に変な勘ぐりとかやるのと同じように、いちいちこういう手合を真面目に考えてたらキリがないぞw

すまんトラバ先間違えた。

12日夜よりマストドンやってみた感想

4月12日よりマストドン参入。最初システムがよくわからず、辺境のよくわからんところでフランス語イタリア語かよくわからんそのへんの言語のなかで孤独な2バイト文字の戦いを繰り広げていたのだが、ものすごく楽しくなかったので、そのときちょうど開設されたピクシブ運営の例のインスタンスアカウント開設。

あの場所に関してはわりと最初からインターネット老人会雰囲気はまったくなく、ものすごい勢いで絵が流通していた。しかロリ絵とかショタとかふたなりとかリョナとか、まあ基本的にあまりおおっぴらにできない趣味の絵が非常に多かった。というよりロリ率の高さはまさに異常。高速美少女回転寿司なんて比喩があったが、高速すぎてなにも見えないうえに、意を決して手をつっこんでみたらロリ寿司しか当たらないよっていううれしい♡世界

まあ運営ピクシブということで、平均年齢は非常に若い感じがした。十代後半から二十代前半までというところだろうか。なおこれを書いてる増田は相当のおっさんであるもよう。

もちろん若い人、というかピクシブ由来の参入者ばかりではなく、俺のように「とりあえず新しい場所から参入してみた」という人間もいるだろうし、ちょうどjpが落っこちてるタイミングだったので、ひとまずマストドン始めよう、ここでいいかみたいな感じでアカウント取ったインターネットおもしろおじさんも相当数いたようだ。

これらが一度に一箇所に飛び込んだものから、そりゃもうすごいありさまだった。いくらなに突っ込んでも鍋は鍋でしょって言ったって、だれがチョコぶちこんでいいって言ったんだよみたいなそんな状態。印象としては「ツイッターが取りこぼしたもの」が濃密なごった煮になってる感じだった。たとえばそれは嗜好性の強いエロ絵。すでにコミュニティが確定してしまったツイッターという場で新しいものを得られなくなった人々。

とにかくローカルタイムライン存在は強い。もちろんかつてはツイッターにもあったものだけれど、これが高速で流れていくことのなによりの感動は「回線の向こうにも無数の人間がいて、日々生きている」ということが可視化されるということだ。もうインターネットやって20年近くになるけど、俺が求めていたのは常に「自分は一人ではない」ということだったような気がする。一人ではないということは、二人になりたいということでは、実はない。たくさんのうちの一人であることは、とても安心感のあることだ。

新しい場所では、人は新たな関係を築こうとする。その結果が大量のふぁぼやフォローとなってあらわれる。てきとーに連投してればふぁぼやフォローいくらでも増えていく。といっても、そのふぁぼやフォローは「相手に知ってほしい」からするものというのとは少し違う気がする。これこれこういう場があって、自分はそこにいる。ほかの人もそこにいる。「あるある」とか言いながらふぁぼをする。いってみれば、場を共有していることに確認のためにそれをするような気がする。

これが日本特有なのか、あるいはほかの国でもそうなのかは知らんけど、こういうがらんとした空間人間を閉じ込めた場合、人はまず「ここはこういう場所である」という設定から入る感じがする。共通ジャーゴンの発生がそのあらわれだ。今回のpawoo鯖の場合、非常にタイミングよく、他のインスタンスから遮断されるという、より「この場」を定義やす事件が起きたことも大きい。

そして「なにもない場所」に人が集まる。このとき通貨として使用されるのがふぁぼやフォローである感じがした。

いま、その状況はすでに落ち着きつつある。ふぁぼの乱舞や場の確認行為のあとに続いて多く見かけるようになったのは、あいさつである。「フォローありがとうございます」などの。通貨はよりコストの低いものとして流通しはじめる。

おそらく、これを書いている段階で、初期の狂騒はすでに終わっているのだと思う。残念ながら俺はおっさんである。ミクシからニコ動ツイッターやら、ほかいろんなサービス消長というやつを見すぎてきた。

なんというか、ドッグイヤーどころの騒ぎではない。すでに随所で見かけている感想ではあるが、SNSの発生から隆盛、そしておそらくは衰退までも、超高速でやらかしている感じである

個人的には、ローカルタイムラインがきちんと機能している限りは、マストドンは、そこそこは楽しい場所であり続けると思う。できれば、そうあってほしい。

ピクシブインスタンスを作った時点で、これは企業主導でやるしかないだろ、というようなことをすぐに思った。素人の戯言ではあるが、個人的には、さまざまな企業が自社文化親和性の高い人間をどんどん囲い込むためにマストドン有効ツールだと思う。逆にいえば、特定企業が作ったインスタンスに集う人たちが、ローカルタイムラインになにを放流するのか見てみたい。ドワンゴやらfc2やらいかにもな企業が作ったものよりも、たとえば新人物往来社とかオーディオテクニカとか「え? そこ!?」みたいなのが見てみたい。あと、はてなインスタンス想像するだけでクソ濃密そうなので別にいいです。あったとしても、俺は逃げる。

2017-04-16

マストドンって西側文化圏プロダクト

開発者がloliやshotaという言葉を使っているのを見て、

ロリショタといった日本特有略語世界共通語になっていて爆笑した。

ロリショタ性的コンテンツが大量に垂れ流されているせいで、(pixivとか)

日本マストドン連合からシャットアウトされそうな流れに苦笑いした。

あと、pixvに人が集まってるようだけど鯖代どうすんだろと思いをはせるのであった。

2017-04-14

一部の発達障害と「共感」する力について

発達障害のある人の手記を読んで思うこと

「私が」ではなく、「周囲の人が」困ったり、迷惑をする時の感情に思いを馳せる力。それはすなわち、他社の感情に寄り添う「共感力」に他ならない。

これは「定型」発達者が、成長の過程でおのずから身につけてゆく力だ。

最近は、職場発達障害の疑われる同僚に接するようになり、障害の様々な態様について関心を持つようになったのだけれど、

そんな中、発達障碍のある人の手記を読むと、この力がポロリと欠け落ちているように感じられることがある。

「私」がこう思った。「私」は、こんなふうに苦労した。だから「私」は今、こんなふうな生き方をしている、等。

論証の視座が自己に偏っていて、どこか一人称小説を読んでいるような気分になる。

特にアスペルガー症候群と診断された人の手記には、この傾向が色濃く出ている。

ex.

アスペルガーの私が、マルチタスク命!のコンビニで働いた結果…」

https://h-navi.jp/column/article/35026205

 →著者ヨーコ氏の他の記事も参照

申し訳なさ」が成長・発達を促す

敗れた側のスポーツ選手はいう。「こんなに応援してもらったのに、応えられなくて申し訳ない」と。

オリンピックワールドカップで、また欧州サッカー選手監督がそういった反省の弁を口にしているのを見ることがある。

から、この「申し訳ない」という感情は決してこの国特有のものではないのだろう。

そして、このような反省悔恨を述べた後、選手監督が次に口にするのは「だから、次はもっと努力したい」という言葉だ。

このとき申し訳ない」気持ちは、周囲に迷惑をかけないために、または、誰かの期待に応えるために、その原動力として働くようになる。

こうすまい、ああすまいと、「自分以外の誰か」にとってよくない結果を避けようと努力し、自らを発達させるエネルギーを生み出す。

自分のせいで落胆したりや辛酸舐めることになる他者への共感=「申し訳ない」という感情が出発点となり、人は成長・発達を遂げることができる。

共感力を伸ばす

こんなことを書くと、発達障害で苦しんでいる当人に、さらに罪悪感を持たせようというのか、という意見もあるだろう。

それは確かにそのとおりだ。

このような「申し訳なさ」に至る=気づくためのメソッド治療方法があるとしたら、それは前出のような手記を書くことのできる状態発達障害のある人にとって望ましいものだろう。

少なくとも、自分がこの世に存在することが申し訳ないというような、極度の抑うつ状態にまで達している発達障碍の人には、すでに禁忌である

私のような素人が、決して軽々しく日常生活に応用していいものではない。

しかし、こちらもまた感情ある人間であって、ふとした瞬間に、相手に対して非難いたことばを掛けることを制御しきれないのも事実だ。

ここで主張したいのは、こういった発達障害のある人から申し訳なさ」を引き出すような問いかけ・コミュニケーションを一概に否定するのではなく、

時には負荷をかけることが有効場合もあるのでないか、ということだ。

罪悪感という負の感情を克服するために、克服したいという意思を持つがゆえに、人は自らを発達させようともがく。努力する。

申し訳ない」という感情に含まれる、他者存在距離を感じるところから視野が拓かれ、自らの発達障害に深い理解が及び、ひいては、その克服に至ることがあるのではないか

以上のようなロジックで「申し訳なさ」を引き出すことが発達障害のある人のためにもなるという主張をしてみたいと思う。

なんでこんなことを考えざるをえないか

望むべきは、私自身がもう少し発達障害の疑われる同僚に気を使ったり、自らを押し殺したりすることなく、時に軽やかに時に遠慮なく、モノを言えるようになることだ。

発達障碍のある人の周囲の人間の負荷。

まったく陽のあたらないこの負担を担ぎながら、私もまた、私自身を視座の中心に据えて、こんなレントシーキングまがいの呟きをしている。

発達障害を望ましい個性であるとか、多様性の発露であるかいった主張だけは受け入れられない。発達障害が克服・改善されない限り、かならず誰かが負担をこうむるのだから

以上。徒然おわり。

2017-04-13

ナチュローのたまごサンドが好きだ。

ナチュローのたまごサンドが好きだ。

どれくらい好きかっていうと、サンドを包んでいたビニールについたたまごを綺麗に舐めとりたいくらい好きだ。

ふわふわ食パン

揺らすとぶるぶると震えるほどたっぷりと入ったたまご

鼻に抜ける、一歩間違えたら「くさい」に分類される濃厚なにおい。

まらん。

春ということで、ランチ最近オフィス近くの公園で食べている。

食べるのはもちろんたまごサンド

年明け早々寝過ごして終電を逃し、タクシーおっちゃんにいか自分が哀れか、金がないか、ここからどれだけ遠くに住んでいるかアピールし、媚を売り、それでも「あーそーなんだねー」と流され続け、

泣く泣く諭吉差し出した(当たり前)、当時はまだ23歳だった私が見れば

「おい弁当はどうした?」「断腸の想いで手放した緒川先生サイン入り漫画は?※1」と

ぶん殴られるだろうが、24歳となった年長者だからこそ言えることもあるのだ。

パタゴニアフリースダボダボチノパン履いてる女に媚を売られて鼻の下伸ばすじじいがいるかよ」

公園に話を戻そう。

千切りキャベツ冷凍コロッケと白米の入った私の弁当を見て、何か言わなきゃ気が済まない先輩も、

(「ずいぶん大胆なお弁当だね〜」)

こちらが舌打ちしてもかき消されてしまうほどデカい音でタイピングをする上司も、

(バチバチ、、、バチバチバチ、、バチバチバチバチ、、、バチッ「Enter」)

無駄コミュニケーションを取りたがる社長

(「なに食ってんすか」)

ここにはいない。

代わりにいる奴らがいる。

私のランチ仲間を紹介しよう。

「鳩」、「(鳩のケツを追いかける)クソガキ」、そして「自転車おじさん」だ。

春が鳩にとっても「春」なのかは知らないが、奴らは常に3羽で行動している。

まずはじめにやってくるのはやたら黒ずんだ(多分)メス。

正面に座って、じっと見つめてくる。

初めて会った時、片足しかなくて大好きなたまごサンドをうっかり与えそうになったが、

ちぎった瞬間二足歩行で突進してきたので、思わず「殺す」と言いそうになった。

から女って嫌いだ。

続いてやってくるのはそいつ狙いの(多分)オス。

特有の気味の悪い緑がかった光沢のある首を膨らませ、「ホホホホー」なんて言いながらメスのケツを追いかける。

そして3羽目も(多分)オス。

ただこいつはオス①の子分のようなポジションで、金魚の糞のように①の後ろをついて歩くだけ。

彼らは食べ始めに1度、思い出したように中盤に1度、そして食後に1度、必ず挨拶に来る。

律儀な奴らだ。

そんな奴らを狙っているのが「クソガキ」だ。

めちゃくちゃ短いズボン制服を着た、目玉親父もびっくりの4頭身。

にしても子どもというのはどうしてこうも視界が狭いのだろうか。

いや、決して将来展望とか思考について語られる時に使われる「視野」ではない(なんせ奴らは人間未満だからだ)。

ここで言う視野とは生物学的な意味だ。

鳩を見つけたら、鳩しか見えない。

黒目を3mmでも動かせば、たいそう旨そうにたまごサンドを頬張る私という人間が目に入るはずなのに、見えない。

生物自分よりも強い奴からは逃げるという習性があるんじゃないのか。

まず、食べ物を持つ私は「与える」側なので、間違いなく鳩より格上。

そして、追いかけ回して相手にとうてい手の届かないところへ行かれてしまうクソガキは、

間違いなく鳩より格下だ。

まり、私>鳩>クソガキという勢力図がここにできあがる。

しかし、クソガキは私から逃げなければ、恐れることもない(いかにも自分を嫌いそうな生物(私)が近くにいたら萎縮するもんじゃないのか)

なぜなら、見えない気づかない怖くない、からだ。

(予定は一切ないが、自分の子どもにはこの3つの「ない」は言い訳にならないことをぜっっっっっったいに教えよう)

さて、そんな「私に萎縮しない」鳩を見つけたクソガキが何をするか。

答えは簡単だ。

いかけ回す(地面を歩くアリを潰すように、地面を闊歩する鳩を追いかけるのは、子どもの性らしい)。

ダッ(クソガキが鳩を脅す)

バサッ(鳩が飛び立つ)

「△u*○あ□x△※くsっ!?」(わたし

この瞬間、つい3秒前までの私が信じていた勢力図が一変する。

間違いなく私はこの3者からなるヒエラルキーの最下層へ転落する。

そして「満足にたまごサンドも食べれないランチタイムなんて…」

と、悲劇のヒロインに甘んじるのだ。

そんなどうでもいい勢力抗争に一瞥すらしない人物、それが「自転車おじさん」だ。

おじさんは、いつも公園桜の木の下で自転車の修理をしている。

それもいつも同じ自転車だ。

春とは言え、まだ吹く風は肌寒く感じるなか、おじさんはいつも半袖を着ている。

自転車の後ろのカゴには空気入れとボコボコアルミバケツが積まれていて、

蛇口で水を汲みながら、器用に(そもそも何を修理しているのかわからないが)タイヤをいじっている。

その作業を私はぼーっと眺めながら、

ホームレスはみんなチャリンコ修理できますよ(関西弁)」と真顔で言っていた先輩を思い出すのだ。

このおじさんはホームレスなんだろうか。

修理はどこで学んだんだろうか。

なぜ一回で修理を済ませられないんだろうか。

いつもいるということは、まさかここが家なんだろうか。

それにしては空気ポンプバケツとは軽装備すぎやしないか

どこでお金を稼いでるんだろうか。

自転車はおじさんをどこへ連れて行ってくれるんだろうか。

というか自転車のカゴでかすぎないか

子ども一人は簡単に入りそうだ。

まさかクソガキの誘拐を目論んでいるんだろうか。

私がここに来なくなったらクソガキに危険が及ぶんじゃないだろうか。

etc


こんなしょうもない妄想をするのが、ここ最近ランチタイムの楽しみだ。

そして、私の妄想収集がつかなくなった時、

おじさんが修理を終えた時、

クソガキが鳩に満足した時、

鳩がパンを飲み込んだ時、

公園はまた静けさを取り戻す。

くぐもった鳩の鳴き声も、クソガキのランドセルについた鈴の音も、私がランチの入ったビニール袋を漁る音も、おじさんがタイヤクルクル回す音も、一斉になくなる。

残るのは春風に舞う桜の花びらだけ。

※1 人気BL作家

世界もの習作

コンビニ冷やし中華を肴に「いいちこ」をストレートで飲みながら、くだらいない深夜番組を見ながら寝入ってしまった。

アルコールの脱水症状特有の喉の奥に皮膚が張り付くような渇きを覚えて目覚めると俺は異世界にいた。

なぜか、野外の石畳の地面で寝転がっていたので体の方々が痛い。

深爪しすぎた親指の先が石の角に食い込む絶妙の配置が殊更によく効いていた。

特に兆候はなかった。

強いて言えば便秘と、花粉症のためか目がかゆいことぐらいが普段とはちがっていたが。

そもそも俺は常にぼんやりしてなんとなく生きているのであまりかいことに気を配っていないのだ。

そんな俺でも、異世界にたどり着いていしまったという確信を持っている。

目の前に三人の肌が緑色小人が立っているのだ。

小人人間そっくりの笑顔を作っていた。

小人のひとりがaと名乗った。

aの使う言葉がわかることには少し驚いたがこんなものかと思うことにした。

言葉はわかったが、俺には学がないので話の内容がほとんど理解できないでいた。

三回ほど話を聞きなおしたところによると、彼らと虫の狩場をめぐって抗争があるらしい。

わかりはしたが、そんなことをこちらに伝えられてもどうしてよいかわらない。

三人の小人の一人は終始俯きながら小声で引き笑いをする陰気な男で右腕が欠損していた。

彼の話す声は蚊の羽音に似た小さく細い声だった。

片腕の小人小人の雌とおなじく、敵対している勢力の特徴を語っていた。

俺の理解では彼らの敵対勢力は野ネズミらしい。

それにしても俺はこれからどうすればいいのだろう。

目の前の小人が言う程度の野ネズミなら腕立て伏せのできない俺でもどうにかなるのか。

ネズミを退治すれば小人たちは俺を養ってくれるだろうか。

何も決めないままずっと曖昧な笑みを浮かべていると、aと目が合った。気まずい。

俺は野ネズミと戦わないといけないのだろうか。

2017-04-12

今更ながらけものフレンズを全話一気に見たんだが

けもフレ視聴前のぼく「最近アニオタどもがやたらけもフレ面白いだの名作だの騒いでるのが目につくが、

流石にこれが名作なんてネタだろ?

いやいや、大体なんだこの作画は。低予算幼児向けアニメかよ。

またあれだろ?どっかの弁護士を崇めて馴れ合ってるようなオタク特有の変な文化なんだろ?

ったく最近アニメオタクは軟弱なものだな。まーた意味わからんもん流行らせやがって。

まあ、これが名作なわけはないけど、ちょっと冷やかしのつもりで見てみr……」

けもフレ視聴後のぼく「ほんまや……」

って感じになったわ

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