はてなキーワード: 完璧とは
幼児期の子供は、世界についてあまりに知らず、力の及ぶところがなく、大人によって支配されているので
「この世界は完璧に明文化されたルールによって運営されている」
と考える
しかし大人になると実は明文化されたルールはごく一部で、その都度人々の裁量で決まっているという事に気付く。
コレが大人になることの一つだと思う
しかし一部の未成熟な人々には未だに世界は「完璧な場所」であり
明文化されてないものなど一切なく、あらゆる特異なシーンでも従うべき法がある
と考えている
だから身体障害者やマイノリティーあるいは一般人が何かを訴えると彼らには
として映るのだ
一つの劇場で何人かのスマホ画面がエンドロール中に目に入った。
それだけで「今日の映画体験がぜんぶ台無しになった!」とか感じてるなら、さすがにデリケート過ぎると思う。
群衆の一部がコントロールできないのは天災扱いであきらめようぜ。
数千円で観るのを諦めてスクリーンを貸し切ろう。
弊社の社内で手当つく資格にITパスポートとFE(基本情報技術者)あって
そこら中のおっさんに「ITパスポートが必要勉強量に比べて手当バカ高いぞ」って布教してたら
半年くらいでITパスポートとFE取ることに成功した非IT系のおっさん出てきたよ
はしか(以下、麻疹)は大人がかかると危険性が高い感染病だ。現在は子供の頃にワクチン接種が義務になっているが、どうも23歳以下からは2回接種になったようで24歳以上は1回なのでもう一度打つべきらしい。
しかし経験談や周囲の話を聞いても親世代が麻疹をここまで怖がっていたような話はなかった。
自分の親は60代だが50代、70代の方にも聞くと危険性をそこまで危惧していなかったし、40代でも同じくだ。30代でも親の「なにが怖いの」を見てるから危険性について正しく認識していない率は高い気がする。
予防接種に関しては51歳以上は一度も義務では接種を受けていないのに、だ。
なお結論を言うと51歳以上は子供の頃に麻疹になった経験がある率が高いから免疫があり、大人になってから感染しても危険性は低い。
麻疹への対処法や予防接種が始まり、ある程度の効果を見せて麻疹が「日本では」流行の気配が収まる。
そして一度も麻疹にかかったことが無い世代が親世代になった。しかし実はその24〜50歳の世代も完璧に麻疹を防ぐなら二度接種すべきだと知らなかった。
2000年ごろ麻疹の流行や2007年に成人麻疹の流行で大学の学級閉鎖などが話題になっているし、2000年4月に2回接種義務化が始まっているのを見ると、この1回予防接種層の麻疹免疫はもうほぼ消えているし、人々の認識と油断により一定周期で襲ってくるものなのだろうが、そこに外国人が増え、海外で流行が広がった今、また日本で流行が始まってしまった…ということなのだろうし、今後鎖国でもしない限りは収まると言ったことが無いのかもしれない。
麻疹はコロナよりも感染力が非常に高く、命に関わる率も後遺症率も高い。マスクも意味なくワクチンしか対応策がないと言う現状。さすが「現存するウイルスの中でも最も感染力が強いウイルス」と呼ばれるだけあるだろう…
「努力は報われる」という言葉がある、わたしの大好きな言葉だ、座右の銘と言っても良い。しかし悲しいかな、この言葉はよく否定されることが多い。
この言葉に対する反論として「努力しても夢や目標が叶うとは限らない」という主張が非常に多く挙げられる。本人の才能や環境、時の運といった努力以外の偶発的な因子で結果が決まるだろう、という主張だ。
だが、断言しよう、「努力は報われる」と上の反論は全く矛盾しない。反論側は「努力は報われる」という言葉を「努力すれば夢や目標が叶う」という言葉に置き換えて反論している狡い奴らなのだ(誤解している可能性もある)。
報われるとは「与えた行為に相応のことが返ってくること」
つまり、「努力は報われる」とは「目標実現のために努めたならば、相応の結果が返ってくる」という意味になる。
したがって、「努力は報われる」という言葉は「努力すれば夢や目標が叶う」という意味ではないと結論付けられる。ここで「努力しても夢や目標が叶うとは限らない」との整合性が取れることは分かるだろう。増田も、努力すれば夢や目標が叶うなんて言っているやつがいたら詐欺師だと思っている。
ではなぜこのような誤解が起きるのだろうか?
その理由の多くは恐らく、努力によって「達成可能な目標」と「達成できるか不明な目標」が混同されることに起因する。
反論側はよく「努力すれば目標が叶うというならば目標が叶っていない人間は努力していないことになるが、そんなことはありえない」という主張をしている。これ自体は増田も正しいと思う。しかしそもそも、「努力は報われる」と「努力すれば夢や目標は叶う」という言葉は異なる意味であった。そこで「努力は報われる」という意味に対して同様の反論を試みてみる。
努力は報われる、つまり「努力に対して相応の結果が返ってくる」というならば、「相応の結果として目標が叶うような適切な努力をしたならば目標が叶う」ということになる。ここで対偶を取ると、「目標が叶っていないならば目標が叶うような適切な努力をしていない」ということになる。これも間違っていないと増田は考える。なぜならそもそも「目標が叶うような適切な努力」なんてものは一般に不明なことの方が多いからだ。この適切な努力が不明な理由は、最初に述べた本人の才能や環境、時の運といった努力以外の偶発的な因子に起因するだろう。
例えば、東大合格を目標とする学生が、ある問題集を完璧に解けるように努力したとする。これによって東大に合格できるようになった者もいれば、当然合格できない者もいるだろう。後者にとってこの努力は、東大に合格するために適切な努力ではなかったと説明される。ではこの人間にとって適切な努力とは何か、別の問題集を解けるようになれば良いのか、別の科目を勉強すればいいのか、そんなことは誰にも分からない。これはまさしく「達成できるか不明な目標」と言える。
一方で、そもそも「ある問題集を完璧に解けるようになること」が目標であるならば、多くの人が同じような努力で同じ目標を達成できるだろう。これはまさしく努力によって「達成可能な目標」であり、本質的に努力に対して相応な結果であると言えるだろう。
この努力によって達成可能な目標というのは多くの人にとって忘れられがちなハードルなのだろう。簡単に達成できる目標を栄光とは呼べず、夢は叶わぬ故に夢と云う。その結果、人は努力に対して過度な幸せを期待しすぎてしまう。これだけ辛くて苦しいことを頑張ったのだからもっと幸せになれるに違いないと。実際には、苦労に見合った幸福を全員が得られることなんて当然ない。その戒めとして大人は「努力しても幸せになれるとは限らない」と述べたくなってしまうのだろう。しかしながら今一度、多くの人にこれまでの努力で得られたものを思い出してほしい、努力は必ず報われている。
【追記】
一般的にこの文章で言う「報われる」ってのは夢や目標が叶うってことだよ。言葉遊びかよ。それに努力苦労してもそれに見合う成果が得られないこともある。それは文字通り”報われてない”んだが。
現れやがったなこのダボカス自己中改変詭弁野郎がよ〜〜〜〜〜!!!!!!
俺はちゃんと「努力」と「報われる」の意味を辞書から引っぱって論じてるんだが、てめー様が言ってる定義が一般的(笑)な根拠はどこにあるってんだ、あーーーーーーーん????
なにが「文字通り”報われてない”んだが」だボケナス。俺は努力して得られてないならそれは努力に対して見合った成果じゃないって言ってんだろカスが。文章読んでねーのが丸わかりなんだよ批判すんならちゃんと文章読んでから批判しろボケナス。
それお前のストレス耐性が低いのと
お前のモノの考え方・捉え方が幼いゆえに他者から受けるストレスを増幅してしまうがゆえに
社会的地位が高くて能力が高くメンタルヘルスが健康な人ですら傍若無人に振る舞っているのに
メンタルヘルスを損なってしまった人が社会的に完璧に振る舞えることを勝手に期待して失望してるほうがどうかしてるでしょ
他人を低知能扱いできるぐらい知能が高い貴増田が、期待すべき対象を間違ってることになぜ気づけないのかが不思議でならない
(その例なら小銭を立て替えたことについてその人に催促すればいいだけの話だし)
もしも「なるはや」と書かれたメールが来たら、いつまでかを最初に確認する。
メールの文面を読んで1分後に回答が思いつくような内容であれば、回答に「次からはいつまでに回答が欲しいのか明記してください」を添えて返信する。
「向こうが明確に期限を設けなかったのだから、こっちに期限を決める権利があるに決まっているだろ」といった態度をとってもいいのだが、トラブル対応で脳が茹で上がっているとそのへんの感覚がなくなることもあるだろう。
また、世の中には生まれつき自分と他人の境界が曖昧で、「自分の考えるなるはや」がそのまま相手に伝わると思っている人達がいる。
そういう人達に対して、「障害者が社会に出てくるんじゃねえ」という態度で接するほど行儀の悪い人間ではないので、「言ってくれないとわかりません。今回の「なるはや」はいつまでなのですか?」とこちらがちゃんと聞いてあげることにしている。
俺も完璧な人間じゃなくて、他人によく色々なことを補ってもらっているのだから、俺が補ってやれる部分はやってやろうという心構えだ。
金曜日の夜に「月曜日の朝までに」といってメールが来ていたら、メールの文面を見て、完全にこちらの落ち度だったり、どうしても早急に対応する必要があることを察せられたら残業して対応する。
だが、多くの場合は「どうしても月曜日の朝まででなければいけませんか?」と返信はする。
そうして帰ってきた返答によっては、代休処理をして土曜日に出てくることも考える。
もしも返答が20分以内に帰ってこなかったら、そのまま帰るだろう。
無理な期限を頼むつもりなら、それを相手に求めることにかかる心理的コストぐらいは払って欲しい。
もしどうしても助けて欲しいなら、文面でそれを伝える努力をして欲しい。
それもしないくせに、「金曜の夜に「なるはや」なら「月曜の朝まで」に決まってるでしょ!」とあとで文句を言われても、「それならそうと書いてください。というか、そういう対応をして欲しいなら金曜の16時までに電話を入れるのが最低限のリミットだと思います」と返すだけだ。
俺は優しいから言葉にしてやるが、言葉にせずにバッサリ行く人の方が世の中多いだろうな。
基準を他人に託している時点で、相手に何をやられも文句を言う権利はない。
客が「これって何個まで食べていいんですか?」と聞いてくれること、一つ食べて満足してくれること、そういったことを期待するのが間違ってる。
世の中には生まれつき他人のことを考えられない人種がいて、彼らは精神医学的な病理によって生まれつきそうなのだから、誰かが基準を示してやる必要がある。
心のバリアフリーの一種として、察することが出来ない誰かのために、明文化したルールを用意してやるのが、発展した社会というものじゃないのか?
お前らは食べ放題のよろこびを忘れてしまった。ああ、なんと悲しいことだろう。
思い出せ、食べ放題のよろこびを。食べが放題なのだ。何をいくら食っても良い。いくらばかり食っても良いし、肉ばっか食っても良い。その喜びをお前は忘れてしまった。
原因はわからない。きっと加齢だとは思う。胃が弱り、ガツガツするのをみっともないと思うようになり、アブラを受け付けなくなり、鶏肉とブロッコリーを蒸したやつしか食わなくなり、そしてお前らは食べ放題のよろこびを忘れた。
思い出してほしい、小学校6年生。サッカーか?野球でもいい。スイミングでもいい。運動会というパターンもあるだろう。なんでもいいが、試合の終わり、打ち上げですたみな太郎に連れて行ってもらった日のことを思い出せ。そういう記憶が無いなら脳内で捏造してもらっても構わない。
まずお前らはすたみな太郎の席につく。土曜日、ランチ。値段は2580円くらいだろうか?子供はちょっと安いから1580円くらいかもしれない。値段なんて覚えていない。親が払ってくれるからだ。
まあ、お前が小学生だった頃のすたみな太郎がいくらなのかは知らないが、とにかく驚くほど安い。最近はセブンイレブンでちょっと弁当とファミチキとアイスとコーラとコーヒーを買っただけで1580円くらい行くよな。しかしすたみな太郎なら食べ放題、食べが放題なのだ。
そしてまず肉を取りに行く。すると広がっている、肉が。食べホならではのよろこびだ。何をとってもいい。大人になると、すたみなたろうに置いてある肉が、ほとんど固形燃料か、あるいはゴムかの、どちらかであることに気づくが、野球終わりの小学生にはごちそうにしか見えない。
そして山盛りにとって席に戻り、ひたすら食べる。とにかく美味い。どうやって食べてもいい。適当にたべてもいいし、じっくりていねいに焼いてもいい。ここで問題なのは、食べホじゃない焼肉屋では"じっくりていねいに焼く"以外の選択肢が存在しないことだ。なんと不自由なのだろうか。
お前は小生意気だからきっと小6にして"すたみな太郎の肉とかゴムだろw"とか言って、少しでもマシそうに見える原価の高そうな肉ばかりをとるかもしれない。
だが、そんなことをされてもすたみな太郎は痛くも痒くもない。なぜなら、すたみな太郎にとって、お前の笑顔こそが一番の報酬だからだ。ほかの食べ放題屋はそうではないかもしれないが、すたみな太郎だけはお前の幸せを真剣に願っている。お前の打ち込んでいる、サッカーか、野球か、そろばんか、プログラミングか、なんなのかは知らないが習い事の成功を願っている。そして今でもお前の幸せを願っている。お前は今、幸せか?
お前は忘れてはいけない、食べホの魅力を。たとえお前が老いから食べホに行かなくなったとしても、食べホに魅力があったことだけは忘れてはいけない。
食べホには自由がある。何をどれだけ食ってもいい。殺人以外は何をしても許される。
たまに「デザートは一人1品」とか抜かす食べホもあるが、最初に告知しているのであれば別にかまわない。後出しジャンケンは卑怯だというだけの話で、最初からルールが決まっているのなら問題はない。食べホにおまけでデザートがついているのだと解釈すれば許せないことなど何もない。
食べホの魅力は食べが放題な部分にある。「ほかの客のためにほどほどにすべき」「ほどほどにしないと変なルールができて全員が損する」「品がない」などと抜かす奴は食べホの魅力をわかっていない。品がないのが食べホの魅力だ。(ホテルのレストランがやっている「高級中華注文制食べ放題」のように品のある食べホも世の中には存在するが、そういうのは例外かもしれない)
食べ放題の魅力は、後出しジャンケンをされないところにある。明文化されているルールの範囲であればなにをやっても許されるフリーダムさこそが食べ放題の魅力だ。「俺の行為で周りが迷惑するかも」なんて考える必要は1ミリも無い。マジで1ミリも無い。
自分にルールを決める権限がありながら後出しジャンケンをするカスの資本家店長も食べホの魅力をわかっていない。「スイーツは1品のみ」「フカヒレは1皿のみ」「一度に注文できるのは5皿まで」とルールを明文化して戦っている食べ放題屋さんは今ではありふれている。実にフェアだ。隣町のスポーツ少年団をサッカーでボコボコにしたあの輝かしい日のお前のように、完璧なスポーツマンシップにのっとっている。そういう店と比べると、ルールを決める権限があるのに明文化せず、シンプルなルールでお得そうに見せかけて客を呼ぼうとするのはフェアじゃない。
確かに、外れ値というものは存在する。赤字にならないようになっているはずの食べホに赤字の打撃を与える猛者というものは確実に存在する。だから外れ値が出たときの赤字を吸収できるように、それ以外の客で収益を上げられる仕組みにしておくべきだ。人間は食べる量が一定ではない。食べるものも一定ではない。だが平均すれば一定だ。
外れ値のせいで少食の人間は損をするかもしれないが、だからと言って外れ値を後出しジャンケンで排除したら、次に外れ値として後出しジャンケンで排除されるのはお前かもしれない。
後出しジャンケンで損をするのは外れ値の人間だけではない。お前も損をする。後出しジャンケンが横行すると心理的安全性が下がり、お前のような大して食べない老人までもが食べ放題を心から楽しめなくなる。だから、そういう資本家の横暴を許してはいけない。万国の労働者よ、団結せよ!
お前は年老いてしまった。豚バラを一切れ食べれば胃もたれする肉体になってしまった。店の弱点を突き、店長が泣くまで食ってやろうというガッツを無くしてしまった。そのガッツこそがお前をサッカーで活躍させたパワーの源だったに違いないのだが、お前はそれを忘れてしまった。
それ自体が悲しいことだとは思わない。老人には老人の役割がある。老人にガッツがあっても大して役にはたたない。お前のような老人には、威厳と、少しのユーモアさえあれば良い。
真に悲しいのは、お前がガッツを無くしてしまったことではない。お前が、食べ放題を楽しみにしていたあの頃の自分の気持ちを想像できなくなっていることだ。
老いてしまった肉体は取り戻せないが、老いてしまった想像力は少しくらいなら取り戻せるはずだ。今からでも間に合う。
だからこそ思い出せ、食べ放題の魅力を。そして行け、すたみな太郎に。
すたみな太郎に行きなさい。
そしてゴムみたいな肉を食え。それに飽きたらほとんど燃料としか思えない真っ白な肉を食え。そして黒毛和牛ではなく"黒毛牛"と書いてある謎の肉を食え。黒毛牛はそれでも他の肉よりは高そうだから、黒毛牛ばかりを食え。飽きたらラーメンを食え。タフな老人になれ。サンチュを焼け。手羽先を焼け。黒毛牛を焼け。ラーメンにカレーをかけろ。そのかわりに必ず全部食え。アイスを食え。他人の気持ちがわかる良い老人になれ。寿司にラーメンスープをかけてお茶漬けを作れ。黒毛牛を焼け。そしてサッカーで優勝しろ。サッカーじゃないのなら野球でもいい。お前が優勝できないならお前の子供が優勝しろ。子供も無理なら近所のガキでもいい。なんでもいいから優勝しろ。幸せになれ。お前の幸福、ただそれだけがすたみな太郎の望むことだ。そしてドリンクバーを混ぜろ。"黒毛牛"をラーメンに乗せてチャーシュー麺を作れ。そして唐揚げを焼け。寿司を焼け。
ネットではやたら神格化されているから、よほど面白いんだろうと思って読んでみたら「?」だった。
テレビ見て芸能人に嫌味書いてるだけで、よくあるブログと大差ないよね。
雑誌の1コラムならいいかもしれないけど、まとめて読むと「性格悪いな〜」って胸焼けしちゃった。
なんでこの人は嫌いな芸能人を逐一チェックしているんだろう。
芸能人を崇めてないと論評してやろうって考えにならないよね。
なんかそういう価値観が完璧に古くて、読んでも「どうでもいい」としか思えない。
「藤井フミヤがかっこつけてた!ほんとは田舎者なのに!」みたいなコラム読まされても「だから?」としか思えんのだが。
コンプレックス丸出しで他人の足を引っ張っているだけなのに、「鋭い批評ですよ?」みたいな顔しているところが完璧にダサい。
あとテレビを流し見しているからか、ほとんどうろ覚えで書いてるよね?事実確認してないよね。
もし存命で今もコラム書いていたら今ならすぐ炎上して10年前にはライター生命なくなってると思う。
「ナンシー関ならどう書くだろうか」なんて、ツイッター見てれば近いこと言ってるやつなんて無数にいるだろ。
なにがいいんだ、これ?
日本の妻は世界一だと誰かが言っていました。これはどの程度本当ですか? 日本人の妻を持つのはどんな感じですか?
私の妻は日本人です。私が初めて会ったとき、彼女は版画モデルの仕事をしており、多くの人 (私の同僚/友人) からはとても見栄えが良いと思われていました。初めて彼女に会ったとき、彼女を手に入れるのは本当に困難でした。彼女の周りには男たちが群がっていました - その多くは私よりもはるかに見栄えが良いです。当時の彼女はワイルドな若い女性でした。彼女は他の女の子ともイチャイチャしていました。もちろん、彼女は複数の男と会うでしょう、そして私は多くの中の一人にすぎませんでした。
私にとって状況が好転したのは、私が別の女の子に会い、あまり関心を払わなかったのに、突然、彼女がもっと興味を持ち始めたときでした。そして、彼女は私に彼氏になってほしいと頼んだのです。想像してみろ!
私たちは結婚して8年になりますが、彼女は素晴らしい、忠実な妻であり、息子にとって素晴らしい母親です。彼女はいつも私たちを第一に考えてくれます。正直に言うと、私は初めて会った時と今の彼女を調和させるのに苦労しています。彼女は文字通り完璧な妻です。彼女は私に何も要求せず、いつも私の頑張りを認めてくれます。彼女は決して物質的なことを要求しません。彼女が稼いだわずかなお金は、私の息子のために使います。彼女のいない人生は想像できません。日本人は最高の妻になるという一般論には私も同意します。さあ、自分で買ってみましょう。
https://www.quora.com/What-is-actually-like-to-be-married-to-a-Japanese-woman
完璧に守っている会社ってけっこうあるぞ。本にもなってるがな。当然ながらボスが極めて優秀
例えば、まさかの学歴国籍不問無試験の先着順の会社とか。それで工学部どころか、工業高校のバックグラウンドすらない人が研究開発とかしとるで
先着順採用
豊橋の近くには、多くの大企業(トヨタ、ヤマハetc)があり、来てくれるのは正直言うと売れ残りと言われる勉強の出来ない奴ばっかり。面接に金髪や改造バイクでくる奴も多く、とても選べたもんじゃない。
でもそんな奴でも親御さんの大切なお子さんだし、どこか必ず光るものがある。改造バイクが作れる奴なら設計で大活躍、ヤンキー女子でも興味さえ持てば今や英語はペラペラ等、役割やその場さえ与えられれば力を伸ばすことができる。だから採用は人を選ぶことなく、先着順で採用している。それでここ十数年の定着率は100%を達成している。
どんな人材も受け入れて、伸ばしていける環境(集団)
生涯現役で定年なし
定年はなし。現在でも60歳以上の方が、10名働いている。それも20、30代はまだまだくちばしが黄色いひよっこ、40歳で一人前、60歳で名人になる。なのになぜ名人を辞めさせないといけないのか?とむしろ定年制に疑問を持っている。
60歳はもちろん給料も高いが、それ以上に生産性が高く合理的に動いてその何倍もの働きをしてくれる。例えば機械のほんのわずかな異音や動作不良を見逃さずに、すぐに修理してしまう。これが後になっていたら、その機械自体がダウンして作業工程の大幅な遅れや不良品の確認などで多大な被害となる。
そして働いている社員も、60過ぎても子供や家族のために働いてお金を稼ぐことが必要、そしてなによりずっと働くことが生きがいの人がたくさんいる。
高校時代、数学なんかまるでダメだった女の子(今は2児の母)が、微分・積分の数学の問題も見事に解いたり、ほとんどの社員が英語や中国語などを話し、海外の取引先と打合せをする。
高校3年間、数学はすべて最低の成績で大嫌いだったという女性がいる。しかし、入社して、コンピュータで座標を計算したり、プログラムを打ち込んだりしているうちに、すっかり数学を理解してしまった。微分や積分も、本人はそれと思わずに理解している。あるとき、おもしろ半分に、高校3年生の数Ⅲの教科書から応用問題を選び、紙に書いて彼女に渡した。加速度と微分の問題だったが、彼女はあっという間に答えを書いてしまった。おもしろがって仕事をしていると、いつのまにか苦手な数学までできてしまう。
樹研工業では、ほとんどの社員が英語や中国語ができる。あるとき営業部に所属する一人の女性社員が神妙な顔つきで著者の部屋に入ってきて、「英語が話せないのは私だけだから、ニューヨークの大学で、半年間の英語研修コースに行ってきたい」という。すぐに行きなさいと答えた。
英語を勉強したがっているな、とわかると、6、7万円の語学教材をだまって机の上に置いておく。本人は喜んで家に持って帰り、半年後には話せるようになっている。やる気を大切にすることがいちばんである。
彼氏は、同級生婚をした両親が23歳のときにうまれた子で、彼氏の弟は両親が31歳のときに生まれた。この間、彼氏の弟入れて3人で飲んだ。
両親はなんかデキ婚みたいな感じだったらしく、彼氏が小さい頃は離婚寸前みたいな喧嘩の仕方をしていたそうだ。
母が専業で、父が2回転職して、経済的にもゴタついて、両親二人ともメンタルが安定しておらず空気が荒廃していたと。
弟が生まれて弟の物心がつく頃には、父親の仕事が安定していて、母親もパートをしていて、経済的に安定し始めたし喧嘩もしなくなっていたと。
しかし弟から見ると、自分は保育園で兄は幼稚園だったと。そして兄の頃には家にカネが無かったにもかかわらず習い事をピアノと空手と公文といくつかやらされていると。
そして兄の時は父が若かったから運動会に父が出るコーナーで無双したのが伝説になっていると。しかもまだ父が瘦せていたと。
兄弟の父は今は太っている(会ったことある)。でも彼氏が小学生で運動会に参加したころには瘦せていて、
顔がかっこよくて背も高いしほかの父親たちと比べて若いのでものすごく目立ったし、活躍して英雄だったと。それを聞かされて羨ましかったと。
あと兄のお下がりが多かった、兄の写真のほうが残ってる、などなど弟から怒涛の不満が出てきた。
なんか彼氏のほうの不満(親が若くてメンタルが不安定で余裕がなかった)についても、弟のほうの不満(手を抜かれた感じがする)についても、
言ってることはわかるし、つまり完璧な時期って無いんじゃねえかな…?って気がしてくる。
私としてはまあ…着床した彼氏を堕ろして別れるってことになってたら彼氏が存在してなかったから、まあデキ婚してくれてよかったし、
彼氏が小さい頃の大喧嘩が激化して離婚してたら彼氏の弟も存在してなかったから、まあ関係が改善されるまで保ってくれてよかったなというか…。
人間の存在って儚いなあ。いわゆる痴話喧嘩とか、そういうあれこれで存在したかしなかったかが決まっているわけで。私自身の存在もそんなもんなんだろう。
結局今の辛いこととか全部親のせいにしてるからなんだよな
環境要因を憎みすぎて、自分が子供に完璧な環境を与えられないから子供が欲しくない
別に親元離れて自立してる今わざわざ親を責めたりしないし仲良くやってるけど
未だに辛かったこと思い出しては
すまん、ちょっと言い過ぎだと思うわ。
確かに字が汚いのは良くないけど、それで人格まで否定するのはどうかと。
お前だって完璧じゃないだろうに、他人の欠点ばかり気になるのは見苦しいぞ。
自分の胸に手を当てて考えてみろってこと。
プライバシーの侵害にもなりかねないし、もうちょっと配慮が必要だと思うわ。
まあ言いたいことはわかるけどな。でも言葉は選んだ方がいいと思うぞ。
ただの疑問って言いつつ、ずいぶん攻撃的だしな。冷静になれってこと。
(This masuda written by claude3 opus. subscribe now → claude.ai)
発達障害で仕事がうまくいかず悩んでたら、相談員の人がタイトルのようなことを言ってくれた。
発達障害の人はついつい過集中で頑張り過ぎてきまうから、50点くらいを目指すといいという話だった。
出す力も50%くらいを目指せば、結果的に70%くらいになってちょうど良くなるらしい。
自分は物心ついた3歳くらいからずっと出力80%越えてて、100点を目指してたから、こんな考え方もあるんだって思った。
50点、50%くらいでいいんだと思ったら気が楽になった。
このたび大谷嫁写真が公開されたけど、山本由伸は隣で男性と手を繋いでいる
これは「パートナーがいる方が良い」という価値観からくるネタで、独身は堂々とできないことを示唆している
他にも大谷は一部で畜生とネタで呼ばれるぐらい相手選手やミスした味方を小馬鹿にするジェスチャーをすることがある
久保も直近でいうとアジア杯前に「クラブの方が大事」的な発言をした
クラブが選手を雇っているのでサッカー選手としては当たり前の話であるが、代表戦の前に士気を下げる発言をした選手はいない
結果敗退して久保と同格の選手である冨安から「熱量を感じられない」と言われる始末
一応久保をフォローしておくと久保自身は熱量たっぷりだったので本人は気持ちを切り替えてプレーできるタイプなのだろう
しかし他の選手はどうか。日本でもトップ選手となった久保のクラブ優先発言を聞いて影響がないわけがない
また久保はプレー選択が常に完璧ということになっているので、久保がミスをしても周りの選手のせいになる
それでいいじゃないかと思うのだが、日本人ファンはどうにも好きになりすぎると信者化してしまうようだ
それが怖い
思ってるんじゃん…
許しがないっていうか、他人だけ厳しいというか。
山ほど言いたいことを抑えてたら完璧であると思ってないっていう考え方が、もう歪んでしまってるとまず気づいてほしいところ。
普通に考えればわかるだろう…
実際にgoogle mapを利用して困るシーンはストリートビューを見ればだいたい把握できるから利用できる。
企業として利益を維持できて、かつ、ユーザが使っていて致命的に困ることがないように運用している。
普通のことだろ。
おまえみたいな、完璧を目指せとか公益であれとか、そういう資料的価値は求めてないってことなんだよ。
家でgoogle mapを追いかけて世界を知りたい人みたいなのはターゲットじゃないわけ。
University of MarylandのSpace Systems Laboratoryを率いるAkin氏の、宇宙船設計に関する箴言のリスト。 原文はここ:https://spacecraft.ssl.umd.edu/akins_laws.html
含蓄とユーモアに満ちていて理系・とくにエンジニアには刺さると思うのだが、和訳がなかったので翻訳してみた。自分は17、35、そして最後が心に残った。あなたにはどれが響いたか、コメントで教えてほしい。
1. 工学に数字は不可欠だ。数字のない分析は意見に過ぎない。
2. 宇宙船を完璧に設計するのには無限の手間がかかる。だから、どこかが不調だったとしても動作するように設計するのがよい。
3. 設計は反復的な作業だ。必要な反復回数は、今までやった回数プラス1だ。これはいつでも正しい。
4. あなたが設計に最もこだわった部分は、最終設計案においては必ず役立たずとなるだろう。この落胆とうまく付き合ってゆかねばならない。
6. (マールの法則)両対数グラフにプロットし太いマーカーを使えば、何でも線形に見えるものだ。
7. 設計を始めるとき、リーダーに一番なりたがる人間はリーダーに一番向いていない。
8. 自然において、最適点は中庸な場所にあるものだ。極限が最適点であるという主張は信用してはならない。
9. 必要な情報が十分ないことは、分析を始めないでいい言い訳には断じてならない。
10. 疑問に思ったら、推定せよ。緊急時なら、当てずっぽうでもいい。だが、実際のデータが得られたときにそこに立ち返り後始末をすることを忘れてはならない。
11. 時には、全部破棄して最初からやり直すのが一番解決に近いこともある。
12. 正しい答えが一つだとは全く限らない。間違った答えはいつも複数あるものだが。
13. 設計は要件に基づく。要件が求めるよりも少し「良い」設計にすることに正当性などない。
15. (シアの法則)設計の改善点は、主に境界部にある。設計を台無しにしてしまう点も主にそこにある。
16. 以前に似た分析を行った人たちが、当代最高の叡智と直結していたわけではない。従って、彼らの分析を自分の分析よりも信頼する理由はない。彼らの分析を自分のものとして発表する理由は、なおさらない。
17. ある分析が紙の上に書かれていることは、その正しさとは何の関係性もない。
18. 過去の経験は現実性チェックにもってこいだ。だが、現実性ばかり考えていると、ほかの点で素晴らしい設計を台無しにしてしまうこともある。
19. あなたがこの分野のほかの人々よりずば抜けて賢い可能性は非常に低い。分析の結果、終端速度が光速度の二倍になったのなら、あなたはワープ・ドライブを発明したのかもしれないが、十中八九どこかでミスをしたのだろう。
20. 悪い設計によいプレゼンをすると、いつの日か破滅する。いい設計に悪いプレゼンをすると、即座に破滅する。
21. (ララビーの法則)あなたが教室で耳にすることの半分はクソだ。教育とはどちらの半分がそうなのかを理解することだ。
22. 迷ったら、文書に残しておけ(文書化の必要性は、計画が終わった直後に最大になる)。
23. 開発スケジュールは絵空事に思えるものだ──いつの日か、それに間に合わせられなかったかどで顧客にクビにされるまでは。
24. 「仕事崩壊体系」というものがある。あなたが何らかの体系を与えない限り、積み上がる仕事は増え続け、いつの日か崩壊するからだ。
25. (ボウデンの法則)テストが失敗した後で分析を修正して、はじめからずっとくだらないミスをしていたのだと発見するのは簡単なものだ。
27. (ヴァルシの法則)スケジュールは一方向にしか進まない。
28. (レンジャーの法則)無料の発射などというものはない。
29. (フォン・ティーゼンハウゼンのプロジェクトマネージメントの法則)計画の最終的な必要規模を推定するには、予定期間をπ倍し、予定コストの小数点を一つ右にずらせ。
30. (フォン・ティーゼンハウゼンの工学設計の法則)新しい工学システムの設計に最大の影響力を及ぼしたければ、絵を描く練習をしろ。エンジニアたちの作る乗り物はいつも、最終的には初期案のコンセプトアートみたいな見た目に落ち着く。
31. (モーの進化発生の法則)どんどん高い木に登り続けても、月にたどり着くことはできない。
32. (アトキンのデモの法則)機械が全部完璧に動いているときに限って、上役はそこにいない。
33. (パットンの事業計画の法則)乱暴なやり方で今週実行されるよい計画は、来週の完璧な計画にまさる。
34. (ルーズベルトのタスク・プランニングの法則)あなたのいる場所で、あなたの持っているもので、あなたのできることをせよ。
35. (サン・テグジュペリの設計の法則)設計が完璧になったとわかるのは、足すものがなくなったときではなく、取り除くものがなくなったときだ。
36. 凡百のエンジニアは美しいものを設計できる。優れたエンジニアは効率的なものを設計できる。一流のエンジニアは、実用的なものを設計できる。
37. (ヘンショーの法則)計画を成功させる鍵は、責任の所在を明確にすることだ。
38. 「たまたま」新しいロケットを使って行われる探査計画は、事実上、そのロケットの発射計画なのだ。
39. (言い方を変えよう)有人宇宙計画を、現実的な予算・予定通りのスケジュールで進めるための3つの鍵:
1. 新しいロケットを使うな。
2. 新しいロケットを使うな。
40. (マクビランの法則)うまくいくまで、改善することはできない。
41. 何かを正しくやる十分な時間があることは絶対にないが、しかしなぜか、何かをやり直す時間ならいつも十分にあるのだ。
42. 飛行計画がなければ、金がない。飛行計画があると、時間がない。
43. 何かを本当に理解できるのは、それを三度見たときだ。もしくは、それを一度教えたときだ。
44. (ラチャンスの法則)「時間はたっぷりある」は、非常に短い時間で「時間が足りない」になる。
45. 宇宙は一切のミスを許さない。エンジニアのあなたがしくじれば、誰かが死ぬ。自分の分析はほとんど正しかったのに……と言っても、部分点はもらえない。