はてなキーワード: 概念とは
現代のテキストエディタがCtrlを押しながら矢印、Shiftによる選択、Home,Endなどを組み合わせたときの操作に対して、viが本当にエディタを乗り換えるほどの優位性を持っているのか疑問
viに有利な例題でない限りはそんなに差は無いのでは?
あとなぜvimはいまだにヤンクというクリップボードの下位互換のヤンクという概念で操作せねばならないのか?
このせいで「ビジュアルモード」という選択範囲クリップボード操作と同等の操作と、vi本来の操作が入り混じった一貫性に欠けたテキスト編集を強いられる
fugaをコピーしてhogeに上書き張り付けするという自然な操作の流れが「vi流」のキー操作で行えないのは明確な問題だと思える
vi開発当初にクリップボードという概念が存在しなかった事は分かる。しかしそれがいまだに改善されていないのはなぜか?
テキスト操作を便利にするためにユーザにはvi流の変態的操作を押し付けるのに
テキスト操作を便利するためにエディタ側はクリップボードを使った操作体系を取り入れないのは単に昔からの慣習を至上とする悪習なのではないか
リベラルとは、仮想敵国であった韓国と敬愛して止まなかった安倍元首相が主従関係だったことが明らかとなったことで自己矛盾を解決できなくなったネトウヨが作り出した新しい仮想敵の概念であり、実態がないことは数々の識者が指摘している[要出典][誰が?]
女性オタクのその、カタギに迷惑を掛けまいと鍵をかけて閉じこもる仕草、よくねーと思ってる。
迷惑だと認識してる時点で、好きを貫く活動が日陰でやるような後ろ暗いもの、だと言うメッセージになってるやん。一般層が見えない引きこもりの内情を理解することは永遠にない。
むしろ線引きのギリギリのラインに挑戦し、できる限り自分たちの活動は明るいものだと示してくべきだ。そうして表現の自由の領域を広げていく。男性オタクの開けっぴろげなスタイルは女からは嫉妬されてうとまれてるけど、言うなればこれは公開ロビー活動なんだよ。
犯罪について、専門的に、 既遂と未遂という概念を設定し、 既遂は、やってしまったもので、未遂は、 やろうとしたが失敗した、と言う程度のもの。
中止未遂とか中止犯というのもあるが、これは、結果発生を狙ったが、途中で驚愕翻意して、犯罪を自ら中止した場合で、減刑の対象となる。
刑法の規定に、 この章における未遂は罰する、というものがあるが、 法学部では、 未遂は罰する、という規定の技術的な立て方すら教えていない。
その章における、既遂未遂というのは、一々、規定に書いていない。 未遂は罰する、という規定は、特に設けられたもので、この規定をここに置くことも技術的思想としては難しい
そんな時代は存在しない。 かーちゃんは、晴生がデイリーで働いてるときに、晴生が、黒羽の長谷川くらいかっこいい奴だと勘違いして結婚して民法に定める婚姻をして、
昭和60年最高裁決定がいうところの性交類似行為をしたもののようだ
※ 最高裁決定 青少年健全育成条例にいうところの、わいせつな行為という概念は、婚姻を予定している、交際している青少年の間における性行為も処罰の対象とすることとなって
著しく常識に反する結果となる。そこで、同条例にいう、わいせつ、とは、対象者を自己の性的満足の手段と扱っているとしか認められないような性行為またはその類似
行為に限定して解するものとし、このような解釈は一般人の理解にも適応し、その文面が著しくあいまい、玉虫色で、広範に失し、警察をして、処罰の範囲を不当に
普通さ、
生き物を住まわせようとするなら、平面の上だよな?
でも神(がいるなら)は球体に住まわせたんだよ
アホだと思う
いや天才か?
球体でもでっかい球体ならほば平面として扱えると分かってたんだよな
さすが創造主だよな
あと公転や自転の概念も使えなくなる
やっぱり神は気が狂ったアタオカだよ
どんな頭してるんだ?
産んだ親の顔が見てみたいよ
生きづらくて弱いオス概念も乗っ取られ始めたな
昔の少年にとって遊びといえば野球くらいの勢いで身近だったんだろうね
ルール知らない人もいないし、野球選手もみんな知ってて当たり前だったんだろう
今ナーロッパファンタジーだらけなのは、みんな子どもの頃にJRPG履修して基本的な概念みたいなのが共有されてるからだし
スライムとかダンジョンとかオークとか、みんなが知ってないとあの文化は成立しない
はい、∞が有限ではないことを示す式を書いてみましょう。
例えば、以下のような不等式を考えることができます。
この不等式は、「∞は任意の正の整数nよりも大きい」ということを表しています。つまり、どんなに大きな有限の数nを選んでも、∞はそれよりも常に大きいということです。
もう一つの例として、極限を使った式を書いてみましょう。
lim(n→∞) n = ∞
この式は、「nを限りなく大きくしていくと、nの値は∞に近づく」ということを表しています。つまり、有限の数nをどんどん大きくしていっても、決して∞には到達しないということを示しているのです。
これらの式から、∞は有限ではなく、どんな有限の数よりも常に大きいことが分かります。∞は有限とは異なる、特別な概念なのですね。
数学が大好きな子供たちは、こうした無限の面白さにきっと夢中になるでしょう。みんなも色々な式を考えてみると、無限の不思議な性質が見えてくるかもしれませんよ!
なんか時代の変化とともにこういう意識高い用語がクソダサ扱いされる世の中になってきてる気がする。
・開発生産性
このあたりのクソダサ感がここ1年くらいで増している感じがある。
おそらくふわふわした概念で人を操ってどうのこうのしてあるあたりがクソダサ臭を感じてしまうのだろう。