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はてなキーワード: 概念とは

2017-05-28

無断引用という言葉

最近話題になった件でいろんな意見を眺めてて、「許可なく引用」というのはそれ自体矛盾だとか、「無断引用」という概念そもそもありえないといった意見を何度も見かけた。これは以前からわりとよく言われていることで、言いたいことはわかる気がするのだが、使われている言葉(「矛盾」「ありえない概念」等)が本当に適切なのかどうかよくわからない。とくに「矛盾」と書いている人をずいぶん見かけたが、どうも腑に落ちない。いったい何と何が矛盾しているのか。

法的に引用は無断で行ってもよいもののであり、わざわざ「無断引用」という言い方をするのはおかしい。ここまではわかる。しかしこの言葉が「矛盾」していると言っている人がかなり多いのが気になっている。別に矛盾してなくないか? だって実際に無断で行ってる行為に「無断」ってつけてるんでしょ? 「矛盾」ではなく、言わなくてもいい不必要情報を付け加えているという意味でむしろ冗長」と言うべきではないのか? 「矛盾」ではないだろうと。むしろ引用」の定義に含まれる「無断で行ってもよい」をわざわざ明示している明快な表現ではないのだろうか? なぜこれが矛盾なのだろう? 素朴な疑問だ。

なんとなくこれかなーというのはある。「無断引用」という言葉には、冗長だという以外に大きな問題がある。この言葉使用は、「著作権者に断った上での引用が正当なもので、無断で行われる引用は悪いことだ」という間違った考えを前提しているように思われるということだ。「無断欠勤」「無断拝借」「無断乗車」などには、わざわざ「無断」とついているからには、(法的に定義されているかどうかはともかく)「欠勤」や「拝借」や「乗車」は本来許可を得て行わなくてはならない、無断で行ってはならないということが含まれていると感じられるのと同じである。「無断引用」が矛盾という人は、これを指して矛盾と呼んでいるのかもしれないとちょっと思った。しかしそれでもどこがどう矛盾なのかは判然としない。だれか教えてくれるといいのだけど。

あと思いついたのは、「無断引用」という言葉を使う人たちは「引用」の定義勘違いしていることが多いので、この言葉自体というよりそういう人たちの態度を指して矛盾と言っているのかもしれないなーということだ。上で書いたこととつながるけど、そういう人は「引用は無断で行ってはいけない」という間違った認識にもとづいて、批判目的でこの言葉を使っているので、それに対して、おまえの言う「無断引用」という言葉は(おまえが言っているような意味では)無意味だ、というのは理解できる。しかしいろいろコメントとか読んでみると、「無断引用」という表現自体矛盾だ、意味をなさない、と言っている人がけっこういるのである。やっぱりどういうことかいまいち腑に落ちない。

思うに、「無断引用」は、自動車運転でいえば無免許運転ならぬ「免許運転」というようなものではないか? わざわざ言わなくてもいい余計な言葉がついているという意味で。しかしこの言葉矛盾しているとは思えない。意味も明快だ(正確には、存在しない言葉なので意味をたやすく推測できる)。たぶん免許を取得したうえで、あるいは免許証携帯して車を運転する、という意味だろう。運転免許をとってするのが普通だし、引用は無断で行うのが普通だ。なので「免許運転」「無断引用」などとわざわざ言う意味はない。でも「免許」や「無断」をつけたからといって、そこに矛盾が生じるとは思えない。むしろ当たり前のことが明言されて、元々の意味が強固になっているようにも思える。ここにほんとうに矛盾はあるだろうか?

2017-05-27

ALL OUT読書感想文 ~作者の性欲に向き合うということ~

※先に断っておくと、筆者はいわゆる腐女子っていう人種です。

 ALL OUTという漫画10巻まで読みました。そこで思ったのが、「性欲ってなんだろう」「性的興奮ってどんなものだろう」という事でした。

この漫画、作者の性欲がすごいダダ漏れなんですよ。『萌え』とかじゃなくてあくまで『性欲』ね。

高校生が主役のスポーツ漫画にド直球で作者の性欲が持ち込まれている事に、私は大きな衝撃を受けました。

脈絡がなくて申し訳ないけど、この漫画世界にはチンフェが存在してるのんだろうなぁって思った。あと性犯罪もこの世界のどこかで起こってるんだろうなって思わされた。

なんていうか、作者という三次元人の性欲を通して現実世界と地続きになっている気がする。

たとえばゾンビ映画世界の住人って、初めてゾンビを見てもすぐに「あっ、ゾンビだ!」とは理解してくれないじゃないですか。「死者が蘇ったうえに人肉を食った!信じられない!」「食われた人も生き返った!もしかして感染するのか!?」っていちいち驚いて、ゾンビという概念を知らない。なぜならそこは『ゾンビ映画世界』だから。我々の世界と地続きじゃないから。

スポーツ漫画もそんな感じで、スポーツに励むキャラクター性的に消費するのは従来は読者の役割だった。なのにALL OUT世界では最初からキャラクターが作者の性的対象なのがビンビン伝わってくる。

 でもこの違和感、たとえば麻雀漫画の咲とかでは感じなかったんですよね。あれも青春部活モノ漫画なのにキャラクター無意味パンツ見せてたり乳首勃ててたりケツ出したりしますけど、ここまでの戸惑いは覚えなかった。

なんでだろう。作者とキャラクターの男女が逆だからかなぁ。そう思うと、これってジェンダーとか性差別とかそういう根深問題を抱えた話になるんじゃないかと思った。まぁ自分はそういうのよくわかんないのでパスで。ちなみに野球漫画おおきく振りかぶってでもここまでの違和感は覚えませんでした。『萌え』は感じたけど『性欲』って感じではないからでしょうかね。

ともかくスポーツ漫画というジャンルで『性欲』という武器によって第4の壁を破られた事にとてもうろたえています

ちなみに自分が一番困惑したのは、ラスボス校のエースが柱の男みたいなポージングをしながらコート入りしたシーンでした。

http://anond.hatelabo.jp/20170527174157

「どうなんでしょう」と聞かれているので答える。長さについての感覚が知りたいなら、人工知能系はトップ国際会議査読付き論文PDFで転がっているので、ホンモノ見て下さい。

https://aaai.org/ocs/index.php/AAAI/AAAI17/paper/view/14746

基本的に、A4のダブルカラム8ページがfull paperと呼ばれて、査読付き国際会議論文の標準の長さかな。図や数式の量によるので、論文の長さはページ数の上限で規定される。概要査読への返答はワード制限あるけど。英語8,000 wordsだと、多分A4ダブルカラム10ページぐらいあるが、それだと一番長クラス査読付き国際会議論文一本分ぐらいかな。数式ではなく、新しい概念を導入するような話だと、やはり、それぐらいの枚数は必要になる。数式は、長い時はだいたいAppendixに回せるので、本文に数式の土の部分を表示するのかそのものが、著者の選択

査読付き国際会議論文は、査読付き英文論文誌に出せる。査読付き論文誌はだいぶ長く書けるので、英語8,000 wordsぐらいの論文普通にあると思う。

英語じゃないと業績にならない、は言い過ぎた。実は、査読付き国際会議に出した論文は、国内学会査読付き論文誌に投稿できる仕組みになっている。前者は予稿集・後者論文誌なので、枠が違うので二重投稿ではないという理屈になっている。国内査読付き論文誌は業績になる。国際論文誌に比べると見劣りするけど。

ただ、内容的に、日本語オンリー日本社会事情に特化した内容で、国際的評価されにくい内容があるというのは、こちらも分かっている。そういう場合は、国内論文誌に直接出してしまうこともある。しかし、こういう場合でも、英語化しないと基本的国際的には全く論文がなかったことにされるので、レベルの低い査読付き国際会議でいいから、どこかで英語で発表しておく必要がある、と個人的には思っている。

まとめると、基本、国内査読なし会議査読付き国際会議査読付き論文誌という流れで投稿する。後の2つが査読付き。国内査読なしと国際査読付きで同じ内容を投稿しても二重投稿にはならない。

国内会議予稿論文役割は、萌芽的な研究興味の交換と、国際的査読に通った論文日本語化して宣伝・紹介なんですよ。発表を聞いていると、発表によっては、「この内容はxx国際会議に通りました」とか言ってたりする。あと、論文を書くのにWordを使う人が非常に少ない。基本、LaTeXで書かれる。

文系単著にこだわるのは知っているが、情報系の多くでも、第一著者がほぼ全部書くのが通例。今回の論文でも、著者リストから第一著者が学生で、第二著者以降が論文添削指導した人…と普通は見る。まぁ、学生グループ指導者論文書くこともあるので、最初の何人かが学生、なんていうのも普通にあるし、優秀な研究者複数人で協力して二人とも著者…という形態普通にある。その辺は、色々な形態が混じっているが、ここは、単に表示の問題だと思っている。逆に、うちの分野で学生単著で書いていると「この学生指導者と何かトラブルでもあったのだろうか…」と心配してしまう。論文の著者名は、指導者が「うちの学生を私がちゃんと指導しましたよ」というのを示す役割を担っている。

著者の並べ方についても、分野によって色々違って、数学系だと共著の場合は必ずアルファベット順に並べる風習がある。だから数学から人工知能業界に入ってきている人は、自分論文として出し、"with 誰々"という形で共著表示する。この慣習は、人工知能分野でも基礎分野じゃないと知らない人が多い。

pixivBL引用炎上の件:腐女子に別方向で頑張ってほしい

長くなったから要約

今回の件をうけて、腐女子の側は一方的被害者とか、弱者という立場を維持するのだけでなく、

自分たちの慣習を、腐女子コミュニティの外の人たちにもわかるような形で

運用可能なところまで頑張ってもっていってほしい。

 

また、腐女子だけでなく、コミュニティ独自ローカルルール抱えてるオタコミュニティの人々は

今回の件は、他山の石となるんじゃなかろうか

今回の事件の推移

めんどいから省略)

今回の事件に対する主要な4つの立場


私の立場

・まず、主張自体への支持について述べるなら、私自身の立場はこの中で選ぶのならBが近い。しかしBそのものではない。AとCについても一定妥当性のある主張だと思う。

・Dの主張にはいろいろ誤解がある。著作権の枠組みで主張をするのであれば「無許可転載」は確かに問題だが、著作権上、正当な「引用」は許可を求める必要はないし、求めるべきでもない。また親告罪云々という話も「転載」と「引用」の違いが把握できていないものと思われる。

なぜ炎上してるのかとか

炎上が続いている仕組みは次のようなものだ。

 著作権法基準(A)の人が、ローカルな慣習(C)のありようを把握していなければ、両者の対立はどこまでいっても平行線である。この人達にずっと不満がたまり続けるので、互いの正当性を主張し続けて炎上は終わらない。また、基準Dのような勘違いを含んだことを言うひとも大量発生していて、これを基準Aの世界にいるひとからすれば「バカじゃねーの」という感じになるし、そう発言してしまう。基準Bの世界にいるひとも人によっては「それはちょっと、落ち着いて整理しましょうか」とたしなめる。なので、またしても火がよく燃える。これが今回の炎上基本的メカニズムだと思う。

 炎上は「誰かが決定的に間違っている」から続くのではなく、「ある立場の人からみると、別の立場の人のやっていることが極めて無作法に見える」ということによって起こり、その行為が「別の立場から見たときには実は何の問題もない」場合に、火が消えるタイミングというのは失われてしまう。

基準Bの態度を採用することは、全体的に見通しがよく相対的中庸温度感のある態度だということになるだろうし、この立場を表明している人は、おおむね良識的に火消しをしているという感じだと思う。

基準Bは、基準Aないし基準Cのみで完結して争っている人々の立場より、バランスのとれたものであろうとしているのは確かだろう。しかし、私は別の基準Eが必要だと思う立場である

基準E:慣習を取り扱える形で、双方向に整備を

 基準Eは、明文化されていない慣習を、きちんと取扱可能にすべきだという方法である。明文化するなりプログラム的に制御するという方法だ。以下に、なぜそのような立場採用するべきかを述べる。

 法がどうであれ、運用の水準で、実質的慣習法を作り上げるということはいくらでもできるということはよくある。そして、ローカルな場にいる人たちは、その場の慣習があたか普遍的適用可能な「常識であるかのような主張をはじめることが多い。だが、そうローカルな商慣習や、コミュニティ内の慣習は多くの場合炎上の温床となってしまう。今回の件だけでなく慣習と法の間での齟齬が「炎上」を生んだことは数多くあった。

 「様々な慣習に対して、可能であるのならば配慮すべきである」という主張は正しいと思う。可能であるのならば配慮するに越したことはない。

 しかし「様々な慣習に対して、常に配慮すべきである」という主張は、どうか。わたしは難しいのではないか、と思う。単純にそれは人間にとって不可能なことを要請しているように思うからだ。

 たとえば今回、火の手があがったのは、801界隈だったわけだけれども、オタク界隈どころかゲーマー界隈に限っても「同人ゲーマー界隈」「格闘ゲーマー界隈」「シューター界隈」「MMO界隈」「東方界隈」「レトロゲーマー界隈」など、細かなコミュニティがそれぞれの慣習をもっていて、自分が属していない界隈での慣習がどうなっているかというのは正直なところ把握しきれない。「私はオタク界隈のほぼ全てのコミュニティの慣習について把握しています」と自信をもって言えるという個人はいないだろう。まあ、それでもオタクコミュニティ界隈のことであれば、長くオタクをやってる人なら「ああ、これだったら何とかさんに聞いとけば温度感わかるっしょ」という人脈による解決はできなくはない。

 ただ、それが、もっと遠い界隈のことになってくると、限界が出て来る。芸術コンテンツまわりでも、現代芸術とかならまだしも、古典芸能世界でのセンシティヴな話題とか言われても、細かなことはさっぱりわからない自信がある。手芸とかもわからないし、動物園のこともわからないし、外食産業のこともわからない。わからないことがいっぱいある。

 で、まったく知らない界隈に飛び込んで、そこで見つけたものをよかれと思って引用しようとしたら、当事者からいきなり激怒されるなどしたら、私はビビるめっちゃビビる。超うろたえる。

 そんで、まあ、たぶんゴメンナサイすると思うけど、なぜキレられたのか、理解が追いつかないだろう。正直、ぜんぜんわからんと思う。小心者なので、とりあえず反射的にゴメンナサイをするでしょう。

 こういう事故を起こさないようにするには、何が重要か。

 「よく知らないもの言及しない」というのが重要だという人もいる。まあ、特にやる気がないなら、あんまりセンシティブそうなものには言及しないほうがいいかもしれない。

 ただし「よく知らないものを知る」ということ自体は、世の中に多様な人々がいるということの相互理解をすすめる上では実は非常に重要なことでもある。たとえばLGBT人種問題というのは、言及の仕方についてしょっちゅう諍いが起こっているが、まったく言及されないよりも「善意に基づく無理解」のような言及は、議論をよびながらも、なされていったほうがいいだろう(まあ、場合によっては無視されたほうがマシということは少なからずあるにはあるだろうが)。

 私としては、「同じ文脈を共有しない人にも、慣習上、重要な点を共有できるようにする仕組みづくり」を行っていくしかないと思う。

 その仕組みづくりにはいくつかの段階があるだろう。

どのように慣習を可視化するか?

 とりあえず、次のようないくつかのステップ提示してみたい。

 以上。STEPと書いてあるが、コレ全部やれという話ではない。まあ全部やれたらすごいとは思う。

 もっとも、慣習によっては標準化が難しかったり、明文化しないことによってこそ意味をもっているような慣習などもあるだろう。そういうものを取り扱うのは確かに難しいが、すべての慣習が取扱い不可能ということもないだろう。

 明文化できる慣習は、明文化して、可能な限りで、コミュニティの外部にいる第三者にも把握可能な形にするというのは、決して無意味なことではないと思う。お互いの不幸な行き違いをなくす基本的方法だとも思う。

 もちろん行き違いをなくすという方法自体を、腐女子コミュニティがいままで模索してこなかったとは思わない。

 腐女子コミュニティ内部にいる人達同士ですら、行き違いはあったのだろうし、そのなかでの行き違いをなくすために、R-18タグは付けることで「ひっそりとやってます」ということを暗に伝えるという慣習が成立したのだろうと思う。その慣習の成立はとても重要なことだったと思う。

 少なくとも腐女子コミュニティの内部では、この慣習はかなり機能していたはずだ。

 そして、今回の事件はその慣習が、実は一般的著作権法の枠組みと整合的なわけではないということによって起こってしまった。コミュニティが大きくなれば大きくなるほど、考慮すべき文脈多様性は広がってくるのだから、近年の腐女子コミュニティの拡大とともに、こういった事件が何かしらの形で起こることはありえたことだろうとは思う。

双方向の「配慮」が可能状態いかに作り上げるか

 それにもう一点付け加えておけば、私は「【基準B】:法的問題はない。しかし、当事者たちにとってセンシティブなことへの配慮が足りなかったという点で、研究倫理上の問題はある。」という態度だけを強調することは、一見配慮をうたっているようでいて、そこまで素晴らしい態度というわけでもないと思う。

 基本的には、この論理だけを強調せざるを得ないシーンというのは「対話することが難しいほど弱っている人たち」とか「西洋文化基準でもって踏み込むべきでもない人たち」、「複雑すぎる背景をもっているので相手に明文化とかをそこまで期待すべきでもない人たち」に対する場合ではないだろうか。

 つまり言及をする側から一方的配慮である。鬱でほんとに今にも死にそうな人とかに対しては確かにそういう形でのコミュニケーションしかできないから、そういう場合は仕方がない。

 もちろん、言及をする側は可能な限り配慮すべきだ。しかし、だからといって、言及をする側だけに配慮要求するというのは、言及される側を馬鹿にした話ではないだろうか。配慮相互になされてよいと思うし、腐女子の方々は、一方的配慮されるだけの弱者とかではないと思う。

 多くの腐女子お姉さまがたは、尊敬すべき人々であると思っている。ぜひとも腐女子コミュニティの今後の拡大にあたって、より受け入れられやすコミュニティ形成をしていっていただければ幸いだと思う。

 

 また、今回はたまたま腐女子コミュニティ一般法との間の問題であったが、これは見えにくい慣習と一般法の間にズレがあるケースでは、似たような問題は何度も起こるタイプの話だとも思う。ローカルライセンスのようなものが増えすぎたら、それもそれで面倒だということもあるとは思うが、何もないよりは、だいぶよいだろうとは思う。

付記1:言論の自由引用について

「慣習は、法の前には下位の基準しかない」という話についても簡単に触れておきたい。

 基本的には法のほうが重要だとは私も思う。ただし、それは慣習と、法とのガチンコ対決回避できないという事態が訪れた場合、法が優先するということであって、ガチンコ対決回避可能場合や、慣習が公序良俗に反するというわけでもない場合は、別に回避してやってけばいいのではないか、と思っている。

 今回、腐女子コミュニティで「引用」に関わるルール特殊な形で扱われていたが、もし腐女子コミュニティにおける「引用ルールを、一般社会全体にまで拡大させようという動きにつながることがあるのならば、これは断固ととして反対する。

 「引用」の自由は、研究にとって重要という以上に、自由言論政治社会にとって重要ものだ。たとえば、それを政治的言論(たとえばヘイトスピーチ)をやっている人たちが「引用ルールの除外適用を求めてきたとしたら、それは素人文章だったとしても、まったく受け入れられない。「公開した俺の政治的発言引用しないでくれ」などありえない。それを引用して批判する自由を奪われれば、政治的なことについて公共の場議論することに多大な支障が出るだろう。

 今回の場合は(1)性的プライバシー問題であるということ(2)腐女子コミュニティの内部で、そのコミュニティに属する人々の合意において特殊な「オープンクローズ概念実効力をもった慣習である、という前提があって、はじめて「それは配慮しましょう」という話がありうるのであって、著作権における「引用」そのものを捻じ曲げるような話であってはならない。

 この著作権における「引用」を捻じ曲げていいかどうか、というの話はすべての人にとっての言論の自由の確保という意味で、致命的に重要ポイントである。これを安易に捻じ曲げるような権利主張は極めて危ういとも思う。

付記2:

 STEP3、STEP4とかはアクション担い手が限られるだろうとは思う。ただ、腐女子コミュニティもだいぶ拡大しているわけなので弁護士研究者経営者などの腐女子の方などが行動すれば決して不可能な話でもないのではなかろうか。

付記3:

 腐女子の人たちについて「二次創作やってる人たちはダブスタなんじゃねーの」問題。この件はダブスタとわかってて、恐縮しながらも、言うべきことは言おうという人と、なんもわかってない人が両方いると思う。

 後者の人たちについては、わかってくださいね、というしかないと思う。自分たちけが弱者被害者という立場でないことは理解してほしいとしか

#あと、二次創作でも「作者公認系」とかもあるので、全てがアウトというわけでもないだろうが、今回問題になったものがどっちだったかまでは調べていない。まあ、おそ松さんとかは、公式問題にしないタイプから公式との関係では、まあどうといった問題もないのだろう。

付記4:

http://anond.hatelabo.jp/20170527202448

このエントリ問題性質をよく示していると思う。

流通プラットフォームが変わるごとにちょっとずつ腐界隈の慣習と、

実態との関係性もちょっとずつ変質していっているという話だと思う。

流通プラットフォームはどんどんと変わっていくので、

その変化にあわせてぼんやりした慣習だと、運用に失敗しました、というのが今回の話なんだと思う。

オタ界隈は、かなり基盤技術の変化がはやいので、この変化に対応できるような基準が成立しないと、この手のことは何度も起こるのだろうなと思う。

A「もう本で見て概念を知ってるけど」

B「俺は経験で知ったこと。感覚で得たこと。お前の得たものとは齟齬がある」

A「経験所詮脳の電気反応~(ごちゃごちゃ)」

結局シンプル普遍的な答えに行き着くが、この答えに達するまでにもメタメタ的な齟齬がある。

今の若者利己主義個人主義でない

最近大学の中を歩く。

皆、セックスアピール必死な装いをしている。

自分と同じように容姿が醜いために地味な装いをしている人間もいる。

暑さと相まって底なし沼な考えに陥る。

これから先、どんどん恋愛至上主義による遺伝子淘汰で容姿が良い人間が増えていく可能性が考えられる。

今よりも自分は惨めになるかもしれない。

整形でどのくらい良くなるものなのか。

最近、いやここ数年はあまりにも政府取り巻きの行いがメチャクチャである

国民を明らかにバカにしている態度である

コンセンサスという概念はなく、恥知らずに力で押し切れば良いと考えていそうだ。

しかし、選んでいるのは国民であるということを忘れてはいけない。

セックスアピール必死学生有権者なのだ

ただ、別に利己主義自分快楽以外は興味がなさそうだ。

自分不快もの排外しそうだし、知ろうともしなさそうだ。

個人主義のような他者権利も認めるような器ではない。

結局、権力者は彼らのような国民の映し鏡なのかもしれない。

容姿がいい人間は、別に政治なんか気にしなくても楽しく生きていけるのかもしれない。

そう考えると益々脱力していくものだ。

高校の時の同級生慶応に進学した顔のいい女の子は、権力ペットとして幸せに生きそうだ。

忖度だって服従だってへっちゃらそうだ。

独裁でも民主国家でもあの子は楽しく生きていけそうだと思うと、自分容姿への不快感は増すばかりだ。

容姿が良くなれるなら、権力者が好き勝手やっても別にいい。

自分以外の人間もそんなふうに考えていそうだ。

ただ、容姿が醜いから今の政治の現状が許せない。

容姿が良くなりたい。

2017-05-26

雑記

ネット口調から自分の口調に戻るのに苦労する。肉声ではなく文体が。

「~だからな」「~だろうな」「~じゃね」→「だからだ」「だろうと思う・考えられる」「ではないのか」

基本的に前者は嫌いだが偽装におために使うにつれ自然と出るようになった。

山窩のトケコミはこうして行われたのではないか山窩を忘れるほど常民に馴染んだら、山窩には戻れない。

少々飛躍して、パトリック・ハーランの表情がだんだん日本人じみてきているのは気のせいではないな、などと。

もっとも、音声から受ける様式の話しのみならず文体から性格干渉するように思える。

肉体は性格規定するというSF概念はそれほど珍しくないが、言語は人の性格侵食形成する。

言霊思想本質は型なのでは?

似たような口語で話す人たちは匿名文化に見られる傾向だと思っていたが、

しろコミュニティ単位だな、と当たり前のところに発想が回帰しつつある。

まりSNSコミュニティ性格に馴染みたければ口調を変えるのが手っ取り早いし、もっと簡単に無個性化する方法でもある。

子供が生まれ持って無邪気に邪悪な発想を浮かべる子供だとして、保護者たる親はどう考えるのか。

よくある葛藤様式一種で、一子相伝の秘術を持つ家系であるものの、生まれた子は邪な存在だった、という鬼子のような概念

成人すると邪悪存在になるのが必定現代風に翻訳するとシリアルキラー詐欺師になるのが決まってる子。

子供時代はそうとは思えないくら可愛いという条件付き。

チェンジリングも近いが、こちらは元々自分の子ではないので捨てるのも躊躇がなさそう。

極端な不幸や底辺事情をエグミとともに突き出す系

奥浩哉

体験談から社会悪への怒りからかといえば、社会への怒りが強いように見える。あるいはそれすら計算なのか。

ガンツいぬやしきともに人間の固定概念観念いかに無力かを延々とやっているように見える。

真鍋昌平

これはかなり興味が優先してるように思う。インタビューなんかでもぶっ飛んでる人たちの話題淡々と語っていた。

というか弐瓶勉懇意とか、漫画出身理解できても感覚的に付いてこない。

佐藤秀峰

だいたい体験談で怒りに満ちている。俺はこんな目にあったから読者にもわからせてやりたい系。

『描クえもん』でもいにおの画風を真似てわざわざビッチに仕立て上げたりなど、隠喩ですらストレート

山野一

未読。恐ろしく救いがないそうなので読むのに勇気がいる。

『そせじ』から漂ってくるそこはかとないヤバイ感じにピンとき過去を調べてみた。

山本英夫

この人は単純にパンクアート寄りでは。善悪を越えたところにある壊れた突き抜け感がある。

数年前のインタビューでは記者タメ語だった。今は丸くなったのかポーズをやめたのか敬語に。

http://anond.hatelabo.jp/20170526100304

おそらく「全体を否定する」と「否定を完全に確定する」の違いなんだろうけどな。

じゃあ増田は「全体を否定している」ということでいいね

もういちど書いておこう。

数少ない個人的経験だけからそれなりの広さを持った概念の全体を否定してしまうのは人間の悪い癖。

http://anond.hatelabo.jp/20170526095833

「Aという疑念を持っている」と「Aだ」という断言はニュアンスが全く違います

ある概念に対して疑念差しはさんだ時点でそれは全否定であると言われるのなら

残念ながら端的にあなた思考回路が狂っているとしか思えませんし

からはこれ以上言うことはないです

[] #25-5「ライトクイズ

はいよいよ決勝戦

そして最後相手は、またも俺にとって知っている人物でありながら、未知数の相手でもあった。

「やあ、マスダ」

「……センセイ。どうも」

センセイは1回戦、2回戦ともに派手さはないが堅実な出題と解答をしており、中々の実力者であることが窺える。

それに、まだ“何か”を隠し持っている気もした。

こちらも手の内をまだ全ては見せていないとはいえ、かなり厳しい戦いになる予感がした。


俺の予想通り勝負拮抗していた。

……傍目にはすごくレベルの低い戦いにしか見えないのがツラいところだが。

お互い隙を見せない迅速な解答を徹底し、一定簡単度を保った出題をし続けるも決め手には欠けていた。

こうして膠着状態が続き、あと1問か2問でお互いの持ち点は0になるというところまできていたである

「それではマスダさん、問題をどうぞ」

切り札をきるならばここだ、と俺は判断した。

「これは算数問題です。なぞなぞではありませんし、引っ掛け問題でもありません。また、自己啓発じみた概念的な話でもありません。では問題です、1+1は?」

センセイはすぐさま答える。

「2だ」

「正解です」

センセイが答えるの自体は予想通り。

大事なのは簡単度」だ。

このクイズバトルのセオリーは、コンセプト通り「如何に簡単問題を出すか」ってことなのは明らかだ。

だが、それを考えること自体簡単ではない。

それは問題の内容自体もそうだが、もう一つは問題の出し方。

まり簡単問題を“どれだけ簡単に見せるか”ってことだ。

例えばこの「1+1」という問題は、普通に考えるなら答えは「2」だし、実際その通りではある。

だが簡単すぎたり陳腐すぎるが故に、かえって付け入れられる可能性があるのだ。

例えば「田んぼの田」だとか、或いは「3にも4にもなる」だとか哲学的な答えを出す奴もいる。

その可能性を低くする戦術が、この「誘導問」だということだ。

サイコロで目当ての数字を出したければ、重りをつけるだなんてことをするより、他の数字を消せばいいのだ。

解釈に悩む余地すら与えない、たった一つの答えにたどり着かせる、整備された道を作ってやったのだ。

「解答までにかかった時間1秒。そして簡単度は……」

簡単度85以上でセンセイの持ち点はゼロになる。

次にセンセイがどんな問題を出してくるか見当がつかない。

できればこれで終わらせたい。

「……76!」

ちぃっ!」

思いのほか点数が伸び悩み、俺は思わず舌打ちをする。

かなり自信のある問題だったが、どうやら内容の念押しをしすぎたせいで、かえってややこしいと思われてしまったようだ。

ここで決めることができなかったのは無念だが、まだ勝負は決まっていない。

センセイの問題を最速で答えれば、簡単度がよほど高くない限り俺の持ち点はギリギリ残る。

そして次の俺の出題でチェックメイトだ。

俺はまばたきや呼吸すら忘れそうなほど、ただ問題に答えることに全神経を集中させた。

賞金は、絶対に俺が貰う!

(#25-6へ続く)

2017-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20170525184529

ネタ口調で書くから煽られるんだろ……。

まあ意思としての正義概念上の正しさがあるか否かはさておき、一定ルール内での不義を感じることは多いよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170524232409

小学生の頃に露出狂に遭遇して無理やり奪われたことになるから

「見ると喪失する」みたいな概念無くなって欲しい

こちらが合意したときだけ喪失するものならまだ納得できる

2017-05-24

テロ対策?なんか違うと思っていたら

共謀罪という概念にもまた、多くの刑事研究者が反対している。「実行行為がなければ犯罪は成立しない」という歴史的確立された刑法大原則を、この法案おかまいなしにひっくり返そうとしているからだ。

共謀罪は、二人以上の人間犯罪行為について話し合った時点で、なんと犯罪が成立してしまう。

法務省刑事局長の国会答弁によれば、言葉とは限らず、目配せでも成立するというから、成立要件は限りなく捜査機関の「解釈」の問題になる。しか犯罪規定されるもの全般、676もの犯罪対象になる!

その共謀罪安倍政権は「テロ等準備罪」とラベルを張り替えて、今国会に提出する方針だ。

オリンピックを前にした「テロ対策」だと主張しているが、オリンピック無関係過去三度提案されたことを考えても、窃盗から公職選挙法違反まで刑法全体の書き換えに近いということを考えても、「テロ」とは噛み合わない。

共謀罪の核心は、人々の日常コミュニケーション犯罪化される、という点にある。合意すること、相談すること、言葉に出すことで犯罪が成立するのだから警察私たちコミュニケーションのもの捜査対象とすることになる。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50957?page=2

うそう。こういうこと。

2017-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20170523221042

少子化の原因はまず非婚化なわけで、中絶子供支援少子化対策とは別の話だと思いますね。

そもそも自分は、十分な支援さえすれば少子化改善するという発想自体否定的なんですよ。

都市化が進んで、女性リプロダクティブライツを認めた以上、少子化になるのはやむを得ない。

でも、無理矢理結婚させられたり出産強制されるよりはずっといい社会じゃないですかと。

今まではそういう概念のなかった田舎から余剰人口を補充できたけどそれももう無理で、

移民を受け入れるかの議論も、結局は地獄国内田舎に求めるか外注するかの差でしかない。

少子化を本気で解決するなら、究極的には精神論しかないと思ってます

炎上した長谷川アナが同じこと言っててげんなり来ましたが)

しかし今更そんなものは使えないし、使うべきでもない。

政治家の肩を持つようで嫌な気分になりますが、だから少子化対策宿命的に的外れしかならない。

結婚したいけど出会いがない」「産みたいけどお金がない」という層しか想定できないんです。

大臣なんてのは最初から敗戦処理なんですよ。

そりゃマナー悪いし下品だろ

たとえばお前はその行為を勤め先のボスとか義理の両親とかが見てる前でもやれるのか?

やれるなら少なくともお前の中での矛盾や不誠実はないが、

もしやれないなら同じ行為赤の他人の前でやるのはただの油断とかだらしなさでしかないだろう。


飲み食いのような動物的な行動は他人の前でおおっぴらにやるものでは無いというマナー世界中存在する

マナーなので移り変わっていくものしかないし結局は場面や程度の問題だが

たとえば昼のオフィス街で揚げ鳥パクパクしながら歩いてるサラリーマンいたら「なんやこいつ気持ち悪!」って思う

住宅街の夕暮れに学生がそういうことやってるならそんなに咎められないかもしれない

要するに多少なりともフォーマル場所では動物性の発露は制限していくということ

寛容ぶって何でもオッケーとするのは進歩派ぶったただのバカ


というか書き方から言って

お前だって本当は行儀のよい行動じゃないというぐらいの認識はあるんじゃないか

おっさんから注意されたのが気に入らないだけなんだろう

おっさんの言い方が感じ悪かったとしてもお前のマナー違反とは別問題


あと少し話変わるが

祭り屋台がOKだからOK」とか言ってお前を擁護してる奴が居る

これはもう典型的バカから

祭りの日&神社の中というような完全な非日常で許される(だからこそ楽しい)ことを引き合いに

日常生活上のマナーを論じてどうすんねん

こんなバカコメントに☆付けて1位にするなっての 


なんかほんと最近はてなは無教養無考えの馬鹿が増えたよな

昔はもう少しマシな人間が多かったように思う

今はtwitterと変わらないぐらい素朴にバカの割り合いが増えてないか

少なくとも昔のはてなでこんなハレとケの概念すらないバカが☆を集めることなんか絶対になかった


http://anond.hatelabo.jp/20170523075532

2017-05-22

理系(プログラミング以外)の人はどうやってプレゼンデザインをしてい

プログラミングをやっている人は、Google I/Oを真似たり、他にも色々と参考になりそうな資料があるのだが、

実験データやら、概念図やら、数式やらを書かないといけない人は、どうやってプレゼン資料デザインを決めているのだろうか

ちょっと検索した限りだと、両対数グラフを使ったデザインは見当たらないわ、

動作説明するための図を描こうと思っても、最初から見慣れているものデフォルメしたような物しかなく、

知らない人に説明するための物がない。

LaTeXで数式かいた後に、文字カーリングや、フォントカラーの配色のような、

数式に合わせた配色といった記事を見たことがないのだが、みんな実施していたりするのだろうか。

Matzの講演について

https://supporterzcolab.com/event/30/

Matzの講演について、もにょった事があったので書く。

一応エクスキューズをしておくと、私はプログラマーとしてのMatz純粋尊敬してるし、Rubyも大好きだ。

なぜ「我慢」をするのか

Matzの講演の主張は、「理不尽を受け入れるな」ということだと思う。つまり我慢をするな」ということだ。

本来給与は、あなたの労力に対する見返りではなく、あなたが生み出した価値の見返りである。だから我慢をすることには、経営者労働者のどちらにとっても意味がない。」 この主張に対しては両手を上げて賛成である。ただしここには、「価値を生み出せない人」という概念が抜け落ちている。

価値を生み出せない人」は、「生み出した価値の見返りとして給与をもらう」ことができるか?当然Noである。ここで、「価値を生み出せない人」が給与をもらうために行なうのが、「我慢」であり「理不尽を受け入れる」ことではないか

ところで、「価値を生み出せない人」というのは誰か?具体的には新卒のことである。つまり、「若手」だ。今回の講演の主題は「若手エンジニア生存戦略」であったはずだ。

我慢をやめろ」というのであれば、もう一歩進めて、「どうすれば価値を生み出せるようになるか」ということについて、ヒントあるいは答え、あるいは「一緒に考えていこう」という姿勢が示されるべきではないか。それがなければ、単なる「煽り」だと私は感じる。

Matzに聞きたかったこと

理不尽を受け入れるな」「我慢をするな」大変結構な主張だし、正論だ。しかし、正論を通すことができるのは、「価値を生み出せる人」だけではないか

結局、私がMatzに聞きたかったのは、「価値を生み出せる人になるにはどうすればよいか」ということだ。

AI産業効率化を語るときに出てくる話

全部AIにすればもう人なんていりませんから、あとは事務女性でも二人くらい雇えば十分です

とかよくおっさんコメンテーターが言うのを聞くんだけど、簡単事務作業をするのは女性かい性差別があることがわかってゲンナリする

本人は従来の概念を捨てて新しい働き方を見つけましょうとか偉そうにぶってるつもりなのがダブルスタンダードまるだしで超キモイ

2017-05-21

日本型大企業上級ソフトウェア技術者がいない理由

日本型大企業の多くは、その中に構造矛盾を抱えていることが多い。

例えば職位ピラミッドいびつだったり、評価が建前主義だったり、ものすごく非生産的だったり。

そうしたものは、日本的価値観で非常に大人数を組織するための必要悪かもしれない。

ところで、ソフトウェア世界では、コーディングより重要概念として、「構造」がある。

ソフトウェア構造は直接眼には見えないが、要は「目的効率よく達成する要素の成り立ち/仕組み」のことだ。

構造を考える作業設計と呼ばれる。また、特にプロダクトの骨格となる構造アーキテクチャといい、それを作る人をアーキテクトという。

構造特にアーキテクチャが良くないと、そのプロダクトの構築に多大な困難が発生する。崩れた基礎の上に家を建てるようなものだ。

からソフトウェア技術者世界ではコーディングよりも構造を考えることを大切にしているし、必要とされている。


ここでタイトルに立ち返ってまとめると、次のように言える。

まり大企業というものは、「その組織的構造アーキテクチャ」に問題が多いのである

そして、ここで仕事をする設計者/アーキテクトは、常に改善見込みのない歪な環境に身を置くことになる。

構造」の把握・改善を得意とする人間は、歪んだ構造に居続けると精神的苦痛を受ける。優秀であれば優秀であるほど。

そうして、日本型大企業からは、優秀な設計者/アーキテクトが去って行く。

残れるものは、例外なく「ある特定の側面にしか着目できない程度」の技術者しかない。

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