「教義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 教義とは

2017-05-24

もちろんバカは黙ってろという人は許されない

知性による差別は許されるのか?

http://anond.hatelabo.jp/20170524223003

許されない。

デカルト良識はこの世でもっとも公平に配分されているものであると言った。人間の理性とはみな同じものであり、それに従うことで真理を解き明かせると考えた。これは科学思考論理的思考というものを崇める人にとっての神聖教義である

だが現実は違う。バカは何をどう説明しても理解できないかバカなのだ。かわいそうなバカ。彼らには良識が与えられなかった。神に見捨てられた存在だ。食われるために作られた豚とかの同類だ。だが、豚にも自分の信じたいものを信じ、命とプライドを守る権利がある。

から、理性ある人よ、バカ差別してはいけない。食べてはいけないとは言わないが。

http://anond.hatelabo.jp/20170523235228

賢いコミュティになる「ほど」といった割合の含め方をするなら、世界宗教化してるキリスト教が多くなるというだけ。

あとはメイソンと同じでメリットがあるから教義関係なくサロンとして集ってるやつもいるだろう。

学校なんかが多いのはその程度の理由。数が多いところに人が集まるくらいの話。

2017-05-19

親が新興宗教やってる

前提として、これは別に宗教批判するつもりは全くない。

私自身は、宗教趣味の一つみたいなものだと思ってるから、人が何を信じようがどうも思わない。ただ、世間はそうはいかないということは、きちんと理解している。

年齢も年齢だし、そろそろ婚活(合コン婚活パーティー結婚相談所、友人の紹介等々)しようかなと思っているけど、相手申し訳なくて、なんとなく積極的になれない。

だって、私の親は新興宗教やってる。彼女の親が熱心な信者ってどうなんだろう。

そもそも信仰する宗教教義では、男女間の恋愛は厳しく制限されていて、小さい頃から男の子と親密になってはならないと言い聞かされていた。その影響もあって、男性とどう距離を縮めていいのか分からない。

親がどの宗教を信じようが、それは親の問題であって、私は私だとずっと思ってきた。宗教とは全く関係のないところで、出会って結婚したいと願ってきた。

でも結局のところ、同じ宗教信仰者同士で結婚するのが一番いいのかもしれない。それを考えたら、吐き気がする。

ちなみに姉は、親の宗教も引き金となって離婚した。

三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。

目次 [非表示]

1 概要

2 平安初期の仏教

2.1 法相宗と徳一

2.2 天台宗最澄

3 論争の経緯

3.1 論争の発端について

3.2 著作応酬

4 最澄激昂の理由

4.1 最澄孤立

4.2 南都教団への対抗

4.3 中傷者徳一に対する怒り

4.4 蝦夷征討との関係

5 その後

6 注・出典

7 関連項目

8 参考文献

概要[ソース編集]

「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便真実理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗根本経典である法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗声聞乗・縁覚乗)・大乗菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこ真実であると主張した。このように三乗一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。

ただし、徳一と最澄の論争は三乗一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作執筆しており、これは徳一から批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗空海774年 - 835年)への論難である真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である

いずれにしろ論争は著作応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。

平安初期の仏教界[ソース編集]

奈良時代興隆したのは、法相宗華厳宗律宗などの南都六宗である本来南都六宗教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである

この時代日本における仏教は中国と同様、鎮護国家思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇737年 - 806年)が平城京から長岡京平安京遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家宗教として最澄天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教牽制する意図もあった。

法相宗と徳一[ソース編集]

日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国飛鳥法興寺でこれを広めた。

徳一は一説には藤原仲麻呂恵美押勝とも。706年 - 764年の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。

前述のごとく、徳一の著作ほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。

天台宗最澄[ソース編集]

天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。

最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇天台宗学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年帰国した。

帰国後、最澄桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである最澄さらに同じく入唐した空海師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教既得権益との対立を深めていた。

論争の経緯[ソース編集]

論争の発端について[ソース編集]

論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。

ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身鑑真弟子で、律宗僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要役割果たしていた存在であった[6]。

筑波山を開山し、会津拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。

著作応酬[ソース編集]

三一権実諍論に関する著作としては、

≪徳一側著作

『法華肝心』2巻

『法華権文』1巻

『中辺義鏡』20巻

『慧日羽足』3巻

『遮異見章』3巻

『義鏡要略』7巻?

法相了義灯』11巻

『通破四教章』1巻

最澄著作

『照権実鏡』1巻

『依憑天台集』1巻

守護国界章』9巻

『決権実論』1巻

『通六九証破比量文』1巻

『法華秀句』5巻

などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、

徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論

徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論

最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。

となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。

一連の論争の内容は難解で、一乗三乗の権実のみならず、教判論における法華経天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論のものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。

天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。

最澄激昂の理由[ソース編集]

下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。

最澄孤立[ソース編集]

最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海師事することになる。

最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年806年)に帰国していた。最澄空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海高雄山寺において灌頂を受け、正式空海弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。

しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さら最愛弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。

天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。

南都教団への対抗[ソース編集]

最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇設立など、天台宗確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗理論である徳一を説き伏せることは、天台宗南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。

中傷者徳一に対する怒り[ソース編集]

徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義のものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。

蝦夷征討との関係[ソース編集]

宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。

最澄東国に下った際に活動拠点としていたのは亡き道忠が活動拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野上野両国から陸奥出羽両国に対しては国司から課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗東国鹿島神宮香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗公認を得たばかりの最澄東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄東国行きに随行した弟子円仁下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。

これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<

鎌倉時代僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派

一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。

以後、同寺を本山として東北関東尾張近江に一向の法流と伝える寺院分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係宗派として存在している事が記録されている。

一向と一遍智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己教義確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏のもの特別宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。

浄土真宗本願寺八世の蓮如北陸地方活動の場を求めた時に、布教対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗時宗支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗民衆蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺門徒一向宗名前を使ったもの破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派混同されている。

江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺総本山とする単一宗派時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗から独立を求めたが実らなかった。

明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]

大半の寺院時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。

ゆかり寺院[編集]

番場蓮華寺滋賀県米原市

佛向寺(山形県天童市):現在でも踊躍念仏を伝える。

浄土真宗の「一向宗」[編集]

浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である

「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏名号を称えることと解釈され、親鸞宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。

したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗門徒一向宗自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。

こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。

江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。

http://anond.hatelabo.jp/20170518204136

私は、ほかほかごはんとあつあつみそ汁教の教徒なので、

夫のごはんだけ先によそっておいて、冷めるまで放置、というプロセスが、

なんていうか思考停止してしまいたくなるぐらいの禁忌行為に思えてしまった。

せっかくのつやつやほかほかのごはんがカピカピに乾いてしまいそう……、とか、

真っ白でほかほかの湯気が立つごはんに塵が落ちたら……!とか

想像しただけで手が震えて、放置しておく、というのが出来なそうな気がする。

奥様が私と同じ、ほかほかごはんとあつあつみそ汁教徒なのか、そうじゃないのかは分からないけど。

ほかほかごはんとあつあつみそ汁教は、実は隠れた日本の伝統宗教なので、理性で割り切れる問題ではなくて

もう宗教的倫理観と密接に絡み合った生活習慣になってしまってるんだよね。

例えとしては、仏教なっちゃうけども「仏様に上げるごはん」みたいな気がしちゃうというか。

それを愛する夫に食べさせるなど……!お米の神様(ほか教の神)に申し訳が立たない

ところで、私個人は、お弁当の冷やごはんは、冷たいまま食べるのが当たり前なので全然気にならない。

実際に増田が例に出している駅弁はじめ、冷めてから食べるお弁当は、おかずも含め「冷めて美味しい」ように調味されているし。

一方で、コンビニ弁当ごはんレンジで温める行為は、何となく、……違う。と感じる。

コンビニ弁当ほかほか問題は、教義原典では言及されてないので、教徒内でも意見が分かれるところなんだけど。

あと寿司ごはんは冷やごはんではあるが、あれも完全に冷たくするのではなくちょっと温いぐらいが、ほか教では「よろしい」とされる。

で、解決方法として一つ思いついたのだが、ごはんをいつもおにぎりにしてくれ、というのはダメだろうか。

ほか教では、おにぎりを握る時には、ごはんがあたたか状態で握ることが絶対正義とされているのです。

一方で、炊きたてすぐをおにぎる時には、手のひらのやけど恐怖と闘いながら、愛情をこめてにぎることが教義的に正しい。

おにぎっている作業過程おにぎりは冷めていくし、ほか教的にも「正しいほかほかごはんへの態度」を取り続けることができる。

まぁ、奥様がほか教徒じゃなかったら、あまり意味がない方法かもしれないけれど。

2017-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20170518030116

じゃあ、宗教全否定教の信者だね。

教義もはっきりしてる。自分以外のすべての宗教は間違っている!

2017-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20170517152356

世の始まりは知性からである。即ち「我、光あれ」の言葉とともにこの世が生まれとあるように、

「光と世界」の前に存在したのが知性なのだ

この定義付けから詳しく説明を。人間的知性でないことは明白だが、

純粋なる知性が人間の枠外(カント風に言えばア・プリオリな枠組み)を超えて存在しうると論ずる根拠不明

ブクマでは違う作者じゃないかと言われているけど、このあたりを見る限り同一ではないかと思っている。

もし人よりも高等な存在がいて、それが時間とかを超えた文明をつくっているのなら、結局、この世界に介入するだろうね。

「ねーよ」

という感情論はともかく、根拠不明定義を元に記述しても無意味じゃないですかね。

なんかこう抹香臭いというか、キリスト教哲学臭いがプンプンする。

これは言い換えれば神を一神教世界観で再定義した「教義」にしか見えない。

知性の存続は時間という概念を超えたところにある。つまり「我、ここに有り」という瞬間がいずれかの

空間軸で萌芽した時点でそれは「有る」。またそこに「有り続ける」。結果として、知性は時空間という

概念の上位構想として存在しうる。

「ねーよ」

……おっとまた口をついて出てしまった。

デカルトの述べる「我あり」とかちょっと帰結早すぎねえ?

つってハイデガーさんからクレームついてたはずですけどね。

イデア論人格神を付け加えましたって感じ。

形而下においても知と知が自然発生的に生まれ相互作用する、

という作用を述べたいだけなのは分かるけど、根幹がいい加減にしか見えないので鼻白んでしまう。

あと、我あると思った瞬間に形而上にもそれは「ある」として存在する前提とかオカルトかよ、と思うし。

前提の一神教世界観が、そもそも人間限定知性を産んだのものが全智である

という思い込みによってなされてるから臭みが強い。

俺なんかでもアホらしいと感じてしまうので、もっと勉強した人から失笑モンじゃないでしょうか。

2017-04-23

相変わらず推定有罪人権否定し優しい顔をした日本会議はてな村民

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASK4N4T86K4NUUPI00D.html

ブコメ欄みて愕然としたわ。はてなの皆さんは中世なみの倫理をお持ちなんだと関心するね。

例えばid:homararaコメント(こいつだけじゃなくて色星つけたid:amanoiwato id:erukiti、その他スターつけた奴らもちゃんと聞けよ)。"関わっていようといまいと、自殺者が出たクラスの生徒には内申書や履歴書に「同級生自殺」と記載する事を義務付けるべき。"

なんでこれがワッチョイされてんだ?普通におぞましすぎんだけど。罪人の子が罪人だった江戸時代か?ただでさえ息子の犯罪母親記者会見で涙してる世の中なのに今度はクラス隣組ごっこかよ。考えてもみーよ、お前らが面接する生徒なり就活生なりの履歴書に「同級生自殺」って書いてあるんだぜ?もう気持ち悪いったらありゃしないし(←自殺がではなく本人に関係ない情報が載ってることがね)絶対就職差別食らうだろ。麻原彰晃の娘が大学入学拒否された国なんだから容易に想像がつくよね。それこそ部落在日を笑えない状態になるでしょ。

なおかつ履歴書タトゥー掘らされた無辜クラスメイトだけじゃなく、いじめられてる張本人にも不利益なのは明白。なぜならばタトゥー彫られたくないクラスメイト一丸となって(ああ絆って美しい)いじめ隠蔽するだろうからだ。仮にいじめ被害者自殺したとしても内申書や履歴書に「同級生自殺」と記載されたくない点でクラスは一致団結してるのでウソをついてでも事故か何かを装うだろうよ。俺もそうするもん。

でもはてな村民犯人(と思われる人)を土に埋めてノコギリで引いてキャッキャウフフできればそれで満足なんだろうなー。

[重要]揚げ足とりが大好きなお前らのために言っとくけど「はてな村民」「はてなの皆さん」と主語がでかくてオマエモナーなのは承知してるし日本会議教義とかもよくわかんないし過激言葉遣い多めだけどただのレトリックネットスラングから突っ込まないように。あとidコールしてんのは晒したいわけじゃなくてマイオピニオンを届けたかっただけだよ。

[星をつけた皆様(書き込み時点)]id:retrokomachi id:yogurina id:toppogg id:Hige2323 id:tanaka6119 id:hatehate0920 id:porimern id:n_tomo id:peketamin id:repon id:atahara id:w400 id:test_neko_jp id:ineod id:yumenoa id:techboon id:uunfo id:LaNotte id:bbnaka314 id:rashtail28 id:uza_momo id:irukakorokoro id:respawn id:otoan52 id:black-tiser id:Aodrey id:indeee_333m id:Kassy8107 id:innoshimniac id:fu_kak id:flowerload id:kotobukitaisha id:tora2142kuma id:yukimurasama id:hopperjp id:vndn id:Ryotsubo id:hate1229 id:amikonds id:minoymmt id:Wanko id:greenbuddha138 id:takamurasachi id:ata00000 id:oobatomoyama id:six13 id:ririankou id:lli id:ZGOK id:omh41 id:natsukitchen id:HILOKI-T id:hirotanatumi id:bkios id:Shibe id:izum5 id:camellow id:kyo_ju id:i_ko10mi id:Nekomajin id:wumf0701 id:ryun_ryun id:Dai44 id:sigege id:accaman

2017-04-16

メンヘラには子供の頃キリスト教教育を受けていた人が多い

というTweetを読んで確かにと感じた。

自分の周囲を見回してもこの傾向はある。

で、理由を考えたのだけれど、おそらく「原罪」の概念の受容の仕方に問題があるように思う。

原罪というのは人がみな等しく抱えている罪であり、キリスト人類の代わりに罪を背負って死ぬことで我々は神から赦された、というのがキリスト教教義なのだが、

このキリストの死による人類の救済というストーリィの御伽話っぽさに比べて、原罪という概念リアルである

我々はいろいろな欲望を抱えて生きている。

中には人に言えないようなものもある。

欲にまみれた人間であるところの自分が、完全に正しくあれるということはありえない。

我々は罪人であるということを強調するキリスト教教育の中で、この認識ますます強まっていく。

だがこの流れに対して我々日本人キリストによる救済というもう一つの側面をいまいち信じることが出来ない。

それは歴史的文化的にそういう社会の中で育っているのだから仕方のないことなのだが、

この原罪リアリティと救済のアンリアリティによって、日本人はただ罪の意識のみを内面化する。

それがある種の人たちの自罰的な傾向を生んでいるのではないか、というのがわたしの考えだ。

キリストによる救済を信じることの出来ない彼らは、自らが十字架にかけられて死ぬことによってしか己を赦すことが出来ないのである

2017-04-08

そろそろイスラム教教義自体問題があると認めたら?

世界テロの76%割がイスラム教って異常でしょ

2017-04-03

人それぞれ教 教義

1. ある人の好き嫌いを一番よく知っているのはその人自身

2. 頭のおかしい人から見るとまともな人は頭がおかしく見える

3. 統計的な傾向を個人に当てはめることはできない

4. おまそうは煽り言葉ではない

5. 人それぞれ教を信仰しない自由を認める

2017-04-01

菊池誠活動最初から最後まで権威主義にすぎない

http://anond.hatelabo.jp/20170331130851

たとえばカールセーガンの懐疑主義であれば、

「懐疑するということは、危険分子になることだ。 なぜなら懐疑主義はすでに確立された制度に異を唱えるからである

懐疑主義のやり方にも欠点はある。対立の図式を持ち出し『われわれ』対『彼ら』という感覚、『真理はわれわれが独占している』という感覚。『こんな馬鹿げた教義を信じている連中は頭が悪い』といった論調がそれである。」

権威主義に陥るな。権威のいうことだからといって当てにしないこと。権威はこれまでもまちがいを犯してきたし今後も犯すかもしれない。」

科学の核心は一見すると矛盾するかにみえる二つの姿勢バランスを取るところにある。一つはどれほど直感に反する奇妙なアイディアであっても新しいアイディアには心を開く姿勢。もう一つは古いアイディアと新しいアイディア双方に懐疑的かつ徹底的に吟味する姿勢である。」

といったバランス感覚があるが、菊池誠にはそれがない。

権威教科書が全てで、新しいアイデアや状況は受け付けない。

それでも水伝のような明らかな詐欺を叩いている際は大きな問題は起きなかったが、権威主義対応できない問題にぶち当たった時、菊池誠破綻が始まった。

典型的なのは有名な大震災後の「メルトダウンじゃないだす」発言で、これがわかりやすい発端といっていいだろう。

https://togetter.com/li/197084

菊池誠権威である東電原子力工学者の見解を無批判に受け入れるだけで、実際に起こっていることを分析的に思考することができない。

結局、彼は未だにこのデマ発言を訂正していない。

ちなみに現在メルトダウンを認めていない学者は、確認できるかぎり菊池誠池田信夫高田純の3名である

その後も当の東電も認めたおしどりマコ取材に基づく排気塔問題についても根拠もなく否定したり、

https://togetter.com/li/941464

被害を訴える福島の人を揶揄したり、

https://togetter.com/li/808369

辻元デマを真に受けたりと、

https://twitter.com/lautrea/status/845463623648526336

ネトウヨミソジニスト区別がつかないところに到達している。

晩年おかしなことになる物理学者というのはままあることだが、菊池誠場合は単に一貫して単なる権威主義だったということで話は終わりなのではないか

おまけ

http://b.hatena.ne.jp/entry/329850045/comment/lets_skeptic

ブクマで「自分の「メルトダウン」という言葉認識問題であったことを認めている」と書いてる人がいるが、

菊池誠2016年ですら「メルトダウン炉心溶融は違いますよね」と主張している。

https://twitter.com/kikumaco/status/700744555314835456

まりこれは菊池誠が「だから自分は間違っていなかった」といっているのだよ。明確に「間違いだった」という表現あるいは謝罪の意を表明した言葉を探してみるといい。ないから。

問題言葉だけの問題ではなく、当時菊池誠メルトダウン可能性を指摘した人たちを誤った知識で叩きまくっていたことも含む。擁護者らはこれをまるで無視するのだから、同じ穴のムジナと言わざるをえない。

たとえば菊池誠の以下の発言デタラメ

https://twitter.com/kikumaco/status/702471667054833664

正しくはこっち。

https://twitter.com/miakiza20100906/status/703532925413765120

2017-03-30

フェミニズムというのはハナからチン上げ交渉の道具でしかない

あいう人らは別に男がフェミニズム教義上正しい行動をすることなんか求めてない。

ただ男のやることにひたすらいちゃもんつけて騒いで、迷惑料をもらいたいだけなんだよ。

からポリコレ違反なんかよりも、リソースを払わない弱い男がイキっちゃうのが一番許せないんだ。

逆にリソースを払えるだけの強い男が相手ならあっさり引き下がるのも当然で、

それに文句を言う方が筋違いだ。

そういうわけで、あんものを行動の基準にしてたら頭おかしくなる。

http://anond.hatelabo.jp/20170330174222

2017-03-26

雨ニモマケズ」は宗教

宮澤賢治のいわゆる「雨ニモマケズ」は検定教科書で出てくることが多く、やたらともてはやされてきた。しかし、「雨ニモマケズ」が宮澤賢治自身信仰の表れであって、いわば宗教であることは、習っただろうか? 習っていないとしたら、いろいろとまずい。国家的にしれっと宗教教育をやっているということであるし、また、正しく教えていないという、まさに学力低下以前の話。

宮澤賢治がなりたかった「そういう人」というのは、ブッダである。欲は無く、いからず(瞋らず)、よく(能く)観聴きする、すなわち貪瞋痴(三毒)の無い、覚った人だ。相談を受けて廻り、調停に入って争いをやめさせる人物。なりたい姿を自ら書いて携帯することで、己への戒めにしたのである本来の「お守り」、憶持仏のたぐいだ。

宮澤賢治には、肉食(ニクジキ)に批判的な著作がよくある。豚を主人公にしてみたり、人の方が食われそうになる話を書いたりした。農業研究していたのもおそらくは、肉食をせずとも生きていけるからだ。

そしておそらく、宮澤賢治は、ブッダ釈尊)に関して事実誤認をしている。史実釈尊は、雨季安居をしている。つまり、雨季には外を出歩かず屋内で過ごしている。

史実釈尊は、無理をするなと説いていた。しかし往々にして捻じ曲げられるもので、無理をしたり、苦行をしたりする「仏教」がつくられてしまっている。

それに、和國(日本)に届いた仏教と称するものは、中国信仰がごちゃまぜになっていて。つまり儒教が混ぜ込まれている。それは、中国での布教教化のために都合がいいからだし、権力者などが儒教教義矛盾しないことを求めたからでもあるだろう。そうして、中国では仏教儒教習合し、それが輸入された。ちなみに、中国技術文化を受容するためにも神道仏教習合したり、儒教とまぜられたりして、現存する神道本来のものではない。

ともかく、史実釈尊も丈夫な身体はもっていたけれども、雨風に勝とうとはしなかった。

教科書にやたらと出てきて「雨ニモマケズ」がもてはやされてきたのは、いわゆる根性論、「頑張る」ということを注入するためだろう。無理をして「頑張る」ことを美化することが未だに行われ、わざわざ公的教育されている。世(国家社会)のため、ひと(他人)のためには、己を傷めつけることも厭わない、そうした生き方がずっと美化されてきた。世のため人のために自らを犠牲にするという教条は、そもそもは儒教であり、言い方を換えれば軍国教育のようなものだ。要は、階級差別と、全体のために個を犠牲にするという全体主義である

かように日本かいものは未だに政教一致国家なのだけれども、そのことに自ら気づかなかったり、気づかないようにしむけられていることは危険だし、だからこそ、社会の既成構造優越させて変革を避け、創造性や生産性が低く、そして、自死率は高い。

2017-03-18

学校は「道徳」じゃなくて「常識」を教えるべきじゃね?

ネットリテラシーとか公共料金の払い方とか領収書の貰い方とかを教えようぜ。

宗教ごとの教義とかも覚えておくと異文化コミュニケーションで便利かも。

道徳」なんてものは最終的には森友学園のやってるような事の延長線上でしかないんだから教えるのはやめた方がいい。

2017-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20170310234239

野菜がどうこう言い出す前は、あらゆる場所に現れては他人を「大脳の壊れたメンヘル」呼ばわりして去っていくだけの通り魔だったからね。

今も量産するコメントの内容が変わっただけで攻撃性の高さ含めやってることは基本的に同じだし、実際に人が死んだという記事にすら「自分教義に従ってさえいればこいつは死なずにすんだ」なんてカルト教祖みたいなコメントを平気でするから相変わらず顰蹙を買っている。

2017-03-06

宗教を持つ意味

僕の家庭は親がカトリックだったから、自然洗礼を受け、教義自体違和感とか感じることはあったけど、十年間以上教会に通っているし、それを当たり前のことだと思っていた。

でもある時、サークルの予定や友達との約束が尽く教会礼拝イベントの日程と被り、全部潰れた時があった。社会にとって日曜日なんて土曜日と変わらないんだから、そういうことは昔からよくあったし、普通だと思っていた。でもなぜかその時はこういう考えが浮かんできた。「なぜ僕は自分のやりたいことを捨ててまで教会に行ってるんだろう」と。その行為信者たちは「神への犠牲」として尊ぶ。でも犠牲にして何かあるの?色んなこと要求されるけど、そもそもカトリック信者やってて良いことあったの?そこから僕は自分宗教信仰する意味を考え直すようになった。

確かに僕の倫理観カトリック教義によって培われたものかもしれない。でも宗教持ってなくても素晴らしくて尊敬できる人はたくさんいるし、むしろ神父なのにクソみたいな性格の奴だっている。正直聖書の言葉なんか一度も心に響いたことないし、それよりも自分人生の中で生み出してきた言葉のほうが自分をよく支えている。神を信じないと地獄に堕ちるって言われても、死後のことなんて知ったこっちゃないし、ほらっ、宗教が無くても十分幸せに生きられるじゃないか。結局宗教の主な役割ってコミュニティ形成だし、僕が信者を辞めないのも、家族や今まで教会で培った人たちとの関係を壊したくないからなんだろうなと思う。多分海外一人暮らししたら教会行かなくなるよ。

まあこんなことを言うと、「神父様や他の信者さんに相談してみなさい」って案の定言われるんだろうけど、神父や“熱狂的な”信者ってやつは、普通の人が到底納得できない「神の言葉」を延々と振りかざすだけで、何の解決にならない。多分神の言葉を万能だと思ってるんだろうな。本当に絶望している人には神の言葉なんてこれっぽっちも届かないけど、まあ彼らは絶望したことがないから分からないんだろう。

そもそも信者たちはこういうことを考えること自体を「神に背くこと」として忌避する。まあそれでもいいけど、そんな思考停止状態じゃ普通の人たちに神の言葉なんか伝わるはずないし、教会の先細りは決まってるようなもんだよね。

2017-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20170303203115

伊藤園は、別になにも水素水効能はうたってないし、ちゃんと水素はいってるしで全く問題ないやろ。

お客さんが、個人自由信条に基づき、分子水素を含む水を欲しがっているのならば、大手メーカーとして安全水素水提供するべき責任果たしているだけ。


水素水教を信じるかどうかは個人自由だし、伊藤園自身水素水教の信者ではないからといって、水素水を作ってはいけないという教義は無いのだ。

2017-02-24

http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/51052

バカにしてる光景でソッコーでこれ思い出したわ。

noiehoie on tumblr • サヨクって本当にダメだなぁと思った件。

この件、是々非々を許さなカルト的怖さがあるんだが、分からん人には分からん

教育勅語の件、「園児教育勅語」ってバカにしてるが、この事件ってほっといたら 幼稚園小学校中学校〜と進む話だったんだぞ。

そうすると、カルトお墨付きの進学コースで人の上に立つ人材には、教育勅語教義としてたたき込んでおかなければならないという意図が読み取れる。

【戦前教育を幼児に強制する塚本幼稚園】教育勅語の犯罪性について考える。 – お役立ち情報の杜(もり)

ちなみに御真影は、戦前宗教弾圧では神道と毛ほども関係ないキリスト教会・仏寺に御真影が祀られ礼拝されていたわけだが、これは上の件と合わせると

教育機関国歌斉唱の次は御真影を祀らせたい」だ。

それはそれとして、塚本幼稚園

1. 紀元節現在建国記念の日)、天長節(同、天皇誕生日)などの祝祭日に、校長教員児童学校に集まり儀式を行わなければならない(以下、式次第)。

2. 式場中央に奉掲した天皇皇后のお写真の覆いを撤する。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。お写真を拝戴していない学校では、宮城遥拝を行う。

3. 国歌を歌う。

4. 校長が「教育勅語」を奉読する。参列者は奉読開始とともに上体を前に傾けて拝聴し、奉読終了後に敬礼してもとの姿勢に復する。

5. 校長が訓話を行う。

6. 当日の儀式唱歌を歌う。たとえば、紀元節では「紀元節」という唱歌を歌う。

7. 天皇皇后のお写真に覆いをする。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。

のような扱いをしていないから、たんなる戦後二次創作と嗤っていいものだろうか?ちょっと軽すぎない?

皇室グラビア」と「御真影」 : 戦前新聞雑誌における皇室写真通時的分析 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192611/1/kjs_009_093.pdf

に目を通せば、そんな単純な物ではないと思うよ。

イギリスのタイムズより取材を受けました。|新着情報|塚本幼稚園幼児教育学園

笑顔で丁寧な先生、2~5歳の制服を来た子供達は、他の幼稚園と同様愛らしい。しばらくした後、園児たちの“おじぎ”をする光景に気付く。それはお互いにするのではなく、壁の写真に対してである

それらは、天皇画像である。:天皇陛下明仁」、その父「裕仁」、さらに19世紀の明治天皇

2017-02-23

まれも育ちもカトリックなので

カトリックの教えを道徳のような感じで捉えている

から教義がなんだ細かい定義がどうのこうのみたいな話がかなり違う世界に見える

2017-02-18

犯罪者の更生への無理解は「地獄観」が問題ではないか

洋の東西を問わず、それぞれの文化には宗教的地獄という概念があり、

そしてその地獄は決して終わりのない絶望的な苦痛と恐怖の繰り返しというイメージがある。

そこには当然、救いなど無い。

救われるのならとっくに天国に行っているので、

文字通り救いようのない人間こそが地獄に落ちることになっている。

まり地獄という概念存在が、すでに、人に対する救済の断絶という選択肢を用意してしまっているのだ。

現代宗教の影響が非常に薄まっているので、

例えば憎まれ口を利く時に「地獄に落ちろ」などといった時代がかったことを言う人は少ないが、

だがしかし地獄という概念理解しない人はほぼゼロと言っていいくらい、人々の深層意識には根付いている。

その深層意識が、現実世界犯罪者に向かって浮き彫りになってきているのではないか

そして、厳罰を望み、更生という認識が薄い人たちの思考の原理には、

この地獄概念が横たわっているのではないかと思うのだ。

まり犯罪者悪人から地獄に落ちるべきだ」という深層意識があるからこそ、

犯罪者には極刑を、という認識に結びつくのではないかという仮説を唱えたい。

そこで更に論を進め、この問題解決するには、地獄の内部にも更生施設を設置してはどうかというのが私の提案だ。

悪人正機説現代でも未だに根強い支持を得ているが、それを更に進めて、

地獄において悪人正機救済制度を構築するのだ。

昔の人はまあやることがなくて暇だったのだと思うのだが、

地獄描写がやたら詳しい。

大抵の宗教地獄階層が分かれてて、

それはそれは多種多様のあらゆるニーズにお応えする地獄の責め苦が用意されている。

余談だが、このイメージは人気マンガワンピース」のインペルダウンにも投影されている。

LEVEL1~7とあって、深い階層に進むごとに責め苦が増大するのだ。

まり私が言いたいのは、LEVEL5.5的な施設を作って、

そこで見どころのある罪人は救済措置適用を受けても良いという教義を今からでも導入できないのかということだ。

ワンピースの例えがピンとこない人は、ロンダルキアの大地におけるセーブポイントとしての教会を思い浮かべてくれれば良い。

要は、地獄に落ちてもまだワンチャンあるで、という認識を浸透させることが、

巡り巡って犯罪者更生の理解に繋がるということが言いたいのだ。

そのためには神話宗教観への手術が必要なのだ

これは千年から歴史がある三大宗教には少しばかり荷が重い要求だ。

あそこまで超巨大な宗教体系が出来上がってしまっているものに、いまさら大きな変更を加えることはまず不可能であろう。

そこで注目すべきは、

今何かと胡散臭い目で見られがちな新興宗教だ。

何かというとマインドコントロールお布施を利用した金品の収奪で不興を買いまくっているのが現状だが、

ここで一発逆転、地獄にも救いはあるんですよ、という人類に優しい宗教観喧伝すれば、

三大宗教にも対抗しうる一大勢力を築き上げることも不可能ではなかろう。

例えばイスラムでは天国に行くと72人の処女ムフフ♡三昧の日々が送れると言われているが、

地獄に落ちてもちゃんと更生すれば3人くらいはおっぱいを揉ませてくれるよ、

という救いを用意するのだ。

真面目人間天国を当然目指すし、

ちょっと世の中しくじっちゃったやつも、そっかおっぱいもめるなら頑張れるかも!と思える。

これはすなわち全人類に対する福音である

女子は適宜イケメン等に置き換えて各々の嗜好に合わせたストーリィーをこしらえてくれ)

本稿の結論としては、

清水富美加氏が大川総裁クーデターで亡き者にした後、

教祖として前述したような地獄における救済を設定した宗教観世界に広めて頂くことが最も現実的シナリオだろう。

私は彼女の夫となってムフフ♡な日々を過ごす予定なので、

お前らはぜひ我が教団の信徒になって天国地獄を目指して欲しい。

言いたいことは以上だ。

2017-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20170214193556

宗教は良いも悪いもなくて、教義の中に悪いものがあるという感じでは?

仏教だと即身仏になるのとかは自殺幇助からダメだし、イスラムだと自爆テロよくない。

十字軍侵略戦争だし、勝手他人守護霊がどうとか言うのは名誉毀損だよ。

2017-02-14

日本人は、宗教教義<周りへ迷惑かけない

これはもうこわいわ

何が言いたいって清水富美加のこと

人間宗教のために生きれるし、死ねるし、人生を費やせる

人間はそのくらい弱く儚い生き物

日本以外じゃ当たり前で、そのくらい教義に厳格で、理解があり、また邪教を廃絶する

日本人にはわかりにくいかもしれないが、宗教というのは国家の上に来る存在で、極端な話、イスラム国家じゃ法律の上に戒律がある

なので、最低でもわからなきゃいけないのは、他人信仰というのはものすごく敬意をもって尊重すべきことだ、ということ


俺は幸福の科学については、ほとんど何も知らないが、それを信仰する人を尊重したいと思うし、信者にとっては法より大事なこともあるということは理解してあげたい

日本国内においては違法行為ダメとは思うが

女優が、信仰上の理由女優業をやめたいとのこと

何も問題ない

番宣ができない、仕事がまだ残ってる、多くの人に迷惑がかかる、そんなことを言って批判する人がいるようだけど、それ、イスラム国家アメリカに行っても同じこと言えるの?

ここは日本から関係ないって?日本じゃ宗教的無理解は許されると思ってるなら野蛮国家もいいところよ?


まあ、批判してるのは芸能人関係者で、一般の人は、ふーん程度と思う

しかし、批判してる芸能人の野蛮さに腹もたつし、恐ろしくもある

特にLiLiCo

あん海外育ち、スウェーデン人売りしてるような人間が、他人信仰より上に、業界への迷惑を説きます

外人売りしてるわりに、海外デリケートなところ何も理解してないやないけ

まあなんだ

他人迷惑かけるのは俺もいいとは思わない

でも、これが教義ではなく、交通事故や重大な病気など、健康上の理由で続けられなくなったとしたら、ここまで反発し、批判し、大きく報じるようなことがあったか

ないだろ?

健康上の理由以上に、信仰上の理由は重たいことくらい、国際社会で生きるなら知っておいてくれ

2017-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20170213102919

預言者とかじゃなくて神そのものなんだ。すげーな。すると大川隆法の言うことがそのまま教義なのか

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん