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はてなキーワード: 故郷とは

2017-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20170321003142

私学の定員厳格化自体、突然言われたわけじゃなくて2年前から周知されてるわけで…

個人学力問題と、進路指導した教師の目算が狂っただけだろう

18歳の息子の進路を親の東京コンプレックスで決められちゃって可哀想というのもあるが、

そもそも

そもそも地方田舎に人が集まらないのはそこに娯楽も魅力も金もいからで、まずそっちを改善する方が先でしょうに。

増田自身が、住み続けることを結果的に選んだ自分故郷である地方

娯楽も魅力も金も、何か一つでも作り出すことが出来なかった大人であることを恥じたりはしないの?

なんで全部息子や息子たち若い世代おんぶにだっこなの?

それでいて息子たちの人生自分コンプレックスで縛りつけてる自覚ある?

自分がそのツマラン田舎構成要因である自覚ある?

2017-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20170319211850

そういうのは、現状維持でも多少なりとも良いと思える状況があったら悩むべきことであって、

現状のままだとクソなのが確定している、一歩踏み出してもうまく行くかはわからないって、踏み出さな理由ないのでは。

その感じだと、今以下にはならないでしょう。

うまくいかなくて、故郷に戻ることになったところで、経験が増える分、今よりは恐らく多少マシになっているのでは?

あと、頭の先からだけで行動を変えることができればそれに越したことはないんだけど、

あなたに限らず社会の人々の多数派にとってそれは容易いことではないので、

自分気持ちや行動を変えようと思ったら、何か物理的な変化を迎え入れるのがいいよ。

そのための手っ取り早い手段として、引っ越して、生活環境を変えるというのはアリかと。

25歳なら、まだ若さ採用に影響するうちに入るから、いまのうちだよ。

実家暮らし24歳の一人っ子だが遠い夢棄てきれずに故郷を棄てたい

今年25歳になる女で、地方暮らし高卒

資格運転免許ITパスポート(笑)

彼氏いない歴=年齢の人間のクズ

父は数年前に亡くなって、母のことは嫌いなんだけど高齢だし、ほっとくのもどうかと思ってる。

今の仕事刺身の上にタンポポを載せるような仕事で、クソみたいな給料でこき使われてんだけど、人間関係には困ってなかったからやめるやめる詐欺でずっと働いてきた。それが最近ハロワで変な噂(だいたいあってる)が流れてて、そのせいで日本人が入ってこなくなって、ろくに日本語もできないような外人さんを、面接(笑)採用して、わずかに入ってくる日本人も、なんかこの人ほかに行くと来ないんだろうなぁって池沼しかいないしで、クソみたいな中国人犬猿の仲になったりで、やめたい。新卒も二人とも屑だったしさ。さっさと辞めればいいのに。

からさっさと辞めたいんだけど、年金暮らしの母を扶養に入れてるから、なかなか一歩を踏み出せないでいる。

任意継続を選べば、2年間は母の保険証は手に入るけど…

から親に稟議を出すのが苦手で、あれがしたいとかこれがしたいとか、自分意見さらけ出すのが苦手で、遠い夢捨てきれずに故郷を棄てたいんだって言えれば楽なんだけど、MPが足りない。

昔夢見ていた職業があって、それをずっと忘れてたっていうか、言い出すのが恥ずかしかったっていうか、ってんで、今は刺身の上にタンポポを載せる仕事に甘んじてるんだけど、それももう6年目…

学生の時はパソコンの大先生(笑)で、趣味プログラミングちょっとできたから、お前はそっちに進めとか周りに言われてて、でも数学がてんで駄目だったからやめたんだけど、今ちょっと触ってみようと思っても、全然筆が進まない。エディタ開いて、やっぱいいやって。能無しみたいにホッテントリニコレポとtwitterFB巡回して、転職先でも探せばいいのに、ばかじゃないの。

こんなんだから上京したって無駄貯金食いつぶしながら故郷にも帰れず、クソみたいな30歳になるんじゃないかって、かといってこのままだらだらと今の生活を続けていても、クソみたいな30歳になることは明白だし。仮面夫婦な親を見て育ったので、結婚なんてできるわけないし。

もう少し強くならなけりゃ時の流れに負けてしまいそうだっていう焦燥感が常に襲ってきてて辛い。

私みたいなのが友達もいない東京にふらっと出てきて、生きていけるのか、だれか教えてほしい。

このままじゃ嫌なんだ。

追記

遠い夢はIT関係じゃないんだ…

2017-03-17

今どき歩きタバコからポイ捨てっていうクズすぎる奴を見かけてしまった。

千葉県内で関西訛り丸出しで喋りつつ恋人か妹かよく分からないのと歩いていた男。

故郷に帰れよ。せめて携帯灰皿くらい持てよ。

2017-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20170312190945

深川下町あたりの戦前観光名所歴史遺産震災・戦災で壊滅した上に、当時の人々が「復旧よりも復興」を掲げたため、古老の記憶がその命とともに消え去る前に、元に戻すことができなかった。


歴史的建造物遺産は、災害消失したらそれで終わり、ではない。


ワルシャワ歴史的町並みのように、ナチスに完膚無きまで消滅させられたけれども、戦後、そっくり復元果たして世界遺産にまで登録された例もある。

戦後70年、ようやく「復興」より「復旧」の方が大切(子孫が自らの歴史的アイデンティとなる拠り所がないことがどれほど深刻なことか)と気づいてくれた人がいるのは嬉しいが、いかんせん、あまりに遅すぎた。


同じくナチス廃墟にさせられたアムステルダムのように、「復旧よりも復興」を選択するのなら、そこに住んでいる住民が誇れるような町並みと建築を整える戦略もありだったが、東京はそれすらしなかった。まぁこれは石川栄耀の思想についていけなかった安井誠一郎の頑迷さによるところが大きい(GHQは巷間に言われるほど冷淡ではなかったと思われるけどね。)

今の東北も「復興」を掲げているけど、のっぺらぼうの住宅地に巨大な津波堤防が子孫のアイデンティにどれほどの傷を残すのか、気づくのにあと50年はかかるだろうね。

都市計画、本当に大切よ。とりあえず地元土木事業者政府の金で潤えばいいや、という考え方は100年かけて故郷を蝕むから

まぁ世界中どこも、こういう失敗を経て成長するけど、この手の精神的成長には石造りの街主体ヨーロッパですら数世紀のスパンがかかってるから日本のようなかつて木造主体の街だと仕方ない部分もあると思う。でもいま、ここで精神的成長しないと本当に近い将来、やばいことになるから

苦手なもの嫌いなものが増えていく

三十路も半ばになり、苦手なものが増えてきた。

自分性癖確立され、他のものを受け入れる余地が減ってしまったのだろう。

昔は許せた事でも、些細な事が気になり気にくわなくなり受け付けない。

その事をTwitterなどで好きじゃないと呟きたいが、それをよくリプ飛ばしあっていた人が好きと知っているのでなかなか呟き難い。

今ならのユーリ!!! on ICEの勇利が苦手というより嫌いだ。

日本代表としてその他の人達を押しのけ勝ち上がったのに、あの傲慢且つ卑屈すぎるメンタル

勝っても「僕程度が、僕なんか」と言って他の日本選手地雷を踏み抜き嫌われているだろう。

勝って世界で戦うのならば、せめて負けた人達がこの人に負けたなら仕方ないと思えるような意気込みや意識を見せろ。

家族や周りの人や故郷人達暖かい応援に対して言った「微妙感情」についても、何を言ってるんだこいつとしか思えなかった。

競技を続けるにあたり両親にどれほどの金銭負担があったか夜遅くに押しかけて教えてくれる先生気持ちを、リンクを貸してくれる幼なじみも、こんなに大切にされているのに感謝一つしてない所が非常に腹立たしい。

元々身勝手まりない人間だったのに、神様であるヴィクトルが側にいて信じてくれさえすれば他は何も、どうでもいいという更なるクズになって終わるストーリーも受け付けなかった。

もう1人のユーリ、ユーラチカの方がずっと主人公だった。

BLがどうのこうのというより、掘り下げる程のキャラクタ性もなくストーリーもない。

正統派スケートアニメという触れ込みだったのに作りたいもの、伝えたいものがぶれすぎていて結局「お前ら腐女子はこんなん好きだろwww」っていう舐めきった作品になってしまっている。

スケートアニメならもっとスピンステップ、採点や演技構成など、今後実際のスケートを見るときに「ああ、これがユーリで言っていたやつか」と何かそのジャンルプラスとして残るものくらい入れろと思う。

何故勇利がキャラクタとして人気になったのか、作品としても人気になったのか理解出来ない。

この頃の同人ジャンル流行廃りが激しいので夏までは保たないと思ってるが、目障りだから早く廃れて欲しい。

2017-03-11

さよならAC

2011年3月11日、未曾有の大災害東日本を襲った。影響は各方面に及んだ。福島原発は爆発し、首都圏を含む広域な交通網は打撃を受けた。多くの人が亡くなり、多くの人が家をなくした。

この震災を受けて、企業各社はCM放送自粛した。震災時のCM放送が法によって規制されている訳ではなかったが、CM放映による非難企業自主的に避けようとしたのである。代わりに、テレビ局人畜無害ACCMを流した。 繰り返されるCMにより、ACは一躍その名を高めていった。

震災から一週間が経った。震災による犠牲者は一万人に迫ろうとしていた。テレビでは未だACCMばかりが流されていた。企業としてはそろそろ通常のCM放送したい気持ちだったが、もし自分会社けがそうすることによって「不謹慎だ!」と言われてしまってはたまったものではない。ネットではとあるACパロディ動画があげられていた。それは冷静に見れば面白くもなんともないものだったが、きっと他に見るものもなかったのだろう、驚くべき再生回数を記録した。その人気にあやかろうとしたのだろう、次々とACCM関連の動画アップロードされた。大の大人が「ポポポポーン」と叫ぶという、滑稽とも見苦しいとも取れる動画群であったが、人々はそれを不謹慎とは受け取らなかった。

二週間が経った。各国から支援が続々と寄せられていた。人々は(被災していなかった地域を含む人々は)それを見て「A国は素晴らしい」だの「K国はやっぱりクソ」だの言っていた。その頃、国会ではある法案が審議にかけられていた。アンチコマーシャルメッセージ法案通称AC法案である。この法律では、震災復興を達成したという判断政府が下すまで、企業テレビCM放送禁止規定していた。何故こんな法律が審議されることになったのかはよく分らない。しかイメージダウンを恐れて企業法案に反対できなかったし、当然のことながら猛反対の立場をとるテレビ局各社は盛んにこの法律弊害を訴えたが、震災報道ヘリコプターを使って被災者迷惑をかけたり、衝撃的な映像をまくし立てるように放送し続けたりしたテレビ局視聴者は既に愛想を尽かしていた。結局AC法案は難なく両院を通過し、テレビで映るCMACのものだけになった。

一ヶ月が経った。とある実業家による億単位義援金や、さるスポーツ選手によるツアーの賞金全額寄付宣言世間では話題になっていた。テレビ局スポンサーに働きかけるのに必死だった。自社のCM放送されないのに企業お金を出すなんてことはおかし論理だったが、それを認めたらテレビ局は立ち行かなくなってしまう。結局、「番組内で可能な限りスポンサー商品を紹介する」ということに決まった。出演者スポンサー企業ロゴ付きの服を着ることが常識になったし、番組の中でそれまでの流れとは関係なく唐突商品の紹介が始まることになった。それでもスポンサーから今まで通りの料金を徴収することは叶わず、経費削減の為にギャラの高い大物芸能人は締め出され、金のかからない素人芸人の起用が急速に高まっていった。ネットではAC関連動画の盛り上がりが、最高潮に達していた。

三ヶ月が経った。全く前例のなかった計画停電が行われ、都心優遇ぶりに一部の人々は憤慨していた。結局テレビは何とか放送を続けられていたものの、以前との差は歴然としていた。番組の内容もそうだが、間々に挟まれCMが全てACの為、テレビ自体一種カルト宗教的色彩を帯びていたのであるAC側もCMバリエーションを増やしはしたが、それも焼け石に水と言える程度のものだった。もはや国民ACの名を知らぬものなどいないという有様だったが、多くの国民は良い感情を持っていなかった。余りにもCMが繰り返された為、段々ネットACパロディにする人も減ってきた。

半年が経った。さる地方テレビ局が、番組内で東北地方のお米をセシウム米と表示したことが大変な物議を醸した。ただてさえスポンサーからの金が期待できなくなっているのに、その上この不祥事ではもはやなす術がなかった。結果、番組のみならずテレビ局までもが潰れた。テレビ局が潰れるなんてことは前代未聞だった。この事件の後極度にテレビ局各社は不祥事を恐れるようになり、人々の反感を買いそうな発言ますます避けるようになった。ネットでは、(直接的な関わりはなかったものの)ついにACは局を殺したと言われた。

一年が経った。大震災の模様が改めて各メディアに取り上げられた。問題は未だ山積みであったし、それとごろか原発を中心とした被害は更に拡大していったが、人々はというと大震災のものより、原発は推進すべきだとか廃止すべきだとか、与党を変えるべきだとか変えないべきだとか、そういった話題に興味を持っているらしかった。AC以外のCMが消え失せてしまったことも、もはや当たり前のこととして受け止められつつあり、誰かが思い出したようにACネタにした動画を作るだけだった。

二年が経った。被災者を除くと、人々は既に震災に関する興味を失っていた。時代は変わった。震災後急速に衰えていったテレビに代わってインターネットが主要なメディアと見なされるようになった。人々はテレビを見なくなり、テレビACCMしかやらないことなんてもう誰も気にしていなかった。企業は力を失ったテレビに代わってインターネット上での広告に力を入れるようになった。ユーザーの好みにピンポイントで合わせた商品宣伝から、見るだけでお金が貰える斬新な広告までもが生まれた。それはかつてのテレビCM以上に多彩で、ユニークで、興味深いものだった。テレビなんてものパソコンが使えない情弱だけ見てればいい。そんな声が強くなっていった。

 五年が経った。この年大震災テーマにした映画が公開された。それは大変な好評を博し、歴史に残る名作とまでも言われた。しかし、人々は未だ故郷に戻れぬ仮設住宅暮らしを強いられている被災者がいることを知らなかったし、被災地寄付することなんて思いもよらなかった。震災は感動という名のビジネスの道具となっていた。同じ年、政府によりAC法案の解除が発表された。瀕死テレビ業界はこの宣告に狂喜したが、すぐに期待は裏切られた。なぜなら、AC法はこれより四年後、2020年東京オリンピックの開催と共に解除だということが知らされたからだ。明らかに、国が立ち直ったことを国内外アピールするための政府戦略だった。このころになると、テレビは見てはいけないものとさえ思われるようになり、まだあどけない子どもたちが何かの拍子にテレビを見て、「ポポポポーン」なんて言った日には親から叱られる始末だった。

 震災から九年が経った。遂にテレビCMが復活する時が来たのである。既にテレビは最盛期を思えば哀れになる程衰退しており、CMを復活させたところでかつての威光を取り戻すことが不可能なことは誰の目にも明らかだった。各局はなんとかスポンサーを見つけようとしたが、もはやあえてテレビで自社のCM放送しようと考える企業はいなかった。「もうこの業界は終わりだ」最後希望を打ち砕かれた業界関係者たちは嘆いた。

 そしてその日がやってきた。オリンピックの開催とともに、首相によって震災から復興が全世界に高らかに宣言された。AC法も解除された。人々は56年ぶりの首都でのオリンピック熱狂した。散々興味がないと言っていた人までも試合の経過を見守ったり、見たことのない程人で溢れかえる東京に驚いていたりした。オリンピックは、成功裏に終わった。

 その一方で避難者は七万を下らなかった。福島出身の子供に対する苛めも収まらなかった。東北地方の食に対する信頼も回復しなかった。原発放置されたままだった。しかし、そんなことに心を痛める人はもういなかった。人々は震災被害なんてものは遥か昔に回復したものだと思っていたのだ。

 それから人々が震災のことを忘れるのに時間はかからなかった。いや、震災のことだけじゃない。この九年間で人々はテレビを忘れた。テレビだけじゃない。テレビで嫌というほど繰り返されていたACのCM―かつてはネタにして面白がった、それから先は忌み嫌うものとして見なしたCM。特異な状況であれほど繰り返し放映され、国民全員がこの先忘れることはないだろうとさえ思ったCM。そのCMのことすらも、震災に関する全ての記憶とともに、忘れていたのだ。

2017-03-09

311島尾敏雄と私

島尾敏雄の「死の棘」という小説を読んだ。浪人時代予備校講師に勧められて買ったもの文庫で600ページと長く、ずっと読めずにいたが、春休みを使って読破することができた。簡単に紹介するなら、「死の棘」は作者の代表的私小説で、夫の浮気の発覚から始まる妻の不調と家族崩壊を記録した作品である

 読み進めていくと、妻の精神異常を和らげるためにと、「私」はこんなようなことを考える。

  『相馬に帰ろう』

 紹介され偶然手に取ったこの本のこの文章を読んだ時、私は名状し難い不思議な感じに襲われた。

 私は、相馬地区で生まれ育った。島尾敏雄相馬地区ふるさとだったのだ。

 そして、未だに故郷原発事故惨禍に見舞われている。

 東日本大震災から6年。故郷自然と思われた。

 正直言って、私はふるさとがあまり好きではなかった。自然はたくさんあって、野馬追という伝統も素晴らしいが、若者が志を高く持つには小さすぎる街だと思った。私はどうしたらなんとも言えない閉塞感を打破できるかを考えては、多分無理だろうなと半ば諦めの感情を胸に秘めていた。

 東日本大震災が起きた。

 私は生き残った。住んでいる地域原発避難指示区域には入らなかったものの、鉄道などインフラは寸断され、私たちは転居した。都会に。

 それからの私の生活は非常に充実したものとなった。幸い、福島出身と明かしても白い目で見られることはなく、田舎ありがちなデキる人の足を引っ張る風潮もなかった。意欲ある人が存分に学び体験できる施設があり、尊敬できる人がいた。若者がより広い世界へ飛び立とうとする意欲を持つには充分だった。

 東日本大震災が起こって6年になる今、私は東京で高いレベル教育を受けられている。あの地震でおぞましい数の人が亡くなり、今も苦しんでいる人が大勢いるが、私にとって6年前の地震人生を大きく変えた分岐点であったように思える。あの地震がなければ、私はここにはいない。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか。嫌だったふるさとから、私は逃げるようにしていなくなってしまった。どうすればいいかからなかった。何か違うのではないか、という気持ちが渦を巻いていたが、田舎を離れられる開放感でそれを押さえつけてしまった。大震災を美化してしまった私の思考が正常なものなのか、若さゆえの過ちなのかは未だにわからない。

 小説の中で島尾敏雄相馬に帰ったのは、崩壊してゆく家族とのギリギリ人生をやり直す力を、故郷に感じたからだと思う。多くの人が、故郷自分人生の原点にして、そこの原風景大事にしているように。私が捨てた故郷のそばには、未だに立ち入りが禁じられ、人々が帰ることすらできない場所がある。彼の郷里最近、立ち入りが許可されたばかりで、復旧・復興とは程遠い。故郷に帰ることさえ一生叶わない忸怩たる思い、悩み苦しんだ時に自分が生まれ育った場所が変わり果ててしまった悲しみ、いわれのない差別に苦しみ、福島出身ということに引け目を感じている子どもたちの心情にどうやって接したらいいかからない。故郷を追われ苦しんでいる人に少しでも助けになるように日々研鑽を積んで、その人たちを助ける力、次に世界を揺るがす大事件が起きた時に多くの人を助けられるような力を養うことが、震災をチャンスと捉え故郷を捨て去った自分贖罪だ。

 自戒として、ここに記しておく。

2017-03-03

聞こえてくる故郷日本」の断末魔

そういうわけで、今の日本殺意の矢面に立たされているのは「日本残滓」ともいえる。というのも最近自公政権おろし発言に、実に納得する。つまり、表面的に彼らがすべてを支配しているように見えるが、実は本当に窮地なのは日本残滓の側だろう。

1980年代昭和時代だが、まだ発展の前半だったので、当時の国民の誰もが残滓と戦っていた。1990年代残滓的なものますます壊れていったが、それは都市部に限ったことだった。2010年代、もはや日本残滓は、政治サブカル手法によって相互エンコ的に結び付きあわないと成り立たなくなってないか

おニャン子」の時代握手券もなければ秋元康氏が支配層とずぶずぶになることはなかった。ニューミュージック洋楽こそ限定的であった。しかし今の日本では、若者音楽離れすらしている。非常識的なCDセールス国策迎合がなければ国民グループは成り立たない。

ネトウヨサブカル風味(あの暴走族らしさも含めて)は特殊だが、日本的市民団体の多くは運動が成り立たなくなっていて、そういう政治団体組合会長左翼趣味をまき散らして云々することはできなくなっている。壁も中身もうすっぺらいサブカルしかない。

新自由主義」の美名のもとに、好景気まがいな豪華列車が全国各地で走ったり、今時ポストヤンキー名乗りをして道路利用者警察から顰蹙を買う連中は、寝台列車を走らせていたり、痛車ラノベ競争が行われていた頃よりはるか日本らしさを失っている。

日本残滓」がモンスターになったものが、あらゆるものを蝕んでいる。というわけだ。1980年代から1990年代ヤンキーつぶしの迷惑オタクが被っていた頃に比べると、今回の右傾化問題はちゃっちすぎじゃん。昔は、その地域の最大の家族一族大金持ちになり支配層になり、色々な産業に口出ししているということだが、今は新自由主義富裕層インフレするというショボいやり口になっている。日本残滓は弱体化している。

この線香花火が消える寸前にブワッと燃えるような感じの「日本残滓の悪あがき」が、2010年代日本なのである非行ネタ消費も、鬱陶しいほどの鉄道拝金志向オタクギャルヤンキー化もそう。全部が、断末魔。あからさまに必死になり癒着しあって虚勢を張っているだけだ。

から虚勢であり、内実がないから、これはしょせん偶像しかないし、前時代論理であり、ネタしかないし、あやかしであって、モンスターなのである。これに終止符を打つ、一種の抵抗を迎えるのが、今われわれ文明社会を信じて生きる都市住民にはあるのではないか

あの問題が第二次自公政権という擬似右翼政権の幕切れで終わる訳がないと思っている。日本社会性にも切り込まれるだろうし、現在人類が(人類が何度も滅んだと言う説もあるため一応。)文明社会始まって以来受け継いできた帝国システムも、そろそろしっかりと「精算」されるはずだ。2017年から2019年はまさに一つの人類伝統東洋小国から終わる時ではないか日本人自ら日本看板を捨てる。




今の日本人2000年代までとはまったく異質で極左的だ。天皇制への疑念も高い。

だが日本で起きようとしている2019年問題とは、まさに“嘗ての中国”が行ったことと親和性が強い。現在台湾中国王朝制度破壊したように。それがわからない「肉屋を支持する豚バカ支持母体となった社会崩壊する。日本故郷もつ私にはまことに不本意だが、肝心の彼らがこうなのだからもうどうしようもないとなかばあきらめている。

2017-02-26

首都圏に人が集まりすぎた 25年前の時点で首都圏いなかった人は帰って

頼むよ

こっちはずっと住んでるのに人が増えて住民層や店が完全に変わって空き地ほとんどなくなった

自分故郷が急変してほんと悲しい

明らかに電車の中も過密化が進んだしすごいストレス

2017-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20170222211959

少子化問題環境問題共通する背景にあるのは

未来人間現在共同体意思決定考慮に含むかどうかという問題である

今は平気でも何百年かしたら公害地球はとんでもないことになったり

日本は本当に人がほとんどいなくなって悲惨なことになっているかもしれない

そういう苦境に陥るかもしれない何年も先に生きている人間たちのこと今生きている自分が考える必要ありますかという問い

これを問題として意識できるかどうかはもう遺伝とか

まれ育った故郷が好きだからずっと良い場所として残ってほしいと願う気持ちを持てる生育環境とか

ぶっちゃけると運とか偶然でしかないと思う

でも問題意識を持てなくたっていいと思う

問題意識をもって未来の人たちについて勝手に悲観するのもそれはそれで傲慢だし

将来実際に人口が目に見えて減れば

未来の人たちが子供をたくさん作って人口を増やそうという意思を持つ可能だって結構あると思うし

なるようになるでしょっていう

結論特にない

bonchacchanga、gudachanことグダポンです。

皆さん、おはこんばんちは。bonchacchanga、gudachanことグダポンです。私は文筆業と趣味社会を動かす所存です。活動の暁に、私自身の夢を実現したいと切望しています

恐らく1度しかない現世を大切に生きたいと願うことは、誰もが等しく同じであります。私は、社会の現状を改善する政策として、脱サブカル・脱日本を提起しております。詳しくはインターネットで公開しておりますので、ぜひご覧いただき、みなさまに実現に向けてお力添え賜りたくよろしくお願いします。

社会としては、具体的にまぁいろいろ考えておりますが、まず日本課題として、大日本帝国時代以降の社会問題について、後世課題への取り組みが70年なおざりになっております日本日本であるために、日本人私たちがなすべきことは娯楽社会の清算、モータリゼーション適正化知性主義への回帰でございます反知性主義が60年以上、日本社会を担ってまいりましたが、日本人が反知性で故郷を腐らせてきた、これは紛れもない事実です。その象徴たる娯楽社会、この前時代制度を排して、本当の意味での知的社会確立する。そのためには反知性主義の衰退、知性の回復まぁこれは様々な問題にもリンクしますが、私人からもこれを提起いたします。



日本問題になっている鉄道社会2050年代までに、国際標準水準にまで進める、これが私の政策です。鉄道利己主義一人勝ちしても、利己主義に徹して「客」などの関係者だけいい思いしても、自動車などの犠牲鉄道社会があることを考えなければ、日本鉄道社会はもう明日はありません。特に私鉄社会は、次の大災害後に、復興を機に脱却できるように、それまでのその場しのぎのインフラとし、いまは次の大災害への備えとして自身で非常時の移動手段の確保をすべきだと考えます

また、地方復興に向けて、都市鉄道高速鉄道公有化した上で、残りのJR含めた私鉄インフラ事業からビジネス観光産業に転換して、鉄道もっと文化商業に徹した、インフラ色を薄くしたビジネスとして振興していくことを考えております。その際に、私は都市道路改善すべきと考えております。そして、インフラ商売交通機関の分離と徹底します。そうすることで、日本はいくらでも産業化しうる資産が、たくさんまいくらでも眠っているのです。

日本人とりわけ日本人の云う都会人がいま、いまというよりこれまで平穏で来られたのは、地方郊外でほんとうに犠牲になっている車社会被害貧困問題被害必要以上の富裕層人口の増加、そうした困窮を横目に一人勝ちしてきて、閉鎖的社会に閉じこもっているという現実がございます。そうしたものから目を背けて、自分たちばかりのことを考えても、日本いや都会や地方社会自体良くなることはございません。現実を良くするためには、外へ目を向けることが必要です。

詳しくは、ぜひインターネットに掲げてありますので、ぜひ細かいことについてはそちらを読んでください。皆さまのお力添えをよろしくお願い申しあげます

2017-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20170221231927

故郷は遠きにありて何とやら。

面倒な人と関わらず、モノだけ消費するのが賢いっすわ。

2017-02-19

の子供は日本人でもアメリカ人でもなかった

アメリカ暮らし10年になる。10年ほど前、アメリカ中小企業に誘われて二つ返事で当時結婚していた妻も一緒にアメリカへ飛んだ。

給料も良かったし、アメリカ暮らしも一人なら寂しかたかもしれないが2人でいるということの安心感から結構うまく行った。

その一年ほど後、息子が生まれた。費用会社保険が良かったのかあまりからなくて済んだ。

子育てはあまり手がかからない子だった。流石にアメリカから英語ペラペラ日本語もすこしぐらいなら話せるという感じに落ち着いた。

息子が5歳になった時、アメリカ幼稚園であるキンダーガーテンに入れることになった。そこでは全く問題がなく一年ほどで卒業した。

しかしその後が問題だった。8歳になったときアメリカ公立小学校に通っていた息子が突然「頭が痛いか学校行きたくない」と言い出した。

担任相談した結果、一定の理解を示してくれて学校に行ったり行かなかったりを繰り返した。

詳しく聞いてみるといじめにあっていたようだ。靴を隠されたり、無視されたりと「地味な嫌がらせレベルのことが積み重なっていたらしい。

息子は当然血統的には純日本人だ。それが原因で標的にされ「アジア人から」という理由いじめには行かないまでもからかわれたり暴言を吐かれたりしたらしい。

酷いのは息子が少々内気で細身なのを理由に「ゲイ」だというレッテルを貼られたことだ。アメリカいじめ定番なのがゲイ認定で、とにかくアメリカいじめっ子ゲイ認定したら勝ちだと思っている。対処法はゲイ認定されないように頑張るしかないのだ。

結局いじめ問題は年齢が上がるに連れて解消したが、いまでも恐怖心があり学校に行くのを躊躇うようになっている。

息子の登校が不規則になったところ、担任から精神科に通わせればどうかと提案が来た。今息子は精神科学校に交互に通っている状態だ。最近また学校いかなくなってくる頻度が増えた。

ちょうど最近日本企業にお呼ばれしたこともあり、日本に帰ったらどうか息子に提案したことがある。

答えは曖昧だった。

そう、彼にとって日本外国なのだ。俺にとってはアメリカこそが外国日本自国、正直アメリカで一生暮らす気はないしいつかは帰ろうと思っていたが、彼にとっては全く反対になっていた。

しかアメリカで産まれアメリカで育った俺の息子は日本という国に血統という繋がりしかない。

彼の故郷アメリカなのだ

今更とんでもないことをしてしまったと自覚した。アメリカ社会にもその人種から馴染めず、日本社会でも馴染めず、そして家庭内でも心なしか居づらそうにしている。完全に宙ぶらりんの人間を作ってしまった。

2017-02-18

窮地を乗りきって飛躍した歴史上の国家十選

歴史ネタをまとめてくれる増田をしばらく見かけないので

自分で書いてみる。

このエントリーでは基本的首都まで攻められるか、首都以外を失うに等しい状況から

反攻に出て逆に周囲に脅威を与えるレベルにまで回復した国家を取り上げる。

ナポレオン戦争は単なる大災害なので無視

※※独立戦争関係は「弱くて当然」なので極力避けています。(追記)



「落ちる時はいっそどん底まで落ちた方がいいんです。はい上がる距離が長いほど男の子はずっと強く素敵になりますから結崎ひよの(城平京




国名 地域 簡単な紹介
バビロニア アジア アッシリアシャムシ・アダド王に隷属する都市国家であったが、シャムシ・アダドの死後時間をかけてナイセイTUEEEで力を蓄え、マーリから兵を借りパクするなどして四方世界統一に至る。
アジア 老いた大国晋の内乱で智氏ひきいる智・魏・韓の連合軍根拠地を攻められるものの、奇跡の逆転。中国戦時代には強国のひとつとなる。類似例:田氏斉(弱体化はしたので趙を選定)越(追記)
ローマ共和国 ヨーロッパ ケルト人首都ローマを攻められ、みかじめ料を払って帰ってもらう。その後もピュロス・ハンニバル同盟市戦争などのピンチがあったが、根性でしのぎ地中海世界一円支配する強大国になる。類似例:アテナイ
パルティア王国 アジア ローマ帝国に何度も首都クテシフォンを攻め落とされるが、何度もしぶとく復活する(知識不足すみません)。
ウェセックス王国 ヨーロッパ デーン人に攻められ国王農家のおかみさんにカマドの番を命ぜられるまで墜ちるなどするが復活。いちおう世界帝国イングランドに繋がっていく。
フランス王国 ヨーロッパ 百年戦争ではパリ地方政権状態にまで追い込まれ局面もあった。ゲクランジャンヌ・ダルクなど国民英雄活躍イングランドを追い出し、長年のライバルをつとめる。
ビザンティン帝国 ヨーロッパアジア イスラム帝国によって首都コンスタンティンノープルまで攻め込まれるもギリシア火の神通力によって撃退小アジアを奪い返す。その後もトレビゾンドゾンビ
モンゴル アジア チンギス・ハーン幼少期には一家族の単位にまで落ち込む。チンギスが成長してから庇護者のトオリル・ハーンのケレイト族すら吸収。チンギスの死後も領土を拡大していく。
ムガル帝国 アジア 初代バーブルはウイグル族によって故郷を追われた身。背後で敵と戦いながらインド方面進出して領土を得る。二代目のフマユーンイラン亡命する局面もあったが、最終的にインドの大半を支配する。
徳川家 アジア 今川家の属国状態から義元の死を機に独立。幾多の窮地をめんどうくさい三河武士の助けで切り抜けて天下を取る。類似例:毛利家。


おまけ

国名 地域 簡単な紹介
新羅 アジア 朝鮮半島統一直前も百済の手痛い反撃を受けていた。唐の参戦で一挙に形勢を逆転。百済高句麗滅亡後は巧妙に立ち回って唐を追い出す。
スペイン ヨーロッパ 西ゴート王国から連続性が微妙なので十選には加えず。
オスマン帝国 ヨーロッパアジア キリスト教徒農民を守る遊牧民ヤクザからスタートギリシアを得て、順風満帆かと思いきやティムールによって壊滅的な打撃を受ける。しかし、ビザンティン帝国が衰退していたおかげで復活の時間をえる。キリスト教世界最大の敵となる。
ズール王国 アフリカ だいたいモンゴルに同じ感じ。
ベルギー王国 ヨーロッパ 第一次世界大戦ドイツ帝国侵略を受け、領土の大半をうしなうしかし、西端国王アルベール自らが率いる軍がふみとどまり連合軍の一員として反攻を続けていく。ドイツの敗北によって全土を回復した。
イスラエル アジア 現在進行形すぎてうっかり忘れていたので追記
スイス連邦 ヨーロッパ 最初からクライマックス(追記)
ポーランド第二共和国 ヨーロッパ 第一次世界大戦による誕生直後の脚がプルプル赤ちゃんバンビ状態で、同様のロシアに攻められる。しかし、ヴィスワ川奇跡と呼ばれる大勝利で逆に東方領土を拡大した。その後はお察しのとおりだよ(ブコメより追記)
サウド家 アジア 弱体化し一時はクゥエートへ亡命するも、第一次世界大戦の流れに乗ってイギリスと協力し、オスマン帝国からアラビア半島を切り取る。(ブコメより追記)


なんとかアフリカアメリカオセアニアの例を取り上げたかったけれど知識不足でした。

パラグアイさえあの戦争に勝っていれば……!

中国国家組織ができていないように思える内乱の浮動期を入れないようにしました。

ビザティンも最盛期をすぎているので、オスマン帝国と交換した方がいいかもしれません。

まぁ、ゲルマン人の大移動で首都を攻められた後にユスティニアヌス大帝が出ているのでセーフということで。

たいだい記憶で書いているので間違いの指摘があれば調べて修正します(いい加減)。

2017-02-10

かけ流し燃えよデブゴン2をデスクトップに流していたら面白かった。

シリアス音楽をバックに笑えるシーンと交互にカットするなんて冒険を今の映画でやるだろうか。

ラスボスとの決闘の裏で拳法名人童貞を捨てさせるとか斬新過ぎて吹いてしまった。葬式人形音楽それじゃねえだろとかw

スタッフがやりたい放題で、西部劇が出てきたり寸劇やったりと自由過ぎる変な構成

ネタは全部古典的でいわばドリフなんだけど、これはカートゥーンを参考にした動きだな、などと色々わかるのも別の意味面白い

アニメーション的な動きの下地が有るからワイヤーアクション故郷になったんだな、と思わせる動きだった。

ジャッキードニー・イェンのものはあらかた見たけど、デブゴンは未チェック。

今見たからこそおバカが分かって良かったのかも。

2017-02-02

死なないためにクソ野郎になった

学部卒業から修士課程中退のおおよそ2年間、その大部分を私は怠惰に過ごした。

まともな研究もせずに卒業論文突入し、指導教員にひたすらダメ出しをされてほとんどお情けみたいな形で卒業はした。進学後、これからはちゃんとしなくてはと思ったのとは真逆に、授業や研究に出ることは減っていった。

家の中(一人暮らし)ではただただ焦燥感が募っていった。授業に出なくては。研究しなくては。なにかしなくては。しかし数日間着替えてないし風呂にも入ってない。しなければいけないことばかり積み重なって後回しにして、ずるずると時間けが過ぎていった。自己嫌悪自己肯定が頭の中をぐるぐる回っていた。同級生生存確認してくるようになったので、コンビニ図書館時間を潰すこともした。家族や親しい人には、事態が決定的になるまで話さなかった。

中退後は今の会社に拾ってもらって、故郷大学からも離れた街で社会人ヅラして生きている。多分、根本的な問題は直ってないし、死ぬまで解決しない。ただ、絶望して死んだり生活できなくならないために、反省しないようになった。悩みすぎて苦しむこともなければ劇的に改善されることもない。安全装置の如く、ある程度まで感情が進んだらそれ以上深くならないイメージ

から出られなくなることがなくなった分、しわ寄せは周りに行く。責任感だけはあると思っていた自分が、責任他人に押しつけていることに気付く。家族からビョーキ呼ばわりだの親不孝者扱いされ、彼女からは本気で死んで欲しいと懇願される。それでもケロッとしているのは、やはりどこかおかしくなったのか。思い悩んでも寝て起きたら出勤して適度に仕事する。そんな日々。

2017-02-01

サイコパスの母に洗脳された父が死んだ

生前故郷は捨てますという手紙をしたためていた。

いつも家系図自慢(真偽はわからないが)をしていた本籍地もいつの間にか動かし、好きだったカメラ飛行機資料ほとんどすべて処分されて、それでも母に愛されたくて遺産は全て母に、葬式には兄弟さえよばなくていい、と言った。

しか故郷の話は好きな父だった。田舎育ちで最後まで近所の里山に心血を注いでいた。田舎嫌いの母親理解し難かったようでかなり強引にやめさせようとしたが、他のことはなんでもいいなりだったくせにそれだけはやめなかった。

お父さん、あなたバカだったよ。決して愛してくれない人のために子どもにまで犠牲を払わせて、自分尊厳を捨て去ってさ。たぶんあなたの妻は数年で4000万を使い切るし、子どもに全力で寄生しようとするだろうけど私は面倒は見ません。勝手に野垂れ死ねと思ってる。それがあなたの残したものだよ。

2017-01-31

十代で処女を捨てたことを後悔している

私は雪深い田舎出身で、今は東京暮らしている。



故郷には、本当に何もなかった。

遊ぶ場所友達の家か、外か、イトーヨーカドーか、くらいしか選択肢がなかった。

それは別にいいんだ。自然に囲まれて、それなりに楽しかたから。



しかし、田舎特有性質なのか、周りにいる子の多くは早熟で、恋愛至上主義だった。

早い子は小学校高学年から普通の子でも中学生のころには付き合っている人がいるという状態だった。

女子は、ちょっと顔がタイプとか、足が速い等という理由バンバン告白していた(今でも、あの積極性はすごいと思う)。

部活の帰りに待ち合わせして、男女で手をつないで帰るのがステイタスだったようだ。


友達同士で話す内容は、ほぼ恋愛か、巷で流行っている音楽の話、雑誌に載っているおしゃれの話だった。

私は本が好きだった。星が好きだった。この世界不思議に興味があった。

でも、そういうことを話すと茶化されてしまたから、ずっと一人で胸の中にしまっておくことにした。



誰かと付き合うこと自体が怖かった。

中学のころは、そのことで散々からかわれた。付き合ったことないって言うとすごく驚かれた。

高校になってちょっと垢抜けたせいか告白されるようになった。

彼氏いたことがないのが恥ずかしくて、いい人だなと思った何人かと付き合った。そうして、「過去にいた彼氏の数」を増やしていった。

高校三年生の頃、付き合っているうちに好きになった人にセックスしたいと言われた。



私は拒めなかった。



理由は二つある。

一つは、その人に嫌われたくなかったから。

もう一つは、周りの人が皆セックス経験していたから。



大学進学のために上京し、東京で暮らすようになってからすごく驚いたのは、

周りにいる人々の多くが、付き合った経験がない、あるいは付き合った経験があってもおそらくセックスはしていないということだ。

そして、中学生の頃に共有したいと強烈に願っていた事柄を話せる人がたくさんいることも、

誰とも付き合わなくても、別に変ではないということも。



見栄のために人と付き合い、処女を捨てたことが今では人生の汚点になっている。

東京に来てから、誰にも言っていない。



私がこのような恋愛遍歴になってしまったのは、育った環境によるところが大きいだろう。

子どもは、周りの環境に影響されやすいから。



しかし、もし私がその中でも「人は人、自分は自分だ」と強い意志を持ちつづけることができたなら

後々恥ずかしい思いをすることはなかっただろうとも思う。

から、どこかで環境のせいにしている自分が情けなくて、ふがいなくて、とても悔しい。







※「処女」というのは女性処女のことを指し、*ではないです。

2017-01-20

暗コック

出鱈目な道徳煽る ゴミ社会

論理無き 道徳社会 反吐が出る

露払い 鉄路の下の タクシー

クソッタレ 食う飯は まずいものばかり

オタク小僧 何しに来たの? 野次馬かよ 女は逃げ出した

絵まみれの体 馬鹿リア充

暗黒時代

人類兄弟新世界極東国は いらねえ

この世で一番汚い国を 良い故郷だなんて言えねえ

ああ 非常 異常

歪な人生

コスプレオタクのツッパリ

朝晩人混みでフェチる都会人

敗北が善で勝利が悪

暗コック!

人類兄弟新世界極東国は いらねえ

この世で一番汚い国を 良い故郷だなんて言えねえ

ああ 非常 異常

歪な人生

2017-01-11

ヘイトクライムに走りやす日本人と「負の国際化」

日本人ヘイトクライム賛同する人が増加しているニュース

こういうのを見ると反射的に「品がない」と思ってしまう。

差別好きな人って、どういう人生を送ってきているんだろうか?

自分の周りに、差別好きな人はいない。差別と言ってもゆるいいじめみたいな程度だ。

周りにいないどころか、ヘイトにはしる思考もわからない。

憎悪に走ったところで、何も解決しない。疲れるだけで、コストに見合わない。

そもそもそれほどの怒りが湧いてこない。

それは自分いい大学、いい会社、いい家庭、いい故郷という人生を送ってきたからんじゃないかと思う。

ヘイトクライムに走る人がいるのって、底辺だったり、元不良だったり、やはり暗い世界を感じられるところだ。

環境の差、教育の差、生活の余裕の差だと思う。

となるとこれは、排外感情が既に日本人が輸入してしまったと言うことなのかもしれない。

私の記憶する限り、排外運動はここ数年日本で発生したばかりのことだ。

国際化が進む一方で、心が荒んだ人間が、ヘイトに走るようにある。

十分な生活ないし教育を受けていないと、自然科学的な論理思考が出来ず、ヘイトに走るようになってしまう。

そう考えるとヘイトクライムをしている人っていうのは「国際化問題当事者」であり、外国人差別を見ると、社会の歪みが見えてくる。

2017-01-08

希望

2002年夏、イランで二十万年前の地層から歯がすべて抜け落ちた女性化石人骨が発見された。自然界で動物が歯を失うことは餓死意味する。しか調査の結果はこの女性がすべての歯を失った後も長期間存命していたことを示していた。誰かがこの女性の世話をし、その死後に埋葬していたのである社会人権福祉という概念制度として普及するのは近代以降だが、そのような制度を構築する原動力となった意識は衣食足りた後に現れた高度で先進的なものではなく、我々の祖先をして他の動物種と隔たらしめた時点にさかのぼ原初意識作用である

デジタルアーカイブを筆頭に社会資本としての潜在記憶野が構想され稼動しつつある現在、我々がこの新たな時代内面化するために必要ものとは知識論理以上に意識総称されるものなのだが、これはすくなくとも二十万年原人時代にまでさかのぼることのできるものである。「共感」という感情を持つことが人類と他の霊長類とを隔てる最大の相違点であるとする人類学の基礎的な知識をも、我々の社会は浮遊させようとしているのかもしれない。商業における競争原理が関与しているとすれば、それは共同体という社会契約にもとづく原理あるいはそれを形成する意識商業という自然契約にもとづく短期的・結果的原理侵食さらされていることになる。さらにその循環が深化し拡大するならば、我々はすべからく社会崩壊させ文化無意味ものとするだろう。数十万年という時空、そのなかで払われた莫大な努力犠牲の累積を無に帰し我々が人間以外の種族になろうとする衝動を抱え込んでいるとは、なるべく考えたくはないものである

ヴィレム・フルッサー1920年プラハゲットーユダヤ人学者の家庭に生まれた。ナチス絶滅作戦のなかで両親と妹を失いながらブラジル脱出したが1972年ブラジル軍事政権化にともないふたたびヨーロッパに戻り、1991年故郷プラハ交通事故で死去した。

第1章でふれた『サブジェクトからプロジェクトへ』は基本的コミュニケーション哲学からポストモダニズムへの論考だが、それが虚無と冷笑の淵に陥ることを新たな人間価値観としての「コミュニケーションネットワーク」の構築によって食い止めようとする。ここで述べられる「プロジェクト=投企」とは資本主義下の営利行為ではなく哲学術語たる原義、「破局確信しながらそれへ抗うことを自らの尊厳において敢えておこなう」ことを意味する。表題の表層的イメージから想像される通信産業やコンテント産業インターネットブームが励起したアメリカナイズされたアイデンティファィとはおよそ対極に位置する内発的プロジェクトである

進歩主義ポストモダニズムに悲観しようと、ポストモダニズムが虚無の自家中毒にかかろうと、事実としての破局地球規模の環境問題としてすでに眼前にある。フルッサーはこのことを知っており、言及してもいる。これに対峙せざるをえない、もはや神話人間中心主義もゆるされない世代をささえるものとして、現実を見据え、遡求可能な条件を伸展させる手法としてのコミュニケーション位置付けは、現在興隆しつつある新たな情報社会の行く末を見極める上で重要文明である

劣等の烙印のもと、あらゆる記憶消滅させたアウシュヴィッツ煉獄からフルッサーが伝えた証言をもう一度確認したい。

人間としての誇りを失ってはならない」と。

2016-12-31

躁鬱で退職して、隠して転職したけどやっぱり人生詰んだ

1週間前、家族(嫁・子2人)を放り出して一人暮らしを始めた。

正直生きるのに疲れて、この1週間どうやって死ぬしか考えていない。原因不明目眩にも四六時中悩まされていて、もう疲れた

去年睡眠薬ODしてから散歩に行き、起きたのが1月2日病院集中治療室というのがありましたが、あの時もこうやって紅白を見ながらだった。

年を越したら故郷墓参りでもして終わりにしようと思う




医者の診断は双極性障害(躁鬱)+境界性パーソナリティ障害

とにかく感情の起伏が激しい人間なのですが、最初に通った病院SSRI鬱病治療薬)を飲んでから、より一層酷くなり自分でもコントロールができなくなった。




自分なりに鬱病になってから調べたんだけど、私のような双極性障害人間鬱病治療をすると逆効果になるようです。

全く知識が無くて、とりあえずあの漫画で有名な某メンタルクリニックに行ったんだけど、あそこで違う病院だったら違う結果になったのかなぁと思っている。

昔6年付き合っていた彼女精神科看護師になっていると聞いていたので、先日無理矢理連絡取って相談して、「めまいとかもあるんだったら、○○病院とかの総合病院にまずは行って。落ち着いたら私の居るカウンセリング専門な病院来なよ」って言ってくれた。某メンタルクリニックとか○○病院とかは、製造器だからというような事を言っていた。けど、結局その優しさに甘えることはできなさそうだ




皆さんもメンタルクリニックに行くような時は、病院選びが非常に重要なので注意してください。

普通風邪と違って、メンタル系は一度ぁゃιぃ薬を使うと元に戻れなくなります(´・ω:;.:...




所謂IT系仕事を経てきましたが、前職のソーシャルゲーム関連の仕事が昼夜問わない仕事で体を壊した。

人間関係はよかったんだけど、ロードバイクで峠をヒルクライムする時にでも常にノートPCを持ち続けるこの環境に体が適応できなかった笑

やってる人はわかると思いますが、1gでも軽くするのに数万円かける変人が集まる集団に、併せて2kgくらいを常に持ち続けるこのお馬鹿。メインはトライアスロンなので別にタイムはどうでもいいんですが、「俺、なにやってんだろ?」と思ってからが・・・

その前はSIerだったのですが、前線運用部隊と開発部門が明確に分かれている所だったので、どこもそういうもんだと思っていたのが甘かった。

そして仕事時間は明らかに減ってたんだけど、やっぱり心へのダメージってのは時間じゃないよなぁと電通事件を聞いても思っている。あれも結局時間よりも、扱われ方が悲惨だったようだから・・・



という事で別に結論は無いんだけど、Facebook趣味のスポツ繋がりでポジティブ人間空間なので、こういった投稿すると申し訳ないのでこちらに愚痴投稿させて頂きました。

2016-12-27

故郷を扱ったアニメがまともだった時

とても幸せな気分になった

 

故郷を扱ったアニメエロだった時はどんな気分なんだろうか

2016-12-25

ASKA記憶──ASKAFUKUOKA」を聴いて

 ASKA新曲FUKUOKA」を聴いた。

 予想を大きく裏切る名曲となっていた。この曲は、ASKAが、自分故郷福岡を歌ったものだ。ASKA中学一年生から高校二年生までの約四年間を北海道で過ごしたが、生まれから大学在学中に歌手デビューをして上京するまで、彼は福岡に住んでいた。上京するときASKAはどのような心境だったのだろうか。

俺は東へ 上るつもりだ

勝手な奴だと思うだろうが

冷たい風に深くくるまっても

だまって俺は 歩いて行くだろう

「歌いつづける」より

 CHAGE&ASKAは、もともとCHAGEASKAの二人によって成り立っているわけではなかった。CHAGE&ASKAは、バンドメンバー5人を含めて、合計7人のバンド集団だった。だが、デビューできるのは、CHAGEASKAの二人だけだった。「勝手な奴だと思うだろうが」ASKAは、東京にやってきて、歌手活動をはじめることになる。

 デビュー一年後、「万里の河」(1980)でヒットをするものの、その後、約10年間、セールス的には大きなヒット曲に恵まれず、「冷たい風に深くくるまって」、歩き続けたのであった。CHAGE&ASKAを一気に国民シンガーに押し進めたのは、何よりまず「SAY YES」(1991)であっただろう。同年、ASKAソロとしても「はじまりはいつも雨」(1991)でミリオンセラーを達成する。ここからさきの活躍については言うまでもないだろう。「YAH YAH YAH」(1993)など大ヒット曲を連発するとともに、活動アジア圏にまで広げていき、またMTVアジア人初として出演するなど、「世界的」といってもいい活動を繰り広げていったのだった。

 そんな時、ASKAにとって生まれ故郷福岡はどんな場所だったのだろうか。 

 ASKA福岡に曲を捧げたのは今回が初めてではない。福岡市市制100周年を祝して、「心のボール」(1989)という曲を作っている。ここでは、故郷と幼い日を思い出して涙が出てくるが、でも思い出に浸っていてはいけない、人は未来を生きているのだから、ということが歌われている。

次のステージが待っている。自分を育ててくれた故郷ゆっくり過ごしたいが、待っている人たちがいる。自分は「ハンサムな道」を「歩きつづけ」なければならないのだ……。

          *

FUKUOKA」は「SCENE」シリーズ代表されるASKAバラード曲につながるものだとも言えようが、決して「お得意」のジャンルASKAは引きこもっているわけではない。むしろ、この曲にはASKAの新しい展開を予感させるものが凝縮して詰め込まれている。これほどまでに静謐言葉なかに激しい想いが込められたASKAの曲を私は知らないのだ。

発車のベルが鳴る 街が動いて行く

あの頃の僕は何を見ていたのか

 当たり前の、いつもの日常風景。通学する時、いつも見ていた何気ない風景剣道の道具を、あるいはギターを持って、つまらない顔をして車窓風景を見ていたのではないかしかし、車窓から流れていくその何気ない街の風景が、今、映写機が回っていくように、一コマコマ映画のように美しいものとして、かけがえのないものとして記憶の中に流れていく。

こんにちは さようなら おはよう おやすみなさい

繰り返しながら僕はここに居る

 何気ない挨拶たちと共に、出会いと別れを繰り返しながら、生きてきた。その一つ一つが今、生き生きと現れてくるのだ。

僕のニューシネマパラダイス

 ここで想起するのは、傑作映画ニューシネマパラダイス」だけではない。光GENJI提供した曲「パラダイス銀河」(1988)を私は思い出した。

ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス

 同じ「パラダイス」という言葉が「パラダイス銀河」と「FUKUOKA」ではこれほど違った響きを与えられて存在している。この響きの違いのなかにこそ、ASKA時間記憶を、私は感じる。

野球の話をする タクシードライバー

 いささか唐突に出てくるこの節。中島みゆきタクシードライバーから引用だと見るのは深読みしすぎだろうか。

タクシードライバー 苦労人とみえ

あたしの泣き顔 見て見ぬふり

天気予報が 今夜もはずれた話と

野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す

 不器用タクシードライバーは、泣いている乗客にその理由を聞くわけではない。どうでもいい話ばかりを客に話すことで、静かに励まそうとしているのだ。静かに励ましてくれる街、福岡。そこでは「風が見える」のであるASKAにとっての「風」とは何かというのは、「風のライオン」「風の住む町」「風の引力」などの曲を再び聴いてもらいたい。

           *

私が「FUKUOKA」で最も感動を覚えたのは、

sweet and good memories

という箇所だ。様々な感情が入り乱れた「memories」の「s」の音である。静かに消えていくsの音には、記憶を手繰り寄せていく中で、当時気が付くことができなかった様々な人たちの気遣いに気が付き、泣きたくなるような「感謝」の想いが、「祈り」にまで高められているように感じられるのだ……

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