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はてなキーワード: 女子とは

2016-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20160930021130

他の女子と先に結婚しておけば法的に結婚できなくなるぞ

ちょっ…おい! パトレイバー好きの39歳女子結婚しないですむ方法を教えてください

2016-09-29

女だけど、女が一番容姿差別をしているよ

男が女子容姿で選ぶと批判されがちだけど、女のほうが女を容姿差別してる。

幸せそうだったり、表彰されたりちやほやされてる別の女子がいても、

あんまり可愛くなかったら、でもアレ(あの顔)じゃあねwって影で笑うわけだ。

 

もう容姿カーストが決まりまくり

もちろんコミュ力大事だけど、ある程度容姿がないと影ではバカにされまくり

からこそ自分容姿に気を配る。

シミが目立ったり、肌があれてたりするのを発見すると、万引き犯を見つけた時の様な正義感断罪

男性から見たらわけがからいかもしれないけど、男性正社員じゃないと肩身がせまいように、

女性はある程度女子ルールのまともさを保たない限り肩身が狭くなるんだ。

女性けが集まるサイト書き込みを見てみなよ。

容姿に対するコンプレックス怨嗟が渦巻いて、傷を舐め合うか開き直って剣をぶん回してる。

本当疲れた

 

でさ、こんなの若い内だけって思うでしょ?

違うんだ。2人でしか会わない関係なら問題はないけど、

複数集まる間柄ではいくつになってもこういうのが続くんだ。

さらに、まともの項目欄に、結婚子供の有無、子供学歴収入が絡んでくる)

一方でその項目に脱落した集団では自分のことを棚に上げて、

自分けが得する様な生き方人間らしいといって開き直っちゃってる。

かたや、女を降りたようなふりをしても、多かれ少なかれ容姿要求には振り回され続けるんだ。

 

ああ、来世は女には生まれたくないわー

かといって、男もごめんだけどさー。



..................................................


ちなみに、民度問題というコメントがあったけど、そうでもないよ。

私は高学歴の世界低学歴の世界経験したけど、余裕があるからそういうのを表に出さなくて済むってだけで、

実際に腹に抱えているものはちゃんとあったりする。

自分も昔はそういうのとは別世界で居られると思ってたし、そう信じていた集団もあった。

でも、ちょっとしたバランスが崩れてほころびが見えてくると本音を言い合って、

今まで言わなかっただけの、日頃隠していた格付けや差別感をぽろっと出してしまったりするんだ。

自分容姿なんてもういいやと宣言し、そう自分に思い込ませていても、

ふとした刺激でそういう醜さに気づかされることがあったりする。

もちろん、運良くそれとは無縁の人もいると思うけど、

ちょっとした不幸や変化や不安がおとずれると、容姿差別世界と再会してしまうと思う。

高専って学科によってはリアルクラス女子が一人だけのことがある

のに高専舞台とした乙女ゲーが作られる気配がしないのは一体何なのだろう。

女子も入れるはずなのに女子が0になることすらあって、高専病意味では腐ってる方々が興味を持って何か創作してもいい気がするのだけど。



…いや、高専出身なので何となくできない理由はわかるけど、もう少し夢があってもいいだろみたいな、もっと高専存在一般化してくれみたいな

逆に考えてみる必要がある

(前提)

子供であっても、いやむしろ子供であるからこそ、自分が周囲に受け入れられているかどうか、愛されているかどうかは敏感に察知する。

自分の行動が周囲に影響を与えるとわかってくる年頃になると、さらにその傾向は加速するだろう。子供は周囲のいろいろな行動をみて学習する。上手にまねをする。



考察1)

1-1 さて、そこで周囲に受け入れられようと思って、たとえば男の子シナをつくってにこっとしてみたとする。どうなるだろうか。周囲に受け入れられるだろうか。

1-2 あるいは、「女子」的な振る舞いが残念ながらあまり似合わない女の子シナをつくってにこっとしたとする。周囲の反応はどうだろうか。

1-3 あるいは、「どんな子供であろうと、子供が媚びをうるだけで虫ずが走る」という大人に囲まれていたら、その子供はどういう風な振る舞いを身につけるのか。

1-4 幸いにも、「女子」的な振る舞いが似合い、周囲から受け入れられ、結果としてそういう行動を思うままのびのびと行っている子供は、不幸なのか。上記の三人の子供は、結果的に「女子的振る舞い」を身につけることがなくて幸せだというべきなのか?



考察2)

一方、たとえば「長男以外は下男下女」というずいぶん偏った思想教育されて、無事その「振る舞い」を身につけロボットのようになって周囲に受け入れられた「次男次女」は幸せなのか不幸せなのか。

これは架空の話をしているわけではないよ。そういう風習過去実際にあった(http://psychodoc.eek.jp/abare/ojiroku.html)。

今の我々から見ると明らかに不幸でしかない状況だが、もし世界中がこのような風習だったとしたら、これを幸せと感じない人が奇異の目で見られるのではないか

このような社会おかしいと感じるその感性が、その人を「不幸」な人にしてしまうのではないか




結論

考察からは、「むしろ、ほかの子こそが抑圧されそのような振る舞いができない、という観点から見れば、ほかの子が不幸なのであり増田の子幸福」なのかもしれない。

だが考察からは、「コメントした知人には、そのような振る舞いを身につけて生きるような社会犠牲として不幸である、と判断されて当然」だというべきなのかもしれない。

結論は?

少なくとも、その子のそういう振る舞いを「自然」に受け止めてあげるのが、その子にとって一番「幸せ」な状態なのではないだろうか?



個人的には、その子自然としている振る舞いを「社会犠牲で不幸だ」ととらえるのもあまりいい受け止めとは思わないし、同じ理由で「女子感出してる」と見られる状態もまた、あまりいい受け止めとは思わない。「ことさら褒めたことはない」と言うが、「女子感出してる」ととらえている時点で、それはあるメッセージになっているのだ。あくまで「その子」の個人的な振る舞いなのに、「女子」とカテゴライズされれば、その子は結局何かを強いられる(たとえば親のジェンダー観を受け入れる)ことになるのだから

こんなとき、我々は初めて我々自身ジェンダー観に改めて気づかされる。「自然に受け止め、受け入れる」ことの何という難しさ!!

http://anond.hatelabo.jp/20160929065235

http://anond.hatelabo.jp/20160929133622

アラフォー14歳前後 だと思うんだが、増田はその年齢の女子を熟れた果実表現してしまうのか? 確かに青い果実ではないだろうが。

http://anond.hatelabo.jp/20160929065235

女子感などという政治的に正しくないものに目覚めた子供矯正しないとな

3歳ならまだ間に合うから徹底的にポリティカル・コレクトネスを植え付けろ

http://anond.hatelabo.jp/20160929065235

小学生の姪っ子の一人称がウチになってた、以前は名前だったのに

写真を撮る時には顔周りに手を持ってくる

友達から影響されてんだなーと見ていて思う

女子っていうより社会性かな

女子感出すだけで被害者扱いされる

3歳の娘が女子感出すようになった。

ヒラヒラしたスカートピンクの服を着たがったり、

しぐさも女子

それを知人に話したら、

「かわいそう」と言われた。

社会的に『女の子である』ことを期待されて、

それを演じているんだね」と。

いやいや。

俺も嫁も、自分達の好みの押し付けにならないように、

服はピンクも青もズボンスカートも買ってあげているし、

俺も嫁も、ヲタ、非リア気質なので、

女子力」とは無縁だし、

女子感あるしぐさに対し、ことさら褒めたことはない。

保育園先生の行動はよく知らないが、

先生が「かわいいわね」と言ったから、

娘は女子感出すようになったのだろうか?

あるいは友達女子力高いのでそれを真似したのだろうか?

もしそうだったとして、娘は被害者で、

かわいそうなのだろうか?

娘をその被害から守るべきなのだろうか?

2016-09-28

Re:ゼロダメなところ。

主人公が殺されても死なないところは良かった。

でも、ガールズバンドがいないところと、

麻婆豆腐が好きな天使っぽい女の子が出てこないところがダメ

あと、忍者女子がいるのはいいけど、あの女の子には何か決め台詞必要だと思う。

例えば「浅はかなり」とか。

100円で揉ませてくれる女子

学校に一人はいたと思うけどさ

今思えば超格安じゃねえか!

くそー今なら毎日のように揉み倒すのになあ

服と靴を買わず、髪も切らなくなった

もともとファッションには興味がなかったので、TPOをわきまえる程度の無印ユニクロオサレか、スーツ三角地帯オサレ程度しか手を出さなかったが、最近本格的になにもやらなくなった。



その最大の理由はあることに気が付いてしまたからだ。

俺は、金をかけてドレスアップしたイケテルwww俺を見ることが、一切ない。

俺を見るのは俺の周りにいる人間、つまり会社や親、親戚、友人という名の貴族など、俺をこき使う側である

そんな連中のお目汚しにならないために、給料の1/4((靴で半分以上飛ぶ))を割くのは納得がいかない。ばかばかしい。俺はなんも得をしていない!!!!!!!!

金のかけ損である



そこそこ頑張って『本当のワタシ』をmake:Japanしたまではいい。

ワタシは、そのあとそのドレスアップ状態でどこかに出かけるとか、果てはナンパしてみるとかそういうことをする人間ではない。

ドレスアップしたら、その恰好のまんま会社しか行くところがないような人間だ。

まったく、意味がない試行と金の使い方である

どうせならば超絶かわいい女子に金をかけて、その結果を日がな一日眺めて愛でて暮らしたいのが本音であって、私個人のことはどうでもいい要件である




ということで、絶対に逃げたり刃向かったりしない、ネトゲキャラクターに服を買って愛でるのが楽しい最近であります

君の名は。性的描写男性恋愛物を作る難しさ

君の名は。」で口噛み酒のシーンが気持ち悪いと言う話になっている。

http://togetter.com/li/1029154


口噛み酒自体は新海監督のある種のフェティシズムの発露であるというのはインタビューでも言っていたのでまぁ気持ち悪く感じる人がいるのもわからなくはない。

本来性癖は人によって千差万別でかなり慎重に扱うべきものからだ。

一方でエロは万人にほぼほぼ普遍的存在するものなのである程度の公約数的な部分を確保してしまえば多くの人間にフックするという強みもある。


新海誠監督は今まで過去作においてエロティックな場面をほとんど描いてこなかった。

その理由は私にはわからないがある種の特徴の一つでもあったと思う。

そういった点がこじらせた「童貞」臭さと言われる一端でもあった。


※ちなみに新海監督は童貞臭いと言われることを一定程度評価している旨をラジオ番組発言している。

おそらく童貞臭いという評価に内在する純粋さ・ピュアさが新海監督がターゲットにしている思春期の男女にまさにクリティカルにHITする部分だと思っているからだろう。


今回はそこから一歩踏み出し、フェティシズム一定程度健全エロさを作中に含ませようと考えたのは恐らく言の葉の庭の足フェチ描写が観客に評価されたかであると思う。

「意外と若い男女ってエロティック描写に寛容じゃん?」

ということに気づいたのだと思われる。

東宝に出した最初企画書の時点で三葉の胸を揉む描写が既にあったことが見て取れる。

ベタベタ描写、みたいなことが注釈で書いてある。


一方で性欲を丸出しにしてしまうと下品すぎて観客が引いてしまうことは恐らく既に把握していて、言の葉の庭では足を触る描写エロティックだが徹底的に崇高かつ審美的に描き下品さをかき消すと言う手法を使った。

それに対して今回使った手法ベタベタと言っているように定型的で既に出来上がった文脈手法をそのまま持ってきた形だ。

まり笑いを使うことでエロさに健全さをくっ付けることで観客が引くことを回避させようと言う手法である

まり観客にこのシーンを見て笑ってもいいんだぜ?

という言い訳をつくることで安心させようと言うわけだ。

そこまでエロくないですよ、健全ですよ。

というわけだ。


最近エロ手法を取り入れたにしてはこの辺の技巧に非常にしびれたし、単純にうまいなと思わされた。

なんとなくこの辺で瀧君を「ちょっとエッチ東京から来たイケメン」という卑近さを生み出すの成功しているような気がする。

股間に手を出すのはアウトだが、胸ならギリギリという非常に危ういラインだ(瀧が三葉の状態トイレに行く描写がないのはそういうことだろう。三葉in瀧ではあるのに)。

その他こまごました部分を含めてその辺の舵取りはかなりきっちり詰めたのだろう。

お見事でした。


しかし、この入れ替わりシーンは置いておくとして問題になっているのは口噛み酒のシーンである

特に四葉が三葉に口噛み酒を販売すれば売れる!

と言うシーンである


ここにオタク男性感性をどうしても感じてしまうと言う点である

四葉女性性的価値少女でありながら感じていることに違和感を感じると言うことだろう。

しかし、正直この点に男性性をいきなり感じてしまうというのは少々飛躍しすぎではないだろうか。

実は作中に少女向けのファッション雑誌が部屋に転がっていると言うカット存在する。

まり四葉はそういう点にわりと自覚的であるのではないかというエクスキューズをわざわざ用意してあるのだ。

あるいは三葉の言うとおり「思春期前のお子様」であるのでそういった視線知識はあるもの無頓着である

という解釈もできるかもしれない。

いずれせよ、安易一方的男性性を見出すには少々待ったをかける必要はあるはずだ。


ネット上の論評をいくつか見て回って、少し思ったことがある。

思ったのは新海誠男性であるからといった点が論評において強く作用しているのではないかという点だ。


もちろん秒速5センチメートルが強い男性目線から作品であったのは事実だと思うし、実際作中のモノローグの量はタカキの物が大半だ。その様な作品男性性を強く見出すのはわかる。

しかし、だからといって一足飛びに「君の名は。」をすぐに男性であると決め付けすぎるのはすこし早すぎる気がする。

もちろん過去作の文脈をまるごと無視するというのはさすがに無理があると思うが、言の葉の庭における雪野の描写彼女と彼女の猫女性主人公であるという点を無視しすぎである

海外では新海誠映画は男女比率がわりと均衡しているという。

一方で日本では従来の男性ファンがあまりにも多すぎた気来がある。

そのせいかどうも、評論すら男性目線から見たものが多すぎる気がする(特に上白石萌音が秒速でどちらかというとコスモナウトに感情移入したというのは示唆的だ。ネット上であまりその視点から言及した記事を見たことがない。)


女性自分性的価値認識していないというのは少々一方的過ぎるだろう。

でなければ女子中高生アイドルがいることの説明がつかない。

女性受けを狙ってアイドルをやっている人もいるという説明もまぁそういう人もいるだろうが、皆男性から目線意識していないなどというのは少し純粋性を女性に求めすぎだ。

特に三葉が口噛み酒販売に対して斜め上の回答をしたのはまともに回答するのが恥ずかしいからであり、それは三葉に対するジェンダー的抑圧の強さを示している部分でもあると思うし、「イケメン男子にしてください」という台詞もつながる。

わりと重要な部分だと思うので安易監督男性性に固執するのは危険だと思う。


勅使河原の口噛み酒の部分もあれは作品メッセージではなく勅使河原認識とみなすのが相応だろう。

同じ縁故に縛られた立場として土着にまつわる行為否定されることにある種のシンパシーから擁護であるとも取れる。

※つまり必死こいて神事を行ってるのに友人まで否定するのは酷ではないかという同情的心理。縛られていることに息苦しさを覚えていながら糸守に愛着があるという描写を事前に行っているのはその辺の示唆なのではないか。三葉がどう思うかは別である

単にふらっと入った女子

監督にはまり遡り

どういう感想に辿り着くのか。

それだけ。

でも昔から角川はゲテモノなんだよな。

作品から感じるもの

本人とはまた別だけど。


困難あるが、

運命の人があるというテーマ

一貫してるんでは。

別に過大評価でも批判でもなく

等身大でいいんだよ。

クラスオタクが、文化祭

何だかしまともなん上映したじゃん。

けっこう客入ったな。

みたいな感じ。

そんとき女子の反応はよくわからんが。

監督自体も知らんから何とも言えんわ。

http://anond.hatelabo.jp/20160927222834

いや、Jリーグ並みはムリだとしても、ローカル密着路線から地味に根付きそう。

あいうのって地域コミュニティ粘着剤として役に立つんだよ。

少なくとも、実業団主体Vリーグ女子バレー)より潜在力は高い。

2016-09-27

ヤリ○ンの話を聞くと腹が立つ

なんで私はモテないのに

なんで私は彼氏全然会えなくてデキナイのに

なんで私は一人でするしかないのに

なんで、なんで、なんで

私の方が努力してるのに

全然報われない


どんどんいい人がいい人に見えなくなってくる

頭が○ンコで出来てるような気持ち悪い女にどんどん喰われていく

その程度の男だってことが判ってしまうのが辛い




女子トイレで粗○ンだったとかすげえ言いふらしてるよ、その女

女子会でも言いふらしてるし。

なんで神様ははそんな汚ならしい女に「可愛い顔」を与えたの?

不公平だよ。

本当、つらい

大日本帝国憲法結婚年齢規定が…

女子 満15歳

男子 満17



満は今と同じ数え方

ロリ嫁って江戸時代までしか居なかったんだな

男子の書く恋愛小説が少々きもいというだけで、

そこに女子とは違うエロは入るだろう。あるいは変態性も含むかもしれない。あの界隈なら。

エロ小説化もたまに時代ものを書く場合もあるだろう。

光かまやかしかは、わからない。

見た人に聞いてくれ。

ジブリでも入れ込んだ奴は世間では失敗してる。

あん世界はない。

appriciate と devote commit dependent

とは違うということ。にゃんでもそうではないかな。

作者に何かを求めるのは違うと思う。

スポーツ選手俳優

人格を求めるのとは違うが、

まり期待しない方がよい。

それこそ媒介するものみたいなもんである

http://anond.hatelabo.jp/20160926235936

小学4年生の女子やけど、ウチの昨日のよるごはんもおなじやったで!

とりのからあげっぽいやつにタルタルソースかかっててめっちゃうまかってんで!

いまだにルールがわからないローカルっぽいボール遊び

ドッキュー



転校した先の山奥の小学校で、4人で陣地の境界線がわかるように十字線を地面に引いて、

ボールを自陣でワンバウンドさせてから他人の陣地に送り込む「ドッキュー」という初めて見る遊びをみんなでやっていた。

何らかのルールに沿ってボールを投げあって、負けた人は周りの順番待ちの子供と交代していくシステム

他に遊びがなかったのか、子供は一緒に遊ぶものだと教育されていたのかわからないけど、

基本的に常に教室に残る一部の女子以外は、学年全員(20人ぐらい)が毎日毎日この遊びをしていた。



他人ボールを送る時は一旦自陣でバウンドさせないといけないという他に、

ボールを送り込まれた側がキャッチしたらだめとか、自分が触る前に自陣で何バウンドしたらだめだとか、なんかそんな感じだった気がする。

最初ルールを聞いたけど、周りでは「みんないつの間にか知ってる」「知らないヤツに会ったことない」系の遊びだったようで、

明確に説明はできないけどプレイを見れば「今のはアウト」ってなんとなくわかるから成立していたようだ。

そんな感じだったので、改めてルールを聞いても誰もちゃんとルール説明ができなくて、結局今もルールがよくわかってない。

でも上級生も上級生同士でよくやってたので、その地域ではメジャーな遊びだったっぽい。



ただ、クラスの中心にいた運動の得意な男子とかはボールを割と保持してから

相手に直接ぶつけるフリをして勢いよく地面にボールを叩きつけてビビらせたりするのが許されてたけど、

今でいう陰キャ系の子ボールちょっと手に納めると即周囲から「「「はいアウトー!」」」と声がかかるような感じだった。

実は明確なルールに沿った遊びというより、ボールをお互いに投げ合うだけのキャッチボールの亜種で、

勝ち負けとかあんまり関係なかったけど、順番を回すために適当に中心人物に都合のいいルールを付け足していった遊びだったのかもしれない。



ルールイマイチよくわからないし、順番待ち長いし、ほぼ一方的ボールを投げつけられるのも楽しくなかったので、

私はすぐに外には出るけどドッキューに呼ばれても「えードッキュー?イヤやわー」と言ってドッキューには参加しなくなった。

代わりに一人で全然使われてない遊具を存分に使って、SASUKEごっこしたり、登り棒を足を上にして登ってみたり、

ブランコねじったり、砂場に水堀を作ったり、ジャングルジムで人喰いクモごっこしたり、フェンスに張り付いてヤモリごっこをしたり、

草花クッキングしてみたり、カマキリ決闘を挑んだり、小石を集めて塔を作っては壊す賽の河原ごっこをしたり、

ヘビになりきったり、校庭の端から端まで前転で移動して後転で戻ったりして一人で好き勝手に楽しく過ごしていた。

それを見ていた影響かはわからないけど、なんとなく「いやならドッキューやらなくてもいいんだ……」という感じでドッキューに参加しなくなる子が増えて、

それぞれに仲のいい子と数人で鬼ごっこかくれんぼケイドロサッカーで遊ぶようになっていき、

私が転校してから数ヶ月で同学年でドッキューが遊ばれる機会が激減して、ドッキューはみるみる廃れてしまった。



というわけでいまだに私の中で割と謎なドッキュー、もしくは類似するボール遊びを知ってる人がいたら、どんなルールだったのか教えて欲しい。

http://anond.hatelabo.jp/20160927095958

俺はよく「高専のノリ」って言ってるけど、謎のホモソーシャルマインド>が固まる条件ってのはおそらく

・そのコミュニティの男女比が著しく偏っている

・そのコミュニティが別のコミュニティと関わる機会が極端に少ない

専門性のある分野のコミュニティ(つまり世界が狭い)

なんかで醸成される。

この条件が満たされるのは男子では高専やろうけど、女子も同じ感じやと思うよ。

そういうコミュニティの中では東方だったり艦これだったりみたいな、傍から見れば「児戯」に等しいムーブメントが発生しやすいのも特徴的ではあるな。

増田もそういうの、見たことあるだろ?

2016-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20160926112116

HAARP女子の芽なら既にまかれておる……五年前にな……ククク

男女の友情あったんだが

「男女に友情はあり得ない。なぜなら男は女を恋愛対象としてしか見ないから」と言われると凄い違和感がある。

自分は男で、かつてとても仲の良い女友達がいた。その子とはもう疎遠になって、

彼女結婚して出産したみたいな話を地元の知人から又聞きする程度の関係にはなってしまったが、

中学時代、同じ趣味友だちだった二人の関係はどう考えても「友情」としか言いようがなかった。



確かに多感な時期だけに、自分たち二人よりも周囲がその関係恋愛だと勘違いして

囃し立てられたり、あるいは何の権限があるのかクラスで目立つタイプ女子

関係を問い詰めてくるという面倒事に巻き込まれることはあった。

(後で知ったが、その問い詰めてきた女子自分のことが気になっていたらしい)



その仲の良い女友達とは、同じに将来の夢を語りあったり、悩みを打ち明け合ったりしていたし、

同性の友人のように固い絆で結ばれていた、と自分は信じている。

ただ、高校の進学先が違ったことと、自分東京大学に進学したことから

必然的関係は(まだFacebookができる前だから)疎遠になっていったけれど、

それでも少なくとも年に1,2度は会って話をする機会があったし、

お互いの恋愛事情について語り合ったりすることもあった。



彼女に初めて彼氏ができた、と報告されるとき自分のことのように嬉しかったし、

その彼との関係破綻しかけたときは心の支えになったり、求められたらアドバイスをしたりしていた。

周囲からは「悔しくないの?」と煽られたりしたこともあったけど、

当時は心の底から「いや全然」と思っていた。それは今でも変わらない。



ただ、彼女自分に対して恋愛感情がなかったのか、と問われれば、

自分には分からないとしか答えようがないが、恐らく全くなかっただろう。

実際、二人の関係恋愛のような局面になる瞬間も一度としてなかったし、

まるで自分の同性の親友に対する感情のように、

存在のものをただ受け入れ合うような温かみのある関係だったと思う。