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はてなキーワード: 第三者とは

2017-03-29

記憶ゆるふわ

籠池さんが堂々としてるから真実を語ってるに違いないって思う人がある程度いるっぽいことに驚いた。

籠池さんって、なんか自分で考えたり思い出したり言ったりしてるうちに、なかったことも本気であったと思って言えるタイプの人に見えるんだよなあ。

というのも自分がそういうタイプから



記憶が割と常に曖昧で、自分が感じた感情記憶とかすら容易に書き換えられる。

すぐ記憶が混濁したり、なかったことをあったと思ったり、逆だったりして迷惑けがち。



ゴミ出しをちゃんと済ませたつもりになって気分よく暮らしてて、でもなんか溜まるのはやいなあって思ってたら、

ゴミの中の日付を辿ってみると2週間近くゴミを出してなかったことが発覚したりとかはかわいい方。



10歳ごろに、なぜか自分誕生日全然違う日として人に話していたとかって話もある。

当時の連絡帳にまで書いてあったか誕生日詐称事件があったのは恐らく事実

周囲には「役場から訂正のお知らせがきてさー」と言っていたらしい。意味が分からない。

多分そういう夢をある日見て、それっきりそれが事実だと思い込んでいたようだ。

そして事実だと思い込んでいるからわざわざ確認することもないので、機会があって人に話すまで表沙汰にならない。

親がいくら母子手帳とかで訂正しようとしても「紙が来たはず」「紙をどこへやった」「なぜ隠すのか」「何か都合の悪いことがあるのか」と話にならなかったらしい。



あとめっちゃ感謝して恩人だと思ってた人にかけてもらった言葉を、後年にあの時あの場所でこう言われて嬉しかったと伝えたら、

別にそんなこと言った覚えないけど……っていうかその当時親しかったっけ?って言われたりとか。

周囲の証言によると、別の人と勘違いしたとかではなく、自分がその言葉をかけられるきっかけになった出来事自体

くそんな事実がなかったというのが少なくともこの世界線では事実らしい。

その言葉に助けられた気持ちも、その後何度もその言葉を思い出して頑張ったのもそれはそれで多分事実なので、いまだに釈然としない。

まさに「その彼女というのは……」案件っぽくもある。



シンプルに夢で見たことを現実混同するパターンもよく起こる。

寝起きの感覚で気付くだろうと言われるのだけれど、夢を見て起きたというよりは「ねつ造された過去記憶を埋め込まれ状態で目覚めた」という感じなので、

特に違和感のようなものを感じないから疑わないし、周辺の記憶曖昧な点があっても記憶もやもやしているのはいものことだから自分ではその記憶が夢なのかどうか区別が一切つかない。

そのときの様子もあの時こういう会話があった!こういう様子だった!と妙に詳細に語ったりする。まあ、大抵全部夢なんだけど。

記憶が鮮明すぎて「あれ?この俺がこんなに昨日の事を細かく覚えてるのは逆におかしくないか?」という疑念から夢だと気付けることもたまにあるけど、それはそれでちょっとかなしい。



こんな調子なので、事故を見ても5分後にはどういう状況だったか説明が二転三転してそうだし、はっきりいって証言能力的なものは限りなくゼロに近いと思う。

そんな機会はないんだけど、ウソ言ったら偽証罪に問われますと言われて喚問されたりしたら、正直に思い出せませんを連発するか、

事前準備で振り返っているうちに自分の中のエピソードが固まって、第三者からは頓珍漢なことを真実と信じて堂々と喋るかのどちらかになってしまいそうだ。



さすがに今は基本的自分記憶は信用ならないと気付いているので、トラブル回避のために

ソース自分記憶だけのことは全てあったかもしれないし、なかったかもしれないこととして処理する」クセがついているけど、おかげで自分人生なのにどこか他人事のような感覚が抜けない。

また気を付けていても、そんな出来事があったら忘れるわけがなさそうな重要なことや、逆にどっちでもいいような些末なことでは事実確認を怠ってしまって勘違いを起こしやすい。

つい先日も「そういえば世界ふしぎ発見で野々村さんが眼帯してたね」と言ったら「何言ってんの?」と返された。

野々村さんには悪いが、ものすごくどうでもいいし、そこで嘘をつくメリット自分には一切ないことなのに、嘘をついてしまっているのがとても怖い。

しかもたちの悪いことに、言ってるうちは本気で信じてるし、一人だけ別な世界線に紛れ込んだような気分になる。



言った言わないで水掛け論になるのが本当に最悪なので、電話が本当に苦手。連絡はメールLINEの記録が残る形でお願いしている。

基本的には物証がない場合自分に不利な方向に進むことを前提に、他人良心に期待せずに生きるクセもついてしまった。

何かの契約の場面とかではボイスレコーダーマジで必須

定形の強い言葉を使う時や、正確性が求められる場面では、本当にその記憶事実かどうか、

その発言担保する物証が確保できているかどうかをなるべく自己点検してから口を開くようにしているのだが、

その結果自分の中で発言にゴーサインが出る機会がものすごく減って、元来かなりおしゃべりなのに、今は周囲のほとんどの人に物凄く寡黙な人だと思われていてギャップちょっとつらい。



勘違いとは関係ないけど、色々曖昧なのでデジャヴもよく起こる。

「あれ、前もこれとそっくりなことなかった?」「ないと思うけど?」「あ、じゃあこの記憶は夢(?)なのか。」みたいな。

ただ、デジャヴを感じたシーンのちょっと先まで記憶の通りに進んだりすることがちょいちょいあるので、

麻雀リーヅモ一発七対子成功率が妙に高くて気持ち悪がられたり、下校中の前方にすごくデジャヴを感じるおじさんを見かけて、

「多分今あの交差点にいるおじさんだと思うけど、あの辺に黒っぽい財布落ちてる気がするから後で拾って交番行かなきゃ」

みたいなことを友人に言ってたら、おじさんのいたあたりに着いたらホントに財布が落ちてる。みたいなことは何度もあった。

なんとなく「ここに行けばある」と妙な確信を持ってその場所に向かって、財布とか定期とかカードとかを拾って交番に届けることが毎年5回くらいある。

まあ、変にカンがいいことがある程度のことだから、だから何ってこともないのだけれど。

http://anond.hatelabo.jp/20170329011257

二次創作することと作品の盗用を同じものとして考えてないか

実際二次創作権利者の作ったキャラクター世界観使用しているので著作権的には権利者の親告を受ければ即アウトなものではあるが、無断転載は盗用だ。

盗用は一次創作だろうが二次創作だろうが良くない。

例外として元作品権利者にはどう扱われても文句は言えないと思うが、第三者に好きに扱われて黙っていろというのは違うと思う。

この例も不適切なのはわかった上でいうが、強盗をしたら第三者に殺されても文句は言えないとかいうのと同じ理屈に聞こえる。犯罪者にも人権はある。

二次創作が悪いこと、犯罪であるとして、親告罪である限り裁くのは権利者と法律だ。他のものに踏みにじられていい理由にはならない。

2017-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20170328173514

何か表現おかしくないか

こうハッキリ書けよ。



「二人のやり取りしたデータ第三者が盗み見したらLINEヤバいが、

 今回は本人が友人に見せた(あるいは送った)からLINEはヤバくないです」

DeNAMERY3月再開」とか言ってた増田を真に受けてたはてな民たちの黒歴史

DeNAのMERYは3月再開

こういうのって「外れたじゃん」と言われると、「俺が指摘したかあいつらがズラしたんだ!」とか言い出しそうで無敵論法だよね。

第三者と言う名のヤラセ調査報告書

MERYDeNAイメージアップ戦略大金を投じるようで、ベイスターズ本拠地横浜スタジアムネーミングライツを購入し、スタジアム名にMERY文字を入れるという仰天情報が入ってきた。名称は「MERYスタジアム横浜」が有力らしい。

まあ、すでにここらへんが大外れしてるわけだが。

イメージアップ効果恩恵で、パクリ指摘者をクレーマー扱いしてネットから退場させられる効果も期待出来る。

日本音楽業界ではメジャー歌手バンド楽曲に対してパクリを指摘すると「だったら聞くな、消えろ」と指摘者が批判の嵐に遭ってトーンダウンするのが 一般的だが、それと同じ状況を狙う。

つーかさ、こことかもはやギャグだろ。

どこの「一般的」だよ。パクリ指摘なんて音楽に限らず色々な分野でキチガイみたいなやつが延々と難癖上等でパクリパクリ執拗に元気にネットで続けてるだろが。どこが退場させられてんだよ。まあおそらくこの元増田もこういったキチガイたちと似たようなネットに巣くう陰謀論めいた思考してる人の一人なんだろうけど。

当時のブコメも最高に面白いから見ておいた方がいいよ。

はてなブックマーク - DeNAのMERYは3月再開

怪文書だ」とか言って野次馬根性丸出しのやつや真に受けてマジギレしてるやつらばっかり。ここにブクマしてるやつら全員非表示にしても差し支えないと思いますよ。




こんなの真に受けてたはてなの人たちって大馬鹿だね。元増田ブクマしたやつやMERY話題ときに「この増田の言ってた通りになるのか!?」とかわざわざこの記事を持ち出してきてもっともらしく騒いでたやつらは、デマ拡散する可能性があるからネット止めた方がいいよ。「怪文書だー!」って言い訳すればどんな質の悪い情報でも拡散していいんだ?はてなーたちのリテラシーはその程度ってことなんだろうね。

バツの悪さを誤魔化すために「後出しで外れたと言われてもねえ」とか言い出す人が出てきそうだけど、そもそも頓珍漢な怪文書(笑)を書いて先に喚きだしたのはこの元増田なので、「なんか喚いてたけど違いましたね?」とデマを訂正してあげるのは当然だろ。

2017-03-26

「嘘ばっかりついてたけどこれだけは真実なんだ!」って

本人が言うならまだわかるけど

まれたわけでもない第三者がやたら必死

嘘つきのある特定発言だけをこれだけは本当だと強弁しまくってたら

まあ変に思われるのはしゃあないと思うんだけど

世の中の感覚というのではどうなっているんだろうか、などと。

2017-03-24

地に落ちたソーレン

テレビ局市役所に殴り込みでもするなら、まだ組織存在意義はあるだろうに。主義主張があるなら。

堅気の個人相手に、個人的逆恨みを晴らすのに、動員掛けていやがらせをしているらしい。

カネも集まらんし、人はどんどん抜けていくし、拠点も追い出されて引っ越したばっかしや。引っ越してまだ10年たってへんのとちゃうか。

腹いせに個人でもいじめてうっぷん晴らししたい気持ち分からんでもないが、

いまどきはスマホ第三者につぶやかれて炎上したら終わりや。船の沈むのが早くなるだけ。

その個人金持ちで、いじめてカネになるなら、まだ理解できるわな。昔から聞く話や。背乗りついでの。

せやけど集金のための貴重な人員を動員して貧乏いじめでうっぷん晴らし。本部が知ったら、処分で済むかな。

「おイタ」で許してもらえると思うパシリ根性が命取りになるんとちゃうかな。

このネタ、どこへ持ち込んだら高ぅ売れますやろか。

2017-03-22

意思が弱くて禁煙に失敗する人へ

禁煙を失敗する人に、まずは問いたい。

本当に禁煙したいのか?と。

心の底から「本当にやめたい」と思っているのか?と。

煙草麻薬みたいなもので、やめようと思っても、体が求めてしまう。やめたくてもやめられない。」

禁煙失敗した人の常套句だが、そんなことはない。

だいたい、麻薬感覚なんか知らないでしょうよと。

禁煙に失敗する人はね、結局意思が弱いのよ。

意思とか関係なしに、本当にやめたいのに煙草を吸わないと体が震えて死にそうになるとかガチな人はさっさと医者行け。

さて、意思が弱くて禁煙に失敗する人に、改めて聞こう。

心の底から本気で禁煙をしたいですか?

この時点で少しでも気に迷いが生じるようならまず禁煙成功しない。

外的要因によって禁煙をしようとしているなら、絶対成功しない。

自分が本気で「辞めたい」と思わなければやめられないのである

外的要因とはつまり自分本心以外の部分で辞めたいと思っているパターンだ。

・小遣いが厳しいか

健康に良くないか

家族が嫌がるから

・●●にやめろって言われたか

こういったパターンでは、「辞めたい」という気持ちの裏に「本当はタバコをやめたくない」という本心が隠れている。つまり好きなのである

これを恋人に置き換えてみるとわかりやすい。

とても好きな恋人がいる。とても好きなのに別れなければならないとしたら、どれほど辛いことだろう。それこそ簡単理由では別れることはできないのではないだろうか。

たとえ別れることができたとしても、それだけの好意を持ったままだとすれば、簡単に忘れることはできないだろう。

好きなものを辞めるというのは本当に辛いことである

話を煙草に戻そう。

もうすでにおわかりかと思うが、最大の禁煙方法は「煙草を嫌いになること」である

健康に悪い」とか「金がかかる」とか表面的なところで嫌いになるのでは駄目である

親の敵のように煙草を憎み、恨み、蔑むのである

そして煙草を吸う人間嘲笑する。

あん健康に悪いだけの煙を吸う人間頭が悪い

時間無駄。何もプラスにならない。ドブに金を捨ててるのと同じ」

「単純に臭い

タバコミュニケーション(笑)

「狭い喫煙所でモクモク燻されて、おまえらハムかよ(笑)

「何かに依存してる人間ってマジダサいっすよねぇ〜」

喫煙所探してる姿って滑稽だよね」

などなど、とにかく思いつく限りこき下ろす

そして、それを本心として自分自身刷り込み続ける。

あくまで心の中で留め、表に出さないこと。)

とにかく煙草ネガティブイメージを膨らませて、それを本心にしていく。

とっても簡単に言うと、「煙草を吸うやつ=バカカスうんこカスキングカス

という考え方にさえなれればOKなのである

人間とは不思議もので、毎日そう考えて、ときには言葉にしたりしていると、本当にその通りの気持ちになるものである

これは有名な心理学者フロイトだかユングだかニーチェだかも言っていた気がするので、おそらく本当である

タバコポジティブイメージ(かっこいい、大人の嗜み、コミュニケーションツール有名人も吸ってる、など)に引っ張られそうになったときは、自分とは別世界のことだと割り切ればいい。

有名人みたいに金ないし、吸っててかっこよくねーし、タバコを吸わなくたってコミュニケーションは取れるし、大人の嗜みとか似合う人間じゃねーし。

一般人タバコ吸ってても、頭が悪いうんこしか見えないってことを理解する。

第三者から見た自分は、頭が悪いからタバコなんか吸ってる人未満のうんこなのだ。ああなんて恥ずかしいことだ。タバコなんてやめよう。

長くなったが、言いたいことはつまり

「好きなままではやめられない。だから嫌いになろう」ということである

そうすれば必ず禁煙成功する。

これまで数十度の禁煙成功してきた俺(今日禁煙初日からアドバイスである

向井秀徳当事者性による二重性批判


「俺がそこにいた!」

初期ナンバガ歌詞を振り返るとこういう文体が多い
omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ

これは一人称の文に見えるが、実は三人称
俺“は”ではなく俺“が”と書くためには
「俺」という登場人物第三者視点から見る必要がある
まり三人称視点登場人物としての「俺」を描写していることになる

だが、この三人称の語り手は客観的ではない
いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする
語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない
まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的記述した三人称、となる

自分自身物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ
向井映画監督を目指していたそうだが、
カメラファインダーという隔たり越しに登場人物描写する手法もうなづける

だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしま
その対象が持っていた熱や存在感当事者性はどんどん薄まるだろう
そのメタ的な隔たりによる当事者性の薄まり向井は冷たいと感じた
そういった客観性集合体こそが「冷凍都市」であり
それを攻撃するための当事者性の象徴こそが「性的衝動」となる

語り手の俺が登場人物としての俺や少女描写する、という二重性
正確に描写しようとカメラの精度を上げるほど当事者性が薄れるジレンマ
こうした二重性を自覚した上で破る矛として性的衝動を用いたのが
初期ナンバーガールの詩の原理なのではないか

ではザゼンだとどうなのか
カメラ技術進化すれば、もはや人の目で見ているのと変わらなくなる
そうした現在において「メタフィクション批判」はもう古い、リアリティもない
向井秀徳カメラ技術もこなれてしまった
だが、世間当事者性は弱まるばかり、性的衝動を用いて復権させなければいけない
(よみがえる性的衝動
性的衝動は二重性を攻撃することでこそ、その強さを示せるのだ
から語り手/登場人物という入れ子構造を使わずに二重性を作らなければいけない

そこで向井リフレインに注目する
同じ場所言葉を何度もダブらせることで、反復が差異を生む
フィルムの一コマコマを切り分けるのと同じだ
(繰り返される諸行無常
こうして場所を移すことなく二重性を生み出すことに成功した
ナンバガ時代の二重性が
登場人物としての俺を乖離させることで生み出す客観的二重性だとすれば、
ザゼン以降の二重性は、単独で生み出せる主観的二重性といえるだろう
向井カメラシャッターを切らず、
ただ自分の目のまばたきでフィルムを切り分ける方法を見つけたのだ

はいえこ主観的二重性は『omoide in my head』の時点で芽生えている
思うに、福岡時代当事者性=性的衝動の強さを無根拠に信じていられたのではないか
カメラを手にしたばかりの少年にとってはどんな景色自分のものに思えるように
だが東京に来て、描写対象性という問題に直面して当事者性を鍛え直す必要が生じる
そうして鍛え上げた結果、福岡時代のような信頼を取り戻しつつあるのが
現在ザゼンボーイズでの素朴な描写に至るのではないか


ブログツイッターもやってなくて書く場所も聞いてくれる相手もいないのでここに
誰かツッコミ入れてくれ

2017-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20170321180041

すごくよく分かる。第三者理解されないという経験を積むにつれ、

段々と自分が悪いのだと本気に思うようになってしまう。

http://anond.hatelabo.jp/20170321163539

これ系の詭弁の厄介なところって、言ってる方は本気でそれを信じてるんだよね。

から言われている方も「これはおかしい」と感じつつ

「そう思う自分の方こそ加害者なんじゃないか自分こそ責任転嫁するために事実を捻じ曲げているのでは?」

不安になってしまう。

自分言動が正しいかどうか不安を抱いているから、

第三者に訴えても「何かやましいことがあるからおどおどしているんだ」となかなかまともに取り合ってもらえない。

2017-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20170318160529

じゃあ丁寧に俺の思考の流れを教える。

まず「集合」は、「集合論における集合」って言ってたよね?

この時点で俺は、「ああ、この集合ってのは素朴集合論における集合かZF公理系における集合なのだろうな」と思うわけ。だってそれが集合論から

で、たとえばリンク貼ってくれた記事とか読むと「集合の辺」とか書いてあるわけだ。

集合に辺とか存在しないからこの時点で理解不能なわけですね。

集合の「内側」「外側」はまあたぶん今現在考えている全体集合Uにたいして集合Aと集合U\Aのことなのだろうな、と推測できるけど辺は理解不能なんですね。

この時点でああ増田集合論勉強したことがないか、あるいは独自のやりかたで「集合論」って言葉をあえて使っているのだろうな、となるわけです。

したがってこの時点で増田に対する信用がやや落ちているわけです(「よく知りもしない学問のなかで現れるテクニカルタームを好き勝手に使ってしまうような人なのでは?」)。

けどまあそれだけで理解不能ってするのも知に対して誠実じゃないからなるべく好意的に言ってることをなんとかして理解しようと思うわけですね。

んで「a 収束 例:あっ」とか見るわけですけど、ごく正気に考えて、まあ何を説明しようとしているのかが限りなく理解不能なわけ。

「a」というのはおそらく「例」の「あっ」に音として含まれ母音「a」のことだろう。これはいい

けど「収束」ってなんなんだ?何がどこにむかってどのように収束しているんだ?

それは「あっ」という言葉作用なのか?それなら「あっ」はいったい何に作用しているんだ?

このあたりでああもうさすがにいいかな、さっきまで読んでた本に戻ろう、とか思ってしまうわけ。

「a 収束 例:あっ」で第三者がなにかを理解できると本気で信じているのなら、それが独りよがり以外のなんなのか俺にはわからない。

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170315234045

流れをぶった切るようで悪いが、増田に書かれている内容だけを見て、第三者うつ病から病院へ行けと結論づけるのは危険だと思う。

大企業に勤めているのなら、昨今のストレスチェック義務化を受けて、会社提携しているカウンセリングサービスがあると思うので、病院に行く前にまずは相談してみることをお勧めしたい。経験豊富第三者に直接会って、中立的立場からアドバイスをもらうべきだと思う。誰かに話をするだけでも精神的に楽になるという事もある。

すぐに精神科に行くべきでないというのには2つの理由がある。

一つは仮にうつ病と診断されると生命保険住宅ローン審査に通りにくくなるというデメリット33歳という相談者の年齢を考えると、人生設計無視できない要素ではないだろうか。

そしてもう一つは職場での無理解。ある程度の大企業だと、役員や人事の間ではメンタルヘルス重要性が認識されているものだが、現場レベルではそうでなかったりする。実際にうつで苦しんだことのない人には苦しみは理解できないもので、たとえ休職によって一時的に症状が改善しても、復職後にサボり等の陰口を言われてさらに苦しい思いをする事もありえる。

私の意見は少数派かもしれないが、何かの参考になれば。

http://anond.hatelabo.jp/20170316215616

増田が何を言いたいのかは理解していないけど、なにか主張をするなら、それが第三者にも(十分な時間をとって勉強すれば)わかるような形で提示しないといけないだろう、とは思った。

厳しいことを言うようだけど、増田の主張は、間違うことすらできていない。

「俺はこう感じる」という自己紹介しかなっていない。

そしてその自己紹介がほぼ誰にも読めない。

しかもその読めない理由は、議論が難解だからではなく、たんにそれが不親切だからで、たとえば「こう感じる」の「こう」の意味すら明晰でない。

これではいくらなんでも話にならないだろう。

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加えて言うと、かりにその「俺はこう感じる」に同意する人間が現れたとしても、そのあらた人間がめちゃめちゃに親切で増田の主張を第三者にもしっくりくるようにきちんと書き直してくれるようなことがないかぎり、増田の主張が説得力を増すことはない。

そうではなくて、たんに「俺はこう感じる」と自己紹介する人間が1人から2人に増えただけ。

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おもしろいと信じる主張があるなら、それを未完成な形のまま繰り返すのではなくて、自分以外の第三者にもわかるようなより洗練された形で書き直すことを考えてみてほしい。

理論の洗練がまだむずかしいというなら、せめて論文の書き方についての本でも読んでみて、簡単趣旨説明してみてほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20170316062347

http://anond.hatelabo.jp/20170316062643

  1. 観察・認識などの精神活動対象となるもの。かっかん。⇔主観
  2. 主観から独立して存在する外界の事物。客体。かっかん。⇔主観
  3. 当事者ではなく、第三者立場から観察し、考えること。また、その考え。かっかん。

ふむ? Goo辞書を見る限り

基準値が定まっていないものは「客観的」とは言わないんだよ

こんなことは書いてないようだが……?

ちなみに「通ぶっている」には概念として十分な客観性が含まれていると考えるのが筋だ。

対象を通ぶっていると思っている私」、と切断したとしてもだな。

切断できうるからこそこそGoo辞書の二番面の意味は掲げてあるものだと思うが。

ところでお前、低能ちゃんだろ?

2017-03-12

なぜゲイは望みもないのにノンケ告白をするのか

自分同性愛者だ。しかも、ノンケを好きになってしまったタイプホモだ。

今は大学院生だけど、自分ホモだってことに気づいたのは中学生くらいからだし

今回惚れたやつに気付かされたわけじゃない。

自覚があるんだからノンケを好きになることを回避できたのに、結局こうなってしまった。

ノンケを好きになるのは今回が初めてではなく二回目。

一回目は高校生ときで、当時一番仲が良かった友達を好きになった。

すごく罪悪感を感じた。

自分そいつに感じている感情相手にとって絶対に受け入れられることはないのは理性ではわかっているんだけど

それでもいつまでも好意を寄せてしまった。そんな自分が憎く、自傷行為とかもした(今思えばホントアホだったと思う)。

それに、これは今もなんだけど、自分同性愛者ということを受け入れられなかった。

女の子を見て、かわいいと思うし、付き合ったり、将来的に結婚でもして家庭を築きたい願望はある。

母親孫の顔を見せたりとか、したい。

でも現実には女の裸をみても不快感しかないし、セックスしたいと思うのは男だ。

そいつには卒業と同時にカミングアウト告白をして、ふってもらった。

すごくスッキリしたけど、やっぱりノンケと付き合うことは無理なんだなってことが身にしみて分かって、一人になったらめちゃくちゃ泣いた。

その友達には気持ち悪いだろうから俺との縁を切ってもかまわないと言ったけど、今もたまに遊んだりする仲で、良い奴だなって思う。

俺がホントのことを言ったことに感謝してくれていたし、だからこそほんとに、こいつを好きになったのを申し訳ないと思った。

こんな思いもう二度としたくないと思った。ノンケを好きになるのは金輪際やめようと思った。

この時も馬鹿だったか意識して気をつけていれば、ノンケ男を好きにならずに済むとか考えてた。

結局大学に入って、サークルですごく気が許せる友達ができた。

そいつを好きになった。

でも理性が否定してれば、普通友達としてやっていけると思った。だから最近まではそいつのことは全然きじゃないって思っていた。矛盾してるけど。

ずっと俺はこいつのことは好きじゃないと必死で思い込んで、友達として接するようにしていた。

最近、それに限界がきた。

しばらくはうまく行っていたけど、ノンケとしてそいつと接するのがここ最近特にキツい。

もう長年の付き合いになるけど、今まで全くシモネタをしないし、女関係の話が出ないから正直疑われていると思う。

このまま俺がノーマルであると嘘をついていける自信がない。それに、信頼している人に嘘をつくのは結構エネルギーが要る。

この嘘は悪いことだとわかっているものの、どこかでこの嘘を正当化しなきゃ貫きようがないから。

自分ホモだってことを嘘ついて仲良くしてるのが悪いってことは自覚できてるんだよ、自覚してる分罪も重いよね。

俺がもしノンケ友達立場だったら自分を許せるかどうか分からない。

それと、第三者からみたら気持ち悪いんだろうなって思うけど嫉妬で消費するエネルギーも大きい。

友達として接している分、心理的距離が近いかヘテロセクシャルが感じる嫉妬よりも大きいと思う。

友達女性体験とかを聞くととにかく負の感情がすごい。自分がその女には絶対なれないと思うのはめちゃくちゃ悔しい。

なんで俺って男として生まれたのかな、って思う。性自認は男だからトランスジェンダーではないんだけど、よく女になれたらなって思う。

高校生ときに嫌な思いをしたから、こんなことを二度とするまいと思っていたけど

やっぱりだめみたいだ。

今度あったら正直に話して縁を切ろうと思う。

新卒博士アカポス公募記録

はじめに

 私はなんとか新卒高専教員になれたので、ここに記録を残しておきます。これから後輩の役に立てば嬉しく思います

 指導教員コネ仕事を紹介というのもこの業界にはあるらしいですが、不幸にして私は一切そのような機会に恵まれませんでした。ですから、全くのコネ無し公募(jrecin)のみの結果です。


基本事項
  • 分野:

 いわゆる就活の機・電・情のくくりで言えば「電」。

 就活を始めるまでは「ポスドク任期付きドンと来いッ!」とか思っていました。しかし、いざ就職を初めて色々と自分の周りの環境を見ていたら任期付きポスト結論先延ばしして競争に打ち勝っていくことは無理(自分性格に合わない)と判断したので、任期なし(パーマネント)のポジションだけを狙うことにした。

 博士の進路としては「アカポス大学短大高専)、企業、国研、その他」に大別されると思います。私は企業バリバリ稼ぎつつ管理職を目指すキャリアパスにも魅力を感じず、「三度のメシより研究がスキッ!」という熱血研究者でもなかったので、博士を活かすなら教員かなあと思ってデモシカ教員を目指しました。

 ということで、狙いの分野は「アカポス」かつ「任期なし」一本で勝負しました。

 D3の夏に初めて、卒業直前に内定をもらい終わりました。

 内定がなければ無職覚悟

 学部卒の就活では集団面接に行くと「東大京大が居て、自分学歴が一番低い」と言われている程度のレベル大学新卒博士高専卒ではない。

 カネはあるが人材の質はピンキリといった感じでした。博士学生が滅多にいないので情報が手に入らないとうのが絶望的に不利な条件でした。結論としては研究向きの環境ではなかた。

 プロシとフルペーパーではフルペーパーが圧倒的に重く評価される分野だったので、フルペーパーの数でいうと1本でした。レター等はなし。その他、国際会議国内会議が数本。

 TAとかRAが少々。

 なし。一切なし。


応募実績と結果

高専:応募13、面接7

大学:応募2、面接1


高専 A 推薦状有り 書類通過 面接落選 (面接官の数が3名で最少だった)

高専 B 推薦状なし 書類落選      (とくに印象なし)

高専 C 推薦状なし 書類通過 面接落選 (専門外の担当授業のことに聞かれ、全然答えられなかった)

高専 D 推薦状なし 書類落選      (履歴書手書きが応募要項にあった)

大学 E 推薦状なし 書類通過 面接落選 (教員公募でも高専大学では雰囲気がかなり違うことがわかった)

高専 F 推薦状なし 書類通過 面接落選 (年齢限定公募だったので結構期待した)

高専 G 推薦状なし 書類通過 面接落選 (推薦も紹介も必要ない珍しい形式公募だった)

大学 H 推薦状なし 書類落選      (よく応募要項を見ると、分野が細かく指定してあった)

高専 I 推薦状有り 書類落選      (年齢限定公募で推薦状をつけていたので期待した)

高専 J 推薦状なし 書類落選      (専門分野のかなり近い教員いたことを応募後に知った)

高専 K 推薦状なし 書類落選      (応募書類テンプレが他の学校とかなり違った)

高専 L 推薦状有り 書類通過 面接辞退 (高専Oの内定を受けたので辞退した)

高専 M 推薦状なし 選考辞退       (同上)

高専 N 推薦状なし 選考辞退      (同上)

高専 O 推薦状なし 書類通過 面接通過 (内定をもらった)

書類作成

 周りに経験者が居ないと本当につらいです。しかたがないのでネット上の情報だけを頼りに書いてみて、アカポスとは関係ない友人に見てもらいました。面接にすら呼ばれず「負けが込んでくる」と自分書類は全く見当はずれなのではないかという不安に襲われましたが、信じて応募を続けるとだんだん落選にも慣れてきます

 論文別刷りの他に論文概要要求するところが結構あります論文の内容を読むつもりはないということでしょうか。

 他の就活体験記事ですと、指導教員の推薦状作成について触れられていないことが多いのですが、ここに一番苦労しました。基本的に推薦状の全文を私が作成して、指導教員印鑑だけをもらうスタイルだったので、推薦状は「第三者視点で書く自己PR」と割りきりました。

 公募締め切りから面接日時通知までは2週間というところが多い感じでした。面接に呼ばれる場合にはTELで来ます落選場合郵便(書留、普通郵便)でした。内定の連絡は即日TELでありました。返信用封筒封筒宛名書きの「(氏 名) 行」を様に書き換えないものや、差出人の書いていない封筒で送付された不採用通知もありました。


模擬授業面接準備

 高専模擬授業面接というパターンが多く、模擬授業はだいたい20分で教科書指定してくることが多かった。学部の授業で習った以来の復習だったので、苦労した。やはり博士論文を作りながら準備をしていたので、準備不足となることが多かった。少なくとも1周間は練習を見て、模擬授業模擬授業を3回程度やるとだいぶ慣れてきました。学校レベルによって模擬授業用の教科書レベルにかなり差が有ったので、これは今後授業をやる上でのいい経験になりました。

 大学面接は流石に今後の研究を中心に質問をされましたが、高専教育(授業、担任、寮監、部活)の質問が大部分を占めた。

 あとは想定問答を練習して、面接マナー練習してという感じで独学でした。


質問対策

 高専のことを知っているかどうかを問われることが多かったので、高専出身者への聞き込みやネット上での情報収集を行いました。面接の後半では、「高専出身でないのに大変よく高専のことをご存知ですね」とまで言われるようになった。研究についても教育についても、新卒なので「ポテンシャルはあります!」という雰囲気の一点突破で想定問答を検討しました。

 面接でよく聞かれる質問

こんなかんじです。


おわりに

 なんで博士課程まで来ちゃったんだろうね? って何度も悩みました。これからは、なんで教員なっちゃったんだろうね? って悩むのかと思います

 ちなみに女性限定公募には応募できないほうの性別でした。就活中は追い詰められていたので何度も「この股間のイチモツさえなければ面接まで行けるのに...」とか悩んでいたのですが終わってみると何だったんだろって感じですね。あまり思いつめないことが大事です。

 もう、二度と就活はやりたくない。






参考文献

完璧博士就活記録です。私より業績もビジョン戦略もあるので、私の記事なんかより参考になります(きっと)。

新卒博士の話ではないですが、応募から面接の期間など公募プロセスの様子を参考にしました。

新卒高専教員になれるんだという希望や、高専で働いて感じたことなどを参考にしました。

大学教員公募が主なスコープかと思いますが、過去ログなど見るとひと通りの疑問点に対する答えがありました。スレからたどり着く52連敗氏のページから元気ももらいました。言うまでもありませんが、情報玉石混交なので直感的に取捨選択を行うことが必要かと思います

  • jrecin

公募はここで探しました。

2017-03-10

籠池理事長に見る「保守派」の典型的思考

 ご存知の通り件の森友学園問題について籠池理事長youtube反論投稿した。

文字起こし大阪国有地払い下げ問題森友学園・籠池理事長YouTubeでの発言書き起こし(3月8日付)

http://www.tbsradio.jp/127093

 個人的に一番「こいつヤベエ…」と思ったのは北朝鮮からテポドンが発射されたのくだりで、金正恩はじめ北朝鮮指導者たちの行いを理由特に関係のない日本在住の北朝鮮ルーツもつ人たちを差別する気満々すぎてドン引きしたが、とりあえず本題でないのでおいておく。


 発言の中で注目したのは以下の箇所。

『どういうことなんでしょうか?ということはこの学園を潰したいということなんでしょう。いまいいきっかけだからいまのうちに、この日本の歴史伝統一生懸命旗を振っている、この塚本幼稚園を、そして国歌君が代を歌っているこの塚本幼稚園を、この素晴らしい子どもたちが礼儀作法をしっかりし、そして挨拶もしっかりし、声も元気よく、自分に自信をもってはつらつと話をし、そして勉強し、体操しているこの子どもたちを、潰そうとしているんじゃありませんか。』

『退園された方は、ご自身の子どもさんがわれわれの教育にあわなかった。あるいはついていけなかった。いや、それ以前に、ためにするために入ってこられた方やと思います。なにか撹乱を起こすために。保護者が機嫌よくきているのに、保護者の中に撹乱を起こすために入ってこられた。』

 うーん。被害妄想炸裂。

 しかし、この被害妄想はなにも籠池氏に特有のものではない。

 あるところに加害-被害関係があったとする。当然被害者加害者非難する。

 このとき加害者側に加害の認識がない(あるいは加害を否認しようとする強い欲求がある)場合加害者はなぜ自分が責められているのか理解できない。

 そこでこの「自分は悪くないはずなのになぜか責められている」という状況に置かれてしまった理由を考えると、導かれる答えは「(自称被害者側に悪意がある」だ。相手自分を貶めるために被害でっち上げ言いがかりをつけてきているのだ、という認識になる。

 ここで注目すべきは、このような認識を持つことによって加害-被害関係が逆転するということだ。

 本来加害者であったはずの側が言いがかり攻撃されている被害者となり、本来被害者であったはずの側が言いがかりをつけて攻撃する加害者となる。

 かくして加害者被害者意識でいっぱいになる……。

 このような思考は籠池氏に見られるだけではなく、日本の「保守派」に広く見られるものだ。その代表例が歴史問題だろう。

 日本慰安婦南京事件だと中国韓国から非難される。しか日本の「保守派」はそれらの問題捏造されたものであったり解決済みのものであったりするため日本は悪くないと信じている、ではなぜ日本非難されるのか。それは中国韓国日本攻撃することで国内の不満を逸らそうという意図があるからに違いない。これは歴史問題ではなく「反日問題なのだ……。

 かくして日本はかつての戦争犯罪真摯に向き合わない加害者ではなく、中国韓国から言いがかりをつけて攻撃される被害者となる。日本の「保守派」は「加害者である中国韓国に対して反発心でいっぱいだ。



 言うまでもなくこんなもの逆ギレとでもいうべきものであって、第三者から見れば馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。しかし、日本の「保守派」の中では大真面目に語られる理屈だ。

 籠池氏がこのような被害妄想思考の持ち主だから保守」に傾倒しているのか、それとも「保守」に傾倒した結果このような被害妄想思考が癖になってしまったのか、卵が先か鶏が先かはわからない。しかしこの被害妄想思考こそが日本の「保守派」に見られる典型的思考であることは確かだろう。



 最後に。

 一般に、加害者立場が弱く被害者立場が強い。

 だから、加害-被害関係を逆転させる被害妄想思考立場を逆転させるためのテクニックとしても使える。

 森友学園問題において安倍総理が答弁で「野党印象操作をしている」と繰り返したのはこれだろう。

 野党印象操作を言い立てることによって、総理野党卑劣印象操作攻撃被害者という立場を得られるのだ。

2017-03-06

専業主婦になりたくない

【前提】

就活でかなり追い詰められていた時に、彼は「別に専業主婦とかでもいいんだよ」と言ってくれた。

彼のことは非常に愛しているし、正直魅力的な提案だと思ってしまったけど、でも無事に就職先が決まった時、とてもホッとした。この事について、ただただ考えてみた。

これは個人的愚痴の吐き出しであり、一般化を目的とするものではない。

また、専業主婦存在意義自体に関して議論するつもりは無い。

(個人的には、ハウスキーパーなど家事技能必須職業存在していることだし、一人暮らししてると家事めっちゃめんどくさいし、尊敬の念を禁じ得ない。)


【外的?要因】

どうも配偶者恋人などのパートナーがいると、個人能力とか、主体的な部分が無視されることがある気がする。

私に恋人がいることを知っている知人から、「そのネックレスかわいいね、彼氏さんからプレゼント?」とかなり確信に近い感じで言われたことがある。

私はそれほどバイトに熱心な方ではないと知られていたので思考としては当然の帰結なのかもしれないけど。

けどもし、珍しくバイトして汗水垂らして買いましたとか、そういう風に言ったらこの人どうするんだろう?と考えてしまった。

たかアクセサリーたかがこれくらいの言葉で、と自分でも思う。でも短期間で同じようなことが立て続けにあり、どうしても考えてしまった。

恋人がいる、というだけで個人経済力とか、自己決定能力無視されたように感じてしまった。更に言えば、自己肯定感の低い人間なので、私って彼氏がいる以外何もない人間なんだろうか、とちょっと落ち込んだ。私と彼とは個人同士で選びあって愛しあっているのに、第三者からするとどちらかがどちらかの付属物のように見られることがある、というのがなんとなく悲しかった。

私の場合アクセサリーに対してのだったけど、もしかしてたまにあることだったりするんだろうか。例えば男の子がなんとなく作った料理とかお菓子写真を上げて、「美味しそうだね!彼女さんが作ってくれたの?」っていうリプが付くとか?

勿論自意識過剰なのはわかっているし、社交辞令とか世間話ってそういうもんだと思う。

でも、もし例えば専業主婦になって、専業主婦に関してよくある言葉を軽口として言われ続けたらきっと耐えられないだろう。個人関係でさえこなのだから社会的責任をもって結ばれた関係でこうやって考え込んで勝手に落ち込んでたらやっていけない。


【内的要因】

本当は、前段を本題として、「もし世界に彼と私の二人きりなら、一も二もなく提案を受けるだろう」と締めくくるつもりだった。けどよくよく考えてみて、実際そうなったらいつか自殺したくなるんじゃないか、と思った。

理由は罪悪感である相手に何かしてもらうばかりで、自分は何一つしてあげられないのではないか、と。

以前ストレートにこの旨を話した所、「具体的に何してくれるとかじゃなくて、君がいるだけで俺は頑張れる」的なことを言われた。カーッ!好き!でも実感ができないので納得できない。

そんな私にもわかりやす指標の一つが、お金である。ちゃんと働いて相手金銭負担をかけないとか、そういうことが唯一私が彼にできることであり、拠り所というか希望になりつつあったのかもしれない。

多分主婦になっても、ちゃんとした家事ができる気がしない。かなりダメだと思う。それでも彼は何か見つけて労ったり褒めたりしてくれそうなんだ。

彼は優しくて私は卑屈だ。そういう人間にとって最後の砦が、「ちゃんとしているということを経済力によって示す」ことなのかもしれない。

正直社会人になるのも滅茶苦茶不安だ。働きたくない。やっていける気がしない。でも、相手に見合う人間になりたいとか、自立した一個人として見られたいとか、そういうことを考えれば頑張れるというか、もうそしかない。

2017-03-05

『「発達障害は親のせい」はデマ』だけで良いのか?

元ネタ

「発達障害は親のせい」はデマ。発達障害の診断は、これからを考えるためのステップ 児童精神科医・姜昌勲さんインタビュー - messy|メッシー

当事者」の対象者

「しつけ」の一般的なとらえ方からすると「しつけが関係ない」というのは言い過ぎ

発達障害は、親の育て方によらない、生まれつきの生物学的疾患です。だからのしつけなんて関係ない。大間違いなんですよ。もう、アホかバカかって感じなんですけど(怒)。」

確かに、「診断結果と療育を受けることを受容するまでは」という条件付きなら正しいと思いますよ。

しかし、その後も「しつけなんて関係ない」と言えるのか甚だ疑問ですね。

もちろん、生まれつき=遺伝=親のせいという短絡的な話は論外として、親には「しつけ」る義務があるはず。


そろそろ「しつけ」の定義をしなおした方が良い

当事者」と「親」、そして、「身近な支援者」が望んでいるのは、生き辛い状況を汲み取って=発達障害特性を勘案して、世間の秩序と折り合いをつけて「当事者」が生きていくということのはず。

専門家視点では、発達障害特性を勘案して折り合いをつけられようにすることは「しつけ」ではないと言うかもしれない。

しかし、それは学術的に定義された用語使用して表現をしなければ正確な議論が出来ないからであって、「当事者」と「親」、その他「悪意のある第三者」も含めた「周囲の人々」から構成される現実社会実践の場では、「定義された」"それ"と「しつけ」を区別することに何の意味もないんじゃないか

しろ、「しつけ」という言葉を、「何が正しくて、何が正しくないかを教えて、世間の秩序と折り合いをつけられるようにすること」と再定義しなおして、『「当事者」の特性に応じた方法で、「親」や「身近な支援者」が「しつけ」を行えるように支援することが必要です』といった方が議論がしっくりと来るのではないのか、と思うのだが。

ケースによっては「親」と「身近な支援者」がちょっと連携するだけで良い場合も多い

あと、インタビューでこの人が言っていることは正しいけど、デマを打ち消す意味では、少なくとも「もう、アホかバカかって感じなんですけど(怒)」はないんじゃないかと。

正直、「当事者」の問題行動は、対処方法があったら、「なーんだそんなことか」って場合もあるんですよ。

金八先生みたいな熱血先生相談して「先生ありがとうございました」とかじゃなくても、幼稚園保育園小学校先生などの「身近な支援者」に、ちょっと腹を割って話をして、「うちの子取説」を渡したら上手くいくケースも結構あるはずなんですよね。

それなのに、良く勘違いしている「当事者」の「親」達が居て、「発達障害についての勉強をして、ちゃんと支援してくれなきゃ困る」とか、ネット仕入れ知識を振りかざして言いたい放題。

味方にしなきゃいけない「身近な支援者」を敵に回してどうするんですか??

幼稚園保育園小学校先生などの「身近な支援者」は「運命共同体的な関係者」ですよ!!

頭下げてお願いして、一緒に「当事者」と向き合っていかなきゃだめでしょう。

ちょっと考えてみてくださいよ。

法整備がされて「発達障害」が特別扱いされる前のほんの10年くらい前までは、園長先生校長先生に頭を下げてお願いしていたはずなんですよ。(まあ、所謂モンスターペアレントなるものはありましたが・・・)

10年前まで出来ていたことが、今出来ないっておかしくないですか? (まあ、出来てなかったかもしれないが・・・)

ちなみ、「周りの支援者」は「運命共同体的な関係者」なので、半年か1年に一回相談に乗ってくれる程度の専門家は入らないと思いますよ。

実際、幼稚園保育園小学校などの先生は上手く「しつけ」出来ないと現場で困るが、たまに相談に乗る専門家は全く困らないから。

まり専門家意見第三者的な助言であり、それを以て、「当事者」と「親」の運命を決定するなどというのはあり得ないということは、「当事者」の「親」には、気を付けてもらいたいと思っていますね。

なんか、同じ先生でも専門家ばかり頼って、実際、幼稚園保育園小学校などの先生との連携おろそかにしていませんか?

2017-03-03

曜変天目騒動についてのメモ

誤解されている点

現在でも化学顔料を用いずに同様のもの作成することは可能あくまで「18世紀以降に普及した化学顔料を用いていない」ということのみの裏付け

化学顔料を用いずに曜変、油滴、禾目に近似した構造色を発生させる手法は既に確立済み。長江惣吉氏の手法化学顔料は用いていない(はず)。

あるべきと思うアクション

混乱を招いた責任者

後述する評価可能性を全てすっ飛ばして「国宝級曜変天目」とぶち上げた当該テレビ番組関係者と実物も見ずに「化学顔料を用いた現代の模造品」と決めつけた長江惣吉氏。

当該茶碗の評価可能

1. 化学顔料を用いた近現代作品

2. 化学顔料を用いない近現代作品

3. 化学顔料を用いないが、近現代作品でもなく、宋代建窯のものでもない作品

4. 宋代建窯の作品であるが「曜変」ではない作品

5. 曜変天目と認められる作品

曜変天目騒動についてのメモ

誤解されている点

現在でも化学顔料を用いずに同様のもの作成することは可能あくまで「18世紀以降に普及した化学顔料を用いていない」ということのみの裏付け

化学顔料を用いずに曜変、油滴、禾目に近似した構造色を発生させる手法は既に確立済み。長江惣吉氏の手法化学顔料は用いていない(はず)。

あるべきと思うアクション

混乱を招いた責任者

後述する評価可能性を全てすっ飛ばして「国宝級曜変天目」とぶち上げた当該テレビ番組関係者と実物も見ずに「化学顔料を用いた現代の模造品」と決めつけた長江惣吉氏。

当該茶碗の評価可能

1. 化学顔料を用いた近現代作品

2. 化学顔料を用いない近現代作品

3. 化学顔料を用いないが、近現代作品でもなく、宋代建窯のものでもない作品

4. 宋代建窯の作品であるが「曜変」ではない作品

5. 曜変天目と認められる作品

2017-02-28

ダウン症児を産むのが怖いとかいう人へ

初めに言っておきますが、私はダウン症の子供の母ではありません。私の書くことで不快になる方もいるでしょうし、全てのケースに当てはまる訳ではありません。

ただ、私の意見を書きたいと思います

私の意見だけを鵜呑みにせず、自分で見て、調べて、考えてください。

出生前診断などでもしダウン症だったらどうするのか悩む気がする、また夫婦意見が違うなど言う人は、特別支援学校などにボランティアに行ってみたらいいと思う。


これから書くのは、短いがそういう病気関係ある人にはとても酷い内容に思えるだろうし、小さい頃の時の記憶なので実際とは違っているかもしれない。

この記事を見るくらいだから、恐らくネットなどで実際の子育て記などを見ている人もいるだろう。そういう意見も大切にして欲しい。それを踏まえた上で、第三者からのこれ以上ないほど身勝手意見だとした上で、聞いて欲しい。


私が養護学校ボランティアに行ったのは小学校行事でだった。その時は養護学校がよく分からなくて、きっと目が見えないとか車椅子人達なのだろうと思った。

養護学校の子供たちにプレゼントの絵を描きましょうと言われたので、当時絵が得意だった私は気合を入れて絵を描いて持っていった。バスの中で、すごいって言ってくれるだろうな、と満足げに思っていた。

ところが、実際に会ってみると私の想像とはだいぶ違っていた。30人ほどのクラスの中で車椅子の子はいなかった。ただみんな私たちとは何かが違っていた。

一人につき一枚、みんなで絵を渡した。私は男の子に渡した。ありがとうとは言われなかった。何を渡されたのか理解している様子でもなかった。私の絵を褒めてくれることが無いことも瞬時に理解した。

それからみんなで歌に合わせて踊った。みんな楽しそうだった。たまに叫んだりする人がいた。

とても酷いと思われるだろうが、当時の私は、コミュニケーションを取れない人は人じゃなくて動物に近いなと思った。それは他の人には言えないが今も変わっていない。


当時の経験は今になって、とてもいいものだったと思う。

いくらどんな記事を見ても、私を認識していない人とコミュニケーションが取れない虚しさや、一瞬で、なにか決定的なものを共有できないということが分かる感覚は味わえなかった。

から、悩んでいる人に実際に会ってみて欲しい。そのうえで自分がどうしたいか考えて欲しい。

ひどいことを言ったが、よく天使と言われることがあるが、それは本当だと思う。みんな楽しそうだった。悩みも認識できないのかな、と思う。

軽度の人がいて、その人たちはコミュニケーションが取れる。自分がどう思うのか言えるし、人を気遣えるし、ちゃんと働ける。そういう人も見た。

ただ私の意見としては、あの時あそこで会った人達人間じゃなくて天使動物なのかな、と思う。

2017-02-27

カジノ管轄省庁なんて決まった暁には世界中から笑い者だぞ

最近警察カジノ利権獲得のためかやたらと暴力団リスクを叫ぶ。建前は正義しか本音利権獲得のためであるというのは言うまでもない。

公営ギャンブルは各々管轄省庁が決まっている、競輪オートレース経済産業省競艇国土交通省競馬農林水産省TOTO文部科学省宝くじ総務省パチンコ警察庁である

警察は大量の天下り先確保のためにカジノ利権を獲得しようとしているのは明白だ。だから最近パチンコに対して大規模な規制をかけて俺たち警察パチンコをここまでコントロールできるんだ、だからカジノ利権頂戴というのが目に見えている。

でもね、カジノ海外だと行政立法機関から独立した第三者機関監視運営をするのがメジャー管轄省庁なんて作った暁には「J●Pはカジノですらお役人様の天下り先にしようとしてるのかよwwwやっぱ(世界から)遅れてんなwwww」と笑いものにされる。日本IR法案だって一応は「カジノ管理委員会」という機関がその役割を担うことになっているが…調べてみると内閣府外局として置かれることになるっぽい。

カジノ管理委員会は、別に法律で定めるところにより、内閣府外局として置かれるものとし、カジノ施設の設置及び運営に関する秩序の維持及び安全の確保を図るため、カジノ施設関係者に対する規制を行うものとす

http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/192/meisai/m19205189020.htm


内閣府外局とかやっぱりお役人様の天下り先確保のためじゃないか(呆れ)という声も出るかもしれない。でも内閣府外局って非常に独立性の高い機関である、例えば公正取引委員とか。

でも警察は諦めない、今度はカジノ機器検査を行おうとしてくる、パチンコ台の検査警察天下り機関である保安通信協会が行うようにね。

警察が関わったらつまらなくなるのはパチンコパチスロをみて明らかじゃんか、ちょっとしたイベント射幸心を煽るということで禁止違反したら営業停止。これが今のパチンコ業界、おかげでどんどん市場規模は減少中。遊技としてでもギャンブルとしてもおもしろくない産業に成り下がった。


警察なんて気分次第で違法にしたり合法にしたりするとんでも組織なんだから日本カジノを行う業者は団結して警察から天下り要求を突っぱねるべきだよ。

2017-02-26

渡辺竜王への弁護を検証してみる

※追記 頑張って計算して書いた日記だけど、書いている間に元のページが消されたらしい(Webアーカイブ)。消されたということは取り下げたということだろうからおかしいと気づいたのかも知れない。

1.初めに

三浦九段不正疑惑について、渡辺明竜王を弁護するという記事を見た。

なにやら、観戦記者 小暮克洋氏(三浦九段から名指しで批判されていた、あの小暮克洋氏だ)から渡辺竜王を弁護してほしい、というよく分からない依頼を受けた弁護士が、裁判でもないのに勝手渡辺竜王を弁護しているらしい。

幸いにして、私はこれまで弁護士のお世話にならなければならない事態になったこともなく、この文章で本当に渡辺竜王が弁護できているのか判断するのは困難である

しかし、少なくとも、この中で取り上げられている計算を(具体的に数値が挙げられているところであれば)検証してみることはできるので、ちょっと考えてみようか、と思った。

2.一致率の検討

そもそもこの件に関しては、ソフトの一致率がやたらとフォーカスされていたが、それ以外の点でも重大な事実誤認があった。例えば、前出の弁護文においても、

対局中の離席については、そもそも証言の一つであった30分の離席といった事実がないことが確認された。また、離席の事実をもって、三浦九段への疑惑根拠付けることはできないとの判断がなされた。

と書かれている。

また、ソフトの一致率がいくら高くても、それが疑惑証拠となるわけではないことは第三者による調査によって既に示されている。

しかし、弁護文の中では主にこの一致率をもって、「渡辺竜王告発を行ったこともやむを得ないことであった」としているようなので、私もその点を検討する。



ソフトとの一致率とは、ある局面将棋ソフトに読み込ませて、その将棋ソフトが指した次の手と実際の手が一致した割合のことらしい。

それだけでなにやら本当に証拠とできるか怪しいと(普通なら)なりそうなものだが、

この違和感は、渡辺竜王要請で、名人竜王羽生三冠など、現代トップ棋士が数名がかりで検討したときにも、多くのトップ棋士たちが共有した違和感であった。

とのことらしいので、まあ色々私も違和感を覚えつつも、少なくとも棋界では説得力のある話だったということにしておこうかと思う。

この文章目的も、棋界の重鎮を糾弾しよう、というものではない。



さて、件の弁護文の中では、一致率を疑いの根拠とした理由が、以下の具体的な数値として書かれている。

三浦九段の4局の点数は、普段の彼の実力からすると、当方計算では、出現率でいえば、良くて10%程度である。そんな出来の良い将棋が、疑いをもたれた短期間に、4局もでてきている。

第三者委員会の報告は、三浦九段の「疑惑の4局」程度の一致率の将棋は、35局中9局あったと指摘している。つまり三浦九段にとっても、上位4分の1に入るような出来の良い将棋だったことになる。そのような出来の良い将棋が、疑いをもたれた短期間に、4局も出現していることになる。もちろん、そのような偶然があり得るというのは、第三者委員会の指摘する通りではあるが、常識的にはめったに生じない事態である

この主張から読み取れるのは、「10%以下の確率で起こる事象が、短期間(?)で4回出現した」ということだろうか。

第三者委員会の主張とは割合が異なっているようだが、算出方法が異なるようである。異なる理由はおそらく、上記弁護文の『10.「手の分かれる」局面での「技巧」との一致』あたりに書いてある手法によるためであろう。

ここでは、その手法の是非は問わない。



そうは言っても、この主張はどうにも曖昧である

短期間で、というのは一体どの期間で、その間に何回の対局があったのだろうか。

よくて10%というのは、一体実際は何%だったのだろうか。

ここらへんが解決できないと、正しい検証はできない気もするが、とりあえずここは簡単にするために、「10%の確率事象が4連続した」場合を考えてみる。

10ダイスを4回振ったら、毎回1が出た、ということだ。これは単純に1/10の4乗なので、1/10000の確率である。従って、「常識的にはめったに生じない」とする。



……本当にそうだろうか?

この結論には、重大な欠点がある。「試行回数は4回でない」ということを考慮していない。

正確には、「1/10確率で起こる事象Aをn回試行したら、そのうち4回はAが連続した」ということになる。

ここで、試行回数nはすなわち、三浦九段の対局数である。対局数は将棋連盟のWebページに載っているが、三浦九段場合は962回らしい。

さて、もう一度計算しなおそう。

「962回の試行の間に、1/10確率で起こる事象Aが4連続する確率である

これをざっと概算する方法は、以下のようになる。



n回の試行の中で事象Aが少なくとも一度は4連続する確率をP(n)、n回目の試行事象Aが初めて4連続する確率をQ(n)とする。

このとき、n≧5の場合において、

P(n) = P(n-1) + Q(n)

であり、

Q(n) = (1-P(n-5)) * 9 / 10000

となる。

また、P(4) = 1/10000, Q(4) = 1/10000であり、n<4のときは、P(n) = 0, Q(n) = 0となる。



この漸化式において、n=962の場合計算すると、P(962) ≒ 0.0827314となり、約8.3%であることが分かる。

なお、この計算横着をした。この計算ミスっていると私の主張が通らなくなるので、もしミスを見つけたら指摘をお願いしたい。



このようにして、三浦九段棋士としての経歴の中で、上位10%にあたる好対局が4回連続する確率は約8.3%であることが分かった。

これは確かにやや珍しいと言えるだろう。しかし、起こり得ないことではない。これは言い換えれば、12人に1人の棋士が同じような成績を残しているということであり、また、三浦九段を疑うなら、全棋士の8.3%が同じように疑われることになる、ということである

ちなみに、「良くて10%」という部分をもっと厳しめに見積もると、「あり得ない確率」と言うことができるレベルにすることは可能であるが、その場合はその確率をきっちり示さないといけない。例えば5%で見積もると、約0.57%という結果が現れる。

また、今回は「4回連続」という厳しい条件で計算したが、「短期間で4回」という条件だと、確率的には逆にもっと高くなる。

ちなみに、第三者委員会の言う「35回に9回」という結果を使うと、96%近い確率でこのような成績が出ることになり、珍しくもなんともない。



したがって、一致率を元に疑いの目を向けるということが妥当であるかというと、確率論的には全く妥当ではない、と言わざるをえない。もちろん、上記のように、計算の元となる事象Aの出現率が相当程度に低ければ、疑いを向けるに足るかも知れないが、その場合は「短期間で4回」「良くて10%」などといった、曖昧表現はいけないのである



3.終わりに

弁護文は、「三浦九段不正をした」ということを追及している訳でなく「このような理由から渡辺竜王が疑いを持ったのはおかしくない」という主張である

上記のような計算ができず(これを考えるのはそれなりに難しかった)、また弁護文に書かれているような誤った確率計算からおかしいと思い込んだ、という主張であるならば、確かにあり得ることである

少なくとも悪気はなかったのだ、という結論を出すことは可能であろう。



ただし、その結論を導くには、「渡辺竜王確率論に関して明らかに間違った計算を行った」という前提に立たなければならない。

三浦九段から名指しで批判された観戦記者勝手に弁護を依頼して、その結果、計算間違いを大々的に主張されてしまった渡辺竜王が、私はちょっと可哀想になってきた。

さみしいのかな

「こう言ったら嫌われるかな」

「変に思われたらどうしよう」

「いい子だって思ってほしい」

誰と過ごすときもそう思うんだよね

全然素が出ない

疲れる

その割に会話が続かなくて相手苦笑い

微妙空気

そこに第三者が加わると、自分責任分散してくれる存在が現れたようでほっとする

でも第三者と今までの話し相手が楽しそうに喋り始めてるの見るとさ

なんで自分はうまくできないんだろうって

こんなに我慢してるのにって

同性の友達全然いない

2人くらい

すっごく見下してる子

自分から誘えるのはその子たちだけ

異性の友達はいない多分

友達っていうのかな

最初は媚びて、自分に惹かれてきたなと思ったら放置して

そうやって転がして

告られたら振る

そのあと何回か遊ぶ

もうほんと人といるのって疲れる

化粧するのも面倒だし家から出るのも面倒だし

相手の自慢話聞くのも面倒だし

話すことないしただ気を遣うだけ

気を使わなくていい相手は見下してる相手

自分より下の女の子とか自分に惚れてる男とか

そういう相手と会うのは楽しいかも

ちょっとの親切ですぐ喜ばれてさ

コスパいいよね

でも一人でいるとき大喜びでご機嫌かといわれると

そうでもない

弟がいるんだけどね

いわゆるリア充大学生

彼が毎日飲み会行ってるの理解できない

私だったら疲れる

でも楽しいだって

そう思えることも

飲み会毎日誘ってくれる相手がいるのも

うらやましいよ

でもどうすればいいの

私は他人に何を期待してるんだろう

この先いろんな人と出会うだろうけど

楽しくなるのかな

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