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はてなキーワード: 示唆とは

2017-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20170118131712

『(シンプルな)Perl』という表現が、暗にシンプルではないPerl存在示唆し、

それは初心者には解読困難であることを示しているのだ。

2017-01-11

おことばですが、あなたのいうバカ発達障害とは…

http://anond.hatelabo.jp/20170111125518

1 

そもそもイラストマークと引き出しの中身の関連が言われないと咄嗟に気付けないことはある

字で「下着」ってシールを貼ってるのにわからなかったらきれてもいいけど。



2

イラスト示唆に気付いたとしても、あんたにとって下着の絵が人には下着に見えなことは容易に考えられる。

世の中にある標識マークは長年の積み重ねとプロデザイナーによって出来ていて、

あんたがなんとなくイラスト描いてもあんた以外への視認性がどれほどのものか怪しい。



3

イラストのそれぞれの意味を見抜けたとして、

それぞれの引き出しにどういう分類で入れてるのかもまたあんたの裁量であって

他人が初めてその引き出しを開けて的確に衣類を抜き出せないのはむしろ当たり前。




まとめ

あんたの怒りってさ、

自分がよくわかっていることは他者旦那)も同じレベルでよくわかっているはずだ」という前提があって。

あんたって、自分認識していることと他者認識していることの区別をつけるのが苦手な人っぽいわけ。




まり

おたくにいるバカ発達障害というのは

旦那さんではなく…

2017-01-05

フリップフラッパーズ個人的分析

自分用なので他のブログなどは参考にしてません。他サイトと重複部分はお咎めなく。

アモルファス

ピュアイリュージョンの垣根を壊す主体だが、ピュアイリュージョン内部での創造の側面もある。11話で各世界接合の側面が明かされ、同時に未見の世界である未来などの世界観ピュアイリュージョン内部に見られた。このことからピュアイリュージョン過去現在未来記憶内包する神智学で語られるアカシャ年代記を模していることが理解できる。

ミミ

ピュアイリュージョンの人工的な総体最終話10:40付近の会話、10:58の台詞から彼女がそれぞれの「部分」であることが理解できる。また、彼女の別の「部分」が現実同化したピュアイリュージョン内でソルトと一緒にいる。総体である理由は明確に作中の団体がミミをアモルファスと名指ししていることから明白である

ミミのかけら

ピュアイリュージョンをそれぞれ形成しているかけら。すべて集めるとミミの総体になる。ただしミミはあくま実験材料にされた人物であり、最終話18:12から始まるヒダカの発言によりピュアイリュージョン自体は存続していることが分かる。かなりの度合いでピュアイリュージョンに溶け込むか同質の力を得た、と考えるのが自然。その為ミミの分身はいたるところでその世界に対して支配的に振る舞っている。この考察に対する裏付けとして11話では「幾つもの顔を持つ私=ピュアイリュージョンはすべて私」という答えが明確に提示されている。

憶測だが03話で戦った褐色悪女はヤヤカの「部分」であるとすればシナリオ矛盾がなくなる。ヤヤカは12話でこの褐色女と集中的に戦っており、自分の中に内在する友情と打算の葛藤とも取れる。ただしこの女をミミの「部分」として考えてもさほど矛盾は発生しない。

地獄

06・07話に語られるミミの魔物の側面。ピュアイリュージョン内の特殊な扉から入る。06話の扉に入った二名は後に偽物と判明するおばあさんの記憶を思い出し、かついろは先輩が親から見捨てられた子であることを理解する。名前立場が度々入れ替わることで理解できるが、これはココナとパピカの記憶ではなく単なる記憶の追走である10話にておばあさんが偽物であることが判明するが、ここでおばあさんは「イロ」ではなく「ココナ」と呼んでいるため、06話のいろは記憶をミミが利用したと考えるのが一番妥当結論だろう。

世界征服

アモルファスを手にすることですべてのピュアイリュージョン配下にし、結論として現実と接合された世界をも手中にできるという、同期に放送された『Occultic;Nine』に酷似した内容。並行宇宙ではなく「並行した霊界」と「並行した記憶含む心の分断化された世界」、という解釈の違いはある。この理屈最終話16:16の台詞からだが、心の概念だけでなく心に留めた過去記憶もそこに含まれている(神智学オカルト概念については上記に)。団体シンボルであるカドゥケウスの杖にはメルクリウスから転じて水銀意味があり、水銀アモルファス金属である

インピーダンス

電圧電流比のことだが、表向きには二人が同調していないとバランスが崩れる程度の意味で使われている。一方話の裏からアモルファス水銀を拾うと、水銀電流の導体となりうる物質であることは明白で、この場合プラス電極とマイナス電極がパピカとココナになる。ここまで理解できるとヒダカの意図がミミに電流を流す目的があったことが自動的に導かれる。そしてミミはピュアイリュージョン世界支配的・中心的存在であり、そこへ電流を加えるヒダカの意図ピュアイリュージョンを変容させる目的しかない。この裏はミミ自体が多くのパーツで形成される変容の主体として描かれるためでもある。そしてこの物語の変容とは成長のメタファーとしても流用されている。

ピュアイリュージョン

上記それぞれの解釈から過去現在未来を含む記憶の側面と創造の側面がある。そして各ワールドの分断あるいは個々人が内包されているという面から推測するに、それぞれの心を具現化したイデアワールドであることが推測される。このためにイデア支配に躍起になる団体描写されることになる。ピュアイリュージョンとは個々人の夢であると同時に記憶トラウマであり未来でもあるし、それらを想起させるイデアであるとも言える。

童話神話体系

眠れる森の美女』の原本である太陽と月とターリア』などの影響やギリシャ神話が用いられている。特にエルピスはパンドーラと関連する話で、最後に残された希望かつ災厄がアモルファス=ミミであることが理解できる。ミミは最終話ヒドラ変態した姿で表されるが、これはヘラクレス12功業をこなしたことを意味し、また13話で完結することを意味している。13という数字は一時期占星術世界からバッシングされたへびつかい座でもある。

太陽と月とターリア』は眠っている時点で性行為に及んだ、というあたりや双子出産などに共通点を見いだせる(ピュアイリュージョンに入る際実験体は眠っている)。ソーレ(太陽)がパピカでココナがルーナ(月)という対応で、物語子供とターリアは引き裂かれることに対応している。しか対応は瞬時にすげ代わり、ミミから見た王妃がパピカで奪われた子供ルーナ=ココナだけとなる見方へと変じる。

イナンナイシュタル女神神話と照らし合わせると、地下世界研究施設から冥府=ピュアイリュージョンに潜ってやがて終盤地上へと放り出される表現比較的はっきりしている。その頃になると二人は黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)的な現象としてこの世にありながらあの世存在と化している。ヨモツヘグイとは伊弉冉尊黄泉に下った際に伊弉諾が食べなかった黄泉食事であり、パピカやココナはピュアイリュージョン内部で食事をとっている。各国の神話にある冥府系の内容は盛り込まれているものの明言はされていない。しかしミミがピュアイリュージョン女王=冥府の女王であることを考えると彼女伊弉冉でありイナンナの姉エレキシュガルである。この理由故にここを強く解釈するとバッドエンドになるが、もしかすると二人は死んでいるかもしれない。そのため最終話でサユリは暗い顔をしている。この解釈場合エンド付近でヒダカがピュアイリュージョンを捉えられなくなったのも当然といえる。今ヒダカがいる場所こそがピュアイリュージョン化しているためである


他作パロディ

北斗の拳SIRENプリキュア、ズヴィズダー、空中ブランコまどマギエウレカセブンなど。変身ロボの回にはエヴァ的なエフェクトも見られた。また敵に奇襲される基地などはネルフ彷彿とさせる。

メッセージ

親子関係の束縛と友情が強調されているがアカシャ年代記などの背景を踏まえると、過去未来現在自分探しよりも自分自身が好きなものを信じなさい、という思いが中心に走っていることが分かる。この裏付けは03話の褐色悪女発言にも求められる。友情は大切なもの記号化であり、親からの束縛は「好き」の選択に闘いがつきまとうことを暗示している。世界の変容は自分自身履歴でありながらも成長概念として提示される。この点はエヴァ世界の融合と歪な葛藤の解消を描いたことに対して、フリップフラッパーズではバラバラの自己意味を探し打ち勝つことが主眼となっており、作品メッセージとしての融合目的も違う。当作品では歴史が地続きであるという示唆にとどまる。実際彼女たちはラストシーン自分たち歴史を作るために手を取り合って旅立っている。その世界は夢と記憶履歴現実が混ざり合って「過去から繋がった」ピュアイリュージョンの姿であり、過去と切断せず自分と向き合った三人が映し出されてエンディングを迎える。

2017-01-01

たきぎから学ぶ元旦

正月につき某所でたきぎを行いました。

火のないところに煙は立たぬ

間違っていませんが、火のないところからもくすぶった煙が立ち上がります

火種がないのに煙は大きく見えるため、インターネット時代にはこの事実を鑑みて修正すべきかと思います

火に油を注ぐ

勢いの付いた火ならいざしらず、つきかけの火に対して油を注ぐと高い確率で消えます

火を灯す前に油の染み込んだ紙などを用意して、火をつけてからのものに転写すべきです。

まり火が先ではなく油が先です。また同時に油が充実していないと火はつきません。

なかなか示唆暗喩に富んでいて興味深いです。

冷水を浴びせる

少し脱線しますがこれはそのままです。水分の多い生木は燃えません。

いくら燃やせても、食えないものを人は食わないということでしょう。

爪に火を灯す

火勢が良くなければ燃えません。

火中の栗を拾う

炎上が終わる前に二度バズらせようとする行為です。

たきぎと直接関係ないので実現象と照らし合わせるには無理があります

栗(コンテンツ)はコンビニで買う時代です。

焼け木杭に火がつく

コンテンツ産業において再炎上というところですが、木杭自体燃え尽きてますので中身はカスカス二番煎じ感は禁じ得ません。

2016-12-26

[]

今回は裏サンデー


グッド・ナイトワールド 49話

何らかの事情や、本人なりの葛藤があったとはいえ、そう簡単にこれまで積み重ねられた憎悪はなくならない。

けれども、いやだからこそ、あの選択が“最良の反抗”になる。

単なる天邪鬼だと切り捨てることもできるけれども、相手自分自身さえも理解した上での選択だっていうのがポイントだね。

ここで相手を見直すだとか、そういうことをやらないのは評価したいし、ここで更なる展開をして盛り上げる構成にしている点でもグッド。

まあ、ただここから実際問題どう解決するかは気になるが。



ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス 19話

同作者のゼルダの伝説コミカライズは、少ない話数(巻数)なので重要な部分のみに絞って描かれてたんだよね(まあ、ムジュラのカーフェイイベントとか、逆に蛇足になりえるサブクエを本編に絡ませて消化するっていう演出には感心した記憶がある)。

けれども、本作はサブキャラとかも丁寧に描きつつ、かつ世界観説明独自の設定も練りこんであるね。

それを丁寧な作画ストーリーが紡がれるわけだから、同ゲームやったことある身としては目が離せない。

リンクが狼になる挟間のシーンとか、特筆した演出ってわけじゃないのにちょっと「おー」となった。



ケンガンアシュラ 169話

打撃戦のみなのに魅せるなあ。

単なる実力のぶつけ合いって感じが、むしろ熱戦を感じさせる。

それだけ打撃戦での一連のシーンが盛り上がっていたから、最後の決め手がアレってのは「やられた!」と感じた。

これまでも示唆していた可能性だから意外ではないはずなのに、盛り上げるシーンでその意識を外にやられていた。



ねじの人々 第25話

真理の探究のもの本質ってのは、まあ別に異論はない。

それを、ただ言葉ではなくて絵で抽象的に表現するのは、これがいくら論理の皮をかぶろうとマンガである自覚が作者にあるからこそできる演出で、そのバランス感覚評価したい。

本気で哲学を学びたい、真理を探究するために思考したいならば、エンタメ重視のマンガである必要はないのだから

それでも意義があるとするならば、私は「意見を分かち合う道を示す」ことだと解釈している。

ねじが途中で他の皆が登ってくるまで待つと言っているが、それに近いんじゃないかと。

ヒトデが後で俺たちも行くと言っているのも個人的にグッときたなあ。

そういえば、私の感想文もある意味では「意見を分かち合う道を示す」ことではあるんだけれども、別にそんな大層な心構えで書いているわけではないしね~。

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161209144227

数学という分野から見た数学経験論として自己認識できるのは当たり前だろアホか。

世の中には数学の導き出す結果を未だに懐疑的にみているし実証されなければ信用しない人間存在する。

自分個人的経験を振り返って経験が全てだと言い張るモンキーはまさにその典型

マルチバースなんてどうやったって実証できないけど理論可能性が高いことが示唆されてても実証されないが有力候補扱いされてる。

クォーツ発見数学が先にあったからこそ実験する動機が産まれて結果、実験して発見につながった。

現時点で実証されていなもの未来において強い影響力を持つということ、

まり実証されないし経験もされていない事柄が与える影響の強さを理解できてないのが経験論。

実証ありきということはまさに実証だけで終わる人間実証の先の検証にはどうやったって未知の予測必要

2016-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20161201165930

いやいやいや、結びついてないよ!

詐欺師に限って『自分の頭で考えて』って言ってくるよね」

って話と、話者が頭使ってるかどうかは全然別の話!

全く関連性がない!

示唆もしてない!

よく考えて!

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である


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君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。



さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

**************


さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

**************

 

さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-29

http://www.nubatamanon.com/entry/2016/11/29/210548

たとえばこのコンテンツの中の一つ「不適切な表示に関連したコンテンツ」の例として

虚偽表示不明瞭な表現ユーザーコンテンツ誘導するページ(偽の記事を本物のように見せかけるなど)

ユーザー情報を「フィッシング」するページ

虚偽、不正、または誇大な主張によってコンテンツ商品サービス宣伝するページ(「一攫千金」の情報など)

Google サービス偽装しているサイト

別の個人組織商品サービスとの提携関係があるか、別の個人組織から承認を得ているかのように示唆する虚偽表示のあるページ

今回のWELQがやったことというのはまさにこれなのではないのだろうか。虚偽や誇大な主張でコンテンツ宣伝し、GoogleAdSenseを含むアフィリエイトサイトへと誘導したこと。これこそGoogle AdSense禁止しているものではないのか。

それ偽リンクとか、虚偽の団体記載するとかそういうやつじゃん。

先行記事の内容をさっぱり理解してない。

http://anond.hatelabo.jp/20161129084840

>人の心が伝わるなんて気のせい

そうですよ。気のせいです。だからどうしても運要素もゼロになるわけではない。

様々な評価ポイントはあるものの、なかなか難しいものです。

それでも面接は、その人と一緒に働いていくんだ。という想いや期待を持って採用するのも事実

伝わらない、伝わるはずないって考え方は惜しいと思います


>たくさん受けるのは就活生の自衛

これは失礼しました。

まぁ本当に伝えたかったのは、精神すり減らすくらいなら、いろいろな道があるよっていう示唆ですので悪しからず。

2016-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20161128234150

ちゃうんやで。あのクラウドファンディングスタッフロール

お祭りがありました」を示唆する情報なんやで。

映画を見ている人で、スタッフロールに載ってない人は、観客そのものや。それは祭りに参加した人間とはちゃう

文化祭で例えてみ? 文化祭で誰かが作った何かの出し物を鑑賞することはそれはそれで楽しいかもしれん。

でも、文化祭っちゅーんは文化祭当日だけやなくて文化祭の出し物だったりを準備するのも含めての文化祭や。

お客の事を考えたり、アレコレこうじゃないと言い合ったりするのも楽しいよなあ?

即ち、映画も「鑑賞するだけ」の楽しみ方以外にも「映画ができるまでをやきもきして見守る」って楽しみ方も出来んねんで、ってのを示したのがあのスタッフロールなんやな。

増田ドリームジャンボ宝くじ買うたか10億円当たるとええな。年末が楽しみやのう。

そういう事や。モノにはいろんな楽しみ方あるゆう事やな。

詳しくは、「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」の映画でも見てみい。

なんとなくじゃろうがワイのゆうてることが分かるようになるかも分からんで。

http://anond.hatelabo.jp/20161128001443

「なりそうな」、と書いた案件に対して「カッコつけて書いたお前」がこっちの言いたいことであって、

当たり前になりつつある概念をご開帳して自慢した恥ずかしい人間じゃないなら、そう書いたら良いのでは?

そしてお前の言ってる、「いよいよマジに成りそうな物事」「古いもクソもない件」

解釈次第で神話寓話説話に、世に起こる諸々の全てが書かれてるわ」

この三つなんだけど、どう解釈しても今から、あるいは過去から普遍性があったことを自分自身示唆している。

となれば、そんなアタリマエのことを自慢げに話した間抜けなお前という問題と、憶測で話したお前、という二つの問題内包ちゃうわけ。

俺はただ単にそんなわかりきったこと話す恥ずかしい人だったのか? という「推測」に基づいて攻撃してるわけでして。

なにも俺には恥じはないよなあ、という感じ。お前は恥ずかしいけど。

2016-11-25

言語ってなんだ、状態か?

まずは【お前自身機械翻訳駆逐されろ】"iwatani"の翻訳した記事が上がっていた。

GoogleAI翻訳ツール独自の内部的言語発明したようだ、そうとしか言えない不思議現象が>

http://jp.techcrunch.com/2016/11/23/20161122googles-ai-translation-tool-seems-to-have-invented-its-own-secret-internal-language/

http://b.hatena.ne.jp/entry/jp.techcrunch.com/2016/11/23/20161122googles-ai-translation-tool-seems-to-have-invented-its-own-secret-internal-language/

Zero-Shot Learningは分岐のない翻訳などではない。これは正しくOne-shot Learningの延長線上にあり、

ワンショット学習すらしないで(この場合対応ペアでの事前学習をおこなわず)、新規ペアでの処理を行うっていうことだ。

この語は翻訳に限った話でもない。だからほとんどの訳がおかしい。むしろ機械翻訳の方がマシ(背景を理解していない翻訳者より機械翻訳の方がマシという皮肉な状況)。

ワンショット学習っていうのは人間ができることでもある、極めて少ないサンプル(多くの場合サンプルでもいい)から学習する方法

(ちなみに実際に脳内でもOne-Shot Learningは繰り返し学習とは別パスなのではという示唆もある)

グーグル翻訳AIが「独自言語」を生み出したといえる根拠

http://wired.jp/2016/11/24/google-ai-language-create/

http://b.hatena.ne.jp/entry/wired.jp/2016/11/24/google-ai-language-create/

なんだ英語を介さな翻訳手法って。もうなんなの。

これらは古くから考えられてきた「基底となる」文法等を完備した「中間言語」などではない。

論文で触れられている「『Interlingua』な表現形式」は『semantic representations』とされていて、まさに多言語間で共通する「『意味表現』の表現空間」であり、

リー状に開かれてもいない。人が想像する構造化された言語などではない。

ただしその空間を共有していて、つまり共通意味表現を持っていることは論文(arXiv:1611.04558)で実験的に証拠提示されている。

今までも多対多の翻訳ネットワークを共有することでBLEUを向上できるという論文は出ていたが、今回のは、翻訳に関して言えば、十分普遍化した意味空間を内部的にもったネットワーク新規ペアをぶち込んでも能動的な転移学習すらせずにそれなりの結果が得られる、結果の向上だけでなく未知ペアを処理できるって事である

 そしてその効果汎用性↑↑、そして最大のメリットサンプルが少ない言語ペアもやりやすくなるぞ、マイナー言語にも早く適用できるかもって所だ。

One-shot Learning系(小サンプル)とDeep Learning系(巨大サンプル)によるネットワークについて、意味という(我々にも見えない)上位構造の下に配置された構造である言語」を扱う特別な例では、両方を一つで達成できる可能性が垣間見えた論文なのでもある。

2016-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20161120220626

勘違いなさっているようですけど、少なくとも私の知る範囲では30代の男性に対して感情的になっているところを「更年期障害からねー」で片づけている例は知りませんね。あなたのまわりではどうか知りませんが。

勘違いなさってるようですけど、早ければ30代でもなりますよ、学のなさそうな貴方様よりは医者が監修している内容の方が信憑性は高いですね。http://www.skincare-univ.com/article/007851/自分知識のない分野でドヤ顔すると痛い目にあうとよくわかりますね。それから彼女は30代後半であることも指摘しておきましょう。

能町さんはすでに手術もして戸籍も変えられている「女性」ですので、仮に男性更年期障害が30代という非常に若い年代から発症して性格を変えてしまうほどのものだったとしてもそれを当然に感情の変化の原因として持ち出すのは少々短絡的ですね。

更年期示唆したところ元男性でも当てはまるのか?といい出したバカがいたので可能性として十分あげられると述べただけですよ?あなたはそう思いたくないのか知りませんが、否定するのに必死になる方が短絡的なのでは?

それと、男性更年期障害があるという事実は聡明なあなたけが知っている真実というほど珍しい知識でもないので、偉そうに人に教えるのは普通社会生活では辞めておいたほうがいいですよ。

男性が~とか言ってる的外れバカしか言わないので心配しなくていいのではないでしょうか。的外れバカ的外れを指摘すると偉そうに人に教えたことになる世界に住む聡明な誰かさんにはわからないのかもしれませんが。

[]

今回は少年ジャンプ+

誰が賢者を殺したか? 14話

ここにきて、様相がはっきりとしてきたな。

この世界において強力な力を持つことと同義の凄腕のハッカーであっても、死ぬときはあっけなく死ぬという無常さ。

盗賊”までならともかく、前回の“剣士”死亡で明確にこの作品方向性を示してきた感じがする。

記者会見で明確に“一行”に呼びかけるという展開で、話はぐいぐい進んでいくんだけれども、読者目線でみれば内通者の暗躍に加え、今回で明確に“一行”の中に例外がいることが示唆されて不穏が凄まじい。

次の展開が全く読めなくて、そういう点ではハラハラする。

けれども、何というか、個人的にはそれがワクワクと比例しないんだよね。




とんかつDJアゲ太郎 105話

叔父の助けもあり店も上手いこと回り始めて、イギリスへのチャンスも家族含めて後押ししてくれる展開。

普通なら、もう悩む必要はないんだけれども、アゲ太郎にとってはそうはいかないよなあ。

アゲ太郎DJとしての根幹には「とんかつ」が結びついていて、どちらかだけを取るってのは、実はその他のことも捨てているに等しい。

それを踏まえてなおビッグチャンスであることも分かっているから、より悩む。

ある意味で、この作品テーマに踏み込んだ今回のエピソードで、それも佳境といったところだが、どういう落とし所になるか。

好きな歌い手に息の根を止められたい

ニコニコ動画の「歌い手」の話


ここ5年くらいで「歌い手」はメジャー流通CDを出すようになった。

ある会社歌い手にどんどん声をかけて、同じレーベルからたくさんの歌い手CDを出し始めた。

自分の好きな歌い手もその中の一人で、メジャー流通CDを何枚か出していた。

いわばその時期には「有名歌い手」に属している人だったと思う。

CDを出すたびにリリースイベントが開催されて、握手をして、サインもしてもらった。

ライブもたくさん行った。

そのときテレビよりもニコニコ動画をたくさん見ていたので、ニコニコ動画でよく聴く歌い手自分の中ではアイドルのような存在だった。

歌い手の中には顔出しする人が少なくなかった。むしろCDなどをリリースするようになってから増えたとも思う。

だけど、自分の好きな歌い手は顔を公開することはなかった。

SNSに載っているのは影と指くらい。顔は絶対に載せない。そういうところが大好きだったなと思う。

歌いっぽんで勝負をしていた人だった。ライブに行ったことのある人は顔がある程度わかるけれど、

それ以外のファンは歌からみんな想像を膨らませてファンアートを描いていた。総じてイケメンの設定だった。

(そして実際にもある程度整った顔をしていたと思う。ライブ補正がかかればかっこよく見えても仕方がない。)

歌がうまいことに加えて面白くて、でもまじめで。そしてかっこいい。

ファンはみんな思い思いに本人像を作り上げて、その人のことを愛でていた。

本当に頭のいい人だと思う。たぶん、意図して顔出しをしていなかったから。

交流のある歌い手たちは顔出ししている人も多くて、顔出ししていてもおかしくなかった人だったから。考えての選択だったと思う。

今改めて考えてもその選択は正しいと思う。

顔出しって相当なリスクがある。動画サイト上で歌い手といえど一般人だし。

一般人は周囲の友達しか存在を知らないし顔をネットに乗せたってその周囲の人しか興味もないけど、歌い手はそうじゃない。「有名歌い手」なら特にそうだ。

名前は違えど多くの人に認識されている存在。」ここだけなら普通にTVに出ている芸能人と同じようなものだ。そんな存在が、不特定多数が見ることのできる場所自分の顔のわかる写真を載せたら・・・どうなるのだろう。私は顔出ししてる歌い手じゃないから実害がどんなものかはわかんないけど。昔ストーカー被害に遭ってた人とかはいたよね。

歌い手である自分歌い手ではないとき自分がちゃんといる人だった。

後者の時の話をしてくれることももちろんあって、塾講師バイトが、とか、就職できました。とか、仕事しています。とか。最低限の情報

最低限の情報でもその人の後者の時の話のレベルとしてそれが当たり前だったか特に何とも思わなかった。

みんなそれぞれに本人像があるから、それにあてはめて、今日も頑張っているのかな、と想像をふくらませたんじゃないかな(これは私だけかもしれないけど)

そしてあるときからぱったりと、その人は動画投稿しなくなった。

しかしたら再開するかもしれないから、「しなくなった」という表現にしておく。

でも間違いなく一度は投稿をしなくなるようなことを示唆していた。

それに気づいたのが今日の朝。その、「あるときからとうに1年がすぎ、二回目の春が過ぎ夏が過ぎ秋も過ぎ去ろうとしていたところだった。

でもSNSはまだたまに投稿を続けている。だから、「引退」はしていないんだと思う。それもなんだか、「らしい」なと思う。

引退詐欺、あったよね。それを近くで見ていた人だからかな、とも思った。

わざわざ何年もかけて作り上げた自分のためのステージ更地にする必要もないし、もしかしたらまた始めるかもしれないから現状のままにしているのかも。本人じゃないから、真意はわからないけど。

仕事が大変なのか、ちょっと休みたいのか、もうこのステージに飽きちゃったのか、ステージに上がらなくてもいいと思っているのか。今もどこかで歌を歌っているのか。

ファン想像することしかできない。

でも、ステージが残されている限り、マイクが置かれていない限りはまだ待っていてもいいといわれているような待っていてほしいといわれているような、そんな気持ちになる。

今のあの人の歌が聞いてみたいと思うこともある。でも、今は本当にその見込みがない。

まじめで(おそらく)普通生活を送っている人だ。もういい歳になるだろうし、結婚して、お風呂子供と歌ったりして、お父さん、歌うまいね。とか子供に言われてほしい。これはいファン理想だけど。だれもネットで歌っていてCDも出した人だなんてわからない。普通の人になる。まあ、有名な人の中でも一般人に近しい存在なので、普通の人になることなんて簡単だとは思う。むしろもうSNSパスワード忘れちゃって入れなくて事実引退みたいな感じなのかもしれない。わからいか想像することしかできない。

はやくファンの息の根を止めてほしいのだ。普通の人という側面を大切にしていた人だ。みんな、いつかは普通の人に戻ることはわかっていた。でも、今はまだ普通の人じゃないかもしれない。

から期待するし好きなままでいる。苦しい。いま、どうしているのかがわからない。そういう人だからという一言で片づけられるかもしれないけれど、

最後くらいはちゃんと言ってほしい。そして、普通の人に戻って幸せになってくれたらいいなと思う。

2016-11-18

ロシアは、クリミアロシア併合占領である分類した報告書公布した翌日、正式国際刑事裁判所設立からその署名を取り下げていると述べた。

裁判所拒否は、象徴的ではあるが、人道に対する罪戦争犯罪人道に対する罪を追及するための世界的な法的秩序を確立しようとする努力に新鮮な打撃を与えている。

ICCについては近年、南アフリカブルンジガンビアなど、ICC正式メンバーであったアフリカ3カ国の3カ国が、ICCの訴追がアフリカ大陸に集中しているという苦情を受け、脱退を示唆している。

2016-11-15

量子論ってパラレルワールド示唆してるの?

パラレルワールドがあって無限世界があるという前提なら死ぬほど確率が低い地球誕生もあってしかるべきだと思うんだけど

もしパラレルワールドが無いんなら恐ろしく0に等しい地球誕生という事実をどう受け止めればいいのか不明

誰か物理学に詳しい人教えて

2016-11-09

ポリコレについてブコメしたらid:kyo_juさんに特定するぞと脅された話

ブログをやってないので、ここに書かせてもらいますetc-etcです。

今日話題の「トランプ勝利95%確実」という朝日新聞記事にこういうブコメつけました。

ポリコレ棍棒で殴られるのが怖いか投票日まで黙ってた労働者階級がどれだけいたか

 トランプは勝つべきでなかったが、勝たなければ彼らの声は省みられず

 メディアに踏みにじらて終わっただろう。重い結果。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJC9410CJC9UHBI029.html



選挙から思っていたことを書いたら、一番スターがつきました。ありがとうございます

その後、kyo_juという人から僕のブックマークタグ自体ブクマがついて

タグブクマを付けられれたことがなかったので知らなかったですが、付けられると通知が来ます

突然こういうコメントを残されました。

現在までに137件このタグブクマしており、公開ブクマはうち1件。ほう。」

http://b.hatena.ne.jp/kyo_ju/



まり、僕のあるタグに彼をブクマをして(職業に関するもの)、

「お前の職業特定したぞ」と示唆というか脅迫してきた訳です。

シークレットモードでもタグ自体は公開されているのですね。

幸い、僕はその職業従事していないのですが、実はそこに関連のある職業についています

なので、物凄く恐怖を覚えました。想像してほしいのですが、突然そういうブコメがつくのは怖いです。

元々、僕はkyo_juさんと絡んだことは一度もなく、いわゆるはてサの人だという認識しかありません。

なので、急に特定示唆されたことにびっくりしましたし、何が理由なのかさっぱり分かりませんでした。



続いて、彼は僕の最初に掲げたトランプ記事ブクマ自体メタブクマをしたので(これにもあなたブクマブクマついたよと通知が来ます)

僕の今日ブコメが気に入らなかったので脅迫したということがわかりました。

id:kyo_ju

「 "ポリコレ棍棒で殴られるのが怖い"のは

 日本のお前達やそれに相当する層の米国民(新中間階級民)だろうよ、

 という感想しか持てないはてスタの付き具合」

http://b.hatena.ne.jp/entry/307349989/comment/kyo_ju



僕はブコメの内容自体批判されることは慣れていますし、それは構いません。

お前の意見には反対だ、というのは分かります

しかし、そのブコメをしている僕自体職業や住所を特定できると示唆するのは話が違ってきます

自分と違う思想ブコメをしている人を「特定するぞ」という行為は許されるのでしょうか。

それこそ、僕の最初ブコメでいう「ポリコレ棍棒」そのものではないでしょうか。

こういうことがまかり通れば、ブコメ自分の思うことは書けなくなります

僕は彼に抗議し、特定できるぞと示唆するのがどういう行為で、恐怖をどれだけ感じるか、

あなたもされたらどう思いますか、と問いましたが受け入れてもらえませんでした。



さらに、kyo_juさんのツイッターを見てみると、相当僕のブコメが気に入らなかったらしく、

今日の僕のブコメスターを付けた人(100人程度いるでしょうか)全員のアカウントツイッターでリプを飛ばしています

はてブ連携をしている人であれば、今日kyo_juさんからメンションがあったのはそういうことです。

僕のブコメスターを付けてくださった方はすいません。

これも脅迫というか、おそらく法的には問題ないのでしょうが、怖い行為だと思います

俺と違う思想ブコメスターをつけた人、お前ら、どういうことだ、と絡んでる訳ですから

https://twitter.com/kyo_ju_/status/796279561562431489

https://twitter.com/kyo_ju_/status/796279663135838208

(中略)

https://twitter.com/kyo_ju_/status/796280253832269824

https://twitter.com/kyo_ju_/status/796280466353467392



自分とは違う思想コメントをするだけで、特定示唆され、発言を躊躇うことがあってはならないと思います

そして、それをリベラルを名乗る側が行っているという、目眩を覚えるような状況がそこにはあります

加えて、彼のこういう行為ブコメスターをつけて支援するzakinkoさん始めとした有名な人々がいます

遠い日本でさえ、選挙結果を受けて米国ポリコレという"正義"の行き過ぎの現状に疑問を呈しただけで、このような有様なのですから

(そもそも僕は「トランプは勝つべきでなかったが」とブコメに書いたようにトランプ支持ではないですし

 またポリコレ自体否定するのではなく、彼らが定義した「ポリコレ」という正義を振りかざすことの暴力について語っています

アメリカではネット上でトランプを支持するというだけで、どれだけの攻撃を浴びるか分かりません。

都市部エリートの中ではピーターティールのような変わり者くらいですし、彼が受けたバッシングは凄まじいものでした。

そのような状況の中で口を閉ざした人々が膨大にいた、ということを今日選挙は表しているのだと思います

そして、日本でそのような状況を生んではいけないと思っています



長くなりましたが、「ブクマから特定できるぞ」と脅す行為は、法的に問題ないのかもしれませんが、

思想が違うというだけの相手に対してやるべきではなく、それこそが"ポリコレ棍棒"だ、というのが僕の主張です。




(追記: 直近に起きた事件記事に近所で起きた旨コメントしてたので、こういう危ない人に「職種と住所は分かってるよ」と言われた怖さといえば分かるでしょうか。

    被害妄想だの幻覚だの拡大解釈だの、こういうときセカンドレイプオヤジみたいに変わることに呆れてます

    有名左派ブックマーカー勢揃いで現れてスター付け合って擁護しあってるのは面白いです。

    僕の通知はあなた方には見えないですし、仲間擁護するのは分かるけど、

    特定示唆しておいてよく言うなと呆れますし怖いですよ、まじで笑。ヤクザじゃないんだから。)

大規模イベントでの防炎対策について少しだけ調べた

東京デザインウィークでの火災について。

大変痛ましい事件で、いつもならご冥福を祈る黙祷の意を込めて、SNSでは特に沈黙を貫くことにしているがこうして匿名ダイアリーにまで出てきて書くのは、運営側の悪手というか、不手際がどうにも気になったかである

ものすごくいろいろあるが、一番解せないのが以下の部分。



作品にとがった部分がないかや、高さなどは確認しているが、全部で600点ある作品の一つ一つを詳しくチェックするのは困難だった。アート作品なので、主催者からデザインについて、いろいろ注文をするのも難しい」

参照:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161106/k10010757741000.html



何を言っているのか!? 憤りというより本当にわからない。東京デザインウィークだけなんでそんなガバガバなのか。



それは、デザインフェスタ出展したとき記憶があるからだ。

出展料以外に、机のレンタルに電源設備の追加にと、なにかにつけてはマネー(割高)を要求してくるため、1度出てはみたもの出展仲間のあいだで「(主にコミックマーケットとの比較において)運営ク*だな」ということで落ち着いていた、あのデザインフェスタである



そのデザインフェスタでさえ(?)、防炎対策に関してはやけにしっかりしていた。

デザインフェスタ出展ブース数は3,400である

出展ブースに配布されるマニュアルには、防炎対策について厳しいルールがある。

「机から10cmを超えて垂れ下がる布にはすべて防炎製品を使うこと」

ちなみに防炎製品の有料レンタル受付中です!とマニュアルは続くので上記のような感想になったのであるが、それにしても、ちゃんとしているのである



また、キャンドルなどを扱うブースも多いのだが、

火気・消防申請ブース内で以下の項目のものをご使用される場合は必ず事前に火気・消防申請必要です。

(高さが4mを超えるもの/2階建て・屋根構造のもの/キャンドルお香、バーナーなどの火を発生させるもの/危険物の表示があるもの)

参照:

http://www.designfesta.com/manner/

http://designfesta.com/flow/

http://designfesta.com/app-note/

ともあり、それらには別途、火気・消防申請必要である

また、当日は消防署による査察があることも示唆されている。



ちなみにこれらはデザインフェスタがというより、東京ビッグサイトイベント会場とするものではほぼすべて同様の注意事項で、消防法第8条の3と、東京都火災防止条例と、に基づくものらしい。

参照:

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B6%88%E9%98%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC8%E6%9D%A1%E3%81%AE3

http://makezine.jp/event/wp-content/themes/makerfairetokyo/mft2016/pdf/MFT2016_kinshi.pdf

そいでもってこちらによれば、東京デザインウィークは消防法や防止条例対象外だったらしい。なんでかはわからん。屋外だからか。

http://www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/01koho01_02000538.html



いずれにしても、東京デザインウィーク以上にたくさんの出展者がいる大規模イベントなんて山のようにある中で、「全部で600点ある作品の一つ一つを詳しくチェックするのは困難だった。」「アート作品なので、主催者からデザインについて、いろいろ注文をするのも難しい」なんて馬鹿世間知らずな言い訳は、してる場合ではないんじゃなかろうか。

東京デザインウィーク以外のイベントほとんどで、そのチェックをし、アートから作品からなんてことは無論わかったうえで、明確なルールを設けて対策をしていると思うぞ。

2016-11-06

追記みたいなもの

http://anond.hatelabo.jp/20161105155342

↑の記事を書いた元増田です。


色んなブコメトラバを頂いたが、その中でnekora氏の発言(http://d.hatena.ne.jp/nekora/20161105/p2)が看過できないというか、非常に示唆に富む内容を含んでいたので、釣られる形で以下に追記してみる。

いや、SI現場では久しく当たり前の慣習であり「何を今更」な話なんだけど。


注目したのは

詳細設計書を読むべき主な人間は、設計書に従い実装するコーダであるのは言うまでもなく当然の事でありこの辺からすでにはき違えているのには呆れるばかり。

この発言は、そもそもSIの元請や元請に近いポジションの、特にマネージメントを担う立場人間の、プログラマに対する認識がよく見て取れる。

即ち

という考えが透けて見えるのだ。

要するにプログラマライン工とみなしているわけだ。

昨今の「デジタル土方」なんて自虐ネタに照らし合わせれば「デジタルライン工」といったところか。


ここまで書いたタイミングで声を大にして言いたいのだが、こっちは別にプログラマライン工職種に貴賎があるとは思っていない。そこは勘違いしないで欲しい。

問題は、本来であれば知識集約産業であるはずのシステム開発を、労働集約産業手法マネージメントしていることである

プログラマ知識集約産業における「開発者」ではなく、労働集約産業における「現業職」みたいに扱われているのは、そうした歪みが産んだ結果の一部にすぎない。

まあこれには、開発のときだけ人を多く雇うみたいな営みが困難な日本労働環境とか色々な要因が絡むのは、既に今まで散々言われてきた通り。


はいえ、そんなマネージメントでは、品質の優れたものは今までもこれから絶対に作れないだろう。

何かの間違いで、実装精通したSEが詳細設計とやらを書いているなら話は別だが、そんな現場あるのか?という感じ。

あと、開発者としての創意工夫が求められない点について、控えめに言ってプログラマもっと怒っていい。

2016-11-05

それは文春の中村記者本人でしょうね

http://anond.hatelabo.jp/20161103225926

10月20日に発売された『別冊宝島 将棋「名勝負」伝説』というムックがある。

これに収録されている渡辺インタビューインタビュアーが文春の中村記者

このインタビュー取材構成過程の中で、中村記者三浦事件記事取材のことを当たったんだろう。

(なおこのムック三浦事件発覚後の発売だが校了には間に合わなかったようで三浦事件のことは一言も触れられていない)


しろ個人的に興味があるのは、中村記者三浦疑惑を知って取材しようと思ったきっかけなんだよな。

少なくとも渡辺は、10月3日三浦と対局して負けるまでは、自分が動こうとは思っていなかったはず。

この疑惑が芽を出し始めたのは7月下旬竜王戦三浦久保戦。

関西で生まれ疑惑の芽を東京自力で知るのは、今の時代でもなかなか大変なはずなんだが。

当然誰かが垂れ込んだ(それを示唆する文章も文春にはあった)のだろうと思う。

2016-11-03

終末のイゼッタは水なのか

まれ刹那 光放ち 息を吸ってありったけの命は 終わった

cross the line / AKINO with bless4 より引用

水が生成される瞬間 水素が燃焼 酸素と結合して 安定

2H2 + O2 → 2H2O

無味乾燥化学反応式も詩的に表現できる。

逆に、魔法も紐解けば物理化学に他ならないことを示唆しているのだろうか。

2016-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20161021033309

かなりシビア価格なんだろうかね

子供に気軽に買い与えられるようなものじゃないということを示唆しているのか

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