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はてなキーワード: 示唆とは

2016-08-27

君の名は。見た。薄気味悪い感動系の駄作

すごいめちゃくちゃで、ふわふわとした話を圧縮して(いるかのように騙されながら)、勢いで見せられたという感じである

思いつくまま適当に文句を言います。誤字脱字はスルーしてください。読みやすさは保証できません。

単純に、これ、この二人の恋愛物語が、なんでこういう話でないといけなかったんだろうって思ってしまった。現実世界写実的アニメビジュアルで美しい世界でやっていればいるほど、プロットが進めば進むほど、リアリティがなくなって、ふわふわしてくる。秒速5センチとかは、ファンタジー要素は、クズ主人公が理由もなくモテること以外は別段、物語に存在しないから、ああいクズナルシシズム物語として説得力があったが、君の名は。みたいに大きな舞台設定をコントロールする力量がないからもうひたすらめちゃくちゃで、あきれる。なんか最後の方とかエヴァもどき精神世界みたいな描写とかもあったし。2016年あん描写見て、何を説得したいのか謎だった。もっと普通のドラマ描写を作って言いたいこと言えよ。

もし、これがテレビアニメ1クールだったら、予算も時間も潤沢でなく、画面にオーラもなくお得意の映像美もろくすっぽ使えないだろうから物語面が強調されて、みんながアレコレと粗を突っつくので「すごいきれいな映像の映画を見た!」っていう勢いがなくなり、凡作認定されていただろう。元々新海誠みたいなのって、エヴァンゲリオン村上春樹を創作のよりどころにしているような、たいして才能のない作家であって、自意識過剰独りよがりな恥ずかしい妄想物語を構築しようとする奴が一人で短編アニメをそういう感性で作ってそれが玄人筋セカイ系だのと変な刺さり方をしたせいで、なまじポエムとかキラキラした画面作りがうまかったせいで長編アニメ映画作家としてのレールに乗ってしまったのが間違い。このあたりの、「アニメーション映画作家」のブランド化を擁立する回路と発想の貧しさってかなり根本的にどうしようもないことになってると思う。漫画みたいにさ何十人何百人と作家がいるんならいいんだけど、新海誠って、ただ異様に夢見がちで異様にロマンチストなだけでしょ? それがこのひとの作家性でしょう? 東宝大衆向けに成立させるためにいろいろテコ入れ指導しただけで、悪いところは何にも治ってないよ。寝取られ趣味を指導されてセルフパロディで両想いハッピーエンドなんてところは作家の力量の場所じゃないだろう。

君の名は。にしたって文芸的な発想として、基本的にやってることは、ぶっちゃけ今やってるアニメだとリゼロあたりとほとんど変わらない。何か一つか二つ、使い古された仕掛けを元ネタとして、そこに自分価値観人生観恋愛青春家族観女性観男性観などを展開していく土台にするわけだけど、この映画雰囲気しかない。ひたすら美しい彗星を見上げるキミとボク、っていう。あそこから恋愛物語を出発させていくんだけど、それが、あの映画。40過ぎた男が「オリジナルで」やるのが、あれ。背景美術の美麗さ、超豪華アニメーター陣の画面の力をとっぱらえば、何がある? 単なる借り物の想像力自分語りしているだけでしょ? その自分があまりに貧相なんでもうつらいつらい。

 

ポスト宮崎? つまり20年後国民的な映画作家? 本当にこの人でいいの? まあジャニーズ帝国みたいにジブリ帝国だった時期があるせいでこういうことになってしまったんだろうけど、画面作りに非凡な才能があるというだけで、大した教養もない奴を神棚に飾らなければならないカリスマを祭り上げる発想が薄気味悪いし居心地悪いしもう最悪。

コイツ一度でもテレビアニメの平均的な予算と時間やらせたほうがいいわ。君の名は。ではこれまでついてきてくれたアニメーターたちを切り捨てて東宝マネーであてがわれた超豪華なメンツアニメーター引き連れて興行収入はこれまでの最高が1,5億を初日だけで軽々と塗り替えるくらいの大宣伝攻勢。プロデューサーたちは頑張ったよねえ。シン・ゴジラより興行収入あげちゃうかもしれないんだから宣伝はうまくいったよね。口コミはどうなんだろうなあ。シンゴジラみたいになるのかなあ。どう考えても駄作だけどなあ。

本編のうざったさは、まず、入れ替わりの際の決まりごとの曖昧さ、具体的なルール法則性の明示のされなさ。これにいらつく。元に戻れば記憶が薄れるとか、バカにしてるだろ。

頭抱えて「うう、うう、、、うううう君の名前は、、、」とかお前は上遠野こうへいのラノベキャラかっつの

他人と入れ替わったのに学校に行きバイトに行き、お互いの素性を知っても連絡を取ろうとしない。そんな日常を代行するくらい打ち解けても自分が生きている時間や日付に気付かないという脚本がわざと主人公たちをバカにしていて、もう序盤で冷めていた。写実的アニメのくせしてこのラインリアリティの話なんだなと。思春期の男女が入れ替わって? 家族や友人がそれまでと変わらずに? 陰口叩いてくる同級生の威嚇のために机を蹴っ飛ばすの? ホント大丈夫? そのレベルリアリティでやってくの? 女子力が高い男子高校生女子大生が仲良くなる過程のディテールもろくにかけないかランチして笑ってればいいの? 


前半のガバガバリアリティが死ぬほど退屈で、アホらしかったわ。憧れの年上のお姉さんのマネキンっぷり、生々しさの演出タバコって失笑でしかない女性観。もう一段階読み込むと、バカな男たちが惹かれる顔と身体だけの女として、あの先輩を描いているかもしれない。青春の幻影的な? まあ嘘だけどね。魅力的な現代的な女性像なんて新海誠に誰も期待してないでしょう。もう単純に、長澤まさみばりにいい女っていう記号でしかない。

主人公をめぐる人間関係にしたって、後半の探索を円滑に進めるメンツの確保のためでしかなくて、ハリボテ感がすごいんだよね。まあこういう部分はオリンピック見ても分かるように日本中スクールガールスクールボーイコンプレックスで単に学園物っていう牢獄にいるようなもんだから、ガキっぽい世界観になるのは国民病なんだけど、ただの事実として、選択した物語ギミックにふさわしい舞台設定の調整と情報量コントロールがド下手。何か原作をつけてアニメを作ったこともない、TV放送で1話20分で回したこともないんじゃそうなって当然だよ。

まあこういう勢いで迫力を出している、野生のバカであるがゆえの新海誠という作家性があるのも事実はいえ、君の名は。を名作として崇めようとするのはやめたほうがいい。新海誠文芸的にはリゼロと同レベルなんだから。あのバイト先のレストラン、高級シャレオツぶってるけど、客の民度から察するに最低ランクでしょ? パンケーキのお店のほうがランクはるかに上なんでしょ?  物語の動かし方がつまようじドキュン活用することでしか分からないんでしょ? やばいよ、あれは。つうか長澤まさみがなんか機転を利かすのかと思ったら謝るだけだったし、ガチ思春期男子が顔と身体だけであこがれてる女性っていうイメージなのかもしれないなあ。まあどうでもいいが。

最初から最後まで、子供っぽいふわふわした基準リアリティ物事が進んでいく。入れ替わりギミックぼんやりした設定だけじゃなくて、人間関係とかもヒロインにおいてすら、投げっぱなし。思わせぶりなセリフで色々匂わせるんだけど、それだけ。冒頭で、ヒロインとおばあちゃんが父親とうまくいっていないという物語的な課題提示しているのにほっぽりだす。ヒロイン家系の巫女的能力があることだけほのめかして、クライマックスの筋に絡まない。ものすごい空虚な存在でしょ、父親が。碇ゲンドウ的ですらない。母親なんて排除しちゃってるもん。




後半の畳みかけるような展開は、正確に把握できたかどうか自信がないけど、もしかしたら、きっちりつじつまが合うように作られているのかもしれないけど、仮にそうだとしても、見ている側との意思疎通がほとんど感じられない。何がどうなれば物語としてオーケーなのか、ゴールが正確に提示されないでしょ? 酒を飲んだら入れ替わりが発生するとか、そんなん言われても、法則性はないのでどうとでもなる展開でさ。

んで助けに来て、おばあちゃんは入れ替わりに気付いても、彗星の話は信じないとか意味不明だろ。父親を説得にも失敗して声を荒げたら「お前は誰だ?」というところでやっぱりあの家系は死んだ母親ふくめて代々そういうことがあったんだと示唆されるわけだけど、なぜか場面転換して逃げ出すように「俺じゃ説得できないのか」って好きな女性父親とのコミュニケーションを放棄して、なんか展開おかしいなあと思ったけど、彼女とバトンタッチ世代を超えて組糸の家族和解テーマかと思ったらそっちも何もない。わだかまりを解消するとっかかりが示されるわけでもない。

土建屋放送部とか、人間関係と設定がご都合主義なのはまだ許せても、カタルシスが用意できてない。子供と大人が揉めて、対立して、そこで何かしらのきっかけでうまくいきはじめて、カタルシスが生まれるはずなのに、あれ、なに? 避難訓練て。リゼロみたいに、自分が頑張ってますってアピールするためだけにあの状況があったの? 大人たちは? 


現実なのかよくわからない「たそがれ」の場所幻想的な背景の中でマジックで「好きだ」ださいわ~、普通書かれたらその場で見るだろ。ださいわ~。

何もかもが薄っぺらい夢見がちなファンタジー

そのへんのラノベアニメにないもんっつったら時間メタファ~()であるあの伝統工芸とかなんだろうけど、物語の中のアリバイ作りとかになっちゃってない? 組糸にしたって、ただのドラマティックな恋愛の盛り上げ役っていうかさ、あのアニメの中の世界であの伝統芸能がどういう存在でこれからどうなっていくのか、とか故郷災害で失い、跡形もなく消し飛ばされた人々は、東京でつつましく暮らし結婚とかしちゃいますよ? 憧れの先輩も結婚とかしちゃいますよ 君たちも幸せになろう? 頑張っていこう?

は?

震災の記憶自意識過剰文学青年出会って作品にしちゃう最悪のケースの一つ。自分たちを彩る美しい壮大な光景君の名は。の描く震災は、ロマンティックで残酷恋愛体験できるアトラクションなんだよ。BGMはRADWIMPSでさ。

要するに、子供の幼稚な恋愛の話しか興味がないし、子供の幼稚な恋愛の話しかできないの。この人は。庵野が言うコピー世代っていうのよりもう一段階ひどい。子供世界観でしか物を語れないうえに、何か題材を選んだとしても、それを自分自意識ファッションみたいに扱ってしまう。

なんか、今回の新海誠とりまメディアとかアニメファンの状況が、裸の王様が誕生した瞬間を目撃したような気分になる。

2016-08-25

10000人に1人くらいが役立ちそうな「良い曲の条件」リスト

【全体共通

・チープでも、歌詞があらゆる人に共感できて良い。ストーリー的、もしくは絵本的。聖書的。日記的。

テーマが、多くの人の持つもの

・覚えちゃうフレーズがある。フレーズで売ってる。(心地良いか否かはあまり関係ない)

楽器構造が単純。

ビートが単純。

・展開の構造は独特。サビまでの流れはポップとは限らない。

・展開は頭から尻までどこが欠けてもダメ

特にめちゃくちゃ売れる曲は、子供っぽい。

・歌(声)、声ネタに特徴がある。

・パワーがある。

スピーカーでの聴き味が良い。(スピーカーイヤホンの聴き味があまり変わらない)

需要は、全視聴者最大公約数的。バラードなら一般的に切なく、ポップなら一般的にノレる。


・・・こんな曲が売れると思ってなかった。というトップの曲はめちゃくちゃに売れる傾向。チープ、単純、シンプル。」



ニコ動内】

・覚えちゃうリフがある。

・無欲に、善意と好きだけでしてる。アノニマス的。(かつ才能がある)

メロディビートベースコード)は聴きやすく盤石。

ボーカルが濃い。

シリーズ物

・曲を映像演出している。邪魔だけはしてない。

気合(魂)がこもってる。

天啓的な示唆がある。



国内海外

・その時代性格の、特徴的な良さをついてる。(流行空気



NG

音楽的に、もしくは音の良さだけで聴かせる曲。良くても良い線止まり

マスタリングが悪い。広がりと深みがない。

自分しかいない世界

スピーカーで聴いてない。

・退屈。曲自体ダメ

大人向け。



【(あんまり関係ない)個人的希望

コード、展開、旋律歌詞、音など音楽的に陶酔できる。

・音使いが天才的。(頭悪くない)

音響的に気持ちいい。

・曲調に合った音色だけである必要はない。

映像が"soukaimaxさん的"。(実験的)

テレビで見れる・聞ける水準。

・「それ?」っていうビートと音がある。

・どの曲もどこかトランス的。

ポケモンGO」を見出しに持ってくるのそんなにおかしいか

ポケモンGO運転中にプレイしていたらしい初の死亡事故記事を受けて、何故わざわざ「ポケモンGO」という固有名詞を出して報道するのか?

というような疑問の声が、Web記事コメント付きでブックマークできるサービスの一部ユーザから噴出している。

しかし、今回の死亡事故海外メディアでも報道されているように世界規模の関心事なのだ

ポケモンGO」というホットキーワードを持ってくるのは正直仕方のないことではないだろうか。

記事中に過剰にゲームを叩いたり、暗にゲーム社会悪的なことを示唆するような内容を含んでいるわけでもない。

当該の記事を読んでも「運転中のゲームは危ない」「運転しながらゲームをやってる奴もいるんだ気を付けよう」

といった当たり前のことを再認識するだけである

今回の事故を契機に運転中のスマホ操作厳罰化、取り締まり強化を求める声が上がり、実現されるのであれば

やはり多くの人の耳目を集めるような報道の意義もあるのではなかろうか。

2016-08-22

それへの回答

作中で、間准教授が「個体化、有翼になって群体化」の可能性を示唆してたやん? ラストシーンで、しっぽの先から人間みたいな奴が飛び立つ寸前で固まってる描写があったやん?

そもそも一回目のアメリカの"空爆ウェーイ"攻撃の結果が、内閣総辞職ビーム首都火の海祭だったわけで、生命危機レベルに追い込まれたらあいつはどんな進化するか分かんねーんだよ。だから、作中で「冷却か、熱核攻撃で一気に全て焼き払うかの二択」だって言ってたやん。生命危機を感じさせないままに停止させるか、一撃で全ての細胞を焼き払うかしかないのよ(ちなみに核でそれが可能保証もないのだけどな)。単なる普通の爆撃じゃだめ(殺せないどころか最悪の結末を引き起こす可能性がある)なのよ。だから空爆を繰り返すのは悪手なんだよ。

で、首都東京を核攻撃するのは「世界が許しても日本が許せない」から、あの結果なんじゃん? ただの一匹の生物じゃない、アンド核を許さな世論への配慮を踏まえた判断なんだよ。



でもって、冷却しても、今後その状態ゴジラが乗り越えてくる可能性はまだある。だから、核のカウントダウンは一旦停止のままなわけ。果たしてこれから日本は、あれを冷温停止したまま無事処理までの長い道のりを歩めるのか、それとも果てしなく閉じ込めておく技術が精一杯なのか、あるいは、何かのはずみでゴジラを目覚めさせるほど人類は愚かなのか、それが「共存」の意味なわけよ。

これでよろしいか


http://anond.hatelabo.jp/20160822210801

シン・ゴジラ後乗り感想

あんまりにも絶賛以外の初期批評ボコボコにされるのを見て恐れをなし増田に投下する所存

ネタバレあります


矢口描写

現実派の赤坂理想家の矢口という対立描写がされていたが、矢口が非常にできる人オーラを出しているのであまり対比が感じられない。

冒頭で矢口が巨大生物云々という空気の読めない発言をするが、観客からすれば「真実」を指摘しているわけで、この時点での矢口の未熟さを感じる人はあまりいないと思われる。

赤坂が「空気を乱すな」とたしなめるが、この時点で赤坂矢口感情移入する観客からすれば嫌な人でしかない。

その後も矢口は周囲のフォローを受けながら巨災対を回していくわけだが、失敗描写殆どないのでやはり矢口は有能に見えてしまう(よく見ると矢口1人では全く回ってないのだけれど)

よりわかりやすく示しても良いと思った。決定的な失敗をするとか、巨災対に陰口言われるけど成長して信頼されるとか。

はいえ、現状の構成にも利点はある。矢口感情移入すれば(そしてそれは容易であるヒーローとして楽しめるし、深読みすれば矢口成長物語としても楽しめるので。

実際この2人と、矢口-松尾コンビのやり取りは楽しく見ることができた。


■カヨコ

さんざん言われているけれど、やはり浮いている。怪獣映画であるとしても浮いている。たまにゴジラが一番リアリティないだとか、ヤシオリに向けたリアリティラインの降下要因だとか言われるが納得できない。

対人物と比較したときにカヨコが浮いているのは紛れもない事実である

人とゴジラ対話してチームでも組むならカヨコの存在違和感いかもしれないが、そんな荒唐無稽なことは起こらない。

ゴジラリアリティがないからカヨコにリアリティがなくても良いという主張は、実質映画の全てを免罪し映画自体評価を下げてしまうのであまりよろしくないと思う。

カヨコがいたかリアリティが感じられなくなりヤシオリを素直に楽しめたか?NO。

あのテンプレアメリカンキャラ付けルー語は勘弁して欲しかった。

個人的には老獪な紳士とかだと良いなぁと思います萌えるので。


ゴジラの生態

これはこの映画最大の魅力ではなかろうか?

前段で書いたこと、これから後段で書くことはあくま映画をそれっぽくするためのオマケ。

ゴジラの設定は最高だった。あのぶるぶるするちょっと残念なサンショウウオが画面に現れたときですら大興奮だった。その後のそれっぽい科学説明科学的に正しいかは問わない)もそれに拍車をかける

絶望感を盛り上げるWho will know (24_bigslow)/悲劇(熱線の時のBGM)もいいが、 Persecution of the masses (1172)/上陸も不気味さと不安感を煽る絶妙音楽だと思う。

日本武力の総力を投入しても基本的にはただ平然と前進し続けるゴジラ。お決まりの「やったか!?」。この古典的台詞ですら場面を盛り上げる。

そして熱線。かっこいいの一言に尽きる。まずガスをはき出してそれに引火し、炎が収束していくあの描写オタク心を存分にくすぐってくれた。ギャレス・エドワーズの熱線描写で大興奮していた自分にとって、あのシーンだけでもこの映画価値がある。

ガメラ2ラストのような火の海の中で暴れ続けるゴジラを遠くから描いたカットも最高。そして全てが終わった後、エネルギー切れのロボットのように眠りにつくゴジラ。1連の流れは”美しい”の一言に尽きる。この場面だからこそWho will knowも生きる。いきなりIf I died~で始まる歌詞無駄示唆的でよい。

その後東京にたたずむゴジラを見たときは少々ギャグっぽいなと思ったが、熱線を掃き終え眠りにつく描写のかっこよさはそれを上回る。

熱線描写までは積極的破壊をしないところも評価したい。サンショウゴジラはただ進んでいるだけだが、それだけで甚大な被害をもたらすという絶望感は心地よかった。それは見慣れたゴジラの姿になっても変わらない。

従来策のように、なんでビルに戦いを挑むのかと思わせられる部分はなかった。


■前半と後半の乖離

前半部分の完成度の高さに比べて、映画後半はどうしても見劣りする。

ゴジラという強大な存在感に支えられていた映画が、外国という相手しかも顔も言葉も見えない!)にその対象を変えたことで一気に魅力が薄れてしまった。

この映画に出てくる外国人は、漫画テンプレか、顔の見えないよくわからない相手である。正しく世相を反映しているのかもしれないが、ずいぶんと内向的な描き方だと感じる。

さて、後半魅力が薄れた理由は核攻撃とそれに対する主人公達の反応に説得力がなかったからだと思う。露悪的な見方かもしれないが、突然嫌悪感を前面に押し出す主人公達の反応があまりにも唐突に感じられる。

攻撃有効性は巨災対の中でも認められている。勿論自分絶対にノーだが、この映画は前半で日本にとって東京いかに大切かを延々としゃべらせているので、地方在住の自分としては「地方だったらここまで抵抗するか?」と穿った見方をしてしまう。

理想化の矢口の反応はわかるが、ここで赤坂感情的になるのも解せない。日本人皆の共通認識と言えばそれまでだが、もっと説得力のある反対理由が欲しかった。ぶっちゃけ核がゴジラにきかないのでは...?という手応えが欲しかった。

既に東京ゴジラにより破壊汚染されているわけだし。

ヤシオリ作戦カタルシスに欠ける。絵のシュールさも勿論、電車爆弾程度でゴジラが転ぶのか?と思ってしまう。脚本の都合上仕方ないかと思うが、観客に仕方ないと思わせている時点で失敗といえる。

地面を爆破してバランスを崩すとか、そういう描写の方が説得力があったかもしれない。

口に散水車で液体を流し込む絵もあまりにもシュール。ヤシオリというかヤケクソ。

前半は素晴らしく没入感のある映画だっただけに、後半冷めてしまったのは本当に残念。とはいえ前半があったが故に後半もまあ許せるかぐらいの気分にはなれるし、この映画を良作たらしめている。


政治云々

初代ゴジラには議会ゴジラ情報を統制したい与党っぽいおじさんと、事実公表しろと迫るおばさんのやり取りがあったりする。

一方シンゴジラでは政治描写殆どない。基本的には現内閣とその下部の各省庁から集められたチームが職務をこなす様であって、あれは行政と呼ぶべきだろう。

ゴジラが海に帰った後、国会でのやり取りがあっても良かったかも知れない。それこそ初代のようなやり取りを。民主主義云々言うのなら国会野党を欠くのは片手落ちである

科学者へ無邪気な信頼を置いているのも気に掛かる。今作はわかりやすいほどに震災モチーフと言われているが、であればあのとき科学がどういう状況だったかを考えるとこの映画は無邪気すぎる。

あのとき間違えたものも正解したものもいた。にも関わらず今作の巨災対の科学への絶対的信頼は怖い。

彼ら・彼女らは行政人間ではあるが同時に科学知識を持つ専門家としても描かれている。そのギーク達が超人のごとき活躍。本当に福島を扱いたいならあまりに呑気ではないか

これは穿った見方をすればギークが有能な指導者に見いだされ日本を救う物語とも取れる。この設定は映画の魅力を損ねるわけではないが、高める訳ではない。

また日米の主役である矢口とカヨコは両者とも世襲政治家で若くして高い地位についている。きっと矢口支持率も高いのだろう。親の七光りも存分に使っている。

これが皮肉なのかどうなのかはわからないが、その上矢口は(危機はいえ)小休止時にシャワーもせずに働きづめで有り、皆もそうであることを賞賛する。

庵野が描いた主人公がこのような仕事人間なのは興味深い。


総評

良作。見て損だと思う事は絶対にない。見た人を必ず楽しませてくれるはず。

一方で気になる欠点存在し、その欠点を吹き飛ばすには後半の尻すぼみもあり傑作とまでは言えないと思う。

2016-08-21

シン・ゴジラに乗りきれない人と絶賛する人の差は

普段アニメを見ているかいないかの差だ。

言い換えればアニメ記号文脈をすんなりと把握する能力があるかどうかの差。そしてそれを違和感なく受け入れて物語に入り込めるかどうかの差だ。


アニメを鑑賞するっていうのは実は結構技術がいる。私は普段アニメを見ないので、特に最近アニメ萌えアニメ等はハイコンテクスト過ぎて何が面白いのか、何が行われているのかさえもさっぱりわからないこともある。


ディズニーアニメ等ではそのリアリティラインを丁寧に示してくれるので、違和感なく物語に入り込める。だが、庵野シン・ゴジラ(≒アニメ)は何の示唆も無しに次々とアニメ記号を連発し、普段そういった表現に慣れていない人を置き去りにしてしまうのだ。キャラクターストーリー、背景、セットやディテール、あらゆるものが「アニメ的」でその記号感覚的に理解できないので、ただ「陳腐」なものに写ってしまう。若しくはただ「面白い表現」と言うだけでそれを物語に繋げることが出来ないのだ。


特に今回は実写でアニメをやってるんだということを理解するまで時間が掛かった。


序盤の実写政治ドラマのやり取りから予想していたリアリティラインが、石原さとみが登場した時「??!!!」と、破綻し、全く理解できなくなった。「ん?なんで急にコメディーになったんだ?」と。どういう視点で鑑賞していいかからず混乱した。が、しばらくしてこの感覚前にも経験したと気づいた。エバンゲリオンだ。


バンゲリオンブームの頃、評判を知り、見た。はじめはその質感に興奮した。が、すぐにズッコけた。葛城ミサトペンギンが登場してシンジと如何にもアニメなやり取りを始めたからだ。あー、硬派なアニメって訳ではないのねと。そして最後まで物語りに乗りきれなかった。


シン・ゴジラもそれだった。石原さとみは、アニメキャラだったのか。アスカラングレーだったんだ。登場した瞬間には気づかなかった。アニメを見慣れている人ならすぐに理解してしまうだろう事でも、私にはしばらく分からず、何故こんな大仰な演技してるんだろう?と不思議でならなかった。そうか、アニメとして見ればいいのかと気づいたはいいが普段見慣れていないのでどうしても乗りきれない。面白いのは面白いが、とても覚めた自分がいる。こうして絶賛組との心の距離が離れていってしまうのだ。アスカの声がスクリーンから聞こえる。


気持ち悪い」


http://anond.hatelabo.jp/20160821110422

2016-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20160819145045

中山教習所だと松田さんだっけ、大盛りの牛丼食べてた子がよかった。

野村くんと賀来くんの微妙関係もよかった。



あれが好きならセトウツミもいけるんじゃないかな、と思った。




自分の好きなの、というか、今回のような邦画うんぬん売上うんぬんの話については、

「下衆の愛」が示唆的だったと思う。

インディーズ映画を撮ってるといいながらもうまくいってないワナビ状態主人公渋川清彦と対置するように、

メジャーへ行って大衆受けの作品を撮ってる古舘寛治が出てくる。

しかプロデューサー外国人劇場の入口でポストカードを手渡ししてくれたんだけど、

映画を作ってる側もこういう意識はあるんだなーって思った。



なんの話をしてたのかわからなくなっちゃったな、もうしわけない。

2016-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20160816113446

「タダでダウンロード」とはどこにも書いてないしむしろ「売れ」とすら書いてあるのに割れ示唆するような書き込みをするってーのは増田の程度が知れちまうぜ。

2016-08-12

唯一神が毎回供託金没収されても立候補し続けられるのは

又吉氏が軍用地主で、毎回供託金に困らないからというのは、いろいろ示唆的な話だなぁ…

2016-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20160808155951

いや、分かるけどハイコンテクスト過ぎだろ。

自分から政治に口を出すことは出来ない」から、今回は「ワイ辛いねん(チラッ」とだけ言って政治側が降ろしてくれることを期待してる訳だろ。

でもやっぱりそうだとしても、今回のお言葉に誰にするかなどの示唆は含まれていない。

もっと言うなら「辞めたいねん」だけ汲まれるなら、リアル天皇制終了のお知らせ可能性だけ十分にある訳だろ。

結局どうしたいのかが今回の話ではやっぱり不透明過ぎだよ。

下々のワイらにも理解できる言葉で言ってくれんとわからん

2016-08-07

1秒すら考えてないと思った理由をぜひ答えてくれ

俺はそもそも「この痛ましい事件を世の中から霧散させること」なんか目指していないんだが。そんなこと無理だと思ってるからな。

たとえば「殺人を世の中から霧散させること」は残念ながら無理だ(というのが俺の考えだ)。だが「殺人にはこういう責任が伴う」ことを世の中の常識にする=>法にすることは可能だ。そして、そのことには十分な意味がある。法が殺人を完全に防ぐわけでは無論ないが、「責任」という概念を導くことで、たとえ殺人という問題が発生しても、社会の秩序を一定に保つ役割果たしてくれる。

から、それと同じように、今回のケースについても(そして今後も起こるだろう同様の数多のケースについても)こういうことをしたらこういう責任をとることになる、ということがきちんと実現され、世の常識として定着すべきだと思ってるよ。だから今回についてもZ君にはその身をもって「こういうことをした人間がどうなるか」を体現していただきたく思っている。今後Z君にできる社会貢献と言えば、まずそれではないかな。Z君は今後この社会「しばかれる」べきだ。それが俺の考えだ。



さてしかし、増田の「Z君をお前がしばきあげ」云々という表現はどうも気になる。こりゃどういう意味だ? 俺は、Z君を実名晒しあげてリンチ示唆したりしたわけでも、そうせよと発言したわけでもないぜ。A君の親が訴えるのも当然だし、Z君はその線で粛々と自分のしたことをよく認識しその責任を痛感すべきだと考えてる。その一連の状況が適切に報道されれば、それは社会を少しでもよくすることにつながると思ってる。そう考え発言することが、お前さんの考えでは「しばきあげ」に当たるのか。 それは表現問題か? 「Z君は法廷で、自分行為意味をよく考え、しかるべき手続きに基づいて、反省すべき点について粛々と反省すべし」とでも言えばよかったのか。それとも、それでも言い過ぎなのか。



一体増田には、今回のようなケースを一切報道することなく、それでも「この痛ましい事件を世の中から霧散させる」ようなナイスアイデアがあるということなのか。なるほどそういうすばらしいアイデアがあるなら、そちらに一口乗るのもやぶさかではない。俺は絶対に無理だと思うが、それはきっと俺が低脳で何もわかっていないかなのだろう。増田には、俺を含む世の9割の「低脳」たちに向けて、そのすばらしいアイデアをぜひ開陳して納得させてもらいたい。

Z君をお前がしばきあげたところでこの痛ましい事件が世の中から霧散するのかせめて1秒で良いから考えてみてくれ。

http://anond.hatelabo.jp/20160806172145

増田はどうするのがベストってことが言いたいんだ? すくなくとも、こういうしょーもない罵倒では誰も何も納得しないぜ。

ネタバレシン・ゴジラのフクイチ批判は表面的でしかなく神話解釈による政治批判が正しいと思う

まえがき

シン・ゴジラ作戦名どっかできいたことあるけどなんだっけとおもって、でもしらべるのめんどうで放置していたら、ちょうど今読んでいる本で、その由来を確認して、もーそっから色々妄想がとまらなくなり、深読みをしたくなりまくってしまったので書きます。途中までは、あんのさんのゴジラ作戦名とかに仕込んだ神話ネタ説明。途中からはちまたにあふれるエヴァの超解読本ぐらい怪しい俺の推測。でもまあこういうの含めて盛り上がるのがあんのさくひんだよなとおもうので様式美としてひさしぶりに長文かきます結論だけかくと、一見くそまらない勧善懲悪みえるのだけど、今回もちゃんとあんのさんてきひねくれた映画だったのだろうということです

 

ゴジラヤマタノオロチ神話比較的わかりやすい関連性について

ヤシオリ作戦アマハバキ

まずシン・ゴジラ構造として、わりと愚直なまでにスサノオヤマタノオロチ退治の神話をなぞっています。誰でも気づくのが、ヤシオリ作戦ヤマタノオロチに眠らせるために飲ませる酒の名前はしご車名前であるアマハバキリはスサノオが使った剣の名前ってとこです。この2つで明確にヤマタノオロチ神話をなぞっていることを示しています

ということはゴジラヤマタノオロチということになるわけですかね。ゴジラ原作では恐竜ミュータント、つまり龍です。龍と蛇は限りなく近く、概ね同じ存在と見なしていいと思うのでヤマタノオロチ=龍=ゴジラってことでもいいのだけど、やはり微妙に異なる。今作では幼体の姿で4つんばいの状態を見せているところからも蛇としてのゴジラというのも意識させている気がします。尻尾が長いのもその象徴かなと。後常に状況に応じて進化するのは蛇の脱皮をイメージさせる。だから今作のゴジラはより蛇であり、ヤマタノオロチに近い存在であるとは思います

スサノヲ=矢口

そうなると、矢口スサノオなのか。スサノオ神話は基本構造貴種流離譚、つまりアマテラスの弟という高貴な血筋もつものが、本人のか何らかの欠損を理由追放され試練を乗り越える。矢口は親が力を持った政治家であることが示唆されている。しかし本人の性格は、権威に頼らず上との衝突を辞さず、どちらかというとうとまれ存在。結果、メインストリームから外された専門家集団責任者になるなどする。まあありがちな設定だが、違和感があるのは親が政治家である設定だ。この流れならはじめからたたき上げの能力戦いがコミュニケーション力低いオタク性格主人公でもよかったはずだが(実際アニメだと死ぬほどよくある)、そうしなかったのはスサノオを重ね合わせるための設定かなと思いました。

カヨコと牧教授は、ヤマタノオロチ被害をうけた、うけつつあるクシナダヒメとその親アシナズチ。

教授の奥さんが、放射能が原因でなくなっているというのは、ヤマタノオロチがこれまですでに八人の乙女を食らってきたという部分に重なる。放射能象徴ゴジラでもあるからだ。そしてまたヤマタノオロチが暴れ狂うのだと、旅先で出会ったアシナズチという老人はスサノオに告げるのだ。アシナズチは牧教授なのでしょう。もう少し妄想を広げるならクシナダ姫は、日本出雲に近い広島)の血を引き、過去親族放射能というヤマタノオロチ被害をうけ、同時に高貴な一族の出(パターソンという名前は、貴族血筋)であるカヨコかなと。クシナダ姫なら、今回のゴジラに殺されそうになだてるのかというと、そうでもないのがこの説の弱いとこですが、アメリカから核爆弾が落ちるときに、ぎりぎりまで日本にいる選択をしたところで、ゴジラではないが同じ放射能存在核爆弾被害をうけ兼ねないという意味ではまあそういってもいいかなと。

後半になればなるほど、若干強引な結びつけにはなってますが、作戦ひとつで、まあヤマタノオロチ退治の物語にかけているというのはある程度明らかなのだろうと思います。それはあんのさんがよくやるゲンガクテキになんとなく、物語に深みがあるようにみせかけるためにやっているのかというと、もしかしたらそうじゃないのかなとか思います。ここからは、さらさらこじつけになっていく部分が大きくなりますがご容赦ください。妄想です。

ゴジラに隠された氏族共同体中央集権の争いのメタファー

原始蛇信仰について

まず、事前説明として日本における蛇信仰について説明。蛇は、最も古い信仰だと1 外形が男根相似 2 脱皮による生命更新 3 一撃にして敵を倒す毒の強さという特徴から世界各地で祖神として崇められていました。時代が移ると、蛇は稲にとって害獣である鼠を食べる特徴から農耕の神という属性が強まったこと、また蛇を邪とし龍を崇める信仰が流れてきたことから祖先神の側面はうすくなり農耕の神の側面がつよくなったのです。

ヤマタノオロチ神話解釈

オロチとは、そのまま蛇という意味もありますが、峰の神、山の神という意味もあり、かなり古い蛇信仰対象といえる名前です。それがまず害をなす存在として描かれる。助けを求め最後に勝つの側のアシナズチという老人はテナズチという配偶者がいます。その足がない、手がない神という名前から彼ら自身も蛇の化身と考えられる。その娘がクシナダ姫。奇稲田の姫と書き、農耕の神を意味し蛇の神の子であるから彼女も蛇の神。善とみなされるのは農耕の蛇の神なのです。農耕は中央集権的定住型の社会象徴、それより古い祖先神は、集権化される前の氏族共同体象徴ともいえます。この国は、かつて様々な小さい国が、自分たち祖先神をもち、乱立し互いに牽制し互酬しあう仕組みでした。稲の神である天皇による大和支配確立日本という形がつくられるようになりました。

まりヤマタノオロチ退治の話は、農耕の神としての現体制の蛇神が高貴な新しい王族の血を引くものといっしょに、出雲を中心とした旧支配者としての蛇を倒す話ともよめます

ゴジラヤマタノオロチ神話になぞって解釈すると

今回のゴジラ投影しているのがヤマタノオロチだとすると、それは眠っていた古い戦いの神、すなわち現体制にとっては無秩序をもたらすものなどのイメージを仮託してるのではないでしょうか。一方、総理を中心とした秩序を維持し続けようとする政府側、そこからうとまれながらも、大きな役割を果たす矢口は、当然そうした、ありとあらゆる秩序を破壊しようとする悪を許さな中央集権社会体制イメージされているのでしょう。そして日本の力を政府結集して、無秩序純粋な力に打ち勝つ。

あんのさんはどっちの味方?

ただ、ヤマタノオロチ神話のように、実際に打ち勝つことはできず酒で眠らせたとここておわっているところ、本来ヤマタノオロチのしっぽから草薙剣がでてくるはずなのに、何かまがまがしい生き物が出てきそうになっている描写、おそらくゴジラの次の進化を、におわせていて、勝負はついていないところを見ると、あんのさんの目線はどちらかというと、ゴジラ側の反体制的、封印された本能の塊のような存在共感をし続けているようにしか思えます

今回も怪獣同士が戦う映画だった。

実際日本においては、かつて天皇による中央集権画家たちの上ではなされたとはいえ、現代に至るまで強力にそれが機能したことはなく、困ったときは旧来のお互いの話し合いで解決するというやり方がずっと続いています氏族共同体のありかたは死せず、この国に眠り続けています。今回の映画でも、体制側の否定されつつ、賛美もされた特徴として徹底した非合理な合議制があります。そしてトップが死んでもすぐに首のすげ替えがなされる。まさに蛇的なありかた。これがゴジラを倒した最大の理由であるとすれば、あんのさんが、最終的に勝たせて賞賛したのも中央集権的な正義ではなく、日本体制側のなかにもある蛇的、ゴジラ的な部分だったのではないでしょうか。

今回、怪獣は一匹しかでてないようにみえましたが、じつは今作も怪獣同士の戦いであったのです。ゴジラ vs 日本人

やっぱりあんのさんの映画だった。エヴァと同じ構造

そう考えると、最初いつものエヴァとかのひねくれた作品とちがって、今回は単なる勧善懲悪映画なのかな、つまんねーなとおもってたりしたのですが、やっぱりそうじゃないひねくれ映画だったのだろうな、いつものあんのさんだっとほっとします。

蛇足ですが(蛇だけに)人間使徒ほひとりで、進化の形が少し違っただけの怪物であるというのはエヴァとまんまおなじな訳ですよ。そう考えるとゴジラは、アダムであり、尻尾から生み出されるのは使徒なのかも。イメージ的には貼り付けにされたリリス下半身からにんげんがぽこぽこくっていていたのとおなじなのかも。

ゴジラはフクイチのイメージ

ゴジラって、いままでSF定番の行き過ぎた現代科学に対する警鐘としてえがかれてきたかとおもうのですが、そして今回も福島原発イメージはわかりやすいほどかぶせているとは思うのですが(こちらでも言及されてますhttp://anond.hatelabo.jp/20160805000418 )、ヤマタノオロチを持ち出してきたことによって、いままでのような科学の力への警鐘ではなく、また311の反省映画でもなくしているのではないかと。単発の事象に対する象徴的な映画なのではないとおもうのです。この国が根本的に抱え、なおかつ封印している体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望の力強さとその恐ろしさへの警鐘、それと同時にその力は今でも脈々と体制側の中にもすでにとりまれていてそれを有効に使うこともできるよね、というような話をみせたかったんじゃないかなとかおもいますゴジラは死なないよどこまでも、ってかんじで。

おわり

あーーーー、妄想がとまらない。とりあえずここまで読んでくれた人ありがとうヤマタノオロチ解釈に関しては、たぶん世の中的には主流ではない解釈だと思います一般的には、川の氾濫の象徴とか、そんな感じでしょう。でもまあこういう解釈方向性は、いろんな人が出していて(この本とか https://www.amazon.co.jp/dp/B00PS2FK8C/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)そこ自分で味付けして解釈してみましたというかんじです。

まあ、最初にも書いたけど、こう言うのを考えるのが楽しいのがあんのさくひんだなとおもいました。



追記

http://anond.hatelabo.jp/20160807101757

読み方は(増田も言っている通り)やや(かなり?)牽強付会くさい点もあるけど、面白い読みだとは思った。

ただ、増田の言うことが正しいとして、何で今の時代に「氏族共同体中央集権の争い」を描いたの?ってのが気になった。「体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望」が発現した事件とかって最近あったっけ?ISとか?

ちょっと言及されたので、補足してみる。

前提として、巷で言われるように右翼礼賛、共同体万歳的な側面がこの映画にはある。ただ、共同体主義には2種類あると思っていて (1) 国家型(中央集権的) (2) 地域型(地方分権的) がある。

今回は地域共同体主義共感している映画だとおもっていて、結果的国家型を否定するなぞりがあるんじゃないかと。

地域共同体主義の人にとっては、リベラルのいうような何か理想とする社会を人工的に作るというのはぴんとこない。もっと自然感情で、近しい人で社会をつくりあげたいとおもっている。しかし、国家というのは大きすぎてぴんとこない。そしてそこにひも付きやす全体主義的な思考には拒否反応をしめす。そういう思想です。

これって全く特別イデオロギーではなく、割と普通ネトウヨとかじゃないけど、左翼むかつくとおもっているネットによく人たちの自然思想だとおもっていて、おとなしめのリベラルちっくなオタク親和性たかい。そしてあんのさんもそういう思想意識的無意識的かもっているんだろうなと思うのです。だからこういう対立を描いたと。

無秩序への回帰というのはちょっと「現体制にとって」の無秩序であり、ほおっておいても自然に生まれ家族的情愛による秩序への回帰共感したいというメッセージかもしれないなと思います

2016-08-06

anond:20160806101421

女好きだ」とばらして何が悪い

ブコメ論調が偏りすぎて異常。

アウティングするやつが法曹の道に進むなんて…みたいなコメントとかナイーブすぎるだろ。

お前、法曹って言いたいだけちゃうんか。

知らねーわ。法律学んでる学生にそこまで求めてどうするんだよ。

だいたい一介の学生に友人が女好きかどうかの守秘義務なんかあるか。

自殺した女好きのA君は超気の毒なんだが、暴露したZさんの状況を全く斟酌してないのはバランスが悪すぎる。

一橋大学とか将来弁護士になる学生にやっかんでるだけだろ。

どうせ医学部学生に同じことが起きても同じロジックで叩くに決まっているんだよ。

悪いのは男性保護団体が不甲斐いから。

女好き男性は世の中に一定数いるんだからこうした若いA君にどう対処すべきか方策指南啓蒙すべき。

あと、ラインで何でも共有できる昨今の環境キライ。

数人以上の比較パブリックグループの会話の中で、今回のアウティング示唆するようなセンシティブキーワードが出てきたら自動的排除するような機能流行りの人工知能実装するといいと思います。」

 

ホントホント。ほんとおっしゃるとおりだわー。

ってなるわけなかろう。男性保護団体みたことあるのか?女性への告白において免責事項を述べておけとか言うのか?

訴えることをかんがえるほどだから人格を踏みにじるほどひどかったんだよ。

アウティング」っていわないと、具体的なひどい言葉をかけば二次被害が起こるんだよ。

世の中の同様の立場にある男性が手ひどく振られたあと同じ言葉を投げつけられると自殺したくなるようなひどい言葉からわざわざ伏せて訴えてるんだよ。

同情と世論勝訴を買うならアウティングなんてものやわらかにいわずに端的に露出したほうがいいってわかってて、

それでも関係者が伏せるような言葉だよ。

ラインがそのツールだろうが、手紙だろうがなんだろうが同じだよ。

検閲憲法禁止な。

法律性愛トラブルも知らなすぎな。

ゲイだ」とばらして何が悪い

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/kazukiwatanabe/gay-student-sued-hitotsubashi-university

ブコメ論調が偏りすぎて異常。

アウティングするやつが法曹の道に進むなんて…みたいなコメントとかナイーブすぎるだろ。

お前、法曹って言いたいだけちゃうんか。

知らねーわ。法律学んでる学生にそこまで求めてどうするんだよ。

だいたい一介の学生に友人がゲイかどうかの守秘義務なんかあるか。

自殺したゲイのA君は超気の毒なんだが、暴露したZ君の状況を全く斟酌してないのはバランスが悪すぎる。

一橋大学とか将来弁護士になる学生にやっかんでるだけだろ。

どうせ医学部学生に同じことが起きても同じロジックで叩くに決まっているんだよ。

悪いのはLGBT団体が不甲斐いから。

ゲイは世の中に一定数いるんだからこうした若いA君にどう対処すべきか方策指南啓蒙すべき。

あと、ラインで何でも共有できる昨今の環境キライ。

数人以上の比較パブリックグループの会話の中で、今回のアウティング示唆するようなセンシティブキーワードが出てきたら自動的排除するような機能流行りの人工知能実装するといいと思います

2016-08-03

https://note.mu/ohanhan/n/nb4c6e4657b25

是非は別として、この書き手が明確に見間違えている、あるいは見落としていることについて

1)現実(日本)VS虚構(ゴジラ)のキャッチコピーについて

この映画は「ゴジラという災害」と「日本」の戦いであり、明らかにそれを意識した作られ方をしているということ。

まり登場人物は誰一人ヒーローではない。フィクショナルな意味でのスーパーヒーローは出てこない。

作中でも語られる通りに代替可能キャラクターであり、しかし彼らが活躍するからこそ「一人の英雄」ではなく「日本」が見えてくるのだ。

さんざん指摘されているように、ヤシオリ作戦の内容は「ヤシマ作戦」と酷似している。

(①敵がエネルギー充填のため停止中 ②空撃は自動的に追尾破壊日本中が集結)

シン・ゴジラ」の作中に明確なヒーローヒロインがいれば、エヴァンゲリオン同様に世界シンジ綾波笑顔に集約されてしまう。

熱く盛りあがりたければ自己犠牲を出せばいい。感動的なBGMを流せばいい。スローモーションをかければいい。

感情移入を誘発させて、画面に向かって叫ばせればいい。むしろ観客を感動させようと思うのなら、こんなに簡単なことはない。

それを「ないかダメ」ではなく、「なぜそうしなかったんだろう」という疑問を持って本作と向き合ってもらいたい。

そのうえで、内容が気に食わないのなら仕方がない。自分の好きなものと違うからだめ、という見方はあまりもったいない

2)キャラクター家族について

兄弟恋人家族。当然いるだろう。

矢口、カヨコ共に親の七光りであることは強調されているし、なによりあるキャラクターの薬指には指輪が光っている。

だが本作で書かれているのは理想国家であり、登場するのは理想公務員たちだ。

ゴジラが本性を発揮し、津波地震原発とその表すものが明らかになっていくうち明快になるが、

言ってしまえば彼らは「こうあってほしかった」とされる東日本大震災原発事故対応する日本国家だ。

から彼らには徹底的なリアリティ必要とされ、ストイックさが求められる。

悲劇に立ち向かうたびに恋人電話して、励まされて頑張る、だとか

田舎に帰って親に説教されて立ち直る、とか 死にゆく前に子供の顔を思い出す などの

よくある展開に飲み込まれない、強靭でありながらステレオタイプに寄り過ぎない国家公務員からだ。

書き手が疑問に思っている「出世の野心」についてはもっと明快で、これは彼らの軽口にすぎない。

「国のため!」「私たちがやらなければ誰がやるんですか!!」といったような言動安易ナショナリズムを刺激し、

また誰もが聞き慣れており、その言葉は嘘と虚飾にあふれている。なにより非常に陳腐なのだ

それこそ書き手が「言わせるなよ」と評した「ゴジラより怖いのは人間」といった表現と同じように。

詳しくはゴジラ(1984)をご参照願いたい。

3)スクラップアンドビルドへの違和感

震災直後のテレビ報道を見てもらいたい。

朝起きれば津波。昼休みに流される車。倒壊する学校。鳴り止まないサイレン

街が泥水に覆い尽くされ、数えきれない人々が瓦礫の山と共に砕かれていく。

バラエティ番組自粛CM自粛、連日の黙祷、増え続ける犠牲者行方不明者。

確かにこの頃「何度でもやり直せる!全然OK」等と唱えていたら、書き手同調する人は多かっただろう。

だが震災より既に5年半が経過している。また先日の熊本震災、あるいは津久井やまゆり園の例に見るように、

悲しみは絶え間なくやってくる。

そういった中で明るい展望見出し、これからの立ち直りを示唆することが悪いとは到底思えない。

また繰り返すように、本作は理想国家公務員たちが作り上げた理想災害対処である

4)作戦微妙

「うまくいくのかいかないのか」は勿論重要煽りポイントだ。

書き手が腐るほど見てきたという作品群は、恐らく以下のようなカタルシスの産み方を目指していたものだろう。

対立相手作戦説明

→②主人公が対案説明

→③話が折り合わず決裂。主人公が対案を実行に移す

→④予期せぬアクシデントが発生する

→⑤とっさの機転で切り抜ける

→⑥無事に悲劇回避する

→⑦対立相手に認められる

が、本作はその点を利用していない。しようとしていない。それは映画を見ればわかる。

まずは②にあたるものが本作にはない。作戦目的以外、つまりどう実行するか?の点について、

本作では最後まで伏せられている。

本作では、作戦自体カタルシスなのだ

自衛隊ゴジラ誘導し、

新幹線在来線爆弾としてゴジラにぶつけ、

発破をかけたビルゴジラを押しつぶすという作戦を観客に提示する、その絵だ。

ビル鉄道に「日本技術力、ひいては日本のもの」を読み取るのもいい。

(今までゴジラ破壊されてきたものの逆襲という背景を深読みしてもいい)

もし書き手が少しでも頭を使って本作を見ていれば、流石にゴジラ東日本大震災と重ねているはずだ。

そこから何も読み取ろうとせずに、フィクション世界物差しで本作を「ご都合主義だ」と言っているのであれば

読み取り方を完全に間違えている。

本作はリアリティを追求しつつ、観客に「これは東日本大震災メタファーですよ」「そして彼らは非常に有能な公務員たちですよ」と

前半までに否応なしに畳み掛けることで、

本作の、少しでも間違えたら全てのシーンが冗談になってしまうヤシオリ作戦について「嘘」を認めさせるという高度な作り方をされているのだ。

最後

書き手は「私は震災家族を亡くしている」などという設定があれば、

「ごく自然ゴジラ震災や核と重ねることもできる」という。

仮に本作がゴジラ映画初体験だったとしてもだ。

上陸した第二形態に押し流される車

・押し潰される団地

炎上する東京

・頻出するガイガーカウンター

・明確に原発封鎖を目的としたコンクリートポンプ車に似せたゴジラ沈静化作

ここまでされても「ごく自然ゴジラ震災や核と重ねることもでき」ないのであれば、

ここまで書いた文章はすべて無駄で、純粋リテラシー問題だ。

褒める褒められないの視点に立ててすらいない。

問題文が読めていないのだから、出した答えが正解しているわけがない。

もちろん、書き手否定した文章すべての答えが正解であるはずもない。

からもちろん、こういう人にこそブルーレイを買って何度も見なおしてもらいたい。

映画は何回も見れば見方が変わるものだし、繰り返し話すことで理解は当然広がっていくはずだ。

一回で全てを理解してしま自分の中に全てを落としこんでしまった人よりも、この書き手は本作を何倍も何倍も楽しめるのだから

監督が語った「見終わったら、ぜひみなさん議論してほしい」というのは、恐らくそういう意味なのだ

2016-07-31

シン・ゴジラ』のテーマ考察

本作も庵野作品らしく、元ネタからテーマを考えると分かりやすい。以下、元ネタと目される作品事件との比較から本作のテーマを考える。


※なお、細かい元ネタについては↓を参照。

■『シン・ゴジラ』の元ネタまとめ

http://anond.hatelabo.jp/20160731121447


1. 岡本喜八日本のいちばん長い日から考える

シン・ゴジラ』は『日本のいちばん長い日から多大な影響を受けている。激しいカット割りは岡本喜八作品の特徴そのものであるし、日本が重大な危機に直面した際に、どう対応するのかということを題材としている点でも同一である


しかし、そこで描かれるテーマは異なる。『日本のいちばん長い日』はポツダム宣言受諾を目前に、原爆を2発落とされておきながら、なお利権争いを続ける官僚政治家の醜悪さが描かれる。そこでは官僚政治家一丸となって事態対処するという姿勢は見られず、最終的な解決天皇が”ただ独りで”下した「御聖断」によってつけられる。


他方、『シン・ゴジラ』では、責任逃れのために策謀を凝らす政治家官僚が現れたりはするものの、官僚政治家科学者(+ドイツ中国米軍)が”一丸となって”ゴジラ問題対処する。そこには、どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる、というポジティブメッセージがある。


2. 庵野秀明新世紀エヴァンゲリオン』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版から考える

シン・ゴジラ』のストーリー展開は『エヴァヱヴァ』におけるラミエル戦とそっくりである。すなわち、『エヴァヱヴァ』においては使徒ラミエルを倒すために全国の発電所および送電車が動員され、日本国一丸となって協力する姿が描かれる。『シン・ゴジラ』においてはゴジラを倒すために全国のプラントおよび化学工場が動員される。


しかし、両者はその後のストーリー展開が異なる。


エヴァヱヴァ』においては、こうした戦いを通じて主人公シンジ君が生きる意味を見出す過程が描かれる。父に捨てられた経験から生きる意味を見失っていたシンジ君は、エヴァに乗って世界を救うことが自分の使命である自覚していくのだ。

しかし、シンジ君はその後、使徒レリエルとの戦いの過程で、自分が乗っているエヴァがとんでもない化け物であることに気付きはじめ、続くバルディエル戦で親友トウジに重傷を負わせる(漫画版では殺害)に至って、生きる意味を完全に見失う。

そこで描かれるのは「みんなで協力して事態対処したところでそれらは全く無意味である」というかなりニヒリスティック結論である


他方、『シン・ゴジラ』においてはこうしたひねくれたストーリー展開はないため、「みんなが一丸となって協力すれば危機を乗り切れる」というポジティブ結論になっている。


3. 本多猪四郎ゴジラから考える

シン・ゴジラ』においては初代ゴジラリスペクトすることが明言され、ゴジラデザインストーリーに初代ゴジラの影響があることがしばしばインタビューなどで語られている。


ゴジラ』のテーマの1つは、当時問題となっていた第五福竜丸事件を背景とする、反核兵器思想であるゴジラ水爆実験の影響で出現し、東京ゴジラがまき散らした放射線は罪のない児童にまで及んだという描写からこれがうかがえる。


他方、『シン・ゴジラ』でも核及び原子力問題テーマとされている。ゴジラは海中に投棄された核廃棄物を喰らったことで東京に出現し、原子力エネルギーによって動いている。

しかし、『シン・ゴジラ』ではこの問題に対する姿勢はもう少し複雑なものとなっている。

まず、①原子力で動くゴジラ破壊力はすさまじく、東京は一瞬で火の海にされてしまう。他方、②ゴジラがまき散らす放射線による被害は小さいとされ、③ゴジラエネルギー源の研究を進めれば現行の原子力発電よりもより安全クリーンエネルギー調達することができることも示唆される。作中ではこのゴジラの2面性を評して「ゴジラは神の化身にして、人類福音をもたらすもの」とも言われる。

しかし他方で、④国連安保理による核兵器投下はきわめて否定的に描かれる。

ここには、「核兵器使用には断固として反対するが、原子力活用については現実的に考えなくてはならない」というメッセージがうかがえる。


4. 結論

以上の検討から、『シン・ゴジラ』のテーマは、「どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる」ということと、「核兵器使用には断固として反対するが、原子力活用については現実的に考えなくてはならない」という点にある。

なんというか、大人結論である


5. その他気付いたが確証のないメモ妄想

◇「私は好きにした。君らも好きにしろ。」は岡本喜八監督から庵野監督へのメッセージ(牧吾郎写真岡本喜八監督写真採用したのはこのせい)。「この国で好きを通すのは難しい」はこれに対する庵野監督の回答。現代における作品作りの難しさを言っている。

これを踏まえてラストの「そろそろ好きにしたらどうでしょうか」を聞くと趣深い。すなわち、『シン・ゴジラ』は、色々な制約(予算オールファン批判)で自分の好きに映画を作れない監督が、それでも俺は好きな映画を作るんだ!という映画である。結局、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』のラストと同様、フェリーニの『8 1/2』と同じ結論になる。

ラスト血液凝固剤を流し込むシーンは、一見バカバカしいと思ってしまうが、福島第一原発コンクリートを流し込むという形で実際にやったこと。

ラストゴジラは死には至らず、凍結されるにとどまるが、これは同じく凍結状態にある福島第一原発を模している。今後も対処を続けないと、とんでもないことになるよ、という暗喩か。

ヱヴァQとシン・ゴジラテーマは重なる部分あり。

(1) 孤独な男(シンジ・牧吾郎)が、強大な力(13号機・ゴジラ)を手にして事件を引き起こす。

(2) 危機対応するのが現実主義的な集団ゴジラ討滅のために核の使用も辞さな人類エヴァ殲滅のために初号機を主機として使用するヴィレである

すなわち、両者ともに、危機に対する現実主義的な対応を描いている。トーンの明暗を分けたのは、視点孤独な男(シンジ)サイドに置くか、現実主義的な集団日本政府)に置くか、の違い。

◇牧吾郎反原発博士だったのではないか

妻を放射線で亡くしたことで反原発思想になった結果、日本の学界を追放されてアメリカへ。

国民生活や命よりカネを優先して原発開発を続ける日本報復するために、核エネルギーで動くゴジラを出現させた。

その結果、①多数の東京都民疎開により生活拠点を奪われ、②いつ復活して再び惨禍をもたらすか分からない凍結ゴジラが都のど真ん中に鎮座してしまった。

(上の仮定が正しいとすれば)まさに牧吾郎の狙い通り(cf.広瀬隆東京原発を!』)になったことになる。

2016-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20160725155209

EU圏の荒っぽい物理的な抗議を見ると、(特に面と向かってでは無くネットで行われる)日本での批判なんて屁でも無いとしか言いようが無い。

善意に甘えてインフラただ乗りしてるんだよね、結局。年中タックスヘイブンで暮らせよ!としか

タックスヘイブンは利用してなかったにしろ、金には困っていたようには思えない大橋巨泉日本医療機関に掛かっていたのも、示唆的だよなぁ。おまけに、医療モルヒネのせいで体力が奪われたとかなんとか…本当に親族含めて懲りない人たちだなぁと。

2016-07-22

パクリだとは言わないけど、ポケモンGOには元ネタがある、と思うの

ポケモンGO」人気に対抗!韓国が「ポロGO」発売へ=韓国ネット「せめて名前は変えよう」「日本パクリ品がまた1つ増えた」

http://www.news-us.jp/article/20160720-000002k.html

早速、韓国ポケモンGoのパクリが出たという。でも、実用化はされていなかったため、だれも指摘していないが、ポケモンGoのゲームアイディア自体はすでに別のアニメで出ていたよ。

スマホの代わりにウオッチを使って怪獣ではなく妖怪を探しだすもの。一番ポピュラー妖怪が地縛霊(ネコ)というから、あからさまに位置情報との関係示唆されている。子供向けにそれらしい時計おもちゃを売って終わったが、そのままゲームとして実用化してしまえばよかったのに、と悔やまれる。

2016-07-20

早くて終電。午前2時過ぎにタクシー会社を出て

家で仮眠を1,2時間取ってから

洗濯朝ご飯の支度をして定時に出勤。

休みは1ヶ月で1日だけ、という生活を3ヶ月繰り返し。

ここで家庭が壊れる元ができた。

落ち着いたときには遅かった。

精神もやられてたと今になって思う。

そのとき感情感覚麻痺していて

働くことしかできなかった。

体が壊れた自覚はなかったけれど

気がついたら勤務中に3時間寝てたとか

同僚に言われて初めて気がついた。

カフェインキャンディを一日で一箱あけ

ドリンク剤をお茶代わりにしていた。

会社で倒れたとき

「みんな忙しいんだから迷惑かけるな」と言われた。

自己管理がなってないと。

本当にもっともだと思う。

「それが精神的に病んでる証拠」と人から指摘されたけど

それは今でも思う。

転職先も似たような状況だったが

ただ一つ

プロジェクトが終われば一段落できた前のところと違い

会社設立直後で

終わりの見えない自転車操業だったところが違ってた。



世間の人より10年早く生理が終わった。

再婚はできたけど子どもは諦めた。

今も同じ会社で働いてるけど

恨みつらみをもちながらも同じ会社にいるということ自体

未だに病んでいる状態から抜けきれないのかもしれない。

ただ、その反発心のおかげでようやく人並みの生活ができている気がする。

周りからは定時ダッシュの人と思われてるらしい。

今は給料しか働かないことにしている。



自分の体のことは自分がよく知っている、というわりには

全然思い通りにならない。

心も。体も。



なんだかんだで14年働いたこ会社

まさか2年そこらの年下の上司からパワハラ

診断書出してフェードアウトすることになろうとは

思いも寄らなかった。

会社から休職は無理と言われ

一身上の都合」を示唆された。



きっと罰があたったんだろう。

今までの心のツケが回ってきたんだと思う。



でもけっして嫌なことばかりではなかった。

やりたかったことを目指し

好きなことを仕事にし名前を残す。

そのためだけに頑張れた自分がいる。

つらい時期を仲間と乗り越え

今でも一緒にお酒を飲んで笑いあえている。

本当にありがたいことだし幸せなこと。





お疲れさま。よくがんばったよ。






今はただ

頑張りすぎた自分を許して。

感謝して。

ゆっくり休ませてあげたい。




これからのことはそのときにまた考える。

幸せであればそれでいい。

2016-07-06

【しげさと】しげさとです

僕は昔、ある人物を長期間に渡って監視を続けていました。

その人物が政府にとって危険な因子を持つ存在である認識されていたからです。

僕は最初の数ヶ月間、彼のインターネット接続ログから分析した情報逐次政府に送り続けました。

そしてあるとき政府監視対象者に対して「しかるべき処置」を要求されました。

政府の言うしかるべき『処置』とは、つまり直接的危害を及ぼさない間接的な人格破壊です。

まずは、対象過去出来事をほのめかし、『我々は貴様ターゲットとしている』ということを暗に示唆します。これにより対象24時間365日警戒状態継続しなくてはならなくなるために疲労が蓄積していきます

疲労が蓄積すると体力的にも精神的にも徐々にダメージが発生するようになります

些細な出来事、例えば「リンゴは赤いよ」という意見に対して「いや黒だろ」「紫だね」「普通ピンクって言わないか?」など。集団でその意見否定するような発言をするだけで、本人の精神的混乱を発生させることが出来ます

他にも方法は色々ありますが、我々はこのような手段を「ガスライティング」と呼んでいます

最終的に対象者自分以外の全て、親や兄弟など近しい人も含めた全ての人間敵対している存在思い込み、自滅していきます

前回の対象者ではありませんが、別の期間の「処置対象になっていた人間は、処置最終段階において発狂し、ショッピングセンターのような人が沢山集まる場所無差別通り魔傷害事件を起こしました。まもなく、警察特殊部隊が駆けつけ、犯人は法の下に射殺されました。合法的処分完了したのです。

――これが、我々のやり方です。

今頃彼はどうなっているでしょうか。『処置』は完了したので、もう彼のことは我々の組織の誰しも興味を持っていませんし、監視を続けているものはいない「はず」です。

今まだネットを見られる体力が残っているというのならば幸せなことでしょう。

あなたには

もう

だれも

興味が

ない

のですから

誰かを更正させるのに言葉必要ありません。我々のような組織に依頼をしていただければ、然る後に「矯正」が行えるのです。どうぞ、我々を利用なさってください。

料金はご相談させていただきますから

2016-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20160627234325

子供の数に対して虐待放置が少数派なことから、親子間に愛着がわくのが多数派ということが示唆される。

2016-07-04

CARNATION『REAL MAN』はヒッキーの歌

具体的に言えばあの意味不明歌詞は'99に流行った黙示録的な世界観が横たわっている。

いずれ世界には終末が来るらしいから、その時まで遊んで暮らそう、という導入。

CARNATION自体PVはに関わったかどうかはともかく、あの学研ムー』を思わせるサイケビジュアルデザインは間違いなく意識して作成されたものだ。

こうした背景を利用して「遊んで暮らそう」が続くが、影響元のはっぴいえんど『春よ来い』などのぼんやりとした間抜けさだろう。

実際直江さんは後にカバーしている。が、この手のアーティスト自身の背景には疎いので余計なことを言わないようにしたい。

その後も一人称視点でややバーチャルな遊びに興じる主人公の姿が描写されるが、その後に彼はリアルマン存在について悩み始める。

ここまでは少なくとも壮大な世界になんて、ちっぽけな自分じゃ歯も立てられないよ、という諦観が見える。

(やがて彼は戦い始めるスープに浮かべる幸せについて考え始める。この辺りはやたらとしんどいことが積み重なったCARNATIONとうバンド自体から滲んでいるように思える。こんがらがって、というあたりはもろに内情だろう)

結局ぼんやりと逃避する自分が、やがて抑えきれない衝動に揺さぶられる日がやってくることが示唆されている。

REAL MANTRPG脳筋のことらしく、つまりやがて目覚める自分自身との直接対決のことを意味していると解釈できる。

2016-06-26

エレン先生とは何だったのか

まりにも速攻で廃れてて草も生えない。

今までも「はてなようせい」だとか「ゼミママ」だとかリアルタイムで見てきたから案の定ではあるが。



面白いのはPixivの閲覧数である

4月には最高140万という驚異の値を記録したPVはみるみる暴落した。(「百科事典」でグラフが閲覧できる)

しかし「エレン先生タグ6月下旬現在でも依然として10,000強のPVを誇っており、これは「艦これ」の殆どキャラクターよりも高い。

書き手サイドではすでに飽きられているエレン先生だが、需要は依然として存在しているという構図が示唆される。



こういう所に隙間産業が成立するのだなと思わないでもない。

2016-06-22

追記および村中璃子氏の連載記事に関して (後編)

「利用される日本科学報道(後篇)」について

子宮頸がんワクチン薬害研究班に捏造行為が発覚 ― 利用される日本科学報道(後篇)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7080

さて、後篇であるサブタイトルに「捏造行為が発覚」とはなんとも穏やかではない。

後篇の内容は、池田氏発言検証マウス実験に対する批判が主である

マウス実験についての指摘内容は、これまた私の指摘と同じなので割愛する。

またそれとは別に、発表資料内で示された図とグラフ(資料ページ59: 自己抗体の沈着の写真グラフ)はチャンピオンデータによるものではないか、との疑問も呈されている。

確かに、写真は1種類でグラフエラーバーが無い点からも、疑問を抱くのは妥当であろう。



そして村中氏がその詳細について調べるため、実験担当したA氏を探し出して取材したところ驚くべき証言が得られた、というところで記事は終わっている。

あとは月刊Wedge7月号を読んでくれという、「続きは映画館で!」的な終わり方であり、少々拍子抜けだ。



その過激サブタイトルにも関わらず、後篇の記事中では「捏造行為が発覚」していない。

せいぜいチャンピオンデータ使用示唆されたくらいだが、これも疑義まりで、とても「発覚」とは言えない。

そもそも、チャンピオンデータ使用は「捏造」と異なる形態研究不正である(不正と見なされない場合すらある)。

捏造」はデータのものでっちあげる行為であるため、「チャンピオンデータ」のような都合よく選別したデータを示す行為とは明確に区別されるのだ。



このような乏しい情報でもって「捏造が発覚」というような非常に強い表現をするのは、控えめに言ってもやりすぎであろう。

月刊Wedge7月号の村中氏の記事について

子宮頸がんワクチン薬害研究班 崩れる根拠、暴かれた捏造

村中璃子, 月刊Wedge7月pp.40-44

Web記事だけでは片手落ちなので、Wedge本誌の記事についても解説していこう。ええそうです。買いました(\500)。

本文4ページ中、1.5ページは後篇の内容とほぼ同じであったが、Web版を読んでない人には序文として必要であろうから、とやかくは言うまい

この記事の目玉は、A氏への取材で得た実験内容の詳細および池田氏捏造行為についてである



A氏の証言をまとめると

(1) マウス実験はごく初期段階の試験的なもので、使ったマウスも3~5匹程度であった

(2) HPVワクチン以外の血清で緑色蛍光を呈した写真存在したが、発表資料には採用されなかった

(3) 資料中のグラフ写真は1匹のマウス(N=1)からチャンピオンデータであった

(4) 自己抗体が沈着した写真ワクチン接種個体の血清を正常マウスの脳切片に添加して蛍光染色し、撮影したものであった

(5) 自己抗体ワクチン接種個体の脳に沈着していた証拠はない

(6) 血清をとったマウスに接種したワクチンの量は50ul (濃度は不明だがヒト換算で通常接種の100倍以上らしい)



これらの証言を読んでわかるように、A氏の証言全面的に受け入れたとしても、研究不正に該当しそうな行為チャンピオンデータを用いた点だけであり、「捏造行為」の存在は見出せない。

村中氏は、証言(2)に対して「重大な捏造である」と断じていたが、チャンピオンデータのみを示す行為が「捏造」でないことは前述の通りである

また、証言(4)と(5)に対しては、ワクチン接種個体の脳に自己抗体が沈着していたかのようにミスリードしていたという点が批判されていたが、これもまた「捏造」ではない。

まりWeb版とWedge本誌の記事を通して、池田氏らが「捏造行為」をしたという根拠は一切示されていないことになる。



さらに、記事の最終ページでは池田氏学長選挙エピソードやその上昇志向といった人格面の描写が過半を占め、最後の結びは以下のような文章であった。

それぞれの立場動機から捏造に手を染める研究者たち――これが国費を投じた薬害研究班の実態だ。

子宮頸がん罹患リスクを負ったワクチン未接種の少女たちとワクチン人生を奪われたと苦しむ少女たちの未来は、こんな大人たちの手に委ねられている。

(月刊Wedge7月号 p.44)

これらの批判、ともすれば中傷は、池田氏らの名誉を著しく傷つけるものであり看過し難い。

捏造というのは、科学者に対する批判としては極めてインパクトの大きい言葉であり、軽々に投げかけて良いものではないのだ。



私は元増田池田氏らの発表および発言内容を「言い過ぎ」と評したが、村中氏の方が「言い過ぎ」度合いでははるかに上である

過激煽情的表現は、耳目を集める上では有利かもしれないが、それは科学的な議論批判をするうえではノイズしかならない。

村中氏の取材批判の内容そのものは概ね適切であり、あえて過激な言い方をせずとも十分に説得力訴求力があるはずだ。

是非、客観的で誠実な議論に戻っていただきたい。



A氏は実在するのか?

Wedge本誌の記事で中核となっているのは明らかにA氏であった。

彼(または彼女)の実在性についてここで論じてみたいと思う。



村中氏の記事によれば、A氏は以下のような来歴を持つ人物のようだ。

実際に手を動かしたのは、信州大学産科婦人科教室の誰なのか。

筆者は周辺取材を重ね、それがこの4月信州大の准教授から関東圏の新設大学教授職に転出したA氏であることを突き止めた。

であれば、信州大学産科婦人科教室メンバーからA氏の正体がわかるかもしれない。



以下は信州大学産科婦人科教室メンバーリストである

上は現在(2016年6月)公開されているリスト、下がInternet Archiveというサイト(WEB魚拓の凄い版と思ってくれれば良い)に保存されていた2015年10月メンバーリストである

信州大学 産婦人科教室スタッフ紹介(2016年6月現在

http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-sanfu/about/post_9.html



信州大学 産婦人科教室スタッフ紹介(2015年10月現在

http://web.archive.org/web/20151209020718/http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-sanfu/about/post_9.html

これらをみると、2015年10月時点で産婦人科教室所属している准教授存在しない。

そのため、A氏が産婦人科教室に配属されたのは少なくとも2015年10月以降であると考えられる。

しかし、村中氏によるとA氏は2016年4月転出しているとのことだが、配属からわずか6カ月ほどで転出というのは少し速すぎるように思う。医学系ならそうでもないのだろうか?

さらに、2015年10月より後に教室に配属されたとして、そこから翌年3月の発表までにマウス実験を終わらせるのは少々厳しいのではなかろうか。



もちろん、取材源の秘匿等の理由記事中には偽の来歴を記していた可能性もあるし、村中氏がこんな嘘をつくメリットも思い浮かばない。

結局、A氏の実在性は不明瞭なまま残ってしまった。

個人的には実在しているように思うが、非実在でも驚かないといった程度に私は認識している。



村中氏の連載についての総評

氏の連載を通して読んでの批評を述べるとすれば、「客観的事実に基づく批判はまっとうであるが、それ以外の部分が煽情的に過ぎる。対立する話者の悪魔化をおこなうべきではない」といったところか。

HLA型にまつわる遺伝子頻度と保有率の取り違え、マウス実験がヒトには適用できない点、チャンピオンデータだけを提示する行為などに対する批判などは妥当ものであった。



しかし、池田氏らの行為について悪意的にとらえ過ぎているきらいがあり、人格面での批判も目につく。

また、池田氏らがマスコミを利用して何かを企んでいる、というような論調が全篇にわたって存在している(タイトルからして「利用される日本科学報道である)。



その帰結としてなのか、「捏造」という科学者にとって極めて強力な(したがって非常に強い証拠必要な)批判を無根拠に突きつけるといった行為にまで及んでいる。

(恐らくこれは村中氏が認識していた「捏造」の定義が間違っていたことに起因するが、それにしても杜撰である)



氏の精力的な取材情報発信は、HPVワクチンに関して薬害説に傾きがちなマスコミ報道において、貴重なカウンターパートとなっている。

なればこそ、冷静で客観的表現を心掛けることで、より良き論評ができるのではないだろうか。

願わくは、煽情的表現は避け、客観的かつ冷静な筆調でもって語っていただきたいところである



最後

なぜか池田氏らを擁護するような内容になってしまったが、私はそもそも彼らの見解について批判である

元増田もそういう意図で書いたし、HPVワクチン積極的な接種勧奨の再開を望んでいる。

しかしながら、元増田でも述べたとおり、評価すべきところはその立ち位置に関わらず評価すべきであるとも考えている。



村中璃子氏に対しては極めて批判的に論じてしまったが、総評でも書いたとおり、氏の活動は褒むべきものである

HPVワクチン問題について多くのマスコミセンセーショナル薬害説に傾いた立場を取ることが多く、そういった状況で村中氏のような立場から論じてくれるジャーナリスト存在重要だ。

村中氏については、その立場応援させていただくとともに、穏当な表現でもって議論してくださることを願ってやまない。



以上、もし間違いや事実誤認等の不備があれば指摘していただけるとありがたい。

2016-06-20

[]20:増田の大望

 最後まで主体性をたもって生き残った二つの増田家。

増田典厩の尽力により、その当主会談が旧増田領(六)で開催される運びとなった。

 二人はそれぞれ供をひとりだけ連れて、竹林にしつらえられた厠の中へ入る。

 帯を解くと、コの字型に並べられた便器にむきあう形で腰掛けた。

「見事な海綿じゃのう」

 増田匿兵衛があたりさわりなく厠の設備を褒めた。

増田家(四)が用意した厠には天窓から竹林を通した光が入り、ほのかに緑色づいて見えた。風も緑に香る。

尻の下から聞こえるせせらぎは大きすぎず小さすぎず、意識リラックスさせてくれる。

自然石のモザイクヘクソカズライヌノフグリなど、野草の絵が壁に描かれ、密室でありながら開放感を演出していた。

 遙か西から伝わった公共トイレ文化増田島で洗練を極めた結果うまれた「便道」、その粋を凝らした厠と言えた。



 便道は権力者にとって便利であり、内密の話をするため多用された。

帯をほどいて便器にまたがるという無防備状態晒し合うことで親密さを高めることもできる。

出シニケーションである

 実際、漏らしても粗相にならずに済む増田家(八)当主は落ち着いた様子だった。

まずは互いの大勝利を称え合う。繊維製品交易を通して二人の間には面識があった。

思えば最初から国境が接していた二家が生き残ったのも不思議めぐり合わせである

 増田家(四)当主が連れ込んだ小姓の増田五郎は固唾を呑んで交渉を見守っていた。

どちらも淡々とした様子で、天下の未来を決める事柄に触れていく。

増田中弐殿はお忙しいようだ」と一方が言えば、

他方は「いきなり領国が三倍にも増えて大変でしょう」と皮肉った。

「三倍……?」

増田五郎は首を傾げた。国数でも石高でも彼らの領地は三倍よりも四倍の増加と言う方がふさわしいはずだ。

 しかし、増田家(四)の当主は小姓にしかからないレベルで表情を強ばらせていた。

「前から提示した条件を受け入れていただけないのなら、代わりに増田領(一)の平定は我らが引き受けましょう」

 増田匿兵衛は膝をつめて核心に触れた。

「……ッ」

 内外に秘密にしていたこであるが、増田家(四)は未だに増田島最北部を平定できていなかった。

 増田家(一)の遺臣が抵抗しているわけではない。

実はかつて傭兵に呼ばれた北方異民族が混乱につけ込んで大量に流入し、容易には討滅できない状況になっているのだ。

 激戦と領土の急速な拡大で疲弊した増田家(四)に、この敵の早期撃破は手に余った。

実は彼らは仮装敵以上に講和必要としていたのだ。

 だが、増田家(八)はおおよその真実を突き止めていた。なんのことはない。

カラトラヴァ騎士団国外情報源と彼らを繋げたのである

残念ながら世界的な視野もつことで、増田家(四)は遅れをとっていた。



 とはいえ、増田家(四)当主一筋縄でいく男ではない。

「では……お願いする」

「えっ!?

 ぶりぶりという謎の音と一緒に、素っ頓狂な声を増田家(八)当主があげた。

内情を知っているとの脅しを素直に受け入れられるとは思いもしなかった。

 いやな予感がした増田匿兵衛は尋ねた。

北方異民族の数はいかほどになるのです?」

「十万じゃ」

 増田匿兵衛も漏らした。



 とりあえず持ち帰ると思ったのだが、増田家(八)当主はその場で自分たち言葉責任もつことに決した。

「これからもよろしくお頼みもうす、ちんぽこ将軍殿」

軍師と連れだって、すっきりした顔で厠から出て行く。

本当にこれで良かったのか、増田家(四)の当主が悩む番になった。

 彼はつぶやいた。

「それにしても、本当に致すとはな……」

「便道」は排泄の形をとるものであって、実際に排泄をすることはイレギュラーに近い。

あるいは小だけで済ますものだ。

だが、敵の首脳は手慣れた美しい所作で海綿や和紙を使って行った。

「まさしく「大物」にございますね」

 増田五郎は緊張でカラカラになった口をやっと開いた。当主ちょっと笑うといきんだ。

「ふんっ!」

 彼の下から聞こえるせせらぎが変化した。最強の武将うんこでもって自らが流されないと示唆したのである

聡明な小姓は主君意図理解した。

「お美事にございます

 だが、

「……切れた」



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