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はてなキーワード: 示唆とは

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161209144227

数学という分野から見た数学経験論として自己認識できるのは当たり前だろアホか。

世の中には数学の導き出す結果を未だに懐疑的にみているし実証されなければ信用しない人間存在する。

自分個人的経験を振り返って経験が全てだと言い張るモンキーはまさにその典型

マルチバースなんてどうやったって実証できないけど理論可能性が高いことが示唆されてても実証されないが有力候補扱いされてる。

クォーツ発見数学が先にあったからこそ実験する動機が産まれて結果、実験して発見につながった。

現時点で実証されていなもの未来において強い影響力を持つということ、

まり実証されないし経験もされていない事柄が与える影響の強さを理解できてないのが経験論。

実証ありきということはまさに実証だけで終わる人間実証の先の検証にはどうやったって未知の予測必要

2016-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20161201165930

いやいやいや、結びついてないよ!

詐欺師に限って『自分の頭で考えて』って言ってくるよね」

って話と、話者が頭使ってるかどうかは全然別の話!

全く関連性がない!

示唆もしてない!

よく考えて!

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である


**************


君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。



さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

**************


さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

**************

 

さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-29

http://www.nubatamanon.com/entry/2016/11/29/210548

たとえばこのコンテンツの中の一つ「不適切な表示に関連したコンテンツ」の例として

虚偽表示不明瞭な表現ユーザーコンテンツ誘導するページ(偽の記事を本物のように見せかけるなど)

ユーザー情報を「フィッシング」するページ

虚偽、不正、または誇大な主張によってコンテンツ商品サービス宣伝するページ(「一攫千金」の情報など)

Google サービス偽装しているサイト

別の個人組織商品サービスとの提携関係があるか、別の個人組織から承認を得ているかのように示唆する虚偽表示のあるページ

今回のWELQがやったことというのはまさにこれなのではないのだろうか。虚偽や誇大な主張でコンテンツ宣伝し、GoogleAdSenseを含むアフィリエイトサイトへと誘導したこと。これこそGoogle AdSense禁止しているものではないのか。

それ偽リンクとか、虚偽の団体記載するとかそういうやつじゃん。

先行記事の内容をさっぱり理解してない。

http://anond.hatelabo.jp/20161129084840

>人の心が伝わるなんて気のせい

そうですよ。気のせいです。だからどうしても運要素もゼロになるわけではない。

様々な評価ポイントはあるものの、なかなか難しいものです。

それでも面接は、その人と一緒に働いていくんだ。という想いや期待を持って採用するのも事実

伝わらない、伝わるはずないって考え方は惜しいと思います


>たくさん受けるのは就活生の自衛

これは失礼しました。

まぁ本当に伝えたかったのは、精神すり減らすくらいなら、いろいろな道があるよっていう示唆ですので悪しからず。

2016-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20161128234150

ちゃうんやで。あのクラウドファンディングスタッフロール

お祭りがありました」を示唆する情報なんやで。

映画を見ている人で、スタッフロールに載ってない人は、観客そのものや。それは祭りに参加した人間とはちゃう

文化祭で例えてみ? 文化祭で誰かが作った何かの出し物を鑑賞することはそれはそれで楽しいかもしれん。

でも、文化祭っちゅーんは文化祭当日だけやなくて文化祭の出し物だったりを準備するのも含めての文化祭や。

お客の事を考えたり、アレコレこうじゃないと言い合ったりするのも楽しいよなあ?

即ち、映画も「鑑賞するだけ」の楽しみ方以外にも「映画ができるまでをやきもきして見守る」って楽しみ方も出来んねんで、ってのを示したのがあのスタッフロールなんやな。

増田ドリームジャンボ宝くじ買うたか10億円当たるとええな。年末が楽しみやのう。

そういう事や。モノにはいろんな楽しみ方あるゆう事やな。

詳しくは、「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」の映画でも見てみい。

なんとなくじゃろうがワイのゆうてることが分かるようになるかも分からんで。

http://anond.hatelabo.jp/20161128001443

「なりそうな」、と書いた案件に対して「カッコつけて書いたお前」がこっちの言いたいことであって、

当たり前になりつつある概念をご開帳して自慢した恥ずかしい人間じゃないなら、そう書いたら良いのでは?

そしてお前の言ってる、「いよいよマジに成りそうな物事」「古いもクソもない件」

解釈次第で神話寓話説話に、世に起こる諸々の全てが書かれてるわ」

この三つなんだけど、どう解釈しても今から、あるいは過去から普遍性があったことを自分自身示唆している。

となれば、そんなアタリマエのことを自慢げに話した間抜けなお前という問題と、憶測で話したお前、という二つの問題内包ちゃうわけ。

俺はただ単にそんなわかりきったこと話す恥ずかしい人だったのか? という「推測」に基づいて攻撃してるわけでして。

なにも俺には恥じはないよなあ、という感じ。お前は恥ずかしいけど。

2016-11-25

言語ってなんだ、状態か?

まずは【お前自身機械翻訳駆逐されろ】"iwatani"の翻訳した記事が上がっていた。

GoogleAI翻訳ツール独自の内部的言語発明したようだ、そうとしか言えない不思議現象が>

http://jp.techcrunch.com/2016/11/23/20161122googles-ai-translation-tool-seems-to-have-invented-its-own-secret-internal-language/

http://b.hatena.ne.jp/entry/jp.techcrunch.com/2016/11/23/20161122googles-ai-translation-tool-seems-to-have-invented-its-own-secret-internal-language/

Zero-Shot Learningは分岐のない翻訳などではない。これは正しくOne-shot Learningの延長線上にあり、

ワンショット学習すらしないで(この場合対応ペアでの事前学習をおこなわず)、新規ペアでの処理を行うっていうことだ。

この語は翻訳に限った話でもない。だからほとんどの訳がおかしい。むしろ機械翻訳の方がマシ(背景を理解していない翻訳者より機械翻訳の方がマシという皮肉な状況)。

ワンショット学習っていうのは人間ができることでもある、極めて少ないサンプル(多くの場合サンプルでもいい)から学習する方法

(ちなみに実際に脳内でもOne-Shot Learningは繰り返し学習とは別パスなのではという示唆もある)

グーグル翻訳AIが「独自言語」を生み出したといえる根拠

http://wired.jp/2016/11/24/google-ai-language-create/

http://b.hatena.ne.jp/entry/wired.jp/2016/11/24/google-ai-language-create/

なんだ英語を介さな翻訳手法って。もうなんなの。

これらは古くから考えられてきた「基底となる」文法等を完備した「中間言語」などではない。

論文で触れられている「『Interlingua』な表現形式」は『semantic representations』とされていて、まさに多言語間で共通する「『意味表現』の表現空間」であり、

リー状に開かれてもいない。人が想像する構造化された言語などではない。

ただしその空間を共有していて、つまり共通意味表現を持っていることは論文(arXiv:1611.04558)で実験的に証拠提示されている。

今までも多対多の翻訳ネットワークを共有することでBLEUを向上できるという論文は出ていたが、今回のは、翻訳に関して言えば、十分普遍化した意味空間を内部的にもったネットワーク新規ペアをぶち込んでも能動的な転移学習すらせずにそれなりの結果が得られる、結果の向上だけでなく未知ペアを処理できるって事である

 そしてその効果汎用性↑↑、そして最大のメリットサンプルが少ない言語ペアもやりやすくなるぞ、マイナー言語にも早く適用できるかもって所だ。

One-shot Learning系(小サンプル)とDeep Learning系(巨大サンプル)によるネットワークについて、意味という(我々にも見えない)上位構造の下に配置された構造である言語」を扱う特別な例では、両方を一つで達成できる可能性が垣間見えた論文なのでもある。

2016-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20161120220626

勘違いなさっているようですけど、少なくとも私の知る範囲では30代の男性に対して感情的になっているところを「更年期障害からねー」で片づけている例は知りませんね。あなたのまわりではどうか知りませんが。

勘違いなさってるようですけど、早ければ30代でもなりますよ、学のなさそうな貴方様よりは医者が監修している内容の方が信憑性は高いですね。http://www.skincare-univ.com/article/007851/自分知識のない分野でドヤ顔すると痛い目にあうとよくわかりますね。それから彼女は30代後半であることも指摘しておきましょう。

能町さんはすでに手術もして戸籍も変えられている「女性」ですので、仮に男性更年期障害が30代という非常に若い年代から発症して性格を変えてしまうほどのものだったとしてもそれを当然に感情の変化の原因として持ち出すのは少々短絡的ですね。

更年期示唆したところ元男性でも当てはまるのか?といい出したバカがいたので可能性として十分あげられると述べただけですよ?あなたはそう思いたくないのか知りませんが、否定するのに必死になる方が短絡的なのでは?

それと、男性更年期障害があるという事実は聡明なあなたけが知っている真実というほど珍しい知識でもないので、偉そうに人に教えるのは普通社会生活では辞めておいたほうがいいですよ。

男性が~とか言ってる的外れバカしか言わないので心配しなくていいのではないでしょうか。的外れバカ的外れを指摘すると偉そうに人に教えたことになる世界に住む聡明な誰かさんにはわからないのかもしれませんが。

[]

今回は少年ジャンプ+

誰が賢者を殺したか? 14話

ここにきて、様相がはっきりとしてきたな。

この世界において強力な力を持つことと同義の凄腕のハッカーであっても、死ぬときはあっけなく死ぬという無常さ。

盗賊”までならともかく、前回の“剣士”死亡で明確にこの作品方向性を示してきた感じがする。

記者会見で明確に“一行”に呼びかけるという展開で、話はぐいぐい進んでいくんだけれども、読者目線でみれば内通者の暗躍に加え、今回で明確に“一行”の中に例外がいることが示唆されて不穏が凄まじい。

次の展開が全く読めなくて、そういう点ではハラハラする。

けれども、何というか、個人的にはそれがワクワクと比例しないんだよね。




とんかつDJアゲ太郎 105話

叔父の助けもあり店も上手いこと回り始めて、イギリスへのチャンスも家族含めて後押ししてくれる展開。

普通なら、もう悩む必要はないんだけれども、アゲ太郎にとってはそうはいかないよなあ。

アゲ太郎DJとしての根幹には「とんかつ」が結びついていて、どちらかだけを取るってのは、実はその他のことも捨てているに等しい。

それを踏まえてなおビッグチャンスであることも分かっているから、より悩む。

ある意味で、この作品テーマに踏み込んだ今回のエピソードで、それも佳境といったところだが、どういう落とし所になるか。

好きな歌い手に息の根を止められたい

ニコニコ動画の「歌い手」の話


ここ5年くらいで「歌い手」はメジャー流通CDを出すようになった。

ある会社歌い手にどんどん声をかけて、同じレーベルからたくさんの歌い手CDを出し始めた。

自分の好きな歌い手もその中の一人で、メジャー流通CDを何枚か出していた。

いわばその時期には「有名歌い手」に属している人だったと思う。

CDを出すたびにリリースイベントが開催されて、握手をして、サインもしてもらった。

ライブもたくさん行った。

そのときテレビよりもニコニコ動画をたくさん見ていたので、ニコニコ動画でよく聴く歌い手自分の中ではアイドルのような存在だった。

歌い手の中には顔出しする人が少なくなかった。むしろCDなどをリリースするようになってから増えたとも思う。

だけど、自分の好きな歌い手は顔を公開することはなかった。

SNSに載っているのは影と指くらい。顔は絶対に載せない。そういうところが大好きだったなと思う。

歌いっぽんで勝負をしていた人だった。ライブに行ったことのある人は顔がある程度わかるけれど、

それ以外のファンは歌からみんな想像を膨らませてファンアートを描いていた。総じてイケメンの設定だった。

(そして実際にもある程度整った顔をしていたと思う。ライブ補正がかかればかっこよく見えても仕方がない。)

歌がうまいことに加えて面白くて、でもまじめで。そしてかっこいい。

ファンはみんな思い思いに本人像を作り上げて、その人のことを愛でていた。

本当に頭のいい人だと思う。たぶん、意図して顔出しをしていなかったから。

交流のある歌い手たちは顔出ししている人も多くて、顔出ししていてもおかしくなかった人だったから。考えての選択だったと思う。

今改めて考えてもその選択は正しいと思う。

顔出しって相当なリスクがある。動画サイト上で歌い手といえど一般人だし。

一般人は周囲の友達しか存在を知らないし顔をネットに乗せたってその周囲の人しか興味もないけど、歌い手はそうじゃない。「有名歌い手」なら特にそうだ。

名前は違えど多くの人に認識されている存在。」ここだけなら普通にTVに出ている芸能人と同じようなものだ。そんな存在が、不特定多数が見ることのできる場所自分の顔のわかる写真を載せたら・・・どうなるのだろう。私は顔出ししてる歌い手じゃないから実害がどんなものかはわかんないけど。昔ストーカー被害に遭ってた人とかはいたよね。

歌い手である自分歌い手ではないとき自分がちゃんといる人だった。

後者の時の話をしてくれることももちろんあって、塾講師バイトが、とか、就職できました。とか、仕事しています。とか。最低限の情報

最低限の情報でもその人の後者の時の話のレベルとしてそれが当たり前だったか特に何とも思わなかった。

みんなそれぞれに本人像があるから、それにあてはめて、今日も頑張っているのかな、と想像をふくらませたんじゃないかな(これは私だけかもしれないけど)

そしてあるときからぱったりと、その人は動画投稿しなくなった。

しかしたら再開するかもしれないから、「しなくなった」という表現にしておく。

でも間違いなく一度は投稿をしなくなるようなことを示唆していた。

それに気づいたのが今日の朝。その、「あるときからとうに1年がすぎ、二回目の春が過ぎ夏が過ぎ秋も過ぎ去ろうとしていたところだった。

でもSNSはまだたまに投稿を続けている。だから、「引退」はしていないんだと思う。それもなんだか、「らしい」なと思う。

引退詐欺、あったよね。それを近くで見ていた人だからかな、とも思った。

わざわざ何年もかけて作り上げた自分のためのステージ更地にする必要もないし、もしかしたらまた始めるかもしれないから現状のままにしているのかも。本人じゃないから、真意はわからないけど。

仕事が大変なのか、ちょっと休みたいのか、もうこのステージに飽きちゃったのか、ステージに上がらなくてもいいと思っているのか。今もどこかで歌を歌っているのか。

ファン想像することしかできない。

でも、ステージが残されている限り、マイクが置かれていない限りはまだ待っていてもいいといわれているような待っていてほしいといわれているような、そんな気持ちになる。

今のあの人の歌が聞いてみたいと思うこともある。でも、今は本当にその見込みがない。

まじめで(おそらく)普通生活を送っている人だ。もういい歳になるだろうし、結婚して、お風呂子供と歌ったりして、お父さん、歌うまいね。とか子供に言われてほしい。これはいファン理想だけど。だれもネットで歌っていてCDも出した人だなんてわからない。普通の人になる。まあ、有名な人の中でも一般人に近しい存在なので、普通の人になることなんて簡単だとは思う。むしろもうSNSパスワード忘れちゃって入れなくて事実引退みたいな感じなのかもしれない。わからいか想像することしかできない。

はやくファンの息の根を止めてほしいのだ。普通の人という側面を大切にしていた人だ。みんな、いつかは普通の人に戻ることはわかっていた。でも、今はまだ普通の人じゃないかもしれない。

から期待するし好きなままでいる。苦しい。いま、どうしているのかがわからない。そういう人だからという一言で片づけられるかもしれないけれど、

最後くらいはちゃんと言ってほしい。そして、普通の人に戻って幸せになってくれたらいいなと思う。

2016-11-18

ロシアは、クリミアロシア併合占領である分類した報告書公布した翌日、正式国際刑事裁判所設立からその署名を取り下げていると述べた。

裁判所拒否は、象徴的ではあるが、人道に対する罪戦争犯罪人道に対する罪を追及するための世界的な法的秩序を確立しようとする努力に新鮮な打撃を与えている。

ICCについては近年、南アフリカブルンジガンビアなど、ICC正式メンバーであったアフリカ3カ国の3カ国が、ICCの訴追がアフリカ大陸に集中しているという苦情を受け、脱退を示唆している。

2016-11-15

量子論ってパラレルワールド示唆してるの?

パラレルワールドがあって無限世界があるという前提なら死ぬほど確率が低い地球誕生もあってしかるべきだと思うんだけど

もしパラレルワールドが無いんなら恐ろしく0に等しい地球誕生という事実をどう受け止めればいいのか不明

誰か物理学に詳しい人教えて

2016-11-09

ポリコレについてブコメしたらid:kyo_juさんに特定するぞと脅された話

ブログをやってないので、ここに書かせてもらいますetc-etcです。

今日話題の「トランプ勝利95%確実」という朝日新聞記事にこういうブコメつけました。

ポリコレの棍棒で殴られるのが怖いか投票日まで黙ってた労働者階級がどれだけいたか

 トランプは勝つべきでなかったが、勝たなければ彼らの声は省みられず

 メディアに踏みにじらて終わっただろう。重い結果。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJC9410CJC9UHBI029.html



選挙から思っていたことを書いたら、一番スターがつきました。ありがとうございます

その後、kyo_juという人から僕のブックマークタグ自体ブクマがついて(通知が来ます

突然こういうコメントを残されました。

現在までに137件このタグブクマしており、公開ブクマはうち1件。ほう。」

http://b.hatena.ne.jp/kyo_ju/



まり、僕のあるタグに彼をブクマをして(職業に関するもの)、

「お前の職業特定したぞ」と示唆というか脅迫してきた訳です。

シークレットモードでもタグ自体は公開されているのですね。

幸い、僕はその職業従事していないのですが、実はそこに関連のある職業についています

なので、物凄く恐怖を覚えました。想像してほしいのですが、突然そういうブコメがつくのは怖いです。

元々、僕はkyo_juさんと絡んだことは一度もなく、いわゆるはてサの人だという認識しかありません。

なので、急に特定示唆されたことにびっくりしましたし、何が理由なのかさっぱり分かりませんでした。



続いて、彼は僕の最初に掲げたトランプ記事ブクマ自体メタブクマをしたので

僕の今日ブコメが気に入らなかったので脅迫したということがわかりました。

id:kyo_ju

「 "ポリコレの棍棒で殴られるのが怖い"のは

 日本のお前達やそれに相当する層の米国民(新中間階級民)だろうよ、

 という感想しか持てないはてスタの付き具合」

http://b.hatena.ne.jp/entry/307349989/comment/kyo_ju



僕はブコメの内容自体批判されることは慣れていますし、それは構いません。

お前の意見には反対だ、というのは分かります

しかし、そのブコメをしている僕自体職業や住所を特定できると示唆するのは話が違ってきます

自分と違う思想ブコメをしている人を「特定するぞ」という行為は許されるのでしょうか。

それこそ、僕の最初ブコメでいう「ポリコレの棍棒」そのものではないでしょうか。

こういうことがまかり通れば、ブコメ自分の思うことは書けなくなります

僕は彼に抗議し、特定できるぞと示唆するのがどういう行為で、恐怖をどれだけ感じるか、

あなたもされたらどう思いますか、と問いましたが受け入れてもらえませんでした。



さらに、kyo_juさんのツイッターを見てみると、相当僕のブコメが気に入らなかったらしく、

今日の僕のブコメスターを付けた人(100人程度いるでしょうか)全員のアカウントツイッターでリプを飛ばしています

はてブ連携をしている人であれば、今日kyo_juさんからメンションがあったのはそういうことです。

僕のブコメスターを付けてくださった方はすいません。

これも脅迫というか、おそらく法的には問題ないのでしょうが、怖い行為だと思います

俺と違う思想ブコメスターをつけた人、お前ら、どういうことだ、と絡んでる訳ですから

https://twitter.com/kyo_ju_/status/796279561562431489

https://twitter.com/kyo_ju_/status/796279663135838208

(中略)

https://twitter.com/kyo_ju_/status/796280253832269824

https://twitter.com/kyo_ju_/status/796280466353467392



自分とは違う思想コメントをするだけで、特定示唆され、発言を躊躇うことがあってはならないと思います

そして、それをリベラルを名乗る側が行っているという、目眩を覚えるような状況がそこにはあります

加えて、彼のこういう行為ブコメスターをつけて支援するzakinkoさん始めとした有名な人々がいます

遠い日本でさえ、選挙結果を受けて米国ポリコレという"正義"の行き過ぎの現状に疑問を呈しただけで、このような有様なのですから

(そもそも僕は「トランプは勝つべきでなかったが」とブコメに書いたようにトランプ支持ではないですし

 またポリコレ自体否定するのではなく、彼らが定義した「ポリコレ」という正義を振りかざすことの暴力について語っています

アメリカではネット上でトランプを支持するというだけで、どれだけの攻撃を浴びるか分かりません。

都市部エリートの中ではピーターティールのような変わり者くらいですし、彼が受けたバッシングは凄まじいものでした。

そのような状況の中で口を閉ざした人々が膨大にいた、ということを今日選挙は表しているのだと思います

そして、日本でそのような状況を生んではいけないと思っています



長くなりましたが、「ブクマから特定できるぞ」と脅す行為は、法的に問題ないのかもしれませんが、

思想が違うというだけの相手に対してやるべきではなく、それこそが"ポリコレの棍棒"だ、というのが僕の主張です。




(追記: 直近に起きた事件記事に近所で起きた旨コメントしてたので、こういう危ない人に「職種と住所は分かってるよ」と言われた怖さといえば分かるでしょうか。

    被害妄想だの幻覚だの拡大解釈だの、こういうときセカンドレイプオヤジみたいに変わることに呆れてます

    有名左派ブックマーカー勢揃いで現れてスター付け合って擁護しあってるのは面白いです。

    僕の通知はあなた方には見えないですし、仲間擁護するのは分かるけど、

    特定示唆しておいてよく言うなと呆れますし怖いですよ、まじで笑。ヤクザじゃないんだから。)

大規模イベントでの防炎対策について少しだけ調べた

東京デザインウィークでの火災について。

大変痛ましい事件で、いつもならご冥福を祈る黙祷の意を込めて、SNSでは特に沈黙を貫くことにしているがこうして匿名ダイアリーにまで出てきて書くのは、運営側の悪手というか、不手際がどうにも気になったかである

ものすごくいろいろあるが、一番解せないのが以下の部分。



作品にとがった部分がないかや、高さなどは確認しているが、全部で600点ある作品の一つ一つを詳しくチェックするのは困難だった。アート作品なので、主催者からデザインについて、いろいろ注文をするのも難しい」

参照:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161106/k10010757741000.html



何を言っているのか!? 憤りというより本当にわからない。東京デザインウィークだけなんでそんなガバガバなのか。



それは、デザインフェスタ出展したとき記憶があるからだ。

出展料以外に、机のレンタルに電源設備の追加にと、なにかにつけてはマネー(割高)を要求してくるため、1度出てはみたもの出展仲間のあいだで「(主にコミックマーケットとの比較において)運営ク*だな」ということで落ち着いていた、あのデザインフェスタである



そのデザインフェスタでさえ(?)、防炎対策に関してはやけにしっかりしていた。

デザインフェスタ出展ブース数は3,400である

出展ブースに配布されるマニュアルには、防炎対策について厳しいルールがある。

「机から10cmを超えて垂れ下がる布にはすべて防炎製品を使うこと」

ちなみに防炎製品の有料レンタル受付中です!とマニュアルは続くので上記のような感想になったのであるが、それにしても、ちゃんとしているのである



また、キャンドルなどを扱うブースも多いのだが、

火気・消防申請ブース内で以下の項目のものをご使用される場合は必ず事前に火気・消防申請必要です。

(高さが4mを超えるもの/2階建て・屋根構造のもの/キャンドルお香、バーナーなどの火を発生させるもの/危険物の表示があるもの)

参照:

http://www.designfesta.com/manner/

http://designfesta.com/flow/

http://designfesta.com/app-note/

ともあり、それらには別途、火気・消防申請必要である

また、当日は消防署による査察があることも示唆されている。



ちなみにこれらはデザインフェスタがというより、東京ビッグサイトイベント会場とするものではほぼすべて同様の注意事項で、消防法第8条の3と、東京都火災防止条例と、に基づくものらしい。

参照:

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B6%88%E9%98%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC8%E6%9D%A1%E3%81%AE3

http://makezine.jp/event/wp-content/themes/makerfairetokyo/mft2016/pdf/MFT2016_kinshi.pdf

そいでもってこちらによれば、東京デザインウィークは消防法や防止条例対象外だったらしい。なんでかはわからん。屋外だからか。

http://www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/01koho01_02000538.html



いずれにしても、東京デザインウィーク以上にたくさんの出展者がいる大規模イベントなんて山のようにある中で、「全部で600点ある作品の一つ一つを詳しくチェックするのは困難だった。」「アート作品なので、主催者からデザインについて、いろいろ注文をするのも難しい」なんて馬鹿世間知らずな言い訳は、してる場合ではないんじゃなかろうか。

東京デザインウィーク以外のイベントほとんどで、そのチェックをし、アートから作品からなんてことは無論わかったうえで、明確なルールを設けて対策をしていると思うぞ。

2016-11-06

追記みたいなもの

http://anond.hatelabo.jp/20161105155342

↑の記事を書いた元増田です。


色んなブコメトラバを頂いたが、その中でnekora氏の発言(http://d.hatena.ne.jp/nekora/20161105/p2)が看過できないというか、非常に示唆に富む内容を含んでいたので、釣られる形で以下に追記してみる。

いや、SI現場では久しく当たり前の慣習であり「何を今更」な話なんだけど。


注目したのは

詳細設計書を読むべき主な人間は、設計書に従い実装するコーダであるのは言うまでもなく当然の事でありこの辺からすでにはき違えているのには呆れるばかり。

この発言は、そもそもSIの元請や元請に近いポジションの、特にマネージメントを担う立場人間の、プログラマに対する認識がよく見て取れる。

即ち

という考えが透けて見えるのだ。

要するにプログラマライン工とみなしているわけだ。

昨今の「デジタル土方」なんて自虐ネタに照らし合わせれば「デジタルライン工」といったところか。


ここまで書いたタイミングで声を大にして言いたいのだが、こっちは別にプログラマライン工職種に貴賎があるとは思っていない。そこは勘違いしないで欲しい。

問題は、本来であれば知識集約産業であるはずのシステム開発を、労働集約産業手法マネージメントしていることである

プログラマ知識集約産業における「開発者」ではなく、労働集約産業における「現業職」みたいに扱われているのは、そうした歪みが産んだ結果の一部にすぎない。

まあこれには、開発のときだけ人を多く雇うみたいな営みが困難な日本労働環境とか色々な要因が絡むのは、既に今まで散々言われてきた通り。


はいえ、そんなマネージメントでは、品質の優れたものは今までもこれから絶対に作れないだろう。

何かの間違いで、実装精通したSEが詳細設計とやらを書いているなら話は別だが、そんな現場あるのか?という感じ。

あと、開発者としての創意工夫が求められない点について、控えめに言ってプログラマもっと怒っていい。

2016-11-05

それは文春の中村記者本人でしょうね

http://anond.hatelabo.jp/20161103225926

10月20日に発売された『別冊宝島 将棋「名勝負」伝説』というムックがある。

これに収録されている渡辺インタビューインタビュアーが文春の中村記者

このインタビュー取材構成過程の中で、中村記者三浦事件記事取材のことを当たったんだろう。

(なおこのムック三浦事件発覚後の発売だが校了には間に合わなかったようで三浦事件のことは一言も触れられていない)


しろ個人的に興味があるのは、中村記者三浦疑惑を知って取材しようと思ったきっかけなんだよな。

少なくとも渡辺は、10月3日三浦と対局して負けるまでは、自分が動こうとは思っていなかったはず。

この疑惑が芽を出し始めたのは7月下旬竜王戦三浦久保戦。

関西で生まれ疑惑の芽を東京自力で知るのは、今の時代でもなかなか大変なはずなんだが。

当然誰かが垂れ込んだ(それを示唆する文章も文春にはあった)のだろうと思う。

2016-11-03

終末のイゼッタは水なのか

まれ刹那 光放ち 息を吸ってありったけの命は 終わった

cross the line / AKINO with bless4 より引用

水が生成される瞬間 水素が燃焼 酸素と結合して 安定

2H2 + O2 → 2H2O

無味乾燥化学反応式も詩的に表現できる。

逆に、魔法も紐解けば物理化学に他ならないことを示唆しているのだろうか。

2016-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20161021033309

かなりシビア価格なんだろうかね

子供に気軽に買い与えられるようなものじゃないということを示唆しているのか

2016-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20161019114115

オタクが嫌いってかいあるじゃん。この本文におけるオタクとは「二次創作エロを楽しむ層」「ゲーム女性キャラファッションストーリーにそぐわないがそれを楽しんでいる」とある程度具体的に定義示唆されているのでよく読め。

2016-10-07

ワイドショープーチン大統領ネットデマを堂々と流していて驚いた

多分3日前くらい。朝のTBS番組

その時、その番組プーチン大統領名言カレンダー特集をしていた。まあたまたま母親が見ていて、出掛ける支度をしながらなんとなく自分も見ていたんだ。すると、スタジオでもプーチン大統領の名(迷?)言をフリップボードに出していたんだ。そうしたら、その中に「(人を殺したことがあるか?という質問に対して)それは素手でという意味か?」という台詞が紛れていた。


ここにいる人には周知の事実かもしれないが、この台詞プーチン大統領発言したというのはデマであるネット上ではよくある話だが、誰かが作ったコラ画像が広まってしまったらしい。少しググればすぐデマであるという事実が出てくる。


…なのに仮にも情報を流す番組が、情報の精査もせずネット鵜呑みにして間違った情報を流してしまったのであるしか日本芸人とかの発言ではなく、他国大統領発言であるしかもこのデマ発言は、プーチン大統領殺人行為示唆しているともとられてしまうような危ないものであるテレビの裏側を深くは知らないが、わりと重大なミスではないだろうか。


その後もなんとなくこのことが気にかかっていたので、とりあえずHP番組意見コーナーからこのことについてコメントを送ってみた。しかし先程番組サイト番組ツイッター確認してみたのだが特にそのことに言及はなかった。またコメント送信の時、メールアドレスを書く欄があったので記入しておいたのだが、其方にも反応は来ていない。



…まあこちらも一瞬だったので録画は出来ず、ツイッターなどで誰かこのことに言及してはいいかと探して見たものの見つけられなかったので、読んでいる方に自分もこの番組が本当にこんな間違いをしたかという立証は残念ながら出来ない。

現に自分も寝ぼけていたんだろうか?と思ったくらいだ。番組コメントにも予防線に「自分勘違いであったら本当に申し訳ない」といった旨を綴った程だ。

しかし、その時一緒に見ていた母に「プーチン大統領のそれは素手でと言う意味か?って発言覚えてる?」と話してみたら「あ!覚えてる!プーチンってそんな人なんだってびっくりした!」と返って来たので多分…夢ではないのだろう。そして見事にプーチン大統領への変なイメージがついてしまっている。因みに母はネットに疎いので割とテレビのことをあまり疑わない。



まあなんというか、もしこの話が自分の夢でなかったらワイドショーネット鵜呑みにしていた瞬間を実際に目撃したのは初めてだったので、驚いた。もうネット情報そのまま流すのならテレビ意味は、ネットを触らない人たちにも情報を発信出来るというメリットしかない。しかテレビがそれこそ釣りか誠かわからない魔窟のネット世界のように、情報の精査をせず間違ったものを流してしまうというならそのメリットデメリットしかない…そんなことを考えた。


…一番怖いのは「このプーチン大統領発言デマだった…という事実デマだった」なんて展開なのだが…

残念ながら自分日本語しか出来ないのでもうなんともいえない。情報の精査ってむつかしい。

2016-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20161004085252

hobbling 少子化の原因は未婚化。結婚した人は貧乏でも平均二人は産んでいる。よって「子供が不幸になるから生まない」という人は(統計に影響を与えるほどは)居ない。「そもそも結婚できないから産めない」という人が多い。



完結出生児数は「結婚後15~19年の夫婦の間で生まれ子どもの総数」で、対象女性の年齢はほぼ40代後半から50代に収まる。

ちょうど対象夫婦の後の世代からバブル崩壊以降になるので、現在出産適齢期(20代前半から30代前半)の女性が産む総数は、

甘い見通しでも減少している可能性が強いと示唆されている。

というか、現在最新のデータですら、2をわずかに下回っているのだから現代は2を大幅に下回っている蓋然性がある。



まり、完結出生児数を指摘して「貧乏人でも2人産んでいる」というのは、現状と乖離した意見

貧乏人でも2人産んでいる」のは、トレンディドラマ最盛期に結婚した夫婦の話ね。

その頃は高卒でも今の大卒並みの生活が十分に遅れた時代だし、現代比較する意味がない。

あと20年くらい待たないと、現在の完結出生時数は分からないよ。

2016-10-04

景気が下降していくことを受け入れてしまうということ

http://anond.hatelabo.jp/20161003130854

80年代から90年代にかけて、日本経済的に豊かになった。生活が大雑把に言って誰にとってもよくなったし、多くの人が下層から中流へと引き上げられていったのだと思う。増田自身がそうだというのではなくて、この考え方がどこかにわだかまっているのを感じ取って書いているのだと思うけど、この「『景気はずっと上昇していくし、そうでなければおかしい』ってのは非常に傲慢で気が狂った意見に思えるんだけど、どうだろう?」という発想は、そうやって引き上げられて適応できなかった人たちの言葉なんじゃないだろうか。

人類歴史のうち、記録に残っているのは紀元前精々数千年だけれど、その間でテクノロジー進歩が止まったことはなかったはずだ。ヒトは消費を拡大し、経済拡張し、産業を発展させて、生存をより確かなものにし続けてきた。文明経済文化の発展とはエネルギー消費の拡大でもあるけれど、生存をより確かなものにするためのものでもあった。

「景気はずっと上昇していくし、そうでなければおかしい」というのは、この認識に対する挑戦だと思う。つまり景気は「上昇しすぎた」ので、「おかしい」が、「おかしくなかった」水準があり、そこまで下降することが現状よりも良い、という意見だ。おそらく経済学を学んだ人なら教科書最初の章で学びでもすることなんだろう ―― そこにはもっと簡潔で示唆に富んだ言い方で書いてあるのだろうけれど、景気は上昇しなければおかしいし、景気を支えるのは景気だ。経済は静的な系ではない。常に動的で、一時的な、その裏にある人間日常生活調停するメカニズムに過ぎない。

彼らの語る"適切な規模の経済"には、いつもどこかから富が湧き出てくることになっている。財やサービス社会システムによって無から自動的に生み出され、それを絞ることで持続性を確保することになっている。そこに規模の経済などもちろんないし、需要供給関係もない。代わりにあるのは、供給と受け入れ可能量だ。大衆は受け入れ可能量をもち、与えられた賃金の中で供給を仕方なく消化するが、受け入れ可能量の伸びには限度がある。だから供給は低く押さえることが望ましい、というモデルだ。

景気の爆発によって、多くの人が経済社会自分認識する世界と切り離して考えるようになってしまった。あるいはそういう人が新たにたくさん発言力を得た。株式市場というのは一部の人が遊ぶゲームで、経済政策は美麗字句を書いた文書に過ぎない。小さな好景気不景気は《降って》くるもので、仕事場と帰りに寄るスーパーと自宅の外のことは、そういった仮想世界での事件とは何ら関係なく、「おかしくなかった」水準で永遠に続いていく。これらの人々は胡蝶の夢のごとくそう思い込んで、「仮想世界にのめり込むのはやめよう」と言っているようにも聞こえる。増田意見、そしてそれに類する意見を見るたび、そういう違和感を覚える。"現実世界"から"仮想世界"のもの排除して、きれいで質素で、自分必要だと思ったものは無から湧き出ることで変わらず存在していて、必要がないと思ったものはきちんと栓を閉めたのでどこを探しても残っていない、そういう過不足のない世界を作るんだという幻想がそこに見える。

でも、うまく言えないけど、そんな"仮想世界"はないんだ。全国で毎年数百人しか使っていない制度廃止すると、増田の5親等先から悲鳴が聞こえてくる。平均株価が何ポイント落ちると、コンビニジュースが何円上がる。コンビニは贅沢か。それなら上水道でもいいかもしれない。飲み水に上水道は贅沢だろうか。

経済永遠に拡大していくという言い回し永遠に消費は増え物価は下がっていくというモデルが今一つ心に響かないよ、という気持ちはわかる。しかしそれを理解してほしい。経済は褒めれば伸びる。ときどき発振する。抑えれば、フィードバックがかかってどんどんと落ち込んでいく。スタグフレーション実在するんだ。支出を抑えて賃金を下げても、誰かの所得が増えるわけじゃない。金の額面は貯めこめても価値は貯め込めない。それは増田貯金価値が不変ではないと認めている通りだ。価値は、作らなければ、自然に風化して消えて行ってしまうんだ。


コントロールされた縮小をすれば一定量幸福を長く保てるなんていうのは幻想なんだ。自分理解できない経済メカニズムをぶち壊しても、美徳気持ち金銭を置き換えても、その実態通貨名前を変えた貨幣経済だ。どうかそれに気付いてほしい。

2016-09-29

最近気になる言葉

・まるっと

ブロガー文章から企業商品広告まで幅広く使われている。

これなんなの?まるごと?全部?って意味

ちょっとかわいい語感にしちゃってんの?かわいこぶりたいの?


示唆

普通の会話で「示唆する」とか使ったことないよ?

っていうかそれ本当に示唆してるの?深読みしてるだけ、

もしくは雰囲気で言ってない?

まあ低学歴から示唆」などという高等な単語意味を俺がわかってないだけなんだけどさ

誰か俺にもわかりやすく「示唆」の使いどころと意味を教えてくれよ


・「尤も」「貶す」など

まずお前ペンとってこれ漢字で書いてみろよ

キーボードで打ったら変換に「尤も」「貶す」って出てきたか

「あーこっちの方が知的でかっこいいな」みたいな感じで使ってんじゃねーよ

普通文章でこんな漢字使わねーから

しろ読みづらいのにわざわざ漢字使って、バカっぽく見えるよ?

続かない

2016-09-28

君の名は。性的描写男性恋愛物を作る難しさ

君の名は。」で口噛み酒のシーンが気持ち悪いと言う話になっている。

http://togetter.com/li/1029154


口噛み酒自体は新海監督のある種のフェティシズムの発露であるというのはインタビューでも言っていたのでまぁ気持ち悪く感じる人がいるのもわからなくはない。

本来性癖は人によって千差万別でかなり慎重に扱うべきものからだ。

一方でエロは万人にほぼほぼ普遍的存在するものなのである程度の公約数的な部分を確保してしまえば多くの人間にフックするという強みもある。


新海誠監督は今まで過去作においてエロティックな場面をほとんど描いてこなかった。

その理由は私にはわからないがある種の特徴の一つでもあったと思う。

そういった点がこじらせた「童貞」臭さと言われる一端でもあった。


※ちなみに新海監督は童貞臭いと言われることを一定程度評価している旨をラジオ番組発言している。

おそらく童貞臭いという評価に内在する純粋さ・ピュアさが新海監督がターゲットにしている思春期の男女にまさにクリティカルにHITする部分だと思っているからだろう。


今回はそこから一歩踏み出し、フェティシズム一定程度健全エロさを作中に含ませようと考えたのは恐らく言の葉の庭の足フェチ描写が観客に評価されたかであると思う。

「意外と若い男女ってエロティック描写に寛容じゃん?」

ということに気づいたのだと思われる。

東宝に出した最初企画書の時点で三葉の胸を揉む描写が既にあったことが見て取れる。

ベタベタ描写、みたいなことが注釈で書いてある。


一方で性欲を丸出しにしてしまうと下品すぎて観客が引いてしまうことは恐らく既に把握していて、言の葉の庭では足を触る描写エロティックだが徹底的に崇高かつ審美的に描き下品さをかき消すと言う手法を使った。

それに対して今回使った手法ベタベタと言っているように定型的で既に出来上がった文脈手法をそのまま持ってきた形だ。

まり笑いを使うことでエロさに健全さをくっ付けることで観客が引くことを回避させようと言う手法である

まり観客にこのシーンを見て笑ってもいいんだぜ?

という言い訳をつくることで安心させようと言うわけだ。

そこまでエロくないですよ、健全ですよ。

というわけだ。


最近エロ手法を取り入れたにしてはこの辺の技巧に非常にしびれたし、単純にうまいなと思わされた。

なんとなくこの辺で瀧君を「ちょっとエッチ東京から来たイケメン」という卑近さを生み出すの成功しているような気がする。

股間に手を出すのはアウトだが、胸ならギリギリという非常に危ういラインだ(瀧が三葉の状態トイレに行く描写がないのはそういうことだろう。三葉in瀧ではあるのに)。

その他こまごました部分を含めてその辺の舵取りはかなりきっちり詰めたのだろう。

お見事でした。


しかし、この入れ替わりシーンは置いておくとして問題になっているのは口噛み酒のシーンである

特に四葉が三葉に口噛み酒を販売すれば売れる!

と言うシーンである


ここにオタク男性感性をどうしても感じてしまうと言う点である

四葉女性性的価値少女でありながら感じていることに違和感を感じると言うことだろう。

しかし、正直この点に男性性をいきなり感じてしまうというのは少々飛躍しすぎではないだろうか。

実は作中に少女向けのファッション雑誌が部屋に転がっていると言うカット存在する。

まり四葉はそういう点にわりと自覚的であるのではないかというエクスキューズをわざわざ用意してあるのだ。

あるいは三葉の言うとおり「思春期前のお子様」であるのでそういった視線知識はあるもの無頓着である

という解釈もできるかもしれない。

いずれせよ、安易一方的男性性を見出すには少々待ったをかける必要はあるはずだ。


ネット上の論評をいくつか見て回って、少し思ったことがある。

思ったのは新海誠男性であるからといった点が論評において強く作用しているのではないかという点だ。


もちろん秒速5センチメートルが強い男性目線から作品であったのは事実だと思うし、実際作中のモノローグの量はタカキの物が大半だ。その様な作品男性性を強く見出すのはわかる。

しかし、だからといって一足飛びに「君の名は。」をすぐに男性であると決め付けすぎるのはすこし早すぎる気がする。

もちろん過去作の文脈をまるごと無視するというのはさすがに無理があると思うが、言の葉の庭における雪野の描写彼女と彼女の猫女性主人公であるという点を無視しすぎである

海外では新海誠映画は男女比率がわりと均衡しているという。

一方で日本では従来の男性ファンがあまりにも多すぎた気来がある。

そのせいかどうも、評論すら男性目線から見たものが多すぎる気がする(特に上白石萌音が秒速でどちらかというとコスモナウトに感情移入したというのは示唆的だ。ネット上であまりその視点から言及した記事を見たことがない。)


女性自分性的価値認識していないというのは少々一方的過ぎるだろう。

でなければ女子中高生アイドルがいることの説明がつかない。

女性受けを狙ってアイドルをやっている人もいるという説明もまぁそういう人もいるだろうが、皆男性から目線意識していないなどというのは少し純粋性を女性に求めすぎだ。

特に三葉が口噛み酒販売に対して斜め上の回答をしたのはまともに回答するのが恥ずかしいからであり、それは三葉に対するジェンダー的抑圧の強さを示している部分でもあると思うし、「イケメン男子にしてください」という台詞もつながる。

わりと重要な部分だと思うので安易監督男性性に固執するのは危険だと思う。


勅使河原の口噛み酒の部分もあれは作品メッセージではなく勅使河原認識とみなすのが相応だろう。

同じ縁故に縛られた立場として土着にまつわる行為否定されることにある種のシンパシーから擁護であるとも取れる。

※つまり必死こいて神事を行ってるのに友人まで否定するのは酷ではないかという同情的心理。縛られていることに息苦しさを覚えていながら糸守に愛着があるという描写を事前に行っているのはその辺の示唆なのではないか。三葉がどう思うかは別である