はてなキーワード: 認知とは
"まともなコミュニティ"ってのは関わることがない人間からしたら
評する評さない以前に、死ぬまで存在を認知する権利のないコミュニティなんだよね。
そもそも、今回のように世に出回らない。
うーん…いちいち個別具体的な事例を教えているとでも…?
今の社会は放置する方向なのよ。知的障がい者として。触らぬ神に祟りなし。
その時々の社会なわけ。
今回で言えば、50皿食べることが許されないのなら
それを明記しておくのが筋、と言っている基地外どもがおかしいことは
昔はそういう人間はぶん殴られて「お前はズレてるぞ」と教えてもらえた。
今は、教えてあげたのに恩を仇で返すモンスターだらけになって
そもそも、知的障がい者に知的障がい者を育てられるわけがない。
それすら許されない社会になった。
で、いっちょ前のツラして俺にも生きる権利がある、と。
単に放置していると面倒だから、誰彼構わず手帳を授けてシャブ漬けにして
ひまわり学級のアパルトヘイトで解決しようという世の中になったわけ。
そもそも世の流れについていけなくなるし、その速度はさらに速くなっているし
最近のしらけ世代以下の老害どもは新しいことを取り入れようともしないわけ。
だからそんな、親だけで教育ができると思い込んでいる傲慢な人間に
親は無くとも子は育つ、そういうことを理解して欲しい。
それ以前にJFKからでるのにエアトレインのホームにまで行くのもしんどいと思うけど
え?日本くらいよ。すべてを健常者目線から創り込み、そこからバリアフリーについて手を付ける。だからこんなにもおかしなバリアフリーばかり。しかもバリアフリーについて十分な教育を受けていない世代が勘違いをおこして、その認知の遅れのせいで日本は福祉後進国になってる。 https://t.co/Q0CXlqDDgN— told you (@toldyou89026067) March 17, 2024
未科学だよ。
だから症状があるのに患部がない。
栄養不足、運動不足、睡眠不足、ストレス、虐待、認知の歪み、疾病利得の状況などはパフォーマンス低下の原因なのだが
もちろん増田やブクマカにはちょっと偏差値に伸びしろがありそうな人達がいるけど、それ以外は割と普通
言ってることも、口の悪さと他罰性を除けば、ギリギリ踏みとどまってるって感じだ
少なくともツイッターの凶人よりはマシ
けど全体的に世間知らずというか、うがった見方でしか考えられないという意味で認知のゆがみが酷いよね
社会人1年+240ヶ月って言えばいいんだろうか
いつか人前で涙が出てしまい、相手を困らせる前に認知行動療法を受け、思考の歪みを治したいと思った。
現在困っているのが、生きていて申し訳ない気持ちが急に襲ってくる。生きていてごめんなさい、そして大切に育ててもらったのにそんなこと思ってごめんなさい、と涙を流す。なぜそのように思うのか。仕事面では、私がいなくなれば、私より優秀な人が入る。もしかしたら後釜がだらしない人で「まだあいつのがましだったな。」と言われるかもしれないが、私のがマシor私より良いの確立2分の1なので試してみる価値がありそうだと思ってしまう。まぁ私にも生活があるので、お金を稼ぐことをやめるわけにはいかない。死ぬのは痛くて周りの人が悲しむからね。私の周りのいなくなってしまった人を思うと今でも涙が出る。
そもそも、そう思われないように最善を尽くし、今を生きろと思うが、怠惰で怠け者の私は考えることを放棄してしまう。かわいそうだね。哀れ。多分このセルフツッコミが認知の歪みだと思っている。しかし、この思考回路の道だけ舗装されて高速道路が開通しているので、歪みまっしぐらなのである。
パッと思いついたから仕事から書いたが、仕事を始める前、学生時代からずっとこんな感じだから、仕事のせいで涙生活をしているわけではないと思う。
あとは、ゴミしか生み出さない、ゴミ以外何も生み出さない存在で申し訳ない。まだアルミ缶の方がリサイクルできるだけマシ。献血をしたり、ボランティアをしたり、人のためになることはせず、消費行動ばかり行い、人に助けてきてもらっているのに今まで貰ってきたものを仇で返している気分。植物の方が人を穏やかな気持ちにさせる力を持っている。まぁ植物と比べるだけ烏滸がましいのか。
趣味で絵を描いているが、楽しいから描いており成長するぞ、という目的で描いていないから絵の上達もしていない。上達したいなら「今日は手を少し丁寧に描いてみようかなぁ」等何か変えていくべきだし、楽しさだけ求め、それでよしとしているのは自分なのに上達していない自分に悲しくなる。そんなわがまますぎる自分、あまりにも人間らしい。
それでも、私の話に笑顔になったり、また会いたいと言ってくれる人がいるのは嬉しいことだと思う。そんな人がいるのに、どうしようもなく消えてなくなりたい気持ちはいったいどこからくるんだろう?多分睡眠不足だから寝たら治ると思う。ただ、寝付けずに寝る前に泣きながら考えてしまう。私が消えた方が世のため人のためなのに。って。泣くくらいならゴミ拾いでもすれば良いのに。
この泣きながら寝る生活を終わらせるためにも認知行動療法を受けたいのである。しかし、認知行動療法をするのなら寿司も食べたいし、可愛らしい鞄も欲しいのである。けちでめんどくさがりやなのかな?全部やらないけど。ただただ床で寝そべって、たまに涙を流して朝になり仕事に行く。
多分、まだ必要だとは思っていないんだと思う。そうやって、手遅れになってから行動するのが私。まぁ、人間はそのような一面をもっている人もいる。
最近、グランドシネマサンシャインの「デューン砂の惑星2」のIMAX上映でスマホを光らせたとか話し声がうるさいとかでXの映画界隈が盛り上がっている。
映画ファンの端くれとして、どうしてそんなに映画ファンがキレるのかということについて話してみる。
劇場の構造やスクリーンの規格についても説明するがわかりにくい要素は省くのでその辺はご承知頂きたい。
グランドシネマサンシャインは池袋に2019年にできたシネコン(映画館)である。大小様々なスクリーンを備えていてさまざまな作品を上映しているところだと
考えてもらえればいい。この映画館にはレーザーIMAXシアターという特殊な上映室が存在する。簡単に言えば通常のスクリーンよりも大きいスクリーンを設置し、スピーカーも
それに合わせて高音質でサラウンドが効いている上映室だと思って欲しい。豪勢な設備な分通常の料金(2000円)より特別料金(800円、3Dの場合は1300円)が加算される。
また、ここのレーザーIMAXシアターは他の映画館にもあるIMAXシアターと違い、通常の画面サイズよりも縦に長く映画もその縦長なスクリーンに合わせた撮影をした映像が流れるため、普通の映画館よりも
見えない部分が見る事ができるようになっている。この設備は日本ではここ以外には大阪のエキスポシティにしか存在しないためこのIMAXで映画を見ることは映画ファンにとって
普段よりも高い金を払っている代わりに超特大(しかもここでしか見れない)映像と音響で鑑賞できる贅沢な環境とされている。
今回マナー違反で映画ファンがキレていたのは「デューン砂の惑星2」というSF映画の上映中にこういうマナー違反があったからだそうである。
映画は本編が始まると部屋が暗くなり目の前のスクリーンにだけ光が投影される状態になるのでスマホ以外でも光源を出すと隠していていても非常に目立つのと
何より映像が霞む場合があるので映画ファンから非常に嫌われるマナー違反だったりする。私も一回何処かでスマホが光ると画面に対する集中力が削がれてしまうので
そういうのを気にしている人が多いというのはよくわかる。映画ファンの思考からすると、映画館の中でも特に映画に浸る事ができるスペックの設備でやらかされているので
文句の一つでも言ってやりたくなるのだが、仮に怒鳴ったらその時点で自分自身もうるさい私語を放つことになるジレンマに陥るので対処するのに躊躇いが出てしまい
上映後にXで晒して注意喚起の名目で憂さを晴らすしかなくなる。その結果、グランドシネマサンシャインは映画ファンの中で「最高の設備があるのにクソな客をつかまされるシネコン」
と認知されつつある状況になっている。同じような理由で本編上映開始後の入場は映画ファンにとってはご法度で「間に合わないなら行かない選択をすべき」と宣う奴までいるほどだ。
映画ファンの視点からだとマナー違反に対していそうなるのだが、このシネコンには構造的な問題があるのでその点にも触れておく。
都心のシネコンなため、ビルに映画館が詰まっているような構造になっている。映画を見る場合、まず1階から4階までエスカレーターを登ってシネコンの入り口に行き
チケットを買うなり引き換えるなりしてコンセ(売店)を物色してIMAXに行こうとすると更にエレベーターで12階まで向かわなければならない。エスカレーターで向かっても
いいのだが他のシアターに向かう客に阻まれて間違いなく時間を喰ってしまう。おまけにIMAX階まで行くエレベーターが2機しかないので上映間近になるとエレベーターを待つ人で
行列ができてしまうほどだ。何も知らない人からすれば上映開始間際についたとしても1階から12階まで移動するのに無駄に時間を消費してしまう。そうして間に合っていたのに
上映時間に間に合わないなんてことが起こり得る。しかも、このIMAX上映室は入り口は場内の一番下に設置されているので仮に一番上の席を予約してた場合、どの列か把握するのは
暗闇の中では困難だろう。おまけに階段をずーっと上がっていく羽目になるので見ている側としてはうろうろしている変な奴がいるふうに見えてしまうからタチが悪い。
上映時間の20分前には劇場の入り口にいることをお勧めする。なんか買いたいなら見た後で。
スマホは電源を切ってみたくなる誘惑を完全に断ち切る他ない。それすらできないならどうしようもないだろう。
いつも競馬かアイドルやめてる子…同上。渋谷凛の友達。日曜の午後の競馬タイムラインにいつもいる。
確か3人組だったよね…思い出せない。
武内P…当時はアイドル達より人気があった。武内ってのが担当声優の名字であることを知ったのは最近。
緑の悪魔…Pが貧乏なのは大体この人のせい。ウマ娘にも緑の悪魔がいる。サイゲは緑に恨みあるのか?
社長…シルエットで出てくるのは知ってる。
にょほー…身長が高い。
夢見りあむ…公式いじられネタ枠。園児服も着る。おっぱいが大きい。
ものすごくおっぱいが大きい子…牛ビキニを着(させられ)ているFAをよく見た。
安部菜々…うわきつ。
樋口円香…ツンツンしてるけど実はPにチン負けしてる。湿度が高い。嫉妬の鬼。独占欲の塊。メス猫。都内のめっちゃいい家に住んでる親ガチャ勝ち組。
森久保…無理。
幸子…大体凹まされている。
高槻やよい…名前繋がりで誕生日に高槻市の弥生軒が聖地化する。見た目はよく覚えてない。
思いつく限り書いてみたけど、見返してみるとひどいな、これ。
子供の養育義務と相続くらいしかメリットないんだったら、もう婚姻とかせずに子供の認知だけする制度でもよくないか?
今は生物学的な親子関係なくても婚姻してたら嫡出扱いするような制度になってしまったんだし( 平成25年12月10日最高裁判例)、そんならもう自己申告で嫡出を認めるだけでいいじゃん。
子供を産み育てることを期待して税制や社会保険の各種制度で夫婦を優遇してたけど、結婚しても子供はいらないみたいなフリーライダーが大量に出てきたらもう無理だろ。
赤坂正浩氏は「少数の意見」として現行憲法の規定に同性婚を含むという解釈があることを認めてる。
樋口陽一氏は、憲法は「革命的」ではないと言っているだけで、同性婚を許容する意見が6割を超え、すでに「革命的」でもない現在に同じ意見が成立するかは疑問。
高橋和之氏も、憲法が「カバーしてない」と言っているだけで、同性婚を憲法が許容しないと言っているわけじゃない。
何より、これらを踏まえた政府見解自身が「想定していない」と言ってるだけで、「禁止したものと解することができる」なんて言ってはないよね。
これを踏まえて増田は札幌地裁の結論を「相当危険だ」と批判してるけど、その批判は妥当かなあ?
たとえば
憲法24条1項は文言上両性間の婚姻を定めているが、個人の尊重がより明確に認識されるようになったとの背景のもとで憲法24条を解釈することが相当である。(略)
これ。「社会情勢の変化」というのを増田はどうも近年の風潮を指していると理解している節があるけど、こと日本国憲法の解釈について言うなら、明治民法との比較において述べていると理解するのが妥当じゃないかね。つまり、「婚姻には戸主の了解が必要」としていた家父長制・家族制をベースとした明治の民法規定に対して「個人の尊重がより明確に認識されるようになった」日本国憲法における第24条の、両性の合意「のみ」という規定は、「結婚する二人以外の人の了解は(婚姻の成立において)必要とされない」という趣旨の条文であると解釈することが相当だろう、という意見。この点、札幌地裁の見解はきわめて穏当な解釈であり、個人的には十分納得できる意見だ。もちろん、その時点で同性婚が「想定されていなかった」という点については、全く異論はないよ?
でもって、「想定していなかった」事態が起きてきたときに、法の精神に則りどう解釈すべきかと議論するのは、言葉の意味からいって「解釈の変更」ではないんだよ。「解釈の変更」というのは、あくまで従来から「解釈A」があるのに、それに反する「解釈B」と差し替えようとするようなことを指すんだよね。これは、与党が交代しようが何しようが、国家体制が変更していない限り軽々しく変更してよいものではないはずだよ。近年では、慰安婦問題を最終的かつ完全に解決とした見解を、次の政権であっさりひっくり返した韓国さんの対応とか(あれには呆れた)、あと本邦でも大いに批判された「集団的自衛権」に関する解釈変更が記憶に新しい。あれ、世界各国の状況を理由にした強引かつ「危険」でまさに「ド直球」な解釈変更だったよね。これらについては当然増田も同意してくれると思うし、あの時はさぞあれらを批判してくれてたんだろうと思うんだけど。
それに比べれば、「想定していなかった」事態にどう処すべきかというのは、まさに現在の人々の意見・見解や国際的な潮流、そして立法の精神を踏まえつつ、新たに「解釈」を立てるだけのことであって、それ自体はむしろ必要なことだよ。あくまで憲法は「想定していない」。同性婚も、それに対する民意の大きな変化も。そして、「想定していない」事態が生じたとして、私たちの社会はそれに対応しないわけにはいかない。なぜならそれは、そこに厳然と存在する人一人ひとりの権利に関わる問題であり、何よりそれが憲法の他の条文
日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
とバッティングするおそれがある以上はね。
でもって「現在の人々の意見・見解や国際的な潮流、そして立法の精神」を考えた時に、憲法24条をもって同性婚が許容できない、許容しようとする解釈を作るのは「危険」だなんだと騒ぐのは、結局のところ、日本国憲法の条文を勝手に「同性愛差別」に利用しようという魂胆(歪んだ認知)をお持ちの場合だけなのではないかと思うんだ。まあ、増田の意見自体は勘違いによるものではないかと思うけどさ。そもそも憲法は、国民を縛るものではなく政府に対して国民の権利を縛るなよと規定するものだ。だから、24条は「結婚に第三者の意見がいるような法はダメ」、13条は「幸福を追究する国民に、最大限配慮しないとダメ」って条文なんだよね。国民を縛ってるんじゃなく、国民を縛ろうとする政府にストップをかけている。だから、想定されていなかった事態(同性婚)に対して、あたかも公式見解(解釈)がすでに存在するかのようにふるまい、ましてや憲法の条文をタテに国民の幸福追求権を阻もうとするなんていうのは、憲法解釈を大いに歪める行為であり、許せないよね。憲法解釈を大切にする増田なら当然賛成してくれることだと思うんだけど。
ただ、札幌地裁も、まだ同性婚に関する国民の意識が依然として議論の渦中であることを踏まえて、従来の法が憲法13条に現時点で違反しているとまでは言えない、という見解を取っており、これは増田も引用してくれているとおりだよね。個人的に残念ではあるけど、そこにも異論はないんだ。ただ、注意しておきたいのは、判決文に言う国会議論が進まず、同性婚を認める立法が進まなかったことが「憲法違反であることが明白になっていたとはいえない」というのは、当然ながら、国民の意識が高まり議論が成熟した暁には「(同性婚を妨げる法規定は)明白に憲法違反である」という意見と同義なんだよね。この点も、判決文を熟読した増田にはよく分かっていることだろうけど。
だから、「憲法24条で同性婚は認められてませんwお前らの大好きな憲法でなwwww」てやるのは、ちょっと完全アウトな行為であり、地裁判決はそういう連中に「御前ら、違うからね?」とまともなツッコミを入れただけ、その程度のものであって大騒ぎするようなものではないんじゃね?ってのが俺の解釈なんだけど。
インフルエンサー系コンテンツのコメントを見ていると「やさしい」と書かれているものをよく見かける。
「やさしい」コメントが多いということは、社会的に「やさしい」ということは重要なことなんだろうと推測できる。
同様に「いい人」とか「愛がある」とかも同じ意味使われている感じもする。
なぜ自分が「やさしい」コメントに意識が向いたんだろうかと考えて見たら、人に「やさしい」ことを求めていないからなのだろう。
自分にとって「やさしい」という言葉は「私の価値観に反しませんよ」「私にとって都合がいいですよ」という意味だ。
人に「やさしい」ことを求めていたら社会への認知が都合のよいものになりそうなので無意識的に反応をしているのかもしれない。
今度、「やさしい」に重きを持っている人に話を聞いてみたいなと思った。
ちなみに、私はよく人から「やさしい」と言われるが、ポジティブな印象が高い方が物事を円滑に進めることができるからだ。
ここでの「同性婚を想定していない」は、結婚は異性の間でしか認識しない、同性婚というものはその存在を国は認知しないという意味であることの説明がいるんじゃないの。
そうでないと、同性婚については想定されてない、まっさらな状態だから何でも可能なものだと自由に立法できるじゃん、みたいな間違った意味に取る人が市井には出てきちゃうでしょ。憲法改正しないと、国が同性婚を戸籍や納税を始めとした制度に取り込んで扱えないんだってことを知ってもらうためにははっきり書かないと。
あまりにも多すぎて取り上げられないので。
自己の意見ではなく憲法学の通説的な見解はこうだって紹介してるものに対して「わたしの考えた最高の見解」が数多く。別にいいけど。
それに対して岸田総理は「憲法は同性婚を想定していない」と発言し、はてブやX他のSNSなどで、主にリベラル左派からの批判が集まっている。
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
この「両性」というのは「男女」という二つの性を指すというのが政府見解、それに限らないというのが今回の札幌高裁の判断だ。
少なくとも同性婚に関して言いますと、これは議論がありますが、日本国憲法の場合には二十四条で法律上の婚姻が尊重されるべきであるという規定があって、そこには婚姻は両性の合意に基づくということになっていますので、通常の解釈は、法律上の結婚は男性と女性と、両性というのはそういう意味だと。
もちろん、ラジカルに、両性というのは二つの性ということなので、男性と男性、女性と女性というのも解釈上あり得るというごくごく少数の説がありますが、一般には日本国憲法の現行規定で同性の法律上の婚姻を認める制度は設けられないことになっているんだと思う
憲法24条は(略)同性のあいだの結合をも『家族』とみとめるほどには革命的ではない
婚姻の自由については憲法24条が保障しているが、近年議論され始めた同性間の結婚まではカバーしていないというのが通説である
近年(2017年)においても憲法学会の通説では同性婚は憲法の保障するところではない、とするのが憲法学会の通説であり、政府見解は正しいと思われる。
どちらかというと札幌高裁の方が憲法解釈を変えようとしている、と理解した方が良いだろう。
ちなみに高橋先生は芦部門下として憲法学のスタンダードだった「芦部憲法」の補訂を行っていた人物で、戦後憲法学の本流と言っていい。
また、樋口先生はよりリベラルな立場で、立憲デモクラシーの会代表として安倍政権の事実上の解釈改憲(厳密に言うと政府は解釈改憲はしていないという立場。ややこしいが。)を批判しており、同会はその後市民連合に発展的解消をしている。
憲法24条1項は文言上両性間の婚姻を定めているが、個人の尊重がより明確に認識されるようになったとの背景のもとで憲法24条を解釈することが相当である。(略)
社会情勢の変化により憲法解釈を変更すべきとのこと。まぁ分からなくもないが裁判所がそれを言うのはどうなんだろう。
例えば有名な尊属殺重罰規定の違憲判断について、最高裁は「社会情勢の変化」などは理由にせず、「目的に対する法定刑が重すぎる」ことを理由にしている。(社会情勢の変化に対応するのは立法府との判断だろうか)
同性婚を可能とする国は多く、国連自由権規約人権委員会は、同性婚を享受できるよう指摘している。国民に対する調査でも同性婚を容認する割合はほぼ半数を超えている。
地方公共団体により実施されているパートナーシップ認定制度は自治体による制度という制約があり、本件規定が異性間の婚姻以外について一切手当をしていないことに鑑みると、 同制度によって同性婚ができないことによる不利益が解消されているということはできない。
法の支配とはかなり異なる考え方で個人的には危険なことを言ってるように思えるが、最高裁はどう判断するのであろうか。
(各国の状況で憲法解釈が変えられるなら9条周りは解釈改憲し放題だし、世論の動向で憲法解釈が変えられるなら刑事司法関係の人権保護上かなり危険だろう)
国会には立法の裁量があるが、同性婚を許さない本件規定について、国会の議論や司法手続において憲法違反であることが明白になっていたとはいえない。同性婚立法の在り方には多種多様な方法が考えられ、設けるべき制度内容が一義的に明確であるとはいい難い。同性婚に対する法的保護に否定的な意見や価値観を有する国民も存在し、議論の過程を経る必要があることも否めない。そうすると、国会が正当な理由なく長期にわたって本件規定の改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできない。
この場合、国側は裁判には勝っているという理屈で最高裁に上訴できない。
今回の場合は賠償が認められなかった点で原告側が上訴してくれたから最高裁の判断が仰げるものの、原告側が「違憲」判断が出たことに満足して上訴しなかったら議論が宙ぶらりん(高裁での違憲という裁判結果は残るが政府はそれに拘束されない)になってしまうところだった。このシステムも妙に思える。
そして、最高裁の判断のないこの時点で政府が憲法解釈を変更するというのはまさに行政府による「解釈改憲」となる。(いわゆる戦争法案のときは、政府は「解釈改憲をしていない」と位置づけていたにも関わらず、樋口先生たちだけでなく立憲民主党や共産党もそれを強く批判していたはずだ。それに比べても今回はド直球の解釈改憲になる。)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_65f17930e4b01707c6d2759b
◯想定していない以上制限もしていないわけだから、憲法解釈でごちゃごちゃいうよりも通常の立法措置でOKなんちゃう
◯想定していないがだからダメというわけではないでしょ。だいたい両性っていうのは本人同士が決めるものって意味だし。
(他にも複数あったけど全部取り上げるのはめんどくさい)
条文読み直してみてね。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」するんだよ。
両性の合意がない以上、それに準ずる制度は作れたとしても憲法上の婚姻には該当しないって理屈付けしなきゃ無理。
「まっさらな状態だから自由に可能なものだと立法できるじゃん、みたいな間違った意味に取る人が市井には出てきちゃうでしょ」
ごめん、本当に出てきちゃったね。こんなに読解力に欠ける人が多いとは思わなかったんだ
◯コメントにある両性以外の同意を法制化したら憲法違反になるよ。両性の同意のみなんだから。だから同性婚推進の方々は両性の意味をこねくり回している。
◯ここでの「同性婚を想定していない」は、結婚は異性の間でしか認識しない、同性婚というものはその存在を国は認知しないという意味であることの説明がいるんじゃないの。
そうでないと、同性婚については想定されてない、まっさらな状態だから自由に可能なものだと立法できるじゃん、みたいな間違った意味に取る人が市井には出てきちゃうでしょ。
“両性の合意のみに基いて成立”は“親など本人以外の合意が要らない”という意味で両性が“男と女”を強制しているわけじゃない、というのが憲法学者の見解なのでは。/
両性というのは二つの性ということなので、男性と男性、女性と女性というのも解釈上あり得るというごくごく少数の説
ですね、独自解釈ありがとうございます。
もう終わり打横の苦に
https://www.nhk.or.jp/shutoken/yokohama/article/019/71/
相模原市は大手電機メーカーNECが独自に開発した生成AIを、去年全国の自治体で初めて導入し、自治体業務に活用する実証実験を進めています。
まず、市長が答弁に盛り込みたい点として、
▼既存の概念にとらわれない、新しい発想を生み出していくことと、
▼職員が使いやすいよう、周知していくことの2点を職員に伝えました。
入力するとすぐに答弁案が示され、盛り込んでほしい2点がしっかり反映されました。
「認知度を高める」「周知する」など、内容の繰り返しがあって文章が長い上、「活用を促進して参ります」「視野に入れております」といった硬い言い回しが目立ちます。
生成AIの答弁を原案に職員が修正を重ねて分量を減らし、耳で聞いてわかりやすいよう、易しいことばに書き換えることにしました。
ここでいう「メタ展開」とは、作中の物語が、読者やプレイヤーといった受け手の現実世界を認知して言及してくる
あるいは受けて自身が物語の構造に重要な役割を持っているという感じの展開を意味している
具体的な作品名を挙げるとだいたいネタバレになることが多いのだが、
それまで傍観者だった読者がゲーム内のキャラから呼びかけられて彼らを救うみたいなやつだ
だが一定数の作品に触れてしまった今、どうやら俺はメタ展開に完全な耐性を得てしまったらしい
新鮮な驚きや感動が得られなくなってしまっていることに気づいた
おおむねどちらかに当てはまる
小説なら読者自身が犯人だったり、ゲームならUIに関連する演出が入ってきたり、できることが限られてしまう
もっと楽しみたいと思うのに、彼らは絶対に紙面や画面からはでてこない
「どうせこうくるんだろ」というのを超える作品がもはや存在しえない
本当に悲しい
日本人の認知度でいったら98%くらいあると思う製品を作ってるJTCで働いてる文系増田(人事)だけど
「理系」と「その他」って感じになってると思う
大卒以上の文系は基本的に欠員補充、しかも経理とかの専門的知識が欲しい職種でかつ経験者のみって感じでしか募集がない
それか工業高卒とかオペレーター職に大卒で応募するしか枠がない
昔は文系営業職とかもあったようだけど、製品の専門性が増して技術営業しかなくなってしまった
ボーナスとかも理系の採用の技術職や研究職だけ上乗せがあるけど
俺の会社だけかなあって思ったら今日は九州電力が理系の技術系従業員のみ奨学金の補てんを行うってニュースを見たから他のところもそうなんだろうなあって思った