はてなキーワード: 自虐とは
多分婚活で苦しんでる人なら喉から手が出るような、容姿的な魅力が散々詰め込まれた人でも
もう自分が生きてる時間が少しでも短いほうが幸せってことでしょ
春馬くんもそうだけどさ
幸せってなんだろな
整形狂いやルッキズムがどうのこうの
現実見て欲しい
https://bunshun.jp/articles/-/57886
こんだけ可愛くて実家太くても死んだほうがマシって感じるのが人生だぞ
美人になってもお前の欲しい物が手に入るわけじゃねえんだよ
悩むのはそこじゃない
羨ましいって反応を目で確認しないと不安になりますって言ってるようなもん
まともな人間(これをしたら周りはどう感じるの経験ストックがあり冷静に判断できる状態)は財産なんて隠す一択だよ
金持ちだったり、金持ちと結婚できたのに、愛に飢えて馬鹿なことする人をたくさん見てきた
これが欠けてると年収600万の弱者ですとかキモポエムを書かずにはいられなくなってしまう
しかもアホなのが、恋愛や結婚だけがそれを埋められると思ってる
まずどれだけ増やしても誰も傷つかない無敵の存在「友達」を手に入れろ
友達だけは作れ
それだけでいいんだよ人生
一度に1人しか選んではいけない結婚とか難易度高いのに手を出せ
っていうか友達を大事にするに人間が結婚願望本気で相談したら、まわりが勝手に良い縁談持ってくるんですよね
これが一番近道で祝福と幸せを得られるのになあ
焦って結婚相談所に金積んで相談員に友達のポジションを丸々ビジネスで埋めてもらってコスパいいとか一番確実とか馬鹿かって思う
自閉がインターネットで自閉あるあるを書き込んで肯定しあって、定型を僻んだり叩いたりしてたのが非モテの文化でしょ
「彼女ができても結婚しても非モテが治らない」みたいなことを言う人が昔からいたけど、そりゃ自閉は先天的なもので一生治らないんだから当たり前でしょ
そんで高学歴の自閉がキャッキャしてるところに、知的障害グレーゾーンみたいな知能の低い自閉が入ってくると
「お前はちょっと違う。ここは、そういう感じではない。爆サイとかに行ってね」って排除してる、それがはてなとかの文化でしょ
同類が集まってキャッキャして、クオリティ的に違う感じのやつを排除するムーブって、健常者・陽キャだけがやるように見せかけて自閉でも全然やるよね
陽キャが容姿とノリで足切りするのと同じように、高学歴の自閉はIQで足切りしがちってだけ(そして陽キャの行為だけをルッキズムだ差別だって言う)
はてなみたいなインターネットで高学歴陰キャあるあるみたいなことしてたのって自閉版のキャッキャじゃん
非モテ、陰キャ、チー牛とか言われてネットでバズったもの要するにだいたい自閉でしょ
カドショとか撮り鉄とか、異常なオタクが多いっつって叩かれる対象も自閉ホイホイの趣味だよね
小野ほりでいあたりがtogetterの媒体で自虐のエクスキューズを入れながらイジってた対象も自閉だよね
自閉がインターネットで自閉の集まる場所を探して、「これがインターネットだ」みたいな感覚を持っていたりするけど
インターネットはもう自閉でなくても使うし、自閉にはついていけない文化圏もあるんだけど、自閉は自閉界隈のことしか知らないよね
これです。→ https://hiyokomagazine.hatenablog.com/entry/63
私怨に過ぎないのでここに書いてるんですが、この手の童貞自虐芸って女性が安易にマネていいものじゃないと思うんですよね。
ブクマ数は今の段階で一桁程度だし、ブコメも人畜無害なものしか並んでないんですけど、こんなのが受けると面白くないんですよ、僕が。
昔のテキストサイトの非モテ自虐芸みたい感じで締めてくれてますけど、この手のおもしろ系独白って、多くの男はこうしないと気が狂いそうだからテキストに吐き出していたんであって、これは非モテ男子の魂の呻吟というか怨嗟というか、そういうものですよ。
だからこそみじめな、みっともない、ダッサい嘲笑の対象である童貞どもがネタとして笑い飛ばして何とか精神の平衡を保つことができたものなんですよ。
それをね、いくら「自分が男だったら」みたいなエクスキューズ付けたってね、29歳OL様が面白ネタで安易に童貞出してくんなって話ですよ。
いや、それに匹敵するような強烈なマイナスが貴女にあればまだしもよ? 芥川賞の市川沙央とかみたいな
ブログ見るに普通に彼氏様がいる(いた?)ような量産型サブカル気分のOL様に安易に童貞弄りしてほしくないんだよねマジで。
”ニート”という言葉はインターネットが無かったらここまで広まらなかっただろう。
かつて2ちゃんねるで盛り上がっていた『天下一無職会』は自虐文化の最たるもの。
自虐文化が中心にあるのは歪んでいるが、それで一定の平和が保たれていた。
かつてのインターネットはいかに人よりも劣っているかでマウントを取る世界だった。
→これによりいかに相手より優れているかを競う、外と同じ世界になった。
→上に書いた自虐の文化も所詮一定の余裕があった上での自虐だった。
昔も不登校の引きこもり学生や無職のおっさんだって居た筈だが、ネットの中心は”将来ニートになりそうな暇な大学生”だった。
彼らが自分たちの微笑ましい不幸を面白おかしく誇張して主張していた。
「今はこんなんだけど本当にどうしようもない無職ニートにはならないよね。」という余裕があった。
3、いかに他者より優れているかでマウントを取る世界になったこと。
ここまで書いてきたように今は当時と本当に真逆の世界になっていて
まさに自分が思っていることがドンピシャで書かれててびっくりした。
もともとジェーンスーが好きで、聴き始めた頃は、単に女性がパーソナリティということではなく(そういう番組は多いが、ほとんどは明らかに男性に媚びたつくり)、完全に女性目線のラジオ番組というのが新鮮だったし、扱っている相談の内容も恋愛やダイエットを中心に、彼女自身の自虐を交えた軽い相談が多かった。
しかし、最近扱っている相談内容は、割と重めのものが多く、とくにキャリア女性の転職の悩みとかがやたらに多い。他にも老親との関係とか、夫との家事育児の分担とか。他方で、そもそも異性経験が持てないとか、会話の空気が読めなくて友達もできないとか、どの職場でもパワハラやいじめに遭うとか、そういうレベルの悩みは全く扱われない。文字通り、優秀かつ「頑張っている人」で、その上での悩みしか出てこない。だから重めの悩みとは言っても、自分の目から見ると実際は大して重くはなく、軽いものとして扱うこともできるはずだが、最近のジェーンスーはとにかく重く扱う傾向がある。
「与えられる仕事が重くてプレッシャーで・・・」という、少し消極的な姿勢の悩みが扱われることもあるが、そういうときは結構冷たくつき放つことが多い。「断ればいい」「はっきり言えばいい」とか、性格的にそれができないから悩んでいるのに、という回答も目立つ。
「新海誠好きの元彼」が何を指すのかについて誤解が生じているようなので下の方に追記しました。
新海誠好きの元彼についてアンケートを取り元彼達についての同人誌を出す企画があったが、その企画に対して「新海誠好きの元彼」を馬鹿にしているとの批判が出たことから、企画が延期(中止?)になったらしい。
「新海誠が好きだった元カレ」がいた人々にインタビューしてみた|ペシミ
「新海誠好きの元彼」同人誌企画への3つのモヤモヤ、あるいはごく個人的な悲しみについてのこと - ささやかな終末
おそらくこの批判をした人も、そして野次馬の多くも「新海誠好きの元彼」ではないだろう。別に「新海誠好きの元彼」を代表するつもりはないのだが、そのうちの一人として意見を表明しておくことに何らかの意味があるかも知れないと思い増田に書いておくことにする。
先に結論を書いておくと、この投稿で主に自分が伝えたいのは「新海誠好きの元彼に関する同人誌」を是非世に出して僕たちの古傷をえぐって欲しいという意見表明であるとともに、そこに少しだけ当時(現在のではない)感じたであろう愛情を添えておいてくれると助かるというお願いである。
まず自分の「新海誠好きの元彼」としてのバックグラウンドを話しておきたい。僕が新海誠作品に出会ったのは高校一年生のときである。中学三年生の時いい感じだった同級生がいたもののお互いに奥手だったので付き合うには至らず、卒業と同時に単身赴任中の父親の勤務先近くに引っ越してしまう彼女との別れを経た僕に当時話題になっていた秒速5センチメートルは死ぬほど刺さった。その後大学生になってからその同級生と5年間遠距離恋愛をしたり(因みに再開した当時桜木町でバイトをしていた、そんなとこにいるはずもなくもなくもなくもなくもなかった。)、彼女の家から帰る時に毎回涙ぐむのを彼女にバカにされるのが定番化したり、夜行バスの中で長文LINEメッセージを生成したりといったような自己陶酔、ロマンチシズムの激しい人間が自分である。
そんな自分なので上記の新海誠好きの元彼がいた人へのインタビュー記事を読んで自分にも間違いなく「新海誠好きの元彼」としての要素があると思ったし、自分と似た人は世の中にそこそこいるのだろうなとも思った。インタビュー内容からは「集団の中では浮いている教室の隅で本を読んでいるタイプのオタクなんだけど、恋愛にはそこそこ興味があって一部の物好きな女性の心をくすぐることがある」というようなイメージがなんとなく浮かんでくる。つまり「新海誠好きの元彼」とは、単に新海誠が好きなだけでなく「遠野貴樹」や「秋月孝雄」、「寺尾昇」といった新海誠初期~中期のウジウジとした主人公に感情移入し、心の中に彼らが住んでいるような男性を指しているのではないかと思う。
まず新海誠好きの元彼同人誌(以下、元彼同人誌と言う)が一方的に元彼をバカにするだけの目的で作成されるというのは誤解を含んでいるのではないかと思う。正直、インタビュー記事の中には自分の行いが書かれているようで目を背けたくなるものもあり、古傷をえぐられる羞恥心となんとも言えない快感に襲われた。あのインタビューはバカにしているかいないかで言えば、バカにしている要素を含むのだろう。一方でそこに当時受け取った愛情も同時には感じなかったというと嘘になる。企画者自身も弁明しているが、同人誌の企画の趣旨には「新海誠好きの元彼」と付き合っていた自分という自虐も含むらしい。これは受け取り方によっては「こんな馬鹿な男と付き合っていた私」という追い打ちとも取れる(というかそう取っている人が多いように見える)が、おそらく真の意図は『そんな男を好きになっていた私も同じ穴のムジナ』という意味でありまたそんな思い出も忘れがたい青春の1ページとして同人誌の形で残す意図も含まれているのではないかと思う。なお過去の美しい(?)記憶や思い出をわざわざ言葉という劣化コピーの形で残すのが新海誠作品の読解的に正しい行いなのか、という議論はここでは置いておく。
そもそも論で言うと、自分は新海誠に会ってから新作を見るたびに(あるいは動画を見返すたびに)傷つけられてそれが快感になっている。そして「新海誠好きの元彼」の中には同類が数多くいるのではないかとも思う。成長した元彼が元彼同人誌を見て「こんな馬鹿なこともしたな、懐かしいなぁ」と心中悶え苦しみながらも穏やかに過去の自分、そして成長した自分に向き合う、そういった同人誌になるのであればウェルカムだ。ただ本当に馬鹿にされているだけの同人誌だったら後で泣いてしまうと思うので、どうか当時の愛情を少しだけ添えておいて欲しい。
自分は元彼同人誌が読みたい。そして忘れている過去の恥ずかしい思い出を掘り起こされて悶絶しつつ『あの頃』に浸りたい。きっと共感してくれる元彼もいると思うし、それを発信することで企画が前に進むこともあるのではないかと思う。もちろんそんな思い出は見たくもないというのであれば読まなければ良いし、そんなものが世に出ること自体が許せないなら反対の声を上げるのも自由だ。ただ今は自分たちの声が置き去りにされて無関係の人達だけで議論が進んでいるようなので、当事者として声を上げることが大事だと思う。
結果的に余計なお世話だという趣旨の記事になってしまったが、元彼の中には自分の気持ちを代弁してくれてありがたい人もいると思います。代わってお礼を言わせてください。ありがとうございます。
「新海誠好きの元彼」について少しだけ補足させてください。「新海誠好きの元彼」を定義することは元彼同人誌がやるべきだと思ったのであえて本文中ではボカしたのですが、それが「新海誠の男性ファン」とイコールで捉えられることは本意ではありませんでした(元彼同人誌炎上の根本的な要因も、「新海誠好きの元彼」が指す範囲のボタンの掛け違いなのではないかと思っています)。実際の「新海誠好きの元彼」が指す対象は「新海誠の男性ファン」よりも(今となっては)かなり狭く、あえて乱暴に定義するなら「新海誠初期~中期の作品が感傷マゾの性癖にクリーンヒットしてしまった人」でかつ「現実の男女関係にも感傷マゾの性癖を持ち出してしまう」ような人達のことを指すのではないかと思っています。なんなら新海誠作品に出会っていないが「新海誠好きの元彼」的な性質を持っている人もいるはずで、「新海誠好きの元彼」の「新海誠」とはあくまでも当時感傷マゾをしばき倒していた代表格としての意味しか持たないと自分は理解しています。(この辺りが同人誌作成過程の調査で明らかになると良いと思っています。)
そんな気持ち悪い、本質的には新海誠作品とあまり関係ない生物の呼称に新海誠の名前を使うのは失礼という指摘に対しては、まあ一理あるけど概ね当然の報いなのでは?というのが自分の偽らざる気持ちです。