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2017-03-20

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中津川市鉱物博物館に行ってきましたわ。

特別展で木彫りの水族館が開催されていました。

身近な魚を彫刻して塗装した作品がところせましと並べられていましたわ。

鉱物がまったく関係なかったですわ。

でも、リアルな魚の模型がずらりと並んだ様子は壮観。

そして、マサバの展示がありました!!

海なし県の博物館でついにサバに遭遇ですの。

さすがはわたくし緑色が美しいですわ!



出世魚名前説明で「ぶり」は関東関西

ゴールの「ぶり」表記けが同じ。

「すずき」はスタートの「せいご」も同じだけど中間けが

関東関西中部で違っていることを知りました。

せっかくの立体なのに片側しか見れない点がおしまます



常設展はちゃんと鉱物博物館です。

坪井さんという方が寄贈されたトパーズ結晶シャープで、

わたくしの胸元を飾らせてさしあげてもよろしくてよ?

という気分になりましたわ。おほほ。

2017-03-09

けものフレンズ最終話

http://anond.hatelabo.jp/20170309173858

遂にカバンちゃんに追いついたアライさんとフェネック

カバンちゃんの野望を阻止しに来たと語るアライさんだったがカバンちゃんは何の事なのか理解できない。

しかしその時ボスが光りだし2人の持っていた羽を吸収する。

そしてボスバスに乗り込みもうすぐ出発すると告げるのだった。

慌ててバスに乗り込むカバンちゃん一行とアライさん一行。



バスサンドスターを吹き出す山の近くへと辿り着く。

山の近くには多数のセルリアンがいたがボスが出す光を浴びると慌てて道を譲る。

セルリアンの開けた道を進みバスは山のすぐ近くの洞窟へと向かう。

洞窟の奥の行き止まりの前でボスが音声入力を行うと行き止まりが横に開きバスが通れる大きさの道が出来る。

道の奥には近代的な地下施設が広がっていた。

地下施設を進むカバンちゃん達はボスの音声案内によりサンドスターがヒトの不老不死研究によって生まれた事を知る。

サンドスターの正体は結晶化された生物記憶を次の肉体へと移すものだった。

本来クローン培養されたヒトの肉体に対して使用して前世記憶を持ったまま新しい肉体で生まれ変わる事が出来るという画期的発明だったのだ。

当然のようにその実験はヒト以外の生物を使って行われた。

研究の結果、元となる生物の肉体的データを加えることでサンドスター移植成功率が上がることが発見される。

それと並行して動物実験データをヒトのサンドスターで応用しやすくすべきだという気運が高まっていく。

そうして生まれたのが動物サンドスターにヒトの肉体的データを加え、それを動物と融合させるフレンズ化の技術であった。

その後色々あってサンドスター研究所の近くにジャパリパークが出来たのであった。

だがこの研究には隠蔽された欠陥があった。

肉体とサンドスターの相性が悪いとサンドスターは肉体へと溶け込むことが出来ないままフレンズ化の機能暴走させセルリアンとなってしまうのである

その事実公表されないままサンドスター研究は進み、実用化が近くなるに連れて自分の復活を信じて死ぬ寸前の意識サンドスターへと移し替える人々も増えていった。

そうして生まれた大量のヒトや動物サンドスター研究所で厳重に補完されていたのだが……



ある時、フレンズ化や死者の復活に対して宗教的に反対してきた勢力が遂にテロリズムを敢行し、サンドスターの保管施設を開放してしまう。

放出された大量のサンドスターは周囲の生き物を次々にフレンズ、またはセルリアンに変えていく。

これはヒトも例外ではなかった。

人類セルリアンが蔓延サンドスターの吹き荒れるジャパリパーク危険視して封印を決定、そうしてジャパリパークは限られた人間以外の立ち入りが厳重に禁止されることになる。

そうしてセルリアンが消えた後にはサンドスターが残されていた。

サンドスターの改良により、一度フレンズ化した生物セルリアンがその生涯を追えたりセルリアンに飲まれると自動的に体に溶け込んだサンドスター記憶を引き継ぎ飛び出すようになっていたのだ。

そのサンドスターラッキービーストの手によって回収され、自動的に保管施設に戻される。

しかし保管施設ロックは開放されているため戻したサンドスターの多くは山から少しずつジャパリパークへと漏れ出していく。

そうして放出された一度フレンズ化を成功したサンドスターはなんとジャパリまんと混ざることによりジャパリまんを変化させそのフレンズとなるのだった。

フレンズにとってジャパリまんが最高の栄養なのはフレンズの体を構成する物質がそもそもジャパリまんだからなのである

だがこれによる記憶継承は完全には行われず、とりわけ複雑な自意識人格に当たる部分はほとんど抜け落ちしてしまう。




当初こそジャパリパーク全体に広がったセルリアンであったがいつしか彼らは山の周辺にばかり多く住むようになっていた。

何故そうなったのかは定かではないが濃いサンドスター匂いに惹かれているのではないかボスは言うがポンコツなので信用できない。

それによってパークは表向きはたまに危険な事がある程度の楽園へと変わっていくのであった。

だがヒトが戻ってこれる場所にはならなかった。

パークにヒトが入ってくるとそれを嗅ぎつけたセルリアンが襲ってくるのだ。

セルリアンはフレンズ化した生物も襲うがそれ以上にフレンズでもセルリアンでもない生身の肉体に強い執着を示すらしい。

また吹き荒れるサンドスターに触れてしま危険もあった。

カバンちゃんが無事なのはカバンちゃんもまたフレンズからである

そしてカバンちゃんはヒトのフレンズである

ボスはそう説明した。



自分フレンズであることを知ったカバンちゃん。

ヒトの記憶知識が他の動物と比べ膨大であることからヒトのフレンズ化は成功の事例がまだ確認されておらず奇跡的だとボスは語る。

更にボスが言うにはジャパリパークに散布されたフレンズ化を安定させるシステムやジャパリまん無しではフレンズは長くは生きられないらしい。

それを聞いて外の世界に行けばヒトがいるだろうがその世界フレンズがどれほど生きられるかは分からないとフェネックが言う。

海の前で引き返せて良かったと安堵するサーバルちゃん。

そしてカバンちゃんがヒトであることが分かりいよいよ興奮しだすアライさん。

アライさんが言うにはヒトはジャパリパークを滅ぼそうとしているようだ。



そんなことないとカバンちゃんは語るがアライさんは信じない。

アライさんはパークの視察に来たヒトの話を盗み聞きしてヒトがパークのサンドスターシステムを止めてジャパリパークを取り戻そうとしている事を聞いたと言う。

それをしたらフレンズである自分も消えてしまうと説明するカバンちゃん。

数秒固まるアライさんにフェネックが耳打ちするとようやくアライさんは話を飲み込み謝りだす。

カバンちゃんが望むのならそういう事が出来ないわけではないと聞くボス自分はそういう事をするつもりはないと答えるカバンちゃん。

来た道を戻り研究所を後にする一行。

帰り道のバスの周りを埋め尽くすセルリアンを見てかわいそうだねとサーバルちゃん。

バスが山から遠ざかる頃、もうアソコには行かないほうがいいとカバンちゃんは言いボスもそれを了解する。

自分出自も分かったけど次はどうするのかと迷うカバンちゃん。

アライさんはお詫びに家に招待するという。

どうせ何もない所だけどとフェネック

いっていいのー!いってみたーい!とサーバルちゃん。

サーバルちゃんの方を向きまだ自分に付き合ってくれるのとカバンちゃんが聞くと、私たち友達なんだからこれからも一緒に居ようとサーバルちゃんは答える。

4人を乗せたバスサバンナをどこまでも進んでいく。

ワイワイと4人が会話する声が少しずつ遠ざかって行き物語は終わる。

2017-03-07

中出しセックス結晶である赤子をみんな可愛がると思うなよ

赤子の写真をばらまくやからに言いたい。赤子なら誰もが無条件で可愛がると思ったら大間違いだ。忌避する人間がいることもお忘れなく。赤子はセックス象徴であり、結晶である。赤子を見て思い起こされるのはそれを抱いている若妻の中出しセックスだ。SNSにて赤子の写真を見かける度に、中出しセックスを見せびらかせられているような気分になり気持ち悪い。赤子には罪がなく、赤子が嫌いなわけでもない(好きでもない)。赤子の写真が嫌いなのだ。それを「カワイイでしょう」と言わんばかりに見せびらかすやから中出しセックスが思い浮かんでうざい。自分自分の赤子をかわいいと思っているなら、是非とも自分の中だけで留めておいてほしい。赤子承認欲求を爆発させて写真を見せびらかすのはよしてほしい。中出しセックスを見せびらかせられているような気分になるからだ。

2017-02-27

ラブライブ!サンシャイン!!って本当に「こわい」

ラブライブ!サンシャイン!!ライブに参加したお話です。

昨日今日横浜アリーナで開催されたこのライブ、本当に素晴らしい内容でした。

私は2日目は残念なことに昨晩から体調を崩してしまったため、初日のみの参加でしたが、本当に満足のいく、多幸感の溢れるライブでした。

なかでも、アニメ劇中シーンを再現した「想いよひとつになれ

ステージ上部にピアノが設置され、桜内梨子さん役の逢田梨香子さんが懸命に目の前の88鍵と向き合う姿に心を揺さぶられました。

鍵盤を押す指が震えており、間違えないように慎重に…という心情が顔に表れており、それが大きなスクリーンを通して客席や全国の映画館へ流されているのかと思った時には、本当にこんなことしていいのかとも思いました。

ピアノ経験もなかったことでしょう。まさか、そんな自分横浜アリーナで1万人を越えるファンの前でピアノを弾かされるなんて思ってもいなかったことでしょう。

彼女が当初、この構成を発表された時にどんなキモチになったのか、そもそもいつどこでどんなふうに発表されたのか、1人のファンである私には想像余地もありません。

もし自分が同じ立場だったら、泣きながら拒否する以外に道はないと思います。怖いもん。

それでも、逢田さんは初日の公演で見事に弾ききりました。本当に心に訴えかけてくるようなパフォーマンスでした、ありがとうございました。

さて、本日の公演。

私は参加していない身分なので自分の瞳で確かめていないことなのですが、どうやら演奏途中で間違え、曲も止まってしまったんだとか。

肩を震わせる彼女のもとに、すぐに他のメンバーが駆け寄り、その後もう一度はじめからやり直したんだとか。

もしこれが本当なら、本当に頭が下がると同時にめちゃくちゃ「こわい」と思いました。

まずは逢田さん、本当にお疲れ様でした。頭が下がるばかりです。是非ともその場で応援させてもらいたかった。

そして、これってスゴくこわい問題だなって思いました。

奇しくも今日の公演でピアノを間違えて曲を止めてしまったこと、偶然です。

しかし、このハプニングがありライブは俗に言うエモい状態に入り、多くの観客の感動を呼び起こしたことでしょう。

よく「ハプニングを楽しもう」「ライブハプニングは付き物」と言われますが、毎回毎回こんなハプニングがあったんじゃ観てるこっちも仕方がないです。

うまく表現できないため言葉の綾があるのですが、それでエモさを感じるのってすごいこわい問題じゃないですか?

μ'sの3rdライブ体験した方なら同意いただけると思うのですが、個人的彼女たちの全てのライブを通して、最も印象に残っているMCと言われ、3rdライブアンコールでのあのシーンを挙げる方々が多いと私は思っています

端的に言えば「演者の泣く姿を垣間見たい」そして「頑張れ」って言いたいっていうエゴ権化みたいなアレ。

昨日の伊波さんのMCで印象的だったのが、多くの観客が執拗拍手をしていたのに対し、「泣かせようと思ってるでしょ!」とバッサリ切ったあの場面。

あの一言で、図星を突かれた方々もいたのではないかと思います

しかたから泣く、悲しかたから泣く…涙には様々な種類がありますが、感情の経過と変化の結晶が涙だと私は考えています

決して、私たちが左右できるようなものではない。しかし、それを意図的に求めようとしている、つまり多少のハプニングに姿を表してほしいと思っていること。(今回のピアノの一件では、流石に観客側も一瞬凍りついたと聞いていますが…)

それって不健全じゃないですか?

というかそもそも、ピアノ初心者ピアノを弾かされるってこと自体がスゴい異常なことだと思っています

これはAqoursや多くのアーティストパフォーマンス全てに言えることだと思います

私もいくつか楽器を嗜んでいるため、パフォーマンスをする側の精神をある程度は理解しているつもりです。私の場合、多い時には何百人以上の観客を前に演奏披露することがあるのですが、やはりライブをするというのは楽しいです。

一方で、練習はやはりストレスが重なりますあくまでも私の想像ですが、Aqoursダンスレッスンなどでも様々なストレスプレッシャーがあったかと。そして特に。今回のピアノ披露は何よりもまず、彼女プレッシャーが画面越しに伝わってきました。人ってあんなにも必死な顔をするものかと。

しかに感動は産んだかも知れませんが、私のフォロワーさんの言葉を借りれば、彼女を追い込んでいたのは言うまでもないと。

ライブで自他共に楽しむため、もっとライブを盛り上げるため…というのを重々承知の上で、それでもやはりあのピアノの一件は本当に大変だったんだろうなと感じました。そもそも、そんなこと本当にやらせていいのか。マジでわかんねぇ。書き掛けの文章な上に、自分でも言葉の綾が多く見受けられる文章なのですが、これ以上の表現が思いつかなかったため、ここで筆を置かせていただきます


ダンスの話になるのですが、あれだけの時間を掛けて、あれだけ完成度の高いステージ見せるのってラブライブ!くらいですよね。

以前、μ'sの飯田里穂さんが仰っていたことですが、ラブライブ!のリハは本当に長期スケジュールだったとのこと。おそらく、今回のAqoursもそうだったのでしょう。

そのせいか、他のライブでは感じられないような感動を覚えることが多々あります

このような完成度の他に、ラブライブ!ではなく、ラブライブ!サンシャイン!!だけで私が感じたイメージが2つあります

ひとつは、年齢が近いこと。

私は現在21歳で、Aqoursメンバーとも歳が違いのですが、本当に同年代なのかと頭をひねるくらい、彼女たちは本当に輝いている。

特に渡辺曜役の斉藤朱夏さん。彼女ダイナミックながらも指先まで繊細にコントロールされたダンスには本当に開いた口がふさがりませんでした。きっと、あのステージに上がるまで何年も何十年もの積み重ねがあったことと思われます

年齢が近いせいか、μ'sの頃は少しお姉さんくらいに見えていたメンバーも、Aqoursでは明らかに他人事ではない、自分のすぐそばの出来事のように様々な事象を感じるようになりました。

そしてふたつめに、ラブライブ!サンシャイン!!という作品が、ラブライブ!の頃よりもより観客をコンテンツに取り込もうとしている姿勢

ラブライブ!で散々言葉にされてきた「輝き」

この「輝き」の正体、物語を通して一度もそれが何なのか名言化されることはありませんでした。

一方、ラブライブ!サンシャイン!!では「輝くこと=楽しむこと」と第13話で名言化されました。この後に披露されるMIRAI TICKETの1シーンで、千歌さんが「一緒に輝こう!」と観客席(=いわゆる私たちの側)へと訴えかけるというものがあります

また、この傾向はAqours物語の根幹にも通じているのではないでしょうか。

Aqours自分たちの歩みを「0を1にする物語」と題しました。ここまで物語テーマを明らかにしたこと、当時の私には本当に驚きでした。

μ'sが「1を100にする物語」であれば、Aqoursは「0を1にする物語であるということ。μ'sの頃には明言化されていなかったことが、Aqours物語ではわかりやすく、伝わりやすく(そしてあえて伝えようと)私たち提示されたのでした。

この2点の結果、私はAqoursコンテンツに足を踏み入れることに、圧倒的当事者意識を感じざるを得なくなりました。

μ'sの頃はどこか他人事のように見ていたというわけではないですが、Aqoursライブを見て「自分も何かを始めたい」「何かやり遂げたい」と昨日のライブを見て強く思うようになりました。

これって、制作側のピンポイントな狙いに見事に食らいついた事例だと思っており、この2日間のライブでまさにAqoursライブを通して私たちに伝えたかったことだと感じています

以前よりも強く、当事者としての意識を持たざるを得なくなったAqoursライブ。このコンテンツを追い続ける限り、進めば進むほどその魅力に打ち負かされることが容易に予想できるのが素直に「こわい」と感じました。

最後になりますが、初日のみの参加ながらも、Aqoursライブ本当に楽しかったです。

一年前は「いや、μ'sがファイナルライブやるんだからAqoursの2ndシングルとかしらねぇよ!」とAqours関連の情報をぶった切っていた私ですが、幸か不幸か意志薄弱な私は、昨年夏にコロっと斉藤朱夏さんにヤられてしまいました。

先ほど、これほどダンスに鍛錬を重ねているのは極めて稀だと書きましたが、それもあってか本当にライブを観ることが楽しくて仕方ありませんでした。

今年の夏には神戸大阪西武ドームを巡るツアーもあるんだとか、また彼女たちの奏でる音楽身体を預けられる時間が来るという事実だけで、今から心が踊ります

これはまだ先の話だと思いますが、彼女たちもスクールアイドル。きっと終わりがあると思いますしかし、今この瞬間は本当に楽しい。その多幸感、際限のない底知れぬ多幸感こそが、私がラブライブ!サンシャイン!!のことを「こわい」と感じる一番の理由です。

なんだかんだ言いましたが、やっぱりラブライブ!ってスゴいです。ライブという空間が非日常的なものであるということを理解しつつも、やはりラブライブ!には何か他のコンテンツには無いものがあるのだと思います。あの4時間が本当に楽しすぎてこわかった、今後もコンテンツオタクとして心の扉を更に下へと開き続けさせられるのが本当にこわい。

ラブライブ!サンシャイン!!って、本当にこわい作品

そして、とても重いものです。

このコンテンツは本当に重い。あまりにも重すぎる。

本当に重すぎて、絶対にいつか自ら離れてしまう気がする。

まり多幸感は、ライブが非現実だと理解っていてもいつか何かで身を滅ぼす気がする。

その日が来るまで、せいいっぱい楽しみたいものです。

最後になりますが、Aqoursの18人のメンバーの皆様、2日間本当にお疲れ様でした、そしてありがとうございました。

花粉症でぶっ倒れている私が書くのもアレですが、もう少しだけ寒い季節が続きます。どうかご自愛ください

2017-02-18

あなたの愛と情熱を頂戴

愛を信じてるのに邪魔があるの

私はあなたを愛してるだけ

私はあなたに夢中から

地獄を切り抜けて付き従う

一緒なら寧ろ死にたいじゃない

私の愛に果てなんかない

私は誓う とっても感謝するつもり

至福の世界 あなたは至高

あなた様の命令に忠実に従います

命令して! 渡しはしない 何より尊い存在

あなたは知らないどうして私の愛が泣いているのか

凝着したい過剰なくらい

永遠になりたい泣きたくない

嫉妬妄想狂いそうよ

あなたの愛と情熱を頂戴

愛とは暴動衝動

精神以上に本能心臓までもっと要求したい

あなたのいない世界に住みたくない

あなた以外いらない 殺そう 殺そう

愛の為にあなた以外を殺して幸せになる

最後まで進む視線あなただけ

遮られずに遂げたい願い

あなたに真っ直ぐな純真は星と太陽の上まで飛ぶ

とても素晴らしい

ねぇ邪魔よ 冗談じゃない

視界の汚物は原型を留めさせない

排除する容赦などない

誰より譲れぬ存在

暗闇の中であなたの目を視えない

暗い視えない 孤独は痛い

ともに居たい もう時間がない

窒息もう苦しいよ

帰ってきて強く抱きしめて

愛とは純情結晶 すべてを頂戴

想像以上の恩情、確かな応え要望している

あなたの子供が欲しい

あなたの愛が得られるなら

私たち二人以外に何があろうと構わない

狂う愛憎模様 正気に溶かして

すべての人を融合 焦燥さえも

形状は悲壮 自由細胞単位

あなたは知らないどうして私の愛に泣いているのか

凝着したい 過剰なくらい

永遠になりたい 泣きたくない

抱擁してよもっと

あなたの愛と情熱を頂戴

あなたの全てを頂戴

理由なんていらない ただ愛し愛されたい

あなたのいない世界に住みたくない

あなた以外何もいらない

我慢できない 私の愛の為に罰を受けて

あなたを愛するために人生を費やす

私は今想像する

もしもあなたが私のものならば 天国楽園のよう

あなたは私が唯一愛する御方 私の人生 運命 全て

あなたの愛と情熱を頂戴

邪魔があるの 壊しに行かないと…

2017-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20170212230129

どんなに素晴らしい作品だろうと楽しめなかった人にとっては無駄ものしかないだろうし

世間的に駄作と言われているような作品であってもある人にとってはかけがえのない大切な作品になるかもしれないし

物語とか娯楽作品なんてのはそういうものいいんじゃないの?

技術結晶みたいな珠玉作品もあるならそれに越したことはないだろうけど

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。



※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356



夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。



とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね



まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?



舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。



物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)



延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。



舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい



そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-02-04

ティファールの底に何かの結晶かカビみたいなのがこびりつくのが気持ち悪い

クエン酸効かなかった

2017-02-03

とあるアラサーゲイの呟き

とあるアラサーゲイの呟き

自分都内アラサーゲイ。去年発達障害(adhd)と診断名がついた。セクシャルかつ障害面でも診断され、いわゆるダブルマイノリティ。この世にLGBTの仲間が7パーセントいるとデータがあるけど、自分は何パーセントになるんだろう?

でも、仕事面では周りにサポートも得ているし、そんなにハンディーにはなってない。

何より辛い、苦しいのは今までストレートで過ごしてきた時の学生時代友達が年齢につれて結婚して子供を持ち、幸せな家庭を築いていること。人間としてそれが繰り返されてきた歴史だけど、自分にはできない。

先週、中学時代片想いしていた男の子から出張東京に来るから良かったらご飯でも食べようと連絡をもらった。

自分は転校してきたばかりの中、彼はアイドルのようにキラキラしていて周りからも好かれていて自分にとっても仲良くなりたいと思える人だった。思春期だった頃、友達になりたい気持ちが決して叶わぬ片想いだったのは今でも覚えてる。

数年前、彼から久しぶりに連絡があった。結婚式の招待状を送りたいから住所を教えてくれとのことだった。喜んで自分は彼の結婚式に参加したし、披露宴の間は喜ばしい気持ちと彼の奥さんになる人が羨ましいなという羨望の気持ちで揺れていた。

あんた達は知り合って数年で結婚したんだろうけど、こっちの付き合ってる、知り合ってる時間10年以上なんだから負けてねぇよ、と心のどこかで思ってた。

ゲイのようなセクシャルマイノリティーがノンケ、いわゆるストレートの人に恋心を抱くのはNGだとこちらの業界では呼ばれてる。相手迷惑をかけることは勿論、決して叶わぬ恋だし一番傷つくのは自分自身から

気付かぬうちにその彼には一歳になる娘さんがいるそうだ。少し前に会った時は15年経っても変わらずキラキラ人懐っこい彼と話したことを思い出し、人柄は変わらなくても人生ステップは歩んでるんだなと心のどこかで感じた。

Facebook結婚報告や子供が生まれタイムラインが今でも周りで続いてるけど、いつのからかその投稿非表示にするようになった。機械的Facebookアンケートはなぜその投稿を嫌うのですか?と私に問う。

答えは簡単かつシンプル

選択肢にあった見てて不快だったから、と選んだけど本当は自分気持ちが惨めになるから、というのが理由。また、羨ましいからなんて選択肢SNSには無いもんね。

彼だけでなく、今まで恋心を寄せていたストレートの人が結婚、つまり巣立って行くたびに寂しさで苛まれてたけど、それももう今は慣れてきた。

ゲイ恋愛は浅く寂しい。体目的で一晩体の関係を持って連絡が絶えることもザラだし、アプリでイケる人がいては一喜一憂毎日。カマ口調で話して週末の夜をバーで盛り上げてるのは、ある意味慰め合いにも聞こえる。

でも、生まれつきのものだし病気でも無いのだから、本当の自分をいい加減受け入れて、素直に生きなきゃダメだというのはわかってる。

でも心の底では愛し合った人と結ばれていっしょに暮らし、その結晶である子供が生まれ家族になるという事が本当に羨ましい。できる事なら自分普通にまれたかった。

カミングアウトすらしてないのに、親から結婚は期待してないと言われたのはいつだったろう?ごめんね、親不孝で。でも、元気なうちは両親ともずっとそばに居たい。

自分が人とは違う、と気付いた時点で強くならなきゃダメだと悟った。どんな幸せ投稿、やり取りがあって勝手一喜一憂して傷ついても明日は来る。

どう思って何を考えて居ても明日は来る。

自分にとっての幸せは何だろう?といつもふとした時に考えてしまう。

とにかく誇れるものを作ろう。

他の人には負けない何かを。

明日も頑張って前を向いて生きていくしか無いよね。

2017-01-29

子育て問題諸悪の根源は「私の仕事じゃありません」という言い訳

自分たちの子どもを自分たちで育てていこう、という気持ちがなければそもそも集団教育組織である学校運営はうまくいくわけがない。

ただカネだけ出して終わりというなら単なる公営塾で良いわけだ。



みんな忙しいし、みんな余裕ないし、みんなお金ないんだよ。

だけれど、それ言い出したら誰も何もできなくなるから、厳しい状況の中でも何とかお金時間や労力を捻り出すのが子育て本質

困ったときお互い様、みんながみんなで助け合いましょうね、というのが本来スタート地点。

だけれど、賢しらな言い訳を用意してこれは私の仕事じゃありません、

から会議は出ません、お金も出しません、労力も提供しません、

でもPTAメリット享受したいです、というモンスターペアレンツが生まれ

無理が通れば道理が引っ込む形式でそういう勢力が増え始めると、

コスト負担するのは無駄で損だという意識が芽生え始める。

良かれと思って無償ボランティア気持ちでやる行為搾取されている感覚にとらわれてくる。

「なんで私がこんなことをやらなくちゃいけないんだ」という意識蔓延してくる。

持ち出すばっかりで、何も得られないじゃないか、と。



そうだ。

フリーライドする人間が増えれば増えるほど、

善意というのは苛烈搾取構造の中に組み込まれていく。

「私の仕事じゃありません」と抜け出て行く人間が増えれば増えるほど、

「やるだけ損だ」という負のインセンティブが爆増する。

チキンレースみたいになってくる。



でも、たしかPTAとか子育て界隈には理不尽なことが山ほどある。

から唯々諾々と受け入れてたら親が破滅する。

でもでも、子育てというのは、身を犠牲にしてでも子ども幸せのために何をかしたいという愛情結晶でもある。

そういう情緒を抜きにしたら、子どもを生むのは全くの損得勘定しかできなくなってしまう。

最近はそういう傾向もどんどん増えてきてはいる。

また、自己犠牲というのはあまりにも容易に搾取対象になりやすいがために、

子どものために身を犠牲にする、という考えそれ自体に大変な拒絶反応が起きるだろうことも想像に難くない。

でもでも、でも、だ。

もうコレ以上は無理だよ、というその無理のほんの薄皮一枚向こうの限界突破することが、

親としての、人間としての成長があるんじゃないかという気が私はするんだよね。

まあこれもブラック企業社長あたりが散々自分たち利益のために弄び続けたたぐいの物言いなので、

しろバッシングされるのがデフォルトの考え方であるだろうことも想像に難くない。



まあかといって今のままだったら、

「私の仕事じゃありません」

「私は知りません」

という人がどんどん増えて、

善意で引き受ける人が苛烈で過重な労力で押し潰されてどんどん少なくなって、

解決されない問題がどんどん増えて、

子育てで完全に詰みましたって人がどんどん増えていくしかないと思う。

それこそ「私は私だけの仕事して私の生活を守りますんで皆さんもあなただけの仕事を頑張って下さい」という人だけが生き残る、

自己責任弱肉強食世界になっていくだけだと思うんだけど、




みんな果たしてそれでいいの?っていう。

2017-01-25

[]イース8 プレイ日記7

王家の谷

ボス倒して奥に壁画がある

大樹がいかづちおとして人殺してるような絵

実は大樹は進化をうながすんじゃなくて淘汰をするものだった

強い種だけ残してそれ以外を殺す

ほえ~ってなっていったん村もどろうかってなって外に出たところでまた迎撃戦のパロがくる・・・

もどったらアウラ草が作れるようになってた

でも力の薬つくるにはロケーション100%せないかんらしいからまだまだあとだな

古代種たくさん

んでそのあともいっぱいくるようになったっつーナレーションのあとで、様子みるために高いとこいこうってなって山登りすることに

ワープで山頂までいけたはいいけど、その後大樹までいくのにワープがつかえなくなっててまた同じ道を徒歩でいかないといけなかったのがすげーだるかった

ちょっとイース8の評価下がったなあ

その後大樹に向かう道のとちゅうで霧でてきて過去のダーナみたいに仲間とはぐれてアドルが霧の中の怪物と戦った

でもアドルが戦うことになるってしらんかったかロードして装備しなおしてからいったわw

まさか全員きりの怪物と戦わないといけないのか?とちょっとフアンだったけどさすがにそれはなかった

その後ゼーレみたいな感じの人たちがでてきた

そこで5章おわり

次にどうしよっかーてなったら結晶が光りだしたからまた過去へ飛んだ

ところでセーブ

2017-01-18

[]イース8 プレイ日記2

山頂でボス倒した後、いったん村にもどったら

・レーヤのピッカード探し

リコッタのししょー特訓

憲兵の装備品テスト

シスター護衛

クエスト発生してたから、装備品テスト以外こなした

備品テスト古代種を2頭も倒さないといけないから今は無理だからあきらめた

その後山を降りて街がみえるところまでいった

途中でリコッタかわいい恐竜おっかけて一時的に抜けて困ったけどすぐ復帰したからよかった

道が途切れてるってところで結晶共鳴して過去に飛んだ

ダーナが苗木植えたのがアドル時代になってでっかい枝になって道になってた

崖がいつのまにか渡れるようになってたのはそういう描写なくなかったか?と思ったけど、

よく考えたら最初儀式で植えた苗木があんだけでかくなってたってことだったんだな

タイムパラドックス的にはよくわからんことになってるけどまあつっこむまい

はじめてダーナ側からもアドル意識した言葉が出てきて、よーやくか、と思った

遺跡に着いてからは人影をおっかける

なんかFF5の滅びの町ゴーンでタイクーン王を追いかけたときのこと思い出した

途中でリコッタ意味ありげな無言になってたから、これがくだんの父上、なのかな

なんか見た目は憲兵に似てるけど

でもそこらへんで眠くなってきた(3時半)のでセーブしてやめた

クイナのぱんつがたぶんスクリーンショットとれた・・・と思う

丘の上のほうでりこった、運びやとかくれんぼする話をしてるところでカメラいじって斜め左したからみるようにするとちらっと見えてる気がする・・・

2016-12-07

薬剤師世界のしょうもないところ

薬剤師世界って、いまだに、一か所に勤める風潮がある。

普通会社と同じで、3年ごとに職場変えてると、「なんだこいつ」って思われる。

でもね、医療世界ってそうじゃない。

医師医局制度があるから若いうちにいろんな病院を回って、いろんなやり方を見ることができる。

一方、薬剤師は一か所で勤め上げることこそが至高だから、そこ独自のやり方が全てになりがち。

ゆえに、くだらないところが施設ごとにバラバラ。

賦形のルールにしたって、1包0.2gにするところから、0.5gにするところや、1日1gとかもう色々。

アスピリンも、賦形しない、賦形する、結晶を潰してから賦形する、と、知っているだけでも3パターンある(ちなみに潰すと加水分解を促進するから、それ以外が望ましい)。

そして、それぞれが、それぞれのやり方こそ至高だと思っている。

どうでもいいだろ。そんなとこにこだわってる時代は終わったんだよ。

薬局薬剤師病院薬剤師は、いつまでたっても歩み寄れない。


医学部に対抗するために6年制にしたところで、施設側がクソのままなんだよ。

2016-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20161205154602

ファミコン故の情報量の少なさのせいなんだけど

1の魔法って作中では店で購入するというのと使用回数に制限があるという描写しかされていないわけだよ

から何か唱えて使うものなのかとか実際の使い方すら不明瞭だし

店で購入しているのも魔法書のようなものなのかそれとも魔法結晶のようなものなのかもよくわからない

から実は魔法って言われても生成方法がよくわからなくてあの世界の一般人から見たら魔法しか見えない

何か科学的な道具を使っているだけなのかもしれないとか

情報量が少ないが故のそういう解釈可能なわけよ

そんな解釈が正しいとは俺も思わないけど

2016-12-04

日本映画関係者発言見てると海外はまだ遠いなと思う

正直10年以上前日本ゲーム業界見てる気分。


中国配慮して中国寄りの映画作りましょうよ。

とかもっとグローバルな映画・・・

とか、わかってなさすぎて苦笑する。


10年位前に日本ゲーム業界もそういう方向性を目指したけど、結局大失敗した。

それは、結局のところ日本人外国人の考え方をした映画を作るのは無理だから

日本人外国におもねった作品を作ると「アメリカ人が考える忍者物」と同じことにになってしまうことをメジャー立ち位置にいる日本人全然理解できてないんだよね。

特に普段海外海外って実際に海外に行ってるわけでもない中途半端な人たちはそのへん全然わかってない。

だってアメリカ的な映画ならアメリカ人が一番得意に決まってんじゃん。

中国的な映画なら中国人が一番得意に決まってんじゃん。

もし、それを回避したいなら映画監督プロデューサー制作会社社長も全部アメリカ人中国人にしないと駄目(実際ハリウッドはそれやってるけど)

こないだ「君の名は。」に言及してた某実写映画監督とかそういう中途半端理解しかしてない臭いがプンプンする。


で、話戻すけど、日本ゲーム業界が最終的に得た知見は「日本人らしいゲームを作ること」だった。

それが最も独創的でユニークになって海外で唯一無二になって受けるんだ。

ってことを10年かけて理解した。

そして、今それを実行してる業界は、「アニメゲーム漫画業界」だけ。

そしてそれをいか流通に乗せて広められるか?

ってことに注力する段階に入り始めてる。

まりカルチャーのものを輸出して理解してもらう段階に入ってる。

weeeaboooってつまりそういうことだよね。


日本人自然ハリウッド映画理解してるけど、それはアメリカ文化100%はいわずとも多少なりとも知識として持っているから。

そしてそれは戦後何十年にも渡ってアメリカ映画界が積み上げてきた結晶なんだ。


こないだ川村元気インタビュー読んだけど、「ハイパードメスティックもの海外で受ける」って言ってたよ。

今のところ実写映画界で理解してるのはあの人とかその周りくらい。

日本実写映画ドラマはいつそれを理解するかねぇ。

2016-12-02

はてラボ人間性センターを試してみたい

株式会社はてなスパムとの長年の戦いの末に掴み取った、はてな技術結晶といえる「はてラボ人間性センター」。はてなーの皆も一度は試してみたいと思っていることだろう。そこではてラボ人間性センター」を引き出す方法を下に記そう。

いわゆるスパム記事フレーズ連呼してることが多い。そこで特定フレーズ連呼した記事を書くと、中の人スパムを疑ってくれるだろう。例えば「ジャパンホームサービス」等のフレーズを5行ほど書き込んで投稿してみよう。

皆の健闘を祈る。

2016-12-01

先進国で生きてる時点で後進国人間搾取しているのに

メイドくらいでいまさら一体何をぴーぴー言ってるのだろう

  

お前らの生活経済格差によって支えられているのに

  

何の疑問もなく享受しているのに

  

お前らのブコメ搾取結晶なんだよ

2016-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20161127082710

ここまで読んでフィリップ・K・ディックを読んでないのはもったいない!!!

最近新装版が出ているので手にも入りやすいですよ!

処女作からしてランダム性を主題に掲げて人造人間10人の意識がのべつ間もなく入り込むお話ですから

ディック長編SFサスペンスな要素が強く映画化もされているのでまずはそこから3つ手に入りやすものおすすめしま

どれもこれも面白いですが、苦手になってほしくないのでポップな面白さで図抜けているユービックを一晩(一番)にどうぞ

暗闇のスキャナー(A Scanner Darkly)

電気羊はアンドロイドの夢を見るか(Do Androids Dream of Electric Sheep?)

ユービック(Ubik)

SFは他の分野に比べて短編が非常に充実してると思います

ディック長編は一気に読ませるほど面白いんですが綻びがなくもないので短編の方が実はおすすめです。

火星年代記を読まれているということは多分短編小説もたしなまれると思いますので次の2つをおすすめします。どちらもベスト版です。

人間以前

アジャストメント

アジャストメント」は映画にもなった表題作ですが、他にも「にせもの」や「電気蟻」、「くずれてしまえ」など特におすすめの一作です。

他の短編集に収録されているものが多いのでコレクターの方には不評ですが、最後エッセイだけでも買う価値あると思いますよ~


ディックからもう一歩踏み込むならJ・G・バラード安倍公房をおすすめします。

安部公房作品はどれをとっても入りやすく、それでいて本質を問うような内容でとってもおすすめです。

ノーベル賞関連で取りざたされることも多いですがそんなことはそっちのけて入り込んでほしいです。

SF色が強いのは「第四間氷期」ですが、他のどれをとっても馴染んでいけると思います

J・G・バラードはいわゆるニューウェーブ作家さんですが、その価値を抜きにしても読んでほしいと思います

中後期の作品は非常に濃く、好き嫌い分かれるところだと思いますが、最初期の「結晶世界」だけでも手にとって欲しいです。

SF的な味付けはありますユング心理学でいうところの「シャドウ」に直面するような内容です。それをどのように受け取るかで面白さが変わってくると思います

2016-10-22

ナルシズムの結晶として産まれたんやで

2016-10-19

母と歯と私

 28歳OL。やっと歯科治療が終わった。

かかったお金の総額は50万以上。期間は2年。


私と歯との戦いは子供時代にさかのぼる。


私は子供時代から虫歯が多かった。理由は単純で、歯を磨いてなかったからだ。

兄が神童だなどと言われはじめたときから家庭内の私の存在希薄になった。

神童の兄を有名校に入れるために、両親はなにかと忙しくなり、私に構う余裕はなくなった。

結果として、私は、お風呂毎日入るものだとか、顔は毎朝洗うものだとか、歯は磨くものだとか、

そういう生きるために必要情報が抜け落ちたまま成長してしまったのである


今でこそ、虫歯ネグレクトサインと言われているが、当時はそんな価値観はなかった。

歯科検診のときはできるだけ休むようにしていたが、運悪く逃げ切れず上級生にまじって歯科検診を受けさせられることもあった。

しかし、歯科医師淡々と歯の診断をするだけで、そこから何をどうしろだの話ははじまらなかった。

そもそも学校にあまり行ってなかったので、教師から何かを言われることもなかった。


中学に上がるころには、ほぼすべての歯が虫歯になっていた。

そして中学2年生のとき、とうとう前歯が欠損した。

ぐらぐらしていた前歯がポロッと取れてしまったときのショックはよく覚えている。

そこから1年以上、私は前歯なしで生活した。

母は前歯の欠損に気づいていたのだろうが、何も言わなかった。

そのころには、私の腕は別件で傷だらけだったが、それについても何も言われなかった。

私に興味がなかったのか、どう接していいかからなかったのかは、わからないが、とにかく私の歯は放置された。


前歯がなくなって1年以上たって、私はやっと母に「歯医者につれていってほしい」と言った。

それが15歳のときの話。


そこから、私の人生は混迷を極める。

プロセス割愛するが、地獄めぐりのような10年を経て、今になって、やっと手に職をつけることができた。


手元にちょっとお金が残るようになったので、私は歯の治療にとりかかった。

なけなしの貯金をもって、ネットで選んだ歯医者に「ホワイトニングがしたい」と相談しにいった。

何よりも歯の黄色さが気になったのだ。私の写真は全部下を向いて笑っていた。


歯科医曰く、歯茎が腫れているので、まずブラッシング歯茎をひきしめましょう、同時に虫歯治療して、終わったらホワイトニングしましょう、とのこと。

毎週歯医者に通い、ブラッシングをしながら虫歯治療をした。

その中で、ひとつ大きな問題が発覚する。欠損した前歯だ。

差し歯が入っていたが、根っこの部分が腐ってしまっている、とのこと。

確かに、見せてもらった根っこのレントゲンは黒ずんでいた。

その膿をとらないことには治療ができないんだそう。


膿を取る治療は、根管治療というらしかった。根管治療専門医を紹介されて、治療をしてくださいと言われた。

正直なところ、「やっぱりな」という感じだった。

欠損して10年以上たつのから、何らかの不調はあるだろうと思っていた。

しろ、その前歯を治療で使える状態に持っていける可能性があることに安心した。


紹介された専門医は、家からだいぶ遠く、職場にも無理をいって半休をもらってなんとか通った。

保険が効かなかったので、治療に12万円。

保険が効く病院もあるみたいだけれど、自分で良い保険適応病院を探せる自信がなかったので自費診療にした。

治療代とは別途、差歯代15万くらいがかかるので、完全に予算オーバー


なんとか根管治療成功に終わって、「ホワイトニングがしたい」と言ってから1年以上たってようやくホワイトニングをすることができた。

1万5千円×2回のコース

オフィスホワイトニング1回目の正直な感想は「そんなに効果ないな」。

2回目でも、「うーん?」という感じ。


その後も、追加で2回オフィスホワイトニングをした。

合計4回のホワイトニングで、多少見た目はマシになった。

しかし、人並みになったかといわれると、どうかなぁというところである

そもそも前歯のほとんどが詰め物でできているので、ホワイトニングをしても効果のある部分が少ないのだ。

それを見越して白めの治療剤を詰めてもらっているが、そもそも色が黄色かったので、その詰めてもらった治療剤も一般的に綺麗な色とは言い難い。

結局、ここぐらいだろうという落とし所で差し歯を入れて、2年にわたる治療は終わった。


治療も終わったといっても、一時休止みたいなもので、また不調はでるだろう。そして私は人より早く入れ歯になるのだろう。


望んでいたぐらいに綺麗になったかというとそうではない。

でも、なんだか少し晴れやかな気分だ。

美しくはならなかった。美しくしようと努力しているときも、さまざまな過去記憶フラッシュバックして苦しかった。

それでもちまちまと歯医者に通いつづけ、自分で稼いだお金を使い、歯科医さんと衛生士さんと話し合いを重ねて少しでも綺麗にしようと努力してきたプロセスに、私は満足している。

から私は私の歯に自信をもつことができた。人前で笑うことも臆さなくなった。写真をとるときも前をみて笑えるようになった。


結局は、可視的なものが、美しいか、美しいかでははいのだ。

受け入れられるか、受け入れられないか

誇りを持てるか、持てないか


美しくなくても、手に入れたものが、努力結晶なのだとしたら、きっとそれはかけがえのないものだ。

私は私の歯を、私の人生を、肯定したい。

歳を取ると感性が鈍る、だからこそ素晴らしい

若い頃はどうして中年の人たちって何もかも面倒くさがるんだろうと思っていたけど、自分も同じような歳になって気づいたことがある。何か新しいことや困難にぶつかると、事の顛末が大体予想できるようになってしまうんだ。

話題映画があったとしても、大体予想していた通りの範囲に収まっていることが多い。若い頃には技術の進展とかにワクワクしていたけど、歳を取るとどんなに新しくなっても似たようなことを繰り返すだけなんだな、と気付いてしまう。

脳科学世界では、こういう感覚のことを結晶性知能というらしい。若い事は脳が新しいことをどんどん覚え受け入れていく。そのプロセス自体面白い。でも、歳を取ると何を見ても以前見知った何かとの共通点類似性見出ししまう。

それどころか、以前見知ったものと似ていること、見慣れていること、馴染みがあることの方に親しみや優良であるというような感覚すら芽生えてくる。若い頃に聞いた音楽が何よりも耳に心地いい。

そういった具合で、歳を取ると何もかもが面倒くさなくなってくる。新しく感じることは少なくなっていくし、何をやっても徒労感を否定し切れない。だから、同じ事・同じものばかりを追いかけ始める。

若い頃なら、そういう中高年を脳が死んでるとか、終わった人とか言って軽蔑していたけれど、自分がその立場になってみると、奇妙なことに意外なほど心地良い。

歳を取るごとに不安が少なくなっていくし、次々と新しいもの求めない分、心に余裕も出来てくる。たぶんこうして自分自身が余裕になったところに、若い世代社会に対して援助や貢献をする責任が入り込む余地ができるんだろう。

年寄り若者と同じくらい物事に強い関心を持っていたら、若者や世の中のために何かをしてやろうなんて思えないだろう。ちょうど若い頃には自分のことに精一杯で、他人や世の中にあまり強い関心が払えないように。

2016-10-18

社会を軽んじるクズが多い

気がする。



映画館広告がうざいそうな。

http://anond.hatelabo.jp/20161015123802



トラバの半数、人気ブコメには賛同する意見多数。

中には「広告が終わる時間を明記すべき」って無知意見にもスターがたくさん。馬鹿か。



そもそも広告てのは見てもらってなんぼ。

無理矢理にでも挿入して観客の目に留まるという保証担保に、企業が高額の予算製作したコンテンツを、シネコンに高額な金を払って上映してもらっている。映画の途中で挿入されないだけ相当良心的だ。



「あの映画は見る価値なし」「オワコン」といった個人主観レビューマスコミと同じ波及率でネットに陳列される昨今、全国の、特に地方映画館興行以外の収入を欲している。

今年は「シン・ゴジラ」「君の名は」などの特大のヒットこそあれど、基本的映画館キャパに比べて集客が少ない。



個人の感想では、自分の近所のシネコン過去3年で2件潰れた。地方意見申し訳ないけど。

そのうち一つは俺の住まいの最寄りだった。そこそこ市街地で、そこそこ人気だと思ってた。

潰れた時は正直「経営何やってたんだ」と憤慨してたが、しばらくしてからちょっと危なくなったらすぐ潰すとしても、きっと頻繁に危なくなってるんだな」と思った。

あんだけ広告うっといて。潰れんだと。



映画自体需要は確実に減っている。

理解できない=面白くない」がJKになりつつある昨今、

「高い金払ってわざわざ外出して、分かりにくい映画を観るはめになるのは避けたい」と思う馬鹿が増えるのは仕方ない。みんな忙しいし分かり易いのが好きだ。



しかし今年の映画界の盛り上がりはどうだ。

偏屈特撮趣味を美しき結晶として昇華した「シン・ゴジラ」も、薄っぺら恋愛SFを最高の美術アニメ新境地に押し上げた「君の名は。」も、そんな馬鹿たちの心を潤し、「映画」の可能性をわずかでも感じさせたのではないか

一応書いとくが、俺もそんなクソ馬鹿のひとりだ。まあ「分かり易かった」のは否定しない。あと「怒り」も良かった。



ゴジラも新海も、広告収入が無ければ多くの目に止まらなかった。と思う。

だって映画館がないと大画面で大勢と観られないもの



そんな当たり前なことを前提に、「広告不要」とかいうのって、何なの?

脳味噌が腐っているとしか思えない。もしくは親の教育が相当糞だったんだろうな。



あらゆるものには金がかかっている。金をかけて、金を得て、サービス提供されている。

企業が大きければ大きいほど、自分が払ってる分で得られる全てが賄われていることなんて、まずありえない。

成人なら誰でも知ってることを改めて書くのは恥ずかしいけど。ちょっとは察する脳味噌を持ってくれ。

広告出てきたら「頑張ってるな、見てあげてるぞ」くらい思ってやれよ猿。



あ、俺は15分遅れでシアターに入ります日本映画は近々終わる。

2016-10-08

死んだ宇宙結晶化して保存できるのか

2016-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20160925082353

低能コメの人、本当にワンパターンで一度も感心した事無いから、NG IDに入れたい。偉そうなだけで、はてなの悪いところの結晶って感じ。

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