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2016-05-24

文学部価値とは何か

京大卒、東大卒文学部の方々の文章を読んだ。どちらも有意義文章だが社会において文系価値が軽視されがちになってきている趨勢を感じるこの時代に書き残しておきたいことがあります

何のために学問をおさめるのか、主婦になるのは大学教育必要ない?東大卒プライドを捨てなければ自己肯定できないのか?

どちらも境遇が違うのですが共通して言えることがあるので増田に書いてみたいと思います文学部存在する大きな意味ひとつに「無限文脈」を得るためということがあるでしょう。

たとえば仏教人生は苦しみであると説きますしか人生は苦しみであるという言葉だけではなにをもって人生が苦しみなのかわからないので人生とは~~~ゆえに苦しみであるという~~~を獲得するのを助けるのに文学ほど有用学問はないと確信しています。これは論理実験では決してうまらない人間人間たる存在問題であるのでバッチリこれが答えだなんて言いいきれるものではありません。それが理系文系の決定的な違いなのではと思うのです。文系学問経済学社会学政治学などを含めて全て勉強すればするほどに断定的な物言いが難しくなる側面があります文系は人文系とも呼ばれますがまさに文学人間混沌理解するため、ではなくどう見つめるかのその過程を追求するためにあるのではないでしょうか。

から社会的実益を生むわけではないので文学は時に軽視されることになりますしかし自らの人生を追及するために文学ほど役にたつもの存在しないのです。それは一般的労働従事するかぎりにおいてはほとんど役にも立ちませんがそれでも個人の人生という物語形成する重要な要素にはなるのです。

おそらくそれが京大文学部を出て主婦になった方が感じる最も根幹に感じる違和感の正体ではないのでしょうか?大学を出て社会的な成果を出さないとは何事かと人は言います。けれど文学人間の外面ではなく内面をどう料理するかを学ぶ学問なのですから主婦になろうがどうしようがそんな社会的なことは甚だどうでもいいものしかないのです。むしろその京大で学んだ文学的素養を発揮するのに主婦子育てほど適した職はないとも私は思っています

文学価値というのは学生の時には傾倒し教授と談義にふけったりそれはそれはとても面白いものですが社会に出れば時に忙殺されてしまます。実務に追われ気づけば学生の時に追求した私は~~~だからであるの幼い文脈すら仕事一言に置き換わってしまます。それは理系文系京大Fラン高卒関係なくです。しかしそんな何のために働くかわからなくなった名もなき乾いた砂粒のような人間にこそ文学必要なのですよ。

日本企業がこんだけ負けてるのにまだ偉そうな爺たちはコラムでも書いてるのかな

世界的な大企業っつったらもう日本にあるのは名実ともにTOYOTAだけだろ

他全部負け犬

なのになんで現時点で希望があるみたいなこと言ってんのかね

このタイミング絶望できないからいつまでたっても再起できないんじゃないの

というかお前らの世代が積み重ねてきた過程が今という現実になってるのに

何で「日本の将来には期待できる」とかいって総じて締めくくるの?

お前がそんだけ分析できない馬鹿から今こうなってるんだけど

2016-05-23

『レヴェナントテーマ解説(1)(イニャリトゥ監督テーマ編)

『レヴェナント』はめちゃくちゃ難解なんですが、ポイントを押さえれば、イニャリトゥ監督過去作品と大してテーマは変わんねぇことが分かります

ポイント1 テーマって何よ?

イニャリトゥ監督デビュー作『アモーレス・ペロスから前作『バードマン』までひたすら「親子」をテーマ映画を撮り続けてきた監督です。なので『レヴェナント』でもテーマは「親子」です(インタビューでもそう言っています)。もうちょい言うと、『レヴェナント』では「親の子に対する愛がいかに深いか」ということを描いてます

ポイント2 何でそうだと分かるの?

主人公グラス(ディカプリオ)の台詞ちょっと考えてみれば分かります

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

これはグラスが救出された後にヘンリーに語った言葉ですが、この2つの台詞から分かることは、①グラスにとって息子ホークは生きる意味のものであったこと、②グラスは物語のどっかで既に死んでいて、それにもかかわらず基地までたどり着いたということです。

ポイント3 え、グラス死んでなくね?

死んでます。具体的にはフィッツジェラルドにより埋葬された後、息子ホークの死亡を確認した時点で力尽きています。通常、熊に襲われて、内蔵が見えてしまっていて、脚は複雑骨折、その上発熱していて、ろくな治療を受けられないまま生き埋めにされたら(さらに生きがいであった息子が殺されたら)、それは死ぬだろ、と思いませんか。

ポイント4 は?じゃあその後立ち上がるのは何よ?

あれは肉体が死亡していながら精神の力(息子を愛する力)だけで動くゾンビみたいなもんです。ジョジョを読んでる人は、ボスにぶっ殺された後のブチャラティみたいなもんだと思ってください。

ポイント5 あまりにもオカルト解釈すぎない?

小難しい話になりますが、イニャリトゥ監督は前作『バードマン』で死と再生の話を描いていて、映画では好んで用いられるモチーフです(『鏡』、『8 1/2』など)。主人公が死んで復活するというのは映画では珍しい話ではありません。

加えて、本作のタイトルが"Revenant"(つまり「死から蘇った者」〔someone who has returned from the dead〕)であることもこの説を補強します。

ポイント6 するとあの超回復力は何?

解釈問題になりますが、海外サイトの中には、グラスは死にそうになるたびに、野生動物に生まれ変わった(死と再生)のだとする説がありました。

最初は熊です。これはグラスが熊の毛皮を着て、熊の爪のネックレスを身につけ、川で魚を手づかみにし(木彫りの熊ですね)、それを生のままかじり付いていた点に表れています

次は狼です。これはインディアンバッファローの肉を求める際、四つん這いに這いつくばって、人にへつらっていたことと、投げられた肉を生のまま貪りついていたこから分かります

その次は馬です。これは文字通り馬の腹から這い出てきたことから分かります

最後になんかの肉食獣です。これは最後の戦いでわざわざ銃を捨てて、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることから分かります

グラスはこれらの野生動物に生まれ変わる過程回復していったと見ることができます

ポイント7 何でそんなことができんの?

愛です。

ポイント8 まあ愛の力だとして、人間の姿に生まれ変わらなかったのはなぜ?

ここも解釈ですが、息子を失って生きる意味を失った以上、野生動物と同然の存在に成り下がったと見られるのではないでしょうか。

ポイント9 では、場面を移して、ラストバトルで言ってた「復讐神の手にある」って何なの?

グラスが一匹狼のインディアンから教わった言葉です。「神の手」というのが直接的には川下に居たインディアンリーさん)だったため、海外サイトではリーさんは神の復讐の代行者であると言う人が多かったです。「インディアンあんなに近くに居るのに川に流したら殺されるに決まってるだろ」と言う人も居ますが、個人的には死と再生を繰り返したグラスさんの聖人パワーでリーさんを引き寄せたと思っています。つまり愛の力です。

ポイント10 戦いを終えた後、グラスさんがこっちをじーっと見るけどあれは何?

あの表情には元ネタがありますタルコフスキーの『僕の村は戦場だった』のイワン君(12歳)の表情です(https://vimeo.com/153979733ラスト)。どういうときの表情かというと、まずイワン君はソ連少年兵なのですが、ナチスに母と妹を殺されています。そんで夜中に1人でナチス軍に対する戦いをシミュレーションしている最中にあの表情をします。つまり純粋さと愛にあふれた少年の心が、ナチスに対する復讐心で壊れかかっているときの表情です。これをグラスに類推するなら、あの表情は、復讐を終えたことで(生きる意味を再び失ったことで)グラスの精神が壊れかかっている(もしくは壊れてしまった)ことを意味しているのではないでしょうか。

ポイント11 エンドロールがはじまってもグラスの吐息の音が聞こえるんだけど、あれは何?

あの吐息音をめぐって、海外掲示板では「グラスは死んだのか否か」について熱い議論が交わされています。これは監督の前作『バードマン』でもあった論争で、そこでの論争が、主人公は生きているという決着で終わったため、今回もグラスは生きているだろうという説が有力です。ただ、私の考えとしては、グラスは精神力(愛の力)だけで動くゾンビ状態なので、その精神崩壊した以上、グラスは真の意味で死亡したと思っていますジョジョを読んでる人はシルバー・チャリオッツレクイエム出現後のブチャラティを(略

ポイント12 結局『レヴェナント』ってどういう話なの?

愛する息子を殺され、肉体的に死亡した主人公が、愛の力で死と再生を繰り返し、敵に神罰を与えて、やっと死ぬ話です。つまりテーマは親の子に対する深い愛です。

ポイント13 ごちゃごちゃ言ってるけどテーマとかどうでもよくて、ディカプリオにアカデミー賞取らせたかっただけなんじゃないの?

ちょっと違いますが、そういう側面があった可能性が高いです。というのは、イニャリトゥ監督が今回の撮影目標とした映画というのが、①黒澤明デルス・ウザーラ』、②コッポラ地獄の黙示録』、③タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』、④ヘルツォークフィッツカラルド』、⑤ヘルツォークアギーレ/神の怒り』だからです。映画ファンであればすぐ分かるのですが、これらは映画史上最も撮影が困難だった映画群です。例えば④の『フィッツカラルド』なんかは巨大な蒸気船を滑車を使って実際に山越えさせています。つまり監督映画史に残る過酷映画撮影がやりたかったところに、アカデミー賞がどうしても欲しかったディカプリオと利害が一致した、というのが真相なのではないかと思っています

ポイント14 大体分かったけど、残ってる謎とかあるの?

掘り起こそうと思えばたくさんあります。例えば『レヴェナント』では上記の表情以外にもタルコフスキー作品から引用が多い(「宙に浮く女性」、「貧しい人にご飯を分け与える姿」、「鳥」、「隕石」)のですが、それがただタルコフスキーの真似をしたかっただけなのか、意味があるのかがよく分かりません。それとフィッツジェラルドが神について2回話すシーンがあるのですが、その意味がよく分かりません。

それと、作中何度も繰り返される"As long as you can still grab a breath, you fight."という台詞意味が実はまだよく分かっていません。特にエンドロールが始まってからも聞こえる吐息音を考え合わせると、グラスが生きている説も導き出せるため、重要な要素である可能性があります。何か思いついたり新情報が出たらこっそりこの記事を訂正するかもしれません。





「『レヴェナントテーマ解説(2)(ディカプリオのテーマ編)」(http://anond.hatelabo.jp/20160524110234)に続く

『レヴェナント』のテーマ考察

『レヴェナント』を観た。

監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイト議論を参考に、テーマ考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーインタビューが出るのを待つことにする)。

そこで以下、結論難解な理由、様々な視点から問題提起、現段階で考えられるテーマ妄想)の順に書いていくことにする。

1. 結論(先出し、めんどくさい人はここだけ読めばOK)

考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。

(1) 『レヴェナント』はどういう物語

『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。

主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。

最後の戦いではフィッツジェラルド瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。

(2) 『レヴェナント』のテーマは何か

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2. 難解な理由

(1) 単純なテーマに落とし込みづらい

『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラである)。

このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明批判である

しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビュー復讐物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。

さらに、②文明批判テーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明対立する人物が出てこない)。

ということで、『レヴェナント』は単純なテーマ理解することが困難である

(2) 解釈に影響を与えそうな要素が満載

『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さら監督過去作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。

(3) 特にタルコフスキー引用が難解

(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)から引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。

しかタルコフスキー作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこから引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキー意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキー表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。

3. 様々な視点から問題提起

そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外ファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたこから、これをいくつかまとめておく。

(1) [視点Ⅰ] イニャリトゥ監督過去作品から見る

ア. うまくいかない親子の関係

まず、イニャリトゥ監督過去作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。

監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。

これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。

この点をどう評価するのかがまず1つの問題である問題点α)。

イ. 死と再生

前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台拳銃自殺をする場面で、拳銃実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。

こうした死と再生イメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。

① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。

ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。

これについて、海外サイト面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである

(ア) 熊

まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。

(イ) 狼

次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。

(ウ) 馬

さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである

(エ) 謎の肉食獣

最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。

上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である問題点β)。

なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。

(2) [視点Ⅱ] タルコフスキー引用から見る

先に貼った動画https://vimeo.com/153979733から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品から引用が非常に多い。

そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果て教会」、「隕石である

このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。

この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だったである。この映画主人公イワンくんは、ソ連少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス相手戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである

まり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである

これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。

しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。

(3) [視点Ⅲ(おまけ)] 監督目標から見る

イニャリトゥ監督インタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。

黒澤明デルス・ウザーラ』② コッポラ地獄の黙示録』③ タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォークフィッツカラルド』⑤ ヘルツォークアギーレ/神の怒り』

共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである

①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影過酷から引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。

そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである問題点δ)。

(4) [視点Ⅳ] 「復讐神の手にある」の意味から見る

これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアン言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。

ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手インディアンリー誘拐されたポワカの父親である。このことから海外サイトの中には「リー神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。

(5) [視点Ⅴ] グラスの生きる意味から見る

イニャリトゥ監督作品テーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要言葉を残している。

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビューから親子の関係を描き続けてきた監督自身言葉でもあるだろう。

息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である

このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。

(6) [視点Ⅵ] グラスは死んだのか論争から見る

海外サイト掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である

これが問題となる理由は、①復讐モノの物語復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである

さら映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。

死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。

しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。

4. 現段階で考えられるテーマ妄想

これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。

(1) 問題点α:監督過去作と違い、『レヴェナント』では親子(グラスとホーク)が愛し合っている。これにより、監督連続して掲げてきた「親子」というテーマ消失・変容したか

結論

① 『レヴェナント』においても主要テーマは「親子」である

「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。

その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクター史実存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督インタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビューから前作まで延々親子関係テーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である

② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。

前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。

その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(2) 問題点β:グラスは死と再生を繰り返す過程野生動物に生まれ変わっているが、これは何を表現しているのか。

結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。

その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(3) 問題点γ:ラストシーンでのグラスの表情の意味は何か。

結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。

その根拠は、(a)元ネタである僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である

(4) 問題点ε:グラスは死んだのか。

結論:グラスは死んでいる。

この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品テーマから考えなければならない。

前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品テーマが「『中年危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。

しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。

ここから解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか

グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか

フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。

(5) 問題点δ(おまけ):監督は、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃないの?

結論:それはインタビュー見てるとそうかもしれない・・・。

5. 結論(再掲)

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2016-05-22

エリートにも一軍とそれ以外がいるという話

ダメアルゴリズムで書かれたコードは、いくらでも捨てて書き直せる。しかデータ構造問題があった場合プログラム全体の書き直しに発展してしまう」

これは開発経験者なら誰でも知っている話である

この話と微妙カブるようでカブっていないが、言い方だけ真似たものとして

「クソな下請けはいくらでも代わりを探せる。しか元請けの回し方がダメだったら全員でデスマ確定」

という話もある。これまた開発経験者ならよくご存知だろう。

すなわち、最低でも年収500以上は確実に貰っているであろう、エリート様揃いのITゼネコンの中にも、一握りの、まさに一軍というべきデキる人達と、そうじゃない人達がいると。

そして一軍と二軍以下では、マネージメントにおいて天国と地獄くらいの差が出るのだから恐ろしい。

というかなんでそれだけの年収に見合う学歴がある人達なのに、デキる人が一軍扱いされるほど少数なんだよ、意味わかんねえ。

学歴というのは、努力の仕方、効率の見極め方についての上手い下手の最も分かりやすい数値だと個人的には思っている。

そうなれば当然高学歴は、システム開発という極めつけの頭脳労働で、そのパフォーマンス遺憾なく発揮し、協力会社含めて皆をハッピーにするのだろう…そう、一軍ならね。って、全員じゃねーのかよ!


具体的にはこうだ。

良い方から説明すると、一軍のマネージメント要件定義から寸分の隙もない。

顧客経営戦略に基づいた要望を良く理解し、仕様に取り込んでいることは勿論、システム通信のような、後でとんでもない話が発覚して色々揉めそうな部分も、既にこの段階において顧客の協力を取り付け、キッチリまとめていたりする。

とにかく裏で細かく調査していたことが見て取れて、仕事したんだね~という感じである

それから設計に取り掛かるのだが、やはり要件定義の段階で「どうしても見えない部分」はあって、下請け以下が作業過程で洗い出した結果、それが時にはリスケを招く事故になることがある。

しかし一軍の人らは、本来最後の手段であるリスケにも比較的前向きで、それについての顧客説明もしっかりしているのだろう、大して揉めること無く妥当な落とし所にたどり着くのだ。

また、下請けグループ(≒サブシステム単位)に必ず1人以上プロパーを配置し、現場感の吸い上げと「同じ釜の飯を食ってる」感の醸成にも抜かりない。

それもあって、現場でよくありがちな「あの人ら(元請け)何も分かってない」という陰口は最小限になる。

強引にまとめるなら、リスクが常に頭にあって、かつその取り方について常に考えを巡らしている。「かもしれない」運転をしつつ、逃げ腰にならない姿勢は見事である


そして、二軍以下は上述の一軍の振る舞いが全くできない。本当に全部できていないのだ。

要件定義は客の要望を汲み取る所から既に漏れ漏れ、当然後ろの工程で揉めそうな部分は一切見ていない。

設計大元、ひいてはシステム大元になる部分がこれだけ不完全だと、その時点でデスマ化・炎上約束されたようなものである

その後に起こる事態は、もはやここに詳しく書くまでもない。

穴だらけの要件定義を、場当たり的に客に相談しながら埋めていく作業設計お仕事になり、それが相次ぐ仕様変更を呼ぶ。

結果どこまでExcelソースコードをいじっても作業量が減らない、いやむしろ増える。しか成果物が増えてくる各フェーズの終わりが近づくほど、「横展開」という名目作業量が爆発的に増大するのだから始末が悪い。

成果物を直しきれず「修正漏れ」という事故を仕込むことも頻発し、それに伴い品質も凄まじい勢いで低下する。

それでもケツは絶対に動かない。それどころか人員の追加すら出来ない元請けもいる。お前ら見積もりドンブリ過ぎだろ。

現場では脱落者が日常的に出る。でも下請けチームにプロパーが1人もおらず、そうした危機的な現場感が上に届かない。それも合わさって「あの人ら何も分かってない」という愚痴漏れ聞こえるようになるのだ。

こんな体たらくじゃテストに漕ぎ着けるなんて夢のまた夢だし、仮にどうにか辿り着いても、何がどう動けばいいの?ってレベルグダグダだったり。

いやもう、マジで元請けの人らは何やってんの?という感じ。優秀な人が何十人もいるのに機能していないとか、なんでそんなことになるんだか。


こうした現実を見るにつけ、もしかして日本人仕事の仕方と、コンピュータのものが相性悪いのかなーと感じてしまう。

はじまりの竜とおわりの龍を読んだ。すごい。本当にすごい。すごすぎる。内容と世界観に圧倒される凄まじい漫画だった。

馬鹿の一つ覚えみたいにすごいとしか繰り返してなくて恥ずかしいんだけど、本当にすごい漫画だった。四つの短編からなる連作集なんだけど、どれもこれも何冊もかけて大きなエピソードを読みきったかのような充実感が味わえる内容で、どれもこれも濃密極まりなかった。これひとつひとつ短編でそれぞれ一本ずつアニメ映画が作れそう。過剰なところがあるのかと言われればそうじゃなくて、過不足なく充実しているのが本当にすごいと思う。壮大。本当に壮大な叙事詩だった。

タイトルにもある通り、この作品は竜が重要存在になっている。一章では、天から落ちてきた竜と地上の人が交わる過程を描いていて、全体的に神話みたいな話なんだけど、神話ありがちな朧気な所がなくてリアリティ神秘性の両立がいい塩梅で成し遂げられているのがすごい。二章では弥生時代っぽい時代背景で竜が政に関わっている様子が描かれている。最後の龍と鳥の姿が圧巻。獣の奏者のような里が描かれている三章では、竜が政争の道具になってしまっていて悲しくなった。四章では竜の終焉が示されている。

これら短編世間感がそれぞれ本当に凄まじい。ひとつひとつ時代を切り取って一つの大きな物語が描けてしまえるほど壮大で濃密な空気感を醸し出している。おかげで没入感がすごい。一つの短編を読み終わると、物語世界から浮かび上がってきて一息つきたくなるくらい。また。人間ドラマも適切でいい。過度な肉付けをしていないせいか物語登場人物リアリティを内在させながら配役にきっちりと収まってる。反面、ありがちでスケールの大きさが物足りないエピソードになってしまってはいるんだけど、この作品世界観が何よりなのでかえって功を奏しているような気がした。キャラクターが張り切って表に出てこないために、広大で深遠なスケールを描き出しているのだと思う。

もちろん、それぞれの登場人物にも愛着が湧いてくる。一章以外には分かりやすい悪役がいるんだけど、彼らの心境にも思いを馳せることができるのがすごいと思う。みんながみんなちゃんと起立した人格を有しているのが味わい深かった。種類なんて言葉で表したくないけど、それぞれの短編多種多様な人が描かれてるのもすごいと思った。

何度も同じ言葉を使って頭が悪いんだけど、本当にすごい。圧倒されてしまう。すごい。なんだろう。自分にはすごいとしか言いようが無い。

これで新星っていうんだから信じられない。本当にすごい。信じられない。もう一度読もう。

2016-05-21

男漁り・女漁りのリスクとリターン

東大生5人を逮捕 女子大学生の体を触った疑い

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160519/k10010527131000.html

合コンナンパの延長線上にあったのだろうと推測するが

セックスが絡む場合は必ず合意の有無が争点になるが

まあ大抵男の方が力が強いわけで合意形成過程非対称性はあるわけだが


まずこの例で女が東大生とお近づきになりたいというリターンを得るつもりだった場合

居酒屋食事くらいはまあセーフだと思うのだが、

そのあと男5人で男の部屋に行くなんて選択肢はいくらなんでもないよな?

まあ脅迫めいた強制があったかもしれん、いろいろ例外は想定できるが、

もし無理やりだったなら量刑に裏ドラ乗るからここでは考えない



リスク見積もりが甘いんじゃね?

んでリスク見積もりが過剰な人間草食系になるという

2016-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20160520011501

自分定型発達ではあるがグレーゾーンスペクトラムだ。つまり発達障害者』←この部分の文章意味不明

定型発達でありグレーゾーンということは発達障害と診断されるレベルではないということでしょ。

自分はよく、極端な人間と言われる。能年玲奈じゃあないけれど、「生ごみか、リスペクトな奴か」の二つ』←白黒思考

文章全体を通して見てみると、あなた発達障害というより、クラスターBパーソナリティ障害の傾向があるのでは。

ところで『悪口が止まらない私。批判しか承認欲求を満たせない私』が卑しい人間であるという認識はないのだろうか?

あなた自身がそのような卑しい人間になったのは、人生のどの段階で躓いたせいなのか、何がキッカケだったのか、成育過程は?生まれ育った出身地は?元々どういう性格人間だったのか…「卑しい自分」の正体や原因を知りたい、自分自身に対して悪意を抱きたくない、理解したい、という気持ちや悪や汚れへの好奇心は抱かないのだろうか?

「卑しい人間」に対する悪口批判批評が得意だと自負しているにも関わらず、真っ先にその矛先が自分自身に向かないのは不思議である

タイミングがつかめないのと今の関係が変わることが怖い

初めて出会ったのは8年くらい前、自分常連客で相手バイト店員という関係

その当時のことはあまり印象に残ってない。

明るくて元気でかわいらしい子だなということと、長く働いてくれるといいなっていう感じ。


バイト半年くらいでやめたようで、それから再開したのは4~5年前、

自分泥酔してるときに入ったコンビニでばったり会ったらしいが、全く覚えてない。

「太ったなぁ、老けたんじゃないの?」と相当感じ悪いことを言ったとのこと。


1年くらい前からは店で居合わせときにはよく話す間柄になった。

少し気になる存在になってきたのはいつなのか、はっきり覚えていないけれど、

3ヶ月くらい前に連絡先を交換した。


それから常連の店で飲んでるかどうか確認したりして、いるなら飲みに行ったり、

飲んでるからおいでよーっていうやりとりをしてた。2人で会って食事に行くこともあった。


一緒にいると楽しいし、恋人関係になりたいと思っている。

ただ、告白するタイミングがつかめない。

そして、どういう過程を経たとしても、万が一にも、関係が破たんしてしまったら、

常連の店に行くことがためらわれるから、あと一歩がなかなか踏み込めない。


時間がたつほど、LINEや直接会ってのやりとりが増えるほど、好きの気持ちが強くなる。

相手にもそういった好き好きオーラは伝わっているんだろうけれど、

いまの関係性が変質するような行為に踏み込めない。

どうしたらいいんだろうか

シリア難民受け入れ

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJ5L6T2MJ5LUTFK012.html

数少ない数少ないって言ってる人たちって一気に数千人でも来ればいいと思ってるの?それで何事もなく受け入れられますよって思ってるの?バカなの?

普通こういうのってまず受け入れやすそうなところからやっていって、諸々起きる問題への対処を考えていって、徐々に枠を広げていくもんだと思うんだけど。特にただでさえ閉鎖的で国際的常識と外れてるようなジャップ後進国だとさ。

なんかこういう人たちが原発は今すぐ取りやめろとか言ってるんだろうなと思うと頭痛くなる。理想論だけで過程現実的にどういったことが起こるのかという想像を欠いてる0か1かでしか考えられないネット論壇特有思考でさ。

まあアベのパフォーマンスだろうけど。

悪口が止まらない私。批判しか承認欲求を満たせない私。

もっと言うと、それしか特技がない。それをようやく受け入れて認識したのはつい最近の事で舛添氏の公金問題が出た時に何故彼があそこまで歪んでいるのか、下世話な事を考えていた瞬間だった。

私は、怒り・もどかしい気持ちを抱いた人間に対して、無意識脳内で「あーだこーだ」考えてしまう。もっと言うと、自分が「この人って卑しい人間だな」と感じる対象にのみ考えてしまうのだ。褒められた話では全くないけれど、唯一他人世間から認められたりする事が、そういう悪口にも似た批判の内容だ。

他の事は丸っきりダメだけれども、唯一どんな人とも相応以上に会話が成立して「増田を呼んで、増田意見も聞いてみよう」と呼ばれたりする。けれども政治経済文学音楽、数理関連の話や抽象的な会話を投げられても、ちんぷんかんぷんで。あくま自分が関心のある卑しい人間に対する悪口しか、話せないのだ。

全国紙の各新聞社の論説記者達や学者有識者が集まる機会に(舛添氏ではない)某人物の話題が出た。自分自身も某人物に対して日ごろ思う所があったり、正直言って「卑しい」と思う対象だったので、つい話してしまった。皆、一様に「鋭い」と言っていた。中には「ああ~!」とか「あっそれだ!」とか言われたり、大笑いしていた人も居れば、思いに耽りながら「僕もこう思ってるんだけど、こういう所は?」と話を繋いだり、とにかくハイスペック人達と唯一渡り合える武器が「悪口」になってしまってる。実を言うと、自分定型発達ではあるがグレーゾーンスペクトラムだ。つまり発達障害者で、手帳は持っていないけれど、今まで生きにくさを度々経験してきた。唯一人並み以上の事が出来るのが「悪口」。

それから、これは自分では思っていないのだけれども「話を引き出すのが上手い」と度々言われる。けれど、これはその時の相手との相性にもよると思っていて。それがどんな時・どんな相手なら、上手くいくのかは自分でも把握できない。うまく行く時はいくけど、そうでないときは全く…といった具合。自分の傾聴力が、どんな人に対してなら合うのかなって問題なだけな気がする。

「卑しい人間に対する悪口批判」。これが活かせる仕事って何なの?というか人としてどうなの?と自己嫌悪で一杯で。その一方で、「優秀なんだな」とか「健常者」に見られるのが、そう言った悪口で「あーだこーだ」言ってる姿なので、承認欲求が満たされているというか…そう言う矛盾した気持ち自分の中で抱えてる。

母は昔から自分を「あんた、批評家ね…」と言っていたり、学校悪口に華を咲かせていてもいわゆる「よくある井戸端会議」なんだろう位に思ってた。

彼・彼女人生のどの段階で躓いたのか、何がキッカケだったのか、成育過程は?生まれ育った出身地は?元々どういう性格人間だったのか…「卑しい人間」の正体や原因を知りたいというか、人に対して悪意を抱きたくない、理解したい、という気持ちや悪や汚れへの好奇心さえ抱いている。

自分はよく、極端な人間と言われる。能年玲奈じゃあないけれど、「生ごみか、リスペクトな奴か」の二つで、悪口を言っている時の自分後者らしい。それ以外は、その場の環境に左右されて、その時によって生ごみの度合いが違う程度。でも、自分でも共感できる悪口対象になると、本当に環境に左右される性格なのだろうか、と思うほど、「それなりの」人間でいられる。

こんな自分が出来る仕事って何なんだろうって、本当に悩む。

犯罪心理学領域なのだろうか…。臨床心理士さん?

長々と書いてしまってごめん。ここまで読んでくれて、どうもありがとう

2016-05-19

ニコニコ動画10周年

http://anond.hatelabo.jp/20160517114849



振り返る増田を読んで、自分も書きたくなった。

トラバ元を書いた方がよく見知っていた分野は、ニコニコ構造上廃れやすい分野だと思う。

一方で生き残る分野はどんなところか。それを書いてみたい。

生き残ると思しい分野に含まれる要素を先に述べておくと、「解説説明突っ込みを加えられる」と言うことに尽きる。

そういう「解説説明突っ込み」が希薄ジャンルは廃れる。



私は2006年大学二年生で、暇だったわけだ。クラスが同じMという男からニコニコ動画の話を聴いてサイトを使い始めた。

http://nicovideo.g.hatena.ne.jp/myrmecoleon/20080527/1211907817

に詳しいような、「おっくせんまん」の成立過程リアルタイムだったし、住宅街の人が初めて歌ったこともリアルタイムで見ていた。



その後東方の隆盛や音MADパンツレスリング淫夢歌ってみた踊ってみたゲーム実況やらなにやらがこの10年で興っては消えて行った。

10年見ていて思うことは、冒頭で書いた通り、「解説説明突っ込み」を入れられる動画が強いということだ。

例えば、先ほどの「おっくせんまん」は動画歌詞を加えたことで大きなムーブメントになって行った。こうした部分がニコニコ固有性だ。

一方、そういうのが基礎になり生まれた「歌ってみた」は、あまり解説説明突っ込み」を必要としない。動画を見て楽しむことがメインのコンテンツだ。

先に投稿した方が、もう誰もやってないと嘆いたのはこうした分野だからだろう。



ゲーム実況だと、初めは実況者の音声のみで、とにかくゲームをしていく、という内容が多かったように思う。

そのうち、ルールが細かいゲームや、難易度が高いゲームに「解説」しながら実況する人が多くなっていた。

ソウルシリーズオブリビオンなんかがそう。この時期で覚えているのは「テクテク」さんの動画だ。

また、TASRTAなど速さや面白さを競うゲーム実況も生まれた。

こちらはマリオFFドラクエなど比較的皆が知ってる、プレイしたことのあるゲームが好まれた。「魔界塔士」さんの一連の仕事が著名だろう。

どちらであっても、動画内で状況を「解説」する。そしてコメントでは、驚嘆を示すコメント・指摘や修正を加えようとするコメントが出てくる。これで動画が盛り上がる。

ゲーム実況では実況そのもの面白いももちろん多かった。しかしそれだけではニコニコ動画固有性が発揮されなかったのではないか

解説」を投稿者コメントを書き込む者も可能な点こそが、ニコニコ妙味なわけだ。そうした構造を持つジャンルは生き残っていく。



もう少しゲーム実況の話を続ける。RTA動画を多く投稿している「biim兄貴と呼ばれる人が創始した「biimシステム」というゲーム実況スタイルについて。

私はこのシステムこそがニコニコ動画におけるゲーム実況成熟であると思う。

biimシステム」は、ゲームプレイ動画本体を左上に据え、右に解説窓二つ、下部に解説窓一つの構造を持つゲーム解説スタイルだ。

下部の窓には、ゆっくり実況の音声が台詞として字幕表示される。右の解説窓ではクエスト確認や、敵やアイテムステータスチャートなどが示される。

このように「biimシステム」は、ゲーム実況を「解説」するに特化したもので、多くの追従者を生んだ。

こうした点を見ても、ゲーム解説実況は、分野として生き残っていきやすいと感じる。



次いで生き残りやすいと思う分野は、専門分野を解説する動画だ。たとえばナショジオとか。本当はアップしたら駄目なんだろうけど。

ニコニコ動画では、かなり以前からメーデー!」という航空機事故を紹介・解説したナショジオシリーズがアップされ続けている。

ここに、どこからともなくやたら航空機に詳しい奴が現れ、緑色でやたら細かい解説を加えて行く。

また、「メーデー民」と呼ばれる人々は、以前の動画で出てきた事故と、今回の事故とを比較コメントする。初心者さらに興味が広まる。

それと、軍事映画戦争映画は盛り上がる。いやが王にも盛り上がる。兵器解説シリーズもそうだ。

軍事オタク描写の正確性を論議し、また右寄り左寄りの意見で荒れることが頻繁だ。しかし活気がある。

あとは海外翻訳系も強い。「AVGN」という古いクソゲー好きのアメリカ人クソゲーに切れる動画ニコニコに輸入されていて、

英語に詳しい者もそうだし、古いクソゲーに詳しい者、日本アメリカゲーム事情に詳しい者が説明相互にしている。

こうした専門分野系の動画は「解説突っ込み」に馴染みやすい。生き残る。



あと地味にスポーツ放送が良い。野球とか相撲とか。夜中に再放送とかもしていて、疲れて帰ってきたら、西武楽天とかがやっている。

ここでは多分俺と同じようなアラサーの人たちがのんびり書きこんでいる。

楽天って左打者が誰が誰だかファンでないと解りにくいのだが、動画ちょっとその選手について質問するとすぐ詳しい人が教えてくれる。

こういうのはホント新規性が高い要素だ。



10年見ていて思うことは、こうした動画による双方向的な解説・やり取りこそが、ニコニコ動画が獲得した固有性だということだ。

生放送踊ってみた初音ミクその他の華やかな部分に目が行きがちだが、本質はそこにはない。

解説」こそがニコニコ動画の真の価値だと思う。

三菱自動車不正

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17H8K_X10C16A5CR8000/

社内調査に対し、机上計算した開発部門社員は「当時は忙しく、走行試験過程が増えるので業務量を減らしたかった」と説明している。

たぶん気にしている人は少ないと思うけど、開発部門社員というのがポイントかなあ、と

まり三菱は開発の試験担当者型式認証用のデータを取ってるってことなんだよ


知っている限り、トヨタ日産ホンダあたりは認証用のデータ認証専門部署が開発とは別の試験設備を使ってデータを測定して認証業務をやってる。つまり、これらの会社は開発部門が出来たよ〜って開発完了した車を持ち込むと認証屋さんがデータを取ってチェックしてそれを国交省(交通安全環境研究所)に提出するという流れになっている。


それに対して、開発部門認証業務もやっているメーカー商品開発している担当者がよし出来た開発完了ですって言って、自分で取ったデータを提出して型式認証取得業務をやってるってこと。


どっちのやり方が不正に走り易いかわかるよね…規模が小さいメーカーはどうしても開発が認証をやらなければ回らないという事情はあるんだけどね

スズキ自動車メーカーとしては小さいし、開発部門認証もやってたんじゃないか想像する

2016-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20160515145437

ネタマジレス

高卒の小さな会社事務職と言うと想像だけど手取り20万行くか行かないか収入でしょう。

医者になったら一晩で稼げる金額です。

自分の月給相当の金額を一晩で稼ぐ妻に対してプライドを傷つけられない男がいるとしたら生来ヒモ体質でしょうから、将来的に増田の稼ぎに依存して専業主夫化するのがオチでしょう。

それでも増田愛する人と一緒にいられればいいと言うのであれば止めはしませんが、世間の目は冷たいと思う。それに増田増田彼が耐えられるか。

あと、親族から祝福されない結婚は辛いものです。これは自分経験からも言えることです。増田父と彼が和解することは将来的にもないでしょう。

よく、嫁姑問題で孫が生まれたら和解したみたいな話もあるけど、増田場合は男女が逆だから。孫が生まれたら、子育てに嫁は必要だけど種夫は不要増田父と増田彼の和解は得られないと思う。

ひとつアドバイスできるのは。

増田の家は江戸時代からの代々の医師家系と言うことで、堅実に家計運営しているのであればおそらく相当の資産があることでしょう。そのことに自負もあるでしょうから医師以外の夫は認められないでしょう。

そこで有効な策としては、増田彼を医者にしてしまえば良い。ちょっと受験勉強を頑張ってもらって、社会人入学積極的に受け入れているような医大に入れてしまえ。学費増田父に泣きついて出してもらえばよい。実際、こういう過程を経て結婚した増田のようなカップルを知っている。

何はともあれ、本当に彼を愛しているのなら頑張って欲しい。

ちなみに女医の未婚率・離婚率は非常に高いので、結婚してくれると言う男は離さない方が良いだろう。

以上。

ブスでデブだけど痴漢された

自分は二十代前半の女。

昔、一度だけ痴漢されたことがある。

  

地方都市のある店でショーケースの中の商品を覗き込んでいる時、背後に立っていた男に手の甲で尻を触られた。

最初はうっかり当たってしまったのだろうと思い、カニ歩きで横にずれ違うショーケースを見ていたのだが、その男はすすすと私の背後に移動。そしてまた手の甲が尻にタッチ

  

それが二、三度繰り替えされ、ようやく「え、痴漢?」と気づいた。

遅いと思うが、私は当時痴漢というもの友達被害にあっても自分が合うはずがない犯罪だと思っていたので一瞬何が起こったのか理解できなかった。

  

私は理解すると同時にそそくさと別の階に移動。男は追って来なかった。

店員さんに一言ぐらい伝えればよかったと後悔しているが、時間が巻き戻りあの日痴漢された現場に戻ったとしても、店員さんに伝えることは出来なかったと思う。

  

恐怖や気持ち悪さがなかったといえば嘘になるけれど、それ以上にあったのは「なんで自分だったんだ?」という疑問だった。

  

当時、自分デブだった。今もデブだが。

さら自分就活を間近に控えた学生の身。

服装ジーパンブラウスぐらいの適当な格好で、髪も黒髪適当に一つ結び。一応化粧はしていたけれど、かろうじて「あ、なんかしているな」というレベル

正直、お世辞にも痴漢したくなるような美人じゃなかった。

顔面レベルはお察し。

  

そんな自分痴漢されたのだから当時はそれなりに悩んだが、すぐに就活忙しさで忘却

数年後の今思い出したのは、当時の写真を見返す機会があったためだ。

  

正直、犯人の男のことはぼんやりしか覚えてない。痩せ型だった……?ぐらい。

  

頻繁に痴漢被害に合っていたり、同じ場所で再び痴漢されていたらトラウマになっていたかもしれない。だが同じ店におそるおそる何度か足を運んだが、痴漢に遭ったのはその一回のみ。

現在は都会に就職し、一時期は満員電車通勤していたのでもしかしたら気づかなかっただけで痴漢されたことがあるのかもしれないが、自発的に『痴漢だ』とはっきり認識した出来事は、後にも先にもこれ一度きりだった。

  

  

思い返せば、高校時代痴漢されたことがあるという友達が何人かいた。

被害者スタイルがよかったり、いかにもおとなしくてかわいい子もいれば「えっと、君が……?」といいたくなる自分とどっこいどっこいの容姿の子も少なくなかった。

私の地元結構田舎でピーク時をちょっと過ぎたバスに乗れば大体席に座れたので私は高校時代痴漢された経験が皆無。

なので「大変だな。犯人死ねばいいのに」と思いながらも自分被害に合うなんて想像したことがなかった。

  

痴漢被害の子電車通学の子が多かったと記憶している。犯人的になにかあった時、他の車両に逃亡できるからか?

  

私は痴漢のことを思い出して以降、痴漢関係の本を読み、ニュースを調べ、ネット検索し、自分なりに色々考えた。

  

そして

  

痴漢されるのに見た目は関係ない?」

  

という結論にたどり着いた。

  

これを読んだ男性の中には、

「んなわけあるかバカ野郎!触るなら美女がいいわ!!ブスなんか触りたくもないわ!!」

と、激怒する人もいるだろう。

自分も触るなら美人がいい。美脚のお姉さんとすれ違うと「触ってみたい」と思う。

正直色々開き直ってる系の自分としては美女自分を指して『同じ女だろ?』といわれても『同じ町内に住んでいるだろ?』ぐらいの感覚だ。

美女というのは自分と全く異なる存在なので、触ってみたいと思うぐらいは見逃してもらいたい。決して自分痴漢行為に至ったことなどない。男に対しても女に対しても。

それはともかく。

  

正直、男性美人しか触らないという前提で考えるとどうしても矛盾が発生してしまう。

世の中の過半数の男性ブス専デブ専なら理解できるが、自分確認できた被害者の数や住居地域を考えてもそれはちょっとなさそうだ。

これを読んでいる方の中には、「痴漢されたなんていうデブスはみんな嘘つき!痴漢冤罪だ!和解目的だ!!」

と主張したい方もいるだろう。

でも、痴漢されたデブスが残念ながらここにいる。他にも被害にあった人を知っている。

  

そのため、以下の文章は「痴漢に見た目は関係ない」を前提にしたものになる。

  

痴漢目的は、おそらく性的興奮を得ること。

しかし、デブスはおそらく大半の人にとって性的興奮にとってマイナス要素。

では、なぜ痴漢はそんなデブスを狙うか?

  

最初に考えたのは、「まさかブスを痴漢するはずないし、例え痴漢だと叫ばれても逃げ道はいくらでもある」説。

  

かなり古い本だが、痴漢冤罪に合わないための~みたいな本にも最終手段として「こんなブス触る訳ない」と主張する、と書かれていたのを見たことがある。

被害者女性が、思わぬ罵倒を受けて茫然となった隙をついて逃げるというのは『逃亡』を優先すると場合かなり有効手段かもしれない。正直腹立つけど。

  

でも、もしも現場を取り押さえられたら?他に目撃者がいたら?

  

そういう不安を抱えながら、絶対安全とは思えない逃げ道を作るために「デブスを痴漢」というのは無理がなくないか

痴漢はどんだけ痴漢したいんだ?

いやむしろ痴漢している自分に興奮してるんじゃ?

  

と、ここまで考えてふと思った。

  

自分無意識のうちに痴漢行為性的興奮と、痴漢性的興奮を直接つなぎ合わせていた。

痴漢の最終的な目的は興奮を得ることだ。しかし、痴漢してるその場でナニをやらかす輩は、痴漢の全体数で考えると半分を超えていることは無いだろう。

じゃなきゃ現行犯バンバン捕まってるはずだ。

  

大半の犯人痴漢行為で得た興奮は別の場所に持ち帰って使用するはず。

そう考えた場合

  

痴漢行為→移動→性的興奮』

  

と、痴漢行為からその興奮を持ち帰るまでの過程が挟まることになる。

私は痴漢行為を持ち帰る過程で、デブスが痴漢されるヒントがないか考えた。

  

それにしても、痴漢というのは被害者のことをどれだけ覚えているのだろう。

特定被害者毎日つけ狙っているような奴は覚えているだろうが、それは特定の人物に特別感情があって痴漢しているというよりも、何人も痴漢しいった結果「告発できない気の弱いターゲット」を見つけたのではないだろうか。

初めて痴漢した相手たまたまそういう子で、以来続けているということもあるかもしれない。

  

だが、常習犯でなくとも、たまたまムラッとした結果たまたま目の前にある尻を触ってしまった犯人もいるらしい。

手近に美女がいればそっちを触ったが、妥協した的な。

妥協で触られたとしたらそれはそれで腹立つけどな!!

  

それにしても、犯人痴漢する相手妥協できる。しかし、妥協した結果性的興奮が減退するかといわれれば違うのだろうか?

  

もしや、痴漢行為をしてから移動して性的を興奮を持ち帰る間にデブス要素が抜けてしまう……?

「移動中に痴漢した犯人記憶が書き替えられる」?

  

図にすると

  

痴漢の行動『痴漢行為→移動→性的興奮』

        ↑       ↑     ↑

痴漢脳内デブス→記憶改ざん美女

  

  

みたいな。

  

目の覚めるような美女とまではいかずとも、それなりに納得できる相手痴漢したと記憶が頭の中で書き替えることはそう難しくはないだろう。

なにせ自分記憶なんて書き替え放題。

デブスを痴漢した犯人脳内では、被害者がそれなりにかわいらしい子になっていてもおかしくない。

  

ある意味自分はそれなりに価値がある相手痴漢をしたのだ、と自分を納得させるためかもしれない。

人間、誰しもハイリスクローリターンな行動はしたくない。それは痴漢例外ではないはずだ。

ただ、ハイリスクでもハイリターンならやってみる価値はあると思う人は少なくないだろう。

  

結論として私は

  

デブスを痴漢する犯人にとって、被害者オカズのものではなくオカズをよりリアル演出するための演出補佐役でしかない」

  

という考えにたどり着いた。

  

例えはアレだが、CGモーションキャプチャだ。

痴漢という行為で得たモーションキャプチャを持ち帰り、自分の好きな外見を被せる。

生身の人間を触ることで得たモーションの興奮は妄想だけでは補えない生々しさを演出性的興奮を倍増させるための糧にする。

  

それに、モーションキャプチャに外見の美醜は関係ない。

  

そう考えると、被害者デブスでもいいというのに納得ができる。

痴漢が欲しいのは痴漢をしたという『事実』と、生身の女が痴漢された時の反応という『モーション』。

  

これも被害者の外見に関係いかもしれないが、痴漢された女性が抵抗したり敵意を向けたりすると、犯人が驚いたりする理由も同じかもしれない。

モーションキャプチャデータ収集バグが出てたからびっくり、みたいな。

バカか。お前が痴漢してるのは生身の人間だっつーの。

  

もしそういう輩が痴漢を繰り返すとしたら、モーションキャプチャの精度を上げるためや新種のモーションが欲しくなって繰り返すのかもしれない。

おそらく痴漢しながらナニに及ぶ犯人は、痴漢行為を働きながらリアルタイム記憶改ざんすることができるのだろう。

ある意味、頭の回転が速いということが出来るかもしれない。もっと別の場面生かせよと叫びたい。

  

そしてよく聞く痴漢された=自慢話と受け取る人の話。

おそらくそういう人は、痴漢行為=性的興奮と、この二つを直接につないでいると思われる。

自分の体は異性を性的に興奮させられる=自分は魅力的アピールだと。

  

しか痴漢と興奮の間に脳内変換が挟まっているとしたら、けして魅力的だから痴漢されるわけではない、ということにならないだろうか。

だってそうじゃないとリスク背負ってなんでよりにもよってデブスに痴漢するのかさっぱり意味がわからいからだ。

  

以上、デブスが自分痴漢された理由想像でした。

半分以上妄想ですが、お許しください。

アンケート:手足の欠損フェチってどんだけメジャーなの?

自分は男でヘテロなんで女の子に対して妄想するだけなんだけど、別に男or女から男or女という組み合わせはなんでもいいとして、手足の欠損フェチまり腕なり足なりがぶった切られてるっていうことに対してフェティッシュ感情をいだくってのはどんだけマイナーなんだろう。

個人的にはもう理想女の子想像すると欠損しているのがデフォルトで、一昔前は四肢全部欠損しているのがブームだったんだけど、最近は両腕がないという程度もそれはそれで可愛いかなーという感じで、この辺の好みは千差万別だと思う。またさら個人的にはそもそも「ない」子を相思相愛的に愛でたいし痛めつけるつもりはないんだけど、ここは「ある」子をぶった切る過程のほうがむしろ主眼という人もいるかもしれない(私的邪道と言いたいが余計なお世話か)。

という上で、欠損フェチはてなユーザーかいないんだろか。あるいは、あんまりフェティッシュ感覚はないけどこのレベルの欠損ならオッケーとか。みんな欠損に関してどう思っているのか知りたいので、トラバなりブコメで教えてほしい。

極々個人的には、将来的に髪の色がどうこうとか胸の大きさがどうこうとかと同じ感じで片腕のあるないとかが扱われるようになると嬉しかったり。ラノベとかえろいゲームとかハーレムアニメとかで普通に欠損しているヒロインが混じってる感じになる未来希望してしまう。

追記:義手義足好きやそもそも機械キャラの欠損的フェティッシュもあるか。その辺の事情もどんどんぶちまけて呉れ。

2016-05-15

やりたいことはある、でも挫折して終わる

「やりたいことがない。」

「何をしたらいいかからない。」

趣味でも仕事でも当てはまるだろうけど、時々耳にする言葉だ。

そういう人が居るのは事実であり、その悩みもなんとなくは分かる。


だが自分の悩みは少々ずれる。




「やりたいことはある、でも成し遂げる前に挫折する」




そう、やりたいこと自体は色々浮かんでくる。

しかし行動に対して成長速度が思わしくない。

停滞も失敗も大事経験として価値があるのは認めるが、何回も味わってくると断念したくなる。

他者比較したり、短期的な期待を持ちすぎなのかも知れないが、出来ない自分を見ていて楽しめるほど強くもない。




出来ないという表現に指摘されるのは、「調べればわかる」「ググれ」のようなものがある。

現代は学ぶ上では恵まれ時代だ。

検索すれば、ありあまるほど手に負えないほどの情報を得る事が出来る。

ただ、情報があったところで成長に直結しない事を痛感する部分でもある。




例えば自転車に乗る為に、「自転車の乗り方」を学んでも乗れるようになるわけではない。

自転車に乗る為には、自分筋肉コントロールする感覚必要なためだから。


ペダル外して蹴り続ければ早く乗れるとか理屈を学んだり、練習していれば「いつか」は乗れるようになるだろう。

しかしそれまでの道が長すぎて、自転車を放り投げてしまう。

期待値を忍耐値が超えてしまう。





模範解答をそのまま書き写すだけで正解・成長というなら、情報あふれる現代は素晴らしい答案閲覧時代だ。

皆が技術習得することが容易な時代と言える。




だが問題は、情報を整理して自身感覚と照らし合わせる段階。




ここは教科書にも載っていない、自分経験しないといけない部分。

言語化できない感覚的内容を、脳にたたき込めるようになれば問題ないのだけども。



情報を入手したものの、この段階で整理が出来ずに成長が繋がらない。

ここでモチベーションの維持が出来ずに挫折に至る。



成功者は辛い過程の中でも諦めなかった者だ。」みたいな言葉を聞いたりする。


確かに成功例として聞けば美談である

自分も諦めない事は素晴らしい事なのかと錯覚もする。

しか当事者として、先が見えない現状を継続する執念が持てるか?と言われたら心はゆらぐ。



「これを続けるべきなのか、やめるべきなのか。」



場合によって不向きであり、諦める方が賢明場合もあるわけで。

その結果、現状よりも興味を抱いたものに移る。

この繰り返しに自分は迷い込んでいる。



「やりたいことがない」という言葉は、「実際やりたいことはあるけど、必死になれるほど執念を持てない」という気持ちなのかもしれない。


そして執念を持つにしても、自身の行動をどこまで信じたらいいのか、諦めたら良いのか。


あふれかえる情報を、どうしたら自身感覚的部分に反映させられるのか。



挫折を繰り返すごとに、自身向上心が薄れてしまう気がして怖い。

http://anond.hatelabo.jp/20160515002200

苦行をする過程快楽を多くしてるんでしょ。

そっちのほうが薬の手軽な快楽より効果は大きいってことだとおもう

2016-05-14

べたべたしゃべる女

無声母音を使わず意図的ガチャガチャ母音過多な音節を連ねて幼児性を演出するあざとい浅薄女どもに懲罰を下さねばなるまいとラジオ三戸なつめが人をなめた口調で甘ったるく喋るのを聞きつつ考えていたがあの珍妙な前髪を除けばかなりカワイイというかちょっとときめいちゃう割とタイプ女の子なので本来であれば俺の骨太な親指でグリグリとほっぺを貫きたい衝動をぐっと抑えて突き出させたおちょぼ口を幅広の輪ゴムグルグル巻きにして軽く鬱血させ後日赤から紫そして群青色と変色していく中長期的過程を周囲から奇異の目で視姦されるの刑で勘弁してやることにしよう。

2016-05-13

いつも思うんだけど

みんな普段清潔そうな顔して仕事したり会話したりしてるけどさ

いつどこでセックスとかしてるわけ?

っていうかいつどこでそんなに親密な相手ができるわけよ?

その過程からして全然わからんわ。

2016-05-12

嫉妬で気が狂いそう

SNSなんてやるもんじゃない。

ましてや気になる人の友達のページなんて見ない方がいい。

開く度に後悔する。

胃が痛む。

腸がぎゅるぎゅるする。

あの人の後輩があの人に遊ばれてメンヘラになって立ち直る過程なんて見なきゃよかった。

数年前の私を見ているようでつらい。

少しでもあの人に構ってもらえて羨ましい気持ちもある。

ずるいずるい。

ほんの少しでも接点がほしい。

会って幻滅して興味をなくしたい。

執着しつづけてもしょうがないのに。

2016-05-11

助言が欲しい

私は何も知らない。

そして何か有益なことを知ろうとするモチベーションが乏しい。

そこに至るまでの過程楽しいと思えないからだ。

しか無知が原因で時間お金を浪費したくない。

賢い行き方がしたい。

その為には私は怠惰すぎる。

助言を請える賢い友人もいない。

しかし、それでも賢く生きたい。



から生活全般の助言をしてくれる人が欲しい。

秘書コンサルタント

とにかく生活すべてを見てくれる人だ。

人じゃなくてもロボットでも何でもいい。

その人が言ってることは紛れも無いベストでなくても良い。

だいたい良い感じのことを教えてくれて、それを信用できたらそれで良い。



「いつもやってるそこの掃除、これ使うと簡単にできるよ」

「さいきん電気代高いね。こっちのプランのほうが安くつくよ」

「何か投資したいの?安定してるのはここ。あと今ならここもおすすめ

「今の会社には満足してないみたいだね。こんなところが今採用活動してるけどどう?」

みたいな。



あのドラえもんに出てくるおせっかいな助言ロボットみたいなやつが欲しいのかな。

天使みたいな格好のやつ。

でももうちょっと融通がきいて優しいやつが良いな。

きつくても自分のために言ってくれる優しさとかそういうのいいから。



うーむそう考えるとどうだろうか。

結局はただ心が荒れない会話を求めているだけかもしれない。

でも内容のない会話は損した気がするから一応自分の為になる知識も得られたら嬉しいと。

からゆるふわな感じで助言してくれる人が良いと。

そういう事かも。

顧客が本当に必要だったものというのが今見えてきた感じがするよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160511145821

それでは、不透明過程が、不透明なままなの、ではないですか?

どのようなプロセスを経たかが、闇に葬られて終わっている感が否めないのですが。

2016-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20160510015409

戒律を守る人々同士のコミュニティは強化される

そして、他と差別化される

刺青とかコミュニティ帰属するか否かの分かりやすスティグマ

ソレ以外の人から見ると、それだけで忌避するに足る

戒律コミュニティが大きくなると複雑化し戒律専門家必要となる

司祭のような職業宗教家誕生

その反動として、既存宗教家を廃して新しい信仰に流れるのもまたいつものことで

由緒正しい神社仏閣をパワースポットと称する文脈無視フリーライド精神

エルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教共通聖地となる過程を追体験しているかのよう

宗教の成り立ちにおいて、教義よりも宗教的聖地の方が先に存在するのだ

廃仏毀釈が一番激しかったのは鹿児島だそうで、寺がかなり迫害されたが

墓も墓参りの習慣も残っている

日本は、仏教儒教神道ちゃんぽん言うなれば日本教信者

そこから逸脱した言動をするものものすごい勢いで排斥されるのに

その教義不文律でその場の空気を読むしか無いという

結構無理ゲーをなんとかこなしているように見える