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2017-04-26

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玄海原発の再稼働同意 共産社民撤回迫る

臨時議会知事拒否

2017年04月26日 10時30分

前日に山口祥義知事が表明した玄海原発3、4号機の再稼働同意に対し、質疑した臨時県議会

前日に山口祥義知事が表明した玄海原発3、4号機の再稼働同意に対し、質疑した臨時県議会

 正副議長の選出や委員会構成などを決める佐賀県議会臨時議会が25日、開会した。九州電力玄海原発3、4号機(東松浦郡玄海町)の再稼働に関し、山口祥義知事同意したことを報告し、共産党社民党議員が緊急質問を行った。県民理解は得られていないとして撤回を迫ったが、山口知事拒否した。

 議会冒頭、山口知事は再稼働に同意したことについて、13日の臨時議会閉会後に、九電の瓜生道明社長世耕弘成経済産業相と相次いで面談したことを報告した。県民意見聴くなどしてきた過程総合的に勘案し、「現時点では一定程度原発に頼らざるを得ない」などと述べた。

 緊急質問には、徳光清孝議員県民ネットワーク)と井上祐輔議員共産)が登壇した。県民理解が得られたと判断した理由安全性に関する疑問など、知事姿勢をただした上で、「容認撤回すべき」と迫った。山口知事は「知事という職責を非常に重いと考えている。撤回するつもりはない」と答弁した。

 傍聴席では再稼働に反対する市民がやりとりを見守った。山口知事の答弁に「同じことの繰り返し」「県民の声に応えて」などと失望の声が漏れた。

 会期は3日間。26日は委員会構成などについて各会派で調整し、最終日の27日に正副議長、各委員会の正副委員長などを決める。

http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/424769

http://anond.hatelabo.jp/20170426123412

解説させるなよ! ミニマリストの最終目的が何も持たないことであるというのならば、それを達成するのはそう難しいことではなく一夜で完成できてしまう。

そうなってしまえば<ミニマリストになる>という目的への到達という過程が一切なくなるということであり、ブログであれば書くことがなくなってしまうということでもある。

ミニマリストを目指す人>を続けるためには、アンヴィヴァレンツではあるもの

「モノを持っている状態」でい続けなくてはならないんだよ。

幸せ恋愛をするために男をとっかえひっかえしているような女の子っているだろ。

そういうような状況って訳よ、そのミニマリストさんは。

"家庭ゴリ"

約 36 件 (0.31 秒)



"過程ゴリ"

1 件 (0.23 秒)



論文ゴリとかおるんかな。

2017-04-25

やっぱDeNA女性社員の何割かは

採用過程で先輩社員にヤられてんのかな、とか想像してもおちんこ硬くなります

夫はあまり毛深くない方なんだけど肘の手前あたりに一本だけ5センチ位の毛が生えるの。

放っておくともう少し成長しそうなので本人には絶対教えないで盗み見てニヤニヤしてる。

暖かくなって薄着になると気付くんだけど、毛深くない男の人でやはり夫のように肘のあたりに長い毛が生えている人が結構いる。

1本だけじゃなく、1020本くらいが直径3センチ位に渡って同じ方向に毛並みよく生えそろっている人もいる。

そんな肘毛を眺めながら太古の昔、人間が魚だった頃の鰭の名残なんじゃないかな、進化過程で鰭が退化して肘毛になったんじゃないかな、ってロマンを感じてる。

生きづらさを感じている全ての人への処方箋

生きづらさを感じている人が、心の健康を取り戻すためにすべきことは2つ。


1.自分の心の中で、人に対する敵意や人に押し付けられた正義以外の部分、生まれながらの素直な心に従うこと


人と会うのがつらかったら、できるだけ引きこもって情報遮断し、休むこと。

気疲れしない人を選んで付き合うこと。

無理に立てた目標に向かって頑張らないこと。

勝ち負けではなく、素直に楽しいと思える趣味を楽しむこと。

耐えられない仕事は、思い切ってやめてしまうこと。

辛いと感じる人間関係は、思い切ってやめてしまうこと。

怒り、憎しみ、妬み、蔑み、恐怖といった悪い感情を生み出す場面を、できるだけ避けること。

楽をして、やりたいことを優先して、笑顔でいられる時間を最大化すること。


したくないのにしなきゃいけないことなんて、本当は何もないんです。

したいのにしてはいけないことなんて、本当は何もないんです。


自分欠点だと思っている性質の根っこにあるものは、才能を生み出す種でもあるんです。

ただ、今あなた所属する社会システムに、適応できていないだけなんです。


安心してください

思い込みをなくして、十分な休息を取れば、自然とうまく生きられるような仕組みが、人間には備わっています


2.誰もが勘違いをしているのだと理解すること


誰かが自分に悪意を向けるのも、頑張っているのに評価されないのも、自分が誰かに怒りや妬みを感じるのも、全ては進化過程人間に備わった勘違いする性質から来ています

どんなに偉い人でも、どんなに賢い人でも、どんなに強い人でも、どんなに優しい人でも、どんなに美しい人でも、どんなにあなたが信頼している人でも、みんなそれぞれ違う勘違いをしています特に正義感の強い人や、すぐに人を非難する人ほど、ひどい勘違いをしています。あらゆる悪口勘違いです。


誰も悪くありません。あなたも、あなたを苦しめる人も、ただ不幸なだけなのです。


勘違いは生まれつきの性質であると同時に、感染性の高いたちの悪い病気でもあります

現代社会では、たちの悪い病気パンデミックを起こしています


子供虐待してしまったり、うまく愛せない親も、運悪く病気になってしまっただけなんです。

本当は子供を愛しているのに、たちの悪い感染症にかかってしまったために、とんでもない勘違いで愛し方を間違ってしまったのです。


親子でも、親友でも、恋人でも、夫婦でも、悪い感染症にかかってしまった人とは距離をとらなければ、あなた健康は取り戻せません。

「私もあなたも、悪い病気にかかっているんだ、でも本当は愛しているんだ」と伝えて、離れる時間を作ってください。

大事な人と距離を取ることを非難する人がいるかもしれませんが、その人もやはり勘違いをしているのです。


人は「正しい教育」によって、勘違いの塊になっています

一つ一つ勘違いを外していけば、真に人間らしい生活に近づくことができます

2017-04-24

愛媛獣医学部の誘致、23日に経緯説明会

2017年4月22日03時00分

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 今治市郊外に予定されている岡山理科大獣医学部について考える会が23日、今治市南宝来町1丁目の市総合福祉センターで開かれる。市の担当者が誘致のいきさつなどについて話す。

 市民らでつくる「加計学園獣医学部について話を聞く会」実行委(約10人)が主催。午後2時に開会し、市の担当者獣医学部の誘致過程概要現在の状況などを説明予定。参加者の質疑に応じる。参加無料。問い合わせはメンバー奥村悦夫さん(0898・76・5048)へ。

2017.4.23 加計学園獣医学部について話を聞く会

https://www.youtube.com/watch?v=pICRNANhjA4

西村智奈美議員公文書管理法改正提案山本幸三大臣への質疑)

国会ウォッチャーです。

 西村智奈美議員は、福田康夫上川陽子枝野幸男議員らとともに、公文書管理法修正協議に尽力された方です。山本幸三行革大臣名誉のために言っておきますが、この人は質疑は結構うまいですよ。でも答弁はザル守備です。正直見てられないレベルグダグダになること多々です。ただいつも炎上するわけでなく、2回目に同じようなこと聞かれるとまぁまぁマシにはなります。私の中では、加計学園関係の3大臣合意文書関連でのグダグダ(まぁ私見では嘘)と、先般の学芸員発言、今回の公文書管理問題への対処姿勢で、もう結構ですというところですが、以下決算行政監視委員会


西村智奈美「森友・南スーダン日報問題共通点は」→山本幸三「わかりません」

西村

「今回の森友学園問題それからそのずっと前から問題になっている、南スーダン日報問題共通点があると思います大臣、何だと思いますか」

「えーただちにどういうことか、わかりません」

西村

「わかるでしょう。何かって言うと、森友学園のものは、交渉の内容は、1年未満のものから廃棄をしましたということ。南スーダン日報も1年未満のものから廃棄しましたということ。結局ありましたけどもね、電子データは。それくらい、この部屋にいる誰が考えてもわかるはずなのに、なんで公文書管理担当大臣がそのことをわからないんですか?おかしいじゃないですか。この2つ問題を言うまでもなく、私は役所自分たちに都合の悪い文書は、まずは、残さない、また廃棄をしてしまう。行政文書は廃棄の際には内閣総理大臣同意必要になるんですが、1年未満のものはその対象外になっています。この抜け穴をついて、ルール悪用して、行政文書がありませんということを盾に、森友隠し、南スーダン日報問題が浮かび上がってきたんだと思っている。1年未満の行政文書が廃棄されていたということについて、これは単純な事実ですけど、それは認識していたということでよろしいですよね。」

山本

「その点は承知しております。」

西村

「これほど大きな問題、2つの問題、だけをみても、やはりここは法の抜け穴がある。私、実は公文書管理法が制定されるときに、修正協議に臨みました。当時民主党責任者の1人として。そのときにもですね、ずいぶんいろんな工夫を盛り込んだつもりだったんですが、実際運用が始まってみると、これは情報公開法とこの法律が車の両輪になって、民主主義が前に進んでいくために、役所公文書をしっかり管理してくれるだろうと、淡い期待を持って、スタートさせたんですけども、実際にこれ抜け穴があるということが、明らかになって、非常にショックを受けています。先ほど大臣施行5年後の検討見直し報告書、これを踏まえてやっていきたいとのことでしたが、これは法改正していかないと、これは、役所文化をこれ以上野放しにしてはいけないと思います。なんでもかんでも1年未満にしてしまう。(法律では)本当であれば1から10までプロセスをたどって、意思決定過程を1つのファイルにまとめて保存していかなければならないのに、同じ期間のものに限るということを盾にして、曲解をして同じ期間のものだけ集めてファイルにする、期間が短いものドンと捨てる。こういう変なノウハウのようなもの霞ヶ関の中に残念ながらある。ここは法改正、きっちりとやって、こういった問題を起こさないという意志を示さなければならないと思う、大臣いかがですか。」

注)法文では「相互に密接な関連を有する行政文書(保存期間を同じくすることが適当であるものに限る。)を一の集合物にまとめなければならない」となっています。これの意味は、要は保存期間が一番長もの検証するとき必要になる可能性のあるものを一緒にしろよ、という意味ですが、霞ヶ関は、これを「保存期間を同じものに限って一つのファイルにまとめる」と解釈しとるわけですね。

山本

「ご指摘のように、歴史的公文書に当たるかどうかの基準が少しあいまいであるということは私どもも認識していますので、ガイドライン見直しを進める中で、しっかり前進させていきたい。各省庁での文書管理をしっかりしていきたい。その中でまずはその成果を見極めたいとこう思っています。その見極めた上で、更なる見直し必要があれば、法改正も含めて検討していきたい」(この危機感のなさ、腹立つわー。せめてそのガイドライン見直し概要ぐらい言えや。)

西村

「そうこうするうちに、霞ヶ関ではどんどん、文書が捨てられてんですよ。今、この時点も。いいんですか。公文書管理担当大臣として。具体的に私、法改正のこういった検討はいかがでしょうか、という提案をしたいと思います。たとえば、1年未満という保存期間は原則禁止にする。実は、公文書管理法上も政令でも、ガイドラインでも規則でも1年未満という保存期間はどこにも書かれていない。1年未満の保存文書実体がわからないんです。なぜなら保存期間1年未満の文書は、行政文書管理簿に登録しなくてもいいルール登録されると廃棄の記録が残るが、1年未満の行政文書は廃棄の記録も残らない、これは完全に法律の欠陥です。なので1年未満の保存期間は原則禁止すべきでしょう。大臣いかがですか。」

山本

現在ルールに則ってやっているわけでありましてーえーガイドライン見直しもやってございますので、それらの成果を見極めたうえで検討していきたい」(ルールが間違ってると思わないかと聞かれてルールに則ってやっているってアンタどこの佐川だよ、役人か。政治家だろ)

西村

「そのルールに抜け穴がありますね、ということを申し上げております

中略

西村

行政文書ファイル作成規定見直し提案いたします。「相互に密接な関連を有する行政文書(保存期間を同じくすることが適当であるものに限る。)は拡大解釈されている、森友の問題でも、ファイルにまとめるともっとも保存期間の長いファイルにあわせて保存しなければいけないため、短期のものだけを集めて、簡単に捨ててしまっている、だから意志決定過程が後追いできるように構成すべきだとこう改正しなければならないと思いますが、大臣見解をうかがいたい」

山本

「まずはガイドライン見直しをやって、その成果を見極めたい。ご意見はご意見として承る。」(だからどういう見直しをするかぐらい言え)

中略

西村上川大臣ぐらい働け」→山本「当時とは状況が違うからやる必要ない」

西村

公文書管理法ができるときに、有識者会議運営していたのは、当時上川陽子自民大臣でした。当時、上川大臣は、この結論ができるまで、霞ヶ関文書を捨てないようにと閣僚懇談会で全大臣要請をされ、全省庁を視察され、文書管理実態書庫まで視察にいかれました。そのぐらいのことをやっていただかないと、今ももう捨てられてますよ。多くの文書が。そのぐらいの仕事はしていただきたい。いかがですか大臣。」

山本(長いから意訳)

「当時は公文書ルールがなかった。現在ルールがきちんと整備されており、当時と同じような対応を取る必要はないと考える」(無責任にもほどがある)

西村

「1年未満の行政文書合法的に捨てられているという意味においては、公文書法ができる前よりも事態は深刻ですよ。そのことを自覚してください。そういった答弁に終始されるのであれば、大臣には公文書管理に関する責任も熱意もないと断じざるをえません。これからしっかりと職務を果たすんだとおっしゃるならせめてそのぐらいのことはおっしゃってくれないと困る。」


山本幸三は控えめに言って無責任よ。

岡村俊一騒動から見える人力飛行機ソロモン

2.5次元演劇作品の出来に不満を持つファンが不満の声を上げているようだけど、構図としてはニチアサ特撮番組古参新規ファンとの間で起こっていた諍いと同じ構図に見える。


元々から作品を楽しんでいたファンからすれば不出来に感じたものでも、それを楽しんでいる層が一定数おり、製作サイドからすればそちらを優遇したい。

その判断製作側がしたのだから、仕方がないのだ――


自分観測する範囲だと、当時の新規ファンはそう主張していた。



渦中にいる演出家は、故つかこうへい系譜にある人なんだそうだ。

「元来役者なんて河原者」なんて言い回しを好んだのは唐十郎だったが、つかも同様だった。

お客が望むパフォーマンス第一で、役者人権なんて豚に食わせろ、という狂った部分が見えた。

そのために阿部寛は客席の男性(仕込み俳優)とキスさせられたし、女優は頭で大根をかち割った。

それに別の理屈をつける人もおろうが、自分は「客に受けるためなら何でもやる」だと解釈している。



その意味において、客が喜ばなかったのならば、素直に失敗を認めるべきだ。

演出家自分で言うように、俳優のことを第一に考えているのなら、彼がすべきことは俳優のためにおのれの失敗を認めて、土下座をすることだ。

客に文句を付けるなんてのは、スベった芸人言い訳と何も変わらない。



ただこのような場合、スベったかどうかを判断するのは、いつも製作サイドだ。

演出家は、不満を持っているファンたちが主張するように、問題のある人なのかもしれない。

でもそのうえで製作サイドは彼を必要としたのはなぜか。

それは既存ファンたちの支える力だけでは不足があったからでないのだろうか。

既存ファンを満足させていけば、このまま安泰だ」と製作サイドは思えなかったんだと考えられる。



その判断は間違っていないと、個人的には思う。

顧客を絞って先細りしていったコンテンツは、いちいち例に挙げる必要のないほどたくさんある。

から客層を広げる努力が行われ、そこに不満を持つ人が出てくるのも仕方のないことだと思う。



作品世界観を壊す改変が、失礼な行為だという主張もある。

ただその考え方は諸刃の剣だ。

原作至上主義の人たちからすれば、2.5次元舞台のもの世界観破壊にほかならない。

ドラマ映画化が手放しで喜ばれないのと同様に、メディアミックスは誰もが喜ぶ展開というわけではない。

それらはすべて「推しを人質に取られた」と感じるファンが出る危険性を持っている。



また演出家が「話題性のために世界観を壊してもいいと考えている」と信じるのなら、批判はいっそう注意が必要だと自分は思う。



なぜなら、TLで不満が飛び交っているこの現状が彼が望んだものだとしても不思議はないからだ。

現在言葉でいえば『炎上商法』と呼ぶこの状況だけれど、他の表現も出来る。

かつてそれは街頭劇と呼ばれていたが、それの変化系とも言い換えられそうだ。



つかこうへい以前だが、日本演劇界現実虚構のカベを取ってしまおうと考えた人たちがいた。

例えば街角喧嘩しているカップルがいれば、誰もがそれをちらりと見てしまう。

それを俳優が演じていれば、それは立派に演劇だと言えるんじゃないか、という具合だ。



そう考えた作家名前は、寺山修司という。

街中で堂々と行われたショウは喝采を集め、当時のメインストリームですらあった。

エントリにも入れた人力飛行機ソロモンというのは、彼の街頭演劇代表作の題名だ。



一般人生活狭間で上演された街頭演劇の周囲では、何も知らない一般客に迷惑がかかることもしばしばあった。

突然あらわれた奇天烈な隣人にギョッとさせられれば、それを不快に思うのは当然で、それが問題になるのも仕方のない話だ。

からその芝居をそのままの形で再演することは、どの演劇祭でも不可能になっている。(今では参加者が寺山のお面をかぶるまりになることが多い)

ただその混乱そのもの価値を見出すアングラ感、それに酔いしれる観客の気持ちもとてもよく分かる。




そして電脳世界において、今回の炎上パフォーマンスでない保証はない。

演出家自身が言うように「少人数で炎上が起こせる」のだすれば、騒動自演であると言い切ることも出来なくなる。

演出家はどのタイミングだって釣り宣言をして、「ショウアートでしたプギャー」というカードを切ることが出来る。



本来であれば最終的に客に受けなければ成立しない言い訳ではあるが、アンチがいう通りの身勝手演出家ならばそう主張したっておかしくないだろうし、また「そういう役を演じたんだ」と言うことだって出来る。



演劇的な逃げ道が残されている上に、騒動によって新たに興味を持つ人も出てくるかもしれない。



おそらくそこで入ってくる人は、古参の嫌う『マナーの悪いファン』なんじゃないか想像する。

そしてそういうご新規さんを排除しようとする既存ファンの有り様こそなんとかしたいと、製作側は願っている可能性もある。

もはや古参がどんなにお金を落としていようと、製作サイドからすると客としての旨味はないのかもしれない。製作が観客の新陳代謝を求めているんじゃないか

逆に「どんなことをしても集客に繋げる演出家」の価値が上がったとしても不思議はない。



そういった意味で、ファンとして批判するならもう少し慎重になった方が良いと思う。少なくとも目的地を見据えて行動すべきだ。




と書いておきつつも、自分ファンでないので自由に書かせてもらう。



まず演出家が客に文句を付けるなんてのは論外だと思う。

俳優のことを第一に考えているならなおのこと、客に責任をなすりつけるべきではない。

それは自分自尊心という殻を破れずに消えていった俳優をこれからも増やすことに繋がりかねない、危険思想だ。

つかの舞台自分面白いと思ったのは、いつだってその殻を破った俳優たちがいる作品だった。

逆に変に大物が出演してたりすると、弾けた感じにならず、面白い作品とは思えなかった。

つかこうへい自身演出を行わない「つか作品」が面白く感じられた試しもない。それはつかこうへい劇団においてすらそうだった。



円盤などでつかこうへい演出作品を鑑賞すれば分かるように、彼の作品俳優個性と密着している。そのため文字通り「その俳優しか演じられない役」なのだ

しかも苦労してせっかく作り上げたキャラクターは、演出家の思いつきで日々全く違う形になっていく。

たぶんこの過程俳優自尊心という殻も破られるんだろうと、自分勝手想像している。



だが2.5次元作品の役はそうではない。

元々のキャラクターに近づこうと真摯努力すればするほど、演じる自分自身と離れていく。

それを『かぶりもの』と表現するのは(ことば選びが適切かどうかはさておき)なるほどなぁと思う。

おそらくこの辺のバランスもっとも巧く取ってる演出家の一人が西田シャトナーだ。

つの舞台の中で俳優モブなど別の人格が与えられ、ある程度自由にそれを演じさせる。

演じたキャラ以外の部分も観客に見せられるため、俳優個性担保されて、俳優と観客にそれが共有される。

24時間ぶりっこし続けられる女子がいないように、俳優にも自由になる時間必要なのだ




さて話題がそれたが、本題に戻そう。

演出家がああも自信たっぷりに「自分役者たちの将来のことまで考えている」といっている以上、製作サイドも「観客はそうじゃないだろうな」と思っていると認識してもいいんじゃないかと思う。

自分制作者たちがどれほど努力しても興味を失えば去る観客はゲスだと思うし、でもそれで構わないんじゃないかと思う。

たとえそうじゃないとファンが主張しても、その声を真摯に受け止めてもらえる状況ではないだろう。



騒動がその状況をふまえた上で演出家自覚的燃え上がっている可能性は捨てられず、問題が大きくなればなるほど、彼の求心力は高くなる可能性もある。





じゃぁいったいどうすればいいのか?



それは一人一人が「製作者たちにとって『良いお客』ってどんなだろう?」と考えて、それに近づいていくよう努力する以外にないと思う。



本来であれば、製作者たちが客の望むもの提供するのが道理だ。

だけど真のファンであれば、その力関係あべこべになることに不思議がることもないだろう。



どうしても受け入れられないなら観に行かないという選択をすべきだし、それも出来ないのなら自分たち上演権を手に入れるほかない。

同人誌を描きはじめる動機の一つとして「自分の望むものを書いてくれる人が、誰もいなかったから」というのもある。

それもまた一つの『良いお客』の形だと思う。



それぞれのファンが持つ原作への愛情の深さを疑うつもりは全くない。そしてその愛情に応えて貰えなかった落胆の大きさも、想像するにあまりある。

しかしその不満を演出家炎上させるかたちで表すことが、真のファンがすべきことなのかどうか。そこについてはもう少し考える余地があると思う。











などつらつら書いてきたが、もちろんこの文章演出家本人によって書かれたものでないという保証もない。

炎上を含めた一連のやりとりの中で、プロレスが行われているだけと考える人もいるだろう。




隣にいる人はその役を演じている俳優に過ぎず、自分が生きている世界は誰かが用意した箱庭なのかもしれない。

そうした疑念の風を受けて、SNS飛行機ソロモンゆっくりと空に舞い上がっていく。

2017-04-23

友人の結婚式に出席するのが憂鬱

理由

お金

・仲がそこまでよくはない(と私は思っている)


上二つが主な理由だ。まあこれだけならよくある理由なのだが、

その理由に至るまでの過程が色々と複雑だ。

から結果的に出席して終われば一番簡単なのだ

それはわかっているが現実は、なかなかそうはいかない。

正直お金がないのはみんな同じだ。だからそれを言い訳にあげるということは

私はおそらくその子お金時間を使いたくないと潜在的に思っているのだろうなと思う。

まあ彼女も私にいいたいことはあるとは思うが、

だって彼女にいいたいことがある。


私はどらかというとおとなしいほうで、アニメゲームが大好きないわゆるオタクだ。

彼女(以下A)はどちらかというと、アニメなどは全くみないキラキラ女子だ。

趣味は全くあわないが、波長はあっていたので高校で仲良くなった。

友達を作るのが私は苦手で、さら学校はウェーイ系の女子ばかりだったので

それ以上私たち友達はできなかった。

しかし、高校の終わり彼女は私よりも仲のいい友達Bができた。

それ以来私はあまり隣にいることはなく、AはBの名前ばかり呼んでいたし、いつも一緒だった。

からといって彼女は私のものではないと言い聞かせつつ、寂しさを感じながら卒業式を迎えた。

ひどく嫌な日だった。私はひどく惨めだった。

当然周りは泣きながら友達写真を撮ったり、寄せ書きを描いたりしていたが、

私の周りには誰もいなかった。

AはBと一緒に写真を撮ったり、別のクラス写真を撮りにどこかへいってしまった。

私は見送るしかできなかった。私は写真を撮る気でいたし、話しかけようとしたのだが

どうも声がしぼんで、声が震えてでてこなかった。

私は唇を噛みながら帰った。

家に帰って泣いた。もうみじめでみじめで。

母は呆れていたが。

あんた達の友情ってわからない」

と、いっていたのを覚えている。

この文章を書いている手が震えるぐらいにはトラウマになっている。

友情にこだわるのはやめようと思ったきっかけになった。

大学は全く会わなかった。恐らく上記のことがあったせいで、会うのがかなり億劫になっていた。

まあ忙しかったのはある。

社会人になってからやっとたまにではあるが会い始めた。

彼女高校卒業式ことなど、忘れているのだ。

私の気持ちなど、わかるわけもない。

からこそ、無邪気に私のことを友達というのだ。

私は笑顔を顔に張り付けたまま、Aと談笑してご飯を食べる。

非常につまらなかった。辛かった。

いや、だったら、さっさと会うことをやめればよかったのだ。

自分言い訳をして、Aにもいいところはあるなどと思わなければよかったのだ。

本当に私は馬鹿だ。

彼女との会話はいつのまにか男と結婚の話しかできなくなった。

趣味が合わない友達なんてそんなものなのだろうか。

本当に仲が良かったのに。

私が変わって、彼女も変わってしまったせいなのだろうか。


彼女結婚することになった。

当然Aは結婚式に憧れていた。私も当然よばれている。

ひどく億劫だ。こんな気持ちで出席するなんて絶対によくはないのだ。

また私も結婚を控えている。

お金がないのだ。結婚式はあげるつもりはないが、引っ越しなどにお金が飛んでいくのが目に見えている。

所詮その程度の関係なのだ

だが、今更表面化するのもひどく億劫だ。このまま終わらせたい。

2017-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20170421215211

キリスト教2000年ほど前には白い目で見られる新興宗教だったし、仏教も2500年くらい前までは社会に許容されない新興宗教だったはず。

この数千年間に無数の新興宗教誕生しては消えていったんだと思うけど、その中で世界シェアのおおきな宗教が今まで生き残ってくる過程において社会性を獲得してきたと考えられるし、また社会に浸透した後には社会構成する一要因ともなっている。だから多くの人に許容されているのだと思います

たとえば天理教立教180年くらい)は明治初期に弾圧を受けていたはずだけど、今は問題なく認められているわけで、おおよそすべての新興宗教歴史の流れの中で消えてゆくか、そうでなければ時間をかけて社会性を獲得して許容されていくという、当たり前の流れがあるのだと思います

そうであれば、元増田違和感は当然のことであり、新興宗教という未だ社会的に認められているといえないものを警戒する普通心理状態ではないでしょうか?

http://anond.hatelabo.jp/20170421215211

仏教その他のオール宗教だって、成長過程では社会との様々な軋轢経験してきた。

キリスト教だってテロどころか大虐殺や、国家間戦争引き起こしてきた。決して「安全」な教えではない。

ユダヤ教からみれば、キリスト教イスラム教も、同系列新興宗教だ。

ただ彼らオール宗教には、「どうにかこの社会とそれほど揉めずに折り合いをつけてきた」この数百年の歴史がある。

そこが、たかだか100年以内の歴史しか持たない新興宗教との違いだ。



宗教は、人に、既存社会システムとは異なる原理を与えることで、そこから零れ落ちる思いや悩みを救済する側面がある。

から社会にとって危険でないもの宗教ではないし、あるいは、宗教社会システムが結びつきすぎると、社会自体ヤバい方向に行く。

両者は、仲良くできないものなんだ。

成熟して社会と折り合いをつけることは、見ようによっては宗教の「堕落」かもしれない。

だが「堕落」してない宗教は、社会的には危うさをはらんでいるんだ。

宗教は「堕落」することで何とか社会と折り合いをつけているのだ。

オール宗教増田の感じる安心感新興宗教に感じる不安感て、そういうものだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20170422030339

元増田です。

付き合ってから15kg太って、そこから10kg痩せたので差し引きで5kg増えたぐらい。今は68kg/176cm。減量の過程筋トレしてるから付き合ったときより筋肉はついてると思うけど、魅力的ではないよな。

口臭は…歯医者に通って相談して、虫歯歯周病を治したところ。食事からタマネギ抜いたりにんにくは避けたり、ガム噛んだり、マウスウォッシャーで歯垢流したりしてる。一日の終わりの口臭はましになったと信じてるが、寝起きの乾燥した口臭は治ってない。一緒のベッドで不快にさせないよう、夜はマスクして寝ることもある。

今の歯医者はあまり親身になってくれないので別のところ行ってみようかなぁ

ハラスメントRPG破綻

ある会社員です。平日は9:00から18:00、または週に3日程度2時間ほどの残業を経て20:00頃まで勤務し、土日祝日を休暇として過ごしています。尚、周囲の社員も概ね同様です。

弊社は年間を通じて一定割合休職者を有しています

そして傷病に掛かる規則で定められた療養期間、若しくはそれと異なる規則で定められた期間ののち、彼らは退職します。

彼らが休職に至る経緯に加え、私が勤務に伴う交流体験、観察により得た情報と、インターネットマスメディア就職以前の求職活動で得た情報を照らし合わせると、どうやら弊社では日常的に「ハラスメント」的な現象が発生しているのではないか、という考えに至りました。

それと同時に、社内ハラスメント類似した現象が発生する、とある環境を想起しました。

この環境の想起は言葉通り思いつきに過ぎないものの、これに擬え改めて以上の情報を再整頓すると、今まで不規則で捉え難かった様々な現象について一定規則性を見たと感じることができました。

記事を書くにあたっての調査統計などを行なっていないため、主観的文章です。

これはある会社員が書いたブログ記事です。よって「だ」「である」ではなく「思った」「感じた」の文章です。

以上をふまえ、楽しんで頂けたら嬉しいです。

ハラスメント見方

セクハラモラハラアルハラなど、ハラスメントを示す様々な言葉を目にすることから、その発露の形態によってハラスメントの捉え方が細分化されていることを私は知っています

しかし、そのようなディティールを得られずとも、今般そのシルエットを観察し、全てのハラスメントは「不適切役割強要であると捉えることができました。

ハラスメントを「不適切役割強要」と捉える考え方に基づき、シミュレーションを行ったのはRPGという環境です。

RPGとは

RPGロールプレイングゲーム略称であり、遊戯の一形態です。

日常会話の中では、フォールアウトやファイナルファンタジーなどのビデオゲームを指すことが多いのではないかと思いますが、ここではテーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)を指します。

実際のところ、私にはTRPG遊んだ体験がありません。ですので、TRPGプレイヤーよりもだいぶ不細工になりますが、以下の通りその概略を記載します。

TRPGの概略

TRPG複数人参加者との対話(セッション)により進行するゲームです。紙や鉛筆で記録を取りながら、ダイスなどを用いて様々な選択を行い、ゲーム物語の結末を目指します。

TRPGを楽しむにはいくつかのアイテム必要になります

まず1つめはゲームマスター(GM)と呼ばれる進行役です。GMは他の参加者(プレイヤー、PL)に様々なノルマを課したうえで、ダイスの目を読み、彼らのセッション解釈し、結果として反映させることでその達成を助けます

次に、ルールブックです。これはそのゲームがどのような規則に従って進行するべきか記載された冊子です。GMはこれに則りノルマを課し、PLもまたこれに則りGMの課したノルマに応えようとします。

最後に、キャラクターシート(CS)です。これにはPLの担うべき役割特性記載されており、役割に応じた技能スキル行使することができます

TRPG労働には多くの類似点があります。なぜなら経営者管理者もまた、法律や社則等の規則に基づき労働者ノルマを課し、彼らの役割特性活用しながらその達成を助けるものからです。

異なるのは、TRPG参加者カタルシスを経て物語の決着をみることを目的とするのに対し、労働参加者社会貢献の対価として金銭等の利益を得ることを目的としている点です。

しかし、これはハラスメントシミュレーションを行うにあたっては些細なことです。

RPGとしての労働

(T)RPGを楽しむ自分想像してください。

このときとあるGM(ときにはPL)を併せて想像すれば、誰もが彼のせいでゲームを楽しむことができないと判断し、プレイ放棄したいと考えるでしょう。

彼はルールブックに違反し、CS記載されていない役割あなたに求め、その役割行使しないと見ればあなた方のセッションを歪めた上で結果に反映させます

労働の場に置き換えると、経営者ないし管理者規則違反し、労働とは無関係役割労働者に求め、その役割行使しないと見れば評価を歪めた上で待遇に反映させることになります

冒頭の「不適切役割強要」がこれにあたり、この一部ないし全ての過程こそがハラスメントであると私は考えました。

ハラスメントの渦中にあるとき労働というRPG参加者の1人である労働者は適切な利益を与えられていると言えるのでしょうか。そして、給与はその利益として換算して差し支えないのでしょうか。

待遇とは給与や休暇のみを指すものなのでしょうか。

ゲーム放棄

RPGであれば、ゲーム放棄することで不適切役割強要されることから解放されます。この場合ゲームの結末を見ることは叶いませんが、この達成をハラスメント不快感よりも優先するべきとはあまり思えません。

しかしながら、労働者にとって労働生活を維持するための資金を得ることを1つの大きな目的としています。また、社会的地位自尊心など、生活志向を決定づける様々な指標にも影響を及ぼします。

労働RPGひとつのサブシナリオに過ぎませんが、それと同時に、退場やコンティニューの叶わないメインシナリオである生活を左右する、重要なサブシナリオでもあるのです。

CSを持たない人

なぜ彼ら、ないし我々は不適切役割参加者強要してしまうのでしょうか。

RPGを楽しむとき、生身の自分が剣を持って戦う必要はありません。ルールブックにもそのような記載はありません。

RPG上で剣を持って戦うために必要ものは、あくまで剣を持って戦うキャラクターCSです。

CSRPGを楽しむプレイヤー分身であり、さらに言えばプレイヤー自身に剣が干渉しないようゲーム現実を隔てるパーテーションです。

もちろん、RPG上でキャラクターが得た財宝を実際に手にすることもまたありませんが、自分操作するキャラクターRPG上で成果を出せばプレイヤーとしても満足を得られるものです。

労働においても同様にCS必要です。

参加者がどのような特性労働力として提供するのか提示し、他の参加者ルールに従ってそれを承認しなければ、本来労働というゲームを進行することができないはずです。しかし、これを持たないままでのゲーム進行を可能にする方法があります

CSの代わりに、実際に剣を持って戦えばよいのです。

戦うためには相手必要になりますからCSを持った参加者に対しても剣を持って戦うことを要請すれば良い、ただそれだけのことです。

●我々は何をするべきなのか

適切なCSを整備することは円満ゲームプレイを行うには心強い武器となりますが、CSを持たない人と対峙するにはあまりにも無防備です。

ハラスメント対峙するとき、我々は何をするべきなのか。ハラスメント安全回避することは可能なのか。

残念ながら私にはまだわかりません。

ただひとつ思いつくとすれば、我々自身が剣を持って戦うことを我々一人ひとりが望まないことが、長期的な目で見たときハラスメント回避する方法ひとつになりうるのではないかということのみです。

2017-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20170420164027

この話題法整備に向けて矛盾がどうのこうの適用範囲がどうのこうの言ってるけど、要は「ISISみたいなのができる前にぶち壊す」だけの話だからな。

ISISオウムがその成立過程において弁当屋さんやらで(不当に安い賃金で働かせるなどの)違法行為を繰り返していて、結果それが組織を成長させる資金源となっていたって事実を振り返ってみての「経済的利益目的としたうんちゃらかんちゃら」って話なんだろ。

ここで挙がってる「政府をぶっ壊して人を殺すことが目的組織」が成立するためにはその武器供給だったりが必ず必要で、手弁当クーデターは起こせないからこその共謀罪制定なわけじゃん。

そもそも「凶悪思想を持っているか否か」を構成要件とすることは実質不可能なわけじゃん? なら経済的要件を設定するのが至極妥当だろうって話はまああると思うんだけどな。

適用される範囲広すぎやが」「恣意的運用が」って言うけれど、例えば今の名誉棄損なんてのは増田ではチャメシ・インシデントに繰り広げられてるじゃん。

それで実際逮捕起訴されてる人間は一桁程度しかいないわけじゃん?

まりは、適用される範囲が広すぎても勝手法曹の方でよしなに運用してくれるんだからそんなに気にする必要は無いってことだよ。

ちゃんと考えられてる。角度とかは。

2017-04-17

月がきれいってアニメやばい

月がきれいってアニメやばい。物凄く心が抉られる。一話の時点で嫌な予感はしていたが二話の方がきつかった。

はあ・・・これまじでやばい。俺の中学時代何だったんだ。はあ???はあ・・・くっそ・・・いやマジなんなん・・・

まず中学生はっぴいえんどって。アジカンとかバンプじゃないの??その色んな過程を経てはっぴいえんどじゃないの???

中学生はっぴいえんどって。それに小説書いてるとかさ。文化度なんなの。それに加えて可愛い女の子の心掴んじゃうってなによ。

???おまえこっち側の人間じゃなかったのかよ・・・おい・・・

俺の中学時代なんてさ、ただ盲目的に部活やって、結果求めてただけだったのに。それに比べてなんだよこれ・・・ももちぐまん見つけてえよ・・・

どうやったら女の子と接点もてんだよ・・・これ中学時代だけど高校大学も一緒だよ・・・俺の青春返せよ・・・

あああああああ・・・・・

知能を上げる方法

わたしの知っている知能の高い人たち(wais-iiiでIQ140~くらい出す人たち)はみんな興味のないことが全然できない。

好きなことばっかりやってて、どうでもいいことに対してはすごく冷淡。

でこれまでわたしは彼らのそういう性質は知能の代償なのかなって思ってたんだけど、実は因果の向きが逆で、好きなことしかできないから彼らは知能が高いんじゃないかって思うようになった。

そう考える理由ちょっと説明してみたい。

まず人類学問の体系は、だいたいどんな分野であれ似たような方法論に依っている。

物理学でも文化人類学でも計算機科学でもやっていることはだいたい同じだ。

で、知能というのはそこで共通する一般的思考の枠組み、もの見方だと思われる。

少なくとも知能検査で測られる知能っていうのは、そういう性質抽象して測るために作られているはずだ。

そしてこの方法論を学ぶには、浅く広く物事を知るよりも、ひとつ分野を定めて深く掘り下げるほうが効率が良い。

というのも、分野に関係なく、ある程度の深さまで達しないと現れてこず習得もできない思考の仕方というものがあるからだ。

そう考えると、一つの興味をひたすら追求しそれ以外を無視するような知性のほうが、広くこつこつと学んでいく知性よりはやく高度な思考法を獲得するのは当然だということになる。

というわけで、賢くなりたい人はいろんな分野に浮気せず、ひとつ学問を究めてみると良いんじゃないかな。

おすすめ数学哲学です。

(追記)

なんか誤解されているみたいだけど、頭の良い人がみんな専門馬鹿だと言ってるわけではなくて、

一度一つのことを深く追求して得た一般的方法はわりと応用が効くよ、知能ってつまりそういう能力じゃない?ということが言いたかった。

で興味が偏ってる人はそういう発達過程を経やすいんじゃないか、というのがわたしの推論。

もちろん万能っぽい人も中にはいるけど、彼らは興味の幅がそれなりに広いだけで、

やっぱりそれ以外のところでかなり欠落してたりする。

それから、waisでほんとの知能を測定できるかって話になると、そもそも知性とはなんぞやという議論になってしまうわけだけど、

それはあまりに複雑な話題から書かない。

ただしwaisで高いスコアを出す人たちの能力思考法が傍から見ていてそれなりに便利なものであるのは間違いなく、

彼らがそれをどうやって身につけてきたのか、なにが要因としてあるのか考えるのには意味がある、と思った。

知能に直接関与する遺伝子は見つかってないみたいだしね。

2017-04-16

当時白豪主義を採っていたオーストラリアは、有色人種への迫害政策を行っていた。反日主義者として知られていたウェブは、終戦後の1945年9月オーストラリア政府の依頼を受け、1942年日本軍ニューブリテン島ラバウルへの攻撃に際して、オーストラリアではテレビ放送映像を流したとのことであるが、沈められた日本の船から脱出した日本人捕虜)ら数百人を航空機から執拗な機銃掃射によって虐殺した上で、150名以上のオーストラリア人及び先住民殺害したとされる報告書を現地調査を行った上で発表した。

天皇の訴追を主張していたオーストラリア政府は彼を代表判事に選ぶことにより、天皇法廷で裁くという意思を表明したものと考えられる(法律上観点から見ると、本来事件告発に関与した者はその事件裁判官になることはできない)。

そのようなウェブ意向法廷における訴訟指揮でも表れた。裁判の開会の辞においては「被告達は嘗て、如何に重要地位にあったにしても、それが為に受ける待遇は、最も貧しい日本兵、或いは一朝鮮人番兵よりも良い待遇を受ける理由は見当たらない」と日本戦争指導者に対する敵意を露にした。

裁判検察側に有利になるように進められたケースが多々あり、検察側に不利な発言意見が弁護側から出されると、裁判長訴訟指揮権行使して遮ったり却下したりするといった場面がしばしば見られた。最も有名なのがアメリカ人弁護人のベン・ブルースブレイクニー及びジョージ・A・ファーネスの「事後法で人を処罰することは出来ない」といった旨の弁論に対しても、「全ての動議を却下する。その理由は将来闡明にする」として裁判を続行させたケースである。また清瀬一郎の「この裁判極東国際軍事裁判はいかなる根拠において実施できるのか」という質問に対しても「後から答える」とだけ述べて休廷し、その後回答することはなかった。また、中国で冀東保安隊日本人居留民に対して略奪、暴行凌辱殺戮など残虐の限りを尽した通州事件についても却下している。

法の不遡及は法の一般原則とされており(成立過程が独特な国際法上においても、必ず要請されるべきか否かは議論のあるところだが)、これを検討することな却下したことは訴訟指揮上大きな問題とされる。ただ、これは先に開始したニュルンベルク裁判訴訟経緯を踏まえた決断とも考えられる。

また、前述の通り、天皇法廷に立たせるべきとの見解を持っていたこから天皇戦犯にせず、占領政策に利用する意向を決定していたダグラス・マッカーサー命令を受け、裁判天皇責任が無いという展開に進めることを意図していたジョセフ・キーナ首席検事とは激しく対立していた[1]。

オランダベルト・レーリンク判事証言によると、ウェブは酒気を帯びた状態法廷に来ていたこともあったという。

1922年死刑廃止したクイーンズランド州オーストラリアの他の州の死刑廃止1968年から1985年)の判事であったウェブは、23年間にわたる判事生活死刑を言い渡すのは極東国際軍事裁判が初めてだったため、「極東国際軍事裁判所は、被告絞首刑に処する」の部分の口調はある意味の興奮があったという[2]。ちなみに、ウェブ自身被告人全員の死刑に反対票を投じている[要出典]。

クソじゃない一人用ゲーム運ゲーについて考える

運ゲー定義について人によって別れそうなのでここでは「目的を果たすのに意志決定よりも運が強く求められるゲーム」と仮定する。

「運要素が問題なんじゃない、その要素が強すぎるのが問題なんだ!」っていうのは自明だろうし。


過程や結果の種類が豊富

どうなっていようが楽しいので、意思決定ができなくてもあまり気にならない。

すごろく人生ゲームみたいなパーティゲームが当てはまるが、一人用だと……なんだ?


◆得られるトークンが大きい

強力な武器を手に入れるまでは苦行だったけど偶然手に入れてから一気に先に進むのが楽になりました!きもちいい!!


◆もう思い付かない

運ゲーは)だめだやっぱ

だいたい一人用ゲーム運ゲーとか面白い筈ないだろ!いい加減にしろ!!

2017-04-15

距離は近くても心はさよならだという考え方

結果としても過程としても反感を買うのは仕方ない考え方だ

傷が付くという考え方

例えばタイヤホイールに5mm以上の引っかき跡を見つけると製造過程修正にはじかれるという規則とある工場で用いるとするが私はそれは亀裂や穴でホイールが経年変化し錆でがたつく恐れがない以上時間の損失であると考えるしその検査に力を入れるのは労働衛生上体力がもったいないと考えるしそれを製品に傷が付いてると言い立てる向きにも不満を覚えるのだが・・・・・・DVDならディスク面についた引っかきあとあるいは傷でデータを読み込めないこともあるだろうから・・・・・・・DVDの傷は目視検査発見できるかどうかは分からないので・・・・・DVDを気軽に読み込める世界になるかな・・・・・・ああ・・・・・・DVD最近みてないや

入社2週目で失恋して鬱になりそう

新入社員24歳、男。超長文です。話長いと思う方は、適当に読み飛ばしてもらって結構

結末は最初最後に書いてます

あ、会社恋愛関係ないです。



入社研修のどえらく辛い状況と、失恋自分がどうしようもなくなった状況が重なってしまい、この1週間死ぬかと思った。そして今後の人生についても正直絶望している。



失恋は初めてではないが、落ち込み方が下手すぎて、仕事に集中できない。

読めばわかると思うが、明らかな地雷っぽいのを見抜けなかったあたり、恋愛経験は少ないことはお分かりいただけるだろう。



研修では、1日のほとんどが私語禁止なので、仕事の件で悩むうちに1人で頭を抱えてしまう。さら失恋に関する地雷が誘爆しだすと、元気な自分はもう帰ってこない。よくアドバイスされる、思考停止できる多忙とは正反対の状況。


一応恋愛に関していえば、いま自分は「諦めることを受け入れようとしている段階」にあって、前進はしているのだろうけど。。。



書くきっか

3年目に切り出された突然の別れ話で生きるのが辛い

http://anond.hatelabo.jp/20170310185744

日記を書こうと思ったのは、これをいま改めて読んだから。ひと月前にこれを読んだ時は、まさか私が同じ気持ちを味わうことになるとは思っていなかった。あの時はまだ自分が上手くいく可能性をバカ正直に信じていた……。



相手の子とやりとりするようになってから関係を切るまで、期間にして半年


私は恋愛感情として好きだったが、相手にとってはあくまで「一番仲の良い、一番話が出来る男友達」。

互いに意地でもその気持ちを捨てなかった結果、会うたびに辛くなる状況になったので、私の方から友達としても縁がなかったね。」とカットアウトするに至った。この選択は間違っていないと思う。



しか恋愛において、追う立場は圧倒的に弱い。

恋い慕っていた気持ち残滓に悩み苦しんでいる。



誘ったデート。2か月前から楽しみにしていた、行くはずだったライブ

イベントが好きで、一緒に行く人も大好きな人で、最高に幸せだっただろうに。これが完全になくなってしまった。



そして今後一切、その手の楽しみが(その子と)味わえないことを思うと、どうしようもない気持ちになる。

「あの子に会いたい、話したい、一緒に笑いたい」と心が叫んでも、それは二度と、絶対に叶わない。

それを実感するたびに、身体まで悲鳴をあげる。ここから立ち直るのにどうしたらいいんだろうか。




ちょっと自分語りさせてくれ。もう二度と思い返したくないから、吐き出してしまいたい。

相手の女。女子中高大とき女子大生、とだけ。



知り合うまで

初対面は、とある合コンの時。そこですごく自分に懐いてくる年下の子が居た。

なぜ自分に心を許してくれてるのかは分からなかった。



おとなしそうな子。だけどルックス可愛いし、普段無口そうに見えて、自分と話すときだけ本当の自分?みたくよく話す。そのギャップにグッときた。

またその笑い方がちょっと不器用で、人と接するの慣れてなさそうなのがなおさら愛おしい。



そんな子に、飲み会後わざわざ自分を名指しで「い、一緒にプリクラ撮りましょうよ!」なんて言われたら、女慣れしてない奴は一発KOじゃないですか。自分もそうでした。



はいLINE交換しそこねてしまい、しばらくは何もなかった。



そして半年後、似たメンツで2回目の合コン

の子にまた会いたかったので、その子友達と仲良くなって、自分主催した。

その時はしっかりLINEを交換し、やりとりが始まった。



仲良くなる過程

会話をするようになって少し経って、2人で食事に行かないかと誘った。そしたら「そちらのあのAくん(後輩)も呼んでください!」と。


脈絡のないご指名に「この子、Aと合コンで仲良かったし気があるのか?」と嫌な予感がよぎる。

でも、私にとって可愛い後輩だけど絶対モテなさそうなAよりも、自分の方が圧倒的に魅力があると思い込んでたので、その可能性をすぐに棄却



それで、3人でメシを食ってきた。

その中で向こうの失恋話になったので、次はそれを聞こうと2人で会った。

自分失恋経験があったので、互いの失恋話で、元恋人悪口で、めちゃくちゃ盛り上がった。



カフェで5時間喋れる間柄、そうそう居るもんじゃないでしょ。



これを機に、その子LINEのやりとりを続けつつたまに(2人で)会う仲が1,2か月続いた。あらゆる手を尽くして、彼女と仲良くなるように努力した。話題ストックは常時10個以上あった。会う時は30個くらい用意した。



話好き同士、ちょこちょこLINE、月2,3回会うのに加えて月2,3回通話。これも毎回1,2時間くらい。



告白、その後

2月のクソ寒かった時期、告白した。

それに対し向こうは

増田さんのことは、友達としてしか見れなくて……。

 人間的には増田さんのこと大好きですよ?

 2月3月ヒマなんで、また遊んでください」

という返事。

微妙……だけど、私のことそう慕ってくれてるんだったら、時間さえ待てばまだ可能性が有るんじゃないか。この時はそう思った。これが最初勘違いだった。



この後も、「また遊んでください」の言葉を信じて遊びに誘い、2人で映画行ったりカラオケ行ったりしたけど、そのたびに私は別れ際「やっぱり可能性ないかな?」と切り出して「いやー、恋人はムリですね」と断られる。

それでもいつかはこっちを向いてくれるだろうと無根拠に信じていた。



家に来た

そんな中、3月のある日、観たい映画DVDを2人で見ようという事で、カラオケに行くことになった。

ちょうど、先述の「3年目の~~」を目にして他人事に思っていた頃だ。



春休みなせいかDVDが使えるカラオケ屋はどこも満席

「せっかく集まったのに……」と2人で途方にくれたところで

私は往生際悪く、距離を縮めようと


「じゃあ、うちで見る?安上がりだし、自由だし」

と家に誘ってしまう。


の子も「え、いいんですか……?」と確認しつつも

家に来ることに。



そうして、一つ屋根の下で2人きり。

1人暮らしの男の家に、1人で上がりこむ女子大生

やっぱりこの子は、私にここまで心を許してくれてるんじゃないか。また期待を抱いてしまう。



彼女はまるで自分の家のようにくつろいでいた。映画が2,3本目になると、ストッキングを脱ぎ、クッションに枕しうたた寝しだすご様子。なんと無防備



私も年頃の男子である故、目の前に妙齢女子無防備に横になっていて、しか密室で誰も咎めない状況というと、頭に浮かぶことは一つ。

それでも、過去、同じ状況で手を出した結果絶交に至ったこともあり、今回は誓って手を出さないことにした。



結果、何事もなく解散

わたし、次は案内無しで行くんで大丈夫ですよ!」なんて嬉しいことも言ってくれるし。これが勘違いを加速させるわけだ。


それから数日、その子との距離感に悩んだ。


こういうのは会った後がしんどい



家に来た(2回目)

そしてまた先日、この前の日曜日。家で、今度はアニメを観た。家に来るのは2回目だ。近所までは来れたが、迷ってしまったみたいで、迎えに行った。

「次来るとき絶対にもう大丈夫ですから!」なんて、また嬉しいことを。こっちの気も知らずに。



「あ、前より部屋が綺麗になってる!」「トイレも華やかになってましたね!」と、ささいな変化に気づいてくれる。嬉しい。常連にまでなったか?って思う。

だが、こういう関係性の接近を、もう単純には喜べなくなっていた。



私は「彼女恋人になりたい」という意志があったこと、それがまだ残っていることは明白である

向こうも「あなた恋人になる意志はない」という意志は明白。でもそれでいて、向こうはさら距離を縮めようとしてくるのだ。もう、わけがからない。

私の気持ちを完全に無視している、踏みにじっている、都合の良い男扱い?

向こうは(恋愛として)相手に接近を許さないくせに、自分の方は親友関係性に甘える。このアンバランス関係

会った後がしんどいわけだ。自分の方だけ全然満たされていないから。



その日、私は「もうこうやって家に来るのは止めよう」と切り出した。

理由は「友達としては距離が近すぎる」。その子は納得してくれた。

そしてもう最後だろうということで、彼女は名残惜しそうに部屋の隅々まで眺めて、目に収めようとする。

もう、やめてくれ。これ以上、私の部屋に思い出を残さないでいってくれ。



その日の夜、シャワーを浴びながら。

の子との関係性を離さなければならないことと、会社のしんどい研修が1週間始まることを思うと、人生にはもう何の楽しみも無いんじゃないかと、深い絶望を覚えた。自殺の2文字が頭をよぎった。



決別

そして先日その子と、一応最後の会う予定になっていたライブの話をした。

2か月前からチケットをとって、それに向けてアーティストの曲を聴き込むなど予習もしていたので、それだけはキャンセルできなかったライブだ。



そこから、後輩Aくんが、私のツイートを見て心配しているという話に。

「(後輩Aも入れて)3人で遊ぶことはもう無いんだね」と言うから、話を聞いていくと

そのままの流れで、その子から後輩Aに好意があることを告げられた。



どうやら、最初に僕から食事に誘われて、脈絡なく彼を呼んだ時。

その前の合コンで喋っていた時からなんとなく好意はあったらしい。



そこから僕がどれだけ恋愛的に距離を縮めようとしても、友人枠しか空いていなかったのだ。

それに気づかなかった私がバカだった。

女性の、固まってしまった気持ちは揺るぎない。



そしてこうなってしまった以上、ぼくもその子とも、後輩Aとも会わせる顔がない。



会うのも話をするのもしんどいので、ここで縁を切ることにした。

自分選択は間違ってないはず。

まぁ、こうやって思い出してしんどくなってるんだけども。



振り返り

私も向こうも、自分のことがかわいくてたまらず、自分感情に関して融通が利かない人間なのだ。似た者同士。



互いが互いに「相手自分の思い通り(都合の良い方)に動く」と思ってダラダラ曖昧関係をつづけた結果、気持ちの差違が決定的になって、別離を迎えた。



私は(おそらく向こうも)自分他人に甘いところがあり、「ひょっとしたらしばらくして自分の思い通りの関係になるかも」という期待を抱いてきたんだろう。これまで。認知の歪み、というやつ?

しかしもうそ可能性はあり得ない。今はその現実に向き合っているのだ。



思ってみれば、正直一目ぼれだったんだな、と思う。

なのに告白タイミングが遅すぎて、友人としてしか見てもらえなかった。

片想いの仲良くなる過程楽しいのは、創作世界だけだ。

次は、後戻りできないくら気持ちが重くなる前に交際を申し込むようにしたいと思う。

それと、手広くいきたい。



……って頭では分かってるんだけど、そう簡単気持ちの整理がつくわけねーよおおおおおおおおおおお!!!



自分気持ちについて

結局これなんすよ。これを早く消し去りたい。消化してしまいたい。

この1週間で10人くらいに事情話したけど、それでもまだ足りないくらい。


正直、家に来た時に手を出して既成事実を作ってしまえば、勝手に向こうが気持ち適応してくれたのか??処女だし家だし2人きりだし。あーもうわかんね!!!

そういう過去のifとか、ライブとかドライブとか行こうとか言ってた未来のifとか全部諦めて捨て去らないといけないんすよ。

の子と遊ぶこと、その子の力になることに最大最高の価値を置いていた自分をぶち壊して、価値観を再構築しなければならない。



でもこの部屋に居ると、あの子を部屋に呼んだ時のことを思い出してしまい、全く落ち着かない。毒沼。休まらない。引っ越ししてえー。まだここに来てひと月も経ってないのに。

思い出すヒマがないくらい、考えるヒマがないくらい何かに没頭したい……。しか修行のように無言で自分と向き合う研修で、それも叶わない。

八方ふさがりよ……。


というわけで、気持ちの切り替えをしようと色々頑張る気力さえ持てない状況なんですが、それでも気持ちの整理が出来る方法を教えてください。

こんなゴミみたいなマンガの作り方があってたまるかふざけんな

http://anond.hatelabo.jp/20170415182325

最後まで読んだら、あとがきに予想の斜め上のことが書いててブチ切れそうになってる。

今だから告白しますが、僕はこの物語第一話を作り終えた次点で次の話をどうするか全く考えていませんでした。

キャラクターも主要な人物以外は何も考えていなくて、近藤先生クラスメイト全員分のデザインを先に自由に描いていただいて後から僕がそのデザインに適宜キャラクターをつけていくという変わった方式物語を作っていきました。

言い訳ではありませんが、こうした物語の作り方こそ、マンガ醍醐味ではないか勝手に思っています

それをどう料理するかは来週の自分に任せる。僕はそんなひりひりするマンガの作り方がとても好きです。

そんなひりひり感を読者の皆様にも味わっていただけたのなら、こんなにうれしいことはありません!

ふざけんなああああああああああああああああああ!!!




私はこの部分を読む前に、先の感想を書いた。

まり支離滅裂な内容や展開、一貫性のないキャラクターたちのブレ具合に頭がクラクラしたと書いた。

まさかこんなアホな作り方をしていたとは思わなかった。

確かにそういうマンガの作り方が当てはまる作品はあると思う。そういう作り方がうまくいく人もいるだろう。

だが、こういう人間を描くのが大事作品でそれはダメだろマジで。そして、お前のような人間がやっちゃダメだろそれ。

多分終わり方は最初から決めてたんだろうなと思ったし、実際3巻の途中で思った通りの結末になった。



その過程はもうぐちゃぐちゃで、

特に最後は殺しきれなかったキャラを強引に殺しただけ。

そういう意味不明な展開だったから、最後主人公ラストシーンのような選択をする説得力が全くない。

もうほんとひどい。

なんだこれ。なんなんだこれ。

ゴミマンガと言うだけならまだ許せるが、作り方も最初から読者を舐めきった作り方をしており、

それを誇っている作者のコメント

自分天才だと思ってる馬鹿作者としか思えない。

それをどうどうと載せるヤングアニマル編集部




すべてがゴミすぎてすごい腹がたった。

http://anond.hatelabo.jp/20170415062423

ちらちら見え隠れする高学歴だという自負を改めた方がいい

農繊名電だとスタートラインに立てて、学生時代にそれなりに教育されたんだなっていう程度だから特別突出もしていないでしょう

その程度の学歴だけで採用というのは、東大クラスならまだしも…

まぁ見通しが甘かったということでしょうね



学歴普通とすれば、そこ以外が普通じゃなかったとしか考えられない

勉強だけしてれば将来安泰って思考停止してしまう人にありがちではある

見た目の清潔感とか話し方とかそういう所で「何だかこいつおかしいかも」って印象を持たれたのではないだろうか

普通の人が遊びとか恋愛とかバイトとか他人との交流経験値を貯めて洗練されていく所をそのまま見ないフリして置き去りにして生活してたのでは



自分を丸ごと否定しない為に、勉強をして踏ん張って卒業したことだけは認めて自分で褒めてあげたらいい

ただし他のことに関しては素人同然のままの可能性があるからそこは反省して改善したらいい

あくまで頑張った学歴とは切り離して考えること



ただし中高大学と成長過程で、日常からそういうことを気にして積み重ねていくことだから

思っている以上に他との差が開いていて、現状から人並みレベルまで持っていくことは大変かもしれない

2017-04-14

一部の発達障害と「共感」する力について

発達障害のある人の手記を読んで思うこと

「私が」ではなく、「周囲の人が」困ったり、迷惑をする時の感情に思いを馳せる力。それはすなわち、他社の感情に寄り添う「共感力」に他ならない。

これは「定型」発達者が、成長の過程でおのずから身につけてゆく力だ。

最近は、職場発達障害の疑われる同僚に接するようになり、障害の様々な態様について関心を持つようになったのだけれど、

そんな中、発達障碍のある人の手記を読むと、この力がポロリと欠け落ちているように感じられることがある。

「私」がこう思った。「私」は、こんなふうに苦労した。だから「私」は今、こんなふうな生き方をしている、等。

論証の視座が自己に偏っていて、どこか一人称小説を読んでいるような気分になる。

特にアスペルガー症候群と診断された人の手記には、この傾向が色濃く出ている。

ex.

アスペルガーの私が、マルチタスク命!のコンビニで働いた結果…」

https://h-navi.jp/column/article/35026205

 →著者ヨーコ氏の他の記事も参照



申し訳なさ」が成長・発達を促す

敗れた側のスポーツ選手はいう。「こんなに応援してもらったのに、応えられなくて申し訳ない」と。

オリンピックワールドカップで、また欧州サッカー選手監督がそういった反省の弁を口にしているのを見ることがある。

から、この「申し訳ない」という感情は決してこの国特有のものではないのだろう。

そして、このような反省悔恨を述べた後、選手監督が次に口にするのは「だから、次はもっと努力したい」という言葉だ。

このとき申し訳ない」気持ちは、周囲に迷惑をかけないために、または、誰かの期待に応えるために、その原動力として働くようになる。

こうすまい、ああすまいと、「自分以外の誰か」にとってよくない結果を避けようと努力し、自らを発達させるエネルギーを生み出す。

自分のせいで落胆したりや辛酸舐めることになる他者への共感=「申し訳ない」という感情が出発点となり、人は成長・発達を遂げることができる。



共感力を伸ばす

こんなことを書くと、発達障害で苦しんでいる当人に、さらに罪悪感を持たせようというのか、という意見もあるだろう。

それは確かにそのとおりだ。

このような「申し訳なさ」に至る=気づくためのメソッド治療方法があるとしたら、それは前出のような手記を書くことのできる状態発達障害のある人にとって望ましいものだろう。

少なくとも、自分がこの世に存在することが申し訳ないというような、極度の抑うつ状態にまで達している発達障碍の人には、すでに禁忌である

私のような素人が、決して軽々しく日常生活に応用していいものではない。

しかし、こちらもまた感情ある人間であって、ふとした瞬間に、相手に対して非難いたことばを掛けることを制御しきれないのも事実だ。

ここで主張したいのは、こういった発達障害のある人から申し訳なさ」を引き出すような問いかけ・コミュニケーションを一概に否定するのではなく、

時には負荷をかけることが有効場合もあるのでないか、ということだ。

罪悪感という負の感情を克服するために、克服したいという意思を持つがゆえに、人は自らを発達させようともがく。努力する。

申し訳ない」という感情に含まれる、他者存在距離を感じるところから視野が拓かれ、自らの発達障害に深い理解が及び、ひいては、その克服に至ることがあるのではないか

以上のようなロジックで「申し訳なさ」を引き出すことが発達障害のある人のためにもなるという主張をしてみたいと思う。


なんでこんなことを考えざるをえないか

望むべきは、私自身がもう少し発達障害の疑われる同僚に気を使ったり、自らを押し殺したりすることなく、時に軽やかに時に遠慮なく、モノを言えるようになることだ。

発達障碍のある人の周囲の人間の負荷。

まったく陽のあたらないこの負担を担ぎながら、私もまた、私自身を視座の中心に据えて、こんなレントシーキングまがいの呟きをしている。

発達障害を望ましい個性であるとか、多様性の発露であるかいった主張だけは受け入れられない。発達障害が克服・改善されない限り、かならず誰かが負担をこうむるのだから


以上。徒然おわり。

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