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2017-01-18

プログラミングって「得体がしれない」よな

プログラミングって、これから始めてみようっていうとき、なんだか「得体のしれない行為」っていう感覚がありませんか?


ぼく自身は、プログラムを書いてる側の人間で、いまでこそ少しはプログラミング本質的な難しさをわかってる気になってます。でもつい数年前までは、プログラミングは難しくはないけど得体がわからない、という感じでした。

そのへんのコードを組み合わせて動くものはできるけど、何がどうなっているのかは知らんし、ググって分からないものはできない、という方向で、「プログラミングは難しい」と思ってました。


最近になって、プログラミング義務教育必修化の話題とか、コピペプログラマー話題とかを目にするたびに、かつて自分プログラミングに対して抱いていた「得体のしれない行為」という感覚が思い出されてしまい、少しざわざわした気持ちになったので、ちょっとここに書きなぐらせてください。


だいたいが個人的な話なので、そういうのがうっとうしい人は無視してください。


ぼくが世の中にパソコンという道具があることを知ったのは、たぶん中学生ときです。30年くらい前。当時、電気屋の売り場ではけっこうな床面積を使ってワープロ文章入力する専用マシン)が陳列されてました。文章を書くのは好きだったけど、字を書くのが死ぬほどめんどくさかった自分は、ワープロさえあれば自分小説とか書くのになあと思いながら指をくわえて電気屋の店内をうろうろしてました。しかし、ファミコンすら買ってもらえなかった家計ではワープロなんぞ買ってもらえるわけもありません。そのうち巡回してた電気からワープロが消え、それに代わってパソコンのコーナーが広がっていきました。このパソコンというのは、よくわからないけどワープロとして使えるっぽいし、どうやらファミコンを持っていない僕にもゲームができるらしい、おれに必要なのはこれだ、というわけで、中学生だった自分パソコンという存在に興味を抱くようになったのでした。


はいえ、だからといってパソコンを買ってもらえるような家計ではなかったわけなので、カタログを熱心に眺めるだけの毎日が続きました。その当時の自分にとって、パソコンが欲しいといったら、それはNECを買うかエプソンを買うかという選択でした。冨士通からパソコンが出ていることは知りませんでした。マッキントッシュっていうやつもあって、このPerformaっていうやつはなぜか安いとか、よくわからないけどシャープとかソニー独自パソコンを作っているぞとか、そういう情報パソコンに対する認識のすべてでした。当時の自分にとってのパソコンは、電気メーカーから発売されている商品一種であり、ラジカセとかテレビと同列の存在でした。


なんでこんな話がプログラミングにつながるかというと、ひょっとして自分プログラミングにずっと感じていた「得体のしれなさ」の源泉の一つは、こんなふうにパソコン電化製品として見ていた当時の感覚の延長だったのかもなあと思ってるからです。


ラジカセなら、CDだのテープだのを入れて再生タンを押せば、そのハードウェア機能物理的に体感できます。それに対してパソコンは、プログラミングちょっとやってみても、その行為と、そのハードウェアとが、感覚的に結びつきません。もちろん、プログラミングというのは、物理的なデバイスに結びつけて考えなければできない行為ではありません。しかし、パソコンを「カタログ商品」として見るところから入ってるばかりに、そこでやるプログラミングという行為ハードウェアとの結びつきが見えにくい状態に、なんとなく居心地の悪さを感じていたように思うのです。


もし自分スタート地点が、パソコンを使って文筆やゲームをするところだったら、パソコンは文筆やゲームのための箱だったでしょう。その後でプログラミングを始めていたなら、プログラミングという行為を、文筆やゲームに関連した創造的な活動として学べたかもしれません。


ところが実際には、自分はつい数年前まで、パソコンという電化製品に対する漠然とした行為としてプログラミングを捉えてた気がします。


プログラミングを始めたのは、高校生になって誰も使わないFM77が部室に置いてあったので立ち上げてみたらF-BASICインタプリタが起動したからでした。とくに何をプログラミングすればいいかもわからなかったので、教科書雑誌コードを転記したり、ループで線画を書いたりして遊んでいました。大学に入ってからも、授業でFORTRANとかLispをやらされたけど、基本的自分目的をもってプログラミングするのは数値計算くらいのものでした。そのころになると、本で情報を探して(まだインターネット検索は使い物にならなかった)適当コードをつなぎ合わせるのがプログラミングだと思ってました。そんなん面白くないなあ、とも思ってました。


この感覚、完全に、いま揶揄されているコピペプログラマーのそれだったと思いますちょっと話はそれますが、ブロック遊びとか砂場遊びって、ほとんどの人はわりとコピペプログラミングと似たような感覚でやってるんじゃないでしょうか。パーツを勘で組み合わせたり、とにかく砂を盛っていったりすれば、家みたいなのができるよね、という感覚プログラミングは、自分にとってそれに近い作業でした。学生のころは、内心、自分にもパソコンサンプルコードさえあれば何かすごいものを作れるかもなあ、くらいに思っていたふしもあります


自分バカでした。パソコンがあるとかないとか、関係ないのです。パソコンさえあれば、なんて思う者に、本当のプログラミングがわかるはずがありません。


そんなこんなで、自分はまともにプログラミング経験しないまま社会人になったわけですが、幸いにもプログラミングに対するこの感覚は、仕事パソコンを日々使うようになってから徐々に変わっていきました。

具体的には、パソコンが、自分の中で「カタログ商品から武器」へと変わりました。それと同時に、プログラミングという行為が、武器開発という位置づけになりました。

武器というのは言い過ぎだとしても、ちょっとしたプログラミングは確かに業務上課題を打開しました。それなりに計算機科学教科書を読んで勉強をしたこともあって、いつのまにかプログラミングに対する「得体のしれなさ」も解消してました。


結局のところ、自分にとっては、プログラミングという行為の「得体のしれなさ」から解放されるまでにずいぶん長い時間必要だったことになります自分がそうだったからといって他人もそうだとは限らないですが、たとえば小学校で形だけプログラミングを教わっても、分かるとかわからないとか、好きとか嫌いとか以前に、なんかモヤモヤした気持ちになるだけの子もも少なくないんだろうなあ。それは不憫だなあ。


かといって、自分がいまプログラミングで少しは戦えてるのは、そのむかしパソコンに憧れがあって、得体がしれないなりにプログラミングをする機会が若いときたまたまあったからでもあるので、そういう機会になるなら小学校で形だけでも教えるほうがいいのかなあとも思います


オチがないので、このへんで。

2017-01-16

さらながら録画してた四畳半神話体系を観て消した

正直オチ微妙だった。

 

途中まではオチのための話だということで我慢してみていたが、

まらないとしか言いようがない。

どこがどうつまらいか熱く語りたいところだが、

あいくそんなアンチというなの熱狂ファンにすらなれないくらい、

特にこれといって語ることのない内容(「無い内容」ではない、たぶん)だった。

 

最初作者のことを良く知らずに、化物語書いたやつと同じか?

くらいに中身のない上に新しくもない自分語りをツラツラと聞かされたが、

まだあちらよりはこちらの方が行動していたので調べてみると違うらしい。

でもこのクドクドしたのが好きなやつは手放しで絶賛して、しかし金は落とさないのだろうな、

いつものように、と思いながら見ていた。

最近はこういう見方をする。

 

最近?いや、最近どころではない。

5年以上前から俺は作品を観るとき作品のものではなく製作者やどれぐらい儲けたかとか、

これは続編を作れる構成なのかとか、原作者スポンサー製作陣とでどういった摩擦があったのかとか、

そういう作品を取り巻く周りばかりを気にしてまともに楽しめなくなってしまっている。

俺は

舞台裏を含めて愛せる人間ではない。

サンタがいないと知ったら、普通に落ち込むような面白味の欠けた人間だ。

サンタ父親母親だろうが、その年収を知っても特に面白いことはない。

嘘を真実だと信じていたからこそサンタというもの価値がそこにあったのだと思い返すだけだ。

俺の人間的強度が嘘を嘘として愛せるほど頑丈ではなかった。

俺は家族で鍋を突いて日曜に観るサザエさんが好きだったのであって、

その裏で姑や小姑からいじめられる母親存在を愛していたわけではなかった。

 

この話はどうでもいい。

丸2日寝てないせいで脳が制御できていない。

とにかく四畳半体型、面白くなかったよ。

だっれかがNHKにようこその続きだと言ったがふざけるな。

NHKにようこそのテーマは外の拒絶から自分ベクトルを生み出す創造の尊さがテーマだ。

四畳半はただの人恋しさからコミュニケーション欠乏症に陥った末のリア充デビューだ。

まるで似て非なるものだ。

NHK引きこもりが外と交流したけど結果として自分意志を持たないと駄目だと気づいた話で、

四畳半は外と積極的交流しようとしたけど上手くいかなくて引きこもったけど上手くいかなくていいと開き直った話だ。

四畳半は躁鬱が躁状態突入しただけで、自分なりの哲学を作ってないからあれは簡単に鬱に戻る。

子ども子どものままウェーイw状態突入しただけで好機がなくなれば加齢でただのオッサンになるのは目に見えてる。

四畳半はあれは蔵の中に閉じ込められて泣いて親に反省たから出してくれって言わざるを得ない状況に追い込まれただけ。

ただそれだけ。

自分なりの壊されないものを作り出さなければ人は真の孤独から脱出できない。

あれには形が無いし時もない。

から自分ルールを作るしかない。

NHKにはそれがあったように思える。

失礼。

今までNHKにようこその名前を出していたがアニメではなく漫画のほうの話。

漫画アニメは内容が違う。

アニメは金を出さずに消費できるやつが多いのでNHKアニメはよく語られるが

漫画ほとんど語られない。

とにかくここまでだった。

2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。


オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。


「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。


不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。


(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

人口が減ってもいいともっと言おうじゃないか

小泉進次郎氏が、

「悲観的な1億2千万人より、自信に満ちた6千万人のほうが良い」

と語ったという。

http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/25808

これに対して、切り捨て、虐殺優生思想と感じた人がいるようです。

ですが、元々日本人口は過剰です。

日本人口密度2005年平成17年)で343人/km2で、人口1,000万人以上を有する国の中では、バングラデシュ2005年で985人/km2)、韓国(同493人/km2)、オランダ(同393人/km2)に次いで4番目(注:台湾の627人/km2を含めると5番目)の人口密度もつ。 ただし近年では日本人口は減少傾向にあり、また途上国新興国人口増加により日本人口密度を上回る国が増加している(2012年時点では、台湾を含めて9番目になっている)。

平野部への偏在

日本山地を多く含む国であり、人口都市部平野部に集中している。日本過疎地域データによれば、2006年4月時点で過疎市町村となっている地域の面積は 204,329km2で全国面積に対する割合は54.1%、そこに居住する人口は約1064万人で全人口に対する割合は 8.3%、この地域での人口密度は52人/km2となっている。逆に、残り45.9%(173,506km2)の地域に、総人口の91.7%(約1億1711万人)の人が住み、この地域での平均密度は675人/km2となる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%AF%86%E5%BA%A6 より引用

時間がないのであとは要点で書きますが、

人が少なくなれば、既得権益も薄れていくはずですし、その分日本経済的リソースは各個に新たな配分がされるように変化していくはずです。

これまで人類経済的に行き詰ると、戦争をすることで、新たに破壊創造をすることを繰り返してきたと思います

大規模戦争が少なくなった今日では、人口減少が戦争に変わる新たな平和的な破壊創造の契機となるのではないしょうか。

戦争はやりたくない、でも人類社会平和が続くと行き詰る、とすれば、人口減少は人類が直面している新たな人類史のページであると言えると思います

国ごとに社会の段階が異なりますので、国際関係の具体的な問題において異論はあると思います

ですが、私たちは新しい人類歴史におけるパイオニアという地点に立っていると、人口減少を肯定的にとらえても、いいのではないでしょうか。

2017-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20170113114820

ギャルはぐいぐい来る割に他人への関心薄いというか過去会話内容とか忘れてる。

人生いいことも悪いこともあるけど、いいときは素直に喜んで悪いときは素直に悲しんで、

悪いことだけネチネチと思い返して愚痴ったりしない。さっぱりと、今を生きている。

自意識過剰じゃない。広く浅い関心を、その時その時で持ってる。嫌なものも持続しない。

オタク消極的な割に他人への関心が強くて、過去の会話をやたらよく覚えてて、矛盾点とか突いてくる。

他人の行動や思想に対しての干渉結構多い。全体的に、知的というよりも、重い、しんどい

あと人生のおける悪いことの記憶を反芻しすぎの偏った人が多いと思う。被害者意識が強い。

カップリングの好みが合わなかっただけのことで、異様に被害者意識強めたりする。

加害・被害関係の無いところに、可哀想自分を作り出す、迷惑創造性がある。

あと自意識過剰で、同じ悩みのなかをループしてる。人間的な進歩が無い人が多い。

創造的な人なのかもしれないけど、知人にそういうところあまり求めないから

リアルに関わるならギャル的な人のほうがいいと思う。同意

2017-01-06

ジャップ創造性の無さ

いまだに大量生産時代奴隷量産用の教育やってんだから終わってるよなあ

まあ奴隷を使って事業やる方も奴隷脳になっちゃってるのがお笑いだけど

http://anond.hatelabo.jp/20170106015744

自分創造性がないんなら、創造力のある人のパトロンになってクレジットにでも載っけてもらえばいい。

クラウドファンディングとかそこらにあるだろ。

2017-01-05

フリップフラッパーズ個人的分析

自分用なので他のブログなどは参考にしてません。他サイトと重複部分はお咎めなく。

アモルファス

ピュアイリュージョンの垣根を壊す主体だが、ピュアイリュージョン内部での創造の側面もある。11話で各世界接合の側面が明かされ、同時に未見の世界である未来などの世界観ピュアイリュージョン内部に見られた。このことからピュアイリュージョン過去現在未来記憶内包する神智学で語られるアカシャ年代記を模していることが理解できる。

ミミ

ピュアイリュージョンの人工的な総体最終話10:40付近の会話、10:58の台詞から彼女がそれぞれの「部分」であることが理解できる。また、彼女の別の「部分」が現実同化したピュアイリュージョン内でソルトと一緒にいる。総体である理由は明確に作中の団体がミミをアモルファスと名指ししていることから明白である

ミミのかけら

ピュアイリュージョンをそれぞれ形成しているかけら。すべて集めるとミミの総体になる。ただしミミはあくま実験材料にされた人物であり、最終話18:12から始まるヒダカの発言によりピュアイリュージョン自体は存続していることが分かる。かなりの度合いでピュアイリュージョンに溶け込むか同質の力を得た、と考えるのが自然。その為ミミの分身はいたるところでその世界に対して支配的に振る舞っている。この考察に対する裏付けとして11話では「幾つもの顔を持つ私=ピュアイリュージョンはすべて私」という答えが明確に提示されている。

憶測だが03話で戦った褐色悪女はヤヤカの「部分」であるとすればシナリオ矛盾がなくなる。ヤヤカは12話でこの褐色女と集中的に戦っており、自分の中に内在する友情と打算の葛藤とも取れる。ただしこの女をミミの「部分」として考えてもさほど矛盾は発生しない。

地獄

06・07話に語られるミミの魔物の側面。ピュアイリュージョン内の特殊な扉から入る。06話の扉に入った二名は後に偽物と判明するおばあさんの記憶を思い出し、かついろは先輩が親から見捨てられた子であることを理解する。名前立場が度々入れ替わることで理解できるが、これはココナとパピカの記憶ではなく単なる記憶の追走である10話にておばあさんが偽物であることが判明するが、ここでおばあさんは「イロ」ではなく「ココナ」と呼んでいるため、06話のいろは記憶をミミが利用したと考えるのが一番妥当結論だろう。

世界征服

アモルファスを手にすることですべてのピュアイリュージョン配下にし、結論として現実と接合された世界をも手中にできるという、同期に放送された『Occultic;Nine』に酷似した内容。並行宇宙ではなく「並行した霊界」と「並行した記憶含む心の分断化された世界」、という解釈の違いはある。この理屈最終話16:16の台詞からだが、心の概念だけでなく心に留めた過去記憶もそこに含まれている(神智学オカルト概念については上記に)。団体シンボルであるカドゥケウスの杖にはメルクリウスから転じて水銀意味があり、水銀アモルファス金属である

インピーダンス

電圧電流比のことだが、表向きには二人が同調していないとバランスが崩れる程度の意味で使われている。一方話の裏からアモルファス水銀を拾うと、水銀電流の導体となりうる物質であることは明白で、この場合プラス電極とマイナス電極がパピカとココナになる。ここまで理解できるとヒダカの意図がミミに電流を流す目的があったことが自動的に導かれる。そしてミミはピュアイリュージョン世界支配的・中心的存在であり、そこへ電流を加えるヒダカの意図ピュアイリュージョンを変容させる目的しかない。この裏はミミ自体が多くのパーツで形成される変容の主体として描かれるためでもある。そしてこの物語の変容とは成長のメタファーとしても流用されている。

ピュアイリュージョン

上記それぞれの解釈から過去現在未来を含む記憶の側面と創造の側面がある。そして各ワールドの分断あるいは個々人が内包されているという面から推測するに、それぞれの心を具現化したイデアワールドであることが推測される。このためにイデア支配に躍起になる団体描写されることになる。ピュアイリュージョンとは個々人の夢であると同時に記憶トラウマであり未来でもあるし、それらを想起させるイデアであるとも言える。

童話神話体系

眠れる森の美女』の原本である太陽と月とターリア』などの影響やギリシャ神話が用いられている。特にエルピスはパンドーラと関連する話で、最後に残された希望かつ災厄がアモルファス=ミミであることが理解できる。ミミは最終話ヒドラ変態した姿で表されるが、これはヘラクレス12功業をこなしたことを意味し、また13話で完結することを意味している。13という数字は一時期占星術世界からバッシングされたへびつかい座でもある。

太陽と月とターリア』は眠っている時点で性行為に及んだ、というあたりや双子出産などに共通点を見いだせる(ピュアイリュージョンに入る際実験体は眠っている)。ソーレ(太陽)がパピカでココナがルーナ(月)という対応で、物語子供とターリアは引き裂かれることに対応している。しか対応は瞬時にすげ代わり、ミミから見た王妃がパピカで奪われた子供ルーナ=ココナだけとなる見方へと変じる。

イナンナイシュタル女神神話と照らし合わせると、地下世界研究施設から冥府=ピュアイリュージョンに潜ってやがて終盤地上へと放り出される表現比較的はっきりしている。その頃になると二人は黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)的な現象としてこの世にありながらあの世存在と化している。ヨモツヘグイとは伊弉冉尊黄泉に下った際に伊弉諾が食べなかった黄泉食事であり、パピカやココナはピュアイリュージョン内部で食事をとっている。各国の神話にある冥府系の内容は盛り込まれているものの明言はされていない。しかしミミがピュアイリュージョン女王=冥府の女王であることを考えると彼女伊弉冉でありイナンナの姉エレキシュガルである。この理由故にここを強く解釈するとバッドエンドになるが、もしかすると二人は死んでいるかもしれない。そのため最終話でサユリは暗い顔をしている。この解釈場合エンド付近でヒダカがピュアイリュージョンを捉えられなくなったのも当然といえる。今ヒダカがいる場所こそがピュアイリュージョン化しているためである


他作パロディ

北斗の拳SIRENプリキュア、ズヴィズダー、空中ブランコまどマギエウレカセブンなど。変身ロボの回にはエヴァ的なエフェクトも見られた。また敵に奇襲される基地などはネルフ彷彿とさせる。

メッセージ

親子関係の束縛と友情が強調されているがアカシャ年代記などの背景を踏まえると、過去未来現在自分探しよりも自分自身が好きなものを信じなさい、という思いが中心に走っていることが分かる。この裏付けは03話の褐色悪女発言にも求められる。友情は大切なもの記号化であり、親からの束縛は「好き」の選択に闘いがつきまとうことを暗示している。世界の変容は自分自身履歴でありながらも成長概念として提示される。この点はエヴァ世界の融合と歪な葛藤の解消を描いたことに対して、フリップフラッパーズではバラバラの自己意味を探し打ち勝つことが主眼となっており、作品メッセージとしての融合目的も違う。当作品では歴史が地続きであるという示唆にとどまる。実際彼女たちはラストシーン自分たち歴史を作るために手を取り合って旅立っている。その世界は夢と記憶履歴現実が混ざり合って「過去から繋がった」ピュアイリュージョンの姿であり、過去と切断せず自分と向き合った三人が映し出されてエンディングを迎える。

2017-01-04

遊☆戯☆王ARC-Vこうだったらよかったのに+こうなればいいのに

  1. 榊遊勝、ユーリに敗北。カード化されるも寸前に駆けつけた遊矢にスマイルワールドを託す
  2. ユーリvs遊矢で戦闘継続スマイルワールドや遊勝が(墓地に)残したEMを駆使してユーリ勝利
  3. ユーリが吸収され、ズァーク復活が始まるかと思ったが、遊矢は何とかこれをこらえる。
  4. しかし、ユーリがこれを妨害、遊矢の意識をのっとりズァークはユーリを主人格とした不完全な状態で復活する。
  5. 遊矢を追ってきていたエド・素良とデュエルし、それを一蹴する。
  6. 2人を一蹴したものの(遊矢・ユート・ユーゴのわずかながらの妨害もあり)不完全な状態であり、力を上手く制御できないズァークは、統合のための第5の次元アークファイブ」を自らの力のみで作り出し、そこに逃げ込む。
  7. エド・素良は謎の人物(シルエットのみだが勝鬨と思われる)に救出され、アカデミア本部に戻る。
  8. エド・素良・カード化された人間を復活させる装置を使い復活した遊勝から一部始終を聞かされた一同は対策を話し合う。ついでにクロウとかも復活。
  9. 柚子提案で、アークファイブを作り出しレイを復活させるシステムの一部を使って、アークファイブを作らずレイだけを復活させることを提案
  10. システムは正常に機能したものの、柚子ズの意識は残ったままで、5重人格のような状態になっているレイが復活する。
  11. ズァーク、次元狭間彷徨っていた謎の人物(使うカードや声からしてどう考えてもあの人だが、Mrハートランドのように原形をとどめない状態になっている)を救い出して僕とする。
  12. 同じように4つの次元ができたとき次元狭間に取り残された人間(本田らしき人や三沢らしき人や牛尾らしき人や鉄男らしき人のシルエットがある)を僕とし、同時多発的に各次元に送り込む。
  13. レイはズァークと戦うことを決意するも、プロフェッサーおよび零児がそれを制止し、零児とのデュエルになる。
  14. すべての召喚方法を手に入れたもののその力を使いこなせていないレイであったが、遊矢とのデュエルを(柚子ズが)思い出したり、零児の助言やデュエルを見て覚えることでそれを使いこなし、零児に勝利する。
  15. そのデュエル中に、遊矢の所持していたペンデュラムによって手に入れた新たなペンデュラムモンスター創造する。
  16. 4つの次元(特にスタンダード次元)の被害は酷く、それによって生まれた憎しみや怒りの心で、ズァークは完全に復活し、ユーリ人格から切り離される。
  17. ズァークとレイデュエルレイ勝利。遊矢達は分裂する。
  18. しかし、ズァークは実体を持たない思念体として体を飛び出しており、リアルソリッドビジョンを使って新たな体を得てしまう。
  19. ズァーク(思念体)vs遊矢・ユート・ユーゴ・ユーリの変則デュエル苛烈攻撃を行うズァークに対して4人はエンタメデュエルを行う。なお、この模様は全世界に中継される。
  20. ズァーク敗北。
  21. アークファイブ崩壊に際してレイはかつてズァークを分裂させるときに使ったカードを使ってアークファイブを4分割し、もともととある4つの次元に吸収させる案を提案
  22. プロフェッサーは反対するもレイ意志は固く、アークファイブは分割・吸収される。
  23. レイ柚子ズに分離する。レイ意識はズァークの意識を飲み込み、アークファイブとともに消滅する。
  24. 次元自由に行き来するシステムが構築されたものの他はほぼ元通りでエンド。

ユーリプロフェッサーから自身やズァークについての危険性を聞いていたため、逆にそれを利用してやろうという魂胆があった。

ズァークの分裂前の意識の影響を一番受けているのは実はユーリで、ズァーク完全復活後に切り離された本来ユーリ漫画版のような性格をしている。

レイ及びズァークの意識次元狭間彷徨っていて、各次元で起こっている出来事を見ていた。ズァークはそれに加え、特に自分に近い思考をしていた遊矢と、自分の影響をもっと受けやすかったユーリ積極的干渉しようとしていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E2%98%86%E6%88%AF%E2%98%86%E7%8E%8BARC-V

2017-01-02

知識だけかき集めて他を白眼視し、マウントした挙句何も創造もしないし分析もしない人の集まり

相撲漫画分布表を作ってるなんて話はまだましなほう。

2016-12-31

アトピーが治るのが怖い

はいいんだ。なんか頭がふわふわしていたりするから

でも痒みも痛みもなく容姿も健常者で完全完治ぴかぴか人間になったらどうなる?

現実が顔を出す。そして健常者との一生埋められない差に絶望する。

今まで失った時間青春絶望して発狂して暴れまわりそうだ。

もう二度と絶対に手に入らないものを街中で健常者たちに見せつけられて発狂しそうだ。

常にメンタルにラリアットを食らわせられそうだ。




アトピーゾンビウイルスが完治するのがこわい。

治ったら現実けが残る。




アトピーゾンビウイルスが完治したら気づいてしまう。

怠惰無能馬鹿でうじうじしてて、そのくせプライドは高く、口を開けばないものねだりや言い訳ばかりの屑で、出来ることなんてないしスキルもないのに偉そうで、健常者ランドがーとか面白くもないことを言って、友達恋人がいないのはアトピーゾンビウイルスが原因じゃなくて自分のひねくれて腐ってる人格問題があるからのくせにアトピーゾンビウイルスのせいにして甘えて、努力不足をアトピーゾンビウイルスのせいにして逃げようとする糞野郎で、親の虐待いつまでも引きずって言い訳に使う屑で、虐められたのをぐちぐちといつまでも愚痴垂れて、だから無理なんだと努力しない言い訳にだけは必死で、世界被害者ぶって可哀想な僕にすがって甘えて成長せず、自分には甘いゴミのくせに他人には異常に厳しくて、馬鹿のくせにアトピーゾンビは賢いんだと言い聞かせてショーもないプライド必死で守って、アトピーゾンビは将来凄い人間になるんだとかキモイ妄想をして現実から逃げて、凄い人間になるための努力はしないで、そくのせ他人努力してなかったらムカついて、配られたカードが悪いと不貞腐れて、女の子に好かれないのは容姿が悪いからじゃなくてアトピーゾンビに何にも人間としても魅力がないからだという現実を見ようともせず、女は容姿しか見ないんだ!糞だ!とか訳の分からないことをいって女を敵視して、他人に勝てない言い訳必死て勝てる場所を探す努力もしないで、アドバイスを貰っても聞く耳を持たないで、できない理由を探すのに必死で、行動力も発想力も創造力も貧困のくせにそれをどうにかする努力はしないで駄文を書き散らし、ビビりでチキンで小心者で人間力の欠片もなく、鈍感力もなく、ちょっとのことですぐ傷ついて暗い気持ちになって、自殺すらできず、旅人のように自由に生きる勇気もなく、金もない人脈もない糞野郎だということに。

アトピーゾンビアトピーゾンビが大っ嫌いだ。

2016-12-27

正月の私へ

正月休みを過ごしているちょっと未来の私へのメッセージです。

今年も、本当によく頑張りましたね。年末納期に間に合わせるために沢山残業もできて凄いと思うよ。そうして納期も守れてそれなりのクオリティーで納品できましたね。

年末頑張っていた私の仕事ぶりを振りかって気づいたことがありますので、伝えておきますね。この修羅場を乗り越えるときにはとっても集中できていましたね。特に追い込みの3日はすごかったですよ。きちんと仕事優先順位も付けられましたし、限られた時間仕事の完成度を上げることを意識して動けました。されに、無駄時間もありませんでしたね。仕事時間は「はてな」を見ない、いつもこれが難しいなあと思っていたけどできていましたね。これからも、「はてな」は仕事が終わってから、を続けようね。オンとオフをしっかり切り替えてメリハリをつけると、仕事が終わってから時間がとっても楽しいね。それに、夜になってから、もうすこし頑張れば良かったな、なんていう後悔も感じませんでしたね。

頑張るだけじゃなくて、1時間に1回の休憩もしっかり取れましたね。いつもは、もうすこしキリの良いところまで作業しようと思って2時間も3時間も机に向かっていて、疲れちゃうこともありましが、今回はきっちりと自分身体を守れましたね。きちんと休み時間を取れたからこそ集中して仕事ができるということがわかりましたね。

特に強調したい点があります。それは、TVyoutube作業用BGMを流しながらではなく、無音で作業出来ましたね。いつもは、なんとなく音楽を聞いたりして気が散ってしまいましたが、やはりyoutube仕事が終わってから楽しいもんね。文章を創るとき自分と向きあう時間だよ。

いつも、難しい仕事にとりかかろうとするときは、とっても勇気必要だと思っていましたね。でも、今回のお仕事からわかったことは、創造的で難しい仕事をやって見るときは、簡単ものをやってみる。質が低くても作ってみようということでしたね。

仕事を始めたときのことも少しだけ思い出してね。たくさんできることが増えたね。文章も書けるようになったね。しごとのルールも守れるようになったね。

次の納期は年明けだよ。もうちょっと頑張ろうね。

2016-12-24

[] クリスマス

内村鑑三の著書の一つに『一日一生』という本があって、1年365日(366日)の各日について聖書一句引用し、それについて内村コメント(他の著書から引用)を付す、ということをやっている。

そのうち12月24日と25日がやはりキリスト生誕についてのものだったので引用する。


12月24日

からキリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた(コリント信徒への手紙二 第5章17節)



 イエス処女からお生まれになったのは、神が普通出産法を賤しめられたからではない。人類以上の生命をこの世に持ってくるために必要であったかである贖罪キリスト降世の唯一の目的ではなかった。これは罪の世に現われた第二の人におのずから懸かった職分であった。処女の懐胎は新人を世に供するために必要であった。私たち聖書記事によるだけでなく、宇宙進化の順序からも、また私たち人類の切なる要求からも、この大きな事実を信じるものである

12月25日

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアであるあなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしであるルカによる福音書第2章10-12節)



 もしキリストがお生まれにならなかったら、この世はどうだったか

 シーザーアレキサンダーらはなお陸続と世に顕れただろう。君主ひとりのために屍をその馬前にさらす忠臣義士は出たであろう。しかし下民のために剣を抜いたクロムウェルワシントンのような武人は出なかっただろう。ルター、サボナローラのような、いわゆる社会的勇士は生まれなかっただろう。

 ホレス、ヴァージルのような宮廷に媚びを呈する詩人は出ただろう。けれどもダンテミルトンのような平民詩人は出なかっただろう。

 キリストの生まれなかった世界貴族帝王世界である。人を崇めてこれを神として仰ぎ、一人の栄光を到達させるために万民が枯死する世界であるキリストによって筆も剣も脳も腕も貴族の用をせず平民の用をするようになった。

2016-12-20

受験に失敗した

夢を見た。

夢の中で、へー、としか思わなかった。悲しいとか悔しいとか絶望とか何も感じなかった。夢の中ですら自分人生に疲れ切っていた。

受験なんてするきないけどね。気力ないし。もう疲れたよ。アトピーゾンビウイルスの痒みや痛みやガサガサ醜さのせいで一時も休めない。


もういいよ全部。疲れた

ワープワでいいや。底辺職でいいや。ホームレスでいいや。ニートでいいや。

非正規でいいや。負け組でいいや。低所得でいいや。低学歴でいいや。無教養でいいや。社会ゴミでいいや。



体が精神の首を絞めに来る。疲れたアトピーゾンビウイルスの痒みや他人から精神攻撃に耐えるのは疲れた

灰色青春我慢するのも疲れた。手に入れることをあきらめろと言われているみたいでこの世界で生きるのに疲れた

健常者として生まれてきたかっただけなのに。健常者として恵まれ環境で育ちたかった。

すくすくのびのび育ってビルゲイツみたいな富豪になりたかった。



料理人アトピーゾンビウイルスがあるからあきらめた。

ミシュランガイド自分の店が乗るのが夢だったけど諦めた。こんなことならなりたいなんて思わなきゃよかった。



接客業アトピーゾンビウイルスがあるからあきらめた。幼稚園生のころは人が好きだった気がする。

アトピーゾンビウイルスのせいで酷い虐めを受けたり醜い顔や体を持ってる自分をみて自信がなくなってコミュ障になった。



俳優アトピーゾンビウイルスがあるからあきらめた。

ドラマ映画に出てる主役の人はみんな容姿のいい健常者だ。非健常者でキモゾンビ可能性はない。



モデルアトピーゾンビウイルスがあるから諦めた。

容姿がわるいアトピーゾンビ可能性はゼロだ。つまんない人生だ。



ユーチューバーアトピーゾンビウイルスがあるからあきらめた。

にんきゆーちゆーばーはみんな健常者だ。そこそこ容姿のいいやつがトップレベルにいる。

人を不快にさせたら終わりの職業からアトピーゾンビみたいなキモ肌卑屈人間相手にされない。諦めた。



ジャニーズアトピーゾンビウイルスがあるからあきらめた。

アトピーゾンビウイルスがなければ今頃は嵐のリーダーとして活躍していただろう。残念だ。




営業アトピーゾンビウイルスがあるから諦めた。

第一印象キモがられて門前払いされるだろうから諦めた。キモイ奴とは話したくない。健常者の総意だ。




知的労働は諦めた。

アトピーゾンビウイルスの痒みや痛みで常に頭がぼーっとしている。こんな脳みそ知的労働なんてできない。知識労働者になんてなれない。

アトピーゾンビウイルス邪魔されない脳が欲しかった。創造者になりたかった。イノベーションを起こしたかった。

スティーブジョブスみたいな英雄になりたかった。革新者になりたかった。非常識生き方肯定される有能で魅力的で革新的人間になりたかった。

新しいものを生み出すひーろになりたかった。脳内の様々な知識を駆使して宇宙に衝撃を与えたかった。ただそれだけの人生だった。



やる前から諦めるなという健常者ワードにはうんざりだ。非健常者であるアトピーゾンビはやる前から諦めなければならない職が沢山ある。

もうなりたいものなんてないし、やりたいこともない。夢なんて持つのはやめたし、希望もない。

環境を変えてもゆりかごから墓場まで馬鹿野郎ゾンビ肉体が付いてくるから死ぬか苦しみながら100歳まで生きて早く死んどけばよかったと後悔しながら死ぬしか選択肢が残されていない。



健常者だったら人生たっぷり楽しんで100年くらい生きて、あー楽しかった!と死ねるのだろうな。

まれてきたことが罰ゲーム地獄死神のご褒美。悪魔のいたずら。天使の虐め。神の悪意。聖母マリア憎悪

地獄の終着点。それがアトピーゾンビなのだろう。

2016-12-13

君の名は。」ついに世界累計興収で千と千尋を超える

ついに千と千尋を超えた。

世界興行収入に限って言えば、これで日本一になったことになる。

ドルベース


さらに、フランスプレミアが開催され、レビューが解禁。

元々日本アニメ評価している国で言うと、台湾等のアジア圏を除くとフランスが最も有名ではあるが

著名な映画レビュー雑誌なども満点を出すなど類をみない異常な絶賛状況でとてつもない事態突入している。


「美と創造性の大旋風だ」フィガロ紙 ★4/5

完璧なる傑作」メルヴェイユ紙 ★4/5

驚愕...奇跡アニメMAD MOVIE紙 ★5/5

知性的で美しく面白いオカピ

新海誠ロマンティックな詩人カイエ・デュ・シネマ ★5/5

日本アニメ界の新星、ここに」エクランファンタスティック ★4/5

アニメ界の異常現象社会現象)」バラエティ


残念ながらゴールデングローブ賞にはノミネートされなかったが

アカデミー賞前哨戦の一つであるロサンゼルス批評家協会ベストアニメ賞を受賞するなど快進撃が続いている状況である

※ちなみにフランス一般公開12/28から

2016-12-11

日本死ね」という言葉に対して

色々あると思うけれど、個人的にはカフカ言葉が私の全てを代弁してくれている。

罵詈雑言は、なにか怖ろしいものです。(中略)すべて罵言というものは、人間の最大の創造力としての言葉を損ないますののしる人間は――魂を陵辱するのです」(グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』)

冗談では済まない語彙をコピペ脊髄反射的に言う日本人

最近どころかかなり以前から、〇〇テロかいスラング流行っています流行りというよりももはや、定着してしまっているみたいですね。例えば「飯テロ」とか「バイトテロ」とかです。TwitterとかSNSとかでスラングとして広まりしましたが、マスメディア広告代理店流行らせたのとどちらが先か、私にはよく判りません。

テロ」という語彙は冗談では済みません

そもそもテロリズムというのは、テラー・イズムだからテロリズムなのですから、つまり目的のために恐怖を与える手法のことをテロリズム、略して「テロ」といいます。こうした語彙の意味もおそらく解っていない人が、〇〇テロかい造語安易に用いているのでしょうね。

ゲリラ的」と言っていた場面でさえも「テロ的」とか言う人が出てくるようになって、意味が全く判りません。そのうち、「緊急企画」などという大げさな表現がありますが、それも「テロ企画」って言うようになるかもしれませんね。

世界的に見てもおそらく通じない、恥ずかしいことだと思います冗談では済まないんです。テロというのは、大量殺戮と恐怖なんですから

からそうなのでしょうけれど、今の日本人さらに、言語の扱い方を解っていないと思います。昔から、字はせっせと教えられ、習字、言い換えれば「かきかた」は執拗にやりますよね。

けれど、修辞をやらないんですよね。

国語教育」とか「日本語」とかいう語彙が明治期以降なのでしょうが、広められ定着させられました。けれど、古来の言語は「やまとことば」(和語)で、中国から漢語を書きことばとして受容し、やまとことばを書くためにも漢字をあてるようになったものです。だから、「古文」(「古語」)と「漢文」という各教科が、意識的に設定されていました。しかし今って、ほとんどの人は、「日本語」と称するものがいったい何なのかを解るのではなくて、むしろ単に「コピペ」で話したり書いたりしています

ゆとり」とかいう以前から、丸暗記、思考停止コピペ教育なんですよ日本って。

何が変わったかというと、戦後から今にかけてずっと、都会へ引っ越してきた世帯が増え、いわゆる核家族化もし、同時に会社人間化(社畜化)、学歴という階級差別で親が教育をやらなくなり、さらに(貧困への退行による)共働きが増えたわけですね。だから、親や祖父母が教えなくなった、そもそもの教える能力もなくなった。本に書いてあること、新聞テレビにあること、学校や塾や予備校でやることばかりが、皆に刷り込まれるようになりました。

我々は戦後から今に至るまで、食べ物にしても人為的大量生産されたものを食べることが多くなり、生きたもの調達して最初から調理することは減りましたし、「外食」のように他人が作るもの、それもチェーンやフランチャイズの均一規格品を食べることが多くなりましたよね。

実は、野菜ですら、人為的に交配・生殖されて共通遺伝形質をもつ第1世代交配雑種F1種)が多くなっていて、遺伝子組み換えでなくたってもう、均一規格品化が進んでしまっています。ましてや、霜降り牛肉とかブロイラーとか、言わずもがなです。そして我々の肉体は、そうしたものを食べたり(飲料を)飲んだり(気体を)吸ったりしたものから形作られています。ですからもう、肉体の共通規格化や、生物としての異変が、そのことに気がつくか否かを問わず進んでいます

同じように、精神人格も、共通規格化が進んでしまったわけです。教わることも、人生経験も、ワンパターンになっていきました。そうして我々は、大量生産共通規格品になっていったわけです。

それが生物として、人として異常だから本能的あるいは意識的に、抗おう、闘おうとする情動が沸いてくることもありはしますが……。おそらくたぶん、その多くは本能的なものにすぎないのではないかと思います

ともかく、考えずにコピペで言うようになりましたから、その社会通念がたとえ間違いであったとしても、差別ヘイトであったとしても、自覚なく平然と言う社会になります。間違っているという自覚が起こらないんですよね。固定観念なんだ、偏見なんだという自覚がないままに、皆が平然と酷いことを言うんです。

実際には、人それぞれ異なるわけですから、どうやっても完全には共通規格化しません。もしもかりに皆完璧に同じになったとしたらパンデミックで滅ぶんでしょうけれどね。完璧に同じではなくとも、皆同じことしか考えられない世の中は創造性がなく、トラブル解決能力もなくなります、既にそうなっています

完璧には同じになりえないのに、社会全体に広まっている偏見を我々全員に適用しようとするから、うまくいくわけがありませんし、間違っていますし、軋轢も起こります。その軋轢に耐えることを事実上強制されるのは大概、権力や数の圧力をもたない方。

それで事件が起こることもありますし、人が死ぬこともあります。かりにそこまでいかなかったとしても、人というものは、大半を言語思考する生物ですから言語が荒廃していると精神人格も荒廃します。そして社会とは人々で構成されていますから、荒廃した人々で構成されている社会は荒廃しています

そしてそれで、そんな日本人世界通用すると思っているとしたらおかしいでしょう。己の母語もまともに扱えない者が、他人とどうやって対話するのでしょうか。それどころか、欧米論理ですらも全人類には通用しません。人類自己中心的論理地球宇宙には通用しません。だから日本人と称するものは救いようのない低レベルだと思うんですよ。

2016-12-10

虚無の壊し方

創造することでしか壊す事はできないんだな

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161208205452

増田博士課程進学を薦めているが、おすすめしない。理由日本では大学という仕組み自体疲弊しており、社会での役割が年々縮小しているかである。防疫、防災国防医療、農林漁業畜産化学機械材料などで核となる組織は維持する必要があるが、各50人態勢の最先端組織を作ったとしてもそこで働けるのは数百人でしかない。欧米アジアの一流大学研究機関を合算で考えれば行き先は増える。だから博士課程を目指す人は、シンガポールで、ソウルで、ドバイで、上海で、サンフランシスコで、ワシントンで、ロンドン就職するつもりでいる必要がある。

明治に国を急速に欧米ロシア中国に対抗するため近代化する必要があった際、飲み込みの早い子供たちを留学させ、英才教育を施して、日本全体と地域の発展の核として育てた。それが旧帝大だったと思う。

21世紀の今、大学社会から求められる知の蓄積と創造活動情報発信というものはあまりないように思う。それは個々の大学教員資質とかそういうことではなくて、一人親方個人経営大学研究室では教授スタッフ資質いくら優れていても達成できることに限界があり、大資本を投下して遂行される民間活動には逆立ちしても追い付けない。(ポスドク待遇が悪いのはまさに資金のなさを精神論で克服しようとするための歪によっておこることだ。)

民間でできないことがあるじゃないか、ということはあるのだが、防疫、防災国防といった基幹的なこと以外で民間でできないことというのはそもそも民需がない。社会的要請がないのだ。

2016-12-07

無を創造する

究極の無を創造することにした

2016-12-01

絵が上達する催眠術はないのだろうか

自己暗示と言った方が正確だろうか?

絵を描くにあたって最大の壁が脳内イメージを固定して出力することだと思っているが

世の中の絵の指南書には対象入力(見る)して出力(描く)する方法を明示した本はあるが(脳の右側で描けが代表例)

指南書で鍛えられるのは摸写やデッサン技能でまず入力がないと出力できない

絵はすぐには上手くならないという本でようやく頭の中でイメージして描く力が必要だと気付いたのだが

肝心の想像力を鍛える方法を明示した本がまるでない

全くないわけではないがスピチュアルな怪しい本しかないのだ

Amazon検索すると瞑想の本や催眠術の本はわりと充実してきたように思うが……本を読んでも痛みを紛らわすとか実用的な内容ばかりで絵の実力を120%発揮するとか創造性を高める自己暗示とかはまるでない

マズローの五段階欲求だったか

痛みは生理的欲求第一段階で

絵が上達するは自己実現欲求の第五段階だから難しいのだろうか?

今度はヘミシンクとやらを調べてみるつもりだ……

新人類

環境アフォーダンスが我々の人格認知能力創造力などの形成に大きな地位を占めるとするならば

可能範囲においては随時、自身位置している環境要因を自分が望む状態指向できる形に設定する努力を行うべきではないだろうか

2016-11-26

#夢小説あるある

みんなの黒歴史

夢小説あるあるwww

夢の世界へようこそ……貴女は114514人目の……
夢小説
夢の世界
夢小説サイト
ようこそ
来てくれてありがとう
貴女は114514人目の……
アクセスカウンタ

これ雰囲気づくりだよ。夜景の綺麗なレストランデートの締めにすると見せかけて、よい雰囲気になったらホテルしけこむみたいな(実際そんなことするのか知らないけど)。今から夢小説に没入する人のための雰囲気づくり。わかるか。

「きみの名前を教えて」

名前変換を促すポップアップウィンドウやらのアレ。

これも雰囲気づくりだよ。自己紹介だよ。ここから夢小説を読む心の準備をさせてくれてるんだよ。大方の夢小説は(偏見に満ちているだろうけれども)二次創作で、既存の(原作の)キャラクターとの恋愛なんだろ? 好きなキャラクターから名前を聞かれてなにが悪い。歴代ポケットモンスターでも主人公博士から名前を聞かれるんだからな。あれで(あっ、わたしポケモントレーナーになるんだ)みたいな気持ちになるんだよ。促しているんだよ!わたしは今からこのキャラクター恋愛するんだよ!

「ほう……おもしろい」

夢小説の)主人公が、なにか(主人公のかけ算の)相手にとって「おもしろい」行動をとったときに言われるやつ。

主人公補正だよ! 「名探偵コナン」ではコナンくんが行く先々で(あるいはどこにも行かずして)事件に遭遇するだろ。あれはそういう物語なんだよ。事件に遭遇しなきゃコナンくんは「名探偵」にはなれないんだ。いくら名探偵といえど事件をかけらも知らなきゃ、解決のしようもないだろ。恋愛もの夢小説で、主人公相手と両想いになるためには、相手主人公を知らなきゃいけないんだよ。きっかけだよ。「ほう……おもしろい」はきっかけだよ! 主人公を知らずして、相手を知らずして、どう両想いになるんだよ!

主人公の外見や性格や強さのこと

美人すぎる強すぎる完ぺきすぎる胸が大きすぎる性格がよすぎる云々。

これも主人公補正だよ! 言わば(もしかしたら作者の)理想の姿(かもしれないもの)だよ!

コンプレックスないの? かわいくない弱い賢くないなにもできない胸が小さい性格が悪いって、実際にどうか知らないけど、なにがしかコンプレックスありませんか? わたしにはあるね。胸が小さいし小さなブラジャーがないし「お客さまのサイズに合うブラジャーのとり扱いはございません」って大人になっても言われるし。夢小説を書く(読む)ときくらいボン・キュ・ボン美人でもいいじゃないか! って思うね。

それでなくたってだな、キャラクターとの釣り合いのことを作者が考えたかもしれないんだぞ。完ぺきすぎるキャラクターに、あまり凡庸すぎるキャラクターは似合わないみたいな。ハリー・ポッターの宿敵の闇の魔法使いヴォルデモートなんか若いころは「ホグワーツ開校以来の秀才」で超絶美形で人心掌握もできて、つまりなんでもできるんだよ。(おそらく)唯一の欠点といったら「愛を知らなかった」ことだよ。そんなキャラクターに「おもしろい」と思われるには(愛を教える……なんて傲慢! でも教えたいし助けたい! あわよくば交際したい!)、よほど人間ができている(性格がよい)とか同じくらい頭がいいとか人心掌握最高とか美形とか、そういう特別な設定が必要だとは思わないか? 繰り返しになるが、わたしは思う。

主人公強いのにいざというときに力を発揮できなすぎ

そのまま。こういうとき主人公女性のことが多い(偏見だけど、もしかしなくても夢小説二次創作であったりその主人公女性であることが多いんだな)。

ヒロイン補正だよ! ヒロインつったけど別に男でもいいんだよ。でもヒロイン補正だよ。劇場版名探偵コナン」を見たことがあるか? 蘭ちゃん、空手強いよな。てかあの世界のメインキャラクター武術嗜みすぎよな。それはおいといて、都大会優勝レベルかいって、拳銃かなんかの弾を避ける程度には強いんだよ。実力者だよ。でも、いざというときには油断したりしてなかったりして、敵に捕まったりにとり残されたりしたんだよ。こういうの、物語の展開のためっていったらそのとおりだけど、そんなもんだし、やっぱりヒロイン補正なんだよ。いいじゃん、好きな相手に助けてもらえるんだよ。強すぎると助け甲斐がなさそうだけど、ギャップ萌えとかあるじゃん。たまに見せる弱い一面にドキっとさせられるんだよ。素直に受けとろうよ。

主人公弱いのにでしゃばりすぎ

戦力として数えられないほど弱いのに前線に立ちたがるみたいな。拒否されると、こっそり前線の近くまで行くみたいな。そんで、そのせいで(主人公の)味方の勢力が不利になったり主人公が捕まったりするんだな。

これもヒロイン補正だよ! 主人公補正でもあるよ! なにがどれがとか言えないけど、「できないからってあきらめるわけにはいかない」とか、なんかそういうことあるじゃん。やっぱり物語の展開には必要だったりして、これをきっかけに主人公が成長したりしなかったりするんだよ。失敗は成功の元って言うじゃん。見てるとイライラするけど、あとあと「おまえ成長したな」って思えるときがくるかもしれないんだよ。それに弱くてでしゃばることが、必ずしも悪いことになるとは限らないんだよ! 物語の展開にもよるけど。

主人公過去が壮絶すぎる

悲劇的な殺人事件の唯一の生き残りだとか、殺人犯の子どもだとか、ロミオとジュリエットだとか、あまりの美しさに嫉妬した継母に家を追い出されたとか。なんか壮絶な過去

これも主人公補正だよ! (夢小説の)物語の展開には必要になる(かもしれない)んだよ! ハリー・ポッター過去は壮絶だぞ。史上最悪の闇の魔法使いヴォルデモートに両親を殺されたばかりか、そのヴォルデモートを赤子の時分に撃退したんだぞ! 親は友だちに裏切られてるし、なにかあるたびに額の傷は痛むし。でも、そんな過去がなかったら『ハリー・ポッター』の主人公にはなれなかったんだぞ。その過去が壮絶な(夢小説の)主人公だって、もしかしたらその壮絶な過去がなかったら、その夢小説主人公じゃなかったかもしれない!

主人公独り暮らししすぎ

小学生中学生や、それなのに、両親が海外で働いていたり亡くなってたりしてて、たくましく一人で暮らしてて、生活力がすごい。ことがある。みたいな。

知るかよ! たぶん主人公補正だよ! 少年マンガとかで、親が出てこないことあるだろ? 子ども物語を描きたいときに、(言っちゃ悪いけど)両親という小道具邪魔になることもあるんだよ。都合がいいんだよ! 作者に!

主人公キャラクターと仲よすぎ

二次創作で、既存キャラクターと……ってことが多い。過保護なまでに友愛を注がれていたりいなかったりする。

主人公補正だよ! 主人公はなにの主人公かって、夢小説主人公だよ! 実在しない(悲しい!)キャラクターと、せめて夢小説のなかでくらい仲がよくたっていいじゃん! こんな友だちいたらいいなーとか、思わないの?

世界トリップものとかで主人公未来を変えすぎ

二次創作で。「未来を知っているわたし未来を変えるわけにはいかないの」と悩んでいることもある。

あなたなにを読んでるの? 夢小説だよ? 異世界トリップもの! ほかのなにより明白に「その世界存在しないもの」が紛れこむんだよ。てか異世界トリップものじゃなくてもだね、夢小説主人公って、そういうものじゃないの? なにかしら変えちまうんだよ。こういうものなんだよ。だって原作に、あなたいないでしょ? でも夢小説主人公っていうのは、たいていあなたで、原作にいなかったキャラクターなんだよ。いいじゃん、未来を変えたって。わたしハリー・ポッターに倒されるヴォルデモートの未来を変えたいというか過去から変えたいというか、そもそもヴォルデモートになってしまうこと自体を変えたいというか、そういう気持ち、あるよ。

神さまノリ軽すぎ

「ごめんね☆ ぼくのミスでうっかりきみをあれこれしちゃったから、お詫びに異世界へ連れていってあげる」とか。

あなた「神さま」を笑うの? 笑えるの? ノリ軽すぎとか突っこんでよいお立場ですか? 創造物ヒトだよ。脆くも儚い、神の創造物だよ。どんな態度で主人公に接したっていいだろ。これは神さまの、いわば気遣いだよ。創造物ヒトが怖がらないように発狂しないように、精神の安寧をすら気遣って、それでいろいろしてくれるんだよ。

宗教とか勧誘とか、そういう怪しい意図は、ここには一切ございませんし、わたくしそういうのの一員ではない。

黒歴史っていつのこと?

夢小説あるあるwww じゃねーよ。

夢小説あるある」はネタなんだけど、使うひとにとっては、おおむね三種類それぞれの意味合いがあると思う。

そして、それを見たひとの楽しみ方は、おおむね二種類だとも思う。

夢小説あるある」というネタである。使うとき、「こういうことがあった」「こんなんなんだろうな」「これあるある」という感情がある。それを、懐古や侮辱共感を狙って、Twitterなどで発信する。

わたしネタにする。ここであげたものは、わたしが通ってきた道で、歩いている道だ。現役の身としては、「こんなことがあったよね」という懐かしさを抱く。そして、これがすべてではない。

ところで、夢小説を好きだったことのないだれかは、どうやってこんな「夢小説あるある」を知るんだろう。まあ偶然にも夢小説サイト出会った、なんてことはあるかもしれない。あるだろう。WWWは広く開かれているから。でも、だ。わたしは「夢小説あるあるネタで「夢小説あるある」を知ったひとも、いると思う(それが「#夢小説あるある」の形をとっていたかは知らないけど)。そして、それをそのまま、偏見とともに受け入れ、侮辱意味で(無意識かどうかを問わず)使ったり使わなかったりする。

使われ方には三通りあると言った。黒歴史偏見、そして現在だ。この道を、まだ歩んでいるひとがいる。わたしもその一人だ。一例を挙げたけれど、あんもの、ありふれているんだ。黒歴史と感じて恥じ入ることはあるかもしれない。かつての自分の作文を、目の前で読みあげられたら、あるいは自ら読み返したら、恥ずかしくもなるだろう。こと年を経るにつれ(幼稚園やら小学校で書いた作文は、大人になってみたら、支離滅裂だったり言葉が滅茶苦茶だったりするだろう)。そんなものだと思う。夢小説だけじゃなくて、文章だけじゃなくて。あんな下手な料理を人に振る舞っていたのかとか、あん掃除でやり遂げた気になっていたのかとか、あんボールの蹴り方をしていたのかとか。この日記だってわたしの恥ずかしい思い出の一つになるかもしれない。

夢小説あるある」が黒歴史意味を持っているあなたに聞きたい。その黒歴史、いつのお話ですか? その黒歴史を歩いていたときあなたはおいくつでしたか? あなたは今おいくつですか? 黒歴史黒歴史って言うけど、作文だって下手な作文をめいっぱい書いてうまくなるんだよ。幼稚園児に、「きみはいつか大学研究論文を発表するんだよ」って言ってごらんよ。わたしは信じられないよ。わたしはその黒歴史(下手だったり恥ずかしかったりするやつ)を積み重ねて、今はかつての面影もないようなウェブサイトをつくった。今ネタにされているホームページの面影なんかないからな(いにしえのホームページが悪いわけではない。ただわたしの好みの問題です)。「ほう……おもしろい」は、古今東西、あらゆるところで使われているんだ。なにも夢小説だけじゃない。プリキュアでも仮面ライダーでも、ちょっと自分にたてつくやつには「ほう……おもしろい」で余裕の笑みを浮かべるんだよ。わたしは今も使っているけど、昔よりはうまくなったと思うよ。

あなた黒歴史は、あなた過去だ。いろいろな人に黒歴史はあるかもしれない。けれど、それは今じゃない。スマートフォンOSメジャーアップデートの頻度をみてみろ。VRが家庭にやってきた。HTMLCSSバージョンを重ねたし、ウェブサイト文字コード指定の主流はUTF-8になった。というか、ガラパゴスケータイじゃないんだよ、今は。スマートフォンだよ。かつて(もしかしたらそうかもしれない黒歴史をつくっていた人たちが、今まで(夢小説を)つくるのを続けてきて、どうして変わらないと思う? 実際、JavaScript仕様変更にともなって、元祖(おそらく)ドリーム小説用変換ツールDreamMaker」は、あまり推奨されなくなったよ。でも、同じJavaScriptでありながら現代基準aliceもあるし、PHPを使うdream.phpというツールもでてきた。名前変換機能のついた投稿サイトpictMalFemBLGLに特化した姉妹サイトあり)もある。初めがどうだったかなんて知らないけど、夢小説は「キャラクター♂×自分♀」だけじゃない。今はいろいろな楽しみ方がある。二次創作けが恋愛けが自分♀だけが夢小説じゃない。

笑わないでほしい。侮辱しないでほしい。夢小説に、こんなあんまり偏見を向けないでほしい。たとえ今つたなくとも、続ければうまくなる。再三になるが、人は進歩する。成長する。成長しうるんだ。続ければ。はじめたばかりのひとが、いきなり職人レベルのものをつくれるなんてことは滅多にない(あれば、それはそれでおめでたいことだと思うけど)。たいていは、つくり続けて、こつこつと上達していくんだ。けれど、笑われたり侮辱されたり、偏見を向けられたりして、「夢小説を好きでいること自体が、書くことが、読むことが、恥ずかしい」と思うひとがいる。わたしは「夢小説あるある」をあげたけど、雰囲気づくりだし、お化け屋敷におどろおどろしいキャッチコピーがつくようなものだし、あるいはありふれた要素だったりするんだよ。ちっとも恥ずかしいことではない。でも、恥ずかしいと思って、やめてしまったら、それ以上うまくなることはないし、それ以上楽しむことも、夢小説自体を楽しむひとたちと楽しみあうこともできなくなる。

夢小説について偏った知識しか持たないひとには、侮辱するのではなく、今の夢小説のことを知ってほしいし、できれば読んでほしいとも思う。夢小説が気になっているひとも、恥ずかしがらずに、まず読んでみてほしい(書くことから始めるのでもいいけれど)。

夢小説は、侮辱されるべき創作ではない。恥ずかしいものでもない。

2016-11-25

逆に夢の世界こそが本当の現実で、何もかもを創造することもでき好きな事が可能

それは肉体の脳がオフ化しているときにだけシミュレートを解除して夢(真の現実)にゴーストを引き戻させているのか、

そして再接続する際に記憶の消去が曖昧だと、ようするに夢を無理やり思い出そうとするとおかしくなりやすいのもこちらの世界記憶の引継ぎを無理やり行おうとした結果エラーしているのかもしれない

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